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飯 い

田 だ


制せ
い 絵え 語かた
日に

平へ
い 作さ
く り
本ん 和わ
語ご の 土ど 飯い



ょ 大たい 井い 田だ


切せ 理り 國に
材ざ つ
絵え ひ
彦こ


を を 子こ
つ 伝つた

る え

会かい
な まえ いい だ くにひこ に ほんじん
ぼくの名 前 は、飯田國 彦です。日本人です。
せんきゅうひゃくよんじゅうにね ん まんしゅうこく いま ちゅうごく とうほく
一 九 四 二年に 満 州 国(今の 中 国 の 東 北
ち ほう う とう かあ
地 方 )で生まれました。お 父 さんとお 母 さん、
ねえ よ にん か ぞく
お 姉 ちゃんとぼくの四人家 族 でした。
ねえ きんじょ ちゅうごくじん とも
お 姉 ちゃんとぼくは、 近 所の 中 国 人の 友 だ

-1 -
まいにち なか あそ
ちと、毎 日 仲よく 遊 んでいました。ぼくたち
ちゅう ご く ご じょう ず はな
は 中 国語を 上 手に 話していました。
くに せんそう
ぼくの 国 は 戦 争 をしていました。
せんきゅうひゃくよんじゅうごね ん はる とう せんそう い おきなわ な
一 九 四 五年の春にお 父 さんは戦 争 に行きました。そして、 沖 縄 で亡くなりまし
た ・・・

かあ ねえ つ
お 母 さんは、ぼくとお 姉 ちゃんを連れ
ひろしま
て、おじいさんとおばあさんがいる広 島
かえ
広島
ひろしま

に 帰ることにしました。

-2 -
沖縄
おきなわ
満州国
ま んしゆうこ く
せんきゆうひやくよんじゆうにね ん に ほん
(一 九 四 二年ごろの日本)
ひる よる なんにち ある
昼も夜も 何 日 も 歩 きました。
かあ ときどき
お 母 さんは 時 々 ぼくをおん
た もの の
ぶしてくれました。食べ物も飲
もの みなと
み物もありませんでした。 港
ふね の
から船 に乗りました。

-3 -
ひろしま むか
広 島でおじいさんとおばあさんが 迎 えてくれました。
に さい
ぼくは二歳でした。
おんぶする= carry someone's on one's back
せんきゅうひゃくよんじゅうごね んはち が つむ い か あさ
一 九 四 五年八月六日、ぼくは朝 ごはん

を食べていました。
ぴかっ

め まえ ま しろ
目の前 が真っ白になりました。
どん!
おお おと
大 きい音 がしました。

-4 -
はち じ じゅう ご ふん ひろしま げん し ばくだん お
八 時 十 五分 広 島に原 子 爆 弾が落とされ
ました。
ぴかっ= (onomatopoeia)flash
どん= (onomatopoeia)bang
ま しろ げん し ばくだん
真っ白= pure white 原 子 爆 弾= atomic bomb
きゅう つよ かぜ ふ たたみ いっしょ と
急 に強い風 が吹きこんできて、ぼくは 畳 と一緒に飛ばされました。
こわ いえ いっしょ お
そして、壊れた家と一緒に落ちました。
くら
あたりが 暗 くなりました。
おかあちゃん、たすけてえー。
なん ど こえ だ こえ で
何 度も声を出したかったけれど、声が出ませんでした。
かあ ねえ こわ いえ した
お 母 さんもお 姉 ちゃんも、壊れた家の下にいました。

-5 -
からだじゅう あつ うご
ぼくは 体 中 が熱くて 動 けませんでした。
たす だ
しばらくたってから、おじいさんがぼくたちを 助 け出してくれました。
いえ い
ぼくたちは、おばさんの家に行きました。
からだじゅう いた まいにち な ふ とん お あ
ぼくは 体 中 が痛くて、毎 日 泣いていました。布団から起き上がれませんでした。
かあ ねえ べつ へ や ね
お 母 さんとお 姉 ちゃんは別の部屋に寝ていました。
「おかあちゃーん」
「くにひこ」

-6 -

おかあちゃーん」
「くに・・
・」
「おかあちゃーん」
「―――――」
ふたり だんだん はな
二人は、段 々と話さなくなりました。
ひ そうしき や き かあ ねえ かんおけ い
ある日お 葬 式 屋さんが来て、お 母 さんとお 姉 ちゃんを棺 桶 に入れました。そしてぼく
かんおけ い
も棺 桶 に入れようとしました。
こ い
「その子はまだ生きています!」
おお こえ い
おばあさんは大きな声で言いました。

-7 -
かあ に じゅう ご さい ねえ よんさい な
お 母 さんは二 十 五歳で、お 姉 ちゃんは四 歳で亡くなりました。
とき さんさい
その 時 、ぼくは 三 歳でした。
そうしき や かんおけ
お 葬 式 屋さん= funeral director棺 桶 = coffin
いっしょうけんめい
おばあさんは、一 生 懸 命ぼくの
せ わ
世話をしてくれました。
まいにち せんたく
毎 日 ぼくのために洗 濯 をしたり、
しょく じ よう い
食 事を 用 意したりしてくれまし
た。
くち なか いた
でも、ぼくは 口 の 中も痛くて、

ほとんど食べられませんでした。

-8 -

そのうち、おじいさんもおばあさんも亡くなりました。
ひと り ご さい
ぼくは一人になりました。五歳でした。
せんそう お に さんねん ご
でも、ぼくにはおじさんがいました。おじさんは、戦 争 が終わってニ、三 年 後、フィ
ひろしま かえ き いっしょ す
リピンから広 島に 帰 って来ました。ぼくはおじさんと一緒に住むことになりました。
ろくさい に ほん こ ろくさい
そして、ぼくは六 歳になりました。日本の子どもは 六 歳から
しょう がっこう かよ しょう がっこう かばん たか か
小 学 校に通います。小 学 校の 鞄(ランドセル)は高 いので、買

ってもらえない子もいました。

-9 -
いろいろ
おじさんは色々なもの
う くろ か
を売って、ぴかぴかの 黒いランドセルを買ってく
れました。ぼくはとてもうれしかったです。
ぴかぴか = shiny
でも、ぼくはずっとめまいがしていました。ラン
せ お がっこう い とき
ドセルを背負って学 校に行きたかったけれど、 時
どき がっこう い
々 、学校 に行くことができませんでした。
じゆっさい まえ げん き
ぼくは 十 歳ぐらいになって、 前 より 元 気になり
がん ば がっこう い べんきょう
ました。頑張って学 校 へ行きました。でも勉 強 が
とも
わからないし、 友 だちもできませんでした。

- 10 -
がっこう や けど かお うで み
学 校のみんなは、ぼくの火傷した 顔 や 腕 を見て、
がっこう い
ぼくをいじめました。それでもぼくは学 校 に行きま
した。
めまいがする= feel dizzy
やけど
火傷= burn いじ める = tease
ちゅう がっこう はい げんばく じゅうねん べんきょう ぜんぜん
ぼくは 中 学校 に入りました。原 爆 から 十 年 でした。でも、まだ勉 強 が 全 然 わから
とも がっこう い がん ば がっこう
なかったし、友 だちもいませんでした。でも、学 校に行きたかったから、頑張って学 校

に行きました。
ちゅうがっこう せんせい ふくはらせんせい だいがく そつぎょう おとこ せんせい
中 学校 の先生は 福 原 先生でした。大 学 を卒 業 したばかりの 男 の 先生でした。ぼく
べんきょう がっこう なん がん ば
は勉 強 がわからなかったけれど、学校のことは何 でも頑張りました。
に ほん がっこう せんせい こ いっしょ がっこう そう じ
日本の学校 の 先生と子どもは、一緒に学 校を 掃 除しま
そう じ じ かん かいだん ふ ふくはらせんせい
す。 掃 除の時間に階段を拭いていたら、 福 原 先 生が

- 11 -
いい だ がん ば
「飯田くん、頑張っているね。きれいになったね。


と褒めてくれました。
う はじ ひと ほ こころ
ぼくは生まれて初めて 人 から褒められました。 心 の
なか あか ふくはらせんせい こと ば
中 がとても 明 るくなりました。ぼくは 福 原 先生の言葉
まいにちがっこう い とも
に、毎 日 学校に行けないことも、友 だちがいないことも
き げんばく げん し ばくだん
気にならなくなりました。 原爆 原
= 子爆 弾
ひ まいにち いえ
ぼくは、その日から毎 日、家でも
べんきょう
勉 強 するようになりました。
つぎ う はじ ご
次のテストで、生まれて初めて五
じゅうにん に じゅう に ばん
十 人のクラスで二 十 二番 になり
うれ
ました。とても 嬉 しかったです。
べん
それからぼくは、もっともっと勉
きょう がん ば つぎ
強 を頑 張りました。それで次のテス

- 12 -
いちばん
トでは、クラスで一 番 になりました。
じゅう ご さい がっこう いちばん
十 五歳になって、学 校 で一 番 にな
りました。
ふくはらせんせい ほ か
福 原 先生が褒めてくれたことで、ぼくは変わりました。
いい だ くにひこ ななじゅう ご さい
飯田 國 彦さんは 七 十 五歳
にせんじゅう しちねん けっこん こ
(二〇一七 年 )です。結婚して子ど
ふたり はたら べんきょう
もが二人います。働 きながら勉 強
は か せごう
して博士 号 もとりました。
いい だ まいにち ひろしま
飯田さんは毎 日 のように広 島 の
へい わ こうえん こ げんばく
平和 公 園 で、子どもたちに 原 爆 の

- 13 -
たいけん はな
体 験 を 話 しています。
いま ちゅう がっこう ふくはらせんせい
今も、 中 学 校の 福 原 先生にとて
かんしゃ
も感 謝しています。
へい わ たいけん かんしゃ
平和= peace 体験= experience 感 謝 する= appreciate
い い だ

飯田くん
ねん がつ にちはっこう
2018 年 5 月 31 日発行
かた いいだくにひこ
語り:飯田國彦
え ど い り え こ
絵 :土井理絵子
せいさく へいわ たいせつ つた に ほ ん ご きょうざい かい
制作:平和の大切さを伝える日本語教 材をつくる会
あさ べ や す こ つちもと ゆ い こ なかごしなお み ながみね さ ち こ
(朝辺泰子、槌本由維子、中越尚美、長峯佐知子、
はしもとれい こ もりしたさち こ
橋本玲子、森下幸子)
いいだ た げ ん ごた ど くかんしゅう
※「飯田くん」のレベル1版は、NPO 多言語多読監 修のもと、
ねん がつ たどく たいしゅうかんしょてん しゅっぱん
2019 年1月に「にほんご多読ブックス」
(大 修 館書店)として出 版

されます。

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