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やまと言葉でするレポート

たましい:あなたを世界で一つだけにしているものは魂。それは体や意識を超えたもので、この肉体を
借りて世に存在しているもの。魂は命の主な概念であって、二つを切り離して考えられないものです。

日本人が命を考えると、最初に思いつくことは魂である。

愛する人がなくなると人は異常に悲しみます。人間は動物の中で一番苦しんで、痛みます。他の人が
死んで、うつ病になるのも、自殺するのも、人間だけです。愛する人と離れるのがあまりにつらすぎて、
人生がつらくなります。これはなぜかというと、人間は死ぬとそこで終わり、という考え方を持っているか
らです。しかし、人間は知っている範囲の中で、全部説明を尽くそうとするからです。死んだあとのことが
知らないだけで、魂が残されるとは信じていないからです。セミの人生と比べると、夏だけに生きている
虫で、ほかの秋、冬、春、を知らないだけで人生は夏だけのものと考えているでしょう。でも本来は、夏

以外の世界が存在しています。

人間は死ぬと、その魂は家族のそばで家族を見守っています。そして 33 年がたつとその魂は特徴をな
くし、もっと大きい存在に変わります。山の神様や川の神様になり、存在し続けます。魂はこの世のす
べてに流れる力を表していて、そういう意味では、私たちが住んでいる地球は古い魂でできていると考
えられます。この考え方は日本人の心を救う力があります。例えば亡くなった家族や友達を懐かしく思
うときは、「あ、私のそばで守ってくれているのだな」や「この海に魂が流れて存在しているんだな」と考え

れば人間はちょっと楽になると思います。

私の経験の中で魂を信じる出来事がたくさんあります。三月に私が大好きな母の父であるおじいさん
を亡くして以来、私はたくさん魂のことを考えました。おじいさんは自宅で亡くなり、愛している妻と娘と
孫に囲まれて、ゆっくりと眠りにつきました。その時、私はおじいさんの顔を見るのがつらくて、窓の外を
見ながらおじいさんの背中をさすっていました。おじいさんがなくなる数分前に、一日中曇っていた空が
一瞬にしてまぶしいくらいに明るくなりました。その瞬間、外を見ている私に何かのメッセージが送られた
と思いました。「おじいさんのお迎えが来たのだ」と思って、少しだけ安心できました。そして最後の息をし
て静かになくなりました。その後私にとって、衝撃的だったのは、外の風景でした。一瞬で明るくなった
空が、また一瞬で雨を落とし始めたのです。「おじいさんがずっと住んで、心から愛していた小田原の空
がおじいさんの死を悲しんで、泣いているんだ」と思いました。おじいさんがなくなってから、私だけでなく、
私の家族にもおかしな出来事が起こっています。家の明かりが急に消えたりついたり、電気や電波関
連で異常なことがあったりするので、家族は「おじいさんがここにきて見守ってくれているんだ」と考えてい
ます。私にはまだこのような出来事は起こっていない。それか私が気づいていないだけかもしれませんが、
それでも私はこのような話を聞いて楽になっています。やはりおじいさんは私を見守ってくれている。私が
おじいさんに祈るときや話しかける時、「ちゃんと聞いてくれているのだろうな」と思って私は救われます。
この理由で私は救われます、人生をつらく感じることなく楽しめます。「死んだら終わり」という意見はも

ちろんありますが、おじいさんの体験から、私は魂は永遠だと信じざるをえません。

いのち:命がいま生きている命を生かしている。命があなたをあなたにしている。命というものはほかの
生き物に生命力を渡す根源的な力です。食物連鎖を通して人間や動物がずっと生きてきた結果で
現在の自分が生きています。私がいま生きている理由は、何年前の先祖が何年前の無数の命を食

べ取り入れてきたからです。

人間は毎日普通のように普通に生きています。人は日常生活の中で「私は今日死ぬ可能性がある」
や「今日が人生の最後の日だ」みたいな発言はしません。しかし、命というものは一瞬で違う形をとって

この世からなくなってしまうことができます。命ははかなく、一瞬のものだと思っています。

命というものはナイル川のように、地球の生き物のスタートから永遠に続く流れの一滴だけであり、この
世界でちっぽけな存在でありながら世界に重要な存在でもあります。

自分の命や人生を永遠の流れのたった一部と考えることで、人生は楽になると思います。辛い出来
事や悲しいことがあっても、人生の流れの運命と考えることで私は人生生きやすくなっています。一つ
一つ毎回何かがあった時悩むことは時間の無駄だと思います。いつ自分の身がほかの命に食べ取り
入れることを知らない中で、小さいことで悩んでいたらせっかく与えられた人生がもったいないと感じてし
まいます。明日命を落として魂だけになってしまう可能性があると意識しながら生きる方が、後悔がな
い人生を送れると思います。永遠にある命の中でも、永遠にある魂の中でもこの命を与えられて運命
を大事に過ごすのが命の意味だと思います。たとえ最後には肉体を離れた魂だけになっても大切な人
と大切な時間を大切に生きたいと思います。私はまだ 21 年しか生きていないですが、何回も若い人
の死を見ています。病気や交通事故、心臓発作などの理由で命の流れが急に止まってしまう人はたく
さんです。18 歳、24 歳、47 歳になってもその可能性はいつも命とともに存在しています。私の後輩の
知り合いは高校を卒業したばかりの夏アメリカで一人旅をしてた時、運転ミスを一つだけしたことで少
年は次の瞬間命をなくしました。彼の命は静かに流れの一つとして消えていったが、彼の帰りを待って
いた家族や友達にとって、悲しすぎる出来事です。命は命から生まれます。ナイル川みたいに永遠に流
れている川の中であなたは一滴の存在だけで、一瞬で生まれ、一瞬で消えるものです。だから毎回何
か嫌なことがあっても、恥ずかしいことがあっても、決してそれを悩んではいけないと思います。この大きな
流れの中であなたが恥をかいたことはほんの流れの一部で、それを一生に覚えている人はいません。こ
の命をいつ落とすことを知らない人間はもっと一日を大事に、できるだけ幸せに生きるべきではないかと

思います。

なつかしい:人は過去の思い出に心が引かれて、親しい気持ちになる時一番使う言葉は懐かしい。
もう一度その場所へ戻りたい、その人に会ってまた楽しみたい。遠く離れているもの、今目の前に存在

していないものに心が引かれることは人間全体が経験するものです。

なつかしいと思うと、その思ったものが目の前に浮かびます。その時、自分の頭の中に浮かんでいる時
が一番リアルなものとして見えます。失った人や物は「なつかしい」と思うと、その瞬間自分の心の中だ

けに存在しています。

人間は懐かしいことを悲しいと感じる時が多いです。今目の前に持っていたもの、近くにいた人がもう今
では目の前にいないということはつらい現実であります。しかし、懐かしいと思うことで、目の前にリアル
なように見えてその瞬間満たされた気持ちになれます。愛しい人、大切な人がもう近くにいないことを
悲しんで、「もういない」と思いますが、「なつかしい」と思うときだけその人が形を表して出てきます。人
の死を悲しむのも普通ですが、その人を懐かしいと思うとき私はそのなくなった人の魂が近くに来てくれ
ると思っています。その魂を近くに感じなくても、その人を思うことであなたの心の中に存在していると思
います。なので、人を懐かしいと思うときこのような考え方をすると自分の気持ちが楽になれます。いつ
かその瞬間に戻るまで、その愛しい人にまた会える日まで、なつかしい気持ちでそれを生きさせていくの

が「なつかしい」という言葉の特別な力だと思います。

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