伊曾保物語

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伊曾保物語

伊曾保物語
元和元年
1615 年

伊曾保物語上

1 本國の事

 去程に、えうらうはのうち、ひりしやの國とろやと云所に、あもうにやといふ里あり。その里にいそほとい
ふ人ありけり。其時代、えうらうはの國中に、かほどの見にくき人なし。其ゆへは、頭はつねの頭二つがさあ
り。まなこの玉つはぐみ出でて、そのさきたいらかなり。顏かたち、色黒く、兩の頬うなたれ、首ゆがみ、せ
い低く、足長くしてふとし。せなかかゞまり、腹ふくれ出でて、まがれり。もの云ことおもしろげなり。その
時代、此いそほ、人にすぐれてみにくき物なきがごとく、その上、才覺又ならぶ人なし。

 されば、その里に戰ひおこつて、他國の軍勢亂れ入、かのいそほを搦め取りて、はるかの餘所へ聞えける、
あてえるすと云國の、ありしてすといふ人に賣れり。かの物の姿のみぐるしきを見て、なすべきわざなければ
とて、我領地につかはし、百性等にひとしく、牛馬を飼はしむるわざをなんおこなふ。かくて年經ぬれど、さ
るべき人とも知らずなん侍りける。折節、ある商人此者を買い取る。ありしてす、得たり賢しとかの商人に賣
り渡さる。なを別の人二人買い添へ、以上三人召し具して、さんといふ所に難なく行けり。其里において、し
やんとといへるやむごとなき知者の行きあひ、かの商人に尋ねていはく、「御邊の召し具しける者どもは、な
に事をかはし侍るぞ」とのたまへば、商人人答云)、「一人は琵琶を引げに候」と申ければ、かのしやんと、
すぐに二人の者に問ひ給はく、「面々は、何事をし侍るぞ」と仰ければ、二人もろともに答云、「あらゆるほ
どの事をば形のごとく知り侍る」と申。その後又いそほに、「汝はいかなる物ぞ」と問ひ給へば、いそほ答云、
「我はこれ骨肉也」と申ければ、「我汝に骨肉を問はず。汝いづくにて生れけるぞや」と仰ければ、いそほ答
いはく、「われはこれ母の胎内より生れ候」と申。「汝に母の胎内問はず。汝が生れたる所はいづくの國ぞ」
と仰ければ、伊曾保答へていはく、「われはこれ母の産みたる所にて育たり候」と申。その時しやんと、「か
れが返答は、たゞ魚の島をめぐるがごとし。さて、汝はなに事をか知り侍」と問はせ給へば、いそほ答云、
「なに事をも知り侍らぬ者にて候」と申。その時、しやんとかさねて仰せけるは、「人として物のわざなき事
あたはず。汝なにのゆへにかしわざなきや」と仰せければ、いそほ答へて云、「われなにをかなすと申べき。
その故は、件の兩人、あらゆるほどの事をば知るといへり。是に漏れて、われなにをか知り候べきや」と申。
その時、しやんといそほに問ひ給はく、「我汝を買い取るべし。汝におゐていかん」と仰ければ、いそほ答云、
「たゞ其事は其身の心にあるべし。いかでかそれがしに尋ね給ふぞ」と申。しやむと、かさねての給ふは、
「我汝を買ひ取るべし。その時逃げ去るべきや」と仰せければ、伊曾保答云、「われこの所を逃げ去らん時、
御邊の異見を受くべからず」と申。

 かやうに、さま〴〵けうがる答へどもし侍りければ、心寄せに思ひて、いささかの價に買ひ取り、かの商人
と行給ふに、ある關の前にて、かの伊曾保が姿を見て、「あやしの者や「ととゞめおきて、」これはたれの召
し具し給ふ物ぞ」と尋ねければ、しやんとも商人も、あまりにいそほが見にくき事を恥ぢて、「知らず。」と
答ふ。いそほこの由うけ給はり、「あなうれしの事や。われに主なし」といひて勇みあへる。その時、しやん
共商人も、「是はわが所從にて候」との給ひ、それよりしやんといそほを召つれ、わがもとへ歸り給也。

2 荷物を持つ事

 ある時、しやんと旅行におもむかせ給ふに、下人どもに荷物をあておこなふ。われも+ と輕き荷物をあら
そひ取りて、これをもつ。こゝに食物を入たるものありけり。その重きにおそれて、これを持つ物なし。「さ
らば」とて、いそほ辭するにをよばず、「なに事も殿の御奉公ならば」とて、これを持つ。その日の重荷、
「いそ保に過ぎたる者なし」と皆人いひけり。

 日數經て行くほどに、この食物をつねに用ゆ。かるがゆへに日に添へて輕くなりけり。果てには、いと輕き
荷物持ちてけり。「あつぱれ賢き心宛かな」とて、猜み給ふ人々ありけり。
3 柿を吐却する事

 ある時、しやんとのもとへ柿をおくる人ありけり。かの所從ら、此柿を食いつくして、伊曾保が臥したりけ
る懷に一つ二つをし入て、かれになん負せける。やゝあつて後、しやむとかの柿を請ひいださる。をの〳〵
「知らず」と答。しやむと、あやしみ尋ねければ、をの〳〵一口に申けるは、「その柿をばいそほこそ知り侍
らめ」といふ。「さらば」とて、いそ保を召しいだし、尋ね給ふに、案のごとく懷に柿あり。「あはや」とこ
れを糺明するに、いそ保申けるは、「罪科遁れがたく候。しかりとも、それがし申さん事を傍輩らにも仰つけ
させ給へかし」と申されければ、しやんとかれが望みをとげさせ給ふ。そのはかり事といつぱ、「をの〳〵傍
輩らを御前に召しいだされ、酒をくだされて侍るならば、吐却をせん事あるべし。その柿を吐却したらん者を、
それがしによらず、其科たるべし」と申。しやむとげにもと思ひて、其はかり事をなし給ふに、たな心をさす
がごとく、すこしもたがはず、かの柿をぬすみ食ひたる物ども、一度に吐却す。さるによりて、いそほは科な
く、傍輩どもは罪をかうむりける。伊曾ほが當座の機轉奇特とぞ、人々感じ給ひける。

4 農人の不審の事

 ある時、しやんと山野に逍遥して、いそほを召つれ給ふ。こゝに農人しやんとに尋ねて申。「それ天地の間
に生ずる所の草木を見るに、たゞ雨露のめぐみをもつて生長する事なし。此いはれいかに」と問ふ。しやんと
答云、「たゞ是天道のめぐみなり」との給ふ。その時、いそほあざ笑つていはく、「さやうの御答へは、あま
りをろかに候」と申ければ、「さらば」とてしやむと立ち返り、かの農人に告げ給はく、「先に答うる所、そ
の理にあたらず。我召し具し侍る物に答へさすべし」と仰ければ、農人かのいそほが姿を見て、「仰にては候
へ共、かゝるあやしの者の、いかほどの事をか答候べき」と申ければ、いそほ聞きて、「いかゞ、汝が云所道
理に漏れたり。答うる所外れずは、なんぞ姿の見にくきによらんや。されば、さきに問所はなはだもつてわき
まへやすし。汝繼子と實子を知るやいなや。それ人間の習として、實子をばこれを愛し、繼子をば是をうとん
ず。そのごとく、四大の中に生ずる、四大がために實子なり。人のたがやす田畠は、四大がために繼子なり。
人の繼子と實子をもつて、四大が親疎をわきまふなり」。

5 けだものの舌の事

 ある時、しやんと客來のみぎり、いそほに仰て、「汝世中に珍しき物をもとめきたれ」とありければ、いそ
ほけだ物の舌をのみ調侍りける。しやんとこれを見て、「世間の珍しき物にけだものの舌をもとむる事なに事
ぞ」と仰ければ、いそほ答云、「夫世中)のありさまを見るに、舌三寸のさえづりをもつて、現世は安穩にし
て、後生善所に到り候も、みな舌頭のわざなり。されば、諸肉の中におゐて、舌は一の珍しき物にあらずや」
と申。

 又ある時、「世間大一の惡物をもとめきたれ」とありければ、伊曾保又けだものの舌を調ふ。しやんとこれ
を見て、「これは世間大一珍しき物にてこそあれ、惡しき物とはなに事ぞ」と有ければ、伊曾保答云、「しば
らく世間の惡事を案じ候に、是禍門也。三寸の舌のさえづりをもつて、五尺の身を損じ候も、みな舌ゆへのし
わざにて候はずや」と申に、しやんとこの事領掌して、二つの返事を貴み給ふなり。

6 風呂の事

 ある時、しやんといそほに仰けるは、「風呂は廣きや、見て參れ」とありければ、かしこまつてまかり出、
其道におゐて、ある人いそほに行あふ。「汝いづくよりいづかたへ行くぞ」と問ひければ、「知らず」と答う。
かの人怒つていはく、「奇怪なり、いそ保。人の問ふに、さる返事する物や。召しいましめん」と議せられけ
れば、いそ保答云、「さればこそ、さやうに人にいましめられんことを知らざる事にて侍か」と申ければ、
「こさんなれ」とてゆるされける。

 その門のかたはらに、出入に障りする石あり。此石にてあまた足をくじき、あるひはうち裂くを、人これを
見て、「あやしの石や」とて、これを除く。いそほこれを見て、しやんとに申ける。「風呂には人一人にて候
と見え侍る」と申ければ、「さらば」とて、しやんと風呂に入らる。しかる所に、風呂に入ける人、いくらと
いふ、その數を知らず。しやんと、いそほを召して仰けるは、「汝なにのゆへをもつてか風呂には人一人とい
ひけるぞ」と問ひ給へば、いそほ答云、「先に風呂の門に、出入りに障りする石ありけり。人あまた是に惱ま
さるゝといへども、これを除く。それよりして出入り平案に候間、かの人一人と申候」と答へけるなり。
7 しやんと潮飮まんと契約候事

 ある時、しやんと酒に醉けるうちに、こゝかしこさまよふ所に、ある人しやんとを支へていはく、「御邊は
大海の潮を飮みつくし給はんやいなや」と問へば、やすく領掌す。かの人かさねていはく、「もし飮み給はず
は、なに事をかあたへ給ふべきや」といふ。しやむとのいはく、「もし飮み損ずるならば、わが一跡を御邊に
奉らん」と契約す。「あないみじ。此事たがへ給ふな」と申ければ、「いさゝかたがふ事あるべからず」とて、
わが家に歸り、前後を知らず醉ひ臥せり。

 醒めて後、いそほ申けるは、「今まではこの家の御主にてわたらせ給ひけれど、あすからはいかゞならせ給
ふべくや。その故は、さきに人と御契約なされしは、大海の潮を飮みつくし候べし。え飮み給はずは、わが一
跡をあたへんとの給ひてあるぞ」と申ければ、しやんとおどろきさはぎ、「こは誠に侍るや。なにとしてあの
潮を二口共飮み候べき。いかに+ 」とばかりなり。かくて有べきにもあらざられば、「此難を遁れまほしう
こそ侍れ」と、いくたびか伊曾保を頼給ふ。いそほ申けるは、「我譜代の所御ゆるし給はば、はかり事を教へ
奉るべき」と申。しやんと、「それこそやすき望みなれ。とく〳〵その計略を教へよ」と仰ければ、伊曾保答
云、「明日海へ出給はん時、まづ其相手にの給べきは、「我今この大海を飮みつくすべし。しからば、一々に
大海へ流れ入所の河を、こと〴〵く堰きとめ給へ」との給ふべし。しからば相手なにとか答候べきや。その時、
御あらがひも理運を開かせ給ふべけれ」と申ければ、「げにも」とよろこび給へり。

 すでにその日に臨みしかば、人々この由を傳へ聞きて、しやんとの果てを見んとて、海の邊に貴賎群集をな
す。その時、しやんと高所に走りあがり、かの相手を招き寄せ、いそほの教へけるごとく仰ければ、相手一言
の返答におよばず、あまつさへ、しやんとを師匠とあがめ奉りけり。

8 棺槨の文字の事

 ある時、しやんといそほを召しつれ、墓所を過ぎさせ給ふに、かたはらに棺槨あり。其めぐりに七つの文字
あり。一つにはよ、二つにはた、三つにはあ、四つにはほ、五にはみ、六つにはこ、七つにはを、是也。いそ
ほしやんとに申けるは、「殿は智者にてわたらせ給へば、この文字の心を知らせ給ふや」といふ。しやむと、
「是は古の字なり。世隔たり時移つて、今の人たやすく知る事なし」と仰ければ、いそ保あざ笑つていはく、
「此文字の心を■あらはすにおゐては、いかばかりの御褒美にかあづからん」と申ければ、しやんと答云、
「此心をあらはすにおゐては、譜代の所をさしをくべし。しかのみならず、もしこの文字の下にあらん物、半
分をあたへん」となり。伊曾保申けるは、「第一によとは、四つといふ儀なり。二にたとは、たからといふ儀
なり。三にあとは、有べしと書く儀なり。四に保とは、掘るべしと云儀なり。五にみとは、身に付べからずと
云義也。六にことは、こがねと云儀なり。七にをとは、おくと云儀なり」と讀て、その下を掘りて見れば、文
字のごとくあまたの黄金ありけり。しやんと、これを見て欲念おこり、伊曾保に約束のごとくあたへず。

 なをその下を掘りて見れば、四方なる石に五つの文字あらはれたり。一つにはを、二つにはこ、三つにはみ、
四つにはて、五つにはわ、これなり。いそほ是を見て、しやんとに申けるは、「この黄金をみだりに取り給ふ
べからず。そのゆへは此文字にあらはれ、大一をとは、おくといふ儀なり。大二ことは、こがねといふ儀なり。
大三みとは、見つくると云儀なり。大四てとは、帝王といふ儀なり。大五わとは、渡し奉るべしといふ儀なり。
しからば、その金をほしゐまゝに取り給ふべからず」と云。その時、しやんと仰天して、ひそかにいそほを近
づけ、「この事他人に漏らすべからず」とて、かね半分をあたへける。いそ保石にむかつて禮をする。そのゆ
へは、「このかねをばさきに給はるまじきとさだめ給へど、この文字故にこそ給はりつれ」とて、石と文字と
を禮拜す。又、伊曾保申けるは、「此寶を取り出すにおいては、譜代の所を赦免あるべしと堅く契約ありけれ
ば、今より後は、御ゆるしなしとても、御譜代の所をばゆるされ申べし」といひけるなり。

9 さんの法事の事

 ある時、その里にて大法事を執行ことありけり。よつて、在所の老若男女袖をつらねてこれを聽聞す。然所
に、さむの守護、よそほひゆゝしくして、めでたうおはしける所に、鷲一つ飛びきたりて、かの守護のゆびが
ねを掴み取りて、いづく共なく飛び去りぬ。これによつて、法事興さめて、諸人あやしみをなせり。「是たゞ
ことにてあるべからず。しやんとに迎い奉る」と人々申あへり。守護識よりしやんとのもとに使者を立てて、
法事の庭に召し請、「此事いかに」と問ひ給へば、庭に竝み居たる人々も、これを聞かんと頭をうなたれ、耳
をそばだてて、荒き息をもせず。四方しづまつて後、しやんと物知り顏にうち案じて、「これいみじき御大事
にて候へ。たやすく申べき事にあらず。日數經てしづかに勘へ奉り、後日にこそ申べけれ」とて立たれければ、
人々その日をさだめて退散せり。

 しやんと、それよりわが屋に歸りて、日夜これを安ずるに、更になに事共わきまへず。いたづらに工夫を費
やすのみなり。伊曾保この由を見て、「殿は何事を御案じ給ふぞ」と申ければ、しやむとのいはく、「この事
をこそ案じけれ」とも、件の字の子細を初め終り語給へば、いそほ申けるは、「げにもこれはもつての外に知
りがたき事にて候。たゞ、それがしを各々の前に召し出され、其子細を問給ふべし。其故は、我下人の身とし
て、申あやまち候へばとて、させる恥辱にもあらず。殿の仰をあやまたせ給はば、もつての外御恥辱たるべ
し」と申ければ、「げにも」とて、その日に臨んで儀定の庭に召出しければ、人々「あやしの物の帶佩や」と
て笑ひざゞめきあへり。しかりといへども、伊曾保少も臆せずその所をまかり過ぎ、高座にのぼりて申けるは、
「我姿のおかしげなるをあやしめ給ふや。それ君子は、いやしきにおれども、いやしからず。■袍を着ても恥
ぢず。なんぞ姿のよしあしによらんや。道理こそ聞かまほしけれ」といひければ、人々げにもと感じあへり。

 やゝあつて後、いそほいひけるは、「我はこれしやんとの下臈なり。人々召使はるゝ物の習ひとて、その主
の前におゐて物いふ事すみやかならず」といひければ、人々げにもと合點して、しやんとにむかひて申されけ
るは、「いそほ申所、道理至極なり。此上は譜代の所をゆるし給ひ、その子細をいはせ給へかし」と申されけ
れば、しやんと少しも服膺せず。守護人此由を聞きて、「惜しみ給ふ所もことはりなれども、この子細を聞か
んにおゐては、なに事をか報ずべきや。もし人なくは代りをこそ參らすべけれ」と云ければ、しやんと惜しむ
におよばず領掌せらる。さるによつて、群集の中におゐて、「今より以後、伊曾保はわが譜代にあらず」と申
されければ、いそほかさねて申けるは、「此日比心地ち)惡しき事あつて、其聲高く出給ふべからず。聲能人
に仰て、譜代の赦免をゆるすと高くよばゝらせ給へ」と望みければ、いそ保が云ごとくよばゝりけり。

 やゝあつて後、いそほ高座の上より云けるは、「鷲守護の御ゆびがねを奪い候事は、鷲は諸鳥の王たり。守
護は王に勝つ事なし。いか樣にも他國の王よりこの國の守護を進退せさせ給ふべきや」と云ける。

10 りいひやより勅使の事

 去程に、いそほが申せしごとく、りいひやの國王けれそと申御門より、さんに勅使を立て給はく、「その所
より年ごとに御調物を奉るべし。しからずは、武士に仰て攻めほろぼさせ給ふべし」との勅定なり。これによ
つて、地下の年寄以下評定し給ひけるは、「その攻めをかうむらんよりは、しかじ、御調物を奉るべし」とな
り。「去ながら、いそ保に尋ねよ」とて、この由を語ければ、いそほ申けるは、「それ人の習ひ、其身を自由
にをかんも、人に從はんも、ただその望みにまかするものなり」と云ければ、げにもとて勅定を背かす。勅使
歸つてこの由を奏聞す。御門そのゆへを問はせ給ふに、勅使申けるは、「かの所にいそほといふ者あり。才智
世にすぐれ、思案人に超えたる者にて候。此所を從へ候はんにおゐては、まづ此者を召しをかるべし」と申け
れば、もつともと叡感あつて、さだめてさんに勅使を下さる。「御調物をばゆるし給ふべし。伊曾保を御門へ
參らせよ」との勅定なり。地下の人々訴訟していはく、「さらば、いそほを參らせん」となり。

 い曾保この由を聞きて、たとへをもつていひけるは、「昔狼一つの羊を服せんとす。羊この由をさとつて、
あまたの犬を引き語らふ。これに、狼、羊を犯す事なし。狼のはかり事に、「今よりして犬を犯す事あるべか
らず。犬をわれにあたへよ」と云。羊、「さらば」とて犬を狼につかはす。狼先此犬をほろぼして後、終に羊
を食いてけり。その國の王をほろぼさむとては、まづ忠臣を招くものなり」といひて、つゐに勅使に具せられ
てりいひやの國に到りぬ。

11 いそほりいひやに行く事

 さる程に、伊曾保りいひやの國にまかりのぼり、勅使と共に參内す。御門この由叡覽あつて、「あやしの物
の帶佩やな。かゝるみにくき物の下知によつて、さんの者ども我命を背きけるや」と逆鱗ある事輕からず。す
でにいそほが一命もあやうく見え侍りければ、いそ保叡慮を察して言上しけるは、「我に片時のいとまをた
べ」と申ければ、「しばらく」とて御ゆるされをかうむる。その時、いそ保申けるは、「ある人、螽を取つて
殺さむとて行きける道にて、蝉を殺さんとす。蝉愁いていはく、「我罪なうしていましめをかうぶり、五穀に
わざもなさず、人に障りする事なし。夏山の葉隱れには、わがすさまじき癖あらはしぬれば、暑き日影も忘れ
井の慰めぐさと成侍れ。甲斐なく命を果たされ給はん事、歎きてもなをあまりあり」と申ければ、「げにも」
とてたちまち赦免す。其ごとく、わが姿かたちはおかしげに侍れど、わが教へに從ふ所は、國土平安にして、
萬民すなほに富み榮へて、善をもつぱらに教ゆる者にてこそ侍れ。蝉とわれとそのたがはず」と申ければ、御
門大きに叡感あつて、「さらば」とて勅勘を赦免なされ、「此上は、汝が心に望む事あらば、奏聞申せ」と仰
ければ、いそほ謹(つ)しんで申あげけるは、「われにことなる望なし。われさんに年久敷あつて、人の下臈
にて侍りけるを、所の人々申ゆるされ、獨身とまかなりて、心やすく侍りき。その恩を報じがたく候へば、か
の所より奉るべき物をゆるさせ給へかし」といひければ、御門この由叡覽あつて、かれが望みを達せんため、
さんの御調物をゆるされけり。

12 伊曾保りいひやに居所を作る事

 いそほりいひやに居所せしむ。その御赦免を報ぜんがために、一七日にこの書を集め、奉る。御門叡覽あつ
て、誠に不思議の思ひをなし給へり。「かゝる才人世にあるまじ」とて、あまたの祿をくだされける。いそほ、
此たまものを船に積み、さんへ二たび下にけり。さむの人々此由を聞きて、伊曾保を迎へんとて、樓船を飾り、
舞樂を奏し、海中の魚鱗もおどろくばかり、ざゞめきあへり。

 去程に、いそほはほどなくさんに付て、高きいやしき擇ばず召しいだし、其身は高座にのぼり、「いかに
人々聞給へ。われこの年月此所にあつて、面々の御あわれみをかうむる事かぎりなし。しかのみならず、人の
譜代たりし物を請いゆるされてける事に至るまで、この所の御恩にあらずと云事なし。しかるを、不慮の災禍
によつて、りいひやの國王より御調物をゆるし給ふこと、これわが才智のなす所なり。これにあらずんば、い
かでか御恩を報ずべけんや。是もひとへに天道の御めぐみにてこそ候へ」と語ければ、その守護人を初めとし
て、よろこびあへる事かぎりなし。それよりして、さんの事は申におよばず、あたり近き國里までも、いよ〳
〵いそほを貴みあへりけり。

13 商人かねをおとす公事の事

 ある商人、さんにおゐて三貫目の銀子をおとすによつて、札を立ててこれをもとむ。その札にいはく、「此
かねを拾ひける者のあるにおゐては、我に得させよ。その褒美として三分一をあたへん」となり。然に、ある
者是を拾ふ。我家に歸り、妻子に語つていはく、「われ貧苦の身として、汝等を養ふべき財なし。天道これを
照覽あつて、給はるや」とよろこぶ事かぎりなし。しかりといへども、この札のおもてを聞きていふやう、
「その主すでに分明なり。道理を枉げんもさすがなれば、この銀を主へ返し、三分一を得てまし」といひ、か
の主がもとへ行て、そのありやうを語る所に、主俄に欲念おこつて、褒美のかねを難澁せしめんがため、「わ
がかねすでに四貫目ありき。持ちきたれるところは三貫目なり。そのまゝおき、汝はまかり歸れ」といふ。か
の者愁へていはく、「我正直をあらはすといへども、御邊は無理をの給ふ也。詮ずる所、守護識に出て、理非
を決斷せん」といふ。

 さるによつて、二人ながら糺明の庭にまかり出る。かれとこれとあらそふ所決しがたし。かの主、誓斷をも
つて「四貫目ありき」と云。かの者は、「三貫目ありき」と云。奉行も理非を決しかねて、いそ保に「紀明し
給へ」と云。伊曾保聞きていはく、「本主の云所明白なり。しかのみならず、誓斷あり。眞實これに過ぐべか
らず。しかれば、此かねは、かの主のかねにてはあるべからず。其故は、おとす所のかねは三貫目なり。拾ひ
たる物に、これをたまはりて歸れ」とのたまひければ、その時本の主をどろきさはぎ、「今はなにをかつゝむ
べき。此かねすでにわがかねなり。褒美の所を難澁せしめんがため、私曲を構へ申なり。あはれ三分一をばか
れにあたへ、殘りをわれにたべかし」と云ふ。その時、いそ保笑つていはく、「汝が欲念亂れがはし。今より
以後は停止せしめよ。さらば汝につかはす。」とて、三分二をば主に返し、三分一を拾ひ手にあたう。その時、
袋を開いて見れば、日記即ち三貫目なり。「前代未聞の檢斷なり」と人々感じ給ひけり。

14 中間とさぶらひと馬をあらそふ事

 ある中間、主人の馬に乘りて、はるかの餘所へおもむく所に、さぶらひ一人行あひ、則怒つて云、「我侍の
身としてかちにて行くに、汝は人の所從なり。その馬よりおりて、我を乘せよ。しからずは、細首斬つて捨て
ん」といふ。中間心に思ふやう、「此途中にて訴うべき人なし。とかく難澁せば、頭を刎ねられん事疑ひな
し」。是非にをよばず、馬よりおりけり。侍わが物顏にうち乘(っ)て、かれを召つれ行くほどに、さんとい
ふ所に難なく着きける。中間そこにてのゝしるやう、「わが主人の馬なり。返し給へ」と云。侍馬に乘ながら、
「狼藉なり。二たび其聲のゝしるにおゐては、運氣を刎ねん」といひければ、中間いんともせずして、その所
の守護識に行きて、この由を訴う。

 去によつて、守護より武士をつかはし、かの侍を召し具しけり。かれとこれとあらそう所決しがたし。守護
に理非を分けかねて、伊曾保をよびて檢斷せしむ。いそ保これを聞きて、まづ中間を語らうてひそかに云、
「かのさぶらひ糺明せん時、汝あはてゝ物いふ事なかれ」といましめらる。中間謹しんでかしこまる時に、伊
曾保のはかり事に、うはぎを脱いでかの馬のつらに投げかけ、さぶらひに問ひけるは、「此馬のまなこ、いづ
れかつぶれけるか」と問。侍返事に堪へかねて、思安する事千萬なり。思ひわびて、「左の目こそつぶれた
る」と申。其時うはぎを引きのけて見れば、兩眼誠にあきらかなり。これによつて、馬をば中間にあたへ、か
のさぶらひをば恥ぢしめて、時の是非をば分けられけり。

15 長者と他國の商人の事

 さる程に、さんといふ所にならびなき長者ありけり。外には正直をあらはすといへ共、内心すでに●曲なり。
ある時、片田舍の商人、銀子十貫目持ち來て、此長者を頼けるは、「我此所よりえしつに到りぬ。遠路の財寶
あやうければ、預け奉らん」と云。長者たやすく預かりける。

 この商人、ゑしつより歸りて、この銀子を請ふ。長者あらがひて云、「我汝が銀を預かる事なし。證跡ある
や」と問((とふ))。商人、いかんと申事なくして、いそほのもとへ行て、この由を歎きければ、伊曾保教
へて云、「その人は、この所にて譽ある長者なり。證據はなければ、糺明しがたし。汝に計略を教へん。その
ごとし給へ」と教へければ、商人謹しんで承。その計略にいはく、「一尺四方の箱一つこしらへ、上をばうつ
くしく作り飾りて、中には石多く入て、汝が國の人に持たせて、これを玉ぞと僞つて、かの長者のもとへ預け
させよ。その時に臨んで、汝かのかねを請ゑ。玉を預からんがため、銀子をば汝に返すべし。」商人是をこし
らへて、いそほの教へのごとく、同國の者に持たせ、かの長者の所へ行きて、これを預くる。其時商人かねを
請う。案のごとく、かの玉を預からんがために、商人にいふやう、「いかなれば御邊はかねを取り給はぬぞ。
これこそおことのかねぞ」とて、もとの銀子をあたへてけり。そのゆへは、「此箱の内の明珠、十貫目の南鐐
よりそくばくまさるべし」と思ふによつてなり。則、箱一つ預けてかねをば取りて歸りけり。「あはれ賢き教
へかな」とて、讚めぬ人こそなかりけり。

16 いそほと二人の侍夢物語の事

 ある時、さんといふ所のさぶらひ二人、いそほを誘引して、夏の暑さをしのがんため、涼しき所をもとめて
到りぬ。その所に着ゐて、三人さだめていはく、「こゝによき肴一種有。空しく食はんもさすがなれば、しば
らくこの臺にまどろみて、よき夢見たらん物此肴を食はん」となり。さるによつて、三人同枕に臥しけり。二
人のさぶらひは、前後も知らず寢入りければ、いそほはすこしもまどろまず、あるすきまをうかゞいてひそか
に起きあがり、此肴を食いつくして、又同ごとくにまどろみけり。

 しばらくありて後、ひとりの侍起きあがり、今一人をおこしていはく、「それがしすでに夢をかうむる。そ
のゆへは、天人二體天降らせ給ひ、われを召し具して、あまの快樂をかうむると見し」といふ。今一人が云や
う、「我夢はなはだ是にことなり。天朝二體我を介錯して、ゐんへる野へ到りぬと見る」。其時兩人僉議して
かの伊曾保をおこしければ、寢入らぬいそほが、夢の覺めたる心地しておどろく氣色に申やう、「御邊たちは、
いかにしてか此所にきたり給ふぞ。さも不審なる」と申ければ、兩人の物あざ笑つて云、「いそ保は何事をの
給ふぞ。我この所を去事なし。御邊と友にまどろみけり。わが夢はさだまりぬ。御邊の夢はいかに」と問。伊
曾保答云、「御邊は天に到り給ぬ。今一人はゐんへる野へ落ちぬ。二人ながらこの界にきたる事あるべからず。
然ば、肴をおきてはなにかはせんと思ひて、それがしこと〴〵く給はりぬと夢に見侍る」といひて、かの肴の
入物をあけて見れば、いひしごとくに少も殘さず。その時、ふたりの者笑ひていはく、「かのいそほの才覺は、
ぐわんのうかがふところにあらず」と、いよ〳〵敬ひ侍るべし。

17 いそほ諸國をめぐる事

 去程に、いそほはそれより諸國をめぐりあるきけるに、はひらうにやの國りくるすと申帝王、これを愛し給
ふ事かぎりなし。國王のもてなし給ふ上は、百官卿相を始として、あやしの者に至るまでも、これをもてなす
事かぎりなし。

 その此の習ひとして、餘の國の帝王より種々の不審をかけあはせ給ふに、もしその不審を啓かせ給はねば、
其返報に寶祿を奉る。しかのみならず、不審を啓かせ給はぬ帝王をば、ひとへにその臣下のごとし。これによ
つて、諸國の不審區なり。然に、はひらうにやの帝王へかけさせ給ふ不審啓かせ給はぬ事なし。是ひとへにい
そ保が才學とぞ見えける。又、はひらうにやより餘の國へかけ給ふ不審は、い曾保がかけ給ふ不審なれば、一
つも啓かせ玉ふ國王なし。その返報として、あまたの財寶を取らせ給。そのめぐみによりて、いそほもめでた
く榮へける事限なし。才智は是朽ちせぬ財とぞ見えける。

18 伊曾保養子をさだむる事
 さるほどに、いそほいみじく榮へけれ共、年たけ齡おとろゆるに至るまで實子なし。さるによつて、えうぬ
すといふさぶらひを養ひて、わが跡を繼がせん。

 ある時、えうぬす大きなる罪科ありけり。心に思ふやう、「此事いそ保知らるゝならば、たちまち國王へ奏
聞して、いかなる流罪にかおこなはれん」と思、「詮ずる所、たゞ伊そ保を失はばや」と思ふ心出來て、謀書
を調へ、「我親いそ保こそりくうるすの帝王に心を合はせ、すでに敵とまかりなり候」と奏しけれ共、御門敢
へて信じ給はず。かるがゆへに、えうぬす二たび謀書を作りて、叡覽に備ふ。御門此由御覽あつて、「さては
疑ふ所なし。急ぎ誅せん」とて、ゑりみほといふ臣下に仰せて、いそほを誅すべき由綸言ある。

 ゑりみほ勅定の旨を承て、いそほの館へ押し寄せ、則い曾保を搦め取つて、すでに誅せんとしたりけるが、
よく〳〵心に思やう、「世に隱れなき才仁を失はんも心憂し。たとひわが命は捨つるとも、助けばや」と思ひ、
かたはらに古き棺槨ありけるにいそほをおし入て、わが宿に歸り、身をきよめ、急ぎ内裏へ馳せ參(っ)て、
「い曾ほこそ誅つかまつりて候」と申上ければ、御門もいとゞ御涙に咽ばせ給ひ、惜しませ給ふも御ことはり
とぞ見えける。

19 ねたなを帝王不審の事

 さるほどに、いそほ誅せられける由隱れなし。これによつて、諸國より不審をかくる事ひまもなし。中にも
えしつとの國、ねたなをと申御門よりかけさせ給ふ御不審にいはく、「我虚空に一つの殿閣を建てむとす。其
建てやう以下を示し給へ。御工匠によつて殿閣たちまち造畢せば、あまたの寶を奉り、その上年々に御調物を
參らすべし。すみやかに此不審を啓き給へ」と書き止め給ふ。御門此由叡覽あつて、、百官卿相、その外才智
學藝にたづさはる程の者どもを召出され、「この事いかゞ」と問ひ給へ共、少も不審を啓くことなし。是によ
つて、御門御無興の御事とぞ聞えける。上下萬民の人々、竝み居て歎き悲しみあへり。主上御悲しみの餘にの
給ひけるは、「さてもいそほを失ひ給事、我なすわざといひながら、ひとへにわが國のほろびなん基」とぞの
たまひける。「もしこの不審を啓かずは、後日の恥辱量りがたし。いかに+ 」と計にて、兩眼より御涙がち
にて渡らせ給ふ。

20 ゑりみほ伊曾保が事を奏聞の事

 ある時、ゑりみほひそかに奏聞申けるは、「御歎きを見奉るに、御命もあやうく見えさせ侍る也。今はなに
をかつゝみ申べき。いそ保誅すべき由仰付られ候時、あまりに惜しく存、公の私をもつて、今まで助けをきて
候。違勅の物を助けをく事、かへつてわが罪も輕からず候へども、かゝる不審も出來ならば、國中の障り共な
りなんとおほせ侍れば、助けてこそ候へ」と申侍れば、御門なのめならずによろこばせ給ひ、「こは誠にて侍
るや。とく〳〵かれを參らせよ」とて、かへつて御感にあづかりし上は、敢へて勅勘の沙汰すこしもなし。

 これによつて、急ぎいそほを召返さる。伊曾保則參内して、御前にかしこまる。御門此由叡覽あるに、久し
く篭居せし故、いとゞ姿もやつれ果て、おかしといふもをろかなるさまなり。御門臣下に仰つけられ、「いそ
ほをよきにいたはり侍るべし」とのたまへば、人々いやましにぞもてなされける。その後、御門いそ保を召し
て、かの不審を「いかに」と仰ければ、「いとやすき不審にてこそ候へ。いかさまにも是より御返事あるべき
由、仰返させ給ふべし」と奏しける。申がごとくせさせ給ふ。

 去程に、いそ保を召なをされける上は、かのえうぬすが罪科遁れずして、かれを、死罪におこなはれんとの
勅定なり。然所に、いそほ支へ申けるは、「とても我をあはれみ給ふ上は、かれをも御ゆるされをかうむりた
くこそ候へ。かの物に諌めをなさば、惡心たちまち飜りて、忠臣となさん事疑ひなし」と奏しければ、「とも
かくも」とてゆるされけり。

伊曾保物語上終

伊曾保物語中

1 いそほ子息に異見の條々
一 汝此事をよく聞べし。他人に能道を教ゆるといへども、わが身に保たざることあり。

二 それ人間のありさまは、夢幻のごとし。しかのみならず、わづかなるこの身を助けんがため、やゝもすれ
ば惡道には入やすく、善人には入りがたし。事にふれてわが身のはかなき事をかへりみるべし。

三 つねに天道を敬ひ、事ごとに天命ををそれ奉るべし。

四 君に二心なく、忠節をつくすまゝに、命を惜しまず、眞心に仕へ奉るべし。

五 夫人として法度を守らざれば、たゞ畜類にことならず。ほしゐまゝの惡道を修せば、則天罸を受けん事、
踵をめぐらすべからず。

六 難儀出で來ん時、廣き心をもつて其難を忍ぶべし。しかれば、たちまち自在の功徳となつて、善人に至る
べし。

七 人として重からざる時は威なし。敵必これをあなどる。しかりといへども、したしき人には輕く柔かにむ
かふべし。

八 我妻女につねに諌めをなすべし。すべて女は邪路に入やすく、能道には入りがたし。

九 慳貪放逸の者にともなふ事なかれ。

十 惡人の威勢をうらやむ事なかれ。ゆへいかにとなれば、のぼる物はつゐには下る物なり。

十一 我言葉を少なくして、他人の語を聞くべし。

十二  つねにわが口に能道の轡を銜むべし。ことに酒宴の座につらなる時、物いふ事を愼しむべし。ゆへい
かんとなれば、酒宴の習ひ、よきことばを退けて狂言綺語を用ゆるものなり。

十三 能道を學する時、その憚りをかへりみざれ。習ひ終れば君子となるものなり。

十四 權威をもつて人を從へんよりは、しかじ、柔かにして人になつかしんぜられよ。

十五 祕す事を女に知らすべからず。女は心はかなうして、外に漏らしやすき物なり。それによつて、たちま
ち大事も出できたれ。

十六 汝乞食非人をいやしむる事なかれ。かへつて慈悲心ををこさば、天帝の助けに預べし。

十七 事の後に千萬悔ゐんよりは、しかじ、事のさきに一たび案ぜよ。

十八 極惡の人に教化をなす事なかれ。まなこを愁うる者のためには、ひとりかへつて障りとなるがごとし。

十九 病を治するには藥をもつてす。人の心のまがれるをなをすには、能教へをもつてするなり。

廿 老者の異見を輕しむる事なかれ。老いたる者は、その事、我身にほだされてなり。汝も年老い齡かさなる
に從つて、其事たちまち出來すべし。

2 ゑしつとの帝王より不審の返答の事

 去程に、いそほかのはかり事に巧みけるは、きりほといふ大なる鳥を四つ生きながら取つて、その足に篭を
結いつけ、その中に童子一人づゝ入おき、其鳥の衣食を持たせ、餌食をあぐる時は飛びあがり、さぐる時は飛
びさがるやうにして、以上四つこしらへたり。是をこゝろむるにつゝがなし。此由を奏聞すれば、御門大きに
御感あり。さらばとてゑしつとに到りぬ。ゑしつとの人々、いそほが姿のおかしげなるを見て、笑ひあざける
事かぎりなし。されども、いそ保少も憚る氣色もなく庭上にかしこまる。國王此由叡覽あつて、「はひらうに
やの御使は、御邊にて侍るか。虚空に殿閣立べきとの不審はいかに」とのたまへば、「承候」とてわが屋に歸
りぬ。

 されば、此事風聞して、都鄙なんきやうの者共是を見んとて都にのぼりぬ。その日に臨んで、かのきりほを
こしらへ、庭上に据へ、「所はいづくぞ」と申ければ、「あの邊こそよかんめれ」と仰ければ、その邊にさし
放す。四つの鳥四所に立ちてひらめきける所に、篭の中よりわらべの聲としてよばゝりけるは、「この所に殿
閣を建てん事やすし。早く土と石を運びあげ給へ」とのゝしりければ、御門を始め奉り、月卿雲客、女房達に
至るまで、「げにことはりなる返答かな」とあきれ果ててぞおはしける。御門此由叡覽あつて、「いと賢き謀
かな」とて、いそ保を貴み給ふ。「けふよりして我師たるべし」とさだめ給ひけるとぞ。

3 ねたなを伊曾保に尋給ふ不審の事

 ねたなを帝王、いそ保に問給はく、「けれしやの國の駒いな鳴時は、當國の■驛胎む事あり。いかん」との
給へば、いそ保申けるは、「たやすく答がたふ候。いかさまにも明日こそ奏すべけれ」とて、御前をまかり立
つ。

 伊曾ほ、その夜猫を打擲す。所の人これをあやしむ。そのゆへは、かの國には天道を知らず、猫をおもてと
敬ひける。かるが故に、これを奏聞に達す。御門この由きこし召ていそほを召し出され、「汝なにによつてか
猫を打つや」との給へば、いそほ答云、「今夜この猫、我國の庭鳥を食ひ殺し候程に、さてこそいましめて候
へ」と申ければ、「いかでかさる事のあるべき。當國とその國とは、はるかにほど遠き所なれば、一夜がうち
に行かん事いかに」との給へば、いそほ申けるは、「けれしやの國の駒いななきける時、當國の■驛胎む事あ
り。そのごとく、當國の猫もわが國の庭鳥をも■らひ候」と申ければ、「げにも」とのたまひけり。

4 伊曾保帝王に答る物語の事

 去ほどに、ねたなを國王いそ保を語らひ、よな〳〵昔今の物語どもし給ふ。ある夜、伊曾ほ、夜ふけて、や
ゝもすれば眠りがちなり。「奇怪なり。語れ+ 」と責め給へば、いそ保謹しんで承、叡聞に備へて云、「近
き比、ある人千五百疋の羊を飼ふ。其道に河あり。底深くして、かちにて渡る事かなはず。つねに大船をもつ
てこれを渡る。有時、俄に歸りけるに、船をもとむるによしなし。いかん共せんかたなくして、こゝかしこ尋
ねありきければ、小舟一艘汀にあり。又ふたりとも乘るべき舟にもあらず。羊一疋我とともに乘りて渡る。殘
りの羊、數多ければ、そのひまいくばくの費へぞや」といひて、又眠る。

 その時、國王逆鱗あつて、いそ保を諌め給ふ。「汝が睡眠狼藉也。語果たせ」と綸言あれば、いそほおそれ
+ 申けるは、「千五百疋の羊を小舟にて一疋づつ渡せば、その時刻いくばくかあらん。その間に眠り候」と
申ければ、國王大きに叡感あつて、「汝が才覺量りがたし」。「御さんあれ」とていとまを請ふ。おかしくも
又感情も深かりけり。

5 學匠不審の事

 去程に、ねたなを帝王、國中の道俗學者を召寄せ、「汝らが心におゐて思ふ不審あらば、此いそ保に尋よ」
との給へば、ある人進み出て申けるは、「ある伽藍の中に柱一本あり。其柱の上に十二の里あり。その里の棟
木卅あり。かの一つの柱、■驛二疋つねにのぼり下る事いかん」。伊曾ほ答云、「いとやすき事にて候。われ
らが國には、おさなき者までも是を知る事に候。ゆへいかんとなれば、大伽藍とはこの界の事なり。一本の柱
とは一年の事なり。十二里とは十二か月の事なり。三十の棟木とは卅日の事なり。二疋の■驛とは日夜の事な
り」と申ければ、かさねて「いな」と云事なし。

 ある時、御門を始め奉り、月卿雲客袖をつらね、殿上に竝み居給ふ中におゐて、御門仰けるは、「天地開け
始めてよりこのかた、見もせず聞きもせぬ物いかん」とのたまへば、いそほ申けるは、「いかさまにも明日こ
そ御返事申べけれ」とて、御前をまかり立つ。さて、其日に臨んで、いそ保參内申ければ、人々これを聞かん
とてさしつどひ給へり。その時、いそ保懷より小文一つ取りいだし、「今日こそわが國へまかり歸る」とて奉
りければ、御門開ひて叡覽あるに、「それりくうるすといふけれしやの帝王より、三十萬貫を借り候所、實正
明白なり」とありければ、御門大きにおどろかせ給ひ、「われ此事を知らず。汝は知るや」と仰ければ、をの
〳〵口をそろへて、「見た事も聞き奉る事もなし」といひければ、その時いそほいひけるは、「さてはきのふ
の御不審は啓けて候」といひければ、人々「げにも」とぞ云ける。
6 さぶらひ鵜鷹にすく事

 去程に、えしつとの國のさぶらひ共、鵜鷹逍遥を好む事はなはだし。國王是を諌め給へ共、勅命をもおそれ
ずこれに長ず。御門いそほに仰けるは、「臣下殿上にまかり出でん時、此費へを語り候へかし」とありければ、
かしこまつて承る。折節官人伺候のみぎり、申いだし給ふやうは、「我國に損人をなをす醫師あり。その養性
といふは、器に泥を入れて、その病人をつけ浸す事日久し。ある病者やうやく十に九つなをりける時、外に出
でんとすれども、これを制して、門外を出ず、その内を慰みありきける折節、あるさぶらひ馬上に鷹を据へ、
十人に犬牽かせて通りけるを、かの住人走り出、馬の■に取り付き、支へて申けるやうは、「此乘り給ふ物は
なに物ぞ」侍答云)、「是は馬といひて、人の歩みを助くるものなり」「手に据ゑさせ給ふはなに物ぞ」と問
ふ。「これは鷹といひて、鳥を取る物なり」「跡に牽かせ給ふはなにものぞ」「これは犬とて、この鷹の鳥を
取る時、下狩する物なり」といふ。住人安じて云、「其費へいくばくぞや」侍答云)、「毎年百貫あてなり」
といふ。「その徳いかほどあるぞ」と問。侍答云)、「五貫三貫の間」といふ。住人笑つていはく、「御邊こ
の所を早く過ぎさせ給へ。この内の醫者は狂人を治す人なり。もしこの醫者の聞かるゝならば、御邊を取つて
泥の中へをし入らるべし。そのゆへは、百貫の損をして五三貫の徳ある事を好む人は、たゞ狂人にことなら
ず」といふ。さぶらひげにもとや思ひけん、それよりして鵜鷹の逍遥をやめ侍りける」とぞ申ける。此物語を
聞きける人々、げにもとや思はれけん、鵜鷹のの藝をやめけるとぞ。

7 伊曾保人に請ぜらるゝ事

 えしつの都にやんごとなき學匠ありけり。顏かたち見ぐるしき事、いそほにまさりてみにくゝ侍れど、をの
れが身の上は知らず、いそほが姿の惡しきを見て笑ひなんどす。

 ある時、わざと金銀綾羅をもつて座敷を飾り、玉を磨きたるごとくにして、山海の珍物を調へ、いそほをな
ん請じける。伊曾保この座敷のいみじきありさまを見ていはく、「かほどにすぐれて見事なる座敷、世にあら
じ」と讚めて、なにとか思ひけん、かの主のそばへつゝと寄り、顏と唾を吐きかけけるに、主怒つて云、「こ
はいかなる事ぞ」と咎めければ、いそ保答云、「我この程心地惡しきことあり。然に、唾を吐かんとてこゝか
しこを見れ共、誠に美々しく飾られける座敷なれば、いづくにおゐても、御邊の顏にまさりてきたなき所なけ
れば、かく唾を吐き侍る」といへば、主答へて、「さてもかのいそ保にまさりて才智利性の人あらじ」と笑ひ
語りけり。

8 いそほ夫婦の中なをしの事

 ゑしつとのうち、かさといふ在所に、のとといへる人のありけり。是は富み榮へて侍れども、其妻のかたは
貧しくして、たよりなき父母を持ちて侍りき。かの妻、もとより腹惡しくて、つねに夫の氣に逆へり。

 ある時、夫に隱れ親のかたへ歸りぬ。其時夫歎き慕ふ事かぎりなし。人をやりてよべども、かつていらへも
せず。男あまりの悲しさに、伊曾保を請じてありのまゝを語、「いかにとしてよび返さんや」と問ひければ、
いそ保、「是いとやすき事なり。けふのうちによび返すべき謀を教へ奉らん。」といふ。その謀に、まづおと
づれ物に色々の鳥けだ物を荷はせて、妻のありしもとに行きていふやう、「我頼みたる人けふ女房を迎へられ
けるが、砂糖なし。もし此家にあるか」と問へば、妻これを聞きて、「すはや」とおどろきさはぎて、「われ
を捨てて餘の妻をよぶ事無念なり」とて、そのまゝ男のかたへ走り行て、「なんぞ御邊はことなる妻をよぶと
や。ゆめ〳〵その儀かなはじ」などと怒りければ、男笑つていはく、「けふ汝歸らるべしと思ひ侍れば、その
よろこびのために、かく珍しき物を買いもとむる」といひて、又いはく、「このはかり事はいそほの才覺な
り」とぞよろこびける。

 それよりいそほは、えしつとの御門の御暇を給はりて本國へ歸りける時、御約束の寶祿をも取りて致れる。
これによつて、御門大きに御感あり。その外、ゑしつとにてなしける所のことはりども、こま〴〵と語りけれ
ば、「誠にこのいそほはたゞ人ともおぼえぬ者かな」と、人々申あへりけり。

9 伊曾保臨終におゐて鼠蛙のたとへをいひて終る事

 去程に、いそ保りくうるす帝王にも御いとまをたまはつて、諸國修行とぞ心ざしける。こゝにけれしやの國
に到り、諸人によき道を教へければ、人々貴みあへり。又その國のかたはら、てるほすといふ島に渡つて、我
道を教けるに、その所の心惡に極まり、一向これを用いず。いそほ力およばず、歸らんとする時に、人々評儀
して云、「此者を外國へ歸すならば、この島のありさまを謗りなんず。かれが荷物に黄金を入れ、道にておつ
かけ、盜賊人と號し、失はばや」とぞ申ける。

 評定してその日にもなりしかば、道にておつかけ、黄金をさがし、盜賊人と號して、すでに篭者せしむ。や
うやく命もあやうく見えしかば、「終り近づきぬ」とや思ひけん、末胡に云をく事有けり。「されば、古鳥け
だ物のたぐひ交はりをなしける時、鼠蛙)を請じて、いつきかしづきもてなす事極まりなし。その後、又蛙鼠
を請待す。其きたるに臨んで、蛙迎ひに出、蛙鼠にむかつて云やう、「我もとは此邊なり。さだめて安内知ら
せ給ふまじとおぼえ候ほどに、御迎ひにまかり出侍る」と申ければ、鼠かしこまつてよろこび、その時、蛙細
き繩を取り出して、「導き奉らん」とて鼠の足にこれを結いつけたり。かくてたがひに河のほとりに歩み寄つ
て、つゐに水の中へ入。鼠あはてさはいで蛙に申けるは、「情なし御邊をばさま〴〵にもてなし侍けるに、わ
れををばかゝる憂き目にあはせ給ふや」とつぶやきける所に、鳶此由を見て、「いみじき餌食かな」と二つな
がら掴み、つゐに衣食となしてけり。其ごとく、今伊曾保は鼠のやうにて、御邊たちによき道を教へ侍らんと
すれど、御邊たちは蛙のごとくに我をいましめ給ふなり。しかりといへども、鳶となるはひらうにやのえしつ
との國王より、さだめて島を攻めらるべし。と申けれぱ、聞きもあへず、傍若無人のやつばらが、天下無雙の
才人を峨々たる山の巖より取つて下に押しをとす。其時いそほ果てにけるとかや。案のごとく、西國の帝王よ
り武士に仰てかの島を攻められける。それよりして、かのいそほが物語を世に傅へ侍也。

10 いそほ物のたとへを引きける事

 つら〳〵人間のありさまを案ずるに、色にめで香に染めける事をもととして、よき道を知る事なし。されば、
この卷物を一本のうへ木には、必花實)あり。花は色香をあらはす物なり。實はその誠をあらはせり。されば、
庭鳥になぞらへてその事を知るべし。庭鳥塵芥にうづもれて餌食をもとむる所に、いとめでたき玉を掻きいだ
せり。庭鳥かつてこれを用いず、踏みのけてをのれが餌食をもとむ。そのごとく、あやめも知らぬ人には、た
ゞ庭鳥にことならず。玉のごとくなるよき道をばすこしも用ず、芥なる色香に染みて一生をくらすものなりと
ぞ見え侍りける。

11 狼と羊の事

 ある河のほとりに、狼羊と水を飮む事ありけり。狼は上にあり、羊は河裾にあり。狼羊を見てかのそばに歩
み近づき、羊に申けるは、「汝なにの故にか我飮む水を濁しけるぞ」と云。羊答云、「われ此河裾にあつて濁
しける程に、いかでか河の上の障りとならんや」と申ければ、狼又云、「汝父六か月以前に河上にきたつて水
を濁す。それによつて、汝が親の科を汝にかくる」といへり。羊答云、「われ胎内にして父母の科を知る事な
し。御免あれ」と申ければ、狼怒つて云、「その科のみにあらず。われ野山の草をほしいまゝに損ざす事奇怪
なり」と申ければ、羊答云、「いとけなき身にして草を損ざす事なし」といふ。狼申けるは、「汝何のゆへに
か惡口しけるぞ」と怒りければ、羊かさねて申けるは、「わが惡口をいふにあらず。そのことはりをこそ述べ
候へ」といひければ、狼のいふやうは、「詮ずる所、問答をやめて汝をこそ服すべけれ」となんいひける。

 其ごとく、理非を聞かぬ惡人には、是非を論じて所詮なし。たゞ權威と堪忍とをもつてむかふべし。

12 犬と羊の事

 ある時、犬羊に行きあひていふやう、「汝に負せける一石の米をたゞ今返せ。しからずは汝を失はん」とい
ふ。羊大きにをどろき、「御邊の米をば借り奉る事なし」と云。犬、「こゝに訴人あり」とて、狼ぞ烏ぞ鳶ぞ
といふものを相語らひ、奉行のもとへ行きて、この旨を申あらそふ。狼進み出でゝ、申けるは、「此羊よねを
借りける事誠にて侍る」といふ。鳶又出でて申けるは、「我も其訴人にて候」と申。烏も又同前なり。これに
よつて、犬にその理を付けられたり。羊せんかたなさのあまりに、わが毛を削つてこれにあたふ。

 そのごとく、善人と惡人とは、惡人のかたへは多く、善人の味方は少なし。それによつて、善人といへども、
その理を枉げて斷らずといふ事ありけり。

13 犬と肉の事

 ある犬、肉をくはへて河を渡る。まん中ほどにてその影水に映りて大きに見えければ、「わがくはゆる所の
肉より大きなる」と心得て、これを捨ててかれを取らんとす。かるがゆへに、二つながら是を失ふ。

 そのごとく、重欲心の輩は、他の財をうらやみ、事にふれて貪る程に、たちまち天罸をかうむる。わが持つ
所の財をも失う事ありけり。

14 師子王・羊・牛・野牛の事

 ある時、獅子王・羊・牛・野牛の四つ、山中をともなひ行くに、いのしゝに行あひ、則是を殺す。其四つの
肢を分けて取らんとす。獅子王支へて申けるは、「われけだ物の王たり。その徳にまづ肢一つわれに得させよ。
又、我力、威勢世にすぐれり。汝らにすぐれて驅けり廻つてこれを殺す。それによつて、肢一つ得させよ。今
一つの相殘る肢をば、たれにてもあれ、手をかけたらん者は、わが敵たるべし」。これによつて、各々空しく
まかり歸る。

 そのごとく、人はたゞわれに似たる者とともなふべし。我より上なる人とともなへば、いたづがはしき事の
みあつて、その徳一つもなき物なり。

15 日輪と盜人の事

 ある所に盜人一人ありけり。其所の人、「かれに妻をあたへん」といふ。さりながらとて、學者のもとに行
きてこれを問ふに、學者たとへをもつていはく、「されば、人間天道に仰ぎ申けるは、「日輪妻を持たぬやう
に計らひ給へ」といふ。天道、「いかに」と問ひ給へば、人間答云、「日輪たゞ一つ有さへ炎天の比は暑さを
忍びがたし。しかのみならず、ある時は五穀を照り損ふ。若此日輪、妻子眷屬盤昌せば、いかゞし奉らん」と
申。そのごとく、盜人一人あるだに物さはがしくかまびすしきに、妻をあたへて子孫繁昌せん事いかん」との
給へば、「げにも」とぞ人々申ける。

 そのごとく、惡人には力を添ゆる事、雪に霜を添ゆるがごとし。仇をば恩にて報ずるなれば、惡人にはその
力をおとさする事、かれがためにはよき助けたるべし。

16 鶴と狼の事

 ある時、狼喉に大きなる骨を立てて、すでに難儀におよびける折節、鶴此由を見て、「御邊はなに事を悲し
み給ふぞ」といふ。狼泣く〳〵申けるは、「我喉に大きなる骨を立て侍り。これをば御邊ならでは救ひ給ふべ
き人なし。ひたすらに頼奉る」と云ければ、鶴件のくちばしを伸べ、狼の口をあけさせ、骨をくはへてゑいや
と引きいだす。その時、鶴狼に申けるは、「今より後、此報恩によつてしたしく申語べし」と云ければ、狼怒
つていふやうは、「なん條。汝がなにほどの恩を見せけるぞや。汝が頚しやふつと食いきらぬも、今それがし
が心にありしを、助けをくこそ汝がためには報恩なり」といひければ、鶴力におよばず立ち去りぬ。

 そのごとく、惡人に對して能事を教といへども、かへつてその罪をなせり。然といへども、惡人に對してよ
き事を教へん時は、天道に對し奉りて御奉公と思ふべし。

17 獅子王と驢馬の事

 ある師子王通りける所を、驢馬是をあざける。獅子王此由を聞きて、「あつぱれ食い殺してんや」と怒りけ
るが、「しばし」とてゆるす心出來ける。そのゆへは、「われとひとしき者にもあらば、其あらそひもおよび
侍るべけれ共、かれらがごとく宿世つたなき者に、あたら口をけがさんもさすがなれば」とてゆるし侍りき。

 其ごとく、無智の輩にむかつて是非を論ずべからず、といへる心なるべし。驢馬とは、無知の輩をさすべし。
獅子王とは、才知儀しかる者をたとふるなり。

18 京田舍の鼠の事

 ある時、都の鼠片田舍に下侍りける。夷中の鼠ども、これをいつきかしづく事かぎりなし。これによつて夷
中の鼠を召し具して上洛す。しかもその住所は、都の有徳者の藏にてなん有ける。かるがゆへに、食物足つて
乏しき事なし。都の鼠申けるは、「上方にはかくなんいみじき事のみおはすれば、いやしき夷中に住み習ひて
なににかはし給ふべき」など語慰む所に、家主藏に用ある事あつて、俄に戸を開く。京の鼠は、もとより安内
者なれば、わが穴に逃げ入ぬ。夷中の鼠は、もとより無安内の事なれば、あはてさはぎて隱れ所もなく、から
うじて命計助かりける。その後、田舍の鼠、參會して此由を語るやう、「御邊は宮古をいみじき事のみありと
の給へど、たゞ今の氣づかひ、一夜白髮といひつべく候。田舍にては事足らぬことも侍れ共、かゝる氣づかひ
なし」となん申ける。

 そのごとく、いやしき物は、上つかたの人にともなふ事なかれ。もししゐてこれとともなふ時は、いたづが
はしき事のみにあらず、たちまちわざはひ出來すべし。「家貧の樂しむ者は、萬事かへつて滿足す」と見えた
り。かるが故に、ことわざにいはく、「貧樂」とこそいひ侍き。

19 狐と鷲の事

 ある時、鷲我子の餌食となさんがため、狐の子を奪ひ取つて飛び去りぬ。狐天に仰ぎ地に臥して歎き悲しむ
といへども、その甲斐なし。狐心に思ふやう、「いかさまにも鷹の仇には煙にしく事なし」とて、柴といふ物
を鷲の巣のもとに集めて、火をなんつけければ、鷲の子焔のうちに悲しむありさま、誠にあはれに見えける。
その時、鷲千たび悲しめ共甲斐なし。つゐに燒きおとされて、たちまち狐のために其子を■らはる。

 そのごとく、當座我勝手なればとて、下ざまの者に仇をなしをく事なかれ。人の思ひの積りぬれば、つゐに
はいづくにか遁るべき。「高き堤も蟻の穴よりくづれ始むる」となんいひける。

20 鷲とかたつぶりの事

 有時、鷲かたつぶりを■らはばやと思ひけれど、いかんともせん事を知らず、思ひわづらふ所に、烏かたは
らより進み出て申けるは、「此かたつぶりをほろぼさん事、いとやすき事にてこそ侍。我申ベきやうにし給ひ
て後、我に其半分をあたへ給はば、教へ奉らん」といふ。鷲うけがうてその故を問ふに、烏申けるは、「かの
かたつぶりを掴みあがり、高き所よりおとし給はば、その殻たちまちに碎けなん」といふ。案のごとくし侍け
れば、たやすく取つてこれを食ふ。

 そのごとく、たとひ權門高家の人成共、わが心をほしゐまゝにせず、智者の教へに從ふべし。そのゆへは、
鷲と烏をくらべんに、その徳などかはまさるべきなれども、かたつぶりのしはざにおゐては、烏もつともこれ
を得たる。事にふれて事ごとに人に問ふべし。

21 烏と狐の事

 ある時、狐餌食をもとめかねて、こゝかしこさまよふ所に、烏肉をくわへて木の上におれり。狐心に思ふや
う、われ此肉を取らまほしくおぼえて、烏の居ける木のもとに立寄り、「いかに御邊、御身は萬の鳥の中にす
ぐれてうつくしく見えさせおはします。しかりといへども、すこし事足り給はぬ事とては、御聲の鼻聲にこそ
侍れ。たゞし、この程世上に申しは、「御聲もことの外によくわたらせ給ふ」など申てこそ候へ。あはれ一節
聞かまほしうこそ侍れ」と申ければ、烏此儀を誠と心得て、「ものことに、さらば聲をいださん」とて口をは
たけけるひまに、終に肉をおとしぬ。狐是を取つて逃げ去ぬ。

 そのごとく、人いかに讚むるといふとも、いさゝか眞と思ふべからず。もしこの事をすこしも信ぜば、慢氣
出來せん事疑ひなし。人の讚めん時は、謹(つ)しんでなを謙るべし。

22 馬と犬との事

 ある人、ゑのこをいといたはりけるにや、その主人外より歸りける時、かのえのこその膝にのぼり、胸に手
をあげ、口のほとりを舐り廻る。これによつて、主人愛する事いやましなり。馬ほのかに此由を見て、うら山
しくや思ひけん、「あつぱれ我もかやうにこそし侍らめ」と思ひさだめて、ある時、主人外より歸りける時、
馬主人の胸にとびかゝり、顏を舐り、尾を振りてなどしければ、主人是を見てはなはだ怒りをなし、棒をおほ
取(っ)て、もとの厩におし入ける。
 そのごとく、人の親疎をわきまへず、わがかたより馳走顏こそはなはだもつておかしき事なれ。我程々に從
つて、其挨拶をなすべき也。

23 師子王と鼠の事

 ある時、師子王前後も知らず臥しまどろみける所に、鼠あまたさしつどい、あそびたはぶれける程に、臥た
る獅子王の上に鼠一つとびあがりぬ。其時、獅子王めさめをどろき、この鼠を取りて提げ、すでにうち碎かん
としけるが、獅子王心に思やう、「これほどの者共を失ひければとて、いかほどの事あるべきや」といひて、
助け侍りき。鼠命を拾い、「さらに我ら巧みける事に侍らず。あまりにあそびたはぶれける程に、まことのけ
がにて侍れ」と、かの獅子王を禮拜して去りぬ。

 其後、獅子王有所にてわなにかゝり、すでに難儀におよびける時、鼠此由を聞きて、急ぎ師子王前に馳せ參
じ、「いかに師子王、きこしめせ。いつぞやわれらを助け給ふその御恩に、今又助け侍らん」とて、かのわな
の端々を食ゐ切り、獅子王を救ひてけり。

 そのごとくに、あやしの物なりとて、したしくなつけ侍らんに、いかでかその徳を得ざらん。たゞ威勢あれ
ばとて、凡下の者をいやしむべからず。

24 燕と諸鳥の事

 ある所に、燕と萬の鳥と集まり居けるほどに、燕申やう、「こゝに麻といふ物蒔く所あり。をの〳〵是を引
き捨て給へかし」と歎きければ、諸鳥是に與せぬのみならず、かへつて燕をあざける。燕申やう、「御邊たち
なに事を笑給ふぞ。この麻と申は、苧といふ物になん成て、わなぞかづらぞとて、われらがためには大敵也。
をの〳〵は後日のわざはひを知り給はず」と申けれども、諸鳥とも同心せず。その時、燕申やう、「所詮、御
邊たちと向後與する事あるべからず」とて、諸鳥に變つて、燕は人の内に巣をくふ事も、これや初にて有ける。

 そのごとく、あまたの人の中をひ出て能道を示すといへ共、用いずは卷ひて懷にす。又、いかに人同やうに
惡ししと云共、其味をなめ心みよ。智者のいふこと、などかは惡かるべき。

25 かはづが主君を望む事

 あてえるすといふ所に、その主君なくて、何事も心にまかせなんありける。その所の人あまりに誇りけるに
や、「主人をさだめばや」なんどと議定して、すでに主人をぞさだめける。かるが故に、いさゝかの僻事あれ
ば、その人罪科におこなふ。これによ(っ)て、里の人に主君をさだめけるを悔ゐ悲しめども、甲斐なし。

 その比、いそほその所に到りぬ。所の人々此ことを語に、そのよしあしをばいはず、たとへを述べて云、
「昔ある河に、あまたの蛙集まり居て、「我主人をさだめばや」と議定し侍りき。「もつとも然るべし」とて、
各天に仰、「我主人をあたへ給へ」と祈誓す。天道是をあはれんで、柱を一つ給りけり。その柱の河におち入
音、底に響きておびたゝし。此聲におそれて、蛙ども水中に沈み隱る。しづまつて後、淤泥の中よりまなこを
見あげ、「なに事もなきぞ。まかり出よ」とて、をの〳〵渚にとびあがりぬ。さてこの柱を圍繞して、我主人
とぞもてなしける。されども、無心の柱なれば、終にあざけつて、各此上にとびあがり、又天道に仰ぎけるは、
「主人は心なき木也。同は心あらん物をたべかし」と祈りければ、「憎ひしやつばらが物好みかな」とて、こ
のたびは鳶を主人とあたへ玉ふ。主君によ(っ)て、蛙かの柱の上にあがる時は、鳶是をもつて餌食とす。其
時、蛙千たび後悔すれ共、甲斐なし」。

 そのごとく、人はたゞわが身にあたはぬ事を願ふ事なかれ。初より人に從ふ者の、今さら獨身とならんもよ
しなき事也。又、自由に有ける人の、主人を頼むも僻事なり。たゞそれ〳〵にあたる事を勤むべき事もつぱら
なり。

26 鳶と鳩の事
 ある時、鳩と鳶と竝び居ける所に、鳶此鳩をあなどつて、やゝもすれば餌食とせんとす。その鳩僉議評定し
て、鷲のもとに行きて申けるは、「鳶と云下賎の無道仁有。やゝもすればわれらにこめみせ顏なり。今より以
後、その振舞をなさぬやうに計らひ給はば、主君と仰ぎ奉らん」といひければ、鷲やすくうけがつて、鳩を一
度に召し寄せ、片端に捻ぢ殺しぬ。その殘る鳩申けるは、「これ人のしわざにあらず。われとわが身をあやま
つなり。鷲の計らひ給ふ所、道理至極なり」となんいひける。

 そのごとく、いまだ我身に初めよりなき事をあたらしくしいだすは、かへつてその悔ゐある物なり。「事の
後に千たび悔ゐんよりは、事のさきに一たびも案ぜんにはしかじ」とぞ見えける。いさゝかの歎きを忍びかね
て、かゑつて大難を受くる物多し。かるがゆへに、ことわざにいふ、「小難をしのぐ。されば、かへつて大謀
を亂る」とも見えたり。

27 烏と孔雀の事

 ある時、烏孔雀を見て、かのつばさにさま〴〵のあやある事をうらやみ、とある木蔭に孔雀の羽の落ちける
を拾ひ取つて、我尾羽にさし添へて、孔雀の振舞をなし、わが傍輩をあなづりけり。孔雀此由を見て、「汝は
いやしき烏の身となり、なんぞわれらが振舞なしけるぞ」とて、思ふまゝにいましめて、交はりをなさず。そ
の時、烏もとの傍輩にいふやう、「我よしなき振舞をなして、恥辱を受くるのみならず、さん〴〵にいましめ
られぬ。御邊たちは若き人なれば、向後その振舞をなし給ふな」とて申ける。

 其ごとく、身いやしうして上つ方の振舞をなし、あるひは交はりをなせば、つゐ((ひ))にをのれがもと
の姿をあらはすによ(っ)て、恥辱を受くる事さだまれる儀なり。惡人として、一旦善人の振舞をなせども、
終にわが本性をあらはす物也。これを思へ。

28 蝿と蟻との事

 ある時、蝿蟻にむかつて誇りけるは、「いかに蟻殿、謹(つ)しんで承はれ。われほど果報いみじき物は世
に有まじ。其ゆへは、天道に奉る、あるひは國王に備はる物も、まづわれさきになめこゝろむ。しかのみなら
ず、百官卿相の頂をもおそれず、ほしゐまゝにとびあがり候。わとのばらが有さまは、あつぱれつたなきあり
さま」とぞ笑ひ侍りき。蟻答云、「もつとも御邊はさやうにこそめでたくわたらせ給へ。但世に沙汰し候は、
御邊ほど人にきらはるゝものなし。さらば、蚊ぞ蜂ぞなどのやうにかひ〴〵しく仇をもなさで、やゝもすれば
人に殺さる。しかのみならず、春過夏去りて、秋風立ぬる比は、やうやくつばさをたゝき、頭を撫でて手をす
るさまなり。秋深くなるに從つて、つばさより腰拔けて、いと見ぐるしきさまとぞ申傳へける。わが身はつた
なき者なれども、春秋の移るをも知らず、ゆたかにくらし侍るなり。みだりに人をあなづり玉ふ物かな」と恥
ぢしめられて立ち去りぬ。

 そのごとく、いさゝかわが身にわざあればとて、みだりに人をあなづる時は、かれ又をのれをあなづるもの
なり。

29 鼬の事

 ある時、鼬鼠のわなにかゝる事ありけり。その主是を見つけて、たちまち殺さんとす。鼬支へて申けるは、
「いかに主人聞召せ。われを殺し給ふべきことはりなし。その故は、御内に徘徊する鼠といふいたづら物をば
ほろぼし候。その上、いささか御障りともなる事候はず」と申ければ、主答云)、「なにをもつてか助くべき
道理とせんや。鼠をほろぼすといふも、我潤色にあらず、汝が餌食とせんためなり。いはれなし」とてうち殺
しぬ。

 其ごとく、我難儀出來するとて、あはててことばをいふべからず。初め終りを思案すべし。命を失はんのみ
ならず、後日のあざけり口おししとなり。

30 馬と師子王の事

 ある時、馬野ヘ出て草をはげみける所に、師子王ひそかに是を見て、「かの馬を食せん」と思ひしが、「ま
づ武略をめぐらしてこそ」と思ひ、馬の前にかしこまつて申けるは、「御邊は此程何事をかは習ひ給ふぞ。我
はこのごろ醫學をなんつかまつり候」となん申ければ、馬獅子王の惡念をさとつて、「我もたばからばや」と
思ひ、獅子王にむかつて申ける。「そも〳〵御邊は、うら山しくも醫學を習はせ給ふ物哉。幸わが足に株を踏
み立ててわづらふなり。御覽じてたべかし」となんいひける。師子王得たりと見んといふ。さらばとて、馬片
足をもたげければ、獅子王なに心もなくあをのきになつて、爪のうらを見る所を、もとより巧みし事なれば、
したゝかに獅子王のつらを續けさまに踏んだりける。さしも猛き獅子王も、氣を失ひて起きもあがらず。その
ひまに、馬ははるかに驅け去りぬ。その後、師子王はう〳〵と起きあがり、身震ひして、ひとりごとを申ける
は、「よしなきそれがしがはかり事にて、すでに命を失はんとす。道理の上よりもつて、いましめをかうぶる
事、これ馬のわざにあらず、ただ天道の御いましめ」とぞおぼえける。

 そのごとく、一切の人間も、知らぬ事を知り顏に振舞はば、たちまち恥辱を受けん事疑ひなし。知る事を知
るとも、知らざる事をば知らずとせよ。ゆるかせに思ふ事なかれ。

31 獅子王とはすとる事

 ある時、師子王其足に株を立て、その難儀におよびける時、悲しみのあまりはすとりのほとりに近づく。は
すとるこれをおそれて、我羊をあたへてけり。師子王、羊を犯さず、わが足をはすとりの前にもたぐ。はすと
りこれを心得て、その株を拔いて、藥をつけてあたへぬ。それより獅子王山中に隱れぬ。

 ある時、かの師子王狩に囚はれて篭に入られ、罪人を入れて是を■らはしむ。又、かのはすとり、その罪あ
るによ(っ)て、かの獅子篭にをし入。獅子王敢へてこれを犯さず。かへつて涙を流いてかしこまりぬ。しば
らくあつて、人々篭の内を見るに、さしもに猛き獅子王、耳を垂れ、膝を折つて、かのはすとるを警固す。物
の具を入れて犯さんとするに、獅子王是をかなぐり捨つ。主此事を聞きて、「汝なにのゆへにかかくけだもの
にあはれまれけるぞ」といひければ、件の子細を申あらはす。人々此由を感じて、「かゝる畜生に至るまで、
人の恩をば報じけるぞや」と感じあはれみける。これによ(っ)て、獅子王もはすとるをもゆるされぬ。

 其ごとく、人として恩を知らぬは、畜生にも劣る物也。人に恩をなす時は、天道これを受け玉ふなり。いさ
ゝかの恩をも人に請ば、これを報ぜんとつねに思へ。

32 馬と驢馬の事

 ある時、能馬、能皆具おゐて、その主を乘せて通りける。かたはらに驢馬一疋行あひたり。かの馬怒つて云、
「驢馬、なにとて禮拜せぬぞ。汝を踏み殺さんもいとやすき事なれども、汝らがごときの物は、從へても事の
數にならぬは」とて、そこを過ぬ。

 其後、何とかしたりけん、かの馬二つの足を踏み折つて、なにの用にも立ぬやうもなし。これによ(っ)て、
土民の手に渡り侍りき。いやしきしづの屋に使ひける習ひ、糞土を負せて牽きありきぬ。その馬のさまも、痩
せおとろへ、あるかなきかの姿になり侍りぬ。

 ある時、この馬糞土を背負ふて通りけるに、件の驢馬行あひけり。かの驢馬つく〴〵と此馬を見て、「さて
も+ 御邊は、いつぞやわれらをのゝしり給ふ廣言の馬にてわたらせ給はずや。なにとしてかはかゝるあさま
しき姿となつて、かほどいやしき糞土をば負い給ふぞ。我いやしく住みなれ候へども、いまだかかる糞土をば
負はず。いつぞやのよき皆具共は、いづくにをかせ給ふぞ」と恥ぢしめければ、返事もなふて逃げ去りぬ。

 そのごとく、人の世にあつて、高き位に有といふ共、下臈の者をあなづる事なかれ。有爲無常の習ひ、けふ
は人の上、あすは我身の上と知るべし。一旦の榮華に誇つて、人をあやしむる事なかれ。

33 鳥けだものと戰ひの事

 有時、鳥、けだものとすでに戰ひにおよぶ。鳥の云、軍に負けて今はかうよと見えける時、かうもり畜類に
こしらへ返る。鳥ども愁へて云、「かれらがごときの物さへけだものに降りぬ。今はせんかたなし」と悲しむ
所に、鷲申けるは、「なに事を歎くぞ。われこの陳にあらんほどは頼もしく思へ」と諌めて、又けだものの陳
に押し寄せ、このたびは鳥の軍よかんめれ、たがひに和睦してんげり。その時、鳥ども申けるは、「さてもか
うもりは二心ありける事、いかなる罪科をかあたへん」といふ。中に故老の鳥敢へて申けるは、「あれ程の物
をいましめてもよしなし。所詮けふよりして、鳥の交はりをなすべからず。白日に徘徊する事なかれ」といま
しめられて、鳥のつばさを剥ぎ取られ、今は澁紙の破れを着て、やう〳〵日暮にさし出けり。
 そのごとく、人も、したしき中を捨てて、無益の物と與する事なかれ。「六親不案なれば、天道にも外れた
り」と見えたり。

34 かのしゝの事

 ある時、かのしゝ河のほとりに出でて水を飮みける時、汝が角の影水に映(っ)て見えければ、此角のあり
さまを見て、「さてもわが戴きける角は、萬のけだものの中に、又ならぶ物あるべからず」と、かつは高慢の
思ひをなせり。又、わが四つ足の影水底に映(っ)て、いとたよりなく細くして、しかも蹄二つに割れたり。
又しゝ心に思ふやう、「角はめでたふ侍れど、わが四つの足はうとましげなり」と思ひぬる所に、心より人の
聲ほのかに聞え、其外犬の聲もしけり。是によ(っ)て、かのしゝ山中に逃げ入、あまりにあはてさはぐ程に、
ある木のまたにをのれが角を引きかけて、下へぶらりとさがりにけり。拔かん+ とすれどもよしなし。しゝ
心に思ふやう、「よしなきたゞ今のわが心や。いみじく誇りける角も我あとになつて、うとんじて、四つの肢
こそ我助ける物を」と、ひとりごとして思ひ絶へぬ。

 そのごとく、人もまた是に變らず。「いつきかしづきける物は仇となつて、うとんじ退けぬるものは我助け
となる物を」と後悔する事、これありける物なり。

35 庭鳥と狐との事

 ある時、狐餌食にもとめかね、こゝかしこをさまよう所に、庭鳥行きあひたり。得たりや賢しとこれを取り
て■らはんとす。庭鳥此事をさとりて、ある木の枝に飛びあがりぬ。狐手を失ふてせんかたなさに、「所詮庭
鳥をたぶらかしてこそ食はめ」と思ひて、かの木のもとに立ち寄つて、「いかに庭鳥、きこしめせ。このごろ、
萬の鳥けだものの中なをりする事ありけり。御邊は知らせ給はぬか。久しく申承はらぬによ(っ)て、わざと
こそ是まで參りて候へ」と、いと睦ましげに語ければ、庭鳥狐の武略をさとつて、「誠にかゝる折節に生れあ
ひぬる事こそめでたふ候へ。よくあひたり。犬能やうに計らひ玉ふべし」といひて、さらにおりず。狐かさね
て申けるは、「まづ此所にをりさせ給へ。ひそかに申べき事あり」と、しきりによべどもつゐにおりず。庭鳥
用ありさうにあなたのかたをながめければ、狐下より見あげて、「御邊は何事を見給ふぞ」と申ければ、「さ
ればとや、たゞ今御邊の物語し給ふ事を告げ知らせんとや思はれけん、犬二疋馳せきたられ候」と申ければ、
狐あはてさはひで、「さらばまづそれがしは、御いとま申」とて去らんとす。庭鳥申けるは、「いかに狐、鳥
けだものの中なをりしける折節、なに事かは候べき。そこに待ちて、犬と交はり給へ」と支へければ、狐かさ
ねて申やう、「もしかの犬中なをる事知らずは、わがために惡しかりなん」とて逃げ去りぬ。

 そのごとく、たとひ人我に仇をなすべき者とさとるとも、仇をもつてむかふべからず。かれが武略にてむか
はば、我も武略をもつて退くべし。

36 腹と五體の事

 ある時、五體、六根をさきとして、腹を猜んで申けるは、「われら面々は、幼少の時よりその營みをなすと
いへども、件の腹といふものは、若うより終になす事なくて、あまつさへわれらを召し使ふわざをなんしける。
言語道斷、奇怪の次第なり。今より以後、かの腹に從ふべからず」とて、五三日は五體六根何事もせず、食事
をもとゞめておるほどに、初は腹一人の難儀とぞ見えける。かくて日數經にけるほどに、なじかはよかるべき。
五體六根迷惑して、つゐにくたびれ極まる。困窮するにおよびて、「もとのごとく腹に從ふべし」といふ。

 そのごとく、人としても、今までしたしき中を捨てて、從ふべき者に從はざれば、天道にも背き、人愛にも
外れなんず。かるが故に、ことわざに云、「鳩をにくみ豆作らぬ」とかや。

37 人と驢馬の事

 ある人、驢馬に荷を負せて行くに、此驢馬やゝもすれば行なづむ事有けり。この人、「奇怪なり」とて、い
たく鞭を負せければ、驢馬申けるは、「かゝる憂き目にあはんよりは、しかじ、たゞ死なばや」とぞ申ける。
かの人なをいたくいましめて追ひやるほどに、行つかれてつゐに命終りぬ。かの人心に思ふやう、「かゝる宿
世つたなき物をば、その皮までも打ちいましめて」とて、太鼓に張りて枹をあてけり。
 其ごとく、人の世にある事も、いさゝかの難艱なればとて、死なんと願ふべからず。なにしか命の終りを待
たず、身を投げなんどする事は、至つて深き罪科たるべし。これを愼しめ。

38 狼とはすとるの事

 ある狩人、狼狩り行けるに、この狼有木蔭に隱れおれり。しかるを、はすとる見つけてけり。それによ
(っ)て、この狼はすとるにむかつて申けるは、「我命を助け給へ」。ひたすら頼む。それははすとりやすく
うけごふ。狼心やすくゐける所に、狩人きたつてはすとりに申けるは、「此邊に狼やきたる」と尋ねければ、
はすとり目使いにてこれを教へける。かり人、その所をさとらず、はるか奧に行き過たり。その後、狼まかり
出て、いづくとも知らず逃げ去りぬ。

 ある時、此狼のはすとりに行きあひけり。はすとり申けるは、「わごぜはいつぞや助けける狼か」といへば、
狼答云、「さればとよ、御邊のことはよかんなれど、御邊のまなこは拔き捨てたく侍る」とぞ申ける。

 其ごとく、われも人も、外によき事をする顏なれ共、内心はなはだ惡道なれば、かのはすとりにことならず。
すみやかに、内心の隔てをなす事なく、一心不亂に善事をすべし。

39 猿と人の事

 昔、正直なる人と虚言をのみいふ人とありけり。此二人、猿のある所に行きけり。しかるに、ある木のもと
に、猿ども數多竝み居て、中に秀で、をの〳〵敬し猿あり。かのうそ人、猿のそばに近づきて、例のうそを申
けるは、「是に氣高く見えさせ給ふは、ましら王にて渡せ給ふか。その外面々見えさせ給ふは、月卿雲客にわ
たらせ給ふか。あないみじきありさま」とぞ讚めける。ましらこの由を聞きて、「憎き人の讚めやうかな。是
こそ眞の帝王にておはしませ」とて、引出物などしける。

 しかるを、かの正直なる者思ふやう、「これはうそをいふにだに引出物出したりければ、眞をいはんになに
しかは得ざらん」とて、かの猿の邊に行て申けるは、「面々の中に、年たけ齡をとろえて、首の剥げたるもあ
り、さかんにしてよく物まねするべくもあり」なんどぞ、ありのまゝに申ければ、ましら大きに怒つて、猿ど
もいくらもむさぶりかかつて、つゐに掻き殺しぬ。

 そのごとく、人の世にある事も、こびへつらふ物はいみじく榮へ、すなをなる物はかへつて害を受くる事あ
り。この儀をさとつて、すなをなる上にまかせて、悔ゆる事なかれ。

40 師子王と驢馬の事

 ある時、驢馬、獅子王に行あひ、「いかに獅子王、我山に來り給へ。威勢のほどを見せ參らせん」といふ。
師子王おかしと思へども、さらぬ體にてともなひ行く。山のかたはらにおゐて、驢馬おびたゝしく走りめぐり
ければ、その音におそれて、狐狸ぞなどいふ物、こゝかしこより逃げ去りぬ。驢馬獅子王に申けるは、「あれ
見給へや、獅子王。かほどめでたき威勢にて侍る」と誇りければ、師子王怒つて云、「奇怪なり、驢馬。我は
これ師子王也。汝らがごとく下臈の身として、尾篭を振舞ふ事狼藉なり」といましめられて、まかり退く。

 その下輩の身として、人とあらそふ事なかれ。やゝもすれば、我身のほどをかへりみずして、人とあらそふ。
果てには恥辱を受くるもの也。ゆるかせに思ふ事なかれ。

伊曾保物語中終

伊曾保物語下

1 蟻と蝉の事
 去程に、春過夏たけ、秋も深くて、冬のころにもなりしかば、日のうら〳〵なる時、蟻穴より這ひ出、餌食
を乾しなどす。蝉きたつて蟻と申は、「あないみじの蟻殿や。かゝる冬ざれまでも、さやうにゆたかに餌食を
持たせ給ふものかな。われにすこしの餌食をたび給へ」と申ければ、蟻答云、「御邊は、春秋の營みにはなに
事をかし給ひけるぞ」といへば、蝉答云、「夏秋身の營みとては、木末にこたふばかりなり。その音曲に取り
亂し、ひまなきまゝにくらし候」といへば、蟻申けるは、「今とてもなど歌ひ給はぬぞ。謠長じてはつゐに舞
とこそは承はれ。いやしき餌食をもとめて、何にかはし給ふべき」とて、穴に入ぬ。

 そのごとく、人の世にある事も、我力におよばんほどは、たしかに世の事をも營むべし。ゆたかなる時つゞ
まやかにせざる人は、貧しうして後、悔ゆる物なり。さかんなる時學せざれば、老て後悔ゆるものなり。醉ひ
のうちに亂れぬれば、醒めての後悔る物なり。返々も是を思へ。

2 狼といのしゝの事

 さるほどに、いのしゝ、子共あまた竝み居ける中に、ことにちいさきいのしし、我慢おこして、「總の司と
なるべし」と思ひて、齒を食ひしばり、目を怒らし、尾を振つてとびめぐれども、傍輩ら一向是を用いず。か
のいのしゝ氣を碎ひて、「所詮かやうのやつばらに與せんよりは、他人に敬はればや」と思ひて、羊どもの竝
み居たる中に行て、前のごとく振舞ひければ、羊勢におそれて逃げ隱れぬ。さてこそ此いのしゝ本座を達して
居ける所に、狼一疋馳せ來りけり。「あはや」とは思へ共、「われはこれ主なれば、かれもさだめてをそれな
ん」とて、さらぬ體にてゐける所を、狼とびかゝり、耳をくわへて山中に到りぬ。羊もつて合力せず。おめき
叫び行くほどに、かのいのしゝ傍輩、この聲を聞きつけて、つゐに取り篭め助けにけり。その時こそ、「無益
の謀叛しつる物かな」と、もとのいのしゝらに降參しける。

 そのごとく、人の世にある事も、よしなき慢氣をおこして、人を從へたく思はば、かへつてわざはひを招く
ものなり。つゐにはもとのしたしみならでは、眞の助けになるべからず。

3 狐と庭鳥の事

 ある時、庭鳥苑に出て餌食をもとむる所に、狐、「これを■らはばや」と思ひ、まづ謀をめぐらして申ける
は、「いかに庭島殿、御邊の父御とはしたしく申承候ぬ。この後は御邊とも申承はらめ」といひければ、庭鳥
實かなど思ふ所に、狐申けるは、「さても御邊の父子は、御聲のよかんなるぞ。あはれ一節歌ひ候へかし。聞
侍らん」と云。庭鳥讚めあげられて、すでに歌はんとして目を塞ぎ、頚をさし伸べける所を、しやかしとくわ
へて走るほどに、庭鳥の鳴聲を聞きつけて、主おつかけて、「わが庭鳥ぞ」と叫びければ、狐をたばかりける
は、「いかに狐殿、あのいやしき物の分として、我庭鳥と申候に、御邊の庭鳥にてこそあれと返答し給へ」と
いひければ、狐げにもとや思ひけん、その庭鳥をさし放し、跡を見返るひまに、庭鳥すでに木にのぼれば、狐
大きに仰天して、空しく山へぞ歸りける。

 其ごとく、人がものをいへと教ゆればとて、思案もせず、あはてて物を云べからず。かの狐が庭鳥を取り損
ひけるも、思案なげに物をいひけるゆへにぞ。

4 龍と人の事

 ある河のほとりを、馬に乘りて通る人ありけり。其かたはらに、龍といふもの、水に離れて迷惑するありけ
り。此龍今の人を見て申けるは、「われ今水に離れてせんかたなし。あはれみを垂れ給ひ、その馬に乘せて水
ある所へ着けさせ給はば、その返報として金錢を奉らん」といふ。かの人誠と心得て、馬に乘せて水上へ送る。
そこにて、「約束の金錢をくれよ」といへば、龍怒つて云、「なんの金錢をか參らすべき。我を馬に括り付け
て痛め給ふだにあるに、金錢とは何事ぞ」といどみあらそふ所に、狐馳せ來(っ)て、「さても龍殿は、なに
事をあらそひ玉ふぞ」といふに、龍右のおもむきをなんいひければ、狐申けるは、「われこの公事を決すべし。
さきに括り付けたるやうは、なにとかしつるぞ」といふに、龍申けるは、「かくのごとし」とて、又馬に乘る
ほどに、孤人に申けるは、「いか程か締め付らるぞ」といふ程に、「これ程」とて締めければ、龍の云、「い
まだそのくらいなし。したたかに締められける」といへば、「これ程か」とて、いやましに締め付けて、人に
申けるは、「かゝる無理無法なるいたづら者をば、もとの所へやれ」とておつ立たり。人げにもとよろこびて、
本の畠におろせり。其時、龍いくたび悔やめども、甲斐なくしてうせにけり。

 そのごとく、人の恩をかうむりて、その恩を報ぜんのみ、かへつて人に仇をなせば、天罸たちまちあたるも
のなり。これをさとれ。
5 馬と狼の事

 ある馬山中を通りけるに、狼行きむかつて、すでに此馬を■らはんとす。馬計事に申けるは、「此所におゐ
て我を餌食となし給はば、後代の聞え惡しかりなんず。猶山深く召つれ給へ。なにと成共計らひ給へ」と申け
れば、狼げにもと同心す。その時、馬、繩を我腹につけて狼の頚に括り付て、「何國へなり共つれさせ給へ」
と申ければ、「此山は案内知らず。汝道びけ」と云ければ、馬申けるは、「これは里人行道にてはなし。奧山
への直道」と申。かれも是も歩み近づく程に、手づめになりて、狼、たばかられんとや思ひけん、うしろへゑ
いやつとしさりければ、馬は前へぞ引つかけける。さしもに猛き狼も、大の馬には強く引かれぬ、せんかたな
げにぞ行たりける。主この由を見つけて、まづ狼にいたく棒をぞあたへける。そばより楚忽人走り出て、刀を
拔ひて斬らんとす。狼のふよかりけん、その身を外れて繩を切られ、ほう〳〵と逃げてぞ歸りける。

 そのごとく、我敵と思はん者のいふ事をば、よく思案して從ふべし。あはてて同心せば、かの狼がわざはひ
に同じかるべし。

6 狼と弧の事

 ある河の邊に、孤魚を食ひける折節、狼上に臨んで歩みきたれり。孤に申やう、「其魚をすこしあたへよ。
餌食になしてん」と云ければ、孤申けるは、「あなおそれ多し。わがわけを奉るべしや。篭を一つ持ちきたら
せ給へ。魚を取りて參らせん」と云。狼かしこに驅け廻つて、篭を取りてぞ來りける。孤教へけるやうは、
「この篭を尾につけて、河のまん中を泳がせ給へ。跡より魚を追ひ入れん」といふ。狼、篭を括り付けて、河
を下りに泳ぎける。孤あとより石を取り入ければ、次第に重くて、一足も引かれず。狼孤に申けるは、「魚の
入たるか、ことの外に重くなりて、一足も引かれず」といふ。孤申けるは、「さん候。ことの外に魚の入て見
え候ほどに、わが力にては引あげがたく候へば、けだものを雇ひてこそ參らめ」とて、陸にあがりぬ。孤あた
りの人々に申侍は、「かのあたりの羊を■らいたる狼をこそ、たゞ今河中にて魚を盜み候」と申ければ、われ
さきにと走り出で、さん〴〵に打擲しける。そばより楚忽者走り出て、刀を拔ひてこれを斬るに、なにとかし
たりけん、尾をふつとうち切つて、その身は山へぞ逃げ入ける。

 折しも、師子王違例の事ありけるは、「御氣色大事に見えさせ玉ふ。我この程諸國をめぐりて、承および候
ひぬ。孤の生き皮を御膚に付けさせ給はば、やがて御平愈あるべし」と申。孤此事を傳へ聞きて、「憎い狼が
訴訟かな」と思ひながら、召しに應じて、師子王の御前に、僞りごとにをのれが身を泥にまろびして出來たり。
師子王、この由を見るよりも、「近ふ參れ。申べき子細あり。近きほど、汝を一の人ともさだむべき」など、
めでたふ申ければ、孤察して答ける。「あまりあはてさはひで參じけるとて、道にてまろび候ほどに、もつて
の外に裝束のけがらはしく候。かへつて御違例の障りともなりなんや」といひて、かさねて申けるは、「我こ
のほど人に習ひ候に、か樣の御違例には、尾のなき狼の四つ足とつらの皮を殘し、生き皮を剥ぎて召させ給ひ
候へば、たやすく平愈すと傳へて候。たゞし、尾のなき狼はあるべうも候はず」と申ければ、獅子王、「是こ
そこゝにあれ」とかの狼を待つ所に、なに心なく參候ひける。則師子王引き寄せて、いひしごとくに皮を剥ひ
で、命計を助けにけり。

 其後、ある山の岨に、件の孤ながめ居ける折節、又狼もそこを通る。孤申けるは、「これを通らせ給ふは、
たれ人にてわたらせ給ふぞ。か程暑き炎天に、頭巾を被き單皮をはき、決拾をさひて見え給ふは、もし僻目に
てもや候らん。五體を見れば、あかはだかにて、■ぞ蜂ぞ蝿ぞ蟻なんど云もの、すきまなく取り付きたり。た
ゞし、着る物のかたにてばし侍るか。よく〳〵見候へば、いつぞや師子王によしなき訴訟し給ふ狼なり」とて
あざけりける。

 其ごとく、みだりに人を讒奏すれば、人又我を讒奏する。春來る時は、冬又隱れぬ。夏過ぬれば、秋風立ぬ。
ひとりなにものか世に誇るべきや。

7 狼夢物語の事

 ある時、狼、夢に高き位に住して、飽くまで食すと見たりける明日、狼山を出る時、道邊にいのしゝの腸あ
り。「すはやめでたし。早餌食のありけるよ」とよろこびさかへけるが、「いや〳〵これは腹の毒なり。よき
餌食こそは食わめ」とて、そこを過ぎて行ぬ。ある山の岨に、子をつれたる馬ありけり。狼此由を見て、「是
こそよき餌食なれ。食わばや」と心得て、馬にむかつて申けるは、「汝が子をばわが餌食となすべし。心得
よ」といひければ、馬答へて云
 「ともかくも仰にこそは從はめ」とてゐたりけるが、馬狼に申けるは、「承候へば、外境の上手と申。われ
此ほど足に株を踏み立てて候へば、おそれながら御目にかけたし」と申。「やすき事」といふ程に、馬片足を
もたげて、「これを見給へ」と云ければ、狼うちあふのひて見ける所を、岸より下に踏みおとし、わが子をつ
れて歸りけり。

 狼、これをば事ともせず、「たゞ今こそしけんする共、又こそ」と思ひ、かしこに驅けめぐるほどに、野邊
に野牛二疋ゐたり。狼これを見て、「是こそ」と思ひ、野牛にむかつて申けるは、「汝がうち一疋、わが餌食
にすべし」と申ければ、野牛、「謹(つ)しんで承。ともかくもにて侍るなり。こゝに申べき子細あり。久し
くあらそふことの侍れば、御裁判をもつて後何共計らはせ給へかし」と申ければ、狼、「なに事ぞ」と問ふ。
野牛答云、「此野をふたりあらそひ候。但給ふべき人なきによ(っ)て、勝負をつけがたく候。しからずは、
われら二疋、向かひより御そばに走りきたり候べし。とく走り着きたらん物に其理を付させ給へ」と云。「と
く〳〵」と申ければ、野牛、向かひより左右に走りかゝり、角にて狼の太腹を掻き切つて、その身は山にぞ入
にける。狼疵をかうむりて、「こはしあはせわろき事哉」と、鼻息鳴らしてそこを過ぬ。

 又、河のほとりに家猪親子あそびゐける所を、「是こそ」と思ひ、家猪にむかつて申けるは、「汝が子を餌
食とすべし。心得よ」と申ければ、家猪心得て云、「ともかうも御計らひにまかせ侍るべし。たゞし、我子は
いまだ幼少に候へば、戒縁を授けず候。見申せば、御出家の御身なり。御結縁に戒を授け給へかし」と望けれ
ば、讚めあげられて、「さらば」といふ。橋の上にのぼりて、「こゝにきたれ」と申けるを、家猪我子をつれ
て行さまにつと寄りて、橋より下に突きおとし、我身は家にぞ歸りける。狼、浮きぬ沈みぬ流されて、やう〳
〵と這ひあがり、「あら夢見惡や。」

8 鳩と蟻の事

 ある河のほとりに、蟻あそぶ事有けり。俄に水かさまさりきて、かの蟻をさそひ流る。浮きぬ沈みぬする所
に、鳩木末より是を見て、「あはれなるありさまかな」と、木末をちと食ひ切つて河の中におとしければ、蟻
これに乘つて渚にあがりぬ。かゝりける所に、有人、竿のさきにとりもちを付て、かの鳩をささんとす。蟻心
に思ふやう、「たゞ今の恩を送らふ物を」と思ひ、かの人の足にしゝかと食ひつきければ、おびへあがつて、
竿をかしこに投げ捨てけり。其ものの色や知る。しかるに、鳩是をさとりて、いづく共なく飛び去りぬ。

 そのごとく、人の恩を受けたらん者は、いかさまにもその報ひをせばやと思ふ心ざしを持つべし。

9 狼と犬の事

 有はすとる、羊の警固に犬を持ちけれど、餌食をすなほにあたへざれば、痩せをとろへてぞありける。狼こ
の由を見て、「御邊はなにとて痩せ給ふぞ。我に羊を一疋たべ。かの羊を盜み取りて逃げん時、跡よりおつか
け、まろび給へ。この事見給ふならば、御邊に餌食を給べし」といへば、げにもと同心す。案のごとく、狼羊
をくわへて逃げ去時、犬あとよりおつかけ、まろびたはれて歸りけり。はすとる怒つて云、「何とて羊を取ら
れけるぞ」といひければ、犬答云、「われ此程餌食なくして、さん〴〵に疲勞つかまつりて候。そのゆへに羊
を取られて候」といへば、「げにも」とて、それよりして餌食をあたへぬ。

 又狼來て、「わが謀いさゝかたがふべからず。今一疋羊を給れ。このたびもおつかけ給へ。われにいささか
疵を付させ給へ。しかれども、深手ばし負せ給ふな」と堅く契約して、羊をくわへて逃ぐる所を、つとおつか
け、かの狼をすこし食い破りて歸りぬ。主人是を見て、快しとて、彌餌食をあたへてすくやかにす。

 又狼來て、いま一つ所望す。犬申けるは、「このほど主人より飽くまで餌食をあたへられ、五體もすくやか
になり候へば、えこそ參らすまじき」と云放しければ、「なにをがな」と望みけるほどに、犬教へて云、「わ
が主人の篭にさま〴〵の餌食有。行きて用い」と云ければ、「さらば」とて篭に行、まづ酒壷を見て、思ひの
まゝにこれを飮む。飮み醉て後、こゝかしこたゝずみありく程に、はすとりの歌ふを聞きて、「かれきたなげ
なる者さへ歌ふに、我又歌はであらんや」とて、大聲あげておめくほどに、里人聞きつけて、「あはや、狼の
きたるは」とて、弓胡●にて馳せ集まる。是によ(っ)て、狼終にほろぼされぬ。

 其ごとく、召し使ふ者に扶持を加へざれば、その主の物を費やすと見えたり。
10 狐と狼の事

 ある孤、子を儲けけるに、狼をおそれて名付親とさだむ。狼承て、その名をばけまつと付けたり。狼申ける
は、「其子を我そばにおいて學文させよ。恩愛のあまり、みだりに惡狂ひさすな」といへば、狐げにもと思ひ、
狼に預けぬ。

 狼、此ばけまつをつれて、ある山の嶽にあがり、わが身はまどろみ臥したり。「けだもの通らば起せよ」と
云つけたり。さるによ(っ)て、家猪その邊を通る程に、ばけまつ狼を起して是を教ゆ。狼申けるは、「いさ
とよ、あの家猪は、毛もたゞ強くして、口をそこなふ物也。これをば取るまじき」といふ。又、牛を野飼ひに
放すほどに、ばけまつ教へければ、狼申けるは、「是もはすとる犬など云物多し。取るまじ」といふ。又、■
驛の有けるを教へければ、「これこそ」とて、走りかゝつて、頚をくわへて我本にきたり、子のばけまつもと
もに食いてんげり。

 其後、ばけまついとまを請ひければ、狼申けるは、「いまだ汝は學文も達せず。今しばらく」とてとゞめけ
れ共、「いな」とてまかり歸る。母狐これを見て、「なにとて早く歸るぞ」と云ければ、「學文をばよく窮め
てこそ候へ。その手なみを見せ奉らん」とて、山野に出づ。狐、家猪を見て、「これを取れかし」と教へけれ
ば、「あれは毛たゞ強き物にて、口の毒なり」とて取らず。牛を教へければ、「はすとる犬など云ものあり」
とて取らず。■驛を教へければ、ばけまつ申けるは、「あなうれし。これこそ」とて、狼のしたるごとく、頚
にとびかゝりければ、結句馬に■らゐ殺さる。母悲しむ事かぎりなし。

 そのごとく、いさゝかの事を師匠に學びて、いまだ師匠もゆるさぬに、達したると思ふべからず。この狐も、
年月を經て、狼のしわざを習はば、かゝる聊爾なるわざはせじとぞ。

11 野牛と狼の事

 ある人、あまたの羊を買い取り、其後羊の警固に猛き犬をぞ買ひ添へける。これによ(っ)て、狼すこしも
此羊を犯さず。しかるに、かの犬俄に死にけり。はすとる愁へて云、「この犬死して後は、羊さだめて狼に取
られなんず。いかゞはせん」と歎きければ、野牛進み出て申けるは、「この事あながちに悲しみ給ふべからず。
其ゆへは、我角をおとし、かの犬の皮を着せて、羊を警固させ給へ。さだめて狼おそれなんや」と申ければ、
はすとる、げにもとてそのごとくしけり。これによ(っ)て、狼、犬かと心得て、羊のそばに近づく事なし。

 然所に、狼、もつての外飢ゑにつかれて、その死せん事をもかへり見ず、つと寄つて羊をくわへて逃ぐる所
を、かの野牛おつかけたり。狼、あまりにおそれて、いばらの中へ逃げ入ければ、野牛續ゐておつかけたり。
何とかしたりける、犬の皮をいばらに引かけて、もとの野牛にぞあらはれける。狼此由を見て、「こは不思議
なるありさまかな。犬かと思へば、野牛にてあんめるぞや」とて立返り、野牛を召し篭め、「汝なにのゆへに
われを追ふぞ」といひければ、野牛ことばなふして、「御邊の驅足の程をこゝろみんとのために、たはぶれに
こそ」と陳じければ、狼怒つて申やう、「たはぶれも事にこそよれ、いばらの中へおつこうで、手足をかやう
にそこなふ事、なにのたはぶれぞや。所詮その返報に、御邊を食ひ殺し奉るべし」といひてほろぼしぬ。

 其ごとく、きたなき者の身として、賢しき人をたぶらかさんとする事、蟷が斧をもつて隆車に向かふがごと
し。うつけたる者は、うつけて通るが、一藝ぞや。賢だてこそうとましけれ。

12 鷲と烏の事

 ある鷲、餌食のために羊の子を掴み取つて■らふ事ありけり。烏これを見て、「あなうらやまし。いづれも
鳥の身として、なにかはかやうにせざるべき」と我慢おこし、「我も」とて、野牛のあるを見て掴みかゝりぬ。
それ野牛の毛は、縮みて深きもの也。かるがゆへに、かへつてをのれが臑をまとひてばためく所を、主人走り
寄つて烏を取りて、「奇怪なり。いましめて命を絶つべけれども」とて、羽を切つてぞ放しける。ある人、か
の烏にむかつて、「汝は何者ぞ」と問へば、烏答云、「きのふは鷲、けふは烏なり」といへり。

 そのごとく、我身のほどを知らずして、人の威勢をうらやむ者は、鷲のまねをする烏たるべし。

13 師子王と驢馬の事
 有驢馬病しける所に、獅子王來てその脈を取りこゝろむ。驢馬これをおそるる事かぎりなし。師子王懇のあ
まりに、その身をあそここゝを撫で廻して、「いづくか痛きぞ」と問へば、驢馬謹(つ)しんで云獅子王の御
手の當り候所は、今までかゆき所も痛く候」と、震い+ ぞ申ける。

 そのごとく、人の思はくをも知らず、懇だてこそうたてけれ。大切をつくすといふとも、つねに馴れたる人
の事なり。知らぬ人にあまりに禮をするも、かへつて狼藉とぞ見えける。

14 野牛と狐の事

 ある時、野牛と狐と、渇に望て、井桁のうちにおち入て水を飮み終つて後、あがらんとするによしなき狐申
けるは、「ふたりながら、この井桁の中にて死なんもはかなき事なければ、謀をめぐらして、いざやあがら
ん」とぞいひける。野牛、「もつとも」と同心す。狐申けるは、「まづ御邊せいを伸べ給へ。其せなかにのぼ
りて上にあがり、御邊の手を取りて上へ引き上げ奉らん」といふ。野牛、「げにも」とてせいを伸べける所を、
狐そのあたまを踏まへて上にあがり、笑つて云、「さても+ 御邊はおろかなる人かな。その鬚ほど智惠を持
ち給はば、われいかゞせん。なにとしてかは御邊を引き上げ奉らんや。さらば。」とて歸りぬ。野牛、空しく
井のもとに日を送りて、つゐに、はかなくなりにけり。

 其ごとく、我も人も難儀にあはん事は、まづわが難儀を遁れて後、人の難をも除くべし。わが身地獄に落ち
て、他人樂しみを受くればとて、わが合力になるべきや。これを思へ。

15 ある人佛を祈る事

 ある人、一つの佛像を安置して、つねに名利福祐を祈る。日に添ひて貧しくいやしくなれども、さらにその
利生ある事なし。これによ(っ)て、かの人怒つて、佛像を取(っ)て打ち碎く所に、その佛のみぐしの中に
金數百兩有けり。その時、かの人佛を祈つて云、「さても此佛をろかなる佛かな。われつねに香花燈明を備へ、
恭敬禮拜する時は、此金をあたへずして、其身をほろぼす時福をさだめけるよ」と笑ひよろこびけり。

 そのごとく、惡に極まりたる者、その自然を待ち、善に立返る事なし。おさへて、佛を割るがごとく、惡を
善に飜す樣にすべし。

16 鼠と猫の事

 ある猫、家のかたはらにかゞみゐて、日々に鼠を取りけり。鼠さしつどいて申けるは、「何とやらん、この
程は、我親類一族も行がた知らずなり侍るぞ。たれかその行衞を知り給ふ」といふ。こゝに年たけたる鼠進み
出て申けるは、「こと高し。しづまれとよ。それは、この程、例の猫といふいたづら者、此うちに來て、餌食
になし侍るぞや。かまひて油斷すな」などと申ければ、をのをの僉議評定して、「しかるにおゐては、今日よ
りして各天井に計住むべし」といふ法度をさだめり。猫、この由を聞きて、いかんともせんかたなさに、「た
ばからばや」と思ひて、死したる體をあらはして、四つ足を踏み伸べ、久しくはたらかずして居ける所を、鼠
ひそかに此事を見て、上より猫に申けるは、「いかに猫、そらだまりなしそ。汝が皮を剥がれ、文匣の蓋にな
るとも、下にさがるまじきぞ」とひければ、猫是非におよばず起きあがりぬ。

 そのごとく、一度人を懲らす人は、いつも惡人ぞと人これをうとんず。たゞ人は、をろかにして、他人に拔
かれたるにしくはなし。かまへてかゝる末の世に、人を拔かんと思ふ事なかれ。

17 鼠の談合の事

 ある時、鼠老若男女相集まりて僉議しけるは、「いつもかの猫といふいたづら者にほろぼさるゝ時、千たび
悔やめども、その益なし。かの猫、聲をたつるか、しからずは足音高くなどせば、かねて用心すべけれども、
ひそかに近づきたる程に、由斷して取らるゝのみなり。いかゞはせん」といひければ、故老の鼠進み出でて申
けるは、「詮ずる所、猫の首に鈴を付てをき侍らば、やすく知なん」といふ。皆々、「もつとも」と同心しけ
る。「然らば、このうちより誰出てか、猫の首に鈴を付け給はんや」といふに、上臈鼠より下鼠に至るまで、
「我付けん」と云者なし。是によ(っ)て、そのたびの議定事終らで退散しぬ。
 其ごとく、人のけなげだてをいふも、只疊の上の廣言也。戰場にむかへば、つねに兵といふ物も震ひわなゝ
くとぞ見えける。しからずは、なんぞすみやかに敵國をほろぼさざる。腰拔けのゐばからひ、たゝみ大鼓に手
拍子とも、これらの事をや申侍べき。

18 男二女を持つ事

 有男、二人妻を持ちけり。ひとりは年たけて、一人は若し。ある時、此男、老たる女のもとに行時、その女
申けるは、「我年たけ齡おとろへて、若男に語らふなどと人のあざけるべきも恥づかしければ、御邊の鬢鬚の
黒きを拔きて、しらがばかりを殘すべし」といひて、たちまち鬢鬚の黒を拔ひて、白きを殘せり。この男、
「あなう」と思へど、恩愛にほだされて、痛きをもかへりみず拔かれにけり。

 又、ある時、若き女のもとに行けるに、此女申けるは、「われさかんなる者の身として、御邊のやうに白髮
とならせ給ふ人を妻と語らひけるに、「世に男の誰もなきか」なんどと人の笑はんも恥づかしければ、御邊の
鬢鬚の白きをみな拔かん」と云て、これをこと〴〵く拔き捨つる。されば、この男、あなたに候へば拔かれ、
こなたにては拔かれて、あげくには、鬢鬚なふてぞゐたりける。

 そのごとく、君子たらん者、故なき淫亂にけがれなば、たちまちかゝる恥を受けべし。しかのみならず、二
人の機嫌を計らうは、苦しみつねに深き物なり。かるがゆへにことわざに云、「ふたりの君に仕へがたし」と
や。

19 ■■の事

 ある■■、あまた子を持ちけるなり。其子をのれが癖に横走りする所を、母これを見て、諌めて云、「汝ら
何によりてか横さまには歩みけるぞ」と申ければ、子共謹(つ)しんで承り、「一人の癖にてもなし。われら
兄弟、皆形のごとし。然らば、母上ありき給へ。それを學び奉らん」といひければ、「さらば」とてさきにあ
りきけるを見れば、我横走りにすこしもたがはず。子ども笑ひて申けるは、「われら横ありき候か、母上のあ
るかせ給ふは、縱ありきか、そばありきか」と笑ひければ、ことばなふてぞゐたりける。

 そのごとく、わが身の癖をばかへり見ず、人のあやまちをば云もの也。若さやうに人の笑はん時は、退ひて
人の是非を見るべきにや。

20 孔雀と鶴の事

 有時、鶴と孔雀と淳熟してあそびけるに、孔雀わが身を讚めて申けるは、「世中にわがつばさに似たるはあ
らじ。繪に書くともおよびがたし。光は玉にもまさりつべし」などと誇りければ、鶴答云、「御邊の自慢、も
つともそきせぬ事にて候。空を翔ける物の中に、御邊にならびて果報めでたきものは候まじ。但、御身に缺け
たる事二つ候。一つには、御足本きたなげなるは、錦を着て足に泥を付けたるがごとし。二つには、鳥といつ
ぱ、高く飛ぶをもつて其徳とす。御邊は飛ぶといへども、遠く行かず。是を思へば、つばさは鳥かして、その
身はけだものにてあん成ぞ。すこしき徳に誇つて、大なる損をばわきまへずや」とぞ恥を示しける。それより
して、孔雀、わづかに飛びあがるといへども、此事を思ふ時は、つばさ弱りて勢なし。

 そのごとく、人としてわが譽をさゝぐる時は、人の憎みをかうむりて、果てにはあやまりをいひ出さるゝ物
なりけれ。我慢の人たりといへども、道理をもつてその身を諌めば、用いず顏をするといふ共、心にはげにも
と思ひて、いささかも謙る心有べし。

21 人を嫉むは身を嫉むと云事

 ある御門、二人の人を召出し給ふ事ありけり。一人は欲心深き物なり。いま一人は、人を嫉む心深き者なり。
御門二人の物に仰けるは、「汝ら、我らにいかなる事をも望み申せ。後に望まん物は、前の望みに、一倍をあ
たへん」との給へば、欲心なる者は、「なに事にてもあれ、一倍取らん」と思ふによ(っ)て、初めに請ひ奉
らず。今一人の者は、なに事にてもあれ、人を猜む者なるによ(っ)て、「我にまさりてかれに取らせんも嫉
まし」とや思ひけん、是も初に請い奉らず。我さきせよ、人さきにせよといどみあらそふほどに、時刻移りけ
れば、「とくとく」と輪言ならせ給ふ程に、かの侫人思ふやう、「こゝなるやつめが、あまりに欲心深き事の
嫉ましければ、かれに仇を望まん」とて、進み出でて申けるは、「しからば、わが片方のまなこを拔きたく侍
る」と奏しければ、「やすき所望」とて片目を拔かれ、そのごとく、侫人と云者は、人の榮ふる事を見ては、
悲しむ顏にて、内心にはよろこぶものなり。されぱ、かの物、おれが片目を拔かるゝといへども、かれが兩眼
を拔かんがため、まづ苦しみを堪忍せんとするにや。此侫人を上覽あつて、御門これをあはれみ給ひ、今一人
はつゝがもなくてぞまかり歸る。人に押し懸けんと思ふは、まづわが身の苦しみと見えたり。「血を含みて人
に噴けば、まづその口けがるゝ」とこそ申傅へけれ。

22 蛙と牛の事

 ある河のほとりに、牛一疋こゝかしこへ餌食をもとめありき侍しに、蛙これを見て心に思ふやう、「わが身
をふくらしなば、必ずもやあの牛のせいほどなりなん」と思ひて、きつと伸びあがり、身の皮をふくらして、
子どもにむかつて、「今は此牛のせいほどなりけるや」と尋ねければ、子どもあざ笑ひて云、「いまだ其位な
し。憚りながら、御邊は牛に似たり給はず。正しく蕪のなりにこそ見え侍りけれ。御皮の縮みたる所侍る程に、
いますこしふくれさせ給はば、あの牛のせいになり給ひなん」と申ければ、蛙答て申さく、「それこそいとや
すき事なれ」といひて、力およびゑいやつと身をふくらしければ、思ひの外に皮俄に破れて、腸出て空しくな
りにけり。

 そのごとく、およばざる才智位を望む人は、望む事を得ず、終にをのれが思ひ故に、かへつて我身をほろぼ
す事有也。

23 わらんべと盜人の事

 ある井のそばに、童子一人)ゐたりしが、あなたこなたをながめける間に、盜人一人走り來て、このわらん
べを見て心に思ふやう、「あなうれし。この者の衣裳を剥ぎ取らばや」と思ひて近付侍る程に、盜人の惡念を
さとつて、いと悲しき氣色をあらはして、泣く〳〵ゐたりしが、盜人是を見て、何事共知らず、よのつねの悲
しびにはあらず、いとふ敷覺えて、さし寄りて、「いかなる事を悲しむ」といへば、わらんべ云やう、「誠に
は、なにをか祕し申さん、心に憂き事あり。たゞ今黄金の釣瓶をもつて水を汲まんとする所に、俄に繩が切れ
て、井どにおち入ぬ。千たび尋ねもとむれどもせんかたなし。いかにしてか主人の前にて申べきや」と云けれ
ば、盜人是を聞きて、おもてにはあはれに悲しきふりをあらはして、慰めて云、「いとやすき事哉。我底へ入
て引き上ぐべければ、汝いたく歎くべからず」。わらんべこれを聞きて、うれしくて涙を拭ひて頼みにけり。

 その時、盜人、着る物を脱ぎておき、井どの中におりて、こゝかしこ見尋ぬるひまに、わらんべこの着る物
を取つて、いづちともなく逃げ去りぬ。盜人、やゝ久しく釣瓶を尋けれ共、これにあはず。かゝるほどに上に
あがりしかば、おきたる着る物もわらんべもうせて見え侍らず。その時、われとわが身に怒つて、ひとりごと
をいふやう、「誠に道理の上よりこれを天道計らひ給ふ。其故は、人の物を盜まんとする者は、かへつて盜ま
るゝ物なり」といひて、あかはだかにて歸りにけり。

 そのごとく、我人も前後始終を糺さずして、みだりに人をたばからんとせざれ。たとひ相手にいやしき者な
りとも、理を枉げんとせば、その悔ゐ有べし。なに事も、致さぬさきに、まづきたるべき損得を考ゆべき事、
もつとも道理にかなふべし。

24 修行者の事

 ある修行者、行き暮れて、わづかなるあやしのしづの屋に、一夜宿を借りける。主じ情深き者にて、結縁に
とて貸しける。ころは冬ざれの霜夜なれば、手足こゞへてかゞまりければ、わが息を吹かけてあたゝめけり。
やゝあつて後、熱き飯を食ふとて、息をもつて吹きさましければ、主じ此由を見て、「あやしき法師のしわざ
かな。つめたき物をば熱き息をいだしてあたゝめ、熱き物はひやゝかなる息出してさまし侍るぞや。いかさま
にもたゞ人のしわざとも見えず。天魔の現じきたれるや」とをろかにおそれて、曉がたにおよびて追ひ出しぬ。

 そのごとく、至つて、心つたなき物は、わが身に具足したることをだにもわきまへず、やゝもすれば惑ひが
ちなり。これほどの事をだにわきまへぬやからは、能事を見てはかへつて惡しゝとや思ふべき。かねてこれを
心得よ。これは、うち聞けば、をろかなるやうなれども、人の世にあつて、道に迷へる事、かの主じが、人の
息の熱きとぬるきと、わきまへかねたるにことならざるものなり。
25 庭鳥金の卵を産む事

 ある人庭鳥を飼いけるに、日々に金のまろかしをかい子に産む事有。主これを見て、よろこぶ事かぎりなし。
しかりといへども、日に一つ産む事を堪へかねて、「二つも三つも續けさまに産ませばや」とて、その鳥を打
ちさいなめども、其驗もなく、日々に一つより外は産まず。主心に思ひけるやうは、「いかさまにも此鳥の腹
には、大なるこがねや侍るべき」とて、その鳥の腹を割く。かやうにして、頂より足のつまさきまで見れども、
別のこがねはなし。その時主後悔して、「もとのまゝにておかましものを」とぞ申ける。

 そのごとく、人の欲心に耽る事は、かの主が鳥の腹を割けるにことならず。日々にすこしの儲けあれば、そ
の一命を過ぐる物なれども、積みかさねたく思ふによつて、つゐに飽き足る事なふて、あまつさへに寶をおと
して、其身をもほろぼすもの也。

26 猿と犬との事

 ある女猿、一度に二つ子を産みけり。されば、我胎内より同子を産みながら、一つをば深く愛し、一つをば
をろそかにす。かの憎まれ子、いかんともせんかたなふて月日を送れり。わが愛する子をば前に抱き、憎む子
をせなかにおけり。

 ある時、うしろより猛き犬來る事あり。此猿あはてさはひで逃ぐるほどに、抱く子をかたわきに挾みて走る
ほどに、すみやかに行く事なし。しきりにかの犬近付ければ、まづ命を助からんと、片手にてわき挾みたる子
を捨てて逃げ延びけり。かるがゆへに、つねに憎みて、せなかにおける憎まれ子は、つゝがもなく取り付きき
たれり。かの寵愛せし子は、犬に食ひ殺されぬ。いくたび悔やめども甲斐なきによつて、つゐにかの憎みつる
子をおほせたてて、前の子のごとくに寵愛せり。

 そのごとく、人としても、今までした敷思ふ者にうとんじ、をろそかなる者に眤ぶも、たゞ此猿のたとへに
ことならず。是によ(っ)て是を思へば、かれはよし、これは惡しと品を擇ぶべからず。たれもひとしく思ふ
ならば、人又われを思ふべき事疑ひなし。

27 土器慢氣をおこす事

 ある土器を作りて、いまだ燒かざる前に乾しけり。此土器思ふやう、「さてもわが身は果報めでたき物かな。
あるひは田夫野人の踏みものたりし土なれども、かゝるめでたき折節に生れあひて、人に愛せらるゝことのう
れしさよ」と慢じゐける所に、夕立、かの土器のそばにきたつて申けるは、「御邊は何人にておはせしぞ」と
問ひければ、土器答云、「われはこれ帝王の盃也。いやしき物のすみかにゐたる事なし」と申ければ、夕立申
けるは、「御邊はもとを忘れたる人なり。今さやうにいみじく誇り給ふとも、一雨あたまにかゝるならば、た
ちまちもとの土となつて、厠垣壁に塗られなんず。人もなげに慢じ給ふ物かな」といひ捨てて、俄に夕立、か
みなりさはひで、かの土器を降りつぶしければ、本の土とぞなりたりける。

 其ごとく、人の世にありて、世路に誇るといへども、たちまち土器の雨に碎くるがごとく、不定の雨にさそ
はれて、野邊の土とぞ成にける。我身よく〳〵觀ずれば、かの土器にことならず。恩愛のしたしきいもせの中
も、思へば根本土なりけり。かくけがらはしき土をのみ愛して、當來の勤めをせぬ人は、無常の夕立に打たれ
ん時、千たび悔ゆるとも甲斐あるまじひ。かねて此事をよく案ぜよ。

28 鳩と狐の事

 ある時、うへ木に鳩巣をくふことありけり。しかるを、狐その下にあつて、鳩に申けるは、「御邊は何とて
あぶなき所に子を育て給ふや。この所におかせ給へかし。雨風の障りもなし、穴にこそおくべきけれ」と云け
れば、をろかなる者にて、誠かと心得て、その子を陸地に産みけり。しかるを、狐すみやかに餌食になしぬ。
其時、かの鳩をどろひて、木の上に巣をかけけり。然るを、隣の鳩教へけるは、「さても御邊はつたなき人な
り。今より以後、狐さやうに申さば、「汝この所へあがれ。あがる事かなはずは、まつたくわが子を果たすべ
からず」とのたまへ」といへば、「げにも」とていひければ、狐申けるは、「今よりして、御邊の上にさはが
する事あるまじ。但、頼み申べき事あり。その異見をば、いづれの人より受けさせ給ふぞ」と申ければ、鳩つ
たなふして、しかじかの鳥と答ふ。
 ある時、かの鳩に教へける鳥、下におりて餌食を食みける所に、狐近づきて云、「そも〳〵御邊、世になら
びなきめでたき鳥なり。尋申たき事有。其故は、塒に宿り給ふ前後左右より烈しき風吹時は、いづくにおもて
を穩させ給ふや」と申ければ、鳥答云、「左より風吹く時は、右のつばさにかへりをさし、右より風吹く時は、
左のつばさにかへりをさし候。前より風吹く時は、うしろにかへりをさし候。うしろより風吹く時は、前にか
へりをさし候」と申。狐申けるは、「あつぱれその事自由にし給ふにおゐては、誠に鳥の中の王たるべし。た
ゞし、虚言や」と申ければ、かの鳥、「さらばしわざを見せん」とて、左右に頚をめぐらし、うしろをきつと
見る時に、狐走りかゝつて■らい殺しぬ。

 そのごとく、日々人に教化をなす程ならば、まづをのれが身をおさめよ。我身の事をばさしおきて、人の教
化をせん事は、ゆめ〳〵あるべからず。

29 出家とゑのこの事

 ある人、ゑのこ一疋なつけ育て、是を愛しけるが、年比ありて、なにとかしたりけん、かのえのこ俄に死す
る事ありけり。主じ、これを歎き悲しみて、心に思ふやう、「かゝるいとけなきえのこの死骸は、山野に捨て
んよりは、とてもの事に寺のかたはらにうづまばや」と思ひて、日暮に臨んで、人に忍びて、是を取りつゝ堂
のほとりにうづみける。

 やゝあつて、かの寺の僧これを傳へ聞きて、「これは何物のしわざぞや。かゝる狼藉、前代未聞ためしな
し」といひければ、かの主じをよびて、すでにあや敷いましめられ侍りける。主じ、さらに返答におよばず、
赤面してゐたりしが、遁るべきかたなくて、此出家の重欲心をさとつて申けるは、「御邊の仰せらるる所、も
つとも道理至極なり。然ども、御存知なきにや侍らん。此えのこの臨終、さも有難くいみじき心ざしあり。そ
れをいかにと申に、後世を弔はれんそのために、持ちたる百貫の料足を、貴僧に奉るべしといひおき侍る」と
ありければ、僧これを聞ひて、思ひの外に勇む氣色にていふやう、「さても+ かゝるありがたき心ざしはた
ゞ事にあらず。我をろかなる者の身として、ゆめ〳〵是を知らずといましめ侍るなり。御邊は歎き給ふ事なか
れ。これほどの心ざしを持ちたらんは、たとひ畜類なりといふとも、必極樂へ生れん事、いさゝかも疑ひ玉ふ
事あらじ。われもろともにかの跡を懇に弔ふべし」とて、此ゑのこの心ざしを、奇特なりとて貴まれける。

 そのごとく、欲に耽る物は、かの出家にことならず。人あつて引物をさゝれければ、寶に目をくらして、理
を非に枉ぐる事是多し。かるが故に、「欲深ければ、戒を破り、罪を作り、身をほろぼす物也」とぞ見えけり。
これを思へ。

30 人の心のさだまらぬ事

 ある翁、市に出て馬を賣らんと思ひ、親子つれてぞ出たりける。馬をさきに立てて、親子跡に苦しげに歩む
ほどに、道行人これを見て、「あなおかしの翁のしわざや。馬を持ちては乘らんがため也。馬をさきに立てて、
主はあとに歩む事は、餓鬼の目に水の見えぬといふも此事にや」といひて通りければ、翁、げにもとや思ひけ
ん、「若き者なれば、くたびれやする」とて、わが子を乘せて、我はあとにぞつきにける。

 又人これを見て、「是なる人を見れば、さかん成物は馬に乘りて、翁はかちより行く」とて笑ければ、又子
ををろして翁乘りぬ。又申けるは、「これなる人を見れば、親子と見えけるが、あとなる子はもつての外くた
びれたるありさまなり。かゝるたくましき馬に乘りながら、親子一つに乘りもせで、くたびれけるはおかしさ
よ」といひければ、げにもとて、わが子を尻馬に乘せけり。

 かくて行ほどに、馬やうやくくたびれければ、又人の申けるは、「是なる馬を見れば、ふたり乘りけるによ
(っ)て、ことの外くたびれたり。乘りて行かんよりは、四つ足を一つに結ひ集め、二人して荷ふてこそよか
んめれ」といひければ、げにもとて、親子して荷ふ。又人の申けるは、「重き馬を荷はんよりは、皮を剥ゐで
輕々と持つて賣れかし」といへば、げにもとて、皮を剥がせて、肩にかけて行程に、道すがら蝿共取り付ゐて
目口もあかず。市の人々是を笑ひければ、翁腹立て、皮を捨ててぞ歸りける。

 其ごとく、一度かなたこなたと移る者は、翁がしわざにことならず。心輕き者は、つねにしづかなる事なし
と見えたり。輕々しく人のことを信じて、みだりに移る事なかれ。但、よき道には、いくたびも移りてあやま
りなし。事ごとによければとて、胡亂に見ゆる事なかれ。たしかに愼しめ。
31 鳥人に教化をする事

 ある人、片山のほとりにおゐて、小鳥をさし取る事あり。これを殺さんとするに、かの鳥支へて申けるは、
「いかに御邊、我程の小鳥を殺させ給へばとて、いかばかりの事か候べきや。助け給はば、三つの事を教へ奉
らん」といふ。「さらばいへ」とて、その命を助く。かの鳥申けるは、「第一には、あるまじき事をあるべし
と思ふ事なかれ。第二には、もとめがたき事をもとめたきと思ふ事なかれ。第三には、去つて還らざる事を悔
やむ事なかれ。此三つをよく保たば、あやまり有べからず」と云を聞ひて、此鳥を放しぬ。

 その時、鳥、高き木末に飛びあがり、「さても御邊はをろかなる人かな。わが腹にならびき玉を持てり。こ
れを御邊取り給はば、世にならびなく榮へ給ふべき物を」と笑ひければ、かの人千たび後悔して、二たびかの
鳥を取らばやとねらふほどに、かの鳥又申けるは、「いかに御邊、御身にまさりたるつたなき人は候まじ。そ
のゆへは、只今御邊に教へける事をば、何とか聞き給ふや。第一、あるまじき事をあるべしと思ふ事なかれと
は、まづわが腹に玉ありといふは、あるべき事やいなや。第二には、もとめがたき事をもとめたきと思ふ事な
かれとは、我を二たび取ることなかるべからず。第三には、去つて還らぬ事を悔やむ事なかれとは、我を一た
び放つもの、かなはぬ物故ねらふ事、去つて還らぬを悔やむにあらずや」とぞ恥ぢしめにける。

 其ごとく、人つねにこの三つに惑へるものなり。よき教へ目の前にありといへども、これを見聞ながら、保
つ者ひとりもなし。あながち鳥の教へたるにも有べからず。人はけだものにも劣ると云事を知しめんがためと
かや。

32 鶴と狐の事

 ある田地に、鶴餌食をもとめてゐたりしに、古老の狐かれを見て、「たばからばや」と思ひて、そばに近付
て云、「いかに鶴殿、御邊は何事をか尋給へる。若乏しく侍らば、わが、宅所へきたらせよ。珍しき物あたへ
ん」と、いと睦ましく語らひければ、鶴得たり賢しとよろこびて同心す。狐、急ぎ走り歸つて、粥のやうなる
食物を淺き金鉢に入て、鶴にむかつていふやう、「御邊は固き物をきらひ給ふなれば、わざと粥をこそ」とて
さゝげければ、鶴件の長きはしにて食はん+ とすれど、かなはざれば、狐これを見て、「御邊は不食に見え
たり。かゝる珍物を空しく捨てんよりは、我に給はれ」とて、みなをのれが取り■らいて、「奇怪成」とあざ
ければ、鶴はなはだ無念に思ひて、「いかさまにも此返報をせばや」と思ひて歸りしが、やゝほど經て、鶴件
の狐にあひていふやう、「我只今珍しき食物を儲けたり。來りて食し給へかし」とすゝめければ、狐、「すは
や先度の返報か」とて、鶴の宅所に到りけり。その時、鶴、口の細き入物に匂よき食い物を入て、狐の前にお
き侍りければ、狐是を見るよりも好ましく思ひて、入れ物のまはりをかなたこなたへめぐりけれ共、かなはざ
るを、鶴、「おかしのさまや」と見て申けるは、「さても御邊はをろかなる人かな。只今飯の時分なるに、い
かで舞ひ踊られけるぞ。食ゐ果たしてこそは舞はんずれ。いで食ゐやうを教えん」とて、件のくちばしをさし
伸べて、とく〳〵食ゐつくし侍れば、狐面目失ひて立去りぬ。

 其ごとくに、みだりに人をあなどらば、人又をのれをあなどるべし。人を懇にせば、人又われをあはれむも
のなり。これによつて、いかほども人にはあなづらるゝとも、われ人をあなどる事なかれ。たとひをろかにす
る共、謙りて從はんにはしかじと見えける也。

33 三人よき中の事

 ある人、三人の知音を持ちけり。一人をば我身よりも大切に思ふ人なり。今一人は、我とひとしく思ふ也。
いま一人は、その次なり。此三人とつねにともなふ事年久し。ある時、その身に難儀出來る時、此知音のもと
に行て、助成をかうむらんとす。まづ、「我難儀を助け給へ」と申ければ、「せんかたなし」とて、いさゝか
も助けず。我とひとしく思ふ人のもとに行て、「わが難儀を助け給へ」といへば、「わが身もまぎらはしき事
あれば、えこそ助け奉るまじけれ。糺し手の門外までは御伴をこそ申べけれ」と計也。又、其次に思ひけるは
知音のもとに行て申■けるは、「われつねに申ぜずして、今更わが身に悲しき事のありとて申事はいかばかり
なれども、われ今大事の難儀あり。助け給へかし」と申ければ、かの知音申けるは、「仰のごとく、つねにし
たしくはし給はね共、さすが知り侍りたる人なれば、只し手の御前にて方人とこそなり侍らめ」といひて出ぬ。

 そのごとく、わが身の難儀とは臨終の事なり。我身より大切に思ひ過したる友とは、財寶の事なり。我身と
ひとしく思ふ友とは、妻子眷屬の事なり。その次に思ふ友とは、わがなすよきやうなり。然らば、命終らん時、
わが財寶に助けんといはば、いかでかは助くべき。かへつて仇とこそ見えられたれ。妻子眷屬を頼めばとて、
いかでかは助かるべき。かへつて、これをもつて臨終の障りとぞ見えける。此知音、「糺し手の門外まで」と
いひしは、墓所まで送る事なり。いさゝかのよきやうの友とこそ、まことに糺し手の御前にて方人とならん事
あきらかなり。その時に臨んでは、「われ存生にありし時、ひとりの方人を若おかまし物を」と、悔やむべき
事疑ひなし。

34 出家と盜人の事

 ある法師、道を行ける所に、盜人一人行きむかつて、かの僧を頼みけるは、「見奉れば、やんごとなき御出
家也。われならびなき惡人なれば、願はくは、御祈りをもつてわが惡心を飜し、善人となり候やうに祈誓し給
へかし」と申ければ、「それこそ我身にいとやすき事なれ」と領掌せられるぬ。かの盜人も返〳〵頼みて、そ
こを去りぬ。

 其後はるかに程經て、かの僧と盜人行きあひけり。盜人、僧の袖を控へて、怒つて申けるは、「われ御邊を
頼むといへども、その甲斐なし。祈誓し給はずや」と申ければ、僧答云、「我其日より片時のいとまもなく、
御邊の事をこそ祈り候へ」とのたまへば、盜人申けるは、「おことは出家の身として、虚言をのたまふ物かな。
その日より惡念のみこそおこり候へ」と申ければ、僧の謀に、「俄に喉かはきてせんかたなし」とのたまへば、
盜人申けるは、「これに井どの侍るぞや。我上より繩を付て、その底へ入奉るべし。飽くまで水飮み給ひて、
あがりたくおぼしめし候はば、引き上げ奉らん」と契約して、件の井どへおし入けり。かの僧、水を飮んで、
「上給ヘ」とのたまふ時、盜人力を出してえいやと引けども、いさゝかもあがらず。いかなればとて、さしう
つぶして見れば、何しかはあがるべき、かの僧、そばなる石にしがみつきておる程に、盜人怒つて申けるは、
「さても御邊はをろかなる人かな。その儀にては、いかが祈祷も驗有べきや。其石放し給へ。やすく引き上奉
らん」と云。僧、盜人に申けるは、「さればこそ、われ御邊の祈念を致すも、此ごとく候ぞよ。いかに祈りを
なすといへ共、まづ御身の惡念の石を離れ給はず候程に、鐵の繩にて引上る程の祈りをすればとて、兼の繩は
切るゝ共、御邊のごとく強き惡念は、善人に成がたふ候」と申されければ、盜人うちうなづゐて、かの僧を引
上奉り、足本にひれ臥て、「げにもかな」とて、それより元結切り、則僧の弟子となりて、やんごとなき善人
とぞなりにけり。此經を見ん人は、たしかに是を思へ。ゆるかせにする事なかれ。

伊曾保物語下終

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