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古文編  物語

ラジオ学習メモ

平家物語 (全三回) 木曽の最期


講師 ■内容のまとめ
畠山 俊 木曽殿が「鎧が重く感じる」と弱音をはいたのに対して、今
井は「疲れているのではなく、臆病でそう感じるので、私が敵
を防いでいるあいだに粟津の松原で自害を」と言って、今井は
敵に向かっていく。
 
全三回 の 一 [平家物語
   木曽の最期]

− 225 −
■学習のねらい■
 学習のポイント2
主人である木曽殿と家来の今井との戦いの中での心の交
流を読み味わう。  敬語の種類には
  どのようなものがあるか
敬語の種類 三種類
学習のポイント1
 
古文編

尊敬語  (主体尊敬 為手尊敬) 動作主に敬意を表す
 今井の気持ちを読み取ろう のたまふ(「言ふ」の尊敬語)
   
【文法事項のまとめ】
   思し召す(「思ふ」の尊敬語)

高校講座・学習メモ
「おぼゆ」 ヤ行下二段動詞  ▽現代語訳 思われる 「させ」
(尊敬の助動詞)+給ふ(尊敬の補助動詞)
国語総合

   
「べし」推量の助動詞 謙譲語  (受け手尊敬) 動作の受け手に敬意を表す
第 82 〜 84 回
「ね」打ち消しの助動詞の已然形  申す(「言ふ」の謙譲語)
     
未然形 連用形 終止形 連体形 已然形 命令形
   つかまつる(「す」の謙譲語)
ず ず・ざら ず・ざり ず ぬ・ざる ね・ざれ ざれ 丁寧語 候ふ(「あり」の丁寧語/丁寧の補助動詞)
*敬語は誰が誰にどうしたという文の中で、誰に敬意を表し 「めのと子」 乳母(乳を与えて身分の高い人の子どもを育
 
ラジオ学習メモ

ているかを示す。人物関係を読み解く手がかりにもなる。
    てる人)の子ども。強い絆で結ばれる。
「知ろし召す」 (「知る」の尊敬語)
「見参に入る」 ▽現代語訳 お目にかける
学習のポイント3 
 
「分捕りあまたしたりけり」
 主従の心の交流を読み味わおう 「し」サ変動詞連用形+
「たり」
完了の助動詞連用形+
「けり」
 
■内容のまとめ 過去の助動詞終止形
木曽殿は自害を勧める今井に対し、いっしょに死のうと 「手」     ▽現代語訳 傷 「手を負ふ」 負傷する
言うが、今井は立派な武士としての最期のために自害を勧
める。木曽殿もそれを理解し、ひとり粟津の松原に向かう。 ■内容のまとめ
今井は五十騎ほどの敵を相手にし、まず自分が何者であるか
の名のりを上げる。その後、初めは矢で、次には太刀で敵に対
*    *    *    * 

− 226 −
抗すると、敵はその強さに遠巻きにして矢を射るばかりで、傷
全三回 の
 
二 [平家物語
   木曽の最期] を負わせることもできない。
■学習のねらい■
今井の戦いぶりを読み味わうとともに、平家物語とはど
 学習のポイント2
のような物語か理解する。
 音便とはどのようなものか
古文編

ウ音便
 学習のポイント1
「重うなつたるぞや」「重くなつたるぞや」の「く」の音
  
  今井の戦いぶりについて読み味わおう

高校講座・学習メモ
  が「ウ」に変わっている。
国語総合
【文法・古語のまとめ】 促音便
第 82 〜 84 回
「ける」   過去の助動詞「けり」の連体形 「重うなつたるぞや」「なりたる」の「り」の音が「ッ」
  
「音に聞く」  ▽現代語訳 噂に聞く   に変わっている。
「らん」   現在推量の助動詞 「打つて行くほどに」「打ちて」の「ち」の音が「ッ」に
  
  変わっている。 *    *    *    * 
ラジオ学習メモ

イ音便
「とりついて」「とりつきて」の「き」の音が「イ」に変
 全三回 の  [平家物語 木曽の最期]

  
  わっている。
■学習のねらい■
「打ち物抜いて」
「抜きて」の「き」の音が「イ」に変わっ 木曽殿の最期とそれを受けた今井がどのような死に方を
  
  ている。 するか読み取り、それをどのように感じるか、考える。
 撥音便
「鐙ふんばり」
「踏み張り」の「み」の音が「ン」に変わっ
  
 学習のポイント1
  ている。
 木曽殿はどのような最期を迎えたか
【文法・古語のまとめ】
 学習のポイント3
「給ふ」 尊敬の補助動詞
 平家物語について調べてみよう

− 227 −
「薄氷は張つたりけり」 「張りたりけり」の促音便
「平家物語」は鎌倉時代の軍記物語(合戦の様子を中心に描 「働く」    ▽現代語訳 動く
いた物語)である。琵琶法師が琵琶の伴奏で語ったものを聞い 「追つかかつて」 「追ひかかりて」の促音便(二箇所)
て楽しんだもので、「平曲」とも呼ばる。 「よつぴいて」
  「よくひいて」の促音便とイ音便。音便に伴って「ひ」が
古文編

  「ぴ」となっている。
「痛手」    ▽現代語訳 致命傷
「落ち合うて」 「落ち合ひて」のウ音便

高校講座・学習メモ
「取つてんげり」 元の形は「取りてけり」 
国語総合
「させ」尊敬の助動詞+「給ふ」尊敬の補助動詞
第 82 〜 84 回
「奉る」謙譲語
「貫かつて」 「貫かりて」の促音便
 
「失せにける」
  「失せ」サ行下二段動詞連用形+「に」完了の助動詞連用
 学習のポイント3
ラジオ学習メモ

  形+「ける」過去の助動詞連体形(「ぞ」の結び) 今井の最期について
 
         ▽現代語訳 死んでしまった
  どのように感じるか
■内容のまとめ 主人の木曽殿が果たせなかった武士としての勇壮な自害を今
木曽殿は粟津の松原に駆けて行くが、薄氷の張った深田に馬 井は代わりに果たした。家来として立派な心がけである。しか
を乗り入れ沈んでしまう。そこを敵に討ち取られ、敵は木曽殿 し、この今井の行為を残念だと感じてもよい。二人で逃げて再
を討ち取ったと名のりを上げる。それを聞いた今井はもう戦う 起を帰す方策はなかったのか、二人で戦いながら死ぬ選択はな
意味はないと考え、木曽殿が果たせなかった立派な自害を、太 かったのか、などといろいろと考えてみるとよい。古文の中か
刀の先を口に加え馬からさかさまに落ちる、
という形で示した。 ら現代に生きる上での参考になるようなものが読み取れるとよ
い。
 学習のポイント2

− 228 −
 文法と現代語訳とは
  どのようにかかわるか
この話の最後は「さてこそ粟津のいくさはなかりけれ」と結
ばれている。
古文編

直訳すると「こうして粟津の戦いはなかったのであった」と
なるが、そのままでは理解しにくい。「このように二人が死ん
でしまって戦いという程の戦いは無かったのだ」「こうして粟

高校講座・学習メモ
津の戦いは終わったのであった」
などと工夫して現代語訳する。
国語総合
文法を踏まえ、古語を正確に現代語訳するのは大切なことだ
第 82 〜 84 回
が、それだけでわかりやすい現代語訳になるわけではない。「場
面をとらえる」力が重要である。
ラジオ学習メモ

講師
平家物語 木曽の最期
き そ
へい け
 畠

 俊
しな の みなもとの よし なか
信濃(今の長野県)で挙兵した 源 義仲(木曽義仲)は、都へ攻
さいかい
め入り、平家を西海に追い落とした。しかし、横暴な振る舞いを重
ご しらかわ よりとも
ねたため、後白河法皇は鎌倉の源頼朝に義仲追討を命じる。頼朝は
のり より よし つね
弟の範頼と義経を大将とする大軍を都へ向かわせた。それを迎え撃
う じ せ た
つため、義仲は軍勢を宇治・勢田に差し向けるが敗北、自身も京の
ろくじょうがわら うち で
六条河原の戦いに敗れる。義仲は残る軍勢を集め、打出の浜で最後 現代語訳
いまいのかねひら じゅえい
の合戦に臨むが、家来の今井兼平と二人だけになってしまう。寿永 今井四郎が、木曽殿と、主人、家来の二騎になっておっ
しゃったことには、「常日ごろは何とも思われない鎧が、
三年〔一一八四〕正月二十一日のことであった。

− 229 −
今日は重くなったぞ。」
今井四郎が、(木曽殿に)申し上げることには、
し らう しゆうじゆう
今井四郎、木曽殿、 主 従 二騎になつてのたまひけるは、 「お体もまだお疲れになっておりません。お馬も弱っ
なに よろひ てはおりません。どういうわけで、一着の鎧を重くはお
「日ごろは何ともおぼえぬ 鎧 が、今日は重うなつたるぞや。
」 思いになりますのでしょうか。それは味方に勢いがござ
今井四郎、申しけるは、 いませんので、臆病でそのようにはお思いなのでござい
おん み たま おんうま さうら ましょう。この兼平がひとりおりましても、そのほかの
「御身もいまだ疲れさせ給はず。御馬も弱り 候 はず。何によつてか、一 武者千人分とお思いなさいませ。矢が七、八本ございま
古文編

おん き せ なが おぼ み かた おん せい
領 の 御 着 背 長 を 重 う は 思 し 召 し 候 ふ べ き。 そ れ は 御 方 に 御 勢 が 候 は ね ば、 すので、しばらくの間敵を防ぎましょう。あそこに見え
いちにん よ せん き ますのが、粟津の松原と申します。あの松原の中でご自
臆病でこそさは思し召し候へ。兼平一人候ふとも、余の武者千騎と思し召 害なさいませ。」
ふせ
せ。 矢 七 つ 八 つ 候 へ ば、 し ば ら く 防 き 矢 つ か ま つ ら ん。 あ れ に 見 え 候 ふ、 と言って、馬にむち打って進んで行くうちに、また、新

高校講座・学習メモ
国語総合

あは づ おん しい敵の武者が五十騎ほど現れた。
粟津の松原と申す、あの松の中で御自害候へ。
」 「ご主人様はあの松原へお入りください。この兼平は
第 82 〜 84 回

とて、打つて行くほどに、また、新手の武者五十騎ばかり出で来たり。 新しい敵を防ぎます。」
い かたき と(兼平が)申し上げると、木曽殿がおっしゃったこと
「君はあの松原へ入らせ給へ。兼平はこの 敵 防き候はん」 には、
と申しければ、木曽殿のたまひけるは、 「この義仲が、都でどうにも(死にそうに)なったは
「義仲、都にていかにもなるべかりつるが、これまで逃れ来るは、なん ずのところを、ここまで逃げて来たのは、お前と同じ所
ラジオ学習メモ

いつ しよ ところどころ で死のうと思ったからである。(ここと松原の)別々の
ぢと一所で死なんと思ふためなり。 所 々 で討たれんよりも、ひと所でこ
場所で敵に討たれてしまうよりも、同じ所で討ち死にし
そ討ち死にをもせめ。」 よう。」
と(木曽殿は)おっしゃって、馬を同じ方に向けて走り
とて、馬の鼻を並べて駆けんとし給へば、今井四郎、馬より飛び降り、
出そうとなさるので、今井四郎は、馬から飛び降りて、
しゆう
主 の馬の口に取りついて申しけるは、 主人の馬の口先にすがりついて(馬を止めて)申し上げ
かうみやう たことには、
「弓矢取りは、年ごろ日ごろいかなる高 名 候へども、最期の時不覚しつ
「武士は、常日ごろどれほど高い評判がございまして
きず
れ ば、 長 き 疵 に て 候 ふ な り。 御 身 は 疲 れ さ せ 給 ひ て 候 ふ。 続 く 勢 は 候 は も、最期に死ぬ時に油断すると、長い間の悪評となって
らうどう しまうと言います。お体はお疲れでございます。続く軍
ず。敵に押し隔てられ、いふかひなき人の郎等に組み落とされさせ給ひて、
勢はおりません。敵に(ふたりが)押し隔てられて、取
につ ぽん ごく
討たれさせ給ひなば、『さばかり日本国に聞こえさせ給ひつる木曽殿をば、 るに足りない誰かの家来に組みつかれて(木曽殿が馬か
たてま ら)引き落とされなさって、討たれなさったならば、
『あ
そ れ が し が 郎 等 の 討 ち 奉 つ た る。
』 な ん ど 申 さ ん こ と こ そ 口 惜 し う 候 へ。
れほど日本中で評判になっていらっしゃる木曽殿を、誰
ただあの松原へ入らせ給へ。」 それの家来がお討ち申し上げた。』などと申すことは残

− 230 −
念でございます。(木曽殿は)ただあちらの松原にお入
と申しければ、木曽、
りください。」
「さらば。」 と申すので、木曽殿は、
「そういうことならば。」
とて、粟津の松原へぞ駆け給ふ。
とおっしゃって、粟津の松原へ向かって馬を走らせな
あぶみ
今井四郎ただ一騎、五十騎ばかりが中へ駆け入り、 鐙 ふんばり立ち上 さった。
だいおんじやう 今井四郎はたった一騎で、敵五十騎ほどの中へ走りこ
がり、大音 声 あげて名のりけるは、
んで、鐙を踏みしめて立ち上がり、大声を上げて名のっ
古文編

おん ご
「日ごろは音にも聞きつらん、今は目にも見給へ。木曽殿の御めのと子、 たことには、
しやう ねん かま くら どの 「この日ごろ噂には聞いていたことだろうが、今はそ
今井四郎兼平、 生 年三十三にまかりなる。さる者ありとは、鎌倉殿まで
の目でご覧ください。木曽殿のめのと子である、今井四
けんざん
も知ろし召されたるらんぞ。兼平討って見参に入れよ。」 郎兼平、生まれてから三十三歳になりました。そのよう

高校講座・学習メモ
国語総合

や すぢ し な者がいるということは、鎌倉の頼朝殿までもご存知で
とて、射残したる八筋の矢を、さしつめ引きつめ、さんざんに射る。死
あるだろうよ。この兼平を討ち取って(首を頼朝殿に)
第 82 〜 84 回

しやう のち
生 は知らず、やにはに、敵八騎射落とす。その後打ち物抜いて、あれに お目にかけろ。」と言って、(その前の戦いで)残った八
は おもて 本の矢を、弓につがえ引き絞って、次から次へと射る。(矢
馳せ合ひこれに馳せ合ひ、切って回るに、 面 を合はする者ぞなき。
が当たった敵が)死んだのかまだ生きているのかはわか
分捕りあまたしたりけり。ただ、 らないものの、たちまち、敵八騎を射て(馬から)落と
「射取れや。」 した。その後、太刀を抜いて、あちらの敵のところに馬
ラジオ学習メモ

を走らせて戦い、こちらに戻って戦い、敵を切って回る
とて、中に取り込め、雨の降るやうに射けれども、鎧よければ裏かかず、
と、正面から立ち向かってくる者もいなくなった。敵の
あき間を射ねば手も負はず。 首を取ったり武器を奪ったりをたくさん行った。(敵は)
いりあひ ただ、
木曽殿はただ一騎、粟津の松原へ駆け給ふが、正月二十一日、入相ばか
「矢で討ち取れ。」
うす ごほり ふか た
りのことなるに、薄 氷 は張つたりけり、深田ありとも知らずして、馬を と言って、囲んだ中に(兼平を)閉じ込めて、まるで雨
かしら が降るように矢を射かけるが、鎧がよいもので矢がささ
ざつとうち入れたれば、馬の 頭 も見えざりけり。あふれどもあふれども、
らず、すき間を射ることもできないので傷も受けない。
打てども打てども働かず。今井が行方のおぼつかなさに、振り仰ぎ給へる 木曽殿はたった一騎で、粟津の松原に馬で走っていか
うちかぶと み うら いしだの じ ろうためひさ れるが、一月二十一日の夕暮れのころのことであるので、
内 甲 を、三浦の石田次郎為久、追つかかつてよつぴいてひやうふつと射る。
薄い氷が張っていた、深い田んぼがあるともわからなく
まつかう
痛手なれば、真向を馬の頭に当てて、うつぶし給へるところに、石田が郎 て、馬を(そこへ)ざっと乗り入れたところ、(ずぶっ
に にん と沈んで)馬の頭も見えなくなってしまった。(馬を)蹴っ
等二人落ち合うて、つひに木曽殿の首をば取つてんげり。太刀の先に貫き、
ても蹴っても、むち打ってもむち打っても動かない。(木
高くさし上げ、大音声をあげて、 曽殿は)今井の行方が気がかりなので、振り仰ぎなさっ

− 231 −
た甲の内側を、三浦の石田次郎為久が、追いついて弓を
「この日ごろ日本国に聞こえさせ給ひつる木曽殿をば、三浦の石田次郎
よく引いてひゅうぱっと矢を放つ。致命傷なので、(木
たてま
為久が討ち 奉 つたるぞや。」 曽殿は)甲の正面を馬の頭に当てて、うつぶせなさった
ところに、石田の家来がふたり追いついて、とうとう木
と名のりければ、今井四郎いくさしけるが、これを聞き、
曽殿の首を取ってしまった。
(その首を)太刀の先に貫
たれ
「今は誰をかばはんとてか、いくさをもすべき。これを見給へ、東国の き通して、高く差し上げて、大声をあげて、
かう 「このところ日本中で評判となられていた木曽殿を、
殿ばら、日本一の剛の者の自害する手本。」
三浦の石田次郎為久がお討ち申し上げたぞ。」
古文編


とて、太刀の先を口に含み、馬より逆さまに飛び落ち、貫かつてぞ失せに と名のったところ、今井四郎は戦っていたが、これを聞
いて、
ける。さてこそ粟津のいくさはなかりけれ。
「今となっては誰をかばおうとして、戦いをするので
【巻第九】 あろうか。これをご覧なさい、東国の武者たち、日本一

高校講座・学習メモ
国語総合

の勇敢な者が自害するお手本だ。」
と言って、太刀の先を口にくわえて、馬から逆さまに落
第 82 〜 84 回
ちて、(自分の太刀に)貫かれて死んだのであった。こ
のように(ふたりが死んでしまって)粟津の戦いという
ほどの戦いは無かったのであった。
本文は、
「新編日本古典文学全集」によった。

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