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みたか 資料 平成16年6月29日

おかね、雑感

森野 榮一 

 カネは天下の回りもの、それにしちゃあ、うちにはあまり回ってこないなあ、景気が少しよくなっ

たという話だけれど、やっぱり「カネが仇」の世の中か、いったいどこにいっているのか。この11

月からは、新札が出回るとのこと。5千円に登場するのは樋口一葉さん。しかし彼女はとてもお金

に苦労したひと。そんな彼女がお札に・・・ まだまだお金で苦労しろとのお上のメッセイジなのか

なあ。

「・・・田町の高利かしより三月しばりとて十圓かりし、一圓五拾銭は天利とて手に入りしは八圓半、

九月の末よりなれば此月は何うでも約束の期限なれど、此中にて何となるべきぞ、額を合せて談

合の妻は人仕事に指先より血を出して日に拾銭の稼ぎも成らず、・・・」(一葉、『やみ夜』)

指から血がでるほどに内職に励んでも借金がかえせない、と。

 最近では、地域通貨が話題になります。お金がなくてお金に苦労してるなら、別の「お金」を作

ればいいじゃないかと。そこで、通貨、貨幣、金銭について少し考えてみたいとおもいます。という

のも、地域通貨を語る方々のなかには、お金がなくても暮らせる地域社会にすると主張されてい

る方々も見受けられるからです。

 地域通貨といえども通貨ですし、補完的な通貨。交換リングのような補完的システムもあります

が、これらも決済手段としての役割を果たしています。貨幣のなにが評価できてなにが問題であ

るのか、そのへんを考えてみたいと思います。その題材に今回は中国古代の学者の論を参考に

しましょう。

 日本では5円玉がありますね。5円玉はなんであんなかたちをしているのでしょう。5円玉は真

ん中に丸い穴があいています。真ん中に穴のあいた貨幣は東洋ではみかけますが、世界的には

珍しいといえるでしょう。丸い穴は歯車に象徴させた産業をさしているかのようです。つまり同時

に描かれた豊作でこうべをたれた稲穂と丸い歯車、農業と工業でなりたつ我が国の姿を象徴さ
せているんですね。

 しかし東洋の、昔の貨幣のなかには、○のなかに□をいれたかたちがありました(注)。古代中

国にて、その意味を魯褒が『銭神論』で説明しています。そこにお金についての知見をうるよい例

があるように思えます。

「昔神農氏が没したあと、黄帝の尭や舜は民に農業や桑を植えることを教え、幣帛をもととした。

賢者や先覚者は時代の変化に通じ、銅山を採掘し、俯視仰観して、銭を鋳造した。銭の内の四

角は大地を、その円形は天を象(かたど)った。なんと偉大なことか。銭の形は乾(けん)[天]あり

坤(こん)[地]ありである。内側は方形で、外側は円形、積んだ姿は山のようであり、流通する姿

は川のようである。動静には時あり、行蔵[流通と退蔵]には節度がある。市場ではきわめて便利

で、耗折(もうせつ)の憂いもない。朽ちにくいのは長寿の象徴で、たくさん流通して乏しいというこ

とがないのは運行して息(や)まない道の象徴である。だから寿命は長久であって、世の神宝といっ

てよい。親しく頼もしいのは兄のようであり、字(あざな)は孔方という。それを失えば貧弱となり、

それを手に入れれば富強となる。翼なくして飛び、足なくして走る。いかめしい顔もほころばせ、無

口な者の口も開かせる。銭多き者は前に居て、銭少なき者は後ろに甘んじる・・・」

 これは『銭神論』の冒頭あたりにある文言ですが、実に意味深遠な指摘ですね。下記には原文

と読み下し文を掲げますが、簡潔ないい文章です。

 銭の円形すなわち○は天、そこに包まれる□は地なんですね。別に表現しなおせば、乾坤。乾

坤一擲(けんこんいってき)という言い方は天地を賭けてのるかそるかの大博打をする意味です

が、乾坤とは陰陽の意味でも使われます。天地を象徴する貨幣を使うのは勿論、人です。天・地・

人はなにかよきものを生み出す能力や、難しく云いますと、能産性(ability, capacite)を元来もつも

のとして考えられています。人がこの天地人すなわち三才(triple talent)の動きと発現

manifestation(すなわち陰表[negative manifestation]・陽表[positive manifestation])を俯視仰観し、

趨時に変通して(時代と状況の変化に柔軟に対応して)、卑金属たる銅を鋳造して銭となしたわ

けです。そこには貨幣という力能の、人や物を動かし、交通せしめる力の、三才による創造が暗

示されています。つまり貨幣の鋳造は我々の力能 puissance の社会的拡充 extension を示してい

るわけです。マルクス人は金(ゴールド)が生まれながらに貨幣であったといっていましたが、そう
ではなく、ある状況で貨幣素材として選ばれたにすぎないこと、貨幣の社会的成立が先であるこ

とも理解できます。

 その貨幣は、流れは速やかであり、必要な時に動きまた止まり、その流通や退蔵には節度があっ

て、市場において便利に使われる、また時間に関連して(IN RELATION TO TIME)つまり、時間

が経っても朽ちにくく、長命の、すなわち持続性の象徴ともなると。ここには貨幣が販路を拓き、

資源に動きを付けることがその利として説かれていると同時に、それが権力ともなる弊も指摘さ

れているわけです。

 なによりも、通貨は活動であると捉えるゲゼルという独逸の経済学者の指摘も興味深いですね。

「貨幣は断じて統計ではないし、動的なシステム(テオフィール・クリステン)である。通貨は活動

(Tat)なのであり、物質ではないし、今日まで間違って金本位に人が期待したような貨幣をなす金

属の自動的副産物でもない。」(Silvio Gesell, Gesammelte Werke, Band 17, S. 279-280)

・・・・・

・・・昔神農氏没、黄帝堯舜教民農桑、以幣帛為本。上智先覚変通之、乃掘銅山、俯視仰観、鋳

而為銭。故使内方象地、外員象天。大矣哉。 銭之為体、有乾有坤、内則其方、外則其円、其積

如山、其流如川。動静有事、行蔵有節。市井便易、不患耗折。難朽象寿、不匱象道、故能長久、

為世神宝。親愛如兄、字曰孔方。失之則貧弱、得之則富強、無翼而飛、無足而走、解厳毅之顔、

開難發之口。銭多者處前、銭少者居後・・・

<昔神農氏没して、黄帝堯舜民に農桑を教へ、幣帛を以て本と為す。上智先覚、これに変通し、

乃ち銅山を掘り、俯視仰観して、鋳して銭を為(つく)る。故に内方をして地を象(かたど)り、外員

をして天を象らしむ。大なるかな。銭の体たるや、乾あり坤あり、内は則ちそれ方、外は則ちそれ

円。その積むや山の如く、その流れや川の如し。動静時あり、行蔵節あり。市井便易、耗折を患

へず。朽ち難きは寿を象どり、匱(とぼ)しからざるは道を象どる。故によく長久にして世の神宝と

なる。親愛なること兄の如く、字(あざな)して孔方と曰ふ。之を失へば則ち貧弱、之を得れば則ち

富強。翼なくして飛び、足なくして走る。厳毅の顔を解き、発し難きの口を開く。銭多き者は前に處

り、銭少き者は後に居る。>
(注) ○でなく長円のなかに□のかたちの貨幣もありましたが、長円形は○のように転がりにくく、

摩滅を防ぐためにそういう形が採られたそうです。

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