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江戸時代における女性の犯罪

菅 野 則 子
はじめに

− 171 −
犯罪と は、い うまでもなく ﹁法的 ﹂規制 を逸脱 した行 為で あ り、それに対 して一定 の制裁 が加えられる 。時代
を超越し て許されない 規範である殺 人・傷 害・盗 み・放 火・偽 り・贋 などなどが考え ら れ る が、これらを 含め時
代に よ っ て、権 力の あ り方によって ﹁法的 ﹂規制 のあり 方には 少なくない違い が あ っ た。
そして 、その ﹁法的 ﹂規制 は、そ れ ぞ れ の時代 の権力 の性格 を反映 させているとともに、 その規制下におかれ
た人びとのあり 方に多 様な影 響を与 えるものでもあった 。人びとの行 動は そ の法的規制如何 によってさまざまな
制約が加 えられたし、 ま た そ の制裁 のあり 方にも 違い が み ら れ た。人 びとは 、その規 制に外 れないように 、自ら
の日々の 営為をその枠 内に閉 じこめること 、各自 の行動 を常に 自 主 規 制することを強 いられ もした 。
本稿で は、その 規制を外 れた行為 、い わ ゆ る犯 罪の 事例 を通 して 当時 の社 会の 仕組 や権 力の あ り方 、それが、
如何に人 々の意 識を縛 っていたのか 、また 、その 規制と 人び と の営為 と が ど の よ う に ぶ つ か り合うのか、 また、
どのようにしてその制 約を払 いのけていこうとしたのか 、そのような 中から 、人びとのたゆまざる 営為の 一端を
も見いだすことができるのではないかといったようなことを念 頭におきながら 些かの 検討をしてみたい。
特に江戸時代についていうと 、女性の犯罪は 、姦通・密通 などに関わるものが多かったといわれ 、そこに 女性の
おかれていた社 会 的 特 徴があるといわれてきた。 本稿ではその 指摘を 含め、 具体的な 女性の 犯 罪 事 例の検 討を通
して権力 と女性 との関 わ り に つ い て の一端 を探っ て み た い。
︵一︶江戸時代の犯罪の概要

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裁 判 事 例の検 討から 始め よ う。主 として 用いる 史料は、﹃徳川時代裁判事例 刑事 ノ部﹄︵ 司法省調査課 ﹁司法
資料 ﹂ 二 二 一 号 一 九 三 六年 十 二月 ︶ および ﹃ 徳 川 時 代 裁 判 事 例 続 刑 事ノ 部 ﹄︵ 同 二 七 三 号 一 九 四 二 年一
月︶ で あ る 。 注( 1 前
) 者 は、 事例 を十 種 注( 2
の) 罪状 に分 類し た上 で、 そ れ ぞ れ に 該当 する 事例 を時代順 に列 挙した
も の で あ り、後 者は、 前者の 事例を 身分別 に整理 しようとしたものである。 しかし、 後者は 、それらを充 分に整
理し得ず 未完のまま中 断し て い る よ う で あ る。そこで、 本稿で は、前 者に収 載されている事 例を中 心に検 討して
いくことにする 。ま た、ここで 扱う 事例 は、 あくまでも ﹁刑 事﹂ に関 するものに 限定 され、﹁民 事﹂ を排 してい
る。従 って 、﹁刑 事﹂ の事 例だ け か ら時代 を概 観す る こ と に は弱点 があることを 、と り あ え ず い っ て お か な く て
は な ら な い 。 注( 3 )
本書 に収 載さ れ て い る 事 例 九 五 六件 注( 4
を) 整理し た表 1( を)みよう 。一番古 い事 例は 寛文 八年 ︵一 六六八︶の
死罪であり、文久年間 の九事例 が新しいものである。また、宝暦年間頃 から犯罪 の事例が 急増している。そして、
十種の罪 状の中 で、死 罪が最 も多く 、次い で遠島 ・獄門 ・引 廻 之 上 獄 門・重 追 放の順 になっている 。
比較的事例の 少ないのは斬 罪・火 罪・下手人・ 中追放 であり 、これらは火 罪を除く と一九世紀入 るとあまりみ
られなくなっている。 本書に 見る限 りでは 斬罪と 中追放 の事例 は、一九世紀にはない 。
また、 この表 から見 ると、 犯罪の 件数が 宝暦期 をさかいに、 以前と 以後と に一線が 画さ れ る。宝 暦 期 以 前は七
十事 例 注( 5 ︶
、 以 後は 、八八六 事例 を数 え、 全体 の九 二 七・ %となる 。つ ま り、 十八 世 紀 半ば 以降 に犯 罪 件 数ない
し事例が 急増しているのがわかり、 本書に 収載さ れ て い る事例 の九割以上を占 め る こ と と な る。

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さ て、 全九五六 件のうち 女性 の事 例は 七一 を数 える 。十 種の 罪状 の中 で、 女性 の犯 罪 事 例の 科目 と そ の数 は、
﹁引 廻し 之上獄門 ﹂ が三 例、﹁獄 門﹂ が 二例、﹁ 火罪 ﹂が 三例 、﹁ 引 廻 之 上 死 罪﹂ が 一例 、﹁ 死罪 ﹂が 三 六例 、﹁遠
島﹂が 十一 例、﹁ 重 追 放﹂ が十 例、﹁ 中 追 放﹂ が五 例となっている 。﹁斬 罪﹂ と﹁ 下 手 人﹂の 科目 には 女性 の事例
はない。
また、 女性の 犯罪は 元禄期 に一例 、寛保延享期 に各一 例ずつ 、それ 以外はすべて宝暦年間以降すなわち 十八世
紀半ば以 降の も の で あ る。
表1

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︵二︶ 犯 罪 科 目と そ の内容
十種の 科目について 、どのような 行為が 当該の 罪状に 査定さ れたのかを見 ようとしたのが 表 2( で
) ある 。表中
の罪科の 項目は 、事例 を検討 して筆 者がまとめたものである。 しかし 、多く の場合、 一人でいくつもの違 反とさ
れる行為 を兼ね 行っており、 実際にどの行 為が当 該の罪 状に該 当させられたのかを確 定することは 難しい 。とり
あえず、 判決の 文面および全 体の状 況から 適 宜 判 断して 振り分 け集計 した。 従って﹁ 科﹂の 項は、 扱い方 によっ
て、か な り の ぶ れ が あ る こ と は否めない。 そこで 、分類 の経緯 の一、 二を例示 し て お く。
た と え ば、第 一号の 真杉紋太夫の 場合、 座頭の 娘と密 通したこと、 しかし 、その女 に密夫 が あ っ た こ と を知り

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妬み、それを遺 恨に思 い火を 付け る と い っ て三カ 所に落 とし文 をした 科によって獄門 と さ れ た事例 で あ る が、こ
こでは、と く に密通 の女 への妬 み・遺恨に 伴う落 とし文 を し た こ と へ の罪 が強調 されている。武士 であるものが 、
こ の よ う な行為 に及ん だ と い う こ と が 、真杉 の罪状 を重く し て い る よ う で、その 罪は﹁引 廻 之 上 獄 門﹂で あ っ た。
この場合 、どの 科目に 分類するのか 、ここでは、 とりあえず﹁ 巧、かたり・賄 賂﹂ 注( 6と)して扱 っ て い る。
第七号 の浪 人 中 村 左 膳は、 全国を 徘徊し 諸所に 侵入しては人 を脅し 、多く の盗みを 働いているが 、その 際に、
一時、梶井宮 に奉公 し て い た こ と が あ り、その時 の紋章 を悪用 したという。ま た第三 二号の 家 来 用 役の山田亘は 、
料理茶屋 へ出向 き放埒次第、 結局、 借金をしなくてはならない 羽目に な っ た が、その 際、主人名を 騙り そ の名の
下に有り合わ せ の印形を押し て証文を拵 えたこと、 そのことは全 く侍の身分 には不似合 いであったとされている 。
この中村 も山田 も と も に﹁引回之上獄門﹂ の処罰 を受けている 。この 場合、前 者を﹁ 盗み﹂ に後者 を﹁謀 書・謀
表2

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判﹂に分 類した 。 注( 7 )
さて 、表 に も ど ろ う。も っ と も重 い制 裁である﹁ 引廻 之上獄門 ﹂に 処せられた 犯罪 の内 容は、﹁謀 書・ 謀判﹂
によるものが多 い。こ れは、 幕藩をはじめとする 権力を 傘に着 た行為 であり 、支配的立場の 者が、 その支 配の仕
組みや枠 組みを 破っ た り、悪 用することである。 そ う し た支配 の足許 を揺る が す こ と に直結 する行 為にはきわめ
て厳しい 制裁が 加え ら れ て い るのを 見ることができる。
また 、﹁ 詐称・ 公儀 掠﹂ お よ び﹁ 巧・かたり ﹂な ど も こ の ﹁謀書 ・謀 判﹂ に通 ずるものであり 、こ れ ら を合わ
せると収載事例 のうち 、三一 〇件、 全体の 三分の 一を占 める。 改めてこのような行為 に対す る制裁 の厳しさが指
摘されるところである 。このことは 、権力 の絶 対 性を維 持するために 不可欠 なことであった 。また 、昨今 の政治

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情勢を見 てもわかるように、 このような詐 欺まがいの事 柄が、 如何に 社会・ 政治を汚 染す る か と い う支 配 者の認
識および 武士は 潔癖であるべ き で あ ると い う観念 が強く あ っ た こ と を も語っている。
罪科 ﹁殺 傷・ 狼藉﹂ に対 し て の処 罰に つ い て は、﹁獄 門﹂と ﹁遠 島﹂・﹁重追放 ﹂な ど に分 か れ る。 その 違いは 、
前者の制 裁は、 い わ ゆ る意 図 的な殺 人・殺 害に対 するものであるが、 後者の 事例は過 失を伴 っ て い る場合 、即ち 、
過って発 砲し た り子供 の存在 を知らずに車 をぶつけたり 、喧嘩口論が 高じて 殴り合いになり 、負傷 させ、 それが
やがて命 取りになるといった 躰のものが多 い。
盗「 み・ 賭博﹂ の﹁ 科目 ﹂の 振り 分け に も難 航し た。 これらの事 例は 、殺 傷や 盗み を伴う こ と が多 く、 単独で
賭博だけという ケース は少な い。
﹁殺 傷﹂﹁盗 み﹂﹁ 巧・かたり﹂ などの 科目に 振り分 けたものも少 なくないので 、
実際に賭 博に関 わっている事 例はかなりを 数える 。言い 換え れ ば、殺 傷・盗 み・か た り な ど の﹁悪 事﹂は 、賭博
行為と密 接 不 可 分に結 びついていたということである。
奇「 怪・ 宗教﹂ の科 目の 事例 はあまり多 く は な い が、 江戸時代の 支配 の あ り方 の一 つの特 質を 示し て い る。こ
こには、 山県大弐一件 や馬場文耕などの事 例が含 まれる 。また 、禁制 の宗派 の教えを 勧誘す る事件 も起こされて
いる。
放「 火﹂ に つ い て。 火罪 に処 せられたような 事例 の場 合は 、文 字 通り の放 火で あ る が、そ の ほ か に 遺恨 や妬み
から発す る嫌がらせの 小さな 附火も 多く、 他の罪 状に振 り分け た も の も か な り あ る の で、小 さな附 火を含 めると 、
これに関 わる犯 罪の実質件数 は も っ と多くなる。
徒「党・ 強訴﹂ で処罰 を受けている 者については 、名主的存在 の も の が多く み ら れ る。

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そ「 の他 ﹂には 、多 様な も の が入 る。た と え ば、 火事 の際 、祖母 や母 の救 出が 遅れ 、かれらを 死にいた らしめ
た不 孝 者︵ 逆罪︶、縁 者が 追 放 刑を 受け た も の の、 行き 場が な く な り立 ち戻 って きたのを匿 っ た り、 人の 悪事を
知りつつも 知ら ぬ振 りをしてかばい 立て を す る も の な ど の事 例︵ 悪の 包蔵︶、さ ら に は、遺 恨による 嫌がらせな
ども 目に 付 い た こ と で あ る 。そ う し た 遺恨 ・妬 み か ら 殺傷事件 に 至る 場合 も少 な く な い が 、 附け 火を す る ぞ と
いった内 容を記 して張 り出すことで 周囲を 騒がせたり、 人の秘 密を公 表するといった 嫌が ら せ行為 、これらもい
くつかの 行為と 重なり 合って 予想外 の重罪 に査定 されることもあった 。同様 に、一つ 一つは 大した 犯行と は思わ
れ な い のに か な り重 罪と 査定 さ れ て い る場 合も 少な く な い。それは、再 犯 三 犯と い っ た類 のものであり、所定の
刑の後 、な お﹁悪 心﹂が 止ま な い も の に対しての処 罰は当 然のことながら 重く査 定されている 。
では、 女性に つ い て は ど う だ ろ う か。﹁徒 党・強 訴﹂﹁ 奇怪・ 宗教﹂ などに 属する事 例は見 られないが、 他の科
目については多 少なりとも関 わりを 持つ。 とくに 多い の が密
通や遊女 などの 犯姦がらみのもの、 および ﹁盗み ・賭博 ﹂な
どに関わ る事例 が目立 ったところに 時代的特徴を 見ることが
できる。
︵三︶ 身分と 犯罪
表 3( を
) み よ う。全事例九 五六件 のうち 、武士 ︵浪人 ・家

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来・その 他の武 士・中 間な ど の下級武士を も含む ︶に関 わる
表3

ものが三割以上 を占め る。そ れ ぞ れ の科目 の身分構成は 表に


見るとおりであるが、 特記すべきは 、①﹁ 火罪﹂ は寺の 一件
以外はすべて庶 民によるもの 、②逆 に、当 然の こ と な が ら、
武士のための処 罰と さ れ て い る よ う に﹁斬 罪﹂は 寺一件 を除
きすべて 武士で あ る こ と、③ 三割を 占める 武士について 、そ
の処罰は 、獄門 や死罪 などは 全体の 二 割 前 後を占 めるが 、追
放 刑に 占 め る 割 合が 突 出 し て 多い こ と が 注目 さ れ る 。 中追
放・重 追 放・遠 島の順 に な っ て い る が、いずれも 四から 五割
を数える 。これについては別途検討 を予定 し て い る 。 注( 8 )
︵四︶ 女性の 犯罪の 態様
本書に 収め ら れ て い る女性 の事例 に つ い て、ど の よ う な行為 に よ っ て当該 の罪に処 せられたのか 、その 具体相
を見ていこう。

<廻之上獄門 の
> 処罰 を受 けたものが 三例︵ 六〇・ 七二 ・九六 ︶あるが、 二例は 密通 に端を 発し 、密夫 ととも
に本夫を 殺害したことによるものである。 医 師 退 安と懇 意になった百 姓 長 兵 衛の女房 わさは 、夫を 殺害しようと

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して硫 黄の 粉を 食物 に混ぜ て与 えた 。夫 は煩 ったけ れ ど も死 には 至ら な か っ た。 し か し、 わ さ の罪状 は、﹁密通
之上夫に 疵付候 と同様 ﹂で あ る と し て上記 の罪科 に処せられた 。修験常福院女房ま つ は、密夫道仙 の指図 もあっ
たが自ら も進ん で同意 して、 夫を殺 害した 。それをあたかも頓 死したかのように見せかけて 偽りの 葬式を 執り行
い、その 後も道 仙と密 通を続 けていたというものである 。
残りの 一例の 百姓久次女房 かねの 場合は 、日頃 から夫 が酒 好 身 持 不 埒であるため、 二人の 間では 口論が 絶えな
かった。 ある日 、夫が 鉞を手 にして 妻か ね に向かってきたので 、彼女 は そ れ を奪い取 ろうとして争 っているうち
に、夫へ 傷を負 わせてしまい 、そ れ が も と で夫は 死亡し た。夫 の死を 村役人 へ報告しなければならなかったが、
その際、 事実を 押し隠 し、他 所で傷 を受け て帰っ て き た と申し 立て た と い う も の で あ る。

<門 の
> 二例︵ 一〇〇 ・一 〇七︶ について。 一つは 、柳 沢 出 羽 守の 家来永井茂左衛門 の下女 ふ き が、主 人の食
物に鼠の 糞を入 れて食 べさせたというものである 。なぜふきがこのようなことをしたのかは 定か で は な い が、主
人の下女 への扱 いに問 題が あ り、それに怒 りを覚 えたものだったのだろうか 。と も か く、詮 議に対 し自ら の行為
を白状し た こ と で、ふきは、 品川で 獄門に 処せられた。
二つ目 の事例 は、次 のようである 。駿州竹原村 の七右衛門妹 なつは 、伴 七 方に奉公 していたが、 その倅 の七郎
兵衛 と密 通 、懐 胎し た こ と で、 なか ば 追い 出さ れ る よ う な か た ち で暇 を申 し渡 された 。ど う し て も納 得 できな
かったなつは、 死を覚 悟して 懐胎のことをあらためて七郎兵衛 に訴えようと 主 人 伴 七 方へ出 向くと 、伴七 の甥が
いたので 彼に心 情を話 した。 彼は、 なつ一 人で命 を絶つ のは﹁ 犬死﹂ である 、七 郎 兵 衛に一太刀し て恨み を晴ら
してから 死んだらどうかとなつに入 れ知恵 をした 。な つ は、そ の甥の 言に任 せ、七郎兵衛に 傷つ け た。吟 味の結

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果、ほんらいであるならば、 元主人 に刃向 かったことは ﹁重々 不届引 廻 之 上 磔﹂と い う重罪 ではあるが、 懐胎し
ているということで其 所で獄 門と な っ た と い う も の で あ る。 注( 9 )

<罪 に
> 処せられた女 性の 事例は 三件 ︵二 三 四・二三五 ・二 三 七︶ ある。 新吉原 の抱遊女花 の井 は、遊女奉公
を難儀に 思い、 何とかしてそ の苦渋 から逃 れたく 、な に か騒ぎでも起 きればそのどさくさに 紛れて 逃れることが
できるのではないかと 考え、 傍輩へ 附火を す る よ う誘導 するが 、断わられた 。そこで 、彼 女 自らが 屋根や 雪隠な
どへ二 度 附け火 をした 。この 怪火の 詮議に 対して 傍輩がしたことにしてくれるように 画策したりしたが、 これら
のことが 発覚、﹁ 重々不届始末 ﹂であったとして火 罪。
百姓甚右衛門店四郎兵衛の 女房ふ ての場 合は、 日頃か ら家主甚右衛門女房 の ふ て へ の対応 の仕方 が ひ ど く、そ
れを不 満に思 っ て い る処 に、子 ども同 士の 争いが 加わり 二人 の間の 対立は さ ら に深まった。 ふては、嫌がらせの
ため、火種 を路地の 水板の上 に置いたり 、居 宅 続き の雪 隠や 屋根 な ど に 二度 に わ た っ て附 け火 を す る な ど し た 。
ともに、 大事になる前 に打ち 消され 出火に は至らなかったけれども﹁ 重々不届至極﹂ であるとして 、引き 廻しの
上火罪にされた 。

「 次 郎 店 元 助 方 居 候 伝 蔵 女 房 ﹂たつの 場 合は 、次 の よ う で あ る。 た つ の 姪 婿 勘 次 郎は 病 人を 抱え 難 儀して

いた。そ ん な と き、他 に空き 家があるにもかかわらず、 太 右 衛 門が﹁ 家主役 ﹂に な ろ う と し て、難 儀している勘
次郎に店 を明け 渡すように督 促、それもたびたび 強請しているらしかった。 そんなことをす る太右衛門を 心憎く
思ったたつは、 焼き払 う心底 は な い が、騒 ぎを起 こせば 太 右 衛 門は他 へ引越 す の で は な い か と店内 へ附け 火した 。
その後も 、遺恨 により 九度までも附 け火、 七度までは、 自分が 見つ け た よ う に し て も み消し た。いづれも 出火に

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は な ら な か っ た が、﹁重 々不届至極﹂ であるとして 処罰された。

<廻之上死罪 一
> 例︵ 二 八 三︶。﹁ 信州無宿入 墨﹂ とめは 、文 久 三 年 一 二 月 一 五 日に、 諸所で 衣類反物櫛金銭な
どを盗み 取ったという 罪で こ の よ う な罪科 に処せられた 。一般 には、 単に盗 みだけではこのような 重罪にはなら
ないが、 とめの 場合は 、これ 以前に も盗み を働い た こ と が あ っ た。そ の時の 罪は﹁入墨之上百日過怠牢﹂ であっ
たこと、 出牢後 は入墨 を消紛 し、そのうえ でまた 盗みを 繰り返 し た の で あ っ た。上記 の如き 盗みに 加えて 、それ
が再犯であるということがよりその 罪を重 く し た の で あ る。

<罪 は
>三 六例を 数える 。犯 罪を犯 した女 の内訳 に つ い て、個々の 女に記 されている﹁肩 書﹂と件数 は、妾 一、
妻・女房 十七、 後家二 、無宿 十一、 居候一 、娘一 、遊女 二、母 一と な っ て い る。そのうち不義密通 がらみのもの
が二二例 、盗み 九、博 打一、 殺害一 、遺恨 からの 傷害一 、遺恨 からの 附火を 人のせいする一 、盗品不正品処理の
手引き一 である 。以上 の よ う に、こ の科目 の特徴 は密通 が ら み の事件 が六割 余を占めていることである。 関わり
方は多 様で は あ る が 、女性 がそれなりの 意志 を持っ て関 わ っ た場 合に は、﹁ 死罪 ﹂に 処せられた 。男 女 関 係にお
いて特に 女性が 性 的 立 場に お い て よ り規制 が厳し か っ た こ と が わ か る と同時 に、そ れ を破る 者も ま た跡を 絶たな
かったことを語 ってもいる。 と も あ れ、ここに登 場する 罪の実 態の多 くは抑 圧されているために屈 折した かたち
で起こされるという事 例がほとんどである 。小普請組堀田主膳支配小野三郎右衛門妾 りの︵ 三一七 ︶の密 通が死
罪に当た る と い う具合 に妾に 対し て も妻と 同様の 貞操観 が強要 されているのは 、そのよい例 で あ ろ う。︵ 注 ︶

10
密通 の事 例の 判決事由の 末尾 には ﹁有 夫 之 身 分 に て﹂﹁夫 有 之 身 分に て﹂ 云々 と記 されている 場合 が多 いのに
対し、男 については﹁ 有妻⋮ ﹂な ど の記載 は皆無 であることからも、 男と女 の位 置 関 係は歴 然としている 。さら

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に、百 姓 甚 兵 衛 娘ため ︵四 九 二︶のように 婚 姻 関 係のな い も の に対しても﹁ 内 実 妻 同 様の身 分を以 て﹂とそのあ
り方 が規 制 さ れ て い る。 江 戸 時 代、 一 般に は、 人の 命 を奪 った り 謀書 ・謀 判な ど 権力 を欺 くこと に よ っ て﹁死
罪﹂な ど の重科 に処せられることが 多か っ たが、 女の場 合は、 密通がらみで ﹁死罪﹂ と査定 される 場合が 少なく
なかった 。そのことは 、それだけ男女関係 のあり 方が特徴的で あ っ た の で あ り、女性 への規 制の あ り方がそれだ
け厳しかったことを示 し て い る。そ の上で 、な ぜ そ れ だ け厳し く し な け れ ば な ら な か っ た の か、そ の仕組 を改め
て見直す 必要があるのではないか。 そして 、このような 規制を 設けた 権力のあり方について 思いをめぐらせる必
要があるだろう 。この 問題に つ い て は、あ ら た め てこうした貞操観を 強いる 幕藩権力 の仕組 みについて言 及しな
く て は な ら な い が、当 面はこれについては 触れ な い。
と も あ れ女性 への制 裁をこうしたてんで 厳し く し て い る と い う こ と は、そ の行為に 対する 自 主 規 制をそれだけ
厳しく女 性に迫 るものであり 、そのことは 、女性 の意識 ・行動 を一つ の価 値 観の枠組 みの中 に封じ 込めるもので
もあった 。
密通がらみの 事例が 多いこ の科目 の中にあって 、豆州 の百 姓 左 兵 衛 母のような事例 が注目 される 。彼女 は、船
頭を は じ め船員 を止宿 させたとき、 難船に 事寄せ た﹁悪 事﹂に 倅とともに積極的に関 わり、 その荷 を隠し 売りす
る手引き を し た り不 正 品を預 かり置 く な ど の行為 をしている。 挙げ句 には、 倅に嫌疑 が掛からないように 事件発
覚以前 に倅を 逃がすなどのいわゆる﹁ 巧﹂を行っている。﹁悪 ﹂と知りつつ 、それに主導的に関わっている女性の
姿を見る。文政七年 の こ と で あ っ た。
また 、﹁ 死罪﹂ と い う重 罪に 処せ ら れ た も の の中 に、 再犯・ 三犯 のも のが 八例 ある︵ 四 八 九、 五〇 一、 五〇六 、

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五二〇、 五三〇 、五 三 三、五四一、 五四八︶。彼女 らの罪 の態様 のほとんどは ﹁盗取﹂﹁衒取 ﹂とされているよう
な も の で あ り、 こ れ だ け で は﹁ 死罪 ﹂ に該 当す る よ う な も の で は な い 。しかし 、 かれらの 多 くは 、こ れ 以前に
﹁入 墨 之 上 五〇日 から 一〇 〇日 の過怠牢﹂ など を課 さ れ て い る者た ち で あ り 、再 ・三 犯の者 た ち で あ る。 勿論、
盗みは当然処罰 されなければならないことではあるが、 彼女たちは、 先達て の罪に服 したものの、 盗癖が 一向に
直らない ﹁悪事不相止 ﹂と い う者た ち で あ る。女 性に限 ったことではないが 、刑後、 戻る先 がなく 放り出 された
者たちの 多くは 、結局 ﹁無宿 ﹂者と な ら ざ る を え ず、生 業を手 にすることができないままに 、再 三 盗みに 走らざ
るを得ず 、結果 として 、厳科 に処せられざるを得 な か っ た も の で あ っ た。
総体と し て こ の﹁死 罪﹂に 処せ ら れ た者は 、︵密 通が ら み を除外 したとしても︶ 権力側 から見 れば風 紀を紊し 、
世情を騒 がす女 たちであり、 世人の 道から 外れ て し ま っ た悔悛 の意志 がみられない無宿者であり、 処罰を 決める
べき立場 の者か ら み れ ば﹁人 間の く ず﹂的存在の 者た ち で あ っ た。従 って、 彼女たちには、 も う こ れ以上悔悛の
機会を与 える必 要はなかった 。かれらへの 措置は き わ め て冷酷 なものであった 。

<島 十
> 一例。 身分などの 構成は 、武 士三、 坊 主 道 心二 、遊女 一、 妻・女 房三、 娘一 、後家 一であり、 罪の態
様は、博 打・附 け火・ 脅し・ 傷害・ 相続がらみと 多様である。
注目 さ れ る事 例をみておこう 。西 丸 表 坊 主 秀 三 母 よ し は︵ 六 七 四︶、 家 相 続の た め に女子 を男 子と 偽ったり、
出生 した 男 子の 病死 を隠 し 、町 人か ら 貰子 を し て、 それを 実子 の よ う に見 せ か け た と い う も の で あ る 。 当時の
人々、とりわけ 武士の 抱えている家相続の 問題は 、個々 に と っ て重大 な課題 であったことが 痛いほどに読 みとる
ことができる事 例で あ る。跡 継ぎを 確保す る た め に腐心 する有 様、それをどのように 実現化 さ せ て い く の か、彼

− 185 −
女らが考 え出し た方法 の一つ が こ こ に示さ れ て い る。
近 藤 大 三 郎 父 隠 居 久 五 郎 妾な よ︵ 六 八 八︶ の場合 は、﹁妾 ﹂と い う立 場が 問題 とされる。 彼女 は、 子どもの養
育をする 任務を 負っていたが 、その 子ど も の扱い 方に問 題があると主 人から 指摘さ れ た。罰 せられるに至 った理
由は、なよが、 主人に断りもなく勝手に 子どもを使 いに出し た の は﹁主従之礼儀﹂を欠 いているというのである 。
つまり、 こ こ で の子どもは、 なよの 実子で は あ る が、所 詮は﹁ 主人﹂ の子なのである 。な よ は、実 の親ではある
ものの、 主人と の関係 においては﹁ 妾﹂であり、﹁ 従﹂の 立場にあるからであった。 注(

11
)
また、 この科 目を み て い る と、妻 ・女房 と母・ 後家と の間に は犯罪 の態様 に次のような違 いがみられるようで
ある。すなわち 、妻・ 女房は 密通や 盗みなどによって罰 せられている 事例が 多いのに 対し、 母や後 家はあ る意味
では積 極 的に﹁ 悪事﹂ にコミットしている 姿を捉 えることができる。 た と え ば、麻布今井寺町半七店三治郎後家
つなは、 夫が病 気に な り、やがて亡 く な る が、暮 らし方 に行き 詰まったとき 、人の勧 めもあ ったが 法度に 背き隠
し売女稼 ぎや博 打の宿 をして 宿銭を た び た び受け 取っ た り、さらには 自らも 手合いに 加わり 賭のめくりなどをし
て五・六 文を手 にするなどの 行動をとっている。 ここにみる﹁ 悪事﹂ は、男 たちが行 う も の に比べればささやか
な も の の よ う で は あ る が、女 性で こ の よ う な﹁悪 事﹂と い わ れ る よ う な行動 に出る こ と が で き る の は、妻 や女房
という 立場 やそ の年齢 の域 を脱 した母 や後 家た ち に よ る 場 合が 多いようである。この事 を考 え る と、男 女 間の違
いに加え て、年齢または女 性の一 生のなかでの ﹁位置 ﹂をも 考慮に 入れて検 討する 必要があるようだ。

<追放 十
> 例。 身 分 構 成な どは、 武士 一、庶民妻・ 女房 四、遊 女二 、召仕 一、無宿一 、孀一 で あ る。ま た犯罪
の態様は 偽訴・ 合力、 高利貸 、密通 がらみのもの 、博打 などこれまた 多様である。従 って本処罰の 特徴を 一括し

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て指摘 するのは 困難 であるが、 その 中で 、﹁高 井 新 十 郎 家 来 増 田 金 兵 衛 伯 母 出 奔 致 候 ﹂り ん︵ 八 四 八︶および銀
蔵の妻るいの二 事例に注 目したい 注(
。) りんは、大 家の召使 いをしていたもののようであるが、職を辞 して後 、い

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ろいろと ﹁不束 ﹂のことを言 い募り 過分の 合力を 受け た り、数 度にわたって 小笠原家 に門訴 するなどの非 法を働
いた と い う。そ の﹁不 束﹂な 事が具体的にどのようなものであったのかは定 かではないが、 そ う し た彼女 の行為
に対す る処 罰へ の言 渡し は﹁ 軽き 身分 を幸 ニ大 家 之 外 聞 ニ拘 り候 儀を 見込 、度 々不 法 候 始 末 ね た り事 い た し候同
様之致 し方、 武家 へ対 し不届之至 り ニ付 重 追 放﹂と い う も の で あ っ た。 下級の 武士 に関わ る者 が、上 級の 武家の
外聞に拘 わるような非 難を す る な ど の嫌がらせをしたことが、 制裁を 決めるときの大 きな基 準に な っ て い る。同
じ階層間 に お け る上下関係の 枠組み の引き 締めを 見るような事 例で あ る。もっとも、 りんは 、もともとは 武家の
家来出身 ではあ ったが 、父の 跡は断 絶、一 時 増 田 金 兵 衛 方にいたが、 それも 出奔していたこともあってだろうか 、
扱いは庶民並であった 。従っ て追放 も﹁百姓町人之御構場所を 以 重 追 放﹂とされた。
もう一 つの事 例について。 当時、 無宿であった 銀蔵の 妻る い は、武 家 方 家 来の養女 に な っ たも の の、家 出して
銀蔵と一 緒になったが 、結局 は生活 に窮し て し ま う。そ の結果 、る い は、武家方屋敷 に出向 いては 、自分 は由緒
あ る も の で あ る と騙っ て合力 を申し 立てたという 事例である。 処罰は ﹁我意申募武家 へ対し 不法﹂ と さ れ た。
また、 中には 無宿吉右衛門事庄蔵 とその 妻ひ ゃ く︵八五三︶ の よ う に、追放刑を受 けたものの、 ど う に も立ち
ゆかず妻 を不義 の相手 に仕立 てて他 者を欺 くなど 、何ともいじましい 動きをするものがいるかと思 えば、 木挽町
徳兵衛店兼吉妻 たか︵ 八七六 ︶のように、 高利貸 禁止の 触に背 き、高利貸を 実行し、 過分の 利息を む さ ぼ り取る
ような女 性も い た。

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<追放 五
> 例。 三例が 武士 であること 、小 普 請 青 山 組 高 野 市 左 衛 門 妻たよ ︵九二 〇︶ や霊岸島吉太郎店定吉母
︵九 四 五︶ の よ う に、 悪事 を犯 したものの 罪を か ば っ た り包 蔵し た り す る も の、 小普請組鳥山伊織妾 ゑん ︵八九
八︶のように、 主人の 家を結 果と し て断絶 に追いやってしまうとして 罰せられているものがいる。 以下、 これら
の事例に つ い て も別途 検討す る予定 である 。
おわりに
以上 、﹁ 司 法 資 料﹂ を素 材に 女性 の犯罪 を中 心に 些か の検 討を し て み た。 一八世紀以降、 男女 の別 なく 犯罪が
急増すること、 それとともに 犯罪のあり方 も多 様 化していった 。そ し て、そ の犯罪に 対する 制裁のあり方 もまた
多様化し て い っ た。女 性の場 合については 、本稿 では充 分には 言及しなかったが、追放刑のあり方 に特 徴 的なこ
とが見ら れ る よ う で あ る。と り あ え ず本稿 ではこのことだけを 指摘す る に と ど めて お く。
︵注1 ︶本史料は 、一 九三 六年段階 で、江 戸 時 代の 裁判事例 を整理 し て ま と め ら れ た も の で あ る 。刊 行当 時の記
録によると ﹁本 省 所 蔵の 徳 川 裁 判 事 例 刑 事ノ 部第一巻乃至第 十 一 巻は 原稿 に過 ぎないものの如 くに 思は れ
る﹂︵司 法 大 臣 官 房 調 査 課︶とされるように 、その 所在及 び経緯 については不明確なてんもあるが 、司 法 省
が、当 時の 上 野 帝 国 図 書 館に出 向い て一 定の 調査 を し た結果 に も と づ き、 省 所 蔵の 江戸時代の 裁判事例 を
整 理 刊 行し た も の で あ る 。省 所 蔵の 事例 の原 稿が い つ ま と め ら れ た の か は 定か で は な い が、江 戸 時 代 末 期

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の頃に お お よ そ の整 理が な さ れ て い た よ うである 。本史料を 用いるに 当たって 二つ の こ と を 言 っておく 。
一つは 、本史料 が、 あくまでも ﹁裁 判 事 例﹂ で あ り、 す べ て の犯 罪 事 例が 網羅 さ れ て い る の で は な い と い
うこと 、つ ま り こ れ を整 理する 段階 で事 例として 参考 に な る も の を漏 れ落 ちのないようできる 限り 幅広 く
拾い上 げ た で あ ろ う が、 逆に同 類の 事例 に つ い て は割 愛されたと 思わ れ る こ と 、従 って 、こ れ を以 て江 戸
時代の 犯罪 の全体像 を捉 え る こ と は で き な い と い う こ と、二 つ に は、 江戸時代 の裁 判 事 例が、 昭和 に な っ
て刊行 されたことの 意味 についてである 。司法省 が、 本書の 刊行 をこ の時 期に 行っ て い ると言 うことは 、
江戸時代の犯罪事例に学ばなければならないような状況が、 本書刊行時 に見られたのであろう か。または 、
先例を き ち ん と 整理 し て お こ う と い う考 えを 持っ た人 が、担 当す る こ と に な っ た の か、 といったことが 考
えられる 。
︵注2 ︶御定書の ﹁御 仕 置 仕 形 之 事 ﹂には 鋸挽 ・磔 ・獄 門・ 火罪・ 斬罪 ・死 罪・ 下 手 人・晒 ・遠 島・ 重 追 放・中
追放・ 軽 追 放・ 江 戸 十 里 四 方 追 放・ 江 戸 払・ 所払 の十 五種の 制裁 が あ る。 なお 、本 書で 扱わ れ て い る罪 状
科目は 、表 中に 示し た よ う に 、 引廻之上獄門 ・獄 門・ 火罪・ 斬罪 ・引 廻 之 上 死 罪・ 死罪 ・下 手 人・ 遠島 ・
重追放・ 中追放 の十種 である 。
︵注3 ︶評定所を は じ め幕 府 三 奉 行 所の民 事 裁 判が 急増 するのは明 暦 三 年︵ 一六五七 ︶一月 の明 暦 大 火 以 降、と
くに債 権 関 係を め ぐ る紛争解決 に奉行所 の権 威を 借り る風潮 が高 ま る こ と に よ る い う︵ 服 藤 弘 司﹁ 近 世 前
期の民事裁判と ﹁公 事 師﹂の 定着﹂ 大 竹 秀 男・服 藤 弘 司 編﹃幕藩国家 の法と 支配﹄有斐閣 一九八四年︶。
こ の よ う な動向 の中で 、本稿 では、 そ う し た民事事件を 脇に お き、当 面は刑事事件にのみ焦 点を当 てる。

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︵注4 ︶本書収載 の事例の最後 の番号は第 九四七号となっているが 、五〇二号 から五一〇号 の九事例については、
番号が だ ぶ っ て ふられて い る の で、 実質 は九 例増 す。 なお、 本 論 稿中 の番 号 数 字は 引用 した﹃ 徳 川 時 代 裁
判 事 例 刑 事ノ部 ﹄所収 の事例 に つ け ら れ て い る も の で あ る。
︵注5︶な お、宝暦以前 の犯罪事例七 十件の 内訳は 、武士 が十五 、それ 以外が 五五例 である 。
︵注6︶これはあまりぴったりしないけれど 、とりあえず 、こ こ に配置 した。﹁密通・ 犯姦﹂ も考え ら れ る が、妬
み・遺 恨な どは 、武 士の 体面を 失し たも の で あ り 、武 士としての 徳義 に か か わ る問 題が 含ま れ て い ると 思
われた の で、ここに分 類した 。
︵注7︶こ の よ う に、﹁ 盗み﹂ の科目 の中に、﹁謀書 ・謀判 ﹂﹁詐 称﹂などと関 連す る も の も あ り、科目分類 の基準
は、曖昧 であることを あらためて断 っ て お く。
︵注8 ︶と り あ え ず﹁追放刑﹂ について一 言し て お こ う。主として 武士を対象 にしているといわれるこの処罰は、
当然の こ と な が ら庶 民の 事例は 少な い。 し か し皆 無ではない 。庶 民の 追 放 刑は 、再 犯 三 犯な ど の者 に対 し
て査定 されることが 多い が、彼 らは 、追放刑 に処 せられても 行き 先がなく 、結 局、 構い 所へ立 ち戻 っ て い
る場合 が少 なくない 。ま た、追 放さ れ た こ と に よ り、 人々は 生業 を追 われ 生計 の道 を た た れ る こ と に よ り
悪事に走 る以外 に道はなく、 さらに は、﹁無 宿﹂を も多く 生み出 す結果 となり 、混乱 を生じ て し ま う こ と と
なる。 お そ ら く は、 このような 結果 を も た ら す﹁ 追 放 刑﹂は 庶民 に対 して 講じ る に は あ ま り ふ さ わ し い 方
途で は な い と権 力も 把握 し た も の で あ っ た の だ ろ う。 勿論、 武士 に と っ て も追 放されることは 前途 を絶 た
れ る こ と に違いはなかったが、﹁追放 ﹂の も つ意味 が庶民 への行 使とは 違った 意味合 いを持 つ も の で あ っ た。

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さらに 、武 士の 場合 には 、武士 が本 来も っ て い る で あ ろ う 意 識や 名誉 な ど に対 する 見せしめという 意 味 合
いも大きかったのではないか と思われる。
︵注9 ︶本 件は寛 保二 年十 二月 の事 例であるが 、こ の よ う に 懐胎し て い る女 性の 犯罪 は少な く な か っ た よ う で あ
る。これを 機に 、そ れ ま で の 懐胎女 の死 罪 仕 置き に つ い て 調 査・ 検討 さ れ た の で あ ろ う 。本 事 例に は、 後
日、そ の判 決 文の後 に、 次のように 書き加 えられた。﹁ 三
< 奉 行へ 懐
> 胎の 女 死 罪 仕 置 申 付 候 儀 只 今 迄 之 例
区々に 候 死 刑に 相 成 候も の之子 に て も依 父 母 之 科 に死 刑にハ 不 及 候 懐 胎 之 女を 殺候 てハ 胎内之子科 な く し
て命を 絶に 当り 候間以来出産後死罪 に可 被 申 付 候 ﹂と 。そ し て﹁ 右之通被仰出 々産 後 死 刑に申 付 候 上ハ 磔
に当 候 女も 出産後本罪磔 た る べ き事 ﹂と ﹁寛 政 八 辰 年 四 月 五 日﹂ に確 定さ れ た と記 している。 こ こ に記 さ
れた文面 は、﹁棠蔭秘鑑 ﹂︵貞 ︶六 五 号︵﹃徳 川 禁 令 考﹄別巻三一五頁、 創文社 ︶の寛政二年戌四月五日付 で
三奉行 に申 し渡 さ れ た書 付と ほ ぼ同 文である 。念 の た め記し て お く。 その 書き 付け は﹁ 懐 胎 之 女 死 罪 御 仕
置 申 付 候 儀、 只今迄之例区 々 ニ候 、死 刑 ニ相 成 候も の之 子 ニ而 も、 依 父 母 之 科 死 刑 ニ不及候 、懐 胎 之 女を 殺
し候而 は、胎 内 之 子、 科なくして 命を絶 に当 り候 間、以 来 出 産 之 後 死 罪 ニ可 被 申 付 候﹂。 このように 、懐 胎
し て い る女 性なつの 場合 の よ う に、 実際 の処 罰と 、本 来の制 裁と の間 に は ず れ が あ っ た が、そ れ は あ く ま
でも﹁ 胎内之子 ﹂の た め で あ っ た。 そ れ ま で は、 扱い は区々 で あ っ た が、 こ れ を機 に検 討が加 え ら れ、 懐
胎女の場 合には 、出 産 後、所 定の処 罰を課 す と い う こ と が前例 となる 。
︵注 ︶密通の 妻妾 に つ い て﹁ 棠 蔭 秘 鑑﹂︵ 亨︶︵同九一頁 ︶に﹁ 密通御仕置 、妻 妾 都 而 無 差 別﹂ とされるように、
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貞操観を 盾に し て女性 を規制 することには 婚 姻 関 係を超 越するものがあった。

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︵注 ︶﹁妾﹂ で あ る と い う こ と が こ の よ う な措 置を 正当化 させているのである。︵事 例三 一 七の ︶小普請組堀田
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主 膳 支 配 小 野 三 郎 右 衛 門 妾り の は、 下女奉公 から 妾になり、 二人 の子 ど も を出 生したが 、石 岡 源 之 進と 密


通し、申し合わせて三郎右衛門方を立ち退いたということで死罪となった。りのは、貞操観に お い て
﹁妻 ﹂ 並 に 扱 わ れ 、 な よ の 事 例 で は 、﹁ 身 分 的 ﹂ に﹁ 従 ﹂ と し て の格 差 が 強 調 さ れ て い る 。 こ の よ う に 、
﹁妾﹂と は ま こ と に性別 と身分 との双 方の枠 組みが 覆い被 せられ 、そ れ に よ っ て絶え ず行動 が規制 され、 自
主規制を 迫られ 、そ れ を脱す る こ と が許されないような 存在であった 。
︵注 ︶これらの事 例と そ の検討 については、 別稿で 扱う予 定で あ る。
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︵追記 ︶
本稿は 、二〇 〇二年 六月七 日に行 った、 で の報告 ﹁
12th Berkshire Conference on History of Women Thoughts
﹂ の一部 である 。
on Crime Committed by Women in the Edo Period
時期を 逸し、 放置さ れ た ま ま に な っ て い た も の にとりあえず 加 筆 修 正した 。論稿中指摘し た事柄 の考察 を今後
の課題として擱 筆する 。
︵二〇 〇五・ 八・三 一︶

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