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ポライトネス理論から見た言語行為

一 FFA概念の導入をめぐって一

大塚 陽 子

0.はじめに

 対人関係調整のための言語の機能,ポライトネス(Politeness)1が言語学,とくに語用論の研
究者から新しい研究対象として注目を浴びるようになってから30年以上の時が流れた。現在,ポ
ライトネスに関する研究において,たいへん大きな影響力を持っているのがBrownとLevinson
のポライトネスの理論(1978/1987)(以下B&Lと略記)である。彼らの理論はポライトネス研
究の基盤として多くの研究者に取り上げられており,また高い評価も得ている。この評価は,そ
れまでの同種の研究では説明され得なかったポライトネスの普遍性とそのメカニズムが,理解し
やすい形で提示されているという点に負うものが大きい。
 その一方で,彼らの理論が,数々の指摘や批判を受けているのも事実である。実際には,その
有効性を大枠では認めながらも,具体的な分析のためには多少の修正を加えざるを得ないという
立場をとる研究者が多い。とりわけ,この理論を異言語間における比較・対照分析の道具立てと
して扱う場合には,いくつかの点において修正が必要になると考えられ,多くの研究者たちから
さまざまな案が提示されてきた2。
 Kerbrat−Orecchioni3(1992,1995,2005)は,そのような研究者の一人として挙げられるが,
B&Lの「フェイスを脅かす行為(FTA)」に対し,新概念「フェイスを立てる行為(FFA)」を
導入し,ポライトネスの再解釈を行っている。このFFAという概念の導入によって,どのよう
な解釈が可能になったのだろうか。本稿ではまず1.でB&Lのポライトネス理論を,続く2.で
Kerbrat−Orecchioniの理論を概観する。さらに3.においてKerbrat−OrecchioniのFFA概念とそ
の導入にっいての検討を行い,4.ではFTAでもありFFAでもある「ハイブリッドな行為」に焦
点を据え,FFA導入によりあらわになる言語行為の特性にっいて考察していきたい。

1.B&Lのポライトネス理論

 まずはB&Lの理論を概観しておきたい。1978年に“Universals in language usage:
politeness phenomena”が発表され,その改訂版として1987年にはPoliteness:some univer−
sals in language usageが出版された。 B&Lのポライトネスをひとことで言えば,「フェイス保
護のための協同作業(cooperative preservation of face(1987:60−61)」となる。以下にこの定

義を理解するたあに必要となる基本的概念を見ていこう。

(1)
1.1フェイス(face)

 フェイスとはB&Lの基盤となる概念である。もともとは社会学者Goffman(1967)が提示し
たこの概念4をB&Lが応用,発展5させた。B&Lに従えば,フェイスとは「自分自身にっいて望
む社会的な自己イメージ6」で,社会の構成員としての人が持っている基本的欲求である。人々
が互いのフェイスを傷っけることなく尊重し合うことで,その社会における人間関係の調和が保
たれる。したがって,フェイスの保護は対人関係を円滑に構築,維持するための鍵とされる。ま
た,人は目的に達すべき手段を考えることのできる理性的な能力も持ち合わせているので,他者,
そして場合によっては自己のフェイスを保護するたあの様々な言語的手段(ストラテジー)を用
い,対人関係を調整しようとする。それがポライトネスである7。

 さて,フェイスにはポジティブ・フェイス(positive face)とネガティブ・フェイス
(negative face)がある。ポジティブ・フェイスとは「自分についてのよいイメージを他者に持っ
てもらいたい(他者から認められたい,理解されたい)8」という欲求で,ネガティブ・フェイス
とは「自分の個人的な領域であるテリトリーを他者に侵されたくない,邪魔されたくない,行動
の自由や強制からの自由を確保したい9」という欲求である。ここで言うテリトリーとは,場所
(空間)だけではなく,身体,物品,時間,心理などに関わると解釈されている1°。たとえば,人
が他者に「ほめてもらいたい」「いい印象を与えたい」と思うのがポジティブ・フェイス,その

一 方,「拘束されることなく自由に行動したい」,「自分の問題にむやみやたらと立ち入られたく
ない」など,「他者に踏み込まれない領域を守り,他者と距離をとりたい」という欲求は,ネガ
ティブ・フェイスに相当する。

1.2 フェイスを脅かす行為(FTA)

 さて,この二っのフェイスは,実際の社会生活では,さまざまな行為によって常に脅かされて
いる。B&Lはこのようなフェイスを脅かす行為をFace Threatening Act略してFTAとした。
FTAにどのようなものがあるかを,彼らはかなり細かくリストアップしている11。

話し手が聞き手のネガティブ・フェイスを脅かす行為
(i)聞き手のとるべき行動を示したり,その行動をとるようプレッシャーを与えたりする行為:
   命令,依頼,提案,忠告,指摘,脅迫,警告,挑発 など
(u)話し手にとってプラスとなる行動をとるように聞き手に示したり,それにっいての諾否を
   求めプレッシャーを与えたり,責任を負わせたりする行為:申し出,約束 など
(m)聞き手や聞き手の所有物についての話し手の願望を示す行為:お世辞,羨望,賛辞,憎悪,
   怒り,欲望の表現 など
 話し手が聞き手のポジティブ・フェイスを脅かす行為
(i)聞き手のポジティブ・フェイスに関することに否定的な評価を与える行為:不承認,批判,
   侮蔑,不平,叱責,告発,罵り,反論,不賛成,異議の申し立て など

(2)
ポライトネス理論から見た言語行為一FFA概念の導入をめぐって一

(li)聞き手のポジティブ・フェイスに配慮しなかったり,無視したりする行為:激しい感情表
   現,不遜な振る舞い,タブーな話題や状況にふさわしくない話題を口にすること,聞き手
   にとっての悪いニュース・話し手にとってのよいニュースを告げること,争いの種になる
   ような話題の取り上げ,非協力的な態度,聞き手の話をさえぎる,無理な推論,配慮しな
   い,ふさわしくない呼称の使用 など
話し手自身のネガティブ・フェイスを脅かす行為
  感謝,聞き手からの感謝や賛辞の受け入れ,謝罪・勧誘の受け入れ,聞き手からの無礼な
  行為の受け入れ,約束や提案をしぶしぶ受け入れること など
話し手自身のポジティブ・フェイスを脅かす行為
  賛辞,お世辞の受け入れ,肉体的な暴露,酔っ払う,卑下,ごまかし,萎縮,ばかげた行
  い,告解,罪を認める,責任を認める,感情の暴露笑いや涙をコントロールできない
  など

 フェイスを脅かさないためには,FTAを避けたり, FTAが軽減されるための方策(ストラテ
ジー)に頼ったりしなければならない。どのような方法をとるかを決めるために,話し手はある
行為xがどの程度フェイスを侵害するのか(フェイス侵害度(Wx))を予測する。このWxは,
話し手(S)と聞き手(H)の社会的距離(D),聞き手の話し手に対する力(P),そしてある文
化においてその行為xが相手にかける相対的な負担度(R)の三っの要因によって決まるとされ
る12。

Wx=D(S, H)十P(H, S)十Rxi3

D,P, Rが大きければ大きいほど,フェイス侵害度が大きいということになる。ここで注目す
べきなのは,ある行為xが相手にかける負担度Rが文化によって異なることが考慮されている点
である。同じ行為であっても,その行為はある文化においてはフェイス侵害度がより高く,別の
文化においてはより低い。それを提示したことで,B&Lはポライトネスの普遍性と同時に多様
性,また各文化や社会において言語現象となってあらわれる個別性を説明することに成功したと

言われている。

1.3 ポライトネス・ストラテジー

 さて,B&Lは,このようなFTAを回避するために大枠として5っのストラテジーがあるとし
ている。

 フェイスを尊重するための最たる得策は「FTAを行わない」ことである。しかし,なんらか
の理由でFTAを行わなくてはならない場合は, FTAの大きさに合ったストラテジーが話し手に
よって選択される。「FTAを暗示的に行う(off record)」という策に頼ることもある。またFT
Aをはっきりと明示して行わねばならない場合(on record)は,相手のポジティブ・フェイス
に働きかける「ポジティブ・ポライトネス」に頼ったり,相手のネガティブ・フェイスに働きか

(3)
ける「ネガティブ・ポライトネス」に頼ったりする。あるいは,なんの策もほどこさず「そのま
まFTAを行う」という選択肢もある。これは,対人関係よりも情報伝達が優先される場合(緊
急時に「逃げろ!」や「気をっけろ1」と言う場合など)に選択される。
 さらに,B&Lは具体的に,15のoff recordのストラテジー,15のポジティブ・ポライトネス・
ストラテジーt10のネガティブ・ポライトネス・ストラテジーを挙げている。
 off recordのストラテジーとは,言いたいことをはっきりと示さずほかの表現に含意させたり,
あいまいな表現を使ったりすることによってFTAを軽減するものである。たとえば,寒いので
窓を閉めてほしいときに,「窓を閉めて」という代わりに「この部屋寒いですねえ」と言って,
聞き手に窓を閉める行動を促すことがこれにあたる。ポジティブ・ポライトネスとしては,「相
手を認める・ほめる」というように聞き手のポジティブ・フェイスを尊重して欲求を満たすもの
や,「共通点・類似点を見出す」「仲間意識を強める」など,聞き手との距離を近づけるものがあ
る。またネガティブ・フェイスには「間接的な表現を使う」「敬語を使用する」「負担を小さくす
る」など,聞き手のフェイスを侵害しない程度の距離を保ち,聞き手を強制したり拘束したりし,
ないようなストラテジrが多い。聞き手に積極的に働きかけ相手との距離を近づけるための
「社交のアクセル」14がポジティブ・ポライトネス,聞き手との距離を適度に保っための「社交の
ブレーキ」15がネガティブ・ポライトネスである。
 この40のストラテジーは,いくつカ・の言語16に見られる言語現象の事例の描写とその分析によっ

て提示されたもので,B&Lによって普遍的とされた。しかし今日では,彼らの理論の中で普遍
的とされるべきものは,対人関係調整のためのポライトネスのメカニズム,っまり,
   ・人はポジティブとネガティブ,2っのフェイスを持っている
   ・言語行為にはフェイスを脅かすものがある
   ・人はフェイスを保護するために言語ストラテジーをとる
という点であって,実際に現れるポライトネス現象(ストラテジー)は文化や社会によってさま
ざまである,とする考えが主流である。ポライトネス現象についての異言語・異文化間での比較・
対照分析はこの考えに基づき行われていると考えてよい。
 ところで,これまで見たようにB&Lは言語行為に「フェイスを脅かすもの」という特性を新
たに加えたが,この点について,研究者たちの間では次のように見解が分かれている。


全ての言語行為は潜在的にFTAである

        VS.

言語行為の中にはFTAでない行為もあるIT

後者の立場を取ったのがKerbrat−Orecchioniである。次では,彼女の理論を概観しよう。

2.Kerbrat−Orecchioniのポライトネス理論

B&L理論における検討すべき条件の一っとして,Kerbrat−Orecchioniは次の点を挙げている。
(1992:176).

(4)
ポライトネス理論から見た言語行為一FFA概念の導入をめぐって一

B&Lのポライトネス理論は,過度にネガティブである。この理論は(社会生活は潜在的な脅かしに
よってしか形成されず,人はその脅かしを避けたり,緩和したりすることしかできないかのような)

FTAの概念に基づいていているが,インタラクションにおいては「反FTA(anti−FTA)」,すなわち

フェイスにとってポジティブな影響を与える行為も存在するはずである。

そして,この指摘に伴い,ひとつの概念を導入した。それがFace Flattering Act(FFA)18であ
る。言語行為の中には本質的にフェイスの価値を高めるもの,っまりフェイスを立てる行為があ
るとし,そのような行為をFFAとしたtg。さらに,ポライトネスは次のように定義された。

ネガティブ・ポライトネス:相手に対してFTAを行うことを避けたり,なんらかの手
             段を用いてFTAを緩和したりする。(FTAの棄権や補償行
             為)
     例:FTA行為をしない
       代用手段を用いる:間接的な表現,娩曲表現を用いる
       附帯手段を用いる:FTAに附帯させることによってFTAの軽減を可能
       にする表現を用いる2°

ポジティブ・ポライトネス:相手に対してFFAを(場合によっては強調して)行う。
             (FFAの産出行為)
     例:「同意」,「提案」,「招待」,「賛辞」,「感謝」など

さらに,ポライトネスは次のように分類された。

相手のネガティブ・フェイスに対するネガティブ・ポライトネス
     例 起こしてしまった無礼(FTA)に対する謝罪
相手のポジティブ・フェイスに対するネガティブ・ポライトネス

     例 批判の緩和
相手のネガティブ・フェイスに対するポジティブ・ポライトネス
     例 贈り物21
相手のポジティブ・フェイスに対するポジティブ・ポライトネス
     例 賛辞

 Kerbrat−Orecchioniのポライトネスの理論は, FFAの概念導入により, B&Lよりもかなりシ
ンプルな仕上がりになっていると言える。ポライトネスのメカニズムを理解し,それを応用する
のに最低限必要な本質のみが押さえられているという点で,たいへんわかりやすく,比較・対照
分析などに用いる際の道具立てとしても扱いやすい。これはFFA概念の導入による成果と言え
そうである。

                                          (5)
 ただ,疑問点がないというわけではない。そこで,以下ではこれらの疑問点にっいて検討する
ことにしよう。

3.FFA概念の導入

3.1 FFAとポライトネス・ストラテジー

 最初の検討事項は,FFAとポジティブ・ポライトネスの捉え方に関わる問題である。 Kerbrat−
Orecchioniのポライトネスの定義では,ネガティブ・ポライトネスをFTAに対するストラテジー
と捉えることができる。一方,ポジティブ・ポライトネスの定義を見ると,ポジティブ・ポライ
トネスとはFFAを行うこととされていて,ポジティブ・ポライトネスとFFAを行うことが同一
であるかのように解釈してしまいそうになる。果たしてそのような解釈は妥当なものだろうか。
先に結論から言ってしまうと,FFAとポジティブ・ポライトネスは同一視せず,区別すべきと
思われる。理由は以下のとおりである22。

 FFAはFTAの対立概念である。この二っの概念は次のように表すことができる。

FTA話し手や聞き手のポジティブ・フェイス,ネガティブ・フェイスを脅かす行為
FFA話し手や聞き手のポジティブ・フェイス,ネガティブ・フェイスを立てる行為

「ポジティブ・フェイスを立てる行為」とは,「自分についてのよいイメージを他者に持ってもら
いたい(認められたい,理解されたい)司という欲求を十分に満たすような働きかけをすること
であり,「賛辞」「同意」「祝辞」「承認」などがそれにあたる。一方,「ネガティブ・フェイスを
立てる行為」とは,テリトリーや自由を尊重し保護する働きかけをする行為ということになり,
「解放」や「許可」などがそれにあたる。それでは,「賛辞」や「解放」がポジティブ・ポライト
ネスか,というとそうではない。これらはあくまでも行為である。
 ところで,ストラテジーを用いるというからには,達成したい何らかのゴール(目的)がなく
てはならない。ゴールが相手とのよい関係作りや関係の保持であるとすると,FTAはストラテ
ジーとして用いることができないが,FFAは用いることができる。なぜなら, FFAは本来フェ
イスにとってプラスの影響を与えるものだからである。要するに,.「賛辞」のようなフェイスを
立てる行為FFAがあり。それをストラテジーとして意図的に用いる,それが,ポジティブ・ポ
ライトネスということになる。
 しかし,FFAは本質的にポライトなものであるので,ポライトネス・ストラテジーとの線引
きが容易ではない。たとえば,・「お世辞」はこの事実が巧みに利用された言語行為と言えよう。
実際のコミュニケーションでは,「称賛」されているのか,「お世辞」を言われているのか区別し
にくいことがある。FFAなのか,あるいはストラテジーとして利用されているFFAなのかを見
分ける基準がなにか,というような問題については,さらなる検討が必要だろう。実際の線引き
が難しくても,FFAとポジティブ・ポライトネスは区別すべきである。それをここでは,強調
しておきたい。

(6)
ポライトネス理論から見た言語行為一FFA概念の導入をめぐって一

3.2言語行為のFT性vs. FF性

 Kerbrat−Orecchioniは,全ての言語行為はFTAかFFAとなるとしている。他方,すでに見た
ように(1.3),全ての言語行為はFTAであるとする立場をとる研究者も多い。この点をどう考え

たらよいだろうか。
 B&Lは,ほとんどの言語行為がフェイスを脅かす行為であるとした。また,Dascal(1977:
315)は,「話しかけること自体が『会話要求の突きつけ』にあたり,FTAである」としている
し,Thomas(1995:176)も,「話しかけることは,誰かの空間を侵害し,ものを言うこと自体
(または,言わないことも),潜在的にフェイスを侵害する」としている。相手がそれをFTAと
思うかどうかは別として,話しかけるという行為は,たしかに多かれ少なかれ聞き手のテリトリー
を侵害する。話しかけられれば,たとえほんとうに短かったとしてもそのことで時間が取られる
し,話しかけた相手に注意をむけ対応しなければならないという精神的,肉体的な拘束も受ける。
したがって,これらの主張は妥当なものと思われる。
 しかし,実際にはフェイス侵害にはあたらない行為,あるいはフェイスを満足させる行為(つ
まりFFA)もあることを認めざるを得ない。たとえば,日常生活で欠かすことのできない「挨
拶」のような,儀礼化されている言語行為など,それを行うことが礼儀とみなされる行為は,本
来FFAと捉えることができるだろう24。「挨拶」は,「相手を認識し,礼儀正しく声をかける司
.という点で,すでに相手のポジティブ・フェイスを満たす行為だからである。以上を踏まえると,
言語行為は,潜在的にはFTAであるが,中にはFTAであることを打ち消すだけの,対人関係に
とってプラスの要素を備えた行為もあると考えるのが妥当ではないだろうか。
 そこで,同時に二っのヴィジョンで言語行為を理解することを提案したい。一っめは,「全て
の言語行為はFTAである」とするマクロ的な見方(ヴィジョン)。もう一っは,「(マクロ的に見
れば」全ての言語行為はFTAであるが,細かく見ていくと,『フェイスを脅かす性質(以下FT
性と略記)』が顕著にあらわれる行為と,『フェイスを立てる性質(以下FF性と略記)』が顕著に
あらわれる行為がある」とするミクロ的な見方(ヴィジョン)26である。これによって,言語行為
は本来フェイスを脅かすものではあるが,FT性の高い行為,っまりFTAと, FF性が高い行為,
っまりFFAが存在する,とすることができる。
 それでは,ミクロ的な見方で言語行為を見た場合,言語行為はFTAかFFAのどちらかにはっ
きりと分けられるのだろうか。実はそんなに単純にはいかないようである。FTAでもあり, FF
Aでもある行為が存在するのである。このような行為について見てみよう。

(7)
4.ハイブリッドな言語行為

4.1二面性を持つ言語行為

 「ハイブリッド」という語を用いて,言語行為を説明しようとしたのはKerbrat−Orecchioni
(2005:196)である。実は,彼女がFFAとして例に挙げた行為の中には, B&L(1887)ではFT
Aとされているものがある。例として「賛辞」についての彼女の解釈を見てみよう。

 「賛辞(を述べるという行為)は,彼ら(B&L)にとっては,まずなによりも羨望の表明なのである。

すなわち,賛辞を受ける対象はすべて,(話し手から)それを手に入れたいと思われているということ

になる。したがって,すべての褒め言葉は,褒められた人のネガティブ・フェイスを脅かすものとなる。

しかし,そうであっても,それ(賛辞を述べること)はまた,何よりも,褒められた人のポジティブ・

フェイスにとってはFFAである。(2005:196)tt」

このようにKerbrat−Orecchioniは,「賛辞」はB&LではFTAとして扱われているものの, FT性
とFF性の両方を兼ね備えた二面性のある行為,っまりハイブリッドな行為であるとした。この
解釈に補足を加えるならば,「賛辞」には話し手の聞き手に対する評価が含意されている。その
ような意味においても,「賛辞」は,聞き手のポジティブ・フェイスを脅かすとも考えられる。
なぜなら,評価を下すということは,話し手が評価をできる優位な立場にあるということになる
からである。「賛辞」の際に聞かれる次の言葉(下線)は,自らの優位性を打ち消すことで,相
手のポジティブ・フェイスに対するFTAを軽減する機能を備えていると考えられる。

「こんなことを私が申し上げるのもおこがましいのですが,ほんとうに素晴らしい演奏でした」as

 さらに,場合によって「賛辞」は,話し手にとってもFTAとなる。たとえば,選挙で落選し
た候補者が当選した候補者に「賛辞」を述べる場合には,落選者は「自分の負けを認め,それを
踏まえた上で賛辞を贈る」という点で自らのポジティブ・フェイスを脅かすことになるだろう。
こうして見ると,この行為が,「賛辞を述べる側にとっても,また述べられる側にとっても,リ
スクの高い行為(Kerbrat−Orecchioni 2001:77)」と評されるのも納得がいく。
 「賛辞」に関しては,次のようなケースもある。話し手がFFAとして行う言語行為が,聞き手
の推論によってFTAの機能を持ってしまうようなケースである。

(テレビ番組で.若い女性アナウンサーが,年配のベテラン女優に対して)

「近くで拝見するとほんとうにお肌がピチピチでお若いですね,びっくりしました」

「遠くからだとボロボロのおばあさんに見えるってことかしら29」

このように推論が引き金となってFTAと機能する「賛辞」を, Kerbrat−Orecchioniは「とげ

(8)
ポライトネス理論から見た言語行為一FFA概念の導入をめぐって一

のある賛辞SO」として,次のような例を挙げている。

Elle te va bien cette robe, elle t’amincit。このドレス,よく似合うわね.やせて見えるわよ。

Mais dis donc tu es dr61ement p−g些!それにしても,あなたってなんて写真うっりがいいの。

これらは,発話の中に,FTAの要因となる推論を引き起こす表現(下線部)を含んでいる。推
論がこの発話のFT性を高め,「賛辞」という言語行為に本来備わっているFF性を打ち消してし
まう例と言えよう31。

 このように言語行為の中には,FT性とFF性,両方を兼ね備えたハイブリッドなものがあり,
これは,ある発話が吉とでるか凶とでるかわからないという危険性を生み出す原因になってい
る32。

4.2言語行為 行為の性質と命題の性質

 FT性とFF性を兼ね備えるハイブリッドな行為をとおして,言語行為にっいてもう少し考えを
深めてみたい。次の2つの例を見てみよう。

「だが,なんであんたは麻薬をそんなに憎むんだ」(a)
浅井はちらと私を見た。顔から表情が消えた。静かにいった。
「女房がヤクのやりすぎで死んだ。シャブだけどな。四年前だ」(b)
少しおいて私はいった。「すまない。悪いことを聞いた」(c)
「いいさ。むかしのことさ」(d)ss

主人公である私と,もと警察官で今は暴力団員となっている浅井との会話である。注目したいの
は,言語行為としては「謝罪」と見なすことができる(c)の「すまない」という発話である。
謝罪を「話し手が,聞き手に対して行った無礼(FTA)の責任が自分にあることを認め,それ
に対する許しを聞き手に求めようとする行為」としよう%ここでの無礼とは(c)の「悪いこと
を聞いた」ことで,会話を遡って見られる発話(a)が該当する。(a)は,言語行為としては
「質問」であるが,この「質問」はなんのストラテジーも用いられておらず,ストレートに為さ
れている。ということは,「私」が,発話時点では,この「質問」がFTAであるとはとくに見積
もらずに発言を行ったと解釈できる。しかし,浅井の(b)の返答の内容は,浅井が自らのフェ
イスを傷っけるものであった。質問を受け入れたという点,質問によって苦痛な過去に触れるよ
うに導かれた点においてネガティブ・フェイスを,他者から悪い印象をもたれる可能性のある内
容を暴露したという点においてポジティブ・フェイスを,っまり両方のフェイスを脅かしている。
それに「私」が気付き,FTAを引き起こした質問(a)の責任は自分にあると考え,「すまない」
(c)と謝罪したと解釈できる。

 ところで,(a)の「質問」は,「私」によって最終的にはFTAと判定されたが,最初はストラ
テジーが用いられずに行われたことからも,本来はFT性の度合いが低い行為のはずであった。

(9)
それをFTAと「私」に認識させたのは(b)である。しかし,(b)の内容がもう少し違うもので
あったら,「私」が(a)をFTAと認識することはなかったかもしれない。たとえば,「麻薬は人
をボロボロにするからさ」という答えであったら,「私」があやまる必要はないだろう。さらに,
次の例を見てみよう。

《_》Comme la souffrance va plus loin en psychologie que la
psychologie_Mais ces mots,《一》venaient de produire dans mon
coeur une souffrance telle que je sentais que je ne pourrais pas y resister plus longtempsss.

「アルベルチーヌさまはお発ちになりました!」なんと苦しみは心理学よりも深く心理に侵入すること

かい・・しかも,その言葉,「アルベルチーヌさまはお発ちになりました」は,たちまちはげしい苦しみ

を私の心に引き起こし,これ以上はとてもそれに耐えられないという感じがしたSS。

Proustの小説『失われた時を求めて』の中の有名な一場面である。「アルベルチーヌさまはお発
ちになりました」という,女中のこの言葉によって,主人公は同棲している恋人(アルベルチー
ヌ)の失踪を知り,苦悩する。この発話は言語行為としては「知らせ(通知)」にあたる。この
「知らせ」が主人公にとってFTAとなったことは,このあとに続く文面から明らかである。,しか
し,この例のように「知らせ」がいっもFTAであるとは限らない。聞き手にとってよい「知ら
せ」であれば,それは聞き手にとってのFFAとなる。たとえば,もしアルベルチーヌが主人公
にとっての憎むべき相手で,一刻もはやく出て行ってほしいと主人公が願っていたのなら,この
発話は主人公にとってFFAとなるだろう。そういう意味では,「知らせ」はニュートラルな性質
と言えるかもしれない。

 このように考えると,言語行為がFFAとされるか, FTAとされるかは,言語行為が伝える内
容(命題内容としよう)の性質にも関係があると言える。行為としてはFT性が低くても,命題
内容のFT性が高ければ,その行為はFTAと認識される可能性が大きい。逆に,命題内容のFF性
が高ければ,その行為がFFAと認識されることになる。たとえば,「知らせ」という言語行為で
考えると,「知らせる」という行為自体はそもそもニュートラルな性質を持っ行為であるが,そ
の命題内容によって,FT性やFF性が上昇し,それによって「知らせ」がFTAになったり, FF
Aになったりする。また,命題内容のFT/FF性は,コンテクストに左右されやすく,個別的で
あると言えよう。これは,言語行為の行為そのものの性質が比較的はっきりと定義できることに
対立している。したがって,ある言語行為がFTAかFFAかという問題は,命題内容がFTかFF
かという検討と共に為されるべきと言えるだろう。

「知らせ」FT/FA性=ニュ・一一トラル

FT性アップ(FTAとしての「知らせ」)

・命題内容・・ンテ…に・・
FF性アップ(FFAとしての「知らせ」)

これまで見たことを以下に整理してみよう。

(10)
ポライトネス理論から見た言語行為一FFA概念の導入をめぐって一

1) 言語行為はマクロ的な見方ではFTAである。
2) しかし,ミクロ的な見方をすれば,FTAであったりFFAであったりする。
3) それは,言語行為がFT性やFF性を持ったものだからである。
4) 言語行為にはFT性, FF性の両方を持ったハイブリッドなものもある。
5) FT性やFF性は,言語行為本来の性質として備わっているが,言語行為の命題内容に
もFT性が高いものやFF性が高いものがある。
6) 言語行為の命題内容のFT性やFF性は,コンテクストに沿って変化し得る個別的なも
のである。

5.おわりに

 以上のように,FFA概念の導入によって導き出された言語行為の特性にっいて考察を行った。
FFAの概念を取り入れることで,言語行為はB&Lが提示した以上に複雑な様を呈していること
が明らかになった。ある行為は,FTAあるいはFFA,またFTAとFFAの両方の性質を持っハイ
ブリッドな行為のいずれかである。そしてハイブリッドな行為の中には,命題内容の性質によっ
てFTAかFFAかに決まるものもある。こうした行為をFTAととるか, FFAととるかにっいて,
話し手と聞き手の間でズレが生じることも大いにある。なぜなら,その行為をどう捉えるかとい
うのは,その言語行為をとりまく環境つまりコンテクストが大きく影響し,個別的なものだか
らである。こうしたズレが生じるときに,誤解や無理解,対立といった,人間関係の調和の乱れ
が生じる。ハイブリッドな言語行為は,調和を壊す大きな原因になる危険性を秘めた行為と言え
るだろう。


1.「ポライトネス」という用語の解釈は研究者によって区々であるが,本稿では一般的とされている「対
人関係調整のための言語の機能」を採用する。
2.井出(2006)や宇佐美(2001),またKerbrat−Orecchioni(1992,1996,2005), Spencer−Oatey(2000)
 には,ポライトネスに関する異言語間の比較分析を行ううえで有意義な改善点が加えられており,ポライ
 トネス研究の今後の可能性を探る上でも,参考になる点が多い。この4人はいずれも,異言語,、さらには
異文化間における相互理解に関心を持っており,B&Lの理論がその鍵を握っていると確信したうえで,
修正を加えている。
3.Kerbrat−Orecchioniはフランスにおけるポライトネス研究の第一人者で,主としてフランス語の言語現
象を対象にさまざまな分析を行っている。したがって,本稿でも用語,例文などにフランス語を用いるこ
 とがある。
4.Goffman(1967:5)は,フェイスを「社会に価値を肯定される存在としての自己のイメージ」として
 いる。
5.実際にはGoffmanの概念と「面目を失う」といった表現との両方から着想を得たとされる。“Our
 notion of‘face’is derived from that of Goffman(1967)and from the English folk term, which ties
 face up with notions of being embarrassed or humiliated, or‘losing face’.(B&L 1987:61)

6. “the public self image that every member wants to claim for himself”(lbid:61)

7. Ibid:61−64

(11)
8. Ibid:61
9.」ldem.

10.(rf. Kerbrat−Orecchioni(1992:167−168)
11.B&1.(1987:65−68)

12.S=Speaker, H=Hearer, D=the social Distance, P=the relative Power, R=the absolute Ranking.
 (B&L 1987:74−75)
13.この計算式は,実際に計算する目的で作られたものではない。象徴的な式と考えるべきである。
14. “social accelerator” (B&L 1987:103)

15. “social brake” (B&L 1987:103)

16.英語,マヤ語,タミール語が中心,必要に応じて他の言語についての記述も見られる。
17.たとえば,Leech(1981)が,発話行為の中に本質的にポライト(FFAに相当するような)な発話もあ
 るとするのに対し,Thomas(1995)は全ての言語行為は潜在的にFTAであるという立場をとっている
 cf. Thomas(1995:176).
18.Kerbrat−Orecchioni(1992)ではanti−FTAという用語が用いられ,(1996)でFFAという用語が登場す
 る。この用語の変更のいきさっについては(2005:196)で説明されている。また,同種の指摘が他の研
 究者によっても行われていることが記されている。(Spencer−Oateyによるface−giving, Sifianouによる
 face−enhancing, Bayraktarogluによるface−boostingなど。)
19.FFAの例としては,「賛辞」(le compliment)や「祝い」(la congratulation),「感謝」
 (le remerciement),「祈願」(le voeu)といった行為が挙げられている。
20.フランス語における具体的な現象の例がKerbrat−Orecchioni(1992)で示されている。
21.実は,「贈り物」(をする)という行為が,なぜネガティブ・フェイスを立てるのかということにっいて,
 筆者は明確な理解をしていない。Kerbrat−Orecchioni(1992)によれば,「贈り物」を受けることによっ
 て,人はテリトリーを増やす。したがって,ネガティブ・フェイスを立てるという発想にっながるという
 ことである。物質的な「贈り物」ではそのように解釈するのも可能であるが,言語的な「贈り物」,たと
 えば「リップ・サービスをして機嫌をとる」というようなことが該当すると考えられる,がどのようにネ
 ガティブ・フェイスを立てるのか。むしろポジティブ・フェイスを立てる行為という解釈のほうが自然な
 気もする。いずれにせよ,この点については,検討の余地がありそうである。
22.おそらくKerbrat−Orecchioniも. FFAとポジティブ・ポライトネスを分けて考えることを前提に論を展
 開していると思われるが,説明不足からか誤解を招くような結果になっているとも考えられる。
23.B&L(1987:61)
24.これにっいては全く別の捉え方が提唱されてもいる。井出(2006)は「わきまえのポライトネス」とい
 う,B&Lとは別の枠組みで,儀礼化された言語行為について説明していて非常に興味深い。
25.Searle(1967:66−67)による定義(本質規則)
26.ここで言う「マクロ的な見方(ヴィジョン)」を,「全体を大きくっかんで見る見方」,「ミクロ的な見方
 (ヴィジョン)」を「微細に観察して見る見方」とする。
27.Kerbrat−Orecchioni(1994:199)には「賛辞のやりとり」についての詳しい分析がある。
28.テレビ番組で,インタビュアーが演奏者にむかって述べた感想。筆者により採取。
29.筆者により採取。なお,次のような推論の過程が成り立っ 1)近くで見ると→ピチピチで若い 2)近
 くで見なければ→ピチピチでないし若くない3)遠くからだと→ポロポロのおばあさんに見える
30.les compliments(、perfides、〉(Kerbrat−Orecchioni 2005:197).《perfide》の訳として,「とげのある」
 を用いた。FFAの様相を呈しながらも,フェイスを攻撃する要素を持っこれらの「賛辞」は,見かけに
 反して「危険な『とげ』を持つ」行為である,という解釈のもと,このように訳している。
31.下線部の表現が「評価」の意味合いを含むのは偶然でないと思われる。すでに本文の中でも述べたが,
 「賛辞」は「評価」の色合いが濃く出る言語行為であることが,「賛辞」の危険性に大きく関わっていると
 も考えられる。また,本稿執筆にあたっては,さまざまな貴重な意見をいただく機会があったが,下線部
 の表現が含む「危険性」について,「発言が現実を浮き彫りにし,現実の価値を下げる意味を持っからで

(12)
ポライトネス理論から見た言語行為一FFA概念の導入をめぐって一

  はないか」という意見も賜った。この件にっいては,また別の機会に稿を改めて検討してみたい。
32.また,逆にこのハイブリッド性が,人間関係を調整するための手段に敢えて用いられたりもすると考え
  られる(アイロニーや反用などで相手を攻撃するなど)。
33.藤原伊織『テロリストのパラソル』(角川文庫,2007)p.167.
34.(rf. Kerbrat−Orecchioni(2001:124)
35.Proust M., Albertine dispαrue, A la recherche du temps perdu VJI, Paris, Gallimard(Folio),1989

  (作品の発表は1925),p.3.

36.マルセル・プルースト『失われた時を求めて 第六篇 逃げ去る女』,井上究一郎訳,(ちくま文庫,
  1993) p.7.

 参考文献
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