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UD .
C .72 、
03 : 69 .
024 .
e 日本 建築 学 会 論 文報 告 集
第 63 号 ・
昭 和 34年 10 月

・明
幕末 治 初 期 洋風建築 の 小 屋 組 とそ の 発 達

fF 会 員   村  松  貞  次  哀[

  幕末 ・明 治 初期 洋 風建 築 の 小 屋 組 に よ る 系 列 化
 1 .    府や 雄 藩 、維 新 以 後 に お い ては 明治 政 府 な ど に よ る
  トラス の 小 屋 組 は 明 らか に ア ーチ の セ ン タ リン グか ら ・停 車場 等 機 能 的な
   官 公 営 的 な大 規 模 な 建築 り 工場

発 生 した もの で 、起 源 は 古 く中 世に は す で に か な り整 備   設計が 行 わ れ や す く、外 人 技 師 の 関 与 の 仕方が 充 分


さ れた トラス 小 屋 を 見 る が 、そ の tie は 梁 として理解さ    で あ つ た と思 わ れ る もの 。

れ 必 要 以 上 の 寸 法 を もつ て い た と 言 わ れ る 。 ト ラ ス を 力  B ・ 和 小 屋 の系 列 。居 留 地 の外 人居 館 ・商 館 ・明 治初
学的 に 意識 し て 最初に用い た の は イ タ リヤ の A .Palla−   期 の 進 歩 的 な 日本人 工 匠 の 手 に な る 洋風建 築な ど。
dio (1518 〜1580 )で あ つ た が 、そ の 本 格 的 な 応 用 は イ ギ    比 較的規模 が 小 さ く私 的 な 性 格 の 濃 い もの s

リス に お い て Sir Christopher   Wren
  (1632〜1723) ら   こ の 2 つ の 系 列 の 建 築 を 具 体例 に つ い て 検討 し 、そ の
の 努 力に よ り 18 世紀 に 大 成 さ れ た と され て い る 。 また 小屋組 の 和 ・洋 の 違 い が 、朋 治中期 か ら後 期 に か け て 、
そ の 力 学的解 析 は 木 造 ト ラ ス 橋 が 盛 に 用 い られ た 19 世 い か に して 耐 震 的 ・合 理 的な 洋風 トラ ス 小 屋 組 に 統 一さ
紀中葉 の ア メ リカ に お い て 理 論が 形 成 さ れ 、 1860 年代 れて い た か を 見 、そ の 経 過 に 洋 風 建 築 技 術 の 日 本化 過

に Carl Culmann (1821〜81) らに ょ る 図式解法 が 研究 程の 一 斑 を 、 日本 の 建 築 技 術 の 底 辺 を 形 成 す る 木造 建 築


さ れ 設 計 理 論 が 完 成 さ れ た と い わ れ て い る ( )。
1

と工 匠の 技術 に お い て 考 察す る。

  した がつ て明治 1 年 (1868 年 )に は じ ま る 、明治時代   2・ 両 系 列 の 比 較


の 建 築に 用 い られ た 洋風小 屋 、 す な わ ち トラ ス 小 屋 組  A の 系列 に つ い て 一 現存 す る建 物や写 真資料 等 に よ
は、 トラス の 歴史 に おい て もか な り早い 時期 の もの を 導 て 、あ に 洋 風 小屋 組 を と つ て い る も の を 、幕 末
つ き らか
入 し た こ とに な る 。 か ら 明 治 初 期 に わ た つ て あげ る と、
  幕 末 か ら明 治 初 期 に か けて建 て られた 洋風建築 は 、そ   i. 幕 府 長 崎 製 鉄 所 : 1857〜61 年 (安 政 4 〜文 久 1) D

の 構造 ・材 料 に つ い て み る と、石 造 ・煉 瓦 造 ・木 骨 煉 瓦 ー
後の 長 崎 造 艙所 建 築 で あ る 。 オ ラ ン ダ 海軍機 関将校 パ

帳 壁 造 の 如 き石 ・煉 瓦 を 主 体 に す る もの と 、木 造 の 漆 喰 ・ ハ ル デ ス の 指導 の 下 に 幕府 長崎鎔 鉄所 と し て 着工、
大壁 造 また は ナ マ コ 壁 の もの 、 下 見板 張 りペ ン キ 仕上 げ 1860 年 (
万 延 1 ) に 上 棟 式 が 行 わ れ 長 崎製鉄 所 と改 め ら
の もの 等 に 分類 さ れ る 。 しか し こ れ らの 小屋 組 は 、い ず
れ た 。わ が 国最 初 の 本格 的な 工 場で あ り、洋風 建 築 で も
れ も木 材 に よつ て 構成 され た の は もち ろ ん で ある こ の
あ る 。ま た 最初 の 建

築用 煉瓦 の 焼成 も行わ れ た ら し い 。

・洋 の 差 、す な わ ち そ れ ぞ れ 和
小屋 組 の 構造方 法 に は和 当初 の 規 模 は 、鍛 冶 場 (44 ・ 4 尺 )・工 作場 (150 ・
8 × 77 ・ 4
尺 ) ・鎔 鉄 場 ・倉庫 な
風 の 小 屋 組 と洋 風 の ト ラ ス 小 屋 組 を と つ て い る もの が あ x83 330x240
( 尺 ) の 他 蘭 人 住宅
る。 当 時の 建 築 を 遺 構 そ の 他 の 資料 に よつ て 調べ る と 、 ど が あ つ た と い わ れ る 。1863 年 (文久 3) の 写
2
真 〔 )に よ
この 小屋組 の 差は 、そ れ ぞ れ の 建 築 の 設 計、施 工 に お け る と、未 発 達 な 形 式 で は あ る が ト ラ ス 類 似 の 洋 風 小 屋 組
る 外人技師 と 日本人 工 匠 との タ ッ チ の 仕 方 、設 計 の 重 点 ・石 ・煉 瓦 混 用
を とつ て い る こ とが 知 られ る 。 木 の 建
の お き方 の 違 い を 示 し、 さ ら に 建 築 の 註 文 主 ・種 類 ・規
築 。

模 等に ょる 2
 ii. 横 浜 英 一番 館 (ジ ャ ーデ ン ・マ ゼ ソ ン 商会 ): 1859
つ の 系 列を 示 し て い る よ うに 思わ れ る っ そ
の 2つ の系 列とは 、 年 (安 政 6 ) 建 築 。木 造 石 貼 2 階 建 。鹿 島 建 設 の 初 代 鹿
  A . 洋小 屋 (ト ラ ス 小 屋 ) の 系 列 島 岩吉 (1816 〜1885) が 施 工 し た と い う 明 治 3 年 一蠶
。 幕末 に お い て は幕 。

斉 芳 幾 画 の 錦 絵 に よ る と、 整 備 され た King −pest 小 屋

第 1 図  旧集 成 館 機械 工 場

  東 大生 産技 術 研 究 所 助 手 第 2図 同 小屋 トラ ス

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第 3図 横 須 賀製 鉄 所 製 缶 お よ び 鋳 造 工 場 第 4図 富 岡 製 絲 所 繰 糸 工 場 小屋 ト ラ ス

組 を とつ て い る 。 当時 の 同商 会 の 政 治 ・経 済 上 の 位 置 を ?) を 首 長 と し 、仏 人 Bastien を 建 築 師 と して 1871〜
考 え る と 、こ の系 列 に 属す るの も当 然 と思 わ れ る 。 72 年 (明 治 4 〜5 ) に 建設 した 工 場建築群 。 そ の 詳 細は
・ 尚 古 集 成 館 (も と 薩 摩 藩 集 成 館 機 械 工 場 ): 1865
  iii 関野克 博士 別 稿 ゆ ず る 繰 糸 工 場 ・繭 倉 庫 と も
講演の に 。

年 (慶応 1 )竣 工 ・石 造平 屋 棧 瓦 葺 1 棟 。平 面 約 77 . 6× 挾み 梁 を も トラ ス 小 屋 組 で あ る が 、後 者 は と くに 基 礎

13 ・
Om の 矩形 。 記録 働 に よ れ ば 文久年 間す で に 存在 し か ら 2 階 棟 木 まで 一材 の 棟持柱 を もつ 変形 トラ ス で 、邦

て い る が 文 久 3 年 イ ギ リス 艦 隊 の 砲 撃 に よ つ て 破 壊 。 同 人 工 匠 の 意 見 もか な り加 つ て い る よ う に 思 わ れ る 。

vii . 大 阪 停 車 場
:か King −post 小
り、長 崎の 英 人 か ら機 械 類 を 購 入 し て 完成   当時 の 写 真 ⊂ )
年 再建 に か か : ら

された とい われ る 。 同 地 方 の 伝 統 的 な 石 造 技 術 とイ ギ リ 屋 組を も つ て お り、構 造 ・意 匠 と もに 後述 の 旧長浜駅舎


ス 系の 建築 技術 の 融 合 した もの と見 られ る 。 小屋 は お そ 建 築 の 先 例 と な つ た もの と 思 わ れ る 。1874 年 (明 治 7)
ら く現 存 最 古 の King ・
post 小屋 と い え よ う。 し か し小 聞業。設 計は 長 浜 駅 と 同 じ く大 阪 ・神 戸 間鉄 道 建 設 に 従
屋 梁の 比 例 を 失 し た 大 さ 、合 掌尻 の工 法 、全 体 の 部材 寸 事 し た 英 人 の 鉄 道 寮 技 師 で あ り、お そ ら く第 3 代 建 築 首

法 比 率 等 、未 発 達 段 階 の もの で ある こ とが 知 られ る 。 長 と なつ た T.
R   Shervinton 1873 〜81 在 日 ) が 中 心 と

  なお こ れ に 接 して 1867 年 (慶 応 3) 竣 工 の 洋式 紡績 な つ た もの で あ ろ う 。

所 数 棟 の 建 築 が さ れ 、石 造 鉄 柱 平屋 建 で イ ギ リ ス で 設 計   viii . 国釧 日長 浜 駅 : 長浜 ・敦 賀間 鉄 道 の 始 発 駅 と し

さ れ た もの で あ る と伝 え られ て い るが 、今は ない 。し か て 1880 年
13) 着 工 、1882 年 (明 治 15) 3 月 開
(明 治

‘ 5 × 9・
7m の 矩 形 平面、
The   Far  East 紙 (1870 ・11 ・16) の 写 真 に よれ 業 した 建 築で 、東 西 に 長 い 約 24 ・


ば 、 こ の 機械 工 場 と きわ め て 類似 し た 外 観を もつ て い る
一部 に 煉 瓦 ・石 を 用 い て い るほ か 全 部が 無筋 コ ン ク リ ー
の で 、そ の 小 屋 組 もお そ ら くト ラ ス 小 屋 組 で あ ろ う と思 トの 壁 体 を もつ 2 階 建 棧 瓦 葺 の 特 異 な 建 築 で あ る 。 当初
われる 。 は 四 周 に 下 屋を も つ てい た 。 こ の 小屋 組 は 木 造 King ・
 iv・ 横 須 賀 製 鉄 所 : 幕 府 が 仏 入 F .
 L   Verny (1865 〜 p 。st ト ラ ス で 、 ほ ぼ 完成 さ れ た 形 態 を 示 し て い る 。 外
76 在 日) を 首 長 と し て 1865 年 ( 慶 応 1) 起 工 し た 横 人 技 師 に よ つ て わ が 国 に 紹 介 、実 施 され た トラ ス 小 屋 組
須 賀 製 鉄 所 (後 の 海軍工 廠 ) は 、明 治 以 前 に お け る 最 大 が 、 こ の 頃 に 至 つ て 完 成 され た も の が 見 られ る よ うに な

の 工 場 建 築群で あ つ た 。
1870 年 (
明 治 3 ) 工 部省 に 移 るの も、欧 米 に お け る こ の 技 術 と 計 算理 論の 発 展段 階 と
管 され る こ ろ には 、ほ ぼ 第 1期 工 事 が 完 了 し て い た 。 そ 対応す る もの で あ ろ う。
れ らの 工 場 群 の 一 は 木骨 煉 瓦 造 で あ つ た こ とが Verny   以 上 の 他 、 ウ オ ー トル の 大 阪 造 幣 寮 工 場 や 、ブ リ
都 ス ッ

の 報告 に もあ り 当 時の 写真 か ら もうか
、 が わ れ 、後 述 の ジ ェ ンス の 新橋 ・横 浜 両駅 な ど も、こ の 系 列 に 属す る も
富 岡製 絲所 建 築 に 先 行す る フ ラ ンス 系建 築で あ る 。 その の と考 え られ る が 小 屋 組 に つ い て は 判然 と しない 。

一部 、製缶 工 場 (明 治 2) ・鋳 造 工 場 (明 治 3 )・旋 盤 鑢  B の 系 列 に 属す る もの 一 その 実数 に おい ては A の 系
鑿工 場 (明治 4 ) 等 に は King ・
post お よ び Queen−post 列 の もの よ りは る か に 多 い と 思 わ れ る が 、現 存 す る も の
類似 の 洋風小屋組が 用 い られ て い た こ とが 、 当時の 写真 も、 ま た 資 料 に よ つ て そ の 小 屋 組 を 確 認 し うる もの も少
よ り分 る 。 建 築師 は 仏 人 フ ロ ラン (4 )
。 ない 。

 v ・小菅 ド ッ ク捲揚機上 屋 長 崎 の 英商 T .
: B. Glover   L  グ ラバ ー邸 : さ きに あ げ た 英 人 グ ラバ ーの 邸宅 。
〜1911 11865
(1838 )が 、薩 摩 藩 の 委嘱 で 年 (慶 応 1) こ 長 崎 市 南 山手 の 山腹 に あ り、現 存 最 古 の 洋 風 建 築 で あ ろ
ろ 創設 し た 小 菅 ド ッ ク 附 属 建 築 。 小 規 模 で は あ る が 錬 鉄 う 。 木 舞 壁 手 法 に よ る 大 壁 お よ び下 見 板 張 りペ ンキ 塗、
1 ビ ーム の 柱 ・鋳 鉄 製 の “ ー形 の 平 面 を
雨樋 を もち 、 こ ん に や 平 屋 建 棧 瓦 葺 で 、ク もち古拙 な

く煉 瓦 ロ バ コ ロ ニ

と よばれ る 40mm 前後 の 薄 い 煉 瓦 に よ る 壁 体 を もつ 特 ア ル ・ス 1862 年 (交 久 2 ) こ ろ の


タ イ ル を と つ て い る。

建 設 と 考 え られ 、1871 年 (明 治 4 )の 長 崎 の 風 景 写 真 { )
6
異 な建築 で ある 、 こ の 小屋 組は 丸鉄 棒に よ る トラ ス 小屋
を 形 成 し て い る が 、詳細 な 調 査 は 今後 に 予定 し て い る 。
に も 、 そ の 存在 が 確認 さ れ る 。天草鬼 池の 人で 、大 浦天
vi  Brunat (1840〜
, 富 岡 製絲 所 ; 明 治政 府 が 仏人 P . 守堂 の工 事 に も当 つ た と い う大 工 、小 山 秀之 進 の 施 工 と

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           第 5図 グ ラバ ー邸 小 屋      第 6図 鹿 児 島紡績所 異 人 館 小 屋

い わ れ る 。随 所 に 邦 人 工 匠 の 伝統的 手 法 が 洋 風 意 匠 に す
9
よ つ て い る ( )。

なお に順 応 して い る 事 実を み る が 、そ の 小屋組 は 純然 た   3・ 両 系 列 の 融 合 と 木 造 手 法 の 合 理 化
る和風 の 手 法 に なつ て い る 。   こ れ ら 両 系 列が 融 合 し て 合理 的 な トラ ス 小 屋 紺 が 大 工

  ii, 集 成 館 紡 績 工 場 異 人 館 : 前記 尚 古 集成館 の 近 くに 層 に も一般 化 し た の は 、洋 釘 の 国 産 や 機 械 製 材 も普 及 し


現 存 す る 木造 ペ ン キ 塗 2 階 建 、コ ロ ア ル ・ス タ イ ル の ニ
た 明 治 30 年 代 後 半 の こ と と 考 え られ る 。そ れ らの 前 提

建 物で 、紡績 所 の 技 術 指 導 の た め 薩 摩 藩 が 招 い た 英 入 技 と し て 、大 蔵 省 ・工 部省 な ど に お け る 外 人 建 築 家 の 活躍
師長の 宿舎 と し て 、1868 年 (明 治 1 )竣 工 一
した 。 時 他 や 、邦 人 技 術者 の 成 長 (例 え ば 林 忠 恕 。朝 倉 清 一)、お よ
へ 移 され た が 再 び 原位 置に 移 つ た 。 小屋 組は 頑丈 に で き び 工 部 大 学 校 に お け る 本 格 的 な 建 築教育 の 成果 が あ り、

た 和小屋 で あ る 。 和 小 屋 と トラ ス 小 屋 の 客 観 的 な 評 価 、 トラ ス 小 屋 の 意 識
iii
・築地 ホ テ ル 館 : 2 代清水 喜助 1815 〜1881 ) の
( 設 的 な使用が 行 わ れ る よ うに な つ た 。
計に な り、1868 年 (明 治 1) 竣 工 。 小屋 組 に っ いては判   1891 年 (明 治 24) の 濃 尾 地 震 を 契 機 と し て 、和 ・洋

然 と しな い 。 し か し 同建 築 の もの と 思 わ れ る 外 国人 旅 小屋 組 の 比 較検 討 、さ らに 木造 建 築 全 体 の 耐 震 化が 種 々

(慶 応 3 )(η の 床 伏 せ 手 法 か ら推 議 論 さ れ 、 改 良 案 も し ば し ば 提 案 され た Cl°)。 そ れ らは

館 三 階並 に二 階 絵図面
して 、お そ ら く和 風 の 小 屋 組で あ つ た と 思 わ れ る 。こ の 洋風小 屋組 ・筋 違 ・方 杖 等の 斜 材 を 汎 用 し て 各 部 の トラ

推 論が 正 しけ れ ば 同 第 一国 立 銀 行 化 を 図 り、
“ ”
じ く彼 の 手 に な つ た ス 三 角形不 変の 理 に よつ て 構 造全体に 剛
(明 治 5 ) や 為 替 バ ン ク三 井組 (明 治 7 ) も和風 小屋 組 性を も た せ よ う とす る もの で あ つ た と 要約 で きる 。 と く
と考え る こ とが で きる 。 に 震 災 予 防調 査 会 (明 治 25 設 立 ) の 指 導 ・
啓蒙の 効 果

 iv . 富 岡製 絲 所 三 号 館 :工 場建設 に 引 き つ づ い て建 て が 大 きか つ た 。 なか で も 1894 年 (明 治 27 ) の 酒 田地 方


られ た とみ られ る もの で 、現在は 工 場事 務 所 となつ て い 地 震 の 復 興 家 屋 の 耐 震 化 指針 と し て 同 会 が 発 表 し た 町 屋

る 。構造 は 木 骨 煉 瓦 造 で あ る が 、小 屋 組 は 和 小 屋 で あ つ ・小学校 ・農家 の 設 計 図 と 仕 様 書 は 1 、 ト ラ ス 小 屋 組 の {二 )

た。 採 用 を主 と し て 、筋 違 ・方 杖 の 汎 用 、金 物 の 使 用 柱 の 、

  v ・ 洋風小 学校 : 現 存 す る 明 治 初 期 洋 風 小 学 校建 築 の 固 定 と 切 り欠 ぎ の 防 止 な ど に 重 点 を お い た 優れ た 案 で 、
う ち 、筆 者 が 調 査 し て 今 日 まで に 確 認 し た の は 、静 岡県 今 日の 合 理 的 な木 造建 築 の 構 造 指 針 を すで に ほ とん ど 網
の 旧 見付学 校 (現 磐 田 市 立 郷 士 館 、明 治 8 年 創 設 、棟 梁 羅 し て い た 。 これ を さ ら に 綜 合 し 決 定 的 な も の と し た の

は 名 古 屋 の 伊 藤 平 右 衛 門守 道 ) と 旧 井 通 小学 校 (
現在某 が 、 佐 野 利 器 博 士 の 「家 屋 耐 震 構 造 論 」 (震 災 予 防 調 査

工 場 事 務 所 、明 治 8 年 創 設 、棟梁 は 地 元 の 工 匠 源兵衛) 会 報 告 、大 正 5 年 ) で 後 の 市街 地 建 築物法 を 通 じ て


、 日
の 建築の 小屋 で あ る 。 と もに 和風 の 小屋組 を と つ て い 本 の 木 造 建 築の 近 代 化を 法 的に 促進 す る 根拠 に な つ た 。

る。 し か し前 者 は 特異 な 手 法 を もち 、筋 違 い 打 ち の 床お   伝 統的 な 和 風 の 架 構 法 を す て て ト ラス 小 屋を 申心 とす
よ び外 壁 木摺 、汎 用 さ れ て い る 挾 み 方 杖な ど と と もに 、 る 洋 風 の 合 理 的 な手 法 を 大 工 ・職 人 層 が 手 が け る よ うに

力学 的な 合 理 性 を 熱心 に 追 求 して い る こ とは 注 目 さ れ な つ た 背景 に は 、明治に 入 つ て 急激 に 進行 し た職 人 社 会
る cs)。 ・ の 分 解 と 、そ れ ら の 職 人 を 下 請け ・日 雇 い として 下部組

 以 上 、遣 構 や 資 料 か ら和 風 小 屋 組 を と つ て い る もの 、 織 に 組み 入 れ て 明 治 20 年 代初 期か ら急 速 に 勃 興 し た 建
ある い は と つ て い た と 考 え られ る もの を あげ、か な りア 設業の発達 もあ つ た 。職 入 社 会 の 分 解 は 、流れ 者 職 人 に

トラ ン ダ ム な結 果 に なつ たが 、明 治 初 期 の 進歩 的な工 匠 よ る新 技術 木 造 の 洋 風 手 法 ) の 伝 播 と 、伝 統 に 拘 朿 さ

の 設計 ・施 工 に なる い わ ゆ る 擬 洋風建築の 大部分 は この れな い 職人層 の 発生 の原 因 と な つ た 。
系列 に 属 す る もの で あ ろ う 。 また 長 崎市 に 現 存 す る 多 く   また 1860 〜1942 )・滝 大 吉 ・干 葉 末 吉 ら
中村達 太郎 (
の 洋風 建築 に も同 じ こ と が 言 え る 。こ の 他 、金 沢 市の 尾 の 洋 風 建 築 技 術 の 解 説 書 が 広 く出 版 さ れ て 、亜 流 規 矩 術
山 神 社 楼 門 (明 治 8 年 、匠 工 長 、津 田吉 之 助 ) は 特 殊 な 書に 伍 して 大工 ・中堅 技 術者 層 に 木造 建 築 の 近 代 化を 説
例で あるが 、内部の 木 材架構法 は わ が 国の 伝統 的手 法 に い た 功 績 も きわ め て 大 きい 。 中村 の それ は 「建 築 学階

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榔   尹

, F壷
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第 7図 富 岡製 絲 所 東 繭 倉 庫 小 屋 ト ラ ス 実 測 図 買 广  


K
13

  5
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  乙

梯 」、滝 「建築学 講議録 」 千葉 は 「建 築学提要 」 、 騨r耳 醒


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〃 債 蛎





そ れ ぞ れ 1892 ,1890 , 1891 年 に 初 版 が 出 て い る 。 と く
ee B 図 旧 長浜 駅小 屋 ト ラ ス 実測図
に 滝 の 書 は 、明治 年 間 に 16 版 を 重 ね るほ ど で あ つ た 。
す す め られ た 事 実 を 、煉 瓦 造 や 石 造 建 築 の 華 や か な 展 飃
こ れ らの 著書が木 造建 築に つ い て もつ と も多 くを 依 存 し
Tredgold (1788 〜1829 )の の 陰に 持 つ と こ ろ at、明治 時代の 建築史上 の 役割 を 見 る
た と み られ る の は 、ThQmas  

Carpentry ,
  London ,
の で あ る 。(関 野 克 を 担 当 者 と す る 文 部 省 科 学 研 究 費 研
Elementary   Principles  of   初版
究の 一部 で ある な お 前 述 (A )iii v  vi (B )i ii iv
1820 で 、「木 匠 論」 と し て さ か ん に 参 照 され た 。 こ れら 。 , , , , , ,

の 調 査は 関 野 博 士 、伊 藤 鄭 爾 氏 と 共 同 し て 行 つ た も の
日 本人 の 著書に お け る 構 造 力学 の 初 歩 的 な 叙 述 は 、梁 の
20 年代 か で 、全 般 に つ い て も種々 教示 を い ただい た。)
力 学 お よ び トラ ス の 図 式 解法 で あ つ て 、明 治
ら 30 年代 の 初 め に か け て 建 築雑誌 に 散見 す る ト ラ ス の  匚 参 考 文 献よ お び 註 ]
力 の 分 布 IC 関す る 質 疑応 答 と 対照 し て 、当 時 の 建 築構 造   (1 ) Singer & Others : AHistory   of  Technology ア
      London ,1958 ,   VQ1 ,
  VoL   4 ,   S.
5,   Hamilton、
 B .
学の重 点が ト ラ ス の 解 法 に あ つ た だ ろ う こ とが うか が わ
     担 当 の 章 に よ る
.25’

れ るb 菓京 大 学 造 家学 科 の 教 科 目 に 従 来 の 穹 窿 架 法 お よ
(2 ) 創 業 100 年 の 長 崎 造 船 所 、三 菱 造 船 、 No .
び 建 築 物 理 に 代つ て 図 式 力 学 が 採 用 され 、後 の 構 造 学 演 所 載。
習 に 発 展 す る 一環 と な つ た の は 1892 年 (明治 25) で あ (3 )  鹿 児 島 市 編 : 薩 藩 の 文 化 、昭 和10 年 。

c12)
。 (4 )  同 工 廠 編 : 横 須 賀 海 軍 船 廠 史 、大 正 4 年e に こ
の 場建工 資料す 築関係 の 。 べ て を 負つ て い る
  しか し設計の 実際 に おい て は ス パ ンに 対応 す る トラ
(5 ) 鉄 道 省 編 : H 本 鉄 道 史 上 篇 ,大 正 10 年 、所 載 。.

ス 部材の 寸法表に 拠る こ とが 多か つ た ら し く、上 記 の 著 6 The Far East 1871 , .


( ) 紙、   5 16 
号所載 。

書に も詳 細 な 数 表 が み られ 、そ の 寸 法 の 直 訳 的 使 用 の た (7 ) 大 熊 喜 邦 ; 築 地 ホ テ ル 館 考 補 正 所 載 、 建 築 雑 誌
    No .351 .
め 市 場規 格 と 合わ ず、 ト ラ ス 小屋 組 の 実 施 の 障 害 となつ
ts ) (8 ) こ の 建 物 は 後 補 が あ り 小 屋 も手 が 加 え ら れ て い
て い た こ とが 当時 の 記 録 に み られ る ( 。
    る 
力丶  和 風 で あ つ た こ とは 間違い ない 。 伊藤三 千
  1897 年 (明 治 30) 公 布 の 古 社 寺 保 存 法 に 基 い て 、翌     雄 : 静 岡 県 磐 田 市 立 郷 土 館 に お け る 洋 風 建 築 的 手一
年 5 月 か ら 修 理 が 開 始 さ れ た 唐招 提 寺 金 堂 お よ び 講 堂 の     法 に つ い て 、関 東 支 部 第 26 回 研 究 発 表 会 、参 照 。
(9 ) 小 林 福 太 郎 : 尾 山 神 社 楼 門 、 日本 建 築 士 、 VoL .
小 屋 組 に 洋 風 木 造 の 技 法 た る ト ラ ス 小 屋 が 採 用 され た こ
    16 ,No .6 .
と は 、こ の 手 法 が す で に い か に 信 頼 され る 段 階 に 達 し て
(10)  例 え ば 、伊 藤 為 吉 安 全 建 築金 具及 改良構造法、 :

い たかを 物語 り 、 わ が 国 の 木 造 建 築抜術 が 明 治時代 を 通     建 築 雑 誌 、No .74,や 滝   大 吉 耐 震 構 造 、同前 : 。

じて獲 得 した もの を 典 型 的に 示 し て い る 。 (11 )  建 築 雑 誌 、No .100 〜102 .


(12 )  関 野  克 調 査 : 東 京 帝 国 大 学 工 学 蔀 建 築 学 科 教
  こ う して トラス 小 屋組 に対する熱心 な追求 を 核 と し
    室 沿 革 、昭 和 15 年 (騰 写 印 刷 )
・方 杖 ・土 台 基 礎 ・金 物 の 大 量 の 使 用 な ど 、 。

て 、筋違 い
(13 ) 矢 橋 賢 吉 ; 本 邦 に 於 け る 家 屋 改 良 談 、建 築 雑 誌 、
木 造 建 築 構 造 の 合理 化 ・大 工 技 術 の 近 代化が 強 力 に お し     No .203 .

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