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12月22日、まちだ市民情報センター主催講演会、於町田、レジュメ

地域通貨、してみてわかること
森野 榮一
○地域通貨、このごろ。
 地域通貨は一時のブーム的な現象は去った感があります。現状は、うまく機能していると
ころは、さらに発展し、うまく行っていないところは姿を消しているというところでしょう。
そういうなかで、地に足がついたかたちの関心が再び地域通貨に寄せられるようになって
いると思います。
○成功と失敗を分けるもの
 では、なにが地域通貨を成功させたり、失敗させたりしたのでしょう。
 物事には必ず、
  A 仕組み(システム)
  B 人
のふたつの側面があります。地域通貨はご紹介した当初は、仕組みに関心がもたれました。
☆地域通貨を始めたいのだが、どのシステムがいちばんよいか
と聞かれたことが多かったものです。要するに、なにかこの新しい仕組みを導入すると活発
な近隣社会がすぐに形成されたり、地域振興の実があがると思いこんだ方々が多かったの
です。それだけ他方では、旧来の地域社会での活動手法がマンネリ化していたということも
あるのでしょう、みな「にわか学者」になったごとく、地域通貨の仕組みを勉強しはじめまし
た。
 これ自体は決して悪いことではありません。しかし、
☆仕組み頼り(システム依存)のような傾向が出てきてしまったところも出てきました。
つまり、移動の手段として自動車を購入したけれど、だからといって自動車が観光地まで家
族を連れて行ってくれるわけではありません。自動車を運転するのは人なのです。しかし多
くの人が、どのような自動車がよいのか、あれやこれや議論を重ねていたのです。スポーツ
カーであろうが、軽自動車であろうが、人が運転して目的が達成されます。
☆多く、地域通貨を導入しながら運営に苦労しているところは、手段を使いこなすのは人で
あることに注意がいかず、自動車談義に終始していたようです。
○地域通貨、信用を作る動き。
地域通貨は関与する人々の人柄や徳性による対人信用に基づいて信用が生成されます。
どのような地域通貨でも個人対個人の関係のなかで生まれますので、お互いにその人柄へ
の感度は高いものがありますし、また要求されもいたします。
信用には、その人の所有するモノをその人からは切り離し、そのモノを基礎として成り立
つ対物信用もありますが、これに基づいた地域通貨も可能とはいえ、実際にはほとんどみか
けません。対物信用を基礎とする仕組みも考えてはいますが、提起するには、まだ時期尚早

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の感があります。
○ 対人信用は人柄が大事
実はシステムのことはさておいて、地域通貨といえども、人のすることですから人に属す
ることがらがあります。
そこには人のなすこと、人付き合いのさまざまな知恵やコツ、ノウハウというものがあり
ましょう。
○ 地域通貨、人の方面からみたら、なんですか、
といえば、簡単なことに要約できると思います。
地域通貨がある、またあったほうがいい、ということの根底になにがあるといえば、

☆ 共存共栄
☆ 相互扶助

です。
☆ この二つはお互いの社会的な奉仕がお互いの益になるということでもあります。
自分の利益に汲々としていたのでは、つまり自分だけよくなろうというのでは、その善悪は
イザ知らず、私たちの暮らす社会では支持されないということでもあります。

 地域通貨の熱心な推進者の方々にはこうした信念が、その熱心の奥底にあるのが感じら
れました。地域通貨といえども取引、そうであれば、じぶんの損得もはいりこみましょう。し
かしそれが、単なる取引を超えた人間関係を作り上げる効果があったのは関与する方々に
しみこんだ、こうした信念であったかと思えます。
 つまり暮らしやすい人間関係のなかに身を置きたい、そのためにじぶんに必要とされる
行動の仕方に意識的になり、そうしてその行動を導く熱意を維持し、さらにその根底には明
快な信念がある、そうした生き方であります。
○ 熱意というもの。
いっぱんに、人はなぜ、なにごとかに熱意をもつのでしょうか。それは執着かもしれませ
ん。そのなかには愛情もあるでしょう。それは関心をもつ関係のなかにあるということでも
あります。

「なんだそれ」と思い、突き放すとき、人は、そこを、あるいはそれを離れます。

関心を失うに至るには、失意、失望もあるでしょう。そうなる原因は人々にあると思いが
ちですが、意外にじぶんの中にそのタネがある場合が多いようです。
それはそれと自覚されぬ他者への過大な要求であったり、自己本位であったりします。じ
ぶんの熱意が燃えているときほど、他者が「なんであの人はじぶんのように動いてくれない

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んだろう」とか思いがちです。そこでは、他者の事情が斟酌できなくなっていく自分がいま
す。結局じぶんでじぶんにストレスをかけ、次第に疲れていきます。
初発を思いおこせば、自身が関心をもち関与しはじめたことでした。
行動の動機はじぶんにあります。しかし、他者のそれだけが気にくわなくなったりするの
です。人とのつきあいがじぶんらしさを作ってくれているのに、独房に住むような心性に至
ります。
独房に臥し起きる人間には化粧は不要でしょう。だれにも会わないのですから。しかし、
居住まいを正し、許されるなら化粧も必要でしょう。そう、じぶんが見ているからです。そこ
で人はじぶんの先に人々をみているわけです。
 しかし人なかにいるとこの事情を見失いがちです。一方に消えぬ熱意、しかし他方で、
失意。
この失意が、しかし、個人を制圧することはありません。社会活動に深い失意を感じた人
がそれから離れ、老境に至り再び、それに回帰する事例を見ます。繰り返しますが、失意が個
人を制圧することはないのです。これは私においてそうであるように、他の人々においても
そうなのです。いつか人は積極的になり、その人の都合のなかで、近隣社会に出てくるもの
なだと考えることです。
この気持ちが、熱意と失意の振り子からじぶんを解放します。
つまり、

急がない、がんばらない、あきらめない

です。

○地域通貨、こんなものと考えれば・・・
地域通貨はゆっくりとした関わりを作るものです。
☆可能な人が可能なときに、可能な場所で、可能な時に、出来ることを通して、所望の関わり
をもつものです。
それは適度な距離感をもつものでした。
○ 地域通貨というスタイル
地域通貨は取引をめぐる関係です。いわば100円玉を使ってあめ玉を売り買いするの
と変わりません。しかし、この交換の仕組みに、関心がもたれます。
 市民運動をなさっている方、地域活動に熱心な方、地域事業者、市民との協働を考え始
めた行政、みな地域通貨に関心を寄せます。
それは、地域通貨が近隣の人間関係作りに役立つことで、地域課題を人々に発見させたり、
新たな取組を生んだり、解決に至るプロセスを共有し始めるのではないか、という期待がど
こかにあるからでしょう。

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しかし期待とは裏腹に、どこでも言われることですが、実態はいまひとつ。
 また、関心をお寄せになる方々のなかには、オルタナティブな経済の考え方に関心をお持
ちの方もいらっしゃいます。通常の経済と違って、地域通貨はなにか別の関わりを提供して
くれるに違いないとお考えなのです。
しかし、具体的に始めてみますと、そのオルタナティブとやらの姿がよくみえません。
そうして、どこの地方でも議論倒れが起こります。
○成功しているところの人の姿勢
 まれに成功しているところは、こんな特徴が目に着きます。
○ 地域活動の来し方をよく反省して、それが共有されていること(市民も地域事業者も
行政も、これまでの協働とはなんであったかを問題にしている)
 例えば、市民・住民運動が告発型ではだめとの反省から行政、各種社会団体との協働が主
張され、問題解決型のまちづくりが取り組まれはじめたのが1970年代ですが、それから
30年以上経っています。その間、国が「まちづくり」とかいうかたちで補助金を付け案件は
相当の件数にのぼります。どんな効果があったのでしょうか。あった場合、なかった場合に
つき、なぜそうなったのか、振り返って考える人は実際は多くありません。
 次々に新しいものに飛びついていったのが実情でしょう。今般はそれが地域通貨であっ
たということです。
 しかし具体的な協働の中身が捉え返されないと、いつも同じことを、同じように繰り返し
て、同じ結果をみていた、ということになりかねません。
○ その場合、具体的な実践例からなにかをひきだすには、どんな視点でそれをみるかにか
かっています。地域通貨のような、オルタナティブな実践の経験はこの点で役に立つのだろ
うか。(新たな視点をどれだけ提供し、なにを気づくようになってきたのか)

 ずいぶん以前から、市民プロデューサーとかいう街の問題を発見し、提起し、取り組む積
極性のある人が生まれ育つ活性化した町ということもよくいわれてきました。しかし、実態
は、どんな市民運動も人手不足で、積極的な人材は取り合いになるという事実。なぜそうだ
ったのか、どうしたらよいのか、少し距離をとって反省してみると、なにがわかるのか・・・

連帯感、協同、相互賞賛が人の積極性と充足感の引き金となるという事実が大事です。

つまり、
○ 共感が育まれない場ではなにも育たないということ。
(共感が形成される場としての地域通貨)
 協働の方向性のなかでどんな価値をどのように創造していけるのか、それはこれまでの
取組の延長上に展望しうるのか、それでは不十分な場合、なにが必要なのか、市民・市民団
体に近隣社会への感受性がどれほどあるのか、市民・市民団体・行政、その役割や練度が具

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体的な光景のなかで考えられているのか・・・等々。
○ それを市民がするのではない、それをすることで市民になるのである。
(育ちのプロセスで考える人と街)
○ 動かなければ行政ではない。なんであるか、ではなく、なにをしているかが大切。(存在
で考えず機能で考える)
○ 頼まれたからする、してあげている、から好きでしている、したいからしている市民活
動へ、そしてしたくなってしまう、だれもが参加したくなる市民活動へ
(近隣の日常に視線をおいて自己の充実のために市民活動を)
○ 協働は他に頼ることではない、責任を果たし合うこと。
(まちができる自己調整的なプロセスに必要な姿勢)
○ 協同で課題を解決してゆく歴史が街の価値
(街とは人と人がしてきたこと、その記憶、物語であり、そしてこれから
しようとしている事である)

 という視点は大切に思えます。これらはすべて、地域通貨の仕組みそのものではなく、具
体的な近隣社会形成のノウハウに降りたレベルで問題にされるべきもので、人に属するこ
とがらに思えます。
そうすると、人が育ちあい、貢献しあえる人間関係をうまく作れるがどうかが、そのとき
必要とされる姿勢はなにかが近隣社会形成にとって大事だということになります。
 ゆっくりと、いま、ここで、地域通貨に関わることの意味を考えることができます。

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