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日本建築学会計画系論文集 第82巻 第738号, 2123-2129,2017年8月

【カテゴリーⅠ】 J. Archit. Plann., AIJ, Vol. 82 No. 738, 2123-2129, Aug., 2017


DOI http://doi.org/10.3130/aija.82.2123

アルド・ロッシの建築における素材観
アルド・ロッシの建築における素材観
—テンデンツァ運動の建築造形における被覆材に関する研究—
THE MATERIALITY ON ARCHITECTURE OF ALDO ROSSI
THE MATERIALITY ON ARCHITECTURE OF ALDO ROSSI
- A Study of Origin and Effects of Architecture of Tendenza Movement Part 1-
片 桐 悠 自*
片桐 悠自*
Yuji KATAGIRI
Yuji KATAGIRI

The purpose of this study is to reveal the idea on materiality of Aldo Rossi around the progress of Tendenza Movement.
The materiality on architecture of Aldo Rossi is analyzed by two methods. One method is through his Italian documents
on material of architecture in 1959-81 and the other way is by observing his works in terms of finishes. As the result, it
was revealed that Rossi handed down materiality of modernism architects and helped building materials show
architecture’s life.

Keywords : Aldo Rossi, La Tendenza Movement, Material, Surface, Plaster


アルド・ロッシ,テンデンツァ運動,材料,被覆,しっくい

序論 らに、筆者もまたテンデンツァ運動におけるロッシの技術観につい
アルド・ロッシ(Aldo Rossi, 1931-1997)は、戦後イタリア建築界を て考察しているj24)j25)。
主導した建築家・建築理論家として知られる。特に 1973 年のミラ
ノトリエンナーレで結成された「テンデンツァ運動(La Tendenza)」

は、スイスではティチーノ派 の結成や、フランスにおいてはボ
1) 注2)

ザールからの建築部門の分離 など世界的な影響を及ぼした。
注 3)

ロッシとテンデンツァ運動に関する既往研究は数多くあるが、主
に 3 つの傾向に分けられる。
1 つ目の傾向は、テンデンツァ運動を戦後イタリアにおける社会
的文脈、特に共産主義・社会主義的なイデオロギー との関連を考
注4)

察するものである。イタリア語圏では、サーヴィ(1976) やタフー
注 5)

リ(1980) 、アウレーリ(2007) 、ヴィガーノ(2012) 、イ


注 6) 注 7) 注 8) 注 9)
(2008)
タリア語圏以外では、バンティーニ(1981) 、松井宏方(1982) 、
注 10) 注11)

ステュアート(1976) 、ラマルシュ(2003) 、松井健太(2015)


注 12) 注13) 注 14)

がロッシ作品の社会的な文脈を考察している。これらに共通する関
心は、建築と社会思想の連関を 1960 年代の著述に基づいて究明す 6Y  ** 1l83>n[_HEo
るということで、作品の評価も社会的な側面からなされている。
2 つ目は、社会的文脈から独立して、作品の構成自体を分析する 3 つ目の既往研究の傾向に基づき、本研究もまた、ロッシの材
という傾向である。モネオ(1976) 、アイゼンマン(1984) 、松政 料・仕上げ観を扱う。ロッシの素材観について、既往研究によって
注 15) 注16)

、ロブジンガー(2002) 、ペックハム(2008) 、中西・古 指摘されていない以下の 3 つの論点が重要であると考えている。1


注 17) 注18) 注 19)
(2000)
谷(2012) などの研究に伺える。これらの先行研究ではロッシの建 つにはロッシは建築の技術的側面を積極的に評価していて、彼は材
注 20)

築の配列構成からロッシの「類型」や「類推」概念が考察されてい 料や構法、特に被覆材料において強い関心をもっていたことが挙げ
る。 られる。実際、ロッシ自身材料に対する強い興味を抱いており、主
3 つ目に近年のロッシの技術や構法観についての研究がある。ロ に著述家として活動していた 1960 年代の評論や 1970 年代の自作品
ッシの技術観についての研究は幾つか確認できる。ピッツィゴーニ 解説 において、建築の材料と仕上げについての言及を度々残して
注26)

(2007) j21)
は死の前年に寄せた構造家 P.L ネルヴィの著書 j22)
の序文 いることがあげられる。2 つ目の理由として『科学的自伝』で幼少
における技術観について詳細に言及する。またロッシとネルヴィの の頃にみたしっくいの色彩が自身の作品に強い影響を与えたと述懐
比較分析としてマランドーラ・コスティ(2008) j23)
の研究がある。さ しており、材料・仕上げはロッシ自身に強い興味を呼び起こすもの
であった。3 つ目には、ヘルツォーク&ド・ムーロンに代表される

*dEnpWXn[Xy\qXp

 東京理科大学理工学部建築学科 助教・博士
K^BMV{[|(工学) Assistant
Assist.Professor, Department
Prof., Dept. of Architecture,
of Architecture, Facultyand
Faculty of Science of Technology,
Science andTokyo
Technology,
Tokyo University
University of of Science,
Science, Ph.Ph.D.
D.

─ 2123 ─
スイス人建築家がロッシの作品における簡素な材料の使用に影響を 問題に従事する」
注34)

受けており 、更には日本人建築家の材料感覚に共通する面もあっ 経済性はロッシの素材観において重要な位置を占めていた一方


注27)

た 。以上から建築家自身の自覚的な意図としての材料や色彩とい で、ロッシは経済的な材料のもつ「貧しさ」に積極的な価値を見出
注 28)

った表層操作があったこと、また表層材をはじめとする材料の使用 していた。ロッシは白いしっくいを使って地域の住宅形式を反復し
が他の建築家へ影響を与えていたことがわかる。これらの理由か た「モッヅォの単家族住居(1977)」について、地域の住宅が石や木
ら、ロッシに固有な素材観を明らかにする必要がある。 などの貧しい材料に印象付けられ住宅形式を反復したと説明してい
本研究ではロッシの素材観を、著作と建築作品という2つの側面 る 。また、1975 年の『青のノート』で、材料の「貧しさまたは
注 35)

から見直す。一つはロッシの著作における材料に関する言及につい 侘びしさ[povertà o miseria]」 を評価する。ロッシにとってしっく


注 36)

て、1959-84年の公刊された文献資料をもとに考察する。もう一つは、 いは単なる経済性だけではない「貧しさ」をもった被覆であった。
扱う作品について執筆者自身が現地調査をおこない、作品の外装材
の観察・撮影を行う 。
注 29)
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第 1 章では、文献資料に基づきながらロッシにおける材料の理念 X am
を論じる。第 2 章以降ではロッシ作品の実地観察を通じて、ロッシ ロッシの活動初期の代表作として「セグラーテの噴水(1965)」が
の建築における材料の扱いを論じる。第 2 章では被覆材と色彩につ 挙げられる。これはミラノ郊外にあるセグラーテ市の中心部にある
いて、第 3 章では材料の複合について論じる。最後に第 4 章では、 パルチザン記念碑である。
素材観における生命の理念を論じる。日本語訳が存在するもの以
外、訳出は執筆者によるものである。

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jAC\^Zi
ロッシは建築と共同体としての都市をつなぐ構法として組積造を
重要視していた。『都市の建築』では以下のように述べている。
「その都市は石の作り出した景観である。−“bricks and mortar”[煉瓦
とモルタル]−というのがフォーセットの表現であり、それでもって
ある共同体の連続性を象徴しようとしたのであった」 。
注 30)

煉瓦としっくい(モルタル)はイタリアの都市景観にもっとも一般
的な構法であり、ロッシに過去の建築との連続性を類推させる構法
であった。その意味で、建築における現実の技術とは過去の建築と 
の連続性を持つ技術と同義であった 。
注 31)
6Y *1 :O[_HE
QT 
煉瓦としっくいで建設された建築造形の例として、ロッシはメン 「セグラーテの噴水」はロッシ自身によるスケッチや図面から判
デルスゾーンの「アインシュタイン塔」に着目する。「アインシュ 断するに白く塗られる意図があったが、竣工から長期間打ち放しの
タイン塔」は煉瓦としっくいという伝統的構法によって建設された コンクリートがむき出しになっていた。撮影した 2015 年時点では
にもかかわらず、柱梁構造から自由になったかのような造形によっ 記念碑の円柱、その裏側の三本の円柱も白いセメントで塗られてい
て特徴づけられる。ロッシはこうした「アインシュタイン塔」の材 る。『自伝』でも「セグラーテの噴水」をピュリスムの影響のもと
料的特徴について「鉄筋コンクリートの構築上の可能性[possibilità で設計した作品として挙げており 、この建築での白いセメント塗
注 37)

を広げるものとして評価した。つ りはピュリスム(純粋主義)と深く結びついていた。『青のノート』
注32)
costruttivo del cemento armato]」
まり、現実の打ち放しコンクリートの自由な造形を実現するにあた では「セグラーテの噴水」について以下のように述べられる。
り、伝統的な煉瓦としっくいによる表現が新しい材料の可能性を示 「ピュリスムの感覚における抜きん出たやり方にそれを溶解させつ
唆したことが重要であった。 つ、白いセメント[Cementi bianchi]は、決定要素(側柱、壁など)を
 g  通すものの、最終的にいくつかの様式のうちに平面図を抽象し発明
特にしっくいは、ロッシの建築において反復される第一の被覆材 する幾何学の建築である」
注 38)

であった。しっくいはロッシにとって工業的・経済的であることが ここでは幾何学的構成の強調として、白いセメントで塗られるこ
重要であり、自身が設計した「ガララテーゼの集合住宅」でも、 とが重要であった。建物を白く塗ることに関して、ロッシは同時代
「外廊下はスタッコ仕上げで、よく使われて安価なものです」 と 人の O・M・ウンガースの作品について以下のように述べている。
注 33)

述べ、しっくいの使用の経済的合理性について言及している。材料 「白い表面[supercifie bianca]のうちにまたヨーロッパの初期の合理


の経済性については、1960 年のペーター・ベーレンスに対する評論 主義を思い出させる清潔で純粋な[nitidi e puri]ヴォリュームの建築に
において以下のように述べている。「建設の単一部分は規格化さ 向かった探求が見受けられる。次に、力強さと簡素な[sobrio]様式に
れ、統一された材料でなくてはならない。この考え方を展開してゆ よって解決された都市の建築であることだ。」
注39)

き、彼はセメントのプレハブ建設の使用とモダンで経済的な被覆の

─ 2124 ─
白い表面は、そのピュリスム的な純粋さ・簡素さによって、ロッ 一だけで接するはみ出た円柱によって支えられているポーチをロッ
シに都市の建築を想起させるものであったといえる。 シが手がけた。旧築部分は、19 世紀のウムベルト様式の黄色が残さ
 *?N れているが、ここでロッシ自身がしっくいの色によって「新旧の対
「セグラーテの噴水」は、同じく白い被覆材が採用された「ファ 比を浮き彫りにする」 意図を述べており、異なる色のしっくいを
注 42)

ニャーノ・オローナの小学校(1972-76)」と結び付けられていた。 組み合わせる意図があった。ポーチは現在真っ白に塗り直されてい
るが、1982 年の作品集では薄い灰色であり、1974 年の『コントロ
スパッツォ』誌では「内外の元々のファサードのオリジナルの黄色
を保存したのに対し、新しい部分はセメントの灰色漆喰である」
注43)

と述べており、このことから、当初は灰色でぬられていたものと考
えられる。ポーチの白色も古い様式の外壁の黄色も新しく塗り直さ
れていると考えられるが、旧築の黄色いしっくいと新築のしっくい
と対比する意図は保存されているといえる。彼自身が手がけた新築
の色彩では、白や灰色といったモノトーン色のフラットな被覆が重
要であったと考えられる。

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設計においてロッシは古い材料にガラスや鉄などの新しい材料を
6Y &$)1%0.1#@=L2B[_HE 組み合わせることに着目していた。「フャニャーノ・オローナの小
学校」でもガラスの屋根を組み合わせる意図があった。
この 2 つの建築について以下のように述べている。 「ファニャーノ・オローナでは先進的なテクノロジー(窓のフレー
「学校のおいて強調すべきところはその内部である。つまりセグラ ム、金属のキューボラ)の使われ方と赤い古い材料、テラコッタや
ーテですでに試みられた階段席であり、それは平原に開かれており 斑岩といったものが合わせて用いられ、これらの材料はロンバルデ
建物の内部に沿っている。」 ィアの田舎とこの家的な学校を結びつけている。」
注 40) 注44)

セグラーテの噴水も後方に階段を有しており、両者の壁体は白く ロッシは窓のフレームや金属材料を新しい材料として扱い、古い
塗られている。「ファニャーノ・オローナの小学校」の中庭には赤 材料として組み合わせる意図が見受けれる。同様の意図は、しっく
いテラコッタのキューブが敷かれていて、ロッシによれば中庭は赤 い塗りの台座と鉄材を組み合わせた「ミラノトリエンナーレの歩道
い空間を想定してデザインしたという 。このテラコッタは「セグ 橋(1963)」についても確認できる。
注41)

ラーテの噴水」の広場と同様のものであり、両者は材料と色彩の両
方において類似性がみられる、対比的に材料を扱っていた。
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6Y
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「軽量素材の使用、そして特にスティールとガラスとの対比―両者
6Y  '.1$@=Ln[_HEo
の技術的・工学的特性を強調するような方法で組み合わせられてい
る―と組積造を暗示するそのほかの素材(石、プラスター、及び鉄筋
ロッシの材料の対比的な扱いは材料の種類にとどまらず、色彩の
コンクリート)の対比された使用は、明確に表現され、また、その設
対比へも展開される。色彩で旧築部分と新築部分が対比された興味
計は、自然とのその特殊な関連によって新たに言い換えられてい
深い事例として「ブローニの小学校(1969-70)」が挙げられる。これ
る。[…]この種の対比は 1963 年のミラノトリエンナーレ展での歩道
はリノベーション作品であり、小学校の入り口部分の底面の四分の
橋の設計でも意図されており、スティールの透明な網目模様で囲ま

─ 2125 ─
れていた金属の橋が、アーチをもつ橋脚の静的なマッスと対比され いる 。壁の仕上げはすべて「濃灰の荒い仕上げのセメントしっく
注 51)

た 」 。 い」のモノトーンの仕上げになる予定であったが、実作品ではより
注 45)

ここでロッシは新しい材料である鉄やガラスを「軽量素材」と呼 彩度の高い赤褐色のしっくいに変更された。回廊部分の壁面は「薄
び、しっくいや石、鉄筋コンクリートを「組積造を暗示させる素 い灰色の石材」になる予定であったが、実際は赤褐色のしっくいが
材」として、両者を対比的に扱っていた。つまり、「軽量素材」 塗られている。
は 、しっくいや石、鉄筋コンクリートは石でできた都市建築との また、回廊に関しては、躯体の仕上げに関しては屋根の色も設計
材料との対比の上で歴史的連続性を表現するものであった。 案では「白い仕上げ」を予定していたが、実際は青くペイントされ
WKIc8 た金属板葺きであり屋根の変更に関しても積極的に設計案の変更を
ロッシの新旧材料の統合の意図は「ボルゴ・ティチーノの山荘 受け入れていて、「空の紺碧」と同じ色になったと好意的に受け止
めている 。つまり、色彩計画の変更もまた内面性の表出であった
注52)
(1973)」の計画においても一貫している。ここでも「鉄、木、しっ
くい、石がひとつの機械、またはメカニズムのように組み合わさっ といえる。
ている。このメカニズムは最終的に森のなかにおけるひとつの静物 C\U9
である。そして愛着の対象でもあるのだ。」 と述べており、材料 材料の内面性は、 建築家の意図だけでなく、竣工後に建築自体
注46)

の複合的な組み合わせを扱っていた。 が経験した時間的変化にも関与する。例えば,ロッシは自身が用い
このような対比的な材料の複合への関心は彼が私淑 していたミ るしっくいの色彩について、長期的な時間による経年変化を意図し
注47)

ース・ファン・デル・ローエと関連付けられる。ミースについての ていた。『青のノート』の 1975 年 12 月の手記では、黄土色のしっ


評論「シーグラムビル」について以下のように述べる。 くいで塗った森の中の小屋である「ボルゴ・ティチーノの守衛棟
「ガラスの色は、たとえるならば、青銅のつや[patina del bronzo] (1973)」について次のように述べる。
と補いあうバラ色の真珠[rosa-parla]である。ガラスでない壁はつや 「この小さな建造物は煉瓦で実現されていて、その壁の表面は地面
のある大理石[marmo lucidato]で青銅の垂直の柱に縁取られている。 の色[un colore terra]である灰色/黄色で漆喰塗りされていて、それら
これは世界で最初のブロンズ製の高層ビルだろう。というのは、 の色は壁体とおなじように経年変化[invecchiare]することが可能なよ
我々が明らかにしたいこととは、この建物の並はずれた技術的観念 うに混ぜ合わされている」
注 53)

[un straordinaria concezione tecnica]は、偉大な芸術家の表現性と深く ここではしっくいの色の経年変化を意図しており、建築の仕上げ


結びついているということだ」 。 が建築家の意図を離れて変化することを好意的に捉えていた。「フ
注48)

青銅やガラスといった軽量素材と大理石が複合的に用いられるこ ァニャーノ・オローナの小学校」でも同様に建築物が使用されると
とで芸術的・技術的な価値を統合したものと見なしていた。その意 ともに変化することを喜ばしく感じている。
味で、伝統的な材料と新しい材料を複合することで、異なる時間を 「(まだ外の緑地の設置はおわってないが)ファニャーノ・オローナ
喚起させる造形にロッシは強い関心を抱いていた。 の学校はすでに一学年分生き、私はどのように学校の生命が、この
学校で生活したものたちによって、建物の歴史、変形、もしかする
と歪みになるのか見てみたい。」
注 54)
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KI5mG ロッシは建築が建築家の意図を離れ、自律的に変化することで
また、ロッシは材料が人間の内面性を表出すると考えていた。そ 「建築の生命」が宿ったものと見なしていた。同時に、建築が《生
の例として、アドルフ・ロースの「モラー邸」について言及する。 命》を宿すにあたって、経年変化による材料の変化が重要なもので
「この建築は、単なる包みこむものではなく内面性の表現 あったと考えられる。
[l’espressione dell’interno]であるために、その構成は完璧なものであ
る。つまり、建築的構成、外部に個人的世界の内面性[l’interorità]と 5.結論
住居の個人的趣向が顕れている。これは、よりよい技術的工夫を超 第 1 章では、ロッシの素材観における意匠論的レベルを取扱い、
えた、建設物の持続の秘訣である。つまり、垂直性に従った大理石 建築材料は都市と結びついており、しっくいの貧しさが重要であっ
の筋模様、空っぽの窓、鉄材、組石造の粗い仕上げの石の折り返し たことが確認された。第 2 章では、実作における設計論的レベルを
部分が、空間における内面[interno degli spazi]として連続的に現れて 扱い、ロッシの建築被覆における操作において白や灰色といったモ
いるということである。」 ノトーンの色彩被覆が重要であったことが確認された。その結果と
注49)

「モラー邸」における材料 は単なる物質的なものでなく、「個 して、第 3 章ではロッシに固有な材料の操作として、異なる時間を


人的世界」や「住まい手の趣向」といった「内面性[interorità]」を表 もった対照的な材料を複合し、統合する意図が確認された。第 4 章
出するものであった。つまり、大理石、鉄、粗い石といった建築材 では、素材の選択における思想的・建築論的レベルを取扱い、ロッ
料が空間に連続的に現れることで建築家や住まい手といった人間の シが材料・色彩計画の変更を許容し、材料を建築の内面世界を表出
内面性を表出していたことが重要であった。 するものとして扱っていたことが確認された。これらの議題は図 1
`DfV<J のように図式化でき、結論として、ロッシは材料自体が建築の内面
材料のもつ内面性の表出は、設計中における材料の変更にも関与 世界を表出し、建築に《生命》を宿すものと考えており 、そうし
注 55)

する。「モデナ墓地」の計画案を説明した「空の紺碧(1971)」 で た理念を媒介する被覆材料として、しっくいがロッシの作品におい
注 50)

は、計画案の説明と実際に建てられたものの色彩は大幅に異なって て重要な被覆材であったといえる。

─ 2126 ─
22)Rossi, Aldo: Perché ho fatto la mostra di architettura alla triennale", Controspazio,
6, pp.9-10, 1973
23)Rossi, Aldo: Introduzione, Architettura Razionale, Franco Angeri, pp.13-22, 1973
24)Rossi, Aldo : Les espaces de la raison, L'Architecture d'Aujourd'hui, Avril, 1977
25)Rossi, Aldo: Aldo Rossi architetures 1959-1987, Electa Moniteur, 1988
26)Rossi, Aldo: I quaderni azzuri, copia anastatica a cura di F.Dal Co, Electa, 1999
27)Savi,Vittorio: L'architettura di Aldo Rossi, Franco Angeli Editore, 1976
28)Stewart, David: The Expression of Ideological Function in the Architecture of
Aldo Rossi, au, pp.107-111,1976-05
29)Turan, Belgin: Is “Rational” Knowledge of Architecture Possible? Science and
Poiesis in L'Architettura della Citta�, Journal of Architectural Education, 51:3,
pp.158-165, 1998
30)Teyssot, Georges: The Anxiety of Origin: Notes on Architectural
Program"Perspecta (23) , pp. 92-107, 1987
31)Viganò, Mario: Architecture: Political Involvement versus Disciplinary  
Autonomy, La Tendenza. Italian Architectures, 1965-1985, pp.91-99, 2012
32)Violeau, Jean-Louis: Les Architectes et Mai 68, Éditions Recherches, 2005
33)!>0B?-):zSDi_\q#9C*G] 
AA w#@+5;C,as!C&.',;!, pp.92-95}12/12/1977
34) アルド・ロッシ:都市の建築,大島哲蔵・福田晴虔 訳,大龍堂書店 ,
1991; Rossi, Aldo : Architettura della città, Franco Angeri, , 1966
;  ,"0.]Ke
35)アルド・ロッシ: アルド・ロッシ自伝,三宅理一 訳, SD 選書, 1984
36)アルド・ロッシ: アルド・ロッシが語る建築と都市 (第 25 回新建築講演
会)、au, 171, p.21, 1984
37)片桐悠自 : カルロ・アイモニーノの技術観と建築作品への展開 , 日本建築

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2)Aureli, Pier Vittorio: The project of Autonomy Politics and Architecture within 38)片桐悠自: テンデンツァ運動におけるイデオロギーとしての類型概念, 日
against Capitalism, Prinston Architectual Press, 2008 本建築学会計画系論文集, Vol. 81, No.726, pp.1791-1797, 2016. 8
3)Aymonino, Carlo: Carlo Aymonino, Architettura Razionale 1973-2008, CLEAN, 39)シモーナ・コラリーツィ: イタリア 20 世紀史—熱狂と恐怖と希望の 100 年,
p30, 2008 村上信一郎監訳, 橋本勝雄訳, 名古屋大学出版会, 2010
4)Cohen, Jean-Louis: La Coupure entre architectes et intellectuels: ou les 40)中西智也, 古谷誠章:アルド・ロッシにおける建築類型と形態に関する研
enseignements de l'italophie, Mardaga, 2015 究, 日本建築学会大会学術講演 概集,F-2,pp.497-498,2008
41)ピエルルイジ・ニコリン: ガララテーゼの集合住宅, 横山正訳, GA グロー
5)Conforti,Claudia: Il Gallatese di Aymonino e Rossi 1967/1972, Officina Edizioni,
1981 バルアーキテクチュア No.45 | カルロ・アイモニーノ/アルド・ロッシ ガラ
6)Ferlenga, Alberto,(ed.): Aldo Rossi, The Life and Works of an Architect, ラテーゼの集合住宅 1969-1974, A.D.A.EDITA, 1977
KÔNEMANN, 2001 42)ピーター・アイゼンマン: 記憶の家:類推のテキスト(都市の建築序文),都
7)Grassi, Giorgo: Casa unifamiliere a Fagnano Olona, 1978, Lotus, 22, p.31, 1979 市の建築,大島哲蔵・福田晴 訳 , 大 龍 堂 書 店 , 1991, pp.407-422:
8)Lobsinger, Mary Louise: That Obscure Object of Desire: Autography and Eisenman,Peter, “The Houses of Memory: The Texts of Analogy”, The
Repetition in the Work of Ald Rossi, Grey Room no.8, , pp. 38-61, summer. 2002 Architecture of the city, The MIT Press, 1984
9)La marche, Jean: The familiar and the un familiar in twentieth century architecture, 43)藤井博巳:メタ・アーキテクチャを志向する, au 臨時増刊号アルド・ロッ
University of Illinois Press Urbana and Chicago, pp.57-78, 2003 シ. 1982
44)ヘルツォーク&ド・ムーロン: 2001 年度プリツカー賞を受賞して」渡辺朋
10)Micheli, Silvia: Italian Architecture: The 1960s and 1970s, La Tendenza. Italian
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45)松井健太: A. ロッシ初期論文「ミラノの新古典主義建築における伝統の概
11)Peckham, Andrew: The Dichotomies of Rationalism in 20th-Century Italian
念」の読解と解釈, 日本建築学会計画系論文集, Vol. 80 No.711, pp.1205-
Architecture, Architectural Design, 77:5, pp.10-15, 2007
12)Rossi, Aldo: Il Seagram Building, Casabella Continuità, 223, pp.7-8, 1959 1212, 2015. 5
13)Rossi, Aldo: Adolf Loos, 1870-1933", Scritti Scelti sull'Architettura e la Città 46) 松井宏方: ヨーロッパ文化の反射光のように,au 臨時増刊号アルド・ロ
1956-1972, Quodlibet, Macerata, 2012: Casabella Continuità(233), 1959, pp.5-12 ッシ, 1982
14)Rossi, Aldo: Un giovane architetto tedesco: Oswald Mathias Ungers", Casabella 47)松政貞治: 都市建築における類推の概念について - アルド・ロッシの類推
Continuia, 244, p.22, 1960 的建築を通して, 日本建築学会近畿支部研究報告集, 2000
15)Rossi, Aldo: Il convento de La Tourette di Le Corbusier, Scritti Scelti 48) マ ン フ レ ッ ド ・ タ フ ー リ : 球 と 迷 宮 , 八 束 は じ め 訳 , PARCO 出 版
sull'Architettura e la Città 1956-72, Quodlibet, Macerata, 2012; Casabella 1992 ;Tafuri, Manfred,: La sfera e il labirinto , Giulio Einaudi, Torino, 1980
Continuità, 246, dicembre,1960 49) ミカ・バンディーニ : アルド・ロッシ , 楢橋創訳, au 臨時増刊号アル
16)Rossi, Aldo: Città e territorio negli aspetti funzionali e figurativi della ド・ロッシ,p.9,1982: A.A.Annual, 1981
pianificazione continua, con Emilio Mattioni, Gianugo Polesello, Luciano Semerani, 50)ラファエル・モネオ: アルド・ロッシ:建築思想とモデナ共同墓地 , 片木
Scritti Scelti sull'Architettura e la Città 1956-72, 2012; Atti del X Congresso Inu : 篤・小林 克弘 訳, SD (162), 1978 pp.25-38: Moneo, Rafael, ”Aldo Rossi: The
Trieste14-16 ottobre 1965, vol .1, p.272, 1967 Idea of Architcture and the Modena Cemetary", Opositions(5), 1976, trad. Angela
17) Rossi, Aldo: L'analisi urbane e la progettazione architettonica, Contributi al Giral, pp. 1 – 30
dibattiito e al lavoro di gruppo nell'anno accademico 1968/69, Facoltà di
Architettura del Politecnico di Milano, Gruppo di ricerca diretto da Aldo Rossi, ;R74
1970
写真 5 : Braghieri, Gianni , Aldo Rossi (Studio Paperback) , Birkhäuser Basel,1991
18)Rossi, Aldo: Due progetti di Abitazione", Lotus, 7, 1971
19)Rossi, Aldo: Aldo Rossi", Controspazio, 4, 1974
20)Rossi, Aido: The Blue of the Sky, Oppositions, 5, translated by Marlene Barsoum P
and Liviu Dimitriu, p.33, Summer, 1976 注1)テンデンツァ運動にはカルロ・アイモニーノやジョルジョ・グラッシ、
21)Rossi, Aldo: I disegni, gli schizzi, la vita degli edifici", Lotus, 15, p.43, 1977 『コントロスパツィオ』誌のメンバーなど様々な建築理論家が関わってい

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た。 は、簡素な材質の独特な空間が日本の数寄屋建築や廃墟の空間に通じるも
注2)ティチーノ派は、マリオ・ボッタ、ルイジ・スノッツィ、マリオ・カン のがあると述べている。:松井宏方,『au 臨時増刊号アルド・ロッシ』, 1982,
ピなどを中心とし、スイスのイタリア語圏において合理主義建築を展開し p224 : 藤井博巳「メタ・アーキテクチャを志向する(1982)」,『au 臨時増
た。
刊号アルド・ロッシ』. 1982, p.227
注3)フランスでは五月革命の翌年、ボザールから建築部門が独立し、建築系
注29)調査にあたっては、雑誌や作品集の写真を踏まえたうえで、捨象された
グランゼコール(UP、のちの ENSA)が設立された。その変化の理論的背景
肌理やアングルの写真を記録した。実地観察によって表面材の配置、肌理
にはロッシやアイモニーノなどイタリアの建築理論家の著作の影響が見ら
れる。五月革命での建築理論家の影響については以下のヴィオローの著作 を把握したうえで写真に収めることによって、触知的アプローチによる独
を参照。:Violeau, Jean-Louis, Les Architectes et Mai 68, Éditions Recherches, 自性が担保されると考えている。
2005 注30)アルド・ロッシ『都市の建築』大島哲蔵・福田晴 訳,p.149
注4)当時のイタリア建築界は共産主義の影響が強く、旧西側諸国でも特異な 注31)ロッシは「東京計画 1960」やメタボリストの計画を、現実の生産に基づ
存在であった。ロッシは 1971 年に学生運動に加担したことでミラノ工科大 かない歴史なき建築として批判している :Rossi, Aldo,"Città e territorio negli
学を辞職させられている。: Aymonino, Carlo, "Carlo Aymonino", Architettura aspetti funzionali e figurativi della pianificazione continua" (A.R. con Emilio
Razionale 1973-2008, CLEAN,2008, p30 Mattioni, Gianugo Polesello,Luciano Semerani), Scritti Scelti sull'Architettura e la
注5) Savi,Vittorio, L'architettura di Aldo Rossi, Franco Angeli Editore, 1976 Città 1956-72, 2012, p.271, ; Atti del X Congresso Inu (Trieste14-16 ottobre 1965),
注6)マンフレッド・タフーリ『球と迷宮』八束はじめ訳, PARCO 出版, 1992: vol .1,1967, p.271
Tafuri, Manfredo, La sfera e il labirinto, Einaudi, 1980 注32)Rossi, Aldo, "Il convento de La Tourette di Le Corbusier", Scritti Scelti
注7) Aureli, Pier Vittorio, "The difficult whole", Log 9, 2007, pp.39-61 sull'Architettura e la Città 1956-72, Quodlibet, Macerata, 2012, p.132 , Casabella
注8) Aureli, Pier Vittorio, The project of Autonomy Politics and Architecture within Continuità, 246, dicembre,1960, p.4
against Capitalism, Prinston Architectual Press, 2008 注33)アルド・ロッシ「アルド・ロッシが語る建築と都市 (第 25 回新建築講演
注 9 )Vigano, Mario, "Architecture: Political Involvement versus Disciplinary 会)」、『au』(171), 1984, p.21
Autonomy", La Tendenza. Italian Architectures, 1965-1985, 2012, pp.91-99 注34)Rossi, Aldo,"Peter behrens e il problemaa dell'abitazione moderna", Casabella
注10)8%B4@/"C2!>0B?-)ehJv}tbUIN! Continuità(240), 1960-6, p.47
>0B?-) ,1982,pp.8-20: A.A.Annual, 1981 注35)アルド・ロッシ「アルド・ロッシが語る建築と都市 (第 25 回新建築講演
注11)松井宏方,「ヨーロッパ文化の反射光のように」,『au 臨時増刊号アル 会)」, au(171) , 1984, p.24
ド・ロッシ』, 1982 注36)Rossi, Aldo, I quaderni azzuri 18, 8 Gennaio 1975/12 giugno 1975, copia
注12) Stewart, David, "The Expression of Ideological Function in the Architecture of anastatica a cura di F.Dal Co, Electa, 1999
Aldo Rossi", au, 1976-05, pp.107-111 注37)アルド・ロッシ『アルド・ロッシ自伝』三宅理一 訳, SD選書, 1984
注13) La marche, Jean, The familiar and the un familiar in twentieth century 注38)Rossi, Aldo I quaderni azzuri 13, 2 luglio 1972 / 30 ottobre 1972, copia
architecture, University of Illinois Press Urbana and Chicago, 2003, pp.57-78 anastatica a cura di F.Dal Co, Electa, 1999
注14)松井健太「A. ロッシ初期論文「ミラノの新古典主義建築における伝統 注 39 ) Rossi, Aldo, "Un giovane architetto tedesco: Oswald Mathias Ungers",
の概念」の読解と解釈」, 日本建築学会計画系論文集, 80:711, pp.1205-1212, Casabella Continuia(244), 1960, p.22
2015 注40) Rossi, Aldo I quaderni azzuri 13, 2 luglio 1972 / 30 ottobre 1972, copia
注15)ラファエル・モネオ「アルド・ロッシ:建築思想とモデナ共同墓地 」片 anastatica a cura di F.Dal Co, Electa, 1999
木篤・小林 克弘 訳, SD (162), 1978 pp.25-38: Moneo, Rafael, ”Aldo Rossi: 注41)アルド・ロッシ「最近作に関する考察」, au, 1976-05, p.82
The Idea of Architcture and the Modena Cemetary", Opositions(5), 1976, trad. 注42) au, 1976-05, p.81
Angela Giral, pp. 1 - 30 注43) Rossi, Aldo, "Aldo Rossi", Controspazio(4), 1974 , p. 39
注16)ピーター・アイゼンマン「記憶の家:類推のテキスト」(都市の建築序 注44) Rossi, Aldo, "I disegni, gli schizzi, la vita degli edifici", Lotus(15), 1977, p.43
文)、『都市の建築』大島哲蔵・福田晴 訳, 大龍堂書店, 1991, pp.407-422: 注45) アルド・ロッシ「類推的建築」, au, 1976-05. p74
Eisenman,Peter, “The Houses of Memory: The Texts of Analogy”, The 注46): Rossi, Aldo, I quaderni azzuri 18, 8 Gennaio 1975/12 giugno 1975, copia
Architecture of the city, The MIT Press, 1984 anastatica a cura di F.Dal Co, Electa, 1999
注17) 松政貞治「都市建築における類推の概念について - アルド・ロッシの 注47)アルド・ロッシ『アルド・ロッシ自伝』三宅理一 訳, 鹿島出版会, 1984,
類推的建築を通して」, 日本建築学会近畿支部研究報告集, 2000 p.171 『自伝』において彼はミース・ファン・デル・ローエに私淑してい
注18) Lobsinger, Mary Louise, "That Obscure Object of Desire: Autography and ると述懐している。
Repetition in the Work of Ald Rossi", , Grey Room no.8, summer. 2002, pp. 38-61 注48) Rossi,Aldo, "Il "Seagram Building", Casabella Continuità , 223, 1959, p.8
注19)Peckham, Andrew,” Moneo, Libeskind and a question of influence”, The 注49) Ibid., p97
Journal of Architecture, 13:1, 2008, pp.23-51 注50) Rossi, Aido, "The Blue of the Sky", Oppositions(5), Summer, translated by
注20) 中西智也, 古谷誠章「アルド・ロッシにおける建築類型と形態に関する Marlene Barsoum and Liviu Dimitriu , 1976, p.33
研究」,日本建築学会学術講演 概集(中国) , 2008 年 9 月 注51)撮影時点と『au 作品集』を比較しても、仕上げに関しては大きな違いは
j21)Pizzigoni, Attilio, Achitettura dell'architettura: Aldo Rossi e il primato della 見られず、現在に至るまで色彩の変更はされていないと考えられる。
realtà, bergamo University Press, Setante Edizioni, 2007 注52)アルド・ロッシ『アルド・ロッシ自伝』三宅理一 訳, 鹿島出版会, 1984,
j22)Nervi, Pier Luigi Scienza o arte costruire? Caratteristiche e possibilità del p.38
cemento armato, Edizioni La Bussola,Roma 1945, riedito nel 1997 da Città Studi 注53) Rossi, Aldo, I quaderni azzuri 18, 8 Gennaio 1975/12 giugno 1975, copia
Edizioni, Milano, con introduzione di Aldo Rossi anastatica a cura di F.Dal Co, Electa, 1999
j 23 ) Marandola, Marzia e Costi, Dario, "Rossi e Nervi: Un discorso sulla 注54) Rossi, Aldo: I disegni, gli schizzi, la vita degli edifici", Lotus, 15, p.43, 1977
costruzione e sulla scuola", La Lezione di Aldo Rossi, Bologna University press, 注55)こうしたロッシの素材観はテンデンツァ運動の他のメンバーにも通じる
側面があり、テンデンツァ運動の建築家が共通の素材観を有していたこと
2008
が示唆される。例えば、*<>*<B(=-)?-)Pg
j24)片桐悠自「カルロ・アイモニーノの技術観と建築作品への展開」, 日本
zS[tipo].=3CA uHQo

 \m
建築学会計画系論文集, 81:724, pp.1403-1409, 2016 (6 2:C3B$?C1(Varese)LY`FZ1978)kOfx[struttura
j25)片桐悠自「テンデンツァ運動におけるイデオロギーとしての類型概念」, mista]   r c + # 7 [con materiale tipo]  . = 3 C A   l R T 
日本建築学会計画系論文集, 81:726, pp.1791-1797, 2016 [intonacare] 
Grassi, Giorgo,”Casa unifamiliere a Fagnano Olona,
注26)これらの著述については第 1 節で取り扱う。 1978”, Lotus(22), 1979, p.31
注27)チューリッヒ工科大学時代(1971-1975)の教え子である彼らは、当時のロ
ッシの作品にアルテ・ポーヴェラ に近い感覚を発見したと語る。「彼の初
期の作品において、建物は不完全な製法によるコンクリートによってつく
られ、そこにパゾリーニとアルテ・ポーヴェラの間で揺れたものに何か近
いものを発見しました」。:ヘルツォーク&ド・ムーロン「2001 年度プリツ
カー賞を受賞して」渡辺朋子 訳, 『au ヘルツォーク&ド・ムーロン』,
2002, p.7
注28)松井宏方は「簡潔さが実際にみるものに何らかの感情の揺れ動きを促
す」。と素材の簡潔さに印象づけられていた。また実作を訪れた藤井博巳

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Yuji KATAGIRI *

THE MATERIALITY ON ARCHITECTURE OF ALDO ROSSI


*Assistant Professor, Department of Architecture, Faculty of Science and Technology, Tokyo University of Science,


Ph.D.
Yuji KATAGIRI *




 Assist. Prof., Dept. of Architecture, Faculty of Science and Technology, Tokyo University of Science, Ph. D.

Aldo Rossi (1931-1997) had led the movement “La Tendenza” since the Venice Biennale of 1973, and attracted worldwide attention.
There are some eminent architects, like Herzog & de Meuron, who was students of Rossi in the ETH Zurich, referred to Rossi’s


material sense close to Arte Povera.

This paper focus on materiality of Aldo Rossi by two methods. One is through documents written by Rossi himself about


architectural materials. Another is through the hands-on observations and photographies of nishes of his architectures by author.

In Section 1, Rossi’s materiality about city and architecture was discussed. He laid stress on technology of traditional cities, such as
masonry and he had a strong interest in the plaster. In 1975, he used colored-plaster in his work and he associated it with the idea


“povertà o miseria (poverty or misery)”.

In Section 2, Rossi’s materiality in his works in 1960s was discussed. For example, in “Monument to the Resistance in Segrate
(Fountain in Segrate)” shows his interest in white plaster in 1965. Then in 1969, he painted white and gray plaster in his renovated


parts of “Elementary school in Broni ”and emphasized color contrast of plasters.

In Section 3, it was shown that he contrasted plaster and other material in 1970s. In “Elementary School in Fagnano Olona”, he
assembled white-plastered wall and glass roof with steel sashes. He named modern materials, such as steel, metal and glass, as


“light materials” and he combined them with surface which is associated with masonry.

In Section 4, it was shown that he accepted changes of material plans. For example, he changed color plan of “Modena cemetery”.
In the same time. he deals with plaster as a material with a temporal change. Moreover it was revealed that he helped building


materials show as one’s life.

For conclusion, it was revealed that Rossi handed down materiality of Modernism architects and he deals surface and materials as if
they would have autonomic life in his works with plasters.

(2016 年 12 月 2 日原稿受理,2017 年 5 月 11 日採用決定)

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