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間 通巻210号、2008年3月13日
発行


     西           週  


    周   ・ ・ ・ 第 刊  
    に   企 米 主 2 マ 目
    お   業 国 要 2 ー 次
    け   業 の マ 5 ケ
  る   績 景 ー 号 ッ


  政   の 気 ケ ( ト
  治   悪 後 ッ 〇 レ
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る 黄 表
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掲 境 世
げ に に
る 対 於
こ し け
と て る
と 猛 錬
す 威 金
る を 術
。 振 で
週刊マーケットレター、第 号

225
︵ 年3月 日週号︶
08

10

1
曽我 純
為替レート 3月7日(前週) 1ヵ月前 3ヵ月前
  円ドル 102.65(103.70) 107.45 111.7
 ドルユーロ 1.5355(1.5180) 1.4485 1.4655
 ドルポンド 2.0150(1.9885) 1.9425 2.0315
 スイスフランドル 1.0255(1.0415) 1.1035 1.1285
短期金利(3ヵ月)
 日本 0.98750(0.96250) 0.87375 1.03188
 米国 2.93875(3.05750) 3.09625 5.14063
 ユーロ 4.50188(4.38813) 4.35688 4.89375
 スイス 2.93875(2.79667) 2.685 2.76833
長期金利(10 年債)
 日本 1.335(1.355) 1.425 1.565
 米国 3.53(3.51) 3.76 4.1
 英国 4.32(4.46) 4.47 4.68
 ドイツ 3.77(3.88) 3.88 4.21
株 式
 日経平均株価 12782.80(13603.02) 13207.15 15956.37
  TOPIX 1247.77(1324.28) 1305.08 1561.76
  NY ダウ 11893.69(12266.39) 12247 13625.58
  S & P500 1293.37(1330.63) 1336.91 1504.66
ナスダック 2212.49(2271.48) 2293.03 2706.16
  FTSE100(英) 5699.9(5884.3) 5724.1 6554.9
  DAX(独) 6513.99(6748.13) 6733.72 7994.07
商品市況(先物)
  CRB 指数 411.65(412.69) 367.25 342.92
 原油(WTI、ドル/バレル) 105.15(101.84) 88.11 88.28
 金(ドル/トロイオンス) 972.2(972.1) 906.1 794.4

表 1: 主要マーケット指標

2
■ 米国の景気後退の確度高まる
米国経済は今年1月から景気後退に入ったようだ。週末発表の2月の米雇用統計による
と、非農業部門雇用者は前月比マイナス6・3万人と2ヵ月連続の前月比減となった。過
去の米景気後退期と非農業部門雇用者の関係をみると、非農業部門雇用者の前月比の変化
が、景気の山から谷への転換を示している。前月比の値がプラスからマイナスに変わった
近辺が景気の変わり目と判断してよい。 年代最初の景気のピークである 年7月には

90

90
同月の非農業部門雇用者がマイナスに変わり、次のITバブル崩壊による後退でも前回同
様景気のピークである 年3月に前月比減となり、減少数が最大になる辺りで景気は底打
01

3
ちしている。
今回は非農業部門雇用者が減少してからまだ2ヵ月の経過にすぎないが、2月のISM
製造業景況指数が景気の収縮を示す を2ヵ月ぶりに下回り、非製造業は2月まで2ヵ

50
月連続 の 割れとなった。新車販売台数も2月、6・3%減少するなど、景気後退を裏
50
付ける指標が相次ぎ公表されている。
米株式市場も景気後退観測の強まりには逆らえず、NYダウは昨年来安値を更新した。
債券相場は引き続き強く、景気悪化によりドル売りは止らない。米株式市場は実体経済を
織り込むにいたらず、調整は長引くだろう。米株式市場の不振により、外人の日本株買い
は期待できない。信用不安や景気悪化が世界を覆い、投機資金は株式から債券に向かうだ
ろう。
住宅不況に伴う信用問題が沸々と涌いてい
る。住宅販売の不振や価格下落の影響は、住
宅建築 ・ 販売会社をはじめ住宅ローン会社、
銀行、信用保証会社、投資ファンド等々に広
がり、実物とマネーの両面から米経済活動を
弱めている。下落しだした不動産価格が、過
剰な住宅販売や過剰な貸付を実体経済に見合
う水準まで引き下げるだろう。その間、信用
不安は強まることはあっても弱まることはな
いと思う。

4
6日、FRB発表の 年 ∼ 月期の﹃ Flow

07
10
12
﹄によると、昨年 月末のモーゲー
of Funds

12
ジ残高は ・4兆ドル、前年比7・7%増加

14
し、過去最高を更新した。 年末のモーゲー

07
ジ残高は名目GDPよりも0・7兆ドル多く、
これで2年連続して名目GDPを上回ったこ
とになる。これも過去にないことである。昨
年からこれほど問題になっていたにもかかわ
らず、モーゲージは整理されるどころか逆に
増加していたのである。
モーゲージ ・ 名目GDP比率は 年、 105 ・ 2%と前年を3 ・ 5ポイント下回った
07

が、 年代後半以降の急上昇をみれば、修正は序の口といえるだろう。 ・4兆ドルもの
90

14
モーゲージの持ち手のトップは政府系のモーゲージ・プール︵4・4兆ドル︶、2番目は
商業銀行︵3・6兆ドル︶、3番目はABS発行体︵2・8兆ドル︶、小規模な金融機関で
ある貯蓄金融機関も1・0兆ドル保有している。政策金利の引き下げだけではどうするこ
ともできない状況に、米政府は追い込まれているように思う。 
■ 企業業績の悪化により株価の下落は止らない

5
﹃法人企業統計﹄によると、 年 ∼ 月期 の 全 産 業売 上 高 は 前 年比 2 ・ 3 % と 前 期

07

10

12
を0・3ポイント上回ったが、売上原価、販管費が売上高以上に伸びたため、営業利益は
マイナス6・2%と 年4∼6月期以来、5年半ぶりの減益となった。 年4∼ 月期

02

07

12
までの営業利益は前年をやや上回っているが、一度減益になると連続する傾向がみられる
こと から 年1∼3月期の営業利益も前年割れとなり、 年度通期でも減益になりそう

12 08

07
だ。 ∼ 月期の設備投資はマイナスとなり、これで3四半期連続の減少である。普通、

10
利益の減少に遅れて設備投資も悪化するのだが、今回は設備投資の減少が営業利益よりも
2四半期先行している。
営業利益が長期にプラスを維持できたのは、
人件費を売上高の伸び以下に押えていたから
だ。 年 ∼ 月期の人件費も1・1%と売
07
10
12
上高の伸び率の約半分に抑えられており、こ
うした人件費の抑制が利益を生み出していた
といえる。特に、従業員一人当たりの給与は
売上高がプラスに転じてからもほとんど伸び
ず、マイナスのときが多いという異常な分配
が行われていた。営業利益がマイナスに陥っ
たことから、経営者は業績を理由に給与をさ

6
らに絞るだろう。
日経平均株価は再び1万3000円を割れ
たが、利益が前年割れとなり、これからさら
に悪化する状況では、下落は止らない。資本
金 億円以上の大企業の営業利益も 年 ∼

10

08 07

10
月期は2・3%前年を下回った。 年1∼

12
3月期の減益率は拡大する見通しであり、通
期でも減益になるだろう。 年度は2桁減益

08
に陥る可能性が高く、日経平均株価は1万円
近くまで落ち込むのではないだろうか。プラ
イマリーマーケット︵発行市場︶が二の次にされ、セカンダリーマーケット︵流通市場︶
だけが異常に膨らむという株式市場のツケが回ってきているともとれる。

7
西周における政治経済
森野 榮一
本[稿は、2006年 月 、 日に開催された、二松學舎大学東アジア学術総合研究所主催、
10

14

15
連続国際シンポジウム、﹁東アジア文化研究の新思考﹂シンポジウムI︱実心実学思想と国民文化
の形成︱での研究報告の際に配布した論考の日本語版である。入手の問い合わせを受けたが、未公
刊であるため、本誌に収録しておくこととした。 ]

8
はじめに
西周 ︵1829∼97︶ は我が国が近代国家へ脱皮する幕末 ・ 明治期を生きた啓蒙思想家であ
る。彼において初めて和漢の学は西洋の学問と本格的に出会ったともいえる。漢学や和学に通じた
彼であればこそ、本格的な西洋思想との出合いにおいて、近代化に必要であった哲学、法学、経済
学等の消化が可能であったといえる。
ときしげ
彼 は、 島 根 県 の 津 和 野 に 藩 医 の 家 に 生 ま れ 、 名 は  
時懋 、 長じて周助、 のち周と改めた。 藩主の
命により医家より儒者に転ずるが、1853年︵嘉永6年︶ペリー来航の激動のなか洋学を志し、
脱藩。
蘭学、英学を修めたのち、1863年︵文久3年︶
、幕府使節に加わり渡欧。オランダ留学を果
たす。ライデン大学のフィッセリング教授のもとで、法律・経済・哲学などを研究。
1865年︵慶応元年︶帰国し、諸外国との交渉において必須であった﹁万国公法﹂などの翻訳
を手がけると同時に、京都に上り将軍慶喜の顧問を務める。また私塾を開き西洋思想の普及にも従
事する。
1868年︵明治元年︶、江戸に戻り、徳川遺臣たちが沼津に設立した兵学校に頭取として招か
れる。
ひようぶたいふ
1870年︵明治3年︶東京に戻り、兵部省に出仕、兵部省の 
兵部太輔 であった山県有朋のアド
ヴァイザーとなり、日本陸軍の制度創設に尽力した。
1873年 ︵明治6年︶、 明六社の結成に参加し、﹃明六雑誌﹄ に倫理学、 論理学等の論文を発

9
表、精力的に啓蒙活動を展開した。
本稿はこうした西周の活動のなかで、西欧の政治経済学の受容が、彼にあってどのようなもので
あったかに焦点を当て、近世の経世済民の思考と共存させようとするなかに近代を展望しようとし
た西周の思考の一側面を問題としたい。
経済、その近世的意義
近世において、経済といえばまず思い浮かぶのが、佐藤信淵の﹃経済要録﹄である。彼は、その
序言で、
﹁国家困窮して万民飢寒に迫の大患を済べき道あらん﹂と経済の学に志した次第を述べて
1
いる。そのため、
﹁農政を精し、物産を開き、百工を興し、其製造を巧みにすべき諸法﹂を明らか
にするとしている。
その彼が定義する経済とは、下記のようなものである。
経済とは国土を経緯し、蒼生を済救するの義なり、所謂国土を経緯するとは、先其国
の城下より東西の領分界に至る迄の度数を測量するを経と云ひ、又其南界より北界に
2
至る迄の度数を測量するを緯と云ふ。
つまり、 経済とは国土の彊域を定め、 そこに済む人民を救済することである。 人々にとって食
物・衣類は基本であるが、そのためには、
﹁経緯を審にし、気候を察し、土性を弁じ、地力を尽す﹂
べきであり、彊域内の人民をして﹁水旱の患なく、民処安寧を楽ましむる﹂を済といい、
﹁各自に産

10
3
業を勉励せしめて、食物・衣類の余裕あらしむるを教と云ふ﹂とする。そうして、
﹁国君の要務は、
経済道を努めて邦内を富豊にするより要なるは無く、小民の専務は、各々其家業を励みて、衣食を

4
充足らすより要なるは無し﹂というように、この経済の務めは、専ら国家を経綸する国君のなすべ
きこととされていた。そして人民は、それぞれの特殊の業務を果たし衣食を充足すべきと位置づけ
られている。ここに見られるのは経済が為政者の執り行う政治の範疇内にあるということである。
それは﹁国家を領する者は、必ず経済の学を脩めて国土を経緯するの術を精密にし、天工開物の
佐藤信淵、﹃経済要録﹄
、岩波文庫、4頁。

1
前掲書、 頁。

13 13
2
前掲書、 頁

3
前掲書、13頁

4
5

法を講明して政事を勉強せずんばあるべからず。﹂との主張に明らかであり、また、
﹁万物を成熟せ
ふせん

6
しめて貨物を豊饒にし、境内を 
富贍 して人民を蕃息するは、即ち国家に主たる者の常務なり﹂との
言葉からも分かる。
古くから、三事六府という。佐藤信淵と同じく、近世の哲学者三浦梅園は、その著﹃価原﹄で、
書経、大禹謨の文言を引きながら、
﹁水火木金土穀、これを六府と云ひ、正徳・利用・厚生、これ

7
を三事と云ふ。後世の治、千術万法有りといへども、此六府三事に出ず。﹂と述べている。
人が生存していくのに必要欠くべからざるものを六府といい、これをよく治めるのが政治つまり
まつりごと

政 であった。そのためには、徳を正しくし︵正徳︶
、用を利し︵利用︶、生を厚くする︵厚生︶の
三事を調和させる必要がある。 各自その職能をもって自ら得た成果を人に施し合えば、 六府は普
くその恵沢を人々に提供する。そのために必要な政治の姿勢が三事六府の尊重に表現されており、

11
統治の基本であると考えられた。
上古から近世に至るまで、この視点は為政者の心得るべき規範であり続けたと思われる。もちろ
ん西周もこれを熟知していたであろう。そうした彼が西欧の政治経済学に出会うのである。
西周における政治経済
政治経済学について西はこう記している。
前掲書、 頁

38 37
5
前掲書、 頁

6
三浦梅園、﹃価原﹄、岩波文庫、 頁。

40
7
、此イコノミーなる語は希臘の
Political Economy 、英の
oικoς 、希の
house 、英
νoµoς
の rule
にして、即ち家法といふ字なり。我か国にては之を身上、世代、台所向、勝手
向、繰廻、工面、なといふ意に同じ。之を漢字に訳するときは居室、居家、等に当るな
り。・・・なほ其他に字を求むるに営生、活計・・・、貨殖等あり。 て人生々活の道を

d
得て富有に至るの意なり。之を唯イコノミーとのみ言ふときは一家のことにあたると
雖も、今ホリチカルイコノミーといふときは即ち国家の制産に係はるところなり。近
来津田氏世に之を訳して経済学と言へり。此語は経世済民より採り用へたる語にして、
専ら活計のことを論するには適当せさるに似たり。故に余は孟子の制民之産の語より
採りて、制産学と訳せり。凡そ民の産を制するには、必す其主たるものなかるへから

8
す。故にホリチカルイコノミーなる語に大概当るへしとの考えなり。

12
ここで経済学という訳語を当てた津田氏とは、1857年︵安政4年︶に開設された蕃書調所で
西の同僚であり、オランダ留学を共にし、親交を結んだ津田真道を指すと思われる。そうした間柄
9
でありながら、、経世済民を念頭に経済と訳すことに異議を唱えているのは、注目に値する。活計
とは生計といいかえることもできるが、人々の暮らしを営むことを指す。経世済民は国を治め、民
を救済することであるから、近世におけるように、政治にかかわる定義であり、適当ではないと西
は考えるわけである。
彼は民の産を制するには必ず主たるものがあるとしている。それは経済活動の主体を意味してい
﹁百学連環第二編下﹂、
﹃全集﹄、第四巻、235頁。

8
その交流ぶりは妻女の西升子日記にもみえる。川 勝、
﹁西升子日記 幕
–末維新期の女性の日記 ﹂
–、南山経済研究、第

d
9
巻、第1・2号、1999年9月、参照

14
よう。一国の民の産には多様な経済主体が係わり、これを生み出している。人々がその経済活動を
通して、富裕に至ることを把握する学は近世における経世済民の学とは異なるはずだと考えるので
ある。
彼は﹃百学連環﹄において西欧における経済学の発展推移を概観した後で、こう述べている。
此学の古昔のデヒニーション、即ち定義は、
学 之 政 府 布 置 之 市 井 人 民
 science
    of
 government
      organization
    of
    society
  .
d

The and the civil


当今のデヒニーションは、
学 之 富 有 之 国 民 論 法 之 産 殖 分 賦
 science
   of the
 wealth
  
 of
 nation
      treatise
   on the
 mode
  
 of
 production
      ,

d

The and , distribution
消 費
 consumption
and   国 . 民富有の学にて、其富有を分賦して人民各之を持有し、及ひ之を

10

13
消費するの法なり。古への政府の学となす如きは此制産の大禁物となすところなり。
欧州において、政治経済学はかつて、市民社会の統治乃至組織の学であったが、いま、諸国民の
富の科学、 すなわち富の生産 ・ 分配 ・ 消費の様式に関する科学の位置づけを得ているというので
ある。
政府の学と政治経済
西は経世済民の学と欧州の政治経済学を区別しようとしている。しかし民の富裕を願い、増進さ
せんとする意想は経世済民の思考のうちにも存在する。どこに違いがあるのであろうか。
﹁百学連環第二編下﹂、
﹃全集﹄
、第四巻、239頁。

10
彼はその制産学の大略を か 条 与 え て い る が、 ま ず 注 目 す べ き は 経 済 の 成 り 立 つ 社 会 に つ い て
11

の議論である。

 即ち相生養之道と訳。此のソサイチなる語は社の字なりと雖も、党の字に当た
 Society
るを好しとす。 凡そ人の生るや必らす一己に生養すること能はす。・・・ 故に是非相互
に 助 け を 以 て 生 活 す る を 相 生 養 の 道 と 云 ふ。 ソ サ イ チ ー 即 ち 党 と い う は 人 民 未 タ 国 を
なさヽる以前にて、郷党の生といふ義なり。相生養の道となすは division of labour or
労を分ち業を分つという義にして、人民一己々々に孤立し生養すること能
profession,
はす、故に或いは耕し、或は織り、或は器物を制する等の如く、其業を分ち労を分つ
て務めさるへからさるものとす。而して相互に其物を交換し、相用ゐて始めて生養の
11

道立つなり。

14
今日、 社会という語義を当てている society
に相生養の道との訳を与えているのは卓見である。
分業に基づく相互依存のうちに社会をみているからである。また、こうも述べている。
若し一人にても労を務めすして他人の労せしものを用うるか如きは、之を天道に於て
属となす。上天子より下万民に至るまて各々業に貴賤ありと雖も、悉く労を分つて務
めさるはなきところなり。而して初て国家たるもの立つなり。
人の社会をなすは、各自皆、その独自の才をもって参加し、相互に依存しあい生を養うことにあ
り、業や労を通して参加するのでなければ、天道から盗むことになるという。こうした社会が成り
前掲書、239−240頁。

11
立ってこそ国家が立つと言っている。
しかしここで、 分業を社会的職能の分化と相互依存にみる幾分社会学的な指摘をみるとき、 正
徳、 利用、 厚生の三事につき、 それらの意味するところとの共通性を感じざるをえない。 たとえ
ば、権藤成 は、このことにつき、こう述べていた。
d

すゐじんし こうしよく かしよく


徳とは自得の成果を人に施すこと、 
燧人氏 の火徳、神農氏の木徳、 
后稷 の 
稼穡 の徳が
普く百世万衆に恵沢を与へしが如きを云ふ。若し身に一芸一能なく偽飾好辞を以て世
きやうげん
に立てる者は固より徳者ではない、  愿 である。孟子は之を、 愿は徳の賊なりと

d
喝破して居る。而も其徳を正すと云へば身に受けたる一徳を正し伸ぶる譯で、善く玩
12
味黙会さるるが肝要である。

15
これは正徳についての指摘であるが、西の議論との類似をみてとることができる。西は三事六府
の議論を退けようとしながら、共有している。違いはなにかといえば、社会の先在性に関する指摘
である。こうした業や労を通した相互依存は人民が未だ国をなさざる以前からあるとし、国家がこ
れらを統治によって調整するものではないと考えているかにみえる点である。西の好んだ経済学は
の議論に続き、価格メカニズムによる
自由主義的なそれである。制産学の大略には、この society
資源配分が議論されている。そうして、﹁古来ポリチカルイコノミーに於いて其道理に適せさるこ

13
と数条あり﹂として、独占やギルド、保護関税、各種規制などを挙げている。
また、制産学の大本として、五項目を挙げている。それらは彼の望んだ自由な経済をよく示すも
権藤成 、﹃君民共治論﹄、文芸春秋社、昭和7年、 ∼ 頁。

15

16
d
13 12
﹁百学連環第二編下﹂、﹃全集﹄、第四巻、247−250頁。
のである。すなわち、
第一、労者為与富之源。労する時はカピタルを作す故に労を積むものは富なり。
第二、其為労或於農耕或於技巧或於商売一也。凡そ人各其業を勉めて労するときは其
富皆一なり。故に之を自在に任せて保護することなきを要す。
第三、金銀非所以為富者苟物之可積労而得之以足供需利用為快楽者僥溢始而謂之富可

14
也。前に説く如く、金銀は物のメジュームにして其他の用をなすものにあらす。故に
幾多の金銀あるも富とせさる所なり。富とは人各其労を積て物を得、其需用に供する
に至り、全国快楽をなすを云ふなり。
第四、能柄政者使人々従己之所好而求己之所欲而己。奢侈に係はることのミならす、

16
て人の好む所に任せて制限なきを好しとす。
第五、人々為業而盡力乎己之利則亦盡力於天下之利也。人々其業を勉め奢りを極め不
足なるときは、又其労を勉めて働かさるを得す。其己を利すか為めに働く所は、即ち

15
天下の利に働くものなり。
ここに見られるのは、第一は、労働価値説、第二、第四は自由放任、第三は実体経済の重視と貨
幣ベール論、第五は各自の私利追求が公利を極大にするとの考えで、古典的な自由主義経済学の基
本といってよい。
、媒介物のこと。
medium

15 14
前掲書、251頁。
経済をこのような意義において把握すると、西は近世の思考と近代のそれとの狭間に立つことに
ならざるをえない。
に与えた﹁産殖﹂の産は、近世において人々の存活に欠くべからざる物質を表
彼が production
現するものであった。それは、簡単に言えば、動産不動産であったが、これは多種多様である。ま
たその範囲も広い。物資の生産や人の居住に必要な土地も、また物資を生産する組織や機関、物資
を取り扱い、流通させ、配分する機関も、そうである。近代は、これらを皆な産として社会的かつ
経済的な価値を有しているとみなさなければならない。例えば農地を農民のみが占有しうるものに
しておいてはならない。近代社会は、すべてを私有にまかせ、価格によって配分されるようにしな
ければならない。産そのものを占有すれば、自由に処分し、利益を取得しえなければならない。一
言で貨幣そのものに産を占有する力を保証しなければならない。とすれば、三事六府が人々の業や

17
労を調斉しようとするのと、価格メカニズムによってそうするのとでは、相互依存の経済社会をみ
るについて質的な相違があるといわなければならない。西は、前者を継承しながらも近代に向き合
い、政治の学とは異なる経済学を導入しようとしたともいえる。そのことは、近代的な法制の確立
のために、ローマ法の啓蒙をなしたことにも伺い知れるところである。
富国と強兵
近世の実学者たちに共通している思考は、民富の増進のそれであり、為政者はなによりもこれを
心掛けねばならないという考えである。西にとってそれは当然にも継承すべきものであった。それ
を近代的な経済システムの実現のなかで実現しようとの意向が彼にはあった。しかし、当時の我が
国が置かれた状況は厳しいものであった。 幕末維新の内乱の末に明治を迎えた日本は、 人口34
00万にすぎぬ小国で、これを欧米列強が囲繞する状況であった。西は、カントの学説を知悉して

16
﹁欧州前哲ノ観察ニ拠レバ、此世界ハ竟ニ所謂エートルナル、ピースト云フ無彊治休ニ帰ス
おり、
ベキモノナリト﹂と述べ、その永久平和論を評価しているが、しかし、彼はそれは﹁此世界ノ達ス
17

ベキ結果﹂といわざるをえない。彼は該博な歴史の知識に立ち、自らの生きる時代状況のなかで思
考・行動せざるをえないのである。
﹁上隣報兵備略表﹂において、彼はこう時局の認識を述べている。
是富国ト強兵トハ本末ノ如シト雖ヘドモ、今日ニ在リテハ其末ノ為ニシテ其本ヲ立ル
カ如シ、是形勢ノ自然ニシテ、欧州各国ノ斯ニ従事スル蓋理無キニ非ルナリ、今若然

18
ラスシテ徒ラニ富厚ハ本ナリ、強兵ハ末ナリト云ハヽ民心日ニ私利ニ趨リ・
・・

18
彼は富国が基本であることを充分知っている。それはなによりも民富の形成である。しかし強兵
を語り、軍制の確立に従事しなければならい。
当時の世界の形勢は本末が転倒していると彼は認識している。末のために本を立てようという状
況なのである。砲門がすべてを可能にする欧州各国の動きをよく知り、我が国が置かれた状況を考
えれば、彼はそうした認識に立たざるをえなかった。しかし国情をみれば、彼は、民心が私利に走
れば﹁公利ノ在ル所ヲ知ラス﹂と述べ、人々の習俗が、
﹁上下和セス、人々私ヲ営シテ公利ヲ謀ラ
eternal peace

18 17 16
西周、﹃兵賦論﹄、﹃全集﹄ 、第三巻、 頁。

22
前掲書、131−132頁。
ス﹂というような状況にあることを懸念せざるをえない。一方で自由主義経済の本旨を理解しなが
ら、しかし他方で、私利のもたらす放恣と習俗の悪化を眼前にするのである。国家は富国あっての
強兵でありながら、まず強兵を迫られる状況なのであった。
当時強兵を語る者は多かった。 しかし、 西の場合、 単なる軍備増強の文脈でこれを語っていな
い。
﹁故に所謂強兵ナル者ハ固ヨリ攘奪ヲ事トシ、禍乱ヲ楽ムノ謂ニアラスシテ、是ニ依リテ風尚

19
ヲ維持シテ、愉薄ニ陥ラシメス、富実ヲ蓄積シテ散乱ニ至ラシメサルノ政略ニシテ﹂と述べ、人々
の社会に生きる道徳観、風尚を堅固にするという視点でこれをみている。
これは私利追求の経済に於いても道徳の必要性を確認するばかりか、強兵の策も、経済社会との
関わりで検討させることになる。
国力ノ貧富トハ、今ノ戦争ハ前ニモ云ヒシ如ク唯強力ノ戦争ニ非ザレバ、軍の供備ヨ

19
リ器械ノ支給ニ至ルマデ之ヲ金円ノ算数ニテ計ラザルヲ得ズ、而シテ此金円ハ天雨鬼

20
輸ノ物ニ非レバ民力ノ余裕ヨリ取ラザルヲ得ズ、・
・・
すなわち、軍備の調達も民力の余力に頼むものであることの確認である。
自由主義経済の実現による富国の実現と独立を維持する国家社会の確立、そのための国民精神の
涵養、これらが国家の困難な時期に彼の双肩にかかってくる。そのためには、内国の法制も、また
文教の制も整えねばならない。
前掲書、132頁。

20 19
前掲書、 頁。

38
多岐にわたる彼の活躍は明治という時代の形成に大きな貢献をなしたといえるが、その根底に近
世の見地の継承があることが想像できる。
明治3年、津和野藩主亀井 監の諮問に応じて起草した﹁文武学校基本竝規則書﹂では、経済学
d

21

は、
﹁富国之源を開き民生を厚うする﹂ことを目的とする利用之科︵今日の経済学科︶はもとより、
法律政治学科にあたる政律科の洋書による諸科目としても、経済学︵ économie politique ︶が、政
法通論︵ ︶、国法通論︵ droits civils
droits politiques ︶ 、刑律通論︵ droit criminel
︶、商律通論︵ droit
︶政表説︵ statistique
commercial ︶公法大意︵ droit international
︶とともに挙げられている。
そして注目すべきは、こうした洋学の授業1に対して漢学のそれは2の、1対2の時間が配当さ
れていることである。各学科にどれほどの時間を配分したかに、彼が漢学、和学、洋学をどう捉え
ていたかが象徴されているようにみえる。

20
三事六府の自覚のなか、政治と経済を近代的な新たな関係に置き直す努力が彼の仕事を染め上げ
ているともいえる。
経世済民と富国の術
近代は人にとって経済が宿命になった時代といわれる。経済の第一義性が社会において確立され
る。しかし今日、時代は近代の先を展望しはじめており、私的経済は社会のなかでその占める地位
を模索せざるを得なくなっている。人の思考は市場の失敗の確認から環境問題へと進み、私的利益
全集、第二巻、495頁。

21
の追求である企業活動はその社会的責任を問題とし、近代の経済はそのあり方の再定義を迫られて
いるともいえる。
そうであればこそ、かつての経済に関する近世的思考への関心も生まれる。もともと経済とは経
世済民であったのだと強調する思考である。
しかしそれは政治の第一義性に環帰すればよいというものではない。 西周が、 儒者の ﹁先王の
道﹂を強調することに対して﹁後世儒者先王ノ道ハ礼楽教化ノミ心得テ、富国ノ術ナトヽ云ヘハ、
申韓、商鞅ノ徒ノ如ク思ヒ、功利ノ学ナトヽテ頭テ譏ルハ大ヒナル誤リニテ、併シナカラ又富国ノ
術ヲ悪ク心得ルト功利ニ目カ染シテ、夫王安石ノ如ク仕損ヤウニナルナリ、是亦能々心得子ハナラ
22

ヌコトナリ﹂と述べ、功利の学を理屈を以て譏るのも、また功利に目が染まるのも誤りとし、現実
的な国を富ます道を探ったことは注目されてよい。近世の実学者たちが為政に対して持っていた姿

21
勢を西周はこう述べることで、共有している。
夫故仁君明主ハ必ス国ヲ富スコトヲ第一ト致サレ、イカニモ下々ノ難儀セヌヤウニ仕
向ケラレテ、其後ニ或ハ文教ヲ興シ、或ハ武備ヲ固フス、是皆二ノ手ト致サレルコト
23
ナリ。
つまり、国を富まし、人民が難儀しないようにするのが第一であり、文教あるいは軍備を整備す
るのはその後であるという。近世の経世済民への関心はこうした文脈のなかで顧みられるべきこと
を西の議論のうちに確認することは、今日においても意義あることと思われる。
﹁大書院進讀子適衞章﹂、
﹃全集﹄
、第三巻、158頁。

23 22
前掲書、158頁。
﹁人間の経済﹂、通巻 号
210

 二〇〇八年三月一三日 発行
 編集・発行 ゲゼル研究会
0021

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