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古代エジプト史概説

担当 藤 井 信 之

古代エジプト文明は、エジプトの( 河)流域におこった。エジプトでは前 3 千年頃に


統一王朝が出現した。その後、
( 王国)、中王国、
( 王国)の時代に繁栄した。エジ
プトの王は新王国時代以降になると( )と呼ばれるようになった。古王国時代には多
くの( )が建造された。新王国時代になるとエジプトはシリア・パレスティナに進
出して、ミタンニ帝国や( 帝国)とオリエントの覇権を争った。新王国の中頃に
はアクエンアテン王があらわれ、
( 神)を唯一の神とする宗教改革を行なったが、王の
死によって挫折した。この改革は後のユダヤ教などの一神教に影響を与えたと考えられる。この
王の後、エジプトを支配したのが( 王)である。彼の王墓はほぼ未盗掘のまま発
見され、エジプト王の巨大な富を今日に知らしめることになった。新王国の後半にはラメセス2
世があらわれ、エジプトは再び繫栄した。新王国後の第3中間期には、エジプトに定住していた
リビア人の政権が誕生した(リビア王朝時代)。そして前8世紀末にヌビアの( )を中
心に興ったクシュ王朝がエジプトを征服してリビア王朝時代は終焉した。前7世紀になると西ア
ジアで勢力を拡大させた( )がクシュ王朝支配下のエジプトを侵略した。しかし前
7世紀中ごろには、サイスに興った第26王朝(サイス朝)が興隆し、エジプトは西アジアの
( )、リュディア、メディアと共にオリエント世界の4国分立時代の一角を占めて
繁栄した。この時代のエジプトは、( 人)の傭兵を重用し、また交易都市
( )を設け( 人)との交易を重視した。このとから、この時代に
エジプトと( )との交流が深まった。しかしサイス朝は、西アジアの3国を滅ぼし
た( 朝 )に前 525 年頃に滅ぼされた。その後エジプトは、前 404
年に独立して( 朝 )によく対抗していたが、前 343 年に再征服さ
れ、さらに前 332 年には( )に征服された。
この国では( )
、ヒエラティック、デモティックの三種類の文字が使用された。文字
は 石 刻さ れた り 、紙 の語 源と な って いる ( )に 記 され た。 エジ プ ト文 字は
( )の起源となった。この国の宗教は、アマルナ時代の一時期を除き、基本的に
は多神教であった。エジプト人は、霊魂の不滅と死後の世界を信じて遺体を( )にした。
そして死者が冥界へ無事に辿りつくように( )を副葬した。エジプトで発達した測地
術はギリシアの幾何学のもととなり、またエジプト人が用いた( )は、後にロー
マによって採用され( 暦)となり、更にヨーロッパで改良され( 暦)
となり、今日世界中で使用されている。

参考文献
河合望『古代エジプト全史』雄山閣 2021 年
(岩波ジュニア新書)岩波書店 2007 年
内田杉彦『古代エジプト入門』
A・J・スペンサー編『大英博物館 図説古代エジプト史』原書房 2009 年

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