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左近治の囈(たはごと)
⾳楽の誤謬を正し度いですね。お問い合わせはTwitter:@sakonosamuまで

sakonosamu さん ⽇野皓正の名曲に学ぶ|Dave Lloyd Stewart を.. ブログトップ

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ジャズに⾒られるダブル・クロマティック [楽理]
記事 1344
テーマ ⾳楽
プロフィール 華々しい半⾳階
ブログを紹介する
ジャズというのは重畳しいハーモニーとインプロヴィゼーションが醍醐味でありますが、単
にダイアトニック・ノートをインプロヴァイズするだけでは卑近なアプローチに過ぎず、半⾳
階の⾳脈を駆使したノン・ダイアトニックの⾳を使う事でジャズの真価を発揮する物です。

連続する半⾳⾳程

とはいえ全⾳階(=ダイアトニック・ノート)に対して半⾳上下に隣接する⾳だけを掻い摘
んでダイアトニック・ノートに先⾏して装飾的に選択するだけならば、13度の和⾳を仮想的に
⼟⽊施⼯管理 積み上げた時に於ける上接&下接刺繍⾳という和⾳外⾳を伴わせているだけに過ぎません。無
給与:経験・… 論、⼆重の上接&下接刺繍⾳を全⾳階に附す、という⽤法はジャズ界隈のみならず⻄洋⾳楽界
検索する 隈でも存在する事でもあります。Key=Cに於てF△7コード上にて [d - des - c] とフレーズを
充てたならば、[d - des] は⼆重の上接刺繍⾳となる訳であります。

ジャズというのは刺繍⾳だけで構築されている訳ではありません。とはいえ半⾳階的な「唄
⼼」を具備する為には和⾳外⾳に於ける刺繍⾳の取扱いは、それだけでも⾮常に学ぶべき価値
がある物です。然し乍ら、ジャズ界隈を学ぶに当り斯うした和⾳外⾳、特に刺繍⾳という側⾯
で教える所など、まず皆無に等しい事でありましょう(笑)。
電気施⼯管理、設備施⼯管…
給与:経験・…
検索する
ジャズに於ける「ダブル・クロマティック」という呼称は、少々誤解を⽣み易い所があるの
であらためて語っておこうと思いますが、広くは半⾳⾳程が複数連続するならばそれらを「ダ
ブル・クロマティック」と呼ぶ事は出来るものの実際にはジャズに於ける「ダブル・クロマテ
ィック」というのは単純にそういう事象のみを指すのではありません。

半⾳⾳程が連続するだけで良いのならば、Key=CにおけるC△7コード上にて [d - des -c]


とやれば確かに半⾳⾳程は経過⾳という和⾳外⾳として連続的に存在する事になりますが、こ
れら3⾳が半⾳⾳程の連続としてフレージング中に存在する事ばかりがダブル・クロマティック
東京都/建築施⼯管理・⼯事…
給与:経験・…
という物ではないのです。とはいえ能々考えてみると、ハ⻑調に於けるトニック・メジャー上
検索する にて D - D♭ - C⾳と連結させるのはある程度の勇気が必要となって来る事でありましょう。
単なる半⾳の経過⾳として羅列させるだけでありますがメジャー7thを附与しているコードであ
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るにも拘らず、この下⾏形のダブル・クロマティックはC⾳をやたらと重し付けしてしまう線の
sakonosamu さんの記事を
運びとなってしまうのであります。それならばロ⾳であるh⾳(英名:B⾳)まで進めた⽅が綺
nice!と思った⼈ (全0⼈) 麗ではないのか!? という道筋を選択する⽅が、よりジャズっぽい線の運びと為す訳です。
このダブル・クロマティックが更に延⻑されればトリプル・クロマティックとでも呼ぶの
か!? と思われる⼈もいるかもしれませんが、その辺りを縷述する事に加えて、ダブル・ク
カレンダー ロマティックが更に歩を進めて延伸する様⼦がどういう構造であるのかという事も同時に述べ
て⾏くのが今回の主眼とする所であります。
<< 2020年08⽉ >>
⽇ ⽉ ⽕ ⽔ ⽊ ⾦ ⼟
1

2 3 4 5 6 7 8 チャーチ・モード(=教会旋法)に於て半⾳⾳程が連続して構築されるモードはありませ
9 10 11 12 13 14 15 ん。チャーチ・モードを想起し乍ら半⾳⾳程が連続する様に変位している場合は、基の⾳組織

16 17 18 19 20 21 22
に対して半⾳階の経過⾳が⽣じているという状況になる事でしょう。

23 24 25 26 27 28 29
他⽅、通常我々が想起し得るアヴェイラブル・モードに於て半⾳⾳程を連続させるという事
30 31
を前提に⾮チャーチ・モードとなる⾳列に依って半⾳⾳程が連続して構築される状況に於いて
も、先と同様に、それは和⾳外⾳を挿⼊するという状況にもなります。その際、多くの場合は
「経過⾳」である事でしょう。また、あるモチーフを反復させている様な状況でアヴェイラブ
⽉別表⽰
ル・ノートと和⾳外⾳を⾏き来している様な時というのは「刺繍⾳」である可能性もありま
2020年07⽉(2) す。⻄洋⾳楽に於ける対位法では同度由来の上下の刺繍⾳を忌避する事もあります。とはいえ
2020年06⽉(3) ジャズに於て和⾳外⾳が経過⾳であるか刺繍⾳であるかという事は特に注意すべき事ではない
2020年03⽉(2) のでありますが、それは、コード表記と想起し得るアヴェイラブル・モードという両者の確⽴
2020年02⽉(1) が為されているからであります。とはいえ、これらの刺繍⾳からも埒外となる⾳(概ね経過
2020年01⽉(1) ⾳)というのはジャズに於ても「多発」する物であるので、和⾳外⾳の取扱いを知っていても
2019年12⽉(2) その知識が混乱を来す事は無いので覚えておいて損はない事でしょう。
2019年11⽉(1)
2019年10⽉(4)

2019年09⽉(9) トライコルドの連結
2019年08⽉(4)

2019年07⽉(2) 扨て、それらの半⾳⾳程が連続して形成する3⾳は「トライコルド」とも呼ばれます。トライ
2019年06⽉(1) コルドを広汎に扱うならば単にペンタトニックからの3⾳の抜粋や、全⾳⾳程よりも遥かに広い
2019年04⽉(1) ⾳程を⽣じた3⾳列でもトライコルドと呼びますが、今回の様な半⾳⾳程の連続で成⽴している
2019年03⽉(7) 3⾳列のトライコルドというのは少々趣きが異なる類の⾳列でありまして、その3⾳列というの
2019年02⽉(2) は状況に依っては短⼆度⾳程ばかりでなく増⼀度の事もあり得る事です。それはある特定の⾳
2019年01⽉(3) 組織(=モード)そのものからの拔萃ではなく、⾳組織の⼀部が臨時的変化を起こした事で介
2018年12⽉(1) 在する事となる《3⾳列》として⽣じている事を本記事では「トライコルド」という⾵に位置づ
2018年11⽉(2) けておりますのでご注意下さい。ハンガリアン・マイナー・スケールの第4〜6⾳のトライコル
2018年10⽉(1) ドは、それその物が半⾳⾳程を連続しているトライコルドの拔萃でありますが、今回語る半⾳
2018年09⽉(2) ⾳程が連続する「トライコルド」というのは出来合いの⾳組織からの拔萃ではなく臨時的変化
⾳を介在する3⾳列を意味する事なので、こうした側⾯を念頭に置いて読んでいただきたいと思
います。
最新記事⼀覧

京急ドレミファ・インバーターの採譜

坂本⿓⼀&ザ・カクトウギ・セッシ 例えばKey=Cに於ける「G7(♯9、♯11)」コード上にて [es - d - cis] というフレーズが


ョ.. 発⽣した場合、これらのトライコルドはG7から⾒た本位六度(=⻑⼗三度の単⾳程への転回)
スティーリー・ダン「Your Go.. は「E⾳」であるので、[es] は増⼀度下⽅にある⾳となり、esの短⼆度下⽅が [d] という⾵に
Polish Radio Expe.. なります。同様に、[es] から⾒た [cis] は減三度という事になります。
THE BEATO BOOK4.0..
ギター・スコアに於けるレット・リ トライコルドが3⾳列を⽰す物である以上、この3⾳列⾳組織が更に半⾳進⾏を連続させた場
ン..
合にはダブル・クロマティックから更に1つ半⾳⾳程を重ねる状況と成り、よもやそれは「トリ
MODO BASSを⽤いてマーカス..
プル・クロマティック」とでも呼ぶに等しい事でありましょうがジャズでは通常それをトリプ
ドリアン・スケールの第4⾳を半⾳
上.. ル・クロマティックとは呼びません。「ダブル・クロマティック」という呼称の侭で済ませる
承服しかねる「分数aug」という表.. のが通例です。それはどういう事なのか!? と⾔うと、トライコルドとして半⾳⾳程が連続
メジャー7th sus4コードを考.. を形成している組織が、もう⼀つの [=alternate] のトライコルド組織にまで波及した半⾳⾳
「♭Ⅱ度」=ナポリタン(Neapo.. 程の連続を「ダブル・クロマティック」と呼ぶのであります。
楽典と⾳楽理論の違いとは!? ス
テ.. つまり、[es - d - des] [c - h - b] という2組のトライコルドがあったとして、先⾏のトラ
クロスオーバー界隈に⾒る複調考察 イコルドから形成される半⾳の連続が〈少なくとも〉後続のトライコルドの「C⾳」まで半⾳⾳
初期Casiopeaを代表する1曲.. 程が連続する状況、つまり2組⽬のトライコルドに波及している半⾳⾳程のトライコルド同⼠の
キングパワー (4:最終解決) 連結をダブル・クロマティックと呼ぶのであります。
『シェーンベルク⾳楽論選 様式と思..

坂本⿓⼀『B-2 UNIT』収録の.. 因みに、2組⽬のトライコルドが [c - b - a] であったとしても、先⾏するトライコルド [es


鉄道マニヤに捧ぐ ⾸都圏主要鉄道会.. - d - des] から連続して「C⾳」に波及すれば、それもダブル・クロマティックであるので
コジュケイの鳴き声を採譜 す。2組⽬のトライコルドは3⾳全てが半⾳⾳程ではないトライコルド組織ではないにしても、
ジェフ・ベックの「El Becko.. こうした状況でも2組のトライコルドを介在する半⾳⾳程の連続である以上、ダブル・クロマテ
ィックなのであります。

マイカテゴリー

Techno(3) では、ジャズに於てはどうしてこうした半⾳⾳程の連続が⽣じて、それをダブル・クロマテ
クロスオーバー(64) ィックと称する様になっているのか!? という事を詳らかに説明する所など実際には殆ど無
回想⽇記(32) い事でしょう。楽理的な細かな部分はそれほど拘泥していないのがジャズ界隈の共通認識かも
サウンド解析(47) しれません。但し、ガンサー・シューラー、ウィンスロップ・サージェント、エドワード・リ
ベース(45) ー等の⾒解に準えるならば、ダブル・クロマティックが⽣ずる事がどういう事なのか!? と
DAW(28) いう事を深く理解する事ができますし、ダブル・クロマティックという呼称が近い将来、もっ
プログレ(67) と熟慮された呼称としてこれから呼び名を変える可能性もあるかもしれません。とはいえ学び
ドラム(36) ⼿が学ぶべきはそうした呼称に逐⼀拘泥する事よりも、その発⽣原因の側⾯である筈で、ダブ
YMO関連(26) ル・クロマティックという呼称は何も、単に半⾳⾳程の連続は何も特別な恣意的操作で⽣まれ
制作裏舞台(58) た物ではなく、ジャズの興りとしてごく⾃然に誕⽣していた事を先ず学び取らねばなりませ
ネタバレ(42) ん。その辺りを詳述する事にしましょう。
MONDO(14)
リリース発表(30)

楽理(502) 平⾏オルガヌムの発展
スティーリー・ダン(94)

おバカ(8) 結論から⾔えば、ジャズに於ける「ダブル・クロマティック」が⽣じた背景には、平⾏オル
Apple(20) ガヌムおよび部分転調となる六度転調(六度進⾏)が齎した物と⾔えるでしょう。その中でも
たわごと♪(61) 「平⾏オルガヌム」が意味する物として、今回は平⾏四度オルガヌムを述べる事にしましょ
クダ巻き(59) う。
⾶び道具(20)

AOR(9)
Football(4) 広い意味でオルガヌムというものはありとあらゆる線運びに於て厳格にその⾳程を主旋律に
テレビ関連(14) 対して固守する物でもないのでありますが、⾮機能和声体系に於ける平⾏オルガヌムという物
アルバム紹介(27) は⻄洋⾳楽の旧い時代における声楽からジャズの始原に於ても、⾳程を固守する事でその独特
散歩(12) の世界観を強めています。⻄洋⾳楽の旧来の平⾏オルガヌムで顕著なのは、平⾏三度オルガヌ
空⽿(2) ムとして発展していた英国のジメルやフランスのフォーブルドンを挙げる事ができますが、こ
書評(19) うした平⾏オルガヌムに於て⾳程を固守すれば、調性という側⾯から照らし合わせると「複
調」が⽣じているのが如実に判ります。例えば、Cメジャー・スケールに対してEメジャー・ス
ケールを歌わせれば(平⾏三度オルガヌム)それが顕著に複調であるという事は、調性を理解
sakonosamu さんがnice!と
思った記事 するが故に理解できる特殊な状況である事に疑いの余地はありません。

現今社会に則した例として、あるシンセサイザーの⾳に対して常に完全四度のハーモニーを
sakonosamu さんがコメント 形成するリード⾳を奏したとしましょう。これは平⾏四度オルガヌムと同様の状況であるとい
した記事 う訳です。ギターでもピッチ・トランスポーザーなどで完全四度を常に平⾏してハーモニーを
形成するエフェクトを通して原⾳とミックスさせればそうした平⾏四度のハーモニーを得られ
ますし、90125イエスの超ビッグヒット曲トレヴァー・ホーンのプロデュース「ロンリー・ハ
最近のコメント ート」でのトレヴァー・ラビンのギター・ソロ(YouTube 2:32〜)がまさに平⾏四度の状況
であります。

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こうした状況は、実はジャズに於てもジャズの発展に於てジャズはその想起しうるコードや
アヴェイラブル・ノートから跳越したカウンター・ノートを繰り広げる事も屡々起こり得た事
であります。そのカウンター・ノートは偶発的な物ではなく、概して⻄洋⾳楽での「変応」と
同様の⾳脈を⽤いた物であったりするのも是亦事実なのです。

ジャズをなんとなく漠然的に捉えて通り⼀遍の理論程度しか知らない⼈の⾳楽観とは概ね、
和⾳構成⾳に準則し、和⾳構成⾳がヘプタトニックまでを⽰唆しない状況下であるのならば使
⽤者は和⾳構成⾳を充たす近似的な⾳組織をアヴェイラブル・ノートとして想起し、そのアヴ
ェイラブル・ノートに準則した演奏を⼼掛けて、次いで想起したそれらのコードの構成⾳やモ
ードから逸脱しない様に奏する事でありましょう。その呪縛から最も解放され易い状況がドミ
ナント7thコード上にてオルタード・テンションをまぶす事でありましょう。それならばなぜ、
ドミナント7thコード以外の副次和⾳上にてオルタード・テンションに準ずる⾳を⽤いて遊ぶ事
の出来る者が極端に少なくなるのか!? その理由は実に簡単で、彼等は単にその⽅策を知ら
ないからです。感覚と知識の埒外の⾳であるからです。

扨て、ハ⻑調の⾳組織を⽤いて「平⾏四度オルガヌム」の例を形成してみましょう。主旋律
に対して完全四度を固守する様に形成すれば良いのですから、茲では下⽅に完全四度を固守す
る様に下声部を次の譜例の様に形成する事にしましょう。上声部は原調でありこれを⿊⾊で⽰
し、下声部は完全四度⾳程を平⾏で保つ平⾏四度オルガヌムである為、⾳組織としては属調と
なる⾳脈を⽤いる事になります。「変応」とはフーガに於て⽤いられる⽤語でありますが、茲
でも同様に、「変化」を強いられる特定の⾳を「変応」と呼んでおります。

細かく分類するならばフーガに於て属調の⾳組織として応答する事を「正応」とも呼ぶ事が
あります。同様に応答する声部が下属調の⾳組織として現われる際それを「変応」と呼ぶ事も
あり、これまで述べている「変応」は⼀体どちらを指すのか!? と⼾惑う⽅も居られるかも
しれませんが、フーガに於て旧来からの国内の呼称は、原調から変じて応答するそれその物を
総合的に「変応」と呼んでいた事が昔ながらの呼び⽅ですので混同せぬようお願いします。

対位法のヒント

扨て話を本題に戻しますが、原調の⾳組織を⽤いている上声部がハ⻑調の⾳組織を順次進⾏
して⾏く訳ですから、この旋律に嬰変の変化が⽣ずる事はありません(全⾳階=ダイアトニッ
ク)。

変応に依る新たな⾳の創出というのは⾳楽的な⾊彩感として彩りを更に増すのであります
が、平⾏オルガヌムではなく普通に全⾳階的に「3度」のハーモニーを形成するとしましょう。
下声部「ドレミファソラシド」という旋律に対して並進⾏にて上声部「ミファソラシドレミ」
と形成する事にしてみましょう。
⼆声部ともに前半の4⾳と後半の4⾳が異なる和⾳に属する旋律だと仮定しましょう。そする
と下声部が「ファ」を歌う時上声部は「ラ」を歌っている訳ですから夫々が上⾏の並進⾏で進
めると後続⾳部分で厄介な事が起きます。なぜなら下声部が「ソ」を歌うと⾃ずと上声部は
「シ」を歌わざるを得ない状況となってしまい、先⾏する下声部と後続の上声部で三全⾳を⽣
んでしまいます(トリトヌス対斜)。三度/六度のハーモニー形成を前提としておらずとも対
位法では順次進⾏の⾳度を制限をかけます。また、通常先の様な対斜を⽣じない様にして順次
進⾏を進めて⾳度を制限するのであります。あくまで「ドレミファソラシ」という⾵に七度ま
で⼀気に進めるという事をせずに、という事です。

この譜例にて仮にテンポが⾮常に遅い場合(⼀般的なテンポに伴う拍節感の時価を想起して
しまわない為に、この譜例では拍⼦記号を敢えて与えておりません)、両声部の3度⾳程が形成
する2拍⽬弱勢の「ラ・ファ」は機能的に「Ⅳ」になる事も考えられます。和⾳機能がこのよう
に変化して「Ⅳ→Ⅴ」を形成してしまう際にも対斜が⽣じてしまう場合、それを回避する為に
は旋律線を変える必要性が⽣じます。その際、ファは⾳価を短くとり他の⾳度を介在する必要
性が⽣じてくる事も考えられるのです。また、トリトヌス対斜を回避すべしとされるシーン
は、和⾳機能が疏外される様なシーンであります。例えばⅤ→Ⅳ(Ⅵ)という偽終⽌(ディセ
プティヴ・ケーデンス)時の対斜という物がありますが、これは機能和声たる調性感を遵守す
る技法ゆえの⽅策のひとつであります。他にも対斜は、減⼋度や増⼋度という様な⾳程跳躍で
も⽣ずる物ですが、現今社会、特にヒンデミット以降の異なる⾳楽の位相へのアイデアやバル
トーク以降の同位和⾳の併存など、ジャズ出現以降のこうした減⼋度や増⼋度という物は対斜
そのものが特異な和声感を形成しているとも考えられる為、「対斜」とはジャズに於てどうい
う物なのか!? という事をあらためて念頭に置いていただきたいのであります。無論、私が
今回述べようとするのは、機能和声の範疇で和声を紹介する事ではなく、寧ろその逆を⾏く物
なので敢えてこの様に冒頭部分で機能和声との差異を明確にする為に例⽰している事もあらた
めて念頭に置いて欲しい側⾯であります。

ですが、今回はジャズを視野に⼊れた上でフーガに於ける変応をヒントにしているだけなの
で、ジャズに於けるインプロヴァイズの線の運びを制限させるなど微塵も思っていないので、
こうした⻄洋⾳楽の⼤系を紋切り型でジャズの側で受け⽌める必要はないので、その辺りは頭
でっかちにならぬ様お願いしたい所です。

先の譜例からもお判りの様に、下声部が4拍⽬に於て「嬰ヘ(=F♯)」⾳へ変化させられてい
る事が変応を⽰すという事をあらためて念を押しておきますが、この平⾏四度オルガヌムが⽰
しているのは上声部がハ⻑調の調域を固守しつつ両声部を総合的に俯瞰した時には「平⾏四度
を固守」する事を主眼とする為、下声部もハ⻑調の⾳組織を歌い上げる事よりも「変応」とし
て変じられる事を強要される⾳がごく⾃然に⽣ずる事となります。こうなると上声部と下声部
との両者をあらためて俯瞰した時には結果的にハ⻑調/ト⻑調という複調の状態であるとも呼
べる訳です。

こうした「変応」は変化させられる応答という意味から⽣じており、更に細かく分類する処
に依れば、属調の調域を利⽤するのを「正応」、下属調の⾳組織を利⽤するものを「変応」と
いう⾵にしている例もありますが、私は総じて斯様な状況を「変応」と総称しております。

茲でジャズの始原的な側⾯を語る事にしますが、ジャズという物も元々は、主旋律に対して
平⾏五度/四度オルガヌムを夫々強⾏した事に依って「ブルーノート」の出現として本位⾳度
を低く採る様にして⽣じている物なのであります。これについては法政⼤学出版局刊ガンサ
ー・シューラー著『初期のジャズ』に詳しいですが、ジャズという物も平⾏オルガヌムが⾼じ
て発展して来たという背景がある訳です。

ガンサー・シューラーのジャズ論究の貢献のひとつに、ウィンスロップ・サージェントが論
述しなかった「ブルー5度」が⽣じた論考を挙げる事ができるでしょう。

ブルー3度・7度の2⾳が⼿っ取り早く⽣ずる為には平⾏五度オルガヌムを⽣ずる必要があり
ます。この「⼿っ取り早く」というのは私が説明を端折る狙いがあっての事ではありません。
上声部冒頭4⾳に依る「テトラコルドⅠ」に従属する平⾏五度オルガヌムに依って「変応」が⽣
じた「変ロ⾳」を上声部が素早く採り込み、それを「テトラコルドⅡ」にて上声部が「変ロ
⾳」を⽤いる訳です。

この場合、上声部は徹頭徹尾ハ⻑調の⾳組織を固守したのではなく、テトラコルドが他の調
へと変換した事を意味しており、実際には局所的な移旋=モード・チェンジを⽣んでいる訳で
す。

そうして上声部の「テトラコルドⅡ」に従属する下声部の完全五度平⾏オルガヌムの声部
は、完全五度⾳程を固守し乍ら上声部の「変ロ⾳」の時に⾃ずと「変イ⾳」を⽣じて、それら
の2つの両声部を俯瞰した時にブルー3度とブルー7度に相当する半⾳変位オルタレーションが
⽣じたとする訳です。

この様に上声部に対して下⽅に完全五度⾳程を平⾏させて《ファ - シ♭》を⽣みつつ、上声
部は下声部が⽣じた変応を更に唄い上げ《シ♭ - ミ♭》を⽣じさせるという事でブルー3度・7
度を⽣んだ、という訳です。

この際、両声部では原調の⾳組織との「対⽐」をリアルタイムに体現しているのでありま
す。この「対⽐」は移旋=モード・チェンジを意味する物です。

つまりそこには、⻑旋法・短旋法系統であるメジャー/マイナー感として⽣ずる2種類の性格
たる両義的な⾳楽作⽤を「対⽐」として体現している事になります。そうした変化をリアルタ
イムに感じ取って彼等(=ジャズの始原)はブルーノートが⽣ずる世界観を構築していた訳で
あります。

そこで、先の上声部と下声部が互いに⽣ずる事となる新たな⾳脈となる変応を取り込み乍
ら、彼等は同時にそれら全体を俯瞰した時に意識する事になる⻑・短の薫りがする調性的な両
義的な響きとして「シ♭ - ミ♭」の2⾳が同時に響く和⾳という状況に遭遇した時、原調を強
く「類推」する時は「シ♭ - ミ♭」の間に「ソ♮」を意識する事になるでしょう。他⽅、⻑・
短の両義的な響きをリアルタイムに感じ取ってフレキシブルにオルタレーションを施している
以上、彼等は同時に「シ♭ - ミ♭」の間に「ソ♭」という響きを類推する事でしょう。譜例で
はこれら2⾳を緑の破線で囲っているのはそうした注意喚起に依る物です。
始原的なジャズに於ける⿊⼈達の彼等は、それらの変応が⽣じたブルー⾳度の2⾳から
「E♭△」を類推するばかりでなく「E♭m」というコードをも両義的に類推する事となり、
「シ♭ - ミ♭」の2⾳で⽣ずるそれの間に「ソ♮」ばかりでなく「ソ♭」が⽣じたとする説明
です。これらの類推しうるコードは次の様に⽰す事が出来るでしょう。「E♭m」を類推してそ
れを実践した時初めて「ブルー5度」が⽣ずる訳です。

加えて、ブルー3・7度が⽣ずる時のテトラコルドの変換即ち「移旋」を伴っている件です
が、「テトラコルド」としては他調の4⾳列を拝借しているに過ぎず、ヘプタトニック(=7⾳
列)としての特定の調性の⾳組織を全て充たしている状況ではないという事にも注意を払うべ
きです。つまり、ハ⻑調の⾳組織としても不完全、下属調=ヘ⻑調の⾳組織としても不完全で
あり、それらの不完全な上声部のテトラコルドⅠ・Ⅱに従属する平⾏五度オルガヌムの結果的
に変ロ⻑調の⾳組織を充たす物の、基のハ⻑調の⾳組織が不完全であった(ロ⾳ではなく変ロ
⾳を選択した)事に依って変ロ⻑調を為す⾳組織が偶々⽣じただけの事で、実際には、ハ⻑調
の⾳組織を伴わせ乍ら変ロ⻑調の⾳組織をも複調的に採り込んでいるというのが実際の姿であ
ると解釈する事が必要でありましょう。

ペンタコルドとテトラコルドの連結

また、⻄洋⾳楽の歴史というのは、「⾳階を分析」する際はヘプタトニックが持つ2組のテト
ラコルドで組織されるという⾒⽴ては勿論有って構わないのでありますが、「調性を分析」す
る際はヘプタトニックが持っているのは1組のペンタコルドの核⾳を共有し乍ら連結(=コンジ
ャンクト)する別の1組のテトラコルドが調性感を伴わせているという事を別々に解釈する必要
があり、決して混同してはならない部分です。私のブログ内検索にて「ペンタコルド」と検索
を掛けていただければ、⻄洋⾳楽または通常の機能和声体系にて⽣ずる「調性」の源泉となる
側⾯を語っている⽂章をあらためて確認する事が出来るかと思うので、この機会にあらためて
混同を避ける意味でも⽬を通しておいて欲しいと思う所です。

処で、機能和声に於ける「調性感」という物がヘプタトニックのペンタコルドとテトラコル
ドとの組成が起因しているという事をあらためて語ると、「ドレミファソ」と「ソラシド」と
いう物がハ⻑調の源泉の姿であるとも⾔える訳です。これが「近親」的な転調となる場合、原
調のテトラコルドがペンタコルドに転ずるのが隣接した近親性のある調性への転調を欲する動
機の姿なのであります。

例として、「ソラシド」を「ソラシドレ」とペンタコルドに延伸させ、コンジャンクトさせ
て「レミファ♯ソ」と新たなテトラコルドを作れば、⾃ずとハ⻑調からト⻑調の⾳組織へと転ず
る姿を確認する事が出来るでしょう。こういう事から、⻄洋⾳楽における機能和声の側⾯での
「調性」というのは決して⾳階を分析する時の2組のテトラコルドとして⾒渡してはならず、陥
穽に嵌る訳です。

基となる声部は「シ♮」を強⾏すれば良い物を、ブルージィーな響きの⽅を優先して即座に
下声部の変応する⾳を後続の上声部でその⾳を選択して採り込み、「シ♭」に対する平⾏五度
オルガヌムとして五度下⽅で「ミ♭」が⽣じ、この時の和声感として⻑・短の両義性を持つ⾳
脈をも使う。これこそが、ブルーノートに於けるブルー3・5・7度が⽣じた端的且つ実態に則
した物であり、こうした論考が広く受け⽌められているのであります。亦こうした論考を俟た
ずに我々は⻑・短の両義性を「ブルージィー」な響きとしてごく⾃然に受容し、属調⽅⾯への
五度累積では決して起こらぬ下⽅変位性の⾳脈を何も⼩難しい事を考える事もなく体得してい
るのであります。詳しく知りたい⽅はガンサー・シューラー著『初期のジャズ』(法政⼤学出
版局)を読むべきです。

トルコ⾳楽というのは幾多ものテトラコルドをフレキシブルに変換し乍ら楽⾳を構築するも
ので、⻄洋⾳楽の様にペンタコルドをテトラコルドとコンジャンクトさせる様なそれとは異な
る側⾯が⾒られるのが⾮常に興味深い所です。純正⾳程由来の「⼤全⾳」の204セントを9等分
する九分⾳もオクターヴで俯瞰した時には53等分平均律に括られる物ですが、古代ギリシャが
有していたオーセンティックな側⾯をトルコ⾳楽やアラブ地⽅に今猶このような形で⻄洋⾳楽
とは「異なる」体系として残っているのは実に興味深い点でもあります。トルコ⾳楽やアラブ
地⽅の特徴的な⾳はやはり微分⾳ですので、既知の体系(=12等分平均律)に訛らせた⼿法に
於て参考に成る事も多い事でありましょう。12等分平均律に均される前のブルーノートがどの
ようにジャズ/ブルースを形成していったのか!? という事も後述するので参考になれば之
幸いです。

こうして平⾏四度/五度オルガヌムを理解して⾒た時、最初に挙げた平⾏四度オルガヌムの
変応で⽣じた「嬰ヘ⾳」(=F♯⾳)とて、近親性のある属調⽅⾯の⾳脈(=しかも能く遭遇す
る類のドッペルドミナントで⽣ずる副次ドミナントの導⾳欲求で⽣ずる⾳が単なるブルー五度
の異名同⾳ではないか!? と思ってしまう⽅も居られるかと思うのです。実際にこの変応で
⽣じている⾳は、変応としてではなく副次ドミナントとして能く遭遇する⾳脈ですし、⻄洋⾳
楽に於ても⼆重導⾳が謳われる旧い時代の前には8つ⽬の階名として組み⼊れようとまで論議さ
れた⾳こそが異名同⾳的に⾒ても我々の⼀般的な⾳楽素養から鑑みればついついこちらの嬰ヘ
⾳こそがブルー五度としての異名同⾳(=増四度)として現われるのではないかと錯誤してし
まう物です。

『ブルー・ノート』に対する謬⾒

では、何故これが「錯誤」なのか。変応して嬰ヘ⾳を⽣じたと雖も、へ⾳由来の⾳はハ⻑調
が堅持しますし、平⾏四度オルガヌムで⽣じている嬰ヘ⾳はドッペルドミナントで⾒る嬰ヘ⾳
の働きとは全く趣を異にする物であるのです。この嬰ヘ⾳はヘ⾳と同居する為の物と理解して
もらって差⽀えないでしょう。

つまり、平⾏四度オルガヌムの⼆声間で⽣じている変応の⾳は、新たなる「8番⽬の⾳」であ
るのです。それまでのヘ⾳が嬰ヘ⾳に半⾳上⾏変位というオルタレーションを⽣じているので
はないのです。先の平⾏四度オルガヌムに依るハ⻑調のヘプタトニックと属調側の⾳組織であ
るト⻑調のヘプタトニックが複調的に同居している状況に於て最も注⽬すべきは「ソ - ファ♯ -
ファ - ミ」という半⾳⾳程の連続が隠されている事実を理解する事が最も重要な事であるので
す。これをジャズ⽅⾯ではダブル・クロマティックの延伸として使⽤して、こうした新たな⾳
脈を⾜掛かりにして原調を欺いて嘯くのがジャズのアプローチそのものなのです。

平⾏五度オルガヌムはブルー⾳度(3・5・7度)の創出に貢献し、平⾏四度オルガヌムはダ
ブル・クロマティックの為の創出に貢献していると理解して差⽀えない事であります。これら
の前提を踏まえて次は本題のダブル・クロマティックについて縷述する事になります。

平⾏オルガヌムがジャズに遺した痕跡を語った後に、今度は六度進⾏或いは六度転調を視野
に⼊れる事にしましょう。無論、後掲する事になる例に於ても平⾏オルガヌムは継続して述べ
る事になるので、平⾏オルガヌムの重要性は念頭に置いていただきたいと思います。

コード進⾏的に⾒ればそれは部分転調として⾒られる事もあれば弱進⾏として⾒られる事も
あります。こうした六度進⾏が平⾏オルガヌムと両⽴した時にどの様な状況を⽣ずるの
か!? という事が今回の最⼤のテーマとなる訳ですので、それを例⽰する為に取り上げる曲
が、スタンリー・クラークのアルバム『Find Out!』収録の「Find Out!」であります。
周到に内含されるクロマティシズム

1985年に発売された本アルバムは、同年夏に開催されたライヴ・アンダー・ザ・スカイ '85
にてスタンリー・クラークとラリー・グラハムの競演直後という事もあったのですが、この両
⼈がアルバム参加で実現するのはスタンリー・クラークの次作『Hideaway』であり、ライ
ヴ・アンダー来⽇時に於ては発売間近の時期でしょうから85年来⽇年でのスタンリー・クラー
クのアルバムにラリー・グラハムの名を⾒掛けないのはそういう理由もあっての事でありまし
ょう。

扨て、85年作の『Find Out!』は盟友ギタリストであるレイモンド・ゴメスも参加しつつ
も、当時のトレンドであるシークエンス&シンセ・サウンドはかなり気合いの⼊った感じで彩
られていた為保守的なファンからは不評を買った物でもありましたが、⽪⾁にもこのアルバム
が話題をさらっていたのは、ブルース・スプリングスティーンの「Born in the U.S.A.」のカ
ヴァーという部分でありまして、私からすると「みんな、あんまり聴いてねぇな」という観が
ヒシヒシ伝わって来たモノです。佳曲が多いにも拘らず、楽曲のクオリティとは裏腹に「出
⾳」のキャラクターが保守的なファンの⽿を遠ざけてしまっていたのは残念な所です。

「保守的」なファンというのも彼等の多くの実際は、⾳に滅法五⽉蝿いという物ではなく、
⼤概は「電気仕掛け」を好まない傾向があるのですが、エレキ・ギターとなると⽬を瞑ってい
る様な所があります(笑)。概ねシンセサイザーや電気的なノリ(=シーケンサー)が忌避さ
れる傾向にあるのですが、酷い保守層になると、バンド・アンサンブルにおけるハーモニー感
が平易でなければならないとする様な⽿の持ち主も存在したりするので、この⼿の⼈が⾼次な
コード進⾏の類などそうそう拾って来れる訳もなく、この⼿の⼈達の主観に依る平易でキャッ
チーな感想で纏められていたりすると、意外にもこういう発⾔が広く⽀持されてしまう事など
珍しくもありません。現今社会で喩えるならば、アマゾン・レビューがその役割を担っている
のかもしれません(嗤)。

処が、私左近治の⽿というのは、かねてから「MIDIでDXベースを駆動出来ないもの
か!?」とばかりにDXベース・サウンドに⼼酔していた事もあって、こうしたデジアナ⾳がバ
リバリ奏でられる様な世界観を許容していた物でした。とはいえ私とてスタンリー・クラーク
にはバリバリとアコースティック&エレクトリック・ベースだけを弾いてほしいという思いは
私も抱いてはおりました物でありましたが、『Find Out!』はスタンリー・クラークらしく佳
曲揃いなのであります。

そこで今回、平⾏四度オルガヌムの例を取り上げるに当って例⽰したい曲が、先の『Find
Out!』収録の同名タイトル曲「Find Out!」なのであります。この曲のブリッジ部に⽤いら
れている平⾏四度ハーモニーに於て、平⾏四度オルガヌムに依る変応、それに伴う和声進⾏間
での平⾏四度の強⾏がどのような「クロマティシズム」を⽣むのか!? という事をあらため
て感じ取って欲しい訳であります。

茲で、「Find Out!」の平⾏四度ハーモニーの例を⾒る前に今⼀度結論を確認しておいてほ
しいと思います。その結論とは、今回の平⾏四度ハーモニーで⽣ずる「変応」から導かれる半
⻑調の⾳組織にて平⾏四度のハーモニーを形成させれば⾃ずとD⾳に応答する平⾏四度は「A
⾳」を⽣じます。変ホ⻑調の⾳組織にて形成したにも拘らず「A♭」ではなく「A♮」を⽣ずる
訳です。それが、譜例2拍⽬のB♭⾳の後続で⽣じている「A♮」の導出の回答です。これは、
「変応」由来で⽣じたカウンター・ノートなのです。

直後の3拍⽬では、⼤局的にコード進⾏をみれば「A♭→D♭」という下⽅五度進⾏なのです
から、とりわけ難しい事をしているコード進⾏ではない筈です。但し、「A♭→D♭」がメジャ
ー・キーに於ける「Ⅰ→Ⅳ」という⾵に想起する事が出来ない以上、モード・チェンジを⽣じ
させる必要があります。少なくとも「Ⅳ→♭Ⅶ」というノン・ダイアトニック・コードを⽣じ
たアヴェイラブル・ノートが現われる体系として解釈する必要があるのですから、ノン・ダイ
アトニックである「♭Ⅶ」上では他調由来のモードを想起する必要があります。

すると、D♭というコードが、モード・チェンジ後の「Ⅰ or Ⅳ」であるかは、平⾏四度の応
唱側(※平⾏四度ハーモニーの下声部)の弱勢で⽣ずる「G⾳」がD♭△9をリディアン相当と
「確定」する訳です。奇しくも、この「確定」が起きた時に、先⾏するB♭⾳から [b - a - as
- g] という、ダブル・クロマティックを⽣ずる訳です。トップノートは何も難しい事はしてい
ない単なる分散フレーズであり、それに応答する平⾏四度のハーモニーとが結果的にこうした
ダブル・クロマティックを⽣むという所にノン・ダイアトニックな下⽅五度進⾏を巧みに介在
させる事に依りダブル・クロマティックの⾳脈を⾒出す事が出来るという訳です。

これは即ち、平⾏四度ハーモニーの視点を持ち合わせる事で単純なモードに準えた⾳を羅列
するのではなく、ジャズ要素をふんだんに含むダブル・クロマティックを伴わせたフレーズを
創出する事が可能であるという事を物語っており、始原的なジャズの平⾏四度オルガヌムは、
結果的にこうしたクロマティシズムを誘引するという事を同時に物語っているのであります。
そうしたジャズっぽさのある⾳脈を、スタンリー・クラークはこうして⾒せている訳でありま
す。実に理に適った平⾏四度ハーモニーであるという事があらためてお判りになる事でしょ
う。

こういう例を踏まえてあらためてダブル・クロマティックと平⾏オルガヌムの妙味を吟味し
てみると、特に平⾏四度オルガヌムの場合は、明⽰的に半⾳階フレーズを創出しようとしなか
ったにも拘らず内声と外声が巧みに絡み合って変応を起こした⾳脈がダブル・クロマティック
の誘引材料となっているのである訳ですから、下⽅五度進⾏の間に介在するコードを「操作」
すれば、こうした半⾳階の⾳脈を巧みに導く事が可能となる訳です。またそうしたコード進⾏
の「操作」は概して弱進⾏となる事が多くなる事でしょう。

即ち、出来合いの下⽅五度進⾏の中間に弱進⾏となる⾳脈のコードを挟んでみる。そうする
事で新たな⾳脈が巧みに「接続」する事となり、この接続は平⾏四度オルガヌムで⽣じた変応
を⽤いたりする事になる訳です。こうした所から私はこれまで弱進⾏・六度進⾏の妙味などを
語って来た訳です。無論、そうした新たな⾳脈として介在させる⽅策として投影法を⽤いたり
する事も、こうした⽅策の為に重要な事だからこそ述べて来ていた訳です。

処が、⼤半の⼈にしてみれば「解」が俟っているという⾵にイメージする事は困難で、どち
らかといえば焦燥感を抱き乍ら楽をして多くのアプローチを会得しようと企てる⼈が是亦⼤半
でしょうから、⾒通しの利きにくい私のブログの進め⽅だと物事が断⽚的にしか⾒えて来ず
中々真相を掴めぬままになると感じ取られる⼈が少なくないかと思われます。但し、私は断⽚
的に多くの⽅策を述べているのではなく、継続して⽬を通していただければそれらが徹頭徹尾1
つの筋を⾒出す事が出来る筈なのですが、書き⼿の私が解を述べるのを全く急いていない為、
読み⼿の⽅は痺れを効かす⼈も居られるかもしれません。とはいえ、焦燥感を抱いて⽣半可な
知識では結果的に何も得られないという事を私は同時に⽰しているので、吟味し乍ら⽬を通し
ていただければ之幸いな訳であります。

オクターヴの跳越

扨て、平⾏四度オルガヌムに等しい平⾏四度ハーモニーは、その⾳程=完全四度を常に維持
する事になる訳ですから、⾃ずとノン・ダイアトニックの⾳が充てられる訳です。何故なら
「ド レ ミ ファ ソ ラ シ ド」に対して完全四度⾳程を常に維持するには「ソ ラ シ ド レ ミ フ
ァ♯ ソ」になるというのは先にも語った様に注⽬すべき事です。

ジャズ的アプローチを採るに際して平⾏四度ハーモニーの形成が必要だと述べている訳では
ないのです。その平⾏四度が形成する⾳程である完全四度は完全五度の転回でもある訳ですか
ら、なにも和⾳構成⾳から律儀に五度下として完全四度を形成して和⾳外⾳を得てしまう様な
状況ばかりを避けようとするのではなく(※和⾳構成⾳と衝突する事を拒んでの事)、背景の
コード構成⾳との採り⽅に照らし合わせれば、それが四度⾳程であろうとも和⾳構成⾳に準則
している⾳は⽣じていても当然の事です。最も注⽬すべきは、平⾏四度ハーモニーを形成する
上でひとつのトーナリティーではなく複数のトーナリティーを視野に⼊れているという点なの
です。

ハ⻑調域に於て「ファ♯」が⽣じざるを得ない様な時は概ねドッペルドミナントの
「D7→G7」という様な場合が最も顕著な例でありましょう。然し乍ら平⾏四度ハーモニーを
視野に⼊れていればコード進⾏が先の様な進⾏ではなくとも、その和⾳がハ⻑調域で⽣ずるダ
イアトニック・コードのひとつであり且つ、「ファ♯」など、その背景のコードから⾒てアヴェ
イラブル・ノートなどではなくとも「横の線の誇張」として存分に使う事の出来る⾳脈となる
訳です。しかもその「ファ♯」は「ファ」から変化した⾳ではない為、基の本位⾳度と併存も可
能であるのです。更に極⾔すれば、コードに準則するアヴェイラブル・ノート・スケールとは
異なる体系を想起するという事に置き換えられ、そのような⾳脈を活⽤する事が重要になる訳
です。C△7でF⾳やF♯⾳を使い分けたり、Dm7上にてF⾳とG♭⾳を使い分けてみたり、或いは
G7にてF⾳とF♯⾳を併存させる様な状況があったとしたらどうでしょう!? こういう状況を
容易く受け⽌める為の視点としても平⾏四度オルガヌムの発想は必要な事であり、この視点で
最も原初的な⾳楽の体系はフーガの変応なのであります。

結果的に下⽅五度進⾏という機能和声的なコード進⾏を避けるのであるならば、和⾳という
響きの助⼒は単に、旋律を更に彩る⾊彩程度であれば充分である訳ですし、機能和声的な進⾏
が不要であるならば、調的な脈絡など稀薄な進⾏という和⾳の繋がりであっても充分構わない
訳です。

その上で、和⾳進⾏もそれほど必要としない状況があるとすれば、それはほぼワンコードの
状況と近しくなる訳ですので、そうした状況に於てコードが単にトライアドや四和⾳であった
としても、そのような和⾳が進⾏せぬ「閉塞した状況」は総和⾳である13thコードと⾒なし得
る事が可能になって来るのであります。この「閉塞」が意味する物は⾳楽を形成する⾳の響き
が我々の⽿に届く時には⾳楽の姿として破綻し⾳楽その物が硬直化してしまうかのような字句
の事ではなく、「機能和声の規範が機能しない」という状況を意味する物なのであって決して
⾳楽的に破綻するようなネガティヴな意味で⽤いている訳ではないのでご注意を。

加えて、こうした変応のジャズ⽅⾯における活⽤するに当たり⾮常に感覚の鋭敏なアーティ
ストは、想定し得る和⾳を総じて「総和⾳」という状況を仮想的に想起した上でアプローチを
拡⼤します。この際総和⾳というのは⾃ずとの13thコードという状況となる為、属⼗三の和⾳
以外ならば副⼗三の和⾳という事を意味します。概して属⼗三よりも副⼗三として⾒る事の⽅
が視野を拡⼤できるのでありますが、この際副⼗三の和⾳で必要な「⾒⽴て」があります。そ
れが、「複⾳程の相貌で⽣ずる完全和⾳を変ずる」事なのです。

次の例にある様にDm13というコードを想起したとしましょう。和⾳構成⾳は「レ ファ ラ
ド ミ ソ シ」となります。この和⾳構成⾳に於て更に完全⼗五度⾳まで⾒渡す事にしましょ
う。それは複⾳程側の領域でもある「完全⼗五度」という完全⾳程を欲するが故のアプローチ
なので「レ ファ ラ ド ミ ソ シ レ」と⾒⽴てる事にします。余談ですが「完全⼋度」は単⾳程
のオクターヴ相であります。
そこで、複⾳程側に存在する完全⾳程を拔萃する事にしましょう。先ず11th相当の「ソ」、
そして15th相当の2オクターヴ上の「レ」です。感覚の秀でた⼈達は、これらの⾳を変ずる訳
です。例として11thを増⼗⼀度の♯11thに、15thを減⼗五度の♭15thへと。つまり、Dmとい
う基底和⾳がドリアンを想定するコード上で♯11thや♭15thたる⾳脈を使うという事となり、
私が能く⾔う「減⼋度」というのは、こうした減⼗五度の転回によって⽣じた⾳脈の事を指し
ているのであります。

「何故いきなり和⾳の⾒渡しの為に完全⼗五度などと準備する必要があるのだろう!?」と⾯
⾷らう⽅もおられるかもしれません。私がまず説明したいのは、⽿の鋭敏な先⼈達がなぜ複⾳
程の完全⾳程を「暈滃」して来たのか!? という側⾯です。

複⾳程という領域は、その低次の単⾳程領域に下⽀えされている訳で、完全⼗五度はそれこ
そ完全⼋度および完全⼀度と同等と思われるかもしれませんが、完全⼗五度は基底和⾳に随伴
する完全⾳程のダミー・コピーであると考えれば判り易いでしょう。和⾳進⾏が機能和声的に
は進⾏しない状況というのは、それが⾮・機能和声的な進⾏であれば前後の進⾏関係は「静的
(おおむねリラティヴ)」だったりパラレル・モーションであったり、それら以外ならば部分
転調的な和声的な響きを薫らせる物です。

動的な⽰唆=機能和声的な次の「予⾒」が無い状況において、和⾳進⾏が明確でない時のコ
ードが響く状況というのは「掛留」が常につきまとっている様な状況と考えれば猶判り易いの
ですが、この「掛留」が延々に続く様な状況に於て、よもや卑近な状況を避けるかのようにし
て「揺さぶり」を掛けたいと企図する訳です。但し、和⾳の基底部に揺さぶりをかけるのでは
なく、複⾳程の領域にある⾳を利⽤して、その領域に⽣ずる完全⾳程を揺さぶるという⾵にし
て、そこで変じた⾳を新たな⾳脈として⽤いる訳です。

こうした新たな⾳脈は何も、新たなる⾳脈の為に⾃分⾃⾝がコードを曲解して⽤いる為の⽅
便ではなく、ダイアトニックが半⾳階に対してどのように存在しているのか!? という事を
対照させれば⾃ずとダイアトニック=全⾳階から半⾳階への拡張の為の⾳脈を、全⾳階に元々
存在していた和⾳体系を利⽤し乍ら拡張させる為に⽤いる⼿法と思ってもらえれば良いでしょ
う。

この様に半⾳階を駆使しようとして既存の全⾳階システムに組み⼊れようとすると、先の様
に完全⾳程を上⼿い事「叛く」必要があります。とはいえ、基底の和⾳=コードのルートや第5
⾳の完全⾳程を操作したりすると、別の変過和⾳の響きにもなってしまう為、基底の和⾳を保
ちつつ上⾳を操作する訳です。するとそれは結果的に、完全⾳程を叛いて複⾳程に跨がるテト
ラコルド体系にて形成されるマルチ・オクターヴの発想を導⼊している事にもなる訳です。

ですから、先の図⽰した減⼗五度⾳までの和⾳が⾳列としてどのように配置できるの
か!? という事まで⽰しており、D⾳から減⼗五度上⽅のD♭⾳までのマルチ・オクターヴ⾳
列に於て「恣意的」に異名同⾳で対応させて新たな⾳脈を呼び込むというのが先の例から判る
事であります。裏を返せば、図⽰したマルチ・オクターヴにて⽤いられていない⾳も、使⽤可
能である⾳脈でもあるとも⾔えるのです。

マルチ・オクターヴの形成

⻄洋⾳楽に於ける「調性」という物はついつい誤解されがちですが、5⾳列であるペンタコル
ドの⽚側の核⾳を、別の4⾳列であるテトラコルドの⽚側の核⾳が相互に持合う事で調性が維持
される⾳組織を形成しております。約⾔すれば、〈ド レ ミ ファ ソ〉というペンタコルドの⽚
側の核⾳〈ソ〉を、テトラコルド〈ソ ラ シ ド〉の⽚側の核⾳〈ソ〉が共有し乍ら持合ってい
る訳で、近親関係にある調性に転調する時はテトラコルド部分をペンタコルドとして置換して
〈ソ ラ シ ド レ〉は〈レ ミ ファ♯ ソ〉という⾵に際限なく繰り返す様にして転移していくの
であります。
こうした機能和声における「調性」から⾒ると、都合良く半⾳階を取り込んで⾏こうとする
マルチ・オクターヴを視野に⼊れた時のテトラコルド形成というのは状況がまるで違う事があ
らためてお判りになるかと思います。⾔い⽅を変えれば、半⾳階を好意的に取り込もうとする
⾏為は、根⾳または基底の和⾳に随伴する完全⾳程を叛いて、和⾳の基底とする中⼼⾳やキャ
ラクターを維持し乍ら随伴する⾳を変化させて、「全⾳階的半⾳階」を得ようとしているのだ
という事が判ります。基底和⾳たる根⾳・3度・5度を弄らずにこの和⾳に随伴する完全⾳程11
度・15度が操作対象となる訳です。先の全⾳階的半⾳階とは、全⾳階の余薫を残し乍ら半⾳階
を組み⼊れる類の物で、半⾳階という⾳列の中にある⾳が総て等価になる類の半⾳階を⾒越し
た物とも違うので混同せぬようご理解されたし。

こうした「複⾳程の完全⾳程を揺さぶる」という⼿法はなかなかピンと来ない⽅も居られる
事でしょう。そこで今回例⽰したいのはスティーリー・ダンのアルバム『幻想の摩天楼』収録
の「Green Earrings(邦題:緑のイヤリング)」なのでありますが、この曲はウォルター・ベ
ッカーっぽさが強く表れている曲のひとつだと思うのですが、勿論、こうした「ベッカーっぽ
さ」を認識できる様になったのはベッカーの初ソロ・アルバム『11の⼼象』がリリースされて
からの事となるので、当時などベッカーっぽさなど微塵も感じずに唯々フェイゲンばかりを信
奉していた⽪相浅薄な好事家の⼀⼈に過ぎなかった私でありました。

ウォルター・ベッカーは先頃逝去となったのは記憶に新しい所でして、これにてフェイゲン
とベッカー2⼈でのスティーリー・ダンの活動は絶たれてしまう事となった訳ですが、類稀なる
和声感覚を有していた⽅だっただけにこの度の訃報は実に悔やまれます。

扨て、「Green Earring」のスタジオ・ヴァージョンの中盤ギター・ソロ(バーナード・パ
ーディーに依るハイハットのオカズのブレイクが冴え渡る直後)はエリオット・ランドールに
依るプレイですが、茲ではFm9が3⼩節に亘って続いてE♭△9へ進⾏するのですが、茲で執拗
な迄に「持続」させておきながら揺さぶりをかけようとするのはベッカーは得意とする技法の
ひとつのようです。特に、アヴェイラブル・ノートからも外れる⾳脈となるカウンター・ノー
トを⽤いるのが真⾻頂とする所でありましょう。こうしたベッカー独特の「癖」を私は、ベッ
カーの初ソロ・アルバム『11の⼼象』収録の⽇本盤ボーナス・トラック「Medical Science」
を聴くまではそれがベッカー独特の物だとは判りませんでした。
これにより、『11の⼼象』発売前年に発売されたフェイゲンのソロ・アルバム
『Kamakiriad』収録「Tomorrow's Girls」でのギター・ソロB♭m7上にて⽤いられるカウン
ター・ノート(減四度)を臆する事なく⽤いて来る答を⾒出し、私はその後ウォルター・ベッ
カーの「複調感」に深く酔いしれ信奉する様になったのでありました。

そこで肝⼼の「Green Earring」の3⼩節「も」続く「Fm9」というコード進⾏には実は秘
密が隠されております。スティーリー・ダンのライヴ盤『Alive in America』での「Green
Earring」ではドリュー・ジングのギター・ソロの当該箇所ではFm9が同様に続いてE♭△9に
進⾏する際、和声的な変更は無いもののブラス隊の経過和⾳とドリュー・ジングのフレージン
グは恰もFm9を「Ⅱ」と⾒⽴てた時の「Ⅱ - Ⅴ - Ⅰ」進⾏の様に聴かせているのがお判りだと
思います。

Fm9というコードをFm13と⾒⽴てたとするならば、このコードは総和⾳であると共に
「Fm9 -> B♭7」という⾵に下⽅五度進⾏によって介在し得る過程の属和⾳を棄却して後続の
E♭△9に進もうとしている事と同様なのです。無論、他にもこうした暈滃の⽤法としては、過
程の属七和⾳の薫りを嫌った上で「Ⅱ on Ⅴ」という分数コード/オンコードの形を採って導
⼊する事もあります。然しそれとて、ベースは「Ⅴ」に主軸を持たせて暈滃させる訳ですが、
ベースには「Ⅱ」の⾳度に主軸を持たせたままコード表記は「Fm9」でありつつも実際には13
度および15度まで和⾳想起を拡張させてカウンター・ノートを得ようとする試みがあるのは明
⽩なのであります。

スタジオ版「Green Earrings」ではエリオット・ランドールに依るマルチ・オクターヴの⾳
脈が聴かれないのは、それが無くとも全体を通して良いプレイだったからでありましょう。
随伴する完全⾳程

コードの⾳度を [1・3・5・7・9・11・13・15] という⾳度にある様に羅列してみましょ


う。茲から「複⾳程にある完全⾳程」というのは[11・15] 度である訳ですから、基底和⾳
に随伴し乍ら複⾳程にある完全⾳程を操作する⾳度となる事が容易にお判りいただける事でし
ょう。加えて、今度は⾃然倍⾳列に於いて⾒渡す事の出来る「随伴する完全⾳程」とは、完全
五度に類する⾳度を除けば、基⾳に随伴する [2・4・8・16・32……] 次倍⾳が完全⾳程と
して「随伴」している事がお判りいただけるでしょう。

8〜16次倍⾳のオクターヴの相貌はそれに内含する形で9〜15次倍⾳を⽮張り「随伴」して
いるのです。但し絶対完全⾳程=オクターヴよりは弱い形で随伴はしております。とはいえ、
これらのオクターヴ相が⾼次になればなるほど、引き連れる倍⾳は⾃ずと多くなり、⾳脈とし
ての倍⾳は増える事になります。絶対完全⾳程という物とて、近傍の振動数=倍⾳の因果関係
は決して無ではありません。コヒーレントな形で⾮常に近い⾳程差であればそれはやがて「吸
着」する様に牽引⼒が備わって⾏く事でしょうが、これは「導⾳」の働きと⾒なしうる物でも
あります。

また、ウォルター・ベッカーの意図というのは、ある特定のコードが⻑い⾳価で奏されてい
る時、カウンター・ノートを出現する事を是とする状況を敢えて作っていると⾔っても過⾔で
はないでしょう。その⻑い⾳価の状況を楽理的に⾒ればそれは「掛留」に収まる物であり、こ
の掛留から変位・転位という事がジャズ/ポピュラー⾳楽のみならず、⻄洋⾳楽に於ても世俗
⾳楽のそれよりも遥かに⾼度に変化していたからこそ、こうした⾼次な側⾯に於いてフーガに
依る変応やマルチ・オクターヴの視点は切っても切り離せない物になる訳です。その辺の⼀般
的な書店に陳列されている様なボンクラでも読み通せる類の⾳楽理論書で扱っているなフィー
ルドでは到底扱え切れない側⾯を語っているという事も同時に理解されたい物です。

斯様な状況に於て「調性を揺さぶる」という⾵に考えてみると、シンプルな和⾳体系の断⽚
となりつつ、その和⾳に附随する線が想起され易いアヴェイラブル・ノートとは異なるカウン
ター・ノートが附されていたりするのがウォルター・ベッカーのソロ・アルバム『11の⼼象』
収録の「Medical Science」と⾔えるでしょう。

和⾳はなぜ3度⾳程堆積を前提としているのか!?

3度⾳程で堆積されるコードというのは⼤概の物は体系化されておりますが、その例外となる
物の中にもコード・シンボルを持たぬ体系化は⻄洋⾳楽にはある物です。以前にも取り上げた
諸井三郎の変化三和⾳などは顕著な例外の体系とも⾔えるでしょう。こうしたコードの体系と
いうのは必ずしも「3度⾳程である事」が重要なのではないのです。では何故和⾳は3度堆積が
主流となったのか!? という疑問に対してジャズ/ポピュラー⾳楽界隈にて瞬時に答えられ
る⽅はどれほど居らっしゃるでしょうか。⼤半の⼈達は、元々の体系がそうだったから、とい
う理由で顰に倣いつつ属和⾳に附与されるオルタード・テンションを玩んでいるのが関の⼭程
度ではないでしょうか。

和⾳というのは3度⾳程ありきではないのです。⾃然倍⾳列に於ける低次に随伴する倍⾳列に
⻑三和⾳を内含する構造の⽐率を持つからです。即ちそれは「4:5:6」の振動⽐なのであ
り、隣接し合う振動⽐こそが⾳の分⼦構造的な「強い⼒」を持つが故に、短和⾳を⽰す振動⽐
はこのように隣接し合う⾵には表れず常に議論されて来た訳ですが、振動⽐が隣接し合わなく
とも、突如⾶び込んで来る「埒外」となる⾳程⽐への記憶は基底となる「4:5:6」に揺さぶ
りをかけて来る訳ですね。そこから⾳程を操作する「変形」の欲求が⽣ずる様になる訳です。
⻑三和⾳の第3⾳を半⾳低める様な欲求は、「4:5:6」が相似形となって「8:10:12」の相
貌と為した時にはこの⾳程⽐は最早隣接し合っていない訳ですね。少なくとも内含する⾳程⽐
「9・11」も視野に⼊る事が思弁的にも明らかになります。こうして隣接し合わなくなった和
⾳は他の近傍の⾳の影響を輪我々の欲求や使⽤可能な⾳脈として忍び寄って来るのでありま
す。こうした⾳程⽐の相似形を更に進める事に依って、より⾼次の⾳脈を容易く受け⼊れる事
となり、⾼次のオクターヴ相貌を聴取する⼈間の記憶が、基底の和⾳に附与したり変化させた
りという欲求に⽣まれ変わる物なのであります。ですので、⾼次のオクターヴ相は近傍の振動
の影響を受けると私が語っていたのはこういう事を意味する物なのです。

また、上⽅倍⾳列に短和⾳を表わす⾳程⽐が隣接して表れないからといって、単にその理由
で調性の強い牽引⼒を語るのは野暮な事です。上⽅倍⾳列をどれほど探ろうと、下属⾳が現わ
れる訳はないのですから(※極⼒近い⾳はある物の、それは完全⾳程ではない)野暮なのです
(笑)。下属⾳の存在を⾒渡すには思弁的に下⽅倍⾳列を⾒渡す事で成⽴する訳ですから、
我々の「⾳への欲求」というのは、上⽅倍⾳列からの経験と共にその相似形を持ち込んで変形
しているのだという事がお判りになる事でしょう。16次倍⾳までの相貌を聴取した時の経験が
暗々裡に15次倍⾳という近傍の⾳程⽐へも感覚が注⼒する事で、この聴取の経験はフレキシブ
ルに他の基底和⾳に附与されたり変形の材料の⾳脈へと培われるのであります。15次倍⾳は16
次を半⾳低める欲求になるのかもしれない。その半⾳を低めるという欲求の興りに乗じて [1・
2・4・8] 次倍⾳を半⾳低める⾳脈として置換されれば、「ド・ミ・ソ」と聴いていた和⾳を
「シ・ミ・ソ」と変形する欲求に置換される事など感覚が強化される事は⾃明ですし、基底和
⾳を「ド・ミ・ソ」として聴き乍ら変形先が「8」の振動数を半⾳低くするという欲求に置換さ
れれば「シ・ミ・ソ」も同時に聴く事とにもなり、これにて「ド・ミ・ソ・シ」というメジャ
ー7thコードの響きを体得する事実として表わされる訳であります。

⾳程⽐の相貌を拡⼤して聴く事の出来ないという事を強く意識する必要はありません。器楽
的素養に伴う感覚の強化如何によって構築される聴き⽅ですので、感覚が強化されない時期に
はどうしても低次の⾳程⽐ [4:5:6] を [8:10:12] や [16:20:24] の様には聴く事が出
来ない物なのです。基底の牽引⼒に負けてしまっている状況ですから、⽿に⼊って来る⾳も脳
がスポイルする訳です。こうした感覚を強化するには器楽的な修練を積む必要がある訳です。
元々⾳の聴取能⼒が秀でた⼈ならば4歳辺りから確実に捉え⽅が違う物ですが、特に⾳楽に興味
を⽰さずとも時を経て漸く聴取能⼒が⾼まって齢〈よわい〉40〜50の辺りに⾼次な響きを耽溺
とする様になるのは、その⼈が養うべき⾳楽感覚の習得スピードで感覚が培われただけの事で
す。早い⼈はその能⼒が培われるのが⾮常に早いだけの事です。

楽⾳に於ける2つの『位相』

古代ギリシア時代には特定の⾳の五度上⽅にある⾳を「上屬⾳」、特定の⾳の五度下⽅にあ
る⾳を「下属⾳」と決めた上で「⼤完全⾳列=シュステーマ・テレイオン」を構築した訳で
す。今⽇⽇A⾳が中⼼とするのもこの「特定の⾳」がA⾳故の事です。処が上⽅倍⾳列を⾒るだ
けでは下属⾳など⼀向に現われてくれません(笑)。もし周囲に「下⽅倍⾳列などトンデモな
オカルトででっち上げだ!」などと抜かす輩が居たとしたらそんな輩には、「上⽅倍⾳列に下
属⾳を死ぬ迄探し続けろ」と⾔って遣るだけで良いのです。徒労に終わる事も識らずに探し出
したら底抜けの莫迦でありましょうし、下属⾳の存在を視野に⼊れる為にも下⽅倍⾳列という
思弁の領域とされるだけの事なので、上⽅倍⾳列ばかり無視していたら下属⾳の存在すら認め
ぬ⽭盾を曝け出してしまうだけなのであります。寧ろ現今社会では主⾳や属⾳の位置すら卑近
で暈滃される時代なのに、そこまで調性にぶら下がっているだけの感覚など相当御⽬出度いと
思うのでありますが、読み⼿の皆さんはどうお感じになられる事でありましょうか。こうした
側⾯を鑑みれば、楽⾳は少なくとも2つの異なる位相を持っている事は明々⽩々なのでありま
す。それゆえ複調的な欲求も起り得る。だからこそ早期の時代から変格旋法も存在した訳でし
て、それこそ変格旋法の⽅が優勢だったさえ⾔われている位なのですから。

この「2つの位相」に関しては、ディミトリ・レヴィディスを過去にも取り上げた事でご存知
かと思いますが、疑り深い⼈というのは普段あまり⽿にしない様な事を容易く信じようとはせ
ず、概して主観の規準で是か⾮かを決めようとする向きがあります。その上で平易であると肯
定しがちになり、難解であると否定しがちになる物です。倍⾳列に於てなぜその⾳列には下属
⾳、つまり完全四度に位置する⾳が現われないのか!? という事に疑問を持った⽅はおられ
ないでしょうかね。主⾳を倍⾳の基⾳とした時など勿論下属⾳は出現しませんし、⾼次倍⾳に
⾮常に近似的な⾳が現われてもそれは「完全⾳程」ではありません。

同様に、属⾳を基⾳と採った時の倍⾳列は第7次倍⾳を下属⾳と⾒なしうるかの様に「強弁」
する事は可能でしょうが、第7次倍⾳というのは「純正⾳程」ではあっても「完全⾳程」ではな
いのです。つまり、下属⾳という完全⾳程として⾒なしようが無いのです。

これらの事実から今⼀度古代ギリシャ時代を振り返ってみましょう。先⼈は特定の⾳の五度
上の⾳「上属⾳」と同様に、特定の⾳の五度下の⾳である「下属⾳」を⽤い「⼤完全⾳列=シ
ュステーマ・テレイオン」を形成したのであります。ここに、上部五度の⾳が現われる位相と
下部五度の⾳が現われる2つの位相を⽤いている事をいつの間にか⾃然倍⾳列を⽅る時には上部
にあった位相に含まれる基⾳=根⾳と、それに随伴する完全⾳程=属⾳・主⾳の累積しか⾒ず
に、本来ならば下属⾳を擁する「もう⼀つ」の位相を併存して倍⾳列を想起するのが妥当なの
でありましょうが、こうした観点で触れられる⽂献が少なく、いつしか過去の体系の顰に倣っ
ていれば問題ないかの様に声を⼤にして語る事が少なくなっているだけの事であり、本来は、
下属⾳の存在さえきちんと認めて異なる⾳の位相を視野に⼊れると⾃然の摂理とやらがあまり
に⽬から鱗となる程の灯台下暗しの観点であった事に気付かされるだけの事で気付いている⼈
も気付いていない⼈もこれらに関してあまり論じないだけの事で、上⽅にある⾃然倍⾳列の位
相の側だけ論じてしまっている⼈は、科学の黎明期の時代からも脱していない旧来の規範に準
則しているだけの狭隘なる知識で倍⾳に向き合っているだけでしかないのです。

フーゴー・リーマンも、こうした下属⾳の存在を縦にして論駁すれば思弁的な下⽅倍⾳列の
存在とやらが「もう⼀つの位相」として容易く認められたでありましょうが、単にこうして容
易く論駁できなかった事だけをふりかざして、下⽅倍⾳列をオカルト扱いするのはそれこそ莫
迦げた⾏為なのであります。

特定の⾳「メセー」の下部五度として完全⾳程が備わるには、それを転回すれば根⾳と498
セントにある⾳となります。他⽅、メセーの上部五度として完全⾳程が備わるには、それを転
回した時には根⾳から702セントの距離にある事が容易にお判りになる事でしょう。これらの2
⾳間の転回されたセント数は「204セント」という、⼀般的には「⼤全⾳」と呼ばれている物
でして、この⼤全⾳を9等分したトルコ⾳楽の九分⾳のマカームにも脈々と伝わっている物で
す。このようにトルコの九分⾳は「204セント」を9等分した物である訳で、決して200セント
を9等分した物ではないという所にも注意を払う必要がありまして、中東諸国ではこのトルコ⾳
楽を発祥とする九分⾳の影響を持合わせ乍ら、ペルシア地⽅やエジプトというトルコとは別の
地域では半⾳を更に半分とする四分⾳も取り込まれ、四分⾳とは別に四分⾳より僅かに異なる
微⼩⾳程の⾳が併存していたりするのも特徴だったりするのです。

こうした「下属⾳」の存在があったからこそ、調性も培われたのでありまして、微分⾳の規
範も今猶脈々と続いている訳でありまして、単に⾃然倍⾳列という⼀⽅の「位相」では下属⾳
が⼀向に現われる事が無いのに、それを踏まえないのはおかしな側⾯であったりもするので
す。これらの件を勘案してディミトリ・レヴィディスの「潜在倍⾳」と呼ばれた「もうひとつ
の位相」という物を改めて⾒てみる事にしましょう。

次の譜例は、⿊⾊の倍⾳列はハ⾳を基⾳として第11次倍⾳まで並べた物です。他⽅、⾚⾊の
倍⾳列は等しく完全五度下⽅にある倍⾳列でヘ⾳を基⾳としております。これら2種の倍⾳列は
「2つの位相」を⽰している訳で、これらを俯瞰した時に初めて、⿊⾊側では下属⾳の存在を⾒
出す事に繋がる訳です。ディミトリ・レヴィディスの潜在倍⾳という⾒渡しは、古代ギリシャ
時代の⼤完全⾳列にも準則した物であり、その上で調性構造を鑑みての下属⾳の存在を棄却す
る事が出来ない為のもう⼀つの位相を⾒出す訳であります。

レヴィディスが最も声⾼に語る部分は、この「潜在倍⾳」から⽣じた第7次倍⾳が、⿊⾊のプ
ライマリー倍⾳列の基⾳(=ハ⾳)から⾒た時との「短三度」という⾵に映る事で⾃然倍⾳列
では隣接し合う低次の倍⾳列からは決して得られない短和⾳の構造を⾒出すという⾵に述べて
いる物です。

こうした「もう⼀つの位相」を視野に⼊れた時というのは、ヘ⾳を基⾳に採った時の第5次倍
⾳は、上⽅の⾃然倍⾳列では現われない⻑六度相当の⾳がこの様に低次に現われる訳でして、
潜在倍⾳という考えと下⽅倍⾳列の思弁的な領域というのは下属⾳を視野に⼊れると途端に棄
却する理由が⾒出せなくなってしまう因果関係を持っている物なのです。

2つの⾳の位相を獲得して「調性」を確⽴した先には、全⾳階を跳越し半⾳階の⾳脈を求める
様になる物です。そうして基底和⾳に準えつつも、そこに随伴する⾼次の完全⾳程を変ずると
いう事で⾳楽を変容するという状況は、全⾳階に随伴する形で半⾳階の⾳脈を呼び込むという
事になり、軈ては全⾳階を司っている主⾳・属⾳の⽴ち居振る舞いを暈そうとする事に近しく
なって来ます。こうした過程で半⾳階の⾳脈を取り込んで⾏くとどのように⽿に響くの
か!? という事が明⽰的になるケースというのは「ブルース」社会が最も顕著に表わしてく
れる事でありましょう。調性的に⾔えば⻑・短の世界が併存しているかの様な世界観に近しい
訳です。

ブルース/ジャズにおける下⽅変位

ブルースの持つ下⽅変位というのはジャズの始原と同様です。ジャズとブルースに楽理的な
差はありません。ジャズというのはその後際限のない転調をも取り込んで⾏った訳ですが、ブ
ルースというのは主⾳と属⾳の位置は明確でありつつも、それに伴う和声はドミナント7th或い
は更に変位させてマイナー7thあるいはハーフ・ディミニッシュなどと和声的⾊彩を強めつつ、
後続和⾳への下⽅五度進⾏よりも⼀つ⼀つのコードを⾊彩的に「重く」旋律を彩る為に⽤いら
れ、局所的にはその和⾳構成⾳の為に、基の主⾳・属⾳が変化されてしまう事が顕著です。無
論ジャズとてこれは同様なのですが、ジャズは結果的にその場に⻑く基の調に居座る事が少な
く元に戻って来る事はあるものの、ブルースは原調の余薫を強調しつつ暈す事がある為、局所
的には主⾳・属⾳が逸している事はあります。然し、こうした状況は実際には部分転調なの
で、原調に固執する⾒⽴ては必ずしも必要としないのであります。

掛留が寄与した和声の発展

勿論、⻄洋⾳楽界隈とて特に主和⾳から、主和⾳の第5⾳が上⽅変位して増和⾳になりながら
付加六度に⾏くシーンも考え得るでしょうし、増和⾳の時点では属⾳という存在が⾳組織から
は無くなっておりますが、こういう例外もあるにはあります。とはいえ、「調性」という物を
きちんと考えた時に、少なくとも主⾳・属⾳という物を看過してはいけないのであって、これ
を暈滃している状況を原調に準えた⾒⽅は野暮なのであります。幾ら原調の余薫を記憶の中で
固執しようとも。この「記憶の中の固執」というのも⾳楽的にはそれが「⽬に⾒えぬ掛留」と
なる事はありますが、これは作者が曲を構築する為に必要な「動機」であり、物理的な⾳価で
⽣ずる掛留とは異なる物です。こうした「動機」が⾳楽社会に新たな⾊彩を構築する上で結果
的に「掛留」を必要とする事も亦ありますが、原調の記憶を固執するばかりに⽬に⾒えぬ⾳を
「掛留」とは⾔いません。但し、和声の発展に寄与して来たのは「掛留」なのであり、それは
《物理的な⾳価の延⻑》《残響》《記憶》の含意となっている事は疑いの余地もありません。
sakonosamu さんの記事から

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他にも、坂本⿓⼀のソロ・アルバム『左うでの夢』収録の「Slat Dance」の平⾏四度ハーモ
デザインテンプレートを⾒る
ニーのLFOトレモロを効かせたメロディー(YouTube 1:34〜)などは実に典型的な好例であ
るとも⾔えるでしょう。

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調性が持つ世界観の意味

我々は通常「調性」を重視して⾳楽観を得て、その調性感覚も「単⼀」の調性機能の世界観
にて器楽的な素養を養う事が殆どである為、ついつい⾳楽的に稀な状況を蚊帳の外に置いてし
まいがちですが、実は機能和声が確⽴する以前の⻄洋⾳楽体系というのは、本流という⼤きな
潮流ではないにしても複調という概念はごく普通に瀰漫していたと⾔われます。それは或る意
味次の様に⾔えるでしょう。卑近な協和⾳程に頼らずに「固守」するというのは、⼈間の能⼒
が潜在的に、協和⾳程ばかりに欲求が⽀配される物ではなく多様な不協和な世界観を持つとい
う事も容易に考える事ができます。つまり、平⾏オルガヌムを固守する事で全⾳階の⾳組織か
ら臨時的に嬰変の変化が⽣ずるのは、「調性を固守」する⽬的ではなく、線の運びで維持され
る「⾳程を固守」する事に依って⽣ずる世界観を重視するからであります。そうした複調の例
は、単⼀の調性世界から⾒たら異端で特殊な例のひとつとして括られている事もあり、こちら
の世界を機能和声の取り組みと併⾏して学習される事も稀である事でしょう。ですから、フー
ガの技法を学ぶに際しての「変応」という状況が縁遠い⼈ほど複調の世界観というのは遠い物
であるとも⾔えるのです。

『変応』とは!?

フーガに於ける「変応」とは、原調の⾳組織が変化して応唱する事です。その変化した⾳組
織が属調の⾳組織と原調の⾳組織にて3度のハーモニーを形成していたり、或いは下属調の⾳組
織と原調の⾳組織とで3度のハーモニーを形成したりなど充分に有り得る事であります。こうし
た状況を通常、機能和声の⽅⾯で学ぶ事はありません。そうした「複調」の状況というのを⾮
常に僅かな時間レベルで⾒れば、原調と異なる⾳組織を⽤いた応唱は、ややもすると別の調性
ではなく線の誇張(=臨時的変化)として⾒做し得る状況として措定する事も可能な状況も亦
あります。フーガという技法を⽤いずともそうした⾳脈がサラリと出て来る事も亦同様に存在
する訳であります。
嘗ても或る莫迦な者が主和⾳の後続に進⾏するコードが「♭Ⅵ7」(構成⾳は[ラ♭・ド・ミ
♭・ソ♭])にて調性とやらをトンデモな⾃説にて語っていた事がありましたが、こうした副
次ドミナントに於て原調の属⾳は叛かれており、楽理的な意味では副次和⾳の後続が部分転調
であろうとも転調先を決定する事になりますが、こういう例では最早この副次和⾳の時点で
暗々裡に転調は確定している事と同様になる訳です。原調が叛かれている以上、茲で調判定を
するべき状況です。原調が叛かれているにも拘らず⻄洋⾳楽に於いても「仕⽅なく」原調を措
定するシーンはあります。特に「和声」を学ぶ⼈からすればそうしたシーンも⽬の当たりにし
ている事でしょう。しかし、原調の主⾳・属⾳が叛かれた状況が和声的に備わっている場合、
調判定は⼀義的な解答が妥当ではない場合もあるという⾵に理解しておく事も必要かもしれま
せん。少なくとも、原調の主⾳・属⾳のどちらかが暈滃されるだけで調性は揺らぐ物です。2⾳
とも暈滃された状況であるならば疑いなく原調は喪失していると考えるべきです。

私のブログに於てはブルースを語るに際して、その基調が⻑旋法系統を強く押し出している
際はブルース・メジャーと呼び、基調を短旋法系統を強く押し出している時はブルース・マイ
ナーと呼んで区別しております。いずれにせよ両者ともに⻑旋法・短旋法系統の両義性が⽣ず
る様に響く物ですが、先述した様にブルースの場合はフィナリス(=主⾳)という位置を明確
に据えて原調を嘯いているにも拘らず原調のフィナリスを強固に余薫として残しつつ曲を展開
するので、ジャズのそれが原調を維持せず(維持する事もあるが)に転調を重ねていく物とは
異なる世界観を持つ物です。

例えば、私が先頃アップしたブログ記事『投影法に⾒る⻑属九』に於てジェフ・ベックのア
ルバム『There And Back』収録の「Star Cycle」のブルース進⾏を語っておりましたが、あ
の曲のコード進⾏は「♭Ⅲ7」を介在させる事で調性を暈滃しつつ、且つ全体的には「ⅠとⅣ」
(=Ⅰ7とⅣ7)を⾏き来してドミナントを経由しない構造となっていて、それらを俯瞰すれば
「Ⅰ・♭Ⅲ・Ⅳ」の⾳度を⾏き来しておりまして、それは決して「Ⅵ7・Ⅰ7・Ⅱ7」という⾵
には⾒ない訳です。何故ならば、平⾏短調を「Ⅵ」とはせずにこれを「Ⅰm」と捉えたとして
も、「Ⅰm」がブルース化して同主調の⻑旋法の薫⾹を纏う限り、それは⻑・短の両義性を伴
う事になるので結果的には平⾏短調として⾒⽴てたとしても「Ⅰ7・♭Ⅲ7・Ⅳ7」となってし
まうのである、という事ですね。

「Star Cycle」に於て、ブルースのみならずモード・チェンジ感が最も発揮されるのは、
「♭Ⅲ7」時に於てそのコードの短七度⾳が、⾳度・Ⅰ度から⾒た時の「♭Ⅱ」即ちナポリタン
の⾳を得る事でモード・チェンジ感が発揮される訳ですが、「♭Ⅲ」時には局所(部分)転調
の様にして聴かせているので、Fメジャー・ブルースとDブルース・マイナー(コードはD7であ
るものの、ピカルディの3度の様なモーダル・インターチェンジを起こす感じを踏まえて基調は
マイナー系であると解釈。しかしこの平⾏短調側のⅥはあくまでも「Ⅵ」であり、「Ⅰm」と
は⾒ない所を注意すべき点)を⾏き来している様に感ずる物です。

では、ブルースの曲想からのクロマティシズムを顕著に表わす曲を新たに挙げる事にしまし
ょう。これはYouTubeの⽅では既にアップしておりますが、1992年に発売となったケンウッ
ド・デナードのソロ・アルバム『Just Advance』収録の「Just Blues」でのハイラム・ブロッ
クのギター・ソロを模したデモを参考に解説する事となります。
るのです。確かに、F7のアヴェイラブル・ノート・スケールを想起すればE⾳は埒外となるカ
ウンター・ノートでありますが、F⾳というルートから本位六度までのダブル・クロマティック
を⽣じさせて「ごく⾃然」に経過⾳として忍ばせているだけの様に⾒えるかもしれません。⻄
洋⾳楽的に和⾳外⾳を照らし合わせてもE⾳は経過⾳です。

然し乍ら、このドミナント7thコード上にて経過⾳乍らも根⾳と短七度の間にダブル・クロマ
ティックを形成するというそれは、結果的に半⾳階の⾳脈を持ち込んでいる状況である訳なの
で、基底和⾳に随伴する複⾳程の完全⾳度たる完全⼗五度⾳がオルタレーションを起こしてF♭
⾳と同義(=異名同⾳)であるE⾳は、ブルース・マイナーが⻑・短の両義的性格を持っている
事に依る⻑旋法側の第3⾳でもある為、減⼋度としては表わさずに、カウンター・ノートではあ
るものの敢えてこの様に表記しているのであります。その上で譜例のF7での2拍⽬の拍頭ではF
⾳と三全⾳を為す堆積関係のH⾳(ロ⾳)が現われます。これも、基底和⾳(F△)に随伴する
複⾳程の完全⾳程=完全⼗⼀度がオルタレーションして現われた⾳脈という⾵に考える事が出
来るのです。

茲から、コード表記および拍数と共に⾳の出現順に附与している番号で当該箇所を説明して
いきたいと思います。

2拍⽬の最後にA♭⾳も⾚丸で⽰しているのは、F⾳の三全⾳として対蹠として現われたH⾳の
中⼼軸システムで⽣ずる第⼆対蹠線(短三度関係で現われる)の脈として、三全⾳H⾳の「続
き」としてアウトサイドとなる⾳を継続して登場させている訳です。無論そのA♭⾳はF7上の
オルタード・テンションであるG♯⾳の同義⾳程として⾒なされるオルタード・テンションでも
ある訳ですが、H⾳との短三度⾳程関係を詳らかにする為には茲がG♯⾳であってはならない訳
です。そうした配慮からこの様に表記しているのであります。

加えて、F7に於ける3〜4拍⽬での12〜15番⽬の⾳というのは [c - h - b] というダブル・ク
ロマティックとなるトライコルドが半⾳でコンジャンクトして次のトライコルド組織(或いは
他の⾳組織)に接続しているので結果的にA⾳に対して半⾳で接続して [c - h - b - a] という
ダブル・クロマティックの連続が⽣ずる訳です。こうした異なるトライコルドの連結というの
ものはF7コード上の冒頭での [f - e - es d] も同様なのであります。但し、半⾳で連結される
ダブル・クロマティックに依るトライコルド構造というのは現時点の理解に於てはそれほど重
要視する必要もないかと思います。重要な事は、通常想起しうるヘプタトニックのモードにて
(F7コード上ならばFミクソリディアン等)、そのヘプタトニックは調性を嘯いていたとして
も某しかのトーナル・センターを想起して得られる物ですから局所的には「ダイアトニック」
が⽣ずる事となります。Fミクソリディアンを想起したとなれば [f - g - a - b - c - d - es] が
ダイアトニックとなる訳ですので、この全⾳階組織に対して「どの⾳程を半⾳で砕くか!?」
というアプローチを企図する事がダブル・クロマティックの始まりなのであります。

これを単に、全⾳階として想起してさえすればコードに準則する線を弾く事になるであろう
し、誰からも外しただのと誹りを受ける事もないでしょうが、ジャズの実際では決して失敗と
は思われぬ事のない⾳の外し⽅を⾝に付けて奏する事がナンボであります。そういう意味に於
て、全⾳階の⾳組織を半⾳階で「砕く」という⾏為が必然的にダブル・クロマティックとな
り、ダブル・クロマティックを複数連結させる事に依って全⾳階に準則した時にはなかった半
⾳階の情緒を持たせた線の運びを演出する事と成り得るのであります。

こうしたダブル・クロマティック過程で⽣ずるカウンター・ノート(=和⾳外⾳でありアヴ
ェイラブル・ノートでもない⾳)を後続のダイアトニック・ノートに対する装飾的な前打⾳と
いう⾵に解釈する向きもあります。参考になるのは濱瀬元彦著『チャーリー・パーカーの技
法』であります。私の場合は、このようなカウンター・ノートでも結果的には基底の和⾳に随
伴する完全⾳程の暈滃と解釈している訳ですが、その「装飾」的な⾏為は「揺さぶり」である
訳で、⼤きな違いなどありません。その装飾的な揺さぶりは結果的には「クリシェ」と呼ぶ事
の出来る物です。ポピュラー⾳楽の多くは単なる半⾳や全⾳階に準えた下⾏フレーズなどで
「クリシェ」と呼ぶ事が多いですが、コードやモード・スケールからも脈絡の無いカウンタ
ー・ノートの出現は総じてクリシェと呼ぶ事の出来る物です。こうした線の創出はウォーキン
グ・ベースに於ても活⽤される物であります。無論、その「クリシェ」が意味する物は、⼀⾒
脈絡の稀薄な⾳をキッカケにして揺さぶっているカウンター・ノートの事なのであります。

そうしてF7の4拍⽬から次の⼩節にかけて⻘⾊で表わしている17〜19番⽬の [fis - a - g] と
いう3⾳がありますが、その内最初の2⾳ [fis - a] は、後続のコード「C7(♯9)」に依拠する先
⾏⾳という⾵に解釈しております。先⾏⾳となる最初のF♯⾳は⻘⾊の特殊な和⾳外⾳で⽰して
いる通り先⾏下接刺繍⾳となるのでありますが、「C7(♯9)」からすれば増⼗⼀度(♯11th)の
⾳を使⽤している事になる訳です。その直後のA⾳も先⾏上接刺繍⾳という扱いで、
「C7(♯9)」から⾒た本位⼗三度(♮13th)の⾳を⽤いている事になります。

その後、「C7(♯9)」でのG⾳からはD⾳をペダルにし乍ら⼤局的にトップ・ノートを [g - fis
- f - e] という⾵に下⾏させる揺さぶりを図っているのは明⽩です。この時に、経過的に [fis -
f] という⾵に増⼗⼀度と本位⼗⼀度と動く所が絶妙なのでありますが、それをもう⼀度上⾏で
30番のG⾳まで引っ張り、[d - c] 間をダブル・クロマティックで [d - cis -c] として、そのト
ライコルドを半⾳コンジャンクトで [d - cis -c - h] まで繋ぎ、最後のA⾳は変格経過⾳となる
訳です。然し乍らこのA⾳は、本テーマでの当該同⼀箇所ではコードがA7(♭9、13) なのであ
りまして、ソロ部分ではこのコードに対してベースがA⾳ではなくB♭⾳を弾く事によって、進
⾏の少ないトライトーン・サブスティテューション(=三全⾳代理)として⾒做して(※
「A7aug/B♭」と遣る事でトライトーンは全く共有されている様に)コードを変化させた
G♭△/B♭に過ぎないという事も今⼀度念頭に置いてもらいたい部分であります。

この様に、ジャズ/ポピュラー⾳楽形式に依るアヴェイラブル・ノートだけで⾒ると、⾮和
声⾳たる和⾳外⾳の働きは単に使⽤可能な⾳として詳らかな⾳の性格が埋没してしまう物です
が、こうして⻄洋⾳楽側での分析を知ると、アウトサイドなアプローチとして現われている和
⾳外⾳がどのような性格を振舞っているのかという事が明らかになる物でもあるので、⼰の好
きな楽曲を分析する時など時間を忘れて没頭するのも宜しいのではないかと思います。

扨て、「C7(♯9)」コード上でも現われた、根⾳の半⾳下に相当するH⾳がこのコードでも使
われました。単に経過的なダブル・クロマティックとして聞き流してしまいかねないかもしれ
ませんが、偶々現われている訳ではないという事が前段のコード「F7」に於いても根⾳の半⾳
下に相当する⾳を⽤いている訳ですから、これは明確な意図を持ったアプローチであるという
事があらためてお判りになるかと思います。

根⾳の半⾳下と⾒なしたその⾳は譜例上でも根⾳からの⻑七度相当として⾒やすく配慮して
いるものの、これは実際には、基底和⾳に随伴する複⾳程側の完全⾳程の暈滃なので、減⼗五
度それを単⾳程に転回しての減⼋度相当と解釈すべき⾳でもあるのです。

通常、ドミナント7thコードの類型ならば、臆⾯も無く⻑七度相当の⾳を使う事は避けられる
ものです。あったとしても上⾏的なフレーズに於て、短七度→根⾳という全⾳の間をスムーズ
に半⾳でダブル・クロマティックにしてみたという事くらいでしょう。無論、ジャズ界隈でな
くともドミナント7thコード上で⻑七度相当の⾳が現われる様な例というのは少なくはないので
すが、余程の線の強さがなければ、その線の誇張はおかしく聴こえてしまいがちなので避ける
傾向が強いのであります。その線の誇張としてフレーズが成⽴しているような性格を帯びてい
る物が概して例外を許容する様に響く訳です。

属⾳の半⾳下にある下接刺繍⾳

例えば楽聖ベートーヴェンの「エリーザのために」で現われる冒頭のD♯⾳というのは、属⾳
は [e] にある訳でE⾳がVである訳ですが、下接刺繍⾳となるD♯⾳を⽣じつつ、その装飾の後
に正位のD⾳が⽣ずるのであります。このフレーズを解体すればE⾳に揺さぶりをかけたいが為
にD♯⾳を⽤いている訳です。その後の正位のD⾳はE⾳の装飾の為の⾳ではない脈絡である事は
⼀聴してお判りになるかと思います。加えて、「エリーゼのために」の冒頭の主⾳までの⼀節
は9⾳で構成されていますが、装飾的な振る舞いを極⼒排除した上でシェンカー分析の様に旋律
の⾻格のみを分析するならば、あの⼀節は「属⾳・上中⾳・主⾳(譜例中、⾚⾊で⽰したホ・
ハ・イ⾳)」の3⾳の⾻格から、その後200年経過しても今猶聴き⼿の記憶に残る旋律を纏って
いる事があらためてお判りいただけるかと思います。たったの3⾳からあの様に拡⼤ができると
⾔っても過⾔ではないのです。

ただ、こうした例が「普遍的」となってしまった事で、⾳楽界の凡ゆるシーンにて、こうし
た例が浸透している事で属和⾳上でのみなし⻑七度あるいは減⼋度相当の⾳脈が脳裡に「欲
求」として辷り込んで来る事はあるかもしれません。全ての例がベートーヴェンの影響とまで
は⾔いませんが、こうした先例を暗々裡に肯定している事で斯様な例が⽣じているのであろう
と私は信じて已みません。

ドミナント7thコードに於て刺繍⾳・逸⾏⾳の様に振舞う和⾳外⾳の例を看過できぬジャズの
真⾻頂と読み取るか、将⼜それを瑣末な状況と読み取るかに依って、分析する側が得る「ジャ
ズ語法」というのはその後⼤きな差を⽣じてしまう事だけは間違いないでしょう。和⾳構成⾳
に寄り添い乍ら和⾳外⾳がそのまま独り⽴ちする or 親元に戻って来るかという⾳の振る舞いに
気付く事が和⾳外⾳としての振る舞いを⾒付ける重要な要素なのですから、ジャズ界隈で⾔わ
れる「アウトサイド」のアプローチという物を詳らかに研究する事は強く慫慂したいと思わん
ばかり。

こうして譜例の最後のコードG♭△/B♭に於ては、このコードは本テーマのA7(♭9、13)の
変形である弱いトライトーン・サブスティテューションの同義的置換でありますから、譜例47
番のA⾳の様に逸⾏⾳が現われても、それはG♭△から⾒た♯9thとして振舞えるオルタード・テ
ンションでもありますし、同義的置換前のコードの根⾳の余薫が現われているとも⾒做す事も
可能なのであります。但し、同義的置換前のA7(♭9、13)ですと、この⼩節内に現われるG♭
リディアン・スケールの第2⾳=A♭⾳をこの様に使おうとするのは、強⾏させるスーパーイン
ポーズの様な時ではなければ尻込みしそうな⾳脈であります。つまり、コードが内含する三全
⾳には違いが⽣じない三全⾳代理にて置換させた和⾳であっても、このように「⼤きな差異」
を⽣む訳であります。

この様に同義的置換前のA7(♭9、13)のコードにてA♭⾳を使う⾏為は、この曲の当該箇所
に於て約⾔するならば、三全⾳代理に依る和⾳の同義的置換で得られた⾳脈を強⾏させるとい
う観点から、ドミナント7thコードの根⾳の半⾳下あるいは減⼋度の⾳脈を使っているという⾵
に⾒⽴てる事も可能なのです。

ドミナント7thコードに於いて減⼋度相当のクリシェ・ラインが⽣ずる例としてもう⼀つ例を
挙げておきましょう。先⽇訃報が報じられたスティーリー・ダンのメンバーのひとりウォルタ
ー・ベッカーの1stソロ・アルバム『11Tracks of Whack(邦題:11の⼼象)』収録の「Surf
And / or Dir」という曲のCDタイム5:11に於てベッカーが流麗な運指にてベース・フィルを
⼊れるのでありますが、この部分は私が既にYouTubeにてアップしている様に、譜例のように
D⾳をペダルにし乍ら [g - fis - f] という下⾏フレーズに於て経過的にF♯⾳を忍ばせている事
がお判りになる事でしょう。この曲で表わしている当該部分のコードは「G11」という⾵に表
わしましたが、顕著なのは本位4度つまり完全四度が基底に附与される響きが重視されるコード
でありまして、調号は嬰種記号1つの物ですが、フィナリスをG⾳と採るGミクソリディアン系
統での七度が⻑七度より半⾳低くオルタレーションしたモードを全般的に使⽤している物であ
ります。
認しつつ、楽譜を⾒てみたら驚いてしまう様な⾳を使っているという⾵に思われるのではない
でしょうか。

このデモの4⼩節を⾒渡してみて気付いていただきたいのが、減⼋度および増⼋度を使ってい
たり、マイナー・コード上では減四度も使っていたりする物で、通常のモード嵌当からすれば
この様な⾳は使わないであろうという⾳脈を使っている事がお判りいただけるかと思います。

例えば、Dm7へ進⾏した直後にも、それがフリジアン由来のマイナー・コードという物を匂
わせるE♭⾳を使い、直後には [f - ges - a] という⾵にダブル・クロマティックを⽤いつつ、
2⼩節⽬の2拍⽬から4拍⽬にかけては、ダブル・クロマティックの下⾏フレーズに依るバッ
プ・フレーズを忍ばせているのですが、これはDm7から⾒た減四度を使う事で恰も「D7」系
統のアプローチと同様になっていると思われるかもしれませんが、私としてはDmに随伴する複
⾳程の完全⾳程の暈滃という⾵にして、完全⼗⼀度相当のG⾳が半⾳低くオルタレーションす
る「G♭」のダブル・クロマティックの上⾏形にて忍ばせて⽰唆し、その後にバップ・フレー
ズとしてダブル・クロマティックを使ってその場を凌いでいるという訳です。

3⼩節⽬のD♭△7では、ベースが2拍⽬でH⾳の増六度を⽤いているのがお判りでしょう。こ
れもダブル・クロマティックであり [h - c - des] という⾵に連結している事がお判りいただ
けるかと思います。この増六度=H⾳は、コードがポリ・コードとして「Fm6/D♭△」という
⾵に表わしているのは、上声部の付加六が⽰すD⾳が、下声部のD♭⾳から⾒た増⼋度の⾳脈を
和声的にも⽤いたという事に加え、こうした奇妙なコードを変過和⾳として⽤いつつ、上声部
のコードの根⾳=F⾳との三全⾳となるH⾳をぶつけているという意味でもあるのです。この
「三全⾳」というのは、私が減⼋度や複⾳程側の完全⾳程を暈滃する重要な⾳脈であるという
事を後ほど縷述するので念頭に置いていただきたい部分です。重要度はかなり⾼いです。

そうしてC9に進んだ時も、トランペットおよびベースも減⼋度を⽤いているのはお判りいた
だけるでしょう。然し乍らベースでは1拍⽬に減⼋度のC♭⾳が⽣じて、3拍⽬にはH⾳を使って
おりますが、3拍⽬はB♭⾳とC⾳との経過⾳に過ぎず、1拍⽬の⽅が減⼋度の使い⽅となりま
す。同様にトランペットも2拍⽬でC♭⾳を使っており、4拍⽬でもその様に記譜しております
が、4拍⽬のトランペットのフレージングは記譜こそこのように表わしているものの、まるで
「Bm」(=ロ短調)の⾳脈を使っている様にすら映るかもしれません。C9に随伴する複⾳程
の完全⾳程の暈滃という⾵に⾒ていただければ、減⼋度を⽣じつつ、⼗⼀度は半⾳「上」への
暈滃という⾵に⾒ていただければ⽮張りそれが、基底となるコードから⾒た実質半⾳下の⾳脈
を忍ばせているという事がお判りになっていただけるかと思います。では何故私はこのように
強⾏しているのか!? という事を説明したいと思います。

減⼋度であろうが増⼋度であろうが、基底和⾳に随伴する複⾳程の完全⾳程を暈滃しようと
している意図というのはこれまでにも詳述している様に、これ以上語る必要は無いでしょう。

今⼀度思い出していただきたいのが、過去の私のブログにおいて、リディアン・トータルと
ドリアン・トータルの副⼗三の和⾳は、内在する三全⾳が複⾳程に引き延ばされるという事を
前提にして、その三全⾳が後続和⾳への進⾏感(ドミナント・モーション)を稀薄する事に起
因するという解釈を述べた事があったと思います。そして、今回はリディアン・トータルとい
う和⾳を例に挙げて語ってみようかと思います。つまりは下属⾳を根⾳とする⼗三の和⾳(=
全⾳階の総合)という⾵に構築すれば⾃ずと⽣ずる訳です。

マルセル・ビッチュ著『調性和声概要』

それと平⾏して、マルセル・ビッチュが⾃著『調性和声概要』にて紹介される、メジャー7th
コードに増九度を附与した和⾳を私が最初に⾒た時、「こうしたコードを体得する為にはどの
様に向き合ってみるべきか!?」という⾵に思ったものでした。無論、こうした「珍しい」類
のコードをモノにしたいからこそ私⾃⾝⾊々思案するのでありますが、何分も頭を痛める必要
はなくある程度は類推可能でもある訳です。仮にその和⾳をF△7(♯9)と表わした時(※実際
に『調性和声概要』でもこの様に例⽰される)、ドビュッシーのペレアス和⾳の断⽚の様に⾒
る事もできれば、イ短調=Amの調域での属和⾳の導⾳欲求で⽣ずる変化⾳を⽤いた物であると
いう事でもある訳で、この様な推察は誰もが、和⾳に関する知識と経験を活かせば同様に類推
は可能であります。

その上で私は、Fメジャー7thに附与される増九度という⾳脈を、もっと⼿軽に⽤いる為には
(=少なくともジャズ・シーンに於て応⽤する⽅策)どうすれば良いのか!? という事から
考えてみる事にした訳です。そこには、投影法を⻑和⾳に応⽤する事から始めたという訳で
す。

例えばそれで、C⾳を根⾳とするリディアン・トータルという副⼗三の和⾳を形成するとしま
しょう。和⾳構成⾳はC△7(9、♯11、13) という⾵に⽰す事が出来ます。この和⾳の構成⾳の
⾳程関係を半⾳の数で表わすと下から「4:3:4:3:4:3」という構造になっている点も⾒
逃せない側⾯があるのですが、それを次の様に、C⾳を対称軸として下⽅に「鏡像」を作ってみ
ると次の様な譜例になりますし、⾳程関係も「3:4:3:4:3:4」と反転する事にもなる訳
です。

ミラー・コード

その上で今度は、譜例にも⼩さく例⽰している様に、夫々の調域を確認してもらう事にしま
しょう。こうして互いに鏡像関係を作った時の調域は「三全⾳」の調域の関係になる訳です。
即ちそれは、リディアン・トータルという基底の和⾳に対して投影させた鏡像の和⾳を類推す
ると、⾃ずと三全⾳の関係にある調域のドリアン・トータルを⽣ずるという事を⾒出し、その
何故なら、D♭⾳は、9度のオルタードが「♯9→♭9」と、実演奏では動いている訳です。そ
の上でC⾳も⼆度で集積し合う事になる和⾳と為しており、上声部のC7(♯9)の第3⾳を対称
軸とする様にして鏡像関係を下⽅に作り出してミラー・コードを形成しているという事を⾒せ
ていないので、この様に私は語っている訳です。

ドミナント7thコードの第3⾳は導⾳として使われる物でもあり、この導⾳から⽣じている⾳
程関係というのは等⾳程を⽣じたり、等⽐関係にある⾳程構造を附与したりする事で多様な
「不協和⾳」を⽣ずる事が可能です。その意味でも導⾳を対称軸にするのは理に適った「不協
和」であるのですが、そうした点をマーク・レヴィンは語らずに、これとは全く異なる観点か
ら括る事の出来ない例外の様に取り上げているのは採譜の上でも⽢いですし、況してやこの曲
はウェイン・ショーターの作曲であるにも拘らず、ハービー・ハンコックが弾いているピアノ
のそれをハービー・ハンコック作かの様に捉えられてしまう⽂章で書かれている為、これを参
考にするのは危険と思える訳です。

マーク・レヴィンとて、この特殊な和⾳が「ドミナント7th」コードの類型にあるというの
は、スクリャービン/シリンガー楽派に於ける属和⾳の類型としての不協和⾳の体系でありま
しょうから、その体系に括られる物として⾒なしているのは⾸肯できる部分でありますが、そ
れはE♭を根⾳とするドミナント7thコードではありません。C⾳を根⾳とした属七和⾳を想定
すべきだったのであります。とはいえ、マーク・レヴィンや私の⾒解がいずれも多義的である
のも致し⽅ない側⾯でもあるので、⼀義的な解決として過剰に拘泥するのは無駄でもあるの
で、あくまでも特殊な例として理解に留めておく事が必要でありましょう。

無論、私が「Fee-Fi-Fo-Fum」を分析していた時には、マーク・レヴィンの著書など発売も
されておりませんでしたし、マーク・レヴィンの⾒解がこの様に異なっていると判断出来たの
は相当後の事で、2017年の現在から10年以上も前の事です。こうした特殊な例を理解する
時、そこで⾃⾝の主観に依る根拠なき規準で善し悪しを判断するかのように理解してしまう様
では後々昇華させたりする事は難しくなるので多義的な解釈も柔軟に留めておくべきかと思い
ます。

ミラー・モード

扨て、「リディアン・トータル」のコードを今⼀度語る事にしましょう。これは副⼗三の和
⾳ですから、この和⾳のトップ・ノートに更に三度⾳程を積めば⾃ずと15度⾳を⽣じるので、
「複⾳程の完全⾳程(=完全⼗五度)」という相貌が⾒えて来る事になります。そこで、リデ
ィアン・トータルの根⾳から15度⾳までを⾒てみると、折⾓「4:3:〜」という⾵に順に等⽐
構造が⾒えていたのにも拘らず13〜15度⾳程間はその法則が失われる事になってしまいます。
私が能くやる「複⾳程の完全⾳程の暈滃」というのは、先ず完全⼗五度⾳をオルタレーション
する事になりますから13〜15度間は「⻑13度〜減15度」という⾵になる為、半⾳の数は「2」
となる事になり、等⽐構造から⾒たら崩れているのではないか!? と疑問を抱く⽅もおられ
るかもしれません。

奇しくもドリアン・トータルならばその13度〜15度間の半⾳数は「3」となる為、「3:
4:〜」という等⽐構造を維持する事になりますが、完全15度で「閉じた」世界観にてその⾳
程構造が等⽐関係にあってもその対称構造が閉じる事⾃体はさしたる物ではなく、三全⾳が複
⾳程に跨がった構造から、新たにマルチ・オクターヴも視野に⼊れる(=つまり15度で閉じな
い)という⾵に視野を拡⼤させる⽅が、より世界観を拡⼤する事になるでしょう。

然し乍らそうした「周期的」な構造というのは、⽭盾している様ですが「調和の取れた不協
和」の典型的な例でもあります。その上で更にマルチ・オクターヴという⾵に、オクターヴを
わざと跳越するという事も併存させて⾒渡す事の出来る状況も視野に⼊れる事が可能なので、
13〜15度間に於て等⽐構造が崩れてもそれは⼤きな問題ではありません。複⾳程側にある完全
⾳程を、基底和⾳には準則しつつ暈滃させれば、それは異なる性格を齎す⾳列を⽣ずる事とな
り1オクターヴで閉じる⾳列とはまた違った趣きが⽣ずるのでオクターヴ跳越を強⾏しても良い
のです。
不協和が進んだ社会というのは、こうした等⽐構造や等⾳程などの対称構造が顕著に現われ
てきます。7等分平均律など典型的な例と⾔えるでしょう。こうした⾳律の各⾳程も⽴派な「等
分」平均律なのでして、等しい⾳程感覚で築き上げられた⾳律は「Cents Equal
Temperament」=CETという⾵に表わされる物です。例えば72CETと表わせば、各⾳程は72
セントという等⾳程で築き上げられる物で、しかもこれは1200セントではきっかり割り切れな
い螺旋⾳律であり、増11度⾳程で初めて「螺旋構造」という事になる⾳律でもある訳です。

このような微⼩⾳程や螺旋⾳律を視野に⼊れずとも、不協和な社会というのは⾳程間隔に対
称構造を持つ物なのです。その対称構造というのは、短属九の場合だと根⾳から現われるので
はなく導⾳から⾳程は短三度ずつの半⾳数=3が連続する構造となる訳でもあります。

先にも述べていた様に、和⾳というのは三度堆積を前提としている物ではありません。それ
ならば、根⾳さえ決めておいて、根⾳から⻑三度上⽅にある⾳から完全四度⾳程の等⾳程を構
築して⾏くのも⽴派な不協和⾳が⽣ずる訳であります。ここが短三度等⾳程である必要も無い
のであります。こういう堆積⽅法は応⽤例の⼀つでしかありませんが。こうした不協和⾳の創
出は、如何にして半⾳階組織の⾳脈を取り込んで世界観を拡⼤するか!? という欲求に基づ
いた物であり、純然たる機能和声のそれとは取扱いが⼤きく異なる物なのです。

ドミナント7thコードを最⼤限に利⽤する時は、その和⾳構成⾳に内含する三全⾳をふんだん
に利⽤する訳ですが、ドミナント7thコード⾃体が卑近な響きに聴こえる様になってそれを回避
する時の⼿段として、このような投影法を⽤いて調域⾃体を三全⾳関係を持たせた⾳組織同⼠
を⽤いる、というのがフレキシブルな考え⽅なのです。そういう意味でドミナント7thコード以
外にて「副和⾳」を惰性でやり過ごす事なく、リディアン・トータル or ドリアン・トータルと
して⾒なした上で半⾳階の⾳脈をまぶす。これにて半⾳階的な揺さぶりは豊かになり、アウト
サイドなプレイに繋げる事が可能となるのです。

Cリディアン・トータルの鏡像としてE♭ドリアン・トータルを⾒た様に、その逆も亦然りで
あります。E♭ドリアン・トータルの調域での主⾳ははD♭にある訳ですから、これにて基とな
るC△7(9、♯11、13)側から⾒て半⾳関係の⾳度(Cの半⾳上)の脈を⽤いているという事も
お判りになるでしょうし、調域の主軸をドリアン・トータルの⽅へスルリと移⾏して、その調
域の主⾳=D♭を主軸にすれば、鏡像側のリディアン・トータルは半⾳下D♭の半⾳下に位置す
る様にも⾒える訳です。

このような鏡像関係に於てどのような事が成⽴するのかと⾔うと、例えば、C△7というコー
ドにてCリディアンを想起するケースを考えてみる事にしましょう。これに対して半⾳階的な揺
さぶりをかける為にリディアン・トータルの鏡像として虚構の側のE♭ドリアン・トータルが浮
かび上がります。このE♭m13の第3⾳というのはG♭リディアンを開始する⾳ですので、鏡像
関係同⼠でみれば減五度の関係として成⽴し合う事となり、これを基のCから⾒た時の「Ⅰ・
♭Ⅴ」と⾒做す事が可能となります。

更に、「♭Ⅴ」に進⾏感を与える為に、この前段に下⽅五度進⾏を介在させれば⾃ずと「D♭
⾳」を根⾳とする虚構側の主⾳を想起する事で、結果的に「Ⅰ→♭Ⅱ→♭Ⅴ」とやる事でトー
タルとして半⾳階的揺さぶりが付く訳です。この際、「Cリディアン→D♭アイオニアン→G♭
リディアン」という⾵に遣れば良いという事を意味します。

この際、「♭Ⅴ」の後続に「♭Ⅵ7」が⽣ずる様にしてフレージングをすれば虚構のドミナン
ト7th側でオルタード・テンションを想起する事も可能でしょう。結果的には虚構側のドミナン
ト7thコードのフレージングとしてそれは卑近になってしまうかもしれませんが。

加えて、これらの様にコードを想起したとしても愚直なまで「Ⅰ→♭Ⅱ→♭Ⅴ」の様に進⾏
させなくとも良いのです。Ⅰを⽤いて♭Ⅱを⽤いたら逡巡するかの様にⅠに戻って♭Ⅴの脈を
使ったりなど。こういう⾵にフレキシブルに混淆する様にして⽤いても構わない訳です。

次の4⼩節のデモは、前半2⼩節がCリディアンを想起し得る「C△7(♯11)」、後半2⼩節が
⾳階の⾳脈は、ドッペル・ドミナントで⽣ずる臨時的変化で⽣ずる「上⾏」性質のあるそれと
は全くの逆⾏となる「下⾏」性質を持つ物であるので、先述した、ブルー五度は、平⾏五度オ
ルガヌムにて「シ」に対応する「ファ♯」由来ではなく「シ♭」に対応する「ミ♭」との平⾏四
度が作った転回の五度⾳程内で類推される⻑・短両義性のハーモニーから⽣じた「ソ♮」と
「ソ♭」での「ソ♭」由来である、という事がこれにてあらためて確認できるのであります。

ドッペル・ドミナントは別名ドミナントのドミナントと呼ばれる物ですから⻄洋⾳楽では
「ⅤのⅤ度」とも呼ばれる物です。約⾔すれば「その属七の根⾳をV度と⾒做して下さいね」と
いう事なので、その属七が⽬指すべき「Ⅰ」は五度下⽅に在る訳です。ジャズ/ポピュラー⾳
楽界隈で⾔えばⅡ度で⽣ずる「Ⅱ7」の第3⾳がF♯⾳へと上⽅変位する導⾳欲求
(Leittonbedürfnis)が現われますが、この上⽅変位とは明らかに異なる下⽅変位を確認でき
るという訳です。

それでは先ずYouTubeの⽅で「Find Out!」の原曲を確認してみましょう。当該箇所は最
初、1:22〜から現われます。この当該箇所を次のピアノロールで確認していただければ、平
⾏四度のハーモニーの両声部にて半⾳の連続が⽣じている事がお判りになるかと思います。

Stanley Clarke FI…


FI…

今度は私が当該箇所部分を作ったデモの譜例で確認して⾒る事にしましょう。この「Find
Out!」をヘ⻑調/イ短調という変種記号1つの調号で解釈しているのは、冒頭の「D7」を私
はFメジャー・キーの平⾏短調がメジャー・ブルース化した物と解釈しているからです。つまり
D7を「Ⅰ」と採って後続の「転調」感のある「F7」を「♭Ⅲ」と採るのではなく、D7を
「Ⅵ7」と解釈し、同様にF7を平⾏⻑調がオルタレーションした「Ⅰ7」と解釈している訳で
す。

平⾏四度ハーモ…
平⾏四度ハーモ …

斯様なブルース進⾏に於いては、「Ⅵ7⇄Ⅰ7」or「Ⅰ7⇄♭Ⅲ7」という解釈を逡巡させてし
まう様な実例は多く起こり得ます。結果的にそれらが部分転調的な「六度転調」を仄めかして
いる事もあり場合によって原調を堅持する事をせずに解釈する事もありますが、ジェフ・ベッ
クのアルバム『There And Back』収録の「Star Cycle」の例を取っても同様に、この様なブ
ルース進⾏に於ける「フィナリス」の在り⽅というのは解釈を悩ませる事があります。とはい
え、作者や聴き⼿のそれらが⼀義的な解釈と為す事はなく、ドミナント7thコードが齎すブルー
ス進⾏に於けるフィナリスというのは多義的である事が必然でもある為、寧ろそのドミナント
7thコードを特定の調性の「Ⅴ7」と採らないとする解釈の⽅が⽪⾁にも重要だったりします。
ですので、「Star Cycle」に於てもドミナント7thコードが恰も短三度/⻑六度平⾏進⾏する
様な時というのも、機能和声に於ける平⾏調での⻑・短のそれぞれを「2つのフィナリス」と⾒
る事が出来る事を鑑みれば、「Ⅵ7⇄Ⅰ7」or「Ⅰ7⇄♭Ⅲ7」のどちらの解釈を採択すべき
か!? という議論に於ては、その成り⾏きを鑑みれば「Ⅵ7⇄Ⅰ7」が優位性は⾼くなるとい
う事は念頭に置いていただきたいと思います。

Star Cycleのコー…
Cycleのコー…

では、当該箇所の譜例を確認してみましょう。この2⼩節のブリッジは各拍ごとにコードを想
起する必要があります。特に今回はブリッジ拔萃部分の1⼩節⽬を重視する必要が有るのです
が、1⼩節⽬を御覧になっていただければお判りになる様に、このコード進⾏はダイアトニック
進⾏ではありません。「A♭△→E♭△9(♯11)/G → D♭△9 → Cm7」というコード進⾏で
の冒頭の「A♭」これこそが「♭Ⅲ」と⾒做し得る物であり、先⾏のパターンBでのコード進⾏
でも「A♭△7→F69add4」という⾵に「♭Ⅲ」の⾳度を⽰唆している訳ですが、ノン・ダイア
トニックであるのは明瞭であります。

このノン・ダイアトニックな⾳脈とて原調とは近親的な関係にある所に加えて平⾏四度ハー
モニーで起こる「変応」が巧みに作⽤する事となります。原調とは雖もへ⻑調をFミクソリディ
アン⾵に嘯いているFブルース・メジャーですから⾳組織としては変ロ⻑調のモードで平⾏四度
を確認した⽅が判り易くなります。本来「♭Ⅲ」度だったA♭はみなし「♭Ⅶ」という⾵に平⾏
四度ハーモニーのブリッジでは⾒る事もできます。

とはいえ、こうした⾳度の⾒⽅というのはブルース進⾏の多義性に依る物ですから前後のコ
ード進⾏がノン・ダイアトニックであろうとも近親的な関係で以て⾒渡すと、モード・チェン
ジを円滑に⾏なえる物なのでこうして注意深く語っているのであります。加えて、このブリッ
ジ部のコード進⾏でもうひとつ注意深く理解する必要のある側⾯を語る事にします。

「A♭△→E♭△9(♯11)/G → D♭△9 → Cm7」というコード進⾏は、それこそ1拍ずつコ


ードが⽬紛しく変わるかの様に捉えられかねませんが、このコード進⾏は「1拍⽬→3拍⽬」と
いう⾵に俯瞰して⾒てみると、そこには「A♭→D♭」という下⽅五度進⾏に対して揺さぶりを
かけて「2拍⽬・4拍⽬」というコードを介在させている物として⾒ると良いでしょう。但し、
「2・4拍⽬」で介在させたコードは、先⾏のコードに準則するモードで貫く事のできるモード
という訳ではなく、結果的には各拍の1拍ずつモード・チェンジを⾒る必要はある物の、「1・
3拍⽬」のコード進⾏「A♭→D♭」にて、トップノートの分散和⾳に対して「変応」が起きて
いるという⾵に⾒る事が最も重要なのであります。

するとA♭は、更に、変ホ⻑調のⅣ度という⾵にして⾒る必要性が出て来る事でしょう。変ホ
では、「Green Earrings」の当該箇所(Fm9)が続く所に於て、マルチ・オクターヴ由来の
カウンター・ノートを忍ばせたらどうなるのか!? という事を考えてみる事にしましょう
か。少なくともFm13の更に3度上部の15度⾳は減⼗五度を⽤い、完全⼗⼀度は増⼗⼀度という
⾵に仮想的に⾒⽴てる訳です。するとこれは、Fm9上に於て「Gm」と「Eaug」という和⾳を
併存させた状況として分解して⾒⽴てる事が可能なので、嘗てYouTubeにアップした私の
「Green Earrings」のデモはそういう狙いがあっての説明だった訳ですね。2パターン⽤意し
ているのは、単にカウンター・ノートがソロ・パートしか弾いていない物と、カウンター・ノ
ート由来のポリ・コード「Gm」と「Eaug」を明⽰的にリハーモナイズ的に経過和⾳で挿⼊し
た物という⾵に分けてアップしていた訳です。

Green Earrings B…
B…

処がこういう⽅策もまったく識らぬ物からすれば私のこうした説明などトンデモ扱いしてし
まうだけですから、途端に嘲弄のダメ・マークにポイントが付く訳ですね。こうした莫迦共の
嘲弄は投影法を説明したアリスタ・オールスターズの「Rocks」のマイク・マイニエリのソロ
解説でも同様で、意図を全く読み取れぬ莫迦共がダメ出しをしているのが滑稽であります。

Rocks / Arista Al…


Al…

先の「Green Earrings」でのギター・ソロでの「Fm9」を「Fm13」まで⾒⽴てて更に15
度⾳を積み上げたとした場合、この総和⾳には全⾳階の全ての⾳度 [Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ・Ⅴ・
Ⅵ・Ⅶ]のダイアトニック・コードを包含している事になる為、偶々根⾳を「Ⅱ」とする副⼗
三の和⾳であっても、そこには凡ゆるファンクションのコードが詰まっているのであります
が、この副⼗三の和⾳が唯⼀機能和声的で無いのは、閉塞状況にあるという所です。つまり、
トニック/ドミナント/サブドミナントの機能を総じて含んでいる状況であると。この閉塞状
況がコード進⾏を動的にはせず「静的」にするのであるならば、そこに分数コードおよびオン
コードの状況と等しいシーンがたったひとつのコードが⽰すのであります。

先述した様に、通常のシーンでの分数コード/オンコードというのは概してドミナント機能
を暈滃して卑近な進⾏感を欺いてみたり斜に構えたりする和声的な響きを持たせて⾳楽的な彩
りに変化を与えようとする物です。このような、副⼗三の和⾳から感じられるのは、ドミナン
トもトニックも暈滃しているという状況であると思えば判り易いかもしれません。無論、完全
にドミナントやトニックの機能を喪失させてしまうのではなく、朧げに感じる「標榜」として
の⽴ち位置は必要である訳でして、その上で副⼗三の和⾳の⽴ち居振る舞いを利⽤して、機能
和声の枠組みを強く希釈化させた所に乗じて半⾳階の⾳脈を持ち込むのであります。この半⾳
階が必要とされる最たる要因は、主⾳・属⾳・下属⾳を叛く様にすれば半⾳階としての「筋」
はより強固な物になります。無論、その後には不完全協和⾳程という壁が待ち構え、セリエル
の世界では単に半⾳階を羅列しただけでは⾳程が齎す情緒に依って調性が滲み出てしまう可能
性もある為この辺りの「詰め」が必要なのでありますが、今回⽤いる半⾳階の⾳脈はそこまで
厳格な物でなくとも良いのです。ですから、基底の和⾳という物はそのままに、その和⾳に随
伴する上⾳にある完全⾳程を操作すれば半⾳階の脈を採⽤し乍らのアプローチを採る事が可能
となるのです。
ハイラム・ブロ…
ハイラム・ブロ…

この曲はマーカス・ミラーも全編参加しており話題をさらった物でしたが、当時の毎夏好例
のジャズの祭典 「Select ライヴ・アンダー・ザ・スカイ」(※Select が意味するのは⽇本た
ばこ産業の銘柄のひとつマイルド・セブン・セレクトを模した物)は92年を最後に終ってしま
った事を思えば、ジャズ界も斜陽を迎えた事を思わせます。92年時にもマーカス・ミラーは来
⽇しておりますが、前年の91年にF-bassを持参した時の演奏の⽅が凡ゆる⾯で価値は⾼かった
事でしょう。こうして夏フェスはジャズではなく90年代末にはフジ・ロック・フェスティバル
などが継承して⾏く事になるのですが、90年代初頭の⾳楽シーンは兎にも⾓にもアナクロニカ
ルなサウンドが席巻しており、ベース・サウンドだけ取ってみても世はスラップ・ベース・サ
ウンドが徐々に忌避されて来てアナクロニカルなサウンド志向が強くなっていた時代でした。

それに加えケンウッド・デナードというと、ドラムのプレイ⾯は凡庸であるにも拘らず、斜
陽になりつつある往時の売れっ⼦アーティストを起⽤する嗅覚が甚だしく鋭いとまで揶揄され
る程で、死没する直前のジャコ・パストリアスを起⽤する事となった「ナイト・フード」は別
な意味で有名でもあったりします。先のアルバム『Just Advance』における「斜陽」の筆頭と
なる⼈物はハイラム・ブロックではなく悲しい哉マーカス・ミラーの⽅なのですけれどもね。

マーカス・ミラー側から⾒れば、ソロ・アルバム『The Sun Don't Lie』のリリース辺りの


頃で、当時のBS-NHKで放映されていたデヴィッド・サンボーンがホストを務める往年の名⾳
楽番組『Night Music』が放送されていた後の事でもあったので、マーカス・サウンドが古め
かしくなりつつある時代の変遷期に、ハイエナの様に嗅覚の鋭いケンウッド・デナードが起⽤
したこのアルバムには⽪⾁にも、スロー・テンポ・ヴァージョンでのマーカスのスラップに依
る『Teen Town』も収録されていたりする物で意外にも聴き所はあるのですが、凡庸なドラミ
ングは単に等拍性のあるビートさえ叩いていれば他に⼀切迷惑をかけて済むであろうに、要所
要所で余計な⾊気を⾒せては場を乱す様なドラムのフィルのそれには今猶辟易してしまう物で
す。但し、この頃は91年のライヴ・アンダー・ザ・スカイで来⽇した時のマーカス・ミラーが
F-bassのベースを披露した事で、⼀部のベーシストの間では77年Fender JBの神通⼒の効⼒が
失せてしまった頃でもあり、特に私の周囲でもレイラ・ハサウェイの「Somethin'」でのマー
カス・ミラーのプレイとそれに伴うベース・リフが聴かせるF-bassの素晴らしい⾳⾊キャラク
ターは絶妙だったと評判で、これにてFender JBの魔⼒が⼀気に解けるかの様に、「あの⾳は
F-bassだったのだな」と議論を醸す様にもなった物でした。

特に、マーカス・ミラーがF-bassを使⽤しているであろうと推測される曲およびアルバムは
以下の通り。

「See Me」 / Luther Vandross

See Me- Luther V…


V…

『Inside You』(アルバム全般 YouTube「Chalk It All Up」) / Richard Tee

Chalk It All Up - …

『Healing the Wounds』(アルバム全般) / The Crusaders


『Festival』(アルバム全般 YouTube 「Night Rhythms」) / Lee Ritenour
Lee Ritenour - Ni…
Ni…

『Ashes To Ashes』(アルバム全般 YouTube 「Born To Be Bad」) / Joe Sample 等

Joe Sample - As…


As…

この様にマーカス・ミラー関連の話題を⻑々と述べてしまいましたが、注⽬すべきはハイラ
ム・ブロックの演奏の⽅です。特に「Just Blues」に於けるハイラムの特筆すべき部分のアプ
ローチは、私が既に採譜してYouTubeの⽅でもアップしている物で、その拔萃部分を詳らかに
縷述する事にしますので、そこで⽤いられているアプローチがどのように「完全⾳程を暈滃」
しているのかという事も併せて理解されたいと思います。

ソロ部分のコード進⾏は次の通り

C7(♯9) × 4⼩節→
F7 × 2⼩節→
C7(♯9)→
G♭△ / B♭→ ※本テーマ部の茲の箇所はA7(♭9、13)
Dm7→
G7→
B♭69 × 2⼩節

という⾵なコード進⾏なのでありますが、私が既にYouTubeの⽅で先⾏アップしていたデモ
動画では、本テーマ部のコード進⾏をそのままハイラムのギター・ソロ部に投影させてしまっ
ていた為、現在ではその誤った⽅の動画は削除しております。また、F7の後続和⾳は当初
「Cm7」としていたのですが、「C7(♯9)」でブルース・マイナーを強調するという解釈にして
あらためて表記しておきました。

この様な注意すべき前提を踏まえた上で、ハイラムのギター・ソロに於て最も特筆すべき箇
所をYouTubeのデモ動画をあらためて⽤いて解説するのでありますが、基本的には曲のキーは
「Cブルース・マイナー」としております。無論、⻑・短の両義性を伴っているのでC⾳をフィ
ナリスとしているブルースというのが精確な捉え⽅なのですが、同主調短調のマイナー感の法
を強く出しつつ、ピカルディーの3度の響きを醸し出しているという⾵に捉えてみても、マイナ
ー側がやや強い両義性のある響きという⾵に捉える事が出来るだろうと信じて已みません。

扨て、そこで漸くハイラムのギター・ソロ(デモ動画の⽅ではGRギター・シンセ・サウンド
で模倣)での特徴的なアプローチを語る事にしますが、最初に念頭に置いてもらいたいのが池
内友次郎に倣う形での和⾳外⾳の略称です。今回はこれらの略称から譜例にて扱われない和⾳
外⾳もありますが、⼀応列挙したので、ジャズ・コードの体系やアヴェイラブル・ノートの想
起とも異なる解釈を併記しておこうと思います。

F7にて⽣ずる「減⼋度」の⾳脈、即ちF♭⾳が⽣ずるのを⾒ていただきたいのですが、譜例
の⽅ではF♭⾳ではなくE⾳と⽰しております。それは、Cブルース・マイナーという前提にて
フィナリスをC⾳に採る時の3度⾳に両義的に現われる⻑三度の余薫としての意図を表わしてい
Surf And / Or Die…
Die…

⼀聴すれば即断可能でありますが、終始Gミクソリディアンなのではなくモード・チェンジ
は頻繁に⽣じております。ラヴェルのボレロは移旋が顕著な作品でありますが、ベッカーが移
旋を執拗に「モード」の視点にて⽤いるコードも⼆度/四度和⾳を視野に⼊れると、これほど
までに先鋭化するのだとあらためて痛感させられる事頻り。その上でベッカーの⽤いるこのア
プローチも実際には、F△/G△というポリコードにてG△の側がオルタード・テンションを纏
わせているという様にして [g - fis - f] というフレージングの後にスルリとアプローチを変え
ている事がお判りいただけるかと思います。決してG7が使い⼿の都合の良い様にオルタード・
テンション・ノートを纏ったり本位⼗⼀度を併⽤したりしている使い⽅ではない訳です。

扨て、この様にして「減⼋度」という⾒かけ上の根⾳から⾒た時の⻑七度という⾳をドミナ
ント7thコード上にて⽤いる「クリシェ」としての動機の例を挙げて来た訳ですが、⻑七度⾳を
構成⾳に持つコードに於て増六度⾳、みかけ上は短七度⾳と同義となる⾳の取扱いも今回は語
っておく必要があるでしょう。そこで今回語る必要がある物として例⽰したいのが次の私のオ
リジナル作成のデモでして、こちらも早々とYouTubeの⽅ではアップしておりました。その譜
例を確認してもらい乍ら話を進める事にしましょう。

ダブル・クロマ…
ダブル・クロマ…

まず1⼩節⽬の「E♭△7(9、13)」に於て、トランペット(※実⾳表記)が、このコード上で
臆⾯も無くD♭⾳や本位⼗⼀度であるA♭⾳を使っているという所は、ある程度ジャズ/ポピュ
ラー⾳楽でもアヴェイラブル・ノートを充てるモードを習得している⽅なら却って尻込みしか
ねない⾳である事でしょう。例え幾ら⾳価がこの様に短いとしても、通常ならこうしたフレー
ジングにはならないと思います。しかも冒頭から2⾳⽬のD♭⾳は、これが装飾⾳符の前打⾳と
して奏されてから半⾳下のC⾳に進むというフレージングならばまだ有り得るかもしれません。
それとて、その装飾⾳はメジャー7thコードから⾒た短七度⾳相当の⾳なので、これを装飾⾳と
して使う事も通常ならば使わない⾳脈である事でしょう。然し乍らこのデモを聴いてみて、作
った私がトンデモの誹りを受けるかのようなフレージングをしている様に聴こえるでしょう
か!? 私が作っておいてこう⾔うのも何ですが、全く酷くないと思います。⽿に届く⾳は是
鏡像となる⾳脈はドリアン・トータルから⾒れば三全⾳関係の調域のリディアン・トータルを
対照させる事ができる訳で、ドミナント・モーションという、後続の和⾳が⾒え透いた響きを
作ってしまう「属七」和⾳の⼒などを借りずとも、⾳脈の使い⽅次第で「三全⾳」を内在させ
るならば、それは半⾳階を駆使し乍ら「不協和→協和」という進⾏感の道を通る事と変わりな
い訳であります。その上で、リディアン・トータルから⾒た時の「カウンター・ノート」とな
る⾳の出現というのは、鏡像となるドリアン・トータルの変化記号を充てた⾳を確認していた
だければお判りになるかと思いますが、A♭・D♭・B♭・G♭・E♭⾳という⾳を、C△7(9、
♯11、13)にて呼び込む⾳脈として⽤いる事が可能にもなる訳です。勿論それらを忍ばせる為に
はフレージングの為の訓練を積む必要があるとは思いますが、こうした異端とも思える⾳脈は
投影法で⽣じている物なのです。

そうすると「E♭⾳」というのは「D♯」の異名同⾳でもある訳ですが、こうした⾳脈を拾っ
て来れる因果関係を投影法で導いているという所が重要なのでありまして、複⾳程側にある完
全⾳程の暈滃「以外」に⽤いる事の出来るカウンター・ノートの⾳脈はこの様に広がっている
訳であります。

こうした⾳を鏤めたフレージングであるという事を、あらためて先のデモに投影していただ
ければ、通常のモード嵌当からは得られない⾳を易々と使っている理由がお判りになるかと思
います。

加えて、私がこうした投影法を利⽤できたのは、マルセル・ビッチュの『調性和声概要』や
パーシケッティ『20世紀の和声法』が貢献してくれた事も⼤きかったのですが、それらに加
え、シェーンベルク『Theory of Harmony』、A・イーグルフィールド・ハル著『近代和声の
説明と応⽤』が⼤いに貢献してくれた事は⾔うまでもありません。また、それに加えてウェイ
ン・ショーターのアルバム『Speak No Evil』収録の「Fee-Fi-Fo-Fum」の曲冒頭に出て来る
(2つ⽬のコード)に出て来る、ハービー・ハンコックが弾くミラー・コードが助けになって呉
れた事も⼤きな要因でありました。

このミラー・コードは次の様に、短い断⽚のデモを作りましたが、譜例通りにこの様に⽰す
事が出来る訳です。解釈としては、上声部のコードC7(♯9)というコードのオミット7、即ち七
度省略をした上で、⾚⾊の弧線で⽰した⾳同⼠が鏡像としての⾳脈として使っている訳であり
まして、これを無理⽮理コードで⽰すと、譜例上で表わしている様に「C add ♭9、♭10/F」
という⾵に、⾒馴れないコード体系で表わしている訳です。

Fee-Fi-Fo-Fum / …

然し乍ら、マーク・レヴィンは⾃著『ザ・ジャズ・セオリー』に於て、このコードを「E♭7
(♭9)/F」という⾵に解釈してしまっている訳です。暗々裡にE♭7の5th⾳は省略して、何
故かC⾳を充てる事になる訳ですが。この解釈が私にはどうしても溜飲を下げる事が出来ない訳
です(※ショーター本⼈がこうした解釈をするのであるのならば致し⽅ありませんが)。
E♭ドリアンを想起し得る「E♭m9」というコードに於て、夫々「Ⅰ・♭Ⅱ・♭Ⅴ」と想起し
ているアプローチにてフレージングしているのがお判りいただける事でしょう。余談ではあり
ますが、本デモのトランペット・パートに施しているBus挿しのリバーブのプリ・ディレイは
103ミリ秒を取って仕上げてありますので意外な程に⻑く取っている様に思われるかもしれま
せんが、実⾳が引き延ばされる様に且つダブって聴こえない位の減衰時の⾳量レベルとリバー
ブ⾳の遅延部分が重なるポイントがあるので、そこを⾒出していただければと思います。勿
論、物理的には「遅延」が⽣じている訳ですから僅か乍らにダブって聴こえる事はあります
が、段差が⽣ずる様なこだまの様に聴こえさせるのではなく、スロープを⽣じたサステインの
圧延の様に感じる事がリバーブのプリ・ディレイの巧みな採り⽅であるので、そちらも併せて
参考にしていただければ幸いです。

ミラー・コード …

私がこれまでブログで語っている投影法、ミラー・モード、ミラー・コードという語句には
斯様なアプローチを前提に⽤いているのであります。リディアン・トータルとドリアン・トー
タルで対照させ合うのは、ミラー・コードを⽤いてミラー・モードを得るという事にありま
す。ドミナント7thコードならば三全⾳代理というトライトーン・サブスティテューションは容
易に⾏なえますが、属和⾳以外でのこうした半⾳階の⾳脈の呼び込みというのは、切り込む動
機や揺さぶりをかける⾳の⼊り⼝をどのようにして突破⼝とするか!? という事にヒントが
あるので、副和⾳においてこうして利⽤可能となる訳であります。また、こうしたミラー・コ
ード/ミラー・モードのアプローチは中⼼軸システムも視野の範疇に⼊るので⼤きなヒントと
なる事でありましょう。

処が投影法の⼀部のアプローチを過去にも私はマイク・マイニエリのプレイなどでYouTube
に挙げた物でしたが、おそらくはこうした投影法関連の理解に乏しい⼈からするとトンデモ扱
いされるに等しい⾳脈を使っている様に映るのか、往々にしてダメ出しを⾷らう物です。ドリ
アン・トータル・アプローチ関連とかの動画とかも、万⼈には届かないのかもしれません
(笑)。況してやアウトサイドなアプローチを慫慂するかの様な⽅策というのは、まるで逸脱
こそが全てとばかりに、外せば何でもアリかの様に考えている様な者の戯れ⾔の様に受け⽌め
られてしまう様ではこちらとしても納得は⾏きません。とはいえ、説明するにも順序という物
がありまして、単に解答を急ぐだけの様なガイドラインの羅列にはしたくはないので私のブロ
グは遅々として進まない様な所があるのかもしれません。とはいえかなりじっくりと説明して
いる筈なのですが(笑)。
Rocks / Arista Al…
Al…

ジャズに⾒られるダブル・クロマティック1.pdf
ジャズに⾒られるダブル・クロマティック2.pdf
ジャズに⾒られるダブル・クロマティック3.pdf
ジャズに⾒られるダブル・クロマティック4.pdf
ジャズに⾒られるダブル・クロマティック5.pdf
ジャズに⾒られるダブル・クロマティック6.pdf
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2017-09-17 07:00

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