Professional Documents
Culture Documents
終わりと始まり
終わりと始まり
テクノロジーが社会を変えることに現代人は慣れている。たいていの場合、それを
よきこととして受け入れている。しかし社会の動きには勢いがあるから、失敗とわ
かっても撤退は容易ではない。原子力発電が好例。
*
人工知能(AI)はどうか?
コンピューターの演算速度が指数関数的に上がり、記憶装置のコストが指数関数
的に下がって、インターネットが普及、人間の知的労働の相当部分を任せられるよ
うになった。産業革命で筋肉労働の多くを動力に譲ったのと同じことが起きようと
している。
楽観的な者は、暇になる分だけ人間は遊んで暮らせるようになると言う。
あるいはシンギュラリティの到来。こんな広告コピーめいた言葉を誰が作ったか
と思うが、内容は「(真の意味での)AIが人間の能力を超える地点」ぐらいのこ
と。人間もずいぶん舐(な)められたものである。
こういう言葉で世間を煽(あお)って産業を活性化するのは資本主義においては
正しい手法なのかもしれないが、しかし科学はそれを疑わなければならない。
数学者・新井紀子の『AI VS. 教科書が読めない子どもたち』はこれにつ
いての必読の書だ(ぼくは去年の暮れ、養老孟司さんに教えられてこれを読み、深
く納得した)。
新井は二〇一一年に「ロボットは東大に入れるか」(通称「東ロボくん」)とい
うプロジェクトを起こして以来、AIの実力を検証してきた。チェスや囲碁などで
人間に勝って威力を示してきたけれど、しかしこれは億単位の数の「過去問」ない
し「教師データ」を参照するという、コンピューターが最も得意な分野でのこと。
コンピューター、英語の語源は「計算機」である。四則演算をするだけ。中国人
が作った「電脳」という言葉が期待過剰だったのだ。コンピューターからは入れた
ものしか出てこない。
東ロボくんはなかなかの実力を持っている。二〇一六年のセンター模試で偏差値
57・1。東大に固執しなければ入れる大学はいくつもある。つまり今は人間がや
っている仕事の多くはAIに置き換わられ得る。しかもこの変化は産業革命の時よ
りはずっと速く、対応が間に合わないほどの速度で進む。
年間五十万人の大学受験生の八割が東ロボくんに負ける! その実態を新井は、
半沢直樹が失職すると表現する。融資の審査などAIまかせで済む。全雇用者の半
数が仕事を失う。これは一九二九年の大恐慌を超える社会崩壊だ。
*
では人間にできてAIにできないことは何か?
数学の文章題――「平面上に四角形がある。各頂点からの距離の和が一番小さく
なる点を求めよ」。これがスパコンを使っても、宇宙開闢(かいびゃく)から現在
に至る時間を費やしても、解けない。対角線の交点という解が出てこない。
新井は、東ロボくんプロジェクトは偏差値65あたりが限界だと言う。いくらコ
ンピューターとメモリーの性能が向上しようが、人間の頭脳との間には越えられな
い一線がある。
センター入試、英語の「語句整序」問題を解かせるのに10億単語からなる三千
三百万の例文を覚え込ませても、正答率は三分の一。
なぜか? 簡潔に述べれば、人間の問いに対して「AIは意味を理解しているわ
けでは」ないのだ。それらしい結果を求めて厖大(ぼうだい)な計算をしているだ
けなのだ。コンピューターにとって「意味」という言葉は何の意味もない。
ぼくなりに解釈すれば、「意味」の実体は欲望である。生存欲、物欲、性欲。要
するに個体として他に抜きん出たいという欲望。進化の推進力、生物の基本原理。
それが無生物であるAIにあるわけがない。だから「何のために?」が分からな
い。
新井紀子は数学的=科学的思考と社会性を結ぶプロデューサーとして優れてい
る。東ロボくんだけでなく、中高生の基礎的読解力を調べる大プロジェクトの結果
も説得力に満ちている。多くの学校や企業の協力を得ての累計二万五千人(執筆当
時)を相手の調査(RST リーディング・スキル・テスト)は統計として十分に
有意だ。
RSTの問題文は文学ではない。「義経は平氏を追いつめ、ついに壇ノ浦でほろ
ぼした」と「平氏は義経に追いつめられ、ついに壇ノ浦でほろぼされた」が同義で
あるか否か、というレベル。そして、「中学生の半数は、中学校の教科書が読めて
いない」という結果に至る。同義文判定はAIが苦手とすることだから、そこで負
けてしまっては人間の職場はなくなる。
小学生から英語とかプログラミングとか、官僚の思いつきで教育をいじるのは止
(や)めた方がいい。教科書文が読めなければ運転免許の取得もむずかしい。人口
の半分がAIに負けて失職する。これは深刻な警告である。