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局所麻酔薬中毒 対処法を知らずしてブロックするべからず
局所麻酔薬中毒 対処法を知らずしてブロックするべからず
局所麻酔薬中毒
対処法を知らずして
ブロックするべからず
穴田 夏樹・吉田 敬之
末 神経ブロック,特に体幹のブロック その後に典型的な症状と経過を認めて
症例
では,硬膜外麻酔や脊髄くも膜下麻酔に いることから,TAP ブロックによっ
28 歳 の 妊 婦。 身 長 150 cm, 体 重 40 kg 比べて大量の局所麻酔薬が必要となるこ
て局所麻酔薬中毒が生じたと考えるの
(妊娠時 50 kg)。妊娠 35 週で常位胎盤早 とが多い。手術麻酔における末 神経ブ
が妥当である。
期剝離の診断で,全身麻酔管理で緊急帝 ロック施行が一般的になってきた昨今,
王切開を行った。帝王切開終了後,ガー 周術期に局所麻酔薬中毒が生じる潜在リ
ゼ遺残確認のため腹部 X 線写真を撮影し スクが増していることにわれわれは留意 局所麻酔薬中毒とは?
た後に,術後鎮痛を目的として両側の腹 し な け れ ば な ら な い。 折 し も 2017 年 6
横 筋 膜 面(TAP) ブ ロ ッ ク を 行 っ た。 月に日本麻酔科学会から『局所麻酔薬中 作用機序と症状
TAP ブロックには,0.375%ロピバカイ 毒への対応プラクティカルガイド』
1)
が発 局所麻酔薬は,神経細胞膜の Na+ チ
ン を 片 側 あ た り 30 mL(計 60 mL,225 行され,局所麻酔を行うすべての医療者
ャネルに直接結合することで,Na+ の
mg)使用した。 に対して警鐘が鳴らされた。本症例を通
続いて全身麻酔薬の投与を終了し,患 細胞内への流入を抑制し,神経細胞の
じて,局所麻酔薬中毒の概要,診断,治
者の覚醒を確認してから抜管した。 療および集中治療管理の必要性,さらに 脱分極を阻害する。その結果,神経軸
抜管して数分後から患者が不穏となり, 妊産婦に対して局所麻酔薬を使用する際 索の伝導が遮断され,痛み刺激の伝達
血圧 110/50 mmHg,心拍数(HR)80 bpm に注意すべき点について検討する。 も遮断される。一方,中枢神経細胞や
から,血圧 170/100 mmHg,HR 100 bpm
心筋細胞にも Na+ チャネルは存在す
へ変化した。続いて全身性の痙攣をきた
る。血中の局所麻酔薬は Na+ チャネ
した後,血圧 75/30 mmHg,HR 140 bpm
の心室頻拍から心室細動に移行した。直 何が起こったのか? ルを非特異的に遮断するため,多彩な
ちに気管挿管を含めた心肺蘇生を行った。 臓器に影響を及ぼし,さまざまな症状
本症例では緊急帝王切開に対して,全 を引き起こす。血中局所麻酔薬濃度が
身麻酔管理と術後鎮痛目的の TAP ブ 上昇していくと,まずは中枢神経に関
ロックを行った。そして,全身麻酔か 連する症状が出現する。具体的には,
らの覚醒・抜管後に,全身性の痙攣お 最初に口唇のしびれ,耳鳴が生じ,続
よび致死的不整脈が生じた。 いて興奮,多弁,呂律困難,めまい,
妊産婦に生じる全身性の痙攣や不整 視力障害,聴力障害が現れ,重症な場
脈の鑑別疾患としては,子癇発作,羊 合には痙攣をきたし,昏睡,呼吸停止
©MEDSi Ltd, 2017
▼図 1 リドカインの血中濃度と
(文献 2 より)
中毒症状
め,洞性徐脈,低血圧を経て,心室細 mL〕をむかえ(コラム 1),90 分後ま
動や心静止などの致死的不整脈が発生 で 2.2 μg/mL 以 上 の 水 準 に あ っ た。 心停止
リドカイン血中濃度
局所麻酔薬の使用後に前述の症状およ mg(2.68 mg/kg)または 300 mg(4.9
(μg/mL)
び症状の推移を観察した場合に局所麻 mg/kg)であった。後者の例では痙攣 意識消失,痙攣
10
酔薬中毒と診断される。典型的には軽 発症時のロピバカイン血中濃度を測定
多弁,振戦,
度の中枢神経症状から始まって重度の しており,3.99μg/mL であった。 視覚・聴覚異常
中枢神経症状,心血管症状へと進行す 本症例は 225 mg のロピバカインを 5
ブロック後に少なくとも 30 分程度は患
ンの投与量を検討している論文が多い。 もある。帝王切開の術後鎮痛における 者を手術室ないし回復室で観察下に置き,
開腹婦人科手術を受ける成人患者に対 TAP ブロックの有用性の評価は定ま 局所麻酔薬中毒の発症がないことを確認
して 3 mg/kg のロピバカインで TAP っていないといえるが,本症例のよう するべきである。本症例では術野遺残確
認の X 線撮影後に TAP ブロックを行っ
ブロックを行い血中濃度推移を調べた に全身麻酔管理の場合は施行を考慮し
ているが,筆者が術後に TAP ブロック
研究4)では,ロピバカインの平均血中 てよいと思われる。一方で,妊娠時は を行う場合は,手術終了後ただちにブロ
濃度は TAP ブロック施行 15 分後には 以下の三つの理由で局所麻酔薬中毒が ックを行い,ブロック後に患者が手術室
エリアに 30 分程度は滞在するようにし
2.2 μg/mL 以上に到達し,30 分後にピ 起こりやすいため,投与量は慎重に決
ている。
ーク〔平均 2.54(標準偏差 0.75)μg/ 定しなくてはならない。
波形で心室細動が持続していることを 初期対応
確認してから電気的除細動を行い,す 局所麻酔薬の中止,応援要請,モニター装着,静脈ライン確保
気道確保:100%酸素による換気を行う
みやかに胸骨圧迫を再開した。
痙攣抑制:ベンゾジアゼピン系を推奨
痙攣を制御するためにベンゾジアゼ 血圧・心拍が不安定な場合プロポフォールの使用は不可
ピン系薬であるミダゾラムを 5 mg 静 重度の低血圧,不整脈がある場合
脈内投与した。なお,循環虚脱が生じ 一次/二次心肺蘇生法にもとづいて心肺蘇生処置を行う
ている状況ではプロポフォールは投与 脂肪乳剤を投与する
すべきでない。最初の電気的除細動か バソプレシン,カルシウム拮抗薬,β遮断薬,局所麻酔薬(リドカイン)の使用を避ける
アドレナリンの投与量は AHA の蘇生ガイドラインに準ずる
ら 2 分が経過し再度心電図波形を確認
体外循環装置の準備をする
したが,心室細動が持続していたため,
重度の低血圧,不整脈が認められない場合
2 回目の電気的除細動を行った。
厳重な監視と対症療法を行う
経過と症状から局所麻酔薬中毒によ 脂肪乳剤の投与を考慮する
る可能性が高いと判断し,蘇生処置と 20%脂肪乳剤の投与方法
並 行 し て Lipid rescue を 開 始 し た。
脂肪乳剤 1.5 mL/kg(除脂肪体重換算)を,約 1 分かけて静脈からボーラス投与する
20%脂肪乳剤(イントラリポスⓇ)75 その後 0.25 mL/kg/min で持続静注する
mL(体重 50 kg として 1.5 mL/kg)を 5 分後も循環虚脱が続いていたら,再度ボーラス投与(1.5 mL/kg)する
同時に持続静注流量を 0.5 mL/kg/min へ倍増させてもよい
1 分かけて静注した。その後 0.25 mL/
さらに 5 分後も循環虚脱が続いていたら,再度ボーラス投与(1.5 mL/kg)を考慮する(ボー
kg/min で 20%イントラリポスの持続 ラス投与は 3 回を限度とする)
静注を開始した。本症例の場合は体重 循環動態の回復・安定後もさらに 10 分間は持続静注を継続する
最大投与量の目安は 12 mL/kg とする
50kg の た め, 投 与 速 度 は 750 mL/hr
となる。この投与流量はほとんどのシ
リンジポンプや輸液ポンプの上限投与 0.5 mL/kg/min へと増量した。 そのまま手術室で十数分間状態を観
速度を超えているため,20 滴=1 mL 蘇生処置を継続しながらさらに 5 分 察したが,循環動態は安定しており痙
の輸液セットを用いて 1 秒あたり約 4 が経過したが,依然,心停止であった 攣の再発も認めなかったため,イント
滴のスピードで滴下した。 ため,再び 20%イントラリポス 75 mL ラリポスの投与を終了し,気管挿管管
応援にきた麻酔科医が動脈ラインを を 1 分かけて静注した。この時点で 理のまま ICU へ移送した。
確保することに成功し,動脈血液ガス 20%イントラリポスは計 400 mL 程度
分析を行うとともに,後日ロピバカイ 投与された計算となる。イントラリポ Lipid rescue
ンの血中濃度を測定するために血液を スのボーラス投与はガイドライン上, 局所麻酔薬中毒,特にブピバカインに
採取した。 計 3 回までとされている。また,20% よる中毒は,治療抵抗性の心停止をま
その後も心電図波形は無脈性電気活 イントラリポスの総投与量は 12 mL/ ねきやすいことが知られている。1998
動 pulseless electrical activity(PEA) kg を超えないことが推奨されている。 年 に Weinberg ら12) は, ラ ッ ト を 用
と心室細動とを繰り返した。ACLS ガ 3 回目のイントラリポスボーラス投 いた動物実験において,ブピバカイン
イドラインに沿って,心室細動に対し 与の 2 分後に心室細動に対して除細動 による心停止に対して脂肪乳剤の静注
ては電気的除細動を行い PEA にはア を行ったところ,心リズムが洞調律へ が有効であったことを報告した。その
ドレナリン 1 mg を投与したが心拍の 復帰し心拍が再開した。心拍再開直後 後 Weinberg ら13)は 臨 床 症 例 に お け
再開は得られなかった。心停止から 5 の血圧は低値であったが,ドパミンの る推奨投与量を提案し,Lipid rescue
分 後, 再 度 20 % イ ン ト ラ リ ポ ス 75 持続投与を開始し徐々に上昇した。心 が考案された。本法による局所麻酔薬
mL を 1 分かけて静注し,持続投与を 停止時間は約 13 分であった。 中毒原性心停止からの蘇生成功の臨床
薬投与から 45 分程度しか経過してい 分析,胸部 X 線で異常所見を認めな algesia. Reg Anesth Pain Med 2014;
39:248-51.
ないと推測され,今後,中枢神経およ いことを確認した。術翌日に頭部 CT 6. アスペンジャパン株式会社.アナペイン
び心血管系の症状が再燃するリスクが を撮影し,改めて頭蓋内病変,低酸素 注 7.5 mg/mL,アナペイン注 10 mg/mL
添付文書.第 10 版.2017. 《https://ane.
ある。このような血中局所麻酔薬濃度 脳症を疑う所見がないことを評価した
aspenpharma.co.jp/product/files/ 97/
の推移も頭において,中枢神経症状を 後に抜管した。局所麻酔薬中毒による ana_pi.pdf》(2017 年 9 月 22 日閲覧)
7. McDonnell JG, Curley G, Carney J, et
伴う局所麻酔薬中毒が出現した場合に 後遺症は認めず,同日中に ICU を退
al. The analgesic efficacy of transver-
は,本症例ほどの重症例でなくても, 室した。 sus abdominis plane block after cesar-
ean delivery:a randomized controlled
ブロック施行後 2 時間程度は状態を観 ● ● ●
trial. Anesth Analg 2008;106:186-91.
察するために ICU への入室を考慮し 局所麻酔薬は,麻酔科医にとってなく 8. McMorrow RCN, Mhuircheartaigh
てもよいであろう(コメント)。さら てはならない薬物であり,使用頻度も RJN, Ahmed KA, et al. Comparison of
transversus abdominis plane block vs
に,本症例では経過から局所麻酔薬中 高い。心停止にまで至った局所麻酔薬 spinal morphine for pain relief after
毒による痙攣,不整脈の発症が明らか 中毒において Lipid rescue は有効な Caesarean section. Br J Anaesth
2011;106:706-12.
であったが,それらの症状の原因がは 蘇生法であり,すみやかに施行する。 9. 吉田敬之,藤原 貴.婦人科悪性腫瘍手
っきりしない場合も,ICU に入室さ 重篤な局所麻酔薬中毒の発症はまれで 術に対する肋骨弓下腹横筋膜面ブロック.
In:森本康裕,柴田康之編.超音波ガイ
せて鑑別診断にあたるほうがよい。 あるが,麻酔科医にとって局所麻酔薬 ド下末 神経ブロック実践 24 症例.東
中毒の症状,局所麻酔薬の血中濃度推 京:メディカル・サイエンス・インター
ICU 入室後の本症例の ナショナル,2013;81-7.
移,脂肪乳剤の投与プロトコルの知識 10. Hebbard PD, Barrington MJ, Vasey C.
経過
は必要不可欠であり,手術室内での治 Ultrasound-guided continuous oblique
subcostal transversus abdominis plane
ドパミン,ミダゾラムを持続投与した 療から ICU での管理までを見据えて
blockade:description of anatomy and
状態で ICU へ入室させ,人工呼吸管 対応にあたる必要がある。 clinical technique. Reg Anesth Pain
Med 2010;35:436-41.
理下においた。ICU 入室後,動脈血
11. Neal JM, Bernards CM, Butterworth
液ガス分析,血液生化学検査,血液凝 文 献 JF 4 th, et al. ASRA practice advisory
on local anesthetic systemic toxicity.
固能検査を行い,蘇生後評価を行うと 1. 日本麻酔科学会.局所麻酔薬中毒への対
応プラクティカルガイド.2017.《http: Reg Anesth Pain Med 2010;35:152 -
ともに脂肪乳剤の副作用の有無につい //www.anesth.or.jp/guide/pdf/practical 61.
ても評価した。症状が落ち着いた段階 _localanesthesia.pdf》(2017 年 9 月 22 12. Weinberg GL, VadeBoncouer T, Rama-
日閲覧) raju GA, et al. Pretreatment or resusci-
で,頭蓋内出血を除外し,今後の低酸 tation with a lipid infusion shifts the
2. 川真田樹人.局所麻酔薬.In:弓削孟文
素脳症発症リスクを評価するために頭 監,古家 仁,稲田英一ほか編.標準麻 dose-response to bupivacaine-induced
酔 科 学. 第 6 版. 東 京: 医 学 書 院, asystole in rats. Anesthesiology 1998;
部 CT を撮像した。羊水塞栓症および 88:1071-5.
2011;47.
肺塞栓症を除外するために胸腹部造影 3. Knudsen K, Beckman Suurküla M, 13. Weinberg GL. LipidRescueTM Resusci-
Blomberg S, et al. Central nervous and tation.《http://www.LipidRescue.org》
CT も併せて撮像した。頭蓋内に異常 (2017 年 9 月 22 日閲覧)
cardiovascular effects of i.v. infusions
所見はなく,羊水塞栓症や肺塞栓症を of ropivacaine, bupivacaine and place- 14. Weinberg GL, Guido DG, Ripper R, et
bo in volunteers. Br J Anaesth 1997; al. Resuscitation with lipid versus epi-
疑う所見も認めなかった。心停止の影 nephrine in a rat model of bupivacaine
78:507-14.
響で ICU 入室時は代謝性アシドーシ 4. Griffiths JD, Barron FA, Grant S, et al. overdose. Anesthesiology 2008;108:
Plasma ropivacaine concentrations af- 907-13.
スを認めていたが,循環の改善ととも
ter ultrasound-guided transversus ab- 15. de Queiroz Siqueira M, Chassard D,
にすみやかに改善された。局所麻酔薬 dominis plane block. Br J Anaesth Musard H, et al. Resuscitation with
2010;105:853-6. lipid, epinephrine, or both in levobupi-
投与の 3 時間後からミダゾラムの投与
5. Weiss E, Jolly C, Dumoulin JL, et al. vacaine-induced cardiac toxicity in
量を漸減し,痙攣の発症がないことと Convulsions in 2 patients after bilater- newborn piglets. Br J Anaesth 2014;
112:729-34.
意識レベルを確認した。呼吸状態は継 al ultrasound-guided transversus ab-
dominis plane blocks for cesarean an-
続的にモニタリングし,動脈血液ガス