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7 Dan
-ナルマダ・ダム・プロジェクト中止過程とインスペクション・パネル設立を事例にして-
〔査読論文〕
世界銀行の開発援助レジームの形成と変容
──ナルマダ・ダム・プロジェクト中止過程とインスペクション・パネル設立を事例にして──
段 家 誠
目 次 し,出資額の多い国,とくに先進国の主張が通
Ⅰ はじめに りやすい仕組みである。
Ⅱ 国際レジーム論からみた「世界銀行と NGO」 世銀の貸付によって多くの開発途上国が経
1 .世銀の「国際開発援助レジーム」 済成長を達成した一方で,途上国政府のなか
2 .レジーム形成期 には,開発プロジェクトの実施に際して,プロ
1 )1970 年代 -1980 年代半ば「世界銀行と NGO」 ジェクトサイトの住民の意向を尊重せず,半
関係の開始
ば強引にプロジェクトを遂行する事例も知ら
2 )1985-1993 年 レジームの形成「ナルマダの教
れるようになった。いわゆる開発問題の発生
訓」
である。その際,住民等は自発的に住民組織を
3 .レジーム変容期
立ち上げて対処するか,国内外の非政府組織
1 )1994-2000 年 規範の形成と変容─インスペ
(NGOs)の支援を受けて問題解決をはかってき
クション・パネルの設置
た。一方,1980 年代アメリカでは,それまで国
2 )モース調査団との比較
Ⅲ おわりに
内の環境問題を扱っていた NGO メンバーが世
界銀行をターゲットに批判を開始した。開発途
上国で世界銀行や各国の政府開発援助(ODA)
によるプロジェクトの影響 1 )を受けていた住民
Ⅰ はじめに らは,プロジェクトによる影響の低減や補償,
もしくはプロジェクトの中止を求めて,当該政
ブレトン・ウッズ体制は,世界恐慌と第二次 府や関係機関に働きかけを行うようになるが,
世界大戦の惨禍の経験を踏まえつくられた。そ うまくいかなかった。やがて,彼らは,現地の
の中核である国際復興開発銀行(IBRD,その 住民組織とともに国際 NGO と連携して,当該
後,設立された国際開発協会[IDA]とともに世 政府やその実施機関に対して影響力を及ぼすた
界銀行。以下,世銀)と国際通貨基金(IMF)は, めに,援助を行う政府機関・議会や世界銀行を
冷戦下の資本主義経済秩序を維持するために機 経由して問題解決を図る手法を採るようになっ
能してきた。ブレトン・ウッズ機関のなかで, た。すなわち,世界銀行と NGO,世界銀行と市
世界銀行は,組織・貸付資金規模,過去に開発 民社会関係の一つのモデルがここに成立した。
途上国で多くのインフラストラクチャー整備等 また,先進国内では,納税者という観点から,
に携わってきた最大級の国際開発援助機関であ 世界銀行の貸付や開発プロジェクトに関心を持
る。世界銀行の正統性の源泉は,加盟国の出資 ち,積極的に関与しようとする発想が生まれて
からなり加盟国政府の意思を最も反映する組織 きた。世銀にアカウンタビリティー(説明責任・
構造となっている。つまり加重表決制度を採用 結果責任)を求める方法によって,世銀の正統
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世界銀行の開発援助レジームの形成と変容
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性を問うのである 2 )。 保されない等の懸念が日本や米国から出されて
6)
本稿では,環境と移住問題等を理由に世銀貸 いる 。また,環境や人権に関してその基準が
付が中止されたインドのナルマダ・ダム・プロ 国際的なものとして保障されるかどうか関心を
ジェクトを事例に,世銀の正統性がいかにして 集めている。そうした観点からも,本稿で検討
ゆらぎ始め,世銀のガイドラインがどのような される世銀の規範は,ADB その他の多国間開
問題を抱え,それが開発援助の規範形成にどう 発銀行や各国の開発援助機関に影響を与え,今
影響したかを検討する。次に,ナルマダ問題を 後は AIIB でも参照されるべきものになると思
契機に世銀に設立されたインスペクション(査 われる。
閲)
・パネルが,その設立過程で世銀と啓発や政
策提言を行う非政府組織(アドボカシー NGO) Ⅱ 国 際レジーム論からみた「世界銀
の間でどのようなやり取りを通じて形成され, 行と NGO」
その後,変容していったかを考察する 3 )。
以上の考察を通して,本稿は,国際開発にお 1 .世銀の「国際開発援助レジーム」
7)
ける世銀の正統性を吟味し,その内部規範であ 国際レジーム論 において,世界銀行を扱
4)
るガイドラインが国際開発レジーム 形成にど う場合,ここでは 2 つのアプローチがあげら
のような影響を与えたかを見極める。そして, れる。第 1 は,世銀そのものの正統性と国際レ
世銀の規範遵守を独立した立場で調査するイン ジームにおける位置づけを問う方法である。こ
スペクション・パネルの実効性を検討する。お れはグローバル・ガバナンスと関連させて,世
わりに,世銀との関わりから市民社会における 銀をブレトン・ウッズ体制の位置づけから大き
アドボカシー NGO の意義と役割について明ら く論じようとするものである。もう一つは,世
かにし,これらをもってグローバル・ガバナン 銀内部における規範が,国際開発援助における
スにおける世界銀行と NGO の関係を展望した 規範となり,国際レジームとなると考えてアプ
い。 ローチする方法である。
近年,新興国ブラジル,ロシア,インド,中 世銀の制定したガイドラインや政策は,後に
国,南アフリカの頭文字を取った BRICS 開発銀 波及して行き国際開発援助の分野において,規
行やアジアインフラ投資銀行(AIIB)等,中国 範となることがある。例えば,規範では環境ガ
が主導する新たな国際開発金融機関が相次いで イドラインや非自発的移住ガイドライン,政策
創設されている。これらはいずれも米欧主導の や戦略では,ベイシック・ヒューマン・ニーズ
ブレトン・ウッズ体制への挑戦として受け止め や貧困削減戦略などはその例である。インスペ
5)
られている 。こうした新しい多国間開発銀行 クション・パネルは,同一ではないものの,苦
が登場する背景には,開発途上国の資金需要に 情申し立て制度としてアジア開発銀行(ADB)
既存の世銀やアジア開発銀行(ADB)等が応え などの他の多国間開発銀行(MDB)や二国間援
切れていない点や IMF 改革において中国等の 助機関に設置されている。世銀のガイドライン
新興国の影響力拡大を米議会が懸念してそれら や政策は,規範として国際開発援助分野に大き
が進まない点が挙げられる。AIIB については, な波及効果をもっている。そうした観点から,
2015 年 3 月に英国が創設国として参加表明し 世銀内部における規範が,国際開発援助におけ
た後,ドイツ,フランス,オーストラリア等が る規範となり,やがて国際レジームに発展する
相次いで参加を表明し,3 月末で 57 カ国が創設 と考えてアプローチできる。
国として名乗りを上げた。AIIB では当初,融資 すなわち,環境と開発問題に対処するため,
意思決定過程の迅速化のため常設の理事会が置 世銀内部でルールが明確であり,体系化され
かれないため組織運営や融資基準の透明性が確 ているか,それらを監視する組織本体に対す
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る「下位ユニット」があるかどうかが肝要とな ロジェクトを進める政府や国際機関の意思決定
8)
る 。世銀のインスペクション・パネルはそれ 過程の透明化や民主的手続きの重視,情報公開
に相当するであろう。本稿は,この規範と制度 などアカウンタビリティーに関心を持つ。
化を,世銀の「国際開発援助レジーム」とみる アドボカシー NGO のこれまでの行動を振り
ことにより,世銀貸付による大規模プロジェク 返ると,彼らの目的となる成果(例えば特定プ
トに関連して発生する環境と開発問題に伴い, ロジェクトの中止)が達成されるよう,規範を
世銀が NGO の影響によって,どのようにその 形成しつつ,その規範が一定の成果をもつよう
レジームを形成し,変容させてきたかを考察す に議会や世論,総裁,理事らに働きかけている。
る。
(図 1 ) ある意味で規範を道具として利用しているとい
市民社会においてアドボカシー(啓発,政策 えよう 10)。
提言を行う)NGO は,先進国政府や議会(ここ
では世銀第 1 位の出資国であるアメリカ),国 2 .レジーム形成期
際機関(世銀),世銀プロジェクトサイトのある 1 )1970 年 代 -1980 年 代 半 ば「 世 界 銀 行 と
借り手政府に対して,
「規範伝播者」もしくは圧 NGO」関係の開始
力集団として機能し,国際的なレジームを形成 世 界 銀 行 と NGO の 関 係 は,1973 年 に NGO
9)
する役割を担っている 。 が世銀プロジェクトに参加したことに始まっ
また NGO は個別イシューとして,例えばダ た 11)。世銀は協力的な NGO との関係を構築し
ム開発に伴う,環境や先住民の生活や伝統的文 ながら,1980 年代前半には,批判的な NGO の
化の破壊からの保護,プロジェクトサイトの住 存在を意識しはじめた。アドボカシー NGO が,
民の補償やリハビリテーション,人権保護,プ ブラジルのポロノロエステ・プロジェクトをは
出所)筆者作成
図 1 レジーム論における「世界銀行と NGO」概念図
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出所)2006 年筆者撮影。
図 2 ナルマダ・ダム(サルダル ・ サロバル・ダム)
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24 日,議会下院でナルマダに関する聴聞会が開 て,影響を受ける人々の再定住およびそのリハ
かれた。聴聞会後,何人かの上下院議員は世銀 ビリテーション方法に関して評価することで
に対して計画支持を再考するよう求めたが効果 あった。第 2 は,ナルマダ・ダム建設に伴う環
はなかった。こうしたこともあり,日本の NGO 境への影響を改善するために立案された方法を
は,ナルマダへの ODA 追加融資を阻止するこ 評価することであった 27)。
とにより,本体工事の中止を企図した。 独立調査団は調査終了後に調査結果をまと
アドボカシー NGO による日本でのナルマダ・ め,その所見を 1992 年 6 月 18 日に世銀総裁へ
キャンペーンは,1990 年 5 月,当時の野党国会 の勧告を含めて世銀プレストン総裁に提出し
議員を通じて,国会答弁の対象となった。その た。報告書は 364 頁にのぼった。調査団の提出
プロセスでは日本の海外経済協力基金(OECF) した報告書は,ナルマダ・ダム・プロジェク
による調査団が世銀の調査団の報告に依拠して トに対する世銀貸付の再考を促す厳しい内容
いた点や環境と移住対策の不備が明らかにさ であった。モース団長とトーマス・バージャー
れた。その後,当時の有償資金協力課長は発電 (Thomas R. Berger)副団長は,報告書冒頭の
タービンへの ODA 追加融資を停止した 20)。環 プレストン総裁への書簡で,世銀に対してナル
境や移住問題に関連して日本の ODA 途中中止 マダ・ダム・プロジェクトの再考を促した 28)。
21)
は前例のないことであった 。他方で,日本の モースらは報告書において,インド政府が世銀
ODA の凍結は,世銀に対しては「重要な信号」 と結んだ融資協定の条件を満たしておらず,そ
22)
となった 。 れを満たす約束と期限をたびたび違反したこと
1990 年末から 1991 年初めにかけて,インド を批判した。そして,それを許してきた世銀を
23)
現地での非暴力反対運動 は活発になってい インド政府とともに批判して,両者に責任があ
た。1991 年 1 月 13 日,コナブル総裁はナルマ ることを指摘した。また「モース報告書」は,ナ
ダ・ダム・プロジェクトに対する独立した第三 ルマダ・ダム・プロジェクトは,環境への影響
者機関による調査団派遣に同意した 24)。 が大きく,移住問題への対応が不十分であった
これを受けて NGO は,オランダ理事らを通 ことをはっきりと指摘した。
25) 26)
じて ,世銀の調査団構成員および調査事項 モース調査団は,既に世銀内に存在した規範
の決定に影響力を及ぼすことによって世銀の意 が遵守されているかどうか,再検討する役目を
思決定過程に影響を及ぼそうとした。また,世 果たした。これはアドボカシー NGO が外部か
銀の規範が遵守されているかどうかを独立調査 ら批判をしただけではなしえない機能を,モー
団の調査を通じて明らかにし,そこから世銀内 ス調査団が持っていたからこそなしえた。レ
部に存在する規範とその違反について内部矛 ジーム論の観点からモース調査団の役割を分析
盾を世銀に意識化させようとした,と解釈でき すると,モース調査団の委任事項と機能は,レ
る。 ジームの要素における規範の「実行のためのプ
1991 年 6 月 17 日,独 立 調 査 団 団 長 に 元 ログラム・組織」とみることができよう。
UNDP 総 裁 の ブ ラ ッ ド フ ォ ー ド・ モ ー ス 一方,1992 年 6 月 18 日,モース報告書が公表
(Bradford Morse)が決まった。同年 8 月 30 日 された同日,プレストン世銀総裁は,全職員に
にモースは,総裁任期終了目前のコナブル総裁 向けて,モース報告書の調査結果によって世銀
より正式に任命され,9 月から新総裁ルイス・ がナルマダ・ダム・プロジェクトから撤退する
プレストン(Lewis T. Preston)の下で活動を開 ことはない意思を表明した 29)。
始した。世銀からモース独立調査団への委任事 モース報告書公表後,一部の世銀理事から
項は,大きく 2 つあった。第 1 は,ナルマダ・ は,ナルマダ・ダム・プロジェクトに関するイ
ダム,その貯水池および導水運河の建設によっ ンド政府との貸付協定から,世銀はどのような
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法的措置を取ることができるのかという質問が して猶予案が出されたことによるところが大き
出されていた。法的見解について,世銀上級副 い。前例のないプロジェクトの完全中止に迷い
総裁兼最高法律顧問であるイブラヒム・シハタ のある先進国と同様の問題を内包するプロジェ
(Ibrahim Shihata)は,借入国が貸付協定に違反 クトを抱える開発途上国の支持をオプション 3
した場合,世銀が貸付協定を停止して,世銀資 は得たのである。また,この理事会では,冷戦
金の支払いを中止することが法的に可能である 下では圧倒的な影響力を持っていたアメリカの
30)
ことを明言した 。さらに 8 月 7 日,世銀法務 意向が,イギリスのインド支持という事情も加
部顧問のイアン・ニューポート(Ian Newport) わり,通らなくなった例として注目される。レ
は,8 月 5 日に行われたモース調査団の結果を ジームの視座からみれば,環境と開発問題に対
覆すためにインド関係部局が現地に送ったコッ して規範意識が高い先進国と世銀の資金を利用
クス(Cox)再調査団の報告書に関する理事向 して開発を進めたい開発途上国の思惑が対立し
けの報告に対して,違和感があると記したメモ た理事会であった。
31)
を関係者に送った 。ニューポートは,インド 世銀理事会は,ナルマダの即座の中止を選択
政府と州政府が,世銀の貸付協定を遵守してい しなかったものの,インド政府は,その後与え
ないと明確に指摘した。インド政府の世銀協定 られた 6 カ月の猶予期間を有効に活用できず,
違反を指摘していた法務部の見解は,世銀内で 世銀が示したプロジェクト継続のための条件を
プロジェクトを推進する者にとっては不都合 満たすことができなかった。期限を目前とした
であったが,規範の遵守を促したい世銀内部の 1993 年 3 月 30 日,インド政府代表理事ビマー
「良識派」と外部のアドボカシー NGO にとって ル・ジャランは,自ら世銀融資辞退を申し入れ
は有益であった。 た 34)。
世銀理事会は,加盟国の代表が議案を討議す ナルマダ・ダム・プロジェクトへの世銀貸付
る点で世銀の中枢を担う存在であり,レジーム 中止過程の考察からわかることは,以下のこと
を構成する要素である「集団的意思決定の手続 である。そもそも世銀は内部で貸付に関して環
き」に相当する。1992 年 10 月 23 日に開かれた 境や移住,先住民などの規範を持っていた 35)。
32)
ナルマダ・ダムに関する理事会 は,個別の案 し か し,そ れ ら 世 銀 の 内 部 規 範 の 不 遵 守 を,
件の存続か中止かについて検討する理事会とし NGO が外部から指摘しその遵守を米国議会や
33)
ては異例であった 。当初理事会の開催は 9 月 日本の ODA 追加融資凍結を通じて,促したこ
に予定されていたが,理事会開催は事務局の動 とである。さらに,事実を確認するために,コ
きもあって度々延期された。理事会では,有力 ナブル世銀総裁は理事らの後押しを得て,世銀
な出資国であるアメリカ,日本,ドイツ,カナ 事務局から独立したモース調査団の派遣を決定
ダ,ノルウェー,オーストラリアがナルマダ中 した。後任のプレストン総裁は,規範がどれく
止を求めた。しかし,それ以外のイギリスやフ らい遵守されていなかったかを報告書により
ランスなど先進国と開発途上国の加盟国は,イ 客観的に知った。その後の事務局,マネジメン
ンド政府に対して,プロジェクトに関する改善 トの抵抗はあったものの,世銀の基準を満たせ
を促すために半年間の猶予期間を与えるという なかったインド政府は貸付を辞退した。世銀は
事務局側が案出した選択肢(オプション 3 )を アドボカシー NGO から規範の遵守圧力を受け
支持した。その結果,プロジェクト中止の選択 て,規範認識を行った。その際,法務部の役割,
肢は過半数の支持を得ることができなかった。 またモース報告書と同時期にリリースされた世
このような結果は,事務局から提示された表 銀プロジェクトの効率性について疑義をもった
決に際しての選択肢が,中止か反対かの二者択 ワッペンハンス報告書(The Willi Wapenhans
一ではなく,第 3 の選択肢(オプション 3 )と Report)の 影 響 も 大 き い。以 上 が,世 銀 の ナ
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はなく,毎回のように独立調査団を派遣するに り,世銀内での有効なレジームといえよう。さ
は,その都度,設置の是非をめぐる議論や調整 らに,その規範の及ぶ範囲は世銀組織だけでは
などを行わなければならない。編成のための なく,実質的には世銀から貸付を受けている
時間も費用もかかる。モース調査団は,長年に 借手国政府にも一部及んでいる。すなわち,レ
渡って世銀内外で問題となったナルマダ・ダム ジームがもたらす規範の学習効果は世銀スタッ
だからこそ可能であった。その最終決断をした フだけではなく,加盟国にも時間の経過ととも
のはコナブル総裁であり,その点でアドホック にパネルの機能と役割,存在とともに浸透し,
な調査団は,そのときどきの総裁の意向,リー 社会化される可能性がある 44)。
ダーシップやパーソナリティーに左右される可 それゆえに借入国によっては,基準が比較的
能性がある。 高い世銀貸付によるプロジェクトを避ける,あ
一方,パネルの場合は,その本調査の実施に るいは世銀貸付を途中で断り,環境や社会,人
ついて理事会の決定によるところが大きく,理 権問題で基準の低い中国等の新興ドナーからの
事会構成国の意向が重要となる。パネル対象と 援助を受けるケースが出てきている。
なる事案が,大きな借入国などで実施される場 さらに,冒頭述べたような中国主導の AIIB
合,環境や移住問題,NGO や世論,マスメディ 等の新興国際開発金融機関では,貸出までの意
アなど外部の指摘に比較的敏感に反応する先進 思決定が速い分,環境や社会影響評価や問題発
国理事とそうでない開発途上国理事とでは意見 生時の対応がおろそかになる恐れがある。中国
が異なり,調査の承認に際して対立が発生する からすれば,こうした新興の AIIB では世銀の
余地がある。 規範が波及するまでに時間を稼ぐことができ,
また,パネルでは,総裁や理事会に対して, その間,存分に借入国でプロジェクトを進める
プロジェクトの中止勧告の権限が最初から付 ことができる。だからこそ中国は AIIB 設立に
与されていなかった。そのため,パネルの見直 向かったといえよう。
しでも当初より進んだ機能は盛り込まれなかっ 一方で,世銀パネルの課題もいくつかある。
た。他方,モース調査団では,プロジェクトに 第 1 に,借入国内の政治的あるいは経済的,社
付随して調査権限を確保したこと,さらに最終 会的事情などで,パネルに申立てができない住
的に総裁に対してナルマダ・ダム・プロジェク 民がいる可能性である。世銀のプロジェクト数
トから撤退すべきとの勧告を実質的に行ったこ に比して,パネルはそれほど多くない。しかし,
ととは大きく異なる。 個別事例をいくつか見る限りでは,同様の申立
てが生じてもおかしくないプロジェクトが他
Ⅲ おわりに にも多数あるように思われる。申立てができる
かどうかは,当該プロジェクトによって影響を
そもそも世銀が個別プロジェクトごとに内部 受ける人々が,まずパネルの存在を知っている
規則を遵守し,発生した問題に適切に対応し, か,また申立ての準備をできるか,それらを支
NGO も必要に応じて交渉していれば,レジー 援する NGO や代理人がいるかどうかにかかっ
ムやパネル制度は必要ないかもしれない。しか てくる。そして,申立て後も政治的・社会的に
し,既存の世銀組織とプロジェクト・サイクル・ 安全に暮らせるような状況があるかどうかも重
マネジメントでは,適切に問題対処できなかっ 要である。他方,申立てを行う海外のアドボカ
たからこそ,新たな規範やレジームが必要とさ シー NGO も,その申立てを世銀改革のための
れ生み出されてきた。 戦略的手段としかみない場合,事案の重大性に
その意味で世銀のインスペクション・パネ 比して,申立てをしないプロジェクトが出てく
ルは,世銀職員にとって無視できない存在であ る可能性もある。
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Review(Bank Information Center, Washington 2003, Demanding Accountability: Civil Society
DC, 1997) . Claims and the World Bank Inspection Panel,
43) そ の 後,パ ネ ル に つ い て まと め た 文 献 に つ い Rowman & Littlefield.
て は,以 下 の も の が あ る。Shihata, The World Clark, Dana /Fox, J. / Treakle, K.(eds.) , Demanding
Bank Inspection Panel, In Practice, Second Accountability: Civil Society Claims and the
Edition(Oxford, 2000) . International Bank for World Bank Inspection Panel (Rowman &
Reconstruction and Development / The World .
Littlefield, 2003)
Bank, and the Inspection Panel, Accountability at Ibrahim F. I. Shihata, The World Bank Inspection
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on(the World Bank, 2003) . Clark, Dana /Fox, J. Bank Inspection Panel: A Three Year Review
/ Treakle, K.(eds.), Demanding Accountability: (Bank Information Center, Washington DC,
Civil Society Claims and the World Bank 1997) .
Inspection Panel(Rowman & Littlefield, 2003) . International Bank for Reconstruction and
松本悟(環境 NGO メコン・ウォッチ)編『被害 Development / The World Bank, and the
住民が問う開発援助の責任』築地書館,2003 年な Inspection Panel, Accountability at the World
ど。その他,世銀のインスペクション・パネル,先 Bank, The Inspection Panel 10 years on(the
住民業務政策と国際法上の規範や制度発展との関 World Bank, 2003) , p. 126. Sabine Schlemmer-
連について触れたものとして,桐山孝信「世界銀 Schulte“Introductory Note to the Conclusions
行における開発と人権の相克 ─先住民族に関す of the Second Review of the World Bank
る業務政策とインスペクション─」 (『国際法外交 Inspection Panel”International Legal Materials,
雑誌』第 102 巻第 4 号,2004 年 2 月)を参照。 Vol. 39.
44)規範の学習,社会化については,山本,前掲書, International Bank for Reconstruction and
117 ページを参照。 Development, International Development
45)1999 年パネル申立て,2000 年融資撤回。 「対中融 Association, Resolution IBRD 93-10 and
資を撤回 世銀,チベット問題に配慮」 『日本経済 Resolution No. IDA 93-6,“The World Bank
新 聞 』2000 年 7 月 8 日,夕 刊,2 ペ ー ジ。 “China Inspection Panel” , dated September 22, 1993,
drops plea to World Bank for $40m to fund para. 1. International Bank for Reconstruction
Tibetan scheme,”Financial Times, July 8, 2000, and Development, O perations I ns pection
p. 1. Function: Objectives, Mandate and Operating
46)2015 年 7 月 6 日現在。 Procedures for an Independent Inspection Panel,
47)中国政府は AIIB 設立にあたって,少なくとも8 Revised Resolution(R93-122/3, September 22,
人の世銀出身者をアドバイザーやコンサルタント 1993) .
として協力を受けている。 「クローズアップ 2015: Kevin Danaher, ed., 50 Years Is Enough: The Case
アジア投銀に世銀出身者 中国,経験不足補う」 Against the World Bank and the International
『毎日新聞』2015 年 6 月 28 日,朝刊,3 ページ。 Monetary Fund(South End Press, 1994) .
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