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[J・K・ローリング] ハリー・ポッターと炎のゴブレット (上)

第一章リドルの館

リドル家の人々がそこに住んでいたのはもう何年も前の事なのに、リトル・ハングルトンの村では、
まだその家を「リドルの館」と呼んでいた。村を見下ろす小高い丘の上に立つ館は、あちこちの窓に
は板が打ち付けられ、屋根瓦ははがれ、蔦が絡み放題になっていた。かつては見事な館だった。そ
の近辺何キロにも渡りこれほど大きく豪華な屋敷はなかったものを、今やボウボウと荒れ果て、住
む人もいない。リトル・ハングルトンの村人は、誰もがこの古屋敷を”不気味”に思っていた。五
十年前、この館で起きたなんとも不可思議で恐ろしい出来事のせいだ。昔から村人たちは、噂話の
種が尽きて来ると、今でも好んでその話を持ち出した。繰り返し語り継がれ、あちこちで尾ひれが
ついたので、何が本当なのかいまでは誰もわからなくなっていた。しかし、どの話も始まりはみな
同じだった。五十年前、リドルの館がまだきちんと手入れされた壮大な屋敷だった頃の事。ある晴
れた夏の日の明け方、応接室に入ってきたメイドが、リドル家の三人が全員息絶えているのを見つ
けたのだ。メイドは悲鳴をあげて丘の上から村まで駆けおり、片っ端から村人を起こして回った。
「目ん玉ひんむいたまんま倒れている!氷みたいに冷たいよ!ディナーの正装したまんまだ!」
警察が呼ばれ、リトル・ハングルトンの村中が、ショックに好奇心絡み合い、隠しきれない興奮で
沸き返った。誰一人としてリドル一家のために悲しみにくれるような無駄はしなかった。何しろこ
の一家はこの上なく評判が悪かった。年老いたリドル夫妻は、金持ちで、高慢ちきで、礼儀知らず
だったし、成人した息子のトムはさらにひどかった。村人の関心事は、殺人犯がだれか、に絞られ
ていた。どう見ても、当たり前に健康な三人が、揃いもそろって一晩にコロリといくはずがない。
村のパブ、”首吊り男”はその晩大繁盛だった。村中がより集まり、犯人は誰かの話で持ち切り
だった。そこへリドル家の料理人が物々しく登場し、一瞬静まりかえったパブに向かって、フラン
ク・ブライスという人物が逮捕されたと言い放った。村人にとっては、家の炉端を離れてわざわざ
パブに来た甲斐があったというものだ。
「フランクだって!」何人かが叫んだ。
「まさか!」
フランク・ブライスはリドル家の庭番だった。屋敷内のボロ小屋に一人で寝泊まりしていた。戦争
から引き揚げてきた時、片足が強ばり人混みと騒音をひどく嫌うようになっていたが、その時以来
ずっとリドル家に仕えてきた。村人は我も我もと料理人に酒をおごり、もっと詳しい話を聞き出そ
うとした。
「あの男、どっかへんだと思ってたわ」
シェリー酒を四杯ひっかけた後、ウズウズしている村人達に向かって料理人はそう言った。
「愛想なしっていうか。たとえばお茶でもどうって勧めたとするじゃない。何百回勧めてもダメさ
ね。付き合わないんだから、絶対」
「でもねえ」カウンターにいた女が言った。
「戦争でひどい目にあったのよ、フランクは。静かに暮らしたかったんだよ。なんにも疑う理由な
んか」
「ほかに誰が勝手口の鍵を持ってたっていうのさ?」
料理人が噛み付いた。
「あたしは覚えている限り、とうの昔から、あの庭番の小屋に合い鍵がぶら下がってた!
昨日の晩は誰も戸をこじ開けちゃいないんだ!窓も壊れちゃいない!
フランクは、あたしたちみんなが寝ている間にこっそり御屋敷に忍びこみゃあよかった」
村人達は暗い表情でお互い目と目を見交わした。
「戦争がそうさせたんだ。そう思うね」パブのオヤジが言った。
「言ったよね。あたしゃあいつの気にさわる事はしたくないって。ねえ、ドット、そう言っただ
ろ?」隅っこの女が興奮してそう言った。
「ひどい癇癪持ちなのさ」ドットがしきりに頷きながら言った。
「あいつがガキの頃、そうだったわ」
翌朝には、リトル・ハングルトンの村でフランク・ブライスがリドル一家を殺した事を疑う者はほ
とんどいなくなっていた。しかし、隣村のグレート・ハングルトンの暗く薄汚い警察では、フラン
クが自分は無実だと何度も頑固に言い張っていた。リドル一家が死んだあの日、館の付近で見かけ
たのはたった一人。黒い髪で青白い顔をした、見た事もない十代の男の子だけだったとフランクは
そう言い張った。村人はほかに誰もそんな男の子は見ていない。警察はフランクの作り話に違いな
いと信じきっていた。そんなふうに、フランクにとっては深刻な事態になりかけたその時、リドル
一家の検屍報告が警察に届き、全てが引っくり返った。警察でもこんな奇妙な報告は見た事がな
かった。死体を調べた医師団の結論は、リドル一家のどの死体にも、毒殺、刺殺、射殺、絞殺、窒
息の跡もなく(医師の診る限り)全く傷つけられた様子がないという。更に報告書はリドル一家は
全員健康そのものである。死んでいるという事以外は。と明らかに困惑を隠しきれない調子で書き
連ねていた。医師団は(死体に何とか異常を見つけようと決意したかのように)
リドル一家のそれぞれの顔には恐怖の表情が見られたと記していた。とはいえ警察がイライラしな
がら言っているように、恐怖が死因だなんて話は誰が聞いた事があるものか?
リドル一家が殺害されたという証拠がない以上、警察はフランクを釈放せざるをえなかった。リド
ル一家の遺体はリトル・ハングルトンの教会墓地に葬られ、それからしばらくはその墓が好奇の的
になった。村人の疑いがモヤモヤする中、驚いた事にフランク・ブライスは、リドルの館の敷地内
にある自分の小屋に戻っていった。
「なんてったって、あたしゃあいつが殺したと思う。警察の言う事なんか糞食らえだよ」
パブ”首吊り男”でドットが息巻いた。
「あいつに自尊心のかけらでもありゃ、ここを出ていくだろうに。わかってるはずだよ。あいつが
殺ったのをあたしらが知ってるって事をね」
しかし、フランクは出て行かなかった。リドルの館に次に住んだ家族のために庭の手入れをしたし、
その次の家族にも。そのどちらも長くは住まなかったが。もしかしたらフランクのせいもあったか
もしれない。どちらの家族もこの家は何かイヤーな雰囲気があると言った。誰も住まなくなると屋
敷は荒れ放題になった。”リドルの館”の今の持ち主は大金持ちで屋敷に住んでもいなかったし、
別に使っているわけでもなかった。
村人達は”税金対策”で所有しているだけだと言ったが、それがどういう意味なのかはっきりわ
かっている者はいなかった。大金持ちはフランクに給料を払って庭仕事を続けさせていたが、もう
七十七歳の誕生日が来ようというフランクは、耳も遠くなり不自由な足はますます強ばっていた。
それでも天気の良い日にはダラダラと花壇の手入れをする姿が見られたが、いつの間にか雑草がお
構いなしに伸びはじめているのだった。
フランクの戦う相手は雑草だけではなかった。村の悪ガキどもが屋敷の窓にしょっちゅう石を投げ
つけたし、フランクがせっかく奇麗に刈り込んだ芝生の上で自転車を乗りまわした。一度か二度、
肝試しに屋敷に入り込んだ事もあった。ガキどもは、年老いたフランクがこの館と庭に執着してい
るのを知っていて、杖を振り回ししわがれ声を張り上げて、庭の向こうから足をひきずってやって
くるフランクを見て面白がっていた。フランクの方は、子供達が自分を苦しめるのはその親や祖父
母と同じように、自分を殺人者だと思っているからと考えていた。だから、ある八月の夜、ふと眼
をさまして古い屋敷の中に何か奇妙なものが見えたときも、フランクは、悪ガキどもが自分を懲ら
しめるために、また一段とたちの悪い事をやらかしているのだろう、ぐらいにしか思わなかった。
目が覚めたのは足が痛んだからだった。
年とともに痛みはますますひどくなっていた。膝の痛みを和らげるのに湯たんぽのお湯を入れ変え
ようと、フランクは起き上がって一階の台所まで足を引きずりながら降りていった。流し台の前で
やかんに水を入れながら屋敷を見上げると二階の窓にちらちらと明かりが見えた。何事が起こって
いるのかフランクにはピンと来た。ガキどもがまた屋敷内に入り込んでいる。あの明かりのちらつ
きようからみると、火を焚きはじめたのだ。
フランクのところに電話はなかった。どのみち、リドル一家の死亡事件で警察に引っ張られ尋問さ
れて以来、フランクは全く警察を信用していなかった。フランクはやかんをその場に放り出し、痛
む足の許す限り急いで駆け上がり、服を着替えてすぐに台所に戻ってきた。そしてドアの脇にかけ
てある錆びた古い鍵を取り外し、壁に立てかけてあった杖をつかんで夜の闇へと出ていった。”リ
ドルの館”の玄関はこじ開けられた様子がない。どの窓にもそんな様子はない。フランクは足を引
きずりながら屋敷の裏に回り、ほとんどすっぽり蔦の影に隠れている勝手口のところまで行くと、
古い鍵を引っ張り出して鍵穴に差し込み音を立てずにドアを開けた。
中はだだっ広い台所だった。もう何年もそこに足を踏み入れてはいなかったのに、しかも真っ暗
だったにもかかわらずフランクは広間に向かうドアがどこにあるかを覚えていた。むっとするほど
の黴臭さを嗅ぎながら上階から足音や人声が聞こえないかと耳をそばだて、手探りでドアの方に向
かった。広間まで来ると正面のドアの両側にある大きな格子窓のおかげで少しは明るかった。石造
りの床を厚く覆った埃が足音も杖の音も消してくれるのをありがたく思いながら、フランクは階段
を上り始めた。階段の踊り場で右に曲がると、すぐに侵入者がどこにいるかがわかった。廊下の一
番奥のドアが半開きになっていて隙間から灯がチラチラ漏れ、黒い床に金色の長い筋を描いていた。
フランクは杖をしっかり握りしめジリジリと近付いていった。ドアから数十センチのところで細長
く切り取られたように部屋の中が見えた。火は初めてそこから見えたが、暖炉の中で燃えていた。
意外だった。フランクは立ち止まりじっと耳をすました。男の声が部屋の中から聞こえてきたから
だ。おどおどと戦慄いている声だった。
「御主人様、まだお腹がお空きでしたら、まだ少しは瓶に残っておりますが」
「後にする」別の声が言った。これも男の声だった。
が、不自然に甲高い。しかも氷のような風が吹き抜けたかのように冷たい声だ。何故かその声はま
ばらになったフランクの後頭部の毛を逆立たせた。
「ワームテール、俺様をもっと火に近づけるのだ」
フランクは右の耳をドアの方に向けた。マシな方の耳だ。瓶を何か固いものの上に置く音がして、
それから重い椅子を引きずって床をこする鈍い音がした。椅子を押している小柄な男の背中がちら
りとフランクの目に入った。長い黒いマントを着ている。後頭部にハゲがあるのが見えた。そして
再び小男の姿は視界から消えた。
「ナギニはどこだ?」冷たい声が言った。
「わ、わかりません。御主人様」ビクビクした声が答えた。
「家の中を探索に出かけたのではないかと」
「寝る前にナギニのエキスを絞るのだぞ、ワームテール」別の声が言った。
「夜中に飲む必要がある。この旅で随分と疲れた」
眉根をよせながらフランクは聞こえる方の耳をもっとドアに近づけた。一瞬間を置いてワームテー
ルと呼ばれた男がまた口を開いた。
「御主人様。ここにはどのぐらいご滞在のおつもりか、伺ってもよろしいでしょうか?」
「一週間だ」冷たい声が答えた。
「もっと長くなるかもしれぬ。ここはまあまあ居心地が良いし、まだ計画を実行できぬ。クィ
ディッチのワールドカップが終わる前に動くのは愚かであろう」
フランクは節くれだった指を耳に突っ込んでかっぽじった。耳クソがたまったせいに違いない。”
クィディッチ”なんて言葉とはいえない言葉が聞こえてきたのだから。
「御主人様、ク、クィディッチワールドカップと?」
ワームテールが言った。フランクはますますぐりぐりと耳をほじった。
「お許しください。しかし、私めにはわかりません。どうしてワールドカップが終わるまで待たな
ければならないのでしょう?」
「愚か者めが。今この時こそ、世界中から魔法使いがこの国に集まり、魔法省のお節介どもがこ
ぞって警戒に当たり、不審な動きがないかどうか、鵜の目鷹の目で身元の確認をしている。マグル
が何も気付かぬようにと、安全対策に血眼だ。だから待つのだ」
フランクは耳をほじるのをやめた。紛れもなく”魔法省”,”魔法使い”,”マグル”という言葉
を聞いた。どの言葉も何か秘密の意味がある事は明白だ。こんな暗号を使う人種は、フランクには
二種類しか思いつかない。スパイと犯罪者だ。フランクはもう一度杖をかたく握りしめ、ますます
耳をそばだてた。
「それでは、あなた様は、御決心がお変わりにならないと?」
ワームテールがひっそりと言った。
「ワームテールよ。もちろん、変わらぬ」
冷たい声に脅すような響きがこもっていた。一瞬言葉が切れた。そしてワームテールが口を開いた。
言葉が慌てて口から転げ出てくるようで、まるで気がくじけないうちに無理にでも言ってしまおう
としているようだった。
「御主人様。ハリー・ポッターなしでもおできになるのではないでしょうか」
また言葉が途切れた。今度は少し長かった。
「ハリー・ポッターなしでだと?」
別の声がささやくよう言った。
「なるほど」
「御主人様。私めは何も、あの子供の事を心配して申し上げているのではありません!」
ワームテールの声がキーキーと上ずった。
「あんな小僧っこ、私めはなんとも思っておりません!
ただ、誰か他の魔女でも魔法使いでも使えば、どの魔法使いでも、事はもっと迅速に行なえますで
ございましょう!
ほんのしばらくお側を離れさせていただきますならば、ご存知のように私めはいとも都合の良い変
身ができますので、ほんの二日もあれば、適当なものを連れて戻ってまいる事ができましょう」
「確かに、他の魔法使いを使う事もできよう」
もう一人が低い声で言った。
「確かに」
「御主人様。そうでございますとも」
ワームテールがいかにもホッとした声で言った。
「ハリー・ポッターは何しろ厳重に保護されておりますので、手をつけるのは非常に難しいかと」
「だから貴様は、進んで身代わりの誰かを捕まえに行くと言うのか?
果たしてそうなのか、ワームテールよ。俺様の世話をするのが面倒になってきたのではないのか?
計画を変えようというお前の意図は、俺様を置き去りにしようとしているだけではないのか?」
「滅相もない!わ、私めがあなた様を置き去りになど、決してそんな」
「俺様に向かって嘘をつくな!」
別の声が歯噛みしながら言った。
「俺様にはお見通しだぞ。ワームテール!
貴様は俺様のところに戻ってきた事を後悔しているな。貴様は俺様を見ると反吐が出るのだろう。
お前は俺様を見るたびにたじろぐし、俺様に触れるときも身震いしているだろう」
「違います!私めはあなた様に献身的に」
「貴様の献身は臆病以外の何物でもない。どこかほかに行くところがあったら、貴様はここにはお
るまい。数時間ごとに食事をせねばならぬのに、お前がいなければ俺様は生き延びる事はできま
い?
誰がナギニのエキスを絞るというのだ!」
「しかし、御主人様。前よりずっとお元気におなりでは」
「嘘をつくな」
別の声が低く唸った。
「元気になってなどいるものか。2、3日も放置されれば、お前の不器用な世話でなんとか取り戻
したわずかな力もすぐ失ってしまうわ。シッ、黙れ!」
アワアワと言葉にもならない声を出していたワームテールは、すぐに黙った。数秒間、フランクの
耳には火の弾ける音しか聞こえなかった。それからまた先ほどの声が話した。シューッシューッと
息が漏れるようなささやき声だ。
「あの小僧を使うには、お前にももう話したように、俺様なりの理由がある。ほかのやつは使わぬ。
13年も待った。あと数ヶ月がなんだというのだ。あの小僧の周辺が守られている件だが、俺様の
計画はうまくいくはずだ。あとは、ワームテール、お前がわずかな勇気を持てばよい。ヴォルデ
モート卿の極限の怒りに触れたくなければ、勇気を振り絞るがよい」
「御主人様、お言葉をかえすようですが!」
ワームテールの声は今や怯え切っていた。
「この旅の間ずっと、私めは頭の中でこの計画を考えぬきました。御主人様、バーサ・ジョーキン
ズが消えた事は早晩気づかれてしまいます。もしこのまま実行し、もし私めが死の呪いをかけれ
ば」
「もし?」囁き声が言った。
「もし?ワームテール、お前がこの計画通り実行すれば、魔法省はほかの誰が消えようと決して気
づきはせぬ。お前はそっと、下手に騒がずにやればよい。俺様自身が手を下せれば良いものを、今
のこの有り様では。さあ、ワームテール。あと一人邪魔者を消せば、ハリー・ポッターへの道は一
直線だ。お前に一人でやれとはいわぬ。その時までには忠実なる下僕が再び我々に加わるであろ
う」
「私めも忠実な下僕でございます」
ワームテールの声がかすかにすねていた。
「ワームテールよ。俺様には頭のある人物が必要なのだ。揺らぐ事なき忠誠心を持った者が。貴様
は、不幸にして、どちらの要件も満たしてはおらぬ」
「私があなた様を見つけました」
ワームテールの声には、今度ははっきりと口惜しさが漂っていた。
「あなた様を見つけたのはこの私めです。バーサ・ジョーキンズを連れてきたのは私めです」
「確かに」別の声が、楽しむように言った。
「わずかなひらめき。ワームテール、貴様にそんな才覚があろうとは思わなかったわ。しかし、本
音を明かせば、あの女をとらえたときには、どんなに役に立つ女か、お前は気付いていなかったで
あろうが?」
「わ、私めはあの女が役に立つだろうと思っておりました。御主人様」
「嘘吐きめが」
声には残酷な楽しみの色が、これまで以上にはっきりと出ていた。
「しかしながら、あの女の情報は価値があった。あれなくして我々の計画を練る事はできなかった
であろう。その事で、ワームテール、お前には褒美を授けよう。俺様のためにひとつ重要な仕事を
果たす事を許そう。我につき従うものの多くが、諸手を挙げ、馳せ参ずるような仕事を」
「ま、誠でございますか?御主人様。どんな?」
ワームテールがまたしても怯えた声を出した。
「ああ、ワームテールよ。せっかく驚かしてやろうという楽しみを台なしにする気か?
お前の役目は最後の最後だ。しかし、約束する。お前はバーサ・ジョーキンズと同じように役に立
つという名誉を与えられるであろう」
「あ、あなた様は」
まるで口がカラカラになったかのようにワームテールの声が突然かすれた。
「あなた様は、私めも、殺すと?」
「ワームテール、ワームテールよ」
冷たい声が猫なで声になった。
「なんでお前を殺す?
バーサを殺したのは、そうしなければならなかったからだ、俺様が聞き出した後は、あの女は用済
みだ。何の役にも立たぬ。いずれにせよあの女が魔法省に戻って、休暇中にお前に出会ったなどと
しゃべったら、あの女は厄介な疑念を引き起こす羽目になったろう。死んだはずの魔法使いが片田
舎の旅籠で魔法省の魔女に出くわすなど、そんな事は起こらぬほうがよかろう」
ワームテールは何か小声で呟いたが、フランクには聞き取れなかった。しかし別の声が笑った。話
すときと同じく冷酷そのものの笑いだった。
「記憶を消せばよかっただと?しかし”忘却術”は強力な魔法使いなら破る事ができる。貴様があ
の女を尋問したときのようにな。せっかく聞き出した情報を利用しなければ、ワームテールよ、そ
れこそあの死んだ女の”記憶”に対して失礼であろうが」
外の廊下で、フランクは突然、杖を握り締めた手が汗でつるつるすべるのを感じた。冷たい声の主
は女を一人殺した。それを後悔のかけらもなく話している。楽しむように。危険人物だ。狂ってい
る。それにまだ殺すつもりだ。誰か知らないが、ハリー・ポッターとかいう子供が危ない。何をす
べきか、フランクにはわかっていた。警察に知らせるときがあるとするなら今だ。今しかない。
こっそり屋敷を抜け出し、まっすぐに村の公衆電話のところに行くのだ。しかし、またしても冷た
い声がして、フランクはその場に凍りついたようになって全身を耳にした。
「もう一度、呪いを。我忠実なる下僕はホグワーツに。ワームテールよ、ハリー・ポッターはもは
や我手のうちにある。決定した事だ。議論の余地は無い。しっ、静かに。あの音はナギニらしい」
男の声が変わった。フランクは今まで聞いた事のないような音を立たはじめた。息を吸い込む事な
しに、シュー、シュー、シャー、シャーと息を吐いている。フランクは男が引きつけの発作かなに
かを起こしたと思った。つぎにフランクが聴いたのは、背後の暗い通路で何か蠢く音だった。振り
返った途端、フランクは恐怖で金縛りになった。暗い廊下を、ずるずると何かがフランクのほうへ
と這ってくる。ドアの隙間から細長く漏れる暖炉の明かりに近づくその何かを見て、フランクは震
えあがった。優に4メートルはある巨大な蛇だった。床を厚く覆った埃の上に太い曲がりくねった
跡を残しながら、くねくねと近づいくるその姿を、フランクは恐怖で身動きもできずに見つめてい
た。どうすればいいのだろう?
逃げ道は一つ、二人の男が殺人を企てているその部屋しかない。しかし、このまま動かずにいれば、
間違いなく蛇に殺される。決めかねている間に、蛇はそばまでやってきた。そして、信じられない
事に、奇跡的にそのまま通り過ぎていった。ドアの向こうの冷たい声の主が出す、シュー、シュー、
シャー、シャーという音を辿り、まもなく菱形模様の尾がドアの隙間から中へと消えて言った。フ
ランクの額には汗が噴き出し、杖を握った手が震えていた。部屋の中では冷たい声がシューシュー
言い続けている。フランクはふと奇妙な、ありえない考えにとらわれた。この男は蛇と話ができる
のではないか。何事が起こっているのか、フランクにはわからなかった。湯たんぽを抱えてベッド
に戻りたいと、ひたすらそれだけを願った。自分の足が動こうとしないのが問題だった。震えなが
らその場に突っ立ち、なんとか自分を取り戻そうとしていたその時、冷たい声が急に普通の言葉に
変わった。
「ワームテール、ナギニが面白い報を持ってきたぞ」
「さ、さようでございますか、御主人様」ワームテールが答えた。
「ああ、そうだとも」冷たい声が言った。
「ナギニが言うには、この部屋のすぐ外に老いぼれマグルが一人立っていて、我々の話を全部聞い
ているそうだ」
身を隠す間もなかった。足音がして、部屋のドアがぱっと開いた。フランクの目の前に、鼻の尖っ
た、色の薄い小さい目をした白髪まじりの禿げた小男が、恐れと驚きの入り混じった表情で立って
いた。
「中にお招きするのだ。ワームテールよ。礼儀を知らぬのか?」
冷たい声は暖炉の前の古めかしいひじ掛け椅子から聞こえていたが、声の主は見えなかった。蛇は、
朽ちかけた暖炉マットにとぐろを巻いてうずくまり、まるで恐ろしい姿のペット犬のようだった。
ワームテールは部屋に入るようにとフランクに合図した。ショックを受けてはいたが、フランクは
杖をしっかり握り直し、足を引きずりながら敷居をまたいだ。部屋の明かりは暖炉の火だけだった。
その明かりが壁にクモの巣のような影を長く投げかけている。フランクはひじ掛け椅子の背中を見
つめたが、男の後頭部さえ見えなかった。座っている男は、召使いの小男より小さいに違いない。
「マグルよ。すべて聞いたのだな?」冷たい声が言った。
「俺の事をなんと呼んだ?」
フランクは食ってかかった。もう部屋の中に入ってしまった以上、何かしなければならない。フラ
ンクは大胆になっていた。戦争でもいつもそうだった。
「お前をマグルと呼んだ」
声が冷たく言い放った。
「つまりお前は魔法使いではないという事だ」
「お前さまが魔法使いといいなさる意味は分からねえ」
フランクの声がますますしっかりしてきた。
「ただ、俺は、今晩警察の気を引くのに十分の事を聞かせてもらった。ああ、聞いたとも。お前さ
まは人殺しをした。しかもまだ殺すつもりだ!それに、言っとくが」
フランクは急に思いついた事を言った。
「カミさんは、俺がここに来た事を知っているぞ。もし俺が戻らなかったら」
「お前に妻はいない」
冷たい声は落ち着き払っていた。
「お前がここにいる事は誰も知らぬ。ここに来る事を、お前は誰にもいっていない。ヴォルデモー
ト卿に嘘をつくな。マグルよ。俺様にはお見通しだ。全てが」
「へえ?」
フランクはぶっきらぼうに言った。
「”卿”だって?はて、卿にしちゃ礼儀をわきまえていなさらん。こっちを向いて、一人前の男ら
しく俺と向き合ったどうだ。できないのか?」
「マグルよ。俺様は人間ではない」
冷たい声は、暖炉の火の弾ける音でほとんど聞き取れないほどだった。
「人よりずっと上の存在なのだ。しかし、よかろう。お前と向き合おう。ワームテール、ここにき
て、この椅子を回すのだ」
召使はヒーと声をあげた。
「ワームテール、聞こえたのか」
御主人様や蛇のうずくまる暖炉のマットのほうへ行かなくて済むのなら、何だってやるとでもいう
ように、そろそろと、顔を歪めながら小男が進み出て椅子を回し始めた。椅子の足がマットに引っ
かかり、蛇が醜悪な三角の鎌首をもたげてかすかにシューと声をあげた。そして、椅子がフランク
の方に向けられ、そこに座っているものをフランクは見た。杖がポロリと床に落ち、カタカタと音
をたてた。フランクは口を開け、叫び声をあげた。余りにも大声で叫んだので、椅子に座っている
何者かが杖を振り上げ何か言ったのも聞こえなかった。緑色の閃光が走り、音が迸り、フランク・
ブライスは崩れるように倒れた。床に倒れる前にフランクは事切れていた。そこから300 KM 離
れたところで、一人の少年、ハリー・ポッターがハッと目を覚ました。

第二章 傷跡

仰向けに横たわったまま、ハリーはまるで疾走してきた後のように荒い息をしていた。生々しい夢
で目が覚め、ハリーは両手を顔にギュッと押しつけていた。
その指の下で、稲妻の形をした額の古傷が、今しがた白熱した針金を押しつけられたかのように痛
んだ。ベットに起き上がり、片手で傷を抑えながら、ハリーはもう一方の手を、暗がりで、ベッド
脇の小机に置いてあったメガネに伸ばした。
眼鏡をかけると寝室の様子がよりはっきり見えてきた。窓の外からカーテン越しに街灯の明かりが
ぼんやりと霞むようなオレンジ色の光で部屋を照らしていた。ハリーはもう一度指で傷跡をなぞっ
た。まだうずいている。枕元の明かりを点け、ベッドからはい出し、部屋の奥にある洋箪笥を開け、
ハリーは箪笥の扉裏の鏡を覗き込んだ。
やせた14歳の自分が見つめ返していた。クシャクシャの黒髪の下で、輝く縁の目が戸惑った表情
をしている。ハリーは鏡に映る稲妻型の傷跡をじっくり調べた。いつもと変わりがない。しかし、
傷はまだ刺すように痛かった。目が覚める前にどんな夢を見ていたのか、思い出そうとした。余り
にも生々しかった。
二人は知っている。3人目は知らない。ハリーは顔をしかめ、夢を思い出そうと懸命に集中した。
暗い部屋がぼんやりと思い出された。暖炉マットに蛇がいた。小男はピーター、別名ワームテール
だ。そして、冷たい甲高い声。ヴォルデモート卿の声だ。そう思っただけで、胃袋に氷の塊がすべ
り落ちるような感覚が走った。
ハリーは固く目を閉じて、ヴォルデモートの姿を思い出そうとしたが、できない。ヴォルデモート
の椅子がくるりとこちらを向き、そこに座っている何者かが見えた。ハリー自身がそれを見た瞬間、
恐ろしい戦慄で目が覚めた。それだけは覚えている。それとも傷跡の痛みで目が覚めたのだろう
か?
それに、あの老人は誰だったのだろう?確かに年老いた男がいた。その男が床に倒れるのを、ハ
リーは見た。なんだかすべて混乱している。ハリーは両手に顔を埋め、今いる自分の寝室の様子を
遮るようにして、あの薄明かりの部屋のイメージをしっかりとらえようとした。しかし、とらえよ
うとすればするほど、まるで両手にくんだ水がもれるように、細かな事が指の間からこぼれて落ち
ていった。
ヴォルデモートとワームテールが誰かを殺したと話していた。誰だったかハリーは名前を思い出せ
なかった。それに他の誰かを殺す計画を話していた。僕を。ハリーは顔から手をはなし、目を開け
て自分の部屋をじっと見まわした。何か普通でないものを見つけようとしているかのように。たま
たまこの部屋には、異常なほどたくさん、普通ではないものがある。
大きな木のトランクが開けっぱなしでベッドの足元に置いてあり、中から大鍋や箒、黒いローブの
制服、呪文集が数冊覗いていた。机の上に大きな鳥籠があり、いつもながら雪のように白いふくろ
うのヘドウィグが止まっているのだが、今は空っぽだった。鳥籠に占領されていない机の隅に、羊
皮紙の巻紙が散らばっている。ベッド脇の床に、寝る前に読んでいた本が開いたまま置かれていた。
本の中の写真はみな動き回っている。鮮やかなオレンジ色のローブを着た選手たちが、箒に乗り赤
いボールを投げ合いながら、写真から出たり入ったりしていた。
ハリーは本の所まで歩いていき、拾い上げた。ちょうど選手の一人が15メートルの高さにある
ゴール・リングに、鮮やかなシュートを決めて得点したところだった。ハリーはピシャリと本を閉
じた。クィディッチでさえ、ハリーがこれぞ最高のスポーツだと思っているものでさえ、今はハ
リーの気を逸らせてはくれなかった。”キャノンズと飛ぼう”をベッド脇の小机に置くと、ハリー
は部屋を横切り窓のカーテンを開け下の通りの様子を窺った。プリベッド通りは、土曜日の明け方
に郊外のきちんとした町並みはこうでなければならない、といた模範的なたたずまいだった。
どの家のカーテンも閉まったままだ。まだ暗い街には見渡す限り人っ子一人、猫の子一匹いなかっ
た。でも何か、何かハリーはなんだか落ち着かないままベッドに戻り、座り込んでもう一度傷跡を
指でなぞった。痛みが気になったわけではない。痛みやケガなら、ハリーはイヤというほど味わっ
ていた。
ほんの小さな子供の頃からダドリーに苛められてきたのだ。それに一度は右の腕の骨が全部なくな
り一晩痛い思いをして再生させた事もある。それからほどなくその同じ右腕を三十センチもある毒
牙が差し貫いた。飛行中の箒から十五メートルも落下したのはほんの一年前の事だ。とんでもない
事故やケガなら、もう慣れっこだった。
ホグワーツ魔法魔術学校に学び、しかも、なぜか知らないうちに事件を呼び寄せてしまうハリーに
とってそれは避けられない事だった。違うんだ。何か気になるのは前回傷が痛んだ原因がヴォルデ
モートが近くにいたからなんだ。しかし、ヴォルデモートが今ここにいるはずがない。ヴォルデ
モートがプリベッド通りに潜んでいるなんて馬鹿げた考えだ。あり得ない。ハリーはしじまの中で
耳をすませた。階段の軋む音、マントの翻る音が聞こえてくるのではと、どこかでそんな気がした
のだろうか?
ちょうどその時、隣の部屋から従兄弟のダドリーが。巨大な鼾をかく音が聞こえハリーはびくりと
した。ハリーは心の中でかぶりを振った。なんてバカな事を、この家にいるのはハリーの他に、
バーノンおじさん、ペチュニアおばさんとダドリーだけだ。悩みも痛みもない夢をむさぼり全員ま
だ眠りこけている。ハリーはダーズリー一家が眠っているときが一番気に入っていた。起きていた
からといってハリーのために何かしてくれるわけではない。バーノンおじさん、ペチュニアおばさ
ん、ダドリーはハリーにとって唯一の親戚だった。一家はマグルで魔法と名がつくものは何でも忌
み嫌っていた。つまりハリーはまるで犬の糞扱いだった。この三年間ハリーがホグワーツにいって
長期不在だった事は、「セント・ブルータス更生不能非行少年院」に入ったと言いふらして取り
繕っていた。
ハリーのように半人前の魔法使いはホグワーツの外では、魔法を使ってはいけない事を一家はよく
知っていた。それでもこの家で何かがおかしくなると、やはりハリーがとがめられる羽目になった。
魔法世界での生活がどんなものか、ハリーはただの一度もこの一家に打ち明ける事も話す事もでき
なかった。この連中が朝になって起きてきた時に、傷が痛むだとか、ヴォルデモートの事が心配だ
とか打ち明けるなんてまさにお笑い種だ。だがそのヴォルデモートこそそもそもハリーがダーズ
リー一家と暮らすようになった原因なのだ。ヴォルデモートがいなければハリーは額に稲妻型の傷
を受ける事もなかったろう。ヴォルデモートがいなければハリーは今でも両親と一緒だったろうに。
あの夜、ハリーはまだ一歳だった。
ヴォルデモート、十一年間、徐々に勢力を集めていった。今世紀最強の闇の魔法使いが、ハリーの
家にやってきて父親と母親を殺したの夜、ヴォルデモートは杖をハリーに向け呪いをかけた。勢力
を伸ばす過程で何人もの大人の魔法使いや魔女を処分したその呪いを。
ところが信じられない事に呪いが効かなかった。幼児を殺すところか、呪いはヴォルデモート自身
に跳ね返った。ハリーは額に稲妻のような切り傷を受けただけで生き残り、ヴォルデモートはかろ
うじて命を取り止めるだけの存在になった。力は失せ、命も絶えなんとする姿でヴォルデモートは
逃げ去った。隠された魔法社会で魔法使いや魔女が何年にも渡り戦々恐々と生きてきた。その恐怖
が取り除かれヴォルデモートの家来は散り散りになりハリー・ポッターは有名になった。十一歳の
誕生日に初めて自分が魔法使いだと分かった事だけでも、ハリーにとっては十分なショックだった。
その上隠された社会である魔法界では、誰もが自分の名前を知っているのだと知った時は更に気ま
ずい思いだった。ホグワーツ校に着くとどこに行ってもみんながハリーを振り返り囁き交わした。
しかし、今ではハリーもそれに慣れっこになっていた。この夏が終わればハリーはホグワーツ校の
4年生になる。ホグワーツのあの城に戻れる日をハリーは今から指を折り数えて待っていた。しか
し学校に戻るまでにまだ二週間もあった。ハリーはやりきれない気持ちで部屋の中を見回し、誕生
祝カードに目をとめた。七月末の誕生日に二人の親友から送られたカードだ。あの二人に手紙を書
いて傷跡が痛むと言ったらなんと言うだろう?
たちまち、ハーマイオニー・グレンジャーが驚いて甲高く叫ぶ声がハリーの頭の中で鳴り響いた。
しかも指を突きつけ、目を爛々と輝かせながら言い募る姿の幻まで見えた。
「傷跡が痛むんですって?ハリー、それって、大変な事よ。ダンブルドア先生に手紙を書かな
きゃ!
それから、私、”よくある魔法病と傷害”を調べるわ。呪いによる傷跡に関して、何が書いてある
かもしれない」
そう、それこそハーマイオニーらしい忠告だ。すぐホグワーツの校長のところに行く事、その間に
本で調べる事。ハリーは窓から群青色に塗り込められた空を見つめた。この場合本が役に立つとは
到底思えなかった。ハリーの知る限りヴォルデモートの呪いほどのものを受けて生き残ったのは自
分一人だけだ。つまり、ハリーの症状が”よくある魔法病と傷害”に載っているとはほとんど考え
られない。校長先生に知らせるといっても、ダンブルドアが夏休みをどこで過ごしているのかハ
リーには見当もつかない。長い銀色の髭を蓄えたダンブルドアが、あの踵まで届く丈の長いローブ
を着て三角帽を被り、どこかのビーチに寝そべってあの曲った鼻に日焼けクリームを塗り込んでい
る姿を一瞬想像して、ハリーは可笑しくなった。ダンブルドアがどこにいようとも、ハリーのペッ
トふくろうのヘドウィグは今まで一度も手紙を届け損なった事はない。でもなんと書けばいいんだ
ろう?
『ダンブルドア先生。休暇中にお邪魔してすみません。でも今朝、傷跡が疼いたのです。さような
ら。ハリー・ポッター』
頭の中で考えただけでもこんな文句は馬鹿げている。ハリーはもう一人の親友ロン・ウィーズリー
がどんな反応を示すか想像してみた。ソバカスだらけの鼻の高いロンの顔が、フゥーッと目の前に
現れた。当惑した表情だ。『傷が痛いって?だけど、だけど例のあの人が今君のそばにいるわけな
いよ。そうだろ?だって、もしいるなら、君、わかるはずだろ?また君を殺そうとするはずだろ?
ハリー、僕、わかんないけど、呪いの傷跡って、いつでも少しはズキズキするものなんじゃないか
なぁ。パパに聞いてみるよ』
ロンの父親は魔法省の”マグル製品不正使用取締局”に勤めるれっきとした魔法使いだが、ハリー
の知る限り呪いに関しては特に専門家ではなかった。いずれにせよ、たった数分間傷がうずいたか
らといって自分がびくびくしているなどと、ウィーズリー家の全員に知られたくは無い。ウィーズ
リー夫人はハーマイオニーよりも大騒ぎして心配するだろうし、ロンの双子の兄、十六歳になるフ
レッドとジョージは、ハリーが意気地なしだと思うかもしれない。ウィーズリー一家はハリーが世
界中で一番好きな家族だった。明日にもウィーズリー家から泊まりに来るようにと招待が来るはず

ロンが何かクィディッチ・ワールドカップの事を話していたし。折角の滞在中に傷跡はどうかと心
配そうに何度も聞かれたりするのはハリーは何だか嫌だった。
ハリーは拳で額を揉んだ。本当は、自分でそうだと認めるのは恥ずかしかったが、誰か父親や母親
のような人が欲しかった。大人の魔法使いで、こんな馬鹿な事を、と思わずにハリーが相談できる
誰か、自分の事を心配してくれる誰か、闇の魔術の経験がある誰か。
するとふっと答えが思い浮かんだ。こんな簡単な、こんな明白な事を思いつくのにこんなに時間が
かかるなんて。
シリウスだ。ハリーはベッドから飛び降り急いで部屋の反対側にある机に座った。羊皮紙を一巻引
きよせ、鷲羽ペンにインクを含ませ『シリウス、元気ですか』と書き出した。そこでペンが止まっ
た。どうやったら上手く説明できるのだろう。初めからシリウスを思い浮かべなかった事にハリー
は自分でもまだ驚いていた。しかしそんなに驚く事ではないのかもしれない。そもそもシリウスが
自分の名付け親だと知ったのはほんの二ヵ月前の事なのだから。
シリウスがそれまでハリーの人生に全く姿を見せなかった理由は簡単だった。シリウスはアズカバ
ンにいたのだ。ディメンターという目を持たない魂を吸い取る鬼に監視された恐ろしい魔法界監獄
のアズカバンだ。そこを脱獄したシリウスを追ってディメンターはホグワーツにやってきた。しか
しシリウスは無実だった。殺人の罪に問われていたが、まさにその殺人を犯したのはヴォルデモー
トの家来ワームテールだった。
ワームテールは死んだのだとほとんどのみんながそう思っている。しかしハリー、ロン、ハーマイ
オニーはそうではない事を知っている。前の学年のとき、三人は真正面からワームテールと対面し
たのだ。でも三人の話を信じたのはダンブルドア校長だけだった。
あの輝かしい一時間の間だけに、ハリーはついにダーズリーたちと別れる事ができると思った。シ
リウスが汚名を濯いだら一緒に暮らそうとハリーに言ってくれたからだ。しかしそのチャンスはた
ちまち奪われてしまった。ワームテールを魔法省に引き渡す前に逃してしまったのだ。
シリウスは身を隠さなければ命を落とすところだった。ハリーはシリウスがバックビークという名
のヒッポグリフの背に乗って逃亡するのを助けた。それ以来ずっとシリウスは逃亡生活を続けてい
る。ワームテールさえ逃さなかったらシリウスと暮らせたのにという思いが、夏休みに入ってずっ
とハリーの頭を離れなかった。
もう少しでダーズリーのところから永久に逃れる事ができたのにと思うと、この家に戻るのは二倍
も辛かった。一緒に暮らせはしないが、それでもシリウスはハリーの役に立っていた。
学用品を全部自分の部屋に持ち込む事ができたのもシリウスのお陰だった。これまではダーズリー
一家が決してそれを許してくれなかった。常々ハリーをなるべくみじめにしておきたいという思い
もあり、その上ハリーの力を恐れていたのでダーズリーたちは夏休みになると、ハリーの学校用の
トランクを階段下の物置に入れて鍵をかけておいたものだった。
ところが、その危険な殺人犯がハリーの名付け親だと分かるとダーズリーたちの態度が一変した。
シリウスは無実だとダーズリーたちに告げるのをハリーは都合よく忘れる事にした。プリベッド通
りに戻ってからハリーはシリウスの手紙を二通受け取った。
二回ともふくろうが届けたのではなく派手な色をした大きな南国の鳥が持ってきた。ヘドウィグは
けばけばしい侵入者が気に入らず、鳥が帰路につく前に自分の水受け皿から水を飲むのをなかなか
承知なかった。
ハリーはこの鳥たちが気に入っていた。ヤシの木や白い砂浜の気分にさせてくれるからだ。シリウ
スがどこにいようとも、(手紙が途中で他人の手に渡る事も考えられるので、シリウスは居場所を
明かさなかった)、元気で暮らしてほしいとハリーは願った。
強烈な太陽の光の下では何故かディメンターが長生きしないような気がした。たぶんそれでシリウ
スは南へ行ったのだろう。シリウスの手紙はベッド下の床板のゆるくなったところに隠してあった。
この隙間はとても役に立つ。二通とも元気そうならいいが必要な時にはいつでも連絡するようにと
念を押ししていた。
そうだ。今こそシリウスが必要だ。よし。夜明け前の冷たい灰色の光がゆっくりと部屋に忍びこみ
机の明かりが薄暗くなるように感じられた。太陽が上り部屋の壁が金色に映え、バーノンおじさん
とペチュニアおばさんの部屋から人の動く気配がしはじめたとき、ハリーはくしゃくしゃに丸めた
羊皮紙を片づけ机をきれいにして、いよいよ書き終えた手紙を読み直した。
『シリウス、元気ですか。この間はお手紙をありがとう。あの鳥はとても大きくて、窓から入るの
がやっとでした。こちらは何も変わっていません。ダドリーのダイエットはあまりうまくいっては
いません。昨日、ダドリーはこっそりドーナツを部屋に持ち込もうとするのを、おばさんが見つけ
ました。こんな事が続くようなら小遣いを減らすないといけなくなると、二人がダドリーに言うと、
ダドリーはものすごく怒って、プレイステーションを窓から投げ捨てました。これはゲームをして
遊ぶコンピューターのようなものです。バカな事をしたものです。だって、もうダドリーの気を紛
らわすものは何もないんです。メガ・ミューチレーション・パート3で遊べなくなってしまったの
ですから。僕は大丈夫です。それというのも、僕が頼めばあなたがやってきて、ダーズリー一家を
コウモリに変えてしまうかもしれないと、みんな怖がっているからです。でも、今朝、気味の悪い
事が起こりました。傷跡がまだ痛んだのです。この前痛んだのは、ヴォルデモートがホグワーツに
いたからでした。でも、今は僕の身近にいるとは考えられません。そうでしょう?呪いの傷跡って、
何年も後に痛む事があるのですか?
ヘドウィグが戻ってきたら、この手紙を持たせます。今は餌を取りに出かけています。バックビー
クによろしく。ハリーより』
よし、これでいい、とハリーは思った。夢の事を書いてもしょうがない。ハリーはあんまり心配し
ているように思われたくわなかった。羊皮紙を畳み机の脇に置き、ヘドウィグが戻ったらいつでも
出せるようにした。それから立ち上がり、伸びをしてもう一度洋ダンスを開けた。扉裏の鏡に映る
自分を見もせず、ハリーは朝食に降りていくために着替えはじめた。

第3章招待状

ハリーがキッチンに降りてきたときには、もうダーズリー一家はテーブルに着いていた。ハリーが
入ってきても、座っても、誰も見向きもしない。バーノンおじさんのでっかい赤ら顔は”デイ
リー・メール”新聞の陰に隠れたままだったし、ペチュニアおばさんは馬のような歯の上で唇を
きっちり結び、グレープフルーツを四つに切っているところだった。ダドリーは怒って機嫌が悪く
なんだかいつもより余計に空間を占領しているようだった。これはただごとではない。何しろいつ
も四角いテーブルの一辺をダドリー一人でまるまる占領しているのだから。
ペチュニアおばさんがおろおろ声で「さあ、かわいいダドちゃん」と言いながら、グレープフルー
ツの四半分を砂糖もかけずにダドリーの皿に取り分けると、ダドリーはおばさんを恐い顔で睨み付
けた。夏休みで学校から通信簿を持って家に帰ってきた時以来、ダドリーの生活は一変して最悪の
状態になっていた。
おじさんもおばさんもダドリーの成績が悪い事に関しては、いつものように都合の良い言い訳で納
得していた。ペチュニアおばさんはダドリーの才能の豊かさを先生が理解していないと言い張った
し、バーノンおじさんはガリ勉の女々しい男の子なんか息子にもちたくないと主張した。いじめを
しているという叱責も二人は難なくやり過ごした。
「ダドちゃんは元気が良いだけよ。蝿一匹殺せやしないわ!」とおばさんは涙ぐんだ。
ところが通信簿の最後に短く、しかも適切な言葉で書かれていた養護の先生の報告だけには、さす
がのおじさんおばさんもグウの音も出なかった。
ペチュニアおばさんはダドリーが骨太なだけで体重だって子犬がコロコロ太っているのと同じだし、
育ち盛りの男の子はたっぷり食べ物が必要だと泣き叫んだ。
しかしどう喚いて見ても、もはや学校にはダドリーに合うようなサイズのニッカーボッカーの制服
がないのは確かだった。
養護の先生にはおばさんの目には見えないものが見えていたのだ。ピカピカの壁に指紋を見つける
とか、お隣さんの動きに関してはおばさんの目の鋭い事といったら。
そのおばさんの目は見ようとしなかっただけなのだが、養護の先生はダドリーがこれ以上栄養をと
る必要がないどころか、体重も大きさも小鯨並に育っている事を見抜いていた。そこでさんざん癇
癪を起こしハリーの部屋の床がグラグラゆれるほどの言い争いをし、ペチュニアおばさんがたっぷ
り涙を流した後、食事制限が始まった。スメルティングズ校の養護の先生から送られてきたダイ
エット表が冷蔵庫に張りつけられた。ダドリーの好物ソフト・ドリンク、ケーキ、チョコレート、
バーガー類は、全部冷蔵庫から消え代わりに果物、野菜、その他バーノンおじさんが”ウサギの
餌”と呼ぶものが詰め込まれた。
ダドリーの気分が良くなるようにペチュニアおばさんは家族全員がダイエットするよう主張した。
今度はグレープフルーツの四半分がハリーに配られた。
ダドリーのよりずっと小さい事にハリーは気付いた。ペチュニアおばさんはダドリーのやる気を保
つ一番良い方法は、少なくともハリーよりダドリーの方が沢山食べられるようにする事だと思って
いるらしい。ただしペチュニアおばさんは二階の床下の緩くなったところに何が隠されているかを
知らない。ハリーが全然ダイエットなどしていない事をおばさんは全く知らないのだ。
この夏をニンジンの切れっぱしだけで生き延びる羽目になりそうだとの気配を察したハリーは、す
ぐにヘドウィグを飛ばして友達の助けを求めた。友達はこの一大事に敢然と立ち上がった。ハーマ
イオニーの家から戻ったヘドウィグは
”砂糖なし”スナックのいっぱい詰まった大きな箱を持ってきた(ハーマイオニーの両親は歯医者
なのだ)。
さすがにハリーもこれには笑った。何ともハーマイオニーらしい。
ホグワーツの森番、ハグリッドはわざわざお手製のロック・ケーキを袋一杯送ってよこした(ハ
リーはこれには手を付けなかった。ハグリッドのお手製はイヤというほど経験済みだった)。
一方ウィーズリーおばさんは家族のペットふくろうのエロールに、大きなフルーツケーキと色々な
ミートパイを持たせてよこした。年老いてよぼよぼのエロールは哀れにもこの大旅行から回復する
のにまるまる五日もかかった。そしてハリーの誕生日には最高のバースデー・ケーキが四つも届い
た。ハーマイオニー、ロン、ハグリッド、そしてシリウスからだった。まだ二つ残っている。
そんなわけでハリーは早く二階に戻ってちゃんとした朝食をとりたいと思いながら、愚痴もこぼさ
ずにグレープフルーツを食べ始めた。バーノンおじさんは気に入らんとばかり大きくフンと鼻を鳴
らし、新聞を脇に置くと四半分のグレープフルーツを見おろした。
「これっぽっちか?」
おじさんはおばさんに向かって不服そうに言った。ペチュニアおばさんはおじさんをきっと睨みダ
ドリーの方を顎で指して頷いてみせた。ダドリーはもう自分の四半分を平らげ豚のような目でハ
リーの分を賎しげに眺めていた。バーノンおじさんは巨大なもじゃもじゃの口ひげがざわつくほど、
深いため息を着いてスプーンを手にした。
玄関のベルが鳴った。バーノンおじさんが重たげに腰を上げ廊下に出ていった。電光石火、母親が
やかんに気をとられている隙に、ダドリーはおじさんのグレープフルーツの残りをかすめ取った。
玄関先で誰かが話をし、笑い、バーノンおじさんが短く答えているのがハリーの耳に入ってきた。
それから玄関のドアが閉まり廊下から手紙を破る音が聞こえてきた。
ペチュニアおばさんはテーブルにティーポットを置きおじさんはどこに行ったのかと、きょろきょ
ろとキッチンを眺めまわした。待つほどの事もなく、約一分後におじさんが戻ってきた。カンカン
になって怒っている様子だ。
「来い」ハリーに向かっておじさんが吼えた。
「居間に。すぐにだ」
わけが分からず一体今度は自分が何をやらかしたのだろうと考えながら、ハリーは立ち上がりおじ
さんに着いてキッチンの隣の部屋に入った。入るなりバーノンおじさんはドアをピシャリと閉めた。
「おい」
バーノンはつかつかと暖炉の方へやってきて、まるでこれから逮捕するぞと言わんばかりの様子で
ハリーの方に向き直った。
「どういう事だ」
「それで何だって言うんだ?」と言えたらどんなにいいだろう。しかしこんな朝早くからバーノン
おじさんの虫の居所を試すのはよくないと思った。それでなくとも欠食状態でかなりイライラして
いるのだから。そこでハリーはおとなしく驚いたふうをして見せるだけで我慢する事にした。
「こいつが今届いた」
おじさんはハリーの鼻先で紫色の紙きれをひらひら振った。
「お前に関する手紙だ」
ハリーはますますこんがらがった。一体誰が、僕についての手紙をおじさん宛てに書いたのだろ
う?
郵便配達を使って手紙をよこすような知り合いがいたかな?
おじさんはハリーをギロリと睨むと手紙を見おろし読み上げた。
『親愛なるダーズリー様、奥様。私どもはまだ面識がございませんが、ハリーから息子のロンの事
は、色々お聞き及びございましょう。ハリーがお話したかと思いますが、クィディッチ・ワールド
カップの決勝戦が、次の月曜の夜行われます。夫のアーサーが、魔法省のゲーム・スポーツ部に伝
がございまして、とても良い席を手に入れる事ができました。つきましては、ハリーを試合に連れ
ていく事をお許しいただけませんでしょうか。これは一生に一度のチャンスでございます。イギリ
スが開催地になるのは三十年ぶりの事で、切符はとても手に入りにくいのです。もちろん、それ以
後夏休みの間ずっと、喜んでハリーを家にお預かりいたしますし、学校に戻る汽車に無事載せるよ
うにいたします。お返事は、なるべく早く、ハリーから普通の方法で私どもにお送り頂くのがよろ
しいかと存じます。なにしろマグルの郵便配達は、私どもの家に配達にきた事がございませんし、
家がどこにあるかを知っているかどうかも確かじゃございませんので。ハリーに間もなく会える事
を楽しみにしております。敬具
モリー・ウィーズリーより
追伸、切手は不足していないでしょうね?』
読み終えるとおじさんは胸ポケットに手を突っ込んで何か別のものを引っ張り出した。
「これを見ろ」おじさんが唸った。おじさんはウィーズリー夫人の手紙が入った封筒を掲げていた。
ハリーは吹き出したいのをやっとこらえた。封筒いっぱいに一部の隙もなく切手が貼り込んであり、
真ん中に小さく残った空間に詰め込むように、ダーズリー家の住所が細々した字で書き込まれてい
た。
「切手は不足していなかったね」
ハリーはウィーズリー夫人がごく当たり前の間違いを犯したというような調子を取り繕った。おじ
さんの目が一瞬光った。
「郵便配達は感づいたぞ」
おじさんが歯噛みをした。
「手紙がどこから来たのか、やけに知りたがっていたぞ、やつは。だから玄関のベルを鳴らしたの
だ。”奇妙だ”と思ったらしい」
ハリーは何も言わなかった。他の人には切手を貼りすぎたぐらいで、バーノンおじさんが何故目く
じらをさせるのかが分からなかったろう。しかしずっと一緒に暮らしてきたハリーにはいやという
ほどわかっていた。ほんのちょっとでもまともな範囲から外れるとこの一家はピリピリするのだ。
ウィーズリー夫人のような連中と関係があると誰かに感づかれる事を。どんなに遠い関係でも、
ダーズリー一家は一番恐れていた。バーノンおじさんはまだハリーを睨みつけていた。ハリーはな
るべく感情を顔に表さないように努力した。何もバカな事を言わなければ人生最大の楽しみが手に
入るかもしれないのだ。バーノンおじさんが何か言うまでハリーは黙っていた。しかしおじさんは
睨み付けるだけだった。ハリーの方から沈黙を破る事にした。
「それじゃ、僕、行ってもいいですか?」
バーノンおじさんのでっかい赤ら顔が微かにビリビリと震えた。口髭が逆だった。口髭の陰で何が
起こっているかハリーにはわかる気がした。おじさんの最も根深い二種類の感情が対立して激しく
闘っている。ハリーを行かせる事はハリーを幸福にする事だ。この十三年間おじさんはそれを躍起
になって阻止してきた。この三年間の夏休みは特にだ。
しかし夏休みの残りをハリーがウィーズリー家で過ごす事を許せば、期待したより二週間も早く厄
介祓いができる。ハリーがこの家にいるのはバーノンおじさんにとっておぞましい事だった。考え
る時間を稼ぐ為にという感じで、おじさんはウィーズリー夫人の手紙にもう一度視線を落とした。
「この女は誰だ?」
名前の所を汚らわしそうに眺めながらおじさんが聞いた。
「おじさんはこの人に会った事があるよ。僕の友達のロンのお母さんで、ホグ、学校から学年末に
汽車で帰ってきたとき、迎えに出てた人」
うっかり”ホグワーツ特急”と言いそうになったがそんな事をすれば確実におじさんを怒らせてし
まう。ダーズリー家ではハリーの学校の名前は、誰もただの一度も口に出した事は無かった。バー
ノンおじさんはひどく不愉快なものを思いだそうとしているかのように巨大な顔を歪めた。
「ずんぐりした女か?」しばらくしておじさんが唸った。
「赤毛の子供がうじゃうじゃの?」
ハリーは眉をひそめた。自分の息子を棚に上げて、バーノンおじさんが誰かを”ずんぐり”と呼ぶ
のはあんまりだと思った。
ダドリーは三歳の時から今か今かと恐れられていた事をついに実現し、今では縦より横幅の方が大
きくなっていた。おじさんはもう一度手紙を眺めまわしていた。
「クィディッチ」
おじさんが声をひそめて吐き出す様に言った。
「クィディッチ、このくだらんものは何だ?」
ハリーは又ムカムカした。
「スポーツです」手短に答えた。
「競技は、箒に」
「もういい、もういい!」
おじさんが声を張り上げた。微かにうろたえるのを見て取ってハリーは少し満足した。自分の家の
居間で”箒”などという言葉が聞こえるなんておじさんには我慢できないらしい。逃げるようにお
じさんは又手紙を眺め回した。おじさんの唇の動きをハリーは”普通の方法で私どもにお送り頂く
のがよろしいかと”と読みとった。おじさんがしかめ面をした。
「どういう意味だ、この”普通の方法”っていうのは?」
吐き捨てるようにおじさんが言った。
「僕たちにとって普通の方法」
おじさんが止める間も与えずハリーは言葉を続けた。
「つまり、ふくろう便の事。それが魔法使いの普通の方法だよ」
バーノンおじさんはまるでハリーが汚ならしい罵りの言葉でも吐いたかのようにカンカンになった。
怒りで震えながらおじさんは神経をとがらせて窓の外を見た。まるで隣近所が窓ガラスに耳を押し
つけて聞いていると思っているかのようだった。
「何度言ったらわかるんだ?この屋根の下で”不自然な事”を口にするな」
赤ら顔を紫にしておじさんが凄んだ。
「恩知らずめが。わしとペチュニアのお陰で、そんなふうに服を着ていられるものを」
「ダドリーが着古した後だけどね」ハリーは冷たく言った。まさにお下がりのコットンシャツは大
きすぎて袖を五つ折にしてたくし上げないと手が使えなかったし、シャツの丈はぶかぶかなジーン
ズの膝下まであった。
「わしに向かってその口のききようは何だ!」おじさんは怒り狂って震えていた。しかしハリーは
引っ込まなかった。ダーズリー家のバカバカしい規則を一つ残らず守らなければならなかったのは
もう昔の事だ。ハリーはダーズリー一家のダイエットに従ってはいなかったし、バーノンおじさん
がクィディッチ・ワールドカップに行かせないとしてもそうはさせないつもりだった。うまく抵抗
できればの話だが。ハリーは深く息を吸って気持ちを落ち着けた。
「じゃ、僕、ワールドカップを見に行けないんだ。もう行ってもいいですか?シリウスに書いてい
る手紙を書き終えなきゃ。ほら、僕の名付け親」
やったぞ。切り札をだしてやった。バーノンおじさんの顔から紫色がブチになって消えていくのが
見えた。まるで混ぜ損なった。クロスグリ・アイスクリーム状態だ。
「お前、お前は奴に手紙を書いているのか?」
おじさんの声は平静を装っていた。しかしハリーはもともと小さいおじさんの瞳が恐怖でもっと縮
んだのを見た。
「うん、まあね」ハリーはさりげなく言った。
「もうずいぶん長い事手紙を出してなかったから。それに僕からの便りがないと、ほら何か悪い事
が起こったんじゃないかって心配するかもしれないし」
ハリーはここで言葉を切り言葉の効果を楽しんだ。きっちり分け目をつけたバーノンおじさんの
たっぷりした黒髪の下で、歯車がどう回っているかが見るようだった。シリウスに手紙を書くのを
やめさせればシリウスはハリーが虐待されていると思うだろう。クィディッチ・ワールドカップに
行ってはならんとハリーに言えば、ハリーは手紙にそれを書きハリーが虐待されている事をシリウ
スが知ってしまう。バーノンおじさんのとるべき道はただ一つだ。巨大な口髭の付いた頭の中が透
けて見えるかのように、ハリーにはおじさんの頭の中でその結論が出来上がっていくの見えるよう
だった。ハリーはニンマリしないようなるべく無表情でいるように努力した。すると。
「まあ、よかろう。その忌々しい、そのバカバカしい、そのワールドカップとやらに行ってよい。
手紙を書いてこの連中、このウィーズリーとかに、迎えに来るように言え。いいか。わしはお前を
どこへやらわからんところへ連れて行く暇は無い。それから、夏休みは後ずっとそこで過ごしてよ
ろしい。それから、お前の、お前の名付け親に、そやつに言うんだな。お前がいく事になったと、
言え」
「オッケーだよ」ハリーは朗らかに言った。ハリーは居間の入り口の方に向き直り飛び上がって
「ヤッタ!」叫びたいのをこらえながら歩き出した。行けるんだ。ウィーズリー家に行けるんだ。
クィディッチ・ワールドカップに行けるんだ!
廊下に出るとダドリーにぶつかりそうになった。ドアの影に潜んでハリーが叱られるのを盗み聞き
しようとしていたに違いない。ハリーがにっこり笑っているのを見てダドリーはショックを受けた
ようだった。
「すばらしい朝食だったね?僕、満腹さ。君は?」ハリーが言った。ダドリーが驚いた顔をするの
を見て笑いながらハリーは階段を一度に三段ずつ駆け上がり、飛ぶように自分の部屋に戻った。
最初に目に入ったのは帰宅していたヘドウィグだった。籠の中から大きな琥珀色の目でハリーを見
つめ、何か気に入らない事があるような調子で嘴をカチカチ鳴らした。一体何が気に入らなかった
のかはすぐわかった。
「アイタッ!」
小さな灰色のふかふかしたテニスボールのようなものがハリーの頭の横にぶつかった。ハリーは頭
をギュウギュウ揉みながら何がぶつかったの顔を探した。豆ふくろうだ。片方の手の平に収まるく
らい小さいふくろうが迷子の花火のように、興奮して部屋中をヒュンヒュン飛び回っている。気が
つくと豆ふくろうはハリーの足元に手紙を落としていた。屈んで見るとロンの字だ。封筒を破ると
走り書きの手紙が入っていた。
『ハリー、パパが切符を手に入れたぞ。アイルランド対ブルガリア。月曜の夜だ。ママがマグルに
手紙を書いて、君が家に泊まれるように頼んだよ。もう手紙が届いているかもしれない。マグルの
郵便ってどのぐらい早いか知らないけど。どっちにしろ、ピッグにこの手紙を持たせるよ。』
ハリーは”ピッグ”という文字を眺めた。それから豆ふくろうを眺めた。今度は天井のランプの傘
の周りをブンブン飛び回っている。こんなに”ピッグ”らしくないふくろうは見た事がない。ロン
の文字を読み違えたのかもしれない。ハリーはもう一度手紙を読んだ。
『マグルがなんと言おうと、僕たち君を迎えに行くよ。ワールドカップを見逃す手はないからな。
ただ、パパとママは一応マグルの許可をお願いするふりをした方がいいと思ったんだ。連中がイエ
スと言ったら、そう書いてピッグをすぐに送り返してくれ。日曜の午後五時に迎えに行くよ。連中
がノーと言っても、ピッグをすぐ送り返してくれ。やっぱり日曜の午後五時に迎えに行くよ。ハー
マイオニーは今日の午後に来るはずだ。パーシーは就職した。魔法省の国際魔法協力部だ。家にい
る間、外国の事は一切口にするなよ。さもないと、うんざりするほど聞かされるからな。じゃあな。
ロン』

「落ち着けよ!」豆ふくろうに向かってハリーが言った。今度はハリーの頭のところまで低空飛行
して、ピーピー狂ったように鳴いている。受取人にちゃんと手紙を届けた事が誇らしくて仕方ない
らしい。
「ここへおいで。返事を出すのに君が必要なんだから!」
豆ふくろうはヘドウィグの籠の上にパタパタ舞い下りた。ヘドウィグはそれ以上近づけるものなら
近づいてごらんと言うかのように冷たい目で見上げた。ハリーはもう一度鷲羽根ペンを取り新しい
羊皮紙を一枚つかみ、こう書いた。
『ロン。すべてオッケーだ。マグルは僕が言ってもいいって言った。明日の午後五時に会おう。待
ち遠しいよ。ハリー』
ハリーはメモ書きを小さく畳み、豆ふくろうの足に括り付けたが、興奮してぴょんぴょん飛び上が
るものだから結ぶのが一苦労だった。メモがきっちり括り付けられると豆ふくろう出発した。窓か
らブーンと飛び出し姿が見えなくなった。ハリーはヘドウィグのところに行った。
「長旅できるかい?」
ヘドウィグは威厳タップリにホーと鳴いた。
「これをシリウスに届けられるかい?」ハリーは手紙を取り上げた。
「ちょっと待って。一言書き加えるから」
羊皮紙をもう一度広げハリーは急いで追伸を書いた。
『僕に連絡したいときは、これから夏休み中ずっと、友達のロン・ウィーズリーのところにいます。
ロンのパパがクィディッチ・ワールドカップの切符を手に入れてくれたんだ!』
書き終えた手紙を、ハリーはヘドウィグの足に括り付けた。ヘドウィグはいつにも増してじっとし
ていた。本物の”伝書ふくろう”がどう振る舞うべきかをハリーにしっかり見せてやろうとしてい
るようだった。
「君が戻るころ、僕、ロンのところにいるから。わかったね?」
ヘドウィグは愛情を込めてハリーの指を噛み、柔らかいシュッという羽音をさせて大きな翼を広げ、
開け放た窓から高々と飛び立っていった。ハリーはヘドウィグの姿が見えなくなるまで見送りそれ
からベッド下に這い込んで、緩んだ床板をこじ開けバースデイ・ケーキの大きな塊を引っ張り出し
た。
床に座ってそれを食べながらハリーは幸福感がひたひたと溢れてくるのを味わった。ハリーには
ケーキがある。ダドリーにはグレープフルーツしかない。明るい夏の日だ。明日にはプリベット通
りを離れる。傷跡はもう何ともない。それにクィディッチ・ワールドカップを見に行くのだ。今は
何かを心配しろという方が無理だ。たとえ、ヴォルデモート卿の事だって。

第4章再び「隠れ穴」へ

翌日十二時までには学用品やらその他一番大切な持ち物が全部ハリーのトランクに詰め込まれた。
父親から譲り受けた”透明マント”やシリウスにもらった箒、ウィーズリー家のフレッドとジョー
ジから昨年もらったホグワーツ校の”忍びの地図”などだ。緩んだ床板の下の隠し場所から食べ物
を全部出して空っぽにし、呪文集や羽根ペンを忘れていないかどうか部屋の隅々まで念入りに調べ、
九月一日までの日にちを数えていた壁の表もはがした。ホグワーツに帰る日まで、表の日付に毎日
×印をつけるのがハリーには楽しみだった。プリベット通り四番地には極度に緊張した空気がみな
ぎっていた。魔法使いの一行が間もなくこの家にやってくるというので、ダーズリー一家はガチガ
チに緊張しイライラしていた。ウィーズリー一家が日曜の五時にやってくるとハリーが知らせたと
き、バーノンおじさんは間違いなく度肝を抜かれた。
「きちんとした身なりで来るように言ってやったろうな。連中に」
おじさんはすぐさま歯をむき出して怒鳴った。
「お前の仲間の服装を、わしは見た事がある。まともな服を着てくるぐらいの礼儀は持ち合わせた
方が良いぞ。それだけだ」
ハリーはちらりと不吉な予感がした。ウィーズリー夫妻が、ダーズリー一家が”まとも”と呼ぶよ
うな格好しているのを見た事がない。子供達は休み中はマグルの服を着る事もあるが、ウィーズ
リー夫妻はよれよれの度合いこそ違えいつも長いローブを着ていた。隣近所がなんと思うとハリー
は気にならなかった。ただもしウィーズリー一家がダーズリー達が持つ”魔法使い”の最悪のイ
メージそのものの姿で現れたら、ダーズリーたちがどんなに失礼な態度をとるかと思うと心配だっ
た。バーノンおじさんは一張羅の背広を着込んでいた。他人が見たらこれは歓迎の気持ちの表れだ
と思うかもしれない。しかしハリーには分かっていた。おじさんは威風堂々、威嚇的に見えるよう
にしたかったのだ。一方ダドリーはなぜか縮んだように見えた。ついにダイエット効果が現われた
というわけではなく恐怖のせいだった。ダドリーがこの前に魔法使いに出会ったときは、ズボンの
尻から豚の尻尾がクルリと飛び出す結末になり、おじさんとおばさんはロンドンの私立病院で尻尾
を取ってもらうのに高いお金を払った。だからダドリーが尻のあたりをしょっちゅうそわそわ撫で
ながら、前回と同じ的を敵に見せまいと部屋から部屋へ蟹歩きで歩いているのも全く変だという訳
ではない。昼食の間、ほとんど沈黙が続いた。ダドリーは(カッテージチーズにセロリおろしの)
食事に文句も言わなかった。ペチュニアおばさんは何も食べない。腕を組み唇をギュっと結び、ハ
リーに向かってさんざん投げつけたい悪口雑言を
噛み殺しているかのように舌をモゴモゴさせているようだった。
「当然、車で来るんだろうな?」
テーブル越しにおじさんが吼えた。
「えーと」
ハリーは考えてもみなかった。ウィーズリー一家はどうやってハリーを迎えにくるのだろう?
もう車は持っていない。昔持っていた中古のフォード・アングリアは今はホグワーツの”禁じられ
た森”で野生化している。でもウィーズリーおじさんは昨年、魔法省から車を借りているしまた今
日も借りるのかな?
「そうだと思うけど」ハリーは答えた。バーノンおじさんはフンと口髭に鼻息をかけた。いつもな
らウィーズリー氏はどんな車を運転しているのかと聞くところだ。おじさんはどの位大きい、どの
くらい高価な車を持っているかで他人の品定めをするのが常だ。しかし、たとえフェラーリを運転
していたところで、それでおじさんがウィーズリー氏を気に入るとは思えなかった。ハリーはその
日の午後、ほとんど自分の部屋にいた。
ペチュニアおばさんがまるで動物園からサイが逃げたと警告があったかのように、数秒ごとにレー
ス編みのカーテンから外を覗くのを見るに耐えなかったからだ。
やっと、五時十五分前にハリーは二階から降りて居間に入った。ペチュニアおばさんは、強迫観念
にとらわれたようにクッションの皺を伸ばしていた。バーノンおじさんは新聞を読むふりをしてい
たが小さい目はじっと止まったままだ。
本当は全神経を集中して車の近づく音を聞きとろうとしているのがハリーにはよくわかった。ダド
リーはひじ掛け椅子に体を押し込みブクブクした両手を尻に敷き両脇から尻をがっちり固めていた。
ハリーはこの緊張感に耐えられず居間を出て玄関の階段に腰掛け時計を見つめた。興奮と不安で心
臓がドキドキしていた。ところが、五時になり、五時が過ぎた。背広を着込んだバーノンおじさん
は汗ばみはじめ、玄関の戸をあけて通りを端から端まで眺めそれから急いで首を引っ込めた。
「連中は遅れとる!」
ハリーに向かっておじさんが怒鳴った。
「分かってる。たぶん、えーと、道が混んでるとか、そんなんじゃないかな」
五時十分過ぎ、やがて五時十五分過ぎハリー自身も不安になり始めた。五時半、おじさんおばさん
が居間でブツブツと短い言葉を交わしているのが聞こえた。
「失礼ったらありゃしない」
「わしらに他の約束があったらどうしてくれるんだ」
「遅れてきたら、夕食に招待されるとでも思っているんじゃないかしら」
「そりゃ、絶対そうはならんぞ」
そう言うなりおじさんが立ち上がって居間を行ったり来たりする足音が聞こえた。
「連中はあいつめを連れてすぐ帰る。長居は無用。もちろん奴らが来ればの話だが。日を間違えと
るんじゃないか。まったく、あの連中ときたら時間厳守など念頭にありゃせん。さもなきゃ、安物
の車を運転していて、ぶっ壊れ、ああああああああーーーーーっ!」
ハリーは飛び上がった。居間のドアの向こう側でダーズリー一家三人がパニックして部屋の隅に逃
げ込む音が聞こえる。次の瞬間ダドリーが恐怖でひきつった顔をして廊下に飛び出してきた。
「どうした?何が起こったんだ?」ハリーが聞いた。しかしダドリーは口もきけない様子だ。両手
でぴったり尻をカードしたままダドリーはドタドタとそれなりに急いでキッチンに駆け込んだ。ハ
リーは急いで居間に入った。板を打ち付けて塞いだ暖炉の中からバンバン叩いたりガリガリ擦った
り大きな音がしていた。暖炉の前には石炭の形をした電気ストーブが置いてあるのだ。
「あれは何なの?」
ペチュニアおばさんは後ずさりして壁に貼付き恐々暖炉を見つめ喘ぎながら言った。
「バーノン、何なの?」
二人の疑問は一秒もたないうちに解けた。塞がれた暖炉の中から声が聞こえてきた。
「イタッ!駄目だ、フレッド、戻って、戻って。何か手違いがあった。ジョージに、駄目だって言
いなさい。痛い!ジョージ、駄目だ。場所がない。早く戻って、ロンに言いなさい」
「パパ、ハリーには聞こえているかもしれないよ。ハリーが、ここから出してくれるかもしれな
い」
電気ストーブの後から板をドンドンと拳で叩く大きな音がした。
「ハリー?聞こえるかい?ハリー?」
ダーズリー夫妻が怒り狂ったクズリのつがいのごとくハリーのほうを振りむいた。
「これは何だ?」おじさんが唸った。「何事なんだ?」
「みんなが、フルーパウダーでここに来ようとしたんだ」
ハリーは吹き出しそうになるのをぐっとこらえた。
「みんなは暖炉の火を使って移動できるんだ。でも、この暖炉は塞がれてるから。ちょっと待っ
て」
ハリーは暖炉に近づき、打ちつけた板越しに声をかけた。
「ウィーズリーおじさん?聞こえますか?」
バンバン叩く音がやんだ。煙突の中の誰かが「シーッ!」と言った。
「ウィーズリーおじさん。ハリーです。この暖炉は塞がれているんです。ここからは出られませ
ん」
「馬鹿な!」ウィーズリー氏の声だ。「暖炉を塞ぐなんて、まったくどういうつもりなんだ?」
「電気の暖炉なんです」ハリーが説明した。
「ほう?」ウィーズリー氏の声が弾んだ。
「”気電”、そう言ったかね?プラグを使うやつ?それはまた、是非みないと。どうすりゃ、アイ
タッ!ロンか!」
ロンの声が加わって聞こえてきた。
「ここで何をもたもたしてるんだい?なんか間違ったの?」
「どういたしまして、ロン」
フレッドの皮肉たっぷりな声が聞こえた。
「ここは、まさに俺達の目指したどんづまりさ」
「ああ、まったく人生最高の経験だよ」
ジョージの声は壁にべたっり押しつけられているかのように潰れていた。
「まあ、まあ」
ウィーズリー氏が誰に言うともなく言った。
「どうしたらよいか考えているところだから。うーむ、これしかない。ハリー、下がっていなさ
い」
ハリーはソファーのところまで下がった。バーノンおじさんは逆に前に出た。
「ちょっと待った!」
おじさんが暖炉に向かって声を張り上げた。
「一体全体、何をやらかそうと?」
バーン。暖炉の板張りが破裂し電気ストーブが部屋を横切って吹っ飛んだ。瓦礫や木っ端と一緒く
たにウィーズリー氏、フレッド、ジョージ、ロンが吐き出されたきた。ペチュニアおばさんは悲鳴
をあげコーヒーテーブルにぶつかって仰向けに倒れたが、床に倒れ込む寸前バーノンおじさんがそ
れをかろうじて支え、大口を開けたまま物も言えずにウィーズリー一家を見つめた。そろいも揃っ
て燃えるような赤毛一家でフレッドとジョージはソバカスの一つ一つまでそっくりだ。
「これでよし、と」
ウィーズリー氏が息を切らし長い緑のローブの埃を払い曲がった眼鏡を直した。
「ああ、ハリーのおじさんとおばさんでしょうな」
痩せて背が高く髪が薄くなりたかったウィーズリー氏が手を差し出してバーノンおじさんに近づい
た。おじさんはおばさんを引きずって二、三歩後ずさりした。口をきくどころではない。一張羅の
背広は埃で真っ白、髪も口髭も埃まみれでおじさんは急に三十歳も老けて見えた。
「ああ、いや、申し訳ない」
手をおろし吹っ飛んだ暖炉を振り返りながらウィーズリー氏が言った。
「全て私のせいです。まさか到着地点で出られなくなるとは思いませんでしたよ。実は、お宅の暖
炉を、”煙突飛行ネットワーク”に組み込みましてね。なに、ハリーを迎えに来るために、今日の
午後に限ってですがね。マグルの暖炉は、厳密には結んではいかんのですが、しかし、”煙突飛行
規制委員会”にちょっとしたコネがありましてね、そのものが細工してくれましたよ。なに、あっ
と言う間元通りにできますので、ご心配なく。子供達を送り返す火を熾して、それからお宅の暖炉
を直して、そのあとで私は”姿くらまし”いたしますから」
賭けてもいい、ダーズリー夫妻には一言もわからなかったに違いないとハリーは思った。夫妻は雷
に打たれたようにあんぐり大口を開けウィーズリー氏を見つめたままだった。ペチュニアおばさん
はよろよろと立ち上がりおじさんの陰に隠れた。
「やあ、ハリー!」
ウィーズリー氏が朗らかに声をかけた。
「トランクは準備できているかね?」
「二階にあります」ハリーもにっこりした。
「俺達が取ってくる」
そう言うなりフレッドはハリーにウィンクしジョージと一緒に部屋を出ていった。一度、真夜中に
ハリーを救出した事があるので二人はハリーの部屋がどこにあるかを知っていた。たぶん二人とも
ダドリーを−−ハリーから色々話しを聞いていた−−一目見たくて出ていったのだろうとハリーはそう
思った。
「さーて」
ウィーズリー氏はなんとも気まずい沈黙をやぶる言葉を探して腕を少しぶらぶらさせながら言った。
「なかなか、えへん、なかなかいいお住まいですな」
いつもは染み一つない居間が埃とレンガのカケラで埋まっている今、ダーズリー夫妻にはこのセリ
フがすんなり納得できはしない。バーノンおじさんの顔にまた血が上りペチュニアおばさんは口の
中で舌をゴニョゴニョやり始めた。それでも怖くて何も言えないようだった。ウィーズリー氏は辺
りを見回した。マグルに関するものは何でも大好きなのだ。テレビとビデオのそばに行って調べて
見たくてむずむずしているのがハリーにはわかった。
「みんな”気電”で動くのでしょうな?」
ウィーズリー氏が知ったかぶりをした。
「ああ、やっぱり。プラグがある。私はプラグを集めていましてね」
ウィーズリー氏はおじさんに向かってそう付け加えた。
「それに電池も。電池のコレクションは相当なものでして。妻などは私がどうかしているとの思っ
てるらしいのですがね。でもこればかりは」
ダーズリーおじさんもウィーズリー氏を奇人だと思ったに違いない。ペチュニアおばさんを隠すよ
うにしてほんのわずか右の方にそろりと体を動かした。まるでウィーズリー氏が今にも二人に飛び
かかって攻撃すると思ったかのようだった。ダドリーが突然居間に戻ってきた。
トランクがゴツンゴツン階段にあたる音が聞こえたので、ダドリーが音に怯えてキッチンから出て
きたのだとハリーには察しがついた。ダドリーはウィーズリー氏をこわごわ見つめながら壁伝いに
そろそろと歩き、母親と父親の陰に隠れようとした。残念ながらバーノンおじさんの図体でさえペ
チュニアおばさんを隠すのには十分でも、ダドリーを覆い隠すにはとうてい間に合わなかった。
「ああ、この子が君のいとこか。そうだね、ハリー?」
ウィーズリー氏は何とかして会話を成り立たせようと勇敢にも一言突っ込みを入れた。
「そう。ダドリーです」ハリーが答えた。
ハリーはロンと目を見かわし急いで互いに顔をそむけた。吹き出したくて我慢できなくなりそう
だった。ダドリーは尻が抜け落ちるのを心配しているかのようにしっかり尻を押さえたままだった。
ところがウィーズリー氏はこの奇怪な行動を心から心配したようだった。
ウィーズリー氏が次に口を開いたときその口調に気持ちが現われていた。ダーズリー夫妻がウィー
ズリー氏を変だと思ったと同じように、ウィーズリー氏もダドリーを変だと思ったらしい。それが
ハリーにははっきりわかった。ただウィーズリー氏の場合は恐怖心からではなく気の毒に思う気持
ちからだというところが違っていた。
「ダドリー、夏休みが楽しいかね?」
ウィーズリー氏が優しく声をかけた。ダドリーはヒッと低い悲鳴を上げた。巨大な尻に当てた手が
さらにきつく尻を締め付けたのをハリーは見た。フレッドとジョージがハリーの学校用のトランク
を持って居間に戻ってきた。
入るなり部屋をさっと見渡しダドリーを見つけると、二人の顔がそっくり同じにニヤリと悪戯っぽ
く笑った。
「あー、では」ウィーズリー氏が言った。「そろそろ行こうか」
ウィーズリー氏がローブの袖をたくし上げて杖を取り出すと、ダーズリー一家が一塊になって壁に
張り付いた。
「インセンディオ!」
ウィーズリー氏が背後の壁の穴に向って杖を向けた。たちまち暖炉に炎が上がり何時間も燃え続け
ていたかの様にパチパチと楽しげな音を立てた。ウィーズリー氏はポケットから小さな巾着袋を取
り出し、紐を解き中の粉を一つまみ炎の中に投げ入れた。すると炎はエメラルド色に変わり一層高
く燃え上がった。
「さあ、フレッド、行きなさい」ウィーズリー氏が声をかけた。
「今行くよ。あっ、しまった。ちょっと待って」フレッドが言った。フレッドのポケットから菓子
袋が落ち中身がそこら中にころがりだした。色鮮やかな包み紙に包まれた大きな旨そうなヌガー
だった。フレッドは急いで中身をかき集めポケットに突っ込み、ダーズリー一家に愛想良く手を
振って炎に向かって真っ直ぐ進み火の中に入ると「隠れ穴!」と唱えた。ペチュニアおばさんが身
震いしながらあっと息をのんだ。ヒュッという音と共にフレッドの姿が消えた。
「よし。次にはジョージ。お前とトランクだ」ウィーズリー氏が言った。ジョージがトランクを炎
のところに運ぶのをハリーが手伝いトランクを縦にして抱えやすくした。ジョージが「隠れ穴!」
と叫びもう一度ヒュッという音がして消えた。
「ロン、次だ」ウィーズリー氏が言った。
「じゃあね」
ロンがダーズリー一家に明るく声をかけた。ハリーに向かってニッコリ笑いかけてからロンは火の
中に入り、
「隠れ穴!」と叫び、そして姿を消した。ハリーとウィーズリー氏だけがあとに残った。
「それじゃ、さようなら」ハリーはダーズリー一家に挨拶した。ダーズリー一家は何も言わない。
ハリーは炎に向かって歩いた。
暖炉の端のところまで来たときウィーズリー氏が手を伸ばしてハリーを引きとめた。ウィーズリー
氏は唖然としてダーズリーたちの顔を見ていた。
「ハリーがサヨナラと言ったんですよ。聞こえなかったんですか?」
「いいんです」
ハリーがウィーズリー氏に言った。
「本当に、そんな事どうでもいいんです」
ウィーズリー氏はハリーの肩をつかんだままだった。
「来年の夏まで甥御さんに会えないんですよ」
ウィーズリー氏は軽い怒りを込めてバーノンおじさんに言った。
「もちろん、サヨナラというのでしょうね?」
バーノンおじさんの顔が激しく歪んだ。居間の壁を半分吹っ飛ばしたばかりの男から礼儀を説教さ
れる事にひどく屈辱を感じているらしい。しかしウィーズリー氏の手には杖が握られたままだ。
バーノンおじさんの小さな目がちらっと杖を見た。それから悔しそうに「それじゃ、サヨナラだ」
と言った。
「じゃあね」
ハリーはそういうとエメラルド色の炎に片足を入れた。暖かい息を吹き掛けられるような心地よさ
だ。
その時、突然背後でゲエゲエとひどく吐く声が聞こえペチュニアおばさんの悲鳴が上がった。ハ
リーが振り返るとダドリーはもはや両親の背後に隠れてはいなかった。コーヒーテーブルの脇に膝
をつき三十センチほどもある紫色のヌルヌルした物を口から突出して、ゲエゲエ、ゲホゲホ咽込ん
でいた。一瞬なんだろうと当惑したがハリーはすぐにその三十センチの何やらがダドリーの舌だと
分かった。
そして色鮮やかなヌガーの包み紙が一枚ダドリーのすぐ前の床に落ちているのを見つけた。ペチュ
ニアおばさんはダドリーの脇に身を投げ出し膨れ上がった舌の先を掴んでもぎ取ろうとした。当然
ダドリーはわめき、一層ひどく咽込み母親を振り離そうともがいた。バーノンおじさんが大声で喚
くわ両腕を振り回すわで、ウィーズリー氏は何か言おうにも大声を張り上げなければならなかった。
「ご心配なく。私がちゃんとしますから!」
そう叫ぶとウィーズリー氏は手を伸ばし杖を掲げてダドリーの方に歩み寄った。しかしペチュニア
おばさんがますますひどい悲鳴をあげ、ダドリーに覆い被さってウィーズリー氏からかばおうとし
た。
「本当に、大丈夫ですから!」
ウィーズリー氏は困り果てて言った。
「簡単な処理ですよ。ヌガーなんです。息子のフレッドが、しょうのないやんちゃ者で、しかし、
単純な”肥らせ術”です。まあ、私はそうじゃないかと、どうかお願いです。元に戻せますから」
ダーズリー一家はそれで納得するどころかますますパニック状態に陥った。おばさんはヒステリー
を起こして泣きわめきながらダドリーの舌をちぎり取ろうと、がむしゃらに引っ張り、ダドリーは
母親を自分の舌の重みで窒息しそうになり、おじさんは完全に切れてサイドボードの上にあった陶
器の飾り物をひっつかみ、ウィーズリー氏めがけて力任せに投げつけた。ウィーズリー氏が身を交
わしたので陶器は爆破された暖炉にぶつかって粉々になった。
「まったく!」
ウィーズリー氏が怒って杖を振り回した。
「私は助けようとしているのに!」
手負のカバのように唸りをあげバーノンおじさんがまた別の飾り物をひっつかんだ。
「ハリー、行きなさい!いいから早く!」
杖をバーノンおじさんに向けたままウィーズリー氏が叫んだ。
「私がなんとかするから!」
こんな面白いものを見逃したくはなかったが、バーノンおじさんの投げた二つ目の飾り物が耳元を
かすめたし、結局はウィーズリーおじさんに任せるのが一番よいとハリーは思った。火に足を踏み
入れ「隠れ穴!」と叫びながら後ろを振り返ると居間の最後の様子がちらりと見えた。バーノンお
じさんが掴んでいた三つ目の飾り物をウィーズリー氏が杖で吹き飛ばし、ペチュニアおばさんはダ
ドリーの上に覆い被さって悲鳴をあげ、ダドリーの舌はヌメヌメした錦蛇のようにのたくっていた。
次の瞬間、ハリーは急旋回を始めた。エメラルド色の炎が勢いよく燃えあがり、そしてダーズリー
家の居間はサッと視界から消えていった。
第 5 章ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ

ハリーは肘をぴったり脇につけ、ますますスピードを上げて旋回した。ぼやけた暖炉の影が次々と
矢のように通り過ぎやがてハリーは気持ちが悪くなって目を閉じた。しばらくしてスピードが落ち
るのを感じ止まる直前に手を突き出したので顔からつんのめらずにすんだ。そこはウィーズリー家
のキッチンの暖炉だった。
「やつは食ったか?」
フレッドがハリーを助け起しながら興奮して聞いた。
「ああ」ハリーは立ち上がりながら答えた。「一体なんだったの?」
「ベロベロ飴さ」フレッドがうれしそうに言った。
「ジョージと俺とで発明したんだ。誰かに試したくて夏休み中カモを探してた」
狭いキッチンに笑いが弾けた。ハリーが見まわすと洗い込まれた白木のテーブルにロンとジョージ
が座り、ほかにもハリーの知らない赤毛が二人座っていた。すぐに誰だか察しが付いた。ビルと
チャーリー、ウィーズリー家の長男と次男だ。
「やあ、ハリー、調子はどうだい?」
ハリーに近い方の一人がにこっと笑って大きな手を差し出した。
ハリーが握手するとタコや水ぶくれが手に触れた。ルーマニアでドラゴンの仕事をしているチャー
リーに違いない。チャーリーは双子の兄弟と同じような体つきで、ひょろりと背の高いパーシーや
ロンに比べると背が低くがっしりしていた。
人の良さそうな大振りの顔は雨風に鍛えられ顔中ソバカスだらけでそれがまるで日焼けのように見
えた。両腕は筋骨隆隆で片腕に大きなてかてかした火傷の跡があった。
ビルが微笑みながら立ち上がってハリーと握手した。ビルにはちょっと驚かされた。魔法銀行のグ
リンゴッツに勤めている事、ホグワーツでは首席だった事をハリーは知っていたし、パーシーがや
や年を取ったような感じだろうとずっとそう思っていた。規則を破るとうるさくて周囲を仕切るの
が好きなタイプだ。
ところがビルは、ぴったりの言葉これしかない。かっこいい。背が高く髪を伸ばしてポニーテール
にしていた。片耳に牙のようなイヤリングをぶら下げていた。服装はロックコンサートに行っても
場違いの感じがしないだろう。ただしブーツは牛革ではなくドラゴン革なのにハリーは気付いた。
皆がそれ以上言葉を交わさないうちにポンと小さな音がして、ジョージの肩のあたりにウィーズ
リーおじさんがどこからともなく現れた。ハリーがこれまで見た事がないほど怒った顔をしている。
「フレッド!冗談じゃすまんぞ!」おじさんが叫んだ。
「あのマグルの男の子に、一体何をやった?」
「僕、なんにも上げなかったよ」
フレッドがまたいたずらっぽくニヤッとしながら答えた。
「僕、落としちゃっただけだよ。拾って食べたのはあの子が悪いんだ。僕が食えって言ったわけ
じゃない」
「わざと落としたろう!」
ウィーズリーおじさんが吠えた。
「あの子が食べると、わかっていたはずだ。お前は、あの子がダイエット中なのを知っていただろ
う」
「あいつのベロ、どのくらい大きくなった?」ジョージが熱っぽく聞いた。
「ご両親がやっと私に縮めさせてくれた時には、一メートルを超えていたぞ!」
ハリーもウィーズリー家の息子たちもまた大爆笑だった。
「笑い事じゃない!」
ウィーズリーおじさんが怒鳴った。
「こういう事がマグルと魔法使いの関係を著しく損なうのだ!
父さんが半生かけてマグルの不当な扱いに反対する運動をしてきたというのに、よりによって我が
息子たちが」
「俺達、あいつがマグルだからあれを食わせたわけじゃない!」フレッドが憤慨した。
「そうだよ。あいつがいじめっ子の悪だからやったんだ。そうだろ、ハリー?」
ジョージが相槌を打った。
「うん、そーですよ、ウィーズリーおじさん」ハリーも熱をこめて言った。
「それとこれは違う!」
ウィーズリーおじさんが怒った。
「母さんが聞いたらどうなるか」
「私に何をおっしゃりたいの?」後ろから声がした。ウィーズリーおばさんがキッチンに入ってき
たところだった。小柄なふっくらしたおばさんでとても面倒見のよさそうな顔をしていたが今は訝
しげに目を細めていた。
「まあ、ハリー、こんにちは」
ハリーを見つけるとおばさんは笑いかけた。それからまたすばやくその目を夫に向けた。
「アーサー、何事なの?聞かせて」
ウィーズリーおじさんはためらった。ジョージとフレッドの事でどんなに怒っても、実は何が起
こったかをウィーズリーおばさんに話すつもりは無いのだとハリーにはわかった。
ウィーズリーおじさんがオロオロとおばさんを見つめ沈黙が漂った。その時キッチンの入り口にお
ばさんの影から女の子が二人現れた。一人はたっぷりした栗色の髪、前歯がちょっと大きい女の子、
ハリーとロンの仲良しのハーマイオニー・グレンジャーだ。ハーマイオニーの知的な瞳がハリーを
捉えてにこりと笑った。もう一人は小柄な赤毛で、ロンの妹、ジニーだ。二人共ハリーに笑いかけ
ハリーもにっこり笑い返した。するとジニーが真っ赤になった。ハリーが初めて「隠れ穴」に来た
時以来ジニーはハリーにお熱だった。
「アーサー、一体なんなの?言ってちょうだい」
ウィーズリーおばさんが今度は険しくなって言った。
「モリー、大した事じゃない」おじさんがモゴモゴ言った。
「フレッドとジョージが、ちょっと。だが、もう言って聞かせた」
「今度は何をしでかしたの?まさか、ウィーズリー・ウィザード・ウィーズじゃないでしょうね」
ウィーズリーおばさんが詰め寄った。
「ロン、ハリーを寝室に案内したらどう?」
ハーマイオニーが入り口から声をかけた。
「ハリーはもう知ってるよ」ロンが答えた。「僕の部屋だし、前の時もそこで」
「みんなで行きましょう」
ハーマイオニーが意味ありげな言い方をした。
「あっ」ロンもピンと来た。「オッケー」
「うん、俺達も行くよ」ジョージが言ったが。
「あなた達はここになさい」をおばさんが凄んだ。ハリーとロンはそろそろとキッチンから抜け出
した。ハーマイオニー、ジニーと一緒に二人は狭い廊下を渡り、グラグラする階段を上の階へジグ
ザグと上っていった。
「ウィーズリー・ウィザード・ウィーズって、なんなの?」
階段を登りながらハリーが聞いた。ロンもジニーも笑いだしたがハーマイオニーは笑わなかった。
「ママがね、フレッドとジョージの部屋を掃除してたら、注文書が束になって出てきたんだ」
ロンが声をひそめた。
「二人が発明した物の価格表で、長ーいリストさ。いたずらおもちゃの。”だまし杖”とか、”
ひっかけ菓子”だとか、いっぱいだ。すごいよ。僕、あの二人があんなにいろいろ発明してたなん
て知らなかった」
「昔からずっと、二人の部屋から爆発音が聞こえてたけど、何か作ってるなんて考えもしなかった
わ。あの二人はうるさい音が好きなだけだと思ってたのだ」とジニーが言った。
「ただ、作った物がほとんど、っていうか、全部だな、ちょっと危険なんだ」
ロンが続けた。
「それに、ね、あの二人、ホグワーツでそれを売って稼ごうと計画してたんだ。ママがカンカンに
なってさ。もう何も作っちゃいけません、って二人に言い渡して、注文書を全部焼き捨てちゃった。
ママから、その前からあの二人さんざん腹を立てたんだ。二人が”O・W・L試験”でママが期待
していたような点を取らなかったから」
O・W・Lは”普通魔法使いレベル”試験の略だ。ホグワーツ校の生徒は十五歳でこの試験を受け
る。
「それから大論争があったの」ジニーが続けた。
「ママは、二人にパパみたいに”魔法省”に入ってほしかったの。でも二人はどうしても”悪戯専
門店”を開きたいって、ママに言ったの」
ちょうどその時、二つ目の踊り場のドアが開き、角縁眼鏡をかけて迷惑千万という顔がひょっこり
と飛び出した。
「やあ、パーシー」ハリーがあいさつした。
「ああ、しばらく、ハリー」パーシーが言った。
「誰がうるさく騒いでいるのかと思ってね。僕、ほら、ここで仕事中なんだ。役所の仕事で報告書
を仕上げなくちゃならない。階段でドスンドスンされてたんじゃ、集中しにくくてかなわない」
「ドスンドスンなんかしてないぞ」ロンがイライラした。
「僕たち、歩いてるだけだ。すみませんね。魔法省極秘のお仕事のお邪魔をいたしまして」
「なんの仕事なの?」ハリーが聞いた。
「”国際魔法協力部”の報告書でね」
パーシーが気取って言った。
「大鍋の厚さを標準化しようとしてるんだ。輸入品にはわずかに薄いのがあってね。漏れ率が年間
約三%増えてるんだ」
「世界がひっくり返るよ。その報告書で」ロンが言った。
「”日刊予言者新聞”の一面記事だ。きっと。”鍋が漏る”って」
パーシーの顔に少し血がのぼった。
「ロン、お前は馬鹿にするかもしれないが」
パーシーが熱っぽく言った。
「何らかの国際法を科さないと、今に市場はぺらぺらの底の薄い製品であふれ、深刻な危険が」
「はい、はい、わかったよ」
ロンはそう言うとまだ階段を上がり始めた。パーシーは部屋のドアをバタンと閉めた。ハリー、
ハーマイオニー、ジニーがロンの後についてそこからまた三階上まで階段を上がって行くと、下の
キッチンからガミガミ怒鳴る声が上まで響いてきた。
ウィーズリーおじさんがおばさんに”ベロベロ飴”の一件を話してしまったらしい。
家の一番上にロンの寝室があり、ハリーが前に泊まったときとあまり変わってはいなかった。相変
わらずロンの贔屓のクィディッチ・チーム、チャドリー・キャノンズのポスターが、壁と切妻の天
井に貼られ飛び回ったり手を振ったりしているし、前にはカエルの卵が入っていた窓際の水槽には
とびきり大きなカエルが一匹入っていた。
ロンの老鼠、スキャパーズはもうここにはいない。代わりにプリベッド通りのハリーに手紙を届け
た灰色の豆フクロウがいた。小さい鳥籠の中で飛び上がったり飛び下がったり興奮してさえずって
いる。
「静かにしろ、ピッグ」
部屋に詰め込まれた四つのベッドのうち二つの間をすり抜けながらロンが言った。
「フレッドとジョージがここで僕たちと一緒なんだ。だって、二人の部屋はビルとチャーリーが
使ってるし、パーシーは仕事をしなくちゃならないからって自分の部屋を独り占めしてるんだ」
「あの、どうしてこのフクロウの事をピッグって呼ぶの?」ハリーがロンに聞いた。
「この子がバカなんですもの。本当は、ピッグウィジョンていう名前なのよ」ジニーが言った。
「うん、名前はちっともバカじゃないんだけどね」ロンが皮肉っぽく言った。
「ジニーがつけた名なんだ。かわいい名前だと思って」ロンがハリーに説明した。
「それで、僕は名前を変えようとしたんだけど、もう手遅れで、こいつ、他の名前だと応えないん
だ。それでピッグになったわけさ。ここに置いとかないと、エロールやヘルメスがうるさがるんだ。
それを言うなら僕だってうるさいんだけど」
ピッグウィジョンは籠の中でホッホッと鳴きながら嬉しそうに飛び回っていた。ハリーはロンの言
葉を間に受けはしなかった。
ロンの事はよく知っている。老ネズミのスキャバーズの事もしょっちゅうボロクソに言っていたく
せに、ハーマイオニーの猫、クルックシャンクスがスキャバーズを食ってしまったように見えた時、
ロンがどんなに嘆いたか。
「クルックシャンクスは?」
ハリーは今度はハーマイオニーの腕を突付いて聞いた。
「庭だと思うわ。庭小人を追いかけるのが好きなのよ。初めて見たものだから」
「パーシーは、それじゃ、仕事が楽しいんだね?」
ベッドに腰掛けチャドリー・キャノンズが天井のポスターから出たり入ったりするのを眺めながら、
ハリーが言った。
「楽しいかだって?」ロンは憂鬱そうに言った。
「パパに帰れとでも言われなきゃ、パーシーは家に帰らないと思うな。ほとんど病気だね。パー
シーのボスの事には触れるなよ。クラウチ氏によれば、クラウチさんに僕が申し上げたように、ク
ラウチ氏の意見では、クラウチさんが僕におっしゃるには、きっとこの二人、近いうち婚約発表す
るぜ」
「ハリー、あなたの方は、夏休みはどうだったの?」ハーマイオニーが聞いた。
「私たちからの食べ物の小包とか、いろいろ届いた?」
「うん、ありがとう。本当に命拾いした。ケーキのおかげで。あと砂糖無しには恐れいったよ。さ
すがハーマイオニー」
ハリーは笑顔で言った。
「それに、便りはあるのかい?ほら」
ハーマイオニーの顔を見てロンは言葉をきり黙り込んだ。ロンがシリウスの事を聞きたかったのだ
とハリーにはわかった。
ロンもハーマイオニーもシリウスが魔法省の手を逃れるのにずいぶん深くかかわったので、ハリー
の名付け親であるシリウスの事をハリーと同じくらい心配していた。
しかしジニーの前でシリウスの話をするのは良くない。三人とダンブルドア先生以外は誰もシリウ
スがどうやって逃げたのか知らなかったし、無実である事も信じていなかった。
「どうやら下での論争は終わったみたいね」
ハーマイオニーが気まずい沈黙をごまかすために言った。ジニーがロンからハリーへと何か聞きた
そうな視線を向けていたからだ。
「降りていって、お母様が夕食の支度をするのを手伝いましょうか?」
「うん、オッケー」
ロンが答えた。四人はロンの部屋を出て降りていった。キッチンにはウィーズリーおばさん一人し
かいなかった。ひどくご機嫌斜めらしい。
「庭で食べる事にしましたよ」
四人が入って行くとおばさんが言った。
「ここじゃ十一人はとても入りきらないわ。お嬢ちゃんたち、お皿を外に持っていってくれる?
ビルとチャーリーがテーブルを準備してるわ。そこのお二人さん、ナイフとフォークをお願い」
おばさんがロンとハリーに呼びかけながら杖を流しに入っているジャガイモの山に向けたが、どう
やら杖の振り方が激しすぎたらしくジャガイモは弾丸のように皮から飛び出し、壁や天井にぶつ
かって落ちてきた。
「まあ、なんて事!」
おばさんのピシッという言葉とともに杖が塵取りに向けられた。食器棚にかかっていた塵取りが
ピョンと飛び降り床を滑ってジャガイモを集めて回った。
「あの二人ときたら!」
おばさんは今度は戸棚から鍋やフライパンを引っ張り出しながら鼻息も荒く喋りだした。フレッド
とジョージの事だなとハリーにはわかった。
「あの子たちがどうなるやら、私にはわからないわ。全く。志ってものがまるでないんだから。で
きるだけたくさん厄介事を引き起こそうって事以外には」
おばさんは大きな銅製のソース鍋をキッチンのテーブルにドンと置き杖をその中で回し始めた。か
き回すにつれて杖の先からクリームソースが流れだした。
「脳みそがないってわけじゃないのに」
おばさんはイライラと喋りながらソース鍋を竈にのせ杖をもう一振りして火を焚きつけた。
「でも頭の無駄遣いをしているのよ。今すぐ心を入れ替えないと、あの子たち、本当にどうしよう
もなくなるわ。ホグワーツからあの子たちの事で受け取ったフクロウ便ときたら、他の子のを全部
合わせた数より多いんだから。このままいったら、ゆくゆくは”魔法不適正使用取締局”のを厄介
になる事でしょうよ」
ウィーズリーおばさんが杖をナイフやフォークの入った引き出しに向けて一突きすると、引き出し
が勢いよく開いた。包丁が数本引き出しから舞い上がりキッチンを横切って飛んだのでハリーとロ
ンは飛び退いて道を開けた。包丁は塵取りが集めて流しに戻したばかりのジャガイモを切り刻み始
めた。
「どこで育て方を間違えたのかしらね」
ウィーズリーおばさんは杖を置くとまたソース鍋をいくつか引っ張り出した。
「もう何年も同じ事の繰り返し。次から次と。あの子たち、いう事を聞かないんだから、ンまっ、
まただわ!」
おばさんがテーブルから杖を取り上げると杖がチューチューと大きな声をあげて、巨大なゴム製の
おもちゃのネズミになってしまったのだ。
「また”だまし杖”だわ!」おばさんが怒鳴った。
「こんなものを置きっぱなしにしちゃいけないって、あの子たちに何度言ったら分かるのかし
ら?」
本物の杖を取り上げておばさんが振り向くと竈にかけたソース鍋が煙をあげていた。
「行こう」
引き出しからナイフやフォークをひとつかみ取り出しながらロンが慌てて言った。
「外に行ってビルとチャーリーを手伝おう」
二人はおばさんを後に残して勝手口から裏庭に出た。二、三歩も行かないうちに二人はハーマイオ
ニーの猫、赤毛でがにまたのクルックシャンクスが裏庭から飛び出してくるのに出会った。瓶洗い
ブラシのような尻尾をピンと立て足の生えた泥んこのジャガイモのようなものを追いかけている。
ハリーはそれが”庭小人”だとすぐにわかった。身の丈せいぜい三十センチの庭小人はゴツゴツし
た小さな足をパタパタさせて庭を疾走し、ドアのそばに散らかっていたゴム長靴にへとスライディ
ングをした。クルックシャンクスがゴム長靴に前足を一本突っ込み、捕まえようと引っ掻くのを庭
小人が中でゲタゲタ笑っている声が聞こえた。
一方、家の前の方からは何かがぶつかる大きな音が聞こえてきた。前庭に回ると騒ぎの正体が分
かった。ビルとチャーリーが二人とも杖を構え使い古したテーブルを二つ芝生の上に高々と飛ばし、
お互いにぶっつけて落しっこをしていた。フレッドとジョージは応援し、ジニーは笑い、ハーマイ
オニーは面白いやら心配やら、複雑な顔で生垣のそばでハラハラしていた。
ビルのテーブルがものすごい音でぶちかましをかけチャーリーのテーブルの足を一本もぎとった。
上のほうからカタカタと音がしてみんなが見上げると、パーシーの頭が三階の窓から突出していた。
「静かにしてくれないか?」パーシーが怒鳴った。
「ごめんよ、パース」ビルがニヤッとした。「鍋底はどうなった?」
「最悪だよ」
パーシーは気難しい顔でそういうと窓をバタンと閉めた。ビルとチャーリーはクスクス笑いながら
テーブルを二つ並べて安全に芝生に降ろし、ビルが杖を一振りしてもげた足を元に戻しどこからと
もなくテーブルクロスを取り出した。
七時になると二卓のテーブルは、ウィーズリーおばさんの腕を振るったご馳走がいく皿もいく皿も
並べられ重みで唸っていた。紺碧に澄み渡った空の下でウィーズリー家の九人とハリー、ハーマイ
オニーとが食卓についた。一夏中、だんだん古くなっていくケーキで生きてきた者にとってこれは
天国だった。はじめのうちハリーは喋るよりももっぱら聞き役に回り、チキンハム・パイ、茹でた
ジャガイモ、サラダと食べ続けた。テーブルの一番端でパーシーが父親に鍋底の報告書について話
していた。
「火曜日までに仕上げますって、僕、クラウチさんに申し上げたんですよ」
パーシーがもったいぶって言った。
「クラウチさんが思っていたより少し早いんですが、僕としては、何事も余裕を持ってやりたいの
で。クラウチさんは僕が早く仕上げたらお喜びになると思うんです。だって、僕たちの部は今もの
すごく忙しいんですよ。何しろワールドカップの手配何かがいろいろ。”魔法ゲーム・スポーツ
部”からの協力があってしかるべきなんですが、これがないんですねぇ。ルード・バグマンが」
「私はルードが好きだよ」
ウィーズリー氏がやんわりと言った。
「ワールドカップのあんなにいい切符をとってくれたのもあの男だよ。ちょっと恩を売ってあって
ね。弟のオットーが面倒を起こして、不自然な力を持つ芝刈り機の事で、私が何とか取り繕って
やった」
「まあ、もちろん、バグマンは好かれるくらいが関の山ですよ」
パーシーが一蹴した。
「でも、いったいどうして部長にまでなれたのか。クラウチさんと比べたら!
クラウチさんだったら、部下がいなくなったのに、どうなったのか調査もしないなんて考えられま
せんよ。バーサ・ジョーキンズがもう一ヶ月も行方不明なのをご存知でしょう?休暇でアルバニア
に行って、それっきりだって?」
「ああ、その事は私もルードに尋ねた」
ウィーズリーおじさんは眉をひそめた。
「ルードが、バーサは以前にも何度かいなくなったと言うのだ。もっとも、これが私の部下だった
ら、私は心配するだろうが」
「まあ、バーサは確かに救いようがないですよ」パーシーが言った。
「これまで何年も、部から部へとたらいまわしにされて、役に立つというより厄介者だし、しかし、
それでもバグマンはバーサを探す努力をすべきですよ。クラウチさんが個人的にも関心をお持ちで、
バーサは一度うちの部にいた事があるんで。それに、僕はクラウチさんがバーサの事をなかなか気
に入っていたのだと思うんですよ。それなのに、バグマンは笑うばかりで、どうせバーサのことだ
から、地図を見まちがえてアルバニアじゃなくアルゼンチンにでも行ったんだろうよって言うんで
すよ。しかし」
パーシーは大袈裟なため息をつきニワトコの花のワインをグイッと飲んだ。
「僕たちの”国際魔法協力部”はもう手いっぱいで、他の部の捜索どころではないんですよ。ご存
知のように、ワールドカップのすぐあとに、もうひとつ大きな行事を組織するので」
パーシーはもったいぶって咳払いをすると、テーブルの反対端の方に目をやりハリー、ロン、ハー
マイオニーを見た。
「お父さんは知っていますね、僕が言ってる事」
ここでパーシーはちょっと声を大きくした。
「あの極秘の事」
ロンはまたかという顔でハリーとハーマイオニーにささやいた。
「パーシーのやつ、仕事に就いてからずっと、何の行事かって僕たちに質問させたくて、この調子
なんだ。厚底鍋の展覧会か何かだろ」
テーブルの真ん中でウィーズリーおばさんがビルのイヤリングの事で言い合っていた。最近つけた
ばかりらしい。
「そんなとんでもない大きい牙なんかつけて、全く、ビル、銀行でみんななんと言ってるの?」
「ママ、銀行じゃ、僕がちゃんとお宝を持ち込みさえすれば、誰も僕の服装なんか気にしやしない
よ」
ビルが辛抱強く話した。
「それに、あなた、髪もおかしいわよ」
ウィーズリーおばさんは杖を優しくもて遊びながら言った。
「私に知らせてくれるといいんだけどねぇ」
「あたし、好きよ」
ビルの隣に座っていたジニーが言った。
「ママたら古いんだから。それに、ダンブルドア先生の方が断然長いわ」
ウィーズリーおばさんの隣でフレッド、ジョージ、チャーリーがワールドカップの話で持ちきり
だった。
「絶対アイルランドだ」
チャーリーはポテトを口いっぱい頬ばったままモゴモゴ言った。
「準決勝でペルーをペチャンコにしたんだから」
「でも、ブルガリアにはビクトール・クラムがいるぞ」フレッドが言った。
「クラムはいい選手だが一人だ。アイルランドはそれが七人だ」
チャーリーがキッパリ言った。
「イングランドが勝ち進んでりゃなあ。あれは全く赤っ恥だった。全く」
「どうしたの?」
ハリーが引き込まれて聞いた。プリベッド通りでぐずぐずしている間、魔法界から切り離されてい
た事がとても悔やまれた。ハリーはクィディッチに夢中だった。グリフィンドール・チームでは一
年生の時からずっとシーカーで、世界最高の競技用箒、ファイアボルトを持っていた。
「トランシルバニアにやられた。三九〇対十だ」
チャーリーがガックリと答えた。
「なんて様だ。それからウェールズはウガンダにやられたし、スコットランドはルクセンブルクに
ボロ負けだ」
庭が暗くなってきたのでウィーズリーおじさんが蝋燭を作り出し明かりを点けた。それからデザー
ト。手作りのストロベリー・アイスクリームだ。みんなが食べ終わるころ夏の蛾がテーブルの上を
低く舞い、芝草をスイカズラの香りが暖かい空気を満たしていた。
ハリーはとても満腹で平和な気分に満たされ、クルックシャンクスに追いかけられてゲラゲラ笑い
ながらバラの茂みを逃げ回っている、数匹の庭小人を眺めていた。ロンがテーブルをずっと見渡し
みんなが話に気をとられているのを確かめてから低い声でハリーに聞いた。
「それで、シリウスから、近頃便りはあったのかい?」
ハーマイオニーが振り向いて聞き耳をたてた。
「うん」ハリーもこっそり言った。
「二回あった。元気みたいだよ。僕、一昨日手紙を書いた。ここにいる間に返事が来るかもしれな
い」
ハリーは突然シリウスに手紙を書いた理由を思い出した。そして一瞬、ロンとハーマイオニーに界
の傷跡がまた痛んだ事、悪夢で目が覚めた事を打ち明けそうになったが今は二人を心配させたくな
かった。ハリー自身がとても幸せで平和な気持ちなのだから。
「もうこんな時間」
ウィーズリーおばさんが腕時計を見ながら急に言った。
「みんなもう寝なくちゃ。全員よ。ワールドカップに行くのに、夜明け前に起きるんですからね。
ハリー、学用品のリストを置いていってね。明日、ダイアゴン横丁で買ってきてあげますよ。みん
なの買い物もするついでがあるし。ワールドカップの後は時間がないかもしれないわ。前回の試合
なんか、五日間も続いたんだから」
「ワーッ。今度もそうなるといいな!」ハリーが熱くなった。
「あー、僕は逆だ」パーシーがしかつめらしく言った。
「五日間もオフィスを空けたら、未処理の書類の山がどんなになっているかと思うとゾッとする
ね」
「そうとも。また誰かがドラゴンの糞をしのび込ませるかもしれないし。な、パース?」
フレッドが言った。
「あれは、ノルウェーからの肥料のサンプルだった!」
パーシーが顔を真っ赤にして言った。
「僕への個人的なものじゃなかったんだ!」
「個人的だったとも」
フレッドがテーブルを離れながらハリーにささやいた。
「俺たちが送ったのさ」

第六章ポートキー

ウィーズリーおばさんに揺り動かされて目が覚めたとき、ハリーはたった今ロンの部屋で横になっ
たばかりのような気がした。
「ハリー、出かける時間ですよ」
おばさんは小声でそう言うとロンを起こしに行った。ハリーは手探りでメガネを探しメガネをかけ
てから起きあがった。外はまだ暗い。ロンは母親に起こされるとわけのわからない事をぶつぶつつ
ぶやいた。ハリーの足元のくしゃくしゃになった毛布の中からぐしゃぐしゃ頭の大きな体が二つ現
れた。
「もう時間か?」
フレッドが朦朧としながら言った。四人は黙って服を着た。眠くて喋るどころではない。それから
欠伸をしたり伸びをしたりしながらキッチンへと降りていった。ウィーズリーおばさんはかまどに
かけた大きな鍋を掻き回していた。ウィーズリーおじさんはテーブルに座って大きな羊皮紙の切符
の束を改めていた。四人が入ってくるとおじさんは目を上げ両腕を広げて着ている洋服がみんなに
よく見えるようにした。ゴルフ用のセーターの様な物とよれよれのジーンズという出で立ちで、
ジーンズが少しだぶだぶなのを太い皮のベルトで吊り上げている。
「どうかね?」
おじさんが心配そうに訊いた。
「隠密に行動しなければならないんだが、マグルらしく見えるかね、ハリー?」
「うん」ハリーは微笑んだ。「とてもいいですよ」
「ビルとチャーリーと、パあーパあーパあーシーは?」
ジョージが大欠伸を噛み殺し損ないながら言った。
「ああ、あの子たちは”姿現わし”で行くんですよ」
おばさんは大きな鍋をヨイショとテーブルに運びみんなの皿にオートミールを分け始めた。
「だから、あの子たちはもう少しお寝坊できるの」
ハリーは”姿現わし”が難しい術だという事は知っていた。ある場所から姿を消してそのすぐ後に
別な場所に現れる術だ。
「それじゃ、連中はまだベッドかよ?」
フレッドがオートミールの皿を引き寄せながら不機嫌に言った。
「俺達はなんで”姿現わし”術を使っちゃいけないんだい?」
「あなたたちはまだその年齢じゃないのよ。テストも受けていないでしょ」
おばさんがピシャリと言った。
「ところで女の子たちは何をしてるのかしら?」
おばさんはせかせかとキッチンを出て行き階段を上がる足音が聞こえてきた。
「”姿現わし”はテストに受からないといけないの?」ハリーが訊いた。
「そうだとも」
切符をジーンズの尻ポケットにしっかりとしまい込みながらウィーズリーおじさんが答えた。
「この間も、無免許で”姿現わし”術を使った魔法使い二人に、”魔法運輸部”が罰金を科した。
そう簡単じゃないんだよ、”姿現わし”は。きちんとやらないと、厄介な事になりかねない。この
二人は術を使ったはいいが、バラけてしまった」
ハリー以外のみんながギクリとのけぞった。
「あの、バラけたって?」ハリーが聞いた。
「体の半分が置いてけぼりだ」
ウィーズリーおじさんがオートミールにたっぷり糖蜜をかけながら答えた。
「当然、にっちもさっちもいかない。どっちにも動けない。”魔法事故リセット部隊”が来て、何
とかしてくれるのを待つばかりだ。いやはや、事務的な事後処理が大変だったよ。置き去りになっ
た体のパーツを目撃したマグルの事やら何やらで」
ハリーは突然両足と目玉が一個プリベッド通りの歩道に置き去りになっている光景を思い浮かべた。
「助かったんですか?」ハリーは驚いて聞いた。
「そりゃ、大丈夫」おじさんは事もなげに言った。
「しかし、相当の罰金だ。それにあの連中はまたすぐに術を使うという事もないだろう。”姿現わ
し”はいたずら半分にやってはいけないんだよ。大の大人でも、使わない魔法使いが大勢いる。箒
の方がいいってね。遅いが、安全だ」
「でもビルやチャーリーやパーシーはできるでしょう?」
「チャーリーは二回テストを受けたんだ」フレッドがニヤッとした。
「一回目は滑ってね。姿を現す目的地より八キロも南に現れちゃってさ。気の毒に、買い物してい
たばあさんの上にだ。そうだったろ?」
「そうよ。でも、二度目に受かったわ」
みんなが大笑いの最中おばさんがきびきびとキッチンに戻ってきた。
「パーシーなんか、二週間前に受かったばかりだ」ジョージが言った。
「それからは毎朝、一階まで”姿現わし”で降りてくるのさ。できるって事を見せたいばっかり
に」
廊下に足音がしてハーマイオニーとジニーがキッチンに入ってきた。二人とも眠そうで血の気のな
い顔をしていた。
「どうしてこんなに早起きしなきゃいけないの?」
ジニーが目をこすりながらテーブルについた。
「結構あるかなくちゃならないんだ」おじさんが言った。
「歩く?」ハリーが言った。
「え?僕たち、ワールドカップのところまで、歩いていくんですか?」
「いや、いや、それは何キロも向こうだ」ウィーズリーおじさんが微笑んだ。
「少し歩くだけだよ。マグルの注意を引かないようにしながら、大勢の魔法使いが集まるのは非常
に難しい。私たちは普段でさえ、どうやって移動するかについては細心の注意を払わなければなら
ない。ましてや、クィディッチ・ワールドカップの様な一大イベントはなおさらだ」
「ジョージ!」
ウィーズリーおばさんの鋭い声が飛んだ。全員がとびあがった。
「どうしたの?」
ジョージがしらばっくれたが誰もだまされなかった。
「ポケットにあるものは何?」
「なんにもないよ!」
「嘘おっしゃい!」
おばさんは杖をジョージのポケットに向けて唱えた。
「アクシオ!」
鮮やかな色の小さいものが数個、ジョージのポケットから飛び出した。ジョージが捕まえようとし
たがその手をかすめ、小さいものはウィーズリーおばさんが伸ばした手に増の飛び込んだ。
「捨てなさいって言ったでしょう!」
おばさんはカンカンだ。紛れもなく”ベロベロ飴”を手に掲げている。
「全部捨てなさいって言ったでしょう!ポケットの中身を全部おだし。さあ、二人とも!」
情けない光景だった。どうやら双子はこの飴を隠密にできるだけたくさん持ちだそうとしたらし
い。”呼び寄せ呪文”を使わなければウィーズリーおばさんは到底全部見つけ出す事ができなかっ
たろう。
「アクシオ!アクシオ!」
おばさんは叫び飴は思いも掛けないところからピュンピュン飛び出してきた。ジョージのジャケッ
トの裏地やフレッドのジーンズの折り目からまで出てきた。
「僕たち、それを開発するのに六カ月もかかったんだ!」
”ベロベロ飴”を放り捨てる母親に向かってフレッドが叫んだ。
「おや、ご立派な六カ月の過ごし方です事!」母親も叫び返した。
「”O・W・L試験”の点が低かったのも当然だわね」
そんなこんなで出発の時はとても和やかとはいえない雰囲気だった。ウィーズリーおばさんはしか
め面のままでおじさんの頬にキスしたが、双子はおばさんよりもっと恐ろしく顔をしかめていた。
双子はリュックサックを背負い母親に口もきかずに歩き出した。
「それじゃ、楽しんでらっしゃい」おばさんが言った。
「お行儀良くするのよ」
離れて行く双子の背中に向かっておばさんが声をかけたが、二人は振り向きもせず返事もしなかっ
た。
「ビルとチャーリー、パーシーはお昼頃そっちへやりますから」
おばさんがおじさんに言った。おじさんはハリー、ロン、ハーマイオニー、ジニーを連れてジョー
ジとフレッドに続いて、まだ暗い庭へ出て行くところだった。外は肌寒くまだ月が出ていた。右前
方の地平線が鈍い緑色にふちどられている事だけが夜明けの近い事を示している。ハリーは何千人
もの魔法使いがクィディッチ・ワールドカップの地を、目指して急いでいる姿を想像していたので
足を早めてウィーズリーおじさんと並んで歩きながら聞いた。
「マグルたちに気付かれないように、みんないったいどうやってそこに行くの?」
「組織的な大問題だったよ」
おじさんがため息をついた。
「問題はだね、およそ十万人もの魔法使いがワールドカップに来ると言うのに、当然だが、全員を
収容する広い魔法施設がないという事でね。マグルが入り込めないような場所はあるにはある。で
も、考えてごらん。十万人もの魔法使いを、ダイアゴン横丁や九と四分の三番線にぎゅう詰めにし
たらどうなるか。そこで人里はなれた格好な荒れ地を探し出し、出来る限りの”マグルよけ”対策
を講じなければならなかったのだ。魔法省をあげて、何カ月もこれに取り組んできたよ。まずは、
当然の事だが、到着時間を少しずつずらした。安い切符を手にしたものは、二週間前についていな
いといけない。マグルの交通機関を使う魔法使いも少しはいるが、バスや汽車にあまり大勢詰め込
むわけにもいかない。何しろ世界中から魔法使いがやってくるのだから。”姿現わし”をする者も
もちろんいるが、現れる場所を、マグルの目に触れない完全なポイントに設定しないといけない。
確か、手ごろな森があって、”姿現わし”ポイントに使ったはずだ。”姿現わし”をしたくないも
の、またはできないものは、”ポートキー”を使う。これは、あらかじめ指定された時間に、魔法
使いたちをある地点から別の地点に移動させるのに使うキーだ。必要とあれば、これで大集団を一
度に運ぶ事もできる。イギリスには二百個の”ポートキー”が戦略的拠点に設置されたんだよ。そ
して、我が家にいちばん近いキーが、ストーツヘッド・ヒルのてっぺんにある。今、そこに向かっ
ているんだよ」
ウィーズリーおじさんは行く手を指さした。オッタリー・セント・キャッチポールの村の彼方に大
きな黒々とした丘が盛り上がっている。
「”ポートキー”って、どんなものですか?」
ハリーは興味をひかれた。
「そうだな。なんでもありだよ」ウィーズリーおじさんが答えた。
「当然、目立たないものだ。マグルが拾って、もて遊んだりしないように。マグルががらくただと
思うようなものだ」
一行は村に向かって暗い湿っぽい小道をただひたすら歩いた。静けさを破るのは自分の足音だけ
だった。
村を通り抜ける頃ゆっくりと空が白みはじめた。墨を流したような夜空が薄れ群青色に変わった。
ハリーは手も足も凍えついていた。おじさんが何度も時計を確かめた。ストーツヘッド・ヒルを登
り始めると息切れで話をするところではなくなった。あちこちでウサギの隠れ穴につまずいたり
黒々と生い茂った草の塊に足を取られたりした。
一息一息がハリーの胸に突き刺さるようだった。足が動かなくなり始めたときやっとハリーは平ら
な地面を踏みしめた。
「フーッ」
ウィーズリーおじさんは喘ぎながらメガネを外しセーターで拭いた。
「やれやれ、ちょうどいい時間だ。あと十分ある」
ハーマイオニーが最後に登ってきた。ハァハァと脇腹を抑えている。
「さあ、あとは”ポートキー”があればいい」
ウィーズリーおじさんは眼鏡をかけ直し目を凝らして地面を見た。
「そんなに大きいものじゃない。さあ、探して」
一個はバラバラになって探した。探し始めてほんの二、三分も立たないうちに大きな声がしんとし
た空気を破った。
「ここだ、アーサー!息子や、こっちだ。見つけたぞ!」
丘の頂の向こう側に星空を背に長身の影が二つ立っていた。
「エイモス!」
おじさんは褐色のゴワゴワした顎髭の血色のよい顔の魔法使いと握手した。男は左手にカビだらけ
の古いブーツをぶら下げていた。
「みんな、エイモス・ディゴリーさんだよ」おじさんが紹介した。
「”魔法生物規制管理部”にお勤めだ。みんな、息子さんのセドリックは知ってるね?」
セドリック・ディゴリーは十七歳くらいのとてもハンサムな青年だった。ホグワーツではハッフル
パフ寮のクィディッチ・チームのキャプテンでシーカーでもあった。
「やあ」セドリックがみんなを見まわした。みんなも「やあ」と挨拶を返したがフレッドとジョー
ジは黙って頭をコックリしただけだった。去年自分たちの寮、グリフィンドールのチームを、セド
リックがクィディッチ開幕戦で打ち負かした事が未だに許しきれていないのだ。
「アーサー、ずいぶん歩いたかい?」セドリックの父親が聞いた。
「いや、まあまあだ」おじさんが答えた。
「村の端の向こう側に住んでいるからね。そっちは?」
「朝の二時起きだよ。なぁ、セド?
まったくこいつが早く”姿現わし”のテストを受ければいいのにと思うよ。いや、愚痴は言うまい。
クィディッチ・ワールドカップだ。たとえガリオン金貨一袋やるからと言われたって、それで見逃
せるものじゃない。もっとも切符二枚で金貨一袋くらいはしたがな。いや、しかし、私のところは
二枚だから、まだ楽な方だったらしいな」
エイモス・ディゴリーは人の良さそうな顔でウィーズリー家の三人の息子と、ハリー、ハーマイオ
ニー、ジニーを見まわした。
「全部君の子かね、アーサー?」
「まさか。赤毛の子だけだよ」
ウィーズリーおじさんは子供達を指さした。
「この子はハーマイオニー、ロンの友達だ。こっちがハリー、やっぱり友達だ」
「おっと、どっこい」
エイモス・ディゴリーが目を丸くした。
「ハリー?ハリー・ポッターかい?」
「あ、うん」ハリーが答えた。誰かに会うたびにしげしげと見詰められる事にハリーはもう慣れっ
こになっていたし、視線がすぐに額のいなずま型の傷跡に走るのにも慣れてはいたが、そのたびに
何だか落ち着かない気持ちになった。
「セドが、もちろん、君の事を話してくれたよ」エイモス・ディゴリーが言葉を続けた。
「去年、君と対戦した事も詳しく話してくれた。私は息子に言ったね、こう言った。セド、そりゃ、
孫子の代にまで語り伝える事だ。そうだとも、お前はハリー・ポッターに勝ったんだ!」
ハリーはなんと答えてよいのやら分からなかったのでただ黙っていた。フレッドとジョージの二人
が揃ってまたしかめ面になった。セドリックはちょっと困ったような顔をした。
「父さん、ハリーは箒から落ちたんだよ」セドリックが口ごもった。
「そう言ったでしょう。事故だったって」
「ああ、でもお前は落ちなかった。そうだろうが?」
エイモスは息子の背中をバシッと叩き快活に大声で言った。
「うちのセドは、いつも謙虚なんだ。いつだってジェントルマンだ。しかし、最高のものが勝つん
だ。ハリーだってそういうだろう。そうだろうが、え、ハリー?
一人は箒から落ち、一人落ちなかった。天才じゃなくったって、どっちがうまい乗り手か分かるっ
てもんだ!」
「そろそろ時間だ」
ウィーズリーおじさんがまた懐中時計を引っ張り出しながら話題を変えた。
「エイモス、ほかに誰か来るかどうか、知ってるかね?」
「いいや、ラブグッド家はもう一週間前から行ってるし、フォーセット家は切符が手に入らなかっ
た」
エイモス・ディゴリーが答えた。
「この地域には、ほかには誰もいないと思うが、どうかね?」
「私も思いつかない」
ウィーズリーおじさんが言った。
「さあ、あと一分だ、準備しないと」
おじさんはハリーとハーマイオニーの方を見た。
「”ポートキー”に触ってればいい。それだけだよ。指一本でいい」
背中のリュックが嵩ばって簡単ではなかったが、エイモス・ディゴリーの掲げた古ブーツの周りに
九人がぎゅうぎゅうと詰めあった。一陣の冷たい風が丘の上を吹き抜ける中、全員がピッチリと輪
になってただ立っていた。誰も何も言わない。マグルが今ここに上がってきてこの光景を見たらど
んなに奇妙に思うだろうと、ハリーはちらっとそんな事を考えた。薄明かりの中、大の男二人を含
めて九人もの人間が汚らしい古ブーツに掴まって何かを待っている。
「三秒」
ウィーズリーおじさんが片方の目で懐中時計を見たままつぶやいた。
「二、一」
突然だった。ハリーは急に臍の裏側がグイッと前方に引っ張られるような感じがした。
両足が地面を離れた。ロンとハーマイオニーがハリーの両脇にいて互いの肩と肩がぶつかり合うの
を感じた。
風の唸りと色の渦の中を全員が前へ前へとスピードを上げていった。ハリーの人差し指はブーツに
張り付きまるで磁石でハリーを引っ張り前進させているようだった。
そして、ハリーの両足が地面にぶつかった。ハーマイオニーが折り重なってハリーの上に倒れ込ん
だ。ハリーの頭の近くに”ポートキー”がドスンと重々しい音を立てて落ちてきた。見上げると
ウィーズリーおじさん、ディゴリーさん、セドリックはしっかり立ったままだったが、強い風にさ
らされた跡がありありと見えた。三人以外はみんな地べたに転がっていた。アナウンスの声が聞こ
えた。
「五時七ふーん。ストーツヘッド・ヒルからとうちゃーく」

第七章バグマンとクラウチ

ハリーはロンとのもつれを解いて立ち上がった。どうやら霧深い辺鄙な荒れ地のようなところに到
着したらしい。
目の前に疲れて不機嫌な顔の魔法使いが二人立っていた。一人は大きな金時計を持ち、もう一人は
太い羊皮紙の巻紙と羽根ペンを持っている。二人ともマグルの格好してはいたが素人丸出しだった。
時計を持った方はツイードの背広に太ももまでのゴム引きを履いていたし、相方はキルトにポン
チョの組み合わせだった。
「おはよう、バージル」
ウィーズリーおじさんが古ブーツを拾い上げキルトの魔法使いに渡しながら声をかけた。受け取っ
た方は自分の脇にある”使用済みポートキー”用の大きな箱にそれを投げ入れた。ハリーが見ると
箱には古新聞やら、ジュースの空き缶、穴のあいたサッカーボールなどが入っていた。
「やあ、アーサー」
バージルは疲れた声で答えた。
「非番なのかい、え?まったく運がいいなあ。私らは夜通しここだよ。さ、早くそこをどいて。五
時十五分に黒い森から大集団が到着する。ちょっと待ってくれ。君のキャンプ場を探すから。
ウィーズリー、ウィーズリーと」
バージルは羊皮紙のリストを調べた。
「ここから四百メートルほどあっち。歩いて行って最初に出くわすキャンプ場だ。管理人はロバー
ツさんという名だ。ディゴリー、二番目のキャンプ場、ペインさんを探してくれ」
「ありがと、バージル」
ウィーズリーおじさんは礼を言ってみんなについてくるよう合図した。
一行は荒涼とした荒れ地を歩き始めた。霧でほとんど何も見えない。ものの二十分も歩くと目の前
にゆらりと小さな石造りの小屋が見えてきた。その脇に門がある。その向こうにゴーストのように
白くぼんやりと何百というテントが立ち並んでいるのが見えた。
テントは広々となだらかな傾斜地に立ち地平線上に黒々と見える森へと続いていた。そこでディゴ
リー父子にさよならを言い、ハリーたちは小屋の戸口へ近づいていった。
戸口に男が一人テントの方を眺めて立っていた。一目見てハリーはこの周辺数キロ四方で本物のマ
グルはこの人一人だけだろうと察しが付いた。足音を聞きつけて男が振り返りこっちを見た。
「おはよう!」
ウィーズリーおじさんが明るい声で言った。
「おはよう」マグルもあいさつした。
「ロバーツさんですか?」
「あいよ。そうだが」ロバーツさんが答えた。「そんで、おめーさんは?」
「ウィーズリーです。テントを二張り、二、三日前に予約しましたよね?」
「あいよ」
ロバーツさんはドアに貼りつけたリストを見ながら答えた。
「おめーさんの場所はあそこの森の傍だ。一泊だけかね?」
「そうです」ウィーズリーおじさんが答えた。
「そんじゃ、今すぐ払ってくれるんだろうな?」ロバーツさんが言った。
「え?ああ、いいですとも」
ウィーズリーおじさんは小屋からちょっと離れハリーを手招きした。
「ハリー、手伝っておくれ」
ウィーズリーおじさんはポケットから丸めたマグルの札束を引っ張り出し一枚一枚はがし始めた。
「これはっと、十かね?あ、なるほど、数字が小さくかいてあるようだ。すると、これは五か
な?」
「二十ですよ」ハリーは声を低めて訂正した。ロバーツさんが一言一句聞きもらすまいとしている
ので気が気ではなかった。
「ああ、そうか。どうもよく分からんな。こんな紙きれ」
「おめーさん、外国人かね?」
ちゃんと金額をそろえて戻ってきておじさんにロバーツさんが聞いた。
「外国人?」
おじさんはきょとんとしてオウム返しに言った。
「金勘定ができねえのは、おめーさんが初めてじゃねえ」
ロバーツさんはウィーズリーおじさんをじろじろ眺めながら言った。
「十分ほど前にも、二人ばっかり、車のホイールキャップぐれえのでっけえ金貨で払おうとした
な」
「ほう、そんなのがいたかね?」おじさんはドギマギしながら言った。ロバーツさんは釣り銭を出
そうと四角い空き缶をごそごそ探った。
「今までこんなに混んだこたぁねえ」
霧深いキャンプ場にまた目を向けながらロバーツさんが唐突に言った。
「何百ってえ予約だ。客はだいたいフラッと現れるもんだが」
「そうかね?」
ウィーズリーおじさんは釣り銭をもらおうと手を差し出したがロバーツさんは釣りをよこさなかっ
た。
「そうよ」
ロバーツさんは感慨深げに言った。
「あっちこっちからだ。外国人だらけだ。それもただの外国人じゃねえ。変わりもんよ。なぁ?キ
ルトにポンチョ着て歩き回っている奴もいる」
「いけないのかね?」
ウィーズリーおじさんが心配そうに聞いた。
「何ていうか、その、集会が何かみてえな」ロバーツさんが言った。
「お互いに知り合いみてえだし。大掛かりなパーティーか何か」
その時どこからともなくニッカーズを履いた魔法使いが小屋の戸口の脇に現れた。
「オブリビエイト!<忘れよ>」
杖をロバーツさんに向け鋭い呪文が飛んだ。途端にロバーツさんの目が虚ろになり八文字眉も解け
夢を見るようなトロンとした表情になった。ハリーはこれが記憶を消された瞬間の症状なのだと分
かった。
「キャンプ場の地図だ」
ロバーツさんはウィーズリーおじさんに向かって穏やかに言った。
「それと、釣りだ」
「どうも、どうも」おじさんが礼を言った。ニッカーズを履いた魔法使いがキャンプ場の入り口ま
で付き添ってくれた。疲れ切った様子で、不精髭をはやし、目の下に濃い隈ができていた。ロバー
ツさんには聞こえない所まで来るとその魔法使いがウィーズリーおじさんにボソボソ言った。
「あの男はなかなか厄介でね”忘却術”を日に十回も掛けないと機嫌が保てないんだ。しかもルー
ド・バグマンがまた困り者で。あっちこっち飛び回ってはブラッジャーがどうのクアッフルがどう
のと大声で喋っている。マグル安全対策何てどこ吹く風だ。全く、これが終わったら、どんなに
ほっとするか。それじゃ、アーサー、またな」
「姿くらまし」術で、その魔法使いが消えた。
「バグマンさんて、”魔法ゲーム・スポーツ部”の部長さんでしょ?」
ジニーが驚いて言った。
「マグルのいるところでブラッジャーとか言っちゃいけないぐらい、わかってるはずじゃない
の?」
「そのはずだよ」
ウィーズリーおじさんは微笑みながらそう言うとみんなを引き連れてキャンプ場の門をくぐった。
「しかし、ルードは安全対策にはいつも、少し、なんというか、甘いんでね。スポーツ部の部長と
しちゃ、こんなに熱心な部長はいないがね。何しろ、自分がクィディッチのイングランド代表選手
だったし。それに、プロチームのウイムボーン・ワスプスじゃ最高のビーターだったんだ」
霧の立ちこめるキャンプ場を一行は長いテントの列を縫って歩き続けた。ほとんどのテントはごく
当たり前に見えた。
テントの主がなるべくマグルらしく見せようと努力した事は確かだ。
しかし煙突をつけてみたりベルを鳴らす引き紐や風見鶏を付けたところでボロが出ている。しかも
あちこちにどう見ても魔法仕掛けと思えるテントがあり、これではロバーツさんが疑うのも無理は
ないとハリーは思った。
キャンプ場の真ん中辺りに、縞模様のシルクでできた、まるで小さい城のような豪華絢爛なテント
があり入り口に生きた孔雀が数羽繋がれていた。もう少し行くと三階建てに尖塔が数本立っている
テントがあった。そこから少し先に前庭付きのテントがあり鳥の水場や、日時計、噴水までそろっ
ていた。
「毎度の事だ」
ウィーズリーおじさんが微笑んだ。
「大勢集まると、どうしても見栄を張りたくなるらしい。ああ、ここだ。ご覧、この場所が私たち
のものだ」
辿り着いたところはキャンプ場の一番奥で森の際だった。その空き地に小さな立て札が打ちこま
れ”うーいづり”と書いてあった。
「最高のスポットだ!」
ウィーズリーおじさんは嬉しそうに言った。
「競技場は丁度この森の反対側だから、こんなに近い所はないよ」
おじさんは肩に掛けていたリュックをおろした。
「よし、と」
おじさんは興奮気味に言った。
「魔法は、厳密に言うと、許されない。これだけの数の魔法使いがマグルの土地に集まっているの
だからな。テントは手作りで行くぞ!そんなに難しくはないだろう。マグルがいつもやっている事
だし。さあ、ハリー、どこから始めればいいと思うかね?」
ハリーは生まれてこのかたキャンプなどした事がなかった。ダーズリー家では休みの日にハリーを
どこかへ連れて行ってくれた例がない。
いつも近所のフィッグばあさんのところへ預けて置き去りにした。だがハーマイオニーと二人で考
え柱や杭がどこに打たれるべきかを解明した。
ウィーズリーおじさんは木槌を使う段になると、完全に興奮状態だったので役に立つどころか足手
まといだった。
それでも何とか皆で二人用の粗末なテントを二張立ち上げた。みんなちょっと下がって自分たちの
手作り作品を眺め大満足だった。
誰が見たってこれが魔法使いのテントだと気づくまいとハリーは思った。
しかしビル、チャーリー、パーシーが到着したら全部で十人になってしまうのが問題だ。ハーマイ
オニーもこの問題に気づいたようだった。おじさんが四つんばいになってテントに入っていくのを
見ながら、ハーマイオニーは「どうするつもりかしら」という顔でハリーの袖を引っ張った。
「ちょっと窮屈かもしれないよ」おじさんが中から呼びかけた。
「でも、みんな何とか入れるだろう。入って、中を見てごらん」
ハリーは身をかがめてテントの入り口をくぐり抜けた。その途端、口があんぐり開いた。
ハリーは古風なアパートに入り込んでいた。寝室とバスルーム、キッチンの三部屋だ。おかしな事
に家具や置物がフィッグばあさんの部屋と全く同じだ。不揃いな椅子には鉤針編みがかけられ、お
まけに猫の匂いがぷんぷんしていた。
「あまり長い事じゃないし」
おじさんはハンカチで頭のハゲたところをごしごし擦り、寝室に置かれた四個の二段ベッドを覗き
ながら言った。
「同僚のパーキンズから借りたのだがね。やっこさん、気の毒にもうキャンプはやらないんだ。腰
痛で」
おじさんは埃まみれのやかんを取り上げ、中を覗いて言った。
「水がいるな」
「マグルがくれた地図に、水道の印があるよ」
ハリーに続いてテントに入ってきたロンが言った。テントの中がこんなに不釣り合いに大きいのに
何とも思わないようだった。
「キャンプ場の向こう端だ」
「よし、それじゃ、ロン、お前はハリーとハーマイオニーの三人で、水を汲みに入ってくれない
か」
ウィーズリーおじさんはやかんとソース鍋を二つ三つよこした。
「それから、他の者は薪を集めに行こう」
「でも、かまどがあるのに」ロンが言った。
「簡単にやっちゃえば?」
「ロン、マグル安全対策だ!」
ウィーズリーおじさんは期待に顔を輝かせていた。
「本物のマグルがキャンプする時は、外で火をおこして料理するんだ。そうやっているのを見た事
がある!」
女子用テントをざっと見学してから、男子用より少し小さかったが猫の匂いはしなかった。
ハリー、ロン、ハーマイオニーの三人はやかんとソース鍋をぶら下げ、キャンプ場を通り抜けて
いった。
朝日が初々しく昇り、霧も晴れ今は辺り一面に広がったテント村が見渡せた。三人は周りを見るの
が面白くてゆっくり進んだ。
世界中にどんなにたくさん魔法使いや魔女がいるのかハリーはやっと実感が沸いてきた。
これまでは他の国の魔法使いの事など考えてもみなかった。他のキャンパーも次々と起き出してい
た。最初にごそごそするのは小さな子供のいる家族だ。ハリーはこんなに幼いちびっ子魔法使いを
見たのは初めてだった。
大きなピラミッド型のテントの前でまだ二歳にもなっていない小さな男の子が、しゃがんで嬉しそ
うに杖で草地のナメクジをつっついていた。
ナメクジはゆっくりとサラミ・ソーセージぐらいに膨れ上がった。三人が男の子のすぐそばまでく
るとテントから母親が飛び出してきた。
「ケビン、何度言ったらわかるの?いけません。パパの、杖に、さわっちゃ。きゃー!」
母親が巨大ナメクジを踏みつけナメクジが破裂した。母親の叱る声に混じって小さな男の子の泣き
叫ぶ声が静かな空気を伝って三人を追いかけてきた。
「ママがナメクジをつぶしちゃったあ!つぶしちゃったあ!」
そこから少し歩くとケビンよりちょっと年上のおチビ魔女が二人、玩具の箒に乗っているのが見え
た。
つま先が露を含んだ草々をかすめる程度までしか上がらない箒だ。魔法省の役人が一人、早速それ
を見つけて、ハリー、ロン、ハーマイオニーの脇を急いで通り過ぎながら困惑した口調で呟いた。
「こんな明るい中で!親は朝寝坊を決め込んでいるんだ。きっと」
あちこちのテントから大人の魔法使いや魔女が顔をのぞかせ朝食の支度に取りかかっていた。何や
らコソコソしていると思うと杖で火をおこしていたり、マッチをこすりながらこんな事で絶対に火
が付くものかと怪訝な顔をしている者もいた。
三人のアフリカ魔法使いが全員白い長いローブを着て、ウサギのようなものを鮮やかな紫色の炎で
炙りながらまじめな会話をしていた。かと思えば中年のアメリカ魔女たちがテントとテントの間に
ぴかぴか光る横断幕を張り渡し、その下に座り込んで楽しそうに噂話にふけっていた。幕には”魔
女裁判の町セーレムの魔女協会”と書いてある。
テントを通り過ぎる度に中から聞き覚えのない言葉を使った会話が断片的にハリーの耳に聞こえて
きた。一言もわかりはしなかったがどの声も興奮していた。
「あれっ、僕の目がおかしいのかな。それとも何もかも緑になっちゃったのかな?」ロンが言った。
ロンの目のせいではなかった。三人は三つ葉のクローバーでびっしりと覆われたテントの群れに足
を踏み入れていた。まるで変わった形の小山がニョッキりと地上に生え出したかのようだった。テ
ントの入り口が空いているところからは住人がニコニコしているのが見えた。その時背後から誰か
が三人を呼んだ。
「ハリー!ロン!ハーマイオニー!」
同じグリフィンドールの四年生、シェーマス・フィネガンだった。やはり三つ葉のクローバーで覆
われたテントの前に座っている。そばにいる黄土色の髪をした女性はきっと母親だろう。それに親
友の同じくグリフィンドール生のディーン・トーマスも一緒だった。三人はテントに近づいてあい
さつした。
「この飾り付け、どうだい?」シェーマスはにっこりした。
「魔法省は気に入らないみたいなんだ」
「あら、国の紋章を出して何が悪いって言うの?」
フィネガン夫人が口をはさんだ。
「ブルガリアなんか、あちらさんのテントに何をぶら下げているか見てごらんよ。あなた達は、も
ちろん、アイルランドを応援するんでしょう?」
夫人はハリー、ロン、ハーマイオニーをキラリと見ながら聞いた。フィネガン夫人にちゃんとアイ
ルランドを応援するからと約束して三人はまた歩き始めた。もっともロンは「あの連中に取り囲ま
れてちゃ、ほかに何とも言えないよな?」と言った。
「ブルガリア側のテントに、何がいっぱいぶら下がってるのかしら」ハーマイオニーが言った。
「見に行こうよ」
ハリーが大きなキャンプ群を指さした。そこには赤、緑、白のブルガリア国旗が翩翻と翻っていた。
こちらのテントには植物ごと飾り付けられてはいなかったが、どのテントにも全く同じポスターが
ベタベタ貼られていた。真っ黒なゲジゲジ眉の無愛想な顔のポスターだ。もちろん顔は動いていた
がただ瞬きして顔をしかめるだけだった。
「クラムだ」ロンがそっと言った。
「なあに?」とハーマイオニー。
「クラムだよ!ビクトール・クラム。ブルガリアのシーカーの!」
「とっても気むずかしそう」
ハーマイオニーは三人に向かって瞬きしたり睨んだりしている大勢のクラムの顔を見回しながら
言った。
「とっても気むずかしそうだって?」ロンは目をぐりぐりさせた。
「顔がどうだって関係ないだろう?すげえんだから。それにまだ本当に若いんだ。十八かそこらだ
よ。天才なんだから。まあ、今晩、見たらわかるよ」
キャンプ場の隅にある水道には、もう、何人かが並んでいた。ハリー、ロン、ハーマイオニーも列
に加わった。そのすぐ前で男が二人大論争をしていた。
一人は年寄りの魔法使いで花模様の長いネグリジェを着ている。もう一人は間違いなく魔法省の役
人だ。細縞のズボンを差し出し困り果てて泣きそうな声をあげている。
「アーチー、とにかくこれをはいてくれ。聞きわけてくれよ。そんな格好で歩いたらダメだ。門番
のマグルがもう疑いはじめてる」
「わしゃ、マグルの店でこれを買ったんだ」年寄り魔法使いが頑固に言い張った。
「マグルが着るものじゃろう」
「それはマグルの女性が着るものだよ、アーチー。男のじゃない。男はこっちを着るんだ」
魔法省の役人は細縞のズボンをひらひら振った。
「わしゃ、そんなものは着んぞ」アーチーじいさんが腹立たしげに言った。
「わしゃ、大事なところにさわやかな風が通るのがいいんじゃ。ほっとけ」
これを聞いてハーマイオニーはくすくす笑いが止まらなくなり苦しそうに列を抜けた。戻ってきた
ときにはアーチーは水を汲み終わってどこかに行ってしまった後だった。汲んだ水の重みで三人は
今までよりさらにゆっくり歩いてキャンプ場に引き返した。
あちこちでまた顔見知りに出会った。ホグワーツの生徒やその家族たちだ。ハリーの寮のクィ
ディッチ・チームのキャプテンだったオリバー・ウッドもいた。ウッドは卒業したばかりだったが
自分のテントにハリーを引っぱって行き両親にハリーを紹介した後、プロチームのパルドミア・ユ
ナイテッドと二軍入りの契約を交わしたばかりだと、興奮してハリーに告げた。
次に出会ったのはハッフルパフの四年生、アーニー・マクミラン。それからまもなくチョウ・チャ
ンに出会った。とてもきれいな子でレイブンクローのシーカーでもある。チョウ・チャンはハリー
に微笑みかけて手を振りハリーも手を繰り返したが、水をどっさり撥ねこぼして洋服の前を濡らし
てしまった。ロンがニヤニヤするのをなんとかしたいばっかりに、ハリーは大急ぎで今まで会った
事がない同じ年頃の子供達の一大集団を指さした。
「あの子たち、誰だと思う?」ハリーが聞いた。
「ホグワーツの生徒、じゃないよね?」
「どっか外国の学校の生徒だと思うな」ロンが答えた。
「学校が他にもあるって事は知ってるよ。ほかの学校の生徒に会った事はないけど。ビルはブラジ
ルの学校にペンパルがいたな。もう何年も前の事だけど。それでビルは学校同志の交換訪問旅行に
行きたかったんだけど、家じゃお金が出せなくて。ビルが行かないって書いたら、ペンパルがすご
く腹を立てて、帽子に呪いをかけて送ってよこしたんだ。おかげでビルの耳が萎びちゃってさ」
ハリーは笑ったが、魔法学校がほかにもあると聞いて驚いた事は黙っていた。キャンプ場にこれだ
け多くの国の代表が集まっているのを見た今、ホグワーツ以外にも魔法学校があるという事に気が
つかなかった自分がバカだったと思った。ハーマイオニーの方ちらっと見ると全く平気な顔をして
いた。他にも魔法学校がある事を何かの本で読んだに違いない。
「遅かったなあ」
三人がやっとウィーズリー家のテントに戻るとジョージが言った。
「いろんな人に会ったんだ」
水をおろしながらロンが言った。
「まだ火をおこしてないのか?」
「オヤジがマッチと遊んでてね」フレットが言った。ウィーズリーおじさんは火をつける作業がう
まく行かなかったらしい。しかし努力が足りないわけではなかった。折れたマッチがおじさんの周
りにぐるりと散らばっていた。しかもおじさんは我が人生最高のときという顔をしていた。
「うわっ!」
おじさんはマッチを擦って火をつけたものの驚いてすぐとり落とした。
「ウィーズリーおじさん、こっちに来てくださいな」
ハーマイオニーが優しくそう言うとマッチ箱をおじさんの手からとり正しいマッチの使い方を教え
始めた。やっと火が付いた。
紙に火を移し、小さな枝木からじょじょに大きな薪へと火を移していくハーマイオニーをみて、
ウィーズリーおじさんは呆然と感心したように眺めていた。
しかし料理ができるようになるにはそれから少なくとも一時間かかった。それでも見物するものに
は事欠かなかった。ウィーズリー家のテントはいわば競技場への大通りに面しているらしく、魔法
省の役人が気ぜわしく行きかった。通りがかりにみんながおじさんに丁寧にあいさつした。おじさ
んは引っ切り無しに解説した。おもにハリーとハーマイオニーのための解説だった。
「今のはカスバート・モックリッジ。ゴブリン連絡室の室長だ。今やってくるのがギルバート・
ウィンプル。実験呪文委員会のメンバーだ。あの角が生えてからもうだいぶたつな。やあアーニー。
アーノルド・ピーズグッドだ。”忘却術士”ほら”魔法事故リセット部隊”の隊員だ。そして、あ
れがボードとクローカー”無言者”だ」
「え?なんですか?」
「神秘部に属している。極秘事項だ。一体あの部門は何をやっているのやら」
ついに火の準備が整った。卵とソーセージを料理し始めた途端、ビル、チャーリー、パーシーが森
の方からゆっくりと歩いてきた。
「パパ、ただいま”姿現わし”ました」パーシーが大声で言った。
「ああ、ちょうどよかった。昼食だ!」
卵とソーセージの皿が半分ほどからになったとき、ウィーズリーおじさんが急に立ちあがってニコ
ニコと手を振った。大股で近付いて来る魔法使いがいた。
「これは、これは!」おじさんが言った。
「時の人!ルード!」
ルード・バグマンはハリーがこれまでに出会った人の中でも、あの花模様ネグリジェのアーチーじ
いさんも含めて一番目立っていた。鮮やかな黄色と黒の太い横縞が入ったクィディッチ用の長い
ローブを着ている。胸の所に巨大なスズメバチが一匹描かれている。たくましい体つきの男が少し
弛んだという感じだった。イングランド代表チームでプレイしていた頃には無かっただろうと思わ
れる大きな腹のあたりで、ローブがパンパンになっていた。鼻は潰れている(迷走ブラッジャーに
潰されたのだろうとハリーは思った)。しかし丸いブルーの瞳、短いブロンドの髪、薔薇色の顔が
育ち過ぎた少年のような感じを与えていた。
「よう、よう!」
バグマンが嬉しそうに呼びかけた。まるでかかとにバネが付いているように弾んで完全に興奮しま
くっている。
「わが友、アーサー」
バグマンはフーッフーッと息を切らしながら焚き火に近づいた。
「どうだい、この天気は。え?どうだい!こんな完全な日和は又とないだろう?
今夜は雲一つないぞ。それに準備は万全、俺の出る幕はほとんどないな!」
バグマンの背後をげっそりやつれた魔法省の役人が数人、遠くの方で魔法火が燃えている火花を指
さしながら急いで通り過ぎた。魔法火は六メートルもの上空に紫色の火花をあげていた。パーシー
が急いで進み出て、握手を求めた。ルード・バグマンが担当の部を取り仕切るやり方が気に入らな
くともそれはそれ、バグマンに好印象を与える方が大切らしい。
「ああ、そうだ」
ウィーズリーおじさんはニヤッとした。
「私の息子のパーシーだ。魔法省に勤め始めたばかりでね。こっちはフレッド、おっと、ジョージ
だ。すまん、こっちフレッドだ。ビル、チャーリー、ロン、娘のジニーだ。それからロンの友人の
ハーマイオニー・グレンジャーとハリー・ポッターだ」
ハリーの名前を聞いてバグマンがほんのわずかたじろぎ、目があのおなじみの動きでハリーの額の
傷跡を探った。
「みんな、こちらはルード・バグマンさんだ。誰だか知ってるね。この人のおかげでいい席が手に
入ったんだ」
バグマンはにっこりしてそんな事は何でもないという風に手を振った。
「試合にかける気はないかね、アーサー?」
バグマンは黄色と黒のローブのポケットに入った金貨をチャラつかせながら熱心に誘った。相当額
の金貨のようだ。
「ロディ・ポントナーがブルガリアが先取点を取ると賭けた。いい掛け率にしてやったよ。アイル
ランドのフォワードの三人は、近来にない強豪だからね。それと、アガサ・ティムズお嬢さんは、
試合が一週間続くと賭けて、自分の持っている鰻養殖場の半分を張ったね」
「ああ、それじゃあ、賭けようか」ウィーズリーおじさんが言った。
「そうだな、アイルランドが勝つ方にガリオン金貨一枚じゃどうだ?」
「一ガリオン?」
バグマンは少しがっかりしたようだったが気を取り直した。
「よし、よし、他に賭ける者は?」
「この子達にギャンブルは早すぎる」おじさんが言った。「妻のモリーが嫌がる」
「賭けるよ。三十七ガリオン、十五シックル、三クヌートだ」
ジョージと二人で急いでコインをかき集めながらフレッドが言った。
「まずアイルランドが勝つ。でも、ビクトール・クラムがスニッチを取る。あ、それから”だまし
杖”も賭金に上乗せするよ」
「バグマンさんに、そんなつまらないものをお見せしてはだめじゃないか」
パーシーが口をすぼめて非難がましく言ったがバグマンはつまらないものとは思わなかったらしい。
それどころかフレッドから杖を受け取ると子供っぽい顔が興奮で輝き、杖がガアガア大きな鳴き声
をあげてゴム製の玩具の鶏に変わると大声をあげて笑った。
「すばらしい!こんなに本物そっくりな杖を見たのは久しぶりだ。私ならこれに五ガリオン払って
もいい!」
パーシーは驚いて、こんな事は承知できないとばかりに身をこわばらせた。
「お前たち」ウィーズリーおじさんが声をひそめた。
「賭はやって欲しくないね。貯金の全部だろうが、母さんが」
「お堅い事を言うな、アーサー!」
ルード・バグマンが興奮気味にポケットをチャラチャラいわせながら声を張り上げた。
「もう子供じゃないんだ。自分たちのやりたい事は分かってるさ!
アイルランドが勝つが、クラムがスニッチを取るって?そりゃありえないな、お二人さん、そりゃ
ない。二人にすばらしい倍率をやろう。その上、おかしな杖に五ガリオンつけよう。それじゃ」
バグマンが素早くノートと羽根ペンを取り出して双子の名前を書き付けるのを、ウィーズリーおじ
さんはなすすべもなく眺めていた。
「サンキュー」
バグマンがよこした羊皮紙メモを受け取りローブの内ポケットにしまい込みながらジョージが言っ
た。バグマンは上機嫌でウィーズリーおじさんの方に向き直った。
「お茶がまだだったな?バーティ・クラウチをずっと探しているんだが。ブルガリア側の責任者が
ゴネていて、俺には一言もわからん。バーティならなんとかしてくれるだろう。かれこれ百五十カ
国語が話せるし」
「クラウチさんですか?」
体を突っ張らせて不服そうにしていたパーシーが突然堅さをかなぐり捨て興奮でのぼせあがった。
「あの方は二百カ国語以上を話します!
マーピープルのマーミッシュ語、ゴブリンのゴブルディグック語、トロールの」
「トロール語なんて誰だって話せるよ」
フレッドがばかばかしいという調子で言った。
「指さしてブーブー言えばいいんだから」
パーシーはフレッドに思いっきり嫌な顔を向け、乱暴に焚き火を掻き回してやかんをグラグラと沸
騰させた。
「バーサ・ジョーキンズの事は、何か消息があったかね、ルード?」
バグマンがみんなと一緒に草むらに座り込むとウィーズリーおじさんがたずねた。
「ナシのつぶてだ」バグマンは気楽に言った。
「だが、そのうち現れるさ。あのしょうのないバーサの事だ。十月ごろになったら、ひょっこり役
所に戻ってきて、まだ七月だと思ってるだろうよ」
「そろそろ捜索人を出して探したほうがいいんじゃないのか?」
パーシーがバグマンにお茶を差し出すのを見ながらウィーズリーおじさんが遠慮がちに提案した。
「パーティー・クラウチはそればっかり言ってるなあ」
バグマンは丸い目を見開いて無邪気に言った。
「しかし、今はただの一人も無駄にはできん。おっ、噂をすればだ!バーティ!」
焚き火のそばに魔法使いが一人「姿現わし」でやってきた。ルード・バグマンとはものの見事に対
照的だ。バグマンは昔着ていたスズメバチ模様のチームのユニホームを着て、草の上に足を投げ出
している。
バーティ・クラウチはシャッキっと背筋を伸ばし、非の打ちどころのないスーツとネクタイ姿の初
老の魔法使いだ。
短い銀髪の分目は不自然なまでに真っ直ぐで歯ブラシ状の口髭は、まるで定規を当てて刈り込んだ
かのようだった。靴はピカピカに磨き挙げられている。一目見てハリーはパーシーがなぜこの人を
崇拝しているかがわかった。
パーシーは規則を厳密に守る事が大切だと固く信じているし、クラウチ氏はマグルの服装に関する
規則を完璧に守っていた。銀行の頭取だと言っても通用しただろう。バーノンおじさんでさえこの
人の正体を見破るかどうか疑問だとハリーは思った。
「ちょっと座れよ、バーティ」
ルードはそばの草むらをぽんぽん叩いて朗らかに言った。
「いや、ルード、遠慮する」
クラウチ氏の声が少し苛立っていた。
「ずいぶんあちこち君を探したのだ。ブルガリア側が、貴賓席に後十二席設けろと強く要求してい
るのだ」
「ああ、そういう事を言っていたのか。私は又、あいつが毛抜を貸してくれと頼んでいるのかと
思った。訛りがきつくて」
「クラウチさん!」
パーシーは息もつけずにそういうと首だけあげてお辞儀をしたのでひどい猫背に見えた。
「よろしければお茶は如何ですか?」
「ああ」
クラウチ氏は少し驚いた様子でパーシーの方を見た。
「いただこう。ありがとう、ウェーザビー君」
フレッドとジョージが飲みかけのお茶にむせてカップの中にゲホゲホやった。パーシーは耳元を
ポットは赤らめ急いでやかんを準備した。
「ああ、それにアーサー、君とも話したかった」
クラウチ氏は鋭い眼でウィーズリーおじさんを見おろした。
「アリ・バシールが襲撃してくるぞ。空飛ぶ絨毯の輸入禁止について君と話したいそうだ」
ウィーズリーおじさんは深いため息をついた。
「その事については先週フクロウ便を送ったばかりだ。何百回言われても答えは同じだよ。絨毯
は”魔法をかけてはいけない物品登録簿”に載っていて”マグルの製品”だと定義されている。し
かし、言ってわかる相手かね?」
「だめだろう」
クラウチ氏がパーシーからカップを受け取りながら言った。
「我が国に輸出したくて必死だから」
「まあ、イギリスでは箒に取って代わる事はあるまい?」バグマンが言った。
「アリは家族用乗物として市場に入り込める余地があると考えている」クラウチ氏が言った。
「私の祖父が、十二人乗りのアクスミンスター織りの絨毯を持っていた。しかし、もちろん絨毯が
禁止になる前だがね」
まるでクラウチ氏の先祖がみな厳格に法を順守した事に、毛ほども疑いを持たれたくないという言
い方だった。
「ところで、バーティ、忙しくしてるかね」バグマンがのどかに言った。
「かなり」クラウチ氏は愛想のない返事をした。
「五大陸にわたって”ポートキー”を組織するのは並大抵の事ではありませんぞ。ルード」
「二人とも、これが終わったらほっとするだろうね」ウィーズリーおじさんが言った。バグマンが
驚いた顔をした。
「ほっとだって!こんなに楽しんだ事は無いのに。それに、その先も楽しい事が待ち構えている
じゃないか。え?バーティ?そうだろうが?まだやる事がたくさんある。だろう?」
クラウチ氏は眉を釣り上げてバグマンを見た。
「まだその事は公にしないとの約束だろう。詳細がまだ」
「ああ、詳細なんか!」
バグマンはうるさいユスリカの群れを追い払うかのように手を振った。
「みんな署名したんだ。そうだろ?皆合意したんだ。そうだろ?
ここにいる子供達には、どのみち間もなくわかる事だ。かけてもいい。だって、事はホグワーツで
起こるんだし」
「ルード、さあ、ブルガリア側に会わないと」
クラウチ氏はバグマンの言葉をさえぎり、鋭く言った。
「お茶をごちそうさま。ウェーザビー君」
飲んでもいないお茶をパーシーに押しつけるようにして返しクラウチ氏はバグマンが立ち上がるの
を待った。お茶の残りをくいっと飲み干しポケットの金貨を楽しみにチャラチャラいわせ、バグマ
ンはどっこいしょと再び立ち上がった。
「じゃ、あとで!みんな、貴賓席で私と一緒になるよ。私が解説するんだ!」
バグマンは手を振り、クラウチはかるく頭を下げ二人とも”姿くらまし”で消えた。
「パパ、ホグワーツで何があるの?」
フレッドがすかさず聞いた。
「あの二人、何の事を話してたの?」
「すぐにわかるよ」ウィーズリーおじさんが微笑んだ。
「魔法省が解禁する時までは機密情報だ」パーシーが頑なに言った。
「クラウチさんが明かさなかったのは正しい事なんだ」
「おい、黙れよ、ウェーザビー」フレッドが言った。

夕方が近づくにつれ興奮の高まりがキャンプ場を覆う雲のようにはっきりと感じ取れた。夕暮れに
は凪いだ夏の空気さえ期待で打ち震えているかのようだった。試合を待つ何千という魔法使いたち
を夜のとばりがすっぽりと覆うと最後の慎みも吹き飛んだ。
あからさまな魔法の印があちこちで上がっても魔法省はもはやお手上げだとばかり戦うのをやめた。
行商人がそこいら中にニョキニョキと”姿現わし”した。超珍品の土産ものを盆やカートに山と積
んでいる。光るロゼット、アイルランドは緑でブルガリアは赤だ。
これが黄色い声で選手の名前を叫ぶ。踊るミツバのクローバーがびっしり飾られた緑のとんがり帽
子。本当に吠えるライオン柄のブルガリアのスカーフ。打ち振ると国家を演奏する両国の国旗。本
当に飛ぶファイアボルトのミニチュア模型。コレクター用の有名選手の人形は手に乗せると自慢げ
に手のひらを歩き回った。
「夏休み中ずっとこのためにおこづかいを貯めてたんだ」
ハリー、ハーマイオニーと一緒にもの売りの間を歩き土産ものを買いながらロンがハリーに言った。
ロンは踊るクローバー帽子と大きな緑のロゼットを買ったくせに、ブルガリアのシーカー、ビク
トール・クラムのミニチュア人形も買った。ミニ・クラムはロンの手の中を行ったり来たりしなが
らロンの緑のロゼットを見上げて顔をしかめた。
「わあ、これ見てよ!」
ハリーは真ちゅう製の双眼鏡のようなものがウズ高く積んであるカートに駆け寄った。ただしこの
双眼鏡にはあらゆる種類のおかしなつまみやダイヤルがびっしりついていた。
「オムニオキュラー、万眼鏡だよ」セールス魔ンが熱心に売り込んだ。
「アクションが再生できる。スローモーションで、必要なら、プレイを一コマずつ静止させる事も
できる。大安売り、一個十ガリオンだ」
「こんなのさっき買わなきゃよかった」
ロンは踊るクローバーの帽子を指さしてそう言うとオムニオキュラーをいかにも物欲しげに見つめ
た。
「三個ください」ハリーはセールス魔ンにきっぱり言った。
「いいよ、気を使うなよ」ロンが赤くなった。ハリーが両親からちょっとした財産を相続した事、
ロンよりずっと金持ちだという事。この事でロンはいつも神経過敏になる。
「クリスマス・プレゼントはなしだよ」
ハリーはオムニオキュラーをロンとハーマイオニーの手に押しつけながら言った。
「しかも、これから十年ぐらいはね」
「いいとも」ロンがにっこりした。
「うわぁぁ、ハリー、ありがとう」ハーマイオニーが本当に嬉しそうに言った。
「じゃ、私が三人分のプログラムを買うわ。ほら、あれ」
財布がだいぶ軽くなり三人はテントに戻った。ビル、チャーリー、ジニーの三人もみな緑のロゼッ
トをつけていた。ウィーズリーおじさんはアイルランド国旗を持っている。フレッドとジョージは
全財産をはたいてバグマンに渡したので何もなしだった。その時どこか森の向こうからゴーンと深
く響く音が聞こえ、同時に木々の間に赤と緑のランタンが一斉に明々と灯り競技場への道を照らし
だした。
「いよいよだ!」
ウィーズリーおじさんもみんなに負けず劣らず興奮していた。
「さあ、行こう!」

第八章クィディッチ・ワールドカップ

買い物をしっかり握りしめ、ウィーズリーおじさんを先頭にみんな急ぎ足で、ランタンに照らされ
た小道を森へと入っていった。周辺のそこかしこで動き回る、何千人もの魔法使いたちのさんざめ
きが聞こえてきた。叫んだり、笑ったりする声や歌声がきれぎれに聞こえてくる。熱狂的な興奮の
波が次々と伝わっていく。ハリーも顔が緩みっぱなしだ。大声で話したり、ふざけたりしながら、
ハリーたちは森の中を二十分ほど歩いた。
ついに森の外れに出ると、そこは巨大なスタジアムの影の中だった。ハリーには競技場を囲む壮大
な黄金の壁のほんの一部しか見えなかったが、この中に、大聖堂なら優に十個はすっぽり収まるだ
ろうと思った。
「十万人入れるよ」圧倒されているハリーの顔を読んで、ウィーズリーおじさんが言った。
「魔法省の特務隊五百人が、丸一年がかりで準備したのだ。”マグル避け呪文”で一部の隙もない。
この一年というもの、この近くまで来たマグルは、突然急用を思いついて慌てて引き返す事になっ
た。気の毒に」
おじさんは最後に愛情を込めて付け加えた。おじさんが先に立って一番近い入り口に向かったが、
そこにはすでに魔法使いや魔女がぐるりと群がり、大声で叫び合っていた。
「特等席!」魔法省の魔女が入り口で切符を改めながら言った。
「最上階貴賓席!アーサー、まっすぐ上がって。一番高いところまでね」
観客席への階段は深紫色の絨毯が敷かれていた。一行は大勢に混じって階段を登った。
途中、観客が少しずつ、右や左のドアからそれぞれのスタンド席へと消えていった。ウィーズリー
家の一行は登り続け、いよいよ階段のてっぺんにたどり着いた。そこは小さなボックス席で、観客
席の最上階、しかも両サイドにある金色のゴールポストのちょうど中間に位置していた。紫に金箔
の椅子が二十席ほど、二列に並んでいる。
ハリーはウィーズリー家のみんなと一緒に前列に並んだ。そこから見下ろすと、想像さえした事の
ない光景が広がっていた。十万人の魔法使い達が着席したスタンドは、細長い楕円形のピッチに
沿って階段状に競り上がっている。
競技場そのものから発すると思われる神秘的な金色の光が、辺りにみなぎっていた。この高みから
見ると、ピッチはビードロのように滑らかに見えた。両サイドに三本ずつ、十五メートルの高さの
ゴールポストが立っている。貴賓席の真正面、ちょうどハリーの目の位置に、巨大な黒板があった。
見えない巨人の手が書いたり消したりしているかのように、金文字が黒板の上をさっと走っては
さっと消えた。しばらく眺めていると、それがピッチの右端から左端までの幅で点滅する広告塔だ
と分かった。
ハリーは広告塔から目を離し、ボックス席にほかに誰か居るかと振り返ってみた。まだ誰もいない。
ただ、後ろの列の、奥から二番目の席に小さな生き物が座っていた。短すぎる足を、椅子の前方に
ちょこんと突き出し、キッチン・タオルをトーガ風にかぶっている。顔を両手で覆っているが、長
いコウモリのような耳が、なんとなく見覚えがあった。
「ドビー?」
ハリーは半信半疑で呼びかけた。小さな生き物は、顔を上げ、指を開いた。とてつもなく大きい茶
色の目と、大きさも形も大型トマトそっくりの鼻が指の間から現れた。ドビーではなかったが、屋
敷しもべ妖精に間違いがない。ハリーの友達のドビーもかつて屋敷しもべだった。ハリーはドビー
をかつての主人であるマルフォイ一家から自由にしてやったのだ。
「旦那さまはあたしの事、ドビーっておよびになりましたか?」
しもべ妖精は指の間から怪訝そうに、甲高い声で尋ねた。ドビーの声も高かったが、もっと高く、
か細い、震えるようなキーキー声だった。ハリーは、屋敷しもべ妖精の場合はとても判断しにくい
が、これは多分女性だろうと思った。
ロンとハーマイオニーがくるりと振り向き、よく見ようとした。二人とも、ハリーからドビーの事
をずいぶん聞いてはいたが、ドビーにあった事はなかった。ウィーズリーおじさんでさえ興味を
持って振り返った。
「ごめんね。僕の知っている人じゃないかと思って」
ハリーがしもべ妖精に言った。
「でも、旦那さま、あたしもドビーをご存知です!」
甲高い声が答えた。貴賓席の照明が特に明るいわけではないのに、まぶしそうに顔を覆っている。
「あたしはウィンキーでございます。旦那さま。あなた様は」
こげ茶色の眼がハリーの傷跡をとらえた途端、小皿くらいに大きく見開かれた。
「あなた様は、紛れもなくハリー・ポッターさま!」
「うん、そうだよ」
「ドビーが、あなた様の事をいつもお噂しています!」
ウィンキーは尊敬でうち震えながら、ほんの少し両手をしたにずらした。
「ドビーはどうしてる?自由になって元気にやってる?」ハリーが聞いた。
「ああ、旦那さま」
ウィンキーは首を振った。
「ああ、それがでございます。決して失礼を申しあげるつもりはございませんが、貴方様がドビー
を自由になさったのは、ドビーのためになったのかどうか、あたしは自信をおもちになれません」
「どうして?」
ハリーは不意をつかれた。
「ドビーに何かあったの?」
「ドビーは自由で頭がおかしくなったのでございます。旦那さま」
ウィンキーが悲げに言った。
「身分不相応の高望みでございます、旦那さま。勤め口が見つからないのでございます」
「どうしてなの?」
ウィンキーは声を半オクターブを落としてささやいた。
「仕事にお手当てをいただこうとしているのでございます」
「お手当て?」
ハリーはポカンとした。
「だって、なぜ給料をもらっていけないの?」
ウィンキーがそんな事を考えるだに恐ろしいという顔で少し指を閉じたので、また顔半分が隠れて
しまった。
「屋敷しもべはお手当てなどいただかないのでございます!」
ウィンキーは押し殺したようなキーキー声で言った。
「だめ、だめ、だめ。あたしはドビーにおっしゃいました。ドビー、どこか良い御家庭を探して、
落ちつきなさいって、そうおっしゃいました。旦那さま、ドビーはのぼせて、思い上がっているの
でございます。屋敷しもべ妖精にふさわしくないのでございます。ドビー、あなたがそんなふうに
浮かれていらっしゃったら、しまいには、ただのゴブリンみたいに、”魔法生物規制管理部”に
引っ張られる事になっても知らないからって、あたし、そうおっしゃったのでございます」
「でも、ドビーは、もう少しぐらい楽しい思いをしてもいいんじゃないかな」
ハリーが言った。
「ハリー・ポッターさま、屋敷しもべは楽しんではいけないのでございます」
ウィンキーは顔を覆った手の下で、きっぱりと言った。
「屋敷しもべは、いいつけられた事をするのでございます。あたしは、ハリー・ポッターさま、高
いところが全くお好きではないのでございますが」
ウィンキーはボックス席の前端をチラリと見てごくっと生唾を飲んだ。
「でも、御主人様がこの貴賓席に行けとおっしゃいましたので、あたしはいらっしゃいましたので
ございます」
「君が高いところが好きじゃないと知っているのに、どうして御主人様が君をここによこした
の?」
ハリーは眉をひそめた。
「御主人様は、御主人様は自分の席をあたしに取らせたのです。ハリー・ポッターさま、御主人様
はとてもお忙しいのでございます」
ウィンキーは隣の空席の方に頭をかしげた。
「ウィンキーは、ハリー・ポッターさま、御主人様のテントにお戻りになりたいのでございます。
でも、ウィンキーはいいつけられた事をするのでございます。ウィンキーは良い屋敷しもべでござ
いますから」
ウィンキーはボックス席の前端をもう一度恐々見て、それからまた完全に両手で目を覆ってしまっ
た。
「そうか、あれが屋敷しもべ妖精なのか?」ロンがつぶやいた。
「へんてこりんなんだ、ね?」
「ドビーはもっとへんてこだったよ」
ハリーの言葉に力が入った。ロンはオムニオキュラーを取り出し、向かいの観客席にいる観衆を見
下ろしながら、あれこれ試しはじめた。
「スッゲェ!」
ロンがオムニオキュラーの横の「再生つまみ」をいじりながら声をあげた。
「あそこにいるおっさん、何回でも鼻をほじるぜ、ほら、また、ほら、また」
一方、ハーマイオニーは、ビードロの表紙に房飾りのついたプログラムに熱心に目を通していた。
いかにもハーマイオニーらしい様子にハリーは笑うのを必死で堪えた。
「試合に先立ち、チームのマスコットによるマスゲームがあります」
ハーマイオニーが読み上げた。
「ああ、それはいつも見ごたえがある」
ウィーズリーおじさんが言った。
「ナショナルチームが自分の国から何か生き物を連れてきてね、ちょっとしたショーをやるんだ
よ」
それから三十分の間に、貴賓席も徐徐に埋まってきた。ウィーズリーおじさんは、つづけざまに握
手していた。
かなり重要な魔法使いたちに違いない。パーシーは、まるでハリネズミが置いてある椅子に座ろう
としているかのように、ひっきりなしに椅子からとびあがっては、ピンと直立不動の姿勢をとった。
魔法大臣、コーネリウス・ファッジ閣下直々のお出ましにいたっては、パーシーは余りに深々と頭
をさげたので、眼鏡が落ちてわれてしまった。大いに恐縮したパーシーは、杖でメガネを元通りに
し、それからはずっと椅子に座っていた。
それでも、コーネリウス・ファッジがハリーに、昔からの友人のように親しげに挨拶をするのを、
うらやましげな眼で見た。
ファッジとハリーは以前にあった事がある。ファッジは、まるで父親のような仕草でハリーと握手
し、元気かと声をかけ、自分の両脇に居る魔法使いにハリーを紹介した。
「ご存知のハリー・ポッターですよ」
ファッジは金の縁取りをした豪華な黒ビードロのローブを着たブルガリアの大臣に大声で話しかけ
たが、大臣は言葉が一言もわからない様子だった。
「ハリー・ポッターですぞ。ほら、ほら、ご存知でしょうが。”例のあの人”から生き残った男の
子ですよ。まさか、知っているでしょうね?」
ブルガリアの大臣は突然ハリーの額の傷跡に気づき、それを指差しながら、何やら興奮してワァ
ワァわめき出した。
「なかなか通じないものだ」
ファッジがうんざりしたようにハリーに言った。
「私はどうも言葉が苦手だ。こういう事になると、バーティ・クラウチが必要だ。ああ、クラウチ
のしもべ妖精が席をとっているな。いや、なかなかやるものだわい。ブルガリアの連中が寄ってた
かって、良い席を全部せしめようとしているし。ああ、ルシウスのご到着だ!」
ハリー、ロン、ハーマイオニーは急いで振り返った。後列のちょうどウィーズリーおじさんの真後
が三席空いていて、そこに向かって席伝いに歩いてくるのは、ほかならぬ、しもべ妖精ドビーの昔
の主人、ルシウス・マルフォイとその息子ドラコ、それに女性が一人、ハリーはドラコの母親だろ
うと思った。ホグワーツへの初めての旅からずっと、ハリーとドラコは敵同士だった。顎のとがっ
た青白い顔にプラチナ・ブロンドの髪のドラコは、父親に瓜二つだった。母親もブロンドで、背が
高くほっそりしている。
「なんて嫌な臭いなんでしょう」という表情さえしていなかったら、この母親は美人なのにと思わ
せた。
「ああ、ファッジ」
マルフォイ氏は魔法省大臣のところまでくると、手を差し出して挨拶をした。
「お元気ですかな?妻のナルシッサとは初めてでしたな?息子のドラコもまだでしたか?」
「これは、これは、お初にお目にかかります」
ファッジは笑顔でマルフォイ夫人にお辞儀した。
「御紹介致しましょう。こちらはオブランスク大臣、オバロンスクだったかな。ミスター、ええと、
とにかく、ブルガリア魔法大臣閣下です。どうせ私の言っている事は一言もわかっとらんのですか
ら、まあ、気にせずに。ええと、ほかには誰か、アーサー・ウィーズリー氏はご存知でしょう
な?」
一瞬、緊張が走った。ウィーズリー氏とマルフォイ氏がにらみ合った。
ハリーは最後に二人が顔を合わせた時の事をありありと覚えている。フローリッシュ・アンド・ブ
ロッツ書店だった。
二人は大喧嘩したのだ。マルフォイ氏の冷たい灰色の目がウィーズリー氏を一舐し、それから列の
端から端までズイッと眺めた。
「これは驚いた、アーサー」
マルフォイ氏が低い声で言った。
「貴賓席の切符を手に入るのに、何をお売りになりましたかな?
お宅を売っても、それほどの金にはならんでしょうが?」
「アーサー、ルシウスは先ごろ、セントマンゴ魔法疾患傷害病院に、それは多額の寄付をしてくれ
てね。今日は私の客として招待なんだ」
マルフォイの言葉を聞いてもいなかったファッジが言った。
「それは、それは結構な」
ウィーズリーおじさんは無理に笑顔を取り繕った。マルフォイ氏の目が今度はハーマイオニーに
移った。
ハーマイオニーは怒りで少し赤くなったが、ひるまずにマルフォイ氏をにらみ返した。
マルフォイ氏が不快そうに口元をゆがめた理由を、ハリーはよく知っていた。
マルフォイ一族は「純血」である事を誇りにし、逆に、ハーマイオニーのようにマグルの血を引く
ものを下等だと見下していた。
しかし、魔法省大臣の目が光っているところでは、マルフォイ氏もさすがに何も言えない。
ウィーズリーおじさんにさげすむような会釈をすると、マルフォイ氏は自分の席まで進んだ。
ドラコはハリー、ロン、ハーマイオニーに小ばかにしたような視線を投げ、父親と母親に挟まれて
席についた。
「むかつく奴だ」
ハリー、ハーマイオニー、ロンの三人がピッチに目を戻したとき、ロンが声を殺して言った。次の
瞬間、ルード・バグマンが貴賓席に勢い良く飛び込んできた。
「その通りだ」ハリーもマルフォイを睨みながら言った。
「みなさん、よろしいかな?」
丸顔がつやつやと光り、まるで興奮したエダム・チーズさながらのバグマンが言った。
「大臣、ご準備は?」
「君さえよければ、ルード、いつでもいい」ファッジが満足げに言った。
ルードはさっと杖を取り出し、自分の喉にあてて一声「ソノーラス!」と呪文を唱え、満席のスタ
ジアムから沸き立つどよめきに向かって呼びかけた。その声は大観衆の上に響き渡り、スタンドの
隅々にまで轟いた。
「レディーズ・アンド・ジェントルメン。ようこそ!第四百二十二回、クィディッチ・ワールド
カップ決勝戦に、ようこそ!」
観衆が叫び、拍手した。何千という国旗が打ち振られ、お互いにハモらない両国の国歌が騒音をさ
らに盛り上げた。
貴賓席正面の巨大黒板が、最後の広告をさっと消し、今や、こう書いてあった。『ブルガリア:0
VSアイルランド:0』
「さて、前置きはこれくらいにして、早速御紹介しましょう。ブルガリア・ナショナルチームのマ
スコット!」
深紅一色のスタンドの上手からワッと歓声が上がった。
「いったい何を連れてきたのかな?」
ウィーズリーおじさんが席から身を乗り出した。
「あーっ!」
おじさんは急に眼鏡を外し、あわててローブでふいた。
「ヴィーラだ!」
「何ですか、ヴィー?」
百人のヴィーラがスルスルとピッチに現れ、ハリーの質問に答えを出してくれた。ヴィーラは女性
だった。
ハリーがこれまで見た事がないほど美しい。ただ、人間ではなかった。人間であるはずがない。
それじゃ、一体何だろうとハリーは一瞬考え込んだ。どうしてあんなに月の光のように輝く肌で、
風もないのにどうやってシルバー・ブロンドの髪をなびかせて。
しかし音楽が始まると、ハリーはヴィーラが人間だろうとなかろうと、どうでもよくなった。それ
ばかりか、何もかも、どうでもよくなった。ヴィーラが踊りはじめると、ハリーはすっかり心を奪
われ、頭からっぽで、ただ幸せだった。この世で大切なのは、ただヴィーラを見つめ続けている事
だけだった。ヴィーラが踊りをやめれば、恐ろしい事が起こりそうな気がする。
ヴィーラの踊りがどんどん速くなると、ぼーっとなってハリーの頭の中で、まとまりのない、何か
はげしい感情が駆け巡り始めた。何か派手な事をしたい。今すぐ。ボックス席からピッチに飛び降
りるのもいいかもしれない。でも、それで十分目立つだろうか?
「ハリー、あなたいったい何してるの?」
遠くのほうでハーマイオニーの声がした。音楽がやんだ。ハリーは目を瞬いた。ハリーは椅子から
立ち上がって、片足をボックス席の前の壁にかけていた。隣でロンが、飛び込み台からまさに飛び
込むばかりの格好で固まっていた。
スタジアム中に怒号が飛んでいた。群衆は、ヴィーラの退場を望まなかった。ハリーも同じだった。
もちろん、僕はブルガリアを応援するはずなのに、どうしてアイルランドのシャムロック、三つ葉
のクローバーなんかを胸に刺してるんだろう。ハリーはぼんやりとそう思った。一方ロンも、無意
識に自分の帽子のシャムロックをむしっていた。ウィーズリーおじさんが苦笑いしながらロンの方
に身を乗り出して、帽子をひったくった。
「きっとこの帽子が必要になるよ。アイルランド側のショーが終わったからね」
おじさんが言った。
「はぁー?」
ロンは口を開けてヴィーラに見入っていた。ヴィーラは今はもう、ピッチの片側に整列していた。
ハーマイオニーは大きく舌打ちし、「全く、もう!」と言いながら、ハリーの腕に手を伸ばして、
席に引き戻した。
「さて、次は」
ルード・バグマンの声が轟いた。
「どうぞ、杖を高く掲げてください。アイルランド・ナショナルチームのマスコットに向かっ
て!」
次の瞬間、大きな碧と金色のすい星のようなものが、競技場に音を立てて飛び込んできた。上空を
一周し、それから二つに分かれ、少し小さくなったすい星が、それぞれ両端のゴールポストに向
かってヒューッと飛んだ。突然、二つの光の玉を結んで競技場にまたがる虹の橋がかかった。
観衆は花火を見ているように、「オォォォォーッ」「アァァァーッ」と歓声をあげた。虹が薄れる
と、二つの光の玉は再び合体し、一つになった。今度は輝く巨大なシャムロック、クローバーを形
づくり、空高く昇り、スタンドの上空に広がった。すると、そこから金色の雨のようなものが降り
始めた。
「すごい!」
ロンが叫んだ。シャムロックは頭上に高々と昇り、金貨の大雨を降らせていた。金貨の雨粒が観客
の頭と言わず客席と言わず、当たって撥ねた。眩しげにシャムロックを見上げたハリーは、それが
顎鬚を生やした何千という小さな男達の集まりだと気づいた。みんな赤いチョッキを着て、手に手
に金色か緑色の豆ランプを持っている。
「レプラコーンだ!」
群衆の割れるような大喝采を縫って、ウィーズリーおじさんが叫んだ。金貨を拾おうと、いすの下
を探し回り、奪い合っている群集がたくさんいる。
「ほーら」
金貨を一つかみハリーの手に押しつけながら、ロンがうれしそうに叫んだ。
「オムニオキュラーの分だよ!これで君、僕にクリスマスプレゼントを買わないといけないぞ、
やーい」
巨大なシャムロックが消え、レプラコーンはヴィーラとは反対側のピッチに降りてきて、試合観戦
のため、あぐらをかいて座った。
「さて、レディース・アンド・ジェントルメン。どうぞ拍手を。ブルガリア・ナショナルチームで
す!御紹介しましょう。ディミトロフ!」
ブルガリアのサポーターたちの熱狂的な拍手に迎えられ、後期に乗った真っ赤なローブ姿が、遥か
下方の入場口からピッチに飛び出した。あまりの速さに、姿がぼやけて見えるほどだ。
「イワノバ!」
二人目の選手の深紅のローブ姿はたちまち飛び去った。
「ゾグラフ!レブスキー!ボルチャノフ!ボルコフ!そしてぇぇぇぇ、クラム!」
「クラムだ、クラムだ!」
ロンがオムニオキュラーで姿を追いながら叫んだ、ハリーも急いでオムニオキュラーの焦点を合わ
せた。
ビクトール・クラムは、色黒で黒髪のやせた選手で、大きな曲った鼻に濃い黒い眉をしていた。育
ち過ぎた猛禽類のようだ。まだ十八歳だとはとても思えない。
「では、みなさん、どうぞ拍手を。アイルランド・ナショナルチーム!」
バグマンが声を張り上げた。
「御紹介しましょう、コノリー!ライアン!トロイ!マレット!モラン!クィグリー!
そしてぇぇぇぇ、リンチ!」
七つの緑の影が、さっと横切りピッチへと飛んだ。ハリーはオムニオキュラーの横の小さなつまみ
を回し、選手の動きをスローモーションにして、やっと箒に「ファイアボルト」の字を読みとった。
選手の背中にそれぞれの名前が銀の糸で刺繍してある。
「そしてみなさん、はるばるエジプトからおいでの我らが審判、国際クィディッチ連盟の名チェア
魔ン、ハッサン・モスタファー!」
やせこけた小柄な魔法使いだ。つるつるに禿げているが、口髭はバーノンおじさんといい勝負だ。
スタジアムにマッチした純金のローブを着て堂々とピッチに歩み出た。口ひげの下から銀のホイッ
スルが突出し、大きな木箱を片方の手に抱え、もう片方で箒を抱えている。ハリーは万眼鏡のス
ピードダイヤルを元に戻し、モスタファーが箒に跨り木箱を蹴って開けるところをよく見た。四個
のボールが勢いよく外に飛び出した。真っ赤なクアッフル、黒いブラッジャーが二個、そして、羽
のある小さな金のスニッチ。(ハリーほんの一瞬、それを目撃した、あっと言う間に見失った)
ホイッスルを鋭く一吹きし、モスタファーはボールに続いて空中に飛び出した。
「試合、開始!」バグマンが叫んだ。
「さあ、あれはマレット!トロイ!モラン!ディミトロフ!、またマレット!トロイ!レブス
キー!モラン!」
ハリーは、こんなクィディッチの試合ぶりは見た事がなかった。万眼鏡にしっかりと目を押しつけ
ていたので、眼鏡の縁が鼻柱に食い込んだ。選手の動きが、信じられないほど速い。チェイサーが
クアッフルを投げ合うスピードが早すぎて、バグマンは名前をいうだけで精いっぱいだ。
ハリーは万眼鏡の右横の「スロー」のつまみをもう一度回し、上についている「一場面ずつ」のボ
タンを押した。するとたちまちスローモーションに切変わった。その間、レンズはきらきらした紫
の文字が明滅し、歓声が耳にビンビン響いてきた。
「ホークスヘッド攻撃フォーメーション」ハリーは文字を読んだ。アイルランドのチェイサー三人
が固まり、トロイを真ん中にして、少し後ろをマレットとモランが飛び、ブルガリア陣に突っ込ん
で行った。次に「ポルスコフの計略」の文字が明滅した。トロイがクアッフルを持ち、ブルガリア
のチェイサー、イワノバを誘導して急上昇したかのように見せかけながら、下を飛んでいたモラン
にクアッフルを落とすようにパスした。ブルガリアのビーターの一人、ボルコフが手にした小さな
棍棒で、通過中のブラッジャーをモランの行く手めがけて強打した。モランがひょいとブラッ
ジャーを交わした途端、クアッフルを取り落し、下から上がってきたレブスキーがそれをキャッチ
した。
「トロイ、先取点!」
バグマンの声が轟き、スタジアムは拍手と歓声の大音響に揺れ動いた。
「十対〇、アイルランドのリード!」
「えっ?」
ハリーは万眼鏡であたりをグルグル見回した。
「だって、レブスキーがクアッフルを取ったのに!」
「ハリー、普通のスピードで観戦しないと、試合を見逃すわよ!」
ハーマイオニーが叫んだ。トロイが競技場を一周するウィング飛行しているところで、ハーマイオ
ニーはピョンピョン飛びあがりながら、トロイに向かって両手を大きく振っていた。
ハリーは急いで万眼鏡をずらして外を見た。サイドラインの外側で試合を見ていたレプラコーンが、
またもや中に舞い上がり、輝く巨大なシャムロックを形作った。ピッチの反対側で、ヴィーラが不
機嫌な顔でそれを見ていた。
ハリーは自分に腹を立てながらスピードのダイヤルを元に戻した。その時、試合が再開された。ハ
リーもクィディッチについてはいささかの知識があったので、アイルランドのチェイサーたちがと
びきり素晴らしい事がわかった。一糸乱れぬ連係プレー。まるで互いの位置関係で互いの考えを読
み取っているかのようだった。針の胸の緑のロゼットが、甲高い声でひっきりなしに三人の名を呼
んだ。
「トロイ、マレット、モラン!」
最初の十分で、アイルランドはあと二回得点し、三〇対〇と点差を広げた。緑一色のサポーターた
ちから、雷鳴のような歓声と嵐のような拍手が湧き起こった。試合運びがますます速くなり、しか
も荒っぽくなった。ブルガリアのビーター、ボルコフとボルチャノフは、アイルランドのチェイ
サーに向かって思いっきり激しくブラッジャーを叩きつけ、三人の得意技を封じ始めた。チェイ
サーの結束が二度も崩されてばらばらにされた。ついにイワノバが敵陣を突破、キーパーのライア
ンをもかわしてブルガリア初のゴールを決めた。
「耳に指で栓をして!」
ウィーズリーおじさんが大声をあげた。ヴィーラが祝いの踊りを始めていた。ハリーも目を細めて
指で耳栓をした。ゲームに集中していたかった。数秒後、ピッチをちらりと見ると、ヴィーラはも
う踊りをやめ、クアッフルはまたブルガリアが持っていた。
「ディミトロフ!レブスキー!ディミトロフ!イワノバ。うおっ、これは!」
バグマンがうなり声をあげた。十万人の観衆が息を飲んだ。二人のシーカー、クラムとリンチが
チェイサーたちの真ん中を割って一直線にダイビングしていた。その早い事。飛行機からパラ
シュートなしにとび降りたかのようだった。ハリーは万眼鏡で落ちて行く二人を追い、スニッチは
どこにあるかと目を凝らした。
「地面に衝突するわ!」
隣でハーマイオニーが悲鳴をあげた。半分当たっていた。ビクトール・クラムは最後の一秒でかろ
うじてグイッと箒を引き上げ、クルクルと螺旋を描きながら飛び去った。ところがリンチはドスッ
という鈍い音をスタジアム中に響かせ、地面に衝突した。アイルランド側の昔から大きなうめき声
が上がった。
「馬鹿者!」ウィーズリーおじさんが呻いた。
「クラムはフェイントをかけたのに!」
「タイムです!」
バグマンが声を張りあげた。
「エイダン・リンチの様子を見るため、専門の魔法医が駆け付けています!」
「大丈夫だよ。衝突しただけだから!」
真っ青になってボックス席の手摺から身を乗り出しているジニーに、チャーリーが慰めるように
言った。
「もちろん、それがクラムの狙いだけど」
ハリーは急いで「再生」と「一場面ごと」のボタンを押し、スピード・ダイヤルを回し、再び万眼
鏡をのぞきこんだ。ハリーは、クラムとリンチがダイブするところを、スローモーションで見た。
レンズを横断して紫に輝く文字が現れた。
「ウロンスキー・フェイント、シーカーを引っ掛ける危険技」と読める。
間一髪でダイブから上昇に転ずるとき、全神経を集中させ、クラムの顔が歪むのが見えた。
一方リンチはペシャンコになっていた。ハリーはやっとわかった。クラムはスニッチを見つけたの
ではない。
ただリンチについてこさせたかっただけなのだ。こんなふうに飛ぶ人を、ハリーは今まで見た事が
なかった。
クラムはまるで箒などを使っていないかのように飛ぶ。自由自在に軽々と、まるで無重力で何の支
えもなく空中を飛んでいるかのようだ。ハリーは万眼鏡を元に戻し、クラムに焦点を合わせた。
今は、リンチ遥か上を輪を描いて飛んでいる。リンチは魔法医に魔法薬を何杯も飲まされて、蘇生
しつつあった。
ハリーはさらにクラムの顔をアップにした。クラムの暗い目が、三十メートル下のグラウンドを
隅々まで走っている。
リンチが蘇生するまでの時間を利用して、邪魔される事なくスニッチを探しているのだ。リンチが
やっと立ち上がった。
緑を纏ったサポーター達がワッと沸いた。リンチはファイアボルトに跨り、地を蹴って空へと戻っ
た。
リンチが回復した事で、アイルランドは心機一転したようだった。モスタファーが再びホイッスル
を鳴らすと、チェイサーが、今までハリーの見たどんな技も比べ物にならないようなすばらしい動
きを見せた。
それからの十五分、試合はますます速く、激しい展開を見せ、アイルランドが勢いづいて十回の
ゴールを決めた。
一三〇対一〇とアイルランドがリードして、試合は次第に泥仕合になってきた。マレットがクアッ
フルをしっかり抱え、またまたゴールめがけて突進すると、ブルガリアのキーパー、ゾグラフが飛
び出し、彼女を迎え撃った。
何が起こったやら、ハリーの見る間も与えず、あっという間の出来事だったが、アイルランド応援
団から怒りの叫びが上がった。モスタファーが鋭く、長くホイッスルを吹き鳴らしたので、ハリー
は今のは反則だとわかった。
「モスタファーがブルガリアのキーパーから反則をとりました。”コビング”です。過度な肘の使
用です!」
どよめく観衆に向かって、バグマンが解説した。
「そして、よーし、アイルランドがペナルティー・スロー!」
マレットが反則を受けたとき、怒れるスズメバチの大軍のようにキラキラ輝いて空中に舞い上がっ
ていた
レプラコーンが、今度は素早く集まって空中文字を書いた。
「ハッ!ハッ!ハッ!」
ピッチの反対側にいたヴィーラがパッと立ち上がり、怒りに髪を打ち振り、再び踊り始めた。
ウィーズリー家の男の子とハリーはすぐに指で耳栓をしたが、そんな心配のないハーマイオニーが、
すぐにハリーの腕を引っ張った。ハリーが振り向くと、ハーマイオニーはもどかしそうにハリーの
指を耳から引き抜いた。
「審判を見てよ!」
ハーマイオニーはクスクス笑っていた。ハリーが見下ろすと、ハッサン・モスタファー審判が踊る
ヴィーラの真ん前に降りて、何ともおかしな仕草をしていた。腕の筋肉をモリモリさせたり、夢中
で口髭を撫でつけたりしている。
「さーて、これは放ってはおけません」
そう言ったものの、バグマンは面白くてたまらないという声だ。
「誰か、審判をひっぱたいてくれ!」
魔法医の一人がピッチの向こうから大急ぎで駆けつけ、自分が指でしっかり耳栓をしながら、モス
タファーの向こう脛をこれでもかとばかりに蹴飛ばした。モスタファーはハッと我に返ったよう
だった。
ハリーがまた万眼鏡を覗いて見ると、審判が思いっきりバツの悪そうな顔で、ヴィーラを怒鳴りつ
けていた。ヴィーラは踊るのをやめ、反抗的な態度をとっていた。
「さあ、わたしの目に狂いが無ければ、モフタファーはブルガリア・チームのマスコットを本気で
退場させようとしているようであります」
バグマンの声が響いた。
「さーて、こんな事は前代未聞。ああ、これは面倒な事になりそうです」
なりそうどころか、そうなってしまった。ブルガリアのビーター、ボルコフとボルチャノフが、モ
スタファーの両脇に着地し、身ぶり手振りでレプラコーンの方を指さし、激しく抗議し始めた。レ
プラコーンは今や上機嫌で「ヒー、ヒー、ヒー」の文字になっていた。モスタファーはブルガリア
の抗議に取り合わず、人差し指を何度も空中に突き上げていた。飛行体制に戻るように言っている
に違いない。二人が拒否すると、モスタファーはホイッスルを短く二度吹いた。
「アイルランドにペナルティー二つ!」
バグマンが叫んだ。ブルガリアの応援団が怒って喚いた。
「さあ、ボルコフ、ボルチャノフは箒に載った方が良いようです。よーし、載りました。そして、
トロイがクアッフルを手にしました」
試合は今や、これまで見た事がない事狂暴になってきた。両チームのビーターとも、なさけ容赦な
しの動きだ。
ボルコフ、ボルチャノフはとくに、棍棒をめちゃめちゃに振り回し、ブラッジャーにか当たろうが
選手に当たろうが見境無しだった。
ディミトロフがクアッフルを持ったモランめがけて体当たりし、彼女は危うく箒から突き落とされ
たそうになった。
「反則だ!」
アイルランドの応援団が、緑の波がうねるように次々と立ち上がり、一斉に叫んだ。
「反則!」
魔法で拡声されたルード・バグマンの声が鳴り響いた。
「ディミトロフが接触しかけた。わざとぶつかるように飛びました。これはもうひとつペナル
ティーをとらなといけません。よーし、ホイッスルです!」
レプラコーンがまた空中に舞い上がり、今度は巨大な手の形になり、ヴィーラに向かって、ピッチ
いっぱいに下品なサインをしてみせた。これにはヴィーラも自制心を失った。
ピッチの向こうから襲撃をかけ、レプラコーンに向かって火の玉のようなものを投げつけ始めた。
万眼鏡で覗いていたハリーには、ヴィーラが今やどう見ても美しいとはいえない事がわかった。
それどころか、顔は伸びて、鋭い、獰猛なくちばしをした鳥の頭になり、鱗に覆われた長い翼が肩
から飛び出していた。
「ほら、お前たち、あれをよく見なさい」
下の観客席から大喧騒にも負けない声で、ウィーズリーおじさんが叫んだ。
「だから、外見だけにつられてはダメなんだ!」
魔法省の役人が、ヴィーラとレプラコーンを引き離すのに、ドヤドヤとグラウンドに繰り出したが、
手におえなかった。
一方、上空での激戦に比ればグラウンドの戦いなど物の数ではない。ハリーは万眼鏡で目を凝らし、
あっちへこっちへと首を振った。何しろ、クアッフルが弾丸のような速さで手から手へと渡る。
「レブスキー、ディミトロフ、モラン、トロイ、マレット、イワノバ、またモラン、モラン、モラ
ンが決めたぁ!」
しかし、アイルランド・サポーターの歓声も、ヴィーラの叫びや魔法省役人の杖から出る爆発音、
ブルガリア・サポーターの怒り狂う声でほとんど聞こえない。試合はすぐに再開した。今度はレブ
スキーがクアッフルを持っている。
そしてディミトロフ。アイルランドのビーター、クィグリーが、目の前を通るブラッジャーを大き
く打ち込み、クラムめがけて力の限り叩きつけた。クラムは避けそこない、ブラッジャーがしたた
か顔に当たった。
競技場がうめき声一色になった。クラムの鼻が折れたかに見え、そこら中に血が飛び散った。しか
し、モスタファー審判はホイッスルを鳴らさない。他の事に気をとられている。ハリーはそれも当
然だと思った。
ヴィーラの一人が投げた火の玉で、審判の箒の尾が火事になっていたのだ
誰かクラムがけがをした事に気づいて欲しい、とハリーは思った。アイルランドを応援してはいた
が、クラムはこの競技場で最高の、ワクワクさせてくれる選手だ。ロンもありと同じ思いらしい。
「タイムにしろ!ああ、早くしてくれ。あんなんじゃ、プレーできないよ。見て」
「リンチを見て!」ハリーが叫んだ。アイルランドのシーカーが急降下していた。これはウロンス
キー・フェイントなんかじゃないと、ハリーは確信があった。今度は本物だ。
「スニッチを見つけたんだよ!見つけたんだ!行くよ!」
観客の半分が、事態に気付いたらしい。アイルランドのサポーターが緑の波のように立ち上がり、
チームのシーカーに大声援を送った。しかし、クラムがピッタリ後ろについていた。クラムが自分
の行く先をどうやって見ているのか、ハリーには全くわからなかった。クラムの後に、点々と血が
尾を引いていた。それでもクラムは今やリンチと並んだ。二人が一対になって再びグラウンドに
突っ込んで行く。
「二人ともぶつかるわ!」ハーマイオニーが金切り声をあげた。
「そんな事はない!」ロンが大声をあげた。
「リンチがぶつかる!」ハリーが叫んだ。その通りだった。またもや、リンチが地面に激突し怒れ
るヴィーラの群れがたちまちそこに押し寄せた。
「スニッチ、スニッチはどこだ?」
チャーリーが列の向こうから叫んだ。
「とった、クラムが捕った。試合終了だ!」
ハリーが叫び返した。赤いローブを血に染め、血糊を輝やかせながら、クラムがゆっくりと舞い上
がった。高々と突き上げた拳の、その手の中に、金色のきらめきが見えた。大観衆の頭上にスコア
ボードが点滅した。『ブルガリア一六〇アイルランド一七〇』
何が起こったのか観衆にはのみこめていないらしい。
しばらくして、ゆっくりと、ジャンボ機が回転速度を上げていくように、アイルランドのサポー
ターのざわめきがだんだん大きくなり、歓喜の叫びとなって爆発した。
「アイルランドの勝ち!」
バグマンが叫んだ。アイルランド勢と同じく、バグマンもこの突然の試合終了に度肝を抜かれてい
た。
「クラムがスニッチを捕りました。しかし勝者はアイルランドです。何たる事。誰がこれを予想し
たでしょう!」
「クラムは一体何のためにスニッチを捕ったんだ?」
ロンはピョンピョン飛び跳ね、頭上で手を叩きながら大声で叫んだ。
「アイルランドが一六〇点もリードしているときに試合を終わらせるなんて、ヌケサク!」
「絶対に点差を縮められないってわかってたんだよ」
大喝采をしながら、ハリーは騒音に負けないように叫び返した。
「アイルランドのチェイサーが上手すぎたんだ。クラムは自分のやり方で終わらせたかったんだ。
きっと」
「あの人、とっても勇敢だと思わない?」
ハーマイオニーがクラムの着地するところを見ようと身を乗り出した。魔法医の大集団が、戦いも
たけなわのレプラコーンとヴィーラを吹っ飛ばして道を作り、クラムに近づこうとしていた。
「メチャメチャ重傷みたいだわ」
ハリーはまた万眼鏡を目に当てた。レプラコーンが大喜びでグラウンド中をブンブン飛んでいるの
で、下で何が起こっているのかなかなか見えない。やっとの事で魔法医にとり囲まれていたクラム
の姿をとらえた。
前にも増してムッツリした表情で、医師団が治療しようとするのを跳ねつけていた。
そのまわりでチームメイトががっくりした様子で首を振っている。その少し向こうでは、アイルラ
ンドの選手たちが、マスコットの降らせる金貨のシャワーを浴びながら、狂喜して踊っていた。
スタジアムいっぱいに国旗が打ち振られ、四方八方からアイルランド国歌が流れてきた。ヴィーラ
は意気消沈してみじめそうだったが、今は縮んで、元の美しい姿に戻っていた。
「まあ、ヴぁれヴぁれは、勇敢に戦った」
ハリーの背後で沈んだ声がした。振り返ると、声の主はブルガリア魔法大臣だった。
「ちゃんと話せるんじゃないですか!」ファッジの声が怒っていた。
「それなのに、一日中私にパントマイムをやらせて!」
「いや、ヴぉんとに面白かったです」
ブルガリア魔法大臣は肩をすくめた。
「さて、アイルランド・チームがマスコットを両脇に、グラウンド一周のウィニング飛行している
間に、クィディッチ・ワールドカップ優勝杯が貴賓席へと運び込まれます!」
バグマンの声が響いた。突然まばゆい白い光が射し、ハリーは目が眩んだ。貴賓席の中がスタンド
の全員に見えるよう魔法の照明が点いたのだ。目を細めて入口の方みると、二人の魔法使いが息を
切らしながら巨大な金の優勝杯を運び入れるところだった。
大優勝杯はコーネリウス・ファッジに手渡されたが、ファッジは一日中無駄に手話をさせられてい
た事を根に持って、まだブスッとしていた。
「勇猛果敢な敗者に絶大な拍手を。ブルガリア!」バグマンが叫んだ。
すると、敗者のブルガリア選手七人が、階段をのぼってボックス席へ入ってきた。
スタンドの観衆が、称賛の拍手を贈った。ハリーは、何千、何万という万眼鏡のレンズがこちらに
向けられ、チカチカ光っているのを見た。ブルガリア選手はボックス席の座席の間に一列に並び、
バグマンが選手の名前を呼びあげると、一人ずつブルガリア魔法大臣と握手し、次にファッジと握
手した。
列の最後尾がクラムで、まさにボロボロだった。顔は血まみれで、両目の周りに見事な黒いあざが
広がりつつあった。
まだしっかりとスニッチを握っている。地上ではどうもギクシャクしているとハリーは思った。O
脚気味だし、はっきり猫背だ。
それでも、クラムの名が呼びあげられると、スタジアム中がわっと鼓膜が破れんばかりの大歓声を
贈った。それからアイルランド・チームが入ってきた。エイダン・リンチはモランとコノリーに支
えられている。
二度目の激突で目を回したままらしく、目がうろうろしている。それでも、トロイとクィグリーが
優勝杯を高々と掲げ、下の観客席から祝福の声が轟き渡ると、嬉しそうににっこりした。
ハリーは拍手のしすぎで手の感覚がなくなった。いよいよアイルランド・チームがボックス席を出
て、箒に乗り、もう一度ウィニング飛行を始めると、(エイダン・リンチはコノリーの箒の後に乗
り、コノリーの腰にしっかりしがみついていてまだボーッとあいまいに笑っていた)
バグマンは杖を自分の喉に向け、「クワイエタス!」と唱えた。
「この試合は、これから何年も語り草だろうな」
しゃがれた声でバグマンが言った。
「実に予想外の展開だった。実に、いや、もっと長い試合にならなかったのは残念だ。ああ、そう
か、そう、君達に借りが、いくらかな?」
フレッドとジョージが自分たちの座席の背を跨いで、ルード・バグマンの前に立っていた。顔中で
にっこり笑い、手を突出して。

第九章闇の印

「賭けをしたなんて母さんには絶対に言うんじゃないよ」
紫の絨毯を敷いた階段を、皆でゆっくりおりながら、ウィーズリーおじさんがフレッドとジョージ
に哀願した。
「パパ、心配ご無用」
フレッドはウキウキしていた。
「このお金にはビッグな計画がかかってる。とりあげられたくわないさ」
ウィーズリーおじさんは、一瞬、ビッグな計画が何かと聞き出そうな様子だったが、かえって知ら
ない方が良いと考え直したようだった。まもなく一行は、スタジアムから吐きだされてキャンプ場
に向かう群集に巻き込まれてしまった。
ランタンに照らされた小道を引き返す道すがら、夜気が騒々しい歌声を運んできた。レプラコーン
はケタケタ高笑いしながら手にしたランタンを打ち振り、勢い良く一行の頭上を飛び交った。
やっとテントにたどり着いたときは、周りが騒がしい事もあり、誰もとても眠る気にはなれなかっ
た。ウィーズリーおじさんは寝る前にみんなでもう一杯ココアを飲む事を許した。
たちまち試合の話に花が咲き、ウィーズリーおじさんは反則技の「コビング」についてチャーリー
との議論にハマってしまった。ジニーが小さなテーブルに突っ伏して眠りこみ、そのはずみに、コ
コアを床にこぼしてしまったので、ウィーズリーおじさんもやっと舌戦を中止し、全員もう寝なさ
いと促した。
ハーマイオニーはジニーを支え隣のテントに行き、ハリーはウィーズリー一家と一緒にパジャマに
着替えて二段ベッドの上に登った。キャンプ場の向こうハズレから、まだまだ歌声が聞こえ、バー
ンという音が時々響いてきた。
「やれやれ、非番でよかった」
ウィーズリーおじさんが眠そうにつぶやいた。
「アイルランド勢にお祝い騒ぎを止めろ、なんて言いに行く気がしないからね」
ハリーはロンの上の段のベッドに横になり、天井を見つめ、時々頭上を飛んで行くレプラコーンの
ランタンの明かりを眺めては、クラムのすばらしい動きの数々を思い出していた。ファイアボルト
に乗ってウロンスキー・フェイントを試してみたくてウズウズした。オリバー・ウッドはゴニョゴ
ニョ動く戦略図をさんざん描いてはくれたが、なぜかこの技がどんなものかをうまく伝える事がで
きなかった。ハリーは背中に自分の名前を書いたローブを着ていた。十万人の観衆が歓声を上げる
のが聞こえるような気がする。ルード・バグマンの声がスタジアムに鳴り響いた。
「ご紹介しましょう、ポッター!」
本当に眠りに落ちたのかどうか、ハリーには分からなかった。クラムのように飛びたいという夢が、
いつの間にか本物の夢に変わっていたのかもしれない。はっきりわかっているのは、突然ウィーズ
リーおじさんが叫んだ事だ。
「起きなさい!ロン、ハリー。さあ、起きて。緊急事態だ!」
飛び起きた途端、ハリーはテントに頭のてっぺんをぶつけた。
「どうしたの?」
ハリーは、ぼんやりと、何かがおかしいと感じ取った。キャンプ場の騒音が様変わりし、歌声はや
んでいた。人々の叫び声、走る音が聞こえた。ハリーはベッドから滑り降り、洋服に手を伸ばした。
「ハリー、時間がない。上着だけ持って外に出なさい、早く!」
もうパジャマの上にジーンズをはいていたウィーズリーおじさんが言った。ハリーは言われたとお
りにして、テントを飛び出した。すぐあとにロンが続いた。まだ残っている火の明かりで、みんな
が追われるように森へと駆け込んで行くのが見えた。
キャンプ場の向こうから何かが奇妙な光を発射し、大砲のような音を立てながらこちらに向かって
くる。大声でやじり、笑い、酔ってわめき散らす声がだんだん近づいてくる。
そして、突然強烈な緑色の光が炸裂し、当りが照らしだされた。魔法使いたちが一塊になって、杖
を一斉に真上に向け、キャンプ場を横切り、ゆっくりと行進してくる。ハリーは目を凝らした。魔
法使いたちの顔がない。いや、フードをかぶり、仮面をつけている。
そのはるか頭上に、宙に浮かんだ四つの影が、グロテスクな形にゆがめられ、もがいている。仮面
の一団が人形遣いのように、杖から宙に延びた見えない糸で人形を浮かせて、地上から操っている
かのようだった。
四つの影のうち二つはとても小さかった。段々多くの魔法使いが、浮かぶ影を指さし、笑いながら、
次々と行進に加わった。
行進する群れが膨れ上がると、テントは潰され、倒された。行進しながら行く手のテントを杖で吹
き飛ばすのを、ハリーは一、二度目撃した。火がついたテントもあった。叫び声がますます大きく
なった。燃えるテントの上を通過するとき、宙に浮いた姿が急に照らしだされた。ハリーはその一
人に見覚えがあった。キャンプ場管理人のロバーツさんだ。
あとの三人は、奥さんと子供たちだろう。行進中の一人が、杖で奥さんをさかさまにひっくり返し
た。ネグリジェがめくれて、だぶだぶしたズロースがむき出しになった。奥さんは隠そうともがい
たが、下の群集は大喜びでギャーギャー、ピーピーはやしたてた。
「むかつく」
一番小さい子供のマグルが、首を左右にグラグラさせながら、二十メートル上空でコマのように回
り始めたのを見て、ロンがつぶやいた。
「本当、むかつく」
ハーマイオニーとジニーが、ネグリジェの上にコートを引っかけて急いでやってきた。その後に
ウィーズリーおじさんがいた。同時に、ビル、チャーリー、パーシーがちゃんと服を着て、杖を手
に袖をまくりあげて、男子用トイレから現れた。
「わたしらは魔法省を助太刀する」
騒ぎの中で、おじさんが腕まくりしながら声を張り上げた。
「お前たち、森へ入りなさい。バラバラになるんじゃないぞ。片がついたら迎えに行くから!」
ビル、チャーリー、パーシーは近づいてくる一団に向かって、もう駈けだしていた。ウィーズリー
おじさんもそのあとを急いだ。
魔法省の役人が四方八方から飛び出し、騒ぎの現場に向かっていた。ロバーツ一家を宙に浮かべた
一団が、ずんずん近づいてきた。
「さあ」
フレッドがジニーの手をつかみ、森の方に引っ張って行った。ハリー、ロン、ハーマイオニー、
ジョージがそれに続いた。森にたどり着くと、全員が振り返った。ロバーツ一家の下にいる群衆は
これまでより大きくなっていた。
魔法省の役人が、なんとかして中心にいるフードをかぶった一団に近づこうとしているのが見えた。
苦戦している。ロバーツ一家が落下してしまう事を恐れて、何の魔法も使えずにいるらしい。
競技場への小道を照らしていた色とりどりのランタンは既に消えていた。木々の間を黒い影がまご
まごと動き回っていた。子供達が泣き喚いている。ひんやりとした夜気を伝って、不安げに叫ぶ声、
恐怖におののく声が、ハリーたちの回りに響いている。
ハリーは顔も見えない誰かに、あっちへこっちへと押されているのを感じた。その時、ロンが痛そ
うに叫ぶ声が聞こえた。
「どうしたの?」
ハーマイオニーが心配そうに聞いた。ハリーは出し抜けに立ち止まったハーマイオニーにぶつかっ
てしまった。
「ロン、どこなの?ああ、こんなバカな事やってられないわ。ルーモス!」
ハーマイオニーは杖明かりを点し、その細い光を小道に向けた。ロンが地面にはいつくばっていた。
「木の根につまずいた」
ロンが腹ただしげに言いながら立ち上がった。
「まあ、そのデカ足じゃ、無理もない」背後で気取った声がした。ハリー、ロン、ハーマイオニー
はきっと振り返った。すぐ側に、ドラコ・マルフォイが一人で立っていた。木に寄りかかり、平然
とした様子だ。
腕組みをしている。木の間からキャンプ場の様子をずっと眺めていたらしい。ロンはマルフォイに
向かって悪態をついた。ウィーズリーおばさんの前ではロンは決してそんな言葉を口にしないだろ
う、とハリーは思った。
「言葉に気をつけるんだな。ウィーズリー」
マルフォイの薄青い目がギラリと光った。
「君たち、急いで逃げた方がいいんじゃないのかい?その女が見つかったら困るんじゃないの
か?」
マルフォイはハーマイオニーの方を顎でしゃくった。ちょうどその時、爆弾の破裂するような音が
キャンプ場から聞こえ、緑色の閃光が一瞬周囲の木々を照らした。
「それ、どういう意味?」
ハーマイオニーが食ってかかった。
「グレンジャー、連中はマグルを狙っている。空中で下着を見せびらかしたいかい?
それだったら、ここにいればいい。連中はこっちへ向かっている。みんなでさんざん笑ってあげる
よ」
「ハーマイオニーは魔女だ」ハリーが凄んだ。
「勝手にそう思っていればいい。ポッター」
マルフォイが意地悪くにやりと笑った。
「連中が”穢れた血”を見つけられないとでも思うなら、そこにじっとしていればいい」
「口を慎め!」ロンが叫んだ。
「穢れた血」がマグル血統の魔法使いや魔女を侮辱する嫌な言葉だという事は、その場にいた全員
が知っていた。
「気にしないで、ロン」
マルフォイの方に一歩踏み出したロンの腕を押さえながら、ハーマイオニーが短く言った。
森の反対側で、これまでよりずっと大きな爆発音がした。周りにいた数人が悲鳴を上げた。
マルフォイはせせら笑った。「臆病な連中だねぇ?」気だるそうな言い方だ。
「君のパパが、みんな隠れるようにって言ったんだろう?
いったい何を考えているやら。マグルたちを助けだすつもりかねぇ?」
「そっちこそ、君の親はどこにいるんだ?」ハリーは熱くなっていた。
「あそこに、仮面をつけているんじゃないのか?」
マルフォイはハリーの方に顔を向けた。ほくそ笑んでまま。
「さあ、そうだとしても、僕は君に教えてあげるわけはないだろう?ポッター」
「さあ、行きましょうよ」
ハーマイオニーが、嫌な奴、という眼つきでマルフォイを見た。
「さあ、ほかの人たちを探しましょ」
「そのでっかちのボサボサ頭をせいぜい低くしているんだな、グレンジャー」
マルフォイが嘲った。
「行きましょうったら!」
ハーマイオニーはもう一度そう言うと、ハリーとロンを引っ張って、また小道に戻った。
「あいつの父親はきっと仮面団の中にいる。かけてもいい!」ロンはカッカしていた。
「そうね。うまくいけば、魔法省が取っ捕まえてくれるわ!」
ハーマイオニーも激しい口調だ。
「まあ、いったいどうしたのかしら。あとの三人はどこに行っちゃったの?」
小道は不安げにキャンプ場の騒ぎを振り返る人でびっしり埋まっているのに、フレッド、ジョージ、
ジニーの姿はどこにも見当たらない。道の少し先で、パジャマ姿のティーンエイジャーたちが固
まって、何かやかましくいい争っている。ハリー、ロン、ハーマイオニーを見つけると、豊かな巻
き毛の女の子が振り向いて早口に話しかけた。
「ウエマダムマクシーム?ヌラヴォンペルデュー(マクシーム先生はどこに行ったのかしら?
先生を見失ってしまったわ)」
「え、なに?」ロンが言った。
「オゥ」
女の子はくるりとロンに背を向けた。三人が通り過ぎるとき、その子が「オグワーツ(ホグワーツ
よ)」というのがはっきり聞こえた。
「ボーバトンだわ」ハーマイオニーがつぶやいた。
「え?」ハリーが聞いた。
「きっとボーバトン校の生徒たちだわ。ほら、ボーバトン魔法アカデミー。私、”ヨーロッパにお
ける魔法教育の一考察”でその事読んだわ」
「あ、うん。そう」とハリー。
「フレッドもジョージもそう遠くへは行けないはずだ」
ロンが杖を引っ張り出し、ハーマイオニーと同じに明かりを点け、目を凝らして小道を見つめた。
ハリーも杖を出そうと上着のポケットを探った。しかし、杖はそこにはなかった。あるのは万眼鏡
だけだった。
「あれ、嫌だな。そんなはずは、僕、杖をなくしちゃったよ!」
「冗談だろ?」
ロンとハーマイオニーが杖を高く掲げ、細い光の先が地面に広がるようにした。ハリーはそのあた
りをくまなく探したが、杖はどこにも見あたらなかった。
「テントに置き忘れたかも」とロン。
「走ってるときにポケットから落ちたのかもしれないわ」
ハーマイオニーが心配そうに言った。
「ああ、そうかもしれない」とハリー。魔法界にいるときは、ハリーはいつも肌身離さず杖を持っ
ている。
こんな状況の真っただ中で杖なしでいるのは、とても無防備に思えた。ガサガサと音がして、三人
はとびあがった。
屋敷しもべ妖精のウィンキーが近くの潅木の茂みから抜け出そうともがいていた。
動き方が奇妙キテレツで見るからに動きにくそうだ。まるで、見えない誰かが後から引き留めてい
るようだった。
「悪い魔法使いたちがいる!」
前のめりになって懸命に走り続けようとしながら、ウィンキーはキーキー声で口走った。
「人が高く、空に高く!ウィンキーは退くのです!」
そしてウィンキーは、自分を引き留めている力と抵抗しながら、息を切らしキーキー声をあげ、小
道の向こう側の木立へと消えていった。
「いったいどうなってるの?」
ロンは、ウィンキーの後ろ姿をいぶかしげに目で追った。
「どうしてまともに走れないんだろう?」
「きっと、隠れてもいいっていう許可を取ってないんだよ」ハリーが言った。ドビーの事を思い出
していたのだ。マルフォイ一家の気に入らないかもしれない事をする時、ドビーはいつも自分を嫌
というほど殴った。
「ねえ、屋敷妖精って、とっても不当な扱いを受けてるわ!」
ハーマイオニーが憤慨した。
「奴隷だわ。そうなのよ!あのクラウチさんていう人、ウィンキーをスタジアムのてっぺんに行か
せて、ウィンキーはとても怖がっていた。その上、ウィンキーに魔法かけて、あの連中がテントを
踏みつけにし始めても逃げられないようにしたんだわ!
どうして誰も抗議しないの?」
「でも、妖精たち、満足してるんだろ?」ロンが言った。
「ウィンキーちゃんが競技場で言った事、聞いたじゃないか。”しもべ妖精は楽しんではいけない
のでございます”って。そういうのが好きなんだよ。振り回されてるのが」
「ロン、あなたのような人がいるから」
ハーマイオニーが熱くなり始めた。
「腐敗した、不当な制度を支える人たちがいるから。単に面倒だから、という理由で、なんにも」
森のはずれから、またしても大きな爆音が響いてきた。
「とにかく先へ行こう。ね?」
ロンがそう言いながら、気づかわしげにちらっとハーマイオニーを見たのを、ハリーは見逃さな
かった。
マルフォイの言った事も真実をついているかもしれない。ハーマイオニーが他の誰よりも本当に危
険なのかもしれない。
ハーマイオニーが襲われるのだけはごめんだとハリーは思った。
三人はまた歩き出した。杖がポケットにはない事を知りながら、ハリーはまだそこを探っていた。
暗い小道を、フレッド、ジョージ、ジニーを探しながら、三人はさらに森の奥へと入っていった。
途中、ゴブリンの一団を追い越した。金貨の袋を前に高笑いしている。きっと試合の賭けで勝った
に違いない。
キャンプ場のトラブルなど全くどこ吹く風という様子だった。さらに進むと、銀色の光を浴びた一
角に入り込んだ。
木立の間から覗くと、開けた場所に三人の背の高い美しいヴィーラが立っていた。
若い魔法使いたちがそれを取り巻いて、声を張り上げ、口々にガーガー話している。
「僕は、一年にガリオン金貨百袋稼ぐ」一人が叫んだ。
「我こそは”危険生物処理委員会”のドラゴン・キラーなのだ」
「いや、違うぞ」
その友人が声を張り上げた。
「君は”漏れ鍋”の皿洗いじゃないか。ところが、僕は吸血鬼ハンターだ。我こそは、これまで約
九十の吸血鬼を殺せし」
言葉を遮った三人目の若い魔法使いは、ヴィーラの放つ銀色の薄明かりにもはっきりとニキビの跡
が見えた。
「俺はまもなく、今までで最年少の魔法省大臣になる。なるってったらなるんでえ」
ハリーはプッと吹き出した。にきびづらの魔法使いに見覚えがあった。
スタン・シャンパイクという名で、実は三階建ての「ナイトバス」の車掌だった。
ロンにそれを教えようと振り向くと、ロンの顔が奇妙に緩んでいた。次の瞬間、ロンが叫び出した。
「僕は木星まで行ける箒を発明したんだ。言ったっけ?」
「まったく!」
ハーマイオニーはまたかという声を出した。ハーマイオニーとハリーとでロンの腕をしっかり掴み、
回れ右させ、とっとと歩かせた。
ヴィーラとその崇拝者の声が完全に遠のいた頃、三人は森の奥深くに入り込んでいた。三人だけに
なったらしい。周囲がずっと静かになっていた。ハリーはあたりを見まわしながら言った。
「僕たち、ここで待てばいいと思うよ。ほら、何キロも先から人の来る気配も聞こえてくるし」
その言葉が終わらないうちに、ルード・バグマンがすぐ目の前の木の影から現れた。
二本の杖明かりから出るかすかな光のなかでさえ、ハリーはバグマンの変わり様をはっきり読み
取った。
あの陽気な表情も、薔薇色の顔色も消え、足取りは弾みがなく、真っ青で緊張していた。
「誰だ?」
バグマンは、目を瞬ながらハリーたちを見おろし、顔を見さだめようとした。
「こんなところで、ポツンと、いったい何をしているんだね?」
三人とも驚いて、互いに顔を見合わせた。
「それは、暴動のようなものが起こってるんです」ロンが言った。バグマンがロンを見つめた。
「なんと?」
「キャンプ場です。誰かがマグルの一家を捕えたんです」
「なんて奴らだ!」
バグマンは度を失い、大声でののしった。あとは一言も言わず、ポンという音と共にバグマンは
「姿くらまし」した。
「ちょっとズレてるわね、バグマンさんて。ね?」ハーマイオニーが顔をしかめた。
「でも、あの人、すごいビーターだったんだよ」
そう言いながら、ロンはみんなの先頭に立って小道をそれ、ちょっとした空き地へと誘い、木の根
元の乾いた草むらに座った。
「あの人がチームにいたときに、ウイムボーン・ワスプスが連続三回もリーグ優勝したんだぜ」
ロンはクラム人形をポケットから取り出し、地面にをおいて歩かせ、しばらくそれを見つめていた。
本物のクラムと同じに、人形はちょっとO脚で、猫背で、地上では箒に乗っているときのように
カッコ良くはなかった。
ハリーはキャンプ場からのもの音に耳を済ませた。しーんとしている。暴動が治まったのかもしれ
ない。
「みんな無事だといいけど」
しばらくしてハーマイオニーが言った。
「大丈夫さ」ロンが言った。
「君のパパがるルシウス・マルフォイを捕えたらどうなるかな」
ロンの隣に座り、クラム人形が落ち葉の上をとぼとぼと歩くのを眺めながら、ハリーが言った。
「おじさんは、マルフォイのしっぽをつかみたいって、いつもそうおっしゃっていた」
「そうなったら、あのドラコの嫌みなうす笑いも吹っ飛ぶだろうな」ロンが言った。
「でも、あの気の毒なマグルたち」
ハーマイオニーが心配そうに言った。
「降ろして上げられなかったら、どうなるのかしら?」
「降ろして上げるさ」ロンが慰めた。
「きっと方法を見つけるよ」
「でも今夜のように魔法省が総動員されているときにあんな事をするなんて、狂ってるわ」
ハーマイオニーが言った。
「つまりね、あんな事をしたら、ただじゃすまないじゃない?飲み過ぎたのかしら、それとも、単
に」
ハーマイオニーが突然言葉をきって、後ろを振り向いた。ハリーとロンも急いで振り返った。
誰かが、この空き地に向かってよろよろとやってくる音がする。三人は暗い木々の影から聞こえる
不規則な足音に耳を済ませ、じっと待った。突然足音が止まった。
「誰かいますか?」ハリーが呼びかけた。しーんとしている。ハリーは立ちあがって木の陰の向こ
うをうかがった。
暗くて遠くまでは見えない。それでも目の届かないところに誰かが立っているのが感じられた。
「どなたですか?」ハリーが聞いた。すると何の前触れもなく、この森では聞き覚えのない声が静
寂を破った。その声は恐怖にかられた叫びではなく、呪文のような音を発した。
「モースモードル!」
すると巨大な緑色に輝く何かが、ハリーが必死に見透かそうとしていたあたりの暗闇から立ち上
がった。それは木々の梢を突き抜け空へと舞い上がった。
「あれは、いったい?」
ロンが弾けるように立ち上がり息を飲んで空に現れたものを凝視した。
一瞬ハリーは、それがまたレプラコーンの描いた文字かと思った。しかしすぐ違うと気づいた。巨
大な髑髏だった。
エメラルドいろの星のようなものが集まって描く髑髏の口から舌のように蛇が這い出していた。
見る間にそれは高く上がり、緑がかったもやを背負ってあたかも新星座のように輝き、真っ暗な空
にギラギラと刻印を押した。
突然、周囲の森から爆発的な悲鳴が上がった。ハリーにはなぜ悲鳴があがるのか分からなかった。
ただ唯一考えられる原因は、急に現れた髑髏だ。今や髑髏は気味の悪いネオンのように森全体を照
らすほど高く上がっていた。
誰が髑髏を出したのかと、ハリーは闇に目を走らせた。しかし誰も見あたらなかった。
「誰かいるの?」ハリーはもう一度声をかけた。
「ハリー、早く。行くのよ!」
ハーマイオニーがハリーの上着をつかみグイッと引き戻した。
「いったいどうしたんだい?」
ハーマイオニーが蒼白な顔で震えているのを見てハリーは驚いた。
「ハリー、あれ、”闇の印”よ!」
ハーマイオニーは力の限りハリーを引っ張りながら呻く様に言った。
「”例のあの人”の印よ!」
「ヴォルデモートの?」
「ハリー、とにかく急いで!」
ハリーは後ろを向いた。ロンが急いでクラム人形を拾いあげるところだった。
三人は空き地を出ようとしたが、急いだ三人がほんの数歩も行かないうちに、ポンポンと立て続け
に音がしてどこからともなく二十人の魔法使いが現れ三人を包囲した。ぐるりと周りを見回した瞬
間ハリーは、ハッとある事に気づいた。
包囲した魔法使いが手に手に杖を持ち、一斉に杖先をハリー、ロン、ハーマイオニーに向けている
のだ。考える余裕もなくハリーは叫んだ。
「伏せろ!」
ハリーは二人をつかんで地面に引きおろした。
「麻痺せよ!」
二十人の声が轟いた。目の眩むような閃光が次々と走り、空き地を突風が吹きぬけたかのように、
ハリーは髪の毛が波打つのを感じた。わずかに頭を上げたハリーは、包囲陣の杖先から炎のような
赤い光が迸るのを見た。光は互いに交錯し木の幹にぶつかりはねかえって闇のなかへ。
「やめろ!」聞き覚えのある声が叫んだ。
「やめてくれ!私の息子だ!」
ハリーの髪の波立ちが治まった。頭をもう少し高くあげてみた。目の前の魔法使いが杖をおろした。
身を捩るとウィーズリーおじさんが真っ青になって大股でこちらにやってくるのが見えた。
「ロン、ハリー」おじさんの声が震えていた。
「ハーマイオニー、みんな無事か?」
「どけ、アーサー」無愛想な冷たい声がした。クラウチ氏だった。魔法省の役人たちと一緒に、じ
りじりと三人の包囲網を狭めていた。ハリーは立ちあがって包囲陣と向かい合った。クラウチ氏の
顔が怒りで引きつっていた。
「誰がやった?」
刺すような目で三人を見ながら、クラウチ氏がバシリと言った。
「お前たちの誰が”闇の印”を出したのだ?」
「僕たちがやったんじゃない!」ハリーは髑髏を指さしながら言った。
「僕たち、なんにもしてないよ!」ロンはひじをさすりながら憤然として父親を見た。
「なんのために僕たちを攻撃したんだ?」
「白々しい事を!」クラウチ氏が叫んだ。杖をまだロンに突きつけたまま、目が飛び出している。
狂気じみた顔だ。
「お前たちは犯罪の現場にいた!」
「バーティ」長いウールのガウンを着た魔女がささやいた。
「みんな子供じゃないの。バーティ、あんな事ができるはずは」
「お前たち、あの印はどこから出てきたんだね?」ウィーズリーおじさんが素早く聞いた。
「あそこ」ハーマイオニーは声の聞こえたあたりを指さし、震え声で言った。
「木立の陰に誰かがいたわ。何か叫んだの、呪文を」
「ほう。あそこに誰かが立っていたというのかね?」
クラウチ氏が飛び出した目を今度はハーマイオニーに向けた。顔じゅうにありありと「誰が信じる
ものか」と書いてある。
「呪文を唱えたというのかね?お嬢さん、あの印をどうやって出すのか、大変よくご存知のよう
だ」
しかし、クラウチ氏以外は魔法省の誰も、ハリー、ロン、ハーマイオニーがあの髑髏を作り出すな
ど、到底あり得ないと思っているようだった。ハーマイオニーの言葉を聞くとみんなまた一斉に杖
をあげ暗い木立の間をすかすように見ながら、ハーマイオニーの指さした方向に杖を向けた。
「遅すぎるわ」ウールのガウン姿の魔女が頭を振った。
「もう”姿くらまし”しているでしょう」
「そんな事はない」
茶色いゴワゴワ髯の魔法使いが言った。セドリックの父親、エイモス・ディゴリーだった。
「”失神光線”があの木立を突き抜けた。犯人にあたった可能性は大きい」
「エイモス、気をつけろ!」
肩をそびやかし杖を構え、空き地を通り抜けて暗闇へと突き進んでいくディゴリー氏に向かって、
何人かの魔法使いが警告した。ハーマイオニーは口を出て覆ったまま闇に消えるディゴリー氏を見
送った。数秒後、ディゴリー氏の叫ぶ声が聞こえた。
「よしっ!つかまえたぞ。ここに誰かいる!気を失ってるぞ!こりゃあ、なんと、まさか」
「誰がつかまえたって?」信じられないという声でクラウチ氏が叫んだ。
「誰だ?いったい誰なんだ?」
声がが折れる音、木の葉の擦れ合う音がして、ザックザックという足音とともに、ディゴリー氏が
木立の陰から再び姿を現した。
両腕に小さなぐったりしたものを抱えている。ハリーはすぐにキッチン・タオルに気づいた。
ウィンキーだ。ディゴリー氏がクラウチ氏の足元にウィンキーを置いたとき、クラウチ氏は身動き
もせず無言のままだった。
魔法省の役人が一斉にクラウチ氏を見つめた。
数秒間、蒼白な顔に目だけをメラメラと燃やし、クラウチ氏はウィンキーを見下ろしたまま立ちす
くんでいた。やがてやっと我に返ったかのようにクラウチ氏が言った。
「こんな、はずは、ない」途切れ途切れだ。「絶対に」
クラウチ氏はさっとディゴリー氏の後に回り、荒々しい歩調でウィンキーが見つかった当たりへと
歩き出した。
「無駄ですよ。クラウチさん」ディゴリー氏が背後から声をかけた。
「そこにはほかに誰もいない」
しかしクラウチ氏は、その言葉をうのみにはできないようだった。
あちこち動き回り木の葉をガタガタいわせながら茂をかきわけて探す音が聞こえてきた。
「なんとも恥さらしな」
ぐったり失神したウィンキーの姿を見おろしながら、ディゴリー氏が表情をこわばらせた。
「バーティ・クラウチ氏の屋敷しもべとは、なんともはや」
「エイモス、やめてくれ」ウィーズリーおじさんがそっと言った。
「まさか本当にしもべ妖精がやったと思っているんじゃないだろう?
”闇の印”は魔法使いの合図だ。作り出すには杖がいる」
「そうとも」ディゴリー氏が応じた。「そしてこの屋敷しもべは杖を持っていたんだ」
「なんだって?」
「ほら、これだ」
ディゴリー氏は杖を持ち上げウィーズリーおじさんに見せた。
「これを手に持っていた。まずは”杖の使用規則”第三条の違反だ。人にあらざる生物は、杖を携
帯し、またはこれを使用する事を禁ず」
ちょうどその時、またポンと音がして、ルード・バグマンがウィーズリーおじさんのすぐ脇に”姿
現わし”した。息を切らしここがどこかもわからない様子でくるくる周りながら、目をギョロつか
せてエメラルド色の髑髏を見上げた。
「”闇の印!”」バグマンが喘いだ。仲間の役人たちに何か聴こうと顔を向けた拍子に危うくウィ
ンキーを踏みつけそうになった。
「いったい誰の仕業だ?つかまえたのか?バーティ!いったい何をしてるんだ?」
クラウチ氏が手ぶらで戻ってきた。幽霊のように蒼白な顔のまま量でも歯ブラシのような口ひげも
ビクビク痙攣している。
「バーティ、いったいどこにいたんだ?」バグマンが聞いた。
「どうして試合に来なかった?君の屋敷しもべが席をとっていたのに。おっとどっこい!」
バグマンは足元に横たわるウィンキーにやっと気づいた。
「この屋敷しもべはいったいどうしたんだ?」
「ルード、私は忙しかったのでね」
クラウチ氏は、相変わらずぎくしゃくした話し方でほとんど唇を動かしていない。
「それと、私のしもべ妖精は”失神術”にかかっている」
「”失神術”?ご同輩たちがやったのかね?しかし、どうしてまた?」
バグマンの丸いてかてかした顔に突如、「そうか!」という表情が浮かんだ。バグマンは髑髏を見
上げ、ウィンキーを見おろしそれからクラウチ氏を見た。
「まさか!ウィンキーが?”闇の印”を作った?やり方も知らないだろうに!
そもそも杖がいるだろうが!」
「ああ、まさに、持っていたんだ」ディゴリー氏が言った。
「杖を持った姿で、私が見つけたんだよ。ルード。クラウチさん、あなたにご異議がなければ、屋
敷しもべ自身の言い分を聞いてみたいんだが」
クラウチ氏はディゴリー氏の言葉が聞こえたという反応を全く示さなかった。しかしディゴリー氏
は、その沈黙がクラウチ氏の了解だと取ったらしい。杖をあげウィンキーに向けてディゴリー氏が
唱えた。
「エネルベート!」
ウィンキーがかすかに動いた。大きな茶色の目が開き、寝ぼけたように二、三度瞬きした。
魔法使いたちが黙って見つめる中、ウィンキーはよろよろと身を起こした。
ディゴリー氏の足に目を留めウィンキーはゆっくりおずおずと目をあげディゴリー氏の顔を見つめ
た。
それからさらにゆっくりと空を見上げた。巨大なガラス玉のようなウィンキーの両目に空の髑髏が
一つずつ映るのをハリーは見た。
ウィンキーははっと息を呑み狂ったようにあたりを見まわした。
空き地に詰めかけていた大勢の魔法使いを見てウィンキーは怯えたように突然すすり泣き始めた。
「しもべ!」ディゴリー氏が厳しい口調で言った。
「私が誰だか氏ているか?”魔法生物規制管理部”の者だ!」
ウィンキーは座ったまま体を前後に揺り始めハッハッと激しい息遣いになった。ハリーはドビーが
命令に従わなかった時の怯えた様子を嫌でも思い出した。
「見ての通り、しもべよ、今しがた”闇の印”が打ち上げられた」ディゴリー氏が言った。
「そして、お前は、その直後に印の真下で発見されたのだ!申し開きがあるか!」
「あ、あ、あたしはなさっていませんです!」ウィンキーは息をのんだ。
「あたしはやり方をご存知ないでございます!」
「お前が見つかったとき、杖を手に持っていた!」
ディゴリー氏はウィンキーの目の前で杖を振り回しながら吼えた。浮かぶ髑髏からの緑色の光が空
き地を照らし、その明かりが杖に当たった時ハリーははっと気がついた。
「あれっ、それ、僕のだ!」
空き地の目が一斉にハリーを見た。
「なんと言った?」ディゴリー氏は自分の耳を疑うかのように聞いた。
「それ、僕の杖です!」ハリーが言った。「落としたんです!」
「落としたんです?」ディゴリー氏が信じられないというようにハリーの言葉を繰り返した。
「自白しているのか?”闇の印”を作り出した後で投げ捨てたとでも?」
「エイモス、いったい誰に向かってものを言ってるんだ!」
ウィーズリーおじさんは怒りで語調を荒げた。
「いやしくもハリー・ポッターが”闇の印”を作り出す事があり得るか?」
「あー、いや、その通り」ディゴリー氏が口ごもった。「すまなかった。どうかしてた」
「それに、僕、あそこに落としたんじゃありません」
ハリーは髑髏の下の木立の方に親指を反らせて指さした。
「森に入ったすぐ後になくなっている事に気づいたんです」
「すると」
ディゴリー氏の目が厳しくなり再び足元で縮こまっているウィンキーに向けられた。
「しもべよ。お前がこの杖を見つけたのか、え?
そして杖を拾い、ちょっと遊んでみようと、そう思ったのか?」
「あたしはそれで魔法をお使いになりませんです!」
ウィンキーはキーキー叫んだ。涙がつぶれたような団子鼻の両脇を伝って流れ落ちた。
「あたしは、あたしは、ただそれをお拾いになったわけです!
あたしは”闇の印”をお作りにはなりません!やり方をご存知ありません!」
「ウィンキーじゃないわ!」ハーマイオニーだ。魔法省の役人たちの前で緊張しながらもハーマイ
オニーはきっぱりと言った。
「ウィンキーの声は甲高く小さいけれど、私達が聞いた呪文は、ずっと太い声だったわ!」
ハーマイオニーはハリーとロンに同意を求めるように振り返った。
「ウィンキーの声とはぜんぜん違ってたわよね?」
「ああ」ハリーがうなずいた。「しもべ妖精の声とははっきり違ってた」
「うん、あれは人の声だった」ロンが言った。
「まあ、すぐに分かる事だ」
ディゴリー氏はそんな事はどうでもよいというようにうなった。
「杖が最後にどんな術を使ったのか、簡単に分かる方法がある。しもべ、その事は知っていた
か?」
ウィンキーは震えながら耳をパタパタさせ必死に首を横に振った。ディゴリー氏は再び杖を掲げ自
分の杖とハリーの杖の先を突きあわせた。
「プライオア・インカンタート!」ディゴリー氏が吠えた。
杖の合せ目から蛇を舌のようにくねらせた巨大な髑髏が飛び出した。ハーマイオニーが恐怖に息を
のむのをハリーは聞いた。
しかし、それは空中高く浮かぶ緑の髑髏の影にすぎなかった。灰色の濃い煙でできているかのよう
だ。まるで呪文のゴーストだった。
「デリトリウス!」
ディゴリー氏が叫ぶと煙の髑髏はふっと消えた。
「さて」
ディゴリー氏はまだひくひくと震え続けているウィンキーを勝ち誇った容赦ない目で見おろした。
「あたしはなさっていません!」
恐怖で目をぐりぐりさせながらウィンキーが甲高い声で言った。
「あたしは、決して、決して、やり方をご存知ありません!
あたしは良いしもべ妖精さんです。杖はお使いになりません。杖の使い方をご存知ありません!」
「お前は現行犯なのだ、しもべ!」ディゴリー氏が吠えた。
「凶器の杖を手にしたまま捕まったのだ!」
「エイモス」ウィーズリーおじさんが声を大きくした。
「考えてもみたまえ。あの呪文が使える魔法使いはわずか一握りだ。ウィンキーがいったいどこで
それをなかったというのかね?」
「おそらくエイモスは」
「私が召し使いたちに日ごろから『闇の印』を出現させる方法を教えていたと言いたいんだろう」
クラウチ氏が一言一言に冷たい怒りを込めて言った。
ひどく気まずい沈黙が流れた。
「私が召使いたちに常日頃から”闇の印”の作り出し方を教えていたとでも?」
エイモス・ディゴリーが蒼白な顔で言った。
「今や君は、この空き地の全員の中でも、最もあの印を作り出しそうにない二人に嫌疑をかけよう
としている!」
クラウチ氏が噛みつくように言った。
「ハリー・ポッター、それにこの私だ!
この子の身の上は君の重々承知なのだろうな、エイモス?」
「もちろんだとも、みんなが知っている」
ディゴリー氏はひどくうろたえて口ごもった。
「その上、”闇の魔術”も、それを行う者をも、私がどんなに侮蔑し、嫌悪してきたか、長いキャ
リアの中で私の残してきた証を、君はまさか忘れたわけではあるまい?」
クラウチ氏は再び目をむいて叫んだ。
「クラウチさん、わ、私は貴方がこれにかかわりがあるなどとは一言も言ってはいない!」
エイモス・ディゴリーは茶色のゴワゴワひげに隠れた顔を赤らめまた口ごもった。
「ディゴリー!私の下部をとがめるのは、私をとがめる事だ!」クラウチ氏が叫んだ。
「ほかにどこで、このしもべが印の創出法を身につけるというのだ?」
「ど、どこでも修得できただろうと」ディゴリーが言った。
「エイモス、その通りだ」ウィーズリーおじさんが口をはさんだ。
「どこでも”拾得”できただろう。ウィンキー?」おじさんは優しくしもべ妖精に話しかけた。が
ウィンキーはおじさんにも怒鳴りつけたれたかのようにギクリと身を引いた。
「正確に言うと、ここで、ハリーの杖を見つけたのかね?」
ウィンキーがキッチン・タオルの縁をしゃにむに捻り続けていたので、手の中でタオルがボロボロ
になっていた。
「あ、あたしが発見なさったのは、そこでございます」ウィンキーは小声で言った。
「そこ、その木立の中でございます「取り消し」
「ほら、エイモス、わかるだろう?」ウィーズリーおじさんが言った。
「”闇の印”を作り出したのは誰であれ、そのすぐ後に、ハリーの杖を残して”姿くらまし”した
のだろう。あとで足がつかないようにと、狡猾にも自分の杖を使わなかった。ウィンキーは運の悪
い事に、その直後にたまたま杖を見つけて拾った」
「しかし、それなら、ウィンキーは真犯人のすぐ近くにいたはずだ!」
ディゴリー氏は咳き込むように言った。
「しもべ、どうだ?誰か見たか?」
ウィンキーは一層激しく震えだした。巨大な目玉がディゴリー氏からルード・バグマンへ、そして
クラウチ氏へと走った。それからゴクリと生唾を飲んだ。
「あたしは誰もご覧になっておりません。誰も」
「エイモス」クラウチ氏が無表情に言った。
「通常なら君は、ウィンキーを役所に連行して尋問したいだろう。しかしながら、この件は私に処
理を任せてほしい」
ディゴリー氏はこの提案が気に入らない様子だったが、クラウチ氏が魔法省の実力者で断るわけに
はいかないのだとハリーにははっきりわかった。
「心配ご無用。必ず罰する」クラウチ氏が冷たく言葉を付け加えた。
「ご、ご、御主人様」
ウィンキーはクラウチ氏を見上げ目に涙を一杯浮かべ言葉を詰まらせた。
「ご、ご、御主人様。ど、ど、どうか」
クラウチ氏はウィンキーをじっと見かえした。しわの一本一本がより深く刻まれど事は無しに顔つ
きが険しくなっていた。何の哀れみもない目つきだ。
「ウィンキーは今夜、私が通ってあり得ないと思っていた行動をとった」クラウチ氏がゆっくりと
言った。
「私はウィンキーに、テントにいるようにと云いつけた。トラブルの処理に出かける間、その場に
いるように申し渡した。ところが、このしもべは私に従わなかった。それは”洋服”に値する」
「おやめ下さい!」
ウィンキーはクラウチ氏の足元に身を投げ出して叫んだ。
「どうぞ、御主人様!洋服だけは、洋服だけはおやめ下さい!」
屋敷しもべ妖精を自由の身にする唯一の方法は、ちゃんとした洋服をくれてやる事だとハリーは
知っていた。クラウチ氏の足元でサメザメと泣きながら、キッチン・タオルにしがみついている
ウィンキーの姿は見るからに哀れだった。
「でも、ウィンキーは怖がってたわ!」
ハーマイオニーはクラウチ氏をにらみつけ、怒りをぶつけるように話した。
「あなたのしもべ妖精は高所恐怖症だわ。仮面をつけた魔法使いたちが、誰かを空中高く浮かせて
いたのよ!
ウィンキーがそんな魔法使いたちの通り道から逃れたいっていうのは当然だわ!」
クラウチ氏は磨きたてられた靴を汚す腐った汚物でも見るような目で、足元のウィンキーを観察し
ていたが一歩退いて、ウィンキーに触れられないようにした。
「私の命令に逆らうしもべに用はない」
クラウチ氏はハーマイオニーを見ながら冷たく言い放った。
「主人や主人の名誉の忠誠を忘れるようなしもべに用はない」
ウィンキーの激しい泣き声が辺り一面に響き渡った。ひどく居心地の悪い沈黙が流れた。やがて
ウィーズリーおじさんが静かな口調で沈黙を破った。
「さて、さしつかえなければ、私はみんなを連れてテントに戻るとしよう。エイモス、その杖は語
るべき事を語り尽くした。よかったら、ハリーに返してもらえまいか」
ディゴリー氏はハリーに杖を渡し、ハリーはポケットにそれを収めた。
「さあ、三人とも、おいで」
ウィーズリーおじさんが静かに言った。しかし、ハーマイオニーはその場を動きたくない様子だ。
泣きじゃくるウィンキーに目を向けたままだった。
「ハーマイオニー!」おじさんが少し急かすように呼んだ。ハーマイオニーが振り向き、ハリート
ロンの後について空き地を離れ木立の間をぬけて歩いた。
「ウィンキーはどうなるの?」空き地を出るなりハーマイオニーが聞いた。
「わからない」ウィーズリーおじさんが言った。
「みんなのひどい扱い方ったら!」ハーマイオニーはカンカンだった。
「ディゴリーさんは初めからあの子を”しもべ”って呼び捨てにするし。それに、クラウチさんっ
たら!
犯人はウィンキーじゃないって分かってるくせに、それでもクビにするなんて!
ウィンキーがどんなに怖がっていたかなんて、どんなに気が動転していたかなんて、クラウチさん
はどうでもいいんだわ。まるで、ウィンキーが人じゃないみたいに!」
「そりゃ、人じゃないだろう」ロンが言った。ハーマイオニーはきっとなってロンを見た。
「だからと言って、ロン、ウィンキーがなんの感情も持ってない事にはならないでしょ。あのやり
方には、ムカムカするわ」
「ハーマイオニー、私もそう思うよ」
ウィーズリーおじさんがハーマイオニーに早くおいでと合図しながら急いで言った。
「でも、今はしもべ妖精の権利を論じているときじゃない。なるべく早くテントに戻りたいんだ。
他のみんなはどうしたんだ?」
「暗がりで見失っちゃった」ロンが言った。
「パパ、どうしてみんな、あんな髑髏なんかでピリピリしてるの?」
「テントに戻ってから全部話てやろう」ウィーズリーおじさんは緊張していた。しかし、森の外れ
までたどり着いたとき足止めを食ってしまった。怯えた顔の魔女や魔法使いたちが大勢そこに集
まっていた。ウィーズリー氏の姿を見つけると、ワッと一度に近寄ってきた。
「あっちで何があったんだ?」
「誰があれを作り出した?」
「アーサー、もしや、”あの人”?」
「いいや、”あの人”じゃないとも」ウィーズリーおじさんが畳みかけるように言った。
「誰なのか分からない。どうも”姿くらまし”したようだ。さあ、道を開けてくれないか。ベッド
で休みたいんでね」
おじさんはハリー、ロン、ハーマイオニーを連れて群衆を掻き分けキャンプ場に戻った。もうすべ
てが静かだった。仮面の魔法使いの気配もない。ただ壊されたテントがいくつかまだ燻っていた。
男子用テントからチャーリーが首を突出している。
「父さん、何が起こってるんだい?」チャーリーが暗がりの向こうから話しかけた。
「フレッド、ジョージ、ジニーは無事戻ってるけど、他の子が」
「私と一緒だ」ウィーズリーおじさんが屈んでテントに潜り込みながら言った。ハリー、ロン、
ハーマイオニーが後に続いた。ビルは腕にシーツを巻きつけて小さなテーブルの前に座っていた。
腕からかなり出血している。チャーリーのシャツは大きく裂け、パーシーは鼻血を流していた。フ
レッド、ジョージ、ジニーは怪我がないようだったがショック状態だった。
「捕まえたのかい、父さん?」ビルは鋭い語調で聞いた。「あの印を作ったやつを?」
「いや。バーティ・クラウチのしもべ妖精がハリーの杖を持っているのを見つけたが、あの印を実
際に作り出したのが誰かは、皆目分からない」
「えーっ?」ビル、チャーリー、パーシーが同時に叫んだ。
「ハリーの杖?」フレッドが言った。
「クラウチさんのしもべ?」パーシーは雷に打たれたような声を出した。ハリー、ロン、ハーマイ
オニーに話を補ってもないながら、ウィーズリーおじさんは森の中の一部始終を話してきかせた。
四人が話しおわるとパーシーは憤然と反りかえった。
「そりゃ、そんなしもべをお払い箱にしたのは、まったくクラウチさんが正しい!」パーシーが
言った。
「逃げるなとはっきり命令されたのに逃げ出すなんて。魔法省全員の前でクラウチさんに恥をかか
せるなんて。ウィンキーが”魔法生物規制管理部”に引っ張られたらどんなに体裁が悪いか」
「ウィンキーは何もしてないわ。間の悪い時に間の悪いところに居合わせただけよ!」
ハーマイオニーがパーシーに噛み付いた。パーシーは不意を食らったようだった。ハーマイオニー
は大抵パーシーとはうまくいっていた。他の誰よりずっと上手があっていたと言える。
「ハーマイオニー。クラウチさんのような立場にある方は、杖を持ってむちゃくちゃをやるような
屋敷しもべを置いてを事はできないんだ!」
気を取り直したパーシーがもったいぶって言った。
「むちゃくちゃなんかしてないわ!」ハーマイオニーが叫んだ。
「あの子は落ちていた杖を拾っただけよ!」
「ねえ、誰か、あの髑髏みたいなのがなんなのか、教えてくれないかな?」
ロンが待ちきれないように言った。
「別にあれが悪さをしたわけでもないのに、なんで大騒ぎするの?」
「言ったでしょ。ロン、あれは”例のあの人”の印よ」真っ先にハーマイオニーが答えた。
「私、”闇の魔術の興亡”で読んだわ」
「それに、この十三年間、一度も現れなかったのだ」ウィーズリーおじさんが静かに言った。
「みんなが恐怖にかられるのは当然だ。戻ってきた”例のあの人”を見たも同然だからね」
「よくわかんないな」ロンが眉をしかめた。
「だって、あれはただ、空に浮かんだ形にすぎないのに」
「ロン、”例のあの人”も、その家来も、誰かを殺すときに、決まってあの”闇の印”を空に打ち
上げたのだ」おじさんが言った。
「それがどんなに恐怖を掻き立てたか、わからないだろう。お前はまだ小さかったから。想像して
ごらん。帰宅して、自分の家の上に”闇の印”が浮かんでいるのを見つけたら、家の中で何が起き
ているか判る」おじさんはブルッと身震いした。
「誰だって、それは最悪の恐怖だ。最悪も最悪」
一瞬みんながしんとなった。ビルが腕のシーツを取り傷の具合を確かめながら言った。
「まあ、誰が打ち上げたかは知らないが、今夜は僕たちのためにはならなかったな。”デス・イー
ター(死喰い人)”たちがあれを見たとたん、恐がって逃げてしまった。誰かの仮面を引っぺがし
てやろうとしても、そこまで近づかないうちにみんな”姿くらまし”してしまった。ただ、ロバー
ツ家の人たちが地面にぶつかる前に受け止める事はできたけどね。あの人たちは今、記憶修正を受
けているところだ」
「”デス・イーター”?」ハリーが聞きとがめた。「”デス・イーター”って?」
「”例のあの人”の支持者が、自分たちをそう呼んだんだ」ビルが答えた。
「今夜僕たちが見たのは、その残党だと思うね。少なくとも、アズカバン行きを何とか逃れた連中
さ」
「そうだという証拠はない、ビル」ウィーズリーおじさんが言った。
「その可能性は強いがね」おじさんの声は絶望的だった。
「うん、絶対そうだ!」ロンが急に口をはさんだ。
「パパ、僕たち、森の中でドラコ・マルフォイに出会ったんだ。そしたら、あいつ、父親があの
狂った仮面の群れの中にいるって認めたも同然の言い方をしたんだ!
それに、マルフォイ一家が”例のあの人”の腹心だったって、僕たちみんなが知ってる!」
「でも、ヴォルデモートの支持者って」ハリーがそう言いかけると、みんながギクリとした。魔法
界ではみんなそうだが、ウィーズリー一家もヴォルデモートを直接名前で呼ぶ事を避けていた。
「ごめんなさい」ハリーは急いで謝った。
「”例のあの人”の支持者は、何が目的でマグルを宙に浮かせてたんだろう?
つまり、そんな事をしてなんになるのかなぁ?」
「何になるかって?」ウィーズリーおじさんが乾いた笑い声をあげた。
「ハリー、連中にとってはそれが面白いんだよ。”例のあの人”が支配していたあの時期には、マ
グル殺しの半分はお楽しみのためだった。今度は酒の勢いで、まだこんなにたくさん捕まっていな
いのがいるんだぞ、と誇示したくてたまらなくなったのだろう。連中にとっては、ちょっとした同
窓会気分だ」
おじさんは最後の言葉に嫌悪感を込めた。
「でも、連中が本当に”デス・イーター”だったら、”闇の印”を見たとき、どうして”姿くらま
し”しちゃったんだい?」ロンが聞いた。
「印を見て喜ぶはずじゃない。違う?」
「ロン、頭を使えよ」ビルが言った。
「連中が本当の”デス・イーター”だったら、”例のあの人”が力を失ったとき、アズカバン行き
を逃れるのに必死で工作したはずの連中なんだ。”あの人”に無理やりやらされて、殺したり苦し
めたりしましたと、ありとあらゆる嘘をついたわけだ。”あの人”が戻ってくるとなったら、連中
は僕たちよりずっと戦々恐々だろうと思うね。”あの人”が凋落したとき、自分たちはなんの関わ
りもありませんでした、と”あの人”との関係を否定して、日常生活に戻ったんだからね。”あの
人”が連中に対してお褒めの言葉をくださると思いないよ。だろう?」
「なら、あの”闇の印”を打ち上げた人は」ハーマイオニーが考えながら言った。
「”デス・イーター”を支持するためにやったのかしら、それとも怖がらせるために?」
「ハーマイオニー、私たちにもわからない」ウィーズリーおじさんが言った。
「でも、これだけは言える。あの印の作り方をしているものは、”デス・イーター”だけだ。たと
え今はそうでないにしても、一度は”デス・イーター”だったものでなかったとしたら、つじつま
が合わない。さあ、もうだいぶ遅い。何が起こったか、母さんが聞いたら、死ぬほど心配するだろ
う。あと数時間眠って、早朝に出発する”ポートキー”に乗ってここを離れるようにしよう」
ハリーは自分のベッドに戻ったが、頭がガンガンしていた。ぐったり疲れているはずだともわかっ
ていた。
もう朝の三時だった。しかし、目がさえていた。目がさえて、心配でたまらなかった。
三日前、もっと昔のような気がしたが、ほんの三日前だった。焼けるような傷跡の痛みで目を覚ま
したのは。
そして今夜、この十三年間見られなかったヴォルデモート卿の印が空に現れた。どういう事なのだ
ろう?
ハリーはプリベッド通りを離れる前にシリウス・ブラックに書いた手紙の事を思った。
シリウスはもう受け取っただろうか?返事はいつ来るのだろう?
横たわったままハリーはテントの天井を見つめていた。いつの間にか本物の夢に変わっているよう
な、空を飛ぶ夢も沸いてこない。
チャーリーのイビキがテント中に響いた。ハリーがやっとまどろみ始めたのはそれからずいぶん後
だった。

第十章魔法省スキャンダル

ほんの数時間眠っただけでみんなウィーズリーおじさんに起こされた。おじさんが魔法でテントを
畳みできるだけ急いでキャンプ場を離れた。途中で小屋の戸口にいたロバーツさんのそばを通ると、
ロバーツさんは奇妙にドロンとして、みんなに手を振りぼんやりと「メリー・クリスマス」とあい
さつをした。
「大丈夫だよ」
荒れ地に向かってみんなせっせと歩きながらおじさんがそっと言った。
「記憶修正されると、しばらくの間はちょっとボケる事がある。それに、今度はずいぶん大変な事
を忘れてもらわなきゃならなかったしね」
「ポートキー」が置かれている場所に近づくと切羽詰まったような声ががやがやと聞こえてきた。
その場に着くと大勢の魔法使いたちが「ポートキー」の番人、バージルを取り囲んで、とにかく早
くキャンプ場を離れたいと大騒ぎしていた。ウィーズリーおじさんはバージルと手早く話をつけみ
んなで列に並んだ。
そして、古タイヤに乗り太陽が完全に登り切る前にストーツヘッド・ヒルに戻る事ができた。
夜明けの薄あかりの中、みんなでオッタリー・セント・キャッチポールを通り「隠れ穴」へと向
かった。
疲れ果て誰もほとんど口をきかず、ただただ朝食の事しか頭になかった。
路地を曲がり「隠れ穴」が見えてきたとき朝露に濡れた路地の向こうから叫び声が響いてきた。
「ああ!よかった。本当によかった!」
家の前でずっと待っていたのだろう。ウィーズリーおばさんが真っ青な顔を引きつらせ、手に丸め
た”日刊予言者新聞”をしっかり握りしめてスリッパのまま走ってきた。
「アーサー、心配したわ、本当に心配したわ」
おばさんはおじさんの首に腕をまわして抱きついた。手から力が抜け”日刊予言者新聞”がポトリ
と落ちた。ハリーが見下ろすと新聞の見出しが目に入った。「クィディッチ・ワールドカップでの
恐怖」
梢の上空に”闇の印”がモノクロ写真でチカチカ輝いている。
「無事だったのね」
おばさんはおろおろ声でつぶやくとおじさんから離れ、真っ赤な目で子供達を一人一人見つめた。
「みんな、生きててくれた。ああ、お前たち」
驚いた事におばさんはフレッドとジョージをつかんで思いっきりきつく抱き締めた。あまりの勢い
に二人は鉢合わせをした。
「イテッ!まま、窒息しちゃうよ」
「家を出るときにお前たちにガミガミ言って!」おばさんはすすり泣き始めた。
「”例のあの人”がお前たちをどうにかしてしまっていたら、母さんがお前たちに言った最後の言
葉が『O・W・L試験の点が低かった』だったなんて、一体どうしたらいいんだろうってずっとそ
ればかり考えてたわ!
ああ、フレッド、ジョージ」
「さあさあ、母さん、みんな無事なんだから」
ウィーズリーおじさんは優しくなだめながら双子の兄弟に食い込んだおばさんの指を引き離し、お
ばさんを家のなかへと連れ帰った。
「ビル」おじさんが小声で言った。
「新聞を拾ってきておくれ。何が書いてあるか読みたい」
狭いキッチンにみんなでギュウギュウ詰めになり、ハーマイオニーがおばさんに濃い紅茶を入れた。
おじさんはその中にオグデンのオールド・ファイア・ウイスキーをタップリ入れると言ってきかな
かった。それからビルはおじさんに新聞を渡した。おじさんは一面にざっと目を通しパーシーがそ
の肩越しに新聞を覗き込んだ。
「思った通りだ」おじさんが重苦しい声で言った。
「魔法省のヘマ。犯人をとり逃がす。警備の甘さ。闇の魔法使い、やりたい放題。国家的恥辱。一
体誰が書いている?ああ、やっぱり、リータ・スキーターだ」
「あの女、魔法省に恨みでもあるのか!」パーシーが怒りだした。
「先週なんか、鍋底の厚さのアラ探しなんかで時間を無駄にせず、バンパイヤ撲滅に力を入れるべ
きだて言ったんだ。その事は”非魔法使い半ヒト族の取扱いに関するガイドライン”の
第十二項にはっきり規定してあるのに、まるで無視して」
「パース、頼むから」ビルが欠伸しながら言った。「黙れよ」
「私の事が書いてある」
”日刊予言者新聞”の記事の一番下まで読んだとき眼鏡の奥でおじさんが目を見開いた。
「どこに?」
急に喋ったので、おばさんはウイスキー入り紅茶に咽た。
「それを見ていたら、あなたがご無事だと分かったでしょうに!」
「名前は出ていない」おじさんが言った。
「こう書いてある。『森の外れでおびえながら情報今や遅しと待ち構えていた魔法使いたちが、魔
法省からの安全確認の知らせを期待していたとすれば、みんな見事に失望させられた。”闇の印”
の出現からしばらくして、魔法省の役人が姿を現わし、誰もけが人はなかったと主張し、それ以上
の情報を提供する事を拒んだ。それから一時間後に数人の遺体が森から運び出されたという噂を、
この発表だけで十分に打ち消す事ができるかどうか、大いに疑問である』
ああ、やれやれ」
ウィーズリーおじさんは呆れたようにそう言うと新聞をパーシーに渡した。
「事実、誰もけが人はなかった。ほかになんと言えばいいのかね?
『数人の遺体が森から運び出されたという噂』
そりゃ、こんな風に書かれてしまったら、確実に噂がたつだろうよ」
おじさんは深いため息をついた。
「モリー、これから役所に行かないと。善後策を講じなければなるまい」
「父さん。僕も一緒に行きます」パーシーが胸を張った。
「クラウチさんはきっと手が必要です。それに、僕の鍋底報告書を直接に手渡せるし」
パーシーはあわただしくキッチンを出ていった。おばさんは心配そうだった。
「アーサー、あなたは休暇中じゃありませんか!これはあなたの部署には何の関係もない事ですし、
あなたがいなくとも皆さんがちゃんと処理なさるでしょう?」
「行かなきゃならない、モリー。私が事態を悪くしたようだ。ローブに着替えて出かけよう」
「ウィーズリーおばさん」ハリーは我慢できなくなって唐突に聞いた。
「ヘドウィグがぼく宛の手紙を持って来ませんでしたか?」
「ヘドウィグですって?」おばさんはよく飲み込めずに聞き返した。
「いいえ、来ませんよ。郵便は全然来ていませんよ」
ロンとハーマイオニーもどうした事かとハリーを見た。
「そうですか。それじゃ、ロン、君の部屋に荷物を置きに行ってもいいかな?」
ハリーは二人に意味ありげな目配せをした。
「うん、僕も行くよ。ハーマイオニー、君は?」ロンが素早く応じた。
「ええ」ハーマイオニーも早かった。そして三人はさっさとキッチンを出て階段を上がった。
「ハリー、どうしたんだ?」
屋根裏部屋のドアをしめた途端にロンが聞いた。
「君達にまだ話してない事があるんだ」ハリーが言った。
「土曜日の朝の事だけど、僕、また傷が痛んで目が覚めたんだ」
二人の反応はプリベッド通りの自分の部屋でハリーが想像した事ほとんど同じだった。ハーマイオ
ニーは息を呑みすぐさま意見を述べだした。参考書を何冊か挙げ、アルバス・ダンブルドアからホ
グワーツの校医マダム・ポンフリーまで、あらゆる名前を挙げた。ロンはびっくり仰天してまとも
に言葉も出ない。
「だって、そこにはいなかったんだろう?”例のあの人”は?
ほら、前に傷が痛んだとき”あの人”はホグワーツにいたんだ。そうだろ?」
「確かに、プリベッド通りにはいなかった。だけど、僕はあいつの夢を見たんだ。あいつとピー
ターの、ほら、あのワームテールだよ。もう全部は思い出せないけど、あいつら、企んでたんだ。
殺すって、誰かを」
「僕を」と喉まで出かかったが、ハーマイオニーのおびえる顔を見ると、これ以上怖がらせる事は
できないと思った。
「たかが夢だろう」ロンが励ますように言った。「ただの悪い夢さ」
「うん、だけど、本当にそうなのかな?」
ハリーは窓のほうを向いて明け染めてゆく空を見た。
「なんだか変だと思わないか、僕の傷が痛んだんだ。その三日後に”デス・イーター”の行進。そ
してヴォルデモートの印がまた空に上がった」
「あいつの、名前を、言っちゃ、駄目!」
ロンは歯を食いしばったまま言った。
「それに、トレローニー先生が言った事、覚えてるだろ?」
ハリーはロンの言った事を聞き流して言葉を続けた。
「去年の学年末だったね?」
トレローニー先生はホグワーツの「占い学」の先生だ。ハーマイオニーの顔から恐怖が吹き飛び、
フンとあざけるように鼻を鳴らした。
「まあ、ハリー、あんないんちきさんの言う事をまに受けているんじゃないでしょうね?」
「君はあの場にいなかったから」ハリーが言った。
「先生の声を聞きちゃいないんだ。あのときだけはいつもと違ってた。言ったよね、霊媒状態だっ
て、本物の。”闇の帝王”は再び立ち上がるであろうって、そう言ったんだ。以前よりさらに偉大
に、よりおそろしく。召使いがあいつのもとに戻るから、その手を借りて立ち上がるって。その夜
にワームテールが逃げ去ったんだ」
沈黙が流れた。ロンは無意識にチャドリー・キャノンズを描いたベッドカバーの穴を指でほじくっ
ていた。
「ハリー、どうしてヘドウィグが来たかって聞いたの?」ハーマイオニーが聞いた。
「手紙を待ってるの?」
「傷跡の事、シリウスに知らせたのさ」ハリーは肩をちょっとすくめた。
「返事を待ってるんだ」
「そりゃ、いいや!」ロンの表情が明るくなった。
「シリウスなら、どうしたらいいかきっと知ってると思うよ!」
「早く返事をくれればいいなって思ったんだ」ハリーが言った。
「でも、シリウスがどこにいるか、私たち知らないでしょ。アフリカかどこかにいるんじゃないか
しら?」ハーマイオニーは理性的だった。
「そんな長旅、ヘドウィグが二、三日でこなせるわけないわ」
「うん、わかってる」
相違ながらもヘドウィグの姿が見えない窓の外を眺めるとハリーは胃に重苦しいものを感じた。
「さあ、ハリー、果樹園でクィディッチして遊ぼうよ」ロンが誘った。
「やろうよ、三対三で、ビルとチャーリー、フレッドとジョージの組だ。君はウロンスキー・フェ
イントを試せるよ」
「ロン、ハリーは今、クィディッチをする気分じゃないわ。心配だし、疲れてるし、みんなも眠ら
なくちゃ」
ハーマイオニーは「全くあなたって、なんて鈍感なの」という声で言った。
そしてハリーの腕に腕を絡ませて引っ張っていこうとした時、
「ううん、僕、クィディッチしたい」ハリーが出し抜けに言った。
「待ってて。ファイアボルトを取ってくる」
ハーマイオニーはなんだかぶつぶつ言いながら部屋を出ていった。
「全く、男の子ったら」とか聞こえた。それから一週間、ウィーズリーおじさんもパーシーもほと
んど家にいなかった。二人とも朝はみんなが起き出す前に家を出て、夜は夕食後遅くまで帰らな
かった。
「全く大騒動だったよ」
明日はみんながホグワーツに戻るという日曜の夜、パーシーがもったいぶって話しだした。
「一週間ずっと火消役だった。”吼えメール”が次々送られてくるんだからね。当然、すぐに開封
しないと”吼えメール”は爆発する。僕の机は焼け焦げだらけだし、一番上等の羽根ペンは灰にな
るし」
「どうしてみんな”吼えメール”をよこすの?」
居間の暖炉マットに座りスペロテープで教科書の”薬草ときのこ千種”を繕いながらジニーが聞い
た。
「ワールドカップでの警備の苦情だよ」パーシーが答えた。
「壊された私物の損害賠償を要求している。マンダンガス・フレッチャーなんか、寝室が十二もあ
る、ジャグジー付のテントを弁償しろときた。だけど僕はあいつの魂胆を見抜いているんだ。棒切
れにマントを引っかけて、その中で寝ていたという事実を押さえている」
ウィーズリーおばさんは部屋の隅の大きな柱時計をチラッと見た。ハリーはこの時計が好きだった。
時間をしめには全く役に立たなかったが、それ以外ならとてもいろいろな事が分かる。金色の針が
九本、それぞれに家族の名前が彫り込まれている。文字盤には数字はなく、家族全員がいそうな場
所が書いてあった。”家”,”学校”,”仕事”はもちろん”迷子”,”病院”,”牢獄”なども
あったし、普通の時計の十二時の位置には”命が危ない”と書いてある。八本の針が今は”家”の
位置を指していた。しかし一番長いおじさんの針は、まだ”仕事”を指していた。おばさんがため
息をついた。
「お父様が週末にお仕事にお出かけになるのは”例のあの人”の時以来の事だわ」おばさんが言っ
た。
「お役所はあの人を働かせ過ぎるわ。早くお帰りにならないと、夕食が台無しになってしまう」
「でも、父さんは、ワールドカップの時のミスを埋め合わせなければ、と思っているのでしょ
う?」
パーシーが言った。
「本当の事を言うと、公の発表する前に、部の上司の許可を取り付けなかったのは、ちょっと軽率
だったと」
「あのスキーターみたいな卑劣な女が書いた事で、お父さんを責めるのはおやめ!」
ウィーズリーおばさんがたちまちメラメラとなった。
「父さんが何も言わなかったら、あのリータの事だから、魔法省の誰も何もコメントしないのはけ
しからんとか、どうせそんな事を言ったろうよ」
ロンとチェスをしていたビルが言った。
「リータ・スキーターってやつは、誰でもこき下ろすんだ。グリンゴッツの呪い破り職員を全員イ
ンタビューした記事、覚えているだろう?僕の事”長髪のアホ”って呼んだんだぜ」
「ねえ、お前、確かになが過ぎるわよ」おばさんが優しく言った。
「ちょっと私に切」
「ダメ、ママ」
雨が居間の窓を打った。ハーマイオニーはおばさんがダイアゴン横丁で、ハリー、ロン、ハーマイ
オニーのそれぞれに買ってきた”基本呪文集・四学年用”を読みふけっている。チャーリーは防火
頭巾を繕っていた。ハリーは十三歳の誕生日にハーマイオニーからプレゼントされた”箒磨きセッ
ト”を足元に広げファイアボルトを磨いていた。フレッドとジョージは隅っこの方に座り込み、羽
根ペンを手に羊皮紙の上で額を突き合わせて何やらひそひそ話している。
「二人で何してるの?」おばさんがハタと二人を見据えて鋭く言った。
「宿題さ」フレッドがボソボソ言った。
「バカおっしゃい。まだお休み中でしょう」おばさんが言った。
「うん、やり残してたんだ」ジョージが言った。
「まさか、新しい注文書なんか作ってるんじゃないでしょうね?」おばさんがずばっと指摘した。
「万が一にも、ウィーズリー・ウィザード・ウィーズ再開なんかを考えちゃいないでしょうね?」
「ねえ、ママ」フレッドが痛々しげな表情でおばさんを見上げた。
「もしだよ、明日ホグワーツ特急が衝突して、僕もジョージも死んじゃって、ママからの最後の言
葉がいわれのない中傷だったって分かったら、ママはどんな気持ちがする?」
みんなが笑った。おばさんまで笑った。
「あら、お父様のお帰りよ!」もう一度時計を見たおばさんが突然言った。ウィーズリーおじさん
の針が”仕事”から”移動中”になっていた。一瞬後に針はプルプルと震えてみんなの針のある”
家”のところで止まり、キッチンからおじさんも呼ぶ声が聞こえてきた。
「今行くわ、アーサー!」おばさんがあわてて部屋を出ていった。数分後、夕食をお盆に載せてお
じさんが暖かな居間に入ってきた。疲れ切った様子だ。
「全く、火に油を注ぐとはこの事だ」
暖炉のそばのひじ掛け椅子に座り、少し萎びたカリフラワーを食べるともなく突っつき回しながら、
ウィーズリーおじさんがおばさんに話しかけた。
「リータ・スキーターが、ほかにも魔法省のゴタゴタがないかと、この一週間ずっと嗅ぎまわって、
記事のネタ探しをしていたんだが、とうとう嗅ぎ付けた。あの哀れなバーサの行方不明事件を。明
日の”日刊予言者新聞”のトップ記事になるだろう。とっくに誰かを派遣して、バーサの捜索を
やっていなければならないと、バグマンにちゃんと言ったのに、言わんこっちゃない」
「クラウチさんなんか、もう何週間も前からそう言いつづけていましたよ」パーシーが素早く言っ
た。
「クラウチさんは運がいい。リータがウィンキーの事を嗅ぎ付けなかったからね」
おじさんがイライラしながら言った。
「クラウチ家のしもべ妖精、”闇の印”を作り出した杖を持って逮捕さる、なんて、まる一週間大
見出しになるところだったよ」
「あのしもべは、確かに無責任だったけれど、あの印を作り出しはしなかったって、みんな了解済
みじゃなかったのですか?」パーシーも熱くなった。
「私に言わせれば、屋敷妖精たちにどんなひどい仕打ちをしているのかを、”日刊予言者新聞”の
誰にも知られなくて、クラウチさんは大変運が強いわ!」
ハーマイオニーが憤慨した。
「わかってないね、ハーマイオニー!」パーシーが言った。
「クラウチさんくらいの政府高官になると、自分の召使いに揺るぎない恭順を要求して当然なん
だ」
「あの人の奴隷っていうべきだわ!」ハーマイオニーの声が熱くなってうわずった。
「だって、あの人はウィンキーにお給料を払ってないもの。でしょ?」
「みんな、もう部屋に上がって、ちゃんと荷造りしたかどうか確かめなさい!」
おばさんが議論に割って入った。
「ほらほら、早く、みんな」
ハリーは箒磨きセットを片づけ、ファイアボルトを担ぎロンと一緒に階段を上った。家の最上階で
は雨音が一層激しく、風がヒューヒューと鳴き、唸る音、その上屋根裏に棲むグールお化けの喚き
声が時々加わった。二人が部屋に入っていくと、ピッグウィジョンがまたピーピー鳴き、篭の中を
ビュンビュン飛び回り始めた。荷造り途中のトランクを見て狂ったように興奮したらしい。
「”ふくろうフーズ”を投げてやって」ロンが一袋ハリーに投げてよこした。
「それで黙るかもしれない」
ハリーは「ふくろうフーズ」を二、三個、ピッグウィジョンの鳥篭の格子の間から差し入れ、自分
のトランクを見た。トランクの隣にヘドウィグの篭があったが、まだ空のままだった。
「一週間以上たった」ヘドウィグのいない止まり木を見ながらハリーが言った。
「ロン、シリウスが捕まったなんて事、ないよね?」
「ないさぁ。それだったら”日刊予言者新聞”に載るよ」ロンが言った。
「魔法省が、とにかく誰かを逮捕したって、見せびらかしたいはずだもの。そうだろ?」
「うん、そうだと思うけど」
「ほら、これ、ママがダイアゴン横丁で君のために買ってきた物だよ。それに、君の金庫から金貨
を少し下ろしてきた。君の靴下も全部洗濯してある」
ロンが山のような買い物包みをハリーの折りたたみベッドにドサリとおろし、その脇に金貨の入っ
た巾着と靴下をひと抱えドンと置いた。ハリーは包みを解き始めた。ミランダ・ゴズホーク著「基
本呪文集・四学年用」のほか、新しい羽根ペンを一揃い、羊皮紙の巻紙を一ダース、魔法薬調合材
料セットの補充品
(ミノカサゴの棘や鎮痛剤のベラドンナエキスが足りなくなっていたので)などなどだった。大鍋
に下着を詰め込んでいたとき、ロンが背後でいかにも嫌そうな声をあげた。
「これって、いったい何のつもりだい?」
ロンがつまみあげているのは、ハリーには栗色のビードロの長いドレスのように見えた。襟のとこ
ろに黴が生えたようなレースのフリルが付いていて袖口にもそれに合ったレースが付いている。ド
アをノックする音がしておばさんが洗いたてのホグワーツの制服を腕いっぱいに抱えて入ってきた。
「さあ」おばさんが山を二つに分けながら言った。
「しわにならないよう、丁寧に詰めるんですよ」
「ママ、間違えてジニーの新しい洋服を僕によこしたよ」ロンがドレスを差し出した。
「間違えてなんかいませんよ」おばさんが言った。
「それ、あなたのですよ。パーティー用のドレスローブ」
「エーッ!」ロンが恐怖に打ちのめされた顔をした。
「ドレスローブです!」おばさんが繰り返した。
「学校からのリストに、今年はドレスローブを準備する事って書いてあったわ。正装用のローブを
ね」
「悪い冗談だよ」ロンは信じられないという口調だ。
「こんなもの、ぜぇったい着ないから」
「ロン、みんな着るんですよ!」おばさんが不機嫌な声を出した。
「パーティー用のローブなんて、みんなそんなものです!
お父様もひょっと正式なパーティー用に何枚か持ってらっしゃいます!」
「こんなもの着るぐらいなら、僕、裸で行くよ」ロンが意地を張った。
「聞き分けのない事をいうじゃありません」おばさんが言った。
「ドレスローブを持って行かなくちゃならないんです。リストにあるんですから!ハリーにも買っ
て上げたわ。ハリー、ロンに見せてやって」
ハリーはおそるおそる最後の包みを開けた。思ったほどひどくはなかった。ハリーのローブはレー
スが全く付いていない。制服とそんなに変わりなかった。ただ黒でなく深緑色だった。
「あなたの目の色によく映えると思ったのよ」おばさんが優しく言った。
「そんなのだったらいいよ!」ロンがハリーのローブを見て怒ったように言った。
「どうして僕に同じようなのを買ってくれないの?」
「それは、その、あなたのは古着屋で買わなきゃならなかったの。あまり色々選べなかったんで
す!」
おばさんの顔がさっと赤くなった。ハリーは目を逸らせた。グリンゴッツ銀行にある自分のお金を
ウィーズリー家の人たちと喜んで半分わけにするのに。でもウィーズリーおばさんたちはきっと受
け取ってくれないだろう。
「僕、絶対着ないからね」ロンが頑固に言い張った。「ぜーったい」
「勝手におし」おばさんがピシャリと言った。
「裸で行きなさい。ハリー、忘れずにロンの写真を撮って送ってちょうだいね。母さんだって、た
まには笑うような事がなきゃ、やりきれないわ」
おばさんはバタンとドアを閉めて出ていった。二人の背後で咳き込むような変な音がした。ピッグ
ウィジョンが大きすぎる「ふくろうフーズ」に咽込んでいた。
「僕の持ってるものって、どうしてどれもこれもボロいんだろう?」
ロンは怒ったようにそう言いながら、足取りも荒くピッグウィジョンのところへ行って、くちばし
に詰まったふくろうフーズを外した。

第十一章ホグワーツ特急に乗って
翌朝目が覚めると休暇が終わったという憂鬱な気分が辺り一面に漂っていた。降り続く激しい雨が
窓ガラスを打つ中、ハリーはジーンズと長袖の T シャツに着替えた。みんなホグワーツ特急の中で
制服のローブに着替える事にしていた。ハリーがロン、フレッド、ジョージと一緒に朝食を取りに
階下に降りる途中、二階の踊り場まで来るとウィーズリーおばさんがただ事ならぬ様子で階段の下
に現れた。
「アーサー!」階段の上に向かっておばさんが呼びかけた。
「アーサー!魔法省から緊急の伝言ですよ!」
ウィーズリーおじさんがローブを後ろ前に着て階段をガタガタいわせながら駆け降りてきた。ハ
リーは壁に張り付くようにして道を空けた。おじさんの姿はあっと言う間見えなくなった。ハリー
がみんなとキッチンに入って行くとおばさんがオロオロと引出しをかきまわしていた。
「どこかに羽根ペンがあるはずなんだけど!」
おじさんは暖炉の火の前に屈み込み話をしていた。ハリーはギュッと目を閉じまた開けてみた。自
分の目がちゃんと機能しているかどうか確かめたかったのだ。炎の真ん中に、エイモス・ディゴ
リーの首がまるでヒゲの生えた卵のようにどっかり座っていた。飛び散る火の粉にも、耳をなめる
炎にもまったく無頓着にその顔は早口で喋っていた。
「近所のマグルたちがドタバタいう音や叫び声に気づいて知らせたのだ、ほら、なんと言ったかな、
うん、プリーズマンとかに。アーサー、現場に飛んでくれ」
「はい!」おばさんが息を切らしながら、おじさんの手に羊皮紙、インク壺、クシャクシャの羽根
ペンを押しつけるように渡した。
「私が聞きつけたのは、まったくの偶然だった」ディゴリー氏の首が言った。
「ふくろう便を二、三通送るのに、早朝出勤の必要があってね。そしたら”魔法不適正使用取締
局”が全員出動していた。リータ・スキーターがこんなネタを抑えでもしたら、アーサー」
「マッド・アイは、何が起こったと言ってるのかね?」
おじさんはインク壺の蓋を捻って開け、羽根ペンを浸しメモを取る用意をしながら聞いた。ディゴ
リー氏の首が目玉をグルグルさせた。
「庭に何者かが侵入する音を聞いたそうだ。家の方に忍び寄ってきたが、待ち伏せしていた家のゴ
ミバケツたちがそいつを迎え撃ったそうだ」
「ゴミバケツは何をしたのかね?」おじさんは急いでメモを取りながら聞いた。
「轟音を立ててゴミをそこら中に発射したらしい」ディゴリー氏が答えた。
「プリーズマンが駆け付けてきたときに、ゴミバケツが一個、まだ吹っ飛び回っていたらしい」
ウィーズリーおじさんが呻いた。
「それで、侵入者はどうなった?」
「アーサー、あのマッド・アイの言いそうな事じゃないか」
ディゴリー氏の首がまた目をぐるぐるさせながら言った。
「真夜中に、誰かがマッド・アイの庭に忍びこんだって?
ショックを受けた猫なんかが、ジャガイモの皮だらけになってうろついているのが見つかるくらい
が関の山だろうよ。しかし”魔法不適正使用取締局”がマッド・アイを捕えたらおしまいだ。何し
ろああいう前歴だし、なんとか軽い罪で放免しなきゃならん。君の管轄の部辺りで、爆発するゴミ
バケツの罪はどのくらいかね?」
「警告程度だろう」
ウィーズリーおじさんは眉根にしわを寄せて忙しくメモを取り続けていた。
「マッド・アイは杖を使わなかったのだね?誰かお襲ったりはしなかったね?」
「あいつは、きっとベッドから飛び起きて、窓から届く範囲のものに、手当たり次第呪いをかけた
に違いない」ディゴリー氏が言った。
「しかし、”不適正使用取締局”がそれを証明するのが一苦労のはずだし、負傷者はいない」
「わかった。行こう」
ウィーズリーおじさんはそう言うとメモ書きした羊皮紙をポケットに突っ込み、再びキッチンから
飛び出して言った。ディゴリー氏の顔がウィーズリーおばさんの方を向いた。
「モリー、すまんね」声が少し静かになった。
「こんな朝早くからお煩わせして、しかし、マッド・アイを放免できるのはアーサーしかいない。
それに、マッド・アイは今日から新しい仕事に就く事になっている。なんでよりによってその前の
晩に」
「エイモス、気にしないでちょうだい」おばさんが言った。
「帰る前に、トーストか何か、少し召しあがらない?」
「ああ、それじゃ、いただこうか」ディゴリー氏が言った。おばさんはテーブルに重ねて置いて
あったバターつきトーストを一枚取り、火ばさみで挟み、ディゴリー氏の口に入れた。
「ふぁりがとう」
フガフガとお礼を言い、それからポンと軽い音を立ててディゴリー氏の首は消えた。おじさんが慌
ただしくビル、チャーリー、パーシーと、二人の女の子にさよならを言う声がハリーの耳に聞こえ
てきた。五分もたないうちに今度はローブの前後を間違えずに着て、髪を梳かしつけながらおじさ
んがキッチンに戻ってきた。
「急いで行かないと、みんな、元気で新学期を過ごすんだよ」
おじさんはマントを肩にかけ『姿くらまし”の準備をしながら、ハリー、ロン、双子の兄弟に呼び
かけた。
「母さん、子供達をキングズ・クロスに連れて行けるね?」
「もちろんですよ。あなたはマッド・アイの事だけ面倒みてあげて。私たちは大丈夫だから」
おじさんが消えたのと入れ替わりにビルとチャーリーがキッチンに入ってきた。
「誰かマッド・アイって言った?」ビルが聞いた。
「今度はあの人、何をしでかしたんだい?」
「昨日の夜、誰かが家に押し入ろうとしたって、マッド・アイがそう言ったんですて」
おばさんが答えた。
「マッド・アイ・ムーディ?」
トーストにマーマレードを塗りながらジョージがちょっと考え込んだ。
「あの変人の」
「お父様はマッド・アイ・ムーディを高く評価してらっしゃるわ」おばさんが厳しくたしなめた。
「ああ、うん。パパは電気のプラグなんか集めてるしな。そうだろう?」
おばさんが部屋を出たすきにフレッドが声をひそめて言った。
「似たもの同士さ」
「往年のムーディは偉大な魔法使いだった」ビルが言った。
「確か、ダンブルドアとは旧知の仲だったんじゃないか?」チャーリーが言った。
「でも、ダンブルドアもいわゆる”まとも”なくちじゃないだろう?」フレッドが言った。
「そりゃ、あの人は確かに天才さ。だけど」
「マッド・アイって誰?」ハリーが聞いた。
「引退してる。昔は魔法省にいたけど」チャーリーが答えた。
「オヤジの仕事場に連れていってもらったとき、一度だけ会った。腕っこきの”オーラー”つま
り”闇祓い”だった。”闇の魔法使い捕獲人”の事だけど」
ハリーがポカンとしているのを見てチャーリーが一言付け加えた。
「ムーディのお陰でアズカバンの独房の半分は埋まったな。だけど敵もわんさかといる、逮捕され
た奴の家族とかが主だけど。それに、年を取ってひどい被害妄想に取りつかれてるようになったら
しい。もう誰も信じなくなって。あらゆるところに闇の魔法使いの姿が見えるらしいんだ」
ビルもチャーリーも、みんなをキングズ・クロス駅まで見送る事に決めた。しかしパーシーは、ど
うしても仕事に行かなければならないからとクドクド謝った。
「今の時期に、これ以上休みを取るなんて、僕にはどうしてもできない」パーシーが説明した。
「クラウチさんは、本当に僕を頼り始めたんだ」
「そうだろうな。そういえば、パーシー」ジョージが真剣な顔をした。
「ぼかぁ、あの人が間もなく君の名前を覚えると思うね」
おばさんは勇敢にも村の郵便局から電話をかけ、ロンドンに行くのに普通のマグルのタクシーを三
台呼んだ。
「アーサーが魔法省から車を借りるよう努力したんだけど」おばさんがハリーに耳打ちした。すっ
かり雨に洗い流された庭で、タクシーの運転手たちがホグワーツ校用の重いトランクを六個、フー
フー言いながら載せるのをみんなで眺めている時だった。
「でも一台も余裕がなかったの。あらまぁ、あの人たちなんだか嬉しそうじゃないわねぇ」
ハリーはおばさんに理由を言う気になれなかったが、マグルのタクシー運転手は興奮状態のふくろ
うを運ぶ事なんてめったにないし、それに、ピッグウィジョンが耳をつんざくような声で騒いでい
たのだ。
さらに悪い事に「ドクター・フィリバスターの長々花火(火なしで火がつくヒヤヒヤ花火)」が、
フレッドのトランクがパックリ口を開いた途端に炸裂し、クルックシャンクスが爪を立てて運転手
の足に噛り付いたものだから、運んでいた運転手は驚くやら、痛いやらで悲鳴を上げた。快適な旅
とはいえなかった。
みんなタクシーの座席にトランクと一緒にギュウギュウ詰めだった。クルックシャンクスは花火の
ショックからなかなか立ち直れなかった。ロンドンに入るころまでにはハリーも、ロンも、ハーマ
イオニーも嫌というほどひっかかれていた。
キングズ・クロス駅でタクシーを降りたときは雨足が一層強くなっていた。交通の激しい道を横
ぎってトランクを駅の構内に運び込む間に、びしょ濡れになったにもかかわらずみんなほっとして
いた。
ハリーはもう9と4分の3番線への行き方に慣れてきていた。9番線と10番線の間にある一見難
そうに見える柵をまっすぐ突き抜けて歩くだけの簡単な事だった。一番厄介なのはマグルに気付か
れないように何気なくやり遂げなければならない事だった。今日は何組かに分かれていく事にした。
ハリー、ロン、ハーマイオニー組(何しろピッグウィジョンとクルックシャンクスがお供なので一
番目立つグループ)が最初だ。三人が何気なくおしゃべりしているフリをして柵に寄りかかり、ス
ルリと横向きで入り込んだ。途端に9と4分の3番線ホームが目の前に現れた。紅に輝く蒸気機関
車ホグワーツ特急はもう入線していた。吐き出す白い煙の向こう側にホグワーツの学生や親達が大
勢黒いゴーストのような影になって見えた。
ピッグウィジョンは霞の彼方から聞こえるホーホーというたくさんのふくろうの鳴き声につられて、
ますますうるさく鳴いた。ハリー、ロン、ハーマイオニーは席探しを始めた。間もなく列車の中ほ
どに開いたコンパートメントを見つけ荷物を入れた。それからホームにもう一度飛び降り、ウィー
ズリーおばさん、ビル、チャーリーにお別れを言った。
「僕、みんなが考えているより早く、また会えるかも知れないよ」
チャーリーがジニーを抱きしめてさよならを言いながらニッコリした。
「どうして?」フレッドが突っ込んだ。
「今にわかるよ」チャーリーが言った。
「僕がそう言ったって事、パーシーには内緒だぜ。何しろ『魔法省が解禁するまでは機密情報』な
んだから」
「ああ、僕も何だか、今年はホグワーツに戻りたい気分だ」
ビルはポケットに両手を突っ込み羨ましそうな目で汽車を見た。
「どうしてさ?」ジョージが知りたくてたまらなそうだ。
「今年は面白くなるぞ」ビルが目をキラキラさせた。
「いっそ休暇でも取って、僕もちょっと見物に行くか」
「だから何をなんだよ?」ロンが聞いた。しかしその時汽笛が鳴り、ウィーズリーおばさんがみん
なを汽車のデッキへと追いたてた。
「ウィーズリーおばさん、泊めてくださってありがとうございました」
みんなで汽車に乗りこみドアを閉め窓から身を乗り出しながらハーマイオニーが言った。
「本当に、おばさん、色々ありがとうございました」ハリーも言った。
「あら、こちらこそ、楽しかったわ」ウィーズリーおばさんが言った。
「クリスマスにも、お招きしたいけど。でも、ま、きっとみんなホグワーツに残りたいと思うで
しょう。何しろ、色々あるから」
「ママ!」ロンがイライラした。
「三人ともしてて、僕たちの知らない事って、なんなの?」
「今晩わかるわ。たぶん」おばさんが微笑んだ。
「とっても面白くなるわ。それに、規則が変わって、本当によかったわ」
「なんの規則?」ハリー、ロン、フレッド、ジョージが一斉に聞いた。
「ダンブルドア先生がきっと話してくださいます。さあ、お行儀よくするのよ。ね?わかったの?
フレッド?ジョージ、あなたもよ」
ピストンが大きくシューッという音を立て汽車が動き始めた。
「ホグワーツで何が起こるのか、教えてよ!」
フレッドが窓から身を乗り出して叫んだ。おばさん、ビル、チャーリーが速度を上げ始めた汽車か
らどんどん遠ざかっていく。
「なんの規則が変わるのぉ?」
ウィーズリーおばさんはただ微笑んで手を振った。列車がカーブを曲がる前におばさんもビルも
チャーリーも『姿くらまし』してしまった。ハリー、ロン、ハーマイオニーはコンパートメントに
戻った。窓を打つ豪雨で外はほとんど見えない。ロンはトランクを開け栗色のドレスローブを引っ
張り出し、ピッグウィジョンの籠にバサリとかけて、ホーホー声を消した。
「バグマンがホグワーツで何が起こるのか話したがってた」
ロンはハリーの隣に腰掛け不満そうに話し掛けた。
「ワールドカップの時にさ。覚えてる?でも母親でさえ言わない事って、一体何だと」
「しっ!」
ハーマイオニーが突然唇に指をあて隣のコンパートメントを指さした。ハリーとロンが耳をすます
と聞き覚えのある気取った声が開け放したドアを通して流れてきた。
「父上は本当は、僕をホグワーツでなく、ほら、ダームストラングに入学させようとを考えだった
んだ。父上はあそこの校長をご存知だからね。ほら、父上がダンブルドアをどう評価しているか、
知ってるね。あいつは”穢れた血”贔屓だ。ダームストラングじゃ、そんな下らない連中は入学さ
せない。でも、母上は僕をそんなに遠くの学校にやるのがお嫌だったんだ。父上がおっしゃるには、
ダームストラングじゃ”闇の魔術”に関して、ホグワーツよりずっと気の利いたやり方をしている。
生徒が実際それを習得するんだ。僕たちがやっているようなケチな防衛術じゃない」
ハーマイオニーは立ちあがってコンパートメントのドアの方に忍び足で行き、ドアを閉めてマル
フォイの声が聞こえないようにした。
「それじゃ、あいつ、ダームストラングが自分に合ってただろうって思ってるわけね?」
ハーマイオニーが怒ったように言った。
「本当にそっちに行ってくれたらよかったのに。そしたらもうあいつの事我慢しなくて済むのに」
「ダームストラングって、やっぱり魔法学校なの?」ハリーが聞いた。
「そう」ハーマイオニーがフンという言い方をした。
「しかも、ひどく評判が悪いの。”ヨーロッパにおける魔法教育の一考察”によると、あそこは”
闇の魔術”に相当力を入れてるんだって」
「僕もそれ、聞いた事があるような気がする」ロンがあいまいに言った。
「どこにあるんだい?どこの国に?」
「さあ、誰も知らないんじゃない?」ハーマイオニーが眉をちょっと釣り上げて言った。
「ん、どうして?」ハリーが聞いた。
「魔法学校には昔から強烈な対抗意識があるの。ダームストラングとボーバトンは、誰にも秘密を
盗まれないように、どこにあるか隠したいわけ」
ハーマイオニーは至極当たり前の話をするような調子だ。
「そんなバカな」ロンが笑いだした。
「ダームストラングだって、ホグワーツと同じくらいの規模だろ。バカでかい城をどうやって隠す
んだい?」
「だって、ホグワーツも隠されてるじゃない」ハーマイオニーがびっくりしたように言った。
「そんな事、みんな知ってるわよ。っていうか”ホグワーツの歴史”を読んだ人ならみんな、だけ
ど」
「じゃ、君だけだ」ロンが言った。
「それじゃ、教えてよ。どうやってホグワーツみたいなとこ、隠すんだい?」
「魔法がかかってるの。マグルが見ると、朽ちかけた廃虚に見えるだけ。入り口の看板に『危険、
入るべからず。危ない』って書いてあるわ」
「じゃ、ダームストラングもよそものには廃虚みたいに見えるのかい?」
「たぶんね」ハーマイオニーが肩をすくめた。
「さもなきゃ、ワールドカップの競技場みたいに、”マグル避け呪文”がかけてあるかもね。その
上、外国の魔法使いに見つからないように、”位置発見不可能”にしてるわ」
「もう一回言ってくれない?」
「あのね、建物に魔法をかけて、地図上でその位置を発見できないようにできるでしょ?」
「うーん、君がそう言うならそうだろう」ハリーが言った。
「でも、私、ダームストラングってどこかずーっと遠いい北の方にあるに違いないって思う」
ハーマイオニーが訳知り顔で言った。
「どこか、とっても寒いとこ。だって、制服に毛皮のケープが付いているもの」
「あー、ずいぶんいろんな可能性があったろうなぁ」ロンが夢見るように言った。
「マルフォイを氷河から突き落として事故に見せかけたり、簡単に出来ただろうになぁ。あいつの
母親があいつをかわいがっているのは、残念だ」
列車が北に進むにつれて雨はますます激しくなった。
空は暗く、窓という窓は曇ってしまい、昼日中に車内灯が点いた。昼食のワゴンが通路をガタゴト
とやってきた。
ハリーはみんなで分けるように、大鍋ケーキをたっぷり一山買った。午後になると同級生が何人か
顔を見せた。
シェーマス・フィネガン、ディーン・トーマス、それに猛烈おばあちゃん魔女に育てられている、
丸顔で忘れん坊のネビル・ロングボトムもきた。
シェーマスはまだアイルランドの緑のロゼットをつけていた。魔法が消えかけているらしく「トロ
イ!マレット!モラン!」とまだキーキー叫んではいるが、弱々しく疲れかけた声になっていた。
三十分もすると延々と続くクィディッチの話に飽きて、ハーマイオニーは再び「基本呪文集・四学
年用」に没頭し「呼び寄せ呪文」を覚えはじめようとした。
ネヴィルは友達が試合の様子を思い出して話しているのを羨ましそうに聞いていた。
「ばあちゃんが行きたくなかったんだ」ネヴィルはしょげた。
「切符を買おうとしなかったし。でもすごかったみたいだね」
「そうさ」ロンが言った。「ネビル、これ見ろよ」
荷物棚のトランクをごそごそやって、ロンはビクトール・クラムのミニチュア人形を引っ張り出し
た。
「う、わーっ」
ロンがネヴィルのぽっちゃりした手にクラム人形をコトンと落としてやると、ネヴィルは羨ましそ
うな声をあげた。
「それに、僕たち、クラムをすぐそばで見たんだぞ」ロンが言った。
「貴賓席だったんだ」
「君の人生最初で最後のな、ウィーズリー」
ドラコ・マルフォイがドアのところに現れた。その後ろには腰巾着のデカぶつ暴漢クラッブとゴイ
ルが立っていた。
二人ともこの夏の間に三十センチは背が延びたように見えた。ディーンとシェーマスがコンパート
メントのドアをきちんと締めていなかったので、こちらの会話が筒抜けだったらしい。
「マルフォイ、君を招いた覚えはない」ハリーが冷やかに言った。
「ウィーズリー、何だい、そいつは?」
マルフォイはピッグウィジョンの籠を指さした。ロンのドレスローブの袖が籠からぶら下がり、列
車が揺れるたびにユラユラして、かびの生えたようなレースがいかにも目立った。ロンはローブが
見えないように隠そうとしたがマルフォイの方が早かった。袖をつかんで引っ張った。
「これを見ろよ!」
マルフォイがロンのローブをつるし上げ狂喜してクラッブとゴイルに見せた。
「ウィーズリー、こんなのを本当に着るつもりじゃないだろうな?言っとくけど、一八九〇年代に
流行した代物だ」
「糞食らえ!」
ロンはローブと同じ顔いろになってマルフォイの手からローブをひったくった。マルフォイが高々
とあざ笑い、クラッブとゴイルはバカ笑いした。
「それで、エントリーするのか、ウィーズリー?頑張って少しは家名をあげてみるか?賞金もか
かっているしねぇ。勝てば少しはマシなローブが買えるだろうよ」
「何を言ってるんだ?」ロンがかみついた。
「エントリーするのかい?」マルフォイが繰り返した。
「君はするだろうねぇ、ポッター。見せびらかすチャンスは逃さない君の事だし?」
「何が言いたいのか、はっきりしなさい。じゃなきゃ出ていってよ、マルフォイ」
ハーマイオニーが「基本呪文集・四学年用」の上に顔を出しつっけんどんに言った。
マルフォイの青白い顔に得意気な笑みが広がった。
「まさか、君たちは知らないとでも?」マルフォイは嬉しそうに言った。
「父親も兄貴も魔法省にいるのに、まるで知らないのか?驚いたね。父上何か、もうとっくに僕に
教えてくれたのに。コーネリウス・ファッジから聞いたんだ。しかし、まあ、父上はいつも魔法省
の高官と付き合っているし、たぶん、君の父親は、ウィーズリー、下っ端だから知らないのかもし
れないな。そうだ、おそらく、君の父親の前では重要事項は話さないのだろう」
もう一度高笑いするとマルフォイはクラッブとゴイルに合図してコンパートメントを出て言った。
ロンが立ち上がってドアを力任せに閉め、その勢いでガラスが割れた。
「ロンったら!」
ハーマイオニーがとがめるような声をあげ杖を取り出して「レパロ!」と唱えた。こなごなのガラ
スの破片が飛び上がって一枚のガラスになりドアの枠にハマった。
「フン、やつは何でも知ってて、僕たちはなんにも知らないって、そう思わせてくれるじゃない
か」
ロンが歯噛みした。
「『父上はいつも魔法省の高官と付き合っているし』パパなんか、いつでも昇進できるのに、今の
仕事が気に入っているだけなんだ」
「その通りだわ」ハーマイオニーが静かに言った。
「マルフォイなんかの挑発に乗ってダメよ、ロン」
「あいつが!僕を挑発?ヘヘンだ!」
ロンは残っている大鍋ケーキを一つ摘み上げつぶしてバラバラにした。旅が終わるまでずっと、ロ
ンの機嫌は直らなかった。
制服のローブに着替えるときもほとんどしゃべらず、ホグワーツ特急が速度を落とし始めても、ホ
グズミードの真っ暗な駅に停車しても、まだしかめっ面だった。
デッキの戸が開いたとき、頭上で雷が鳴った。ハーマイオニーはクルックシャンクスをマントに包
み、ロンはドレスローブをピッグウィジョンの籠の上に置きっぱなしにして汽車を降りた。
外は土砂降りでみんな背を丸め目を細めて降りた。まるで頭から冷水をバケツで何杯も浴びせかけ
るかのように雨は激しくたたきつけるように降っていた。
「やあ、ハグリッド!」
ホームの向こう端に立つ巨大なシルエットを見つけてハリーが叫んだ。
「ハリー、元気かぁー?」ハグリッドも手を振って叫び返した。
「歓迎会で会おう。みんな溺れっちまわらなかったの話だがなあー!」
一年生は伝統に従い、ハグリッドに引率されボートで湖を渡ってホグワーツ城に入る。
「うぅぅぅ、こんなお天気のときに湖を渡るのはごめんだわ」
人波に混じってくらいホームをのろのろ進みながらハーマイオニーは身震いし言葉に熱がこもった。
駅の外はおよそ百台の馬なしの馬車が待っていた。ハリー、ロン、ハーマイオニー、ネビルは一緒
にその内の一台に感謝しながら乗り込んだ。
ドアがピシャッと締まり間もなくゴトンと大きく揺れて動き出し、馬なし馬車の長い行列が雨水を
はね飛ばしながらガラガラと進んだ。ホグワーツ城を目指して。

第十二章三大魔法学校対抗試合

羽根の生えた猪の像が両脇に並ぶ校門を通り大きくカーブした城への道を馬車はゴトゴトと進んだ。
風雨はみるみる嵐になり馬車は危なっかしいく左右に揺れた。ハリーは窓に寄り掛かりだんだん近
づいてくるホグワーツ城を見ていた。
明かりのともった無数の窓が厚い雨のカーテンの向こうでぼんやり霞み瞬いていた。正面玄関の
がっしりした樫の扉へと上がる石段の前で馬車が止まった丁度その時稲妻が空を走った。
前の馬車に乗っていた生徒たちはもう急ぎ足で石段を上がり城の中へと向かっていた。ハリー、ロ
ン、ハーマイオニー、ネビルも馬車を飛び降り石段を一目散に駆け上がった。
四人がやっと顔を上げたのは無事に玄関の中に入ってからだった。松明に照らされた玄関ホールは
広々とした大洞窟のようで大理石の壮大な階段へと続いている。
「ひでえ」
ロンは頭をぶるぶるっと振るいそこら中に水を巻き散らした。
「この調子で振ると、湖があふれるぜ。僕、びしょ濡れ。うわーっ!」
大きな赤い水風船が天井からロンの頭に落ちて割れた。グショ濡れで水をピシャピシャ撥ね飛ばし
ながらロンは横に居たハリーの方によろけた。その時二発目の水風船が落ちてきた。それはハーマ
イオニーをかすめてハリーの足元で破裂した。
ハリーのスニーカーも靴下もどっと冷たい水しぶきを浴びた。周りの生徒たちは悲鳴をあげて水爆
弾戦線から離れようと押し合いへし合いした。四、五メートル上の方にポルターガイストのピーブ
ズがプカプカ浮かんでいた。
鈴のついた帽子にオレンジ色の蝶ネクタイ姿の小男が、性悪そうな大きな顔をしかめて次の標的に
狙いを定めている。
「ピーブズ!」誰かが怒鳴った。
「ピーブズ、ここに降りて来なさい。今すぐに!」
副校長でグリフィンドールの寮監、マクゴナガル先生だった。大広間から飛び出してきて濡れた床
にズルッと足音られ、転ぶまいとしてハーマイオニーの首にがっちりしがみついた。
「おっと、失礼、ミス・グレンジャー」
「大丈夫です。先生」ハーマイオニーは喉をさすりながら苦しそうに言った。
「ピーブズ、降りて来なさい。さあ!」
マクゴナガル先生は曲がった三角帽子を直しながら四角い眼鏡の奥から上の方に睨みをきかせて怒
鳴った。
「なーんにもしてないよ!」
ピーブズはケタケタ笑いながら五年生の女子学生数人めがけて水爆弾を放り投げた。
投げつけられた女の子たちはキャーキャーいいながら大広間に飛び込んだ。
「どうせびしょ濡れなんだろう?濡れネズミのチビネズミ!うぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
そして今度は到着したばかりの二年生のグループに水爆弾の狙いを定めた。
「校長先生を呼びますよ!」マクゴナガル先生ががなり立てた。
「聞こえたでしょうね、ピーブズ」
ピーブズはベーッと舌を出し最後の水爆弾を宙に放り投げ、けたたましい高笑いを残して大理石の
階段の上へと消えていった。
「さあ、どんどんお進みなさい!」
マクゴナガル先生はびしょ濡れ集団に向かって厳しい口調で言った。
「さあ、大広間へ、急いで!」
ハリー、ロン、ハーマイオニーはズルズル、ツルツルと玄関ホールを進み、右側の二重扉を通って
大広間に入った。ロンはグショ濡れの髪を掻き揚げながら怒ってブツブツ文句をい言っていた。
大広間は例年のように学年始めの祝宴に備えて見事な飾り付けが施されていた。テーブルに置かれ
た金の皿や杯が宙に浮かぶ何百という蝋燭に照らされて輝いている。各寮の長テーブルには四卓と
も寮生がぎっしり座りペチャクチャはしゃいでいた。
上座の五つ目のテーブルに生徒たちに向かい合うようにして先生と職員が座っている。大広間の方
がずっと暖かかった。
ハリー、ロン、ハーマイオニーは、スリザリン、レイブンクロー、ハッフルパフのテーブルを通り
すぎ、大広間の一番奥にあるテーブルで他のグリフィンドール生と一緒に座った。隣はグリフィン
ドールのゴースト”ほとんど首なしニック”だった。
ニックは真珠色の半透明なゴーストで今夜もいつもの特大ひだ襟付きのダブレットを着ている。こ
の襟は単に晴れ着の華やかさを見せるだけでなく、皮一枚でつながっている首があまりグラグラし
ないように抑える役目も果たしている。
「素敵な夕べだね」ニックが三人に笑いかけた。
「素敵かなぁ?」ハリーはスニーカーを脱ぎ中の水を捨てながら言った。
「早く組分け式にしてくれるといいな。僕、腹ペコだ」
毎年学年の始めには新入生を各寮に振り分ける儀式がある。運の悪い巡り合わせが重なって、ハ
リーは自分の組分け式の時以来一度も儀式に立ち会っていなかった。
今回の組分けがとても楽しみだった。丁度その時テーブルの向こうから興奮で息を弾ませた声がハ
リーを呼んだ。
「わーい、ハリー!」コリン・クリービーだった。ハリーをヒーローと崇める三年生だ。
「いや、コリン」ハリーは用心深く返事した。
「ハリー、何があると思う?当ててみて、ハリー、ね?僕の弟も新入生だ!弟のデニスの!」
「あ、良かったね」ハリーが言った。
「弟ったら、もう興奮しちゃって!」
コリンは腰掛けたままピョコピョコしていて落ち着かない。
「グリフィンドールになるといいな!ねえ、そう祈っててくれる?ハリー?」
「あ、うん。いいよ」
ハリーはハーマイオニー、ロン、”ほとんど首なしニック”の方を見た。
「兄弟って、だいたい同じ寮に入るよね?」ハリーが聞いた。
ウィーズリー兄弟が七人ともグリフィンドールに入れられた事からそう判断したのだ。
「あら、違うわ。必ずしもそうじゃない」ハーマイオニーが言った。
「パーバティ・パルチは双子だけど、一人はレイブンクローよ。一卵性双生児なんだから、一緒の
ところだと思うでしょ?」
ハリーは教職員テーブルを見上げた。いつもより空席が目立つような気がした。
もちろんハグリッドは一年生を引率して湖を渡るのに奮闘中だろう。マクゴナガル先生は多分玄関
ホールの床を拭くのを指揮しているのだろう。しかし、もう一つ空席がある。誰がいないのかハ
リーは思い浮かばなかった。
「”闇の魔術に対する防衛術”の新しい先生はどこかしら?」
ハーマイオニーも教職員テーブルを見ていた。”闇の魔術に対する防衛術”の先生は三学期、つま
り一年以上長く続いたためしがない。
ハリーが他の誰よりも好きだったルーピン先生は去年辞職してしまった。ハリーは教職員テーブル
を端から端まで眺めたが新顔は全くいない。
「多分、誰も見つからなかったのよ!」ハーマイオニーが心配そうに言った。ハリーはもう一度
しっかりテーブルを見直した。
「呪文学」のちっちゃいフリットウィック先生はクッションを何枚も重ねた上に座っていた。
その横が「薬草学」のスプラウト先生でばさばさの白髪頭から帽子がずり落ちかけている。
彼女が話しかけているのが「天文学」のシニストラ先生で、シニストラ先生の向こう隣は土気色の
顔、鉤鼻、ベっとりした髪、「魔法薬学」のスネイプ。ハリーがホグワーツで一番嫌いな人物だ。
ハリーがスネイプを嫌っているのに負けず劣らずスネイプもハリーを憎んでいた。
去年スネイプの鼻先からシリウスを逃すのにハリーが手を貸した事で、これ以上強くなりようがな
いはずのスネイプの憎しみがますますひどくなった。スネイプとシリウスは学生時代からの宿敵
だったのだ。
スネイプの向こう側に空席があったがハリーはマクゴナガル先生の席だろうと思った。その隣が
テーブルの真ん中でダンブルドア校長が座っていた。流れるような銀髪と白髭が蝋燭の明かりに輝
き、堂々とした深緑色のローブには星や付きの刺繍が施されている。
ダンブルドア校長はすらりと長い指の先を組みその上に顎をのせ半月眼鏡の奥から天井を見上げて、
何か物思いにふけっているかのようだった。ハリーも天井を見上げた。
天井は魔法で本物の空と同じように見えるようになっているがこんなにひどい荒れ模様の天井は初
めてだ。黒と紫の暗雲が渦巻き外でまた雷鳴が響いた途端天井に樹の枝のような形の稲妻が走った。
「ああ、早くしてくれ」ロンがハリーの横で呻いた。
「僕、ヒッポグリフだって食っちゃう気分」
その言葉が終わるか終わらないうちに大広間の扉が開き一同シーンとなった。
マクゴナガル先生を先頭に一列に並んだ一年生の長い列が大広間の奥へと進んでいく。ハリーもロ
ンもハーマイオニーもびしょ濡れだったが一年生の様子に比べれば何でもなかった。
湖をボートで渡ってきたというより泳いできたようだった。教職員テーブルの前に整列して在校生
の方を向いたときには寒さと緊張とで全員震えていた。
ただ一人を除いて。いちばん小さいうす茶色の髪の子がモールスキンのオーバーにくるまっている。
ハリーにはオーバーがハグリッドのものだと分かった。オーバーがだぶだぶで男の子は黒いフワフ
ワの大テントをまとっているかのようだった。襟元からちょこんと飛び出した小さな顔は興奮し
切ってなんだか痛々しいほどだ。
引きつった顔で整列する一年生に混じって並びながら、その子はコリン・クリービーを見つけ、
ガッツポーズをしながら「僕、湖に落ちたんだ!」と声を出さずに口の形だけで言った。
嬉しくてたまらないようだった。マクゴナガル先生が三本足の丸椅子を一年生の前に置いて、その
上に汚らしい継ぎはぎだらけのひどく古い三角帽子を置いた。一年生がじっとそれを見つめた。
他のみんなも見つめた。一瞬大広間が静まり返った。すると帽子のつばに沿った長い破れ目が口の
ように開き帽子が歌い出した。

『今を去る事一千年、そのまた昔その昔
私は縫われたばっかりで、糸も新し、真新し
そのころ生きた四天王
今なおその名を轟かす

荒野から来たグリフィンドール
勇猛果敢なグリフィンドール

谷川から来たレイブンクロー
賢明公正レイブンクロー

谷間から来たハッフルパフ
温厚柔和なハッフルパフ

湿原から来たスリザリン
俊敏狡猾スリザリン

共に語らう夢、希望
共に計らう大事業
魔法使いの卵をば、教え育てん学び舎で
かくしてできたホグワーツ

四天王のそれぞれが
四つの寮を創立し
各自異なる徳目を
各自の寮で教えこむ

グリフィンドールは勇気をば
なによりもよき徳とせり

レイブンクローは賢きを
誰よりも高く評価せり

ハッフルパフは勤勉を
資格あるものとして選び取る

力に飢えしスリザリン
野望をなにより好みけり

四天王の生きしとき
自ら選びし寮生を
四天王亡きその後は
いかに選ばんその資質?

グリフィンドールその人が
素早く脱いだその帽子
四天王たちそれぞれが
帽子に知能を吹き込んだ
代わりに帽子が選ぶよう!

被ってごらん。すっぽりと
私が間違えた事はない
私が見よう。みなの頭
そして教えん。寮の名を!』

組分け帽子が歌い終わると大広間は割れるような拍手だった。
「僕たちのときと歌が違う」
みんなと一緒に手を叩きながらハリーが言った。
「毎年違う歌なんだ」ロンが言った。
「きっとすごく退屈なんじゃない?帽子の人生って。多分一年かけて次の歌を作るんだよ」
マクゴナガル先生が羊皮紙の太い巻き紙を広げ始めた。
「名前を呼ばれた者は”帽子”を被って、この椅子にお座りなさい」
先生が一年生に言い聞かせた。
「”帽子”が寮の名を発表したら、それぞれの寮のテーブルにお着きなさい」
「アッカリー、スチュワート!」
進み出た男の子は頭の天辺から爪先まで傍目にも分かるほど震えていた。組分け帽子を取り上げ、
被り椅子に座った。
「レイブンクロー!」帽子が叫んだ。アッカリー・スチュワートは帽子を脱ぎ急いでレイブンク
ローのテーブルに行き、みんなの拍手に迎えられて席に着いた。アッカリー・スチュワートを拍手
で歓迎しているレイブンクローのシーカー、チョウ・チャンの姿がちらりとハリーの目に入った。
ほんの一瞬ハリーは自分のレイブンクローのテーブルに座りたいという奇妙な気持ちになった。
「バドック、マルコム!」
「スリザリン!」
大広間の向こう側のテーブルから歓声が上がった。バドックがスリザリンのテーブルに着きマル
フォイが拍手している姿をハリーは見た。スリザリン寮は多くの「闇の魔法使い」を輩出してきた
という事を、バドックは知っているのだろうか。バドック・マルコムが着席するとフレッドと
ジョージが嘲るように舌を鳴らした。
「ブラストーン・エレノア!」
「ハッフルパフ!」
「コールドウェル・オーエン!」
「ハッフルパフ!」
「クリービー・デニス!」
チビのデニス・クリービーはハグリッドのオーバーにつまずいてつんのめった。ちょうどその時ハ
グリッドが教職員テーブルの後ろにある扉から体を斜めにしてそっと入ってきた。背丈は普通の二
倍、横幅は少なくとも普通の三倍はあろうかというハグリッドは、もじゃもじゃともつれた長い髪
も髭もす真っ黒で見るからにどきりとさせられる、間違った印象を与えてしまうのだ。
ハリー、ロン、ハーマイオニーはハグリッドがどんなに優しいか知っていた。教職員テーブルの一
番端に座りながらハグリッドは三人にウィンクし、デニス・クリービーが組分け帽子をかぶるのを
じっと見た。帽子のつば元の裂け目が大きく開いた。
「グリフィンドール!」帽子が叫んだ。ハグリッドがグリフィンドール製と一緒に手をたたく中、
デニス・クリービーはにっこり笑って帽子を脱ぎそれを椅子に戻し急いで兄のところにやってきた。
「コリン、僕、落っこちたんだ!」
デニスは空いた席に飛び込みながら甲高い声で言った。
「すごかったよ!そしたら、水の中の何かが僕をつかまえてボートに押し戻したんだ!」
「すっごい!」コリンも同じぐらい興奮していた。
「多分、それ、デニス、大イカだよ!」
「ウワーッ!」デニスが叫んだ。嵐に波立つ底しれない湖に投げこまれ、巨大な湖の怪物によって
また押し戻されるなんて、こんな素敵な事は願ったって滅多に叶うものじゃない、と言わんばかり
のデニスの声だ。
「デニス!デニス!あそこにいる人、ね?黒い髪で眼鏡かけてる人、ね?見える?
デニス、あの人、誰だか知ってる?」
ハリーはそっぽを向いて今、エマ・ドブズに取りかかった組分け帽子をじっと見つめた。組分けが
延々続く。男の子も女の子も、怖がり方もさまざまに一人、また一人と三本足の椅子に腰掛け、残
りの子の列がゆっくりと短くなって来た。マクゴナガル先生は L で始まる名前を終えたところだ。
「ああ、早くしてくれよ」ロンは胃の辺りをさすりながら呻いた。
「まあ、まあ、ロン。組分けの方が食事よりも大切ですよ」
”ほとんど首なしニック”がそう声をかけた時に、マッドリー、ローラがハッフルパフに決まった。
「そうだとも。死んでればね」ロンが言い返した。
「今年のグリフィンドール生が優秀だといいですね」
マクドナルド、ナタリーがグリフィンドールのテーブルに着くのを拍手出迎えながら、”ほとんど
首なしニック”が言った。
「連続優勝を崩したくないですから。ね?」
グリフィンドールは寮対抗杯でこの三年間連続優勝していた。
「プリチャード、グラハム!」
「スリザリン!」
「クァーク、オーラ!」
そしてやっとホイットビー・ケビンがハッフルパフで組分けは終わった。マクゴナガル先生は帽子
と丸椅子を取り上げ片づけた。
「いよいよだ」
ロンはナイフとフォークを握り自分の金の皿を今や遅しと見守った。ダンブルドア先生が立ち上
がった。両手を大きく広げて歓迎し生徒全員にぐるりとほほえみかけた。
「みんなに言う言葉は二つだけじゃ」先生の深い声が大広間に響き渡った。
「思いっきり、掻っ込め」
「いいぞ、いいぞ!」ハリーとロンが大声で囃した。目の前の空っぽの皿が魔法でいっぱいになっ
た。ハリー、ロン、ハーマイオニーがそれぞれ自分たちの皿に食べ物を山盛りにするのを、”ほと
んど首なしニック”は恨めしそうに眺めていた。
「あふ、ひゃっと、落ち着いラ」口一杯にマッシュポテトを頬張ったままロンが言った。
「今晩はご馳走が出ただけでも運がよかったのですよ」”ほとんど首なしニック”が言った。
「さっき、厨房で問題が起きましてね」
「どうして?何があっラの?」ハリーがステーキの大きな塊を口に入れたまま聞いた。
「ピーブズですよ。また」
”ほとんど首なしニック”が首を振り振り言ったので首が危なっかしくグラグラ揺れた。ニックは
ひだ襟を少し引っ張り上げた。
「いつもの議論です。ピーブズが祝宴に参加したいとだだをこねまして、ええ、全く無理な話です。
あんなやつですからね。行儀作法も知らず、食べ物の皿を見れば投げつけずには居られないような
やつです。”ゴースト評議会”を開きましてね、”太った修道士”はピーブズにチャンスを与えて
はどうかと言いました。でも”血みどろ男爵”がだめを出してテコでも動かない。その方が賢明だ
と私は思いましたよ」
”血みどろ男爵”はスリザリン寮付のゴーストで、銀色の血糊まみれ、げっそりと肉の落ちた無口
なゴーストだ。男爵だけがホグワーツでただ一人、ピーブズを押さえつける事ができる。
「そうかぁ。ピーブズめ、何か根に持っているな、と思ったよ」ロンは恨めしそうに言った。
「厨房で、何やったの?」
「ああ、いつもの通りです」”ほとんど首なしニック”は肩をすくめた。
「何もかもひっくり返しての大暴れ。鍋は投げるし、釜は投げるし。厨房はスープの海。屋敷しも
べ妖精がものも言えないほど恐がって」
ガチャン。ハーマイオニーが金の杯をひっくり返した。かぼちゃジュースがテーブルクロスにジ
ワーッと広がり、白いクロスにオレンジ色の筋が長々と伸びていったがハーマイオニーは気にもと
めない。
「屋敷しもべ妖精が、ここにもいるっていうの?」
恐怖に打ちのめされたようにハーマイオニーは”ほとんど首なしニック”を見つめた。
「このホグワーツに?」
「さよう」ハーマイオニーの反応に驚いたようにニックが答えた。
「イギリス中のどの屋敷よりも大勢いるでしょうな。百人以上」
「私、一人も見た事がないわ!」
「そう、日中は滅多に厨房を離れる事はないのですよ」ニックが言った。
「夜になると、出て来て掃除をしたり、火の始末をしたり、つまり、姿を見られないようにするの
ですよ。いい屋敷しもべの証拠でしょうが?存在を気付かれないのは」
ハーマイオニーはニックをじっと見た。
「でも、お給料は貰ってるわよね?お休みも貰ってるわね?それに、病欠とか、年金とかいろいろ
も?」
”ほとんど首なしニック”が笑いだした。あんまり高笑いしたのでひだ襟が外れ、真珠色の薄い皮
一枚でかろうじてつながっている首が、ポロリと落ちてぶらさがった。
「病欠に、年金?」
ニックは首を肩の上に押し戻し、ひだ襟でもう一度固定しながら言った。
「屋敷しもべは病欠や年金を望んでいません!」
ハーマイオニーはほとんど手をつけていない自分の皿を見おろし、やおらナイフとフォークを置き
皿を遠くに押しやった。
「ねえ、アーミーニー」
ロンは口が一杯のまま話し掛けた途端うっかりヨークシャー・プディングをハリーに引っかけてし
まった。
「ウォッと、ごめん、アリー」ロンは口の中のものを飲み込んだ。
「君が絶食したって、しもべ妖精が病欠をとれるわけじゃないよ!」
「奴隷労働よ」ハーマイオニーは鼻からフーッと息を吐いた。
「このご馳走を作ったのが、それなんだわ。奴隷労働!」
ハーマイオニーはそれ以上一口も食べようとしなかった。雨は相変わらず降り続き、暗い高窓を激
しく打った。雷鳴がまたバリバリッと窓を震わせ、嵐を映した天井に走った電光が金の皿を光らせ
たその時、一通り終わった食事の残り物が皿から消え、さっとデザートに変わった。
「ハーマイオニー、糖蜜パイだ!」
ロンがわざとパイの匂いをハーマイオニーの方に漂わせた。
「ごらんよ!蒸しプディングだ!チョコレート・ケーキだ!」
ハーマイオニーがマクゴナガル先生そっくりの目つきでロンを見たので、ロンもついにあきらめた。
デザートもきれいさっぱり平らげられ、最後のパイ屑が消えて無くなり皿がピカピカにきれいにな
ると、アルバス・ダンブルドア校長が再び立ちあがった。
大広間を満たしていたガヤガヤというおしゃべりがほとんど一斉にピタリとやみ、聴こえるのは嵐
の唸りとたたきつける雨の音だけになった。
「さて!」ダンブルドアは笑顔で全員を見渡した。
「みんなよく食べ、よく飲んだ事じゃろう」
(ハーマイオニーが「フン!」と言った)
「いくつか知らせる事がある。もう一度耳を傾けてもらおうかの」
「管理人のフィルチさんから皆に伝えるようにとの事じゃが、城内持ち込み禁止の品に、今年は次
のものが加わった。”叫びヨーヨー”、”噛みつきフリスビー”、”殴り続けのブーメラン”。禁
止品は全部で四三七項目有る筈じゃ。リストはフィルチさんの事務所で閲覧可能じゃ。確認したい
生徒がいればじゃが」
ダンブルドアの口元がヒクヒクッと震えた。引き続いてダンブルドアが言った。
「いつもの通り、校庭内にある森は、生徒立入禁止。ホグズミード村も、三年生になるまでは禁止
じゃ」
「寮対抗クィディッチ試合は今年は取り止めじゃ。これを知らせるのはわしのつらい役目での」
「エーッ!」ハリーは絶句した。チームメイトのフレッドとジョージを振り向くと二人ともあまり
の事に言葉もなく、ダンブルドアに向かってただ口をパクパクさせていた。ダンブルドアの言葉が
続く。
「これは、十月に始まり、今学年の終わりまで続くイベントのためじゃ。先生方もほとんどの時間
とエネルギーをこの行事のために費やす事になる。しかしじゃ、わしは、皆がこの行事を大いに楽
しむであろうと確信しておる。ここに大いなる喜びを持って発表しよう。今年、ホグワーツで」
しかし、ちょうどこの時、耳を劈く雷鳴とともに大広間の扉がバタンと開いた。戸口に一人の男が
立っていた。
長いステッキに寄りかかり、黒い旅行マントをまとっている。大広間の頭という頭が、一斉に見知
らぬ男に向けられた。
今しも天井を走った稲妻が、突然その男の姿をくっきりと照らしだした。
男はフードを脱ぎ、馬の鬣のような長い暗灰色まだらの髪をブルッと振るうと、教職員テーブルに
向かって歩きだした。
一方踏み出すごとに、コツッ、コツッという鈍い音が大広間に響いた。テーブルの端にたどり着く
と、男は右に曲がり、一歩ごとに激しく体を浮き沈みさせながら、ダンブルドアの方に向かった。
再び稲妻が天井を横切った。ハーマイオニーが息をのんだ。稲妻が男の顔をくっきりと浮かびあが
らせた。それはハリーが今までに見たどんな顔とも違っていた。人の顔がどんなものなのかをほと
んど知らない誰かが、しかも鑿の使い方に不慣れな誰かが、風雨に曝された木材を削って作ったよ
うな顔だ。
その皮膚は一ミリの隙もないほど傷跡に覆われているようだった。
口はまるで斜めに切り割かれた傷口に見え、鼻は大きく削がれていた。しかし、男の形相が恐ろし
いのは、なによりもその目のせいだった。片方の目は小さく、黒く光っていた。
もう一方は、大きく、丸いコインのようで、鮮やかな明るいブルーだった。ブルーの目は瞬きもせ
ず、もう一方の普通の目とは全く無関係に、ぐるぐると上下左右に絶え間なく動いている。ちょう
どその目玉がくるりと裏返しになり、瞳が男の真後ろを見る位置に移動したので、正面からは白目
しか見えなくなった。見知らぬ男はダンブルドアに近づき、手を差し出した。
顔と同じぐらい傷跡だらけのその手を握りながらダンブルドアが何かをつぶやいたが、ハリーには
聞き取れなかった。
見知らぬ男に何か尋ねたようだったが、男はにこりともせずに頭を振りひくい声で答えていた。
ダンブルドアは頷くと自分の右手の空いた席へ男を誘った。男は席に着くと暗灰色の鬣をバサッと
顔から払いのけ、ソーセージの皿を引き寄せ、残骸のように残った鼻のところまで持ち上げてフン
フンと匂いをかいだ。次に旅行用マントのポケットから小刀を取り出し、ソーセージをその先に突
き刺して食べ始めた。片方の正常な目はソーセージに注がれていたが、ブルーの目はせわしなくぐ
るぐる動き回り、大広間や生徒たちを観察していた。
「”闇の魔術に対する防衛技術”の新しい先生をご紹介しよう」
静まり返った中でダンブルドアの明るい声が言った。
「ムーディ先生です」
新任の先生は拍手で迎えられるのが普通だったが、ダンブルドアとハグリッド以外は職員も生徒も
誰一人として拍手しなかった。
二人の拍手が静寂の中でパラパラと寂しく鳴り響きその拍手もほとんどすぐにやんだ。
他の全員はムーディの余りに不気味な有様に呪縛されたかのようにただじっと見つめるばかりだっ
た。
「ムーディ?」ハリーが小声でロンに話しかけた。
「マッド・アイ・ムーディ?君のパパが今朝助けに入った人?」
「そうだろうな」ロンも圧倒されたようにひくい声で言った。
「あの人、いったいどうしたのかしら?」ハーマイオニーもささやいた。
「あの顔、何があったの?」
「知らない」
ロンはムーディに魅入られたかのように見つめながらささやき返した。
ムーディはお世辞にも温かいとはいえない歓迎ぶりにも全く無頓着のようだった。
目の前のカボチャジュースのジャーには目もくれず、旅行用マントから今度は携帯用酒瓶を引っ張
り出してグビッグビッとのんだ。
飲むときにうでが上がりマントの裾が床から数十センチ持ち上がった。
ハリーは先端にかぎづめのついた木製の義足をテーブルの下から垣間見た。ダンブルドアが咳払い
した。
「先ほど言いかけていたのじゃが」
身じろぎもせずにマッド・アイ・ムーディを見つめ続けている生徒たちに向かって、ダンブルドア
はにこやかに語りかけた。
「これから数ヶ月に渡り、我が校は、誠に心踊るイベントを主催するという光栄に浴する。この催
しはここ百年以上行われていない。この開催を発表するのは、わしとしても大いに嬉しい。今年、
ホグワーツで、三大魔法学校対抗試合を行う」
「ご冗談でしょう!」フレッド・ウィーズリーが大声を上げた。ムーディが到着してからずっと大
広間に張りつめていた緊張が急に解けた。ほとんど全員が笑いだし、ダンブルドアも絶妙の掛け声
を楽しむようにフォッフォッと笑った。
「ミスター・ウィーズリー、わしは決して冗談など言っておらんよ」ダンブルドアが言った。
「とはいえ、せっかく冗談の話が出たからには、実は、夏休みにすばらしい冗談を一つ聞いてのう。
トロールと鬼婆とレプラコーンが一緒に飲み屋に入ってな」
マクゴナガル先生が大きな咳払いをした。
「ふむ、しかし今その話をする時では、ないようじゃの」ダンブルドアが言った。
「どこまで話したかの?おお、そうじゃ。三大魔法学校対抗試合じゃった。さて、この試合がいか
なるものか、知らない諸君もおろう。そこでとっくに知っている諸君にはお許しを願って、簡単に
説明するでの。その間、知っている諸君は自由勝手にほかの事を考えていてよろしい。三大魔法学
校対抗試合はおよそ七百年前、ヨーロッパの三大魔法学校の親善試合として始まったものじゃ。ホ
グワーツ、ボーバトン、ダームストラングの三校での。各校から代表選手が一人ずつ選ばれ、三人
が三つの魔法競技を競った。五年ごとに三校が回り持ちで競技を主催しての。若い魔法使い、魔女
たちが国を超えての絆を築くには、これが最も優れた方法だと、衆目の一致するどころじゃった。
おびただしい数の死者が出るに至って、競技そのものが中止されるまではの」
「おびただしい死者?」ハーマイオニーが目を見開いてつぶやいた。しかし大広間の大半の学生は
ハーマイオニーの心配などどこ吹く風で興奮してささやき合っていた。ハリーも何百年前に誰かが
死んだ事を心配するより試合の事がもっと聞きたかった。
「何世紀にもわたってこの試合を再開しようと幾度も試みられたのじゃが」ダンブルドアの話は続
いた。
「そのどれも成功しなかったのじゃ。しかしながら、我が国の”国際魔法協力部”と”魔法ゲー
ム・スポーツ部”とが、今こそ再開の時は熟せりと判断した。今回は、選手の一人たりとも死の危
険に曝されぬようにするために、我々はこのひと夏かけて一意専心取り組んだのじゃ。
ボーバトンとダームストラングの校長が、代表選手の最終高校生を連れて十月に来校し、ハロウィ
ンの日に学校代表選手三人の選考が行われる。優勝杯、学校の栄誉、そして選手個人に与えられる
賞金一千ガリオンを賭けて戦うのに、誰がふさわしいかを、公明正大なる審査員が決めるのじゃ」
「立候補するぞ!」
フレッド・ウィーズリーがテーブルの向こうで唇をきっとむすび、栄光と富とを手にする期待に熱
く燃え顔を輝かせていた。
ホグワーツの代表選手になる姿を思い描いたのはフレッドだけではなかった。
どの寮のテーブルでもうっとりとダンブルドアを見つめるものや、隣の学生と熱っぽく語り合う光
景がハリーの目に入った。
しかしその時、ダンブルドアが再び口を開き大広間は又静まり返った。
「すべての諸君が、優勝杯をホグワーツ校にもたらそうという熱意に満ちておると承知しておる。
しかし、参加三校の校長、ならびに魔法省としては、今年の選手に年齢制限を設ける事で合意した。
ある一定年齢に達した生徒だけが、つまり、十七歳以上じゃが、代表候補として名乗りを上げる事
を許される。この事は」ダンブルドアは少し声を大きくした。ダンブルドアの言葉で怒りだした何
人かの生徒がガヤガヤ騒ぎ出したからだ。ウィーズリーの双子は急に険しい表情になった。
「この事は、我々がいかに予防措置を取ろうとも、やはり試合の種目が難しく、危険である事から、
必要な措置であると判断したがためなのじゃ。六年生、七年生より年少の者が課題をこなせるとは
考えにくい。年少の者がホグワーツの代表選手になろうとして、公明正大なる選考の審査員をだし
抜いたりするよう、わし自ら目を光らせる事にする」
ダンブルドアの明るいブルーの目がフレッドとジョージの反抗的な顔をちらりと見て悪戯っぽく
笑った。
「それから、十七歳に満たないものは、名前を審査員に提出したりして時間の無駄をせんように、
よくよく願っておこう。ボーバトンとダームストラングの代表団は十月に到着し、今年度はほとん
どずっと我が校にとどまる。外国からの客人が滞在する間、皆、礼儀と厚情を尽くす事と信ずる。
さらに、ホグワーツの代表選手が選ばれしあかつきには、そのものを、皆、心から応援するであろ
うと、わしはそう信じておる。さてと、夜も更けた。明日からの授業に備えて、ゆっくり休み、
はっきりした頭で臨む事が大切じゃと、皆そう思っておるじゃろうの。就寝!ほれほれ!」
ダンブルドアは再び腰掛け、マッド・アイ・ムーディと話し始めた。がたがた、バタバタと騒々し
い音を立てて、全校生徒が立ち上がり、群れをなして玄関ホールに出る二重扉へと向かった。
「そりゃあ、ないぜ!」
ジョージ・ウィーズリーは扉に向かう群れには加わらず棒立ちになってダンブルドアを睨み付けて
いた。
「俺たち、四月には十七歳だぜ。なんで参加できないんだ?」
「俺はエントリーするぞ。止められるもんなら止めてみろ」
フレッドも教職員テーブルにしかめ面を向け頑固に言い張った。
「代表選手になると、普通なら絶対許されない事がいろいろできるんだぜ。しかも、賞金一千ガリ
オンだ!」
「うん」ロンは魂が抜けたような目だ。「うん。一千ガリオン」
「さあ、さあ」ハーマイオニーが声をかけた。
「行かないと、ここに残っているのは私たちだけになっちゃうわ」
ハリー、ロン、ハーマイオニー、それにフレッド、ジョージが玄関ホールへと向かった。フレッド
とジョージはダンブルドアがどんな方法で、十七歳未満のエントリーを阻止するのだろうと大議論
を始めた。
「代表選手を決める公明正大な審査員って、誰なんだろう?」ハリーが言った。
「知るもんか」フレッドが言った。
「だけど、そいつを騙さなきゃ。”老け薬”を数滴使えばうまくいくかもな、ジョージ」
「だけど、ダンブルドアは二人が十七歳未満だって知ってるよ」ロンが言った。
「ああ、でも、ダンブルドアが代表選手を決めるわけじゃないだろう?」フレッドは抜け目がない。
「俺の見るとこじゃ、審査員なんて、誰が立候補したかさえ分かったら、あとは各校からベストな
選手を選ぶだけで、歳なんて気にしないと思うな。ダンブルドアは俺たちが名乗りをあげるのを阻
止しようとしているだけだ」
「でも、今まで死人が出てるのよ」
みんなでタペストリーの裏の隠し戸を通り、また一つ狭い階段を上がりながら、ハーマイオニーが
心配そうな声を出した。
「ああ」フレッドは気楽に言った。
「だけどずっと昔の話だろ?それに、ちょっとくらいスリルがなきゃ、面白くないじゃないか?お
い、ロン、俺たちがダンブルドアを出し抜く方法見つけたらどうする?エントリーしたいかい?」
「どう思う?」ロンはハリーに聞いた。
「立候補したら気分いいだろうな。だけど、もっと年上の選手がほしいんだろうな。僕たちじゃま
だ勉強不足かも」
「ぼくなんか、絶対不足だ」
フレッドとジョージの後からネビルの落ちこんだ声がした。
「だけど、ばあちゃんは僕に立候補してほしいだろうな。ばあちゃんは、僕が家の名誉をあげな
きゃいけないっていっつも言ってるもの。僕、やるだけはやらな、ウワッ」
ネビルの足が、階段の中ほどでずぶりとはまり込んでいた。こんないたずら階段がホグワーツのあ
ちこちにあって、ほとんどの上級生は、考えなくとも階段の消えた部分を跳び越す習慣ができてい
る。しかしネビルはとびきり記憶力が悪かった。ハリーとロンがネビルの脇の下を抱えて引っ張り
出した。階段の上では甲冑がギーギー、ガシャガシャと音を立てて笑っていた。
「こいつめ、黙れ!」
鎧のそばを通り過ぎるとき、ロンが兜の面頬をガシャンと引き下げた。グリフィンドール塔にたど
り着いた。入り口はピンクの絹のドレスを着た”太った婦人”の大きな肖像画の後に隠れている。
皆が近づくと肖像画が問い掛けた。
「合言葉は?」
「ボールダーダッシュ」ジョージが言った。
「下にいた監督生が教えてくれたんだ」
肖像画がパッと開き、背後の壁の穴が現れた。全員よじ登って穴をくぐった。
円形の談話室にはふかふかしたひじ掛け椅子やテーブルが置かれ、パチパチと燃える暖炉の火で暖
かかった。
ハーマイオニーは楽しげに弾ける火に暗い視線を投げかけた。
「おやすみなさい」と挨拶して女子寮に続く廊下へと姿を消す前に、ハーマイオニーがつぶやいた
言葉を、ハリーははっきりと聞いた。

「奴隷労働」

ハリー、ロン、ネビルは最後の螺旋階段を上がり、塔の天辺にある寝室にたどり着いた。深紅の
カーテンがかかった四本柱のベッドが五つ壁際に並び、足下にはそれぞれのベッドの主のトランク
が置かれていた。
ディーンとシェーマスはもうベッドに入るところだった。シェーマスのベッドの枕もとにはアイル
ランドのロゼットがピンで留められ、ディーンのベッドの脇机の上には、ビクトール・クラムのポ
スターが壁に貼り付けられていた。
ディーンを気に入りのウェストハム・サッカーチームの古ポスターは、その脇にピンで留めてある。
ちっとも動かないサッカー選手たちを眺めながらロンが頭を振り振りため息をついた。
「イカレてる」
ハリー、ロン、ネビルもパジャマに着替えベッドに入った。誰かが(しもべ妖精に違いない)湯た
んぽをベッドにいれてくれていた。ベッドに横たわり外で荒れ狂う嵐の音を聞いているのはほっこ
りと気持ちがよかった。
「ぼく、立候補するかも」暗がりの中でロンが眠そうに言った。
「フレッドとジョージがやり方を見つけたら、試合に、やってみなきゃわかんないものな?」
「だと思うよ」ハリーは寝返りを打った。頭の中に次々と輝かしい姿が浮かんだ。公明正大な審査
員を出し抜いて、十七歳だと信じこませたハリー。ホグワーツの代表選手になったハリー。
拍手喝采、大歓声の全校生徒の前で、勝利の印に両手をあげて校庭に立つ僕。
僕は今、対抗試合に優勝した。ぼんやりとかすむ群衆の中で、チョウ・チャンの顔がくっきりと浮
かびあがる。
賞賛に顔を輝かせている。ハリーは枕に隠れてにっこりした。自分だけに見えて、ロンには見えな
いのが特に嬉しかった。

第十三章マッド・アイ・ムーディ

嵐は翌朝までには治まっていた。しかし大広間の天井はまたどんよりしていた。
ハリー、ロン、ハーマイオニーが朝食の席で時間割を確かめているときも、天井には鉛色の重苦し
い雲が渦巻いていた。
三人から少し離れた席で、フレッド、ジョージとリー・ジョーダンがどんな魔法を使えば年を取り、
首尾よく三校対抗試合にもぐりこめるかを討議していた。
「今日はまあまあだな。午前中はずっと戸外授業だ」
ロンは時間割の月曜日の欄を上から下へと指で擦りながら言った。
「薬草学はハッフルパフと合同授業。魔法生物飼育学は、クソ、またスリザリンと一緒だ」
「午後に、占い学が二時限続きだ」
時間割の下の方見てハリーが呻いた。占い学はハリーの一番嫌いな科目だ(魔法薬学はまた別格だ
が)。占い学のトレローニー先生がしつこくハリーの死を予言するのがハリーにはイヤでたまらな
かった。
「あなたも、占い学をやめれば良かったのよ。私みたいに」
トーストにバターを塗りながら、ハーマイオニーが威勢よく言った。
「そしたら、数占いのように、もっときちんとした科目が取れるのに」
「おーや、まだ食べるようになったじゃないか」
ハーマイオニーがトーストにたっぷりジャムをつけるのを見てロンが言った。
「しもべ妖精の権利を主張するのには、もっといい方法があるってわかったのよ」
ハーマイオニーは誇り高く言い放った。
「そうかい、それに、腹も減ってたしな」ロンがニヤッとした。突然頭上で羽音がした。
開けはなした窓から百羽のふくろうが朝の郵便を運んできたのだ。ハリーは反射的に見上げたが、
茶色や灰色の群れの中に白いふくろうは影も形も見えなかった。ふくろうはテーブルの上をぐるぐ
る飛び回り手紙や小包の受取人を探した。
大きなメンフクロウがネビル・ロングボトムのところにさーっと降下し膝に小包を落とした。
ネビルは必ず何か忘れ物をしてくるのだ。大広間の向こう側ではドラコ・マルフォイのワシミミズ
クが、家から送ってくるいつものケーキやキャンディーの包みらしい物を持って肩に止まった。
がっかりして胃が落ち込むような気分押さえつけ、ハリーは食べかけのオートミールをまた食べ始
めた。
ヘドウィグの身に何か起こったんじゃないだろうか?
シリウスは手紙を受け取らなかったのでは?
グショグショした野菜畑を通り第三温室にたどり着くまでハリーはずっとその事ばかり考えていた
が、温室でスプラウト先生に今まで見た事もないような醜い植物を見せられて心配ごともお預けに
なった。
植物というよりまっ黒な太い大なめくじが土を突き破って直立しているようだった。かすかにのた
くるように動き一本一本にテラテラ光る大きな腫れ物がブツブツと吹き出し、その中に液体のよう
な物が詰まっている。
「ブボチューバー、腫れ草です」スプラウト先生がきびきびと説明した。
「しぼってやらないと行けません。みんな、膿を集めて」
「えっ、何を?」シェーマス・フィネガンが気色悪そうに聞き返した。
「膿です。フィネガン、ウミ」スプラウト先生が繰り返した。
「しかしとても貴重な物ですから無駄にしないよう。膿をいいですか、この瓶に集めなさい。ドラ
ゴン革の手袋をして。原液のままだと、このブボチューバーの膿は、皮膚に変な害を与える事があ
ります」
膿搾りはむかむかしたがなんだか奇妙な満足感があった。腫れたところを突つくと、黄緑色のど
ろっとした膿がたっぷりあふれだし強烈な石油臭がした。先生に言われた通りそれを瓶に集め授業
が終わるころには数リットルも溜まった。
「マダム・ポンフリーがお喜びになるでしょう」
最後の一本の瓶にコルクで栓をしながらスプラウト先生が言った。
「頑固なニキビにすばらしい効き目があるのです。このブボチューバーの膿は。これで、ニキビを
なくそうと躍起になって、生徒がとんでもない手段をとる事もなくなるでしょう」
「可哀そうなエローイーズ・ミジェンみたいにね」
ハッフルパフ生のハンナ・アボットが声を殺して言った。
「自分のニキビに呪いをかけて取ろうとしたっけ」
「バカな事を」スプラウト先生が首を振り振り言った。
「ポンフリー先生が鼻を元通り付けてくれたから良かったような物の」
濡れた校庭の向こうから鐘の音が響いてきた。授業の終わりを告げる城の鐘だ。薬草学が終わり
ハッフルパフ生は石段を上って変身術の授業へ、グリフィンドール生は反対に芝生を下って、禁じ
られた森の外れに建つハグリッドの小屋へと向かった。ハグリッドは片手を巨大なボアハウンド犬
のファングの首輪にかけ、小屋の前に立っていた。足下に木箱が数個、ふたを開けておいてあり、
ファングは中身をもっとよく見たくてうずうずしているらしく、首輪を引っ張るようにしてクィン
クィン鳴いていた。近づくにつれて奇妙なガラガラという音が聞こえてきた。時々小さな爆発音の
ような音がする。
「おっはよー!」
ハグリッドはハリー、ロン、ハーマイオニーににっこりした。
「スリザリンを待った方がええ。あの子たちも、こいつを見逃したくはねえだろう。”尻尾爆発ス
クリュート”だ!」
「もう一回言って?」ロンが言った。ハグリッドは木箱の中を指さした。
「ギャーッ!」ラベンダー・ブラウンが悲鳴をあげて飛びのいた。
「ギャーッ!」の一言が尻尾爆発スクリュートのすべてを表している、とハリーは思った。
殻を剥かれた奇形のイセエビのような姿でひどく青白いヌメヌメした胴体からは、勝手気ままな場
所に脚が突出し、頭らしい頭が見えない。
一箱におよそ百匹ほどいる。体長約十五、六センチで重なり合って這い回り、闇雲に箱の内側にぶ
つかっていた。
腐った魚のような強烈なにおいを発する。時々尻尾らしいところから火花が飛び、パンと小さな音
をあげてそのたびに十センチほど前進している。
「いま孵ったばっかしだ」ハグリッドは得意気だ。だから、お前たちが自分で育てられるっちゅう
わけだ!そいつをちいっとプロジェクトにしようと思っちょる!」
「それで、なぜ我々がそんな物を育てなきゃならないのでしょうねぇ?」冷たい声がした。スリザ
リン生が到着していた。声の主はドラコ・マルフォイだった。クラッブとゴイルが「もっともなお
話」とばかりクスクス笑っている。ハグリッドは答えに詰まっているようだった。
「つまり、こいつらは何の役に立つのだろう?」マルフォイが問い詰めた。
「何の意味があるっていうんですかねぇ?」
ハグリッドは口をパクッと開いている。必死で考えている様子だ。数秒間黙った後でハグリッドが
ぶっきらぼうに答えた。
「マルフォイ、そいつは次の授業だ。今日はみんなで餌をやるだけだ。さあ、いろんな餌をやって
みろよ。俺はこいつらを飼った事がねえなんで、何を食うのかよくわからん。ありの卵、カエルの
肝、それと、毒のねえやまかがしをちいと用意してある。全部ちーっとずつ試してみろや」
「最初は膿、次はこれだもんな」シェーマスがブツブツ言った。ハリー、ロン、ハーマイオニーは
ぐにゃぐにゃのカエルの肝をひとつかみ木箱の中に差し入れ、スクリュートをさそってみた。ハグ
リッドが大好きでなかったらこんな事はしない。やっている事が全部、まったく無駄何じゃないか
とハリーはその気持ちを抑えきれなかった。何しろスクリュートに口があるようには見えない。
「アイタッ!」
十分ほどたったとき、ディーン・トーマスが叫んだ。
「こいつ、襲った!」
ハグリッドが心配そうに駆け寄った。
「尻尾が爆発した!」
手のやけどをハグリッドに見せながらディーンがいまいましそうに言った。
「ああ、そうだ。こいつらが飛ぶときにそんな事が起こるな」ハグリッドが頷きながら言った。
「ギャーッ!」ラベンダー・ブラウンがまた叫んだ。
「ギャッ、ハグリッド、あの尖った物何?」
「ああ。針を持った奴もいる」ハグリッドの言葉に熱がこもった。ラベンダーはさっと箱から手を
引っ込めた。
「多分、雄だな。雌は腹ンとこに吸盤のような物がある。血を吸うためじゃねえかと思う」
「おやおや。なぜ僕たちがこいつらを生かしておこうとしているのか、これで僕にはよくわかった
よ」
マルフォイが皮肉たっぷりに言った。
「火傷させて、刺して、かみつく。これが一度にできるペットだもの、誰だって欲しがるだろ?」
「可愛くないからって役に立たないとは限らないわ」ハーマイオニーが反撃した。
「ドラゴンの血なんか、素晴らしい魔力があるけど、ドラゴンをペットにしたいなんて誰も思わな
いでしょう?」
ハリーとロンがハグリッドを見てニヤッと笑った。ハグリッドももじゃもじゃの髭の陰で苦笑いし
た。ハグリッドはペットならドラゴンが一番欲しいはずだとハリーもロンもハーマイオニーもよく
知っていた。三人が一年生のときごく短い間だったがハグリッドはドラゴンのペットを飼っていた。
狂暴なノルウェー・リッジバック種でノーバートという名だった。ハグリッドは怪物のような生物
が大好きだ。危険であればあるほど好きなのだ。
「まあ、少なくとも、スクリュートは小さいからね」
一時間も、昼食を取りに城に戻る道すがらロンが言った。
「そりゃ、今は、そうよ」ハーマイオニーは声を昂らせた。
「でも、ハグリッドが、どんな餌をやったらいいか見つけたら、多分二メートル位には育つわよ」
「だけど、あいつらが船酔いとかなんとかに効くという事になりゃ、問題ないだろ?」
ロンがハーマイオニー向かって悪戯っぽく笑った。
「よーく御存じでしょうけど、私はマルフォイを黙らせるためにあんな事を言ったのよ。本当の事
言えば、マルフォイが正しいと思う。スクリュートが私たちを襲うようになる前に、全部踏み潰し
ちゃうのが一番いいのよ」
三人はグリフィンドールのテーブルに着き、ラムチョップとポテトを食べた。ハーマイオニーが猛
スピードで食べるので、ハリーとロンが目を丸くした。
「あ、それって、しもべ妖精の権利擁護の新しいやり方?」ロンが聞いた。
「絶食じゃなくて、吐くまで食う事にしたの?」
「どういたしまして」
芽キャベツを口いっぱいに頬張ったまま、それでも精一杯に威厳を保ってハーマイオニーが言った。
「図書館に行きたいだけよ」
「エーッ?」ロンは信じられないという顔だ。
「ハーマイオニー、今日は一日目だぜ。まだ宿題の「し」の字も出ていないのに!」
ハーマイオニーは肩をすくめまるで何日も食べていなかったかのように食事を掻き込んだ。
それからさっと立ち上がり「じゃ、夕食のときね!」と言うなり猛スピードで出て言った。
午後の始業のベルが鳴りハリーとロンは北塔に向かった。
北塔の急な螺旋階段をのぼりつめたところに銀色の梯子があり天井の円形の跳ね戸へと続いていた。
その向こうがトレローニー先生の棲みついている部屋だった。梯子をのぼり部屋に入ると、暖炉か
ら立ち昇るあの甘ったるい匂いがむっと鼻を突いた。
いつものようにカーテンは締め切られている。円形の部屋はスカーフやショールで覆った無数のラ
ンプから出る赤い光でぼんやりと照らされていた。
そこかしこに置かれた布張り椅子や円形クッションはもう他の生徒が座っていた。
ハリーとロンはそのあいだを縫って歩き一緒に小さな丸テーブルについた。
「こんにちは」
ハリーのすぐ後ろでトレローニー先生の霧のかかったような声がしてハリーはとびあがった。
細い体に巨大な眼鏡が顔に不釣り合いなほど目を大きく見せている。トレローニー先生だ。
ハリーを見る時に必ず見せる悲劇的な目つきでハリーを見おろしていた。
いつものようにごってりと身に付けたビーズやチェーン、腕輪が暖炉の火を受けてキラキラしてい
る。
「坊や、何か心配してるわね」先生が悲しげに言った。
「あたくしの心眼は、あなたの平気を装った顔の奥にある、悩める魂を見通していますのよ。お気
の毒に、あなたの悩み事は根拠のない物ではないのです。あたくしには、あなたの行く手に困難が
見えますわ。嗚呼、本当に大変な、あなたの恐れている事は、かわいそうに、必ず起こるでしょう。
しかも、おそらく、あなたの思っているより早く」
先生の声がグッと低くなり最後はほとんどささやくように言った。ロンはやれやれという目つきで
ハリーを見た。
ハリーは硬い表情のままロンを見た。トレローニー先生は二人のそばをスイーッと通り、暖炉前に
置かれたベッドレストのついた大きな肘掛け椅子に座り生徒たちと向かい合った。
トレローニー先生を崇拝するラベンダー・ブラウンとパーバティ・パルチは、先生のすぐそばの
クッション椅子に座っていた。
「皆様、星を学ぶ時がきました」先生が言った。
「惑星の動き、そして天体の舞のステップを読み取る者だけに明かされる神秘的予兆。人の運命は、
惑星の光によって、その謎が時明かされ、その光が混じり合い」
ハリーはほかの事を考えていた。香を焚き込めた暖炉の火で、いつも眠くなりぼーっとなるのだ。
しかもトレローニー先生の占いに関する取り止めの無い話はハリーを夢中にさせた例がない。
それでも先生がたった今言った事がハリーの頭に引っかかっていた。
「あなたの恐れている事は、かわいそうに、必ず起こるでしょう」
しかしハーマイオニーの言うとおりだ、とハリーはイライラしながら考えた。トレローニー先生は
インチキだ。
ハリーは今何も恐れてはいなかった。まあ、強いて言えば、シリウスが捕まってしまったのではな
いか、と恐れてはいたが。
とはいえ、トレローニー先生に何が分かるというのか?
トレローニー先生の占いなんて当たれば御慰みのあて推量で、なんとなく無気味な雰囲気だけのも
のだとハリーはとっくにそういう結論を出していた。ただし例外は、去年の学期末の事だった。
ヴォルデモートが再び立ち上がると予言した。ダンブルドアでさえハリーの話を聞いたとき、あの
霊媒状態は本物だと考えた。
「ハリー!」ロンがささやいた。
「えっ?」ハリーはきょろきょろあたりを見まわした。クラス中がハリーを見つめていた。ハリー
はきちんと座り直した。暑かったし自分だけの考えに没頭してウトウトしていたのだ。
「坊や、あたくしが申しあげましたのはね、あなたが、間違いなく、土星の不吉な支配のもとで生
まれた、という事ですのよ」
ハリーがトレローニー先生の言葉に聴き惚れていなかったのが明白なので先生の声がかすかにイラ
イラしていた。
「何の下に、ですか?」ハリーが聞いた。
「土星ですわ。不吉な星、土星!」
この宣告でもハリーにとどめをさせないのでトレローニー先生の声が明らかにイライラしていた。
「あなたの生まれたとき、間違いなく土星が天空の支配宮に入っていたと、あたくし、そう申し上
げていましたの。あなたの黒い髪、貧弱な体つき、幼くして悲劇的な喪失。あたくし、間違ってい
ないと思いますが、ねえ、あなた、真冬に生まれたでしょう?」
「いいえ、僕、七月生まれです」ハリーが言った。ロンは笑いをごまかすのに慌ててゲホゲホ咳を
した。
三十分の、みんなはそれぞれ複雑な円形チャートを渡され、自分の生まれたときの惑星の位置を書
き込む作業をしていた。
年代表を参照したり、角度の計算をするばかりの面白くない作業だった。
「僕、海王星が二つもあるよ」
しばらくしてハリーが、自分の羊皮紙を見て顔をしかめながら言った。
「そんなはずは無いよね?」
「あぁぁぁぁー」ロンがトレローニー先生の謎めいたささやきを口まねした。
「海王星が二つ空に現れるとき。ハリー、それは眼鏡をかけた小人が生まれる確かな印ですわ」
すぐそばで作業していたシェーマスとディーンが声をあげて笑ったが、ラベンダー・ブラウンの興
奮した叫び声にかき消されてしまった。
「うわあ、先生、見てください!星位のない惑星がでてきました!
おぉぉー、先生、いったいこの星は?」
「冥王星、最高尾の惑星ですわ」トレローニー先生が星座表をのぞき込んで言った。
「どんけつの星か。ラベンダー、僕に君のどんけつ、ちょっと見せてくれる?」ロンが言った。ロ
ンの下品な言葉遊びが分悪くトレローニー先生の耳に入ってしまった。多分そのせいで授業が終わ
るときにどさっと宿題が出た。
「これから一カ月間の惑星の動きが、みなさんにどう影響を与えるか、ご自分の星座表に照らして、
詳しく分析なさい」
いつもの霞か雲かのような調子とは打って変わって、まるでマクゴナガル先生かと思うようなきっ
ぱりとした言い方だった。
「来週の月曜日にご提出なさい。言い訳は聞きません!」

「あのババアめ」
みんなで階段を降り、夕食を取りに大広間に向かいながらロンが毒づいた。
「週末いっぱいかかるぜ。マジで」
「宿題がいっぱい出たの?」ハーマイオニーが追いついて明るい声で言った。
「私たちには、ベクトル先生ったら、なんにも宿題出さなかったのよ!」
「じゃ、ベクトル先生、バンザーイだ」ロンが不機嫌に言った。
玄関ホールに着くと夕食を待つ生徒で溢れ行列が出来ていた。三人が列の後ろに並んだ途端背後で
大声がした。
「ウィーズリー!おーい、ウィーズリー!」
ハリー、ロン、ハーマイオニーが振り返ると、マルフォイ、クラッブ、ゴイルが立っていた。
なにか嬉しくてたまらないという顔をしている。
「なんだ?」ロンがぶっきらぼうに聞いた。
「君の父親が新聞に載ってるぞ、ウィーズリー!」
マルフォイは”日刊予言者新聞”をひらひら振り、玄関ホールにいる全員に聞こえるように大声で
言った。
「聞けよ!」
『魔法省、またまた失態!特派員のリータ・スキーターによれば、魔法省のトラブルは、まだ終
わっていない模様である。クィディッチ・ワールドカップでの警備の不手際や、職員の魔女の失踪
事件がいまだにあやふやになっている事で非難されてきた魔法省が、昨日、「マグル製品不正使用
取締局」のアーノルド・ウィーズリーの失態で、またもや顰蹙を買った。』
マルフォイが顔を上げた。
「名前さえまともに書いてもらえないなんて、ウィーズリー、君の父親は完全に小者扱いみたいだ
ねぇ?」
マルフォイは得意満面だ。玄関ホールの全員が、今や耳を傾けている。マルフォイは、これをみよ
がしに新聞を広げ直した。
『アーノルド・ウィーズリーは、二年前にも空飛ぶ車を所有していた事で責任を問われたが、昨日、
非常に攻撃的なゴミバケツ数個をめぐって、マグルの法執行官(警察)ともめごとを起こした。
ウィーズリー氏は「マッド・アイ」ムーディの救助に駆けつけた模様だ。年老いた「マッド・ア
イ」は、友好的握手と殺人未遂との区別も付かなくなった時点で魔法省を引退した、往年の「闇祓
い」である。警戒の厳重なムーディ氏の自宅に到着したウィーズリー氏は、案の定、ムーディ氏が
またしても間違い警報を発した事に気づいた。ウィーズリー氏はやむなく何人かの記憶修正を行い、
やっと警官の手を逃れたが、こんな顰蹙を買いかねない不名誉な場面に、なぜ魔法省が関与したの
かという”日刊予言者新聞”の質問に対して、回答を拒んだ。』
「写真までのってるぞ、ウィーズリー!」
マルフォイが新聞を裏返して掲げて見せた。
「君の両親が家の前で写ってる。もっとも、これが家と言えるかどうか!君の母親は少し減量した
方がよくないか?」
ロンは怒りでふるえていた。みんながロンを見つめている。
「失せろ、マルフォイ!ロン、行こう」ハリーが言った。
「そうだ、ポッター、君は夏休みにこの連中のところに泊まったそうだね?」
マルフォイがせせら笑った。
「それじゃ、教えてくれ。ロンの母親は、本当にこんなデブチンなのかい?それとも単に写真うつ
りかねぇ?」
「マルフォイ、君の母親はどうなんだ?」ハリーが言い返した。ハリーもハーマイオニーも、ロン
がマルフォイに飛び掛からないよう、ロンのローブの後ろをがっちり押さえていた。
「あの顔つきはなんだい?鼻の下にクソでもぶら下げているみたいだ。いつもあんな顔してるのか
い?それとも単に君がぶら下がっていたからなのかい?」
マルフォイの青白い顔に赤みがさした。
「僕の母親を侮辱するな、ポッター」
「それなら、その減らず口を閉じとけ」ハリーはそう言って背を向けた。バーン!
数人が悲鳴を上げた。ハリーは何か白熱した熱いものが頬をかすめるのを感じた。ハリーはローブ
のポケットに手を突っ込んで杖を取ろうとした。しかし杖に触れるより早く二つ目のバーンだ。そ
して吼え声が玄関ホールに響き渡った。
「若造、そんな事をするな!」
ハリーが急いで振り返るとムーディ先生が大理石の階段をコツッコツッと降りてくるところだった。
杖をあげ真っ直ぐに純白のケナガイタチに突き付けている。
石畳を敷き詰めた床でちょうどマルフォイが立っていた辺りに、白イタチがふるえていた。
玄関ホールに恐怖の沈黙が流れた。ムーディ以外は身動きひとつしない。ムーディはハリーの方を
見た。
少なくとも普通の目の方はハリーを見た。もう一つの目はひっくり返って、頭の後ろの方見ている
ところだった。
「やられたかね」ムーディが唸るように言った。低い押し殺したような声だ。
「いいえ、はずれました」ハリーが答えた。
「触るな!」ムーディが叫んだ。
「触るなって、何に?」ハリーは面食らった。
「お前ではない、あいつだ!」
ムーディは親指で背後にいたクラッブをぐいと指し、唸った。白ケナガイタチを拾い上げ落として
いたクラッブはその場で凍りついた。ムーディの動く目は、どうやら魔力を持ち自分の背後が見え
るらしい。ムーディはクラッブ、ゴイル、ケナガイタチの方に向かって足を引きずりながらコツッ
コツッと歩き出した。イタチはキーキーと怯えた声を出して地下牢の方にさっと逃げ出した。
「そうはさせんぞ!」ムーディが吼え杖を再びケナガイタチに向けた。イタチは空中に二、三メー
トル飛び上がりバシッと床に落ち反動でまた跳ね上がった。
「敵が後ろを見せた時に襲う奴は気に食わん」ムーディは低くうなり、ケナガイタチは何度も床に
ぶつかっては跳ね上がり苦痛にキーキー鳴きながらだんだん高く跳ねた。
「鼻持ちならない、臆病で、下劣な行為だ」
ケナガイタチは足や尻尾をばたつかせながらなすすべもなく跳ね上がり続けた。
「二度と、こんな、事は、するな」
ムーディはイタチが石畳にぶつかって跳ねあがるたびに一語一語を打ち込んだ。
「ムーディ先生!」ショックを受けたような声がした。マクゴナガル先生が腕いっぱいに本を抱え
て大理石の階段を降りてくるところだった。
「やあ、マクゴナガル先生」ムーディはイタチをますます高く跳ね飛ばしながら落ち着いた声で挨
拶した。
「な、何をなさっているのですか?」
マクゴナガル先生は空中に跳ねあがるイタチの動きを目で追いながら聞いた。
「教育だ」ムーディが言った。
「教、ムーディ、それは生徒なのですか?」
叫ぶような声と共にマクゴナガル先生の手から本がボロボロこぼれおちた。
「さよう!」とムーディ。
「そんな!」マクゴナガル先生はそう叫ぶと階段を駆け下りながら杖を取り出した。
次の瞬間バシッと大きな音を立ててドラコ・マルフォイが再び姿を現した。
今や顔は燃えるように紅潮し滑らかなブロンドの髪がバラバラとその顔に懸かり床に這いつくばっ
ている。
マルフォイはひきつった顔で立ち上がった。
「ムーディ、本校では、懲罰に変身術を使う事は絶対ありません!」
マクゴナガル先生が困り果てたように言った。
「ダンブルドア校長がそうあなたにお話ししたはずですが?」
「そんな話をしたかも知れん、フム」
ムーディーはそんな事はどうでもよいという風に顎を掻いた。
「しかし、わしの考えでは、一番厳しいショックで」
「ムーディ!本校では居残り罰を与えるだけです!さもなければ、規則破りの生徒が属する寮の寮
監に話をします」
「それでは、そうするとしよう」
ムーディはマルフォイを嫌悪の眼差しでハッタとにらんだ。マルフォイは痛みと屈辱で薄青い眼を
またぐませてはいたが、ムーディを憎らしげに見上げ何かつぶやいた。「父上」という言葉だけが
聞き取れた。ムーディはコツッコツッと木製の義足の鈍い音をホール中に響かせて二、三歩前に出
ると静かに言った。
「いいか、わしはお前の親父殿を昔から知っているぞ、親父に言っておけ。ムーディが息子から目
を離さんぞ、とな。わしがそう言ったと伝えろ。さて、お前の寮監は、確か、スネイプだった
な?」
「そうです」マルフォイが悔しそうに言った。
「ヤツも古い知り合いだ」ムーディが唸るように言った。
「懐かしのスネイプ殿と口を聞くチャンスをずっと待っていた。来い。さあ」
そしてムーディはマルフォイの上腕をむんずとつかみ、地下牢へと引っ立てていった。マクゴナガ
ル先生はしばらくの間心配そうに二人の姿を見送っていたが、やがて落ちた本に向かって杖をひと
振りした。本は宙に浮かび上がり先生の腕の中に戻った。数分後にハリー、ロン、ハーマイオニー
の三人がグリフィンドールのテーブルにつき、今しがた起こった出来事を話す興奮した声が四方八
方から聞こえてきた時、ロンが二人にそっと言った。
「僕に話しかけないでくれ」
「どうして?」ハーマイオニーが驚いて聞いた。
「あれを永久に僕の記憶に焼き付けておきたいからさ」
ロンは目を閉じ瞑想にふけるかのように言った。
「ドラコ・マルフォイ。驚異の弾むケナガイタチ」
ハリーもハーマイオニーも大爆笑した。それからハーマイオニーはビーフシチューを三人銘々皿に
取り分けた。
「だけど、あれじゃ、本当にマルフォイを怪我させてたかもしれないわ」ハーマイオニーが言った。
「マクゴナガル先生が止めてくださったからよかったのよ」
「ハーマイオニー!」ロンがぱっちり目を開け憤慨して言った。
「君ったら、僕の生涯最良の時を台無しにしてるぜ!」
ハーマイオニーは付き合いきれないわというような音を立ててまたしても猛スピードで食べ始めた。
「まさか、今夜も図書館に行くんじゃないだろうね?」ハーマイオニーを眺めながらハリーが聞い
た。
「行かなきゃ」ハーマイオニーがモゴモゴ言った。
「やる事、たくさんあるもの」
「だって、言ってたじゃないか。ベクトル先生は」
「学校の勉強じゃないの」
ハーマイオニーは凄いなぁと呆れて見送るしかハリーには出来なかった。
そう言うとハーマイオニーは五分もたたないうちに皿を空っぽにしていなくなった。ハーマイオ
ニーがいなくなったすぐ後にフレッド・ウィーズリーが座った。
「ムーディ!なんとクールじゃないか?」フレッドが言った。
「クールを超えてるぜ」フレッドの向かい側に座ったジョージが言った。
「超クールだ」
双子の親友、リー・ジョーダンがジョージの隣の席に滑り込むように腰掛けながら言った。
「午後にムーディの授業があったんだ」リーがハリーとロンに話しかけた。
「どうだっだ?」ハリーは聞きたくてたまらなかった。フレッド、ジョージ、リーがたっぷりと意
味ありげな目つきで顔を見合わせた。
「あんな授業は受けた事がないね」フレッドが言った。
「まいった。わかってるぜ、あいつは」リーが言った。
「分かってるって、何が?」ロンが身を乗り出した。
「現実にやるって事が何なのか、わかってるのさ」ジョージがもったいぶって言った。
「やるって、何を?」ハリーが聞いた。
「”闇の魔術”と戦うって事さ」フレッドが言った。
「あいつは、すべてを見てきたな」ジョージが言った。
「スッゲェぞ」リーが言った。ロンはがばっと鞄を覗き授業の時間割を探した。
「あの人の授業、木曜日までないじゃないか!」
ロンががっかりしたような声を張り上げた。

第十四章許されざる呪文

それからの二日間は特に事件もなく過ぎた。もっともネビルが魔法薬学の授業で溶かしてしまった
大鍋の数が六個目になった事を除けばだが。夏休みの間に報復意欲に一段と磨きがかかったらしい
スネイプ先生がネビルに居残りを言い渡した。樽一杯の角ヒキガエルの腹ワタを抜き出す、という
処罰を終えて戻ってきたネビルは、ほとんど神経衰弱状態だった。
「スネイプが何であんなに険悪ムードなのか、分かるよな?」
ハーマイオニーがネビルに爪の間に入り込んだカエルの腹ワタを取り除く
”ゴシゴシ呪文”を教えてやっているのを眺めながらロンがハリーに言った。
「ああ、ムーディだ」ハリーが答えた。スネイプが闇の魔術の教職につきたがっている事はみんな
が知っていた。
そして今年で四年連続スネイプはその職に就きそこねた。これまでの闇の魔術の先生をスネイプは
さんざん嫌っていたしはっきり態度にも表した。
ところが、マッド・アイ・ムーディに対しては奇妙な事に、正面きって敵意を見せないように用心
しているように見えた。
事実、二人が一緒にいるところをハリーが目撃したときは(食事の時や廊下ですれ違うときなど)
必ずスネイプがムーディの目(魔法の目も普通の目も)を避けているとハリーははっきりそう感じ
た。
「スネイプは、ムーディの事、少し怖がってるような気がする」ハリーは考え込むように言った。
「ムーディがスネイプを角ヒキガエルに変えちゃったらどうなるかな」ロンは夢みるような眼に
なった。
「そして、奴を地下牢中ボンボン跳ねさせたら」
グリフィンドールの四年生はムーディの最初の授業が待ち遠しく、木曜の昼食がすむとはや早と教
室の前に集まり始業のベルが鳴る前に列を作っていた。ただ一人、ハーマイオニーだけは始業時間
ギリギリに現れた。
「私、今まで」
「図書館にいた」ハリーがハーマイオニーの言葉を途中から引き取った。
「早くおいでよ。いい席がなくなるよ」
担任は素早く最前列の先生の机の真正面に陣取り、教科書の”闇の力−護身術入門”を取り出しい
つになく神妙に先生を待った。まもなく、コツッコツッという音が廊下を近付いてくるのが聞こえ
た。紛れもなくムーディの足音だ。そしていつもの不気味な恐ろしげな姿がぬっと入ってきた。鉤
爪付の木製の義足がローブの下から突出しているのがちらりと見えた。
「そんな物、しまってしまえ」
コツッコツッと机に向かい腰をおろすや否やムーディが唸るように言った。
「教科書だ。そんな物は必要ない」
みんな教科書を鞄に戻した。ロンが顔を輝かせた。ムーディは出席簿を取り出し傷跡だらけのゆが
んだ顔にかかる、鬣のような長い灰色まだらの髪をブルブルッと振り払い生徒の名前を読み上げ始
めた。普通の目は名簿の順を追って動いたが、魔法の目はグルグル回り、生徒が返事をするたびに
その生徒をじっと見すえた。
「よし、それでは」
出席簿の最後の生徒が返事をし終えるとムーディが言った。
「このクラスについては、ルーピン先生から手紙をもらっている。お前たちは、闇の怪物と対決す
るための基本をかなり満遍なく学んだようだ。ボガート、レッドキャップ、ヒンキーパンク、グリ
ンデロー、カッパ、人狼など。そうだな?」
がやがやとみんなが同意した。
「しかし、お前たちは、遅れている。非常に遅れている。呪いの扱い方についていだ。そこで、わ
しの役目は、魔法使い同士が互いにどこまで呪い合える物なのか、お前たちを最低線まで引き上げ
る事にある。わしの持ち時間は一年だ。その間にお前たちにどうすれば闇の」
「え?ずっといるんじゃないの?」ロンが思わず口走った。ムーディの魔法の目がぐるりと回って
ロンを見すえた。ロンはどうなる事かとドギマギしていたが、やがてムーディがふっと笑った。笑
うのをハリーは初めて見た。傷跡だらけの顔が笑ったところでますますひん曲りねじれるばかり
だったが、それでも笑うという親しさを見せた事は何かしら救われる思いだった。ロンも心から
ほっとした様子だった。
「お前はアーサー・ウィーズリーの息子だな、え?」ムーディが言った。
「お前の父親のおかげで、数日前、窮地を脱した。ああ、一年だけだ。ダンブルドアのために特別
にな、一年。その後は静かな隠遁生活に戻る」
ムーディはしわがれた声で笑い節くれだった両手をパンと叩いた。
「では、すぐとりかかる。呪いだ。呪う力も形もさまざまだ。さて、魔法省によれば、わしが教え
るべきは反対呪文であり、そこまでで終わりだ。違法とされる闇の呪文がどんな物か、六年生にな
るまでは生徒に見せてはイカン事になっている。お前たちは幼すぎ、呪文を見る事さえ耐えられぬ、
という訳だ。しかし、ダンブルドア校長は、お前たちの根性をもっと高く評価しておられる。校長
はお前たちが耐えられるとを考えたし、わしに言わせれば、戦うべき相手は早く知れば知るほどよ
い。見た事もない物から、どうやって身を守るというのだ?今しも違法な呪いをかけようという魔
法使いが、これからこういう呪文をかけますなどと教えてはくれまい。面と向かって優しく礼儀正
しく闇の呪文をかけてくれたりはせん。いいか、ミス・ブラウン、わしが話しているときは、そん
な物はしまっておかねばならんのだ」
ラベンダー・ブラウンは飛び上がって真っ赤になった。完成した自分の天宮図を、パーバティに机
の下で見せていたところだったのだ。ムーディの魔法の目は、自分の背後が見えるだけでなくどう
やら堅い木もすかして見る事ができるらしい。
「さて、魔法法律により、厳しく罰せられる呪文が何か、知っている者はいるか?」
何人かが中途半端に手を挙げた。ロンもハーマイオニーも手を上げていた。ムーディはロンを差し
ながらも魔法の目はまだラベンダーを見据えていた。
「えーと」ロンは自信なげに答えた。
「パパが一つ話してくれたんですけど、確か”服従の呪文”とかなんとか?」
「ああ、その通りだ」ムーディがほめるように言った。
「お前の父親なら、確かにそいつを知っているはずだ。一時期、魔法省をテコずらせた事があ
る。”服従の呪文”はな」
ムーディは左右ふぞろいの足でグイッと立ち上がり机の引き出しを開けガラス瓶を取り出した。黒
い大蜘蛛が三匹、中でガサゴソはい回っていた。ハリーは隣でロンがギクリと身を引くのを感じた。
ロンは蜘蛛が大の苦手だ。ムーディは瓶に手を入れ蜘蛛を一匹つかみだし手のひらに乗せてみんな
に見えるようにした。それから杖を蜘蛛に向け一言呟いた。
「インペリオ!」
蜘蛛は細い絹糸のような糸を垂らしながらムーディの手から飛び降り、空中ぶらんこのように前に
後ろに揺れ始めた。足をピンと伸ばし後宙返りをし糸を切って机の上に着地したと思うと、蜘蛛は
円を描きながら黒いクルリクルリと横とんぼ返りを始めた。ムーディが杖をグイッと挙げると蜘蛛
は二本の後ろ足で立ち上がり、どう見てもタップダンスとしか思えない動きを始めた。みんなが
笑った。ムーディを除いてみんなが。
「面白いと思うのか?」ムーディは低く唸った。
「わしがお前たちに同じ事をしたら、喜ぶか?」
笑い声が一瞬にして消えた。
「完全な支配だ」ムーディが低い声で言った。蜘蛛は丸くなってコロリコロリと転がり始めた。
「わしはこいつを、思いのままにできる。窓から飛び降りさせる事も、水に溺れさす事も、誰かの
喉に飛び込ませるせる事も」
ロンが思わず身震いした。
「何年も前になるが、多くの魔法使いたちが、この”服従の呪文”に支配された」
ムーディの言っているのはヴォルデモートの全盛時代の事だとハリーにはわかった。
「誰かが無理に動かされているのか、誰が自らの意志で動いているのか、それを見分けるのが、魔
法省にとって一仕事だった。”服従の呪文”と戦う事はできる。これからそのやり方を教えていこ
う。しかし、これには個人の持つ真の力が必要で、誰にでもできるわけではない。できれば呪文を
かけられぬようにする方が良い。『油断大敵!』」
ムーディの大声にみんなとびあがった。ムーディはとんぼ返りしている蜘蛛を摘み上げガラス瓶に
戻した。
「ほかの呪文を知っている者はいるか?何か禁じられた呪文を?」
ハーマイオニーの手が再び高く上がった。なんと、ネビルの手もあがったのでハリーはちょっと驚
いた。ネビルがいつも自分から進んで答えるのは、ネビルにとって他の科目よりダントツに得意な
薬草学の授業だけだった。ネビル自身が手を挙げた勇気に驚いているような顔だった。
「何かね?」ムーディは魔法の目をぐるりと回してネビルを見据えた。
「一つだけ、”磔の呪文”」ネビルは小さな、しかしはっきり聞こえる声で答えた。ムーディはネ
ビルをじっと見つめた。今度は両方の目で見ている。
「お前はロングボトムという名だな?」
魔法の目をスーッと出席簿に走らせてムーディが聞いた。ネビルはおずおずと頷いた。しかしムー
ディはそれ以上追及しなかった。ムーディはクラス全員の方に向き直りガラス瓶から二匹目の蜘蛛
を取り出し机の上に置いた。蜘蛛は恐ろしさに身がすくんだらしくじっと動かなかった。
「”磔の呪文”」ムーディが口を開いた。
「それがどんな物か分かるように、少し大きくする必要がある」
ムーディは杖を蜘蛛に向けた。
「エンゴージオ!」
蜘蛛が膨れ上がった。今やタランチュラより大きい。ロンは恥も外聞もかなぐり捨て、椅子をぐっ
と引きムーディの机からできるだけ遠ざかった。ムーディは再び杖を上げ蜘蛛に指し呪文を唱えた。
「クルーシオ!」
たちまち蜘蛛は足を胴体に引き寄せるように内側に折り曲げてひっくり返り、七転八倒しワナワナ
と痙攣し始めた。何の音も聞こえなかったが蜘蛛に声があるとすればきっと悲鳴をあげているに違
いないとハリーは思った。ムーディは杖を蜘蛛から離さず蜘蛛はますます激しく身を捩り始めた。
「やめて!」ハーマイオニーが金切り声をあげた。ハリーはハーマイオニーを見た。ハーマイオ
ニーの目は蜘蛛ではなくネビルを見ていた。その視線を追ってハリーが見たのは机の上で指の関節
が白く見えるほどギュッとコブシを握りしめ、恐怖に満ちた目を大きく見開いたネビルだった。
ムーディは杖を離した。蜘蛛の足がはらりと緩んだがまだヒクヒクしていた。
「レデュシオ!」
ムーディが唱えると蜘蛛は縮んで元の大きさになった。ムーディは蜘蛛を瓶に戻した。
「苦痛」ムーディが静かに言った。
「”磔の呪文”が使えれば、拷問に”親指締め”もナイフも必要ない。これも、かつてさかんに使
われた。よろしい、ほかの呪文を何か知っている者はいるか?」
ハリーは周りを見回した。みんなの顔から「三番目の蜘蛛はどうなるのだろう」と考えているのが
読み取れた。三度目の挙手をしたハーマイオニーの手が少し震えていた。
「何かね?」ムーディがハーマイオニーを見ながら聞いた。
「”アバダケダブラ”」ハーマイオニーがささやくように言った。何人かが不安げにハーマイオ
ニーの方を見た。ロンもその一人だった。
「ああ」ひん曲がった口をさらに曲げてムーディが微笑んだ。
「そうだ。最後にして最悪の呪文”アバダケダブラ”、死の呪いだ」
ムーディはガラス瓶に手を突っ込んだ。するとまるで何が起こるのかを知ってるように三番目の蜘
蛛は、ムーディの指から逃れようと瓶の底を狂ったように走り出した。しかしムーディはそれを捕
らえ机の上に置いた。蜘蛛はそこでも木の机の端の方へと必死で走った。ムーディが杖を振り上げ
た。ハリーは突然不吉な予感で胸が震えた。
「アバダケダブラ!」ムーディの声が轟いた。目も眩むような緑の閃光が走り、まるで目に見えな
い大きな物が宙に舞い上がるような、グォーッという音がした。その瞬間蜘蛛は仰向けにひっくり
返った。何の傷もない。しかし紛れもなく死んでいた。女の子が何人かあちこちで声にならない悲
鳴を上げた。蜘蛛がロンの方にスッと滑ったのでロンは仰け反り危うく椅子からころげ落ちそうに
なった。ムーディは死んだ蜘蛛を机から床に払い落とした。
「よくない」ムーディの声は静かだ。
「気持ちの良い物ではない。しかも、反対呪文は存在しない。防ぎようがない。これを受けて生き
残った者は、ただ一人。その者は、わしの目の前に座っている」
ムーディの目が(しかも両眼が)ハリーの目を覗き込んだ。ハリーは顔が赤くなるのを感じた。み
んなの目が一斉にハリーに向けられたのも感じ取った。ハリーは何も書いてない黒板を魅せられた
かのように見つめたが、実は何も見てはいなかった。そうなのか。父さん、母さんは、こうして死
んだのか。あの蜘蛛と同じように。あんなふうに、なんの傷も、印もなく。肉体から生命がぬぐい
去られる時、ただ緑の閃光を見、駆け抜ける死の音を聞いただけだったのだろうか?
この三年間という物ハリーは両親の死の光景を繰り返し繰り返し思い浮べて来た。
両親が殺されたという事を知ったときからあの夜に何が起こったかを知ったときからずっと。
ワームテールが両親を裏切ってヴォルデモートにその居所をもらし、二人を追ってその隠れ家に
ヴォルデモートがやってきた。
ヴォルデモートは先ず父親を殺した。ジェームズ・ポッターは妻に向かってハリーを連れて逃げろ
と叫びながら、ヴォルデモートを食い止めようとした。
ヴォルデモートはリリー・ポッターに迫り、どけ、ハリーを殺す邪魔をするな、と言った。
母親は、代わりに自分を殺してくれとヴォルデモートにすがり、あくまでも息子をかばい続けて離
れなかった。
そしてヴォルデモートは、母親をも殺し杖をハリーに向けた。
一年前、ディメンターと戦ったときハリーは両親の最期の声を聞いた。そしてこうした細かい光景
を知ったのだ。
ディメンターの恐ろしい魔力が餌食となる者に人生最悪の記憶をありありと思い出させ、絶望と無
力感に溺れるように仕向けるのだ。
ムーディがまた話しだした。はるか彼方で。とハリーには聞こえた。
力を奮い起こしハリーは自分を現実にひき戻しムーディの言う事に耳を傾けた。
「”アバダケダブラ”の呪いの裏には、強力な魔力が必要だ。お前たちがこぞって杖を取り出し、
わしに向けてこの呪文を唱えたところで、わしに鼻血さえ出させる事ができるものか。しかし、そ
んな事はどうでもよい。わしは、お前たちにそのやり方を教えに来ているわけではない。さて、反
対呪文がないなら、なぜお前たちに見せたりするのか?それは、お前たちが知っておかなければな
らないからだ。最悪の事態がどういうものか、お前たちは味わっておかなければならない。せいぜ
いそんなものと向き合うような目に遭わぬようにするんだな。『油断大敵!』」
声が轟き、またみんな飛び上がった。
「さて、この三つの呪文だが、”アバダケダブラ”、”服従の呪文”、”磔の呪文”、これらは”
許されざるを呪文”と呼ばれる。同類である人に対して、このうちどれか一つの呪いをかけるだけ
で、アズカバンで終身刑を受けるに値する。お前たちが立ち向かうのは、そういうものなのだ。そ
ういうものに対しての戦い方を、わしはお前たちに教えなければならない。備えが必要だ。武装が
必要だ。しかし、なによりもまず、常に、絶えず、警戒する事の訓練が必要だ。羽根ペンを出せ。
これを書き取れ」
それからの授業は”許されざるを呪文”のそれぞれについての音をとる事に終始した。ベルが鳴る
まで誰も何も喋らなかった。しかしムーディが授業の終わりを告げ、みんなが教室を出るとすぐに
ワッとばかりにおしゃべりが噴出した。ほとんどの生徒が恐ろしそうに呪文の話をしていた。
「あの蜘蛛のピクピク、見たか?」
「それに、ムーディが殺したとき、あっという間だ!」
みんながまるで素晴らしいショーが何かのように、とハリーは思った、授業の話をしていた。しか
しハリーにはそんなに楽しいものとは思えなかった。どうやらハーマイオニーだけが同じ思いだっ
たらしい。
「早く」ハーマイオニーが緊張した様子でハリーとロンを急かした。
「また、図書館ってやつじゃないだろうな?」ロンが言った。
「違う」ハーマイオニーはぶっきらぼうにそう言うと脇道の廊下を指さした。
「ネビルよ」
ネビルが廊下の中ほどにポツンと立っていた。
ムーディが”磔の呪文”をやってみせたときのように恐怖に満ちた目を見開いて目の前の石壁を見
つめている。
「ネビル?」ハーマイオニーが優しく話しかけた。ネビルが振り向いた。
「やあ」ネビルの声はいつもよりかなりうわずっていた。
「おもしろい授業だったよね?夕食の出し物は何かな。僕、僕、お腹がぺこぺこだ。君達は?」
「ネビル、あなた、大丈夫?」ハーマイオニーが聞いた。
「ああ、うん。大丈夫だよ」ネビルはやはり不自然に甲高い声でべらべらしゃべった。
「とってもおもしろい夕食、じゃないや、授業だった。夕食の食い物は何だろう?」
ロンはギョッとしたような顔でハリーを見た。
「ネビル、いったい?」
その時背後で奇妙なコツッコツッという音がして、振り返るとムーディ先生が足を引きずりながら
やってくるところだった。
四人とも黙り込んで不安げにムーディを見た。しかしムーディの声はいつもの唸り声よりずっと低
く優しい唸り声だった。
「大丈夫だぞ、坊主」ネビルに向かってそう声をかけた。
「わしの部屋に来るか?おいで、茶でも飲もう」
ネビルはムーディと二人でお茶を飲むと考えただけでもっと怖がっているように見えた。
身動きもせずしゃべりもしない。ムーディは魔法の目をハリーに向けた。
「お前は大丈夫だな?ポッター?」
「はい」ハリーはほとんど挑戦的に返事をした。ムーディの青い目がハリーを眺め回しながらかす
かにフフフと揺れた。そしてこう言った。
「知らねばならん。酷いかも知れん、多分な。しかし、お前たちは知らねばならん。知らぬふりを
してどうなるものでもない。さあ、おいで。ロングボトム。お前が興味を持ちそうな本が何冊かあ
る」
ネビルは拝むような目でハリー、ロン、ハーマイオニーを見たが誰も何も言わなかった。ムーディ
の節くれだった手を肩に乗せられネビルは仕方なく促されるままについていった。
「ありゃ、いったいどうしたんだ?」
ネビルとムーディが角を曲るの見つめながらロンが言った。
「わからないわ」ハーマイオニーは考えに耽っているようだった。
「だけど、大した授業だったよな、な?」
大広間に向かいながらロンがハリーに話しかけた。
「フレッドとジョージの言う事は当たってた。ね?あのムーディって、本当に、決めてくれるよ
な?”アバダケダブラ”をやったときなんか、あの蜘蛛、ころっと死んだ。あっという間におさら
ばだ」
しかしハリーの顔を見てロンは急に黙り込んだ。それからは一言も喋らず大広間に着いてからやっ
と、トレローニー先生の予言の宿題は何時間もかかるから今夜にも始めた方がいいと思う、と口を
聞いた。ハーマイオニーは夕食の間ずっとハリーとロンの会話には加わらず、激烈な勢いで掻き込
みまた図書館へと去って言った。ハリーとロンはグリフィンドール塔へと歩き出した。ハリーは夕
食の間ずっと思いつめていた事を今度は自分から話題にした。”許されざるを呪文”の事だ。
「僕らがの呪文を見てしまった事が魔法省に知れたら、ムーディもダンブルドアもまずい事になら
ないかな?」
”太った婦人”の肖像画の近くまで来たときハリーが言った。
「うん、多分な」ロンが言った。
「だけど、ダンブルドアって、いつも自分流のやり方でやってきただろ?それに、ムーディだって、
もうとっくの昔から、まずい事になってたんだろうと思うよ。問答無用で、まず攻撃しちゃうんだ
から。ゴミバケツがいい例だ」
「ボールダーダッシュ」
”太った婦人”がパッと開いて入り口の穴が現れた。二人はそこをよじ登ってグリフィンドールの
談話室に入った。中は込み合っていてうるさかった。
「じゃ、占い学のやつ、持って来ようか?」ハリーが言った。
「それっきゃねえか」ロンが呻くように言った。教科書と星座表を取りに二人で寝室に行くと、ネ
ビルがポツンとベッドに座って何か読んでいた。ネビルはムーディの授業が終わった直後よりは
ずっと落ち着いているようだったが、まだ本調子とはいえない。目を赤くしている
「ネビル、大丈夫かい?」ハリーが聞いた。
「うん、もちろん」ネビルが答えた。
「大丈夫だよ。ありがとう。ムーディ先生が貸してくれた本を読んでるところだ」
ネビルは本を持ち上げてみせた。”地中海の水生魔法植物とその特性”とある。
「スプラウト先生がムーディ先生に、僕は薬草学がとってもよくできるって言ったらしいんだ」
ネビルはちょっぴり自慢そうな声で言った。ハリーはネビルがそんな調子で話すのをめったに聞い
た事がなかった。
「ムーディ先生は、僕がこの本を気に入るだろうって思ったんだ」
スプラウト先生の言葉をネビルに伝えたのは、ネビルを元気づけるのにとても気の利いたやり方だ
とハリーは思った。
ネビルは何かに優れているなどと言われた事がめったにないからだ。
ルーピン先生だったらそうしただろうと思われるようなやり方だ。
ハリーとロンは”未来の霧を晴らす”の教科書を持って談話室に戻り、テーブルを見つけて座り、
向こう一カ月間の自らの運勢を予言する宿題に取りかかった。
一時間の、作業はほとんど進んでいなかった。
テーブルの上は計算の結果や記号を書きつけた羊皮紙の切れ端で散らかっていたが、ハリーの脳味
噌はまるでトレローニー先生の暖炉から出る煙が詰まっているかのようにぼーっと曇っていた。
「こんなもの、いったいどういう意味なのか、僕、全く見当もつかない」
計算を羅列した長いリストをじっと見おろしながらハリーが言った。
「あのさぁ」
イライラして指で髪をかきむしってばかりいたのでロンの髪は逆だっていた。
「こいつは、”まさかのときの占い学”に戻るしかないな」
「何だい、でっちあげか?」
「そう」
そう言うなりロンは走り書きのメモの山をテーブルから払いのけ、羽根ペンにたっぷりインクを浸
し書き始めた。
「来週の月曜」書き殴りながらロンが読み上げた。
「火星と木星の”合”という凶事により、僕は咳が出始めるであろう」ここでロンはハリーを見た。
「あの先生の事だ、とにかく惨めな事をたくさん書け。舌舐めずりして喜ぶぞ」
「よーし」
ハリーは最初の苦労の後をくしゃくしゃに丸め、ペチャクチャしゃべっている一年生の群れの頭越
しに放って暖炉の火の中に投げ入れた。
「オッケー、月曜日、僕は危うく、えーと、火傷するかもしれない」
「うん、そうなるかもな」ロンが深刻そうに言った。
「月曜日にはまたスクリュートのお出ましだからな。オッケー。火曜日、僕は、ウーム」
「大切なものをなくす」
何かアイディアはないかと”未来の霧を晴らす”をパラパラめくっていたハリーが言った。
「いただきだ」ロンはそのまま書いた。
「なぜなら、ウーム、水星だ。君は、誰か友達だと思っていた奴に、裏切られる事にしたらどう
だ?」
「うん、冴えてる」ハリーも急いで書きとめた。
「なぜなら、金星が第十二宮に入る」
「そして水曜日だ。僕はケンカしてコテンパンにやられる」
「あぁぁー、僕もケンカにしようと思ってたのに。オッケー、僕は賭けに負ける」
「いいぞ、君は、僕はケンカに勝つ方に賭けてた」
それから一時間、二人はでっちあげ運勢を(しかもますます悲劇的に)書き続けた。
周りの生徒たちが一人、二人と寝室に上がり談話室はだんだん人気がなくなった。
どこからかクルックシャンクスが現れて二人のそばに来て、開いている椅子にひらりととびあがり、
謎めいた表情でハリーの顔をじっと見た。なんだか二人がまじめに宿題をやっていないと知ったら、
ハーマイオニーがこんな顔をするだろうというような目つきだ。
ほかにまだ使っていない種類の不幸が何かないだろうかと考えながら部屋を見回すと、フレッドと
ジョージがハリーの目に入った。
壁際に座り込み、額を寄せ合い、羽根ペンを持って一枚の羊皮紙を前に何か夢中になっている。フ
レッドとジョージが隅に引っ込んで静かに勉強しているなどあり得ない事だ。
たいがい何でもいいから、真っただ中でみんなの注目を集めて騒ぐのが好きなのだ。羊皮紙一枚と
取っ組んでいる姿は何やら秘密めいた匂いがした。ハリーは”隠れ穴”で、やはり二人が座り込ん
で何か書いていた姿を思い出した。
その時は、ウィーズリー・ウィザード・ウィーズの新しい注文書を作っているのだろうと思ったが、
今度はそうではなさそうだ。もしそうならリー・ジョーダンも悪戯に一枚加わっていたに違いない。
もしや三校対抗試合に名乗りを上げる事と関係があるのでは、とハリーは思った。
ハリーが見ているとジョージがフレッドに向かって首を横に振り、羽根ペンで何かを書き消し何や
ら話している。ひそひそ声だがそれでもほとんど人気のない部屋ではよく聞こえてきた。
「だめだ、それじゃ、オレたちがやっこさんを非難しているみたいだ。もっと慎重にならなきゃ」
ジョージがふとこちらを見てハリーと目が合った。ハリーは曖昧に笑い急いで運勢作業に戻った。
ジョージに盗み聞きしていたようにとられたくなかった。それから間もなく双子は羊皮紙を巻き
「おやすみ」と言って寝室に去った。
フレッドとジョージがいなくなってから十分もたったころ、肖像画の穴が開きハーマイオニーが談
話室に這い上ってきた。
片手に羊皮紙を一束抱え、もう一方の手に箱を抱えている。箱の中身が歩くたびにカタカタなった。
クルックシャンクスが背中を丸めてゴロゴロのどを鳴らした。
「今晩は」ハーマイオニーがあいさつした。
「ついにできたわ!」
「僕もだ!」ロンが勝ち誇ったように羽根ペンを放り出した。ハーマイオニーが腰掛け、持ってい
たものを空いているひじ掛け椅子に置き、それからロンの運勢予言を引き寄せた。
「すばらしい一ヶ月とはいかないみたいです事」ハーマイオニーが皮肉たっぷりに言った。クルッ
クシャンクスがその膝に乗って丸まった。
「まあね。少なくとも、前もって分かっているだけましさ」ロンはあくびをした。
「二回も溺れる事になっているようよ」ハーマイオニーが指摘した。
「え?そうか?」ロンは自分の予言をじっと見た。
「どっちか変えた方がいいかな。ヒッポグリフが暴れて踏み潰されるって事に」
「でっちあげだって事が見え見えだと思わない?」ハーマイオニーが言った。
「何をおっしゃる!」ロンが憤慨するふりをした。
「僕たちは、屋敷しもべ妖精のごとく働いていたのですぞ!」
ハーマイオニーの眉がピクリと動いた。
「ほんの言葉のあやだよ」ロンが慌てて言った。ハリーも羽根ペンを置いた。まさに首を切られて
自分が死ぬ予言を書き終えたのだ。
「中には何?」ハリーが箱を指した。
「今お聞きになるなんて、なんて間がいい事です事」
ロンをにらみつけながらそう言うとハーマイオニーは蓋を開け中身を見せた。箱の中には色とりど
りのバッチが五十個ほど入っていた。みんな同じ文字が書いてある。S・P・E・W。
「スピュー?」ハリーはバッチを一個取り上げしげしげと見た。
「何に使うの?」
「スピューじゃないわ」ハーマイオニーがもどかしそうに言った。
「エス、ピー、イー、ダブリュー。つまり、エスは協会、ピーは振興、イーはしもべ妖精、ダブ
リューは福祉の頭文字。しもべ妖精福祉振興協会よ」
「聞いた事ないなぁ」ロンが言った。
「当然よ」ハーマイオニーは威勢よく言った。
「私が始めたばかりです」
「へえ?」ロンがちょっと驚いたように言った。
「メンバーは何人いるんだい?」
「そうね、お二人が入会すれば、三人」ハーマイオニーが言った。
「それじゃ、僕たちが”スピュー”なんて書いたバッジを着けて歩き回ると思ってるわけ?」ロン
が言った。
「エス、ピー、イー、ダブリュー!」ハーマイオニーが熱くなった。
「本当は”魔法生物仲間の目に余る虐待を阻止し、その法的立場を変えるためのキャンペーン”と
するつもりだったの。でも入りきらないでしょう。だからそっちの方は、我らが宣言文の見出しに
持って来たわ」
ハーマイオニーは羊皮紙の束を二人の目の前でヒラヒラ振った。
「私、図書館で徹底的に調べたわ。小人妖精の奴隷制度は、何世紀も前から続いてるの。これまで
誰も何にもしなかったなんて、信じられないわ」
「ハーマイオニー、目を覚ませ」ロンが大きな声を出した。
「あいつらは、奴隷が、好き。奴隷でいるのが好きなんだ!」
「私たちの短期的目標は」
ロンより大きな声を出し何も耳に入らなかったかのようにハーマイオニーは読み上げた。
「屋敷しもべ妖精の正当な報酬と労働条件を確保する事である。私たちの長期的目標は、以下の事
項を含む。杖の使用禁止に関する法律改正。しもべ妖精代表を一人”魔法生物規制管理部”に参加
する事。なぜなら、彼らの代表権は愕然とするほど無視されているからである」
「それで、そんなにいろいろ、どうやってやるの?」ハリーが聞いた。
「まず、メンバー集めから始めるの」ハーマイオニーは悦に入っていた。
「入会費、二シックルと考えたの、それでバッジを買う。その売り上げを資金にビラ撒きキャン
ペーンを展開するのよ。ロン、あなた財務担当。私、上の階に募金用の空き缶を一個置いてありま
すからね。ハリー、あなたは書記よ。だから、私が今しゃべっている事を全部記録しておくといい
わ。第一回の会合の記録として」
一瞬間が空いた。その間ハーマイオニーは二人に向かってニッコリ微笑んでいた。ハリーはハーマ
イオニーには呆れるやら、ロンの表情がおかしいやらでただじっと座ったままだった。沈黙を破っ
たのはロン、ではなく(ロンはどっちみち呆気にとられて一時的に口がきけない状態だった)
トントンと軽く窓をたたく音だった。今やがらんとした談話室の向こうにハリーは月明かりに照ら
されて窓わくに止まっている、雪のように白いふくろうを見た。
「ヘドウィグ!」
ハリーは叫ぶように名を呼びですから飛び出して窓に駆け寄りパッと開けた。ヘドウィグは中に入
ると部屋をスイーッと横切って飛びテーブルに置かれたハリーの予言の上に舞い下りた。
「待ってたよ!」
ハリーは急いでヘドウィグの後を追った。
「返事を持ってる」
ロンも興奮してヘドウィグの足に結びつけられた汚い羊皮紙を指さした。ハリーは急いで手紙を解
き座って読み始めた。ヘドウィグはハタハタとその膝に乗り優しくホーと鳴いた。
「なんて書いてあるの?」ハーマイオニーが息をはずませて聞いた。とても短い手紙だった。しか
も、大急ぎで走り書きしたように見えた。ハリーはそれを読み上げた。
『ハリーすぐに北に向けて飛び発つつもりだ。数々の奇妙な噂が、ここにいる私の耳にも届いてい
るが、君の傷跡の事は、その一連の出来事に連なる最新のニュースだ。また痛む事があれば、すぐ
にダンブルドアのところへ行きなさい。風の便りでは、ダンブルドアがマッド・アイ・ムーディを
隠遁生活から引っ張り出したとか。という事は、ほかのものは誰も気付いていなくとも、何らかの
気配を、ダンブルドアが読み取っているという事なのだ。またすぐ連絡する。ロンとハーマイオ
ニーによろしく。ハリー、くれぐれも用心するよう。シリウス』
ハリーは眼をあげてロンとハーマイオニーを見た。二人もハリーを見つめ返した。
「北に向けて飛び発つって?」ハーマイオニーがつぶやいた。
「帰ってくるって事?」
「ダンブルドアは、何の気配を読んでるんだ?」ロンは当惑していた。
「ハリー、どうしたんだい?」
ハリーがこぶしで自分の額を叩いているところだった。膝が揺れヘドウィグが降り落とされた。
「シリウスに言うべきじゃなかった!」ハリーは激しい口調で言った。
「何を言い出すんだ!」ロンはびっくりして言った。
「手紙のせいで、シリウスは帰らなくちゃならないって思ったんだ!」
ハリーは今度はテーブルをこぶしで叩いたので、ヘドウィグはロンの椅子の背に止まり怒ったよう
にホーと鳴いた。
「戻ってくるんだ。僕が危ないと思って!僕はなんでもないのに!それに、お前に上げるものなん
てなんにもないよ」
ねだるようにくちばしを鳴らしているヘドウィグにハリーはつっけんどんに言った。
「食べ物が欲しかったら、ふくろう小屋に行けよ」
ヘドウィグは大いに傷ついた眼つきでハリーを見て開けはなした窓のほうへと飛び去ったが、行き
がけに広げた翼でハリーの頭のあたりをピシャリと叩いた。
「ハリー」ハーマイオニーがなだめるような声で話しかけた。そっと触れられた手の暖かさで、い
つもなら落ち着くのに、今はとてもそんな気分にはなれなかった。
「僕、寝る。また明日」ハリーは言葉少なにそれだけ言った。二階の寝室でパジャマに着替え四本
柱のベッドに入ってはみたものの、ハリーは疲れて眠るという状態とはほど遠かった。
シリウスが戻ってきて捕まったら僕のせいだ。僕はどうして黙っていられなかったのだろう。
ほんの二、三秒の痛みだったのにくだらない事をベラベラと、自分一人の胸にしまっておく分別が
あったなら。
しばらくしてロンが寝室に入ってくる気配がしたがハリーはロンに話しかけはしなかった。
横たわったままハリーはベッドの暗い天蓋を見つめていた。寝室は静寂そのものだった。
自分の事でそこまで頭が一杯でなかったらハリーは気付いたはずだ。
いつものネビルのイビキが聞こえない事に。眠れないのはハリーだけではなかったのだ。

第十五章ボーバトンとダームストラング

翌朝早々と目が覚めたハリーはまるで眠っている脳味噌が、夜通しずっと考えていたかのように完
全な計画が頭の中に出来上がっていた。起き出して薄明かりの中で着替え、ロンを起こさないよう
に寝室を出てハリーは誰もいない談話室に戻った。
まだ占い学の宿題が置きっぱなしになっているテーブルから羊皮紙を一枚取りハリーは手紙を書い
た。
『シリウス。傷跡が痛んだというのは、僕の思い過ごしで、この手紙を書いたときは半分寝ぼけて
いたようです。こちらに戻ってくるのは無駄です。こちらは何も問題はありません。僕の事は心配
しないでください。僕の頭は全く普通の状態ですから。ハリーより』
それから肖像画の穴をくぐり静まりかえった城の中を抜け(五階の廊下の中ほどでピーブズが大き
な花瓶をひっくり返してハリーにぶつけようとした事だけが、ハリーをちょっと足止めしたが)、
ハリーは西塔のてっぺんにあるふくろう小屋にたどり着いた。
小屋は円筒形の石造りでかなり寒く隙間風が吹き込んでいた。どの窓にもガラスがはまっていない
せいだ。
床は藁やふくろうの糞、ふくろうが吐き出した二十日ネズミやハタネズミの骨などで埋まっていた。
塔のてっぺんまでびっしりと取り付けられた止まり木に、ありとあらゆる種類のふくろうが何百羽
も止まっている。
ほとんどが眠っていたがちらりほらりと琥珀色の丸い目が片目だけを開けてハリーをにらんでいた。
ヘドウィグがメンふくろうと森ふくろうの間に居るのを見つけ、ハリーは糞だらけの床で少し足を
滑らせながら急いでヘドウィグに近寄った。ヘドウィグを起こしてハリーの方に向かせるのに随分
てこずった。
何しろヘドウィグは止まり木の上でごそごそ動きハリーに尾っぽを向けるばかりだった。
昨夜ハリーが感謝の礼を尽くさなかった事にまだ腹を立てているのだ。
ついにハリーがヘドウィグは疲れているだろうからロンに頼んでピッグウィジョンを貸してもらお
うかな、とほのめかすとヘドウィグはやっと足をつき出しハリーに手紙をくくりつける事を許した。
「きっとシリウスを見つけておくれ、いいね?」
ハリーはヘドウィグを腕にのせ壁の穴まで運びながら背中をなでて頼んだ。
「ディメンターより先に」
ヘドウィグはハリーの指を甘噛みした。どうやらいつもよりかなり強めの噛み方だったが、それで
もおまかせくださいとばかりに静かにホーと鳴いた。
それから両の翼を広げヘドウィグは朝日に向かって飛んだ。
その姿が見えなくなるまで見送りながらハリーはいつもの不安感がまた胃袋を襲うのを感じた。
シリウスから返事が来ればきっと不安は和らぐだろうと信じていたのに。かえってひどくなるとは。
「ハリー、それって嘘でしょう」
朝食のときハーマイオニーとロンに打ち明けるとハーマイオニーはきびしく言った。
「傷跡が痛んだのは、勘違いじゃないわ。知ってるくせに」
「だからどうしたって言うんだい?」ハリーが切り返した。
「僕のせいでシリウスをアズカバンに逆戻りさせてなるもんか」
ハーマイオニーは反論しようと口を開きかけた。
「やめろよ」ロンがピシャリと言った。
ハーマイオニーはこの時ばかりはロンの言う事を聞き押し黙った。
それから数週間、ハリーはシリウスの事を心配しないように努めた。
もちろん毎朝ふくろう郵便がつくたびに心配でどうしてもふくろうたちを見回してしまうし、夜遅
く眠りに落ちる前にシリウスがロンドンの暗い通りでディメンターに追い詰められている、恐ろし
い光景が目に浮かんでしまうのもどうしようもなかった。
しかしそれ以外は、名付け親のシリウスの事を考えないように努めた。
ハリーはクィディッチができれば気晴らしになるのにと思った。心配ごとがある身には激しい特訓
ほど効く薬はない。
一方、授業はますます難しく過酷になってきた。特に闇の魔術に対する防衛術がそうだった。
驚いた事にムーディ先生は”服従の呪文”を生徒一人一人にかけて、呪文の力を示し、果たして生
徒がその力に抵抗できるかどうかを試すと発表した。
ムーディは杖を一振りして机を片づけ教室の中央に広いスペースを作った。
その時ハーマイオニーがどうしようかと迷いながら言った。
「でも、でも、先生、それは違法だとおしゃいました。確か、同類である人にこれを使用する事
は」
「ダンブルドアが、これがどういうものかを、体験的にお前たちに教えて欲しいと言うのだ」
ムーディの魔法の目がぐるりと回ってハーマイオニーを見据え、瞬きもせず不気味な眼差しで凝視
した。
「もっと厳しいやり方で学びたいというのであれば、誰かがお前にこの呪文をかけ完全に支配する。
その時に学びたいのであれば、わしは一向に構わん。授業を免除する。出て行くがよい」
ムーディは節くれだった指で出口を指した。ハーマイオニーは赤くなり出ていきたいと思っている
わけではありません、らしき事をボソボソと言った。
ハリーとロンは顔を見合わせてニヤッと笑った。二人にはよくわかっていた。
ハーマイオニーはこんな大事な授業を受けられないくらいなら、むしろ腫れ草の膿を飲むほうがま
しだと思うだろう。
ムーディは生徒を一人一人呼び出して”服従の呪文”をかけ始めた。
呪いのせいでクラスメートが次々と世にもおかしな事をするのをハリーはじっと見ていた。
ディーン・トーマスは国歌を歌いながら片足ケンケン跳びで教室を三周した。ラベンダー・ブラウ
ンはリスのまねをした。
ネビルは普通だったら到底できないような見事な体操を立て続けにやってのけた。
誰一人として呪いに抵抗できたものはいない。ムーディが呪いを解いたとき初めて我に返るのだっ
た。
「ポッター、次だ」ムーディ先生が唸るように呼んだ。
ハリーは教室の中央、ムーディ先生が机を片づけて作ったスペースに進みでた。ムーディが杖をあ
げハリーに向けて唱えた。
「インペリオ!」
最高に素晴らしい気分だった。
すべての思いも悩みも優しくぬぐい去られ、掴みどころのない漠然とした幸福感だけが頭に残り、
ハリーはふわふわと浮かんでいるような心地がした。ハリーはかり気分が緩み周りのみんなが自分
を見つめている事をただぼんやりと意識しながらその場に立っていた。するとマッド・アイ・ムー
ディの声が虚ろな脳みそのどこか遠くの祠に響き渡るように聞こえてきた。
机に跳び乗れ、机に跳び乗れ。ハリーは膝を曲げ、跳躍の準備をした。机に跳び乗れ。待てよ。な
ぜ?
頭のどこかで別の声が目覚めた。そんな事ばかげている。その声が言った。机に跳び乗れ。嫌だ。
そんな事、僕気が進まない。もう一つの声が前よりもややきっぱりと言った。
嫌だ。僕そんな事、したくない。跳べ!今すぐだ!
次の瞬間、ハリーはひどい痛みを感じた。跳びあがると同時に、跳びあがるのを自分で止めようと
したのだ。
その結果机にまともにぶつかり机をひっくり返していた。そして両足の感覚からすると膝小僧の皿
がわれたようだ。
「よーし、それだ!それでいい!」
ムーディの唸り声がして突然ハリーは頭の中の虚ろな木霊するような感覚が消えるのを感じた。
自分に何が起こっていたかをハリーははっきり覚えていた。膝の痛みが倍になったように思えた。
「お前たち、見たか。ポッターが戦った!戦って、そして、もう少しで打ち負かすところだった!
もう一度やるぞ、ポッター。後の者はよく見ておけ。ポッターの目をよく見ろ。その目に鍵がある。
いいぞ、ポッター。まっ事、いいぞ!奴らは、お前を支配するのにはてこずるだろう!」
「ムーディの言い方ときたら」
一時間後、闇の魔術に対する防衛術の教室からフラフラになって出てきたハリーが言った。
ムーディはハリーの力量を発揮させると言い張り四回も続けて練習させ、ついにはハリーが完全に
呪文を破るところまで続けさせた。
「まるで、僕たち全員が、今にも襲われるんじゃないかと思っちゃうよね」
「うん、その通りだ」ロンは一歩おきにスキップしていた。
ムーディは昼食時までには呪文の効果は消えるとロンに請け合ったのだが、ロンはハリーに比べて
ずっと呪いに弱かったのだ。
「被害妄想だよな」
ロンは不安げにチラリと後ろを振り返りムーディが声の届く範囲にない事を確かめてから話を続け
た。
「魔法省が、ムーディがいなくなって喜んだのも無理ないよ。ムーディがシェーマスに聞かせてた
話を聞いたか?エイプリルフールにあいつの後ろから『バーッ』って脅かした魔女に、ムーディが
どういう仕打ちをしたか聞いたろう?それに、こんなに色々やらなきゃいけない事があるのに、そ
の上”服従の呪文”への抵抗について何か読めだなんて、いつ読みゃいいんだ?」
四年生は今学年にやらなければならない宿題の量が明らかに増えている事に気付いていた。
マクゴナガル先生の授業で先生が出した変身術の宿題の量に、ひときわ大きいうめき声が上がった
とき先生はなぜそうなのか説明した。
「みなさんは今、魔法教育の中で最も大切な段階の一つに来ています!」
先生の目が四角い眼鏡の奥でキラリと危険な輝きを放った。
「”O・W・L”一般にふくろうと呼ばれる”普通魔法レベル試験”が近づいています」
「”O・W・L”を受けるのは五年生になってからです!」ディーン・トーマスが憤慨した。
「そうかもしれません、トーマス。しかし、いいですか。みなさんは十二分に準備をしないといけ
ません!このクラスでハリネズミをまともな針山に変える事ができたのは、ミス・グレンジャーた
だ一人です。お忘れではないでしょうね、トーマス、あなたの針山は、何度やっても、誰かが針を
持って近づくと、怖がって、丸まってばかりいたでしょう!」
ハーマイオニーは又頬を染めあまり得意げに見えないように努力しているようだった。
次の占い学の授業の時にトレローニー先生がハリーとロンの宿題が最高点を取ったと言ったので、
二人ともとても愉快だった。
先生は二人の予言を長々と読み上げ待ち受ける恐怖の数々を、二人が怯まずに受け入れた事を褒め
上げた。
ところがその次の一カ月についても同じ宿題を出され二人の愉快な気持ちも萎んでしまった。
悲劇は二人とももうネタ切れだった。一方、魔法史を教えるゴーストのビンズ先生は、十八世紀
の”ゴブリンの反乱”についてのレポートを提出させた。
スネイプ先生は解毒剤を研究課題に出した。クリスマスが来るまでに誰か生徒の一人に毒を飲ませ
て、みんなが研究した解毒剤が効くかどうか試すと、スネイプが仄めかしたのでみんな真剣に取り
組んだ。
フリットウィック先生は”呼び寄せ呪文”の授業に備えて三冊も余計に参考書を読むように命じた。
ハグリッドまでが生徒の仕事を増やしてくれた。”尻尾爆発スクリュート”は何が好物かをまだ誰
も発見していないのに素晴らしいスピードで成長していた。
ハグリッドは大喜びでプロジェクトの一環として生徒が一晩おきにハグリッドの小屋参考来て、ス
クリュートを観察しその特殊な生態についての観察日記をつける事にしようと提案したのだ。
ハグリッドはまるでサンタクロースが袋からおもちゃを取り出すような顔をした。
「僕はやらない」ドラコ・マルフォイがピシャリと言った。
「こんな汚らしいもの、授業だけでたくさんだ。お断りだ」ハグリッドの顔から笑いが消し飛んだ。
「言われた通りにしろ」ハグリッドがうなった。
「じゃねえと、ムーディ先生のしなさった事を、俺もやるぞ。お前さん、なかなかいいケナガイタ
チになるっていうでねえか、マルフォイ」
グリフィンドール生が大爆笑した。マルフォイは怒りで真っ赤になったが、ムーディに仕置きされ
たときの痛みをまだ十分覚えているらしく口答えしなかった。ハリー、ロン、ハーマイオニーは授
業の後、意気揚々と城に帰った。昨年、マルフォイがハグリッドを首にしようとしてあの手この手
を使った事を思うと、ハグリッドがマルフォイをやり込めた事で事さらいい気分になった。
玄関ホールに着くとそれ以上先に進めなくなった。大理石の階段の下に立てられた掲示板の周りに
大勢の生徒が群れをなして右往左往していた。三人の中で一番のっぽのロンが爪先立ちして前の生
徒の頭越しに二人に掲示を読んで聞かせた。
『三大魔法学校対抗試合。ボーバトンとダームストラングの代表団が十月三十日、金曜日、今後六
時に到着する。授業は三十分早く終了し』
「いいぞ!」ハリーが声をあげた。
「金曜日の最後の授業は魔法薬学だ。スネイプは僕たち全員に毒を飲ませたりする時間がない!」
『全生徒はカバンと教科書を寮に置き、「歓迎会」の前に城の前に集合し、お客様を出迎える
事。』
「たった一週間後だ!」
ハッフルパフのアーニー・マクミランが目を輝かせて群れから出てきた。
「セドリックのやつ、知ってるかな?僕、知らせてやろう」
「セドリック?」
アーニーが急いで立ち去るのを見送りながらロンが放心したように言った。
「ディゴリーだ」ハリーが言った。
「きっと、対抗試合に名乗りをあげるんだ」
「あのウスノロが、ホグワーツの代表選手?」
ペチャクチャとしゃべる群れを掻き分けて階段の方に進みながらロンが言った。
「あの人はウスノロじゃないわ。クィディッチでグリフィンドールを破ったものだから、あなたが
あの人を嫌いなだけよ」
ハーマイオニーが言った。
「あの人、とっても優秀な学生だそうよ。その上、監督生です!」
ハーマイオニーはこれで決まりだ、という口調だった。
「君は、あいつがハンサムだから好きなだけだろ」ロンが痛烈に皮肉った。
「お言葉ですが、私、誰かがハンサムだけだというだけで好きになったりいたしませんわ」
ハーマイオニーは憤然とした。ロンはコホンと大きな空咳をしたがそれがなぜか”ロックハート”
と聞こえた。
玄関ホールの掲示板の出現は城の住人たちとってはっきりと影響を与えた。
それから一週間、ハリーがどこへ行ってもたったひとつの話題”三校対抗試合”の話で持ち切り
だった。
生徒から生徒へとまるで感染力の強い細菌のように噂が飛び交った。
誰がホグワーツの代表選手に立候補するか、試合はどんな内容か、ボーバトンとダームストラング
の生徒は自分たちとどう違うのか、などなど。城が事さら念入りに大掃除されているのにもハリー
は気付いた。
煤けた肖像画の何枚かが汚れ落としされた。描かれた本人たちはこれが気に入らず額縁の中で背中
を丸めて座り込み、ブツブツ文句を言っては赤剥けになった顔を触ってギクリとしていた。
甲冑たちも、突然ピカピカになり動くときもギシギシ軋まなくなった。管理人のアーガス・フィル
チは、生徒が靴の汚れを落とし忘れると凶暴極まりない態度で脅したので、一年生の女子が二人、
ヒステリー状態になってしまった。
他の先生方も妙に緊張していた。
「ロングボトム、お願いですから、ダームストラングの生徒たちの前で、あなたが簡単な”取替え
呪文”さえ使えないなどと、暴露しないように!」
授業の終わりにマクゴナガル先生が怒鳴った。一段とむずかしい授業で、ネビルがうっかり自分の
耳をサボテンに移植してしまったのだ。
十月三十日の朝、朝食に降りていくと大広間はすでに前の晩に飾り付けが済んでいた。
壁には各寮を示す巨大な絹の垂れ幕がかけられている。グリフィンドールは赤地に金のライオン、
レイブンクローは青にブロンズの鷲、ハッフルパフは黄色に黒いアナグマ、スリザリンは緑にシル
バーの蛇だ。
教職員テーブルの背後には一番大きな垂れ幕があり、ホグワーツ校の紋章が描かれていた。大きな
Hの文字の周りにライオン、鷲、アナグマ、蛇が団結している。
ハリー、ロン、ハーマイオニーはフレッドとジョージがグリフィンドールのテーブルに着いている
のを見つけた。
今度もまた珍しい事に、他から離れて座り小声で何か話している。ロンが三人の先頭に立って双子
のそばに行った。
「そいつは、確かに当てはずれさ」ジョージが憂鬱そうにフレッドに言った。
「だけど、あいつが自分で直接俺たちに話す気がないなら、結局、俺たちが手紙を出さなきゃなら
ないだろう。じゃなきゃ、やつの手に押しつける。いつまでも俺たちを避けてる事はできないよ」
「誰が避けてるんだい?」ロンが二人の隣に腰掛けながら聞いた。
「お前が避けてくれりゃいいのになぁ」邪魔が入ってイライラしたようにフレッドが言った。
「当てはずれって、何が?」ロンがジョージに聞いた。
「お前みたいなお節介を弟に持つ事がだよ」ジョージが言った。
「三校対抗試合って、どんなものか、何かわかったの?」ハリーが聞いた。
「エントリーするのに、何かもっと方法を考えた?」
「マクゴナガルに、代表選手をどうやって選ぶのか聞いたけど、教えてくれねぇの」
ジョージが苦々しそうに言った。
「マクゴナガル女史ったら、黙ってアライグマを変身させる練習をなさい、と来たもんだ」
「いったいどんな課題が出るのかなぁ?」ロンが考え込んだ。
「だってさ、ハリー、僕たちきっと課題をこなせるよ。これまでも危険な事をやってきたもの」
「審査員の前では、やってないぞ」フレッドが言った。
「マクゴナガルが言うには、代表選手が課題をいかにうまくこなすかによって、点数がつけられる
そうだ」
「誰が審査員になるの?」ハリーが聞いた。
「そうね、参加校の校長は必ず審査員になるわね」ハーマイオニーだ。みんなかなり驚いて一斉に
振り向いた。
「一七九二年の試合で、選手が捕えるはずだった怪物の”コカトリス”が大暴れして、校長が三人
とも負傷してるもの」
みんなの視線に気づいたハーマイオニーは、私の読んだ本をほかの誰も読んでいないなんて、とい
ういつもの歯痒そうな口調で言った。
「”ホグワーツの歴史”に全部書いてあるわよ。もっともこの本は完全には信用できないけど。”
改訂ホグワーツの歴史”の方がより正確ね。または”偏見に満ちた、選択的ホグワーツの歴史、嫌
な部分を塗りつぶした歴史”もいいわ」
「何が言いたいんだい?」ロンが聞いたがハリーにはもう答えがわかっていた。
「屋敷しもべ妖精!」
ハーマイオニーが声を張り上げ、答えはハリーの予想通りだった。
「”ホグワーツの歴史”は千ページ以上あるのに、百人もの奴隷の制圧に、私たち全員が共謀して
るなんて、一言も書いていない!」
ハリーはやれやれとと首を振り、炒り卵を食べ始めた。
ハリーもロンも冷淡だったのに、屋敷しもべ妖精の権利を追求するハーマイオニーの決意は、露ほ
どもくじけはしなかった。確かに二人ともS・P・E・Wバッジに二シックルずつ出したが、それ
はハーマイオニーを黙らせるためだけだった。
二人のシックルはどうやら無駄だったらしい。かえってハーマイオニーの鼻息を荒くしてしまった。
それからというものハーマイオニーは二人にしつこく迫った。
まず二人がバッジを着けるように言い、それから他の生徒にもそうするように説得しなさいと言っ
た。
ハーマイオニー自身も毎晩、グリフィンドールの談話室を精力的に駆け回り、みんなを追い詰めて
は、その鼻先で寄付金集めの空き缶を振った。
「ベッドのシーツを替え、暖炉の火を熾し、教室を掃除し、料理をしてくれる魔法生物たちが、無
給で奴隷働きしているのを、みなさんご存知ですか?」
ハーマイオニーは激しい口調でそう言い続けた。ネビルなど、ハーマイオニーの言う事に少し関心
を持ったようだが、それ以上に積極的に運動にかかわる事は乗り気ではなかった。
生徒の多くは冗談扱いしていた。ロンの方は、おやおやと天井に目を向けた。秋の陽光が天井から
降り注ぎみんなを包んでいた。
フレッドは急にベーコンを食べるのに夢中になった。双子は二人ともS・P・E・Wバッジを買う
事を拒否していた。
一方、ジョージは、ハーマイオニーの方に身を乗り出してこう言った。
「まあ、聞け、ハーマイオニー。君は厨房に降りていった事があるか?」
「もちろん、ないわ」ハーマイオニーがそっけなく答えた。
「学生が行くべき場所としてはとても考えられないし」
「俺たちはあるぜ」ジョージはフレッドの方を指差しながら言った。
「何度もある。食べ物を失敬しに。そして、俺たちは連中に会っているが、連中は幸せなんだ。世
界一いい仕事を持っていると思ってる」
「それは、あの人たちが教育も受けていないし、洗脳されているからだわ!」
ハーマイオニーは熱くなって話し始めた。その時突然、頭上でサーッと音がしてふくろう便が到着
した事を告げ、ハーマイオニーのそのあとの言葉は羽音に飲み込まれてしまった。
急いで見上げたハリーは、ヘドウィグがこちらに向かって飛んでくるのを見つけた。ハーマイオ
ニーはぱっと話をやめた。
ヘドウィグがハリーの肩に舞い降り、羽をたたみ、疲れた様子で足を突き出すのを、ハーマイオ
ニーもロンも心配そうに見つめた。
ハリーはシリウスの返事を引っ張るように外し、ヘドウィグにベーコンの外皮をやった。
ヘドウィグは嬉しそうにそれを啄ばんだ。フレッドとジョージが三校対校試合の話に没頭していて
安全なのを確かめ、ハリーはシリウスの手紙をロンとハーマイオニーにヒソヒソ声で呼んで聞かせ
た。
『無理をするな、ハリー。私はもう帰国して、ちゃんと隠れている。ホグワーツで起こっている事
は全て知らせてほしい。ヘドウィグは使わないように。次々違うふくろうを使いなさい。私の事は
心配せずに、自分の事だけを注意していなさい。君の傷跡について私が言った事を忘れないように。
シリウス』
「どうしてふくろうを次々取り替えなきゃいけないのかなあ?」ロンが低い声で聞いた。
「ヘドウィグじゃ注意を引きすぎるからよ」ハーマイオニーがすぐに答えた。
「目立つもの。白ふくろうがシリウスの隠れ家に、どこだかは知らないけど、何度も行ったりして
ごらんなさい、だって、もともと白ふくろうはこの国の鳥じゃないでしょ?」
ハリーは手紙を丸める。、ローブの中に滑り込ませた。心配ごとが増えたの減ったのかわからな
かった。
とりあえずシリウスが何とか捕まりもせず戻ってきただけでも上出来だとすべきなのだろう。
それにシリウスがずっと身近にいると思うと心強いのも確かだった。
少なくとも手紙を書くたびにあんなに長く返事を待つ必要はないだろう。
「ヘドウィグ、ありがとう」
ハリーはヘドウィグを撫でてやった。ヘドウィグはホーと眠たそうな声で鳴き、ハリーのオレンジ
ジュースのコップにちょっと嘴を突っ込みすぐまた飛び立った。ふくろう小屋でぐっすり眠りたく
て仕方ないに違いない。
その日は心地よい期待感があたりを満たしていた。夕方にボーバトンとダームストラングからお客
が到着する事に気を取られ誰も授業に身が入らない。魔法薬学でさえいつもより三十分短いので耐
え安かった。
早めの終業ベルが鳴り、ハリー、ロン、ハーマイオニーは急いでグリフィンドール塔に戻って、指
示されていた通りカバンと教科書を置き、マントを着てまた急いで階段を下り玄関ホールに向かっ
た。各寮の寮監が生徒たちを整列させていた。
「ウィーズリー、帽子が曲がっています」マクゴナガル先生からロンに注意が飛んだ。
「ミス・パルチ、髪についているばかげたものお取りなさい」
パーバティは顔をしかめて三つ編みの先につけた大きな蝶飾りを取った。
「ついておいでなさい」マクゴナガル先生が命じた。
「一年生が先頭、押さないで」
みんな並んだまま正面の石段を下り城の前に整列した。晴れた寒い夕方だった。
夕闇が迫り禁じられた森の上に青白く透き通るような月がもう輝き始めていた。
ハリーは前から四列目に並びロンとハーマイオニーを両脇にして立っていたが、デニス・クリー
ビーが他の一年生たちにまじって期待で本当に震えているのが見えた。
「まもなく六時だ」
ロンは時計を眺め正門に続く馬車道を遠くの方までじっと見た。
「どうやってくると思う?汽車かな?」
「違うと思う」ハーマイオニーが言った。
「じゃ、なんでくる?箒かな?」
ハリーが星の瞬き始めた空を見上げながら言った。
「違うわね、ずっと遠くからだし」
「ポートキーか?」ロンが意見を述べた。
「さもなきゃ”姿現わし”術かも、どこだか知らないけど、あっちじゃ、十七歳未満でも使えるん
じゃないか?」
「ホグワーツの校内では”姿現わし”はできません。何度言ったらわかるの?」
ハーマイオニーはロンの言動にイライラしていた。誰もが興奮して暗闇の迫る校庭を矯めつ眇めつ
眺めたがなんの気配もない。
全てがいつも通り、静かに、ひっそりと動かなかった。ハリーは段々寒くなってきた。早く来てく
れ。
外国人学生はあっと言わせる登場を考えているのかも。
ハリーはウィーズリーおじさんがクィディッチ・ワールドカップの始まる前、あのキャンプ場で
言った事を思い出していた。
『毎度の事だ。大勢集まると、どうしても見栄を張りたくなるらしい』
その時ダンブルドアが先生がたの並んだ最後列から声をあげた。
「ほっほー!わしの眼に狂いがなければ、ボーバトンの代表団が近づいて来るぞ!」
「どこ?どこ?」
生徒たちがてんでんバラバラな方向を見ながら熱い声をあげた。
「あそこだ!」六年生の一人が森の上空を指さして叫んだ。何か大きなもの、箒よりずっと大きな
ものだ。いや、箒百本分より大きい何かが濃紺の空をぐんぐん大きくなりながら城に向かって疾走
してくる。
「ドラゴンだ!」すっかり気が動転した一年生の一人が金切り声をあげた。
「バカ言うなよ、あれは空飛ぶ家だ!」デニス・クリービーが言った。デニスの推測の方が近かっ
た。
巨大な黒い影が禁じられた森の梢をかすめたとき、城の窓明かりがその影をとらえた。巨大なパス
テル・ブルーの馬車が姿を現した。
大きな館ほどの馬車が十二頭の天馬に引かれてこちらに飛んでくる。天馬は金銀に輝くパロミノで、
それぞれが象ほども大きい。
馬車がぐんぐん高度を下げ猛烈なスピードで着陸態勢に入ったので前三列の生徒が後に下がった。
すると、ドーンという衝撃音とともにネビルが後に吹っ飛んで、スリザリンの五年生の足をふんづ
けた。
ディナー用の大皿より大きい天馬の蹄が地を蹴った。その直後馬車も到着した。巨大な車輪がバウ
ンドし金色の天馬は太い首をグイッともたげ、火のように赤く燃える大きな目をぐりぐりさせた。
馬車の戸が開くまでのほんの短い時間にハリーはその戸に描かれた紋章を見た。金色の杖が交差し
それぞれの杖から三個の星が飛んでいる。淡い水色のローブを着た少年が馬車から飛び降り、前か
がみになって馬車の底をごそごそいじくっていたがすぐに金色の踏み台を引っ張り出した。少年が
恭しく飛び退いた。
すると馬車の中からピカピカの黒いハイヒールが片方現れた。子供のソリほどもある靴だ。続いて
ほとんど同時に現れた女性はハリーが見た事もないような大きさだった。馬車の大きさ、天馬の大
きさもたちまち納得がいった。
何人かがあっと息をのんだ。この女性ほど大きい人をハリーはこれまでにたった一人しか見た事が
ない。ハグリッドだ。
背丈も三センチと違わないのではないかと思った。しかし、なぜか、たぶん、ハリーがハグリッド
に慣れてしまったせいだろう。
この女性は、今、踏み台の下に立ち目を見張って待ち受ける生徒たちを見まわしていたが、ハグ
リッドよりもとてつもなく大きく見えた。玄関ホールからあふれる光の中にその女性が足を踏み入
れたとき顔が見えた。
小麦色の滑らかな肌にキリッとした顔つき、大きな黒い潤んだ瞳、鼻はつんと尖っている。
髪は引っ詰め低い位置につやつやした髷を結っている。頭から爪先まで黒繻子を纏い何個もの見事
なオパールが襟元と太い指で光を放っていた。ダンブルドアが拍手した。
それにつられて生徒も一斉に拍手した。この女性をもっとよく見たくて背伸びしている生徒が沢山
いた。
女性は表情を和らげ優雅に微笑んだ。そしてダンブルドアに近づき煌めく片手を差し出した。
ダンブルドアも背は高かったが手に接吻するのにほとんど体を曲げる必要がなかった。
「これはこれは、マダム・マクシーム」ダンブルドアが挨拶した。
「ようこそホグワーツへ」
「ダンブリー・ドール」マダム・マクシームが深いアルトで答えた。
「おかわりーありませーんか?」
「お蔭様で、上々じゃ」ダンブルドアが答えた。
「わたーしのせいとです」
マダム・マクシームは巨大な手の片方を無造作に後ろに回してひらひら振った。
マダム・マクシームの方ばかり気をとられていたハリーは、十数人もの男女学生が、顔つきからす
るとみんな十七、八以上に見えたが、馬車から現われて、マダム・マクシームの背後に立っている
のに初めて気づいた。
みんな震えている。無理もない。着ているローブは薄物の絹のようでマントを着ているものは一人
もいない。
何人かはスカーフを被ったりショールを巻いたりしていた。
みんなマダム・マクシームの巨大な影の中に立っていたので、顔はほんのわずかしか見えなかった
が、ハリーはみんな不安そうな表情でホグワーツを見つめているのを見てとった。
「カルカロフはまだ来ーませんか?」マダム・マクシームが聞いた。
「もうすぐ来るじゃろう」ダンブルドアが答えた。
「外でお持ちになってお出迎えなさるかな?それとも城中に入られて、ちと、暖をとられますか
な?」
「暖まりたーいです。でも、ウーマは」
「こちらの魔法生物飼育学の先生が喜んでお世話するじゃろう」ダンブルドアが言った。
「別の、あー、仕事で、少し面倒があってのう。片付き次第すぐに」
「スクリュートだ」ロンがニヤッとしてハリーに囁いた。
「わたーしのウーマたちの世話は、あー、力いりまーす」
マダム・マクシームはホグワーツの魔法生物飼育学の先生にそんな仕事ができるかどうか疑ってい
るような顔だった。
「ウーマたちは、とても強ーいです」
「ハグリッドなら大丈夫。やり遂げましょう。ワシが請け合いますぞ」ダンブルドアが微笑んだ。
「それはどーも」マダム・マクシームはかるく頭を下げた。
「どうぞ、アグリッドに、ウーマはシングルモルト・ウイスキーしか飲まなーいと、お伝えくーだ
さいますか?」
「かしこまりました」ダンブルドアもお辞儀した。
「おいで」マダム・マクシームは威厳たっぷりに生徒を呼んだ。
ホグワーツ生の列が割れマダムと生徒が石段を登れるよう道を空けた。
「ダームストラングの馬はどのくらい大きいと思う?」
シェーマス・フィネガンが、ラベンダーとパーバティの向こうからハリーとロンの方に身を乗り出
して話しかけた。
「うーん、こっちの馬より大きいんなら、ハグリッドでも扱えないだろうな」ハリーが言った。
「それも、スクリュートに襲われてなかったの話だけど。一体何が起こったんだろう?」
「もしかして、スクリュートが逃げたかも」ロンはそうだといいのにという言い方だ。
「ああ、そんな事言わないで」ハーマイオニーが身震いした。
「あんな連中が校庭にうじゃうじゃしてたら」
ダームストラング一行を待ちながらみんな少し震えて立っていた。生徒の多くは期待を込めて空を
見つめていた。
数分間、静寂を破るのはマダム・マクシームの巨大な馬の鼻息と地を蹴る蹄の音だけだった。だが。
「何か聞こえないか?」突然ロンが言った。ハリーは耳を澄ませた。
暗闇の中からこちらに向かって大きな言いようのない不気味な音が伝わってきた。
まるで巨大な掃除機が川底を浚うようなくぐもったゴロゴロという音、吸い込む音。
「湖だ!」リー・ジョーダンが指差して叫んだ。
「湖を見ろよ!」
そこは芝生の一番上で校庭を見下ろす位置だったので、湖の黒くなめらかな水面がはっきり見えた。
その水面が突然乱れた。
中心の深いところで何かざわめいている。ボコボコと大きな泡が表面に湧き出し波が岸の泥を洗っ
た。
そして湖の真々中が渦巻いた。まるで湖底の巨大な栓が抜かれたかのように。
渦の中心から長い、黒い竿のようなものがゆっくりせり上がってきた。そしてハリーの目に、帆ゲ
タが。
「あれは帆柱だ!」ハリーがロンとハーマイオニーに向って言った。ゆっくりと、堂々と月明かり
を受けて船は水面に浮上した。
まるで引き上げられた難破船のようなどこか骸骨のような感じがする船だ。丸い船窓からチラチラ
見える仄暗い霞が灯りが幽霊の目のように見えた。ついに、ザバーッと大きな音を立てて船全体が
姿を現わし、水面を波立たせて船体を揺り岸に向かって滑り出した。
数分後、浅瀬に錨を投げ入れる水音が聞こえタラップを岸に下ろすドスッという音がした。乗員が
下船してきた。
船窓の灯りをよぎるシルエットが見えた。ハリーは、全員がクラッブ、ゴイル並みの体つきをして
いる事に気づいた。
しかし、だんだん近づいてきて芝生を登り切り玄関ホールから流れ出る明りの中に入るのを見たと
き、大きな体に見えたのは、実はモコモコとした分厚い毛皮のマントを着ているせいだとわかった。
城まで全員を率いてきた男だけは違うものを着ている。男の髪と同じく滑らかで銀色の毛皮だ。
「ダンブルドア!」坂道を登りながら男が朗らかに声をかけた。
「やあやあ。しばらく。元気かね」
「元気いっぱいじゃよ。カルカロフ校長」ダンブルドアが挨拶を返した。カルカロフの声は耳に心
地よく上っ滑りに愛想がよかった。城の正面扉から溢れ出る明りの中に歩み入ったとき、ダンブル
ドアと同じく痩せた背の高い姿が見えた。
しかし銀髪は短く、先の縮れた山羊髭は貧相な顎を隠しきれていなかった。カルカロフはダンブル
ドアに近づき両手で握手した。
「懐かしのホグワーツ城」
カルカロフは城を見上げて微笑んだ。歯が黄ばんでいた。それにハリーは目が笑っていない事に気
づいた。冷たい、抜け目のない眼のままだ。
「ここに来たのは嬉しい。実に嬉しい。ビクトール、こっちへ。暖かいところへ来るがいい。ダン
ブルドア、構わないかね?ビクトールは風邪気味なので」
カルカロフは生徒の一人をさし招いた。その青年が通り過ぎた時ハリーはちらりと顔を見た。曲
がった目立つ鼻、濃い太い眉。ロンから腕にパンチを食わされるまでもない。耳元で囁かれる必要
もない。紛れもない横顔だ。
「ハリー、クラムだ!」

第十六章炎のゴブレット

「まさか!」ロンが呆然として言った。ダームストラング一行の後についてホグワーツの学生が整
列して石段を登る途中だった。
「クラムだぜ、ハリー!ビクトール・クラム!」
「ロン、落ちつきなさいよ。たかがクィディッチの選手じゃない」ハーマイオニーが言った。
「たかがクィディッチを選手?」ロンは耳を疑うという顔でハーマイオニーを見た。
「ハーマイオニー、クラムは世界最高のシーカーの一人だぜ!まだ学生がなんて、考えてもみな
かった!」
ホグワーツの生徒に混じり再び玄関ホールを横切り大広間に向かう途中、ハリーはリー・ジョーダ
ンがクラムの頭の後ろだけでもよく見ようと、爪先立ちでぴょんぴょん飛び上がっているのを見た。
六年生の女子学生が数人歩きながら夢中でポケットをさぐっている。
「あぁ、どうしたのかしら。わたし、羽根ペンを一本も持ってないわ」
「ねえ、あの人、わたしの帽子に口紅でサインしてくれると思う?」
「まったく、もう」
今度は口紅の事でごたごたしている女の子たちを追い越しながらハーマイオニーがツンと言い放っ
た。
「サインもらえるなら、僕が、もらうぞ」ロンが言った。
「ハリー、羽根ペン持ってないか?ン?」
「ない。寮のカバンの中だ」ハリーが答えた。三人はグリフィンドールのテーブルまで歩き腰掛け
た。ロンはわざわざ入り口の見える方に座った。クラムやダームストラングの他の生徒たちがどこ
に座って良いか解らないらしく、まだ入り口付近に固まっていたからだ。ボーバトンの生徒たちは
レイブンクローのテーブルを選んで座っていた。みんなむっつりした表情で大広間を見回している。
中の三人がまだ頭にスカーフやショールを巻きつけしっかり押さえていた。
「そこまで寒いわけないでしょ」観察していらハーマイオニーがイライラした。
「あの人たち、どうしてマントを持ってこなかったのかしら?」
「こっち!こっちに来て座って!」ロンが歯を食いしばるように言った。
「こっちだ!ハーマイオニー、そこどいて。席を空けてよ」
「どうしたの?」
「遅かった」ロンが悔しそうに言った。ビクトール・クラムとダームストラングの生徒たちがスリ
ザリンのテーブルに着いていた。マルフォイ、クラッブ、ゴイルのいやに得意げな顔をハリーは見
た。見ているうちにマルフォイがクラムの方に乗り出すようにして話しかけた。
「おう、おう、やってくれ。マルフォイ。おべんちゃらベタベタ」ロンが毒づいた。
「だけど、クラムは、あいつなんかすぐお見通しだぞ。きっといつも、みんながじゃれ付いてくる
んだから。あの人たち、どこに泊まると思う?
僕たちの寝室に空きを作ったらどうかな、ハリー。僕のベッドをクラムにあげたっていい。僕は折
りたたみベッドで寝るから」
ハーマイオニーなフンと鼻を鳴らした。
「あの人たち、ボーバトンの生徒よりずっと楽しそうだ」ハリーが言った。ダームストラング生は
分厚い毛皮を脱ぎ興味津々で星の瞬く天井を眺めていた。何人かは金の皿や杯を持ち上げては感心
したように眺めまわしていた。
教職員テーブルに管理人のフィルチが椅子を追加している。晴れの席にふさわしく古ぼけたかび臭
い燕尾服を着こんでいた。
ダンブルドアの両脇に二席ずつ四脚も椅子をおいたのでハリーは驚いた。
「だけど、二人増えるだけなのに、どうしてフィルチは椅子を四つも出したのかな?
あとは誰がくるんだろう?」ハリーが言った。
「はぁ?」ロンは曖昧に答えた。まだクラムに熱い視線を向けている。全校生徒が大広間に入りそ
れぞれの寮のテーブルにつくと、教職員が入場し一列になって上座のテーブルに進み着席した。列
の最後はダンブルドア、カルカロフ校長、マダム・マクシームだ。ボーバトン生はマダムが入場す
るとパッと起立した。ホグワーツ生の何人かが笑った。しかしボーバトン生は平然としてマダム・
マクシームがダンブルドアの左手に着席するまでは席に座れなかった。ダンブルドアの方は立った
ままだ。大広間が水を打ったようになった。
「今晩は。紳士、淑女、そしてゴーストの皆さん。そしてまた、今夜は特に、客人の皆さん」
ダンブルドアは外国からの学生全員に向かってニッコリした。
「ホグワーツへのおいでを、心から歓迎いたしますぞ。本校での滞在が、快適で楽しいものになる
事を、わしは希望し、まだ確信しておる」
ボーバトンの女子学生でまだしっかりとマフラーを頭に巻きつけたままの子が、間違いなく嘲笑と
取れる笑い声をあげた。
「あなたなんか、誰も引きとめやしないわよ!」
ハーマイオニーがその学生を睨み付けながら呟いた。
「三校対校試合は、この宴が終わると正式に開始される」ダンブルドアが続けた。
「さあ、それでは、大いに飲み、食い、かつくつろいでくだされ!」ダンブルドアが着席した。ハ
リーが見ているとカルカロフ校長がすぐに身を乗り出してダンブルドアと話し始めた。目の前の皿
がいつものように満たされた。厨房の屋敷しもべ妖精が今夜は無制限の大盤振る舞いにしたらしい。
目の前にハリーがこれまで見た事がないほどいろいろな料理が並び、はっきり外国料理とわかるも
のもいくつかあった。
「あれ、何だい?」
ロンが指さしたのは大きなキドニーステーキ・パイの横にある貝類のシチューのようなものだった。
「ブイヤベース」ハーマイオニーが答えた。
「今、くしゃみした?」ロンが聞いた。
「フランス語よ」ハーマイオニーが言った。
「一昨年の夏休み、フランスでこの料理を食べたの。とってもおいしいわ」
「ああ、信じましょう」ロンがブラッド・ソーセージをよそいながら言った。たかだか二十人生徒
が増えただけなのに大広間はなぜかいつもよりずっと込み合っているように見えた。たぶんホグ
ワーツの黒いローブの中で違う色の制服がパッと目に入るせいだろう。毛皮のコートを脱いだダー
ムストラング生はその下に血のような深紅のローブを着ていた。歓迎会が始まってから二十分ほど
たったころ、ハグリッドが教職員テーブルの後ろのドアから横滑りで入ってきた。テーブルの端の
席にそっと座るとハグリッドはハリー、ロン、ハーマイオニーに手を振った。包帯でぐるぐる巻き
の手だ。
「ハグリッド、スクリュートは大丈夫なの?」ハリーが呼びかけた。
「ぐんぐん育っちょる」ハグリッドが嬉しそうに声を返した。
「ああ、そうだろうと思った」ロンが小声で言った。
「あいつら、ついに好みの食べ物を見つけたらしいな。ほら、ハグリッドの指さ」
その時誰かの声がした。
「あのでーすね、ブイヤベース食べなーいのでーすか?」
ダンブルドアの挨拶のときに笑ったのボーバトンの女子学生だった。やっとマフラーをとっていた。
長いシルバーブロンドの髪がさらりと腰まで流れていた。大きな深いブルーの瞳、真っ白で綺麗な
歯並びだ。ロンは真っ赤になった。美少女の顔をじっと見つめ口を開いたものの、わずかにぜいぜ
いと喘ぐ音が出て来るだけだった。
「ああ、どうぞ」ハリーが美少女の方に皿を押しやった。
「もう食べ終わりまーしたでーすか?」
「ええ」ロンが息も絶え絶えに答えた。「ええ、おいしかったです」
美少女は皿を持ち上げこぼさないようにレイブンクローのテーブルに運んでいった。ロンはこれま
で女の子を見た事がないかのように穴のまほど美少女を見つめ続けていた。ハリーが笑いだした。
その声でロンははっと我に返ったようだった。
「あの女、ヴィーラだ!」ロンはかすれた声でハリーに言った。
「いいえ、違います!」ハーマイオニーがバシッと言った。
「マヌケ顔で、ぽかんと口を開けてみとれてる人は、ほかに誰もいません!」
しかしハーマイオニーの見方は必ずしも当たっていなかった。美少女が大広間を横切る間たくさん
の男子が振り向いたし、何人かはロンと同じように一時的に口がきけなくなったようだった。
「間違いない!あれは普通の女の子じゃない!」
ロンは体を横に倒して美少女をよく見ようとした。
「ホグワーツじゃ、ああいう女の子は作れない!」
「ホグワーツだって、女の子はちゃんと作れるよ」ハリーは反射的にそう言った。シルバーブロン
ド美少女から数席離れたところにたまたまチョウ・チャンが座っていた。
「お二人さん、お目目がお戻りになりましたら」ハーマイオニーがきびきびと言った。
「たったいま誰が到着したか、見えますわよ」ハーマイオニーは教職員テーブルを指さしていた。
空いていた二席が塞がっている。ルード・バグマンがカルカロフ校長の隣に、パーシーの上司のク
ラウチ氏がマダム・マクシームの隣に座っていた。
「いったい何しに来たのかな?」ハリーは驚いた。
「三校対校試合を組織したのは、あの二人じゃない?」ハーマイオニーが言った。
「始まるのを見たかったんだと思うわ」
次のコースが皿に現れた。なじみのないデザートがたくさんある。ロンはなんだか得体のしれない
淡い色のブラマンジェをしげしげ眺め、それをそろそろと数センチくらい自分の右側に移動させ、
レイブンクローのテーブルからよく見えるようにした。
しかし、ヴィーラらしき美少女はもう十分食べたという感じでブラマンジェを取りに来ようとはし
なかった。
金の皿が再びピカピカになるとダンブルドアが再び立ちあがった。心地よい緊張感がいましも大広
間を満たした。
何が起こるかとハリーは興奮でぞくぞくした。
ハリーの席から数席向こうでフレッドとジョージが身を乗り出し、全神経を集中してダンブルドア
を見つめている。
「時は来た」
ダンブルドアが一斉に自分を見上げている顔、顔、顔に笑いかけた。
「三大魔法学校対校試合はまさに始まろうとしておる。”箱”を持ってこさせる前に二言、三言説
明しておこうかの」
「箱って?」ハリーがつぶやいた。ロンが「知らない」とばかり肩をすくめた。
「今年はどんな手順で進めるのかを明らかにしておくためじゃが。その前に、まだこちらのお二人
を知らない者のためにご紹介しよう。国際魔法協力部部長、バーテミウス・クラウチ氏」儀礼的な
拍手がパラパラと起こった。
「そして、魔法ゲーム・スポーツ部部長、ルード・バグマン氏じゃ」
クラウチのときよりもずっと大きな拍手があった。ビーターとして有名だったからかもしれないし、
ずっと人好きのする容貌のせいかも知れなかった。バグマンは陽気に手を振って拍手に答えた。
バーテミウス・クラウチは紹介されたとき、にっこりともせず手を振りもしなかった。クィディッ
チ・ワールドカップでのスマートな背広姿を覚えているハリーにとって、魔法使いのローブがクラ
ウチ氏とちぐはぐな感じがした。ちょび髭もぴっちり分けた髪もダンブルドアの長い白髪とあごひ
げの隣では際立って滑稽に見えた。
「バグマン氏とクラウチ氏は、この数カ月というもの、三校対校試合の準備に骨身を惜しまず尽力
されてきた」
ダンブルドアの話は続いた。
「そして、お二方は、カルカロフ校長、マダム・マクシーム、それにこのわしともに、代表選手の
検討ぶりを評価する審査委員会に加わってくださる」
”代表選手”の言葉が出たとたん熱心に聞いていた生徒たちの耳が一段と研ぎ澄まされた。ダンブ
ルドアは生徒が急にしんとなったのに気づいたのかにっこりながらこう言った。
「それでは、フィルチさん、箱をこれへ」
大広間の隅に誰にも気づかれずに身を潜めていたフィルチが、今宝石をちりばめた大きな木箱を捧
げダンブルドアの方に進み出た。かなり古いものらしい。見つめる生徒たちからいったい何だろう
と興奮のざわめきが起こった。デニス・クリスビーはよく見ようと椅子の上に立ちあがったが、そ
れでもあまりにチビでみんなの頭よりちょっぴり上に出ただけだった。
「代表選手たちが今年取り組むべき課題の内容は、すでにクラウチ氏とバグマン氏が検討し終えて
いる」ダンブルドアが言った。フィルチが木箱を恭しくダンブルドアの前のテーブルに置いた。
「さらにお二方は、それぞれの課題に必要な手配もしてくださった。課題は三つあり、今学年一年
間にわたって、間を置いて行われ、代表選手はあらゆる角度から試される。魔力の卓越性、果敢な
勇気、論理・推理力、そして、言うまでもなく、危険に対処する能力などじゃ」
この言葉の最後で大広間が完璧に沈黙した。息する者さえいないかのようだった。
「皆も知っての通り、試合を競うのは三人の代表選手じゃ」ダンブルドアは静かに言葉を続けた。
「参加三校から各一名ずつ。選手は課題の一つ一つをどのように巧みにこなすかで採点され、三つ
の課題の総合点が最も高いものが、優勝杯を獲得する。代表選手を選ぶのは、公正なる選者”炎の
ゴブレット”じゃ」
ここでダンブルドアは杖を取り出し木箱のふたを三度軽く叩いた。ふたは軋みながらゆっくりと開
いた。ダンブルドアは手を差し入れ中から大きな粗削りの木の杯を取り出した。一見まるで見栄の
しない杯だったが、ただその縁から溢れんばかりに青白い炎が躍っていた。ダンブルドアは木箱の
ふたを閉めその上にそっと杯を置き大広間の全員によく見えるようにした。
「代表選手に名乗りをあげたいものは、羊皮紙に名前と所属校名をはっきりと書き、この杯の中に
入れなければならぬ。立候補の志あるものは、これから二十四時間のうちに、その名を提出するよ
う。明日、ハロウィンの夜に、杯は、各校を代表するに最もふさわしいと判断した三人の名前を、
返してよこすであろう。この杯は、今夜玄関ホールに置かれる。我と思わん者は、自由に近づくが
よい」
「年齢に満たない生徒が誘惑にかられる事のないよう」ダンブルドアが続けた。
「”炎のゴブレット”が玄関ホールに置かれたなら、その周囲にわしが”年齢線”を引く事にする。
十七歳に満たない者は、何人もその線を超える事はできぬ。最後に、この試合で競おうとする者に
はっきり言っておこう。軽々しく名乗りを上げぬ事じゃ。”炎のゴブレット”が一旦代表選手と選
んだものは、最後まで試合を戦い抜く義務ある。杯に名前を入れるという事は、魔法契約によって
拘束される事じゃ。代表選手になったからには、途中で気が変わるという事は許されぬ。じゃから、
心底、協議する用意があるのかどうか確信を持ったうえで、杯に名前を入れるのじゃぞ。さて、も
う寝る時間じゃ。皆、お休み」
「”年齢線”か!」
みんなと一緒に大広間を横切り玄関ホールに出るドアのほうへと進みながら、フレッド・ウィーズ
リーが目をキラキラさせた。
「うーん。それなら”老け薬”でごまかせるな?
一旦名前を杯に入れてしまえば、もうこっちのもんさ。十七歳かどうかなんて、杯にはわかりゃし
ないさ!」
「でも、十七歳未満じゃ、誰も戦い遂せる可能性は無いと思う」ハーマイオニーが言った。
「まだ勉強が足りないもの」
「君はそうでも、オレは違うぞ」ジョージがぶっきらぼうに言った。
「ハリー、君はやるな?立候補するんだろ?」
十七歳に満たない者は立候補するべからず、というダンブルドアの強い言葉をハリーは一瞬思い出
した。しかし自分が三校対校試合に優勝する晴れがましい姿がまたしても胸いっぱいに広がった。
十七歳未満の誰かが”年齢線”を破るやり方を本当に見つけてしまったら、ダンブルドアはどのく
らい怒るだろうか。
「どこへ行っちゃったのかな?」このやりとりを全く聞いていなかったロンが言った。クラムはど
うしたかと人込みの中をうかがっていたのだ。
「ダンブルドアは、ダームストラング生がどこに泊まるか、入ってなかったよな?」
しかしその答えはすぐにわかった。ちょうどそのときハリーたちはスリザリンのテーブルまで進ん
で来ていたのだが、カルカロフが生徒を急き立てている最中だった。
「それでは、船に戻れ」カルカロフがそう言ったところだった。
「ビクトール、気分はどうだ?十分に食べたか?厨房から卵酒でも持ってこさせようか?」
クラムがまた毛皮を着ながら首を横にふったのをハリーは見た。
「校長先生、僕、ヴァインが欲しい」
ダームストラングの男子生徒が一人ものほしそうに言った。
「お前に言ったわけではない。ポリアコフ」カルカロフが噛みつくように言った。優しい父親のよ
うな雰囲気は一瞬にして消えた。
「お前は、また食べ物をべたべたこぼして、ローブを汚したな。しょうのない奴だ」
カルカロフはドアのほうに向きを変え生徒を先導した。ドアのところでちょうどハリー、ロン、
ハーマイオニーとかち合い三人が席を譲った。
「ありがとう」カルカロフは何気なくそう言ってハリーをチラッと見た。とたんにカルカロフが凍
り付いた。ハリーのほうを振り向き我目を疑うという表情でカルカロフはハリーをまじまじと見た。
校長の後についていたダームストラング生も急に立ち止まった。カルカロフの視線がゆっくりとハ
リーの顔を移動し傷跡の上に釘付けになった。ダームストラング生も不思議そうにハリーを見つめ
た。そのうち何人かがはっと気づいた表情になったのをハリーは目の片隅で感じた。ローブの胸が
食べこぼしでいっぱいの男の子が隣の女の子を突っつきおおっぴらにハリーの額を指さした。
「そうだ。ハリー・ポッターだ」後ろから声が轟いた。カルカロフ校長がくるりと振り向いた。
マッド・アイ・ムーディが立っている。ステッキに体を預け魔法の目が瞬きもせずダームストラン
グの校長をぎらぎらと見据えていた。ハリーの目の前でカルカロフの顔からさっと血の気が引き、
怒りと怖れの入り交じったすさまじい表情に変わった。
「お前は!」カルカロフは亡霊でも見るような目つきでムーディを見つめた。
「わしだ」凄みのある声だった。
「ポッターに何か言う事がないなら、カルカロフ、退くがよかろう。出口をふさいでいるぞ」
確かにそうだった。大広間の生徒の半分がその後ろで待たされ、何が邪魔しているのだろうとあち
こちから首を突出して前を覗いていた。一言も言わずカルカロフ校長は自分の生徒をかき集めるよ
うにして連れ去った。ムーディはその姿が見えなくなるまで魔法の目でその背中をじっと見ていた。
傷だらけのゆがんだ顔に激しい嫌悪感が浮かんでいた。翌日は土曜日で、普段なら遅い朝食を取る
生徒が多いはずだった。しかし、ハリー、ロン、ハーマイオニーはこの週末はいつもよりずっと早
く起きた。早起きはハリーたちだけではなかった。三人が玄関ホールに下っていくと二十人ほどの
生徒がうろうろしているのが見えた。トーストをかじりながらの生徒もいてみんなが”炎のゴブ
レット”を眺めまわしていた。杯はホールの真ん中に、いつもは”組分け帽子”を載せる丸椅子の
上に置かれていた。床には細い金色の線で杯の周りに半径三メートルほどの円が描かれていた。
「もう誰が名前を入れた?」ロンがうずうずしながら三年生の女の子に聞いた。
「ダームストラングが全員。だけど、ホグワーツからは、わたしは誰も見てないわ」
「昨日の夜のうちに、みんなが寝てしまってから入れた人もいると思うよ」ハリーが言った。
「僕だったら、そうしたと思う。みんなに見られたりしたくないもの。杯が、名前を入れた途端に
吐き出してきたりしたらイヤだろ?」
ハリーの背後で誰かが笑った。振り返るとフレッド、ジョージ、リー・ジョーダンが急いで階段を
おりて来るところだった。三人ともひどく興奮しているようだ。
「やったぜ」フレッドが勝ち誇ったようにハリー、ロン、ハーマイオニーに耳打ちした。
「今飲んできた」
「何を?」ロンが聞いた。
「”老け薬”だよ。鈍いぞ」フレッドが言った。
「一人一滴だ」有頂天で両手をこすり合せながらジョージが言った。
「俺たちはほんの数カ月分、歳をとればいいだけだからな」
「三人のうち誰かが優勝したら、一千ガリオンは山分けにするんだ」リーもニヤーッと歯を見せた。
「でも、そんなにうまくいくとは思えないけど」ハーマイオニーが警告するように言った。
「ダンブルドアはきっとそんな事考えてあるはずよ」
フレッド、ジョージ、リーは聞き流した。
「いいか?」武者震いしながらフレッドがあとの二人に呼びかけた。
「それじゃ、いくぞ。俺が一番乗りだ」
フレッドが”フレッド・ウィーズリー、ホグワーツ”と書いた羊皮紙メモをポケットから取り出す
のを、ハリーはドキドキしながら見守った。フレッドは真っ直ぐに線の際まで行ってそこで立ち止
まり、十五メートルの高みから飛び込みをするダイバーのように爪先だって前後に体を揺すった。
そして玄関ホールのすべての目が見守る中フレッドは大きく息を吸い線の中に足を踏み入れた。一
瞬ハリーはうまくいったと思った。ジョージもきっとそう思ったのだろう。やった、という叫び声
とともにフレッドの後を追って飛び込んだのだが、次の瞬間ジュッという大きな音ともに双子は二
人とも金色の円の外に放り出された。見えない砲丸投げ選手が二人を押し出したかのようだった。
二人は、三メートルほども吹っ飛び冷たい石の床に叩きつけられた。泣き面に蜂ならぬ恥、ポンと
大きな音がして二人とも全く同じ白い長い顎髭が生えてきた。玄関ホールが大爆笑に沸いた。フ
レッドとジョージでさえ立ち上がってお互いの髭を眺めた途端笑いだした。
「忠告したはずじゃ」深みのある声がした。面白がっているような調子だ。みんなが振り向くと大
広間からダンブルドア校長が出て来るところだった。目をキラキラさせてフレッドとジョージを観
賞しながらダンブルドアが言った。
「二人とも、マダム・ポンフリーのところへ行くがよい。すでに、レイブンクローのミス・フォー
セット、ハッフルパフのミスター・サマーズもお世話になっておる。二人とも少しばかり歳をとる
決心をしたのでな。もっとも、あの二人の髭は、君達のほどみごとではないがの」
げらげら笑っているリーに付き添われフレッドとジョージが医務室に向かい、ハリー、ロン、ハー
マイオニーもくすくす笑いながら朝食に向かった。大広間の飾り付けが今朝はすっかり変わってい
た。ハロウィンなので生きたコウモリが群がって魔法のかかった天井の周りを飛び回っていたし、
何百というくりぬきカボチャがあちこちの隅でニターッと笑っていた。ハリーが先に立ってディー
ンとシェーマスのそばに行くと
二人は十七歳以上の生徒で誰がホグワーツから立候補しただろうかと話しているところだった。
「ウワサだけどさ、ワリントンが早起きして名前を入れたって」ディーンがハリーに話した。
「あの、スリザリンの、でっかいナマケモノみたいなやつがさ」
クィディッチでワリントンと対戦した事があるハリーはむかついて首を振った。
「スリザリンから代表選手を出すわけにはいかないよ!」
「それに、ハッフルパフじゃ、みんなディゴリーの事を話してる」
シェーマスが軽蔑したように言った。
「だけど、あいつ、ハンサムなお顔を危険にさらしたくないんじゃないでしょうかね」
「ちょっと、ほら、見て!」ハーマイオニーが急に口をはさんだ。玄関ホールの方で歓声が上がっ
た。椅子に座ったまま振り向くとアンジェリーナ・ジョンソンが、少しはにかんだように笑いなが
ら大広間に入って来るところだった。グリフィンドールのチェイサーの一人、背の高い黒人のアン
ジェリーナは、ハリーたちのところへやってきて腰をかけるなり言った。
「そう、わたし、やったわ!今、名前を入れてきた!」
「ほんとかよ!」ロンは感心したように言った。
「それじゃ、君、十七歳なの?」ハリーが聞いた。
「そりゃ、もち、そうさ。髭がないだろ?」ロンが言った。
「先週が誕生日だったの」アンジェリーナが言った。
「ウワァ、わたし、グリフィンドールから誰か立候補してくれて、うれしいわ」ハーマイオニーが
言った。
「あなたが選ばれるといいな、アンジェリーナ!」
「ありがとう、ハーマイオニー」アンジェリーナがハーマイオニーに微笑みかけた。
「アア、カワイ子ちゃんのディゴリーより、君のほうがいい」
シェーマスの言葉をテーブルのそばを通りかかった数人のハッフルパフ生が聞きつけて怖い顔で
シェーマスを睨んだ。
「じゃ、今日は何して遊ぼうか?」
朝食が終わって大広間を出るときロンがハリーとハーマイオニーに聞いた。
「まだハグリッドのところに行ってないね」ハリーが言った。
「オッケー。スクリュートに僕たちの指を二、三本寄付しろって言わないんなら、行こう」ロンが
言った。ハーマイオニーの顔が興奮でぱっと輝いた。
「今気付いたけど、私、まだハグリッドにS・P・E・Wに入会するように頼んでなかったわ!」
ハーマイオニーの声が弾んだ。
「待っててくれる?ちょっと上まで行って、バッジを取って来るから」
「あいつ、いったい、どうなってるんだ?」
ハーマイオニーが大理石の階段を駆けあがっていくのをロンは呆れ顔で見送った。
「おい、ロン」ハリーが突然声をかけた。
「君のお友達」
ボーバトン生が校庭から正面の扉を通ってホールに入って来るところだった。その中にあのヴィー
ラ美少女がいた。”炎のゴブレット”を取り巻いていた生徒たちが一行を食い入るように見つめな
がら道を空けた。マダム・マクシームが生徒の後からホールに入りみんなを一列に並ばせた。ボー
バトン生は一人ずつ”年齢線”を跨ぎ青白い炎の中に羊皮紙のメモを投じた。名前が入るごとに炎
は一瞬赤くなり火花を散らした。
「選ばれなかった生徒はどうなると思う?」
ヴィーラ美少女が羊皮紙を”炎のゴブレット”に投じたときロンがハリーにささやいた。
「学校に帰っちゃうと思う?それとも残って試合を見るのかな?」
「わかんない。残るじゃないかな。マダム・マクシームは残って審査するんだろ?」
ボーバトン生が全員名前を入れ終えると、マダム・マクシームは再び生徒をホールから連れ出し校
庭へと戻っていった。
「あの人たちは、どこに泊まっているのかな?」
あとを追って扉の方へ行き一行をじっと見おくりながらロンが言った。背後でガタガタと大きな音
がしてハーマイオニーがS・P・E・Wバッジの箱を持って戻ってきた事が分かった。
「おっ、いいぞ。急ごう」ロンが石段を飛び降りた。その目はマダム・マクシームと一緒に芝生の
中ほどを歩いているヴィーラ美少女の背中にぴったりと張り付いていた。禁じられた森の端にある
ハグリッドの小屋に近づいたときボーバトン生がどこに泊まっているのかの謎が解けた。乗ってき
た巨大なパステル・ブルーの馬車がハグリッドの小屋の入り口から二百メートルほど向こうにおか
れ、生徒たちはその中へと登っていくところだった。馬車を引いてきた象ほどもある天馬は、今は
その脇に設えられた急ごしらえのパドックで草を食んでいる。ハリーがハグリッドの戸をノックす
るとすぐにファングの低く響く吠え声がした。
「よう、久しぶりだな!」
ハグリッドが勢い良くドアを開けハリーたちを見つけて言った。
「俺の住んどるところを忘れちまったかと思ったぞ!」
「私たち、とっても忙しかったのよ、ハグ」
ハーマイオニーはそう言いかけてハグリッドを見上げた途端ぴったりと口を閉じた。言葉を失った
ようだ。ハグリッドは一張羅のしかも悪趣味の毛がモコモコの茶色いい背広を着込み、これでもか
とばかり黄色と橙色の格子縞ネクタイを締めていた。極め付きは髪をなんとか撫でつけようとした
らしく、車軸用のグリースかと思われる油をこってりと塗りたくっていた事だ。髪は今や二束に括
られて垂れ下がっている。たぶんビルと同じようなポニーテールにしようとしたのだろうが、髪が
多すぎて一つにまとまらなかったのだろう。どう見てもハグリッドには似合わなかった。一瞬ハー
マイオニーは目を白黒させてハグリッドを見ていたが、結局何も意見を言わない事に決めたらしく
こう言った。
「えーと、スクリュートはどこ?」
「外のカボチャ畑の脇だ」ハグリッドが嬉しそうに答えた。
「でっかくなったぞ。もう一メートル近いな。ただな、困った事に、お互いに殺し合いを始めて
なぁ」
「まあ、困ったわね」ハーマイオニーはそう言うと、ハグリッドのキテレツな髪型をまじまじ見て
いたロンが何かいいたそうに口を開いたので素早く「ダメよ」と目配せした。
「そうなんだ」ハグリッドは悲しそうに言った。
「ンでも、大丈夫だ。もう別々の箱に分けたからな。まーだ、二十匹は残っちょる」
「うわ、そりゃ、おめでたい」ロンの皮肉がハグリッドには通じなかった。ハグリッドの小屋は一
部屋しかなくその一角にパッチワークのカバーをかけた巨大なベッドが置いてある。暖炉の前には
これも同じく巨大な木のテーブルと椅子がありその上の天井から、薫製ハムや鳥の死骸がたくさん
ぶら下がっていた。ハグリッドがお茶の準備を始めたので三人はテーブルに着き、すぐにまた三校
対校試合の話題に夢中になった。ハグリットも同じように興奮しているようだった。
「見ちょれ」ハグリッドがニコニコした。
「待っちょれよ。見た事もねえものが見られるぞ。いっち番目の課題は、おっと、言っちゃいけね
えんだ」
「言ってよ!ハグリッド!」
ハリー、ロン、ハーマイオニーが促したがハグリッドは笑って首を横に振るばかりだった。
「お前さんたちの楽しみを台無しにしたくはねえ」ハグリッドが言った。
「がだがな、すごいぞ。それだけは言っとく。代表選はな、課題をやり遂げるのは大変だぞ。生き
てるうちに三校対抗試合の復活を見られるとは、思わんかったぞ!」
結局三人はハグリッドと昼食を食べたがあまりたくさんは食べなかった。ハグリッドはビーフシ
チューだと言って出したが、ハーマイオニーが中から大きな鈎爪を発見してしまった後は三人とも
がっくりと食欲を失ったのだ。それでも試合の種目が何なのか、あの手この手でハグリッドに言わ
せようとしたり、立候補者の中で代表選手に選ばれるのは誰だろうと推測したり、フレッドと
ジョージの髭はもう取れただろうかなどと話したりして三人は楽しく過ごした。昼過ぎから小雨に
なった。暖炉のそばに座りパラパラと窓を打つ雨の音を聞きながらハグリッドが靴下を繕う傍ら、
マーとしもべ要請論議をするのを傍で見物するのはのんびりした気分だった。ハーマイオニーが
S・P・E・Wバッジを見せたときハグリッドはきっぱり入会を断ったのだ。
「そいつは、ハーマイオニー、かえってあいつらのためにならねえ」
ハグリッドは骨製の巨大な縫い針に太い黄色の糸を通しながら重々しく言った。
「ヒトの世話をするのは、連中の本能だ。それが好きなんだ。ええか?仕事を取り上げちまったら、
連中を不幸にするばっかしだし、給料を払うなんちゅうのが、侮辱もええとこだ」
「だけど、ハリーはドビーを自由にしたし、ドビーは有頂天だったじゃない!」
ハーマイオニーは言い返した。
「それに、ドビーは、今まではお給料を要求してるって、聞いたわ!」
「そりゃな、オチョウシモンはどこにでもいる。俺はなンも、自由を受け入れる変わりモンのしも
べ妖精がいねえとは言っちょらん。だが、連中の大多数は、決してそんな説得はきかねえぞ。ウン
ニャ、骨折り損だ。ハーマイオニー」
ハーマイオニーはひどく機嫌を損ねた様子でバッジの箱をマントのポケットに戻した。五時半にな
ると暗くなり始めた。ロン、ハリー、ハーマイオニーは、ハロウィンの晩餐会に出るのに城に戻る
時間だと思った。それにもっと大切な各校の代表選手の発表があるはずだ。
「俺も一緒に行こう」
ハグリッドが繕いものを片づけながら言った。
「ちょくら待ってくれ」
ハグリッドは立ち上がりベッドわきの引出しダンスのところまでいき何か探し始めた。三人は気に
もとめなかったがとびきりひどい臭いが鼻をついて始めてハグリッドに注目した。ロンが咳こみな
がら聞いた。
「ハグリッド、それ、何?」
「はあ?」ハグリッドが巨大な瓶を片手にこちらを振り返った。
「気に入らんか?」
「髭そりローションなの?」ハーマイオニーも喉がつまったような声が。
「あー、オーデコロンだ」ハグリッドがモゴモゴ言った。赤くなっている。
「ちとやりすぎたかな」ぶっきらぼうにそう言うと、
「落として来る。待っちょれ」とハグリッドはドスドスと小屋を出ていった。窓の外にある桶でハ
グリッドが乱暴にゴシゴシ体を洗っているのが見えた。
「オーデコロン?」ハーマイオニーが目を丸くした。
「ハグリッドが?」
「それに、あの髪と背広はなんだい?」ハリーも声を低めて言った。
「見て!」ロンが突然窓の外を指さした。ちょうどハグリッドが体を起こして振り返ったところ
だった。さっき赤くなったのも確かだが今の赤さに比べれば何でもない。三人がハグリッドに気づ
かれないようそっと立ち上がり窓から覗くと、マダム・マクシームとボーバトン生が馬車から出て
来るところだった。晩さん会に行くに違いない。ハグリッドが何と言っているかは聞こえないが、
マダム・マクシームに話しかけているハグリッドの表情はうっとりと目が潤んでいる。ハリーはハ
グリッドがそんな顔をするのをたった一度しか見た事がなかった。赤ちゃんドラゴンのノーバート
を見るときのあの顔だった。
「ハグリッドったら、あの人と一緒にお城に行くわ!」ハーマイオニーが憤慨した。
「私たちの事を待ってるんじゃなかったの?」
小屋を振り向きもせずハグリッドはマダム・マクシームと一緒に校庭をテクテク歩きはじめた。二
人が大股で過ぎ去った後をボーバトン生がほとんど駆け足で追っていった。
「ハグリッド、あの人に気があるんだ!」ロンは信じられないという声だ。
「まあ、二人に子供が出来たら、世界記録だぜ。あの二人の赤ん坊なら、きっと重さ一トンもある
な」
三人は小屋を出て戸を閉めた。外は驚くほど暗かった。マントをしっかり巻き付けて三人は芝生の
斜面を上り始めた。
「ちょっと見て!あの人たちよ!」ハーマイオニーがささやいた。ダームストラングの一行が湖か
ら城に向かって歩いていくところだった。ビクトール・クラムはカルカロフと並び後のダームスト
ラング生はその後からバラバラと歩いていた。ロンはわくわくしながらクラムを見つめたが、クラ
ムの方はハーマイオニー、ロン、ハリーより少し先に正面扉に到着し周囲には目もくれずに中に
入った。三人が中に入ったときにはろうそくの明かりに照らされた大広間はほぼ満員だった。”炎
のゴブレット”は、今は教職員テーブルのまだ空席のままのダンブルドアの席の正面に移されてい
た。フレッドとジョージが、髭もすっかりなくなり、失望を乗り越えて調子を取り戻したようだっ
た。
「アンジェリーナだといいな」
ハリー、ロン、ハーマイオニーが座るとフレッドが声をかけた。
「わたしもそう思う!」ハーマイオニーも声を弾ませた。
「さあ、もうすぐはっきりするわ!」
ハロウィン・パーティーはいつもより長く感じられた。二日続けての宴会だったせいかも知れない
が、ハリーも準備された豪華な食事にいつもほど心を奪われなかった。大広間の誰も彼もが首を伸
ばし待ちきれないという顔をし、
「ダンブルドアはまだ食べ終わらないのか」とそわそわしたり立ち上がったりしている。ハリーも
みんなと同じ気持ちで早く皿の中身が片づけられて、誰が代表選手に選ばれたのか聞けるといいの
にと思っていた。ついに金の皿がキレイサッパリと元のまっさらな状態になり大広間のがやがやが
急に大きくなったが、ダンブルドアが立ち上がると一瞬にして静まり返った。ダンブルドアの両脇
に座っているカルカロフ校長とマダム・マクシームも、みんなと同じように緊張と期待感に満ちた
顔だった。ルード・バグマンは生徒の誰にという事もなく笑いかけウィンクしている。しかしクラ
ウチ氏はまったく無関心でほとんどうんざりした表情だった。
「さて、杯は、ほぼ決定したようじゃ」ダンブルドアが言った。
「わしの見込みでは、後一分ほどじゃの。さて、代表選手の名前が呼ばれたら、その者たちは、大
広間の一番前に来るがよい。そして、教職員テーブルに沿って進み、隣の部屋に入るよう」
ダンブルドアは教職員テーブルの後の扉を示した。
「そこで、最初の指示が与えられるであろう」
ダンブルドアは杖を取り大きくひと振りした。とたんにくりぬきカボチャを残して後のろうそくが
全て消え部屋はほとんど真っ暗になった。”炎のゴブレット”は今や大広間の中でひときわ明々と
輝き、きらきらした青白い炎が目に痛いほどだった。全ての目が見つめ、待った。何人かがちらち
ら腕時計を見ている。
「来るぞ」
ハリーから二つ離れた席のリー・ジョーダンがつぶやいた。杯の炎が突然まだ赤くなった。火花が
飛び散り始めた。次の瞬間炎がメラメラと宙をなめるように燃え上がり、炎の舌先から焦げた羊皮
紙が一枚ハラリと落ちてきた。全員が固唾を飲んだ。ダンブルドアがその羊皮紙をとらえ再び青白
くなった炎の明かりで読もうと腕の高さに差し上げた。
「ダームストラングの代表選手は」
力強いはっきりした声でダンブルドアが読み上げた。
「ビクトール・クラム」
「そうこなくっちゃ!」ロンが声を張り上げた。大広間中が拍手の嵐、歓声の渦だ。ビクトール・
クラムがスリザリンのテーブルから立ち上がり、前かがみにダンブルドアの方に歩いていくのをハ
リーは見ていた。ミニに曲がり教職員テーブルに沿って歩きその後の扉からクラムは隣の部屋へと
消えた。
「ブラボー、ビクトール!」カルカロフの声が轟いた。拍手の音にもかかわらず全員に聞き取れる
ほどの大声だった。
「わかっていたぞ。君がこうなるのは!」
拍手とおしゃべりが収まった。今や全員の関心は数秒後に再び赤く燃えあがった杯に集まっていた。
炎に巻き上げられるように二枚目の羊皮紙が中から飛び出した。
「ボーバトンの代表選手は」ダンブルドアが読み上げた。
「フラー・デラクール!」
「ロン、あの人だ!」ハリーが叫んだ。ビィーラに似た美少女が優雅に立ち上がりシルバーブロン
ドの豊な髪をさっと振って後に流し、レイブンクローとハッフルパフのテーブルの間を滑るように
進んだ。
「まあ、見てよ。みんながっかりしてるわ」
遺されたボーバトン生のほうを顎で指し騒音を縫ってハーマイオニーが言った。
「がっかり」では言い足りないとハリーは思った。選ばれなかった女の子が二人、ワッと泣き出し
腕に顔をうずめてしゃくりあげていた。フラー・デラクールも隣の部屋に消えるとまだ沈黙が訪れ
た。今度は興奮で張りつめた沈黙がビシビシと肌に食い込むようだった。次はホグワーツの代表選
手だ。そして三度”炎のゴブレット”が赤く燃えた。あふれるように火花が飛び散った。炎が空を
なめて高く燃え上がりその舌先からダンブルドアが三枚目の羊皮紙を取り出した。
「ホグワーツの代表選手は」ダンブルドアが読み上げた。
「セドリック・ディゴリー!」
「だめ!」ロンが大声を出したがハリーのほかは誰にも聞こえなかった。都内のテーブルからの大
歓声がものすごかったのだ。ハッフルパフ生が総立ちになり、叫び、足を踏み鳴らした。セドリッ
クがにっこり笑いながらその中を通り抜け教職員テーブルの後の部屋へと向かった。セドリックへ
の拍手があまりにも長々と続いたので、ダンブルドアが再び話し出すまでにしばらく間を置かなけ
ればならないほどだった。
「結構、結構!」
大歓声がやっと収まりダンブルドアが売れそうに呼びかけた。
「さて、これで三人の代表選手が決まった。選ばれなかったボーバトン生も、ダームストラング生
も含め、みんなうちそろって、あらんかぎりの力を振り絞り、代表選手たちを応援してくれる事と
信じておる。選手に声援を送る事で、みんなが本当の意味で貢献でき…」
ダンブルドアが突然言葉を切った。何が気を散らせたのか誰の目にも明らかだった。”炎のゴブ
レット”が再び赤く燃えはじめたのだ。火花が迸った。突然空中に炎が延びあがりその舌先にまた
しても羊皮紙を載せている。ダンブルドアが反射的に、と見えたが、長い手を伸ばし羊皮紙をとら
えた。ダンブルドアはそれを掲げそこに書かれた名前をじっと見た。両手で持った羊皮紙をダンブ
ルドアはそれからしばらく眺めていた。長い沈黙、大広間中の目がダンブルドアに集まっていた。
やがてダンブルドアが咳払いしそして読み上げた。
「ハリー・ポッター」

第十七章四人の代表選手

大広間のすべての目が一斉に自分に向けられるのを感じながらハリーはただ座っていた。驚いたな
んてものじゃない。痺れて感覚がない。夢を見ているに違いない。きっと聞き違いだったのだ。誰
も拍手しない。怒った蜂の群れのようにわんわんという事が大広間に広がり始めた。凍りついたよ
うに座ったままのハリーを立ち上がってよく見ようとする生徒もいる。上座のテーブルではマクゴ
ナガル先生が立ち上がり、ルード・バグマンとカルカロフ校長の後をさっと通り切羽詰まったよう
に何事かダンブルドアに囁いた。ダンブルドアはかすかに眉をよせマクゴナガル先生の方に体を傾
け耳を寄せていた。ハリーはロンとハーマイオニーの方を振り向いた。その向こうに長いテーブル
の端から端までグリフィンドール生全員が口をあんぐり開けてハリーを見つめていた。
「僕、名前を入れてない」ハリーは放心したように言った。
「僕が入れてない事、知ってるだろう」
二人も放心したようにハリーを見つめ返した。上座のテーブルでダンブルドア校長がマクゴナガル
先生に向かってうなずき体を起こした。
「ハリー・ポッター!」ダンブルドアがまた名前を呼んだ。
「ハリー!ここへ、きなさい!」
「行くのよ」とハーマイオニーがハリーを少し押し出すようにしてささやいた。ハリーは立ち上が
りざまローブの裾を踏んでよろめいた。グリフィンドールとハッフルパフのテーブルの間をハリー
は進んだ。とてつもなく長い道のりに思えた。上座のテーブルが全然近くならないように感じた。
そして何百という目がまるでサーチライトのように一斉にハリーに注がれているのを感じていた。
わんわんという音がだんだん大きくなる。まるで一時間もあったのではないかと思われた時ハリー
はダンブルドアの真ん前にいた。先生がたの目が一斉に自分に向けられているのを感じた。
「さあ、あの扉から。ハリー」ダンブルドアは微笑んでいなかった。ハリーは教職員テーブルに
沿って歩いた。ハグリッドが一番端に座っていた。ハリーにウィンクもせず、手も振らず、いつも
の挨拶の合図を何も送っては来ない。ハリーがそばを通っても他のみんなと同じように驚ききった
顔でハリーを見つめるだけだった。ハリーの向かい側で暖炉の火が轟々と燃えさかっていた。部屋
に入っていくと肖像画の目が一斉にハリーを見た。しわしわの魔女が自分の額を飛び出し、セイウ
チのような口髭の魔法使いが描かれた隣の額に入るのをハリーは見た。しわしわ魔女は隣の魔法使
いに耳打ちを始めた。ビクトール・クラム、セドリック・ディゴリー、フラー・デラクールは暖炉
の周りに集まっていた。炎を背にした三人のシルエットは不思議に感動的だった。クラムはほかの
二人から少し離れ背中を丸め暖炉によりかかって何か考えていた。セドリックは背中で手を組み
じっと炎を見つめている。フラー・デラクールはハリーが入って来ると振り向いて長いシルバーブ
ロンドの髪をさっと後に振った。
「どうしまーしたか?」フラーが聞いた。
「わたーしたちに、広間に戻りなさーいという事でーすか?」
ハリーが伝言を伝えにきたと思ったらしい。何事がおこったのかどう説明してよいのかハリーには
分からなかった。ハリーは三人の代表選手を見つめてつっ立ったままだった。三人ともずいぶん背
が高い事にハリーは初めて気づいた。ハリーの背後でせかせかした足音がしルード・バグマンが部
屋に入ってきた。バグマンはハリーの腕を掴むとみんなの前に引き出した。
「すごい!」
バグマンがハリーの腕をぎゅっと抑えてつぶやいた。
「いや、まったくすごい!紳士諸君、淑女もお一人」
バグマンは暖炉に近づき三人に呼びかけた。
「ご紹介しよう。信じがたい事かもしれんが、三校対抗代表選手だ。四人目の」
ビクトール・クラムがピンと身を起こした。むっつりした顔がハリーを眺め回しながら暗い表情に
なった。セドリックは途方にくれた顔だ。バグマンを見てハリーに目を移しまたバグマンを見た。
バグマンの言った事を自分が聞き間違えたに違いないと思っているかのようだった。しかしフ
ラー・デラクールは髪をパッと後になびかせニッコリと言った。
「おう、とてーも、おもしろーいジョークです。ミスター・バーグマン」
「ジョーク?」バグマンが驚いて繰り返した。
「いやいや、とんでもない!ハリーの名前が、たった今”炎のゴブレット”から出てきたのだ!」
クラムの太い眉がかすかに歪んだ。セドリックは礼儀正しくしかしまだ当惑している。フラーが顔
をしかめた。
「でも何かーの間違いに違いありませーん」軽蔑したようにバグマンに言った。
「このいとは、競技できませーん。このいと、若すぎまーす」
「さよう、驚くべき事だ」
バグマンは髭のない顎をなでながらハリーを見おろしてニッコリした。
「しかし、知っての通り、年齢制限は、今年に限り、特別安全措置として設けられたものだ。そし
て、杯からハリーの名前が出た。つまり、この段階で逃げ隠れはできないだろう。これは規則であ
り、従う義務がある。ハリーは、とにかくベストを尽くすほかあるまいと」
背後の扉が再び開き大勢の人が入ってきた。ダンブルドア校長を先頭に、その後からクラウチ氏、
カルカロフ校長、マダム・マクシーム、マクゴナガル先生、スネーク先生だ。マクゴナガル先生が
扉を閉める前に壁の向こう側で、何百人という生徒がワーワー騒ぐ音が聞こえた。
「マダム・マクシーム!」フラーがマクシーム校長を見つけつかつかと歩み寄った。
「この小さーい男の子も競技に出ると、みんな言っていまーす!」
信じられない思いでしびれた感覚のどこかで怒りがビリビリと走るのをハリーは感じた。小さい男
の子?
マダム・マクシームは背筋を伸ばし全身の大きさを十二分に見せつけた。キリッとした頭のてっぺ
んが蝋燭のたち並んだシャンデリアをこすり、黒じゅずのドレスの下で巨大な胸が膨れ上がった。
「ダンブリー・ドール、これは、どういうこーとですか?」威圧的な声だった。
「私もぜひ、知りたいものですな、ダンブルドア」カルカロフ校長も言った。冷鉄な笑いを浮かべ
ブルーの目が氷のカケラのようだった。
「ホグワーツの代表選手が二人とは?開催校は二人の代表選手を出してもよいとは、誰からも窺っ
てはいないようですが。それとも、わたしの規則の読み方が浅かったのですかな?」
カルカロフ校長は短く意地悪な笑い声をあげた。
「セ・タァンポシーブル(あり得ない事ですわ)」
マダム・マクシームは豪華なオパールに飾られた巨大な手をフラーの肩に乗せて言った。
「オグワーツが二人も代表選手を出す事はできませーん。そんな事は、とーても正しくなーいで
す」
「我々としては、あなたの”年齢線”が、年少の立候補者を締め出すだろうと思っていたわけです
がね。ダンブルドア」
カルカロフの冷たい笑いはそのままだったが、目はますます冷ややかさを増していた。
「そうでなければ、当然ながら、我が校からも、もっと多くの候補者を連れてきてもよかった」
「誰の咎でもない。ポッターのせいだ。カルカロフ」
スネイプが低い声で言った。暗い目が底意地悪く光っている。
「ポッターが、規則は破るものと決めてかかっているのを、ダンブルドアの責任にする事は無い。
ポッターは本校に来て以来、決められた線を越えてばかりいるのだ」
「もうよい、セブルス」ダンブルドアがきっぱりと言った。スネイプは黙って引き下がったがその
目は脂っこい黒い髪のカーテンの奥で毒々しく光っていた。ダンブルドア校長は今度はハリーを見
おろした。ハリーはまっすぐにその目を見返し半月眼鏡の奥にある目の表情を読みとろうとした。
「ハリー、君は”炎のゴブレット”に名前を入れたのかね?」ダンブルドアが静かに聞いた。
「いいえ」ハリーが言った。全員がハリーをしっかり見つめているのを十分意識していた。スネイ
プはうす暗がりのなかで「信じるものか」暗がりに立っているスネイプが苛立ちと不信をこめて小
さく鼻を鳴らした。
「上級生に頼んで”炎のゴブレット”に君の名前を入れたのかね?」
スネイプを無視してダンブルドア校長がたずねた。
「いいえ」ハリーが激しい口調で答えた。
「ああ、でもこのいとわ嘘ついていまーす」マダム・マクシームが叫んだ。スネイプは口元に薄ら
笑いを浮かべ今度は首を横に振って不信感をあからさまに示していた。
「この,”年齢線”を超える事はできなかったはずです」マクゴナガル先生がビシッと言った。
「その事については、みなさん、異論は無いと」
「ダンブリー・ドールが”線”を間違ーえたのでしょう」マダム・マクシームが肩をすくめた。
「もちろん、それはあり得る事じゃ」ダンブルドアは礼儀正しく答えた。
「ダンブルドア、間違いなどない事は、あなたが一番よくご存知でしょう!」
マクゴナガル先生が怒ったように言った。
「まったく、馬鹿馬鹿しい!ハリー自身が”年齢線”を超えるはずはありません。また、上級生を
説得して代わりに名を入れさせるような事も、ハリーはしていないと、ダンブルドア校長は信じて
いらっしゃいます。それだけで、みなさんには十分だと存じますが!」
マクゴナガル先生は怒ったような目でスネイプ先生をきっと見た。
「クラウチさん、バグマンさん」カルカロフの声がヘツライ声に戻った。
「おふた方は、我々の、えー、中立の審査員いらっしゃる。こんな事は異例だと思われますでしょ
うな?」
バグマンは少年のような丸顔をハンカチでふきクラウチ氏を見た。暖炉の明かりの輪の外でクラウ
チ氏は影の中に顔を半分隠して立っていた。何か不気味で半分暗がりの中にある顔は年より老けて
見えほとんど骸骨のようだった。しかし話し出すといつものきびきびした声だ。
「規則に従うべきです。そして、ルールは明白です。”炎のゴブレット”から名前が出てきた者は、
試合で競う義務がある」
「いやぁ、パーティは規則集を隅から隅まで知り尽くしている」
バグマンはにっこり笑いこれでけりがついたという顔でカロカロフとマダム・マクシームの方を見
た。
「わたしの他の生徒に、もう一度名前を入れさせるように主張する」カルカロフが言った。ねっと
りしたへツライ声も、笑みも、今やかなぐり捨てていた。まさに醜悪な形相だった。
「”炎のゴブレット”をもう一度設置していただこう。そして各校二名の代表選手になるまで、名
前を入れ続けるのだ。それが公平というものだ。ダンブルドア」
「しかし、カルカロフ、そういう具合にはいかない」バグマンが言った。
「”炎のゴブレット”はたったいま火が消えた。次の試合まではもう、火がつく事は無い」
「次の試合に、ダームストラングが参加する事は決してない!」カルカロフが怒りを爆発させた。
「あれだけ会議や交渉を重ね、妥協したのに、このような事が起こるとは、思いもよらなかった!
今すぐにでも帰りたい気分だ!」
「はったりだな。カルカロフ」
扉の近くでなるような声がした。
「代表選手を置いて帰る事はできまい。選手は競わなければならん。選ばれたものは全員、競わな
ければならんのだ。ダンブルドアも言ったように、魔法契約の拘束力だ。都合のいい事にな。
え?」
ムーディが部屋に入ってきたところだった。足を引きずって暖炉に近づき見に足を踏み出すごとに
コツッと大きな音たてた。
「都合がいい?」カルカロフが聞き返した。
「何の事か分かりませんな。ムーディ」
カルカロフがムーディのいう事は聞くに値しないとでもいうかのように、まだと軽蔑した言い方を
している事がハリーにはわかった。カルカロフの手が言葉とは裏腹に堅く拳を握りしめていた。
「わからん?」ムーディが低い声で言った。
「カルカロフ、簡単な事だ。杯から名前が出てくればポッターが戦わなければならぬと知っていて、
誰かがポッターの名前を杯に入れた」
「もちろーん、誰か、オグワーツにリンゴを二口もかじらせよーうとしたのでーす!」
「おっしゃる通りです。マダム・マクシーム」カルカロフがマダムに頭を下げた。
「わたしは抗議しますぞ。魔法省と、それから国際連盟」
「文句を言う理由があるのは、まずポッターだろう」ムーディが唸った。
「しかし、おかしな事よ。ポッターは、一言も何も言わん」
「なんで文句言いまーすか?」フラー・デラクールが地団駄を踏みながら言った。
「このいと、戦うチャンスありまーす。わたしたち、みんな、何週間も、何週間も、選ばれたーい
と願っていました!
学校の名誉かけて!賞金の一千ガリオンかけて、みんな死ぬおどおしいチャンスでーす!」
「ポッターが死ぬ事を欲した者がいるとしたら」
ムーディの低い声はいつもの唸り声とは様子が違っていた。息苦しい沈黙が流れた。ルード・バグ
マンはひどく困った顔でイライラと体を上下にゆすりながら、
「おい、おい、ムーディ、何を言い出すんだ!」と言った。
「皆さんご存知のように、ムーディ先生は、朝から昼食までの間に、ご自分を殺そうとする企てを
少なくとも六件は開かないと気がすまない方だ」カルカロフが声を張り上げた。
「先生は今、生徒たちにも、暗殺を恐れよとお教えになっているようだ。”闇の魔術に対する防衛
術”の先生になる方としては、奇妙な資質だが、あなたには、ダンブルドア、あなたなりの理由が
おありになったのでしょう」
「わしの妄想だとでも?」ムーディが唸った。
「ありもしないものを見るとでも?え?あの杯にこの子の名前を入れるような魔法使いは、腕のい
いやつだ」
「おお、どんな証拠があるというのでーすか?」
マダム・マクシームがバカな事を言わないでとばかり巨大な両手をパッと開いた。
「なぜなら、強力な魔法持つ杯の目を眩ませたからだ!」ムーディが言った。
「あの杯を欺き、試合には三校しか参加しないという事を忘れさせるには、並外れて強力な”錯乱
の呪文”をかける必要があったはずだ。わしの想像では、ポッターの名前を、四校目の候補者とし
て入れ、四校目はポッター一人しかいないようにしたのだろう」
「この件にはずいぶんとお考えを巡らせたようですな、ムーディ」カルカロフが冷たく言った。
「それに、実に独創的な説ですな。しかし、聞き及ぶところでは、最近あなたは、誕生祝のプレゼ
ントの中に、バジリスクの卵が巧妙にしこまれていると思い、粉々に砕いたとか。ところがそれは
馬車用の時計だと判明したとか。これでは、我々があなたの言う事をまに受けないのも、ご理解い
ただけるかと」
「何気ない機会をとらえて悪用するやからはいるものだ」
ムーディが威嚇するような声で切り返した。
「闇の魔法使いの考えそうな事を考えるのがわしの役目だ。カルカロフ、君なら身に覚えがあるだ
ろうが」
「アラスター!」ダンブルドアが警告するように呼びかけた。ハリーは一瞬誰に呼びかけたのか分
からなかった。しかしすぐに”マッド・アイ”がムーディの実名であるはずがないと気がついた。
ムーディは口をつぐんだそれでもカルカロフの様子を楽しむように眺めていた。カルカロフの顔は
燃えるように赤かった。
「どのような経緯でこんな時代になったのか、我々は知らぬ」
ダンブルドアは部屋に集まった全員に話しかけた。
「しかしじゃ、結果を受け入れる他あるまい。セドリックもハリーも試合で競うように選ばれた。
したがって、試合にはこの二名のものが」
「おお、でもダンブリー・ドール」
「まあ、まあ、マダム・マクシーム。なにかほかにお考えがおありなら、喜んでうかがいますが
の」
ダンブルドアは答えを待たがマダム・マクシームは何も言わなかった。ただ睨むばかりだった。マ
ダム・マクシームだけではない。スネイプは憤怒の形相だし、カルカロフは青筋を立てていた。し
かし、バグマンはむしろウキウキしているようだった。
「さあ、それでは、開始と行きますかな?」
バグマンはにこにこ顔でもみ手しながら部屋を見まわした。
「代表選手に指示を与えないといけませんかな?
バーティ、主催者としてのこの役目をつとめてくれるか?」
何かを考え込んでいたクラウチ氏は急に我に返ったような顔をした。
「フム」クラウチ氏が言った「指示ですな。よろしい、最初の課題は」
クラウチ氏はバンドのあかりの中に進みでた。近くでクラウチ氏を見たハリーは病気ではないかと
思った。目の下に黒い隈、薄っぺらな紙のようなしわしわの皮膚。こんな様子はクィディッチ・
ワールドカップの時には見られなかった。
「最初の課題は、君達の勇気を試すものだ」
クラウチ氏はハリー、セドリック、フラー、クラムに向かって話した。
「ここでは、どういう内容なのかは教えない事にする。未知のものに遭遇した時の勇気は、魔法使
いにとって非常に重要な資質である。非常に重要だ。選手は、競技の課題を完遂するにあたり、ど
のような形であれ、先生がたからの援助を頼む事も、受ける事も許されない。選手は、杖だけを武
器として、最初の課題に立ち向かう。第一の課題が終了の後、第二の課題についての情報が与えら
れる。試合は過酷で、また時間のかかるものであるため、選手たちは期末テストを免除される」
クラウチ氏はダンブルドアを見て言った。
「アルバス。これで全部だと思うが?」
「わしもそう思う」ダンブルドアはクラウチ氏をやや気づかわしげに見ながら言った。
「バーティ、さっきも言うたが、今夜はホグワーツに泊まって行った方がよいのではないかの?」
「いや、ダンブルドア、わたしは役所に戻らなければならない」クラウチ氏が答えた。
「今は、非常に忙しいし、極めて難しいときで、若手のウェーザビーに任せて出てきたのだが、非
常に熱心で、実を言えば、熱心すぎるところがどうも」
「せめて軽く一杯飲んでから出かける事にしたらどうじゃ?」ダンブルドアが言った。
「さ、そうしろよ。バーティ。わたしは泊まるんだ!」バグマンが陽気に言った。
「今や、すべての事がホグワーツで起こっているんだぞ。役所よりこっちの方がどんなにおもしろ
いか!」
「いや、ルード」クラウチ氏は本来のイライラぶりをちらっと見せた。
「カルカロフ校長、マダム・マクシーム、寝る前の一杯はいかがかな?」ダンブルドアが誘った。
しかし、マダム・マクシームはもうフラーの肩を抱きすばやく部屋から連れ出すところだった。ハ
リーは二人が大広間に向かいながら早口のフランス語で話しているのを聞いた。カルカロフはクラ
ムに合図しこちらは黙りこくってやはり部屋を出ていった。
「ハリー、セドリック。二人とも寮に戻って寝るがよい」ダンブルドアが微笑みながら言った。
「グリフィンドールもハッフルパフも、君たちと一緒に祝いたくて待っておるじゃろう。せっかく
ドンチャン騒ぎをする格好の口実があるのに、ダメにしてはもったいないじゃろう」
ハリーはセドリックをちらりと見た。セドリックがうなずき二人は一緒に部屋を出た。大広間はも
う誰もいなかった。ろうそくが燃えて短くなり、くりぬきカボチャのニッと笑ったギザギザの歯を
不気味にチロチロと光らせていた。
「それじゃ」とセドリックがちょっと微笑みながら言った。
「僕たち、またお互いに戦うわけだ!」
「そうだね」ハリーはほかに何と言っていいのか思いつかなかった。誰かに頭の中をきっかけ回さ
れたかのようにごちゃごちゃしていた。
「じゃ、教えてくれよ」玄関ホールに出たときセドリックが言った。”炎のゴブレット”が取去ら
れた後のホールを松明のあかりだけが照らしていた。
「いったい、どうやって、名前を入れたんだい?」
「入れてない」ハリーはセドリックを見上げた。
「僕、入れてないんだ。僕、本当の事を言ってたんだよ」
「フーン、そうか」
ハリーにはセドリックが信じていない事が分かった。
「それじゃ、またね」とセドリックが言った。大理石の階段をのぼらずセドリックは右側のドアに
向かった。ハリーはその場に立ち尽くしセドリックがドアの向こうの石段を降りる音きいてから、
のろのろと大理石の階段を上り始めた。ロンとハーマイオニーは別として他に誰かはリーの言う事
を信じてくれるだろうか?
それとも、みんなハリーが自分で試合に立候補したと思うだろうか?
しかし、どうしてみんなそんなふうに考えられるんだろう?
他の選手はみんなハリーより三年も多く魔法教育を受けているというのに。取り組む課題は非常に
危険そうだししかも何百人という目が見ているなかで、やり遂げなければならないというのに?そ
う、ハリーは競技する事を頭では考えた。いろいろ想像して夢も見た。しかしそんな夢は冗談だし
叶わぬ無駄な夢だった。本当に真剣に立候補しようなどハリーは一度も考えなかった。それなのに
誰がそれを考えた。誰か他の者がハリーを試合に出したかった。そしてハリーは間違いなく競技に
参加するように計らった。なぜなんだ?褒美でもくれるつもりだったのか?そうじゃない。ハリー
にはなぜかそれが分かる。ハリーの無様な姿を見るために?そう、それなら望みはかなう可能性が
ある。しかしハリーを殺すためだって?ムーディのいつもの被害妄想にすぎないのだろうか?
ほんの冗談で誰かが杯にハリーの名前を入れたという事は無いのだろうか?
ハリーが死ぬ事を誰から本気で願ったのだろうか?
答えはすぐに出た。そう、誰からハリーの死を願った。ハリーが一歳の時からずっとそれを願って
いる誰かが、ヴォルデモート卿だ。しかしどうやってまんまとハリーの名前を”炎のゴブレット”
にしのび込ませるように仕組んだのだろう?
ヴォルデモートはどこか遠いところに、遠い国に、ひとりで潜んでいるはずなのに。弱り果て、力
尽きて。しかしあの夢、傷跡が疼いて目が覚める直前のあの夢の中では、ヴォルデモートは一人で
はなかった。ワームテールに話していた。ハリーを殺す計画を。急に目の前に”太った婦人”が現
れてハリーはびっくりした。自分の足が体をどこに運んでいるのかほとんど気づかなかった。額の
中の婦人がひとりではなかったのにも驚かされた。他の代表選手と一緒だったの部屋でさっと隣の
額に入り込んだあのしわしわの魔女が、今は”太った婦人”のそばにちゃっかり腰を落ち着けてい
た。七つもの階段に沿って掛けられている絵という絵の中を疾走してハリーより先にここに着いた
に違いない。”しわしわ魔女”も”太った婦人”も興味深々でハリーを見おろしていた。
「まあ、まあ、まあ」太った婦人が言った。
「バイオレットが今しがた全部話してくれたわ。学校代表に選ばれたのは、さあ、どなたさんです
か?」
「ボールダーダッシュ」ハリーは気のない声で言った。
「絶対戯言じゃないわさ!」顔色の悪いしわしわ魔女が怒ったように言った。」
「ううん、バイ、これ、合言葉なのよ」
”太った婦人”はなだめるようにそう言うと額の蝶番をパッと開いてハリーを談話室の入口へと通
した。肖像画が開いた途端に大音響がハリーの耳を直撃しはリーは仰向けにひっくり返りそうに
なった。次の瞬間十人余りの手が伸びハリーをがっちり捕まえて談話室に引っぱりこんだ。気がつ
くとハリーは拍手喝采、大歓声、ピーピー口笛を吹き鳴らしている、グリフィンドール生全員の前
に立たされていた。
「名前を入れたなら、教えてくれりゃいいのに!」
半ば当惑し、半ば感心した顔でフレッドが声を張り上げた。
「髭もはやさずに、どうやってやった?すっげえなあ!」ジョージが大声で叫んだ。
「僕、やってない」ハリーが言った。
「わからないんだ。どうしてこんな事に」
しかし今度はアンジェリーナがハリーに覆いかぶさるように抱き着いた。
「ああ、わたしが出られなくても、少なくともグリフィンドールが出るんだわ」
「ハリー、ディゴリーに、この前のクィディッチ戦のお返しができるわ!」
グリフィンドールのもう一人のチェイサー、ケイティ・ベルが甲高い声をあげた。
「ご馳走があるわ。ハリー、来て。何か食べて」
「お腹空いてないよ。宴会で十分食べたし」
しかしハリーが空腹ではないなどと誰も聞こうとはしなかった。杯に名前を入れなかったなどと誰
も聞こうとはしなかった。ハリーが祝う気分になれない事など誰一人気づく者はいないようだ。
リー・ジョーダンはグリフィンドール寮旗をどこからか持ち出してきて、ハリーにそれをマントの
ように巻きつけると言ってきかなかった。ハリーは逃げられなかった。寝室に登る階段の方にそっ
とにじり寄ろうとするたびに、人垣が周りを固めやれバタービールを飲めと無理矢理進め、やれポ
テトチップを食え、ピーナッツを食えとハリーの手に押しつけた。誰もがハリーがどうやったのか
を知りたがった。どうやってダンブルドアの”年齢線”を出し抜き名前を杯に入れたのかを。
「僕、やってない」ハリーは何度も何度も繰り返した。
「どうしてこんな事になったのか、わからないんだ」
しかしどうせ誰も聞く耳を持たない以上ハリーが何も答えていないのも同様だった。
「僕、疲れた!」
三十分もたったころ、ハリーはついに怒鳴った。
「だめだ。本当に。ジョージ、僕、もう寝るよ」
ハリーはなによりもロンとハーマイオニーに会いたかった。少しでも正気に戻りたかった。しかし
二人とも談話室にはいないようだった。ハリーはどうしても寝ると言い張り階段したで小柄なク
リービー兄弟がハリーを待ち受けているのを、ほとんど踏み潰しそうになりながらやっとの事でみ
んなを振り切り寝室の階段をできるだけ急いで上った。誰もいない寝室にロンがまだ服を着たまま
一人でベッドに横になっているのを見つけハリーはほっとした。ハリーがドアをばたんと閉めると
ロンがこっちを見た。
「どこにいたんだい?」ハリーが聞いた。
「ああ、やあ」とロンが答えた。ロンはにっこりしていたが何か不自然で無理矢理笑っている。ハ
リーはリーに巻き付けられた真紅のグリフィンドール寮旗がまだそのままだった事に気づいた。急
いで取ろうとしたら旗は固く結びつけてあった。ロンはハリーが旗を取ろうともがいているのを
ベッドに横になったまま身動きもせずに見つめていた。
「それじゃあ」
ハリーがやっと旗を取り隅のほうに放り投げるとロンが言った。
「おめでとう」
「おめでとうって、どういう意味だい?」ハリーはロンを見つめた。ロンの笑い方は絶対に変だ。
しかめっ面と言った方が良い。
「ああ、ほかに誰も”年齢線”を超えたものはいないんだ」ロンが言った。
「フレッドやジョージだって。君、何を使ったんだ?透明マントか?」
「透明マントじゃ、僕は線を超えられないはずだ」ハリーがゆっくり言った。
「ああ、そうだな」ロンが言った。
「透明マントだったら、君は僕にも話してくれるだろうと思うよ。だって、あれなら二人でも入れ
るだろ?だけど、君は別の方法を見つけたんだ。そうだろう?」
「ロン」ハリーが言った。
「いいか。僕は杯に名前を入れてない。他の誰かがやったにちがいない」
ロンは眉を吊り上げた。
「何のためにやるんだ?」
「知らない」ハリーが言った。
「僕を殺すために」などと言えば俗なメロドラマめいて聞こえるだろうと思ったのだ。ロンは眉を
さらにぎゅっと吊り上げた。あまりに吊り上げたので髪に隠れて見えなくなるほどだった。
「大丈夫だから、な、僕にだけはほんとうの事を話しても」ロンが言った。
「ほかの誰かに知られたくないって言うなら、それでいい。だけど、どうしてうそをつく必要があ
るんだい?名前を入れたからって、別に面倒な事になった訳じゃないんだろう?あの”太った婦
人”の友達のバイオレットが、もう僕たち全員にしゃべっちゃったんだぞ。ダンブルドアが君を出
場させるようにしたって事も。賞金一千ガリオン、だろ?それに、期末テストを受ける必要もない
んだ」
「僕は杯に名前を入れてない!」ハリーは怒りがこみ上げてきた。
「ふーん、オッケー」ロンの言い方はセドリックの時と全く同じで信じていない口調だった。
「けさ、自分で言ってたじゃないか。自分なら昨日の夜のうちに、誰も見ていないときに入れたろ
うって。僕だってバカじゃないぞ」
「馬鹿の物まねがうまいよ」ハリーはバシッと言った。
「そうかい?」
作り笑いだろうが何だろうがロンの顔にはもう笑いのひとかけらもない。
「君は早く寝た方がいいよ、ハリー。明日は写真撮影とかなんか、きっと早く起きる必要があるん
だろうよ」
ロンは四本柱のベッドのカーテンをぐいっと閉めた。取り残されたハリーはドアのそばで突っ立っ
たまま真紅のビードロのカーテンを見つめていた。今そのカーテンは間違いなく自分を信じてくれ
るだろうと思っていた数少ない一人の友を覆い隠していた。

第十八章杖調べ

日曜日の朝目が覚めたハリーはなぜこんなに惨めで不安な気持ちなのか思いだすまでにしばらく時
間がかかった。やがて昨夜の記憶が一気によみがえってきた。ハリーは起き上がり四本頭のベッド
のカーテンを破るように開けた。ロンに話をしどうしても信じさせたかった。しかしロンのベッド
はもぬけの殻だった。もう朝食に降りていたに違いない。ハリーは着替えて螺線階段を談話室へと
降りていった。ハリーの姿を見つけるなりもう朝食を終えてそこにいた寮生たちがまたもや一斉に
拍手した。大広間に降りていけば他のグリフィンドール生と顔を合わせる事になる。みんながハ
リーを英雄扱いするだろうと思うと気が進まなかった。しかしそれをとるか、それともここで必死
にハリーを招きよせようとしている、クリービー兄弟に捕まるかどっちかだ。ハリーは意を決して
肖像画の穴のほうに向かい出口を押し開け外に出た。その途端ばったりハーマイオニーに出会った。
「おはよう」
ハーマイオニーはナプキンに包んだトースト数枚を持ち上げてみせた。
「これ、持ってきてあげたわ。ちょっと散歩しない?」
「いいね」ハリーはとてもありがたかった。階段を降り大広間には目もくれずに素早く玄関ホール
を通り、まもなく二人は湖に向かって急ぎ足で芝生を横切っていた。湖にはダームストラングの船
が繋がれ水面に黒い影を落としていた。肌寒い朝だった。二人はトーストをほおばりながら歩きつ
づけ、ハリーは昨夜グリフィンドールのテーブルを離れてから何が起こったかありのままハーマイ
オニーに話した。ハーマイオニーが何の疑問も差しはさまずに話を受け入れてくれたのにはハリー
は心からホッとし感謝した。
「ええ、あなたが自分で入れたんじゃないって、勿論、わかっていたわ」
大広間の裏の部屋での様子を話し終えたときハーマイオニーが言った。
「ダンブルドアが名前を読み上げたときのあなたの顔ったら!でも問題は一体誰が名前を入れたか
だわ!ムーディが正しいのよ、ハリー。生徒なんかにできやしない。杯を騙す事も、ダンブルドア
を出し抜く事も」
「ロンを見かけた?」ハリーが話の腰を折った。ハーマイオニーは口ごもった。
「え、ええ。朝食に来てたわ」
「僕が自分の名前を入れたと、まだそう思ってる?」
「そうね、ううん。そうじゃないと思う。そういう事じゃなくって」ハーマイオニーは歯切れが悪
い。
「”そういう事じゃない”って、それ、どういう意味?」
「ねえ、ハリー、わからない?」ハーマイオニーは捨て鉢な言い方をした。
「嫉妬してるのよ!」
「嫉妬してる?」ハリーはまさかと思った。
「なに嫉妬するんだ?全校生の前で笑いものになる事をかい?」
「あのね」ハーマイオニーが辛抱強く言った。
「注目を浴びるのは、いつだって、あなただわ。わかってるわよね。そりゃ、あなたの責任じゃな
いわ」
ハリーがおこって口を開きかけたのを見てハーマイオニーは急いで言葉を付け加えた。
「何もあなたが頼んだわけじゃない。でも、ウーン、あのね、ロンは家でもお兄さんたちと比較さ
れてばっかしだし、あなたはロンの一番の親友なのに、とっても有名だし。みんながあなたを見る
とき、ロンはいつでも添え物扱いだわ。でも、それに耐えてきた。一度もそんな事を口にしないで。
でも、今度という今度は、限界だったんでしょうね」
「そりゃ、傑作だ」ハリーは苦々しげに言った。
「ほんとに大傑作だ。ロンに僕からの伝言だって、伝えてくれ。いつでもお好きな時に入れ替わっ
てやるって。僕はいつでもどうぞって言ってたって、伝えてくれ。どこに行っても、みんなが僕の
額をじろじろ見るんだ」
「わたしは何も言わないわ」ハーマイオニーがきっぱり言った。
「自分でロンにいなさい。それしか解決の道は無いわ」
「僕、ロンの後を追いかけ回して、あいつが大人になるのを手助けするなんてまっぴらだ!」
ハリーがあまりに大きな声をだしたので近くの木に止まっていたフクロウ数羽驚いて飛び立った。
「僕が首根っこでもへし折られれば、楽しんでたわけじゃないって事をロンも信じるだろう」
「馬鹿な事言わないで」ハーマイオニーが静かに言った。
「そんな事、冗談にもいうもんじゃないわ」とても心配そうな顔だった。
「ハリー、わたし、ずっと考えてたんだけど、わたしたちが何をしなきゃならないか、わかってる
わね?すぐによ。城に戻ったらすぐに、ね?」
「ああ、ロンを思いっきり蹴飛ばして」
「シリウスに手紙を書くの。何が起こったのか、シリウスに話さなきゃ。ホグワーツで起こってい
る事は全部知らせるようにって、シリウスが言ってたわね。まるで、こんな事が起こるのを予想し
ていたみたい。わたし、羊皮紙と羽根ペン、ここに持って来てるの」
「やめてくれ」
ハリーは誰かに聞かれていないかと周りに目を走らせたが校庭には全く人影がなかった。
「シリウスは、僕の傷跡が少しチクチクしたというだけでこっちに戻ってきたんだ。誰かが”三校
対抗試合”に僕の名を入れたなんてシリウスに言ったらそれこそ城に乗り込んできちゃう」
「あなたが知らせる事を、シリウスは望んでいます」ハーマイオニーが厳しい口調で言った。
「どうせシリウスにはわかる事よ」
「どうやって?」
「ハリー、これは秘密にしておけるような事じゃないわ」ハーマイオニーは真剣そのものだった。
「この試合は有名だし、あなたも有名。”日刊予言者新聞”に、あなたが試合に出場する事が全く
載らなかったら、かえっておかしいじゃない。あなたの事は”例のあの人”について書かれた本の
半分に、すでに載っているのよ。どうせ耳に入るものなら、シリウスはあなたの口から聞きたいは
ずだわ。絶対そうに決まってる。」
「わかった、わかった。書くよ」
ハリーはトーストの最後の一枚を湖に放り投げた。二人がそこに立って見ているとトーストは一瞬
プカプカ浮いていたが、すぐに吸盤付きの太い足が一本水中から伸びてきてトーストをさっと掬っ
て水中に消えた。それから二人は城に引き返した。
「誰のフクロウを使おうか?」階段を登りながらハリーが聞いた。
「シリウスがヘドウィグを二度と使うなって言うし」
「ロンにお聞きなさいよ。貸してって」
「僕、ロンには何も頼まない」ハリーはきっぱりと言った。
「そう。それじゃ、学校のフクロウをどれか借りる事ね。誰でも使えるから」
二人はフクロウ小屋に出かけた。ハーマイオニーはハリーに羊皮紙、羽根ペン、インクを渡すと、
止まり木にずらりと並んだありとあらゆるフクロウを見て回った。ハリーは壁にもたれて座り込み
手紙を書いた。『シリウス。ホグワーツで起こっている事は何でも知らせるようにとおっしゃいま
したね。それで、お知らせします。もうお耳に入ったかもしれませんが、今年は”三大魔法学校対
抗試合”があって、土曜日の夜、僕が四人目の代表選手に選ばれました。誰かが僕の名前を”炎の
ゴブレット”に入れたのかわかりません。だって、僕じゃないんです。もう一人のホグワーツ代表
はハッフルパフのセドリック・ディゴリーです。』
ハリーはここでちょっと考え込んだ。昨晩からずしりと胸にのしかかって離れない不安な気持ちを
伝えたい思いが突き上げてきた。しかしどう言葉にしていいのかわからない。そこで羽根ペンをイ
ンク瓶に浸しただこう書いた。『おじさんもバックビークも、どうぞお元気で。ハリーより』
「書いた」
ハリーは立ち上がりローブからワラを払い落としながらハーマイオニーに言った。それを合図にヘ
ドウィグがバタバタとハリーの肩に舞い降り足を突き出した。
「お前を使うわけにはいかないんだよ」
ハリーは学校のフクロウを見まわしながらヘドウィグに話しかけた。
「学校のどれかを使わないといけないんだ」
ヘドウィグが一声ホーッと鳴きパッと飛び立った。あまりの勢いに爪がハリーの肩に食い込んだ。
ハリーが大きなメンフクロウの足に手紙を括り付けている間中ヘドウィグはハリーに背を向けたま
まだった。メンフクロウが飛び立った後、ハリーは手を伸ばしてヘドウィグを撫でようとしたが、
ヘドウィグは激しくくちばしをカチカチ鳴らしハリーの手の届かない天井の垂木へと舞い上がった。
「最初はロン、今度はお前もか」ハリーは腹立たしかった。
「僕が悪いんじゃないのに」
みんながハリーが代表選手になった事に慣れてくれば状況はマシになるだろうとハリーは考えてい
た。次の日にはもうハリーは自分の読みの甘さに気付かされた。授業が始まると学校中の生徒の目
を避けるわけにはいかなくなった。学校中の生徒がグリフィンドール生と同じようにハリーが自分
で試合に名乗りを上げたと思っていた。しかしグリフィンドール生と違って外の生徒たちはそれを
快くは思っていなかった。ハッフルパフはいつもならグリフィンドールととてもうまくいっていた
のに、グリフィンドール生全員に対してはっきり冷たい態度に出た。たった一度の”薬草学”のク
ラスでそれが十分にわかった。ハッフルパフ生が自分たちの代表選手の栄光をハリーが横取りした
と思っているのは明らかだった。ハッフルパフはめったに脚光を浴びる事がなかったのでますます
感情を悪化させたのだろう。セドリックは一度クィディッチでグリフィンドールを打ち負かし、
ハッフルパフに栄光をもたらした貴重な人物だった。アーニー・マクミランとジャスティン・フィ
ンチ・フレッチリーは、普段はハリーとうまくいっているのに同じ台で”ピョンピョン球根”の植
え替え作業をしているときも、ハリーと口をきかなかった。”ピョンピョン球根”が一個ハリーの
手から飛び出し思いっきりハリーの顔にぶつかったときには、笑いはしたが不愉快な笑いがだった。
ロンもハリーに口をきかない。ハーマイオニーが二人の間に座ってなんとか会話を成り立たせよう
としたが、二人ともハーマイオニーにはいつも通りの受け答えをしながらも、互いに目を合わさな
いようにしていた。ハリーはスプラウト先生までよそよそしいように感じた。もっともスプラウト
先生はハッフルパフの寮監だ。普段ならハグリッドにあうのは楽しみだったが
”魔法生物飼育学”はスリザリンと顔を合わせるという事でもあた。代表選手になってから初めて
スリザリン生と顔を突きあわせる事になるのだ。思った通りマルフォイはいつものせせら笑いを
しっかり顔に刻んでハグリッドの小屋に現れた。
「おい、ほら、見ろよ。代表選手だ」
ハリーに声が聞こえるところまで来るとすぐにマルフォイがクラッブとゴイルに話しかけた。
「サイン帳の用意はいいか?今のうちにもらっておけよ。もうあまり長くはないんだから。対抗戦
の選手は半数が死んでいる。君はどのぐらい持ちこたえるつもりだい?ポッター?僕は、最初の課
題が始まって十分だと賭けるね」
クラッブとゴイルがおべっか使いのばか笑いをした。しかしマルフォイはそれ以上は続けられな
かった。山のように積み上げた木箱を抱えグラグラするのをバランスを取りながら、ハグリッドが
小屋の後から現れたからだ。木箱の一つ一つにでっかい”尻尾爆発スクリュート”が入っている。
それからのハグリッドの説明はクラス中をぞっとさせた。スクリュートが互いに殺し合うのはエネ
ルギーを発散し切れていないからで、解決するには生徒が一人一人スクリュートに引き綱をつけて
ちょっと散歩させてやるのが言いというのだ。ハグリッドの提案のお陰で完全にマルフォイの気が
逸れてしまったのが唯一の慰めだった。
「こいつに散歩?」
マルフォイは箱の一つを覗き込みうんざりしたようにハグリッドの言葉を繰り返した。
「それに、一体どこに引き綱を結べば言いいんだ?
毒針にかい?それとも爆発尻尾とか吸盤にかい?」
「真ん中あたりだ」ハグリッドが手本を見せた。
「あー、ドラゴン革の手袋をした方がええな。なに、まあ、用心のためだ。ハリー、こっち来て、
この大きいやつを手伝ってくれ」
しかしハグリッドは本当はみんなから離れたところでハリーと話をしたかったのだ。ハグリッドは
みんながスクリュートを連れて散歩に出るのを待って、ハリーの方に向き直り真剣な顔つきで言っ
た。
「そんじゃ、ハリー、試合に出るんだな。対抗試合に。代表選手で」
「選手の一人だよ」ハリーが訂正した。ボサボサ眉の下でコガネムシのようなハグリッドの目がひ
どく心配そうだった。
「ハリー、誰がお前の名前を入れたのか、わかんねぇのか?」
「それじゃ、僕は入れたんじゃないって、信じてるんだね?」
ハグリッドへの感謝の気持ちがこみ上げて来るのを顔に出さないようにするのは難しかった。
「もちろんだ」ハグリッドが唸るように言った。
「お前さんが自分じゃねぇっていうんだ。俺はおまえを信じる。ダンブルドアもきっとおまえを信
じちょる」
「いったい誰なのか、僕は知りたいよ」ハリーは苦々しそうに言った。二人は芝生を見渡した。生
徒たちがあっちこっちに散らばりみんなさんざん苦労していた。スクリュートは今や体長一メート
ルを超え猛烈に強くなっていた。もはや殻なし、色なしのスクリュートではなく、分厚い灰いろに
かがやく鎧のようなものに覆われている。巨大なサソリと引き伸ばしたカニをかけ合わせたような
代物だ。しかもどこが頭なのやら、目なのやらいまだにわからない。とてつもなく強くなりとても
制御できない。
「見ろや。みんな楽しそうだ。な?」
ハグリッドはうれしそうに言った。みんなとはきっとスクリュートのほどだろうとハリーは思った。
クラスメートの事じゃないのは確かだ。スクリュートのどっちが頭が尻尾か分からない先端が時々
バンとびっくりするような音を立てて爆発した。そうするとスクリュートは数メートル前方に飛ん
だ。腹ばいになって引きずられていく生徒、なんとか立ち上がろうともがく生徒は一人や二人では
なかった。
「なぁ、ハリー、いってえどういう事なのかなあ」
ハグリッドは急にため息をつき心配そうな顔でハリーを見おろした。
「代表選手か、おまえは、いろんな目にあうな、え?」
ハリーは何も言わなかった。そう。僕にはいろんな事が起こるみたいだ。ハーマイオニーが僕と湖
の周りを散歩しながら言っていたのもだいたいそういう事だった。ハーマイオニーに言わせるとそ
れなりいんでロンが僕に口をきかないんだ。それからの数日はハリーにとってホグワーツ入学以来
最低の日々だった。二年生の時学校の生徒の大半がハリーが他の生徒を襲っていると疑っていた数
カ月間、ハリーはこれに近い気持ちを味わった。しかしそのときはロンが味方だった。ロンが戻っ
てくれさえしたら学校中がどんな仕打ちをしようとも耐えられるとハリーは思った。しかしロンが
自分からそうしようと思わない限り、ハリーの方からロンに口をきいてくれと説得するつもりは無
かった。そうは言っても四方八方から冷たい視線を浴びてかけられるのはやはり孤独なものだった。
ハッフルパフの態度はハリーにとっては嫌なものではあったがそれなりに理解できた。自分たちの
寮代表を応援するのは当然だ。スリザリンからはどうしたってたちの悪い侮辱を受けるだろうとハ
リーは予想していた。今に限らずこれまでずっとハリーはスリザリンの嫌われ者だった。クィ
ディッチでも寮対抗杯でもハリーの活躍で何度もグリフィンドールがスリザリンを打ち負かしたか
らだ。しかしレイブンクロー生ならセドリックもハリーも同じように応援するくらいの寛容さは有
るだろうと期待していた。
見込み違いだった。レイブンクロー生のほとんどはハリーがさらに有名になろうと躍起になって、
杯をだまして自分の名前を入れたと思っているようだった。その上セドリックはハリーよりもずっ
と代表選手にぴったりのハマり役だというのも事実だった。鼻筋がすーっと通り、黒髪にグレーの
瞳というズバ抜けたハンサムで、この頃ではセドリックとクラムのどちらが憧れの的かイイ勝負
だった。実際クラムのサインをもらおうと大騒ぎしていたあの六年生の女子学生たちが、ある日の
昼食どき自分のカバンにサインをしてくれとセドリックにねだっているのをハリーは目撃している。
一方シリウスからは何の返事も来なかったしヘドウィグはハリーのそばに来る事を拒んでいた。そ
の上トレローニー先生はこれまでより自信たっぷりにハリーの死を予言しつづけていた。しかもフ
リットウィック先生の授業でハリーは”呼び寄せ呪文”の出来が悪く特別に宿題を出されてしまっ
た。宿題を出されたのはハリー一人だけだった。ネビルは別として。
「そんなに難しくないのよ、ハリー」
フリットウィック先生の教室を出るときハーマイオニーが励ました。授業中ずっとハーマイオニー
はまるで変な万能磁石になったかのように、黒板消し、紙屑籠、月球儀などをブンブン自分の方に
引き寄せていた。実際素直に凄いとハリーは思った。
「あなたは、ちゃんと意識を集中してなかっただけなのよ」
「なぜそうなんだろうね?」ハリーはくらい声を出した。ちょうどセドリック・ディゴリーが大勢
の追っかけ女子学生に取り囲まれ、ハリーのそばを通りすぎるところで取り巻き全員が、まるで特
大の”尻尾爆発スクリュート”でも見るような目でハリーを見た。
「これでも、気にするなって事かな。午後から二時限続きの”魔法薬学”の授業がある。お楽しみ
だ」
二時限続きの”魔法薬学”の授業ではいつも嫌な経験をしていたがこの頃は正に拷問だった。学校
の代表選手になろうなどと大それた事をしたハリーを、ぎりぎりこらしめてやろうと待ち構えてい
るスネイプやスリザリン生と一緒に、地下牢教室に一時間半も閉じ込められるなんてどう考えても
ハリーにとっては最悪だった。もう先週の金曜日にその苦痛を一回分ハリーは味わっていた。ハー
マイオニーが隣に座り声を殺して「我慢、我慢、我慢」とお経のように唱えていた。今日も状況が
ましになっているとは思えない。昼食の後、ハリーとハーマイオニーが地下牢のスネイプの教室に
着くとスリザリン生が外で待っていた。一人のこらずローブの胸に大きなバッジをつけている。一
瞬面食らったハリーは”S・P・E・W”バッジをつけているのかと思った。よく見ると、みんな
同じ文字が書いてある。薄暗い地下廊下で赤い蛍光色の文字が燃えるように輝いていた。『セド
リック・ディゴリーを応援しよう。ホグワーツの真のチャンピオンを!』
「気に入ったかい?ポッター?」ハリーが近づくとマルフォイが大声で言った。
「それに、これだけじゃないんだ、ほら!」
マルフォイがバッジを胸に押し付けると赤文字が消え緑色に光る別の文字が浮かび出た。『汚いぞ、
ポッター』
スリザリン生がどっと笑った。全員が胸のバッジを押し『汚いぞ、ポッター』の文字がハリーをぐ
るりと取り囲んでギラギラ光った。ハリーは首から顔がカッカと火照って来るのを感じた。
「あら、とっても面白いじゃない」
ハーマイオニーがパンジー・パーキンソンとその仲間の女子学生に向かって皮肉たっぷりに言った。
このグループがひときわ派手に笑っていたのだ。
「本当にお洒落だわ」
ロンはディーンやシェーマスと一緒に壁にもたれてたっていた。笑ってはいなかったがハリーのた
めに突っ張ろうともしなかった。
「一つあげようか?グレンジャー?」
マルフォイがハーマイオニーにバッジを差し出した。
「たくさんあるんだ。だけど、僕の手に今触らないでくれ。手を洗ったばかりなんだ。”穢れた
血”でベットリにされたくないんだよ」
何日も何日も溜まっていた怒りの一端がハリーの胸の中で堰を切ったように噴き出した。ハリーは
無意識のうちに杖に手をやっていた。周りの生徒たちが慌ててその場を離れ廊下で遠巻きにした。
「ハリー!」ハーマイオニーが引き止めようとした。
「やれよ、ポッター」
マルフォイも杖を引っ張り出しながら落ち着き払った声で言った。
「今度は、庇ってくれるムーディもいないぞ、やれるものならやってみよろ」
一瞬二人の目に火花が散った。それからまったく同時に二人が動いた。
「ファーナンキュラス!」ハリーが叫んだ。
「デンソージオ!」マルフォイも叫んだ。二人の杖から飛び出した光が空中でぶつかりおれ曲がっ
てはね帰った。ハリーの光線はゴイルの顔を直撃し、マルフォイのはハーマイオニーに命中した。
ゴイルは両手で鼻を覆って喚いていた。醜い大きなデキモノが鼻にボソボソ盛り上がりつつあった。
ハーマイオニーはピタリ口を押さえてオロオロ声をあげていた。
「ハーマイオニー!」いったいどうしたのかとロンが心配してとびだしてきた。ハリーが振り返る
とロンがハーマイオニーの手を引っ張って顔から話したところだった。見たくない光景だった。
ハーマイオニーの前歯が、もともと平均より大きかったが、今や驚くほどの勢いで成長していた。
歯が伸びるにつれハーマイオニーはビーバーそっくりになってきた。下唇より長くなり下顎に迫り、
ハーマイオニーは慌てふためいて歯を触り驚いて叫び声をあげた。
「この騒ぎは何事だ!」低い冷え冷えとした声がした。スネイプの到着だ。スリザリン生が口々に
説明しだした。スネイプは長い黄色い指をマルフォイに向けて言った。
「説明したまえ」
「先生、ポッターが僕を襲ったんです」
「僕たち同時にお互いを攻撃したんです!」ハリーが叫んだ。
「ポッターがゴイルをやったんです。見てください」
スネイプはゴイルの顔を調べた。今や毒キノコの本に載ったらぴったりするだろうと思うような顔
になっていた。
「医務室へ。ゴイル」スネイプが落ち着き払って言った。
「マルフォイがハーマイオニーをやったんです!」ロンが言った。
「見てください!」
歯を見せるようにとロンが無理矢理ハーマイオニーをスネイプの方に向かせた。ハーマイオニーは
両手で歯を隠そうと懸命になったが、もう喉元をすぎるほど伸びて隠すのは難しかった。パン
ジー・パーキンソンの仲間の女の子たちもスネイプの陰に隠れて、ハーマイオニーを指さしクスク
ス笑いの声が漏れないよう身を捩っていた。スネイプはハーマイオニーに冷たい目を向けて言った。
「いつもと変わりない」
ハーマイオニーは泣き声をもらした。そして目に涙をいっぱいうかべぐるりと背を向けて走り出し
た。廊下の向こう端まで駆け抜けハーマイオニーは姿を消した。ハリーとロンが同時にスネイプに
向かって叫んだ。同時だったのがたぶん幸運だった。二人の声が石の廊下に大きくこだましたのも
幸運だった。ガンガンという騒音で二人がスネイプを何呼ばわりしたのかはっきり聞きとれなかっ
たはずだ。それでもスネイプはだいたいの意味が分かったらしい。
「さよう」スネイプが最高の猫撫で声で言った。
「グリフィンドール、五十点減点。ポッターとウィーズリーはそれぞれ居残り罰だ。さあ、教室に
入りたまえ。さもないと一週間居残り罰を与えるぞ」
ハリーはジンジン耳鳴りがした。あまりの理不尽さにハリーはスネイプに呪いをかけてベトベトの
1000個のスライムにしてやりたかった。スネイプのわきを通りぬけハリーはロンと一緒に地下
牢教室の一番後ろに行き鞄をバンと机に叩き付けた。ロンも怒りでわなわな震えていた。一瞬、二
人の中がすべて元どおりになったように感じられた。しかしロンはプイとそっぽを向きハリー一人
をその机に残して、ディーンやシェーマスと一緒に座った。地下牢教室の向こう側でマルフォイが
スネイプに背中を向けニヤニヤしながら胸のバッジを押した。『汚いぞ、ポッター』の文字が再び
教室の向こうで点滅した。授業が始まるとハリーはスネイプを恐ろしい目に合わせる事を想像しな
がら、じっとスネイプをにらみつけていた。”磔の呪文”が使えさえしたらなあ。あのクモのよう
にスネイプを仰向けにひっくり返し七転八倒させてるのに。
「解毒剤!」
スネイプがクラス中を見渡した。黒く冷たい目が不快げに光っている。
「材料の準備はもう定員できているはずだな。それを注意深く煎じるのだ。それから、誰か実験台
になるものを選ぶ」
スネイプの目がハリーの目をとらえた。ハリーには先が読めた。スネイプは僕に毒を飲ませるつも
りだ。頭の中でハリーは想像した。自分の鍋を抱えあげもうスピードで教室の一番前まで走ってい
きスネイプのギトギト頭をガツンと打つ。するとそのときハリーの想像の中に地下牢教室のドアを
ノックする音が飛び込んできた。コリン・クリービーだった。ハリーに笑いかけながらそろそろと
教室に入ってきたコリンは一番前に有るスネイプの机まで歩いていった。
「なんだ?」スネイプがぶっきらぼうに言った。
「先生、僕、ハリー・ポッターを上に連れて来るように言われました」
スネイプは鉤鼻の上からズイッとコリンを見おろした。使命に燃えたコリンの顔から笑いが吹き飛
んだ。
「ポッターにはあと一時間魔法薬の授業がある」スネイプが冷たく言い放った。
「ポッターは授業が終わってから上に行く」
コリンの顔が上気した。
「先生、でも、バグマンさんが呼んでます」コリンはおずおずといった。
「代表選手は全員行かないといけないんです。写真を撮るんだと思います」
「写真を撮る」という言葉をコリンに言わせずに済むのだったら、ハリーはどんな財でも差し出し
ただろう。ハリーはちらりとロンを見た。ロンはかたくなに天井を見つめていた。
「よかろう」スネイプがバシリといった。
「ポッター、持ち物を置いていけ。戻ってから自分の作った解毒剤を試してもらおう」
「すみませんが、先生。持ち物を持っていかないといけません」コリンが甲高い声でいった。
「代表選手はみんな」
「よかろう!ポッター。カバンを持って、とっとと我輩の目の前から消えろ!」
ハリーはカバンを放り上げるようにして肩にかけ席を立ってドアに向かった。スリザリン生の座っ
ているところを通り過ぎるとき、『汚いぞ、ポッター』の光が四方八方からハリーに向かって飛ん
できた。
「すごいよね、ハリー?」
ハリーが地下牢教室のドアをしめるや否やコリンが喋りだした。
「ね、だって、そうじゃない?君が代表選手だって事、ね?」
「ああ、本当にすごいよ」
玄関ホールへの階段に向かいながらハリーは重苦しい声でいった。
「コリン、何のために写真を撮るんだい?」
「”日刊予言者新聞”だと思う!」
「そりゃいいや」ハリーはうんざりした。
「僕にとっちゃ、まさにお誂え向きだよ。大宣伝がね」
二人は指定された部屋に着きコリンが「がんばって!」といった。ハリーはドアをノックして中に
入った。そこはかなり狭い教室だった。机は大部分が部屋の隅に押しやられて真ん中に大きな空間
ができていた。ただし黒板の前に机が三卓だけ横につなげて置いてあり、たっぷりとした長さの
ビードロのカバーが掛けられていた。その机の向こうに椅子が五脚並びその一つにルード・バグマ
ンが座って、濃い赤紫色のローブをきた魔女と話していた。ハリーには見おぼえのない魔女だった。
ビクトール・クラムはいつものようにむっつりとして誰とも話をせず部屋の隅に立っていた。セド
リックとフラーは何かを話していた。フラーは今までで一番幸せそうに見えるとハリーは思った。
フラーはしょっちゅう頭を仰け反らせ長いシルバーブロンドの髪が光を受けるようにしていた。か
すかに煙の残る大きなカメラを持った中年太りの男が横目でフラーを見つめていた。バグマンが突
然ハリーに気づき急いで立ち上がって弾むように近づいた。
「ああ、来たな!代表選手の四番目!さあ、お入り、ハリー。さあ、何も心配する事は無い。ほん
の”杖調べ”の儀式なんだから。他の審査員の追っ付け来るはずだ」
「杖調べ?」ハリーが心配そうに聞き返した。
「君達の杖が、万全の機能を備えているかどうか、調べないといかんのでね。つまり、問題がない
ように、という事だ。これからの課題には最も重要な道具なんでね」
バグマンがいった。
「専門家が今、上でダンブルドアと話している。それから、ちょっと写真を撮る事になる。こちら
はリータ・スキーターさんだ」
赤紫のローブをきた魔女を指しながらバグマンがいった。
「この方が、試合について”日刊予言者新聞”に短い記事を書く」
「ルード、そんなに短くは無いかもね」リータ・スキーターの目はハリーに注がれていた。スキー
ター女史の髪は念入りにセットされ、奇妙にカッチリしたカールが角ばった顎の顔つきとは絶妙に
ちぐはぐだった。宝石で縁が飾られた眼鏡をかけている。ワニ皮ハンドバッグをがっちり握った太
い指の先は真っ赤に染めた五センチものを爪だ。
「儀式が始まる前に、ハリーとちょっとお話していいかしら?」
女史はハリーをじっと見つめたままでバグマンに聞いた。
「だって、最年少の代表選手ざんしょ。ちょっと味付けにね?」
「いいとも!」バグマンが叫んだ。「いや、ハリーさえ良ければだが?」
「あのー」ハリーがいった。
「素敵ざんすわ」
言うが早くリータ・スキーターの真っ赤な長い爪が、ハリーの腕を驚くほどの力でがっちり握り、
ハリーをまた部屋の外へと促し手近の部屋のドアを開けた。
「あんながやがやしたところにはいたくないざんしょ」女史がいった。
「さてと、あ、いいわね、ここなら落ち着けるわ」
そこは箒置き場だった。ハリーは目を丸くして女史を見た。
「さ、おいで。そう、そう、素敵ざんすわ」
リータ・スキーターは「素敵ざんすわ」を連発しながら逆さに置いてあるバケツに危なっかしげに
腰をかけた。ハリーを段ボール箱に無理矢理座らせドアを閉めると二人は真っ暗闇の中だった。
「さて、それじゃ」
女史はワニ皮ハンドバッグをパチンと開け、ろうそくを一握り取り出し杖をひとふりして火をとも
し宙に浮かせ手元見えるようにした。
「ハリー、自動速記羽根ペンQQQを使っていいざんしょか?
その方が、君と自然におしゃべりできるし」
「えっ?」ハリーが聞き返した。リータ・スキーターの口元がますますニーッと笑った。ハリーは
金歯を三本まで数えた。女史はまたワニ皮バッグに手を伸ばし黄緑色の長い羽根ペンと羊皮紙ひと
巻きを取り出した。女史は”ミセス・ゴシゴシの魔法万能汚れ落とし”の木箱を挟んでハリーと向
き合い箱の上に羊皮紙を広げた。黄緑の羽根ペンの先を口に含むと女史は見るからにうまそうに
ちょっと吸い、それから羊皮紙の上にそれを垂直に立てた。羽根ペンはかすかに震えながらもペン
先でバランスを取って立った。
「テスト、テスト、あたくしはリータ・スキーター”日刊予言者新聞”の記者です」
ハリーは急いで羽根ペンを見た。リータ・スキーターが話し始めた途端黄緑の羽根ペンは羊皮紙の
上を滑るように走り書きを始めた。”魅惑のブロンド、リータ・スキーター、四十三歳。その呵責
なきペンは多くのでっち上げの名声をペシャンコにした”
「素敵ざんすわ」
またしてもそう言いながら女史は羊皮紙の一番上を破り丸めてハンドバッグに押し込んだ。次にハ
リーの方にかがみこみ女史が話しかけた。
「じゃ、ハリー。君、どうして三校対校試合に参加しようと決心したのかな?」
「えーと」
そう言いかけてハリーは羽根ペンに気を取られた。何も言っていないのにペンは羊皮紙の上を疾走
しその跡に新しい文章が読み取れた。”悲劇の過去の置き土産、醜い傷跡が、ハリー・ポッターの
せっかくのかっこいい顔を台無しにしている。その目は”
「ハリー、羽根ペンの事は気にしない事ざんすよ」リータ・スキーターがきつくいった。気がすま
ないままにハリーはペンから女史へと目を移した。
「さあ、どうして三校対校試合に参加しようと決心したの?ハリー?」
「僕、していません」ハリーが答えた。
「どうして僕の名前が”炎のゴブレット”に入ったのか、僕、わかりません。僕は入れてないんで
す」
リータ・スキーターは眉ペンで濃く描いた片方の眉を吊り上げた。
「大丈夫、ハリー。叱られるんじゃないかなんて、心配する必要は無いざんすよ。君が本当は参加
するべきじゃなかったとわかってるざんす。だけど、心配ご無用。読者は反逆者が好きなんざんす
から」
「だって、僕、入れてない」ハリーが繰り返した。「僕知らない。いったい誰が」
「これから出る課題をどう思う?」リータ・スキーターが聞いた。
「わくわく?怖い?」
「僕、あんまり考えてない、うん。怖い、たぶん」
そう言いながらハリーはなんだか気まずい思いに胸がのたうった。
「過去に、代表選手が死んだ事があるわよね?」リータ・スキーターがずけずけ言った。
「その事を全然考えなかったのかな?」
「えーと、今年はずっと安全だって、みんながそう言ってます」ハリーが答えた。羽根ペンは二人
の間で羊皮紙の上をスケートするかのようにヒュンヒュン音を立てていったり来たりしていた。
「もちろん、君は、死に直面した事があるわよね?」
リータ・スキーターがハリーをじっと見た。
「それが、君にどういう影響を与えたと思う?」
「えーと」ハリーはまた「えーと」を繰り返した。
「過去のトラウマが、君を自分の力を示したいという気持ちにさせていると思う?
名前に恥じないように?もしかしたらそういう事かな。三校対校試合に名前を入れたいという誘惑
にかられた理由は」
「僕、名前を入れてないんです」ハリーはイライラしてきた。
「君、御両親の事、少しは覚えているのかな?」
ハリーの言葉を遮るようにリータ・スキーターが言った。
「いいえ」ハリーが答えた。
「君が三校対校試合で競技すると聞いたら、御両親はどう思うかな?自慢?心配する?怒る?」
ハリーはいいかげんうんざりしてきた。両親が生きていたらどう思うかなんて僕にわかるわけがな
いじゃないか?
リータ・スキーターがハリーを食い入るように見つめているのをハリーは意識していた。ハリーは
顔をしかめて女史の視線を外し下を向いて羽根ペンが書いている文字を見た。”自分がほとんど覚
えていない両親の事に話題が移ると驚くほど深い緑の目に涙があふれた。”
「僕、目に涙なんかない!」ハリーは大声を出した。リータ・スキーターが何か言う前に箒置き場
のドアが外側から開いた。まぶしい光に目を瞬ながらハリーはドアのほうを振り返った。アルバ
ス・ダンブルドアが物置で窮屈そうにしている二人を見おろしてそこに立っていた。
「ダンブルドア!」
リータ・スキーターはいかにも嬉しそうに叫んだ。羽根ペンも羊皮紙も”魔法万能汚れ落とし”の
箱の上から忽然と消えたし、女史の鉤爪指がワニ皮バッグの留め金を慌ててパチンと閉めたのをハ
リーは見逃さなかった。
「お元気ざんすか?」
女史は立ちあがって大きな男っぽい手をダンブルドアに差し出して握手を求めた。
「この夏にあたくしが書いた”国際魔法使い連盟会議”の記事をお読みいただけたざんしょか?」
「魅惑的な毒舌じゃった」ダンブルドアは目をキラキラさせた。
「特に、わしの事を”時代遅れの遺物”と表現なさった辺りがのう」
リータ・スキーターは一向に恥じる様子もなくしゃあしゃあと言った。
「あなたのお考えが、ダンブルドア、少し古臭いという点を指摘したかっただけざんす。それに巷
の魔法使いの多くは」
「慇懃無礼の理由については、リータ、また是非お聞かせ願いましょうぞ」
ダンブルドアは微笑みながら丁寧に一礼した。
「しかし、残念ながら、その話は後日に譲らねばならん。”杖調べ”の儀式が間もなく始まるの
じゃ。代表選手の一人が、箒置き場に隠されていたのでは、儀式ができんのでの」
リータ・スキーターから離れられるのが嬉しくてハリーは急いで元の部屋に戻った。他の代表選手
はもうドアの近くの椅子に腰掛けていた。ハリーは急いでセドリックの隣に座りビロードカバーの
かかった机のほうを見た。そこにはもう五人中四人の審査員が座っていた。カルカロフ校長、マダ
ム・マクシーム、クラウチ氏、ルード・バグマンだ。リータ・スキーターは隅のほうに陣取った。
ハリーが見ていると女史はまたバッグから羊皮紙をするりと取り出して膝の上に広げ、自動速記羽
根ペン QQQ の先を吸い再び羊皮紙の上にそれを置いた。
「オリバンダーさんをご紹介しましょうかの?」
ダンブルドアも審査員席につき代表選手に話しかけた。
「試合に先立ち、皆の杖がよい状態かどうかを調べ、確認してくださるのじゃ」
ハリーは部屋を見回し窓際にひっそりと立っている大きな淡い目をした老魔法使いを見つけてド
キッとした。オリバンダー老人には以前会った事がある。杖職人で三年前ハリーもダイアゴン横丁
にあるその人の店で杖を買い求めた。
「マドモアゼル・デラクール。まずあなたから、こちらに来てくださらんか?」
オリバンダー翁は部屋の中央の空間に進み出てそう言った。フラー・デラクールは軽やかにオリバ
ンダー翁のそばに行き杖を渡した。
「フゥーム」
オリバンダー翁が長い指に挟んだ杖をぐるぐる回すと、杖はピンクとゴールドの火花をいくつかち
らした。それから翁は杖を目元に近づけ仔細に調べた。
「そうじゃな」翁は静かに言った。
「二十四センチ、しなりにくい、紫檀、芯には、おお、なんと」
「ヴィーラの髪の毛でーす」フラーが言った。
「わたーしのおばーさまのものでーす」
それじゃ、フラーにはやっぱりヴィーラが混じってるんだ。ロンに話してやろうとハリーは思った。
そしてロンがハリーに口をきかなくなっている事を思い出した。
「そうじゃな」オリバンダー翁が言った。
「そうじゃ。むろん、わし自身はヴィーラの髪を使用した事は無いが、わしの見るところ、少々気
まぐれな杖になるようじゃ。しかし、人それぞれじゃし、あなたにあっておるなら」
オリバンダー翁は杖に指を走らせた。傷や凹凸を調べているようだった。それから、
「オーキデウス!」とつぶやくと杖先にワッと花が咲いた。
「よーし、よし。上々の状態じゃ」
オリバンダー翁は花を摘みとり杖と一緒にフラーに手渡しながら言った。
「ディゴリーさん。次はあなたじゃ」
フラーはふわりと席に戻りセドリックとすれ違うときに微笑みかけた。
「さてと。この杖は、わしの作ったものじゃな?」
セドリックが杖を渡すとオリバンダー翁の言葉に熱がこもった。
「そうじゃ、よく覚えておる。際立って美しい雄のユニコーンの尻尾の毛が一本入っておる。身の
丈百六十センチはあった。尻尾の毛を引き抜いたとき、危うく角でつき刺されるところじゃった。
三十センチ、トリネコ材、心地よくしなる。上々の状態じゃ、しょっちゅう手入れしているのか
ね?」
「昨夜磨きました」セドリックがにっこりした。ハリーは自分の杖を見おろした。あちこち手垢だ
らけだ。ローブの膝のあたりをつかんでこっそり杖をこすってきれいにしようとした。杖先から金
色の火花がバラバラと数個飛び散った。フラー・デラクールが”やっぱり子供ね”という顔でハ
リーを見たので拭くのをやめた。オリバンダー翁はセドリックの杖先から銀色の煙の輪を次々と部
屋に放ち結構じゃと宣言した。それから「クラムさん、よろしいかな」と呼んだ。ビクトール・ク
ラムが立ち上がり前かがみで背中を丸めガニ股でオリバンダー翁のほうへ歩いていった。クラムは
杖をぐいと突き出しローブのポケットに両手をつっこみしかめっ面で突っ立っていた。
「ふーむ」オリバンダー翁が調べ始めた。
「グレゴロビッチの作と見たが。わしの目に狂いがなければじゃが?優れた杖職人じゃ。ただ製作
様式は、わしとしては必ずしも、それはそれとして」
オリバンダー翁は杖を掲げ目の高さで何度もひっくり返し念入りに調べた。
「そうじゃな、クマシデにドラゴンの心臓の琴線かな?」
翁がクラムに問い掛けるとクラムはうなずいた。
「あまり例のない太さじゃ、かなり頑丈、二十六センチ。エイビス!」
銃を撃つような音と共にクマシデ杖の杖先から小鳥が数羽、さえずりながら飛び出し開いていた窓
から淡々とした陽光の中へと飛び去った。
「よろしい」オリバンダー翁は杖をクラムに返した。
「残るは、ポッターさん」
ハリーは立ちあがってクラムと入れ違いにオリバンダー翁に近づき杖を渡した。
「おぉぉぉー、そうじゃ」オリバンダー翁の淡い目が急に輝いた。
「そう、そう、そう。よーく覚えておる」
ハリーもよく覚えていた。まるで昨日の事のようにありありと。三年前の夏、十一歳の誕生日にハ
グリッドと一緒に杖を買いにオリバンダーの店に入った。オリバンダー老人はハリーの寸法を取り、
それから次々と杖を渡して試させた。店中のすべての杖を試し振りしたのではないかと思ったころ
ついにハリーに合う杖が見つかった。この杖だ。柊、二十八センチ、不死鳥の尾羽根が一枚入って
いる。オリバンダー老人はハリーがこの杖とあまりにも相性がよい事に驚いていた。
「不思議じゃ」とあの時老人はつぶやいた。ハリーがなぜ不思議なのかと問うとオリバンダー老人
は初めて教えてくれた。ハリーの杖に入っている不死鳥の尾羽根も、ヴォルデモート卿の杖芯に使
われている尾羽根も、まさに同じ不死鳥のものだと。ハリーはこの事を誰にも話した事がなかった。
この杖がとても気に入っていたし、杖がヴォルデモートとつながりがあるのは杖自身にはどうしよ
うもない事だ。ちょうどハリーがペチュニアおばさんとつながりがあるのをどうしようもないのと
同じように。しかしハリーはオリバンダー翁がその事をこの部屋のみんなに言わないでほしいと真
剣に願った。そんな事を漏らせばリータ・スキーターの自動速記羽根ペンが興奮で爆発するかもし
れないとハリーは変な予感がした。オリバンダー翁は他の杖よりずっと長い時間かけてハリーの杖
を調べた。最後に杖からワインを迸り出させ、杖は今も完璧な状態を保っていると告げ杖をハリー
に返した。
「みんな、ご苦労じゃった」審査員のテーブルでダンブルドアが立ち上がった。
「授業に戻ってよろしい。いや、まっすぐ夕食の席に降りてゆくほうが手っ取り早いかもしれん。
そろそろ授業が終わるしの」
今日一日の中でやっと一つだけ順調に終わったと思いながらハリーが行きかけると、黒いカメラを
持った男が飛び出してきて咳払いをした。
「写真。ダンブルドア。写真ですよ!」バグマンが興奮して叫んだ。
「審査員と代表選手全員。リータ、どうかね?」
「えー、まあ、まずそれからいきますか」
そう言いながらリータ・スキーターの目はまたハリーに注がれていた。
「それから、個人写真を何枚か」
写真撮影は長くかかった。マダム・マクシームがどこに立ってもみんなの影に入ってしまうし、カ
メラマンがマダムを枠の中に入れようとして後ろに下がったが下がりきれなかった。ついにマダム
が座りみんながその周りに立つ事になった。カルカロフはヤギ髭をもっとカールさせようとし
しょっちゅう指を巻きつけていたし、クラムはこんな事には慣れっこだろうとハリーは思っていた
のに、こそこそみんなの後ろに回り半分隠れていた。カメラマンはフラーを正面に持ってきたくて
仕方ない様子だったが、そのたびにリータ・スキーターがしゃしゃり出てハリーを目立つ場所に
引っ張っていった。スキーター女史はそれから代表選手全員の個別の写真を撮ると言い張った。そ
してやっとみんな開放された。ハリーは夕食に降りていった。ハーマイオニーはいなかった。きっ
とまだ医務室で歯を治してもらっているのだろうとハリーは思った。テーブルの角で独りぼっちで
夕食を済ませ”呼び寄せ呪文”の宿題をやらなければと思いながら、ハリーはグリフィンドール塔
に戻った。寮の寝室でハリーはロンに出くわした。
「フクロウが来てる」
ハリーが寝室に入っていくなりロンがぶっきらぼうに言った。ハリーの枕を指さしている。そこに
学校のメンフクロウが待っていた。
「ああ、分かった」ハリーが言った。
「それから、明日の夜、二人とも居残り罰だ。スネイプの地下牢教室」ロンが付け加えた。ロンは
ハリーの方を見向きもせずにさっさと寝室を出ていった。一瞬ハリーは後を追いかけようと思った。
話し掛けたいのか、ぶんなぐりたいのか、ハリーには分からなかった。どちらも相当魅力的だった。
しかし、シリウスの返事の魅力の方が強すぎた。ハリーは急いでメンフクロウの所に行き脚から手
紙を外しくるくる広げた。『ハリー、手紙では言いたい事を何もかも言うわけにもいかない。フク
ロウが途中で誰かにつかまったときの危険が大きすぎる。直接会って話をしなければ。十一月二十
二日、午前一時に、グリフィンドール寮の暖炉のそばで、君一人だけで待つようにできるかね?君
が自分ひとりでもちゃんとやっていける事は、わたしが一番よく知っている。それに、ダンブルド
アやムーディが君のそばにいる限り、誰も君に危害を加える事はできないだろう。しかし、誰かが、
何か仕掛けようとしている。杯に君の名を入れるなんて、非常に危険な事だったはずだ。特にダン
ブルドアの目が光っているところでは。ハリー、用心しなさい。何か変わった事があったら、今後
も知らせてほしい。十一月二十二日の件は、できるだけ早く返事がほしい。シリウスより』

第十九章ハンガリー・ホンテール

それからの二週間シリウスと会って話ができるという望みだけがハリーを支えていた。
これまでになく真っ暗な地平線のうえでそれだけが明るい光だった。自分がホグワーツの代表選手
になってしまった事のショックは少し薄らいできたが、何かが待ち受けているのだろうという恐怖
の方がじりじりと胸に食い込み始めた。
第一の課題が確実に迫っていた。それがまるでハリーの前にうずくまり行く手をふさぐ恐ろしい怪
物のように感じられた。こんなに神経がピリピリした事は未だかつてない。
クィディッチの試合の前よりもずっとひどい。最後の試合、優勝杯をかけたスリザリンとの試合で
さえこんなにはならなかった。先の事はほとんど考えられない。人生の全てが第一の課題に向かっ
て進みそこで終わるような気がした。もちろん何百人という観衆の前で難しくて危険な未知の魔法
を使わなければならないという状況で、シリウスに会ってもハリーの気持ちが楽になると思えな
かった。それでも親しい顔を見るだけで今まだ救いだった。
ハリーはシリウスが指定した時間に談話室の暖炉のそばで待つと返事を書き、その夜に誰かが談話
室にいつまでもぐずぐず残っていたらどうやって締め出すか、ハーマイオニーと二人で長時間かけ
て計画を練りあげた。最悪の場合”糞爆弾”一袋を投下するつもりだ。しかしできればそんな事は
したくない。フィルチに生皮をはがれる事になりかねない。そうこうしているうちにも城の中での
ハリーの状況はますます悪くなっていった。リータ・スキーターの三校対校試合の記事は試合につ
いてのルポいうより、ハリーの人生をさんざん脚色した記事だった。一面の大部分がハリーの写真
で埋まり記事はすべてハリーの事ばかりで、ボーバトンとダームストラングの代表選手名は最後の
一行に詰めこまれ、セドリックは名前さえ出ていなかった。記事が出たのは十日前だったがこの事
を考える度に、ハリーは未だに恥ずかしくて胃が焼け、吐き気がした。
リータ・スキーターはハリーが一度も言った覚えがなく、ましてやあの箒置き場で言ったはずもな
い事ばかりを山ほどでっちあげ引用していた。『僕の力は両親から受け継いだものだと思います。
今僕を見たら両親はきっと僕を誇りに思うでしょう。ええ、時々夜になると僕は今でも両親を思っ
て泣きます。それをはずかしいとは思いません。試合では絶対怪我をしたりしないって僕には分
かっています。だって、両親が僕を見守ってくれています』
リータ・スキーターはハリーが言った「えーと」を曲がったがし鼻持ちならない文章に替えてし
まっていた。そればかりかハリーについてのインタビューまでやっていた。『ハリーはホグワーツ
でついに愛を見つけた。親友のコリン・クリビーによると、ハリーはハーマイオニー・グレン
ジャーなる人物と離れている事は滅多にないという。この人物はマグル生れのとびきりきれいな可
愛い女生徒でハリーと同じく学校の優等生の一人である』
記事が載った瞬間からハリーは針のむしろだった。みんなが、特にスリザリン生からすれ違うたび
に記事を持ち出してからかうのに堪えなければならなかった。
「ポッター、ハンカチいるかい?”変身術”のクラスで泣き出したときのために?」
「いったい、ポッター、いつから学校の優等生になった?
それとも、その学校っていうのは、君とロングボトムで開校したのかい?」
「はーい、ハリー!」
「ああ、そうだとも!」
もううんざりだと廊下で振り向きざまハリーは怒鳴った。
「死んだ母さんの事で、目を泣き話していたところだよ。これから、もう少し」
「違うの、ただ、あなた、羽根ペン落としたわよ」
チョウ・チャンだった。ハリーは顔が赤くなるのを感じた。
「あ、そう、ごめん」ハリーは羽根ペンを受け取りながらモゴモゴ言った。

「あの、火曜日はがんばってね」チョウが言った。
「本当に、うまくいくように願っているわ」
僕、なんてバカな事をしたんだろうとハリーは思った。ハーマイオニーも同じように不愉快な思い
をしなければならなかったが、悪気のない人を怒鳴りつけるような事はしていない。ハリーはハー
マイオニーの対処の仕方に感服していた。
「とびきり可愛い?あの子が?」
リータの記事が載ってから初めてハーマイオニーと顔を突き合わせとき、パンジー・パーキンソン
が甲高い声で言った。
「何と比べて判断したのか知ら、シマリス?」
「ほっときなさい」
ハーマイオニーは頭をしゃきっと上げスリザリンの女子学生がからかう中を、何も聞こえないかの
ように堂々と歩きながら威厳のある声で言った。
「ハリー、ほっとくのよ」
しかし放ってはおけなかった。スネイプの居残り罰の事をハリーに伝言して以来ロンは一言もハ
リーと口をきいていない。スネイプの地下牢教室で時間も一緒にねずみの脳味噌のホルマリン漬け
を作らされる間に、仲直りができるのではとハリーは少し期待していた。しかしちょうどその日に
リータの記事が出た。ハリーはやっぱり目立つのを楽しんでいるのだとロンは確信を強めたよう
だった。
ハーマイオニーは二人の事で腹を立てていた。二人の間を行ったり来たりして何とか互いに話をさ
せようと努めたがハリーも頑固だった。ハリー自身が”炎のゴブレット”に名前を入れたわけでは
ないとロンが認めたなら、そしてハリーを嘘つき呼ばわりした事を謝るならまたロンと話してもい
い。
「僕から始めたわけじゃない」ハリーはかたくなに言い張った。
「あいつの問題だ」
「ロンがいなくて寂しいくせに!」ハーマイオニーがイライラと言った。
「それに、わたしには分かっている。ロンも寂しいのよ」
「ロンがいなくて寂しいくせに?」ハリーが繰り返した。
「ロンがいなくて寂しいなんて事は、ない」真っ赤な嘘だった。ハーマイオニーは大好きだったが
ロンとは違う。ハーマイオニーと親しくてもロンと一緒のときほど笑う事はないし、図書館にうろ
うろする時間が多くなる。ハリーはまだ”呼び寄せ呪文”を習得していなかった。ハリーの中で何
かストップをかけているようだった。ハーマイオニーは理論を学べば役に立つと主張した。そこで
二人は昼休みを本に没頭し過ごす事が多かった。ビクトール・クラムもしょっちゅう図書館に入り
浸っていた。いったい何をしているのかハリーは訝かった。勉強しているのだろうか?
それとも第一の課題をこなすのに役立ちそうなものを探しているのだろうか?
ハーマイオニーはクラムが図書館にいる事でしばしば文句を言った。何もクラムが二人の邪魔をし
たわけではない。しかし女子学生のグループがしょっちゅうやってきて、忍び笑いをしながら本棚
の陰からクラムの様子をうかがっていた。ハーマイオニーはその物音で気が散るというのだ。
「あの人、ハンサムでもなんでもないじゃない!」
クラムの険しい横顔をにらみつけてハーマイオニーがプリプリしながらつぶやいた。
「みんな夢中なのは、あの人は有名人だからよ!
ウォンキー・フェイントとかなんとかいうのができない人だったら、みんな見むきもしないのに」
「ウロンスキー・フェイント」ハリーは唇をかんだ。クィディッチ用語を正しく使いたいのも確か
だが、それとは別にハーマイオニーがウォンキー・フェイントというのを聞いたら、ロンがどんな
顔をするだろうかと思うとまだ胸がキュンと痛んだのだ。不思議な事に何かを恐れて何とかして時
の動きを遅らせたいと思うときに限って、時は容赦なく動きを早める。第一の課題までの日々が誰
かが時計に細工をして二倍の速さにしたかのように流れ去っていった。抑えようのない恐怖感が”
日刊予言者新聞”の記事に対する意地の悪いヤジと同じように、ハリーの行くところどこにでもつ
いて来た。第一の課題が行われる週の前の土曜日、三年生以上の生徒は全員ホグズミード行きを許
可された。ハーマイオニーはちょっと城から出た方が気晴らしになると勧めた。ハリーも勧められ
るまでもなかった。
「ロンの事はどうする気?」ハリーが聞いた。
「ロンと一緒に行きたくないの?」
「ああ、その事」
ハーマイオニーはちょっと赤くなった。
「”三本の箒”で、あなたとわたしが、ロンに会うようにしたらどうかと思って」
「いやだ」ハリーがにべもなく言った。
「まあ、ハリー、そんなバカみたいな」
「僕、行くよ。でもロンと会うのはごめんだ。僕、”透明マント”を着ていく」
「そう、それならそれでいいけど」
ハーマイオニーはクドクドは言わなかった。
「だけど、マントを着ているときにあなたに話しかけるのは嫌いよ。あなたの方に向いて喋ってい
るのかどうか、さっぱりわからないんだもの」
そういうわけでハリーは寮で”透明マント”をかぶり階下に戻って、ハーマイオニーと一緒にホグ
ズミードに出かけた。マントの中でハリーは素晴らしい開放感を味わった。村に入るとき他の生徒
が二人を追い越したり行き違ったりするのをハリーは観察できた。ほとんどが”セドリック・ディ
ゴリーを応援しよう”のバッジをつけていたが、いつもと違ってハリーにひどい言葉を浴びせる者
もあのバカな記事に触れる生徒もいなかった。
「今度はみんな、わたしをチラチラ見てるわ」
クリームたっぷりの大きなチョコレートをほおばりながら
”ハニーデュークス菓子店”から出て来たハーマイオニーが不機嫌に言った。
「みんな、わたしが独り言を言ってると思っているの」
「それなら、そんなに唇を動かさないようにすればいいじゃないか」
「あのねえ、ちょっとマントを脱いでよ。ここなら誰もあなたにかまったりしないわ」
「そうかな?」ハリーが言った。「後ろを見てごらんよ」
リータ・スキーターとその友人のカメラマンが”三本の箒”から現れたところだった。二人はひそ
ひそ声で話しながらハーマイオニーの方を見向きもせずにそばを通りすぎた。ハリーはリータ・ス
キーターのワニ革ハンドバッグで打たれそうになり、後ずさりしてハニーデュークスの壁に張り付
いた。二人の姿が見えなくなってからハリーが言った。
「あの人、この村に泊まってるんだ。第一の課題を見にきたのにちがいない」
そう言った途端ドロドロに溶けた恐怖感がハリーの胃にドッと溢れた。ハリーはその事を口には出
さなかった。ハリーもハーマイオニーも第一の課題が何なのかこれまであまり話題にしなかった。
ハーマイオニーもその事を考えたくないのだろうとハリーはそんな気がした。
「行っちゃったわ」
ハーマイオニーの視線はハリーの体を通りぬけてハイストリート通りの向こう端をみていた。
「”三本の箒”に入って、バタービールを飲みましょうよ。ちょっと寒くない?ロンには話しかけ
なくてもいいわよ!」
ハリーが返事をしない訳をハーマイオニーはちゃんと察していらいた口調で付け加えた。三本の箒
は混み合っていた。土曜日の午後の自由行動を楽しんでいるホグワーツの生徒が多かったが、ハ
リーが外ではめったに見かけた事がないさまざまな魔法族もいた。ホグズミードはイギリスで唯一
の魔法族目の村なので、魔法使いの様にうまく変装できない鬼ばばあなどにとっては、ここが
ちょっとした安息所なのだろうとハリーは思った。透明マントを着て混雑の中を動くのはとても難
しかった。うっかり誰かの足を踏みつけたりすればとてもややこしい事になりそうだ。ハーマイオ
ニーが飲み物を買いに行っている間ハリーは隅の空いているテーブルへそろそろと近づいた。パブ
の中を移動する途中フレッド、ジョージ、リー・ジョーダンと一緒に座っているロンを見かけた。
ロンの頭を後ろから思いっきり小突いて、やりたいという気持ちを抑えハリーはやっとテーブルに
たどり着いて腰をかけた。ハーマイオニーがそのすぐあとからやってきて透明マントの下からバ
タービールをすべりこませた。
「ここにたった一人で座ってるなんて、私、すごく間抜けに見えるわ」ハーマイオニーがつぶやい
た。
「幸いやる事を持ってきたけど」
そしてハーマイオニーはノートを取り出した。S・P・E・W会員を登録してあるノートだ。ハ
リーは自分とロンの名前がとても少ない会員名簿の一番上に載っているのを見た。ロンと二人で予
言をでっち上げていたときハーマイオニーがやってきて、二人を会の書記と会計に任命したのが随
分遠い昔のような気がした。
「ねえ、この村の人たちに、S・P・E・Wに入ってもらうように、わたし、やってみようかし
ら」
ハーマイオニーはパブを見まわしながら考え深げに言った。
「そりゃ、いいや」
ハリーは冗談交じりに相槌を打ちマントに隠れてバタービールをぐいと飲んだ。
「ハーマイオニー。いつになったらS・P・E・Wなんてヤツ、あきらめるんだい?」
「屋敷しもべ妖精が妥当な給料と労働条件を得たとき!」ハーマイオニーが声を殺して言い返した。
「ねえ、そろそろ、もっと積極的な行動をとるときじゃないかって思い始めているの。どうやった
ら学校の厨房に入れるかしら?」
「わからない。フレッドとジョージに聞けよ」ハリーが言った。ハーマイオニーは考えにふけって
黙り込んだ。ハリーはパブの客を眺めながらバタービールを飲んだ。みんな楽しそうでくつろいで
いた。すぐ近くのテーブルでアーニー・マクミランとハンナ・アボットが、蛙チョコレートのカー
ドを交換している。二人とも”セドリック・ディゴリーを応援しよう”バッジをマントにつけてい
た。その向こうドアのそばにチョウ・チャンがレイブンクローの大勢の友達と一緒にいるのが見え
た。でもチョウは”セドリック”バッジをつけていない。ハリーはちょっぴり元気になった。のん
びり座り込んで笑ったりしゃべったりせいぜい宿題の事しか心配しなくてもよい人たち。自分もそ
の一人になれるならほかに何を望むだろう?
自分の名前が”炎のゴブレット”から出て来ていなかったら、今自分はどんな気持ちでここにいる
だろう。まず透明マントを着ていないはずだ。ロンは自分と一緒にいるだろう。代表選手たちが火
曜日にどんな危険きわまりない課題に立ち向かうのだろうと、三人で楽しくあれこれ想像していた
だろう。どんな課題だろうがきっと待ち遠しかっただろう。代表選手がそれをこなすのを見物する
のが。スタンドの後方に座ってみんなと一緒にセドリックを応援するのが。他の代表選手はどんな
気持ちなんだろう。最近セドリックを見かけるといつもファンに取り囲まれ神経を尖らせながらも、
興奮しているように見えた。フラー・デラクールの廊下で時々ちらりと姿を見たが、いつもと変わ
らずフラーらしく高慢で平然としていた。そしてクラムはひたすら図書館に座って本に没頭してい
た。ハリーはシリウスの事を思った。すると胸を締め付けていた固い結び目が少し緩むような気が
した。あと十二時間と少しでシリウスと話せる。談話室の暖炉のそばで二人が話をするのは今夜
だった。なんにも手違いが起こらなければだが。最近は何もかも手違いだらけだったけど。
「見て、ハグリッドよ!」ハーマイオニーが言った。ハグリッドの巨大なもじゃもじゃ頭の後頭部
がありがたい事に、束ね髪にするのを諦めていた、人ごみの上にぬっと現われた。こんなに大きな
ハグリッドを自分はどうしてすぐに見つけられなかったのだろうとハリーは不思議に思った。しか
し立ち上がってよく見るとハグリッドが体をかがめてムーディ先生と話しているのが分かった。ハ
グリッドはいつものように巨大なジョッキを前に置いていたが、ムーディは自分の携帯用酒便から
飲んでいた。粋な女主人のマダム・ロスメルタはこれが気に入らないようだった。ハグリッドたち
の周囲のテーブルから開いたグラスを片づけながらムーディを胡散臭そうに見ていた。たぶん自家
製の蜂蜜酒が侮辱されたと思ったのだろう。しかしハリーは訳を知っていた。”闇の魔術に対する
防衛術”の最近の授業で、闇の魔法使いは誰も見ていない時に易々とコップに毒を盛るので、いつ
も食べ物、飲み物を自分で用意するようにしているとムーディが生徒に話したのだ。ハリーが見て
いるとハグリッドとムーディは立ち上がって出て行きかけた。ハリーは手を振ったがハグリッドに
は見えないのだと気づいた。しかし、ムーディが立ち止まりハリーが立っている隅のほうに”魔法
の目”を向けた。ムーディはハグリッドの背中をチョンチョンとたたき何事かささやいた。それか
ら二人は引返してハリーとハーマイオニーのテーブルにやってきた。
「元気か、ハーマイオニー?」ハグリッドが大声を出した。
「こんにちは」ハーマイオニーもニッコリ挨拶した。ムーディは片足を引きずりながらテーブルを
まわりこみ。ハリーがムーディはS・P・E・Wのノートを読んでいるのだろうと思っていると
ムーディがささやいた。
「いいマントだが、ポッター」
ハリーは驚いてムーディを見つめた。こんな近くで見ると鼻が大きく削ぎ取られているのがますま
すはっきり分かった。ムーディはニヤリとした。
「先生の目、あの、見える?」
「ああ、わしの眼は透明マントを見すかす」ムーディが静かに言った。
「そして、時には、これがなかなか役にたつぞ」
ハグリッドもニッコリとハリーのほうを見おろしていた。ハグリッドにはハリーが見えない事は分
かっていた。しかし当然ムーディがハリーがここにいると教えたはずだ。今度はハグリッドがS・
P・E・Wノートを読むふりをして身をかがめ、ハリーにしか聞こえないような低い声でささやい
た。
「ハリー、今晩、真夜中に俺の小屋に来いや。そのマントを着てな」
身を起こすとハグリッドは大声で、
「ハーマイオニー、お前さんに会えて良かった」と言いウインクをして去っていった。ムーディも
後についていった。
「ハグリッドたっら、どうして真夜中に僕に会いたいんだろう?」ハリーは驚いて言った。
「会いたいって?」ハーマイオニーもびっくりした。
「いったい、何を考えてるのかしら?ハリー、行かない方がいいかもよ」
ハーマイオニーは神経質に周りを見回し声を殺して言った。
「シリウスとの約束に遅れちゃうかもしれないわ」
確かにハグリッドのところに真夜中にいけばシリウスと会う時間にギリギリになってしまう。ハー
マイオニーはヘドウィグを送ってハグリッドにいけないと伝えてはどうかと言った。もちろんヘド
ウィグがメモを届ける事を承知してくれればの話だが。しかしハグリッドの用事がなんであれハ
リーは急いで会って来る方がよいように思った。ハグリッドがハリーにそんなに夜遅く来るように
頼むなんて初めての事だった。いったい何なのかハリーはとても知りたかった。その晩早めにベッ
トに入るふりをしたハリーは十一時半になると、透明マントをかぶりこっそり談話室に戻った。寮
生がまだたくさん残っていた。クリービー兄弟は”セドリックを応援しよう”バッジを首尾よく
こっそり手に入れ、魔法をかけて”ハリー・ポッターを応援しよう”に変えようとしていた。しか
しこれまでのところ”汚いぞ、ポッター”で文字の動きを止めるのが精一杯だった。ハリーはそっ
と二人のそばを通りぬけ肖像画の穴のところで時計を見ながら一分くらいまった。すると、計画通
りハーマイオニーが外から”太った婦人”を開けてくれた。ハーマイオニーと擦れ違いざまハリー
は「ありがと!」とささやき城の中を通り抜けていった。校庭は真っ暗だった。ハリーはハグリッ
ドの小屋に輝く明かりを目指して芝生を歩いた。ボーバトンの巨大な馬車も明かりがついていた。
ハグリッドの小屋の戸をノックしたときハリーは、マダム・マクシームが馬車のなかで話している
声を聞いた。
「ハリー、お前さんか?」
戸を開けてきょろきょろしながらハグリッドが声をひそめて言った。
「うん」
ハリーは小屋の中に滑り込みマントを引っ張って頭から脱いだ。
「何なの?」
「ちょくら見せるものがあってな」ハグリッドが言った。ハグリッドは何だかひどく興奮していた。
服のズボン穴に育ち過ぎたアーティチョークのような花を挿している。車軸用のグリースを髪につ
ける事はあきらめたらしいが間違いなく髪をくし削ろうとしたらしい。欠けたクシの歯が髪に絡
まっているのをハリーは見てしまった。
「何を見せたいの?」
ハリーはスクリュートが卵を産んだのか、それともハグリッドがパブで知らない人からまった三酸
頭犬を買ったのかと、いろいろ想像してこわごわ聞いた。
「一緒に来いや。黙って、マントをかぶったままでな」ハグリッドが言った。
「ファングは連れて行かねえ。こいつが喜ぶようなもんじゃねえし」
「ねえ、ハグリッド、僕、あんまりゆっくりできないよ。午前一時までに城に帰っていないといけ
ないんだ」
しかしハグリッドは聞いていなかった。小屋の戸を開けてずんずん暗闇の中に出ていった。ハリー
は急いで後を追ったがハグリッドがハリーをボーバトンの馬車のほうに連れて行くのに気づいて驚
いた。
「ハグリッド、いったい?」
「シーッ!」
ハグリッドはハリーを黙らせる金色の杖が交差した紋章のついた扉を三度のノックした。マダム・
マクシームが扉を開けた。シルクのショールを堂々たる肩に巻き付けている。ハグリッドを見てマ
ダムはにっこりした。
「ああ、アグリッド、時間でーす?」
「ボング・スーワー(こんばんは)」
ハグリッドがマダムに笑いかけマダムが金色の踏み台に降りるのに手をさしのべた。マダム・マク
シームは後ろ手に扉を閉めハグリッドがマダムに腕を差し出し、二人がマダムの巨大な天馬が囲わ
れているバドックを回り込んで歩いていた。ハリーは何がなんだか分からないまま二人に追いつこ
うと走ってついていった。ハグリッドはハリーにマダム・マクシームを見せたかったのだろうか?
マダムならハリーはいつだって好きな時に見る事ができるのに、マダムを見おとすのはなかなか難
しいもの。しかしどうやらマダム・マクシームもハリーと同じもてなしにあずかるらしい。しばら
くしてマダムが艶っぽい声で言った。
「アグリッド、いったいわたしを、どーこに連れて行くのでーすか?」
「きっと気に入る」ハグリッドの声は愛想なしだ。
「見る価値ありだ、本当だ。ただ、俺が見せたって事は誰にも言わねえでくれ、いいかね?
あなたは知ってはいけねえ事になっている」
「もちろーんです」
マダム・マクシームは長い黒いまつげをパチパチさせた。そして二人は歩き続けた。そのあとを小
走りについて行きながらハリーはだんだん落ち着かなくなってきた。腕時計を頻繁に覗き込んだ。
ハグリッドの気まぐれな企てのせいでハリーはシリウスに会い損ねるかもしれない。もう少しで目
的地に着くのでなければまっすぐに城に引き返そう。ハグリッドはマダム・マクシームと二人で月
明かりのお散歩と洒落込めばいい。しかしそのとき”禁じられた森”の周囲をずいぶん歩いたので
城も湖も見えなくなっていたが、ハリーは何か物音を聞いた。前方で男達が怒鳴っている。続いて
耳をつんざく大咆哮。ハグリッドは木立を回り込むようにマダム・マクシームを導き立ち止まった。
ハリーも急いでついていった。一瞬ハリーは焚き火を見たのだと思った。男達がそのまわりを飛び
回っているのを見たのだと。次の瞬間ハリーはあんぐり口を開けた。ドラゴンだ。見るからに獰猛
な四頭の巨大な成獣が分厚い板で柵をめぐらした囲い地の中に後足で立ち上がり、吼え猛り、鼻息
を荒げている。地上十五・六メートルもの高さに伸ばした首の先でカッと開いた口は牙をむき、暗
い夜空に向かって火柱を吹き上げていた。長い鋭い角をもつシルバーブルーの一頭は、地上の魔法
使いたちに向かって唸り牙を鳴らしてかみつこうとしている。すべすべした鱗をもつ緑の一頭は全
身をくねらせ力の限り足を踏みならしている。赤い一頭は顔のまわりに奇妙な金色の細い棘の縁取
りがありキノコ型の火炎を吐いている。ハリーたちに一番近いところにいた巨大な黒い一頭は他の
三頭に比べるとトカゲに似ている。一頭につき七・八人、全部で少なくとも三十人の魔法使いが、
ドラゴンの首や足に回した太い革バンドに鎖をつけその鎖を引いてドラゴンを抑えようとしていた。
怖いもの見たさにハリーはずーっと上を見上げた。黒ドラゴンの目が見えた。猫のように縦に瞳孔
の開いたその目が怒りからか、恐れからかハリーにはどちらとも分からなかったが飛び出している。
そして恐ろしい音をたてて暴れ悲しげに声、ギャーッギャーッと甲高い怒りの声をあげていた。
「離れて、ハグリッド!」
柵のそばにいた魔法使いが握った鎖を引き締めながら叫んだ。
「ドラゴンの吐く炎は、六・七メートルにもなるんだから!
このホーンテールなんか、その倍も吹いたのを、僕は見たんだ!」
「綺麗だよなぁ?」ハグリッドがいとおしそうに言った。
「これじゃ駄目だ!」別の魔法使いが叫んだ。
「一、二の三で”失神の呪文”だ!」
ハリーはドラゴン使いが全員杖を取り出すのを見た。
「「ステューピファイ!」」
全員が一斉に唱えた。”失神の呪文”が火を吐くロケットのように暗闇に飛び、ドラゴンの鱗に覆
われた皮にあたって火花が滝のように散った。ハリーの目の前で一番近くのドラゴンが後足で立っ
たまま危なっかしげによろけた。顎はワっと開けたまま吼え声が急に消え、鼻のあたりからは突然
炎が消えた、まだくすぶってはいたが。それからゆっくりとドラゴンは倒れた。筋骨隆々の鱗に覆
われた黒いドラゴンの数トンもある胴体がどさっと地面を打った。その衝撃でハリーの後の木立が
激しく揺れ動いた。ドラゴン使いたちは杖をおろしそれぞれ担当のドラゴンに近寄った。一頭一頭
が小山ほどの大きさだ。ドラゴン使いは急いで鎖をきつくしめしっかりと鉄の杭に縛りつけ、その
杭を杖で地中に深々と落ち込んだ。
「近くで見たいかね?」ハグリッドは興奮してマダム・マクシームに尋ねた。二人は柵のすぐそば
まで移動しハリーもついていった。ハグリッドにそれ以上近寄るなと警告した魔法使いがやってき
た。そしてハリーは初めてそれが誰なのか気づいた。チャーリー・ウィーズリーだった。
「大丈夫かい?ハグリッド?」チャーリーがハアハア息をはずませている。
「ドラゴンはもう安全だと思う。こっちに来る途中”眠り薬”でおとなしくさせたんだ。暗くて静
かなところで目覚めた方がいいだろうと思って。ところが見ての通り、連中は機嫌が悪いのなん
のって」
「チャーリー、どの種類を連れてきた?」
ハグリッドは一番近いドラゴン、黒ドラゴン、をほとんど崇めるような目つきでじっと見ていた。
黒ドラゴンはまだ薄目を開けていた。しわの刻まれた黒い瞼の下でキラリと光る黄色い筋をハリー
は見た。
「こいつはハンガリー・ホーンテールだ」チャーリーが言った。
「向こうのはウェールズ・グリーン普通種、少し小型だ。スウェーデン・ショート−スナウト種、
あの青みがかったグレーのやつ。それと、中国火の玉種、あの赤いやつ」
チャーリーはあたりを見まわした。マダム・マクシームが失神させられたらドラゴンをじっと見な
がら囲い地のまわりをゆっくり歩いていた。
「あの人を連れて来るなんて、知らなかったぜ。ハグリッド」チャーリーが顔をしかめた。
「代表選手は課題を知らない事になっている。あの人はきっと自分の生徒に喋るだろう?」
「あの人が見たいだろうと思っただけだ」
ハグリッドはうっとりとドラゴンを見つめたままで肩をすくめた。
「ハグリッド、全くロマンチックなデートだよ」チャーリーがやれやれと首を振った。
「四頭」ハグリッドが言った。
「そんじゃ、一人の代表選手に一頭っちゅうわけか?何をするんだ、戦うのか?」
「うまく出し抜くだけだ。たぶん」チャーリーが言った。
「ひどい事になりかけたら、僕たちが控えていて、いつでも”消火呪文”をかけられるようになっ
ている。営巣中の母親ドラゴンが欲しいという注文だった。なぜかは知らない、でも、これだけは
言えるな。ホーンテールに当たった選手はお気の毒様さ。狂暴なんだ。尻尾の方も正面と同じくら
い危険だよ。ほら」
チャーリーはホーンテールの尾を指さした。ハリーが見ると長いブロンズ色の棘が尻尾全体に数セ
ンチおきに突出していた。その時チャーリーの仲間のドラゴン使いが灰色の花崗岩のような巨大な
卵をいくつか毛布に包み、五人がかりでよろけながらホーンテールに近づいてきた。五人はホーン
テールのそばに注意深く卵を置いた。ハグリッドは欲しくてたまらがそうなうめき声をもらした。
「僕、ちゃんと数えたからね、ハグリッド」チャーリーが厳しく言った。それから「ハリーは元
気?」と聞いた。
「元気だ」ハグリッドはまだ卵に魅入っていた。
「こいつらに立ち向かった後でも、まだ元気だといいんだが」
ドラゴンの囲い地を見やりながらチャーリーが暗い声を出した。
「ハリーが第一の課題で何をしなければならないか、僕、ママにはとても言えない。ハリーの事が
心配で、今だって大変なんだ」
チャーリーは母親の心配そうな声を真似した。
「”どうしてあの子を試合に出したりするの!まだ若すぎるのに!子どもたちは全員安全だと思っ
ていたのに。年齢制限があると思っていたのに!”ってさ。”日刊予言者新聞”にハリーの事が
載ってからは、もう涙、涙だ。”あの子は今でも両親を思って泣くんだわ!ああ、かわいそうに。
知らなかった!”」
ハリーはこれでもう十分だと思った。ハグリッドは僕がいなくなっても気づかないだろう。マダ
ム・マクシームと四頭のドラゴンの魅力で手一杯だ。ハリーはそっとみんなに背を向け城に向かっ
て歩き始めた。これから起こる事を見てしまったのが喜ぶべき事なのかどうかハリーには分からな
かった。多分このほうがよかったのだ。最初のショックは過ぎた。火曜日に初めてドラゴンを見た
なら全校生徒の前でばったり気絶してしまったかもしれない。どっちにしても気絶するかもしれな
いが、敵は十五・六メートルもある鱗と棘に覆われた火を吐くドラゴンだ。ハリーの武器といえば
杖だけ。そんな杖など今や細い大きいほどしか感じられない。しかもドラゴンを出しぬかなければ
ならない。みんなの見ている前で。いったいどうやって。ハリーは禁じられた森の端に沿って急い
だ。あと十五分足らずで暖炉のそばに戻ってシリウスと話をするのだ。シリウスと話したい。こん
なに強く誰かと話したいと思った事は一度もない。そのとき出し抜けにハリーは何か固い物にぶつ
かった。仰向けにひっくり返り眼鏡が外れたがハリーはしっかりと透明マントにしがみついていた。
近くで声がした。
「アイタッ!誰だ?」
ハリーはマントが自分を覆っているかどうかを急いで確かめじっと動かずに横たわって、ぶつかっ
た相手の魔法使いの黒いシルエットを見上げた。ヤギ髭が見えた、カルカロフだ。
「誰だ?」カルカロフがいぶかしげに暗闇を見まわしながら繰り返した。ハリーは身動きせず黙っ
ていた。一分ほどしてカルカロフは何か獣にでもぶつかったのだろうと納得したらしい。犬でも探
すように腰の高さを見まわした。それからカルカロフは再び木立に隠れるようにして、ドラゴンの
いたあたりに向かってそろそろと進み始めた。ハリーはゆっくり慎重に立ち上がりできるだけ物音
をたてないようにしながら、暗闇の中をホグワーツへと急げるだけ急いだ。カルカロフが何をしよ
うとしていたかハリーにはよくわかっていた。こっそり船を抜け出し第一の課題が何なのかを探ろ
うとしたのだ。もしかしたらハグリッドとマダム・マクシームが禁じられた森の方へ向かうのを目
撃したのかもしれない。あの二人は遠くからでもたやすく目につく。それにカルカロフは今ただ人
声のする方にいればよいのだ。カルカロフもマダム・マクシームと同じに何が代表選手を待ち受け
ているかを知る事になるだろう。すると火曜日に全く未知の課題にぶつかる選手はセドリックただ
一人という事になる。城にたどり着き正面の扉をすり抜け大理石の階段を上り始めたハリーは、息
も絶え絶えになったが速度を緩めるわけにはいかない。あと五分足らずで暖炉のところまで行かな
ければ。
「ボールダーダッシュ!」
ハリーは穴の前の肖像画の額の中でまどろんでいる”太った婦人”に向かってゼイゼイと呼びかけ
た。
「ああ、そうですか」
夫人は目も開けずに眠そうにつぶやき前にパッと開いてハリーを通した。ハリーは穴をはい上った。
談話室には誰もいない。においもいつもと変わりない。ハリーとシリウスを二人きりにするために、
ハーマイオニーが糞爆弾を爆発させる必要はなかったという事だ。ハリーは透明マントを脱ぎ捨て
暖炉の前のひじ掛け椅子に倒れ込んだ。部屋は薄暗く暖炉の炎だけが灯りを放っていた。クリー
ビー兄弟がなんとかしようと頑張っていた”セドリック・ディゴリーを応援しよう”バッジが、
テーブルのそばで暖炉の火を受けてチカチカしていた。今や”本当に汚いぞ、ポッター”に変わっ
ていた。暖炉の炎を振り返ってハリーはとびあがった。シリウスの生首が炎の中に座っていた。
ウィーズリー家のキッチンでディゴリー氏が全く同じ事をするの見ていなかったら、ハリーは縮み
あがったにちがいない。怖がるどころかここしばらく笑わなかったハリーが久しぶりににっこりし
た。ハリーは急いで椅子から飛び降り暖炉の前に屈み込んで話しかけた。
「シリウス、元気なの?」
シリウスの顔はハリーの覚えている顔と違って見えた。さよならを行ったときはシリウスの顔は痩
せこけ、目が落ちくぼみ、長い長髪がもじゃもじゃとからみついて顔の周りを覆っていた。でも今
は髪をこざっぱりと短く切り、顔は丸みを帯びあの時より若く見えた。ハリーがたった一枚だけ
持っているシリウスのあの写真、両親の結婚式の時の写真に近かった。
「わたしの事は心配しなくていい。君はどうだね?」シリウスは真剣な口調だった。
「僕は」ほんの一瞬「元気です」と言おうとした。しかし言えなかった。堰を切ったように言葉が
ほとばしり出た。ここ何日分の穴埋めをするようにハリーは一気に喋った。自分の意志で杯に名前
を入れたのではないと言っても誰も信じてくれなかった事、リータ・スキーターが”日刊予言者新
聞”でハリーについてうそ八百を書いた事、廊下を歩いていると必ず誰かがからかう事、そしてロ
ンの事。ロンがハリーを信用せずやきもちを焼いている。
「それに、ハグリッドがついさっき、第一の課題が何なのか、僕に見せてくれたの。ドラゴンなん
だよ、シリウス。僕、もうおしまいだ」ハリーは絶望的になって話し終えた。シリウスは憂いに満
ちた目でハリーを見つめていた。アズカバンがシリウスに刻みこんだまなざしがまだ消え去ってい
ない、死んだような、疲れたようなまなざしが。シリウスはハリーが黙り込むまで口をはさまず
しゃべらせたあと口を開いた。
「ドラゴンは、ハリー、なんとかなる。しかし、それはちょっと後にしよう。あまり長くはいられ
ない。この火を使うのにとある魔法使いの家に忍びこんだのだが、家の者がいつ戻ってこないとも
限らない。君に警告しておかなければいならない事があるんだ」
「何なの?」
ハリーはガクンガクンと数段気分が落ち込むような気がした。ドラゴンよりも悪いものがあるんだ
ろうか?
「カルカロフだ」シリウスが入った。
「ハリー、あいつは”デス・イーター”だった。それが何か、わかってるね?」
「ええ、えっ?あの人が?」
「あいつは逮捕された。アズカバンで一緒だった。しかし、あいつは釈放された。ダンブルドアが
今年”闇祓い”をホグワーツにおきたかったのは、そのせいだ。絶対間違いない、あいつを監視す
るためだ。カルカロフを逮捕したのはムーディだ。そもそもムーディがやつをアズカバンにぶち込
んだ」
「カルカロフが釈放された?」ハリーはよく飲み込めなかった。脳味噌がまたひとつショックな情
報吸収しようとしてもがいていた。
「どうして釈放したの?」
「魔法省と取引したんだ」シリウスが苦々しげに言った。
「自分が過ちを犯した事を認めると言った。そして他の名前を吐いた。自分の代わりにずいぶん多
くの者をアズカバンに送った。いうまでもなく、あいつはアズカバンでは嫌われ者だ。そして出獄
してからは、わたしの知る限り、自分の学校に入学するものには全員に”闇の魔術”を教えてきた。
だから、ダームストラングの代表選手にも気を付けなさい」
「うん。でも、カルカロフが僕の名前を杯に入れたって言うわけ?だって、もしもカルカロフの仕
業なら、あの人ずいぶん役者だよ。カンカンに怒っているように見えた。僕が参加するのを阻止し
ようとしていた」
ハリーは考えながらゆっくり話した。
「やつは役者だ。それは分かっている」シリウスが言った。
「なにしろ、魔法省に自分を信用させて、釈放させたやつだ。さてと”日刊予言者新聞”にはずっ
と注目してきたよ、ハリー」
「シリウスもそうだし、世界中がそうだね」ハリーは苦い思いがした。
「そして、スキーター女史の先月の記事の行間を読むと、ムーディがホグワーツに出発する前の晩
に襲われた。いや、あの女が、また空騒ぎだったと書いている事は承知している」
ハリーが何かを言いたそうにしたの見てシリウスは急いで説明した。
「しかし、わたしは違うと思う。誰かが、ムーディがホグワーツに来るのを邪魔しようとしたのだ。
ムーディが近くにいると、仕事がやりにくくなるという事を知ってやつがいる。ムーディの件は誰
も本気になって追求しないだろう。マッド・アイが、侵入者の物音を聞いたと、あんまりしょっ
ちゅう言い過ぎた。しかし、そうだからと言ってムーディがもう本物を見つけられないと言うわけ
ではない。ムーディは魔法省始まって以来の優秀な”闇祓い”だった」
「じゃあ、シリウスの言いたいのは?」ハリーはそう言いながら考えていた。
「カルカロフが僕を殺そうとしているって事?でも、なぜ?」
シリウスは戸惑いを見せた。
「近ごろどうもおかしな事を耳にする」シリウスは考えながら答えた。
「”デス・イーター”の動きが最近活発になっているらしい。クィディッチ・ワールドカップで正
体を現しただろう?
誰かが”闇の印”を打ち上げた。それに、行方不明になっている魔法省の職員の事は聞いているか
ね?」
「バーサ・ジョーキンズ?」
「そうだ、アルバニアで姿を消した。ヴォルデモートが最後にそこにいたという噂のある場所ずば
りだ。その魔女は、三校対校試合が行われる事を知っていたはずだね?」
「ええ、でも、その魔女がヴォルデモートにばったり会うなんて、ちょっと考えられないでしょ
う?」ハリーが言った。
「いいかい。わたしはバーサ・ジョーキンズを知っていた」シリウスは深刻な声で言った。
「わたしと同じ時期にホグワーツにいた。君の父さんやわたしより二・三年上だ。とにかく愚かな
女だった。知りたがりやで、頭が全く空っぽ。これは、良い組み合わせじゃない。ハリー、バーサ
なら、簡単に罠にハマるだろう」
「じゃあ、それじゃあ、ヴォルデモートが試合の事を知ったかもしれないって?そういう意味な
の?
カルカロフがヴォルデモートの命を受けてここに来たと、そう思うの?」
「わからない」シリウスは考えながら答えた。
「とにかくわからないが、カルカロフは、ヴォルデモートの力が強大になって、自分を守ってくれ
ると確信しなければ、ヴォルデモートの下に戻るような男ではないだろう。しかし、杯に君の名前
を入れたのが誰であれ、理由があって入れたのだ。それに、試合は、君を襲うには好都合だし、事
故に見せかけるには良い方法だと考えざるを得ない」
「僕の今の状況から考えると、本当にうまい計画みたい」ハリーが力無く言った。
「自分はのんびり見物しながら、ドラゴンに仕事をやらせておけばいいんだもの」
「そうだ、そのドラゴンだが」シリウスは早口になった。
「ハリー、方法はある。”失神の呪文”を使いたくても、使うな。ドラゴンは強いし、強力な魔力
を持っているから、たった一人の呪文でノックアウト出来るものではない。半ダースもの魔法使い
が束になってかからないと、ドラゴンは抑えられない」
「うん。わかってる。さっき見たもの」ハリーが入った。
「しかし、それが一人でもできる。方法があるのだ。簡単な呪文があればいい。つまり」
しかしハリーは容易に上げてシリウスの言葉を際にだ。心臓が破裂思想に急にドキドキしだした。
買い物が、階段を誰か降りて来る足音を聞いたのだ。
「行って!」ハリーは声を押し殺してシリウスに言った。
「行って!誰か来る!」
ハリーは急いで立ち上がり暖炉の炎を体で隠した。ホグワーツの場内で誰かがシリウスの顔を見よ
うものなら、何もかもひっくり返るような大騒ぎになるだろう。魔法省が乗り込んで来るだろう。
ハリーがシリウスの居場所を追いつめられるだろう。背後でポンと小さな音がした。それでシリウ
スがいなくなったのだと分かった。ハリーは螺旋階段の下を見つめていた。午前一時に散歩を決め
込むなんていったい誰が?
ドラゴンをうまく出し抜くやり方をシリウスがハリーに教えるのを邪魔したのは誰なんだ?
ロンだった。栗色のペーズリー柄のパジャマを着たロンが、部屋の反対側でハリーと向き合って
ぴったりと立ち止まりあたりをキョロキョロ見まわした。
「誰と話してたんだ?」ロンが聞いた。
「君には関係ないだろう?」ハリーが唸るように言った。
「こんな夜中に、何しに来たんだ?」
「君がどこに」ロンは途中で言葉を切り肩をすくめた。
「別に。僕、ベッドに戻る」
「ちょっと嗅ぎ回ってやろうと思ったんだろう?」ハリーが怒鳴った。ロンはちょうどどんな場面
に出くわしたのか知るはずもないし、わざとやったのではないとハリーにはよくわかっていた。し
かしそんな事はどうでもよかった。ハリーは今この瞬間ロンのすべてが憎らしかった。パジャマの
下から数センチはみ出しているむき出しのくるぶしまでが憎らしかった。
「悪かったね」ロンは怒りで顔を真っ赤にした。
「君が邪魔されたくないんだって事、認識しておかなきゃ。どうぞ、次のインタビューの練習を、
お静かにお続け下さい」
ハリーはテーブルにあった”本当に汚いぞ、ポッター”バッチを一つ掴むと、力任せに部屋の向こ
う側に投げつけた。バッチはロンの額にあたり跳ね返った。
「そーら」ハリーが言った。
「火曜日にそれを着けて行けよ。うまくいけば、たった今、君も額に傷跡ができたかもしれない。
傷が欲しかったんだろう?」
ハリーは階段に向かってずんずん歩いた。ロンが引き留めてくれないかと半ば期待していた。ロン
にパンチを食らわしたいとさえ思った。しかしロンはつんつるてんのパジャマを着て、ただそこに
立っているだけだった。ハリーは荒々しく寝室に上がり長い事目を開けたままベッドに横たわり怒
りに身を任せていた。ロンがベッドに戻って来る気配はついになかった。

第二十章第一の課題

日曜日の朝、起きて服を着始めたもののハリーは上の空で、足に靴下を履かせる代わりに帽子をか
ぶせるようとしていた頃に気づくまでしばらくかかった。やっと自分の体のそれぞれの部分に当て
はまる服を身につけ、ハリーは急いでハーマイオニーを探しに部屋を出た。ハーマイオニーは大広
間のグリフィンドール寮のテーブルでジニーと一緒に朝食を取っていた。ハリーはムカムカとして
食べる気にもなれず、ハーマイオニーがオートミールの最後のひと匙を飲み込むまで待って、それ
からハーマイオニーを引っ張って校庭に出た。湖のほうへ二人でまた長い散歩しながらハリーはド
ラゴンの事、シリウスの言った事をすべてハーマイオニーに話してきかせた。シリウスがカルカロ
フを警戒せよと言った事はハーマイオニーを驚かせはしたが、やはりドラゴンの方がより緊急の問
題だというのがハーマイオニーの意見だった。
「とにかく、あなたは火曜日の夜も生きているようにしましょう」
ハーマイオニーは必死の面持ちだった。ハーマイオニーがいてくれてよかったと心から思った。
「それからカルカロフの事を心配すればいいわ」
ドラゴンを押さえつける簡単な呪文とは何だろうと色々考えて二人は湖の周りを三周もしていた。
全く何も思いつかなかった。そこで二人は図書館にこもった。ハリーはここでドラゴンに関するあ
りとあらゆる本を引っぱり出し、二人で山の積まれた本に取り組み始めた。
「”鉤爪をきる呪文、腐った鱗の治療”ダメだ。こんなのは、ドラゴンの健康管理をしたがるハグ
リッドみたいな変わり者用だ」
「”ドラゴンを殺すのは極めて難しい。古代の魔法が、ドラゴンの分厚い皮に浸透した事により、
最強の呪文以外は、どんな呪文もその皮を貫く事はできない”
だけど、シリウスは簡単な呪文が効くって言ったわよね」
「それじゃ、簡単な呪文集を調べよう」
ハリーは”ドラゴンを愛しすぎる男達”の本をポイっと放った。ハリーは呪文集を一山抱えて机に
戻り本を並べて次々にパラパラとページをめくり始めた。ハーマイオニーはハリーのすぐわきで
ひっきりなしにブツブツ言っていた。
「うーん、”取替呪文”があるけど、でも、取替てどうにかなるの?
牙の代わりにマシュマロなんかに取替たら、少しは危険でなくなるけど。問題は、先の本にも書い
てあったように、ドラゴンの皮を貫くものがほとんどないって事なのよ。変身させてみたらどうか
しら。でもあんなに大きいと、あんまり望みは無いわね。マクゴナガル先生でさえダメかも。もっ
とも、自分自身に呪文をかけるっていう手があるじゃない?自分にもっと力を与えるのはどう?だ
けど、そういうのは簡単な呪文じゃないわね。つまり、まだそういうのは授業で一つも習ってない
もの。わたしはO・W・Lの模擬試験をやってみたから、そういうのがあるって知ってるだけ」
「ハーマイオニー」ハリーは歯を食いしばって言った。
「ちょっと黙っててくれない?僕、集中したいんだ」
しかし、いざハーマイオニーが静かになってみればハリーの頭の中が真っ白になり、ブンブンとい
う音で埋まってしまい集中するどころではなかった。ハリーは救いようのない気持ちで本の索引を
たどっていた。
「”忙しいビジネスマンのための簡単な呪文、即席頭の皮はぎ”でもドラゴンは髪の毛がない
よ。”胡椒入りの息”これじゃあドラゴンの吐く息が強くなっちゃう。”角のある舌”バッチリだ。
これじゃあ敵にもう一つ武器を与えてしまうじゃないか」
「ああ、いやだ。またあの人だわ。どうして自分のボロ船で読書しないのかしら?」
ハーマイオニーがイライラした。ビクトール・クラムが入って来るところだった。いつもの前かが
みでむっつりと二人を見て本の山と一緒に遠くの隅に座った。
「行きましょうよ、ハリー。談話室に戻るわ。あの人のファンクラブがすぐ来るわ。ぺちゃくちゃ
うるさくなるから……」
そしてその通り、二人が図書館を出るとき女子学生の一団が忍び足で入ってきた。中の一人はブル
ガリアのスカーフを腰に巻き付けていた。ハリーはその夜ほとんど眠れなかった。月曜日の朝目覚
めた時ハリーは初めて真剣にホグワーツから逃げ出す事を考えた。しかし朝食のときに大広間を見
回してホグワーツ城を去るという事が、何を意味するかを考えたときハリーはやはりそれはできな
いと思った。ハリーは今までに幸せだと感じたのはここしかない。そう、両親と一緒だったときも
きっと幸せだったろう。しかしハリーはそれを覚えていない。ここにいてドラゴンに立ち向かうほ
うがダドリーと一緒のプリベッド通りに戻るよりはマシだ。それがはっきりしただけでハリーは少
し落ち着いた。なんとかかんとかベーコンを飲み込みハリーとハーマイオニーが立ち上がると、
ちょうどセドリック・ディゴリーもハッフルパフのテーブルを立つところだった。セドリックはま
だドラゴンの事を知らない。マダム・マクシームとカルカロフがハリーの考える通り、フラーとク
ラムに話していたとすれば代表選手のなかでただ一人知らないのだ。セドリックが大広間を出て行
くところを見ていてハリーの気持ちは決まった。
「ハーマイオニー、温室で会おう。先に行って。すぐ追いつくから」ハリーが言った。
「ハリー、遅れるわよ。もうすぐベルが鳴るのに」
「追いつくよ。OK?」
ハリーが大理石の階段の下にきたときセドリックは階段の上にいた。六年生の友達が沢山一緒だっ
た。ハリーはその生徒たちの前でセドリックに話をしたくなかった。みんなハリーが近づくといつ
もリータ・スキーターの記事を持ち出す連中だった。ハリーは間を置いてセドリックのあとをつけ
た。するとセドリックが”呪文学”の教室の廊下に向かっている事が分かった。そこでハリーは閃
いた。一団から離れたところでハリーは杖を取り出ししっかり狙いを定めた。
「ディフィンド!」
セドリックの鞄が避けた。羊皮紙やら、羽根ペン、教科書がバラバラと床に落ちインク瓶がいくつ
か割れた。
「構わないで」
友人がかがみ込んで手伝おうとしたがセドリックは適わないなという声で言った。
「フリットウィックに、すぐに行くって伝えてくれ。さあ行って」
ハリーの思うつぼだった。杖をローブにしまいハリーはセドリックの友達が教室に消えるのを待っ
た。そして二人しかいなくなった廊下を急いでセドリックに近づいた。
「いやぁ」
インクまみれになった”上級変身術”の教科書を拾いあげながらセドリックが挨拶した。
「僕のカバン、たった今、破れちゃって、まだ新品なんだけど」
「セドリック、第一の課題はドラゴンだ」
「えっ?」セドリックが目を上げた。
「ドラゴンだよ」ハリーは早口でしゃべった。フリットウィック先生がセドリックはどうしたかと
見に出てきたら困る。
「四頭だ。一人一頭。僕たち、ドラゴンを出し抜かないといけない」
セドリックはまじまじとハリーを見た。ハリーが土曜日の夜以来感じてきた恐怖感が、今セドリッ
クのグレーの目にちらついているのをハリーは見た。
「確かかい?」セドリックが声をひそめて聞いた。
「絶対だ。僕、見たんだ」ハリーが答えた。
「しかし、君、どうしてわかったんだ?僕たち知らない事になっているのに」
「気にしないで」ハリーは急いで言った。本当の事を話したらハグリッドが困った事になると分
かっていた。
「だけど、知っているのは僕だけじゃない。フラーもクラムも、もう知っているはずだ。マダム・
マクシームとカルカロフの二人も、ドラゴンを見た」
セドリックはインクまみれの羽根ペンや羊皮紙、教科書を腕いっぱいに抱えてすっと立ち上がった。
破れた鞄が肩からぶら下がっている。セドリックはハリーをじっと見つめた。当惑したようなほと
んど疑っているような目付きだった。
「どうして、僕に教えてくれるんだい?」セドリックが聞いた。ハリーは信じられない気持ちでセ
ドリックを見た。セドリックだって自分の目であのドラゴンを見ていたなら絶対にそんな質問はし
ないだろうに。最悪の敵にだってハリーは何の準備もなくあんな怪物に立ち向かわせたりはしない。
まあ、マルフォイやスネイプならどうか分からないが。
「だって、それがフェアじゃないか?」ハリーは答えた。
「もう僕たち全員が知ってる。これで足並みがそろったんじゃない?」
セドリックはまだ少し疑わしにハリーを見つめていた。その時聞き慣れたコツッコツッという音が
ハリーの背後から聞こえてきた。振り向くとマッド・アイ・ムーディが近くの教室から出て来る姿
が目に入った。
「ポッター、一緒に来い」牛がうなるような声で言った。
「ディゴリー、もう行って」
ハリーは不安げにムーディを見た。二人の会話を聞いたのだろうか?
「あの、先生。僕、薬草学の授業が」
「構わん、ポッター。わしの部屋に来てくれ」
ハリーは今度は何が起こるのだろうと思いながらムーディについて言った。ハリーがどうしてドラ
ゴンの事を知ったかムーディが問いただしたいのだとしたら?
ムーディはハグリッドの事をダンブルドアに告げ口するのだろうか?
それともハリーをケナガイタチに変えてしまうだけだろうか?
まあイタチになった方がドラゴンを出し抜きやすいかもしれないなとハリーはぼんやり考えた。小
さくなったら十五・六メートルの高さからはずっと見えにくくなるし。ハリーはムーディの部屋に
入った。ムーディはドアを閉め向きなおってハリーを見た。魔法の目も普通の目もハリーに注がれ
た。
「今、お前のした事は、ポッター、非常に道徳的な行為だ」ムーディは静かに言った。ハリーはな
んといってよいか分からなかった。こういう反応は全く予期していなかった。
「すわりなさい」
ムーディに言われてハリーは座りあたりを見まわした。この部屋にはこれまで二人の違う先生の時
に何度かした事がある。ロックハート先生の時は壁にベタベタと先生自身の写真がにっこりしたり
ウィンクしたりしていた。ルーピンが居た時は先生がクラスで使うために手に入れた、新しいなん
だか面白そうな闇の生物の見本が置いてあったものだ。しかし今この部屋はとびきり奇妙のもので
いっぱいだった。ムーディが”闇払い”時代に使ったものだろうとハリーは思った。机の上にはひ
びの入った大きなガラスのコマのようなものがあった。ハリーはそれが”スニーコスコープ”だと
すぐに分かった。ムーディのよりはずっと小さいがハリーもひとつ持っていたからだ。隅っこの小
さいテーブルには事さらにくねくねした金色の TV アンテナのようなものが立っている。かすかに
ブンと唸りを上げていた。ハリーの向かい側の壁にかかった鏡のようなものは部屋を映してはいな
い。影のようなぼんやりした姿が中でうごめいていた。どの姿もぼやけている。
「わしの”闇検知器”が気に入ったか?」ハリーを観察していたムーディが聞いた。
「あれはなんですか?」ハリーは金色のくねくねしたアンテナを指さした。
「”秘密発見機”だ。なにか隠しているものや、嘘を探知すると振動する。ここでは、もちろん、
干渉波が多すぎて役に立たない。生徒たちが四方八方で嘘をついている。なぜ宿題をやってこな
かったかとかだがな。ここに来てからというもの、ずっと唸りっぱなしだ。”スニーコスコープ”
も止めておかないといけなくなった。ずっと警報を鳴らし続けるのでな。こいつは特別に感度がよ
く、半径二キロの事象を拾う。もちろん、子どものガセネタばかりを拾っているわけではないはず
だが」
ムーディはうなるように最後の言葉をつけ足した。
「それじゃ、あの鏡は何のために?」
「ああ、あれは、わしの”敵鏡”だ。こそこそ歩き回っているのが見えるか?
奴らの白目が見えるほどに接近して来ないうちは、安泰だ。見えたときには、わしのトランクを開
くときだ」
ムーディは短く乾いた笑いをもらし窓の下に置いた大きなトランクを指さした。七つの鍵穴が一列
に並んでいる。一体何が入っているのかと考えているとムーディが問い掛けて来てハリーは突然現
実に引き戻された。
「すると、ドラゴンの事を知ってしまったのだね?」
ハリーは言葉に詰まった。これを恐れていた。しかしハリーはセドリックにも言わなかったしムー
ディにも決して言わないつもりだ。ハグリッドが規則を破ったなどというものか。
「大丈夫だ」ムーディは腰をおろして木製の義足を伸ばしうめいた。
「カンニングは三校対校試合の伝統で、昔からあった」
「僕、カンニングしてません」ハリーはきっぱり言った。
「ただ、偶然知ってしまったんです」ムーディはにやりとした。
「お若いの、わしは責めているわけではない。初めからダンブルドアに言ってある。ダンブルドア
はあくまでも高潔にしていればよいが、あのカルカロフやマクシームは、決してそういうわけには
いくまいとな。連中は、自分たちが知る限りのすべてを、代表選手に漏らすだろう。連中は勝ちた
い。ダンブルドアを負かしたい。ダンブルドアも普通の人だと証明して見せたいのだ」
ムーディは又乾いた笑い声をあげ魔法の目がぐるぐる回った。あまりに早く回るのでハリーは見て
いて気分が悪くなってきた。
「それで、どうやってドラゴンを出し抜くのか、何か考えがあるのか?」ムーディが聞いた。
「いえ」ハリーが答えた。
「ふむ。わしは教えんぞ」ムーディがぶっきらぼうに言った。
「わしは、贔屓はせん。わしはな。お前にいくつか、一般的なよいアドバイスをするだけだ。その
第一は、自分の強みを生かす試合をしろ」
「僕、何も強みなんてない」ハリーは思わず口走った。
「なんと」ムーディがうなった。
「お前には強みがある。わしがあると言ったらある。考えろ。お前が得意なのはなんだ?」
ハリーは気持ちを集中させようとした。僕の得意なものは何だって?ああ、簡単じゃないか、まっ
たく。
「クィディッチ」ハリーはのろのろと答えた。
「それがどんな役に立つって」
「その通り」
ムーディはハリーをじっと見すえた。魔法の目がほとんど動かなかった。
「お前は相当の飛び手だと、そう聞いた」
「うーん、でも」ハリーも見つめ返した。
「箒は許可されていません。杖しか持ってないし」
「二番目の一般的なアドバイスは」ムーディはハリーの言葉を遮り大声で言った。
「効果的で簡単な呪文を使い、自分に必要なものを手に入れる」
ハリーはきょとんとしてムーディを見た。自分に必要なものって何だろう?
「さあ、さあ、いい子だ」ムーディがささやいた。
「二つを結びつけろ。そんなに難しい事ではない」
ついにひらめいた。ハリーが得意なのは飛ぶ事だ。ドラゴンを空中で出し抜く必要がある。それに
はファイヤボルトが必要だ。そしてそのファイヤボルトのために必要なのは。

「ハーマイオニー」
十分後、弟三温室に到着してハリーはスプラウト先生のその通りすぎるときに急いで謝り、ハーマ
イオニーに小声で呼びかけた。
「ハーマイオニー、助けてほしいんだ」そう今こそハーマイオニーが必要だった。
彼女の知識と能力はハリーを遥かに上回っているのだから。
「ハリーたら、わたし、これまでだってそうしてきたでしょう?」
ハーマイオニーも小声で答えた。”ブルブル震える木”の剪定をしながら潅木の上から顔をのぞか
せたハーマイオニーは、心配そうに眼を大きく見開いていた。
「ハーマイオニー、”呼び寄せ呪文”を明日の午後までにちゃんと覚える必要があるんだ」
そして二人は練習を始めた。昼食を抜いて空いている教室に行きハリーは全力を振り絞り、色々な
物を教室の向こうから自分のほうへと飛ばして見せた。まだうまくいかなかった。本や羽根ペンが
部屋を飛ぶ途中で腰砕けになり石が落ちるように床に落ちた。
「集中して、ハリー、集中して」
「これでも集中してるんだ」ハリーは腹が立った。
「なぜだか、頭の中に恐ろしい大ドラゴンがポンポン飛び出してくるんだ。よーし、もう一回」
ハリーは占い学をサボって練習を続けたかったが、ハーマイオニーは数占いの授業を欠席する事を
きっぱり断った。ハーマイオニーなしで続けても意味がない。そこでハリーは一時間以上トレロー
ニー先生の授業に耐えなければならなかった。授業の半分は火星と土星の今現在の位置関係が持つ
意味の説明に費やされた。七月生まれのものが突然痛々しい死を迎える危険性がある位置だという。
「ああ、そりゃいいや」とうとう癇癪を抑えきれなくなってハリーが大声で言った。
「長引かない方がいいや。僕、苦しみたくないから」
ロンが一瞬噴き出しそうな顔をした。ここ何日ぶりかでロンは確かにハリーの目を見た。しかしロ
ンに対する怒りがまだ収まらないハリーはそれに反応する気になれなかった。それから授業が終わ
るまでハリーはテーブルの下で杖を使い小さなものを呼びよせる練習をした。ハエを一匹自分の手
の中に飛び込むせる事に成功したが、自分の呼び寄せ呪文の威力なのかどうか自信がなかった。も
しかしたらハエがバカだっただけなのかもしれない。占い学の後ハリーは無理矢理夕食を少しだけ
飲み込み、先生たちに会わないように透明マントを使ってハーマイオニーと一緒に空いた教室に
戻った。練習は真夜中過ぎまで続いた。ピーブズが現れなかったらもっと長くやれたかもしれない。
ピーブズはハリーがものを投げつけてほしいのだと思ったというふりをして、部屋の向こうからハ
リーに椅子を投げつけ始めた。物音でフィルチがやってこないうちに二人は急いで教室を出てグリ
フィンドールの談話室に戻ってきた。ありがたい事にそこにはもう誰もいなかった。午前二時、ハ
リーは山のようにいろいろなものに囲まれ暖炉のそばに立っていた。本、羽根ペン、逆さまになっ
た椅子が数脚、古いコブストーン・ゲーム一式、それにネビルのヒキガエルのトレバーもいた。最
後の一時間でハリーはやっと呼び寄せ呪文のコツをつかんだ。
「よくなったわ、ハリー。ずいぶんよくなった」
ハーマイオニーは疲れきった顔で、しかしとても嬉しそうに言った。
「うん、これからは僕が呪文をうまく使えなかったときに、どうすればいいのかわかったよ」
ハリーはそう言いながらルーン文字の辞書をハーマイオニーに投げ返しもう一度練習する事にした。
「ドラゴンが来るって、僕を脅せばいいのさ。それじゃ、やるよ」
ハリーはもう一度杖をあげた。
「アクシオ!」
重たい辞書がハーマイオニーの手を離れて浮き上がり部屋を横切ってハリーの手に収まった。
「ハリー、あなた、できたわよ。本当!」ハーマイオニーは大喜びだ。
「明日うまくいけば、だけど」ハリーが言った。
「ファイヤボルトはここにあるものよりずっと遠いところにあるんだ。城の中に。僕は外で、競技
場にいる」
「関係ないわ」ハーマイオニーがきっぱり言った。
「本当に、本当に集中すれば、ファイヤボルトは飛んで来るわ。ハリー、わたしたち、少しは寝た
方がいい。あなた、睡眠が必要よ」
ハリーはその夜、呼び寄せ呪文を習得するのに全神経を集中していたので、言い知れない恐怖感は
全く忘れていた。翌朝にはそれがそっくり戻ってきた。学校中の空気が緊張と興奮で張りつめてい
た。授業は半日で終わり生徒がドラゴンの囲い地に出かける準備の時間が与えられた。もちろんみ
んなはそこに何があるのかを知らなかった。ハリーは周りのみんなから切り離されているような奇
妙な感じがした。頑張れと応援していようが、すれ違いざま「ティッシュ一箱用意してやるぜ、
ポッター」と憎まれ口を叩こうが同じ事だった。神経が極度に高ぶっていた。ドラゴンの前に引き
出されたら理性など吹き飛んで、誰かれ見境なく呪いをかけはじめるのではないかと思った。時間
もこれまでになくおかしな動きかたをした。ボタッボタッと大きな塊になって時が飛び去り、ある
瞬間には一時間目の魔法史で机の前に腰掛けたかと思えば次の瞬間は昼食に向かっていた。そして
マクゴナガル先生が大広間に居るハリーのところへ急いでやってきた。大勢の生徒がハリーを見つ
めている。
「ポッター、代表選手は、すぐ競技場に行かないとなりません。第一の課題の準備をするのです」
「わかりました」立ち上がるとハリーのフォークがカチャリと皿に落ちた。
「頑張って!ハリー!」ハーマイオニーがハリーの手を握ってささやいた。
「きっと大丈夫!」
「うん」ハリーの声はいつもの自分の声とまるで違っていた。ハリーはマクゴナガル先生と一緒に
大広間を出た。先生もいつもの先生らしくない。事実ハーマイオニーと同じくらい心配そうな顔を
していた。石段を降りて十一月の午後の寒さの中に出たとき先生はハリーの肩に手を置いた。
「さあ、落ち着いて」先生が言った。
「冷静さを保ちなさい。手に負えなくなれば、事態を収める魔法使いたちが待機しています。大切
なのは、ベストを尽くす事です。そうすれば、誰もあなたの事を悪く思ったりはしません。大丈夫
ですか?」
「はい」ハリーは自分がそういうのを聞いた。
「はい、大丈夫です」
マクゴナガル先生は禁じられた森の縁を周りハリーをドラゴンの居る場所へと連れて言った。しか
し囲い地の手前の木立に近づきはっきり囲い地が見えるところまで来たとき、ハリーはそこにテン
トが張られているのに気付いた。テントの入り口がこちら側を向いていてドラゴンはテントで隠さ
れていた。
「ここに入って、他の代表選手たちと一緒にいなさい」マクゴナガル先生の声がやや震えていた。
「そして、ポッター、あなたの番を待つのです。バグマン氏が中にいます。バグマン氏が説明しま
す。手続きを。頑張りなさい」
「ありがとうございます」
ハリーはどこか遠くで声がするような抑揚のない言い方をした。先生はハリーをテントの入り口に
残して去った。ハリーは中に入った。フラー・デラクールが片隅の低い木の椅子に座っていた。い
つもの落ち着きはなく青ざめて冷や汗をかいていた。ビクトール・クラムはいつもよりさらにむっ
つりしていた。これがクラムなりの不安の現わし方なのだろうとハリーは思った。セドリックは
行ったり来たりを繰り返していた。ハリーが入っていくとセドリックはちょっと微笑んだ。ハリー
も微笑み返した。まるで微笑み方を忘れてしまったかのように顔の筋肉がこわばっているのを感じ
た。
「ハリー。ハリー」
テントの入り口で呼ばれたような気がして立ち止まった。
「ハリー。ハリー」
「僕はここにいる」
ハーマイオニーの声だと分かったとたん恐怖心を抑えて喜びが湧き上がってきた。
席に座っていないでこんな所まで追いかけてきてくれたのだ。
「っ…………ぅっ…………」
「泣かないで。ハーマイオニー」
入り口がバサリと音を立てて翻った。そして次の瞬間ハーマイオニーはハリーに抱きついていた。
「ハリー。ハリー」
ハリーは今までの感謝を込めて優しく強くハーマイオニーを抱きしめた。
「大丈夫だよ。ハーマイオニー。僕は君の所に戻ってくるから」
ハーマイオニーのふわふわした髪の毛の顔を埋める。いい匂いがして少し落ち着いた。
その時、また入り口がバサリと音を立てて翻った。
ハリーとハーマイオニーは吃驚して急いで離れた。
「ハリー!よーし、よし!」
バグマンがハリーの方を振り向いて嬉しそうに言った。
「さあ、揃ったか?楽にしたまえ!ん?誰かね君は?」
「あ・あの私……し・失礼します……」
真っ赤な顔でハーマイオニーはテントから急いで出て行った。
大丈夫。そう大丈夫。ハーマイオニーの元に帰るんだ。ハリーは自分にそう言い聞かせた。
青ざめた代表選手たちの中に立っているバグマンは、なぜか大げさな漫画のキャラクターのような
姿に見えた。今日もまた昔のチーム、ワスプスのユニホームを着ていた。
「さて、もう全員集合したが。話して聞かせるときが来た!」バグマンが陽気に入った。
「観衆が集まったら、わたしから諸君一人一人にこの袋を渡し」
バグマンは紫の絹でできていた小さな袋をみんなの前で振ってみせた。
「その中から諸君はこれから直面するものの小さな模型を選び取る!
さまざまな、えー、違いがある。それから、何かもっと諸君にいう事があったな、ああ、そうだ、
諸君の課題は、金の卵を取る事だ!」
ハリーはちらりとみんなを見た。セドリックは一回うなずいてバグマンの言った事が分かった事を
示した。それから再びテントの中を行ったり来たりし始めた。少し青ざめて見えた。フラー・デラ
クールとクラムは全く反応しなかった。口を開けば吐いてしまうと思ったのだろうか。確かにハ
リーはそんな気分だった。しかし少なくとも他のみんなは自分から名乗り出たんだ。それからすぐ
何百、何千もの足音がテントのそばを通りすぎるのが聞こえた。足音の主たちは興奮して笑いざわ
めき、冗談を言い合っている。ハリーはその群れが自分とは人種が違うかのような感じました。そ
してハリーにはわずか一秒しか経ってないように感じられたが、バグマンが紫の絹の袋の口を開け
た。
「レディー・ファーストだ」バグマンはフラー・デラクールに袋を差し出した。フラーは震える手
を袋に入れ精巧なドラゴンのミニチュア模型を取り出した。ウェールズ・グリーン種だ。首のまわ
りに”2”の数字をつけている。フラがまったく驚いたそぶりもなく、かえって決然と受け入れた
様子から、ハリーはやっぱりマダム・マクシームがこれから起こる事をすでに、フラーに教えてい
たのだと分かった。クラムについても同じだった。クラムは真っ赤な中国火の玉種を引き出した。
首に”3”が付いている。クラムは瞬きひとつせずただ地面を見つめていた。セドリックが袋に手
を入れ首に”1”の札をつけた青みがかった、グレーのスウェーデン・ショート−スナウト種を取
り出した。残りが何か知ってはいたがハリーは絹の袋に手を入れた。でてきたのはハンガリー・
ホーンテール”4”の番号だった。ハリーが見下ろすとミニチュアは両翼を広げちっちゃな牙を向
いた。
「さあ、これでよし!」バグマンが言った。
「諸君はそれぞれが出会うドラゴンを引き出した。番号はドラゴンと対決する順番だ。いいかな?
さて、わたしは間もなく行かなければならん。解説者なんでね。ディゴリーくん、君が一番だ。ホ
イッスルが聞こえたら、まっすぐ囲い地に行きたまえ。いいね?
さてと、ハリー、ちょっと話があるんだな、いいかね?外で?」
「えーと、はい」ハリーは何も考えなかった。立ち上がりバグマンと一緒にテントの外に出た。バ
グマンはちょっと離れた木立へと誘い父親のような表情を浮かべてハリーを見た。
「気分はどうだね、ハリー?何かわたしにできる事はないか?」
「えっ?僕、いいえ、何も」
「作戦はあるのか?」バグマンが共犯者同士でもあるかのように声をひそめた。
「なんなら、その、少しヒントをあげてもいいんだよ。いや、何」バグマンはさらに声をひそめた。
「ハリー、君は、不利な立場にある。何かわたしが役に立てば」
「いいえ」ハリーは即座に言ったがそれではあまりに失礼に聞こえると気付きいい直した。
「いいえ、僕どうするか、もう決めています。ありがとうございます」
「ハリー、誰にもバレやしないよ」バグマンはウィンクした。
「いいえ、僕、大丈夫です」
言葉とは裏腹にハリーはどうして僕はみんなに「大丈夫だ」と言ってばかりいるんだろうと訝った。
こんなに「大丈夫じゃない」事がこれまでにあっただろうか。
「作戦は練ってあります。僕」
どこかでホイッスルがなった。
「こりゃ大変。急いで行かなきゃ」バグマンは慌てて駆け出した。ハリーはテントに戻った。セド
リックがこれまでよりも青ざめて中から出てきた。ハリーはすれ違いながら頑張ってと言いたかっ
た。しかし口をついてでてきたのは言葉にならないしわがれた音だった。ハリーはフラーとクラム
の居るテントに戻った。数秒後に大歓声が聞こえた。セドリックが囲い地に入りあの模型の生きた
本物版と向き合っているのだ。そこに座ってただ聞いているだけなのはハリーが想像したよりずっ
とひどかった。セドリックがスウェーデン・ショート−スナウトを出し抜こうと、一体何をやって
いるのかは分からないが、まるで全員の頭が一つの体に繋がっているように、観衆は一斉に悲鳴を
あげ、叫び、息をのんだ。クラムはまだ地面を見つめたままだ。今度はフラーがセドリックの足跡
をたどるようにテントの中をぐるぐる歩き回っていた。バグマンの解説がますます不安感をあおっ
た。聞いているとハリーの頭に恐ろしいイメージが浮かんで来る。
「おぉぉぅ、危なかった、危機一髪」
「これは危険な賭けに出ました。これは!」
「うまい動きです。残念、ダメか!」
そしてかれこれ十五分もたったころハリーは耳をつんざく大歓声を聞いた。間違いなくセドリック
がドラゴンを出し抜いて金の卵を取ったのだ。
「本当によくやりました!」バグマンが叫んでいる。
「さて、審査員の手数です!」
しかしバグマンは点数を大声で読み上げはしなかった。審査員が点数を掲げて観衆に見せているの
だろうとハリーは想像した。
「一人が終わって、あと三人!」ホイッスルがまた鳴りバグマンが叫んだ。
「ミス・デラクール。どうぞ!」
フラーは頭の天辺から爪先まで震えていた。ハリーは今までよりフラーに対して親しみを感じなが
ら、フラーが頭をシャンと上げ杖をしっかりつかんでテントから出ていくのを見送った。ハリーは
クラムと二人に取り残されてテントの両端で互いに目を合わせないように座っていた。同じ事が始
まった。
「おー、これはどうもよくない!」バグマンの興奮した陽気な叫び声が聞こえて来た。
「おー、危うく!さあ慎重に、ああ、なんと、今度こそやられてしまったかと思ったのですが!」
それから十分後、ハリーはまだ観衆の拍手が爆発するのを聞いた。フラーも成功したに違いない。
フラーの点数が示されている間の一瞬の静寂、また拍手、そして、三度目のホイッスル。
「そして、いよいよ登場。ミスター・クラム!」
バグマンが叫びクラムが前かがみに出ていった後ハリーは本当に一人ぼっちになった。ハリーはい
つもより自分の体を意識していた。心臓の鼓動が早くなるのを、指が恐怖にピリピリするのをハ
リーははっきり意識した。しかし同時にハリーは自分の体を出し抜いたかのように、まるで遠く離
れたところにいるかのようにテントの壁を目にし観衆の声を耳にしていた。
「なんと大胆な!」
バグマンが叫び中国火の玉種がギャーッと恐ろしい唸りを上げるのをハリーは聞いた。観衆が一斉
に息をのんだ。
「いい度胸を見せました。そして、やった。卵を取りました!」
拍手喝采が張り詰めた冬の空気をガラスを割るようにこなごなに砕いた。クラムが終わったのだ。
今にもハリーの番が来る。ハリーは立ち上がった。ぼんやりと自分の足がマシュマロでできている
かのような感じがした。ハリーは待った。そしてホイッスルが聞こえた。ハリーはテントから出た。
恐怖感が体の中でどんどん高まって来る。そして今、木立を過ぎハリーは囲い地の柵の切れ目から
中に入った。目の前の全てが全て色鮮やかな夢のように見えた。何百何千という顔がスタンドから
ハリーを見下ろしている。前にハリーがここに立った時にはなかったスタンドが魔法で作り出され
ていた。そして、ホーンテールがいた。囲い地の向こう端に一胎の卵をしっかり抱えて伏せている。
両翼を半分開き邪悪な黄色い目でハリーを睨み、鱗に覆われた黒いトカゲのような怪物は棘だらけ
の尾を地面に激しく落ち着け、堅い地面に幅一メートルもの溝を削り込んでいた。観衆は大騒ぎし
ていた。それが友好的な騒ぎかどうかなどハリーは知りもしなければ気にもしなかった。今こそや
るべき事をやるのだ。気持ちを集中させろ、全神経を完全に、たった一つの望みの綱に。ハリーは
杖を上げた。
「アクシオ、ファイアボルト!」ハリーが叫んだ。ハリーは待った。神経の一本一本が望み、祈っ
た。もし上手く行かなかった、もしファイヤボルトがこなかったら、周りの物すべてが蜃気楼のよ
うに煌めく透明な壁を通して見えるような気がした。囲い地も何百という顔もハリーの周りで奇妙
にゆらゆらしている。その時ハリーは聞いた。背後の空気を貫いて疾走して来る音を。振り返ると
ファイヤボルトが森の端からハリーのほうへビュンビュン飛んでくるのが見えた。そして囲い地に
飛び込みハリーの脇でぴったりと止まり宙に浮いたままハリーが乗るのを待った。観衆の騒音が一
段と高まった。バグマンが何か叫んでいる。しかしハリーの耳はもはや正常に働いていなかった。
聞くなんて事は重要じゃない。ハリーは片足をさっとあげて箒にまたがり地面を蹴った。そして次
の瞬間奇跡とも思える何かが起こった。飛翔したとき風が髪をなびかせたとき、ずっと下で観衆の
顔が肌色の点になり、ホーンテールが犬ほどの大きさに縮んだときハリーは気づいた。地面を離れ
ただけでなく恐怖からも離れたのだと、ハリーは自分の世界に戻ったのだ。クィディッチの試合と
同じだ。それだけなんだ。またクィディッチの試合をしているだけなんだ。ホーンテールは醜悪な
敵のチームじゃないか。ハリーは抱え込まれた卵を見おろし金の卵を見つけた。他のセメント色の
卵にまじって光を放ちドラゴンの前脚の間に安全に収まっている。
「オッケー」ハリーは自分に声をかけた。
「陽動作戦だ。行くぞ」
ハリーは急降下した。ホーンテールの首がハリーを追った。ドラゴンの次の動きを読んでいたハ
リーはそれより一瞬早く上昇に転じた。そのまま突き進んでいたなら直撃されていたに違いない場
所めがけて火炎が噴射された。しかしハリーは気にもしなかった。ブラッジャーを避けるのと同じ
だ。
「いやぁ、タマゲタ。何たる飛びっぷりだ!」バグマンが叫んだ。観衆は声を絞り息をのんだ。
「クラムくん、見てるかね?」
ハリーは高く舞い上がり弧を描いた。ホーンテールはまだハリーの動きを追っている。長い首を伸
ばしその上で頭がぐるぐる回っている。このまま続ければうまい具合に目を回すかもしれない。し
かしあんまり長く続けない方がいい。さもないとホーンテールがまた火を吐くかもしれない。ハ
リーはホーンテールが口を開けた途端に急降下した。しかし今度はいま一つツキがなかった。炎は
交わしたが代わりに尻尾が鞭のように跳んで来てハリーを狙った。ハリーが左にそれて尾をかわし
たとき長い棘が一本ハリーの肩をかすめローブを引き裂いた。ハリーは傷がズキズキするのを感じ
観衆が叫んだりうめいたりするのを聞いた。しかし傷はそれほど深くなさそうだ。今度はホーン
テールの背後に回りこんだ。その時これなら可能性があると有る事を思いついた。ホーンテールは
飛び立とうとはしなかった。卵を守る気持ちの方が強かったのだ。身を捩り翼を閉じたり広げたり
しながら恐ろしいげな黄色目でハリーを見張り付けていたが、卵からあまり遠くに離れるのが心配
なのだ。しかし何とかしてホーンテールが離れるようにしなければハリーは絶対に卵に近づけない。
慎重に徐々にやるのがコツだ。ハリーはあちらへヒラリ、こちらへヒラリ、ホーンテールがハリー
を追い払おうとして、炎を吐いたりする事がないように一定の距離を取り、しかもハリーから目を
そらさないように十分に脅しをかける近さを保って飛んだ。ホーンテールは首をあちらへユラリ、
こちらへユラリと、縦長に切り込んだ瞳でハリーを睨み牙を剥いた。ハリーはより高く飛んだ。
ホーンテールの首がハリーを追って伸びた。今や延ばせるだけ伸ばし首をゆらゆらさせている。蛇
遣いの前の蛇のように。ハリーはさらに一メートルほど高度をあげた。ホーンテールはイライラと
唸り声をあげた。ホーンテールにとってハリーはハエのようなものだ。バシッと叩き落としたいハ
エだ。尻尾がまたバシリと鞭のように動いたがハリーは今や届かない高みにいる。ホーンテールは
炎を吹き上げた。ハリーはかわした。ホーンテールのアゴがカッと開いた。
「さあ来い」
ハリーは歯を食いしばった。焦らすようにホーンテールの頭上をくねって飛んだ。
「ほーら、ほら、捕まえてみろ。立ち上がれ。そら」
その時ホーンテールが後足で立った。ついに広げ切った巨大な黒なめし皮のような両翼は小型飛行
機ほどもある。ハリーは急降下した。ドラゴンがハリーがいったい何をしたのかどこに消えたのか
に気付く前にハリーは全速力で突っ込んだ。鉤爪のある前脚が離れ無防備になった卵めがけて一直
線にファイヤボルトから両手を離した。ハリーは金の卵をつかんだ。猛烈なスパートをかけハリー
はその場を離れた。スタンドのはるか上空でずっしりと重たい卵を、怪我しなかった方の腕にしっ
かり抱えハリーは空高く舞い上がった。まるで誰かがボリュームを元に戻したかのように始めてハ
リーは大観衆の騒音を確かにとらえた。観衆が声を限りに叫び拍手喝采している。ワールドカップ
のアイルランドのサポーターのように。
「やった!」バグマンが叫んでいる。
「やりました!最年少の代表選手が、最短時間で卵を取りました。これでポッターくんの優勝の確
立が高くなるでしょう!」
ドラゴン遣いがホーンテールを鎮めるのに急いで駆けよるのが見えた。そして囲い地の入り口に急
ぎ足でハリーを迎えに来るマクゴナガル先生、ムーディ先生、ハグリッドの姿が見えた。みんなハ
リーに向かってこっち来いと手招きしている。遠くからでもはっきりとみんなの笑顔が見えた。鼓
膜が痛いほどの大歓声の中ハリーはスタンドへと飛び戻り鮮やかに着地した。何週間ぶりかの爽快
さ、最初の課題をクリアした。僕は生き残った!
「すばらしかったです。ポッター!」
ファイヤボルトを降りたハリーにマクゴナガル先生が叫んだ。マクゴナガル先生としては最高の褒
め言葉だ。ハリーの肩を指さしたマクゴナガル先生の手が震えているのにハリーは気がついた。
「審査員が点数を発表する前に、マダム・ポンフリーに見てもらう必要があります。さあ、あちら
へ。もうディゴリーも手当てを受けています。
「やっつけたな、ハリー!」ハグリッドの声がかすれて言った。
「お前はやっつけだんだ!しかも、あのホーンテールを相手にだぞ。チャーリーが行ったろうが。
あいつが一番ひどい」
「ありがとう。ハグリッド」ハリーは声を張り上げた。ハグリッドがハリーに前もってドラゴンを
見せたなどうっかりバラさない様にだ。ムーディ先生もとても嬉しそうだった。魔法の目が眼窩の
中で踊っていた。
「簡単でうまい作戦だ。ポッター」うなるようにムーディが言った。
「よろしい。それではポッター、救急テントに、早く」マクゴナガル先生が言った。まだハアハア
息を弾ませながら囲い地からでたハリーは、二番目のテントの入り口で心配そうに立っているマダ
ム・ポンフリーの姿を見た。
「ドラゴンなんて!」
ハリーをテントに引き入れながらマダム・ポンフリーが苦りきったように言った。テントは小部屋
に分かれていてキャンパス地を通してセドリックだとわかる影が見えた。セドリックの怪我はたい
した事なさそうだった。少なくとも上半身を起こしていた。マダム・ポンフリーはハリーの方を診
察しながら怒ったようにしゃべり続けた。
「去年はディメンター、今年はドラゴン、次は何を学校に持ち込む事やら?あなたは運がよかった
わ、傷は浅い方です。でも、直す前に消毒が必要だわ」
マダム・ポンフリーは傷口を何やら紫色の液体で消毒した。煙が出てピリピリ滲みた。マダム・ポ
ンフリーが杖でハリーの肩を軽く叩くとハリーは傷がたちまち癒えるのを感じた。
「さあ、しばらくじっと座ってなさい。お座りなさい!その後で点数を見に行ってよろしい」
マダム・ポンフリーは慌しくテントを出ていったが隣の部屋に入って話をするのが聞こえてきた。
「気分はどう?ディゴリー?」
ハリーはじっと座っていたくなかった。まだアドレナリンではち切れそうだった。立ち上がり外で
何が起こっているのか見ようとしたが、テントの出口に辿り着かないうちに誰か二人が飛び込んで
きた。ハーマイオニーとその後ろにロンだった。
「ハリー、あなた、すばらしかったわ!」
ハーマイオニーがうわずった声で言った。顔に爪のあとがついている。恐怖でずっと爪を立ててい
たのだろう。なんだか心が癒された。ハーマイオニーをこの場で抱きしめたかった。
「あなたって、すごいわ!あなたって、本当に!」
しかしハリーはロンを見ていた。真っ青な顔でまるで幽霊のようにハリーを見つめている。
「ハリー」ロンが深刻な口調で言った。
「君の名前を杯に入れた奴が誰だったにしろ、僕、僕、奴らが君を殺そうとしているんだと思う」
この数週間が溶け去ったかのようだった。まるでハリーが代表選手になったその直後にロンに会っ
ているような気がした。
「今更気がついたってわけかい?」ハリーは冷たく言った。
「ずいぶん長い事かかったな」
「僕だけじゃない」
俯きながらロンは周りを見回した。
「皆、君を疑っていた」
「そうだろうな。ハーマイオニー以外は」
ハーマイオニーが心配そうに二人の間に立って二人の顔を交互に見ていた。ロンがあいまいに口を
開きかけた。ハリーにはロンが謝ろうとしているのはわかった。突然ハリーはそんな言葉を聞く必
要がないのだと気づいた。
「いいんだ」ロンが何も言わないうちにハリーが言った。
「気にするな」
「いや」ロンが言った。「僕、もっと早く」
「気にするなって」ハリーが言った。ロンがおずおずとハリーに笑いかけた。ハリーも笑い返した。
ハーマイオニーがハリーに抱き着いてワッと泣き出した。
「なにも泣く事は無いじゃないか!」ハリーはおろおろした。
「二人とも、本当に大馬鹿なんだから!」
ハリーを放した後、ハーマイオニーは地団駄を踏みながらボロボロ涙を流し叫ぶように言った。そ
れから二人が止める間もなくハーマイオニーは二人を抱きしめ、今度はワンワン泣き声をあげて走
り去ってしまった。
「狂ってるよな」ロンがやれやれと頭を振った。
でもハリーは今心から笑える。ハーマイオニーがずっと傍にいてくれてロンも戻ってきた。
「ハリー、行こう。君の点数が出るはずだ」
金の卵とファイヤボルトを持ち、一時間前には到底考えられなかったほど意気揚々とした気分でハ
リーはテントをくぐり外に出た。ロンがすぐ横で早口にまくしたてた。
「君が最高だったさ。誰にもかなわない。セドリックはヘンテコな事をやったんだ。グランドに
あった岩を変身させた、犬に。ドラゴンが自分の代わりに犬を追いかけるようにしようとした。
うーん、変身としてはなかなかカッコよかったしうまくいったともいえるな。だってセドリックは
卵を取ったからね。でも火傷しちゃった。ドラゴンが途中で気が変わって、ラブラドールよりセド
リックの方を捕まえようって思ったんだな。セドリックは辛うじて逃れたけど。それから、あのフ
ラーって子は、魅惑呪文みたいなのをかけた。恍惚状態にしようとしたんだろうな。うん、それも
まあ、うまくいった。ドラゴンがすっかり眠くなって。だけど鼾をかいたら、鼻から炎が噴き出し
て、スカートに火がついてさ、フラーはそれから水を出して消したんだ。それから、クラム、君、
信じられないと思うよ。クラムたっら、飛ぶ事を考えもしなかった!だけど、クラムが君の次によ
かったかもしれない。何だか知らないけれど呪文をかけて、目を直撃したんだ。ただ、ドラゴンが
苦しんでのたうちまわったんで、本物の卵の半分は潰れしまった。審査員はそれで減点したんだ。
卵にダメージを与えちゃいけなかったんだよ」
二人が囲い地の端まで来たときロンはやっと息をついた。ホーンテールはもう連れ去られでいたの
でハリーは五人の審査員が座っているのを見る事ができた。囲い地の向こう正面に設けられた金色
のドレープがかかった一段と高い席に座っている。
「十点満点で各審査員が採点するんだ」ロンが言った。ハリーが目を凝らしてグランドの向こうを
見ると、最初の審査員マダム・マクシームが杖に中央あげていた。長い銀色のリボンのようなもの
が成績から噴き出し捩れて大きな八の字を書いた。
「よし、悪くないぞ」ロンが言った。観衆が拍手している。
「君の肩の事で減点したんだと思うな」
クラウチ氏の番だ”九”の数字を高くあげた。
「行けるぞ!」
ハリーの背中をバシンと叩いてロンが叫んだ。次はダンブルドアだ。やはり”九”をあげた。観衆
がいっそう大きく歓声をあげた。ルート・バグマン、十点。
「十点?」ハリーは信じられない気持ちだった。
「だって、僕、怪我したし、何の冗談だろう?」
「文句言うなよ、ハリー」ロンが興奮して叫んだ。そして、今度はカルカロフが杖をあげた。一瞬
間を置いてやがてそれから数字が飛び出した。”四”
「何だって?」ロンが怒ってわめいた。
「四点?卑怯者、えこひいきのクソッタレ。クラムには十点やったくせに!」
ハリーは気にしなかった。たとえカルカロフが0点しかくれなくても気にしなかったろう。ロンが
ハリーの代わりに憤慨してくれた事の方がハリーにとっては百点の価値があった。もちろんハリー
はロンにそうは言わなかったが、囲い地を去るときのハリーの気分は前よりも軽やかだった。それ
にロンだけではなかった。観衆の声援もグリフィンドールからだけではなかった。その場に臨んで
ハリーが立ち向かったものが何なのかを見たとき、全校生徒の大部分がセドリックばかりでなくハ
リーの味方にもなった。スリザリンなんかどうでもよかった。ハリーはもうスリザリン生になんと
言われようと我慢できる。
「ハリー、同点で一位だ!君とクラムだ!」
学校に戻りかけたときチャーリー・ウィーズリーが急いでやってきて言った。
「おい、僕、急いで行かなくちゃ。行って、ママにフクロウを送るんだ。結果を知らせるって約束
したからな。しかし、信じられないよ!そうだ君に伝えてくれって言われたんだけど、もうちょっ
と残っていてくれってさ。バグマンが代表選手のテントで、話があるんだそうだ」
ロンが待っていると言ったのでハリーは再びテントに入った。テントが今は全く違ったものに見え
た。親しみがこもり歓迎しているようだ。ハリーはホーンテールをかいくぐったときの気持ちを思
い浮べ、対決に出て行くまでの長い待ち時間の気持ちと比べてみた。比べるまでもない。待ってい
た時の方が計り知れないほどひどい気持ちだった。フラー、セドリック、クラムが一緒に入ってき
た。セドリックは顔の半分をオレンジ色の軟膏がベッタリと覆っていた。それが火傷を直している
のだろう。セドリックはハリーを見てにっこりした。
「よくやったな、ハリー」
「君も」ハリーもにっこり笑い返した。
「全員、よくやった!」
ルード・バグマンが弾む足取りでテントに入ってきた。まるで自分がたったいまドラゴンを出し抜
いたかのように嬉しそうだ。
「さて、手短に話そう。第二の課題まで、十分に長い休みがある。第二の課題は、二月二十四日の
午前九時半に開始される。しかし、それまでの間、諸君に考える材料を与える!諸君が持っている
金の卵を見てもらうと、開くようになっているのも分かると思う。蝶番が見えるかな?その卵の中
にあるヒントがあるんだ。それが第二の課題が何かを教えてくれるし、諸君に準備ができるように
してくれる!わかったかな?大丈夫か?では、解散!」
ハリーはテントを出てロンと一緒に禁じられた森の端に沿って帰り道を辿った。二人は夢中で話し
た。ハリーは他の選手がどうやったかもっと詳しく聞きたかった。ハリーが木陰に隠れて最初にド
ラゴンの吠えるのを聞いたその木立を回りこんだとき、木陰から魔女が一人飛び出した。リータ・
スキーターだった。派手な黄緑色のローブを着て手に持った自動速記羽根ペンがローブの色に完全
に隠されていた。
「おめでとう、ハリー!」リータはハリーに向かってにっこりした。
「一言いただけないかな?ドラゴンに向かった時の感想は?
点数の公平性について、今現在、どういう気持ち?」
「ああ、一言あげるよ」ハリーは邪険に言った。
「バイバイ」
そしてハリーはロンと連れ立って城への道を歩いた。

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