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世界中の安部公房の読者のための通信世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

刊もぐら通信 MoleCommunicationMonthlyMagazine
2023年3月1日第167号(第三版) www.abekobosplace.blogspot.jp
あな
迷う たへ
事の :
あな
ない
迷路 あ
ただ を通
けの って
番地
に届
きま
す Elias Canetti

Lewis Carrol

Edgar Allan Poe

Fyodor Dostoevsky Franz Kafka

安部公房の広場|s.karma@molecom.org|www.abekobosplace.blogspot.jp

もぐら通信

目次

0 目次…page2
1 記録&ニュース&掲示板…page3
2 巻頭詩(52):とある城にてアイヒェンドルフ…page8
3 コーボー・ベーシックスkobo basics(13):地図......page11
4 『都市への回路』(22):(6)②国家と暴力/③都市に向つて/④祭りへの不信 最終回
......page16
5 日本一極国家論(続 ):GAMECHANGE理論(16):4.1.7  日本国家核ミサイル保有
論7:4.1.7.3 核戦争回避のための核戦争惹起論.....page
6 SFで思考するための本棚(12):火星人は何故SFに必要か.....page
7 ネット・モナド論(38):民主主義の政治とは何か3:キリスト教と民主主義およびキ
リスト教の民主主義......page
7 ネット・モナド論(39):貨幣とは何か4:金本位制と資本主義の関係∼資本主義とは
そもそもバブルである∼.....pager
8 私の本棚(50):三国清三著『三流シェフ』を読む……page36
10  初期小林秀雄論(4):6。小林秀雄と正宗白鳥/7 小林秀雄の文学を俯瞰する/8 小林秀
雄と歌舞伎/9 源氏物語と万葉集と壺/10 『飢餓の祝祭』.....page36
11 散文思索塾(4):3といふ数を活かせ(2):4。《ミル》コトについて:三つのミル
.....page
12 カフカの箴言(14): 道と落ち葉.....page58
13 ショーペンハウアーの箴言(8): 生殖器は......pag59
14 糞尿と性愛の文学 生殖器・排泄器同一社会論仮説 (3):1。古事記の中の糞尿と性愛
/1.1神武初代天皇の皇后(きさき)の出生譚(2):待て次号:岩田英哉...page
15 サンチョ・パンサを求めて(26):糞とは何か(2):古典的な糞について.....pager
15 サンチョ・パンサを求めて(27):エリートとは何か.....pager
16 高天原便り(14): 春......page62
17 縄文紀元論:Topologyで日本人を読み解く(39):7●…..page
18 東 イツ回想記(7):何故わたしは東 イツに行つたのか6...page

・本誌の収蔵機関…page67
・編集方針…page67

PDFの検索フィールドにページ数を入力して検索すると、恰もスバル運動具店で買ったジャンプ
ド

ド
もぐら通信
もぐら通信 3
ページ

ニュース&記録&掲示板

Thebesttweets10ofthemonth

筧宗吉@kakeisoukichi·16h
カンガルー・ノート
z
ol ePri
enM 筒井作品の夢ものみたいで笑える安部公房、最
Gold
e 後の小説
脚から生えるカイワレ大根、その治療のベッド
に乗って移動するのは賽の河原、死の匂い
ピンクフロイドのECHOESに大好きな曲として
言及するが、その歌詞はこの小説の最後と響き
合う
「私はあなたで私が見ているのは私自身」

rize
oleP
Silv
erM 該当なし

愛書家日誌@aishokyo·Mar 7
安部公房は日本で最初にワープロで執筆した
作家といわれています。使用していたのは
NECのNWP-10Nと後継機種の文豪で、それ
らの開発にも関わっていました。遺稿がフ
ロッピーディスクで発見されています。 #作
家と文房具

本ノ猪@honnoinosisi555·Mar 6
3月7日は、作家・安部公房の誕生日。
「愛というものは、互いに仮面を剝がしっこすること
で、そのためにも、愛する者のために、仮面をかぶる努
力をしなければならないのだと。仮面がなければ、それ
安部公房の広場|eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp
を剝がすたのしみもないわけですからね。お分りでしょ
うか、この意味が。」(『他人の顔』P321)

もぐら通信
もぐら通信 4
ページ

彗星読書倶楽部 @suiseibookclub·Mar 6
本日は安部公房の誕生日!
ぶっ飛び過ぎてて逆に敷居が低く読みやすい(……?)のか、10代の読者も絶えな
い人気作家。近年では大ヒットゲーム『DEATH STRANDING』の冒頭にも引用され
ました。
小説とは違う、対談や評論で見せる論理の明晰さも魅力です。
こちらは若き日の安部公房。

阿乱隅氏@yoiinago417·Mar 6
今日は安部公房氏誕生日。学生時代、貪るように読みました。短編は「鉛の卵」等明快
な作品より「水中都市」「手」等時に夢の中のような、また政治的な寓話に惹かれ長編
ではディストピアSF「第四間氷期」が個人的ベスト。「砂の女」「他人の顔」等勅使河原
宏とのコラボによる映画化作品も有名です。

安部公房の広場|eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp

もぐら通信
もぐら通信 ページ 5

千絵ノムラ@chievampire·Mar 6
今日3月7日は、上村一夫・林静一・安
部公房がお誕生日という豪華すぎる
日。お誕生日おめでとうございます。
@retoro_mode

こべこべ@kobe_kohbe·Mar 7
そういえば今日は安部公房の誕生日だった。おめ∼

上田豊太@toyo_ue·Mar 1
作家や詩人たちが見た東京。
鴎外から、安部公房まで。
#文豪東京文学案内

ホッタタカシ@t_hotta·Mar 14
大江健三郎の「ガルシア=マルケス旋風」という 文章
に登場する作家Aさんとは安部公房。1968年ご ろ、
安部と大江は学生運動の評価をめぐって絶交してしまうのだが、70年代の終わり頃
にはだいぶ回復していたらしい。

愛書家日誌@aishokyo·Mar 7
安部公房は雪の多い箱根に仕事場を持っており、ジャッキを使ってタイヤチェーン
安部公房の広場|eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp
を着脱することが面倒だったので、簡易着脱型タイヤ・チェーン「チェニジー」を
自ら発明しました。
http://buff.ly/1p9PkjD

もぐら通信
もぐら通信 ページ 6

アキノ@akinokot ·Mar 18
安部公房「他人の顔」と三島「金閣寺」
海外ではやっぱりこの二人。

愛書家日誌@aishokyo·Mar 7
一人娘の安倍ねりが書いた「安部公房伝」は写真やイ
ンタビューも掲載され、安部公房の姿に立体的にせま
ります。車やカメラやテクノロジーへの傾倒ぶりは現
代を見せてあげたかった気がします。
http://amzn.to/2lF0jzG

読ん 本からイメー 、木版画に 久保さん作品 展 津


の書店 :https://www.isenp.co.jp/2022/10/28/83458/

【津】三重県津市久居幸町の書店「 ックハウスひ
うた」 、同市河芸町の木版画家、久保舎己さんの作
品展 「本から生まれた木版画」 開かれている。久保
さん これま に読ん 本からイメー し制作した22
点を展示 している。29日ま 。入場無料。 同所は古民家を活用したコミュニ
ティーハウス「ひ うた」の屋根裏ス ースに昨年4月に開店。小規模出版社 の書
籍約400冊を取り扱う。同ハウス の読書会に参加していた縁
安部公房の広場|eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp 久保さん 展示を
申し出た。 カフカの「変身」、安部公房の「箱男」のほか、「生まれてきてすみま
せん」や「私は貝」な 太宰治や加藤哲太郎の著作からイメー した作品 並 。
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もぐら通信
もぐら通信 7
ページ

担当の村田奈穂さんは「久保さんの木版画は幻想性 あり書籍とととても合う。作
品 んな本から生まれたのか想像してほしい」と話した。
最終日午後3―5時、 ャラリートーク ある。参加費千円。定員30人(要予約)。問
い合わせは同店=電話0 59(202)1591=へ。

安部公房の広場|eiya.iwata@gmail.com|www.abekobosplace.blogspot.jp
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ど

ギ
が
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もぐら通信
もぐら通信 ページ8
巻頭詩
(52)
Auf einer Burg
(とある城にて)

アイヒェンドルフ
翻訳 岩田英哉

【原文】

Auf einer Burg

Eingeschlafen auf der Lauer


Oben ist der alte Ritter;
Drüber gehen Regenschauer,
Und der Wald rauscht durch das Gitter.

Eingewachsen Bart und Haare,


Und versteinert Brust und Krause,
Sitzt er viele hundert Jahre
Oben in der stillen Klause.

Draussen ist es still und friedlich,


Alle sind ins Tal gezogen,
Waldesvoegel eisam singen
In den leeren Fensterbogen.

Eine Hochzeit fährt da unten


Auf dem Rhein im Sonnenscheine,
Musikanten spielen munter,
Und die schöne Braut die weinet.

【散文訳】

とある城にて

待ち伏せし、見張りをしてゐて、眠り込んでしま
つた


もぐら通信
もぐら通信 9
ページ

上に、年老いた騎士がゐる
その向かうには、激しい雨降りが行く
そして、森は、格子を通して、さやさやと音を立てて
ゐる。

髭と髪が、生えるにまかせたままになつてゐる
そして、胸当てと、襞のついた襟が石化してゐる
彼は、何百年も、坐つてゐる
上にある、静かな幽居、房室で

外は、静かで、親しい感じがする
ひとはみな、谷の中へと行つてゐる
森に棲む鳥達は、孤独に歌つてゐる
空虚な窓の上部の弧状の中で

結婚式が、行われてゐる、あの下のところ
太陽の輝きの中の、ライン河で
音楽家達が、陽気に演奏してゐる
そして、美しい花嫁が、泣いている花嫁が

【解釈と鑑賞】

この詩も不思議な詩です。

歌はれてゐる兵士は、どこかの山の上にあるお城の城
壁の龕籠(がんろう)のやうな見張りの狭い空間の
中で、敵が来るのを監視してゐる。

そのままの姿勢で、何百年も、さうしてゐる。その兵
士の眼にみえる景色を歌つてゐます。

これは、どこかライン河沿いにある古城なのでせ
う。

もぐら通信
もぐら通信 10
ページ

森、そのさやけき音、鳥とその鳴き声、窓、谷、
孤独、陽気、結婚式、河、音楽家と演奏、城と騎
士、どれもアイヒェンドルフの舞台に出て来る、
馴染みの舞台装置です。

装置というには、余りにその意味するところと密
接に融合してゐて、恰もものそのものであるかの
ように、この詩の中に姿を現してゐます。

この詩人の言葉は、実に現代的で、古びない。不
思議な詩人です。

もぐら通信
もぐら通信 ページ11

コー ー・ ーシックス kobobasics
(13)
 地図
岩田英哉

地図をキーワードにして、全集と私の記憶の中を眺めると、およそ次のやうな作品
が思ひ浮かびます。もちろん、トポロジー・位相幾何学の作家安部公房にとつて
は、別に地図といふ文字のある作品のみならず、発想そのものが地図でありますか
ら、以下に挙げるものは氷山の一角であり、否、むしろ半角です。

1。古地図の修理(全集第9巻413ページ)
2。燃えつきた地図(全集第21巻113ページ)
3。方舟さくら丸(全集第27巻247ページ)
4。あなたにトポロジーの哄笑を(全集第20巻492ページ)

地図とは何かといふことを考へてみると、それは現実に私たちの見えるものを或る
規則によつて変換してもう一つの現実を作成するといふことになります。Mapとい
ふ英語は、数学ではmappingといふ写像と和訳されてゐる数学の一分野です。像を
写す。写真を写すのも此の一種でせう。写真を撮影して、現実を変形させる、
transform・トランスフォームさせる。ですから、安部公房の読者には写真家も多
いといふことも、私には納得することなのです。何しろ作家自身が小学生の頃から
父親の手ほどきを受けて、一緒に暗室に籠つて現像ができる子供であつた。その腕
前および主題と動機は、小説では『箱男』に挿入された作家自身の8枚の写真に見
ることができます。といふことは、さうでした、『箱男』も地図の小説です。何故
なら、冷蔵庫大の箱を頭からすつぽりと被つて生活する男の世界の外部は、小さな
窓から見える現実を、その窓から覗いて見るといふ写真機による撮影行為による現
実の変形であり、従ひ地図化、即ちmapping、即ち写像の世界だからです。それ
で、

5。箱男(全集第24巻9ページ)

といふことにします。

とかうなると、この作家の小説はみな変形小説ですから、みな地図小説であるとい
ふことになつてしまひますので話の範囲が際限なくなりますから、上掲5つの作品
に話を絞ることにします。氷山の一角論に話を留めます。まあ、半角論でもよしと
しませう。
ボ
ベ

もぐら通信
もぐら通信 12
ページ

『古地図の修理』と云ふエッセイに次のやうな段落があります。この古地図と地図
の修理の説明は、21世紀の現在只今にも生きてゐる。古地図を修理せずにゐる人
間は、私ならば怠惰な人間と呼びます。地図と現実の関係では、現実も見ることな
く、内部の古地図を最新の地図だと思つてゐて、生きてゐると思つてゐるが、当人
はとつくの昔に苔むしてゐる。庭なら美的鑑賞に堪へるが、生きた人間は醜怪だと
いふふうに怠惰である。当時話題になつてゐたLSDと呼ばれる麻薬の効果に言及し
て、正気から狂気への「異常な感覚などをそっくり体験する」話の次に始まる段落
です。

「(略)人間はだれでも、自分の内部(地図)と外部(現実)をもっているわけだ
が、日常生活においては、それをいちいち区別せず、ほとんど一つのものとして受
け取っている。しかもその現実像は、ありのままの現実というよりは、むしろ実用
本位に省略された地図にすぎない場合が多いのである。
 そしてその地図は、でき上がってしまうと、なかなか変更しにくい。ただ、外部
の現実に、地図にのっていない変化が起きたりするとやっと内部と外部のくいちが
いを自覚する。なんとかもとの一致感に戻ろうとして、あわてて地図の修正をしは
じめるのだが、外の変化があまり大きすぎると、力およばず、ヒステリーにかかっ
たり、ノイローゼをおこしたりするわけだ。現代のように、現実の変化のはげしい
時代には、とかくありがちなことである。」

一読、この文章が如何に現代的であり、もつといへば、地球的な規模で現在的であ
るかを知るでせう。地球的な規模で「外の変化があまり大きすぎると、力およば
ず、ヒステリーにかかったり、ノイローゼをおこしたりする」のが、主にマス・メ
ディアであり、続いてネット・メディアであることは、あなたも言はれれば納得す
るでせう。メディアの描いてゐる地図は、多分二つあつて、一つはマス・メディア
が内部に抱へてゐる古地図、もう一つはネット・メディアの抱へる未完成の新しい
かも知れない地図。この先は此の発想で面白い話の展開ができさうですが、安部公
房の話に戻します。次の箇所を続けて読むと、私がグローバリズムに侵され感染し
た政府と政治家、経済人に学者は精神分裂病だといつて来たことは正しい隠喩であ
つたと云ふことになります。これは日本のことだけではない。この地図といふこと
と地図の修正といふ関係で、安部公房の小説は国家と個人の関係の新しい創造にな
つてゐると、あなたは思ふでせう。『方舟さくら丸』は、その好例です。

「この内部の地図修正力が、完全に失はれ、地図と現実がすっかり分裂してしまふ
のが、精神分裂といふ病気なのである。それは現実のない地図だけの世界だ。LSD
は、そういうゆがんだ地図を、人工的につくりだす薬なのである。」

もぐら通信
もぐら通信 ページ13

『方舟さくら丸』の主人公もぐらが、LSDに頼らずに新しい地図を製作して、乗組
員の募集を始めたといふことは、主人公は既に古地図の修正が終はつてゐたといふ
ことを意味してゐると、今更ながら思ふのである。当時は今と同じで核戦争が起き
る可能性を大人たちは頻りに論じてゐたといふ記憶が子供だつた私にはある。です
から、よく聞くパラダイム・シフトといふ言葉の意味は、此の文脈では、古い世界
地図を描(か)き換えて、新しい世界地図を作成するといふ意味になるし、それが
今は部分的な修正ではなく根本的な世界地図の改定であるので、これがパラダイ
ム・シフトのトポロジー的な意味合ひといふことになります。『あなたにトポロ
ジーの哄笑を』は、安部公房が隠して決して表には出さなかつたトポロジーといふ
言葉を見出しで使つて公にした唯一の文章ですが、そこにこんな箇所があります。
今あらためて此の文章の題名を読むと、副題に「帰属本能への挑戦小説「人間そっ
くり」」とありますので、なるほど確かに『人間そっくり』は古地図の修理、それ
も人間とは何かに関する大修理の話だと合点が、あなたは安部公房に親しい読者で
すから、いくでせう。人間そつくりの彼は火星人なのか、それとも私たちが火星人
そつくりの人間なのかといふトポロジー小説。唯一珍しいことに、やはり此の小説
ではトポロジーといふ数学の名前が出てくる。この小説では地図の製作、mapping
を位相転写と呼んでゐる(全集第20巻305ページ下段)。現在に於いて次の引
用をすることは、今の現実に対する非常に辛辣な発言になるでせう。

「胸にバッジをつけたがるのは、なにも議員諸氏や、暴力団員たちばかりとは限り
ません。ちょっと注意してみると、ほとんどの人間が、有形無形を問わず、なんら
かの意味でのバッジに、強い執着を持っているようでに思われるのです。」

このバッジは別に民主主義社会や資本主義社会にのみあるのではない。私は二十代
の後半の4年間東ドイツといふ共産主義国家に生活したことがあるので、共産主義
社会と計画経済にもバッジのあることを知つてゐます。このバッジをつけずに生き
抜いて家族と共に西ドイツに脱出した親しかつた友人のことも知つてゐます。此の
話は別に『東ドイツ回想記』に書くつもりですが、ここでの話は共産党員の幹部が
ある種の政治家よりもヤクザであり、暴力団員だといふ私の見聞です。

住んでゐた町の市内のレストランに或る晩行くと、普通のドイツ人の食事をする空
間のもう一つ奥に、一つの扉を開けるとバーがあるといふレストランがあるので
す。そこは東ドイツ・マルクは使へず、ドルか西ドイツ・マルクか、かなふなら日本
円で支払ふ高級バーなのである。信じがたいことだが、私は多分日本人のエンジニ
アか通訳仲間の誰かに教へてもらつて一人で入つてみたのだ。私は今もさうだが、
当時も物好きであつた。一人でカウンターだけのバーに座つて酒を飲んでゐた。す
ると隣に立派な背広を来た中年の男がいつの間に座つてゐて私に話しかけて来た。

もぐら通信
もぐら通信 14
ページ

さうして、自慢げに背広の片方の襟の裏を見せて(表ではない裏にバッジをつけて
ゐるのだ)、そこにつけたバッジを見せて、ニヤッと笑つて目顔で俺はこれだから
なといつたのである。ところが、私にはそのバッジが何の組織のバッジかわからな
かつたので反応のしようがなかつたのだ。今思ひだせば、二つの意味が此のバッジ
にはあつた。一つは、俺は此の地区の共産党本部の幹部だぞといふ意味、もう一つ
は、俺たちはお前が東ドイツ人と親しくつきあつてゐることを知つてゐるぞといふ
意味である。もちろんこれ以外にも私は何度も脅迫された。町の警察にも脅迫され
た。国境の警備員にも脅迫された。殺されなかつたのは菊の御紋のパスポートを持
つ外国人であつたからである。要するに、バッジとは、また其れが帰属本能の証明
であるならば、善意の市民にもなり、ヤクザの暴力団員にもなるといふことであ
る。それは組織の経営者次第である。

ところで、あなたの内部に持つてゐる古地図が文字通りに古くなり、外部の現実の
地図足り得ないとしたら、あなたは自分の手で自分の内部に新しい地図を、其れが
部分的修正であれ大改定であれ入れ替へほどの新地図であれ、真新しい地図を描か
なければならない。人間の本質は怠惰である。と、十歳のショーペンハウアーは見
抜いた。だから、世阿弥は、初心忘るべからずと花伝書に残したのである。しか
し、私は会社員の生活をしてゐて、ある時ふと思ひたち花伝書の当該箇所を読んで
みると続いてかういふ一行がついてゐたのである。

くれぐれも忘るべからず。

人の世の人口に膾炙してゐない二行目が大事な一行だつたのだ。自分の内部にある
古地図が古くなるならば、其れはあなたが時間の中で作成した地図だからである。
しかし時間の外で、即ち現実の外部であなたが人生の最初に自分の初めての地図を
描いて持ち続けたら、あなたの人生は笑ひに満ちた人生になることでせう。安部公
房はかういつてゐる。

「トポロジー理論を応用してみると、たとえば「日本人とは何か」といった式の書
物の本質が、その科学的な解答よりも、しばしば別の動機によって、読者におもね
り、媚びているにすぎないことがよく分かります。この思考の解毒剤は、たぶんあ
なたにも、よき贈り物になってくれるでしょう。現代人に必要なのは、まずトポロ
ジー的笑いなのだと、ぼくは強く信じているのです。」(原文傍線は傍点)

この「トポロジー的哄笑」をあなたが聞くには、縄文土器を眺めてみたらいい。そ
こから、私たち自身のトポロジー的哄笑が聞こえて来る筈です。私には聞こえる。
何故なら、あの渦巻模様こそがトポロジーの一筆書きの渦巻だからです。

もぐら通信
もぐら通信 15
ページ

さうさう、『燃えつきた地図』の地図についてはいふまでもありません。あなたに
は説明不要でせう。最近私は車のナヴィゲーション・システムを使つて車を走らせ
てゐて、自宅の近くに来てから急に道に迷つてしまつた。ナヴィ・システムの画面
の指図通りに走ると目的地に り着かないのである。従ひ、ナヴィ・システムをo
にして、自分の記憶を頼りに、まるでみたことのない景色の中をー周囲の景色が全
く別の見知らぬ景色に見えたのですー り着くのに20分の余計な時間をつかつて
しまつたのは、私は安部公房の読者であるが故に、帰属本能の欠落した「人間そつ
くり」の火星人だからでせう。安部公房の読者は皆、地図を手にすると道に迷ふ人
種に違ひない。

 あたなには、今日も、地図を手にして道に迷つて欲しい。

f
もぐら通信
もぐら通信 16
ページ

『都市への回路』
(22)
(5)都市に向つて
②国家と暴力/③都市に向つて/④祭りへの不信
最終回
岩田英哉
目次

(1)小説『密会』をめぐつて[聴覚の小説『密会』]
①病院といふ舞台
②強者と弱者
③逆進化の逆説
④現代小説の陥穽
⑤マルケスとポー

(2)演劇について
①アメリカの『友達』
②演劇の現代
③夢と俳優
④デジタルとアナログ

(3)写真について[視覚の小説『箱男』]
①写真について
②覗きの構造
③廃棄物

(4)音の領域[聴覚の小説『密会』]
①盗聴とセックス
②音楽の時間
③抒情の効果
④音楽とは何か

(5)都市に向つて
①花田清輝
②国家と暴力
③都市に向つて
④祭りへの不信

***

(5)都市に向つて
 ②国家と暴力



もぐら通信
もぐら通信 ページ17

安部公房の奉天で経験した国家と暴力の関係の発言に立ち入る前に、国家と暴力を一般
論として考へてみよう。一般論として此の主題を考へると次のやうになる。

国家と個人を問題にすることをしてみる。何故なら、国家は個人の集合だからであり、
個人・individualは国家の最小の単位だからです。結論を言へば、歴史的にも論理とし
ても、次の分類を私たちは実現して来たのであり、これがその国の歴史であつたといふ
事実に戻つて一般論とすることができます。

国家>中間>個人

これを、

国家>家族>個人

といふ人もゐるが、家族だけでは意味の範囲が狭いし、何より家族は中間の中に含まれ
るので、やはり最初の分類に戻ります。この中間には地域も含まれるでせう。さうする
と、中間自体の分類は次のやうになります。

中間>地域>家族

さて、ここで中間といふのは次の二つがある。

1。中産階級
2。媒体・メディア

ともに中間と呼ぶ意味は、中産階級が一種の、国家にとつては、国家意志の伝達のため
の媒体であつて、国家経営を政治家がしようとしても、官僚が国家のそれぞれ管掌の行
政で国家意志を伝達しようとしても、この中産階級が必要だし、当然にまた自然に人間
の組織的な必要性から生まれて来るといふことです。これを御銘記願ひたい。その上で
論を進めます。

今上記2の媒体・メデイアが、日本のみならず日欧米で非常に劣化して、事実を捏造し、
虚報をそれぞれの国家権力のいふがままに右から左へと垂れ流して、国民個人の洗脳に
努めてゐる惨状だといふ問題については今は此処では論じません。『ネット・モナド
論』で論じたい。上記1の中産階級も垂直方向でサンドイッチや(これはイギリス風の
譬喩)ハンバーガーみたいに(これはアメリカ風の譬喩)、中間帯になり中間層を形成
してゐたものを、今は日本ならば失われた30年といふ平成30年の間と令和の今に至

もぐら通信
もぐら通信 ページ18

るまでの数年間の間に壊してしまつたグローバリズムを思つて下さればよく、このグ
ローバリズムが共産主義であるといふことも、これでよくわかる筈です。つまり、グ
ローバリズムといふダヴォス会議の唱へてきたイデオロギーは共産主義なのであり、こ
れは現代のこの200年でみればー本当はもつと根の深いヨーロッパとアメリカとヴァ
チカンの問題なのですがーマルクス主義の延長にあるものです。

私は文学を政治に関係づけて論ずることを好まないが、安部公房の慧眼がこれを私に許
さないのです。即ち、此処での安部公房の発言は21世紀の今の世界的混乱が何かに図
星で回答し、その行末、即ち、間違ひなくこの今年の2023年に起きてゐることと起
きることを言ひ当ててゐるからです。本当は、こんな順序を入り口にするつもりはなか
つた。しかし、安部公房は本当に素晴らしい。グローバリズム国家の行末を予言してゐ
る。だから、私はアメリカもイギリスもドイツもフランスも、そして今の与党の続く限
り日本も、「消滅に向かって」ゐると確信してゐる。さて、どうするか?といふ問題を
解決するのが私たちの課題です。私は正しく問題・解決・課題といふ言葉を使つてゐる
かな?ゐると思ふが、如何。

安部公房の思考論理が私の思考論理と同じであることをよく考へて欲しい。これは私が
安部公房の読者だから真似をしたといふのではなく、私が探究した言語論理の筋道また
は道筋を安部公房が共有する作家であつたので自然に、わけもわからずに惹かれて読者
になつたのだといふことが、此処まで書いてきてよくわかつたのです。安部公房はかう
いつてゐる。この経験をしたとき、安部公房は二十一歳。昭和二十年、西暦1945年
であつた。安部公房の家庭は、父浅吉が医者であつて、富裕な中産階級に属してゐた、
即ち私のいふ中間であつたことを念頭にをいて読まれたい。

「暴力を統制している国家権力というものがなくなったら、当然暴力が起きるというの
が一般の通念だけど実際は違うんじゃないか。暴力を行使しているのは、むしろ国家の
側じゃないのか。事実暴力が目立ちはじめたのは、むしろ次の権力が戻ってきたとき
だったな。理屈としてでなく、こうした事実を体験できたのだから、むしろ有り難かっ
たと言うべきだろうね。」

この結論の前の段落:

「ま、僕のいた瀋陽という大都市だったけれど、いちばん人間が多く接触しあうのは、
小売の行われている商店街だね。むろん変化がなかったわけではない。とにかく生産が
中止しているわけだから、日常が維持されながらも徐々に商品の内容が変っていく。商
品の流通が少しずつ狂ってきて、なんとなく祭りの縁日的な雰囲気に町が変っていく。
しかし、そこで経済が流通していることはなんの変りもないんだ。」

もぐら通信
もぐら通信 ページ19

更に、この結論の前の段落:

「さう、昨日まで日本人は支配民族だった。権力の末端にいるどんな日本人でも、存在
の一部に権力を反映させていた。その日本人が終戦と同時に素っ裸にされてしまったわ
けだ。都市がその裸の日本人をもはや受け入れるはずがないと僕は思った。それまでの
被支配民族からかならず報復されるはずだと思った。ところがそうじゃないんだ、同じ
ことなんだ。それに中国人の側でも、国民党系あり、八路系ありで、終戦と同時にいろ
いろな対立が表面に浮かび上って来た。しかしいきなり暴力が行使されるわけではない
んだな。」

更に、この結論の前にあるインタヴュアーの質問:

「ー 満洲において、終戦によって昨日と今日が意外に変らなかったということが、国家
と都市の機能に対する安部さんの考え方に、大きく影響しているのでしょうか。」

これらの発言を読んでわかることは、

1。国家は消滅しても都市は消滅せず、日常の小売の商売を続けて平穏であつたといふ
こと。
2。この経験が安部公房の都市論の基礎になつてゐること。だから、
3。『燃えつきた地図』は、国家的暴力を氷河期にたとへれば、いはば国家の 間に存
在する「第四間氷期」であるといふこと。だから、
3。『モスクワとニューヨーク』と題した都市論を若い時代の1964年に同じ基礎の
上に書いたのだといふこと。普通は「ソヴィエト連邦とアメリカ」といふ題名に専門家
ならばなるであらうところを、国家比較論にはならずに首都比較論になつてゐる。
4。この同じインタヴューでインタヴュアーが安部公房の言葉の引用をして都市をスー
パーマーケットになぞらへて尋ねる箇所があるが、この安部公房のスーパーマーケット
をめぐる発言はこの奉天での終戦直後の此の国家権力のない状態を基礎にしてゐる同じ
線上の発言であることがわかること。安部公房はかういつてゐる。と、インタヴュアー
は言つてゐる:

「「都市は擬似共同体のスーパーマーケットである」と安部さんはお書きになったこと
がありますね。農村共同体から逃れて都市ができるけれども、その都市にいろいろな擬
似共同体をつくって人間は逃げ込むのだ、と。安部さんはいかなる共同体でも否定され
ると言うことですか。」

もぐら通信
もぐら通信 ページ20

このインタヴュアーの質問に要約されてゐる安部公房の以前の発言の要旨は、上記の三
つの引用を読むと次のやうになる。これが『都市への回路』の「都市へ」即ち「都市に
向かって」の意味である。

③都市に向つて
都市は農村共同体に帰属しない人間たちからできてゐる。この人間たちは皆その共同体
からの逃亡者であり、離農者である。都市には此のやうな離農者たちが住みやすい部分
擬似共同体が用意されてゐるか、自然に人が集まつて類は類を呼び個別部分的な擬似共
同体が結局できてゐる。この棲み分けは丁度、スーパーマケットが様々な食品売り場か
らなつてゐるやうになつてゐる。だから、この場所で、農村の共同体の祭りをすると擬
似の祭りになり、正反対に農村共同体が都市の祭りの真似をするとカーニバルになる。
これが安部公房の論理です。

それでは、農村共同体の祭りと、農村が都市化して生まれるカーニバルとはどこが異な
るかといへば、これも一度詳細に論じたが、この発言の箇所であらたに要約してみよ
う。何か新しい発見があるかも知れない。以下の引用でいふ共同体はすべて農村共同体
のことである。発言中学生に言及があるのは、これらの引用の前段で1960年代後半
に起きたいはゆる学生運動といふマルクス主義に洗脳された若者たちの運動が起きてゐ
て、これが失敗した経緯があつたからである。このとき、安部公房は1970年代の新
左翼運動の失敗も予見してゐる。その理論的根拠が以下の引用といふわけである。学生
たちがかういひ始めたので、この運動は失敗すると判断したと安部公房は言つてゐる。

「世界の蘇りはけっこうだよ。しかし、祝祭、カーニバルと連中が言い出したとき、も
う駄目だと思った。せっかくのチャンスを取逃してしまったと思った。たとえば学生と
いう存在は、カメラと同じで、もはやいっこうに珍しくない。なんの特権もない。じつ
にけっこうな話じゃないか。」

さて、この時代批評、学生批評、それから引用はしないが安部公房の名付けた「文化管
理職」(学生にへつらひ若者たちを甘やかして駄目にしたといふ自覚のない大学の教
員、他称文化人や知識人をいふものだと思ふし此の中にはジャーナリズムも含まれるで
あらう)といふ此の類の付和雷同型人種批判を前提に、以下の発言を読まれたい。

農村共同体について:
「安部 共同体はいくら否定したって消えるものではない。消えないからこそ、絶対に
拒絶する必要もあるんじゃないか。共同体の破壊は、同時に共同体の再生産でもあるわ
けだからね。永久革命的な言い方になるけど、無限の拒絶に耐え得る共同体でなけれ
ば、それを許容することはできないという……まあ、パラドックスだけど、とにかく僕
は、共同体を拒絶して、それが消え去ったあとにユートピアがくるなんていう甘い考え

もぐら通信
もぐら通信 ページ21

はもてないよ。」

農村共同体の祭りについて:
「祭りとは何だろう。農民が年に何回か、排他性を破つてわずかに 間をあけ、外部と
の交流を許される唯一のチャンスだったんだ。四日市とか三日市とか、市の立つ日、そ
こに外界から遊民に類する者が細胞膜をくぐって入り込み、夢を売る。その夢には同時
に非常に危険なものも含まれていたから、誰もが祭りに出ていいわけではなく、たとえ
ば女の子などは絶対祭りには出してもらえなかった。」

[共同体の祭りが都市化してカーニバル的なものに変質したとしても、祭りには]それ
でもどこかグロテスクな死を連想させるものが、いぜんとしてしみついている。しかも
そこに入り込むジプシーは、ちゃんと法律で認められたものだし、ジプシーが権力のス
パイの道具に使われるということもあった。祭りというものは、けっこう権力の規制の
テクニックとして有効に機能しているものなんだよ。裏側から見れば、祭りが人身の爆
発、燃焼の代行をしているわけだ。未来が無限定な学生なんて、考えてみれば毎日が祭
りみたいなものじゃないか。」

農村共同体の祭りの変質について:
「祭りにもけっこうルールがあった。そんなに陽気一方のものじゃない。ただ、農村が
都市化するにつれて、祭りも変質していわゆるカーニバル的になってきた。」

都市のカーニバルについて:
「カーニバルに惹かれる気持ちは誰にでもある。当然あるわけだが、カーニバルに惹か
れる内部の暗黒を見つめることなしに、それを口にするのは、危険というよりむしろ甘
えだと思うな。だから新左翼的な運動の凋落は必然でもあったと思う。もちろん、永遠
のカーニバルという主題は、そう簡単に消えるものじゃない。永遠のカーニバルという
のは、ユートピアの別名だからね。しかし絶対に不可能でなければ、ユートピアにだっ
てなり得ないじゃないか。」

この都市のカーニバルを求めるのでは駄目だといふ考へが、要するに両極端を排してま
た否定して其の先に第3項を求める超越論を展開してゐるわけですが、それ故に、都市
を「都市は擬似共同体」だといふのである。それでは農村は如何かといへば、上記の通
りに祭りを軸に考へれば、安部公房は「共同体を拒絶して、それが消え去ったあとに
ユートピアがくるなんていう甘い考え」を否定してゐるのである。要するに、都市に住
む人間たちの此の考へを否定してゐる。だから、安部公房は田園などといふものの考へ
方を否定するのだとわかる。以上の考察から得た座標は次のやうなものである。結局、
安部公房の此の軸は正統・異端論を基軸にしてゐるので、論理展開の骨格だけを抜き出

もぐら通信
もぐら通信 ページ22

せば、そのまま『内なる辺境』で論じてゐるユダヤ人論に適用して理解することのでき
る論理であるといふことがわかる。以上の考察から得た座標は次のやうなものである。
結局、安部公房の此の軸は正統・異端論と都市・農村論といつてもよい。この論は近代
国家の枠内での論である。安部公房のユダヤ人論は別に論ずる。ユダヤ人の歴史を論ず
れば、安部公房の論は当然に近代国家批判になるだらう。

④祭りへの不信

以上の座標を前提に、安部公房の祭りに関する発言:

この一連の発言の最後の段落は次のやうなものである。

「『密会』の中でもちょっと触れたことだけど、僕は祭りに対してある種の不信感がぬ
ぐい切れないんだ。つまり、祭りがあれば、その外にもう一つ別の祭りがあって、誰か
が見物してるんじゃないかと。祭りそのものが、見物されている見世物にすぎないん
じゃないかといふ疑惑なんだな。カーニバルを思想として主張するほど、オポチュニス

もぐら通信
もぐら通信 ページ23

トにはなりきれない。だから小説や舞台の上でも、カーニバルを追い求めたりは絶対に
したくない。」

常に外部を考へることが、ものを考へるといふことである。安部公房がこの章で学生運
動について述べたことは、21世紀の今になつて、人間は仕事がなくなつてAIの奴隷に
なるなどと馬鹿なことを言つてゐる輩に対して有効である。かういつてゐる:

「そうでなくても世間は、学生に早く具体的な未来を押しつけたがる。解答する能力、
答える能力というものを要求する。機能分割的な教育だね。だからぼくは学生運動が
「問題提起の能力を試せ」と、試験革命を提案していたら、事態はもっと変っていただ
ろうと思うんだ。それが文化管理職に歩調を合わせて、祭りなんかに脱線するんだから
話にもならない。」

AIは所 、人間の製作したプログラムであるから、意志はなく、従ひ、問題提起などで
きないのである。この穴を埋めるのが人間の能力である。試しにChatGPTなる近頃流行
りのAIサービスに、私はどのやうに生きたら良いでせうか?といふ問を入力してみるが
いい。さて、答へが出てきたとして、それがあなたの人生であるか。

結局、あなたのゐる場所は最低でも二つの道の交差点であつて、18歳の安部公房が見
抜いた次の場所なのである。といふのが、私の結論です。この位置の絶えざる発見の努
力だけが、地図のない世界で、さう今のやうな世界地図さへ燃え尽きてしまつたパラダ
イム・シフトの移行期の、大転換期の時代に、あなたの生きる道であると思ふのです。
この道は常に動き続け、上下して左右する、まあランボオの詩の題名を借りれば、あな
たは「酔いどれ船」であり、安部公房の短編の名前をいへば、あなたは常に先の見えぬ
「カーブの向う」へと曲がらねばならない。見通しの良い真つ直ぐな、正しい道なとな
いのだ。世間の標準とか公定価格などといふものはないといふ素晴らしい時代だ。即
ち、時代を批判しなくて済む時代だといふことです。自分の頭でものを考へよ。18歳
の論文『問題下降に依る肯定の批判』から引用します(全集第1巻、12ページから1
3ページ)。これは世間標準から見れば、人生に公定価格があると錯覚してゐる人間の
目には、異端と映り、アウトサイダーの場所と見えるでせう。もし日本の近代にこの種
の人間の歴史を知りたければ、河上徹太郎著『日本のアウトサイダー』のご一読を勧め
ます。さて、

あなたのゐる場所、それは「第一に此の遊歩場はその沿傍に総ての建物を持つていなけ
ればならぬ。つまり一定の巾とか、長さ等があってはいけないのだ。それは一つの具体
的な形を持つと同時に或る混沌たる抽象概念でなければならぬ。第二に、郊外地区を通
らずに直接市外の森や湖に出る事が必要だ。或る場合には、森や湖の畔に住まう人々の
休息所となると同時に、或種の交易場ともなるのだ。」

これを図示すると、かうなります。

もぐら通信
もぐら通信 ページ 24

ダウンロードは:『安部公房の札幌文学への批判』:https://www.scribd.com/
document/634507912/%E7%AC%AC%EF%BC%96%EF%BC%92%E5%8F%B7-
%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%89%88

最後に大事な引用を忘れてゐたので引用します。この安部公房の発言は、今の日本の政
府の狂気に陥つてそれに気付かぬ政治家と与野党を問はぬその他の議員、それに同じく
気の狂つた霞ヶ関の官僚の姿と日本の文字通りの明日の姿を明らかにしてゐます。今
の、殊に日本の姿であると思ふ箇所に線を引きました。

「話は飛ぶけど、いまの日本の現状はまことに非暴力的な世界だね。ある人たちは眠り
こけている平和だとかなんとか言ってケチをつけるけど、眠りこけているのは自分のほ
うで、眠るか眠らないかは別に国家とは関係ないと思うんだ。僕だって今の日本の国家
権力は非常に巨大だと思うし、ある意味では生命力を持っているとさえ思う。しかし、
われわれの日々が活力を失っているからと言って国家を責めるのは少しお門違いなん
じゃないかな。いつでも暴力が喚起されるのは、国家が衰弱しはじめた時だ。国家機能
にうんとゆとりがある時は、国家機能がゼロの時と似ていて暴力を起こす必要なんかど
こにもない。あの完全な無政府状態のときも、まるで今日のように平和だった。市民同
士の喧嘩など当然あったし、確かに強盗もいたさ。しかし想像するよりはるかに少なく
てね。むしろ国家機能が衰弱した状態で、しかも不完全に機能しはじめた国民党時代
に、いちばん暴力が誘発されたし、市民生活のレベルにまで及んだような気がする。だ

もぐら通信
もぐら通信 25
ページ

から、国家がもしゼロになれないなら、見えないほどの有能な存在であってほしいという
ことだな。それは多分消滅へ向かって、一歩でも二歩でも踏み出しながら、一つのビジネ
スになっていくような国家だろうね。」

私たち国民は、残念ながら「国家がゼロになつてしまつてゐて、はつきり見えるほどの無
能な存在である」といふ現実に直面しながら、金 け目的だけの「確実に消滅へ向かっ
て、五十歩も百歩でも踏み出してしまひながら、一つのビジネスになっていくような国
家」の内部に閉ざされて生きてゐる。

これに対する処方箋を作家は提示してゐる:

「言葉を変えれば、都市の国家に対する自律性の回復と保証ということかな。だからと
いって現実の都市に、すぐに未来や希望があるといっているわけではない。ただ人間が脱
出する方向が仮にあるとすれば、その方向しかないだろうということなんだ。人間の脱出
とは何か、一体どこに抜け出して行けるのか、僕には答えられないし、答えられる人がい
るとしたら、多分詐欺師だろう。抜けた先の世界を言葉にできるのは宗教だけさ。いくら
未来に窓を開けてみたって、希望なんかないかもしれない。絶望だけかもしれないけれ
ど、その絶望に向かってとにかく通路を掘るということ。それが、人間の営みというか、
仕事なんじゃないかな。」

問:都市とは何か?
答:……………………

答は各自研究されたし。私の理想の都市は、ドイツの田舎町である。日本の地方には、さ
ういふ町がたくさんあるはずです。大体人口が3万から4万人あたりの。如何。安部公房
のいふほどに故郷否定人間にならずに、地方にこのやうな都市があるならば、故郷に帰つ
たら良いのである。今はネットもあるので生活ができる筈です。私のやうに。

ところで、安部公房の思ふ都市は例外なく常に、奉天といふ大陸の都市の形象でありイ
メージです。何故日本人がこんなヨーロッパの都市と同列・同格の本式の石造建築の、そ
れもバロック様式の町を建築したのかは研究に値します。つまり、満洲帝国論の中核をな
す議論になる筈です。ところが、日本人が大陸に進出して誠に間抜けなことに、都市を城
壁で囲つてゐないのである。隣の満洲族の旧市街の都市は城壁があるといふのに。これが

もぐら通信
もぐら通信 26
ページ

日本人の大陸の人間に対した時の愚かさである。多分今も同じやうに大陸に関して日本人
は間抜けてゐるに違ひない。

私の処方箋:
私の問題の解決策は、安部公房の解決策である都市の自律性の安全保障に通じてゐるが、
表現が異なる。既に述べたやうに、中間、即ち中産階級と健康なメディア、これを復活蘇
生する経済政策を発明して、政治を行ひ政策を実行することである。今は国家が衰弱して
ゐるので、合法的な暴力を国民の利益のために存分に振るふべき時代です。私は大陸の人
間ではないので、ここは安部公房とは異なり、祭りごとを盛んにすべきだと思ふのであ
る。安部公房が生きてゐたら、この議論がしたかつたと思ひます。

《マツリ・コト》(政治、祭事)

といふコト・タマの関係になるでせう。政治もマツリ、祭事もマツリ。どうも、かくなれ
ば、コトの別名は、コトを行為にウツす(移す、写す)と、マツリといふらしい。

問:しかし、国民の利益のために合法的な暴力を存分に振るふには、正気の政治家でなけ
ればならぬが、そんな政治家が今の世にゐるのであらうか?
答:……………………………………………………………………………

次回からは安部公房のフォト&エッセイ『都市を盗る』を読解します。ここまで読んでき
た『都市への回路』で得た知識と経験が、同じ都市といふ文脈で、生きる筈です。だから、
このフォト&エッセイの連載は、「都市への回路を通じて至つた都市」を盗撮するといふ
意味になります。そのイメージや如何に。曰く、第一回目は廃墟です。如何にも安部公房
らしい。

これで『都市への回路』を論じ終えました。

これにて一件落着。

もぐら通信
もぐら通信 ページ 27

私の本棚
(48)
三国清三著『三流シェフ』を読む

岩田英哉

おかしな題名だ。本当は本を読むとわかるが、本人は超のつく一流中の一流の、世界に
名だたるフランス料理人だからである。それが何故三流シェフといふ題名なのかは、読
むとわかります。フランス料理の世界でモーツァルトと呼ばれたフレディ・ジラルデ、厨
房のダ・ヴィンチと呼ばれたアラン・シャペル、この二人をフランス料理の修業の初め
と終はりに置いて、その間に修業を重ねたトロワグロ兄弟を始め幾人ものフランス料理
の三ツ星のシェフたちの元で修業し、幾つものサティフィカ・修業証明書を持つ、こんな
実績を残した日本人のフレンチの料理人は日本は勿論、世界にも誰もゐない。だから、
日本にオテル・ド・ミクニを開いて、東京に駐在の外交官を始め世界から来店するあら
ゆる分野からやつて来る有名人が37年書いてくれた本当に分厚い賞賛と感謝のゲス
ト・ブックがある。フランスの有力者たちが放つてをかない。この間の或る時期に当の
本人ではなくフランス大使館の大使がミシュランの三ツ星を三国がうけて載らないのは
不当だといひ「ミシュランがミクニの店に星をつけないとしたら、それはスキャンダル
だ」といつて、本人の目の前で、フランス大使館でミシュランのアジア地区の責任者を
呼んで、しかもフランスの農業食糧大臣まで同席させて、三国にミシュランの三ツ星をつ
けないのはむしろフランスの恥だ位の言ひ方をして、責任者を強行に説得しようとし
た。シェフ三国曰く「何ども言うけれど、フランス人は自分の主張に対して正直だ。」ミ
シュランは次のやうに三国シェフに断つたのである。それが此の本の最後の方のページ
に書いてあるので引用する。私はかういふ話が大好きである。

[フランス大使が此の会見を設定しようがフランスの農業食糧大臣が同席して説得しよ
うがフランスの三ツ星シェフたちが褒めてくれやうが]「そんなことをしたってミシュラ
ンの決定が覆るわけがない。そんなことより、万一これでぼくの店に星がつくようなこ
とがあったら、ぼくはもうなにをしても喜べなくなるだろう。
 その心配はなかった。フランス革命の国だけに、民間企業の公的権力に対する反骨精
神は旺盛なのだ。案の定、会見が終はると、ミシュランの責任者は表情を改め、ぼくに
握手を求めてきた。
 「ムッシュミクニ、メルシィ」
 あんなに冷たい握手は経験したことがない。そのメルシィはフランス人特有の最大級
の否定、もしくは皮肉だった。彼はひどく怒っていた。おそらく、この会見はぼくが政
治力を使って実現させたと思っているに違いない。
 ぼくとミシュランとの関係は、この日で永遠に断たれたのだ。」

もぐら通信
もぐら通信 ページ28

このやうに、この本の題名の意味は、本人はフランス料理の世界で有名なミシュランの
本に三ツ星をもらはうと思ふといつでももらへる力があるにもかかはらず、敢へてさうせ
ずに一級のフレンチをつくつてフランス料理の世界で名前が轟いてゐる、世界中に名だ
たるファンのゐる超一流のシェフであるが、しかし敢へて自分の流儀を通して、あの厨房
のダ・ヴィンチといはれるアラン・シャペルの厨房に最後の修業に入つて3ヶ月目に、
つくつてゐるエクルヴィス(ザリガニ)のムースの盛り付けをシャペルが背後から見て、
この静かな厨房の哲学者が其の一品についていつた批評の言葉「「セ・パ・ラフィネ」/
直訳すれば、洗練されてゐない」といふ言葉の理解に悩んで遂に日本人のフランス料理
に開眼してオテル・ド・ミクニで自分のフレンチを提供する修業の顛末を、私はあなたに
是非読んで欲しい。同僚のこれも三ツ星シェフでシャペルの後を継いで料理長になつた
シェフは7年間何も声をかけられなかつた。お前は3ヶ月で声を掛けられたのだから喜
べといいふ科白もいい。他にもフランス人のいふエスプリの効いた言葉が笑ひと涙と共
に日本語であちこちにある。

スイスのジュネーヴにある大使館で料理長を二十歳の時に帝国ホテルの村上信夫総料理
長から拝命し、最初にスイスで師匠と仰ひで入つた厨房のモーツアルトと呼ばれるジラ
ルデの厨房は最後のシャペルの厨房とは正反対に「店は天国、厨房は地獄」といふ文字
通りの地獄の現場だつた。ジラルデの料理に対する真剣な姿勢は分野は異なるが、いつ
てみればジャズ・プレイヤーと同じで、古典を踏まえた上での即興演奏なのだと本を読ん
でゐて知る。これは私の文学に通じてゐる。東京に出てきた時から私の誰にも知られぬ
真剣な努力は目の前に来たもの見たものを一瞬で言語化する訓練であつたからだ。先を
読まねばならない、誰の話してゐる言葉の先かは知らないが、常に先を読まねばならな
い。日本にゐた学生の時に毎日毎日毎日この訓練をしてゐて、ある時トーマス・マンの小
説を読んでゐて従属文の最後に来る動詞を一つならず予見できたことがあつた。この訓
練のせいか、今は日本語の世界でもYouTubeの動画であれ現実の人の話であれ、本に書
かれた文章であれ、読み聴いてゐるとその今の言葉がその数歩先にどんな言葉を引き連れ
て来るか、どんな文章を音で語るかが自然とわかるやうになつた。ジェラルデはこれを
フランス語でスポンタネ、私はドイツ語でシュポンターンと呼んでゐる。英語なら
spontaneous、スポンテイニアス。

ジェラルデの料理スタイルは「基本的な調理技術に忠実に、食材と対話をしながら料理
を作るスタイルだ。」日本語ならば自然に、といふことであり、おのづからといふこと
であり、これは一語に向きあつた時に其の意味を解して一瞬で漢意をやまとことばに置
き換へて見せた筈の本居宣長の姿であり、荻生徂徠の支那語日本語の往来と翻訳の鍛錬
であつたと私は想像してゐる。太安万侶もこれをやつた筈だ。誰の目にも見えない。知
られない。シェフ三国の本を読まねば、こんな私的なことは誰にもいはず、ここで初めて
いふのである。これは書評欄では語れない。『散文思索塾』でお話します。

もぐら通信
もぐら通信 ページ29

私は何故三流かといふ意味を伝へるつもりで一流、それも超のつく一流の人間たちの話
をしてしまつた。三ツ星はいつでもとれるのに敢へて取らない、無冠で十分。大事なこ
とは、日本人のフランス料理を創造することである。これをシャペルの厨房で疑問とし
て与へられたシェフ三国は考へに考へ抜いて至つたフランス語でjaponesee、ジャポネゼ
といつてゐる日本人化したフランス料理である。私のドイツ語は日本人のドイツ語であ
り、誰のドイツ語でもない私のドイツ語だ。Mein Deutsch/マイン・ドイッチュ。英語も
同じだ。My English。といふこの反骨精神を私は同じ北海道生まれ育ちの人間として共
有してゐる。段々とシェフ三国が私か、私がシェフ三国か読んでゐるうちにわからなくな
つて来た。だからこの書評は書きたくなかつたのである。

 私が二十歳を過ぎる位の頃までは大人たちは津軽海峡から南を内地と呼んでゐたし、
開拓者精神とかフロンティア・スピリットといふ言葉も新聞や土地の雑誌に散見するこ
とがあつた。この言葉を忘れて、日本の中央即ち東京の権力に依頼心を起こしたことが
北海道衰退の一番大きな、根本の原因である。だから、一次産業だけに頼つてゐたため
に、魚が獲れなくなると、それ以上の産業が育たなかつた。或る時北海道土産に買つた
昆布の製品が、大阪で加工されて販売したものを北海道が輸入して、東京から帰郷した私
が東京土産に購入したといふ為体(ていたらく)なのである。この状態を食といふこと
から大きく改善して北海道の産業をもつと第六次産業にまで創造しようとダイヤモンドと
いふ名を冠した食のプロジェクトを推進してゐることは素晴らしい。私は頭が下がりま
す。そして、そのエネルギーにも。

これは下記に引用するリンクに関連したどこかの動画で言つてゐたか、それともこの本
に書いてあつたか、本の方は探しても其の言葉がよく見つからない。このやうな「三流
シェフ」の正反対にあつて通ずる職業が道化師、クラウンである。シェフ三国は自分は
道化師になりたかつたとどこかで述べてゐた。私も同じだ。安部公房流にいへば、存在
の道化師である。人に笑はれる仕事である。私は物書きになつてゐなければ、道化師に
なつてゐただらう。サーカス一座に入つて世界を巡業してゐた。まさに安部公房の世界で
ある。だから、政治家も官僚も国民に笑はれる位に反骨精神を以て仕事を朝から晩まで
身を粉にして庶民のために仕事をして欲しいのだ。他人と同じことをしてゐては決して三
ツ星を取ることはできない。

「あの頃、フランスには十八軒の三つ星の店があった。その十八軒の店には、一つだけ
共通点があった。どの店も絶対に他の店に似ていないという共通点だ。」(同書228
ページ)

しかし、最初と最後に仕へた二人のシェフは結局同じことをいつてゐる。後者のシャペ

もぐら通信
もぐら通信 ページ30

ルの言葉:

「曲がった胡瓜は曲がったまま使えという人だった。自然から生まれた形を、どう生か
すかはあなたが考えなさい。」
(同書198ページ)

シャペルの著書にある言葉をもう一つ引用しよう。これは詩です。

「料理は節度のある行為でなくてはなりません
 繊細な感性と慎み深い態度で臨むのです。
 すべてを決めるのは食材自身であり
 料理人は自然の恵みを学び続ける
 永遠のアプランティ(弟子)なのですから」
(同書188ページ)

「ようやく目が覚めた。僕はフランス人じゃない。」
(同書194ページ)

このシェフ三国の本を読んでゐて、書評を書かうと何度も思ひ、何度も止めようと思つて
躊躇した、文学の本ならこんなことは一度もないのに、これは初めてといつてよいこと
だつた。今書きながら考へると、この本を論じ始めると、私が鮭だとして、自分で自分
の包丁で鮭の腹を割いて、腹の中から薄膜の透明な袋に入つた筋子の塊を、つまり私の
宝石を二袋取り出して自分の私的な最も大切なものを人目に晒すのが嫌だつたのだと気
づくのである。だから、これ以上は一つの共通体験だけを最後に書いて、あとは書かな
い。

初めて上京した時の驚きをシェフ三国はその章の見出しにかう書いてゐる。「東京の街
は、四方八方見渡す限り続いている。行けども行けども東京だった」。そして、帝国ホテ
ルの総料理長に、勤めて三年後に二十歳の時に命ぜられて、ジュネーヴ大使館の料理長を
やりなさいといはれて飛行機で大使夫妻と同じ飛行機の上空から眺めたジュネーヴの雪
もある其の土地の景色を見て思つた言葉。ああ、増毛(ましけ)にそつくりの景色だ、
ここでなら生きていける。私も二十代の後半にベルリン空港の上空から低地ドイツの平
坦で何もない山の無い景色を見て、生まれ育つた道東の景色にそつくりで、ああ、ここ
であれば、東京とは違つて、何とか生きていけると安心したことを其の赴任の箇所を読
んで思ひ出した。

この本は三国清三(きよみ)といふフランス料理の日本人シェフの著したもので、この
本のあることを私はYouTubeの動画で知りました。それが何故か一年ごとの元旦に撮影

もぐら通信
もぐら通信 31
ページ

された2021から2023年今年までの3本の動画です。一年の時間を置いて話を繋
ぐといふ此の感覚が私には理解ができませんが、ここに何か此のシェフのフランス料理
の冴えに通じる理屈があるのだと、文学畑の野菜の大根である私には自然に、このシェ
フの言葉でいへばスポンタネ、ドイツ語ならばシュポンターンに思はれるのです。次の三
本の動画です。

https://www.youtube.com/watch?v=Z-_6ZfVPHZ8&t=501s
https://www.youtube.com/watch?v=r43sbHWzZzQ
https://www.youtube.com/watch?v=6nwDbd24mtE&t=2s

私たちの共有してゐるものは、貧しさと寒さである。これがなければ、生きるためにも
のを考へることができない。どんなに春であつても、どんなに夏であつても、どんなに
秋であつても。必ず冬がやつて来るのだし、どの季節にも常に寒さが宿つてゐる。
 今までのオテル・ド・ミクニを去年12月に閉め、三年後の2025年に開店する『三
國』のカウンターに座る8名の一人として、何年でも行列をつくつて待つ人の列の中に立
つて、きつと初心に戻つて生まれる筈のスポンタネの料理を食べてみたいものです。
 私もシェフ三國と同じく鍋洗ひ食器洗ひばかりをして来たやうな気がする。何故な
ら、言葉の意味とは凹のイマージュをしてゐるから。そして、言葉の鍋洗ひ食器洗ひな
ど、誰も好き好んでする仕事ではないから。否、これは世間の人の最も嫌ふ仕事の一つ
だ。便所掃除と並んで。シェフ三國曰く「誰もやりたがらない仕事だから。」だからや
つた。何故なら、綺麗な見栄の良い既に調理された料理ばかりを食べたがるのが人間だ
から。地上に咲く美しい花を見るのは世間の人であるが、反対に地下にもぐつて仕事を
する作家の暗室は、フィルムの現像と同じく暗黒で、透明な膜の袋に包まれた筋子の真
つ赤な無数の宝石から出来てゐるのである。

最後にもう一つ。本当に仕様がねえなあといふ感じだ、この共通する性格は。

「貯金はしなかった。」
(同書179ページ)

「お客さんが入らなくても、自分の料理を作り続けた。」
(同書220ページ)

「ぼくは日本人同士で固まるのが好きじゃ無いので、なるべく日本人が働いていない厨
房を探したくらいだ。」
(同書177ページ)

「そんなことよりも、新入りだろうが外国人だろうが遠慮せずに、自分の実力で勝負で
きるフランスという国がぼくの性にあっていた。」

もぐら通信
もぐら通信 ページ32

文学も同じだ。年齢、身分、門地、出自、家柄、学歴、社会的地位、貧乏か金持ちか、
そんなものは一切関係がない実力だけの世界だ。そして、フランスを日本に置き換へる
と、それが私の理想の国である。そして今の日本の国は、全然私の性に合つてゐないの
である。

そして、このシェフ三國の心は次の、本当の最後の最後のページに書かれてゐた:

「二〇二〇年にスタートしているYouTubeチャンネルの登録者数は、もうすぐで四十万
人。皆さまに楽しんでいただけているようだ。
 偉大な先人、秋山徳蔵さんは天皇の料理番だった。
 ぼくは大衆の料理番になった。 

そして最後に思うのは、やはり料理は面白いということなのだ。」
(同書「おわりに」261ページ)

天皇の料理番秋山徳蔵さんの皿洗いの話と、帝国ホテルの総料理長村上信夫総料理長の
皿洗ひの話はYouTubeでお聴きください。

港町で生まれ育つた男の気性といふものは、本当に荒い気性だ。

私が生まれ育つたのは岸壁の直ぐそばであつたが、二、三歳の頃いつも一人で遊んでゐ
てよく岸壁から海に落ちなかつたものである。

もぐら通信
もぐら通信 33
ページ

日本一極国家論(続篇):GAMECHANGE理論
(16)
4.1.7  日本国家核ミサイル保有論7
4.1.7.3 核戦争回避のための核戦争惹起論

岩田

もぐら通信
もぐら通信 34
ページ

ネット・モナド論
(38)

民主主義の政治とは何か3
キリスト教と民主主義とキリスト教の民主主義

岩田英哉

キリスト教と民主主義とキリスト教の民主主義

もぐら通信

もぐら通信 35
ページ

ネット・モナド論
(39)
貨幣とは何か4
金本位制と資本主義の関係
      ∼資本主義はそもそもバブルである∼
岩田英哉

貨幣とは何か4:金本位制と資本主義の関係∼資本主義はそもそもバブルである∼

もぐら通信

もぐら通信 36
ページ

初期小林秀雄論
(3)
岩田英哉

目次
1。初期と云ふ言葉の意味
2。骨董
3。ラン オ「以前」
4。初期小林秀雄の作品
5。『本居宣長』以後
6。小林秀雄と正宗白鳥
7。小林秀雄の文学を俯瞰する
8。小林秀雄と歌舞伎
9。源氏物語と万葉集と壺
10。『飢餓の祝祭』
11。小林秀雄と鏡花
12。小林秀雄と鏡

***

6。小林秀雄と正宗白鳥(承前)
郡司勝義の文章の引用を続ける。この対談は大岡昇平との対談「霊魂について(正宗白
鳥の世界)」です(同書436ページ)。対談集『小林秀雄対談集 直観を磨くもの』に
「文学の四十年」と題して収められてゐる(同書353ページ)。郡司勝義によれば、
この対談は正宗白鳥が八十三歳で「昭和三十七年十月十八日」に没後2、3年した時で
ある。

「大岡昇平がかう水を向ける。
《正宗白鳥さんの文体を、実にはつきりほめてゐるね。
 小林さんは昔から正宗さんの文体をほめてゐるわけだが、そのほめ方は横光利一への
ほめ方、「志賀直哉」みたいなよそいきのほめ方ぢやなくて、親身なものの言ひ方があ
らはれてゐる。こんど読み直してはじめて気がついたんだ。》」

この「親身なものの言ひ方」が何故かは既述のとおりです。さて、初期小林秀雄と『本
居宣長』以後の主題であつた正宗白鳥までの全体を論じてきたので、ここで一度再度小
林秀雄の文学を俯瞰したい。そしてその後に落穂拾ひをして個別の細目の動機または小
さな主題を論じたい。いづれも、この男を理解する一助となると確信してゐます。

7。小林秀雄の文学を俯瞰する
小林秀雄と歌舞伎の関係について述べようと思つていざ筆をとつたら、一度小林秀雄の
文学に影響を与へた作家と批評家と詩人について改めて書いてからの方が良いとおもつ
たのでこの章を読者に呈する。その理由は、一つはこの順序の方が私には書きやすいと
いふことと、もうひとつは、読み手にも理解がしやすいだらうと思ふからです。
ボ

もぐら通信

もぐら通信 37
ページ

ここで一度、小林秀雄の批評に関する批評の性格と態度についての河上徹太郎の評言を
再度引用して、この批評家に深い影響を与へた人間地図の全体を見 してから、掲題の
本題に入りたい。「4。ランボオ「以前」 」より再掲する。

「小林秀雄の最初の批評を支へ、そこに二重の影を投じてゐたのはシモンズ とシェスト
フであつた。このことはきはめて重要である。彼はシモンズから批評の方法を学んだ
が、シェストフからは批評家の態度を示された。小林のランボオ像は、いはばこの二つ
の交錯する点にうかびあがつてゐる。」(『小林秀雄』) (傍線引用者)

この二人は批評家であるが、これはものの考へ方および論理的発想と展開に関する批評
の教師といふことができるのに対して、小説家といふ虚構の文章に関する実際の小説の
教師とは、郡司勝義によれば次の通りである。

「小林秀雄が影響を受けた。つまり、惚れこんで、その内面にまで食ひこんだ作家は、
少年期には泉鏡花であり、青年期には志賀直哉だつた。壮年に及んでは菊池寛であり、
晩年に至つては正宗白鳥であつた。」(郡司勝義著『小林秀雄の思ひ出』464ペー
ジ)

もし小林秀雄を論ずるのであれば、少なくともこれらの批評家と作家たちの作品を読ん
だ上での、その交流と交渉の関係を理解した上での論であることが最も望ましい。これ
に既に論じたボードレールが加はり、この詩人にはない自然を備へてゐるランボーの詩
が加はる。さうして、翻訳もまた、小林秀雄の作品であるといふ私の結論からいへば、
さうして、あの日本語に訳さぬほどに此の批評家の文学の命であつたランボーの『飢餓
の祝祭』が殊更に加はり、同時にヴァレリーの詩で『POESIE』といふ翻訳作品が入る。
何故ならば、郡司勝義によれば、この翻訳は翻訳してゐながら『小林秀雄全翻訳』の中
に入れることを、翻訳者自身が拒んで入れさせなかつた翻訳だからである。この意義に
於いては、ランボーの『飢餓の祝祭』と同列に位置するフランス語の作品です。違ひは
和訳したか、しなかつたか。この違ひが何故かもドイツ語訳と私の和訳で論ずることに
したい。まづ、ここでは後者即ち『飢餓の祝祭』をドイツ語訳から和訳して後示した
い。
 私が何故、こんなことを書くかといふと、従来の小林秀雄論に対する私の不満は、余
りに此の批評家に惚れ込む余りに、他の作家たちとの関係を等閑に付して、人物を論ず
ることが多く、逸話に興じて、その人物の創造した世界を論ずることが少ないと感ずる
からである。同じことが、安部公房の読者にも三島由紀夫の読者にもいふことができ
る。これら旧制高校生であつた作家たちの教養の範囲は非常に広くまた深いものが、そ
れぞれに於いてあるので、同じ文学的教養をみづからの土壌にする努力を惜しんでは、
なかなか日本語として表現されたこれらの作家たちの苦心のあとも苦労の姿も理解がで
きないと私は思ふからである。勿論、これら三人だけに、この努力は限つたものではな
い。これらの作家の読者ならば、できれば、外国語の原文に当たつて、自分の好きな作
家が其の文学的人生の初期に読んだ外国の作家の作品を原語で読む語学力のあることが
望ましい。私が日本の小説家たちが書いた文章読本を論じた論考の中では、丸谷才一

もぐら通信

もぐら通信 ページ38
が、日本語の文章の上達のためには、日本語のほかにもう一つの外国語を習得すること
が望ましいと書いてゐることに、この私の考へは同じことを結果として述べてゐること
になります。あるいは、中村真一郎も同じ意見を述べてゐたかも知れません。『本居宣
長』を著した小林秀雄流の言ひ方だと、次のやうになります。日本の小説家で西欧の外
国語に堪能な作家たちの、いい文章を書くには最低一つは外国語を習得しろといふ後か
ら来る書き手への助言の、日本の国に於ける文明論的な、また歴史的な、背景について
此の批評家が述べてゐる箇所です。『小林秀雄 江藤淳 全対話』(中公文庫、113
ページから118ページ)。対話の此処の章の見出しは「道を知ることは歴史を知るこ
と」となつてゐる:

小林 哲学といふものは今日はやらない。はやらないから捨てるので、なぜはやらない
かは反省しない。哲学とは反省に関する学ではないのかな。歴史学が未来学になるの
は、内に向ける眼を捨てたといふことだな。
 日本は非常にむずかしい国だと、つくづく僕は思ひますね。宣長さんの学問が、一番
影響を受けたのは、荻生徂徠ですよ。荻生徂徠といふのは、古文辞学といふ、非常に独
創的な学問を始めた人ですが、宣長は、表向きには、そんな影響なんか、絶対受けてな
いといつてゐる。それは一面では本当で、まともに言つたら受けてゐないとしかいいや
うがないものはあつた。しかしあの人の青年時代、日本を風靡したのは古文辞学だつた
からね。みんな儒学を習つたんだから、影響を受けてゐないことは絶対にないんだ。み
んなその影響下に入つてゐるんだ。
 歴史といふものはみんなさうなんでね。本人が言つてゐることが本当かどうかは、百
年くらゐたたないと、わからない。みんな流れてみなければ、自分を表はすことができ
ないのが歴史だらう。現在に生きてゐて、現在を知ることができない。
 徂徠も、また詳しく読んでみますと、それは、なんともいへない不思議なことがわか
つてくる。あんなにシナに夢中になれたのは、彼が日本人だつたからだといふことがわ
つてくる。宣長ももちろん、ほかの国には出てこない。どうしてああいふ人が出てきた
かといふと、これは、日本の言葉の伝統に深く関係する日本の個性なんです。日本のや
うに、漢文の素読といふ、こんな不思議な言語経験をしてきた民族なんて、他にありま
せん。日本の文章といふものは漢文の訓読によつてできたものです。だから、日本人と
いふのは、非常に批判的だし、反省的なんです。日本人は模倣的だなんていふことを人
はいふだらう。それは日本の歴史を知らないんで、本当はさうぢやない、日本人は反省
的なんです。いつでも人と比較しなければ自分の文明を保てなかつた人たちなんです
よ。
 言語は文明の基礎です。日本人は漢文と日本語と二つ持つて、その二つをずつと千余
年も比較してきた民族なのです。漢文を利用し、あるいは漢文に抗し、漢字を使つてど
うしたら日本文を書くことができるか、この長い苦心は、まつたく夢のやうなもので
す。そしてその日本文を、一番先につくつたのは女です。これはなにも、日本の女が偉
かつたんでもなんでもない。紫式部は天才にはちがひないけど、日本独特の言語経験が
なければ、ああいふ女は出てこない。あのころの、日本の女流文学の盛行といふものも
むろん世界中になかつたものだ。

もぐら通信

もぐら通信 39
ページ

 漢文は男がやつてゐて、絶対、生活の中に入つてこなかつたから、女は生活に即した
文章を書いた。日本の文章を書いたんです。だけど、あれは漢文といふものが一方にな
ければ書けません。紫式部は漢文に堪能だつた。『源氏物語』はさういふ批評的文章、
比較の上になりたつた文章なんですよ。
 さういふふうに、日本は文明自体が批判的な文明なんです。いまだにそれはさうで、
日本人は外国語を覚えるのが不得手なのだ。英語でもフランス語でもまだ訓読してゐる
んですよ。決して模倣文明ぢやない。自己批判の文明、自省力といふふうなものの鋭敏
さでは、日本人は世界一ぢやないか。僕はさう思ふ。それは、言語の伝統からして、さ
うならざるを得なかつたんです。
 徂徠は、物徂徠なんて書いてゐるだらう。聖人といふのは中国に出たんだからね。そ
んな偉い人は日本には一人も出てやしない。日本人には哲学者はゐない。哲学は向かう
で出た。自分の学問は哲学なのだから、日本人など相手にできないといふわけだ。徂徠
は三十一歳で柳沢吉保に仕へることになつて、唐話唐音の研究に熱中しだした。だから
あの 園学派(けんえんがくは)といふのは、みんな中国語はペラペラだつたのです
よ。こんなことは、日本の漢学の伝統にはなかつたのです。そこで、あの人はついに何
が望みになつたかといふと支那の六経を、いまの日本語で翻訳しようといふことであつ
た。物茂郷どころのさわぎぢやないではないか。しかし本当はさうなんだけれども、こ
れを、とうとうやれないで死んぢやつた。あの人は病身だつたからね。それなのに、
「お前は日本人か」などと、馬鹿者どもは悪口を言つてゐたのだ。
 その全く逆をやつたのが宣長なんですよ。徂徠は華語をもつて聖人の道、つまり中国
の書を究めようとした、宣長は日本語で日本の古典を究めようとしたんです。だから、
宣長に徂徠の影響がない所ぢやないんです。日本の言語伝統がなければ、二人とも、出
なかつた人なんですよ。どつちも国粋主義なんかとは何の関係もない。さういふわかり
やすい考へとは関係のない学問なんです。だから徂徠は聖人の学では、自分が一番偉い
といふ自信があつたんですよ。当時の中国なんかではどうせ学問はずつと遅れてゐたん
ですからね。彼は中国語なんかでも、しやべれなければおかしいから、ただしやべつて
みたんですね。しかし結局、聖人のことは、世界中でおれが一番よくわかつてゐる。
「和人にして和人にあらず、華人ならずして華人なり」といふ、さういふ妙所に、おれ
は達した、といふんだ。そしてその妙所から何をやるかといふと、六経を現代の日本の
言葉に翻訳することを理想にしたわけです。中国人の古典の注釈など信ずるに足らぬと
考へたのです。
 宣長の『古事記伝』も学者の精神の激しさでは同じことなんですよ。徂徠に対して宣
長は、なに、馬鹿を言つてゐるんだ、それなら、なぜ日本のことをやらないかと言つた。
それだけの違ひなんですよ。あの頃の日本の学者の、なんともいへない自信だな。あれ
は、なんともうらやましいものですね。学問上の単なる正しさなど屁のやうなものだ。
江藤 なぜ、あのころの学者は、そのやうに、根本的な問題に直面することができたん
せうね。
小林 それを考へていくとやはり応仁の乱を考へる。応仁の乱といふものを、歴史家は
ただ政治的事件としてしかみてゐませんけれども、文明上の意味からいふと応仁の乱の
やうな乱は、世界中にない。これを統一したのは秀吉でせう。秀吉といふのは乞食で

もぐら通信

もぐら通信 ページ40
す。乞食が、どうして日本中を統一できたのか、これを考へるべきです。国民全部がそ
の実力を認めたといふところにその意味がある。この革命が、十五世紀から十六世紀に
かけての百年の間に日本に起つたんです。日本全国の大名は入れ替つてしまつたのです
から、おどろくべきことです。そのとき、日本は日本的デモクラシーになつた。学問
は、そこから起つたんです。学問は全く、日本のさういふ歴史の運命から起つたんで
す。
 中江藤樹は学問界の秀吉です。これも農夫から近江聖人になつたのだからね。まつた
く徒手空拳の道をいつたのです。学問も実力で根底から掴み直されたのだ。それがわが
国の近世の学問の血脈なのです。
 宣長の学問ももちろんこの伝統の上にあるのです。(略)」

此処から話は、科学と歴史と論理と因果律の話に入ります、歴史と経験と言葉と意味の
関係を、小林秀雄は論じて行きます。

私の別に書いてゐる『散文思索塾』の冒頭に私は、私は遂に在日日本人であるといふ自
覚に至つたと書いたのは、小林秀雄の解説してゐる荻生徂徠と同じ心境に至つたからで
ある。徂徠流にいへば「和人にして和人にあらず、華人ならずして華人なり」といふ言
葉です。きつと「お前は日本人か」などと、馬鹿者どもは悪口を言つてゐるのだ。

しかし、この徂徠の言葉、これは、これだけ応仁の乱の日本語の歴史上に持つ意義を解
くことのできる此の批評家の思ひでもあるでせう。小林秀雄はフランス語を此のやうな
覚悟で学んだ。だから翻訳も此の批評家の作品とみることができるほどのものになつ
た。

さて、久松潜一編『日本文学史 概説年表』を開いて応仁の乱の時代を見ると見るべき文
学的作品はひとつもないと対談相手の江藤淳がある文章で驚き嘆いてゐるが、私が此の
年表の全き空白の後の江戸時代の元禄から始まる出版物の急激な増加を見ると、この百
年の空白期がなければ 、この空白があつてこそ、江戸の文化の花が咲いたのだといふこ
とを知りました。小林秀雄の述べてゐることは、私の日本文学史上の理解に一致してゐ
ます。日本の国の革命は人間が人為的に起こすものではない。日本の革命はspontan・
シュポンターンに自然に起きる。これを宣長はおのづからといひ、小林秀雄は「歴史の
必然」と呼んだ。宣長がおのづからといふのは、言語と歴史を相手にしてゐるからで、
これで広範な意味を有する此の語でいいのですが(日本の国、日本の歴史、日本の文化
の血脈を念頭にをいてゐるから)、小林秀雄の「歴史の必然」は個人の宿命と運命を、
漱石ならばいつた「自己本位」の人生を思ふ個人の立場に立脚してゐるからです。

また、上記の長い引用中に言及してゐる日本の哲学的伝統についての次の小林秀雄の発
言もまた傾聴に値するものです。この常識を思ひだしてほしい。大岡昇平との対談で、
話は正宗白鳥を巡つてのものです(『小林秀雄対談集 直観を磨くもの』(新潮文庫)3
58ページから359ページ)。正宗白鳥といふ作家には才能があるわけではないのだ
といふ二人の一致する発言の後に来る、言葉による藝の話と、日本の哲学的伝統が切れ

もぐら通信

もぐら通信 41
ページ

てしまつたことに関する発言です。

「小林 あの人[正宗白鳥]の文章は、アランなんかの文章とたいへん似たところがあ
るよ。だけれどもアランといふのは藝人でせう。藝を誰が育てたかといふと、伝統なん
だよ。哲学的伝統ですよね。日本では、これが混乱した。いはば思想的藝術の伝統が壊
れたんだよ。その意味での知識人の孤独を、私はよく考へる。大岡だつて、福田恒存だ
つて、大江健三郎だつて、みんなさうだとおもふ。知的伝統の援助があてにできない辛
さをみな持つてゐる。磨きをかけてゐるけれど、磨かれないものはいつぱい自分の中に
あるんだよ。それはなぜかと言ふと、いかに自分を磨かうとしても、環境が磨かしてく
れないのだらうが。だから僕らが自分でカットしたり磨いたりするところはほんのわづ
かなところだよ。たくさん隠れてゐるんだよ、宝が。それはつらいね。」

この小説家の辛さは、小説家でありながら同時に批評家でなければならないといふ日本
の作家特有の辛さを指してゐる。此れは実は詩人も事情は同じであつた。小林秀雄は一
人で詩人と批評家の役割を、もつと正確にいへば、批評性の非常に高度な詩的散文を書
かなければ生きて行けなかつた。もし日本に哲学の伝統がなければ誰かが先 をつけれ
ば良いのである。小林秀雄がその端緒を開いた。言語藝術の一分野である文学につい
て、中村光夫の質問に対する此の批評家の答へをみてみよう。『小林秀雄対談集 旧友交
歓』所収、福田恒存・中村光夫との鼎談「文学と人生」に次のやりとりがある(同鼎談
330ページ)。

「中村 小林さん、いろいろ文章を書いてゐて、文学者に一番大切なことといふか、本
質的なことつて何だと思ひますか。
小林 トーンをこしらへることぢやないかなあ。」

小林秀雄の文章はトーンだといふ語彙の選択は、色調といふことであれば絵画的である
し、しかしそもそもは音調といふtoneでありませうから、やはり正宗白鳥の文体を理想
とする此の人らしく音楽的である。上記のやり取りのあとの引用を続けます。

「中村 さつき小林さん、リアリティにぶつからないと、リアルなものでないと、信じ
ないといふのが日本人だといふことでしたね。それは何かものにぶつかるといふことで
はないかと思ふんだけれど、精神がものにぶつかる。ものにぶつかつた精神しか信用し
ないやうな習慣がわれわれにある。
小林 論理学が不得手なんだね。科学が不得手なんだ。」
(同鼎談331ページ)

もし日本の歴史を遺漏なく点検して、本当に日本に哲学がないのであれば、生み出せば
良いのである。しかし、何故日本人はそれをしなかつたのか、といふ問に対する答へ
は、日本には既に哲学の歴史も伝統もあるからだといふものでした。哲学の原語である
古代ギリシャ語のphilo-sophiaが智を愛するといふ意味であり、その原動力はエロスで

もぐら通信

もぐら通信 ページ42
あり、ソクラテスが憧れといひかへて語つてゐる所を読み、この理解に従へば、この学
問を私たちの国では愛智の対象を古事・ふるごとと呼び、フル・コトを/に学ぶコトと
philosophiaを呼んでゐたのであるといふ私の、此れは発見です。考へてみれば、人間に
生まれて知りたいと思はぬ人間はゐないであらう。そして、本居宣長の収集した源氏物
語の言葉の用例の吟味は、アリストテレスの論理学と西欧で呼んできたのと同じ論理学
を、宣長は源氏物語を精確に読み解くために発見し、誰にも教はらずに独力で創造して
ゐたといふことは既にどこかに、sense・本義・狭義・意義・内包・intensiveを「然
(し)かある本の意」と呼び、転義・広義・意味・外延・extensiveを「用ひたる意」
と呼んでゐることは、述べたとおりです。此れは、私の読んだ本居宣長の源氏物語論の
論理学的側面ですが、他方、小林秀雄は此れをトーンとして読んだのです。私は科学と
して読んだが、小林秀雄は音楽として読んだ。さういふことができます。愛智といふ憧
れ、知りたいといふ欲求が男女の間に生まれれば、それは性愛のコトとなり、抽象度の
高い言葉の概念の梯子を登つて行けば、プラトンのいふ最高度のイデア・理想・観念の
世界に至る。
 だから、古事記を読んでから私のよく思ふことは、もし今の学校教育の現場で子ども
たちに小学生の早い時期から古事記を教へたら、子供達が成長する過程で無駄なこと余
計なことで悩んだり苦しんだりすることがなくなるだらうといふことでした。子供にと
つて必要なものは理想の人物像であり、理想の人間像であるからです。古事記に登場す
る神々は子供達の生きるための、良くも悪くも、模範となる神々です。さうしてこれに
よつて何故なら、古事記こそ文字に起こした最初の、日本民族の哲学的伝統の初めであ
り形而上学の初めであるから、自然とspontan・シュポンターンに、哲学的な思考能力
を体感から自得するでせう。しかし、ソクラテスは自分の哲学を文字に残さなかつた。
さうであれば、整然たる話し言葉でも哲学は成り立つてゐる。別に文字に起こす必要は
ないのです。同じ時代を生きた釈 も孔子も文字に残さなかつた。文字に残したのは弟
子たちです。この私たちは特別なにも文字に残すことを思つて毎日を生きてゐるわけで
はない。といふ事実は一体何を意味するか。
 つまり、ダイヤモンドの原石に磨きを掛けることがspontan・シュポンターンに自然
にできる。一体意志のある原石がどうやつて原石自身に磨きを掛けることができるの
か。これを考へ実行したのが、この批評家の人生でした。しかし、これは他人事ではな
い、あなたのことである。原石を磨くといふ隠喩の表現には、ダイヤモンド研磨の技術
者であつた父小林豊造への思ひが生きてゐる。豊蔵は「ベルギーでダイヤモンド加工研
磨の技術を学び、日本にその技術と機械とを持ち帰り、「洋風装身具製作」の先駆者と
なつた。また日本で最初の、蓄音機用のルビー針を作るなど、数多くの技術を開発して
ゐる。」とあります(『新潮日本文学アルバム 小林秀雄』4ページ)。

8。小林秀雄と歌舞伎
今典拠となる箇所を示すことができないのが残念だが、私が以前小林秀雄の文章を読ん
で其の行間にどこか南の海の断崖絶壁に立つて身を投げようとする此の批評家の姿を垣
間見て驚いたことがある。此の批評家の文章を読むと、いつも行間に足下を見下ろすと

もぐら通信

もぐら通信 ページ43
遥か下方に白い波が小さく、しかし激しく巌を むのが眼に見えるやうな気がするの
は、それ以来である。
 私はこの島を小笠原諸島のどこかの島と思ひ込んでゐたが、実際には伊豆大島であつ
たのだといふことを郡司勝義の文中に知つた。何故私は誤解したのかといふ理由を述べ
て、小林秀雄と歌舞伎の話に入りたい。何故さう誤解したかといふと、この断崖絶壁か
ら身を投げる思ひを読んで私が即座に思つたのは、源鎮西為朝の故事であつたからであ
る。捕まつて、私は為朝が配流の刑に処せられたのは小笠原諸島のどこかの島(例:
青ヶ島)だと勘違ひしてゐたからだ。何故、長谷川泰子と落ち合ふことができずに、絶
望して伊豆大島へ一人で行つて、to be or not to be、崖から身を投げようと思つたの
か。これは、一種の流刑だと若い小林秀雄は考へたからではないかと思ふのである。つ
まり、日本の世の中、日本の社会からの追放です。もちろん、当人は無意識裡にさう思
つたに違ひない。さうして、二人で崖から身を投げるつもりであつた。歌舞伎の演目に
ある男女の道行の心中物の世界です。二人して身を投げれば、そこで永遠に表裏一体の
メビウスの環の結び目が死の中で生まれて、二人の男女は永遠に生きることになる。こ
の遅くとも江戸時代には歌舞伎に現れた性愛の情念は、小林秀雄が古典に相対し、古典
を読むときの根源的な感情であつた。それ故に『本居宣長』では、折口信夫の助言を、
それも別れ際にいはれて、宣長の業績として源氏物語のもののあはれを主要なものとし
て取り上げた。

 小さい子供の小林秀雄がおつ母さんに手を引かれて足繁く歌舞伎を観に通つたことは
次のやうな箇所に現れてゐるので、私のできる限りの例を挙げたい。歌舞伎での鎮西為
朝は『椿説弓張月』の主人公になつて、伊豆大島にではなく琉球へ渡つて活躍するやう
である。当然小林秀雄は史実の方もよく知つてゐたでせう。
 最初は福田恒存との対談から。話は歌舞伎と新劇との芝居論・演技論・俳優論で、翻
訳劇の科白 しが、といふことは俳優の所作も板についてゐないので、小林が新劇は嫌
ひだといひ、福田恒存が次のやうに質問するのに答へてゐる此の批評家の言葉です:

「福田 (省略)小林さんだけぢやなくて、芝居嫌いつていふ人は、すいぶん多いと思
ふんですけど、人のことは に角として、小林さんはどういふ所で芝居嫌いなの
か……。
小林 ぼくは歌舞伎ばつかり見てたからですよ。だから築地小劇場が詰まらなかつたん
です。片つ方で小説読んでたでしよ?片つ方で歌舞伎を見て、あれは踊りだとかなんと
かいふけど、やつぱり芝居なんでね。面白いところは芝居なんでね。それはやつぱり、
あそこで人間が何かやるうまさですよ。さういふものが…….
福田 歌舞伎はスペクタクルぢやないですね。さういふ要素はたくさんあるけども、根
本はさういふところぢやないですね。
小林 ええ、根本は俳優です。なんとも文句のない魅力つていふものはね。だから、ぼ
くはさういふものはたいへん好きなんですよ。まあ、画も好きだし、音楽も好きなんだ
けど、さういふ感覚から入つてくるものはね。ぼくを芝居嫌いにさせたものは、新劇な
んだよ。」(『小林秀雄対話集 直観を磨くもの』所収「芝居問答」280ページ)

もぐら通信

もぐら通信 ページ44
また、中村光夫の若い時分に鎌倉の小林宅を訪れた時の思ひ出を聞き書きで郡司義勝が
次のやうに書いてゐる:

「なにしろ[小林秀雄のお母さんは]、お芝居が好きでね、お芝居つて言やあ、もちろ
ん、歌舞伎ですよ。それとまた文楽が好きでね、その話になると夢中になる。聞いてゐ
るはうも、陶然としてくるほどだつたなあ。うまく筋書を語りながら、役者の仕方話を
したり、してくれるんで、眼の前でそのお芝居をほんとに見てゐる気がしてきてね、楽
しかつたなあ」
 この話を聞いて、しばらく経つたある日、小林秀雄は、雑談を交はしてゐるうちに、
芝居の話に及び、ふと何気なくこんなことを語つてくれた。
 「おつかさんは、文楽が好きで、『本朝廿四孝』なんか好きだつたなあ。白い長い尾
をつけた兜が出てくるだらう。星空に氷のはつた湖の上を白狐が渡つて行つたりする当
たりなんか……」
 すると、母君と一緒に文楽を見に行つたことがあるのではあるまいか、剣戟映画にお
伴した時のやうに、と私は思つた。当然さうあつてもしかるべきではなかつたらう
か。」(郡司勝義著『小林秀雄の思ひ出』412ページ)

こんな小林秀雄の発言もある。

「小林 三味線はよく妹がやつてゐたからな。おつかさんもやつてゐたし。」
(『小林秀雄対談集 旧友交歓』所収、大岡昇平との対談「文学の四十年」248ページ)

事実は逆で、母に三味線の趣味があつたから、娘も弾いたといふことでせう。どんな家
庭であつたかを、想像することができます。以下『新潮日本文学 小林秀雄』(4ページ
から5ページ)より:

「母精子は明治十三年、東京に生まれた。九条道孝を教へた学者、城谷謙の娘である。
女学校卒。といふことは、当時の女性としてはかなり高い教育を受けたことを意味す
る。茶道、活花、箏など、伝統的な藝事に長じてゐた。身体があまり丈夫ではなかつた
が、中村光夫氏によれば、「世間話の名人」で、とくに「歌舞伎と文学の話は圧巻」で
あつたといふ。」

9。源氏物語と万葉集と壺
小林秀雄が何故女性への恋の喪失といふことが契機となつて骨董の世界に入つたのかと
いふ理由の話を再度したい。此れは、この批評家の源氏物語論を含む『本居宣長』に大
いに深い関係があります。永井龍男との対談から引用します(『小林秀雄対談集 旧友交
歓』所収「藝について」215ページから218ページ):

「永井 こんどの『藝術随想』のなかにね、いろいろな瀬戸ものはみんな壺になりたか
つたんだといふところがありますね。あれも、ずいぶんおもしろかつたな。やつぱり壺

もぐら通信

もぐら通信 ページ45
といふものが一番真髄なんですか、瀬戸物の。
(略)
小林 妙な言ひ方をするがねえ。壺を見るのではなくて、壺から眺められるといふ経験
が、壺の姿を納得するコツみたいなもんだな。何もかも手元に置くわけにはいかない
が、このコツは極めなければね。僕みたいに、何かといふとすぐ買ふ癖のあるやつのこ
とを、インテリは骨董趣味とかなんとか言ふがね。インテリといふものはみんな美に対
してずいぶん自負心が強いものだよ。美は自分の言ふことを聞くと思つてゐる。(略)
 文学だつてさうぢやないですか。古典を読まなきやいけないといふやうなことなん
か、だれも、言ふんだけどね、ちつともさうはならない。それも、けつきよく自分のは
うが古典よりえらいと思つてゐるところが、大もとなのではないかな。古典なんか、こ
つちからいくらでも解釈してやるといふ、さういふ了見なんだよ。
 『万葉集』をよく読んでゐれば、『万葉集』といふものは壺みたいになるでせう。さ
うすれば、いろいろのことを教へてくれますよ。
永井 この時代といふのはかうかう、かういふ時代で、かうだつたから、かういふもの
が出来た、かういふ事が起こつたといふ。さういふ筆法ですべてがおしまひになつてゐ
るのが現代の研究といふ気がしてなりませんがね。
小林 出来てくる秘密までわれわれにわかつてゐると言ふんだ。興味がなくなるのは当
たりまえだ。しかし『万葉集』に、壺に親しむやうに親しむといふことはたいへんなこ
とだね。お恥ずかしいが、しなきやいけないとわかつてゐながら、なかなか出来ません
よね。僕がこんど宣長さんを書いてゐて、すつかり休んぢやつてゐるといふのも、簡単
な理由なんですよ。宣長が、あんなによく『源氏物語』を読んだでせう。『源氏物語』
をよく読まないで、あの人の「もののあはれ論」がどうのかうの言つたつて、こんな恥
ずかしいことはないですよ。すると、大変なことになつてしまふのですよ。
  宣長には『源氏物語』がたしかに壺に見えてゐます。さうでなければ、「もののあ
はれ論」なんて出来上がる理由がない。ぢや、おれに、壺に見えるまで読めといつたつ
て、それには学力がないし、もう時間はないし、もう駄目だよね。だけど、ああ、壺が
見えるやうに見えてゐたんだな、と想像するぐらゐのところまで読まなきやならんだら
うが。その程度のことしか、僕には出来ないんですよ。
 あたしみたいな好奇心の強い、何でもかんでもやりたい男は、まあ何でもかんでもや
りますけれども、そんなふうなことになつちまうんだな。そんなさがに生まれついたか
ら、それでいいわけなんだらうがね。(略)世の中は才能のある人を滅ぼすやうにも出
来てゐるし、馬鹿が壺をこさへるといふ好運も惜しまない。」

この引用の最後の段落にある さが といふ原文傍点を振つてある言葉は、漢意でいふ
なら、小林秀雄用語である宿命といふ言葉に大いに通じてゐる。

ここで、小林秀雄は、文学作品を壺に譬(たと)へてゐる。修辞学でいふなら、此れは
隠喩であるが、しかし、ランボーを血肉とした此の詩人である批評家の此の隠喩は隠喩
以上の隠喩、即ち事実と隠喩が化してゐる。
 もう一つ此の壺といふ事実についていふべきことは、小林秀雄は知らないことであら

もぐら通信

もぐら通信 ページ 46
うが、位相幾何学的には此れはクラインの壺といふ3次元のメビウスの環の形象・イ
メージ・イマージュを問題にして、その初めと終はりが結ばれて天地・表裏が裏返つて
表も天地もなくなつてゐる立体的な形象・イメージ・イマージュのことを語つてゐるこ
とである。私の『縄文紀元論』をお読みになるとお分かり戴けると思ふが、結びとは初
めと終はりを一捻りして結びメビウスの環を形成することであり、これがお祓ひの本質
であり、これが日本の文明と文化の本質であると述べた通りの言語観になつてゐて、し
かもこの言語観で小林秀雄は『本居宣長』を著したことは、既に正宗白鳥のあの歌ふや
うな音楽のやうな初めも終はりもない、それ故に読み終えると中身を忘れてしまふとい
ふ人間の言語と記憶の本質的関係に及んで二項対立を超越したトーンの文体を理想だと
述べてゐる此の詩人にして批評家の発言に戻るのです。

小林秀雄は、フランスの象徴詩を此のやうな形で日本語の世界に移植したのです。私が
かく日本語で論理的に説明が出来てゐる以上は、小林秀雄の人生を けた実験は成功裡
に終はつたと言ひ切る事ができる。もし小林秀雄が父豊造のやうなエンジニアであつた
ならば、この実験の成果を現実の世の中に及ぼして、その応用例の作物を幾つも製品と
して発表してゐたことであらう。この製品、即ちproductsが、だから、小林秀雄の全て
の作品なのだといつて良いであらう。ところで、このエンジニアと日本で呼ばれてゐる
職業人は、日本人の固有の性質に従つて、職人と呼ばれてゐる。かくして、小林秀雄は
言葉の職人である。この職人の眼で、どんな作品も範疇を問はずに、同じ平面の上で、
言語作品も壺も等価なものとして観ることが、この批評家の批評の方法であり実際であ
つたのだ。縦のものを横にする。垂直の方向を水平にして、みな同列・同格・等価・平
等に並べてみるといふ人生観と方法は、私たち日本民族に固有の縄文的論理であり感覚
である。だから、小林秀雄は中村光夫との或る対談で、日本の美は縄文土器で完成して
ゐると断言できたのである(『縄文紀元論』参照)[ ]。

[ ]
「縄文土器で日本の美は完成してゐる。」 (中村光夫との対談『文化の根底を探
る』:31:50前後から: https://www.youtube.com/watch?v=YYSmFMyvtpA)

この論題の章を、次の小林秀雄の言葉で締めることにします。女と言語作品と骨董との
関係が、階段といふ言葉を 語にして次のやうに語られてゐる。壺が男をみ、女が壺を
みるといふ関係が、そのまま小林秀雄の批評になるのです。批評の骨董ならぬ批評の骨
頂といふべきものです。同じことを、三島由紀夫は『暁の寺』の中で登場人物の一人を
インドに行かせて、ガンジス河のほとりに立つ一頭の牛が登場人物の一人が見ると牛が
見返すといふことの描写の中に表してゐる。此れは何か、みる・見返すまたはみる・み
られるといふ関係は人間と自然の本質に関はる事実なのです。女性は滅びぬ永遠に循環
するメビウスの環の、従ひ自己完結してゐる美しい自然です。安部公房の読者ならば、
箱男の世界だといへば、それで私には小林秀雄のこの感覚と論理の次第を安部公房の読
者に容易に伝へる事ができてしまひます。安部公房の読者は小林秀雄を理解してゐる。

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もぐら通信 ページ 47
小林秀雄の読者には安部公房を読んでもらひたい。ここでは嫌味なく、さう思ふ。

「小林 (略) ひと昔前の作家は、女が描けてゐるとかゐないとかよく言つたね。あ
あいふ言葉は意味深長なのだ。もうそんなリアリズムは不要だ、といふことでは済まぬ
ものがあるのです。リアリズムといふ形式とは一応異なつた内容があるからです。
 それは女をぢかに見てゐるとか、経験してゐるといふ意味なのだ。目のたしかさを言
ふのです。言つてみれば、女には焼き物のやうに、本物からにせ物に至る無数の階段が
ある。解釈などを、まづ一切捨ててこれにつきあつてみて、はじめて見えてくる材質が
あるのです。それをつかまへてゐなければ、文学なぞありやうがないではないか。
江藤 小林さんが、さういふふうに文学にみきりをつけたのは、いつごろです。
小林 みきりなんてつけたわけではないのです。そりやいはば文壇伝説でせう。(略)
美の問題は「私」の経験そのものの問題になつてくるのを、はつきり意識するやうにな
つただけです。美しい物ができ上がつてくる過程が言葉を操つたり、物を考へたりする
基本的なモデルになつていく様を見てゐるだけです。」

この引用の「私」とある私が、安部公房の読者には安部公房の話法である「私の中の
「私」」のいづれの私であるのかを考へてほしい。この話法の世界がそのまま小林秀雄
の話法です。「私の中の「私」」の前者の括弧抜きの私が壺をみると、壺は私の中の
「私」」の後者の括弧付きの私を見返す。この関係を、小林秀雄は鏡に譬へて次のやう
に宣長の方法と歴史について江藤淳に語つてゐる。

「宣長のやり方でいくと歴史の鏡に映つてくるのは、結局は自分自身の顔だと合点す
る、さういふ道だといつていい。現にかうして生きてゐる自分に還つてくる道です。」
(『江藤淳 小林秀雄全体話』(中公文庫159ページ)

さうして、この対話の最後に、此の後に江藤淳に対する小林秀雄の助言がある。文章は
米の相場の価格と同じだと説くのです。この文章は批評の文章ととつてよい。ここにも
ランボオの『酔いどれ船』が生きてゐる。標準価格、公定価格など糞食らへ。

「小林 いいねえ。これからだね。これから走つていくんだから。(略)
あなたの文章は非常に明快だから、よくわかりますね。あなた、明快なはうがいいんで
すよ。世間は明快でなければわかりませんよ。お米の値段と同じです。」
(同対談書160ページ) 

また、孫引きになるが、小林秀雄がなくなつた時に発行された当時の『アサヒグラフ』
(1983ー3−18)の追悼特集からの引用を転載して、あなたが男女いづれであ
れ、恋愛と骨董の関係を理解する一助としたい。引用は掲載順のままとします。

「〈女・恋愛》
僕、ストリップはしよつちゆう見てるものね(笑)。ジョセフィン・ベーカーなんかど

もぐら通信

もぐら通信 48
ページ

ういふ色をしてゐるんでせうね。(昭和二十五年十月「群像」井伏 二、硲伊之助)

ひと理屈あつて、女性崇拝家になつたり、女性崇拝家になつてゐるつもりでゐるが、そ
んなことは信じられないな。敏感な男は、例外なく、女に対して、一種の恐怖をもつて
るのはたしかだね。女には、とてもかなはない、と思つてゐるよ。動物的本能から、さ
う感じてるよ。すきな女性をもたない男は、自分がどういふ人間か考へることもできな
いし、考へたつて、まつたく意味をなさないことぢやないかね。理智が、恋愛によつて
めざめてくるよ。だから、 恋人たちは才能がある なんていはれるんだ。(昭和四十四
年十二月「兄小林秀雄との対話」高見沢潤子」)」

「〈骨董〉
露伴先生が書いてゐるよ、人間は骨董をいぢる程度にならぬとケンビョウギュウトンの
種族である、とね。ケンビョウギュウトンといふのは犬、猫、牛、豚のことだ。骨董の
世界とは、僕としては、趣味や観念の世界ではない。僕には体操みたいな世界なのだ。
文学的観念を追ひ出す体操をやつたんだ。(昭和二十二年六月「新夕刊」河上徹太郎、
亀井勝一郎、林房雄)

結局茶碗といふものは手と唇とが判断するものだね。僕はずつとやつてゐて、家中が土
器だらけになつたが、ある朝ふつと気がついた時に、何といふ醜悪なるものだと愕然と
した。(昭和二十五年十月「群像」井伏 二、硲伊之助)」

「〈死・永遠〉
 やはり死期といふのは確かに近づいてをるのだね。妙な事だ。そんなことは別に考へ
ないけれど、やつぱり死期といふものはちやんと近づいてをるのだね。永遠の観念とい
ふものがなければ藝術もなければ、道徳もないと思つてゐるのだ。(昭和十六年七月 
三木清)」

ここまで小林秀雄の言葉を読み解いて来ると、一層和訳をせずに二つ目の後者の「私」
の中に隠したランボオの次の詩 の価値が身に沁みてわかる。如何か。

『飢餓の祝祭』を、小林秀雄流に訳します。確かに、ランボオには、ボードレールには
ない自然がある。そして、それはこのやうな自然である。

10。『飢餓の祝祭』

【ドイツ語訳】

Feste des Hungers



もぐら通信

もぐら通信 49
ページ

Hunger hab ich Anne, Anne,


Auf dem Esel ieh von dannen.

Mein Geschmack schließt vieles ein,


Auch die Erde und den Stein.
Ding!dong!ding!dong!Ich hau rein
Luft, Fels, Welten und Gebein.

Dreh dich Hunger, Hunger kreise


In dem Klang aus Wiesengründen.
Ich schluck s Wurzelgift, das leise,
Der Verträumten Ackerwinden.

Schotter, den ein Bettler brach,


Taufstein und das Kirchendach,
Kies, von Sint ut hergebracht,
Sind mein Brot im trunknem Tal!

Hungernd schwarze Luft zu plagen;


Himmelblauer Klang;
-Vorwärts zieht mich nur der Magen.
Unglück: mein Gesang.

Erdwärts fault nun Blatt auf Blatt,


Reifes Frucht eisch soll mir munden,
Eifrig schreit ich Furchen ab,
P ücke Veilchen und Rapunzeln.

Ich hab Hunger, Anne, Anne!


Auf dem Esel ieh von dannen.

【散文訳】

おい、お前、腹が減つたぞ、アンよ、アン、
だから、驢馬に乗つてここから逃げろ。

俺の味覚は何でもとり込み、閉ぢ込めるんだ
地球もな、石もな。
鐘が鳴る、鐘が鳴る、鐘が鳴る、時間が無いんだ!俺は らふぜ
fl
fl
fl
fl
fl

もぐら通信

もぐら通信 ページ50
空気も、岩も、たくさんの世界も、そして骨もだ。

飢餓よ、 れ、飢ゑよ、 れ
草原(くさはら)の根の底から鳴り出る響きの中で。
俺は根の毒を飲み込む、その微かな音する毒を、
夢見られた者たちの、畑の風たちを。

砂利だ、こいつは或る乞食の壊したもので、
洗礼盤と教会の屋根だ、
砂利だ、大洪水に運ばれて来たもので、
これらが、酔いどれた谷で らふ俺のパンだ!

飢ゑて、黒い空気を苛(さいな)んでやるさ
 空の青色の響きがあるからな
ー 前へと俺を曳いて行くのは胃袋だ
 不幸、これが俺の歌だ。

俺は腹が減つたぞ、アンよ、アン!
だから、驢馬に乗つてここから逃げろ。

【解釈と鑑賞】

最初の連は、太字になつてゐて、そして最後の同じく太文字の連と照応関係にあり、即
ちメビウスの環になつてゐる。メビウスの環になつてゐる証拠に、最初の連では直訳す
れば、腹が俺は減つたのだ、となつてゐるところを最後の連では、俺は腹が減つたの
だ、といふ語順にしてゐるからです。女性の名前はアンといふ。何故あの驢馬に乗つて
逃げろと命ずるのかは既に詳述しましたが、同じことを此処では簡単に後述します。

おい、お前、腹が減つたぞ、アンよ、アン、
だから、驢馬に乗つてここから逃げろ。

第二連は、いはば万能の味覚といふべき、この野蛮人の男の食欲のあり方が歌はれてゐ
る。体の中に摂取して取り込むといふよりは、味覚の中に取り入れて、そして閉ぢ込め
るといふところに此の味覚の異色がある。何を ふて閉ぢ込めるのかといへば、地球に
石である。さうして時間が切迫してゐるので、鐘が鳴つてゐる。恰もシンデレラの午前
0時の鐘の音のやうである。だから、原文は鐘の音の擬音語の4連続ですが、最後の鐘
の音を、時間が無いんだ!と訳した次第です。さうして、何を俺は らふのかといへ
ば、空気も、岩も、たくさんの世界も、そして骨もだ。
 訳出をして文字にはしませんでしたが、二つ目の れの るといふ動詞は独楽の る
動きを表す動詞です。独楽のやうにクルクルと るのです。しかし、最初の れといふ
命令文の動詞をみると、これは、飢餓が自分の意志で つてゐる。

もぐら通信

もぐら通信 ページ51
そして、この飢餓の独楽は、畑の中で つてゐて、この畑は植つてゐる収穫物たる野菜
の名前が最後から二つ目の連でラプンツェルだと出て来て、わかります。しかし、問題
は、どうやらこれら畑の植物の根つ子は毒であつて、この毒を男は引つこ抜いてゐるこ
とと、引つこ抜く此の根は畑の、土壌のまたは土壌といふ根底の微かな響きの音、これ
が根つ子の毒だと歌つてゐることです。すぐには死なないが、長い時間をかけて毎季毎
季年とともに食べて行くと、体が毒に冒されて最後に死にいたるやうな毒である。これ
を何かに夢見られてゐる者たちの畑を吹く風の音だとランボオはいつてゐる。あるい
は、畑を吹く風に乗つて聞こえる土壌の底の音であるといつてゐる。
 大事なことは、この連の最後の一行で、畑の風たちとは、夢を見るのではなく、何か
誰かに夢見られた者たちの風だといつてゐることです。上述の永井龍男との対談で小林
秀雄のいつてゐる「妙な言ひ方をするがねえ。壺を見るのではなくて、壺から眺められ
るといふ経験が、壺の姿を納得するコツみたいなもんだな。」といふ言葉は、やはり詩
人たちの言葉なのです。壺に公式の価格や標準価格などないとは、この意味でもあるの
です。ランボオは本当に此の批評家に深い影響を与へた。永井龍男に答へる批評家の意
識にはランボオの名前は浮かんで来てゐないでせう。しかし、ランボオは小林秀雄の深
い沈黙と無意識と、非言語の、言語化されてゐないqualitas occultaの世界、即ち美の世
界に後々にまで、このやうに生きてゐる。

第三連の砂利は、最初の砂利は人為的にでも割つて砕いてつくることのできる細かな
石、二つ目の砂利は、大洪水でわかるやうに自然がつくつた砂利です。前者の砂利は教
会の建築か造園か道路にでも使はれてゐるのでせう。だから、次の教会の洗礼盤と教会
の屋根が出てくる。教会の屋根と来れば、教会の塔の鐘の音が思ひ浮かび、このキリス
ト教会の鐘の音は大きく、対して畑の畝に植えられて生きる野菜などの地上の植物には
畑の風に乗せて運んでもらふ根毒の微かな音しか響かない。といふ対比がある。響かな
いと書いたが、響いてゐるといふべきかも知れない。しかし、乞食である此の飢餓に襲
はれた男には、そんなことはどうでもいい、生きるために ふのだから。だから、いづ
れの砂利も、俺の食糧、日々の糧、俺のパンである。教会の塔の高さの逆の、この深い
谷では、俺は酒も らつて酔いどれで、だから酔いどれ谷で生きるとは、この両者を食
べて飢餓を癒して生きることだ。片方だけでは、この飢ゑは収まらないのである。

第四連の最初の行の、

飢ゑて、黒い空気を苛(さいな)んでやるさ

といふ表現の解釈も含めて、この連の解釈は、次のやうになる。

空気の吸うこと吐くことが、そのまま空気に責苦を与える事だ、何故なら俺は飢えてゐ
るからだ。といふ意味。そして、この責苦には際限がない、何故なら空は青く澄んでゐ
て、青い色調の響きが響いてゐるからだ。それに俺といふ話者は空気を らつて食べな
がら、新しい空の青い空気を食い進むのだ。だから、駆動力は俺の胃袋だ。これの止む
ことのないこと、これが俺の不幸だ。小林秀雄の仕事ぶりと同じだ。詩、小説、批評、

もぐら通信

もぐら通信 ページ52
骨董、近代絵画、音楽、諸事万物に諸事万端にと らふ対象が次から次へと移つて行く
のは、一つを食べ尽くし、二つを食べ尽くし、三つを食べ尽くすからだ。この際限のな
い飢餓、これは、不幸だ。この不幸といふランボオの使つた無冠詞の名詞は、小林用語
にいふ宿命のことである。与へられた運命でなどでは全然ない。否応なく、みづからの
体の中の慾求、即ち飢餓といふ根本的な貧しさおよび不足そして欠落から生まれ出る、
やむにやまれぬ個人の運命、即ち、宿命である。かういふことが、この連で解る。この
欠落または飢餓のことを、後年小林秀雄は「もつと更に暗黒なるもの」と呼び、次のや
うに福田恒存と中村光夫との鼎談で語つてゐる。この暗黒といふ言葉を巡る発言は傾聴
に値する。このやり取りの前段は、日本人が如何にロシア文学のドストエフスキイやト
ルストイなどのロシアの作家に学んだかといふ議論の後に来るやり取りです。今この対
話の箇所を読むと、この暗黒は歴史の話でもある。

「福田 さうですね。さつきの、経験と過去の意識が文化をつくる、今の若い人にはさ
ういふ意識があまりなさすぎるといふことで、小林さん、さういふ場合、若い人にどう
いふことをすすめますか。
 小林 もつと意識的になつてほしいんだね。いまの若い人は非常に意識的なんだけれ
ど、一面的にばかり意識が働く。もつと実に暗黒なものがあるんだ。それをもつと見て
ほしいな。
(略)
 小林 現代人になるためには、本当はもつとつらい反省が要る。現代人にはすぐなり
やすい、つまりなりやすいところで現代人になるだらう。本当は過去の重荷でだんだん
重くなるといふのが現代人の意識だからね。僕の暗い反面といふのはそれなんだね。そ
の意識がたりないから、もつと意識的になつてほしいんだね。」
(『小林秀雄対談集 旧友交歓』311ページから312ページ)

上記の小林秀雄の発言は、本人のいふダイヤモンドならダイヤモンド金剛石なら金剛石
の「原石を磨く」ことの難しさといふ主題に当つてゐる。自分自身といふ原石を磨くに
は暗闇の中で磨くといふことになります。これは世に人のいふ孤独といふ、日本人の感
傷に訴へるやうな一人ぼつちでは全くないのだといふ注釈は、他の対談での発言で本人
が語つてゐる。何しろ伝統的な日本人好みの感傷的な文学は、小林秀雄の文学の否定し
たものであるからです。これは既に最初に述べた通り。そして、上記引用の最後の発言
の後に来る次の言葉を私たち「現代人」は拳拳服膺すべきではないでせうか。そして続
く言葉は:

「中村 さつきの言ひ方を借りれば、もつと正直になれといふことだね。
 小林 うん、現代人の特色は批評家の心を持つことだからね。もつと批評家になつて
ほしいですよ。」

私のあなたへの問は、ところで、批評家とは何か?あなたは正直な人間か?自分に正直
に生きてゐるか?といふ問です。

もぐら通信

もぐら通信 ページ53

同じ暗黒に関して次の言語についての発言がある。宣長や徂徠の言語との格闘と探究を
議論にして歴史と学問をめぐつての、徂徠と宣長と云ふ二人の天才は孤独であつたとい
ふ発言の、忠臣蔵の意味を本当に当時理解してゐたのは徂徠だけであるといふ、だから
此の事件を「当時理解したのは徂徠しかゐないんですよ。さういふことが歴史の面白さ
で、さういふことをやるのが歴史なんですよ。」と云ふその後に続く言葉:

「小林 かういふこともあるんです。日本のやうに複雑な言語経験をした民族の言語
は、言語学者には宝庫のやうなものです。僕は言語に関する本は、いろいろ読んでみま
したけど、結局は、どうも言語問題つていふのは、これはやつぱり歴史問題と同じやう
に、その中心に本質的に暗い性質があるのではないかと考へてゐます。」
(『江藤淳 小林秀雄 全対話』所収「歴史について」146ページ)

小林秀雄は根本的に歴史は言語の問題だと考へてゐることが、この引用の前段の歴史と
学問と忠臣蔵事件との関係を述べるところと照らし合はせて、この暗黒と云ふ言葉を考
へると解ります。歴史と言語は暗いものを本質的に共有してゐる。この暗さは、この前
後にひいたランボオの詩からお考へ下さい。いふまでもなく、歴史の問題は言語の問題
だと云ふ考へは、言語の問題であるならば、歴史も言語も暗黒面を共有して文化の問題
だと小林秀雄はいつてゐるのです。この暗黒面を、私は以前より、言語「以前」の世界
でありますから、qualitas occultaと呼んでゐるわけです。これが、中村光夫が小林秀雄
はミスティクだと云ふ時の、小林秀雄の根底にあるものです。さて、

第五連は、

今は、地上へと落ちるのさ、葉つぱが一枚また一枚と、
熟れた果肉が、俺の口には美味いことになり、
急いで俺は畝を歩測して、菫(すみれ)とラプンツェルンを引つこ抜く

とある最初の行を読むと、どうやら此の飢餓そのものといつてよい男は空を歩いて空気
を らつてゐると想像してもよささうだ。あるいは、さうでなくとも理解はできるが。
さて、俺は、俺でなくとも、落ちて来るのは一枚の葉っぱだ。それでは天にも樹木が生
えてゐるのか、ジャックと豆の木の話のやうに。いづれにせよ、葉が落ちるとは秋だ、
秋は果実のなる季節。畑に立つてゐると、熟れた果実が樹木から降つて来る。それを男
は らふのだ。何故急いで畝を歩測しなければならないのか。それは次の収穫のための
準備をするからだ。美しく可憐な菫を摘み取り、体に良い野菜の筈のラプンツェルも摘
み取る。

小林秀雄訳の『別れ』の冒頭を再度引かう。季節は収穫の実りの秋だ。酔いどれ船は、
季節を離れて、かくなる別れをするのである。

もぐら通信

もぐら通信 ページ54

「もう秋か。ーそれにしても、何故に、永遠の太陽を惜しむのか、俺たちはきよらかな
光の発見に心ざす身ではないのか、ー季節の上に死滅する人々からは遠く離れて。」
(小林秀雄訳『地獄の季節』新潮文庫50ページ)

さあ、最後だ。さて、もうこの地上の広い畑には、俺の ふものがないんだ。だから、

俺は腹が減つたぞ、アンよ、アン!
だから、驢馬に乗つてここから逃げろ。

飢ゑは、ランボオの詩の主題であり動機でありました。小林訳で次の『飢』と題した和
訳が小林秀雄訳『地獄の季節』にあります(同書36ページ)。私たちは此の詩の連二
つのづついた後に、小林秀雄のいふ、晴れた青空の暗さに直面して、初めて上でいふ此
の批評家の暗い側面とは何か?といふ問に対する答へを、その批評家による和訳から知
ることができるのです。これが故に、小林秀雄は河上徹太郎との対談で、音楽ならばド
ビッシーとバルトークの名を挙げて褒めた。否定を媒介にして肯定する方法を褒めた。
ここに、即ち天と地の両端の否定に、即ち二項対立の否定にランボオの詩は存在してゐ
た。その場所でだけ、不幸はなく、幸があることを最後の散文詩の最初の行が示してゐ
ます。「ああ、遂に幸福だ、」と。「青空などは暗いのだ、」と。

俺に食ひけがあるならば
先づ石くれか土くれか。
毎朝、俺が食ふものは
空気に岩に炭に鉄。

俺の餓鬼奴ら、横を向け、
糠の牧場で腹肥やせ。
昼顔の陽気な毒を吸へ。
出水の後の河原石、
踏み砕かれた砂利を食へ、
教会堂の朽ち石を、
みぢめな窪地に播かれたパンを。

     *

食事にとつた飼鳥の
きれいな羽を吐き出して、
樹陰で鳴いた狼の
真似して俺も窶(やつ)れよう。

もぐら通信

もぐら通信 55
ページ

野菜のサラダや果物の
もがれるばかりでゐるものを、
垣根の蜘蛛めの食ふものは
ただ、紫の菫草。

ああ、眠りたい、煮られたい、
ソロモン王の祭壇で。
スープは の上を駆け、
セドロンの流れに注ぐのだ。

ああ、遂に、幸福だ、理智だ、俺は天から青空を取除いた。青空などは暗いのだ。俺は
自然の光の金色の火花を散らして生きた。歓喜のあまり、俺はできるだけ道化た、錯乱
した表現を選んだ。(略)」
(「自然」の傍線は原文は傍点)
   
私はランボオを理解することができたやうな気がする。小林秀雄の翻訳を通じて。特に
最後の「歓喜のあまり、俺はできるだけ道化た、錯乱した表現を選んだ。」に至つて。
やはりここにも道化と錯乱が出てくる。ランボオは道化師としてアフリカの砂漠に旅立
つた。多分、本物の道化師に正気の世界でなるために。また、更に、歴史と言語の暗黒
面について話を続けると、この暗黒面とは歴史の背後にゐて俳優たる人間たちを動かす
デーモンがゐるのだと云ふことに、下記の引用を見ると、さうわかる。

「歴史をドラマと見るか合法則的なシステムと見るかで違つた歴史図が現れる。ドラマ
の背後には俳優をあやつるデーモンが居る。神様が居る。これを容認しないとドラマが
見物できない。」といふ小林秀雄の言葉に、私は小林秀雄の歴史認識には、次の歌舞伎
好きの言葉が響いてゐると思ふ。

「福田 歌舞伎はスペクタクルぢやないですね。さういふ要素はたくさんあるけれど
も、根本はさういふところぢやないですね。
 小林 ええ、根本は俳優です。なんとも文句のない魅力つていふものはね。だから、
ぼくはさういふものはたいへん好きなんですよ。(略)さういふ感覚から入つてくるも
のはね。僕を芝居嫌いにさせたものは、新劇なんだよ。」
(『小林秀雄対談集 直観を磨くもの』所収「芝居問答」280ページ)

10。ヴァレリーの詩『ポエジー』
ランボオに対して、ヴァレリーの詩について、小林秀雄は後年になつて距離が生まれた
ことを次のやうに江藤淳との対談で語つてゐる(『江藤淳 小林秀雄 全対話』(中公文
庫74ページから75ページ)。

「江藤 それは面白いことですね。契沖が黙つたことを宣長がどうしてもいはなければ
ならないと思つたのは。

もぐら通信

もぐら通信 ページ56
 小林 私の意見が面白いのではない。歴史といふものが面白いのだ。たとへば、あな
たが黙つてゐたい事をあなたの弟子がいふかもしれませんよ。歴史といふドラマはさう
いふふうにしか流れない。だから、歴史をドラマと見るか合法則的なシステムと見るか
で違つた歴史図が現れる。ドラマの背後には俳優をあやつるデーモンが居る。神様が居
る。これを容認しないとドラマが見物できない。
 江藤 小林さんは、以前からさう思つてゐらしたんですか。
 小林 心の底では考へてゐたやうな気がしますね。考へが変つて来る事には、気付か
ぬ事が多いですね。こんどヴァレリイ全集の邦訳が出るので、『テスト氏』の未発表の
部分を訳すことを依頼されたんだが、短いものなので、訳さうと思つたのだが、どうし
ても駄目なのです。もうああいふ考へ方には、ついて行けないと痛感した。
 江藤 前に『テスト氏』をお訳しになつたのはいつ頃ですか。三十年位前ですか。
 小林 さうですね。あの頃はこんな面白いものはないと思ひましたけれどもね。
 江藤 たとへば『海辺の墓地(ル・シメチュール・マラン)』についてはどうお考へ
でせうか。
 小林 ぼくはヴァレリイの詩、あまり興味を持ちません。語学力によるのでせう。あ
れはね、大変詩型が立派なんです。あの詩型の立派さといふものは、ちよつと日本人に
はわからないんぢやないですか。何といふか、ラシーヌの形式美がぼくらによくわから
ないやうなものが……あの人は大変ラシーヌが好きだからね。ぼくの感覚ですけれど
も、フランス人にはたまらないといふものがあるんぢやないですか、ぼくらにも想像で
きるわけです。日本人にとつては散文の方がずつといいですよ。
 江藤 ラシーヌはちよつと違ふのではないでせうか。ラシーヌは枯渇してゐないやう
な気がゐたしますが……。
 小林 ええ、内容ぢやないんです。
 江藤 フォルマリスムですね。
 小林 ヴァレリイは随分苦心してあの詩をこしらへたんでせうけれどもね。それは、
とてもランボオ、ヴェルレーヌにはかなふもんぢやないですよ。これは詩人と、詩心を
持つてゐる人と、それから詩を作つた人の違ひでせうね。マラルメの詩といふのはぼく
も昔は随分読んだものですが、結局散文詩にひかれてしまつたわけですわ。[マラルメ
の]詩は初期のがいいんです。」

これまでの読解で得た定式を適用すると、ランボオには自然があるが、ボードレールの
場合と同様に、ヴァレリイには自然がないといふことになるであらう。しかし、ヴァレ
リイは地中海の人、海の人なので、海といふ自然のないわけがない(例:『海辺の墓
地』)。といふことは、後年、小林秀雄のいふ『テスト氏』のやうな「もうああいふ考
へ方には、ついて行けないと痛感した」といふ意味は、自然の対極にある人工的とか人
造的な散文には、といふ意味であらうか。その上での「ヴァレリイの詩、あまり興味を
持ちません」といふ発言だといふことになるのか。いづれにせよ、この批評家は詩にい
つも惹かれるといふことがわかります。上の疑問も『テスト氏』といふ散文と『ポエ
ジー』といふ詩を読めばわかります。
(つづく)

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もぐら通信 57
ページ

散文思索塾

(4)

3といふ数を活かせ(2)

岩田英哉

4。《ミル》コトについて:三つのミル

今私たちは三つの《ミル》といふ動詞を持つてゐる。函数形式で表せば次のやうに
なる。まだ看護するなどの看るも、診察する診るもあるが、ここでは物を《ミル》
といふ意味のミルに話題を限定して話します。

《ミル》(見る、視る、観る)

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もぐら通信 ページ 58
カフカの箴言

(14)

道と落ち葉

岩田英哉

【カフカの箴言14】

【原文】

Wie ein Weg im Herbst: Kaum ist er rein gekehrt, bedeckt er sich wieder mit den
trockenen Blättern.

【和訳】

秋の一本の道のように。即ち、その道が方向を転換して内側に向くや否や、それ
は、再び乾いた葉つぱによって、我が身を覆ふのである。

【解釈と鑑賞】

これは、カフカの書いた詩であるようにおもはれる。

秋とはどのやうな季節であるか、道とは何か。道が内側を向くとはどのやうなこと
であるのか。そのやうな道は、必ず落ち葉が落ちて来て、我が身を落ち葉の下に埋
もれて隠すことになる。これは、何を言つてゐるのか。

かうしてみると、これは、この道とは、カフカ自身のこころのことを言つてゐるよ
うに見えます。多分、間違つていないことでせう。

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もぐら通信 59
ページ

ショーペンハウアーの箴言

(8)

生殖器は

岩田英哉

【ショーペンハウアーの箴言8】

【原文】

Genitalien sind der Resonanzboden des Gehirns.

【和訳】

生殖器は、脳の共鳴、共振、反響、共感の床(とこ)、基礎、土台である。

【解釈と鑑賞】

これも全くこの通りの箴言だと思ひます。Resonanzの訳語をみな一斉に充てがっ
てみました。

理性の宿る脳味 と、感性の極みである生殖器と。生殖器が脳の基礎だといふの
が、いかにもこの哲学者、意思と表象の世界を説いた強烈なる、意志の哲学者らし
い。

生殖器があつて、生命は繁殖するからですし、それによつて個体が生まれ、それぞ
れの苦しみが、互ひの意志との 藤、衝突によって生まれるからであり、それゆゑ
に、ものを思考するようになるからでせう。体系だてて思考するのは、このやうに
苦しみそのものに他ならぬ、意志から誕生した、理性の働きです。

ある章で、ショーペンハウアーは、多分この箴言を採用した章であらうと思ふが、
フロイトの精神分析の先駆けとなる解説をしてゐる。

もぐら通信

もぐら通信 ページ60
サンチョ・パンサを求めて

(26)

嘘をつかぬもの

岩田英哉

嘘をつかぬもの。


相場
真理

血には抗ひがたい。
人間は嘘をつくが、相場は嘘をつかない。トレードは相場がするもの、トレー
ダーはただ線を引くだけ。これが私の納得して自作した箴言。自然に任せるの
が一番。だから今の人工的・人為的な世界経済は覆つてしまつた。
真理については、いふ必要がない。

このごろつくづくと身に沁みるが如く思ふもの三つである。

小林秀雄ならば、一つ目を宿命といふだらう。「私」の宿命である。私は其の
人の性格がその人の運命であると思ふ。だから、この性格を宿命だといふなら
いふことができる。
二つ目に、相場は函数だと、私ならばいふだらう。f(x)=yと表すことができる。
いふまでもなく等号を挟んで両者を等価交換しても良い。これは数学にはでき
ないが、生きた人間にのみ可能なる術(わざ)である。
三つ目に、真理はみづから再帰的に真理を語るだらう。ハイデガーならば再帰
動詞を使つて、真理はみづからを開示するといふかも知れない。

この三つに共通するものは、言語と其の構造である。通俗的に流布してゐるあ
の遺伝子の二重螺旋構造が言語構造だと理解して下さつて、全然問題ありませ
ん。この螺旋構造は、血脈ならば隔世遺伝と云ふ形で確かに後生に現れる。相

もぐら通信

もぐら通信 ページ61
場ならばやはり周期性として現れる。ともに時間の中にであれば。真理もま
た、私たちがものを時間の中で見ればズレるので(何故なら時間とは差異であ
り時間的差異とは遅延に他ならないから)、今見てゐる現在は「既にして」
(超越論)過去である。この然るべき時間の構造が現在を中心にして未来と呼
ばれるまだ起きてゐない時間に当て嵌まる。だから、未来は「既に」起きてゐ
る(超越論)。だから、今といふ時点こそが、過去と未来の或る時点を両端点
として再帰的に結ぶメビウスの環になつてゐる。メビウスの環が曲線か曲面の
上を移動してゐるのだ。この動態的なメビウスの環の結びの現在只今この時こ
の存在する場所を、太古以来、私たちは神道では《中今》または《仲今》ある
いは《仲居間》即ち《ナカ・ヰマ》と呼びならはして来たのである。

今日は昨日の明日
明日は今日の昨日
昨日は今日の明日

この三行を上から読み下したら、あなたは神道の時間論と存在論の核心に至つ
たといふことなのである。西欧の哲学者と理解しあふための便宜上、彼らの用
語を用ひて超越論と呼ぶならさう呼んでもただ構はないといふだけのことであ
る。本間宗久の手になると巷間言れてゐるローソク足も其の原型である記譜法
も《仲居間》に基づいた商ひー江戸時代の相場師はトレードをさう呼んだーを
したのである。今、日本のトレーダーは此の古典的な時間論と時間感覚を忘れ
てしまつて、即ち日本人が日本人であることを忘れてしまつて、海外の西欧米
の未来予測を盲信するといふ酷い状態になつてゐるのは、他の分野と同じで
す。

《仲居間》は垂直方向の空間に存在してゐる其の落差であり差異である。この
差異は古事記の開巻第一行にある、天地(あめつち)初めて開けし時に立つて
ゐる垂直方向の空間のことであり、時間が存在してゐない。これが全ての歴史
上になされた習合の論理的な基礎です。仲は、相場でいふ仲値の仲です。

もぐら通信

もぐら通信 ページ62
高天原便り

(14)

岩田英哉

春になつて去年に越してきて丁度一年になる。何しろ一年前は布団もなにもないの
で、夜は畳の上に防寒着を着て数日を過ごした位であるから、周囲のことには気付
かなかつたが、実にこの鹿嶋の地は鶯が多い。今もこの文章を書いてゐて、玄関の
扉を開け放つてゐると、道のむかうの森で鶯がないてゐるのが聞こえる。朝は鶯の
音で目を覚ますのだ。なんといふ幸せで贅沢な生活であらうか。前の森にも桜が咲
いてゐる。その大柄な桜が、これです。

近くのホームセンターに行つて、庭園造りと庭仕事の広い売り場に桜の木が幾種類
か棚に並べて売つてゐたので、隣の仙台の桜なるらむ、仙台枝垂れ桜の苗木を買つ
て来て、曇りの日は机の上に置き、天気の良い日はデッキに出して日光浴をさせて

もぐら通信

もぐら通信 63
ページ

眺めてゐる。天照大御神の力は絶大である。外で日の光の中に置くと、みるみる花が
咲き始めた。いふまでもなく、花より団子の人の世である。酒を飲むために買つた
のだとは、枝垂れ桜もご存じあるまい。その庵主の陰謀を知らぬ美しい桜がこれ。

この一年を振り返つて見て、今年世界的経済変動がどれほど起きても、私は生きて行
けるといふ自信がつきました。何をこの一年食して来たか。次のものである。これで
十分です。全て魚以外は地産地消です。鹿島港があるので、北は北海道から日本海側
の魚から南は九州の魚までスーパーマーケットにやつて来る。

庭の井戸から引いた井戸水(蛇口を捻ると出てくる)

納豆(水戸は納豆の産地)





醤油

魚は焼くのと刺身にするのと二種類あり、刺身に凝つてしまつて最近は柄にもな
く、柳刃の刺身包丁を買つてしまつた。関孫六などといふ此れは日本刀の銘ではな
いか、そんな銘の入つた包丁だと高く売れるのであらうな。菊正宗といふ銘柄の包
丁はないものか。肉は全く食べなくなつてしまつた。
 芋は炊飯器で調理する方法を覚えたので、これで十分美味しい芋が出来上がる。何
しろ30か40の小振りの紅はるかが入つて一袋300円です。近所に見つけた、温
泉の近くにある焼き芋やの焼き芋には負けるが、それでも十分です。やはり地元の人
が専門に焼いた焼き芋は本当に美味い。半熟卵の黄身かといふ位にトロリとして甘く
て美味しい。

もぐら通信

もぐら通信 ページ64

温泉も日々の如くに通ふてゐるが、湯は石炭か黒曜石の色の湯で、東横線の綱島に
ある綱島温泉の湯と同じ質の湯であつた。外に出て湯船に浸かりながら鹿島 の白
浪と遥か彼方の水平線を眺めてぼーっとしてゐる時間は誠に貴重である。これも極
楽、極楽。長生きができさうな気がして来た。

まだまだ、書きたき材料多々あれども、これははまた次に。

もぐら通信

もぐら通信 65
ページ
縄文紀元論
Topology
(39)
5.40 

岩田英哉
5.40
で

もぐら通信

もぐら通信 66
ページ

東 イツ回想記

(7)

何故わたしは東 イツに行つたのか6

岩田英哉
ド
ド

もぐら通信

もぐら通信 67
ページ

【も ら通信の収蔵機関】

国立国会図書館 、「何處にも無い圖書館」

【も ら通信の編集方針】
1. も ら通信は、安部公房ファンの参集 と交歓の場を提供し、その手助けや下働き
をすることを通して、そこに喜 を見出す もの す。

2. も ら通信は、安部公房という人間と その思想及 その作品の意義と価値を広く


知ってもらうように努め、その共有を喜 とするもの す。

3. も ら通信は、安部公房に関する新し い知見の発見に努め、それを広く紹介し、


その共有を喜 とするもの す。

4. 編集子自身 楽しん 、遊 心を以 て、も ら通信の編集及 発行を行うもの


す。
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