共和党を捉えたニューライト

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共和党を捉えたニューライト −保守化するアメリカ−

早稲田大学大学院現代政治学研究科

修士 2 年 野口達彦

tncompany@gmail.com

1
―――概要―――

アメリカ合衆国が宗教国家であることは言うまでもない。数ある宗教が並存する中

で最も強い影響力を発揮してきたのはキリスト教であった。本稿は従来のアメリカ政

治学が看過してきた「文化的視点」から「社会文化的争点の一つである妊娠中絶問題

がキリスト教右派の結束を促し、やがて共和党へと接近することで政治化した」とい

う仮説の検証を目的としている。具体的にはキリスト教原理主義を中心にモラル・マ

ジョリティやクリスチャン・コアリションといった宗教団体に着目し、これらの団体

がどのように共和党へと接近し政治化したのかという過程を論じている。

本稿は仮説検証のためにキリスト教が政治へと関与する過程を時系列に三段階に分

けている。

第一段階は「宗教の目覚めと結集」である。進化論を否定したスコープス裁判で勝

利を得たキリスト教原理主義者は、逆に判決が「時代錯誤的」だとマスメディアから

揶揄されてしまう。彼らを再び始動させた契機はフォルウェルによれば「妊娠中絶を

合法化したロー対ウェイド判決にあった」。この段階ではキリスト教右派には純粋な道

徳観が社会運動の動機付けになっており、政治への進出は見受けられなかった。

第二段階は「共和党への接近」である。宗教右派の注目を一心に浴びていたテレヴ

ァンジェリストに政治的な目論見をもって接近したのはヴィゲリーを中心とした政治

右派という集団であった。彼らは共和党内の東部エスタブリッシュメント排除のため

宗教右派の動員力を利用しようと考えたのだ。こうして宗教と政治が融合しニューラ

イトが誕生することとなる。そしてニューライトはフォルウェルをリーダーとするモ

ラル・マジョリティを結成し、キリスト教右派を投票へと向かわせることに一定の成

果を残す。しかし草の根ネットワークを欠く組織的不備とテレヴァンジェリストの相

次ぐスキャンダルにより組織の信頼は失墜していった。彼らはレーガンを勝利に導い

たのを皮切りに政治舞台から再び姿を消そうとしていたのである。組織の持続は困難

となり、政治への関与も費えようとしていた時、それを救ったのはリードであった。

第三段階は「キリスト教の政治化」である。モラル・マジョリティの危機を察知し

2
たロバートソンはリードを説得し、同団体を引継ぐ形でクリスチャン・コアリション

を結成させることに成功した。クリスチャン・コアリションは従来の組織的不備を修

正し、草の根ネットワークを形成することから組織作りを始めた。それが政治動員力

として基盤を確立すると「投票者 ID の登録」、「投票者ガイドの配布」、「成績表の配

布」という三つの手段が有権者動員モデルとして機能するようになったのである。こ

のモデルの効果は 1994 年の下院選挙で発揮され 54 もの議席数を共和党にもたらし、

後に共和党革命と呼ばれる成果に結実した。政治と宗教の親和性はここに頂点を迎え、

共和党にとってキリスト教原理主義の協力は必要不可欠なものとなったことが確認で

きるのである。

以上、三つの段階はそれぞれ二・三・四章と対応しており、時代が進むとともにキ

リスト教は政治への関与を深めたということが本稿の検証で確認できる。文化的視点

から明らかになったこれらの過程と結果は従来の先行研究が決して見出せなかったも

のであり、これが本稿提出の意義であると考える。

最後には 2008 年大統領選挙に向けての展望を添え、本稿の締めくくりとした。

3
―――目次―――

第1章 関心の所在と問題の所在 ― 6 頁

第1節 関心の所在 2004 年大統領選挙とジョン・ケリーの敗因 ― 6 頁

第2節 問題の所在 文化的視点の欠如 ― 14 頁

第3節 本稿に登場する集団名と関係 ― 16 頁

第2章 キリスト教原理主義の歴史的経緯:離散と結集 ― 19 頁

第1節 孤立するキリスト教原理主義者 ― 19 頁

第2節 与えられた紐帯、政治化する教会 -妊娠中絶問題を中心に ― 24 頁

第3節 東部エスタブリッシュメントの排除と政治右派の躍進 ― 28 頁

第3章 共和党への接近 ― 32 頁

第1節 テレヴァンジェリストの登場 ― 32 頁

第2節 モラル・マジョリティとニューライトの誕生 ― 33 頁

第3節 キリスト教原理主義と 1980 年大統領選挙 ― 38 頁

第4節 崩壊と原因 ― 43 頁

第4章 キリスト教右派の政治化 ― 48 頁

第1節 モラル・マジョリティからクリスチャン・コアリションへ ― 48 頁

第2節 有権者動員モデルの完成 ― 52 頁

第3節 共和党を捉えたクリスチャン・コアリション ―共和党革命と 1994 年中間

選挙― ― 62 頁

4
第5章 結論と展望

第1節 結論 キリスト教と共和党の深化 ― 65 頁

第2節 展望 2008 年大統領選挙 ― 68 頁

参考文献一覧 ― 72 頁

5
1. 関心の所在と問題の所在
1.1. 関心の所在 2004 年大統領選挙とジョン・ケリーの敗因

アメリカ合衆国(以下アメリカ)において最も影響力を持つ宗教はキリスト教であ

る。特にキリスト教原理主義者が政治に及ぼす影響力は年々強力になっていると考え

られ、彼らは共和党と協同することによって選挙活動に欠かすことのできない存在と

なっている。歴史的に「共和党対民主党」の構図は、キリスト教原理主義者が共和党

に居場所を求め、世俗主義者(secularists)が民主党に居場所を求めたことから「聖

対俗」の構図とも読み替えることができる。本稿の関心は従来の研究が見過ごしてき

た宗教による政治への関与を「文化的視点」から掘り下げ、新しい分析的枠組みを提

供することにある。

例えば 2000 年にアメリカ大統領となったジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)

は、元プロテスタント教徒であった。アクロン大学のジョン・グリーン(John Green)

の調査によると 77%のキリスト教原理主義者がブッシュ再選を決めた 2004 年以後も

彼に続けて投票すると答えている。

キリスト教原理主義者を中心に支持されている宗教色の強い共和党に対して民主

党は反対の様相を呈している。民主党への投票者の中心は教会に通わず宗教とも何ら

関連をもたない「世俗左派(the secular left)」である。彼らの 4 分の 3 が自分をジ

ョン・ケリー(John Kerry)候補のように不可知論者か無神論者だと考えている。2000

年の大統領選挙の際には「教会へ通っているかどうかということ」が、
「どの政党へ投

票するのか」を決める上で一つの指標になったのである。

もし上記のことが正しいとするならば 90%以上の人が神の存在を信じており、また

その 3 分の 2 が教会に通っていると言うアメリカ国民の中で民主党は圧倒的に不利な

立場に立たされている。全体の 41%の人は無神論者には投票しないと言っていること

から世俗主義者は少数派だということがわかる。カトリック教徒の両親に育てられた

民主党のケリーは妊娠中絶へ支持を表明したことによりコロラド・スプリングスの教

区(the diocese of Colorado Springs)の出入りを禁止された経験がある。しかし、そ

6
れにも関わらず神への信仰を聴衆の前で語るということは、アメリカ人の約 6 割が宗

教信仰者という現実から考えて少しも不思議ではなかったのである 1 。

2004 年大統領選挙を例にとって宗教と政治の関係もう少し詳しく見てみよう。

2004 年 11 月 2 日に行われたアメリカ大統領選挙で共和党の W・ブッシュ大統領が

民 主 党 の ケ リ ー に 勝 利 し た こ と は ま だ 記 憶 に 新 し い 。 同 年 の 国 政 出 口 調 査 ( the

National Election Pool)を分析したグリーンによると「階級差(class gap)や「男

女差(gender gap)」よりも「所属宗教(affiliation)」や「教会へ通う頻度(attending)」

という指標の方が支持政党とより強く相関していたという。

まず「所属宗教」と「支持政党」との関係を見てみたい。政治家が「宗教が選挙に

与える影響は看過できるどころか、むしろ重要な要素だ」と認識してきたことは言う

までもない。伝統的には、1940 年代からカトリックは民主党へ、プロテスタントは共

和党へ投票するという傾向が

あったことは周知の通りであ

る。

右図「宗教集団と 2004 年

大 統 領 選 挙 投 票 ( Religious

Groups and the 2004

Presidential Vote)」は、そう

いった伝統的な傾向が未だに

健在であることを示している。

最も目立つ数字を例に取り上

げると、キリスト教原理主義

者 ( Evangelical

Protestants)の 79%はブッ

1 “Belief and the ballot box”, Economist, Vol. 28, Issue 8378, No.2. (Jun., 2004),
p.32.

7
シュを支持しており、ケリーの 21%に対して大きく差が開いている。それに対して黒

人プロテスタント(Black Protestants)の 86%がケリー支持であり、ブッシュへの

支持はわずか 14%しかない。

「所属宗教」と「支持政党」との関係に加えて、過去 30 年の国勢調査動向からも

う一つの興味深い傾向が発見される。それは「教会へ通う頻度」と「支持政党」との

相関である。

グリーンは「所属している宗教を問わず、週に少なくとも一度以上教会へ通い礼拝

へ出席する信者は共和党へ投票する傾向が強く」、「逆に教会の礼拝へはほとんど出席

しないという信者は民主党へ投票する傾向が強く」なってきているという結論を導い

「宗教集団と 2004 年大統領選挙投票」を見ると、一つの宗派が「教会へ通う


ている。

頻 度 」 に よ っ て 二 つ に 分 類 さ れ 、 い ず れ も 「 教 会 へ 週 に 一 度 以 上 は 通 う ( Weekly

Attending)」とする類型がより共和党を強く支持するという傾向が出ている。彼らの

82%はブッシュを支持しており、ケリーのそれに比べて 64%差をつけている。また「教

会へ週に一度以上通う」人と「そこまで通わない(Less-Observant)」人との差は、

キリスト教原理主義者で 10%の差が見られる。

8
グリーンは更に 2004 年大統領選挙における宗教ごとの投票構成割合も分析してい

る。上図はブッシュへの投票を「所属宗教」と「教会へ通う頻度」という二つの指標

を使い表したものである。この図によるとブッシュを支持する一番の勢力はキリスト

教原理主義者だということがわかる。
「教会へ通う頻度」に関わらずに考えるとその割

合は全体の 33.2%に及ぶ。

一方ケリーへの投票構成割合(下図)を見ると、「所属宗教なし(Unaffilizted)」

の割合が 19.2%を占め、彼へ投票した 5 人に 1 人が宗教と何の関連もなかったことが

特徴的である。また伝統的に民主党を支持してきた黒人からの投票割合も多く、全体

的に多様な宗教・宗派が一つの緩やかな連帯を形作っていることがわかる 2 。

2John C. Green, “Religion and the Presidential Vote: A Tale of Two


Gaps”(Aug.21,2007). この研究は、the Pew Forum on Religion & Public life から引
用。URL : http://pewforum.org/docs/?DocID=240 また集団の分類は 2004 年の国政
出口調査に基づいており、そこで各集団は次の 8 つに分類されている。それぞれ、プ
ロテスタント、カトリック、モルモン、他のキリスト宗派、ユダヤ、イスラム、その

9
グリーンの分析は確かにブッシュ大統領が再選されるに当り、キリスト教原理主義

者からの支持が如何に重要であったかを表してはいる。しかし彼らが果たした草の根

レベルの働きは上のようなマクロ的分析からは伺い知ることはできない。

彼らの草の根レベルの選挙活動はエド・ガレスピー(Ed Gillespie)の送信した電

子メールによく表現されている。当時、共和党全国委員会(The Republican National

Committee : RNC)委員長を務めていたガレスピーは、大統領選挙後の 2004 年 11

月 5 日、RNC宛に一通の祝電メールを出した。そこにはキリスト教原理主義者を中心

他、所属なし、である。本稿で使用されている類型で、更に説明が必要だと考えられ
るものの詳細を次に記す。「Evangelical Protestant」は、白人でボーン・アゲイン・
クリスチャン(福音派)を意味しており、本稿では「キリスト教原理主義」と記した。
「Mainline Protestants」はキリスト教原理主義以外の白人プロテスタントを意味す
る。「Other Christians」はモルモンと他のキリスト教宗派をまとめてある。「Other
Faiths」は「イスラム」と「その他の宗教」が含まれている。「Unaffiliated」は特に
宗教を信じておらず、教会へも行かない人々を意味している。

10
とする 120 万人のキリスト教右派が 1500 万人の有権者に対して行った地道な選挙活

動への驚きと賞賛が書かれていた。メールによると共和党は「彼らが知人の家を回っ

たり、電話をしたりすることで、最終的に 340 万人もの新しい投票者(new voters)

と 140 万人の共和党活動家を党は確保することができた」というのだ 3 。

120 万人もののキリスト教原理主義者を選挙活動に動員させる動機付けは「社会文

化的価値(social-cultural value)」を訴えることであった。ニューヨーク・タイムズ

誌の調査によると投票者の約 20%が「社会文化的価値」への関心が投票を促した動機

付けであったと答えている。言い換えればブッシュ大統領へのキリスト教原理主義者

の支持を如何に得られるかが、ブッシュ、そしてチェイニー(Dick Cheney)を再選

されるのかを決めたのだ。

キリスト教原理主義者を煽り彼らの信ずる道徳観が崩壊の危機に瀕していると思

わせるために、まず各協会に選挙本部から息のかかったボランティアを派遣した。ボ

ランティアの活動に関してはワシントンポスト誌が入手した「指示書」に詳しく掲載

されている。同誌が伝えるところよれば大統領選挙前、共和党の選挙本部は 22 項目

にも渡る「行動義務」が書かれた指示書を各州へ送り込んだボランティアに送付した

という。指示書の内容は例えば「教会員名簿(Church Directory)を作成し、選挙本部

へ送ること」や「選挙活動のために 5 人以上のボランティアを教会で募ること」とい

った動員に関する基本的な事柄から「礼拝参加者に投票者登録(voter registration)

へ行くように牧師へ促すこと」や「教会で投票者ガイド(第四章で詳述)を配る」と

いう草の根レベルの選挙活動に直接結びつくことまで記されていた 4 。

3 RNCは党全体の選挙方針と戦略を決める中央政治機関である。 : Michael Cornfield,


“The Congregation Factor”, Campaigns&Elections (Dec.2004/Jan.2005),p.73.
4 「社会文化的価値」は「道徳観(moral values) 」としばしば同一視される。本稿で
は道徳観が個人の価値観に留まるのに対し、社会文化的価値は公的な(つまり政治的
な)意義を含んでいると考え、また用語による混乱を避けるため、前者に統一してい
る。また、 「社会道徳的価値」が何をどのような価値を包摂するかは時代によって変わ
る。2004 年大統領選挙では、妊娠中絶、同性婚、幹細胞(stemcell)に対する道徳観
が中心であった。:
Michelle Cottle, “The Battle Is Over, but the War goes On”, TIME (Dec.17, 2004).

11
次にこうしたボランティアの力を借りた下からの活動に加えて、電子メールを使っ

た「上から」の作戦も実行された。ウェストバージニア州とアーカンソー州で配信さ

れたメールの文面には聖書の上に「禁止(banned)」というシールが貼られたイメー

ジが添付され、
「聖書を禁書にするための手段を民主党が画策している」と書かれてい

た。「(それを阻止するためにも)投票へ行こう」というわけである。リベラル派の宗

教組織「インターフェイス同盟(the Interfaith Alliance)」代表のドン・パーカー(Don

Parker)はこのメールに対して「これは軽蔑すべき行為である」と述べ、続けて「共

和党は、選挙にキリスト教原理主義者を動員するために、彼らの『恐れ』や『感情』

をいたずらに煽っているだけだ」と批判している 5 。

このような作戦が功を奏し、「ブッシュ政権は、他のどの政権よりも我々のことを

考えてくれている」とキリスト教原理主義者に言わしめたのだ 6 。彼らの活動は、勝

敗の要であったフロリダ州であらわれた。2000 年ではアル・ゴア(Al Gore)を、そ

してクリントンと以前二度の選挙で民主党を支えてきた同州が、今回の選挙では 38

万票差をつけて共和党が勝利したのである。ニューヨーク・タイムズ誌によれば「2000

年には 1 万人だったボランティアを 10 万 9000 人に大幅増強し、選挙日の五日前から

300 万人(2000 年は 7 万 7000 人)の有権者に対して共和党への投票を訴えた」とい

う。同州で共和党ボランティアのリーダーとして働いていたマイク・ハンナ(Mike

Hanna)は「以前にも何回かフロリダで共和党のために働いたことはあるけど、今回

の草の根活動に匹敵するほどの選挙活動は他に見たことない。ボランティア全員が仕

事に熱心じゃないことは普通だけど、今回は違う」と取材に答えている 7 。

URL : http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,1009616,00.html :
Alan Cooperman, “Churchgoers Get Direction From Bush Campaign”, The
Washington Post (Jul.1, 2004), p.A06.
5 David D. Kirkpatrick, “Rpublicans Admit Mailing Campaign Literature Saying

Liberals Will Ban the Bile”, the New York Times (Sep.24, 2004). URL :
http://www.nytimes.com/2004/09/24/politics/campaign/24bible.html
6 David D. Kirkpatrick, “Evangelicals See Bush as One of Them, but Will They

vote?”, the New Yo r k Times (Nov.1, 2004). URL :


http://www.nytimes.com/2004/11/01/politics/campaign/01christians.html
7 Abby Goodnouch, “Bush Secured Victory in Florida by Veering From Beaten

12
2004 年大統領選挙はブッシュの影の大統領と称されたカール・ローブ(Karl Rove)

の目論み通り、眠れる数百万人のキリスト教右派の動員を選挙へと動員することに成

功した。ケリーにとってみれば彼らの支持を十分に得られなかったことが敗因の一つ

として考えられる。宗教側は政治へ介入することによって自らの信奉する社会文化的

価値を広めようとする狙いがあり、また政治側は彼らを利用することで力強い支持基

盤を確立しようとする狙いがあった。以上からアメリカ政治における宗教の果たす役

割は政治側にとって必要不可欠なまでになっているということが理解されよう。

Path”, the New Yo r k Times (Nov.7, 2004). URL :


http://www.nytimes.com/2004/11/07/politics/campaign/07florida.html

13
1.2. 問題の所在 文化的視点の欠如

日本におけるアメリカ政治研究は「宗教」の果たす政治的な役割を軽視してきた。

佐々木毅は『アメリカの保守とリベラル』を上梓し、アメリカ政治学を保守主義とリ

ベラリズムという二つの政治潮流から理解する枠組みを提供した。しかし同著はマク

ロ的分析が決定的に欠けており、特に保守主義を説明する際に政治に対する宗教から

の影響、つまり「文化的枠組み」への言及が一切見られなかった 8 。また山本吉宣は

『「帝国」の国際政治学―冷戦後の国際システムとアメリカ』を著し、国際政治の領域

からアメリカ政治の分析を行った。山本はネオコンを中心に論じながらアメリカにお

ける保守主義の台頭を中心に論じているものの、やはり宗教が政治へ及ぼした影響と

いう視点が欠落しており、1980 年を通して興隆した保守主義の説得力に欠ける 9 。ア

メリカ政治学者である久保文明は『G・W・ブッシュ政権とアメリカの保守勢力 –共和

党の分析』を編纂し、ブッシュ政権に関する様々な論点を収録した。その中で蓮見博

昭は「宗教保守勢力とブッシュ政権」を著し、
「政治と宗教の関係」を論じている。同

氏の分析と本稿の分析は論じている「対象」は共有しているものの、分析の「視点」

は異なっている。蓮見の分析視点は政治側に重きをおいており、キリスト教右派が政

治に及ぼした影響が上手く描かれてはいない 10 。

政治を「文化的視点」から分析した金字塔的作品は、ジェームズ・ハンター(James

D.Hunter)の『文化戦争:アイデンティティに揺れ動くアメリカ(Culture Wars: the

Struggle to define America)』である。同著は、1980 年代から共和党と民主党間の政

治の裏で勃発していたのは「文化戦争」であることを明らかにした。つまり、共和党

側はキリスト教原理主義者が擁護する神聖な社会文化的価値を、民主党側は 1960 年代

末から受け継がれる反戦・反権力を軸とした俗世的社会文化価値をそれぞれ擁護し、

8 佐々木毅著、『アメリカの保守とリベラル』(講談社、1993 年)。
9 山本吉宣著、
『「帝国」の国際政治学―冷戦後の国際システムとアメリカ」』
(東信堂、
2006 年)。
10 久保文明編、「G・W・ブッシュ政権とアメリカの保守勢力-共和党の分析」
(日本国
際問題所、2003 年)。

14
それらを政策や綱領レベルにまで昇華させて選挙を戦っていたというのである。彼の

提供する文化的枠組みは、アメリカ政治に関する先行研究が今まで見過ごしていた視

点であり、斬新なものであった 11 。

本稿の仮説は「文化的枠組み」という視点に則り「社会文化的争点の一つである妊

娠中絶問題がキリスト教右派の結成を促し、やがて共和党へと接近することで政治化

した」ことを分析するものである。仮説の検証に当りモラル・マジョリティやクリス

チャン・コアリションというキリスト教右派の団体に着眼点を置き、彼らと共和党と

の関係が時間を経るほど深化していく過程を明らかにしたい。その過程は大きく次の

三つの段階に分けられることができる。第一には「キリスト教勢力の結集」段階であ

る。スコープス裁判以後離散したキリスト教勢力が「妊娠中絶反対」を契機に再度結

集する過程を描く。第二には「宗教の政治への接近」段階である。純粋な道徳心から

活動していたキリスト教右派と政治的思惑を持った政治右派が融合しニューライトが

誕生する。ニューライトはモラル・マジョリティを共和党補佐団体として利用し、1980

年レーガン大統領勝利に貢献する過程を描く。第三にはモラル・マジョリティの組織

的不備を補う形でクリスチャン・コアリションが結成し、1994 年中間選挙を目指して

共和党との親和性が更に深まっていく「宗教が政治化する」段階を描く。文化的視点

からこのような経緯を明らかにすることで本稿の仮説を検証することができると考え

る。最後の結論部では上三つの段階を踏まえて宗教と政治との関与が時を経るととも

に深化してきたことがより詳しく明らかにされる。そして最後に 2008 年大統領選挙へ

の展望を述べて本稿を締めくくりたい。本稿が提供する分析がアメリカ政治の文化的

側面の理解に役立てば幸いである。

11David Hunter, Culture Wars: the Struggle to define America: Making Sense of
the Battles ove r the Family, Art, Education, Law, and Politics (New York Basic
Books, 1991).

15
1.3. 本稿に登場する集団名と関係

本稿を執筆するに当り集団を表す「呼称」どう扱うかという問題に苦心した。例え

ば あ る 論 者 は 「 キ リ ス ト 教 を 信 じ 、 家 族 的 価 値 ( family value ) や 妊 娠 中 絶 反 対

(antiabortion)という社会文化的価値を持つ白人プロテスタント」のことを「キリ

スト教右派(religious right)」と呼んでいる。しかし同集団のことを指して「キリス

ト教保守(religious conservative)」と呼ぶ論者もいる。各々の研究論文を越えた、

統一的な呼称と意味は無く、実際には論者ごとに表記が異なっている。アメリカのキ

リスト教保守勢力の専門家であるグリーンは、次のように述べ、この問題を説明して

いる。

彼ら(筆者注:キリスト教勢力)は選挙で無視できない影響力があるにも関わらず、

「保守主義者であるキリスト教徒(conservative Christians)」と一口に呼ぶには大変

な困難がつきまとう。実際、こう呼ばれる活動家と投票者と組織が集まって形成する

「緩い」連帯には決まった呼び方は存在しない。「宗教右派(religious right)」とい

う呼び方はごく普通に使われるが、しかし彼らを嫌う報道や論者からしばしば軽蔑の

意味を込めてこの語が使用されるために「宗教右派」という言葉の使用をためらう人

も多い。また自らを「キリスト教右派(Christian right)」だとするものもいるが、

やはり同様の理由からこの名前使わない人も多くいる 12 。

グリーンの指摘は「保守主義者であるキリスト教徒」を的確に表現する統一的な表

記がないことを示唆している。従って彼らに言及する際、論者によって異なる呼称が

使われるため、それが原因で混乱を引き起こす可能性が高いことが容易に考えられよ

う。この点を踏まえて本稿では各集団に極力統一的な呼称を用いることにした。まず

12Kimberly H. Conger and John C. Green, “Spreading Out and Digging In;
Christian Conservatives and State Republican Parties”,
Campaigns&Elections (Feb.,2002),p.58.

16
下のベン図を見て欲しい。ここには本稿で登場する集団名(呼称)とそれぞれの関係

が描かれている。

<本稿で登場する主な集団と関係>(筆者作成)

the New Right は通常「ニューライト」とそのまま訳され、政治右派(the political

New Right)と宗教右派(the religious New Right)が融合して生まれた集団を意味

している。

政治右派は宗教右派と協同することで共和党主導による政治実現を目指す政治活

動家がその中心を成している。この集団は政治家のみの集まりではないことに注意す

る必要がある。

the religious New Right は本稿では「キリスト教右派」と訳している。この集団は

包摂する意味の多様性から混乱を招く呼称だと思われる。研究者によっては「キリス

ト教保守(conservative right)」と呼んだり、単に宗教右派(religious right)と呼

んだりすることもある。
「宗教右派」という呼称はユダヤ教徒やイスラム教徒など他の

宗教を含んでおり、
「キリスト教右派」という呼称は彼らを含んでいないため、厳密に

は使い分けるべきである。しかし勢力規模から考えると宗教右派に占めるキリスト教

以外の割合は極端に少ないため、キリスト教右派とほぼ同義だと認識しても差し支え

ない。従って本稿では厳密な意味を求める時は二つの呼称を使い分け、通常はキリス

17
ト教右派」という呼称を使用することにした。

キリスト教右派の中心を成すEvangelicalsも混乱を招く呼称の一つである。英語で

は「成人後、改めてキリスト教であると自覚した」という意味を込めて

born-again-Christiansと言われることもあり、主にキリスト教白人プロテスタントに

よって構成されている。日本語では「福音派」と訳される場合が多い。しかし、本稿

では社会文化的価値に対する彼らの敏感さを表すため「キリスト教原理主義者」と訳

している 13 。

13 ニューライト(the New Right)を、政治右派(the political New Right)と宗教


右派(the religious New Right)へ分類する着想は、David H.Bennett, The Party o f
Fear: the American Far Right from Na t iv i sm to the Mili t ia Movement (New York:
Vintage Books,1995)から得た。尚、図<本稿で登場する主な集団と関係>は各集団の
勢力等は厳密に図には反映しておらず、飽くまでも各集団の関係を把握するためのも
のであることに注意して欲しい。

18
2. キリスト教原理主義の歴史的経緯:離散と結集
2.1. 孤立するキリスト教原理主義者

「なぜアメリカには強固な宗教組織が存在するのか」といった疑問に対し「国民の

自発性」に答えを求めたのはアレクシス・ド・トクヴィル(Alexis de Tocqueville)

であった。トクヴィルは「信仰なしに済ますことができるものは独裁政治であって、

自由ではない」とし「社会が存続するためには信仰に基づく紐帯が必要だ」と述べ、

「『政治制度』としてのキリスト教は民主政治の敵ではなく、むしろ共和制の理念と完

全に調和している」と結論付けた 14 。

トクヴィルの結論は決して印象論だけに留まらず、統計を用いた比較研究を見ても

アメリカが宗教国家であることが理解できる。政治学者のロナルド・イングルハート

(Ronald Inglehart)とデイビッド・アペル(David Appel)はアメリカを含めた 16

カ国の国際比較調査の中で、国が脱産業化するにつれ全体的に「伝統的信仰

(traditional religious)」は薄れる傾向があると結論付けた。その中でアメリカは脱

産業化と教会の礼拝へ出かける人数の増加が同時に起こっているという特異な存在だ

と位置づけられている 15 。

アメリカには合衆国憲法に基づく宗教の自由と多元主義のもとで多くの教派が存

在し、政治に複雑な影響を与えている。それらの教派の中でアメリカの保守化に多大

な影響を与えたのは「聖書無謬説(Biblical interray)」を信じて疑わないキリスト教

原理主義であった。

20 世紀中、彼らは常に政治舞台の前面で活躍していたわけではない。むしろその活

動が顕著になってきたのは比較的最近のことである。彼らにとって社会から距離を置

かせる苦い経験は革新主義期終盤の 1925 年にテネシー州で行われたスコープス裁判

14 トクヴィル著、 『アメリカの民主政治(中)』 (講談社新書、1987 年)、246-259 頁。


15Ronald Inglehart and David Apple, “The Rise of Post-Materialist Values and
Changing Religious Orientations, Gender Roles and Sexual Norms”, International
Journal of Public Opinion Research, 1(Spring, 1989), p.64. 他にアイルランド・メキ
シコ・南アフリカなどが挙げられている。

19
(Scopes Trial)であった 16 。

スコープス裁判とはテネシー州で生物を教えていた高校教師のジョン・スコープス

(John Scopes)が聖書の天地創造説に反する進化論を教えたとして逮捕された事件

である。

1925 年 1 月、テネシー州議会下院議員は 71 票対 5 票という大差で旧約聖書が説い

た「神の創造(Divine Creation)」を否定するいかなる理論も州立の学校で教えるこ

とを違法(unlawful)とする州法を通過させた。言い換えれば、この法案によって「(人

の誕生は)
『神の創造」に拠らず、下級の動物から進化した」とするダーウィニズムに

基づく進化論を学生に教えることは禁止されることになったのである。テネシー州以

外にも、例えばオクラホマ州議会ではすでに進化論を肯定する教科書の使用は禁止さ

れており、またフロリダ州議会もダーウィニズムを教えることは「不適切であり、破

壊的である」と厳しく非難していた。しかしテネシー州の事例は、
「進化論を教えるこ

とは罪である」との認識を決定付けたといってよい。

同年 5 月スコープスは州法の合憲性を問うことを決心した。彼を全面的に後援し

た団体がアメリカ市民自由連合(the American Civil Liberties Union: ACLU)であ

る。1920 年アメリカ合衆国憲法で保障された権利の擁護を目的としてニューヨークで

設立されたこの団体はスコープスが起こした訴訟の弁護士を募り、後に不可知論者の

クラレンス・ダロー(Clarence Darrow)を見出すことに成功したのであった。アメ

リカ市民自由連合は 1925 年に成立したテネシー州反進化論法がアメリカ合衆国憲法

修正第一条「宗教の自由」に違反すると公然と主張したのであった。

一方検察を買ってでたのは三度民主党から大統領候補として出馬した経験のあるウ

ィリアム・ブライアン(William Bryan)であった。

16 1925年スコープス裁判後、キリスト教原理主義は尚も社会から影響力を失ってはい
ないという歴史修正主義の主張も存在する。詳しくは、John Fea, “An Analysis of the
Treatment of American Fundamentalism in United States History Survey Texts”,
The History Teacher , Vol. 28, No.2.(Feb., 1995), pp.205-216. : D.G.Hart, “Main
Stream Protestantism, “Conserve” Religion, and Civil Society, Journal of Policy
History, Vol.13, No.1. (2001) ,pp.19-46.を参照。

20
確かにブライアンはキリスト教原理主義者達の熱い支持を受け、彼らの主張を代表

して検察の役目を担った。しかし彼はキリスト教保守でもある一方、政治的にはリベ

ラルであるという複雑なパーソナリティを持っていた。例えば自身の立場について次

のように述べている。
「政治は人が動かすものであるから、もちろん完璧ではない。
(故

に、改革する余地がある。しかし)我々の目標であるイエス・キリストにより完璧な

姿を一体誰が彼に求めるのか。私は神に満足しているのだ」。すなわち、彼は熱心なキ

リ ス ト 教 信 仰 者 で も あ り 改 革 者 で も あ っ た と 言 え る 。 彼 が 「 社 会 的 関 心 ( social

concern)」を強く持つ宗教保守(religious conservative)の一人であったということ

は、当時活躍していたキリスト教原理主義者(例えばビリーサンデー(Billy Sunday)

やジョージ・プライス(George M. Price))とは一線を画していたことを意味する 17 。

科学と宗教の矛盾について争われたスコープス裁判が世間の耳目を集めだした時、

アメリカ北部に住む人々(Northerners)は、この裁判を時代錯誤だと非難した。こ

れに対し南部諸州の未開の地(backwoods)に住むキリスト教原理主義者達は、産業

が盛んである北部の「リベラルな態度」に強い憤りを覚えた。その結果、ブライアン

との微妙な距離を意識しながらも彼を反進化論者の代弁者としてスコープス裁判へ送

り出したのである。

弁護士のダローと一緒に働いていたアーサー・ヘイズ(Arthur G. Hays)は「道路

や蒸気船、世界大戦、電話、そしてラジオという科学の偉大な発見があったにも関わ

らず、『中世の宗教観』が未だ繰り返されることは信じがたい」と述べている。事実、

スコープスもこの裁判が歴史的に「科学と宗教」の袂を分かつ裁判になるとは考えて

いなかったに違いない 18 。

ヘイズの考えとは裏腹に 1920 年代はキリスト教原理主義者が政治へと積極的に関

与した期間であった。1921 年と 1929 年の間に彼らは反進化論に関する法案を 37 州

17 Willard H.Smith, ”William Jennings Bryan and the Social Gospel”, The Journal
of American History , Vol.53, No.1.(Jun.,1966), p.41.
18 Arthur Garfield Hays, “ The Scopes Trial,” in Evolution and Religion (Gail

Kennedy, ed.)(New York: D.C.Heath, 1957), p. 36.

21
の立法機関に提出していたからである。それらのうちミシシッピ(1926 年)、アーカ

ンソー(1928 年)、テキサス(1929 年)の三州で法案は州政府によって可決された。

また彼らは学校で使用する教科書についても出版社を説き伏せ、ダーウィニズムに基

づく進化論を排除し、旧約聖書に基づく進化論の考え方を載せることに成功したので

ある。

同時代を生きた作家チェスター・ローウェル(Chester H. Rowell)は科学に対する

感情的な嫌悪感の広がりを、権威や科学の無謬性の拒絶を表しているとして「無知の

癌」だと形容した 19 。事実、スコープス裁判によって露呈したキリスト教原理主義者

の態度は、歴史家リーチャード・ホーフスタッターに言わせれば変革に対する「アイ

デンティティの獲得(to secure identity against change)」という保守主義の特徴で

あり、また「アメリカの反知性主義」を体言していたともいえよう 20 。

1925 年 7 月 10 日から始まり 8 日間続いたスコープス裁判はスコープスに「有罪」

の判決を下し、100 ドルの罰金を課して幕を閉じた。

この結果は決してキリスト教原理主義者達の勝利を意味していたわけではない。巧

妙 な 結 果 に つ い て 「 オ ン リ ー ・ イ エ ス タ デ ィ : 1920 年 代 の 非 公 式 な 歴 史 ( Only

Yesterday: An Informal History of the nineteen-Twenties)」を著したジャーナリス

トのフレデリック・アレン(Frederick L. Allen)は以下のように書いている。

「理論的には確かに、キリスト教理主義者は法律で勝利した。しかし実際のところ彼

らは負けたのだ。スコープス裁判の判決後、州議会議員は反進化論法を成立させ、デ

イトンという敬虔な後背地は旧態依然のまま外の進歩的な土地から締め出されてしま

った。他の文明的な地域では裁判の結果に驚きと混乱が生じ、キリスト教原理主義者

による信仰からの逸脱がゆっくりと着実に進んだ 21 」

19 Chester H. Rowell,” The Cancer of Ignorance,” The Survey (Nov.1, 1925).


20 Richard Hofstadter, The Paranoid St yle in Americ an Politics and Other
Essays (Harvard University Press, 1996),pp.41-65.
21 Ronald L. Numbers, “The Scopes Trial” in Darwinism comes to America

22
裁判の勝利によってテネシー州デイトンは、アメリカ全体から閉じることになって

しまい、更にはキリスト教原理主義者の反進化論運動の息の根を止めてしまった。マ

スメディアに「モンキー裁判」と後に揶揄されるようになったスコープス裁判は「国

民を刺激し、
( 宗教と政治の)劇的な浄化と解決をもたらした。しかし裁判が終わると、

反進化論運動の盛り上がりは一気に衰退した」のだ 22 。

スコープス裁判によって「科学と宗教」の対決は一応の決着を見たと考えて良いだ

ろう。宗教は科学と共存するどころか、外へと追いやられ孤立してしまう結果となっ

た。実際、裁判後、キリスト教原理主義運動は表舞台から姿を消し、粛々とした布教

活動につとめざるを得なかったのである。

このように鳴りを潜めていたキリスト教原理主義が 1970 年代に入ると突如表舞台

に現れるようになる。彼らが政治に接近した経緯を次節では明らかにする。

(Harvard University Press, 1988),p.85.


22 Ronald L. Numbers, Ibid .,p.86.

23
2.2. 与えられた紐帯、政治化する教会 -妊娠中絶運動を中心に-

「新左翼運動(the New Left movement)」は突如勃興したキリスト原理主義を論じ

る際に無視できない運動である。

当時、運動の中心であったウィスコンシン州立大学のある大学院生が「新左翼運動

の研究(Studies on the Left)」という学術フォーラムを開催した。同フォーラムは

1960 年から 1967 年まで開催され、この研究会が刊行した学術ジャーナルが二つの点

で新左翼運動興隆へ貢献したと言われるようになる。それらは第一にアメリカは「政

治的アイデンティティとして福祉国家型リベラリズムを中心に据えている」と読者に

強く印象付け、第二に「脱工業的社会主義を構築する問題へ疑問を提起した」ことで

ある 23 。

単純明快な論点が若者、特に学生に受け入れられ「新左翼運動」は「貧困の再発見

や人種差別への抗議、黒人による市民権運動の興隆、キューバやベトナムへの介入に

対する批判」という急進的な運動へ発展していく。当時「30 歳以上は信用するな」と

いうキャッチ・フレーズがしばしば語られたように、若者は戦争や人種差別を大人た

ちの「既成文化」がもたらしたものとして拒否し、自分たちが創り出した「対抗文化

(counter culture)」を盛り上げようとしたのである 24 。この感性はやがてビートルズ

やマリファナ、そしてロックミュージックの流行という形をとって表れ、後にキリス

ト教右派(the religious New Right)が左翼を「悪」だと考えるイメージもここから

得たものであると推察される 25 。

その後、新左翼運動は「公民権運動」にそのエネルギーを転化させ、アメリカ国民

に平等観念の素地を作り上げた。そして 1960 年末、未婚女性を中心とした「女性解

放運動」も運動の頂点として迎えることとなった。

23 James Weinstein, For a New Ame r i c a – Es s ays in History and Politics from
`Studies on the Left` 1959-1967 (Random House, 1970),p.2.
24 有賀貞・大下尚一・志邨晃佑・平野孝編、 『アメリカ史 2』 (山川出版社、1993 年)、
413 頁。
25 Barton Bernstein, Towards a New Past ,(New York, 1968),p.11.

24
ここからは「女性解放運動とキリスト教原理主義」の関係を論じる上で「妊娠中絶

と女性の選択」を著したローサリンド・ペトチェスキー(Rosalind P. Petchesky)の

議論を中心に、リベラルな雰囲気が漂うアメリカからキリスト教教会がどのように市

民を組織化し、政治へ関与するようになったのかを論じてみたい 26 。

上述した新左翼運動の周辺には平和や環境問題は反核を訴える運動が同時に展開さ

れており熱心な宗教の垣根を越えて各宗教の原理主義者達が広く参画していた。

妊娠中絶反対運動(the antiabortion movement)に参加した宗派は限定的であり

ながらも幅広く、カトリック・プロテスタントなどのキリスト教、ユダヤ教、モルモ

ン教、ブラックムスリムなど信者が存在していた。妊娠中絶への医療用財源支出を制

限したハイド修正条項が 1980 年にマクレー対ハリス(MacRae v. Harris)判決の中

で再度支持された際、裁判官ドーリング(Judge Dooling)は判決の中で「妊娠中絶

反対運動は宗教的な言葉を巧みに使い展開され、宗教心を大いに煽った。その結果、

様々な教徒を次々に取り込んだ運動となった」と当時の状況を述べている。確かに妊

娠中絶反対運動に参画している信者は一見すると新左翼運動に溶け込んだ「新左翼」

のように思われた。しかし実際は後に左翼を敵視するキリスト教右派が連帯を組む契

機を提供することになったのだ。

例 え ば 彼 ら は リ ベ ラ ル 色 が 強 い 全 米 教 会 協 議 会 ( the National Council of

Churches)やプロテスタント聖職者に代表される「寛容的な」キリスト教徒に徹底し

て敵意を見せていた。キリスト教原理主義を中心とする妊娠中絶反対運動にコミット

するためには強力な組織化が必要である。強烈な運動のパワーも連帯が崩れてしまっ

ては効果が薄れてしまう。運動の組織化に際して彼らが導入したものは、ピラミッド

構造を形作る司祭を頂点とするキリスト教のカトリックヒエラルヒーであった。

妊娠中絶反対運動はアメリカのカトリック教会を取りまとめる「カトリック司教全

米会議(the National Conference of Catholic Biships:NCCB)」によって元々始まっ

26Rosalind Pollack Petchesky, Abortion and Woman’s choice (Northeastern


University Press,1986),pp.241-298.

25
た運動であったと言われている。実際、NCCBはロー対ウェイド判決(Roe v. Wade)

に即反応し、
「国家にとっていいようのない悲劇」とこの判決と嘆いた。そしてこの判

決に対抗するため「NCCB妊娠中絶反対委員会(NCCB Pro-Life- Affairs Committee)」

を組織することとなったのである 27 。

NCCB妊娠中絶反対委員会は「この判決を絶対に妥当な判決だと認めない」と宣言

し、妊娠中絶に対して法的に戦いを挑むことを正式に決断した。それからというもの

教会の司教(bishops)はキリスト教徒を妊娠中絶反対運動へ動員しようと考え、妊娠中

絶合法化に賛同する候補者の立候補を阻んだり、「精子の着床をもって胎児(fetus)

を人だと」考える憲法修正条項案を支持したり、
「妊娠中絶は殺人である」との認識を

広めたりした。後にモラル・マジョリティを組織するジェリー・フォルウェル(Jerry

Falwell)は、ロー対ウェイド判決後のNCCBの敏感な反応を述懐し「キリスト教原理

主義者が政治運動に積極的に参加するようになったきっかけは、ロー対ウェイド判決

にあった」と自叙伝の中で述べている 28 。

1975 年NCCBは全米に散逸する教会に一つの指針を与えるため妊娠中絶反対運動

の戦略「聖職者のための妊娠中絶反対行動(Pastoral Plan for Prolife Activity)」を

発表した。この戦略の目的はそれぞれの教区(parish)を組織化し草の根ネットワー

クを確立することにあり、また全国規模で妊娠中絶反対運動を展開するためであった。

より詳しく見るとこの目的は次の四つ分けることができる。第一は妊娠中絶反対修正

条項の策定を促すこと、第二は地域に中絶反対を推進する支持者を選出すること、第

三は妊娠中絶反対における連邦政府への監視を強めること、そして第四は妊娠中絶反

対の立場で憲法修正案に投票する候補者を後押しすることなどであった。ここに宗教

が政治へ介入する糸口があったと考えられる 29 。

27 Timothy A.Byrnes, “ The Politics of the American Catholic Hierarchy”, Political


Science Quar t er ly, Vol.108, No.3.(Aut,1993),p.502.
28 Jerry Falwell, Falwell: An Autobiography (Liberty house Publishers,

1997),pp.359-360.
29 現在NCCBはUnited States Conference of Catholic Bishops(USCCB)と名称と

26
「聖職者のための妊娠中絶反対行動」を実行するに当り、教会が果たした政治機能

は三つあったと考えられる。第一は区民の「組織化」機能である。州レベルの政治に

関与するにせよ国政レベルの政治に関与するにせよ、この「社会文化価値を中心に据

えた運動」は飽くまでも各ヒエラルヒーの頂点に位置する「司教」を通して行われて

いたことを忘れてはいけない。従って教会を取りまとめる司教は妊娠中絶反対運動を

率先する戦略的に重要な役割を担ったといってよい。彼らは区民を「プロライフ」へ

転向させることに尽力したのであった。また日曜日の礼拝で司教が住民に募る寄付は

この運動全体を支える資金源となったことは言うまでもない。

第二の機能は、人と人とを繋げる「コミュニティ」機能である。例えば中絶反対運

動を展開するにも班長の選任や主張したいメッセージを書いたプラカードの作成など

の役割を分担するための「話し合う場所」を教会は提供したのであった。この機能に

より役割を分担された教区民達はリーダーである司教の下展開される妊娠中絶運動を

より効果的に行えるようになった。

最後の機能は「洗脳機能」である。司祭達は運動参加者の選挙活動を後押しする形

で礼拝を開き、毎回「妊娠中絶反対カード(pro-life affirmation cards)」をミサの出

席者達に配った。このように運動にまだ関与していない人々の潜在的な意識を喚起さ

せて選挙戦を有利に戦ったのである。そして結果的に司教(教会側)は自分が信奉す

る社会文化的価値を巧妙に広めるという文化戦略を展開できた。ニューヨーク・タイ

ムズ誌によれば「中絶に反対するキリスト教司祭は説教壇から行使できる力を最大限

行使した」と伝えている。司教は「選挙があるたびにヒットリスト(hit lists)に名

前の載っている候補者を罵り、投票行動に影響を与えようとした」のだ。前述したよ

うに教会は一つの洗脳機関として機能していたので、ミサ出席者が共和党よりか民主

党よりかといったことはあまり関係なく、それが参加者を無差別に教説によって妊娠

中絶反対論者へと変え、共和党への得票へ結びつくようになった 30 。

変えている。原文は次を参照 URL : http://www.usccb.org/prolife/pastoralplan.shtml


30 Michael Knight, “Cardinal Cautions Voters on Abortion,” New York

27
2.3. 東部エスタブリッシュメントの排除と政治右派の躍進

Times (Sep.,1980),p.20.

28
前節では カトリック司教全米会議(NCCB)がカトリックのヒエラルヒーを利用し、

教会の司祭を頂点とした横断的な教会のネットワークを形成した上で積極的に妊娠中

絶反対運動を展開したことを説明した。NCCB は縦横の連帯を強化することで全米に

プロライフの波を起こしリベラリズムの残り香を吹き飛ばしたのであった。そしてリ

ベラリズムに変わる新しい社会文化的価値をアメリカに吹き込もうとしていたのであ

る。

こういった状況の中、妊娠中絶反対運動は表舞台からは姿を消していたプロテスタ

ントを中心とするキリスト教原理主義者を目覚めさせた。彼らは(後に述べるように)

「政治右派(the political New Right)」と手を組むことで新しく「ニューライト(the

New Right)」と呼ばれるようになる。

当時掲げられていた銃所有の権利や均衡予算、そしてアメリカ軍事力批判といった

共和党の選挙争点の選択は共和党の中心に居座っていた「東部エスタブリッシュメン

ト(eastern establishments)」の影響力を強く受けていた。彼らはアイビーリーグ出

身者などを中心とし左翼色が非常に強い。これに対しニューライトは最初から「家族

と性(family and sexuality)」を中心とした社会文化的価値を持ち出し、それを政治

に応用しようと考えた。ニューライトにとって経済や軍事に関する直接的なテーマは

二の次であった 31 。

元々、妊娠中絶運動の中心を担ったキリスト教右派の目的と共和党内部の東部エス

タブリッシュメントが持つ目的は本質的に異なっていた。妊娠中絶反対を推進する組

織 の 一 つ と し て 影 響 力 の あ っ た 「 全 米 生 命 権 利 委 員 会 ( National Right to Life

Committee : NRLC)」は「胎児の魂(fetal soul)」や「道徳的純潔(moral purity)」

について強い関心があり、政治へと接近した目的は飽くまでも道徳的な理由に拠った。

NRLC全体の 63%は女性が占めており、彼女らは総じて大規模な家庭を所有したい

(あるいは所有している)という願望を持っていた。つまり妊娠中絶反対を中心とす

31Alan Crawford, Thunder on the Right: The “New Right” and the Politics of
Re sentment (New York: Pantheon,1980),Ch.1 参照.

29
る社会文化的価値に非常に共感しやすかったのである。そしてこの組織の実に 10 人

中 8 人は選挙に立候補する政治家が誰であれ「中絶に反対しない候補者であれば投票

はしない」と態度表明しているほどであった 32 。

反対に東部エスタブリッシュメントは共和党主導の政治のみに関心があり、キリス

ト教右派が持つ道徳観を広めることには関心がなかったといわれていた 33 。

凡そ 1974 年付近から共和党内において影響力を行使するようになった東部エスタ

ブリッシュメントに危機を覚えたのは同じく共和党内部の政治右派であった。彼らは

資金調達者や伝道師としてのキリスト教原理主義者と連帯を組み彼らの影響力排除に

取り掛かった。政治右派は共和党と長く協力関係のある団体、例えば「自由のための

アメリカ青年会(the Young Americans for Freedom:YAF)」やジョン・バーチ・ソ

サイエティ(the John Birch Society)、そして世界勝共連合(World Anti-Communist

League:WACL)などとの政治的紐帯を強化し、次の二つの点において新しい道を切

り開くことに成功した 34 。

第一は今までの「防衛的な(defensive)」政治を行ってきたジョン・バーチ・ソサ

エティのような古い宗教右派と違って政治右派は「攻撃的な(offensive)」政治を行

い、最終的に全米に政治マシーン(political machine)を形成することに成功したと

いう点である。ニューライトは妊娠中絶反対を中心とする社会文化的価値観に共感す

32 これらの特徴は例えばNRLCの対抗組織とも言える中絶推進派の全米中絶権利獲
得連盟(the National Abortion Rights Action League:NARAL)と正反対の性質を
示している。NARALは女性が全体の 78%を占め、ピルの使用率や不妊手術をした女
性の数がNRLCの女性よりもはるかに多い。また、中絶を経験した女性の実に 94%が
NARALのメンバーになると報告されている(これに対しNRLCに入会するのはたった
の 6%)。Donald Granberg, “The Abortion Activists,” Family Planning
Perspectives (Jul.-Aug., 1981),pp.157-158.
33 Petchesky, op.cit .,p.254.
34 「ジョン・バーチ・ソサエティ」については、Barbara S. Stone, “The John Birch

Society: A Profile,” The Journal of Poli tics , Vol.36, No.1.(Feb,1974)が詳しい。50 人


と限定的ながらも各々90 分のインタビューを通しジョン・バーチ・ソサエティの構成
を分析している。:「自由のためのアメリカ青年会(YAF)」については、Rebecca E.
Klatch, “The Formation of Feminist Consciousness among Left- and Right-Wing
Activists of the 1960s,” Gender and Society , Vol. 15, No. 6. (Dec., 2001), p.794.を参
照。

30
る政治家の当選を草の根ネットワークを使用して助けたり、支持している政治家を通

して政策を立案したりして政治力を強めていった。

第二は政治資金を集めるため彼らが画期的な集金方法を導入したということであ

る。それは登録者へのダイレクトメール戦略という手段であった。ダイレクトメール

戦略は、まず教会に所属する会員の住所を収集し名簿にまとめる。そしてその名簿を

基に手紙を送付し献金を呼びかけるという戦略であった。それまでは礼拝の参加者に

牧師が募金箱を回し献金を集めるという受動的な方法であったことを考えると、積極

的に献金を募るというこの戦略は政治資金を集めるという意味において画期的であっ

た。最終的に名簿に登録された会員は 2500 万人にも達し、集金手段を根底から覆し

たのだ 35 。

妊娠中絶反対や(クローズドショップおよびユニオンショップに反対あるいは禁止

する)労働組合反対(antiunion)、銃規制反対、強制バス通学反対、公立学校におけ

る祈りの支持、「聖書無謬説」支持、ERA 反対、そしてポルノ反対など多様な社会文

化的価値を持った有権者を政治右派は積極的に取り込み、ニューライトの連帯と束ね

ることに成功した。

次章ではニューライトの一組織であり、当時最も影響力があった「モラル・マジョ

リティ」に言及しながらニューライトの誕生と政治動員力をより詳細に分析する。

3. 共和党への接近

35 Frances FitzGerald, “The Triumphs of the New right,” New York Review of
Books 28 ((Nov.19, 1981),pp.19-26.

31
3.1. テレヴァンジェリストの登場

この節ではモラル・マジョリティ結成に関与し、キリスト教原理主義者のカリスマ

であった 2 人のテレヴァンジェリスト(テレビ伝道師)を簡潔に紹介したい。

ジミー・スワガート(Jimmy Swaggart)は、歴史上最も人気の高かったテレヴァ

ンジェリストであり、テレビ伝道(electric church)の創始者である。彼はプロの伝

道師として 1958 年からキャリアを積み、1973 年からテレヴァンジェリストとして活

躍した。偶然にも同年は妊娠中絶を合法とするロー対ウェイド判決が下された年でも

あった。

彼の説法は非常に感情的で説得力のあるものであった。時には韻を踏んで囁いてみ

たり、時にはマイクに向かって泣き叫んだりしながらノートを見ずに何時間もパフォ

ーマンスし続けるのである。1982 年マディソン・スクウェア・ガーデン(Madison

Square Garden)で説法を行った彼は 5000 人の聴衆を集め、全員が会場に入れなか

ったというアクシデントも発生させるほどの人気ぶりであった。

彼の説法は彼が純粋に社会文化価値に関心があるのであって、政治的な争点につい

ては関心がないということを教えてくれる。言い換えると、伝道の目的は腐敗した現

在の道徳心を糾弾することが目的で共産主義への断固とした戦いの必要性を訴えるこ

とではなかったのだ。

彼が戦わなければならなかった真の敵はアメリカ内部に巣食う共産主義や社会主

義ではなく俗世のリベラルな人道主義者(secular humanists)であった。「俗世の人

道主義者」はテレヴァンジェリスト達が最も忌み嫌う存在である。この点についてテ

ィム・ラヘイ(Tim F. LaHaye)は、著書『良心への戦い(The Battle for the Mind)』

の中で次のように指摘している。「人道主義者というのはヨーロッパでいうならば 13

世紀にその基礎を築いたトマス・アキナスであり、アメリカでいえば、アメリカの教

育制度で重要な役割を果たしたアメリカ人道主義者同盟(the American Humanist

Association)委員ジョン・デューイ、その人であった。人道主義的な妄想(humanist

obsessions)はセックスやポルノ、マリファナ、自堕落、責任抜きの権利、そしてア

32
メリカへの幻滅をもたらしたのである」 36 。

ジェリー・フォルウェル(Jerry Falwell)はアメリカ合衆国バージニア州中西部の

商業都市リンチバーグに 1933 年に生まれた。高校の卒業式では総代を務め、卒業後、

教会に通いながらミズーリ州にあるバプティストバイブルカレッジ(Baptist Bible

College)を修了した。フォルウェルのキャリアは 1956 年にトマスロードチャーチ

(Thomas Road Church)で 35 人の教会出席者を相手にした説法から始まった。こ

の聴衆が 30 年後には 2 万 1000 人にまで膨れ上がったのである。

彼が受け持っていたテレビ番組「オールドタイムゴスペルアワー(The Old Time

Gospel Hour)」は日曜日、朝 11 時からリンチバーグで行われるフォルウェルの説法

を録画し放送する番組であった。その番組が人々に感動を与え 1980 年までに 250 万

人もの視聴者をメーリングリストに登録することに成功したといわれている。その後

1986 年までに彼は衛星放送ナショナル・クリスチャン・ネットワーク(the National

Christian Network:NCN)を設立することに成功した。こうしてキリスト教右派の中

心人物となった彼はテレビ前の聴衆に「スコープス裁判以降失われた半世紀の宗教の

歴史を取り戻そう」と訴えたのであった。この後、彼の訴えはモラル・マジョリティ

結成によって実現されることになる 37 。

3.2. ニューライト:
「モラル・マジョリティ」の誕生 ―宗教と政治の融合

36 David H.Bennett, Ibid.,p.378.


37 David H.Bennett, Ibid.,pp.375-386.

33

彼らテレヴァンジェリストの成功に惹きつけられた政治活動集団が存在した。彼ら

は自らの影響力を高めるため社会文化的価値に敏感であるキリスト教右派を政治に巻

き 込 も う と 考 え た の で あ っ た 。 彼 ら こ そ 1974 年 ケ ビ ン ・ フ ィ リ ッ プ ス ( Kevin

Phillips)が後が名づけることになる「政治右派(the political New Right)」であっ

た。このグループの詳細は以下の通りである。

政治右派の中核を担っていたのは、テキサス州出身のリチャード・ヴィゲリー

(Richard Viguerie)であった。彼はフォルウェルと同じ 1933 年生まれでカトリッ

ク信者であり、通っていたロースクールを中退している。1960 年代には保守系の組織

と自分の主義に沿う政治家を支持する目的で石油会社に勤務していた。彼はアメリカ

で最も歴史のある保守系団体である YAF でダイレクトメールを用い多額の資金を組

織に調達した。その後自らリチャード・A・ヴィゲリーカンパニー(Richard A. Viguerie

Company:RAVCO)を設立した。

全米に散在するキリスト教原理主義者の名簿を作成し、ヴィゲリーの政治活動を支

持してくれそうな人物候補を見つけたことが一つの転機となる。1970 年代初頭には

1968 年に独立党から大統領選挙に出馬したジョージ・ウォレス(George Wallace)

と 契 約 を 結 び 、 支 持 者 候 補 約 500 万 人 の 名 が ヴ ィ ゲ リ ー の コ ン ピ ュ ー タ ー テ ー プ

(computer tapes)に追加された。リチャード・ニクソンの選挙活動の際にはこの名

簿を使用して見つけ出した数人の有力投資家が資金繰りに貢献したものの、ウォータ

ーゲート事件の影響で 1000 ドル以上の個人献金は以後禁止されることになり、小口

の献金を幅広く集める技術が必要とされたのである。

ヴィゲリーのダイレクトメールビジネスはこの需要と完全に一致するものであっ

た。彼のビジネスはにわかに流行り、その活動を通してウォレスから「社会文化価値」

がどのように政治力へ変換されるのか、また逆に経済問題や政治問題というアメリカ

人に幅広く膾炙している「ポピュリズム」をどのように社会文化的価値へと融合する

のかを学んだ。

34
ヴィゲリーは常に共和党側について選挙活動を支持してきた。しかし東部エスタブ

リッシュメントに対しては常に対決姿勢を貫いた。1974 年ウォーターゲート事件の紆

余曲折を経てジェラルド・フォード(Gerald Forld)は典型的な東部エスタブリッシ

ュメントであるネルソン・ロックフェラー(Nelson Rockefeller)を副大統領として

指名した。共和党の中心にいつまでも居座る東部エスタブリッシュメントの存在に嫌

気が差したヴィゲリーは共和党の外側で盛り上がっていたキリスト教右派に目を向け

た。そして彼らの力を政治に取り込もうと考えたのだ。そのため、まずヴィゲリーは

自分と同じ考えをもっている「政治家ではない」仲間を集め始めた。そしてこの政治

活動家集団が後に「政治右派(the political New Right)」と呼ばれるようになったの

である 38 。

1976 年自らを「ボーン・アゲイン・クリスチャン(筆者注:本稿ではキリスト教原

理主義者の意)であると」公言したジミー・カーターは「清潔感」を武器にウォータ

ーゲート事件とベトナム戦争で道徳的腐敗のレッテルが貼られていた共和党からアメ

リカ国民の支持を集めた。しかしこの年は「1980 年の大統領選挙でジミー・カーター

を破り、ロナルド・レーガンを勝利に導いたと」後にコメンテーターに語らせること

になるニューライトの活動が本格的に始まった年でもあったと言われている 39 。

ヴィゲリーが率いる政治右派のキーマンとしてポール・ワイリック(Paul Weyrich)

がいた。ウィスコンシン州出身カトリック教徒で背は低く少し太った彼は巧みな交渉

術を使い献金を募った。その中でも最も影響があったのは、クアーズブリューリング

カンパニー(Coors Brewing Company)創始者の息子ジョセフ・クアーズ(Joseph

Coors)から 25 万ドルをシンクタンク・ヘリテッジファンデーション(the Heritage

38 一連の群像スケッチは、David H.Bennett, Ibid.,pp.392-395. : 東部エスタブリッ


シュメントについては、Nicol C. Rae, ”Class and Culture: American Political
Cleavages in the Twentieth Century”, The Western Political Quarterly , Vol.45,
No.3.(Sep.,1992),p.640 に東部リベラルの歴史的経過が詳述されている。
39 Stephen D.Johnson and Joseph B.Tameny, “The Christian Right and the 1980

President Election”, Journal for the Sc ientific Study Of Religion,


Vol.21,No.2,(1982).

35
Foundation)の初期予算として献金させることに成功したことであった。ヘリテッジ

ファンデーションはシンクタンクとして当時最も影響力があり、ニューライトが実現

すべき具体的な政策の立案を担っていた機関であった。この初期予算がなければ同団

体の立ち上げは困難であったと言われている。

他のキーマンにはハワード・フィリップス(Howard Phillips)がいる。マサチュ

ーセッツ州ボストン出身のユダヤ人である彼はハーヴァード大を卒業し YAF を設立

した。その後ニクソン政権下で働いていた際、当時大統領であったリンドン・ジョン

ソンが「貧困との戦い」の一部として始めたヘッドスタートプログラムの実行を担っ

てきた経済機会局(Office of Economic Opportunity)の解体に苛立ち、それを理由

として職を辞した。その後ヴィゲリーと合流し保守系団体「大統領に辞任を迫る保守

主義者の会(the Conservatives For the Resignation of the President)」を設立する

ことになる。

右派系の運動団体を構成する会員は 1981 年までに 3000 人に昇り、最終的にテリ

ー・ドラン(Terry Dolan)の姿もそこに確認されることになる。1974 年 23 歳であ

った彼は YAF の弁護士となり、ヴィゲリーが収集した会員リストを使って 1981 年に

は最も潤沢な資金を供えた政治活動委員会(PAC)の一つと言われた「全米保守政治

行動委員会(the National Conservative Political Action Committee:NCPAC)」を

組織した。彼は自らをキリスト教原理主義者だと公言し、キリスト教右派から強い支

持を受けていた。

こ れ ら 四 人 の ア ク テ ィ ビ ス ト を 中 心 に キ リ ス ト 教 原 理 主 義 者 運 動 ( the

fundamentalist movement)が展開され、共和党内にいる東部エスタブリッシュメン

ト排斥に向け価値観を共にするキリスト教右派への更なる浸透に向け活動したのであ

る。

これら四人の重要人物をロバートソンやフォルウェルに引き合わせた人物は二人い

る。一人はエドワード・マックアティア(Edward MacAteer)で、サンオイルカンパ

ニーの支援を受けていたクリスチャン自由基金(Christian Freedom Foundation)の

36
ディレクターである。その彼がインディアナ州にあるキリスト教原理主義を理念とし

て掲げる大学の前大学長でもあり、全米キリスト教行動連盟(the National Christian

Action Coalition)のロビイストでもあるロバート・ビリングス(Robert Bellings)

とワイリックの仲立ちにより合流した。こうしてヴィゲリーと彼と行動を共にする同

志はロバートソンやフォルウェルらキリスト教原理主義者と面会した。そして 1979

年、宗教右派(the religious New Right)と政治右派(the political New Right)が

融合しニューライトが誕生した。ニューライトはフォルウェルをリーダーとするモラ

ル・マジョリティ(the Moral Majority)を通して政治活動を行うことを決めたので

あった。

モラル・マジョリティの名付け親はフィリップスである。ワイリックはフォルウェ

ルへの演説時にこの名に言及し「今、偶然、政治と宗教の融合が図られたわけではな

い。私は政治と宗教の融合を長く夢見ていたのだ」と語っている。

モラル・マジョリティについてフォルウェルは以下のように説明する。「この団体

は宗教に関っている集団の受け皿(vehicle)である。お互いの『教義上(doctrinal)』

の矛盾になるべく触れず共通の敵を定めることで組織は順調に成長するであろう」。そ

して「キリスト教原理主義者やカトリック信者、モルモン教徒、そしてユダヤ教徒、

全員で今は力を合わせて戦おう。そしてこの聖戦に勝とう」と括った 40 。

モラル・マジョリティを補佐的に支持する団体が結成されたことも触れなければな

らない。ヴィゲリーの言葉を借りれば「アメリカに住むキリスト教原理主義者達が今

か 今 か と そ の 結 成 を 待 っ て い た 」 政 治 活 動 部 隊 「 宗 教 円 卓 会 議 ( the Religious

roundtable)」である。この組織は、マックティアーをリーダーに据え、カリフォル

ニアに本拠地のあるクリスチャン・ボイスと連携を組んでいた。クリスチャン・ボイ

スは、立候補者が同団体の支持する社会文化的価値にどれほど沿った人物であるのか

を評価するため「成績表(scorecards)」の配布を始めた団体であり、宗教円卓会議も

40 David H.Bennett, Ibid.,p.394.

37
この方法の導入に向けて検討していた。

ニューヨーク・タイムズに掲載されたマックティアーのインタビューによると「(宗

教円卓会議の)組織の上層部はニューライト 56 人で構成されており、連邦議会やシ

ンクタンク、キリスト教教会など幅広い人材が揃っている」と述べている。このよう

に宗教円卓会議は宗教と政治の橋渡し的な役割を担っており、草の根レベルで活動し

ていたキリスト教原理主義者の地道な行動を政治力へと変える役目を果たしたのであ

る。

モラル・マジョリティとその政治的補佐機関である宗教円卓会議は共に協力し宗派

性抜きの保守系団体「イーグルフォーラム(Eagle Forum)」を設立、リーダーは反フ

ェミニズムを信条とするフィリス・スクラフリー(PhyLLis Schlafly)が率いること

になった。ヴィゲリーの相談役である共和党政治家ジェッセ・ヘルムス(Jesse Helms)

やゴードン・ハンフレー(Gordon Humphrey)と協力して行動するうちに、彼らは、

一つの共通テーマが自分たちを結び付けていることを感じ取った。すなわち、それが

妊娠中絶反対という社会文化的価値であったのだ。

こ う し て 政 治 右 派 と キ リ ス ト 教 右 派 の 間 に 「 プ ロ フ ァ ミ リ ー 連 合 ( pro-family

coalition)」という共通認識が育まれ、フォルウェルも自叙伝で述べたように「妊娠中

絶へ反対すること」がモラル・マジョリティのアイデンティティとして機能すること

となったのである 41 。

3.3. キリスト教原理主義と 1980 年大統領選挙

41 David H.Bennett, Ibid.,pp.392-395.

38
モラル・マジョリティのリーダーという大役をひきうけたため、フォルウェルはワ

シントンの礼拝になかなか参加できずにいた。1980 年 4 月後半に行われた礼拝には

ベッカーなど他のキリスト教原理主義者が参加し 4 万人の群集の前で妊娠中絶反対を

中心とした社会的文化価値による一致団結を訴えた。この現象は当初マスメディアに

ほとんど注目されずにいた。

しかしモラル・マジョリティの規模は着実に大きくなっていく。フォルウェルが 215

局のテレビ時間枠を買い取り放送した番組「アメリカよ、君が死ぬにはまだ早すぎる

(America, You’re Too Young to Die)」が大人気となった。フォルウェルがテレヴァ

ンジェリストとして確実な地位を気付き始めた 1980 年大統領候補であったロナルド・

レーガン(Ronald Reagan)と番組内で接見している。当時レーガンはフォルウェル

を前に「君が私を助けるのではなく、私が君を助けるから」と言い放った。この発言

からレーガンはモラル・マジョリティがその後発揮する政治動員力を把握していなか

ったことが理解できる。

モラル・マジョリティの有権者動員力は、1980 年大統領選挙におけるレーガン大統

領の大勝に現れたといわれている。また、同年の上院議員選挙において共和党は民主

党から 12 議席を獲得した。これは 1958 年以来の大幅増であり、1954 年以来初めて

の上院議員多数となった(53 対 46)。

獲得議席の中で注目すべきはアラバマとオクラホマの南部二州である。この二州は

民主党支持のバプティスト(プロテスタントの一派)が大半を占める州であってアラ

バマ州のジェレマイア・デントン(Jeremiah Denton)、オクラホマ州のドン・ニッ

クルズ(Don Nickles)の両共和党候補はカトリック教徒であり、勝ち目は薄いと見

られていた。しかし宗派の垣根を越えた連帯をモラル・マジョリティの声高に訴え、

バプティストの投票が動き共和党候補は当選することができたと言われている 42 。

1980 年大統領選挙で疑問であるのはキリスト教右派が個人に訴える「社会文化的価

42 近藤健著『アメリカの内なる文化戦争』(日本評論者、2005 年)、114 頁。

39
値」がどのようにしてレーガンへの「投票行動」に結びついたのかというメカニズム

である。というのも上記でレーガンがモラル・マジョリティの影響力を軽視していた

ことから分かるように、1980 年選挙の主な争点はモラル・マジョリティが掲げる「妊

娠中絶反対」ではなく、「経済」と「外交」であったからだ。

この謎を解く手掛かりは、1980 年大統領選挙を実証的に分析したアーサー・ミラー

とマーティン・ワッテンバーグ(Arthur H. Miller and Martin P. Wattenberg)の「政

治に忍び寄る宗教:信仰と 1980 年大統領選挙」という論文の中にある。この論文は

2000 人キリスト教原理主義者を対象に「キリスト教原理主義者であること」と各項目

の相関関係を調べた研究である 43 。

表 4(Table4)
「(キリスト教)原理主義者による争点別傾向(Issue Orientation by

Fundamentalism)」によると、「キリスト教原理主義者であること」と各項目との偏

相関係数(partial correlation coefficient)が示されている。強い相関が認められる

43Arthur H.Miller and Martin P. Watternberg,”Politics From the Pulpit:


Religiosity and the 1980 Elections”, The Public Opinion Quarterly,
Vol.48,No.1.(Spring,1984),pp.301-317.

40
のは「保守主義(Conservative)(.21)」・「妊娠中絶反対(Against abortion)(.35)」・

「男女同権反対(Against equal role for women)(.24)」「ERA反対(Against ERA)

(.22)」・「公立学校での礼拝支持(For school prayers)(.33)」の上位五つ、その中で

も特に「(妊娠中絶反対(.35)」と「公立学校での礼拝支持(.33)」という項目それぞれ

がキリスト教原理主義であることと強い偏相関係数が確認できる 44 。

逆に偏相関係数の低い項目は「防衛費の増加(For increased defense spending)

(.05)」「小さな政府支持(For Reduced government services)(.02)」・「デタント反

対(Against detent)(.03)」などである。

この表は一般国民にとって選挙争点として関心の高かった「防衛費」や「デタント」、

そして「小さな政府」という項目はキリスト教原理主義者にとってみれば殆ど関心が

なかったことを表している。常識的に考えてキリスト教宗教心が経済問題や外交問題

と結びつくとは考えにくいだろう。

そこでフォルウェルはレトリックを巧妙に使うことによって幅広いキリスト教信

者に投票への関心を惹起させたとミラーとワッテンバーグは書いている。選挙運動中、

フォルウェルは社会文化的価値をまるで「国家が直面している危機」であるかのよう

に説き、聴衆は自分達が信ずる社会文化的価値を守るためには、それらの政治的経済

政策が第一に実現されなければならないと考えるようになったのである 45 。

44Arthur H.Miller and Martin P. Watternberg, Ibid .,pp.309-310. 「Conservative」


の項目で”Most Fundamental は 80%、 Least Fundamental では 38%という広い
乖離が認められる。筆者達は宗教右派を覆う三要素、すなわち「文化的伝統・反共産
主義・経済リベラリズム」を取り上げ、これらが広く浅く原理主義者のイデオロギー
を創っているためだと説明している。
45 Arthur H.Miller and Martin P. Watternberg, Ibid.,p.311.

41
しかし、同論文の表 5(Table5)
「キリスト原理主義者による連邦議会議員と大統領

への投票(Vote for President and Congress by Fundamentalism)」を見ると、必ず

しもキリスト教原理主義者が「レーガン大統領」へ投票したとはいえないことが理解

で き る 。「 キ リ ス ト 教 原 理 主 義 者 で あ る こ と 」 と 「 レ ー ガ ン へ の 投 票 ( Voting For

Reagan)」という項目との強い偏相関係数はこの統計データからは確認することがで

きない(.02)。従って妊娠中絶反対や公立学校での礼拝賛成といった社会文化的争点は

キリスト教原理主義者を投票所へ向かわせる強い動機になったにも関わらず、それは

必ずしもレーガンへの投票を意味していないという事実をこのデータは示している 46 。

確かに 1980 年大統領選挙において民主党カーター候補が取得した大統領選挙人州

は地元であるミネソタ州やウェストバージニア州、ジョージア州、そしてハワイ州の

四つだけで大統領選挙人数の比率でいうとわずか 9.1%しか獲得できなかった。しか

しこの表 5 の統計データが意味することは、1980 年大統領選挙におけるレーガン圧

勝に隠れた意味を我々に再考させる。キリスト教原理主義者が及ぼした各州の投票比

率を示すことは困難ではあるが、レーガンの人気が得票に直接繋がったのではなく、

社会文化的価値による争点がキリスト教原理主義者達への動機となり、それが得票に

46むしろ表 5 からは、「キリスト教原理主義者であること」と「共和党の上院議員へ
投票(Voting Republican for Senate)(.14)」あるいは「共和党の下院議員(Voting
Republican for House)(.11)」には弱いながらも偏相関がそれぞれ確認できる。

42
繋がったという可能性を示唆している。

ニューライトによるレーガン離れは、穏健派のジョージ・H・W・ブッシュを副大

統領に指名し、東部エスタブリッシュメントのジェームズ・A・ベイカー3 世をホワ

イトハウスの首席補佐官(a chief of staff)としてレーガンが採用したころから始まっ

ていた。これが本当だとすればフォルウェルをはじめとするニューライトの面々はレ

ーガンが当選した後、彼をすぐに見限ったという話になる。ワイリックとフィリップ

スに言わせれば「レーガンは強い個性をもった人物ではなかった」。続けて「敵と戦う

ためにはウィストン・チャーチル並の話術とチェンバレン並の積極さが必要」であり、

「レーガンはそれに値しないリーダーであった」と言っている 47 。

レーガンの当選から 2 年後に行われた中間選挙で共和党は下院の議席を民主党に

27 議席奪われるという惨敗を喫した(民主党:269 共和党:166)。レーガンに嫌悪

感を持ちながらも、モラル・マジョリティは同じ保守系団体であるドランの全米保守

政 治 行 動 委 員 会 ( NCPAC) や ワ イ リ ッ ク の 「 自 由 連 邦 議 員 基 金 ( Free Congress

Foundation)」などと協力し共和党への投票を大衆に訴えたが、その動員力は弱く共

和党の勝利をもたらすには至らなかったのである。

47Kurt Andersen, “Thunder on the Right”, Time (Aug.16, 1982). URL:


http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,950722-4,00.html

43
3.4. 崩壊と原因

ニューライトによるレーガンへの不信感が高まる中、モラル・マジョリティは政治

動員力を発揮し 1982 年中間選挙に協力した。それにも関わらず、共和党が惨敗を喫

したということはモラル・マジョリティが共和党の得票に果たした貢献度は比較的小

さいものだったことを示唆している。

「調査:宗教の新たな目覚め?(The Polls:A Rebirth of Religion)」を書いたジョ

ン・ベンソン(John M.Benson)によれば 1980 年大統領選挙時、モラル・マジョリ

「確かに 1980 年
ティが一般的にそれほど認知されていなかったことを報告している。

の大統領選挙で各メディアが彼らを持ち上げ一時的にモラル・マジョリティの認知度

が上がったことはあった。だがその後、ギャラップ調査を見てみると『モラル・マジ

ョリティについて読んだり聞いたりしたことはりますか?』という質問に対してはわ

ずか 40%の人しか『はい』と答えず、『彼らがどのような活動をしているか』につい

て知識のある人はその中でも 26%に過ぎなかった。更にこの中のわずか 6%だけしか

彼らに対して肯定的ではなかった」という。モラル・マジョリティはフォルウェルと

いう天才的なテレヴァンジェリストを得ながら、その存在はアメリカ国民にそれほど

膾炙していなかったという事実をどう理解したら良いのだろうか 48 。

「キリスト教右派の戦略・第二の波(Second Coming: The Strategies of the New

Christian Right)」を著したマーク・ローゼル(Mark J. Rozell)とクライド・ウィ

ルコックス(Clyde Wilcox)によれば、モラル・マジョリティを「キリスト教右派の

48John M. Benson,”The Polls: A Rebirth of Religion?”, The Public Opinion


Quarterly, Vol.45, No.4.(Winter, 1981),pp.578-579.また、ベンソンの論文に付されて
いるギャラップ調査を見ると 1976 年にジミー・カーターが「ボーン・アゲイン・ク
リスチャン」だと公言してから全米で宗教に対する関心が急速に高まり、1980 年の大
統領選にピークを迎えたと推測が出来る。 : 1980 年大統領選挙に関してもモラ
ル・マジョリティは大した影響力を行使し得なかったとする学者もいる。この意見に
ついてはSeymour Martin Lipset and Earl Raab, ”The election and the
evangelicals.” Commentary , (March,1981),pp.25-31 を参照。URL:
http://www.commentarymagazine.com/searchArchive.cfm?year=1973&month=Jan
uary

44
第一波(the first wave of the New Christian Right)」と呼び、その組織的不備を二

つ指摘している 49 。

第一は草の根レベルの教会支部の組織化が進んでいなかったことである。「ジェリ

ー・フォルウェルはモラル・マジョリティをなぜ崩壊させたのか(Why Jerry Falwell

Killed the Moral Majority)」を著したジェフリー・ハデン(Jeffrey K. Hadden)に

よると、
「モラル・マジョリティは、テレビやラジオといったマスメディアの狭隘な報

道によって、またダイレクトメールの乱発によって組織化された団体であった。各支

部が積極的に大衆の囲い込みをする努力が見られなかった」と指摘している 50 。モラ

ル・マジョリティの外観は、フォルウェルを頂点としたピラミッド型の構造をしてお

り、内部では人と人との水平的紐帯が欠けていたのである。従ってモラル・マジョリ

ティは「フォルウェルのワンマンショー」であったともいえよう。

第二は第一と関連する。それは宗教的寛容のなさが宗派を越えた連立の幅を狭いも

のにしてしまったことである。モラル・マジョリティの指導者達は、カトリック派や

ペンテコステ派、そして主流を形成する(バプティスト派以外の)プロテスタント派

までを嫌悪しその組織的発展を阻害したと言われている。モラル・マジョリティ結成

に尽力したリーダー達、つまりポール・ライヒ(カトリック派)やハワード・フィリ

ップス(ユダヤ教)、そしてフォルウェル(バプティスト)は、前述したように組織の

規模を拡大させるため宗教を越えた連立を目指し声高にその意義を唱えていた。

しかし社会学者のロバート・リーブマン(Robert Liebman)によると、各州のモラ

ル・マジョリティ支部でその議長を務める人物は、キリスト教原理主義者達によって

組織された「バプティスト・バイブル・フェローシップ(Baptist Bible Fellowship)」

所属の人間が主で、彼らが実際にカトリック派などの他宗派信徒に対して入会の説得

を行うことは稀であったと言っている。例えばインディアナ州では会員の 75 パーセ

49 Mark J.Rozell and Clyde Wilcox, “Second Coming: The Strategies of the New
Christian Right”, Political Sc ience Quarterly, Vol.111, No.2. (Summer, 1996),p.272.
50 John M. Benson, Ibid .,p.579

45
ントまでもがバプティスト派からの入会であり、ジョージア州には一番大きなモラ

ル・マジョリティの支部があるにも関わらず一人のカトリック信者も確認できなかっ

たとの報告もある 51 。

以上の組織的不備の他にテレヴァンジェリストが起こした一連のスキャンダルも

モラル・マジョリティの求心力失墜への要因となった。

ミシガン州出身のジム・ベイカー(Jim Bakker)は元々ロバートソンが経営する放

送局「クリスチャンブロードキャスティング・ネットワーク(Christian Broadcasting

Network : CBN)」でテレヴァンジェリストとしてのキャリアをスタートさせた。中

でも「The 700 Club」というトークショーは至上最も成功したテレビ伝道の番組とし

て知られている。人気絶頂の中、彼はジェシカ・ハーン(Jessica Hahn)とセクシャ

ル・スキャンダルを起こし世間の耳目を集めた。

1980 年 12 月 6 日、当時 21 歳であったジェシカは教会の事務員として働いていた。

彼女によると、そこへジムが現れ、薬物を吸わされて 15 分間レイプされたというの

だ。彼女の暴露によってジムは「ドル帝国(multimillion-dollar religious empire)」

と言われていた「神を称え、人を愛す(Praise The Lord and People That Love:PLC)」

という団体のリーダーを辞任せざるを得なくなった。これが後に PTL スキャンダルと

呼ばれる事件である。PTL はキリスト教系の TV 局の一つである。ベイカーはスキャ

ンダルの責任をとってクリスチャン・シンガーであった妻のタミー・ベイカー(Tammy

Faye Bakker ) と 共 に カ リ フ ォ ル ニ ア 州 の 保 養 地 パ ー ム ・ ス プ リ ン グ ス ( Palm

Springs)へ移り住み、静かに暮らして行くはずだった。

1981 年 6 年ベイカー夫妻は再度PLCから多額の金を持ち出し奢侈な生活を送って

いたことが判明し、全米で話題となる。彼らはカリフォルニア州での休養を予定より

も早く切り上げ、PTLの運営権を再度得ようとした。PTLにはすでにジムから運営を

引き継いだフォルウェルが議長の座についており、ジムは彼を「組織を盗んだ」とし

51 Mark J.Rozell and Clyde Wilcox, Ibid .,p.272. 注釈 2 を参照。

46
て激しく非難した。フォルウェルはベイカー夫妻がPLC運営に君臨していた 13 年間

に組織が蒙った損害は 130 万ドルにも及ぶという試算もあり、簡単にジムに運営権を

渡すことはできなかった。このことが発覚してからも尚ベイカー夫妻はサンフランシ

スコにある豪華なマンションに住み続けたことが判明し、彼らはPLC運営権を再び得

ること完全に諦めた。その後ベイカー夫妻が「不運な過ち(unfortunate mistake)」

と自らの愚考を認めたために、フォルウェルとベイカー夫妻はようやく和解に漕ぎ着

けたのであった 52 。

またベイカー夫妻のスキャンダルの他に、ロバートソンの個人的なスキャンダルも

求心力の低下をもたらした。元々ロバートソンの集金スタイルには黒い噂が絶えなか

った。その内容はというと「癒しの水(healing water)を飲めば病気が治る」などと

いう触れ込みで 100 万本も信者に購入させたり、「悪魔がやってきて神が私を救うた

めには献金が 800 万ドル必要だ」と言ってみせたりと散々であった。特にオクラホマ

州オーラル・ロバーツ大学(Oral Roberts University)にて行われた伝道では集まっ

た聴衆 6000 人を前にして「死者を蘇らせるために神は私を使わした」と公言し物議

を醸すこととなった。その後、同大学医学部所属の医師と共にテレビ出演し、死者蘇

生について詭弁や論理的矛盾を露呈させてしまい一気に聴衆の不信感を募らせてしま

ったのであった 53 。

こうしてモラル・マジョリティの組織的不備とテレヴァンジェリストの求心力の低

下はフォルウェルに 1989 年 6 月組織の解散を宣言させ、モラル・マジョリティ・ワ

シントン本部を閉鎖させることになった。ワシントン本部閉鎖の際、彼は「モラル・

マジョリティの目的はキリスト教右派と呼ばれる人たちを目覚めさせることで、その

意味では我々の目的は達成された」と苦し紛れに述べた。そしてクリスチャン・コア

リションリーダーとなるラルフ・リードにその座を譲ることとなったのである 54 。

52 Malcolm Gray, “TV’s endless holy wars”, Maclean’s (Jul.6, 1987),p.45.


53 Richard N. Ostling, “Raising Eyebrows and the Dead”, Time (Jul.13, 1987).
URL : http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,964970,00.html
54 このフォルウェルの発言は次の記事から引用 “Scrapping the Moral Majority,”

47
Time (Jun.26, 1989). モラル・マジョリティの影響力衰退と組織再編の経緯について
は次の記事が詳しい。 Richard N. Ostling, “A Jerry-Built Coalition Regoups”,
Time (Nov.16, 1987).

48
4. キリスト教右派の政治化
4.1. モラル・マジョリティからクリスチャン・コアリションへ

クリスチャン・コアリション結成の萌芽はフォルウェルがモラル・マジョリティを

解散する以前に見られた。1989 年 1 月ブッシュ新大統領を祝うディナー・パーティ

で当時 29 歳のラルフ・リードに声をかけた人物がいた。それはリードと同じ席に座

ったロバートソンであった。ロバートソンはモラル・マジョリティが崩壊の危機に瀕

していることを鑑み、妊娠中絶反対など社会文化的価値の立場を共にするこの若い運

動家に新しい宗教団体の組織作りの話を持ちかけたのだ。早くから政治に関心を持ち、

大学でキリスト教の一信仰者となっていたリードはロバートソンの持つ政治感や宗教

感に感銘を受け、リーダーとして組織を率いることを決意した。

こうしてロバートソンを会長としリードを専務理事(executive director)とする「ク

リスチャン・コアリション」が誕生することとなったのである 55 。

海軍医師を父に持つリードは各地を転々とした後ジョージア州で育った。少年期に

歴史を好んで勉強しそれが高じて政治にも興味をもった。そのあとジョージア大学へ

進学しディベートサークル「共和党同好会(the College Republicans)」へ入会する。

彼はこのころから共和党を強く支持する血気盛んな青年であったことが知られている。

大学卒業後、後に下院議長となるニュート・ギングリッチ(Newt Gingrich)
(ジョー

ジア州)や上院議員のジェシー・ヘルムズ(Jesse A. Helms)(ノースカロライナ州)

という共和党有力議員の選挙活動に関わるにつれ、リードの存在は広く知られるよう

になる。

両議院はいずれも共和党所属の保守的な社会文化的価値を強く訴える一方、リード

はキリスト教原理主義者のような厳しい道徳観をもっていた訳ではなく、またロバー

トソンのように牧師として教壇に立ったことは一度もなかった。ただ大学在籍中に「政

治的にも宗教的にも生まれ変わった(born again)」と告白していることから察するに

55 “PROFILE: Fighting for God and the Right Wing. Ralph Reed works to give the
religious right a gentler face”, Time (Sep.13, 1993),p.58.

49
無神論者というわけではないだろう。彼は一介のキリスト教平信徒であったと言うの

が適切である 56 。

政治と宗教をバランスよく備えた彼の個性は、クリスチャン・コアリションを率い

る上で重要な役割を果たすこととなる。彼はキリスト教という古い枠組みによって理

解されてきた道徳観をより広い政治的争点へと発展させた。プログレッシブ紙による

と彼は以下のように共和党員に話したという。
「 妊娠中絶や同性愛といった議論の余地

のある社会文化的争点から(更に票を得られる)一般的な政治的争点へとキリスト教

原理主義者達の視点を向けるべきだ。この選挙戦略は彼らの信仰をいささかも傷つけ

ることはないだろう」。キリスト教原理主義者を政治の主流へ押し上げようとする努力

は「イエス・キリストのように考え、ダビデのように闘い、モーセのように民を率い、

そしてリンカーンのように政治参加せよ」という組織のモットーにもよく表れている

57 。

クリスチャン・コアリション結成以前の 1988 年ロバートソンはアメリカ合衆国大

統領選挙に立候補し共和党の指名獲得争いを繰り広げたことがあった。セント・ピー

ターズバー グ・タイム ス誌の「ス ーパー・チ ューズ・デ イの結果( Super Tuesday

results)」によれば、指名獲得を争う地区党員集会(caucus)が 20 州で開かれる中、

当時現職副大統領であったジョージ・W・H・ブッシュが圧倒的有利で勝利し、ロバ

ートソンは惨敗している 58 。

しかしクリスチャン・コアリションの初期形成期には指名獲得争いで敗れたロバー

トソンが残した遺産を大いに利用することになる。リードはロバートソンの選挙運動

組織と 180 万人のメーリングリストを引き継ぐ形でクリスチャン・コアリションの素

地を築いたからである。クリスチャン・コアリションの組織化は草の根レベルから着々

56 Tandy MacConnell ed., “Ralph Reed.”, American Decades 1990-1999 (Gale Group,
2001).
57 “Ralph Reed.”, Newsmakers 1995 , Issue 4. Gale Research, 1995.
58 “Super Tuesday results”, St.Petersburg Ti mes (Florida)(Mar. 10, 1998), City

Edition.

50
と組織化を進めることがリードの狙いであり、マスメディアの取材は極力避けた。こ

のことをリードは「我々はレーダーの下を飛んでいる」と表現している 59 。

クリスチャン・コアリション結成と同時にリードはモラル・マジョリティ崩壊の組

織的不備についても着目していた。二つの大きな修正を施すことで同組織はモラル・

マジョリティとは異なった発展をしていく。

第一は 1980 年代にロバートソンが使っていたメーリングリストによる信者の囲い

込み手段を拒否したことである。草の根レベルの連帯を欠きテレヴァンジェリストの

カリスマ性のみに根ざした組織になることを初めから防いだのである。第二は各支部

の組織をより強固にするため特定の宗派色を濃く出さなかったことである。この点で

提案された戦略が「ステルス作戦」であった 60 。

幅の広い層からの支持を取り付けるため、自治体の教育委員会(school board)、市

議会(city council)、州の議会(state legislatures)などの選挙活動にコアリション

の代表を「所属している団体名を伏せて」送り込むという作戦、これが「ステルス作

戦」であった。これは妊娠中絶反対や同性愛権利の否認といった社会文化的価値には

共感するものの、宗教に対し違和感をもっている世俗保守派(secular conservatives)

の取り込みを狙うという戦略であった。彼らを首尾よく取り込むためにキリスト教の

救済的な修辞を避け、運動員向けのマニュアルには「公共政策は、魂の救いを目指す

ものではない」という但し書きさえ書き込まれた 61 。

この具体例の一つとして、1990 年カリフォルニア州サン・ディエゴで展開されたク

リスチャン・コアリションの活動を紹介したい。

草の根レベルの組織力を強化するため、クリスチャン・コアリションが取り込みの

対象としたのは保守的な(子供の)親である。彼らの多くは妊娠中絶に強く反対して

いるわけではなかった。彼らにとって最も身近な政治活動は学校を通して行う。1992

59 Daniel Schorr, “Rise of the religious right.”, New Leader (Vol. 75 Issue 12),p.4.
60 Balz, Dan and Ronald Browstein, Storming the Gates (New York: Little, Brown
Co., 1996),p,311.
61 David H.Bennett, Ibid .,p.393.

51
年最高裁判所が公立学校に聖職者を招いて礼拝をすることを禁じたリー対ウェイスマ

ン判決(Lee v. Weisman)以前にカリフォルニア州は州法によって公立学校での礼拝

を禁止されており、コンドームの使用法や小学一年生にゲイやレズビアンの生活など

を教えるリベラル色の強い教育の実施に保守的な子供の親は頭を痛めていた。クリス

チ ャ ン ・コ ア リ シ ョ ン は そ の よ う な 学 校 へ の 不 信 感 を 利 用 し 、 ホ ー ム ス ク ー ル 運 動

(home school movement)を推奨する親たちから強い支持を取り付けることができ

た。州および最高裁が下したアメリカ合衆国の道徳基準に共に反発することでその連

帯を深めていったのである 62 。

自分達の所属団体を明かさない「ステルス作戦」を用い、彼らは大学に対する不満

を政治運動へと転換させることに成功した。政治には全く無知な親に対して団体から

派遣されてきた代表が手取り足取り教える(inform and educate)のである。

このように最初はその学校の教育委員会へ自分たちの息のかかった人物を送り込

むことがクリスチャン・コアリションの計画であり、政治力の基盤を築くという形で実

を結んだ。その規模は 1995 年末までに全米 50 州で 1700 以上の支部が作られ、会員

は 1700 万人を擁するまでとなったのである 63 。

62 Steven V. Roberts, “Onward christian soldiers”, U.S. News & World Report , (Jun.
6, 1994).
63 Balz, Dan and Ronald Browstein, op.cit .,p.312.

52
4.2. 有権者動員モデルの確立

1992 年 11 月 3 日に行われたアメリカ大統領選挙は、アーカンソー知事であったビ

ル・クリントンとテキサス州出身の企業家であった独立候補のロス・ペロー二人が、現

職であった共和党のジョージ・H・W・ブッシュに挑む形で戦われた。1990 年 8 月に

勃発した湾岸戦争の影響でアメリカは景気後退に直面しており、アメリカ国民が望ん

でいたのは早急な経済政策であった。外交政策は湾岸戦争が終結したことやソビエト

連邦が崩壊したことなどから平和的なムードが漂っており以前よりもその重要性は低

くなっていた。このことを証明するようにクリントン選挙事務所には「経済問題だよ、

お馬鹿さん(It’s the economy, stupid)」というスローガンが掲げられていたのは有名

な話である 64 。

アーカンソー州知事であったクリントン大統領候補はジョージ・H・W・ブッシュ

の 18 州に対し 32 州の支持を獲得し、大統領として選出された。大統領選挙から一ヶ

月後、その惜敗から顔をあからめる共和党議員も珍しくなく、口を開くには重い雰囲

気がまだ漂っているようであった。

社会文化的価値を訴え共和党側に選挙協力してきたクリスチャン・コアリションは、

経済問題に世間の耳目を奪われ、有権者達の心を上手く掴むことが出来なかったのだ

ろうか。

選挙結果を受けたラルフ・リードは「次期大統領選挙に向け、今後四年間は白兵戦

(hand to hand combat)を行う」と述べ、意外にも「クリスチャン・コアリションが

1992 年選挙でとるべき責任はない」と考えた 65 。

この考えが意味することは「妊娠中絶反対」という社会文化的争点はジョージ・H・

W・ブッシュを敗北に追い込むどころかむしろ彼に強い支持を与えたという自信であ

る。

64 Alan I. Abramowitz, “It’s Abortion, Stupid: Policy Voting in the 1992


Presidential Election” The Journal of Politics, Vol.57, No.1(Feb., 1995), p.177.
65 “The Godly right gears up.”, Economist (Vol. 325 7788), pp25-26.

53
歴史上初めて「妊娠中絶に対する意識」という項目をアンケートに導入した「1992

年全米選挙研究(American National Election Study)」を分析したアラン・アブラモ

ウィッツ(Alan I. Abramowitz)はリードの自信を裏付ける研究を発表している。彼

によると、選挙民の四人に一人は中絶問題に対する大統領候補者がプロチョイスかプ

ロライフかを意識しており、政党や候補者を選別する一つの指標となっていたという。

これは 1992 年大統領選挙における主要争点は経済問題が主だとする従来の考えを覆

す見方である。このことが正しければ妊娠中絶に関心を持つ投票者は多くいたにも関

わらず、民主党と対抗する形で選挙争点を散逸させてしまったことがブッシュ陣営の

敗因の一つだと推測されるのである 66 。

そもそもクリスチャン・コアリションが組織された際、「信仰、家庭、自由」を根本

理念として「ジョージ・H・W・ブッシュ大統領の再選」と「(共和党に巣食う)東部

エスタブリッシュメントと民主党(リベラル派の)打倒」が長期的な目標として掲げ

られていた。

しかし短期的には「(組織の存在感を示すための)第一歩は 1992 年大統領選挙にて

妊娠中絶反対や家族的価値の擁護といった一連の文化的価値を積極的に広めることで

ある」と選挙前、共和党副大統領候補であったダン・クエール(Dan Quayle)がバー

ジニア州リージェント大学でスピーチしている。アランの実証研究はこの目標が実現

したことを示唆している。

1991 年 11 月、ラルフ・リードはパット・ロバートソンとバージニア州に出向き特に

熱心な宗教活動家 800 人を集め、今後四年間の選挙対策に関するスピーチを行ってい

る。1990 年から毎年開かれることになる「勝利への道(the Road to Victory)」と呼

ばれるこの会議の内容はクリスチャン・コアリションが「どのように」選挙へ影響を及

ぼし共和党内部へ入り込むのかについてであった。同組織のフィールドディレクター、

ガイ・ロジャース(Guy Rodgers)は「アメリカ合衆国の大半は我々を好意的に受け

66 詳細は、Alan I. Abramowitz, op-cit., pp.176-186.

54
入れてくれると考えています。彼らは家にいておとなしく『ファルコンクレスト』
(当

時放送されていた TV ドラマ)を見ていますよ」と語り、続けて次のように述べた。

「例えば投票率が高い大統領選挙でもたった 15%の投票者(eligible voters)が選挙

結果を決めているといえます。つまり投票資格年齢に達した有権者の中で投票権登録

をするのは 60%で実際に投票しに行くのはそのうちの 30%です。従ってその半分で

ある 15%の投票を獲得できるかどうかで選挙結果が決まるといっても過言ではあり

ません。投票率が低い大統領選挙の時は教育委員会や市議会、そして州の議会に関与

している有権者は 6-7%にも登る」。つまりこの 6-7%の選挙層獲得に向け知恵を絞る

ことになるというのだ。

クリスチャン・コアリションにとってみれば「候補者自身(candidate-centered)

によって選挙の勝敗が決まる」ことが常識となっているアメリカにおいて、候補者が

高確率で当選するためには同組織と協力したほうが候補者個人で戦うよりも勝率が高

くなければならない。またクリスチャン・コアリションとして共和党候補者の擁立に

関わることは共和党と関わることと同義であり、共和党の集票マシーンとして機能す

ることで自分達の信奉する社会文化的価値に沿った候補者をリクルートできたり、組

織規模の拡大が容易になったりというメリットが得られたのである 67 。

「勝利への道(the Road to Victory)」では、「所属団体名を明かさない」ステルス

作戦が再度確認された他、三つの有権者動員戦略案が提案された。それぞれ「投票者

IDの登録」、
「投票者ガイドの配布」、
「成績表の配布」というものである。これら三つ

の手段を個別に説明していく 68 。

第一は「有権者 ID の登録」である。有権者 ID の登録は、1992 年の大統領選挙か

ら実行された。これはまずクリスチャン・コアリションのボランティアが同じ選挙区

に住む有権者に電話をし、同組織のために「非公式な調査を行っている」と相手に伝

67 John C. Green,” The Christian Right and the 1994 Elections”, Political
Science&Politics (Mar.1995),p.7.
68 “An Exclusive Interview :Mobilizing the Christian Right”,
Campaigns&Elections , (Oct./Nov., 1993).

55
え る 。 そ し て 1988 年 の 大 統 領 選 挙 で 民 主 党 の マ イ ケ ル ・ デ ュ カ キ ス ( Michael

Dukakis)に投票したかあるいは共和党のジョージ・H・W・ブッシュに投票したか

尋ねる。もし相手がデュカキスに投票した民主党支持者であればその時点で電話は終

了する。そうでなければ次の質問として妊娠中絶に対してなんらかの制限を設けるべ

きかを問う。最後にバージニア州が直面している最も重要な問題は何かとたずねる。

その時点でクリスチャン・コアリションは電話越しの有権者が答えたデータを基にコ

ンピューターにプロフィールデータを打ち込み、登録された有権者には自然とクリス

チャン・コアリションが支持する候補者の手紙が送られてくる。有権者が答えた最後の

問いに関しては、自らの立場を強く自覚させるために答えた内容と関連した選挙争点

が手紙に印字されるようになっている。もし妊娠中絶に対する問いで有権者がプロチ

ョイスだと判明したら、手紙に妊娠中絶のことは一切書かれない。
「共和党支持者であ

りかつ妊娠中絶に『賛成』している有権者だけに狙いを定め、我々は囲い込みを進め

ている」とリードは述べている。

実際リードが狙いを定めた共和党有権者の中でたった 28%だけが明確に妊娠中絶

反対だと認識しているという。逆に言えば、72%もの有権者は何らかの条件があれば

妊娠中絶を許可しても良いと考えている共和党支持者であり、リードは彼らを説得し

得票に繋げたいと考えているのである 69 。

第二は「投票者ガイドの配布」である(下図を参照)。下に掲載したのは 2004 年大

統領選挙にて配布された投票者ガイドである。この投票者ガイドの右側には、クリス

チャン・コアリションから有権者へのお知らせが書いてある。文面には「このカードに

共感したら自分だけでなくぜひ友人や家族にも読むよう勧めて欲しい。そして 11 月 2

日投票へ行こう」と書かれている。左側には共和党ジョージ・W・ブッシュ(George

W. Bush)、民主党ケリー(John Kerry)の顔写真が印刷されており、各候補が社会

69Frederick Clarkson, “The Christian Coalition: On The Road To Victory? A


Special Report From Inside The Pat Robertson Political Machine”, Church and
State, (Jan.,1992).コーネル大学「社会宗教倫理センター」のウェブを参照。URL:
http://www.theocracywatch.org/road_to_victory_1991.htm

56
文化的争点を含めた項目を支持(Suppports)するのか、反対(Opposes)するのか、

あるいは回答していない(No Response)のかを明確に記している。

例えば「必要があれば妊娠中絶を許可する(Unrestricted Abortion on Demand)」

という項目ではブッシュは「反対」ケリーは「回答なし」を、また「子供が通う学校

を親が選択する(Parental Choice in Education(Vouchers))」という項目ではブッシ

ュは「賛成」ケリーは「反対」を表明していることが一目瞭然である。

投票者ガイドに付されている説明では、
「このガイドは、有権者への教育目的によっ

てのみ配布されているのであり、いずれかの政党あるいは候補者の支持を訴えるもの

ではない」と書かれていてクリスチャン・コアリションが飽くまでも無党派であること

が説明されている。

しかし争点の選び方から見て共和党候補を支持する内容であることは明らかであ

る。2004 年大統領選挙前に配られた投票者ガイドで掲げられた争点を見ると、いくつ

かの項目を除いてほとんどが社会文化的争点に関わる内容である。

57
投票者ガイドがどれくらい配布されたかについては様々な報告がある。例えば 1992

年フロリダ州では上院・下院の議員候補者がそれぞれ投票者ガイドに印刷され 150 万

枚配られたという。配る際の工夫は投票者 ID の登録が行われた会員数を基準として、

同州に 11000 ある教会から上位 300-4000 を選び出し投票者ガイドの山を集中して送

りつけていた。

投票者ガイドの束を受け取った教会は投票日間近になるとクリスチャン・コアリシ

ョンのボランティアとともに配布を開始する。アメリカで選挙が行われる投票日は例

外を除いて火曜日だと決まっているので二日前の日曜日に教会へ出向く。そこで礼拝

が終わるのを待ち彼らが教会から出てきた際に一斉に配るのである。また手渡す以外

にも教会が配るリーフレットの中に忍ばせて配布するという手段もとられた。

第三は「成績表の配布」である(下図参照)。成績表は大統領向けには配布されず、

上院議員・下院議員選挙においてのみ作成されるものである。前章で書いたように成

績表は元々クリスチャン・ボイス(Christian Voice)という宗教団体によって作成さ

れ考案されたものであった。成績表は社会文化的争点へ連邦議員がどのように投票し

たのかを記して、クリスチャン・コアリションが支持する社会文化的価値道を数値にし、

スコアが低い議員を落選させることを目的としていたのである。

58
59
「投票者 ID の登録」、「投票者ガイドの配布」、「成績表の配布」という三つの手段

が有権者動員モデルとして確立したのは、1993 年バージニア州副知事選だと言われて

いる。

一般的にアメリカでは知事選・副知事選・(州の)司法長官選が四年に一度同時に

行われ、副知事は州上院の議長を務めることになっている。

1993 年バージニア副知事選挙に立候補したマイク・ファリス(Mike Farris)はバプ

ティスト教会の牧師としてかつてフォルウェルのワシントン支部でリーダーを務めて

いた人物であり、クリスチャン・コアリションからの信頼は篤かった。その彼が現職

である民主党のドン・ベイヤー(Don Beyer)に戦いを挑むことになったのだ。

フ ァ リ ス を 副 知 事 へ と 当 選 さ せ る た め の 作 戦 は 「 バ ー ジ ニ ア の 嵐 ( Operation

Virginia Storm)」と命名された。クリスチャン・コアリションは「人の力(person to

person)」を総動員し上で説明した三つの動員手段、言い換えれば「議員は率先して

やりたくない泥臭い仕事」を進んで実行した。後に彼らのあまりの熱心な働きぶりに

「頭が下がる」と共和党所属・カンザス州連邦上院議員のナンシー・カセバウム(Nancy

Kassebaum)は回想している。彼ら草の根レベルの運動が功を奏し、地元ニュースは

「選挙調査によるとファリスの支持はベイヤーにあと 5 ポイント差とあと一歩にまで

忍び寄っている」と伝え、ファリスが無視できない脅威となったことを民主党陣営に

確認させた 70 。

ファリス陣営側の地を這うような選挙活動に対し、ベイヤー側の選挙キャンペーン

はラジオやテレビなどマスメディアを使う「空中戦(an air war)」を展開し、その中

でファリスを「最右翼」だと印象付ける作戦を採った。

TV で行われた選挙宣伝でファリスと共に出演したベイヤーは彼を攻撃することに

多くの時間を使った。ロバートソンに向かって指差すファリスの肖像画を用意し、視

聴者に「もし彼(ロバートソン)の代表者が、あなた方の知事になったらどうでしょ

70 John F. Persinos, “Has the Christian Right Taken Over The Republican Party?”
Campaigns&Elections , (Sep. 1994).p.3.

60
う?」と質問を投げかけた。

その後、カメラはファリスを映しただす。ファリスはいつもどおり妊娠中絶反対、

親が子の通う公立学校を選択できるようにすべきこと、そして「オズの魔法使い」
・「シ

ンデレラ」などといった本を子供が読むことを禁止するべきだと訴えた。

TV 番組のエンディングにはオズの魔法使いで使用された曲が「皮肉的」に流され

「マイク・ファリスについて知ればしるほど、我々のドン・ベイヤーが知事として再

選される必要がお分かりになるでしょう」というテロップが表示され終了した。この

ように TV をはじめとするマスメディアは完全にベイヤーの手中にあったのだ。

結局、現職のベイヤーがファリスに 54 対 46 で緩やかな勝利を収め、再選されるこ

ととなった。しかしマスコミを利用したベイヤーが圧倒的票差で勝つと世間は予想し

ていたので些かこの結果に驚いたと伝えられている。ベイヤーと同じく同州知事とし

て選出されたジョージ・アレン(George Allen )は「ベイヤーは、マスメディアを使

い自分とファリスの差異を明確にし、キリスト教と自分とは無縁だという印象を視聴

者に与えたと思います。しかしファリスがキリスト教を信仰していると知らしめるこ

とは、キリスト教信者にベイヤーを敵だと認識させ、ファリスを利してしまう危険も

あった」と紙面で述べている。

従ってこの副知事選は、以下のような教訓を民主党側与えることとなった。

第一は競う相手がクリスチャン・コアリションが擁立する相手であった場合、彼ら

の宗教的な事柄については触れないことだった。教育や妊娠中絶といった問いは非常

にデリケートな問題で票田を分けてしまう可能性があった。第二は相手がキリスト教

を熱心に信じているからといって、理由もない高慢な態度を視聴者に見せないことで

あった。相手を侮蔑する口調は自分を横柄に見せ、宗教に偏見をもっているとの誤解

を視聴者に与える恐れがある。第三にはファリスのようなキリスト教原理主義者は、

一般の人たちからの得票を遠ざけてしまうことだった。逆説的に言うと有権者の 38%

を占めた「穏便な」キリスト教信仰者の票を得たいのであれば、自分がキリスト教原

理主義者であると明かさないほうがむしろ多くの票を得られるという結論を引き出し

61
たのだった 71 。

クリスチャン・コアリションは「バージニアの嵐」作戦によって有権者動員モデル

を完成させ、他州での応用を開始した。バージニア副知選では民主党現職知事に惜敗

しながらも、一方でクリスチャン・コアリションが得たものは大きかった。こうして

この動員手段モデルは 1994 年中間選挙の「共和党革命(GOP revolution)」を起こす

ことになる。

71 Ron Faucheux, “Don Beyer, Mike Farris, and the Wizard of Oz; how the election
for Lt.Governor of Virginia became a testing ground the Christian right?”
Campaigns&Elections , (Dec., 1993).

62
4.3. 捉えられた共和党 ―共和党革命へ―

1994 年 11 月行われた中間選挙結果はマスメディアを大いに困惑させた。クリント

ン大統領の第一任期中に開かれたこの選挙で共和党は、連邦議会下院で 54 もの議席

数を民主党から奪回し 40 年ぶりに下院多数派となったからである 72 。

ニューヨーク・タイムズ誌「1994 年中間選挙の分析」によると共和党大躍進の結果

は、「共和党寄り」の州が以前にも増して多かったことが一つの要因であるという。

出口調査によれば前回の大統領選挙で共和党に投票した 89%の人が今回も共和党

へ投票したことがわかっている。1982 年、1986 年、1990 年はそれぞれ 69%、65%、

63%であったことを考慮するならばこれは比較的高い数字である。この背景には「政

党忠誠度(Party Loyalty)」が以前よりも増したことが挙げられている。1990 年、1992

年はそれぞれ 23%、15%の有権者が共和党寄りながらも民主党へ投票した。それが今

回は7%に抑えられていたのである。共和党寄りであった州でかつて民主党議員へ投

票していた有権者が今回離脱したことにより、多数の民主党議員が落選してしまった

結果はこのことを暗示している。

また民主党へ投票した有権者は以前よりも政党中心度が高くなっていたことから、

今回の中間選挙において投票者の党派性が以前よりも鮮明に表れた選挙であったこと

も解る 73 。

1994 年 9 月『キャンペーン&エレクション誌(Campaigns&Elections)』は、この

中間選挙においてクリスチャン・コアリションがどの程度影響を及ぼしたのかについ

て州政党委員長(state chairs)や政党ディレクター(party directors)、選挙コンサ

ルタント(campaign consultants)、民主党の選挙アナリスト、そして大学の研究員

など様々な要人にインタビューを試みている。最終的にこのインタビューを通して選

72 1994 年中間選挙における共和党躍進ことを「共和党革命(GOP revolution)」と形


容するのは今や一般的である。使用事例はRichard S. Dunham, “The GOP Wants a
New Contract – with Gingrich”, Business Week (Oct.21,1996), Iss.3498,p.49.などに
見られる。
73 Marjorie Connelly, “Portrait of the Electorate,” New Yo r k Times . URL :

http://www.nytimes.com/library/politics/elect-port.html

63
挙中央委員会に対するクリスチャン・コアリションの影響力は小さかった(minor)

のか、ある程度あったのか(substantial)、それとも支配的(dominant)であったの

かを調べることが目的であった。

インタービューワーが相手にする質問は「(あなたの)州選挙中央委員会における

クリスチャン・コアリションの直接的な影響力はどれほどだと考えますか。」というも

のであった 74 。

同誌が行った調査によると「クリスチャン・コアリションの影響力は小さかった」

と分類された州は全体の 25%以下、
「 ある程度あった」と分類された州は 25%を越え、

(少なくとも主要争点に関する影響力は)
「支配的だった」と分類された州は最も多か

った。興味深いことに影響が「支配的であった」する 55%の州のほとんどは南部と西

部に広がっており、逆に影響力が「小さかった」とする州は主に北東部に広がってい

た。北東部が共和党内の東部エスタブリッシュメントの地盤と一致していることがこ

の調査から伺える。

グリーンはキャンペーン&エレクション誌の出した結果に若干の注意を付け加え

ている。クリスチャン・コアリションを中心とした著作活動を続けている彼は次のよ

うに述べた。
「クリスチャン・コアリションが選挙に与える影響力を厳密に調べること

は大変難しいでしょう。実際、妊娠中絶反対を中心とした社会文化的争点を支持する

こととクリスチャン・コアリションを支持することは同義でないということを心に留

めておく必要があります。中には同組織に所属していながら、パット・ロバートソンに

74 尚、同調査は 2000 年の『キャンペーン&エレクション誌』でも実施されている。


それによるとキリスト教右派の影響力は、1994 年と比べて 18 の州で更に「支配的に
なった」と結論している。詳細は、Kimberly H. Conger and John C. Green,
Spreading Out and Digging In; Christian Conservatives and State Republican
Parties , Campaigns&Elections (Feb.2002),p.58. 尚、1994 年に比べてキリスト教
右派の影響力が「強くなった」との結果が出た州は以下の通り。アラバマ州、アラス
カ州、アーカンソー州、コロラド州、アイダホ州、アイオワ州、ミシガン州、ミネソ
タ州、ミシシッピ州、ミズーリ州、モンタナ州、オクラホマ州、オレゴン州、サウス
カロライナ州、サウスダコタ州、テキサス州、バージニア州、ウェストバージニア州、
以上 18 州。

64
反感を持つ人も少なからずいますから」と述べている 75 。

中間選挙後『コングレッショナル・クォータリー・ウィークリー・レポート

(Congressional Quarterly, Weekly Report)』誌は、クリスチャン・コアリションが

発表した「第 104 議会(the 104 th Congress)における影響力」を掲載した。その報

告によれば、選挙で当選した議員の中で共和党下院議員新人 73 人中 44 人、また上院

議員 11 人中 8 人が同団体の協力を受けて当選し、妊娠中絶への反対を表明している

議員である」という。投票者については「下院に投票した 33%の有権者は宗教右派で、

そのうち 69%は共和党候補者を支持していた」と発表している。以前に行われた調査

では 1988 年、1992 年はそれぞれ 18%、24%だったので今回は比較的高い数字を出し

ている 76 。カリフォルニア大学政治学者のゲーリー・ジャコビソン(Gary C.Jacobson)

は、
「キリスト教原理主義者にしろ、穏健なキリスト教徒にしろ、彼らの多くは他の投

票グループよりも高い確率で共和党に投票しており、1992 年選挙と比べるとその構成

比は非常高い」と述べている 77 。

75 John F. Persinos, Ibid .,p.4.


76 Congressional Quarterly Weekly Report(Nov.19, 1994),p.3364.この報告はクリス
チャン・コアリション自身によるもので誇張されている可能性を忘れてはならない。
77 Gary C. Jacobson, “The 1994 house Elections In Perspective” Poli t i c al S c ien c e

Quarterly, Vol.111, No.2. (Nov.,1996),p.211.

65
5. 結論と展望
5.1. 結論 キリスト教と共和党の深化

以上先行研究が見過ごしてきた「文化的視点」から政治と宗教の関わりを論じてき

た。本稿ではキリスト教原理主義を中心にモラル・マジョリティ、クリスチャン・コ

アリションという宗教団体に着目し、これらの組織がどのように政治へ関与してきた

のかという経緯を明らかにしようとしてきた。第一章に提示した本稿の仮説、すなわ

ち「社会文化的争点の一つである妊娠中絶問題がキリスト教右派の結成を促し、やが

て共和党へと接近することで政治化した」という仮説を検証するため宗教が政治への

関与を深める過程を段階別に捉え直し結論としたい。

キリスト教原理主義者を中心とする宗教右派が共和党へと接近する過程を段階は

次のように分けられるだろう。第一は宗教勢力結集の段階、第二は「妊娠中絶反対」

という社会文化的価値によってキリスト教勢力が共和党へと接近する段階、第三は「文

化的枠組みから宗教団体を結成し、キリスト教右派が本格的に政治化する段階である。

そして最後に本稿が提供する文化的視点を踏まえ 2008 年大統領選への展望を述べた

い。

宗教が政治への深化を進める第一段階は「宗教の目覚めと結集」であった。キリス

ト教右派が政治舞台へ進出し力をつけるためには、まずスコープス裁判でマスメディ

アから受けた「(進化論の否定は)時代錯誤的」だとする批判を乗り越える必要があっ

た。裁判での勝利はキリスト教神学に基づく反進化論の膾炙を促すどころか自らの閉

塞感を招く結果となってしまい、キリスト教右派は政治舞台へ進出する足がかりを失

ってしまう。それからというものアメリカの表舞台から姿を消した彼らは約 50 年間静

かに布教活動に従事することとなった。彼らを宗教の世界から俗世へと再び踏み入れ

させた転機はフォルウェルによれば「1973 年のロー対ウェイド判決にあった」という。

キリスト教原理主義者が譲ることのできない社会文化的価値の一つである「妊娠中絶

反対」は彼らを政治の舞台へ進出させる強い動機付けとなった。着目すべきは政治へ

の進出は飽くまでも「妊娠中絶反対」という社会的文化的価値の実現を図る純粋な道

66
徳観が動機付けとなったのであり、政治的な目論見はなかったことである。従って第

一段階においてキリスト教と政治は関与していなかったといってよい。

第二段階は「共和党への接近」である。純粋な信仰心によって行動を起こしたキリ

スト教原理主義に政治の世界から接近を試みたのはヴィゲリーを初めとする政治右派

であった。政治右派は当時大衆からの人気が高かったテレヴァンジェリストに注目し

た。彼らの人気を利用すれば自分達の実現したい政治が叶えられると考えたからであ

る。またキリスト教原理主義者も妊娠中絶反対を筆頭とする社会文化的価値を遍く広

めたいという欲求があった。ここでお互いの利益が合致し宗教右派と政治右派は協力

することになったのである。こうして宗教と政治が融合しニューライトが誕生したの

だ。ニューライトの一人であるフォルウェルは自らがリーダーとなりモラル・マジョ

リティを結成する。モラル・マジョリティは自身が信奉する社会文化的価値を共にす

る共和党候補者を支持し、その動員効果は 1980 年レーガン大統領が大勝した際に現れ

たのである。この第二段階では第一段階には見られなかった宗教と政治の融合が実現

し、キリスト教の政治化への第一歩を踏み出した時期であった。しかしフォルウェル

のカリスマ性を軸に構成されていたモラル・マジョリティは会員同士の連帯を欠き、

またテレヴァンジェリスト達が軒並み起こしたスキャンダルも手伝って、大衆からの

支持急速に失うことになった。この第二段階では政治化したモラル・マジョリティは

一定の有権者動員力を発揮しながらもこれら組織的不備とテレヴァンジェリストのス

キャンダルのためにアメリカ国民に不信感を惹起させてしまい、政治化が最終的に成

功したとは言いがたい結果となったのである。こうしてスコープス裁判後と似た羞恥

心を感じ表舞台から退こうとしていたキリスト教右派に一抹の光を投じたのはリード

であった。

第三には「宗教の政治化」段階である。モラル・マジョリティ崩壊の危機を察知し

ていたロバートソンはリードを説得し、クリスチャン・コアリションという新しい宗

教政治団体を結成させることに成功した。クリスチャン・コアリションはモラル・マ

ジョリティの組織的不備であった草の根ネットワークの構築から活動を開始し、それ

67
が政治動員力としての基盤を確立すると「投票者 ID の登録」「投票者ガイドの配布」

「成績表の配布」という三つの手段が有権者動員モデルとして機能するようになった。

この効果は 1994 年連邦議会下院で 54 もの議席数を共和党にもたらすこととなり、宗

教と政治の親和性はここに来て頂点を迎えたといった良いだろう。このような三段階

を経て政治と宗教が時を経るごとに深化していったことは明白である。最終的には共

和党にとってキリスト教原理主義者の協力を得ることは必要不可欠となったことは言

うまでもない。

68
5.2. 展望 2008 年大統領選挙

2008 年 11 月 4 日にはアメリカで第 56 回大統領選挙および副大統領選挙が行われ

る。アメリカでは大統領が現職を退くと副大統領が代わって引継ぎを行うのが通例で

ある。今回は現職のブッシュ大統領は現在二期目で満了となるため次期立候補はでき

ず、現在副大統領のディック・チェイニー(Dick Cheney)も出馬しないと明言して

いるので現政権からの引継ぎが全く存在しないという 1928 年以来、実に 80 年ぶりの

選挙が行われることになる。その意味で次期大統領選挙はアメリカの方向性を決める

重要な選挙になることは間違いない 78 。

本稿第一章で紹介したグリーンは 2008 年大統領選挙における「所属宗教による差

(affiliation gap)」を予測している。下の図はピュー・リサーチ・センターが 2007

年に行った意識調査を基に彼が作成したものである。この図から「2004 年大統領選挙

と比べて、所属宗教による支持党差が一層顕著になっている」と結論している。つま

りキリスト教原理主義者は共和党を支持するという傾向に一層拍車がかかり、また逆

にどの宗教にも属していない(unaffiliated)投票者は更に民主党支持に回るという結

「教会へ通う頻度に基づく差」も 2004 年大統領選挙同様所属宗教


果がでているのだ。

に関わらず教会へ通う頻度が高ければ高いほど共和党支持であるという傾向が見られ

る 79 。

78 チェイニーはFOX News Sundayのインタビューにて「飽くまでもブッシュ大統領


のチーム(副大統領)として政権を運営したいのであり、自分が立候補する熱意
(aspirations)はない」と大統領立候補を否定した。次のウェブに番組内で交わされ
た会話のスクリプトが載っている。Transcript: Vice President Cheney on 'FOX News
Sunday' URL : http://www.foxnews.com/story/0,2933,146546,00.html
79 John C. Green, “Religion and the Presidential Vote: A Tale of Two

Gaps”(Aug.21,2007). 詳しくは脚注 2 を参照。この調査は特定の候補者についての支


持ではないことに注意すべきである。

69
「文化的視点」から 2008 年大統領選挙を分析する上で関連が深い候補者はマイケ

ル・ハッカビー(Michael D. Huckabee)共和党候補であろう。彼はキリスト教原理

主義者であり、南部バプティストの牧師でもある。信仰の根は彼が若いころに「労働

者階級」としてアメリカ南部で生きた経験に裏打ちされている 80 。そのような立場か

ら彼は進化論を信じておらず、妊娠中絶には反対を表明している 81 。

ハッカビーが大慌てで資金集めをはじめた時、ライバルのロムニー(Willard M.

80 David Cowles, “Popular Uprising”, THE NEW REPUBLIC(Dec.31,


2007),pp.8-10.
81 Clive Crook, “America in 2008: Populism calls the shots”, FINANCIAL

TIMES (Dec.27, 2007).

70
Romney)前マサチューセッツ知事に知名度で大きく遅れをとっていた。アイオワ州

で実施された事前の世論調査は彼の名が当初無名に近かったことを示唆している。

ABC ニュースとワシントンポスト誌が協同で行った三回のアイオワ州世論調査を見

比べてみると 2007 年 7 月末ハッカビーに投票すると答えた人はロムニーの 26%に対

してたったの 8%であった。
「ロムニーは、選挙活動への動員人数が(ハッカビーに比

べて)圧倒的だ」とキリスト教同盟アイオワ支部(the Iowa Christian Alliance)代

表スティーブ・シェフラ(Steve Scheffler)は当時の状況を語った。

しかしこの数字は 11 月になると 24%にまで上昇し、12 月 17 日に行われた調査で

は 35%の人がハッカビーを支持すると答えロムニーを凌ぐ勢いを見せるようになっ

たのである 82 。

この支持率の急激な伸びに寄与したのはキリスト教原理主義者を中心とする宗教

右派であったと一部では報道されている。12 月 10 付のタイム・サウス・パシフィッ

ク誌はロムニーに奪われた支持を取り返すためにハッカビーが出演したキリスト教系

テレビ会社の広告を紹介している。彼は「信仰は私に影響を与えたというよりも、私

という人間がどのような人間かを決めてくれた。朝起きて何を信じれば良いのか、も

う迷うことはなくなった」と視聴者に語りかけ、続けて「信仰に目覚めた生活を送る

ことが生きる意味です」などと広告内で訴えた 83 。広告の字幕には「クリスチャン・

リーダー(Christian leader)」と添えられ、キリスト教右派へのメッセージであるこ

とを明確にした。その字幕の意味はタイム誌が独自に作成した「世俗者(secularist)

か神学者(theologian)か」という 10 段階評価でハッカビーには 9 というスコアを

与えられていることからも裏付けられている 84 。

82 “Washington Post-ABC News Poll”, THE WASH I NGTON POST (Dec.19, 2007).
URL :
http://www.washingtonpost.com/wp-srv/politics/documents/post_poll_121907.html
尚、調査方法は電話で 501 人のアイオワ在住者を対象にして行われた。
83 “Huckabee Rising”, Time South Pacific (Australia/New Zealand edition)(Dec.24,

2007),p.21.
84 “Preacher Man.”, TIME , Vol. 170, Issue 24(Dec.10, 2007), p.24.

71
2008 年 1 月 3 日全米で最も早くアイオワ州地区党員集会(コーカス)が開かれた。

マスメディアからの注目も多いこの地区党員集会での勝利が後の候補者へ与える影響

は計り知れない。地区党員集会全代表の 40%を占めると言われるキリスト教右派はハ

ッカビーに投票したと報道され 85 、全体では約 34%の支持を受け、先行していたロム

ニー前マサチューセッツ州知事の 25%を抑え同氏が勝利した 86 。

しかしアイオワ州の地区党員集会の結果をもってして 2008 年大統領選挙における

キリスト教原理主義者を中心とした宗教右派が強い影響力を持っていると考えるのは

早計であろう。グリーンの調査からもわかるように民主党は 2004 年大統領選挙に比

べると相対的に各宗教グループからの支持を獲得している。この結果は「社会文化的

価値」が選挙争点である一方で、今回の大統領選挙では経済的ポピュリズムの重要性

が更に強まっているためであると推測される。

経済的ポピュリズムとは具体的に貿易自由化問題や不法移民問題への政策である。

アイオワ州地区党員集会ではハッカビーは過激な主張を繰り返したが、予備選挙が終

わり党大会で両党候補が指名されれば、
「社会文化的価値」に関する過激な主張は退け

られ、より穏健な経済的ポピュリズムを訴えるようになるかもしれない。これは先鋭

的な選挙争点を避け、中道的な発言を強めることで 無党派層からの支持を得るためで

ある。従って今後は経済政策が前面に出、
「社会文化的価値」を巡る争点は後ろに退い

てしまう可能性が高いだろう。

2008 年大統領選への予備選挙がはじまった現在、クリスチャン・コアリションを中

心にキリスト教原理主義者がどのように選挙に関わってくるのか本稿にとって大変興

味深い。

85“Huckabee Rising”, Ibid.,p.21.


86 一方民主党はオバマ(Barack H. Obama Jr,)が 38%、続いてヒラリー(Hilary R.
Clinton)29%、エドワーズ(John R. Edwards)30%、そしてリチャードソン(Bill
Richardson)・ニューメキシコ州知事 2%と接戦だったが、結果的にオバマが 38%と
いう大差をつけて勝った。詳細は、”アイオワ党員集会 民主初戦はオバマ氏 共和は
ハッカビー氏”, 西日本新聞朝刊 (2008 年 1 月 15 日)。URL:
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72
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