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73

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赢 昭和10年 3 月,横空での航空機講習の際のもの。教官時代の加来止男
中 佐 (中列左から3 番目)。右隣は高松宮。前列左端は大尉時代の著者。
^ 昭 和 11年初春,艦隊ボートレースで優勝した『五十鈴』艦長時代の山
ロ 多 聞 (中列の中央)。右隣から堀内砲術長,音羽少尉。左隣は著者。
炎上する底曳き漁船第二十三日東丸
とその全容。艇長の中村盛作兵曹長
ら14名は, 「敵空母見ュ」 と最後ま
で打電しつつ,武器なき戦いを挑ん
だが,北太平洋の波間に消えた。

輸送船パラオ丸(写真下)と祖国に殉じた船員の霊をとむらうべく建てら
れた船員碑。 ここに菅船長,大和船長,森船長ほかの乗組員達が眠る。
4 コイテ 海兵大尉が, 「マキン島日本軍指揮官」 に し た た め た 降伏状。
トマキ ン 奇 襲 の 計画を練る カ ー ル ソ ン 隊 長 (左 )と ル ー ズ ベ ル ト 副隊 長 。

クラ一クフィ一ルドの一式陸攻。有馬正文少将(枠内)は,「指揮官陣頭
の必死必殺の体当り戦法」 の信念の下,写真と同型機で出撃,散華した。
2[ 闘 ^ 霣 邢 酬 於 似

,細
^ 1 1 蠲

‘, 政 イ ぞ 蘇
神風特別攻撃隊員のかつての宿舎を背にするディゾン氏(左)とサントス
氏。右側の歴史的銘板には神風特別攻撃隊発祥の地としるされている。
猪口敏平艦長をはじめ,1023名 が 『武蔵』 とともに
。写真は被弾から沈没までの連続シ一ン。回頭する
叩中す-^連続投下をうく-V 艦首が沈む―沈没寸前。
まえがき
昭 和 二 十 年 九 月 二 日 、 そ れ は 戦 い に や ぶ れ た 日 本 が 降 伏 文 書 に 調 印 し た 日 で あ り 、 ま た 、 この
日は、開戦劈頭、 わが空母機が長駆、真珠湾に殺到して、 アメリカ太平洋艦隊を痛撃した日とお
なじく、奇しくも日曜日にあたっていた。
そして、 この日はまた、 たまたま二百十日の厄日にあたっていたのであったが、 まるで新生日
本の前途を予示するかのょぅに、平穏無事の珍しい好天気にめぐまれていた。
東 京 湾 上 に は 、 ア メ リ カ 戦 艦 『ミ ズ ー リ 』 号 が 浮 か び 、 そ の 後 甲 板 で は 、 と き の 外 相 重 光 葵 と
参謀総長の梅津美治郎の、 ふたりの全権が降伏文書に調印し、 つづいて連合軍最高司令官マッカ
丨サー元帥が署名して、 ここに三年九力月にわたった太平洋戦争の幕が閉じられたのである。
この間、戦陣と銃後で散華した同胞だけでも、 二百五十七万余にたっし、 そのぅち海軍は四十
ニ万をかぞえた。
こうした亡き数に入った海のますらおたちのなかには、艦と運命をともにした乗組員、愛機、
愛艇もろともに勇ましく散った若人もすくなくない" いったい、 かれらはだれのために尊い自分
の命を捨てたのか I 。
提督も、大佐以下の将兵も、軍属も、その立場はかわり、その事情はいろいろちがっても、み
な日本のために命を捨てたのである。
わ れ わ れ は 、 こ の 尊 い 犠 牲 の 歴 史 を 、 け っ し て 忘 れ る こ と は な い で あ ろ う 。 そ し て 、 二度とふ
たたび愚かな戦いをくりかえしたくはないと、 腹の底から真にそう思い、 また、 いつもその決意
を 新 た に し つ つ 戦 後 の 一 日 一 日 を 、 業 の よ う な も の を 背 負 い つ づ け て 生 き て き た の で あ る 。 そし
て 、 ニ 年 ほ ど 前 の そ の 日 に 、 私 は 「あ る 一 つ の こ と 」 を 思 い た っ た の で あ る 。
そ の 日 と は 、 昭 和 四 十 五 年 五 月 三 十 一 日 の こ と で あ り 、 「あ る 一 つ の こ と 」 と は 、 わ が 力 の お
よ ぶ か ぎ り 、 散 華 し た つ わ も の た ち の 足 跡 を 後 世 に 伝 え る こ と で あ っ た の だ 。 そ し て 、 こ の こと
を私に決意させたのは、 つぎのような事情によるのであった。
東 京 .原 宿 の 東 郷 記 念 会 館 で は 、 毎 年 五 月 に 「海 軍 の 集 い 」 が ひ ら か れ る 。 そ の 席 上 で 靖 国 神
社百年祭の記念フィルムが上映された。
そのなかに、学窓からペンをすてて祖国の急にはせさんじ、神風特別攻撃隊員 と して南溪の空
で 散 華 し た 、 い ま は 亡 き 父 を は じ め 、 九 段 の 杜 に 神 と し て し ず ま る も ろ も ろ の 御 霊 に 、 心 を こめ
て日本舞踊を奉納する故植村真久大尉のわすれがたみ、素子さんの舞姿がみられた。
靖 国 神 社 の 拝 殿 で 、 な き 父 と の 〃 こ こ ろ の 対 面 " を し な が ら 舞 ぅ 素 子 さ ん の 胸 中 を 察 し 、 あれ
こ れ と 思いをはせるとき、 私 は こ み あ げ て く る 熱 い も の を ど ぅ す る こ と も で き な か っ た 。 と同時
に、 こ れ ら 身 命 を 祖 国 に さ さ げ た 先 輩 や 戦 友 た ち の 面 影 を し の び 、 そ の 足 跡 を 文 字 に つ づ っ て 後
世 に の こ す こ と 、 そ れ は 、 ま だ 命 を な が ら え て い る 者 に 課 せ ら れ た 厳 粛 な 使 命 で あり、 護 国 の 神
がみへの敬虔な奉仕でもある、 と思われてならなかった。
さ っ そ く 資 料 の 収 集 に と り か か り 、 潮 書 房 発 行 の 月 刊 雑 誌 『丸 』 に 、 昨 年 二 月 号 か ら 約 一 年 間
にわたって連載した。 この小著は、 これに補筆、 訂正を加えたものである。
執筆にあたって貴 重 な 資 料 と 教 示 を 賜 わ っ た 方 々 の 氏 名 と 、参考引用文献の書目は、 それぞれ
巻末に列記した通りであり、 ここに厚く御礼を申し上げる。
なお、協力を受けた方々のなかには、 そののち鬼籍に入られた方がある。謹んで哀悼の意を表
する次第である。
昭和四十七年六月 実 松 譲
日本海軍英傑伝目次
まえがき
柳本柳作 .. (空 母 『蒼龍』艦長)....

9
山ロ多聞 丨 ,
…(第二航空戦隊司令官〕

33
加 来 止 男 .. (
空母『
飛龍』艦長)
.. (
第二十三日東丸艇長)...

63
ほか監視艇乗組員
管源三郎 .. (
輸送船長崎丸船長)
0 ^ 5 ……,
:〔 ..
輸送船パラオ丸船長)

85
^ .. (
輸送船道灌丸船長)
ほか乗組員
松尾敬宇 丨 .
… 〔シド-
一丨強襲特殊潜航艇艇長)
都 竹 正 — .. (シド二ー強襲特潜松尾艇付) ... 初
金光九三郎:
:: (マキン環礁ブタリタリ島守備隊長)
ほか守備隊員
第二十六航空戦隊司令官)..
…… (
^ .. (
神風特別攻撃隊第一次指揮官)
.. (
神風特別攻撃隊大和隊隊長)
猪口 敏平.
.¢ 1 『
I 』1 〕
伊 藤 整 一 (
第二艦隊司令長官〕
有賀幸作 (
戦艦『
大和』艦長)
資 料 .談 話 提 供 者
参考引用文献
装釘.田代廉
文 字 .岡 田 章 雄
日本海軍英傑伝 I 日本海軍人物太平洋戦争
写真提供実松譲
雑 誌 「丸 」編 集 部
柳本柳作 (空 母 『蒼 龍 』 艦 長 )
三レ』 :…: 卜 , 1
-一-— .,
卜 -[.1卜
午 前 十 時 半 か ら 御 前 会 讓 が ひ ら か れ 、重大な対米方針が

10
決 定 さ れ た 。 す な わ ち 、 わ が 国 は 、 「武 力 発 動 の 時 機 を
十 二 月 初 頭 と 定 め 、 陸 海 軍 は 作 戦 準 備 を 完 整 す る 」 とと
もに、 日米交渉については、政治的な解決をはかるため
の最後の努 力 を す る こ と 、 な ど が 決 定 さ れ た の で ある。
昭 和 十 六 年 2 執0)の 春 に は じ ま っ た 日 米 交 渉 も 、 そ この決定は、 た だ ち に 実 行 に ぅ つ さ れ た 。
の年の秋には、 太平洋の平和を願ぅ日米両国の思惑とは 十 一 月 十 日 、 隻 眼 、 長 身 の 海 軍 大 将 .野 村 吉 三 郎 大 使
裏腹に、 いよいよ望み少ないものに見えてきた。 は、 ル ー ズ ベ ル ト 米 大 統 領 を 、 ホ ヮ ィ ト ハ ゥ ス に お と ず
そこで、 日本政府は、 ベテラン外交官たちの協力によ れて、 日 本 の 「
最 終 案 」 を し め し て 説 明 し た 。 この会見
って、 日 米 外 交 を 妥 結 に み ち び く 意 外 な 道 が 発 見 で き る の別れにさいして、野村は、
かもしれない、といぅヮ ラ で も つ か む 気 持 で 、前駐独大 「大 使 と し て 、 な し ぅ る と こ ろ に も 限 度 が あ る 。 私 は 、
使来栖三郎をヮシントンに急派し、 外交技術的に野村大 現代おょひ後世の日本国民にたいする責任を痛感してい

V
使を援助させることとした。 る。 私 は 、最 後 の 大 使 と な る こ と を 望 ま な い 」
来 栖 は 、十 一 月 五 日 、 横須賀線の東京発午前四時の一 と 、 苦 し い 立 場 に お か れ た 心 境 を 吐 露 し て 、 ホ 7ィト
番電車で追浜に行き、 そこから海軍の飛行機で、台湾高 ハゥスを辞去した。
雄 市郊外の岡山飛行場へ飛んだ。 そして、 それから旬日 こ の 会 見 の 数 時 間 前 、 海 軍 中 将 南 雲 忠 一 は 、 『攻 撃 部
中に、香港サンフランシスコ間の定期航空クリクパー 隊 作 戦 命 令 第 一 号 』 を も っ て 、真 珠 湾 攻 撃 の 機 動 部 隊 に
機で、米国に向かうこととなった。 たいして、 ㈠ 十一月二十日までに戦争準備の完了 ㈡
一方、 こ の 日 (十 一 月 五 日 )、皇 居 の 「一の間」 で は 、 単 冠 湾 (千 島 列 島 択 捉 島 )へ の 集 合 !: 攻 撃 隊 の 編 龙 、
などを下令した。 と 、 しだいにふえていく。 おどろいた島の少年たちが、
南 北 に わ た っ て 長 く の び る 日 本 列 島 の 北 の はし、 北 海 丘 に の ぼ っ て 数 え て み る と 、大 小 あ わ せ て 、なんと三十
道 の 東 端 根 室 か ら 、海峡をへだてて千島列島の国後島が 隻 ほ ど も い る 。 そ の な か に は 、 話 に 聞 く だ け で 、 まだ見
ょこたわり、 その北側の国後水道をはさんで千島列島最 たこともない戦艦も航空母艦も ま じっている。
大 の 島 の 択 捉 島 が あ る 。東北から西南に細長くのびるこ 「な ん だ ろ ぅ ?」
の 島は、 東 端 か ら 西 端 ま で 約 二 百 三 キ ロ 、 その中央部の 「き っ と 演 習 だ よ .. 」
南岸に単冠 湾 が あ り 、表に年萠、 裏に天寧という二つの 島 民 た ち が 、 と り ど り の ゥ ヮ サ を し て い る ぅ ちに、 ニ
港がある。 むろん平素は漁船が漁期にときどき集散する 十三日の午後一時半に入港した第二潜水隊の潜水艦三隻
に す ぎ な い 小さな漁港だから、 その名を知っているもの を最後として、 南 雲 中 将 の ひ き い る 六隻の空母を基幹と
は ほ と ん ど な い 北 辺 の さ び れ た 港 に す ぎ な か っ た-- 。 する約三十隻の艨艟は、北辺の寒村の港である単冠湾に
千島の冬は早い。 、 集 結 を お わ り 、 あ た か も 「そ ば 屋 」 の 二 階 に 勢 ぞ ろ い し
十 一 月 と い え ば 、 もう 雪 を み る ほ ど で 、北海道との定 た 赤 穂 義 士 の ご と く 、 意 気 ま こ と に 軒 昂 、 〃宿敵" 米 艦
隊を撃滅する一念に燃えたつのであった。
期 連 絡 船 が 、 と き お り お と ず れ ては、 島 民 の 食 糧 な ど を
運 ぶ ほ か に 、 こ の 島 を た ず ね る 人 も い な い 。 そ の 年-- 思 え ば 九 月 下 旬 、真 珠 湾 攻 撃 を 目 標 と す る 猛 訓 練 が 開
昭 和 十 六 年 も 、 冬 の 安 息 と 平 和 と が 、 雪 と と も に 、 この 始 さ れ て か ら ニ 力 月 た ら ず 、と も か く も 機 動 部 隊 は 名 実
小さな北海の孤島を覆おうとしていた。 ともに出撃準備を完了し、寒風ふきすさぶ北辺の一角か
と こ ろ が 、 あ る 日 、 こ の さ び れた単冠湾に、 島民をび ら、 は る か に 常 夏 の 真 珠 湾 を の ぞ ん で 待 機 し て い る 。 開
っ く り さ せ る ょうな事 件 が 突 発 し た 。 艦 隊 が 入 港 し て き 戦 か 、交 渉 の 妥 結 か 1 0
十一月二十五日、出撃をあすにひかえて、各艦では、
た の で あ る 。 し か も そ の 数 は 、 一隻、 ニ 隻 、 三 隻 … …
それぞれに艦長の訓示や壮行会などが行なわれていた。
そ れ も 終 わ る と 、 こんどは艦長 の 音 頭 で 、 軍歌の大べー
第 二 航 空 戦 隊 の 旗 艦 『蒼 龍 』 の 艦 上 で は 、 飛 行 機 搭 乗 ジ ヱ ン ト が く り ひ ろ げ ら れ た 。 歌 は 、 柳 本 愛 唱 の 「佐 久
員 た ち か ら 、 "訓 練 の 鬼 " と 畏 敬 さ れ 、 "多 聞 丸 " の 愛 間艇長」 である。
称で親しまれてきた司令官の山ロ多聞少将の訓示に ひ き
つ づ い て 、 "海 軍 の 乃 木 " と い わ れ 、 『七 生 報 国 』 を お へ身を君国に捧げつつ
のがモットーとして精進してきた艦長の柳本柳作大佐が おのが勤めをよく守り
壇上に立っていた。
斃れて後に已まんこそ
「— 皇 国 の 興 廃 は 、 このハヮィ作戦の一挙にかかって 日本男子のほまれなれ
いる。 海 軍 に 職 を 奉 じ た の は 、今 日 あ る が た め で あ る 。
斃 れ て 後 や む で な い 。 一片の肉、 一 滴 の 血 が の こ れ ば 、
そ れ で 敵 に ぶ ち あ た れ … … 一 本 の 歯 が の こ れ ば 、 それで 柳 本 艦長は、小 柄 な 体 軀の胸をはり、 目深くかぶった
敵 に か み つ け .. 」 軍 帽 の 下 か ら 、 ひ き し ま っ た 顔 を の ぞ か せ て 、 天をあお
その一語一語は、千五百の将兵たちの腹をえぐった。 ぐような姿勢で、どこから出てくるかと思われる よ う な
みんな粛然として、 く い 入 るょぅに、柳本の顔を見てい 大 き な 声 で 指 揮 を と っ た 。腹 の ど ん底からしぼりきった
る 。 そ の 目 が 燃 え る ょ ぅ に か が や き 、 深 い 感 動 が 、 あた 千五百の将士の大合唱は、単冠湾の冷たい海面につたわ
りを支配していた。 り、 雪 を い た だ く 択 捉 島 の 山 々 に こ だ ま す る 。
ついで、 艦 長 み ず か ら が 、 神 戸 の 湊 川 神 社 で い た だ い 思 う に 、 「身 を 君 国 に 捧 げ つ つ 、 お の が 勤 め を よ く 守
て き た 御 神 符 を 、 い ち い ち 『七 生 報 国 』 と 書 い た 紙 に つ り … …」 こ そ は 、 広 島 県 江 田 島 で の 海 軍 兵 学 校 生 徒 い ら
つんで、 乗 組 員 一 同 に わ か ち あ た え て い っ た 。 そ し て 、 い、 柳 本 の 感 激 の 句 で あ っ た 。 そ し て 、 「黯 れ て 後 に 已
む 」 の "佐 久 間 精 神 " は、 柳 本 み ず か ら の 厳 し い 誓 い で て、 や か ん で お 酌 を し て ま わ る 。 柳 本 ま でが、 す っ か り
あ り 、 さ ら に 、 そ れ は 楠 木 正 成 の 『七 生 報 国 』 と な り 、 ご機嫌になり、 やかんをぶらさげて、 ひょろりひょろり
柳本の信念として、胸底深くつちかわれたのであった。 とのしあるく。そのうち、 だれかがいいだした。
やがて艦長指揮の軍歌の合唱はおわった。 「艦 長 を 胴 上 げ っ !」
艦 長 は す か さ ず 、当 直 将 校 に 命 令 し た 。 数 名 の 水 兵 が 、 柳 本 の 手 を と り 足 を と り 、 ヮッショ、
「き ょ う は 、 兵 員 に 腹 い っ ば い 飲 ま す が よ い 」 ヮッショとかつぎあげる。
当直将校の山本滝一大尉が、 さっそく号令をかける。 柳本は、 いつのまにか、 そばにいた森拾三兵曹の頰に
「酒 保 ひ ら け 」 ひ げ 面 を こ す り つ け た 。 ニ、 三 日 力 ミ ソ リ を あ て て い な
各兵員室には、艦長寄贈の清酒が上座にかざられる。 か っ た の で あ ろ う か 、 痛 く て た ま ら な い 。と う と う 、森
やかんに酒を入れて食卓にくばる。 が悲鳴をあげた。
「さ あ 、 飲 め 飲 め 」 「蹬 長 、 痛 い で す よ 。 ヮ ー ッ 、 こ い つ は た ま ら ん .. 」
「あ す か ら は 、 戦 闘 準 備 で 当 分 禁 酒 だ ぞ … … 」 柳本は、 よけい面白がった。 なおも、ごしごしやる。
「当 分 じ ゃ な い よ 、 こ れ が こ の 世 の 飲 み お さ め に な る か 逃げようにも、くびったまをシッカリつかまえられてい
もしれんぞ」 るので、動きがとれない。 やっとのことで解放された森
「そ ん な こ と は ど う で も よ い 。 き ょ う は 、 酔 う て 、 歌っ は、 自 分 の 席 に も ど っ た 。 だ が 、 森 の ほ っ ぺ た は 、 まだ
て 、 踊 っ て 、 酔 う て 、 天 下 晴 れ て の 門 出 の 祝 い だ … …」 ひりひりしていた。
猛 将 山 ロ 司 令 官 も 、 〃 謹厳居士" の 柳 本 艦 長 も 、 兵 員
室 に 姿 を 見 せ る 。 少 将 か ら 一 兵 に い た る ま で 、 まったく つ い に 、 運 命 の 日 —— 昭和十六年士一月八日がめぐっ
の無礼講である。分隊長の長井大尉がとりもち役になつ てき允0
わ が 機 動 部 隊 は 、 ア メ リ カ 側 の "不 用 意 " に め ぐ ま れ 隻の英巡洋艦をほふり、 セィロンのッリンコマリ I 沖で

14
て、 完 全 な 奇 襲 に 成 功 し 、 米 太 平 洋 艦 隊 の 主 力 と 見 ら れ ィ ギ リ ス 空 母 『ハ I ミス』 を 撃 沈 す る 。 つ いで、 他 の 空
ていた戦艦の全部を撃沈破して、世界海戦史上に前例の 母 部 隊 は サ ン ゴ 海 で 、 戦 略 的 に は 失 敗 だ っ た が 、 いちお
ない大戦果をおさめた。 ぅ の 勝 利をおさめた。 そして、 やがて昭和十七年五月ニ
だ が 、 そ れ は 、 わ が 国 を 敗 退 の 悲 運 に み ち び く 、 三年 十 七 日 の午前六時が、広島湾柱島泊地に在泊中のわが連
十 力月 の 長 期 に わ た る 太 平 洋 戦 爭 の 〃 運 命 の 序 曲 " のは 合 艦 隊 の 頭 上 に も 、 や っ て き た 。 この日、 南 雲 提 督 の 座
じまりでもあったのだ。
乗 す る 旗 艦 『赤 城 』 の マ ス ト に ー 旒 の 信 号 旗 が は た め い
た。
「I 予定どおり出港せょ」
軽 巡 『長 良 』 を 先 頭 に 、 警 戒 幕 の 駆 逐 艦 十 一 隻 が つ づ
く 。 つ い で 重 巡 『利 根 』 と 『筑 摩 』 が 、 つ ぎ に 古 代 の 塔
の ょ ぅ な マ ス ト を も つ 戦 艦 『榛 名 』 と 『霧 島 』 、 最 後 に
緒戦期の日本は、 その予想をはるかにこえた勝利の連 航 空 母 艦 『赤 城 』 『加 賀 』 『飛 龍 』 『蒼 龍 』が つ づ い た 。
続 I 真 珠 湾 作 戦 を は じ め 、 マレー沖 海 戦 に お け る 英 戦
南雲の 指 揮 す る 機 動 部 隊 が 、長蛇の陣をつくって航進
艦 『プ リ ン ス .オ プ .ゥ 工 I ル ズ 』 と 巡 洋 戦 艦 『レパル
したとき、 まだ柱島泊地に錨をおろしていた山本五十六
ス』 の 撃 沈 、 香 港 、 マ ニ ラ 、 シ ン ガ ボ ー ル、 バ タ I ンの 長官と近藤信竹提督の戦艦、巡洋艦部隊の各艦の上甲板
攻略 な ど I のたのしみを味わった。
には、 乗 組 員 が 舷 側 に 整 列 し て 帽 子 を ふ り 、 さ か ん に 歓
四月までに、南 雲 中将のひきいる有力な空母部隊は、 呼していた。
イ ン ド 洋 を 縦 横 に あ ば れ ま わ り 、 コロンボを急襲してニ この日は、 日 本 帝 国海軍の栄えある記 念 日 で あ り 、東
郷平八郎提督の連合艦隊が、 日本海海戦でロシア艦隊を 開戦へき頭、有力な航空部隊をもって敵の本陣へ斬り
やぶってから三十七年目にあたった。 それは、艦隊の全 こ む "大 バ ク チ " の 真 珠 湾 攻 撃 は 、 み ご と に 成 功 し た 。
乗組員にとって、 このうえもない吉兆であるょうに思わ こ う し て "宿 敵 " の 米 太 平 洋 艦 隊 に 一 大 痛 撃 を く わ え る
れた。 ことができた。
五 月 二 十 八 日 、 ア ッ ッ お ょ び キ ス 力 (ャン列島.
')攻略部 しかし、 米 側 に とっ て 幸 運 だ っ た の は 、 航空母艦が真
珠湾に停泊せず、災厄をまぬがれたことであった。
隊が大湊〔 關森)を 出 撃 し た 。 南 方 の サ ィ パ ン (一 £ )から
も ミ ッ ド ゥ
6,7
81攻 略 部 隊 が 出 発 し 、 栗 田 提 督 の 支 援 部 隊 そ の 後 、 こ の "幸 運 " に め ぐ ま れ た 米 空 母 部 隊 は 、 わ
はグアムを出港した。 が前線の要地にあいついで来襲してきた。
五月二十九日の早朝、柱 島泊地にのこっていた艦船も 「よ し 、 敵 の 空 母 部 隊 を お び き 出 し 、 一 き ょ に こ れ を 撃
動 きだした。 まず、 ミ ッ ド ゥ |島 攻 略 部 隊 を 間 接 支 援 滅 してやろう」
31

する近藤提督の部隊が出撃する。最後に山本長官が直接 山 本 は 、敵 を 誘 出 す る も っ と も 有 効 な 手 段 と し て 、東
指 揮 す る 三 十 四 隻 の 艦 船 —— 連合艦隊の主力部隊が、広 太平洋の要衝ミッドゥェー島を攻略することとした。
島湾をあとに豊後水道を南下して太平洋にでた。 それまで、破竹の勢いで快進撃をつづけていた日本海
こうして戦艦十一、 空 母 八 、 巡 洋 艦 二 十 三 、駆逐艦六 軍 、 と り わ け 航 空 関 係 者 は 〃 苜 信 " に み ち あ ふ れ 、 それ
十五、さらに補助艦艇をあわせると約百九十隻の大艦隊 は 、 "自 信 過 剰 " と な り 、 あ げ く の は て は "勝 利 病 " に
が 、 北は千島から、南はグアムにいたる千八百マイルの さえとりつかれたものが少なくなかった。
大きな弧をえがいて太平洋を東に進撃する。 「お い ら は 、 天 下 無 敵 な の だ 」
山本長官は、 連合艦隊のほとんど全兵力をあげて、な 「ァ メ 公 の 空 母 を 始 末 す る な ん て 、 朝 飯 前 だ よ 」
にを意図し、 ど の よ う な作戦を行なおうと乙たのか? 「う ん 、 赤 子 の 手 を ひ ね る よ う な も の だ 」
「そ う だ 、 出 て さ え く り や 、 こ っ ち の も の だ よ 。 ひ と り
い ま や ゝ 八 の ^ ハアリユーシャン列島リへの進撃路は
相撲はとれないからね」 あきらかであり、 それは深紅色の鉛筆で線がしるされ、

16
だが実際はどうだったのか? 由緒ある海軍記念日
「五 月 二 十 六 日 午 前 八 時 、 出 撃 し た も の と 思 わ れ る 」 と
に出撃したとき、だれが旬日にせまった悲運を予想して 付 記 された。 ミッドゥュー攻略部隊の行動もあきらかで
いたであろうか。
あ っ た 。 赤 銘 筆 の 線 が サ ィ パ ン か ら ひ か れ 、 「五 月 二 十
戦 運 は 、 "人 事 を つ く :し て 天 命 を 待 っ た " ア メ リ ヵ 側 八日出撃」 と 書 き こ まれている。
に 味 方 し た 。 わ が 方 の "鎧 袖 触
一" は 、 は か な い 一 場 の 南 雲 部 隊 の 行動の研究は、 いくらか骨がおれたようだ
春夢と化してしまったのである。 った。 五 月 二 十 七 日 の 出 撃 だ け は は っ き り し て お り 、 北
こうして昭和十七年六月五日は、 日本海軍にとって大 西 か ら ハ ヮ ィ に む か う 斜 線 も え が か れ て い た が 、 それに
厄 日 と な り 、 四隻の空母をはじめ、多数の優秀な搭乗員
は、 「こ の 線 は 否 認 で き る 」 と い う 所 見 が 付 記 さ れ て い
を う し な い 、 そ れ は 太 平 洋 戦 争 の 潮 流 を 、 一きょにかえ た。そし て 、 この線よりも南に、 直 接 ミ ッ ドゥヱ I にむ
てしまったのである。 かう新しい線がひかれた。
ヮシントンと真珠湾は密接な連絡をとってデータを知
優 勢 な 日 本 艦 隊 が 太 平 洋 を 東 進 し て い た と き 、 ヮシン ら せ あ い 、 敵 情 判 断 に つ い て 意 見 を 交 換 し た 。が 、真珠
ト ン の 米 海 軍 省 作 戦 室 で は 、 作 戦 参 謀 た ち が 、 太平洋の 湾では、南雲部隊はやや北よりの航路をとったのち、南
海図をひろげ、研究の最後のしあげに余念がなかった。 東の斜路でミッドゥューに近づくと判断した。
こ の 海 図 の 上 端 に は 、 「一 九 四 ニ 年 五 月 二 十 九 日 、 八 ど う し て アメリカ側 は 、 こ の よ う に 日 本 艦 隊 の 行 動 を
卩 ぉ よ び 八 06作 戦 に 関 す る 研 究 」 と 、 ブ ロ ック字体で 的確に判断できたのか? それは、 矿本海軍がつかう暗
はっきり書かれていた。
号 の 解 読 の ほ か に 、 情 報 と 推 理 に よ る た ま物 で あ っ た 。
米 太 平 洋 艦 隊 司 令 部 は 、 五 月 十 二 日 ご ろ 、 日本艦隊の セ の 交 信 を お こ な っ た で は な い か 。 こ ん ど も 、 こうした
種 類 の も の で あ る か も し れ ぬ 。 だ か ら 、 ニミッツとして
攻 略 目 標 が 「八 卩 」 で あ り 、 こ の 八 卩 が ミ ッ ド ゥ ェ ー を
は、 こ の ょ う な 可 能 性 も 考 え な が ら 、 防 衛 を 計 画 せ ね ば
意 味 す る こ と を 知 っ た 。 そ こ で 五 月 十 五 日 、 ニミッツ長
官は艦隊の集結を命令した。 ならなかった。
しかし、 そ の す べ て を 集 め て も 、 日本艦隊の大兵力に この-
一セ交信というのは、 開 戦 直前の昭和十六年十一
月十五日ごろ、 それまで九州各地の航空基地で訓練して
対 抗 で き る 兵 力 で は な か っ た 。と くに、頼みのツナの空
母 は 、 『ョ ー ク タ ウ ン 』 『エ ン タ ー ブ ラ ィ ズ 』 『ホ ー ネ い た 飛 行 隊 を 母 艦 に 収 容 し た の ち 、 ハヮィ攻撃の第一航
ット』 の 三 隻 に す ぎ ず 、 そ の 全 部 が 、 は る か 南 太 平 洋 に 空艦隊の行動を秘密にし、米側をして、 わが企図を誤判
行動していた。 断させるためにおこなわれたものである。
五 月 二 十 五 日 、真 珠 湾 の 戦 闘 情 報 隊 は 、 日 本 艦 隊 の 計 つまり、 九 州 の 各 基 地 に お け る 重 大 な 変 化 を 力モフラ
丨ジし、空母はいぜ ん と し て こ の 方 面 に 行 動 中 で あ る と
画 の 全 貌 を あ き ら か に し た 日 本 側 通 信 の 解 読 と い ぅ 、す
ば ら し い 仕 事 を や っ て の け 、 これにょって、各部隊、艦 偽 装 するため、 これらの基地、 おょび九州南方海面に特
船 、指揮官、航路、攻撃時期などがわかった。 別 に 派 遣 さ れ た 標 的 艦 『摂 律 』 と 、 瀬 戸 内 海 西 部 に い る
主力部隊とのあいだに、 用もない通信がおこなわれたの
だ が 、 ヮシントンでは、 ま だ 疑 っ て い た 。 その大きな
膨 念 は 、 日 本 の 策 略 で あ っ た 。 日 本 は 、 ハヮィまたは米 である。
米 側 は ま ん ま と 、 この手 に ひ っ か か っ た 。
西 岸 に た い す る 主 攻 撃 を か く す た め に 、 こうした内容の
電 報 を 米 側 に 傍 受 さ せ て 、 ニミッツを喜 ば せ た に す ぎ な 昭 和 十 六 年 十 一 月 二 十 六 日 、 わ が 機 動 部 隊 が 、択捉島
いかもしれない。 の単冠湾を出撃して真珠湾攻撃の遠征の途にのぼったと

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真珠湾攻撃の直前、 日本はアメリカをだますため、 ニ き 、 ヮ シ ントンの米 海 軍 情 報 部 は 、 この部 隊 の 空 母 と 戦
艦の所在をつぎのように推定していた。 と 、 ニミッツは厳命した。
赤 城 、 加 賀 (空 母 ) 卩 九 州 南 部 こうして、 ま だ ド ッ ク の 水 が ひ き お わ ら ぬ 前 か ら 、超
蒼 龍 、 飛 龍 、 翔 鶴 、 瑞 鶴 (空 母 ) 卩 呉 付 近 人的な作業がはじまり、昼夜ぶっとおしの応急修理がお
比 敷 (
戦 艦 ) 卩佐世保付近 こなわれた。
霧 島 (
戦 艦 ) 卩呉付近 あ く る 二 十 八 日 、 『エ ン タ I ブ ラ イ ズ 』 『ホ I ネット』
このような推定は、 その後もつづき、真珠湾が攻撃さ 隊 が 真 珠 湾 を 出 擊 す る 。 そ し て 三 十 日 、 『ョ ー ク タ ゥ
れる直前まで、米側はいぜんとして日本の空母群は、本 ン』 隊 も 出 港 し 、 六 月 二 日 、 ミ ッ ド ゥ ュ ー の 北 東 三 百 マ
土水域にいると判断していたのであった。 イ ル の "幸 運 点 " と 名 づ け ら れ た 集 合 点 で 、 『エンター
ブライズ』隊と合同した。
ニ ミ ッ ツ 長 官 か ら 、 「至 急 帰 投 せ よ 」 の 電 報 命 令 を う こ う し て 米 空 母 部 隊 は 、 こ の 地 点 を 中 心 と し て 、 昼間
け た 三 隻 の 空 母 の う ち 、 『エ ン タ I ブ ラ イ ズ 』 『ホ ー ネ は 西 方 に す す み 、夜 間 は 東 方 に 避 退 し な が ら 、 日本艦隊
ット』 は 五 月 二 十 六 日 、 『ョ ー ク タ ゥ ン 』 は そ の 翌 日 、 をその側翼から攻撃すべく、戦機の熟するのを手ぐすね
真珠湾に帰港した。 ひいて待ちかまえていた。
サンゴ海海戦( ぼ以 〕 1で 大 破 し た 『ョ ー ク タ ゥ ン 』 は、 やがて運命の日の前夜、 六月四日の夜がおとずれる。
艦 尾 か ら 数 キロも の 重 油 の 跡 を ひ き ず っ て い た 。完全に 米 本 土 で も 、 日本艦隊の行動を、 真剣にみまもってい
修理するためには、どうしても数週間が必要であった。 た。 陸 軍 は 、 日 本 軍 の 真 の 攻 撃 目 標 は 米 西 岸 で あ る と い
だ が 、 日本艦隊が進撃しているので、 そんな悠長なこと う 考 え を 、 ど う し て も 完 全 に す て き れ ず 、 と く に この夜
はゆるされない。 は、 ひ じ ょ う に 神 経 過 敏 に な っ て い た 。
「な に が な ん で も 、 三 日 で 修 理 を や れ 」 兵隊の外出はとりやめられ、米西岸の放送局はラジオ
放 送 を 中 止 し 、 九 分 間 に わ た っ て "準 備 警 報 " のサイレ のてっべんに機銃をそなえつけ、 トラックは暗くなる前
ン が サ ン フ ラ ン シ ス コ 一帯になりひびいた。 に、 工 廠 の 入 口 を 閉 鎖 す る 防 塞 と し て パ ー ク し た 。 湾 内
敵の攻撃を 早 期 に 発 見 す る た め 、 海軍部隊はヵリフォ に停泊する艦艇は、すべての対空兵器に配員した。
ルニア州海岸の西方七百キ の
6 海上に哨戒線をはった。 暗 く な る と 、 す ぐ 警 戒 警 報 が 発 令 さ れ た 。 工廠の作業
陸上では、米兵の服装をした日本人を発見しだい報告す をやめ、 工員の一部は工場の屋根にそなえつけた機銃に
る よ う 、第四軍と西部防衛部隊が住民に警告をあたえて 配員され、 ほかの者たちは消防ホースを準備した。
いた。 工廠は完全に灯火を消し、門の出入りは禁じられる。
特別任務に従事する軍服を着た日系アメリヵ人は三名 警 報 の 発 令 で 作 業 を や め た 工 員 た ち は 、 退避壕のちか
を の ぞ い て 、 全 員 が ほ か の 地 区 に う つ さ れ た の で 、 日本 く で 待 機 し た 。 か れ ら は い ね む り を し た り 、 タバコをす
兵とまちがえることはなかった。 つたりし な が ら 、 間 近 い と 思 わ れ る 日 本 軍 の 侵 攻 な ど を
ハヮイの表情は、 米 西 岸 よ り も 、 はるかに緊張してい 話しあった。
た。 日 本 の 大 艦 隊 が ハ ヮ イ に 直 行 し て い る 、 という流言 灯 火 管 制 用 の カ ー テ ン の な か で 、太平洋艦隊司令部の
が パ ッ と ひ ろ が っ た 。陸 軍 の 入 院 患 者 は 、戦闘による死 幕僚たちは、 その夜の時間のたつのを心配していた。
傷 者 を 予 想 し て 、 ス コフィー ル ド 陸 軍 病 院 か ら う つ さ れ
た。
民 間 の 防 衛 義 勇 隊 員 も 配 置 に つ い た 。陸 軍 部 隊 の 司 令 三
官 は 、 ホノルル市のダウンタウンに住む婦女子が安全な
地区に避難するよう要求した。
真 珠 湾 で は 、海兵隊員が海軍工廠のコンクリート門柱 ついに運命の日、 六月五日がおとずれた。
南 雲 部 隊 は 、 ミ ッ ド ゥ ュ ー空 襲 の 攻 撃 隊 を 発 進 さ せ る るりと円をえがいた。

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地 点 (ミ ッ ドゥヱーの北西二百四十 カ ィ リ ) にむかって 発 艦 を は じ めてから約十五分、 四隻の空母から飛びた
進 撃 を つ づ け る 。上 空 に は 、 いくつかの星がきらめいて った合計百八機の飛行機は、艟隊の上空を一周する間に
いた。空 は まだ雲 に お お わ れ て い た が 、東の空はダィダ 編 隊 を つ く り 、 『飛 龍 』 飛 行 隊 長 友 永 丈 市 大 尉 の 指 揮 の
ィ 色 に そ ま り 、 天 気 は ょ く な り そ ぅ に 思 わ れ た 。 日の出 も と に 、 南 東 の 空 に 機 影 を 消 し て い っ た 。 目ざすはミッ
ま て あ と 四 十 分-- 。 ド ゥ .丨
一基 地 、 と き に 午 前 時
I 四十五 分一 1 であった。

¢5
艦内のスピーカーがつたえた。 三時三十四分、友 永 隊 は 、 ミッドゥヱーにたいする攻
「搭 乗 員 整 列 」 撃 を は じ め た 。 だが、 米 側 は 、索 敵 機 と レ ー ダ ー に ょ っ
飛 行 長 ら は 、艦橋の下の搭乗 員 待 機 室 へ お り て い く 。 て、 日本機の来襲を事前に察知していたので、全飛行機
やがて搭乗員が、どやどやと飛行甲板に出てきた。 み が空中にとびあがり、 地上で攻撃をぅけたのは雑用機と
んないそぎ足で自分の飛行機の方にちっていく。 オ ト リ 飛 行 機 (木 製 の ト タ ン ば り ) 各 一 機 に す ぎ な か っ
「発 艦 配 置 に つ け 」 た 。 つ ま り 、 日 本 機 が 攻 撃 し た と き に は 、 ま っ た く "も
「機 械 発 動 」 ぬけのヵラ"だったのだ。
飛 行 機 の エ ン ジ ン が 、 い っ せ い に ぅ な り を あ げ 、 夜明 しかし、 米 軍 機 は 、 いつまでも空中にとどまれないの
けまえの薄明に排気管から出る炎が青くひかり、赤と青 で、 ま も な く 着 陸 し て 燃 料 を 補 給 し な け れ ば な る ま い 。
の 翼 端 灯 が つ く と 、 夜 間 発 艦 用 の 飛 行 甲 板 の フ ッ ト ライ 午 前 四 時 、帰 路 に つ い た と き 、友永は南雲長官に電報
トが点ぜられた。 した。
「発 艦 は じ め 」 「第 二 次 攻 撃 の 要 あ り 」
飛 行 長 が 、緑 色 の ラ ン プ を 自 分 の 頭 上 に か ざ し て 、 く そ の こ ろ 、友 永 隊 の 飛 行 機 の 収 容 は 、 午 前 六 時 す ぎ に
はかいしできるように思われた。 機 )が 来 襲 。
その後の戦闘について、時間の経 過 を お っ て み よ う 。 I 六 時 五 十 八 分 第 八 次 攻 撃 隊 (空 母 の 雷 撃 機 十 四
機 )が 来 襲 。
I 四 時 五 分 南 雲 部 隊 に た い す る ミ ッ ド ゥ =1基 地 1 七時十五分米軍の最後の雷撃機が避退する。
の 第 一 次 攻 撃 隊 (六 機 の 雷 撃 機 〕 が 、 つ づ い て 第 二 次 攻
撃隊ハ四機のョ邡:
一が来襲した。 こうして、 南 雲 部 隊 は 、 三 時 間 に 八 回 に わ た っ て 来 襲
1 四 時 五 十 分 第 三 次 攻 撃 隊 (十 六 機 の 急 降 下 爆 撃 した敵機を、 みごとに撃退したのである。あいついで来
機 〕が 来 襲 し た 。 襲 し た 敵 機 は 、 じ つ に 多 種 多 様 で あ っ た 。 雷 撃 機 、急降
I 五 時 十 四 分 第 四 次 攻 撃 隊 (十 五 機 の 8 〕が 来 下爆撃機、 8 、5 、それに不思議な滑空爆擊機とい

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襲した。 う よ う に ..0
—— 五 時 三 十 七 分 『赤 城 』 な ど 各 空 母 の マ ス ト に 信 南 雲 部 隊 の 参 謀 長 草 鹿 龍 之 介 少 将 は 、 こうしたことを
号旗がひるがえり、 友永隊の飛行機に着艦かいしをつた 考えながら、 三面六臂の蛭子大黒天 I 敵が右から来れ
える。 ば 右 に 、 左 か ら 来 れ ば 左 に 、という ょ う に 自 在 に 活 躍 す
I 六 時 す ぎ 友 永 隊 の 最 後 の 飛 行 機 が 着 艦 し た 。南 る-- を 、 ふ と 思 い だ す の で あ っ た 。
雲部隊の準備ははかどり、 七時三十分になれば攻撃隊を
発進できるように思われた。 I 七 時 二 十 分 南 雲 長 官 は 、準備のできた飛行機の
I 六 時 十 八 分 米 軍 の 第 六 次 攻 撃 隊 (空 母 の 雷 撃 機 発 進を命令する。 四隻の空母は、飛行機を発進させるた
十五機〕が 来 襲 。 め、 艦 首 を 風 に た て は じ め た 。 あ と 五 分 で 、 攻 撃 隊 全 機
I 六 時 三 十 八 分 第 七 次 攻 撃 隊 (空 母 の 雷 撃 機 十 四 の発進ができそうである。
だが、 この五分間が命運をわけたのである。 のため、 見 張 り が き か な か っ た の で あ る 。

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I 七時二十四分飛行甲板の先頭にならべてあった こ ぅ し た 悪 条 件 の ほ か に 、 空 母 群 は 最 悪 の 状 態 に あっ
戦闘機の第一機が、 母艦から飛びあがった。 た。 甲板は、発 艦 前の飛行機でぅずまっていたのだ。直
そ の 瞬 間 、 「敵 機 急 降 !
^-1.」 と 、 見 張 員 が 大 声 で さ け 撃 弾 に ょ る 誘 爆 が あ い つ い で お こ っ た 。 これは、 あたか
んだ。 も数十コの爆弾が命中したのとおなじであった。
それは、 ヒモからはずれ落ちる小さな黒いじゅず玉の こ う し て 、 ドカン! ドカン! と、 みずからの手で
ょぅに、米空母搭載の急降下爆撃機群が、青空から殺到 葬送曲をかなではじめる。
乙てきたのである。 あ 、 万事休す!
X
『エ ン タ ー ブ ラ ィ ズ 』 隊 は 、 ニ 群 に わ か れ て 、 北 東 に あ
る 『蒼 龍 』 と 、 そ の 右 に い る 『加 賀 』 を 攻 撃 し た 。 『ョ
1 ク タ ゥ ン 』 隊 は 『赤 城 』 に た い し て 突 つ こ ん だ 。 四
敵のこの攻撃はまさに奇襲で、 日本側は完全な不意打
ち を く ら っ た 。 『加 賀 』 が 最 初 に 爆 弾 の 洗 礼 を ぅ け た 。
つ づ い て 『蒼 龍 』 が や ら れ 、 最 後 に 『赤 城 』 が み ま わ れ と こ ろ で 、 『蒼 龍 』 の 状 況 は ど う で あ っ た か 。
た。 飛 行 機 が ま さ に 甲 板 か ら 発 進 し よ う と し た と き 、 警戒
艦 隊 の 数 百 門 の 対 空 砲 火 も 、 まったく間にあわなかつ 幕 の 駆 逐 艦 か ら 、 「敵 機 来 襲 」 の 黒 煙 が あ が り 、 『蒼
た 。さきに来襲した敵雷撃機によって、 低空に牽制され 龍 』 の 拡 声 機 は 、 け た た ま し く 警 報 を つ た え た 。 ミ ッド
ていた直衛戦闘機はなんら役にたたなかった。空母は、 ゥ ュ ー 攻 撃 隊 の 戦 闘 報 告 は 、 この空 襲 が お わ っ て か ら と
舵をとって爆弾を回避する時間の余裕さえなかった。雲 いうことになり、着艦したばかりの搭乗員は、艦橋の下
の待機室におりていった。 「お い 、 や ら れ た ら し い ぞ ! 」
「ミ ッ ド ゥ ヱー攻撃では、 グ ラ マ ン に く い さ が ら れ 、 艦 食いかけのむすびを、あわててロの中におしこんだ。
に 帰 れ ば 、 こ の 始 末 !」 爆 弾 が 、 『蒼 龍 』 の 飛 行 甲 板 前 部 二 レ べ ー タ ー の 左 側
「ほ ん と に 、 き ょ う は 仏 滅 と 三 隣 亡 が 、 い っ し ょ に き た に、 つ い で 第 二 弾 が 艦 橋 の す ぐ 前 方 に 命 中 す る 。 艦 橋 に
ようなものだ」 いた副長小原尚中佐は、爆風のために五メートルほど吹
二十平方メートルほどの待機室のなかで、搭乗員たち き 飛 ば さ れ て し ま っ た 。身 体 の 露 出 し た 部 分 は 焼 け 、 こ
が 愚 痴 を こ ぼ し あ っ て い る と 、信号兵が力いっばい吹く と に 顔 の 火 傷 は ひ ど か っ た 。 小 原 は 、 いきなり蒸し風呂
対空戦闘ラッパが拡声機からひびいた。 にほぅりこまれたょぅな気がした。
タン力、タン力、タン力、タン力、タン力、タン力、 自分の戦闘配置にもどると、部下が、
タ ー ン … … 0
「副 長 、 顔 が や け ど で す 」
「お い 、 加 賀 が や ら れ た ら し い ぞ !」 と い っ て タ オ ル で 顔 を お お っ て く れ た 。 小 原 は 、 この
若い搭乗員は待機室から飛びだした。 と き は じ め て 、ひ ど い 火 傷 を お っ て い る こ と に 気 づ い た 。
「き ょ う は 、 大 海 戦 に な る か も し れ ん 。 ど う や ら こ ん ど 艦 橋 の 中 央 に あ る 伝 令 所 の な か の 伝 声 管 や 、電話機な
は魚雷をだいて飛べそうだぞ」 どの通信装置はつかいものにならず、機関部や注排水指
と 思 っ た と た ん 、森 拾 三 兵 曹 は 、 急 に 腹 が へ っ た 。 腹 揮 所 と の 連 絡 も と れ な い 。 飛 行 甲 板 の 飛 行 機 は 、 めちゃ
が へ っ て は 家 は で き ぬ と 、 ”ず ぅ ず ぅ し ぃ 〃 連 中 は 、 待 めちゃになって燃えている。 三番目の爆弾が、発進準備
機室に用意してあった握り飯にかぶりついた。 のためにならベてあった飛行機に命中したからだった。
そ の と き 、 ド 力 ー ン! というものすごい音響ととも 甲板は大きく裂け、 黒煙と火焰がめらめらとふきだして
に、 艦 が 裂 け た か と 思 わ れ る ほ ど の 震 動 が し た 。 いる。
も の す ご い 爆 風 の た め に 、大 多 和 兵 曹 の 身 体 は 宙 に う と 直 感 し た と た ん 、 ド ヵ ー ン と 大 き な 音 が し 、 山本は
いて、 飛 行 甲 板 か ら 肢 外 に ほ う り だ さ れ て し ま っ た 。 ま

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発 着 艦 指 揮 所 の 甲 板 に あ お む け に た た き つ け ら れ 、後頭
だ 完 全 に 意 識 が あ っ た の で 、 彼 は 両 足 を ち ぢ め 、 両手で 部を強打して気絶した。
し っ か と 膝 を だ き し め た 。 あ た か も 〃 砲 弾 の ょ う な かっ 何 分 た っ た か-- 山 本 が 意 識 を 回 復 し て あ た り を 見 ま
こう" で、 大 多 和 は 海 上 に ほ う り だ さ れ た 。 ポ ヵ ッ と 海 わ す と 、 発 着 艦 指 揮 所 に は も ぅ だ れ も い な い 。山本はた
面 に う い た 大 多 和 の 飛 行 服 の ポ ヶ ッ ト の な か に は 、 成田 だ 一 人 、 艦 橋 に の ぼ る タ ラ ッ プ の 左 舷 に 、 あおむけにな
不動の幸運なお守りがはいっていた。 つ てたおれていたのだ。煙 と 炎 が う ず ま き 、 だれもいな
山本貞雄大尉は、飛行服をつけ、飛行帽をかぶったま いところをみると、 みんなどこかに行ったらしい。
ま、 艦 橋 の う し ろ の 飛 行 機 発 着 艦 指 揮 所 に い た 。 敵 の 爆 「ひ ど い や つ ら だ 。 オ レ ひ と り 、 お き ざ り に し や が つ て
弾が後部 1レ
1 べー タ I に命中し、 ふきんにあった飛行機
が 、 パッと海中にほうり投げられる。残った飛行機は、 山本は、 よぅやく意識がはっきりしてきた。
まっ赤 な 火 を は い て 燃 え は じ め る 。 艦 の 火 災 は な お も ひ ろ が り 、 い よ い よ 猛 威 を たくまし
「消 火 、 消 火 !」 くする。負傷者がつぎつぎにふえ、 ひどい火傷の者、手
と叫びながら、戦闘機分隊長がタラップをかけおりて のない者、 足 の 切 れ た 者 な ど が 、 ぞ く ぞ く かつぎこまれ
ぃった。 てきた。
つ ぎ の 瞬 間 、 爆 弾 が ス ー ッ と お ち て き た 。 山本がジッ 艦橋の近くに一隻のヵッターが吊ってあった。柳本艦
とにらんでいると、高 度千
一メ ^ ~~
トルほどのところで、 長は命令した。
艦橋にかくれて見えなくなった。 「負 傷 者 を ヵ ッ タ I に乗せて、駆 逐 艦 に ぅ つ せ 」
「艦 橋 の 前 に あ た る ぞ !」 定員四十名ほどのヵッタ I に、 二 倍 の 人 間 が 乗 っ て い
る。山本はあおむけになったまま、 緊 張 さ せ て 、 い つ も の 場 所 に 立 っ て 、前 方 を み つ め て い
「あ ぶ な い な あ 、 う ま く お ろ せ る だ ろ う か 」 る 。 五、 六 人 の 士 官 と 兵 員 も 、 ま だ の こ っ て い た 。
と つ ぶ や き な が ら 見 て い た 。 海 面 か ら 五 メ ー トルくら 艦 橋 の 窓 ガ ラ ス は み じ ん に こ わ れ 、煙と炎が吹きこん
いのところで、前 部 の ス ト ッ パ ーをすべ ら せ た の で あ ろ でいる。 艦 長 が 叫 ん だ 。
う か 、 あっというまもなく、 力ッターは艇尾を上にして 「両 舷 、 前 進 原 速 ! 」
大 き く 傾 き 、乗 っ て い た 負 傷 者 は 、 もんどりうって海に 伝 令 が 伝 声 管 に ロをあ て 、 こ れ を 機 械 室 に 伝え ょ う と
投げだされてしまった。 したが、 な か な か 通 じ な い 。 しばらくして、 伝令は 機 械
山 本 は 、起 き ょ う と 、 タ ラ ッ プ の 鉄 棒 を 左 手 で し っ か 室の返事を報告した。
り に ぎ り 、 全 身 の 力 を ふ り し ぼ っ て 立 ち あ が っ た 。 頭は 「機 械 は 故 障 の た め 動 か な い そ う で す 」
ふらふらし、 目はちらついた。 艦 長 は 、 「両 舷 停 止 」 を 命 令 し た 。
両 手 で タ ラ ッ プ を つ か み 、 両 足 に 力 を い れ て 、 やっと そのとき、 火傷のための意識不明からょうやく回復し
立 っ て い た 。 目 がく ら く ら
す る 。 赤 や 黄 色 の 星 が 、 いく た 小 原 副 長 が 、 艦 橋 に の ぼ っ て き た 。 つづいて、 掌 砲 長
つ も い く つも 目 の 前 を 回 転 し な が ら 、 飛 び ま わ っ て い る もやっ て くる。艦長はうしろ を むいて、
ょうに感じられた。 「火 薬 庫 の 注 水 は す ん だ か ?」
と元気な声でたずねた。
し ば ら く 、 じ っ と 立 っ て い る う ち に 、 い く ら か 気分が それまで、 艦長が前方を向いていたのでわからなかっ
よ く な っ た 。山 本 は タ ラ ップに足をかけ、 無意識に艦橋 たが、 このときはじめて、 山本は艦長の顔をじかに見る
にのぼっていった。 こ と が で き た 。 い つ も の 顔 色 と は す っ か り か わ り 、 ひと
そ こ に は 、背の 低 い 柳 本 艦 長 が 、 浅黒い骨ばった顔を 目でひどい火傷をおっていることがわかった。
「海 水 弁 は ひ ら き ま し た が 、 注 水 弁 は わ か り ま せ ん 」 重 傷 の 副 長 と 、後 頭 部 を 強 打 し て ふ ら ふ ら の 山 本 は 、
「そ う か 、 火 薬 庫 に 火 が う つ っ た ら ダ メ だ 」

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ぼつりぼつり話をかわした。
と 、 艦 長 は ひ と り ご と み た い に い っ た 。 そ し て 、 しば 「も う こ う な っ て は 、 艦 長 に 退 艦 し て い た だ こ う 」
らくだまりこんだのち、 ついに最後の決断をくだした。 山本は艦長のところにいった。
「総 員 退 去 !」
「艦 長 、 退 艦 し て く だ さ い 」
伝 令 は 、艦 長 の 命 令 を 拡 声 機 で 艦 内 に く ま な く つ た え 「艦 は ま だ 動 い て い る ぞ っ 。 艦 長 は 最 後 ま で 艦 に と ど ま
る 。 ま だ 、 艦 は わ ず か に 航 進 し て い た 。が 、 数 名 の 水 兵 る 。 君 た ち は 早 く 退 艦 し ろ !」
は、 高 い 飛 行 甲 板 か ら い き な り 海 に 飛 び こ ん だ 。 山本は、副長のところにひきかえした。
山本は、 この命令を聞いても、 ただぼう然と艦橋に立 「副 長 、 艦 長 は 退 艦 し ま せ ん 」
っていた。 や が て 、 大 勢 の 者 が 海 面 に 浮 い て い る の に 気 「も う 一 度 、 お 願 い し て み ろ 」
づいた。 山本は、艦長の左手をしっかとにぎって懇願した。
「そ う だ 、 な に か つ か ま る も の を 投 げ て や ろ う .. 」 「艦 長 、 ど う か 退 艦 し て く だ さ い 。 お 願 い で す … …」
そうつぶやきながら、艦橋の敷板を海に投げこんだ。
柳 本 は 、山 本 の 手 を ふ り は ら い 、 キッとにらみつける
山 本 に は 、 い ま ま で 近 く に い た 者 が 、 いつ、 ど う し て 、 と、
退艦したかもわからなかった。
「艦 は ま だ 動 い て い る じ ゃ な い か 、 わ し は 退 艦 し な い 。
はっと気がつくと、山本は副長とともに、うしろの壁 君 た ち は 、 ま だ こ れ か ら 戦 争 を し な け れ ば な ら な い のだ
のと こ ろ か ら 、艦 橋 の 右 舷 の い つ も の 場 所 に 立 つ 艦 長 を か ら 、 退 艦 し て く れ 、 た の む !」
見つめていた。そのとき、副長は重傷を負っていたのだ と い っ た 。 ついで、 い ち だ ん と 声 を は り あ げ 、 小 原と
が 、山本はそれすら気づかなかった。 山 本 の 顔 を こ も ご も 見 な が ら 、餃 命 し た 。
「す ぐ 退 艦 しろ ! 」 てて、熱 気 を ふ せ ぎ な が ら 、 二人で手すりにつかまって
山 本 ま 、 しよぼしよぼと、 また小原のところにひきか ぉりた。
えした。 そのとき、柳本艦長は艦橋の横にはりだした手旗信号
「ど う し ま し よ う か ?」 台 に 出 て き て 、大 声 で 叫 ん だ 。
「し か た が な い 、 退 艦 し よ う … …」 「い ま か ら 、 陛 下 の 万 歳 を 三 唱 す る !」
3が 、 二 人 は 、 艦 長 を た だ ひ と り の こ し て 退 艦 す る の 艦 橋 の 下 の 海 面 を 泳 い で い た 三 十 人 ほ ど と 、 小原と山
にしのびない。 かれらは、 こもごも最後の嘆願をした。 本が、艦長の万歳の声に唱和した。
「艦 長も 、す ぐ 退 艦 し て く だ さ い 。 お 願 い し ま す 」 山 本は、 ど う し て 海にはいろうかと、 あたりを見まわ
「早 く お り ろ 、 艦 長 の 命 令 だ っ ー .
」 し た 。 さ い わ い に も 、 カ ッ タ ー の 口ー プ が 一 本 見 つ か っ
た。 一 方 の は し を 手 す り に し ば り つ け 、 も う 一 方 を 海 面
にたらした。
五 このとき、 だ れ か が 背 後 か ら 山 本 に だ き つ い て 、
「苦 し い 、 早 く 殺 し て く れ っ ー .

と さ けんだ。 山 本 が ふ り か え っ て 見 る と 、 全身にひど
二人がぅしろを見ると、す で に 赤い炎が、飛 行 機発着 いやけどをおったすっぱだかの兵隊である。
艦 指 揮 所 をなめていた。もはや、 タラップからはおりら 「お 刖1は、 何 分 隊 の も の だ ?」
れない。 「第 十 二 分 隊 (艦 上 爆 撃 機 整 備 分 隊 ) の〇 〇 で す !」
艦 橋 の 前 も 火 の 海 と な っ て い る 。海に面した手すりの この兵隊はあえぎながらたずねた。
と こ ろ だ けが、安 全 で あ る 。山 本 は 、飛行服のエリを立 「敵 機 は 、 全 部 う ち お と し ま し た か ?」
「全 部 う ち お と し た 、 安 心 しろ ! 」
山本は、飛行服と、 その下に着ていた軍服と飛行靴を
兵隊はにこりとほほえむと、静かに息をひきとった。 ぬぐと、 ロープにつかまって海面におりた。
水にはいって泳ぎだすと、靴 下 は し ぜんにぬげた。そ
「副 長 、 ロ ー プ に つ か ま っ て く だ さ い 。 し っ か り 、 に ぎ ば に 、若 い 搭 乗員がいたが、 山本はこの兵隊をはげまし
るんですょ」 ながら、 二人で駆逐艦のほうに泳いでいった。
小原はロープをにぎったが、どうしたことか手をはな
海 は 静 か だ っ た が 、 大 き な ゥ ネ リ が あ っ た 。 ゥネリの
し、 へ た へ た と デ ッ キ に す わ り こ ん で し ま っ た 。 山 に の ぼ れ ば 、 艦 が す ぐ 後 ろ か ら 自 分 に お い か ぶ さるよ
「お れ は 、 も う 力 が な い … …」 う に 感 じ ら れ た が 、 近 く に 泳 い で いる者 が 、 手 に と る よ
山本はこのときはじめて、副長の負傷がひどいことを う に 見 え る 。 ゥ ネリの谷 に は いると、 なにひとつ見えな
知り、 これは大変だと思った。 い。 び ょ う ぼ う た る 海 の な か に 吸 い こ ま れ る よ う な 、 な
そこで山本は、海面にたらしたロープをたぐりあげ、 んとも表現のできない孤独惑におそわれる。
小原のからだをしばって静かにおろした。 そのとき、艦 しばらくして、山本は駆逐艦の力ッターにはいあがっ
長がまた手旗信号台に姿をあらわした。
た。小 原 は 海 に お り て 木 片 に つ か ま る と 、 また意識を失
「小 便 を す る ぞ 」 ってしまい、 長 い あ い だ 漂 流 し た の ち に 、 カ ッ タ ー に ひ
と い っ て 、 骨 ば っ た 浅 黒 い 顔 を ほ こ ろ ば せ 、 いかにも ろいあげられた。
気 持 よ さ そ う にゆ っ く り 用 を た し た 。 そ し て 、 ふ た た び 山 本は、駆 逐 艦 の 甲 板にあがったとき、
炎 の 艦橋にはいっていった。 それは、山本が見た柳本艦 「す ぐ 後 部 へ い っ て 手 当 て を う け て く だ さ い 」
長の最後の姿だった。 と V わ ^ た。
「わ し は 、 ど こ も 負 傷 し て い な い よ 」
「顔 が ひ ど い や け ど で す 」 は水雷長室のソファ I の上で、 ものすごい爆発音に目が
「そ う か .. 」 さめた。水雷長が飛んできて知らせた。
衛 生 兵 曹 が 顔 い っ ぱ い に 薬 を ぬ っ て く れ た 。 ぬれた服 「お い 山 本 っ 、 蒼 龍 が 沈 ん で い る ぞ ! 」
を ぬ い で 、 機 関 兵 の 作 業 衣 に 着 か え て 、 ほっとしたとた 山本は、あわてて起きあがり、 絃窓からのぞいた。だ
ん に 、 山 本 は 一 度 に 全 身 の 力 が ぬ け て し ま い 、 もう立つ が 、 『蒼 龍 』 は そ の 反 対 側 だ っ た の で 、 な に も 見 え な か
ことができない。 った。
艦 橋 の 下 の 水 雷 長 室 に か つ ぎ こ ま れ 、 ソファーの上に そ の と き 、駆 逐 艦 の デ ッ キ に 立 っ て ぽ ぅ ぜ ん と 、愛す
ね か さ れ た 。 頭 が わ れ る ような感 じ が す る 。 る 艦 の 最 後 を 見 守 っ て い た 乗 組 員 の 類 に は 、 熱い涙がと
めども な く 流 れ て い た 。
『蒼 龍 』 の 火 勢 は や や お と ろ え た が 、 い つ ま で も 燃 え つ どこからともなく、
づけ、ときどき思い出したように爆発をくりかえした。 「蒼 龍 万 歳 ! 」
駆 逐 艦 は 、 この悲運の空母の周囲を、ゆっくりまわりな と い ぅ 叫 び 声 が し た 。 そ の 声 に 和 し て 、 全員が声をふ
が ら 、なおも護衛をつづけた。 りしぼって、
や が て 、 日 没 と な っ た 。美 し い 夕 陽 が 、 き ょ う の 惨 劇 「蒼 龍 万 歳 ! 蒼 龍 万 歳 —… … .

を 知 らぬげに、東太平洋のしずかな海面を赤くそめてい と絶叫する。
る0 艦 尾 か ら 沈 ん だ 『蒼 龍 』 の 艦 首 は 、 ほ ん の 一 瞬 間 、 上
突然、 駆逐艦が、 ぶるぶると震えるほどの大爆発が起 空にそびえ立ち、あたかも乗組員に永別を告げるかのょ
こつた。真 赤 な 火 柱 が 、 た そ が れ の 天 を こ が し た 。 ぅであった。

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空 母 『蒼 龍 』 は、 艦 尾 か ら 静 か に 沈 み は じ め た 。 山 本 そ し て 、 つぎの瞬間、 最 後 ま で 艦 橋 に ふ み と ど ま っ た
柳本艦長とともに、東太平洋の波間に消えていったので つつ火定に入ったのは有名な話である。

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ある。 空 母 『蒼 龍 』 艦 長 の 柳 本 柳 作 は 、 ミ ッ ド ゥ ュ ー 海 戦 の
それは、 昭和十七年六月五日午後七時十三分のことで さい、 燃 え さ か る 艦 橋 の 火 焰 の 中 に た だ 一 人 、 あたかも
あった。 不動明王のごとく泰然自若、 艦の守護神ともいぅ べ き コ
ンパスのかたわらで火定に入ったのである。
日本海軍士官の揺籃の地であった広島県江田島の旧海
六 軍兵学校 I 現 在 は 海 上 自 衛 隊 の 幹 部 候 補 生 学 校 と 第一
術 科 学 校 に な っ て い る —— に 教 育 参 考 館 が あ る 。古代ギ
リ シ ャ の 最 古 の 神 殿 .へ ラ 宮 殿 に な ら っ た と い わ れ る 六
仏 教 、 と く に 禅 で は 、 修 行 を つ ん だ 偉 い 人 は 、 その命 本 の 花 阔 岩 柱 の あ る ク ラ シ ッ ク な こ の 建 物 は 、 かつては
のおわるのをみずからさとり、 いろいろの状況に応じて 兵 学 校 生 徒 の 、 そ し て 今 日 で は 、苜 衛 隊 員 の 精 神 教 育 の
泰 然 と し て 死 ん で 行 く と い わ れ る 。立 っ た ま ま 死ぬのを 殿堂になっている。
立 亡 と い う 。 衣 川 の 戦 に お け る 武 蔵 坊 弁 慶 の 最 後 が それ この由緒ある殿堂のなかに、火焰におおわれた柳本柳
であ る 。 坐 禅 を く ん だ まま静 か に世を去るのを坐脱とい 作の木像 I 火 焰菩薩^ ^ か、護国の鬼と化した烈士た
う 。 剣道の達人山岡鉄舟の最後が、 これであるという。 ち の 遺 品 な ど と と も に 安 置 さ れ 、 こ こ を おとずれる人を
燃えしきる火焰のうち に 悠 然 と し て 死 ん で 行 く の を 、》 し て 粛 然 襟 を た だ さ せ 、大 き な 感 銘 を あ た え て い る 。
定 に 入 る と い う 。 天正十年、 甲斐の慧林寺が織田信長の 柳 本 が 禅 道 に こ こ ろ ざ し た の は 、 大 尉 時 代 の ことであ
軍 勢 に よ っ て 焼 き 討 ち さ れ たとき 、 住 僧 の快川国師は火 り、 鎌 倉 円 覚 寺 の 古 川 堯 道 老 師 に つ い て 学 ん だ 。 また、
中 に 端 坐 し 、 「心 頭 を 滅 却 す れ ば 火 も 亦 涼 し 」 と と な え 柳 本 は 、 寺 本 武 治 海 軍 少 将 に も 師 事 し た 。 そ し て 、 とき
に は 、 父 子 と も ど も に 組 太 刀 や 書 道 を 習 い 、 また四男に 上する艦橋に立ちつくした柳本艦長の姿をものした木像
は 、 寺 本 の 名 前 に あ や か っ て 「武 治 」 と 名 づ け た ほ ど 、 ニ 体 を 製 作 し 、 こ れ を "火 焰 菩 薩 " と 名 づ け 、 そ の 一 体
寺本先生を尊敬した。 を 故 人 の 郷 土 の 松 浦 史 料 館 に 、他の一体を先生の座右に
こ の 寺 本先生は、海軍士官としては特異の存在であっ 安 置 し 、明 け 暮 れ 礼 拝 し て お ら れ た 。
た 。 かれは、統師に 関 す る 学 者 で あ り 、 わが国の古兵書 先 生 の と こ ろ に あ っ た 木 像 が 、先 生 の 死 後 、 その蔵書
『闘 戦 経 』 研 究 の 権 威 で も あ っ た 。 終 生 、 大 楠 公 を 敬 慕 と と も に 海 上 自衛隊に寄贈され、現在、 江田島の教育参
し、その遗跡の整理につくした功績は大きい。 考館に安置されている」
また、 先 生 は 、 山 岡 鉄 舟 の 無 刀 流 の 正 統 を つ ぎ 、 晩年 この火焰菩薩の木像の台木には、
ま で 修 業 を つ づ け た 。大 正 十 五 年 、 海 軍 中 佐 で 海 軍 大 学 「護 国 神 」
校 の 教 官 に な っ て か ら 、終 戦 ま で の 十 四 ク ラ ス と 、戦後 ときざ ま れ て い る 。それは、東太平洋の海底ふかく、
も 死 に い た る ま で 、海上自衛隊幹 部 学 校 の 四 ク ラ ス の 学 「護 国 の 神 」 と し て し ず ま る 柳 本 艦 長 に ほ か な ら な い 。
生 に 、統 帥 学 を 講 義 し た 。筆 者 も 、海軍大学校学生時代 この木 像 の わ き に は 、 柳 本 の 筆 に な り 、 か れ の 畢 生 の
に、 先 生 の 教 え を う け た 一 人 で あ る 。 祈 願 で も あ っ た 『七 生 報 国 』 の 文 字 を 刻 し た も の が お い
寺 本 先 生 の 高 弟 で あ る 元 海 軍 大 佐 詫 間 力 平 は 、 「火 焰 てある。
芏ロ薩」 の 由 来 に つ い て 、 つ ぎ の ょ う に 語 っ て い る 。 伝統と詩の島といわれる長崎県平戸に生まれた少年時
「先 生 は 、 柳 本 少 将 に 大 き な 期 待 を か け て い た 。 『蒼 龍 』 代 の 柳 本 柳 作 は 、 堅 忍 不 抜 、刻苦勉 励 の 八 文 字 に 象 微 す
に お け る 柳 本 艦 長 の 壮 烈 な 戦 死 の 報 に 接 し た と き 、 深く る こ と が で き 、 そ れ は 生 涯 を 通 じ て か れ の 特 徴 で もあっ
う な づ か れ る と こ ろ が あ っ た 。 そ こ で 、 故 人 の 郷 土 (長 た。柳 本 が あ こ が れ の 江 田 島 の 校 門 を く ぐ っ た と き の 校
崎 県 平 戸 〕 の 彫 刻 家 に た の み 、 『蒼 龍 』 が 沈 ん だ と き 炎 長 有 馬 良 橘 中 将 (の ち 大 将 ) が し め し た 海 軍 兵 学 校 の モ
ヅ ト ー は 、 「斃 れ て 後 已 む 」 で あ っ た 。 柳 本 生 徒 は 、 こ

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の 標 語 の 精 神 を 会 得 し た 。 いや、 さ ら に そ れ を こ え て 、
「黯 れ て 後 已 ま ず 」
の 境 地 ま で 体 得 す る ょ ぅ になる。
後 年 、柳 本 が 大 楠 公 に 私 淑 す る に お ょ ん で 、 これは、
『七 生 報 国 』 の 大 精 神 に ま で す す ん だ の で あ る 。
柳本柳作の墓は、平戸市の北郊、 ザビュルの墓の上、
台 地 の 頂 上 に 東 を 向 い て 建 て ら れ て い る 。 東 の 方 、 陛下
の い ま し ま す 皇居、 伊 勢 神 宮 、 大 楠 公 を ま つ る 湊 川 神 社
を は る か に の ぞ ん で 、柳 本 は 永 遠 に 静 か に 眠 っ て い る 。
多聞 (第 二 航 空 戦 隊 司 令 官 )
加山
来ロ

止男 (空 母 『飛 龍 』 艦 長 )
あった昭和十七年六月のミッドゥ 丨 海 戦 の さ い 、 戦場

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に お け る 両 軍 の 指 揮 官 は ,と も に 小 柄 の 〃 黒 靴 提 督 " だ
った。
日 本 側 は "水 雷 屋 〃 の 南 雲 忠 一 中 将 、 方
I 、 アメ リ カ
,ス プ ル ー ア ン ス 少 将
側 は "大 砲 屋 " の レ ィ モ ン ド . <3
ア メ リ ヵ 海 軍 に 、 "ブ ラ ッ ク .シ ユ ー ズ .ア ド ミ ラ ル " である。
と "ブ ラ ウ ン 鲁 シ ュ ー ズ .ア ド ミ ラ ル " と い う 言 葉 が あ 南 雲は、 水雷戦術については権威といわれ、 その態度
る 。 こ れ を 文 字 ど お り 訳 す れ ば "黒 靴 の 提 督 " と "赤 靴 や言葉からうける感じはブルドッグみたいであるが、部
の提督"ということになる。 下の〃飛行機屋" には小心翼々の人とみられ、
黒 靴 は 、 ア メ リ ヵ 海 軍 士 官 の 冬 の 軍 服 の "正 式 " の 靴 「う ち の 長 官 (南 雲 中 将 ) は だ め だ よ 、 水 雷 屋 だ も の …
だ か ら 、 赤 靴 を は く も の は 服 装 違 反 、 つまり異端者なの … 」
である。 と 、あまり評判はかんばしくなかったらしい。
こ れ を も じ っ て 、 黒 靴 の 提 督 は 「伝 統 的 な 兵 術 思 想 の スプ ル — ア ン ス は 、 ミ ツ ド ゥ =1海 戦 の 直 前 、 ひどい
持ち主」 I ひ ら た く い え ば 「大 艦 巨 砲 主 義 の 提 督 」 と 皮膚病のために入院した米海軍航空はえぬきの闘将であ
な り 、 赤 靴 の 提 督 は 「非 伝 統 的 」 1 い い か え れ ば 「航 り 、 "猛 牛 " の 異 名 で 有 名 な ゥ ィ リ ア ム .卩 , ハ ル ゼ I
空 第 一 主 義 の 提 督 」 と い う ことになる。 中将の後任として、 ミ
-1 ッ ツ 長 官 か ら 抜 擢 さ れ た 。 思 慮
おもしろいことに、 米太平洋 艦 隊 司 令 長 官 -
一ミッツ提 ぶ か く 、慎 重 で 、 謙 虚 な ス プ ル ー アンスは、 衝動的 で 派
督 の 言 葉 を か り れ ば 、 「十 六 世 紀 の 末 期 、 日 本 の 水 軍 が 手なハルゼーとは性格的にはひじょうに対照的であった
朝 鮮 の 李 舜 臣 の 軍 勢 に 破 れ て い ら い 、最 初 の 大 敗 北 」 で が 、 よ く ニ ミ ッ ツ の 期 待 に こ た え た 。 戦 争 中 、 アダナを
つ け る こ と の 好 き な 米 海 軍 の 水 兵 た ち は 、 彼 を "ち ゃ ぼ " ことなく、 山 ロ 多 聞 中 将 を お し た い 。
(小 柄 で 威 勢 の い い 人 ) と 呼 ん で い た 。 そ れ に は 、 い ろ い ろ な 理 由 と 根 拠 が あ る が 、 ここでは
もしも、 ミッドゥュー海戦が、南雲中将の代わりに、 それにふれないで筆をすすめる。
「ニ 航 戦 (第 二 航 空 戦 隊 の 略 称 ) 司 令 官 は 偉 い ね … …」 まず山本と山ロを比べてみよう。
と部下などから敬愛されていた山ロ中将を指揮官として 山ロは、山本より八期後輩で、大正元年に海軍兵学校
戦われていたならば、 その結果はどうなっていただろう を 卒 業 し た 。 山 本 は 小 柄 だ っ た が 、 山 ロ は 体 軀 堂 々 "牛
か? おそらく、 異なったものになっていたかもしれな 飲 馬 食 を 辞 せ ず "と い っ た 酒 豪 で あ り 、大食漢でもあっ
い、 と 考 え る の は 、 山 ロ を か い か ぶ っ た こ と に よ る ヒ ガ た。 む ろ ん 山 本 も 若 い こ ろ は 健 啖 家 だ っ た 。 山 本 は 、 相
メだろうか? 手を ジ ロ ジ ロ み な が ら 、痛烈、 骨 を さすような皮肉や毒
舌 を ふ る っ た り 、 人 を く っ た 揶 揄 と 諧 譴 をとば し た が 、
そ れ は と も か く 、 〃 黒 靴 か ら 転 向 し た 赤 靴 提 督 " を日 山ロには、 こうしたことはみられなかった。
本 海 軍について考えてみれば、 だれがそれにあてはまる しかし、豪毅で、 その信念に徹し、冷 静にして沈着、
だろうか。 述べるところは大胆で、歯に衣をきせない I といった
読者はおそらく、 まず第一に山本五十六大将をあげる ことは、 二 人 に 共 通 し た 特 徴 の 一 つ で あ る 。
だ ろう。 私もそう考 え る し 、 この人選には異存がないと ハヮィ作戦後に、 ニ段進級の件が問題になったことが
思 う 。山 本を、第一人 者 I 横綱と衆議が一決したとし ある。 ど の 部 隊 で も 、 一人でも多く自分の隊から出そう
て、 さ て 、 つ ぎ の 大 関 格 の 提 督 は だ れ だ ろ う か ? というので競い合いになり、 かんじんの武勲の内容のほ
これは、 横 綱 の 人 選 ほ ど 容 易 で な く 、 人 に よ っ て 見 解 うは、 おきざりにされかけたことがあった。 その席上、
がわかれるかもしれない。 だが、私は、なんらためらう 第二航空戦隊司令官の山ロは、とつぜん宣言した。
「ニ 航 戦 は 、 一 人 も ニ 段 進 級 せ ん で も ょ ろ し い 。 わ れ わ

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れ は 国 家 の た め に 戦 っ て い る 。 ニ段進級のために戦ぅの そ の ほ か に も 、 二 人 は ょ く 似 て い た 。 そ れ は "訓 練 の
ではない」 鬼 "と い わ れるほど、文字どおり日夜の猛訓練に精進し
そぅ言いすてると、 ブィと横を向いてロをふくらませ た。
た。
.ほ か の 司 令 官 た ち も 、 い ち ど に シ ラ け て だ ま っ て し 航 空 戦 隊 司 令 官 と し て の 山 本 は 、 航 空 が 将 来 、 戦いの
まつた。 も っ と も 主 要 な 地 位 に 立 つ ことを実 証 し 、 航 空 戦 隊 の 実
山 本 と 山 ロ は 、 青 年 士 官 の と き ア メ リ カ の 大 学 —— 山 力を現実にしめすために、ずいぶんはげしい訓練を励行
本はハ I バ ー ド 、 山 ロ は プ リ ン ス ト ン —— で勉強し、大 した。 と く に 、 夜 間 飛 行 の 能 力 を 躍 進 さ せ る た め に は 、
佐時代には大使館付武官としてヮシントンに駐在し、帰 わざわざ夜間飛行専門の士官を命じたほどであった。
国 す る や 巡 洋 艦 『五 十 鈴 』 の 艦 長 に な っ た 。 快 晴 の 初 夏 の あ る 日 の こ と 、 旗 艦 『赤 城 』 の 上 空 で 、
両 提 督 と も 、 は え ぬ き の 〃 飛 行 機 屋 "(航 空 の 専 門 家 ) 戦 闘 機 が ニ ひ き の 蝶 の ょ ぅ に 、空中戦の練習に余念がな
ではない。 山本 は 、も と も と 〃 砲 術 屋 "だった が 、大佐 かった。 たまたま、艦上からこれに見ほれていた来客の
で 、霞 ヶ 浦 海 軍 航 空 隊 教 頭 時 代 か ら 本 格 的 に 航 空 に 専 念 一人が'
し 、 つ い に "海 軍 航 空 の 育 て の 親 " と な っ た 。 "潜 水 艦 「じ つ に ゥ マ ィ も の だ ! 」
屋 " の 山 ロ が 航 空 に 転 じ た の は 少 将 の と き で あ り 、 昭和 と 、空 中 べ ー ジ ュ ン ト で も 見 物 す る 軽 い 気 で ほ め た 。
十四年に中国戦線の航空部隊司令官になってからであつ す る と 、深刻な表情にかわった山本は、
た。 そ の こ ろ の 山 ロ は 、 とう じ 海 軍 次 官 だ っ た 山 本 が 、 「遊 び ご と と 見 て も ら っ て は 困 る 。 あ あ や っ て 、 上 空 か
人材にとぼしかった海軍航空におくった俊英の一人であ ら真っさかさまに急降下すると、肺臓が内出血をおこし
る。 て、 若 い 命 を ち ぢ め て い く 。 人 の 子 を あ ず か っ て い て 、
あ ん な こ と を や ら せ る の は し の び な い こ と だ が 、 国のた 日華事変中、山ロが中国の基地で連合航空隊を指揮し
めだと思って、 やむをえずがまんしてやらせているのだ ていたとき、 猛訓練と猛攻撃のため、必要以上の犠牲者-
を 出 し た と い う 悪 評 が 立 っ た 。 しかし、彼 は 、 むやみに
と、その衷情を語り、聞く人をして襟をたださせた。 精 神 力 を 強 調 し て 攻 撃 一 点 ば り に 終 始 し 、 いたずらに犠
山ロの猛訓練は、海軍のなかでもとくにはげしいもの 性 の 多きを誇るたぐいの凡将ではなかった。 明敏な頭脳
だった。第二航空戦隊司令官のとき、飛行機の搭乗員た と 冷 静 な 観 察 に よ っ て 、物 ご と を 客 観 的 に 判 断 し 、 自 分
ち は 司 令 官 に 、 「多 聞 丸 」 と い う ア ダ ナ を つ け て い た 。 の信念が正しいとみ と ど けるや、果断に決行する戦闘精.
「多 聞 」 は 山 ロ の 名 で あ り 、 「丸 」 は 丸 ま る と し た 肥 軀 神の持ち主であった。
を形容したものらしい。 開 戦 の 年 、 昭 和 十 六 年 の 夏 の こ と だ っ た 。 日米関係が'
艏隊航空基地 の あ る 九 州 の 鹿 屋 に 、う ま い すき焼きを ま す ま す 緊 迫 の 度 を く わ え て き た の で 、 わが連合艦隊の
食 べ さ せ る 「あ み 屋 」 と い う 肉 屋 が あ っ た 。 こ の 肉 屋 の 練 度 も よ う や く 最 高 潮 に たっし、夜 間 訓 練 の 内 容 も充 実
主人が、山口にょくにていた。丸まるとつきでた太鼓腹 されつつあった。
や、 丸 く は げ あ が っ た 頭 な ど が 、 山 ロ そ っ く り だ っ た 。 そ の こ ろ 、 夜 間 攻 撃 隊 の 飛 行 機 は 触 接 隊 の 投 下 す る照
搭乗員の士官たちは、 このオャジに多聞丸の名を献上し 明弾によって目標を魚雷攻撃できたが、 目標隊が探照灯.
た 。 そ し て 、 夜 間 訓 練 で 目 が 見 え な く な る ほ ど 、 山ロの で 攻 撃 機 に 目 つ ぶ し を く ら わ し た 場 合 、 はたして攻撃で
猛訓練でしぼられた夜は、 き る か ど う か と い う 問 題 に ぶ つ か っ た 。当 時 の 艦 上 攻 撃
「お い 多 聞 丸 、 よ く も お れ た ち を い じ め や が つ た な 」 機 の 操 縦 装 置 は 自 動 化 さ れ て い な か っ た の で 、 それはひ
と 、 そ の ハ ゲ 頭 を び し や び し ゃ た た い て 、うつ憤をは じょうに危険をともなうものであった。

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らすのであった。 この攻 撃 法 の 採 否 に あ た っ て 、 山 ロ 司 令 官 は み ず か ら
攻搫機に乗り、探照灯で目つぶしをくらったときの操縦 「多 聞 丸 は 、 や は り 話 せ る よ 」

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の安全性をジヵにたしかめた。 こうしたことからも、す 「
う ち の 司 令 官 は 、 し ぽ る と き は し ぽ る が 、 かわいがる
ぐれた指揮官としての山ロの一端をうかがうことができ か らなあ。航空っていうものを知つとるよ」
上う0 と 、あちこちで、 こんなささやきが聞かれた。
昭 和 十 七 年 二 月 、 ォーストラリア北岸の要衝ポート丨
ダ ー ゥィンを空 襲 す る こ と に な り、作 戦 会 議 の 席 上 、 ハ
ヮイ作戦にならって、停泊艦船を魚雷で攻撃したらどう ニ
か、 と い う 意 見 が 出 た 。 この攻 撃 を 主 任 務 と す る 基地航
空隊の司令官も、
「ぜ ひ 、 や っ て い た だ き た い 」 こ の "多 聞 丸 " は、 明 治 二 十 五 年 に 誕 生 し た 。 父 が こ
と 希 望 し た 。 が 、 山 ロはが ん と し て 首 を 横 に ふ っ た 。 の 子 に 、 「多 聞 」 と 命 名 し た の は 、 い ま ょ り 六 百 余 年
則;!
「そ う は い つ も 問 屋 が お ろ さ な い 。 ハ ヮ イ 攻 撃 は 奇 襲 だ の南北朝 の む か し 、神 戸 の 湊 川 で 討 死 し た 楠 木 正 成 の 忠
つたから、 さ い わ い 成 功 し た 。 む ず か し い の は こ れ か ら 誠 を し の び 、 そ の 幼 名 「多 聞 丸 」 に あ や か っ た の だ と い
だ 。すぐ攻撃強行というが、 それで消耗するのは搭乗員 50
だ。空母には敵の機動部隊をたたく本来の任務がある。 父宗義は松江藩士、 明治三年ごろ藩から選抜されてい
泊地雷撃などで、 かわいい部下をみすみす殺したくはな ま の 東 京 大 学 の 前 身 の 学 校 に は い り 、卒業後は大蔵省の
官 吏 と な る 。 日清戦争後、宗 義 は 台 湾 総 督 府 の 財 務 部 長
これで泊 地 雷 撃 は 、 さ た や み に な っ た 。空 母 の 搭 乗 員 となり、晚年は日本銀行の理事をつとめた。
たちは、 これをもれ聞いて、 司令官を大いに信頼した。 母貞は肥前小城藩の士族の女で、慈愛深かったが、 于
供のしっけ教育にはひじょうに厳格であった。 山ロは司令官時代でも、冬になっても厚いシャッを着
多聞少年は開成中学にまなんだ。 その当時、攻玉社中 な か っ た 。だが 、彼 は 、真冬に夏の肌着を着ているのを
学 が 海 軍 志 願 者 の 予 備 校 み た い で あ っ た よ う に 、 開成中 他人に見られるのが恥ずかしかったらしく、
学は陸軍志願者が多く入学する学校であり、規律は陸軍 「僕 は 宿 屋 に 行 っ た と き 、 ち ょ っ と 恥 ず か し い よ 」
式できびしかった。 と 、幕 僚 に じ ょ う .
たんを言ったことがある。
こうした薄 着 の 理 由 に つ い て 、 山 ロ は つ ぎ の よ う に 語
本郷の自宅から神田の学校まで、多聞少年は雨の日も
雪 の 日 も 、乗物によらず歩いて通学し、どんな寒い日で っている。
も 外 と う を 着 た こ と が な か っ た と い う 。 "せ ん だ ん は 双 「
大 尉 の こ ろ 、 ア メ リ ヵ の 大 学 で 学 ん で い た と き 、 あち
葉 よ り !^し" と い う が 、 彼 の 生 来 の "頑 張 り 屋 " の 片 鱗 ら の 学 生 と 起 居 を と も に し た 。彼らは真冬でも窓の下の
があらわれている。 ほうを少しあけて寝るし、 下着も半袖とみじかいパンッ
こ の "頑 張 り 屋 5は 、 年 と と も に 大 成 し て い っ た 。 だけだったので、僕も負けん気をだして真似したら、 そ
大 佐 で 海 軍 大 学 校 教 官 の と き だ っ た 。彼 は 、福井県下 れが習慣になったのだよ」
で 行 な わ れ た 陸 軍 特 別 大 演 習 を 陪 観 し た 。 これは金沢の あ る 日の 昼 食 の と き だ っ た 。 石 黒 参 謀 は 、司令官 の 左
第 九 師 団 と 善 通 寺 (四 国 ) の 第 十 一 師 団 の 対 抗 演 習 で 、 隣 り で 食 事 し て い た 。 い つ も テ ー ブ ル マ ナ — のいい山ロ
福井県九霞蓿川畔で天皇が統裁されたものである。 が 、 食 器 を が ち ゃ が ち ゃ さ せ て 食 事 を し て い る 。 石黒が
山 ロ 大 佐 は 、 騎 馬 で 金 沢 師 団 と 行 動 を と も に し 、 山河 ふ し ぎ に 思 っ て 司 令 官 の 顔 を 見 た と き 、 山ロはにやっと
を 1'奶 し た 。 こ の 行 軍 は 、 騎 兵 将 校 に と っ て も か な り の して言った。
強 行 軍 で あ っ た が 、彼は最後ま で よ く 頑 張 り と お し 、陸 「石 黒 君 の 食 事 が 早 い の で 、 な に く そ 負 け る も ん か 、 と
や っ て み た の だ … …」
軍部隊の将兵をおどろかせたという。
そ れ は 司 令 官 の "負 け ん 気 " で は な く 、 自 分 に 対 す る "頑 張 り 屋 " に と っ て は 、 身 体 が 強 健 で あ る こ と が 必 要

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注意だと感じた石黒は、 それからできるだけゆっくり食 条件である。
ベ る ょ ぅ 心 が け た が 、 生 来 の 早 食 い の ク セ はなかなかな 山 ロ は 体 力 に は 自 信 が あ っ た が 、 よく鍛練にもっとめ
おらなかった。 た。 艦 長 時 代 も 司 令 官 の と き で も 、 艦 隊 の 寄 港 地 で は 、
昭 和 十 六 年 夏 、 山 ロ 少 将 の ひ き い る 第 二 航 空 戦 隊 (空 若い士官といっしょに山登りやハィキングなどを楽しん
母 『蒼 龍 』 『飛 龍 』) は、 南 部 仏 印 作 戦 を 支 援 し た 帰 途 、 だ。 そ し て 、若 者 が ま い っ た と き で も 、 山ロはいつもシ
海南島で糧食を補給した。 めぼしい魚がなかったので、 レッとしていた0
小鯛がいっぱい積み込まれた。 空 母 の 飛 行 甲 板 で も 、 よ く ゥ ォ ー キ ン グ や 、 ナヮとび
さ っ そ く 鯛 の 塩 焼 き に 、 一 同は、 舌 I が 打 っ た 。 しか をしている山ロの姿がみられた。
し 、 く る 日 も く る 日 も 、 朝 か ら 鯛 の 料 理 -- 。 ある日のこと、 石黒がそれを、 じっと見つめていた。
南 シ ナ 海 の 鯛 は 、 あ ま り 味 が ょ く な い 。 し か も 、朝 、 あの巨体の山ロが、 じつに軽がるとナヮとびをしてい
昼 、 晚 と 、 鯛 一 色 。 コックは知 恵 を し ぼ っ て 鯛 ら しくな るのに刺激された石黒が、
く 見 せ る が 、 ひとくち食 べ れ ば す ぐ ば れ る 。 「な に ク ソ 、 俺 だ っ て で き る よ ー .」
ま ず 最 初 に 、 航 空 参 謀 が 悲 鳴 を あ げ た 。 ほかの幕僚た と 奮 起 し た ま で は よ か っ た が 、 日ごろやっていなかっ
ちも、 つぎつぎにまいった。 た の で 、 少 佐 の 石 黒 が 、少 将 の 山 ロ に ど ぅ し て も か な わ
山 ロ 司 令 官 は 、最 後 ま で 一 言 も 不 平 を い わ な か っ た 。 なかった。
だが、 よほどこたえたらしく、佐世保に入港したのち、
「あ い つ に は 、 ま い っ た な あ 」 山 ロ 大 佐 が 巡 洋 艦 『五 十 鈴 』 の 艦 長 時 代 、 筆 者 は こ の
と 、 一言もらすのであった。 艦の航海長であった。
そ の こ ろ 、 第 一 潜 水 戦 隊 の 旗 艦 だ っ た 『五 十 鈴 』 は、 し ば ら く し て 、 私 は 小 松 司 令 官 に 呼 ば れ た 。 0少 尉 の
"貴 族 I " と い う 異 名 を ち ょ う だ い し て い た 。 司令官の 成績にかんすることであったのはいうまでもない。
侯 爵 小 松 輝 久 少 将 と 乗 組 の 侯 爵 0少 尉 が と も に 皇 族 の 出 「航 海 長 、 な ん と か な ら な い か 」
身であったからだ。 「じ つ は 艦 長 と も よ く 相 談 し た 結 果 、 こ う な り ま し た 」
当時は、初級士官教育規則というものによって、中、 「そ う か 、 だ が … …」
少 尉 の 「尉 官 検 定 」 の 成 績 を 、 海 軍 省 に 報 告 す る こ と に 司令官の気持は、 よくわかる。
なっていた。 「も う 一 度 、 艦 長 に 相 談 し て み ま す 」
この検定は、信 号 書 の 使 用 法 、 手旗信号と発光信号な と 、私は答えて司令官室を辞去したが、 ゥソを報告す
ど 、初級士官の実務に直接関係のあるものについて行な る よ うな 艦 長 で は な い 。 い っ た い 、 い ま ま で の 教 育 は ど
われる。私はその指導官を命じられた。 う し てい た の か 、 と 自 問 す る と き 、 兵 学 校 や 練 習 艦 の 当
と こ ろ が 、 ど う し た も の か 、兵学校と練習艦時代の成 事者の 凤!
無! 任さが、 は ら だ た し く 感 じ ら れ て な ら な い 。
績 は "優 秀 " で あ っ た 0少 尉 の 出 来 が ひ じ ょ う に 悪 い の そ れ は と も か く 、 こ ん な 報 告 を 提 出 す る の は 、 おそら
におどろいた。あ り の ま ま に 報告してよいものか、と私 く山ロ艦長が最初であろう、と思うとき、私は艦長から
は は た と 当 惑 し た 。 し か し 、 小 乗 的 な 同 情 は 、 かえって 無 言 の 教 育 を う け て い る の だ 、と ひ し ひ し と 胸 に こ た え
本人のためにならないので、私は山ロ艦長の決裁をあお た。
いだ。 そ れ か ら の 艦 長 は 、 ほ と ん ど 毎 日 の よ う に 0少 尉 を 艦
艦長は、 しばし沈思黙考、 やがて静かに、 長 室 に 呼 び 、 海 軍 士 官 と し て の 訓 育 や 、 部下統御などの
「成 績 ど お り で よ ろ し い 」 精神教 育 に 余 念 が な か っ た 。 また私は、艦長の命をうけ

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と、 断をくだした。 て 、 0少 尉 に た い す る 実 務 の 特 別 教 育 に は げ ん だ 。
「う ち の 砲 術 長 は 、 ど う か し て い る ぞ 」
タ ッ タ カ ,タ ッ タ 丨 、 タ ッ タ カ ,タ ッ タ ...

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「ほ ん と の 体 操 キ チ ガ ィ だ よ 」
という信号兵の吹く行進ラッ。
ハ が 『五 十 鈴 』 の 艦 上 に 「だ が 、 艦 長 も 艦 長 だ … …」
こ だ ま す る 。 見 れ ば 、 この勇 壮 な リ ズ ム に あ わ せ て 総 員 兵 隊 た ち は 、 砲 術 長 を "体 操 気 狂 い " と き め つ け 、 こ
が 体 操 を や っ て い る 。 それは、当時の艦隊における珍風 の気狂い砲術長の意見に同意した艦長の態度をいぶかっ
景 だ っ た 。 そ の 張 本 人 は 、"体 操 気 狂 い " と い わ れ た 砲 た。
術長堀内豊秋少佐である。 そ こ で 、砲 術 長 は 一 策 を 案 じ た 。
砲術長の説によれば、体操にもいろいろ種類があり、 堀 内 は 砲 員 全 部 を 集 め 、十 四 セ ン チ 砲 の 弾 丸 ニ 発 を 持
適 当 な 種 類 を え ら ぶ こ と に よ っ て 、体操は射撃訓練の代 ってくるよう命令する。 二人の兵隊が、重そうに一発ず
用になるという。 つはこんできた。
た と え ば 、大 砲 の 射 手 や 旋 回 手 の よ う に 、照準発射の 兵隊たちは、私語しあった。
配 置 に あ る も の に は ヵ ン を 養 成 す る体 操 を 、 ま た 、 弾 丸 「砲 術 長 は 、 ど う す る つ も り だ ろ う か ?」
を こめる配 置 の も の に は 腕 力 を つ よ く す る 体 操 を 励行す 「さ っ ぱ り 、 見 当 も つ か ん よ 」
る ことによって、 射 撃 訓 練 の 効 果 を 格 段 に 向上させるこ 砲 術 長 は 、自 信 た っ ぶ りの表情で言った。
と が で き る 、と 自 信 満 々たるものがあつた。 「わ れ と 思 わ ん も の は 、 こ の 砲 弾 を 片 手 で あ げ て み ろ 」
山ロ艦長は、理路整然たる砲術長の所論に賛成した。 屈 強 な 腕 自 慢 の 兵 隊 が 前 に 出 た 。 そ し て 、 かわるがわ
だが、兵隊はなっとくしない。長いあいだの伝統的な射 るにこころみ て み た が 、 つかまえどころのない弾丸だか
撃 訓 練 方 式 を す て る の だ か ら 、 かれらの気がすすまない ら 、 ど う に も な ら な い 。 つ い に 、 兵 隊 は あ き ら め て しま
のはむりもない。 つた。
そ こ で 、砲 術 長 は 静 か に 立 ち あ が り 、弾 頭 の部分をむ 隻 の 空 母 か ら 飛 び 立 っ た 合 計 百 八 機 の 飛 行 機 は 、 ミッド
ん ず と つ か ん だ 。 そ し て 、 一 発 は 面 倒 な り と 、 片手に一 ゥ 1 攻撃のため南東の空に機影を没した。
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発ずつぶらさげて歩き出した。 やかましかった飛行甲板は、 まるで、火の消えたよう


砲術長は、あっけにとられている兵隊をまえにして、 な 静 け さとなった。 エンジンのうなりも聞こえない。 フ
ッ ト ラ ィ トも 消 さ れ た 。嵐 の 前 の 静 け さ み た い で あ る 。
体操の効用をじゅんじゅんと説いた。
しかし、 そ れ も つ か の 間 で あ っ た 。
体 操 の 効 果 は 、 て き め ん に あ ら わ れ た 。 『五 十 鈴 』 は
巡洋艦のなかで、艦隊最優秀の成績をおさめた。 「第 二 次 攻 撃 隊 用 意 」
こ う し た と こ ろ に も 、物 事 を 論 理 的 に 考 え 、部下の創 ふたたび飛行甲板は、第二次攻撃隊の飛行機でうずま
意 を 活 か す 山 ロ 艦 長 の 性 格 と 、態 度 が あ ら わ れ て い る 。 った。
この攻撃隊は、米艦隊の万一の出現にそなえての待機
である I 南 雲 長官は、米空母部隊は近くにいないとい
三 ち お う 判 断 し て い た が … …。 だ か ら 攻 撃 兵 装 は 、 艦 船 を
目 標 と し て い る 。 爆 撃 機 は 二 百 五 十 キ ロ 徹 甲 爆 弾 を 、攻
撃機は魚雷を装備する。
昭和十七年六月五日、中部太平洋の要衝ミッドゥヱー ようやく、攻 撃 待 機 は完成した。
島の攻防をめぐ る 日 米 両 艦 隊 の 航 空 戦 が 、 びょうぼうた いま、 敵 艦 出 現 の 報 が あ れ ば 、 攻 撃 隊 を 発 進 さ せ さ え
る海原を舞台として、 はげしくくりひろげられようとし す れ ば よ い の で あ る 。あ と は 、 一騎当千のッヮモノども
ていた。 が敵の空母をやっつけてくれるだろう。

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午 前 一 時 四 十 五 分 (東 京 時 間 )、 友 永 大 尉 の 指 揮 す る 四 そこへ、 四 時 五 分 に ミ ッ ド ゥ 丨基地の第一次攻撃隊

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(六 機 の 雷 撃 機 )が 、 つ づ い て 第 二 次 攻 撃 隊 (四 機 の 8 た。
)が 来 襲 し た 。 「敵 水 上 艦 ラ シ キ モ ノ 見 ユ 。 ミ ツ ド ウ '
'1 ノ 十 度 、 二百
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わが空母の乗組員は、上空警戒の零戦が米軍機をかた 四 十 ヵ ィ リ 。 針 路 百 五 十 度 、 速 力 二 十 ノ ッ ト 。〇 四二八
っばしからやっつけるのを、興奮した面持でみつめてい (午 前 四 時 二 十 八 分 )

た 。 撃 墜 さ れ た 敵 機 が 水 し ぶ き を あ げ る た び に 、 拍手の 水上艦? そうだとすれば、敵艦隊は出撃したのだ。
あ ら し が 起 こ っ た 。 この光 景 は 、 す ば ら し い 演 技 に みと 『利 根 』 の 索 敵 機 が 、 ヵ タ パ ル ト の 故 障 の た め に 、 計 画
れている劇場の観客のょぅであった。 より三十分おくれないで、予定どおり出発していたなら
しかし、 こぅした米軍機の攻撃は、 わが乗組員が知ら ば 、南 雲は、友永がミッドウューに対する第二次攻撃を
な か っ た 大 き な 成 果 を お さ め て い た 。 つまり、 この攻撃 要求した電報の前に、 こうした米艦隊についての報告を
は 、 ミ ッ ド ゥ ニ ー基 地 に 対 す る 第 二 次 攻 撃 の 必 要 性 —— 受けていたであろう。
友 永 大 尉 は 午 前 四 時 に 「第 二 次 攻 撃 の 要 あ り 」 と 発 信 し そ う し た ら 、 南 雲 長 官 は 最 初 の 計 画 に 疑 念 を いだくこ
た I を、 はっきり証明したのであった ノ
となく、すでに準備ができあがっていた飛行機をもって
これらの飛行機は、 どこからきたのか? 確認するま 米艦隊を攻撃していたにちがいない。
でもな く 、 ミッドゥ二ー島からきたのだ。そこで四時十
五分、 南 雲 長 官 は 艦 船 攻 撃 に 準 備 し て い た 第 二 次 攻 撃 隊 それはともかく、 そのころ南雲がどうしても必要だっ
の兵装の変更 I 攻撃機の魚雷を爆弾に、爆撃機の徹甲 た の は 、 いくらかの時 間 で あ っ た 。 米 国 の 空母が近くに
爆弾を陸用爆弾に I を命じた。 いるのであれば、 飛行機の兵装を魚 雷と徹 甲 爆 弾 に 換 装
こ う し た 兵 装 の 変 更 を い そ い で い た と き 、 巡 洋 艦 『利 す る ためであったろう。
根 』 の 索敵機から、 はっとおどろくような電報がとどい もしミッドウ Iを 再 攻 撃 し よ う と い う の で あ れ ば 、
一1
陸用爆弾に変更しおわるまでの時間である。 それとも、 攻撃隊の兵装を対艦船攻撃 I 魚雷と微甲
ま た 必 要なのは、米軍雷撃機の来襲にょって分散した 爆弾 I に换装しおわるまで待つべきか?
隊 形 を と と の え る た め の 時 間 、上空直衛機の燃料などを 南 雲 部 隊 は 、 さ き の 命 令 に よ り 、 ミッドゥューに対す
補 給 し て 配 置 に つ け る 時 間 、友 永 隊 の 飛 行 機 を 母 艦 に 収 る第二次攻撃のため、 雷撃機は魚雷を陸用爆弾に換装中
容する時間、 であった。 であり、 そ の 大 半 は す で に 終 わ っ て い た 。
四時五十分に第三次、 五時十四分に第四次の攻撃隊が 戦 闘 機 は 来 襲 す る 敵 機 に あ た っ て お り 、 ひとり急降下
来襲した。 爆 撃 機 だ け が た だ ち に 発 進 で き た の で 、 山ロ多聞少将の
こぅして、 南 雲 部 隊 は 、 一時間以上にわたって来襲し 指 揮 す る 『飛 龍 』 と 『蒼 龍 』 の 合 計 三 十 六 機 が 発 進 の 命
た敵機と交戦したが、 すべての攻撃機を撃退し、 艦 令を持っていた。
一も
損傷しなかった。 発 進 の 下 令 を い ま か 、 いまか、 と 待 ち つ づ け て い た 山
すると、 五時三十分になって、米艦隊に触接をつづけ ロは、 つ い に し び れ を き ら し た 。
て い た 『利 根 』 の 索 敵 機 か ら 、 肝 を つ ぶ す ょ ぅ な 電 報 が 「た だ ち に 、 攻 撃 隊 発 進 の 要 あ り と 認 む 」
とどいた。 と、南雲に信号を送った。
「敵 ハ ソ ノ 後 方 -
一空母ラシキモノ一隻ヲトモナゥ、 〇 五 山ロは、 まだ南雲がなんら措置しないことは信じられ
ニ〇 」 な い 、 と 考 え た 。 自 分 が 南 雲 の 立 場 に あ れ ば 、実行する
もはや、 ミツドウューに対する第二次攻撃などは考え こと、 つまり、 使 用 で き る す べ て の 飛 行 機 を も っ て 、 た
られない。 だちに敵を攻擊しようというのである。
こ こ で 、 た だ 一 つ の 問 題 は 「時 」 で あ っ た 。 これら飛行機が対艦 船 用 の 爆 弾 を 積 ん で い よ う と い ま

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ただちに、攻撃すべきか? いと、 ま た 、 魚 雷 を 装 備 し て い よ う と い ま い と 、 あ る い
は、 戦 闘 機 の 護 衛 が あ ろ う と な か ろ う と 、 な ん ら 措 置 し さらに、 ミ ツ ド ウ '
'—海 戦 の 完 敗 は 、 太 平 洋 戦 争 に 重

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ないことは敵に最初の攻撃をゆるすことを意味する。 大 な 転 機 を も た ら し 、 この戦 争 の 潮 流 を 逆 に し 、 真 珠 湾
「兵 は 拙 速 を と う と ぶ 」 と か 、 「先 ん ず れ ば 人 を 制 し 、 い ら い の 沈 滞 し た 米 軍 、 と く に 海 軍 の 士 気 と 、 アメリカ
後 る れ ば 人 に 制 せ ら れ る 」 —— と 、古 人 は 教えいましめ 国民の戦意を高揚する結果となる。
ているではないか。
しかし、南雲はこの山ロの意見をしりぞけた。
この戦法は、 あたら飛行機をすてるのも同然である。 四
ただちに攻撃隊を発進することは、すべての戦闘機を
空 母 の 上 空 直 衛 に 使 用 し て い る の で 、 戦闘機の護衛がつ
けられない。 日 本 側 は ま っ た く 不 意 を つ か れ 、 『加 賀 』 『蒼 龍 』 『赤
護衛戦闘機のつかない攻撃隊がみじめな結果をみるこ 城 』が 、 相 前 後 し て 敵 機 の 攻 撃 を う け 、 命 中 し た 爆 弾 の
と は 、 こ れ ま で の 時 問半に、 わが戦闘機が目の前でこ
I た め に 、 も う も う た る 黒 煙 に お お わ れ て い た と き 、 これ
れ を 実 際 に 証 明 し た で は な い か 。 そ こ で 、 レば ら く 発 進 ら 三 艦 と は な れ て い た 『飛 龍 』 は さ い わ い に 危 難 を ま ぬ
を 見 合 わ せ 、 戦 闘 機 を つ け た "正 攻 法 " に ょ る 全 カ 攻 搫 がれた。
を 行 な う ほ う が は る か に 賢 明 で あ る 、と 南 雲 は 考 え た 。 山 ロ 司 令 官 は 、 た だ ち に 、 『飛 龍 』 の 兵 力 を も っ て 、
こ う し て 、 "後 る れ ば 人 に 制 せ ら れ る " 結 果 と な り 、 『利 根 』 の 索 敵 機 が 発 見 し た 米 空 母 の 攻 撃 を 決 意 す る 。
『飛 龍 』 以 外 の 三 隻 の 空 母 は 、 敵 に 一 矢 も む く い ず 、 多 『飛 龍 』 の 拡 声 器 は 、 『赤 城 』 な ど 三 艦 の 損 害 状 況 を か
数 の 精鋭な搭乗員とともに、 あえなく東太平洋の波間に んたんに知らせたのち、
消え去ってしまう。 「い ま や 、 大 日 本 帝 国 の 名 誉 の た め に 戦 う の は 、 いつに
本 艦 の 健 闘 に か か っ て い る … …」 た。
と、艦内につたえた。
攻撃隊の準備はできあがった。 そ の 間 、川 口 飛 行 長 は 、 さきに小林隊が 出 発 し て い ら
指 揮 官 小 林 道 雄 大 尉 は 、真 珠 湾 い ら い の ベ テ ラ ン で あ い、 雷 撃 機 の 準 備 に 余 念 が な か っ た 。
り、 降 下 爆 撃 の 二 キ ス パ ー ト で も あ る 。 こ の 雷 撃 機 隊 は 、 『飛 龍 』 の 九 機 と 『赤 城 』 の 一 機 の
発 進 直 前 、 山 ロ 司 令 官 は 小 林 大 尉 を 艦 橋 に 呼 ん で 、戦 "み な し 子 "(赤 城 が 炎 上 し て い た の で 飛 龍 に 着 艦 し た )
局の重大性をのべ、 すべてはかれらの努力にかかってい で 編 成 さ れ 、 こ れ を 護 衛 す る 戦 闘 機 は 『飛 龍 』 の 四 機 と
る こ と を 期 待 し 、 「俺 も あ と か ら 行 く 」 と は げ ま し た 。 『加 賀 』 が 炎 上 中 の た め 『飛 龍 』 に 着 艦 し た ニ 機 と い う
午前七時五十八分 I 『加 賀 』 に 最 初 の 爆 弾 が 命 中 し 寄せ集めであった。
て か ら 三 十 四 分 後 、 待 機 中 の 急 降 下 爆 擊 機 十 八 機 は 、戦 小 林 隊 に ょ っ て 、敵 に一矢をむくいた山ロ司令官は、
闘機六機の掩護をぅけて発進する。 『飛 龍 』 飛 行 隊 長 友 永 大 尉 の 指 揮 の も と に 、 こ う し た 残
飛行機発着艦指揮所からこれをみつめていた飛行長川 存の 全 飛 行 機 を も っ て 、第二の米空母に対する攻擊を決
ロ 益 少 佐 は 、 "き っ と 仇 を 討 っ て く れ " と 念 じ な が ら 甲 意する。
板から飛び立つ飛行機を見送った。 いまや、 準 備 は ほ と ん ど で き あ が っ た 。
小林隊は、反撃する敵戦闘機のために苦戦したが、犠 指揮官付整備員が、友永隊長のところに走ってきた。
牲 を か え り み ず 果 敢 に 肉 迫 し て 米 空 母 を 攻 撃 し 、 三コの 「隊 長 、 左 翼 の 燃 料 タ ン ク の 修 理 は ま だ で き て い ま せ ん
が … … 」
爆 弾 を 「ョ ー ク タ ウ ン 」 に 命 中 炎 上 さ せ た 。 し か し 、 そ
の犠牲も大きく、帰還できたのは戦闘機一機と爆撃機五 友永は平然として答えた。

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機 の み で あ っ た 。 指 揮 官 小 林 大 尉 も 、 ついに帰らなかつ 「も う い い ょ 。 左 翼 タ ン ク は そ の ま ま に し て 、 右 翼 タ ン
クだけ燃料をいっぱいつめてくれ」
「隊 長 、 大 丈 夫 で す か 」
友 永 に と っ て は 、 こ の 日 の 二 回 目 の 出 撃 で あ っ た 。第

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と 、 ただしたとき、
一回は、 水 平 爆 撃 機 三 十 六 、 急 降 下 爆 撃 機 三 十 六 、 戦 闘
「大 丈 夫 だ ょ 、 敵 は 近 い か ら 。 両 方 あ っ て も 、 い ら な い
機三十六、合計百八機を指揮してミッドゥ 丨 8 を 攻撃し ときはいらないんだ」
た 。 こ の 攻 撃 の さ い 、 友 永 機 の 左 翼 タンク は 敵 戦闘機の
と 、 友 永 は こ と も な げ に 答 え 、大 き な 前 歯 を だして笑
機 銃 弾 の 命 中 に よ っ て 使 用 不 能 と な り 、 まだ応 急 修 理 さ った。
えできていなかった。
橋 本 に は 、 一機でも多く攻撃に参加させたい友永の気
整 備 員 は た め ら っ た 。が 、 隊 長 の い い つ け で あ る 。 持 が あ り あ り と 感 じ ら れ 、 このとき、彼 が す で に 死 を 覚
「や っ ぱ り 、 出 発 位 置 に 準 備 す る ん で す か ?」
悟していることが、 はっきりょみとれた。
「ぅ ん 、 そ ぅ だ 。 間 に 合 わ な い か ら 急 い で や れ よ 」
た し か に 、 燃 料 が 片 道 分 し か な い こ と は 、 だれの目に
「は っ 」 と い っ て 、 整 備 員 は 走 っ て 行 っ た 。
も明らかであった。
こ れ を 見 て い た 友 永 の 部 下 の 搭 乗 員 た ち は 、 いれかわ
出 発 準 備 が で き た 。友 永 は 、橋本と戦闘機隊指揮官の
り申し出た。
森 茂 大 尉 と と も に 、 山 口 司 令 官 と 加 来 艦 長 に あいさつし
「隊 長 、 私 の 搭 乗 機 を お 使 い に な っ て く だ さ い … …」 た。
「い い よ いいよ」
「た だ い ま か ら 出 発 い た し ま す 」
友 永 は 、 ほほえみながら、 かるく首を横にふって、部 山 ロ と 加 来 は 、 こ も ご も は げ ま し て 、 その成功を祈っ
下の申し出をことわった。
た。
この日、友 永 の 第 二 小 隊 長 と して出撃する橋 本 敏男大
山 ロ は 、友 永 の 手 を し っ か り と に ぎ り し め 、 言葉すく
尉までが、 なに最後の別れを告げた。
「ミ ッ ド ゥ 丨攻 撃 に つ づ い て 、 ほ ん と に ご 苦 労 だ 。 お 艦長に報告した。
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れ も 、 あ と か ら 行 く ぞ … …」 「た し か に 、 魚 雷 ニ 本 が 命 中 し ま し た … … 」
副 長 の 鹿 江 隆 中 佐 は 、 こ の 情 景 を 艦 橋 か ら 、 じっとみ 山ロは、橋本の労をゆっくりねぎらうことができなか
つめていた。午 前 九 時 四 十 五 分 、尾 部 を 黄 色 に 塗 り 、赤 った。 あ ら た め て 厳 命 を 下 し た 。
三 線 の 識 別 を つ け た友永指揮官機を先頭に、 雷撃隊十機 「す ぐ 、 つ ぎ の 攻 撃 隊 の 準 備 に か か れ 」
は 六 機 の 戦 闘 機 に ま も ら れ て 『飛 龍 』 の 飛 行 甲 板 か ら 飛 も は や 、 攻 撃 に 使 用 で き る の は 、 艦 上 攻 撃 機 三 、 艦上
び立つのを、感激の涙をこめて黙然として手をふった。 爆 撃 機 三 、戦 闘 機 六 に す ぎ な い 。搭 乗 員 の う ち 兵 学 校 出
“お れ も あ と か ら 行 く ,
:と い う 言 葉 か ら 察 す る に 、 部 下 身 者 は 、 橋 本 と 重 松 の 両 大 尉 ,た け に な っ た 。
を死地に投ずる山ロ司令官の胸中には、すでに覚悟がひ や が て 準 備 が で き 、 橋 本 を 指 揮 官 と す る 隊 員 は 、 艦橋
められているょうに思われた。 の下の飛行甲板に整列する。加来艦長が艦橋からおりて
毅 然 と し て 部 下 を 死 地 に 投 ず る 山 ロ 司 令 官 、 従容とし きた。
て 命 を う け て 死 地 に 向 か う 諸 勇 士 。 『飛 龍 』 艦 上 の 人 び 「み ん な 、 た の む ぞ 。 か ら だ は 大 丈 夫 か 、 疲 れ は な お っ
と は 、戦 い の き び し さ を 目 のあたりにして言うべき言葉 たか? .. 」
眠い者はいないか?
もなかった。 艦 長 は 二 十 一 名 の 搭 乗 員 の 肩 を た た い て 、 一人ずつゆ
り動かした。
米 空 母 『ョ ー ク タ ウ ン 』 に 魚 雷 ニ 本 を 命 中 さ せ た 橋 本 「そ う だ 、 あ れ を 持 っ て 来 い 。 お い 整 備 員 、 医 務 室 に 行
隊の五機は、集合点で友永隊の帰ってくるのを持ってい って、 眠 く な ら な い 薬 を も ら っ て 来 い 」
た 。が 、 つ い に 一 機 も 姿 を 見 せ な か っ た 。 「はっ」 と い っ て 、 整 備 員 は か け だ し た 。 ま も な く 整 備
母 艦 に も どった橋本は、すぐ艦橋にのぼって司令官と 員 が 持 っ て 来 た の は 、 『航 空 錠 甲 』 で あ っ た 。
そばにいた飛行長の川口益少佐がそのレッテルを見て ないほど、くたくたに疲れていたのもむりはなかった。

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首をかしげた。 飛行機発着艦指揮所にいた川口は、
「お や っ 、 こ れ は 眠 る ほ う の 薬 じ ゃ な い の か ?」 「や っ と 飯 に あ り つ け た … …」
すると艦長は、本気になって怒りだした。 と 、 ひとりごとをいいながら、大きな握り飯をほうば
「ば か 、 ぼ や ぼ や す る な ! 敵のまえで眠ってしまった りはじめた。
ら 、 ど う す る ん だ い .. 」
川口が電話で医務室にただしたところ、 その薬でまち
が い な い と い う 返 事 が あ っ た の で 、 この問題はけりがつ 五
ぃた。
だが、山ロ司令官は、搭乗員の疲労があまりに大きい
と感じ、攻撃を薄暮までのばすことにした。 そのとたんであった。
『飛 龍 』 の 乗 組 員 は 、 朝 食 を と っ て か ら 十 三 時 間 も た つ 「急 降 下 !」
の に 、 ま っ た く 飲 ま ず 食 わ ず で あ っ た 。 そ こ で 、 この時 と 、見 張 員 が 声 を か ら し て 叫 ん だ 。
間 を 利 用 し て 戦 闘 配 食 -- 梅 干 入 り の 握 り 飯-- が 行 な 見 上 げ る と 、十 機 ほ ど の 爆 撃 機 が 、太陽を背にして八
われた。 十度ほどの高角で、 まっしぐらに突っ込んでくる。
だ が 、橋 本 は 、 疲 れ た 身 体 を 搭 乗 員 待 機 室 の ソ フ ァ ー 「し ま っ た ! 」
に横たぇた。思ぇば、友永機の偵察員としてミッドゥュ 第 一 弾 は 右舷にかわり、第二弾は左舷の至近弾であっ
1 を攻撃し、 ついで友永隊の第二小隊長として敵空母を たが、 第 三 弾 が 前 部 エ レ べ ー タ ー の 真 ん 中 に 命 中 し た 。
攻撃した橋本が、 せっかくの戦闘配食も食べる気になら 川 口 は 、爆風のために飛行甲板に吹き飛ばされてしまっ
た。 にあった爆弾と魚雷が、 つぎつぎに大音響をあげて誘爆
待 機 室 の ソ フ ァ ーの上でうとうと乙ていた橋本は、 い した。 そ の つ ど 、 艦 全 体 が 猛 火 に つ つ ま れ る 。 そして甲
きなりハンマーでたたきつけられたような震動で目をさ 板のもう も う た る 煙 と 火 焰 は 、 ようしゃなく機関室にな
ま した。 あ わ て て 外に飛び出す。時計の針は午後ニ時三 がれこんだ。
十分をさしていた。 「甲 板 の 被 害 は た い し た こ と は な い 。 消 火 に つ と め て い
懸 命 に 消 火 に つ と め た 。 しかし、使用できる消防主管 る 。 機 関 科 は 職 場 で が ん ば れ !」
は た っ た 一 つ だ け で あ っ た 。 こうして、 猛火との必死の 艦 橋 に い た 機 関 参 謀 久 馬 武 夫 少 佐 は 、 甲板のものすご
戦 い が 、それから午後十一時半ごろまでつづく。 い火災をかくして機関科員をはげました。
爆 弾 が 命 中 し た 直 後 、機 関 科 指 揮 所 か ら 、 そのうち、艦橋の下の操舶室が火災のためにヵジがと
「第 八 罐 室 浸 水 、 使 用 で き ず 。 そ の ほ か 、 機 関 は 異 状 な れ な く な り 、 船 は ぐ る ぐ る 旋 回 し は じ め る 。機 械 を と め
し 。 発 揮 で き る 最 大 速 力 三 十 ノット」 て消火に全力をあげるほかはない。だが、 血みどろな消
と、 いつもの訓練のときのように、沈着にして機敏な 火 作 業 も 、 い っ こ う に 効 果 が な く 、 『飛 龍 』 は 暗 い 夜 空
報告がとどいた。 に炎々ともえつづけた。
ど う や ら 至 近 弾 に よ る 被 害 ら し い 。 『飛 龍 』 は 三 十 ノ 「機 械 室 は 熱 気 の た め 、 ひ じ ょ う に 苦 し く な っ て き た 。
ットの高速ではしりながら、なおも来襲する敵機との戦 上の状況はどうか? 機 関 員 を 上 に あ げ て 、消火作業に
いをつづける。 協 力 す る 必 要 は な い か ?」
風 勢 に あ お ら れ て 、火 勢 は つ の る ば か り 。火焰のため 機 関 科 指 揮 所 は 、上を気づかってたずねた。
に、 砲 側 に 準 備 し た 高 角 砲 弾 が 、 豆 を い る よ う に 絶 え ず 機 関 室 の 上 部 鉄 板 と 周 囲 の 隔 壁 は 、数時間もの猛火の

51
炸 裂 す る 。 たまたま薄暮決戦にそなえて、飛行機格納庫 た め に 灼 熱 し て く る に ち が い な い 。 だ が 、な ん と し て も
『飛 龍 』 を す み や か に 、 す く な く と も 敵 の 艦 載 機 の 攻 搫 ち ま ち 蒸 気 と 熱 湯 に な っ て 隊 員 に ふ り か か り 、 どうして

52
圏 外 に 脱 出 さ せ ね ば な ら な い 。 機 関 員 の 責 任 は 、 じつに も前進できない。
大 き い 。 いま機関員が上にあがれば、 ふたたび下におり 艦内の火勢はすこしもおとろえず、誘爆はつづく。そ
て艦を動かすことはできそうにもない。艦をまもるため の た び に 艦 は 、 は げ し く ゆ れ る 。 す で に 艦 体 は 、 十度か
には、最 後 ま で 機 関 を 死 守 す る ほ か に 方 法 は な い 。 たむいていた。
久 馬 は 、機 関 科 指 揮 所 に 、 久 馬 は 、後 部 操 舶 室 の 入 口 に か け て 行 き 、 機 械 室 の 状
「機 械 室 は が ん ば れ ! 」 況をただした。
とつたえた。 「そ ち ら の 状 況 は 、 ど う だ っ 」
そのうち、艦橋の床の鉄飯が猛火のためにとけて、火 「っ ぎ っ ぎ に 、 た ぉ れ だ し た 」
が 下 か ら ふ き ,た し は じ め る 。 た ち ま ち 艦 橋 も 火 災 と な っ 持 場 を 死 守 し て 、 ついに最悪の事態にたちいたったの
た。中部 の 飛 行 機 昇 降 甲 板 は ふ き と ば さ れ て 、艦橋の前 か!
方にさか立ちしている。 「な ん と か し て 、 上 に あ が れ な い か 」
一時とだえた機関室との連絡が、後部の応急操舫室か いまとなっては、 それもかなわぬだろう。久馬は、断
ら と れ る よ う になった。 腸の思いで、 たずねた。
「機 械 室 の 状 況 は 、 ど う だ 」 「な に か 、 い い の こ す こ と は な い か 」
「ひ ど い 熱 気 で 、 と て も 苦 し い 」 「な に も な い 」
機 械 室 と の 連 絡 を と る ため、数班の決死隊が編成され 従容として職場を死守する人の、悲壮な声である。
る 。防 煙 具 を つ け た 隊 員 は 、う ず ま く 猛 火 を お か し 、灼 これを最後に、 くりかえし呼べども、なんら応答がな
熱 し た 通 路 の 隔 壁 に 水 を か け な が ら 進 む 。 だ が 、 水はた い。 こ こ に 機 関 部 と の 連 絡 は 、 ま っ た く と だ え て し ま っ
た" 「あ あ 万 策 つ き ぬ … …」
わ が 『飛 龍 』 は、 陛 下 の 御 艦 で あ る 。 こ の 御 艦 を あ ず
そのころ、加来艏長の念頭を去らなかった一事は、艦 か る 自 分 は 、 いま、御 真 影 を 他 艦 に 移 さ な け れ ば な ら な
内に奉安する御真影の安否であった。
IV
、 0
主 計 少 尉 川 上 貞 憲 は 、 「総 員 、 戦 闘 部 署 に つ け 」 の号 加 来 艦 長 は 、 あ ふ れ る 悲 涙 を 、 じ っ と お さ え て 、 御真
令が艦内にこだましたとき、 かねて定められていた命令 影 を 横 づ け 中 の 駆 逐 艦 『風 雲 』 に 移 す よ う 鹿 江 副 長 に 命
にょり、 す ぐ に 艦 長 室 に 奉 安 し て あ る 御 真 影 を 特 製 の 木 じた。
箱におさめ、 これを帆布のリュックサックに入れて背負 ついで艦長は、 山 ロ 司 令 官 の ほ う を 向 い て 、静 か に 、
い、 艦 の 「総 員 名 簿 」 を 持 っ た 部 下 の 主 計 兵 曹 を し た が だが、莊重な言葉で報告した。
えて、艦内のもっとも安全な防御甲板下の経線儀室に避 「司 令 官 、 も は や 総 員 退 去 は や む を え ま せ ん 」
難していた。
だ が 、 艦 内 の 猛 火 の た め に 、 ここも安全ではなくなっ そのころ、海軍嘱託であった作家吉川英治は、副長鹿
た I と判断した川上は、 いかにして御真影の安泰をは 江 中 佐 の 説 明 な ど を 資 料 と し て 、 当 時 の 『飛 龍 』 艦 上 の
か る か を 苦 慮 す る 。 いまや、艦 橋 の 指 示 を ぅ け る こ と は 状 況 を 、 つ ぎ の よ う に 描 写 し て い る 。 そ れ は 、 このミッ
で き な い 。 ついに、 独 断 で 脱 出 を 決 意 し た 。 ドゥニー海戦から十ヵ月後の昭和十八年四月ニ十五日、
川 上 は 身 を も っ て 、 し っ か り と 御 真 影 を 背 負 い 、 猛火 大 本 営 海 軍 報 道 部 の 平 出 英 夫 大 佐 が 、 『提 督 の 最 後 』 と
を く ぐって血路をひらき、 ようやく艦の前部の錨甲板に 題して放送したものの一部である。
脱出できた。 「..山 口 司 令 官 も 同 意 さ れ 、 こ の 意 見 を 艦 隊 司 令 部 に
ここで、 御 真 影 の 安 泰 を 艦 長 に 報 告 す る 。 報 告 せ よ と 命 じ た 。 この報 告 は 、 い っ た ん 付 近 に あ っ た
駆 逐艦に、懐 中 電 灯 の か す か な 光 に よ っ て つ た え ら れ 、 ならず、 その日の随からこの時まで、司令官以下総員、

54
さらに艦隊司 令 部 に つ た え ら れ た 。時に東太平洋の夜は 戦闘配食の握り飯一個を片手につかんだだけで、 杯
|の
すでに深かった。…… 水 す ら の む 者 は な か っ た 。加 来 艦 長 は 、 そのビスヶット
総 員 飛 行 甲 板 に 集 ま れ … …飛 行 甲 板 に 集 合 !
箱 の上に立って、 つぎのように訓示した。
つ い に 最 後 の 命 令 は 発 せ ら れ た 。裂けるような号笛の 『諸 子 、 諸 子 は 乗 艦 い ら い 、 ハ ヮ ィ 空 襲 そ の 他 に お い て
伝 令 と 、 の ど も 破 れ て 出 ぬ 声 を ふ り し ぼ り な が ら 、 その も、 も ち ろ ん 今 日 の 攻 撃 に あ っ て も 、最後までよくその
命 令 は 、 た ち ま ち 全 部 署 に つ た え ら れ た 。 総員の集まっ 職 を つ く し て く れ た 。皇国海軍軍人たる の 本 分 を 遗 憾 な
た飛行甲板は、 あたかも坂のように傾き、亀裂、凹凸、 からしめてくれた。艦長として最大の満足を感ずるとと
弾痕で惨たん目もあてられぬ有様である。 集合した総員 もに、 じつに感謝にたえない。 あらためて礼をいう。 た
の 顔 と い う 顔 は 、 終 日 の 奩 戦 を 物 語 る 油 と 汗 で 黒 く まみ だ、 と も に 今 日 の 戦 い に の ぞ み な が ら 、 と も に た だ い ま
れ、どの目もけいけいと不屈の戦意に燃えかがやいて、 こ こ で 相 見 る こ と の で き な い 幾 多 の 戦 友 の 英 霊 に は 、多
一人として失望落胆の気配すらない。 … … 感いい現わせないものを覚ゆる。同時にその尊い赤子を
各 分 隊長は、 ただちに人員点呼を行ない、上官につた 多 く 失 っ た こ と を 、 陛 下 を は じ め 奉 り 、 一般国民にたい
え、 上 官 は 艦 長 に 報 告 、 こ の 報 告 が 終 わ る や 、 加 来 艦 長 し深くお詫びする。
は 山 ロ 司 令官に敬礼し、ともに艦橋から飛行甲板に降り 今 次 出 撃 の 際 に も 申 し 述 べ た と お り 、 戦 は まさにこれ
立 った。降 り 立 っ た そ の 足 も と に 、数個のビスケット箱 か ら だ 。 諸 子 の 同 僚 は 、 こ こ の 海 底 に 神 鎮 ま る も 、 ここ
が あ る 。 こ れ は 消 火 に 協 力 し た 駆 逐 艦 か ら 、 応急糧食と の海上は敵アメリヵへの擊滅路として、無数の英魂は万
して運びあげてくれたものであるが、全員だれ一人とし 世 か け て 我 が 太 平 洋 を 護 る で あ ろ う 。諸子もどうかいっ
て そ の ビ ス ケ ッ ト の 一 片 だ に ロ に し た も の は な い 。 のみ そう奮励して、 さらにさらにわが海軍に光輝を加えて く
れ 。敵 を 擊 滅 し つ く さ ず ん ば 止 ま じ の 魂 を 、 いよいよき 吹奏裡に、 わが軍艦旗もともに戦場の空に止まらんこと
たえ合ってくれ。切に諸子の奮闘を祈る。 を 願 う か 、 霊 あ る も の の ご と く 、 赤 き 月 の 夜 空 を 、 りよ
ただいまより、 総員の退去を命ずる』 うりょうの音に曳かれて降りて来た。将旗もともに下ろ
力強い語尾であった。 された。
仰 ぎ 見 る 全 員 の 面 は 、 涙 に ぬ れ ざ る は な い-- 」
艦長に代わって、山ロ司令官がすぐ台上に立った。
『た だ い ま の 艦 長 の 訓 示 に 、 す べ て つ く さ れ て い る と 思
う 。 私 か ら は 、 も う な に も 述 べ る こ と は な い 。 お互いに
皇 国 に 生 ま れ て 、 この会 心 の 一 戦 に あ い 、 い さ さ か 本 分 六
を つ く し え た喜 び あ る の みだ。 皆 と と も に 宮 城 を 遙 拝 し
て、 天 皇 陛 下 の 万 歳 を 唱 え 奉 り た い 』
司令官 の 声 に も 、態度に も 、平常と少しも異なるとこ このとき、 す で に総員は、 山口司令官と加来艦長の決
ろ は 見 ら れ な か っ た 。 た だ 無 言 不 動 の う ち に も 、 全将兵 意 を 、 はっきり推察する ことができた。副長鹿江中佐は
の列をつらぬく感激のうねりは目にも見えるほどであっ 各 科 長 に は か っ た 。 そ し て 、幹 部 の 総 意 と し て 、
「わ れ わ れ も 艦 に と ど ま る 決 意 で す 」
た。誘 爆 の も の す ご い 音 響 の 中 に 、縦横にひらめく猛炎
の中に、 その鼬音も熱風も裂けよとばかり万歳を奉唱し と、艦長に申し出た。
おわるや、 加来艦長は、 さらに大声で令した。 すると艦長は、言下に、
『い ま か ら 軍 艦 旗 を お ろ す 』 「い け な い 、 そ れ は い か ん 。 自 分 は 艦 の 責 任 者 と し て 、
全員不動の姿勢に、 燃える艦上も森厳秋霜たる軍紀の 艦 と 運 命 を と も に す る 名 誉 を に な ぅ 者 で あ る が 、 他の者
前 に は 、 烈 火 も 熱 風 も な い 。 や が て 〃 君 ガ 代 " のラッパ は許さん。重ねて言ぅが、戦争はまさにこれからだ。諸
君の忠誠にまつ 百 難 の 戦 場 は 、 はてしなくあると思う。 まま、司令官のそばに立っていた。
諸 君 は 、今日の戦訓を 将 来 に 活 か し 、 いっそう強い海軍

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首 席 参 謀 伊 藤 清 六 中 佐 な ど の 幕 僚 も み な 、 そ の 周囲に
を 作 っ て く れ 。敵米英を完膚なきまでにたたきつぶして あつて一歩も動こうとしない。
くれ。 いよいよ奮戦努力してもらいたい」 そ し て 、 伊 藤 が 幕 僚 を 代 表 し て 、 われわれは司令官の
と、 この申し出を厳然としりぞけた。 お供をしたいと懇請した。
ついで艦長は、司 令 官 をかえりみて言った。 す る と 、 山ロ司八^
111
は、
「司 令 官 、 ご 退 艦 く だ さ い 。 艦 に と ど ま る の は 、 艦 長 と
「そ の 気 持 は う れ し い が 、 戦 い は ま さ に こ れ か ら だ 。 退
しての私の任務であります」 艦を命令する」
これに対し、山ロ司令官は黙然としてなにも答えず、 と、 おごそかに申しわたした。
ただつり こ ま れ て 軽 く う な ず い た だ け で あ っ た 。が 、 そ だ が 、 こ こ で 名 提 督 を 失 う ことは今 後 の 日 本 海 軍 に と
の態度には、すでに固くみずから信じるものがあり、他 っ て 大 損 失 と 考 え た 久 馬 武 夫 参 謀 は 、 一時気 絶 の 状 態 に
より動かすことのできないものが、無言のうちにあらわ し て で も 司 令 官 を 連 れ も ど し て は 、 と 首 席 参 謀 に 相談し
れていた。 たものの、 やはり武将としての最後を飾られるのに、 さ
外 は 温 和 快 活 で あ り な が ら 、 内 は 剛 毅 に し て 不屈、 からうべきではないと断念した。
「武 人 の 死 は 、 な お 呱 々 の 声 を あ げ て 世 に 生 ま る る 日 に す で に 艦 の 傾 斜 は い よ い よ く わ わ り 、 もう手をなにか
ひとし」
に支えなければ立っていることさえむずかしくなった。
と 、 か ね て か ら 語 っ て い た 司 令 官 の 日 常 を 、 よく知つ いぜんとして艦内の誘爆はやまず、危機はせまっている
て い た艦長は、 一度は思いきって退艦をすすめたが、 ニ ように思われた。
度 と す す め る 気 に は な れ な か っ た 。 そ し て 、 ただ無言の 「早 く 行 け 、 退 去 し な い か ! 」
温 容 の 司 令 官 は 、 か さ ね て 厳 命 し た 。 が 、 みずからは 「い い 月 だ な 、 艦 長 」
ゆ ぅ ゆ ぅ自 若 、 た だ 全 員 の 上 に 深 い ひ と み を そ そ い で い 「ほ ん と に い い 月 で す ね 。 月 齢 は 二 十 一 く ら い で し ょ う
か … … 」 め
た。
いまは、 や む な く 総 員 い っ せ い に 万 感 を こ め て 、 訣別 「ま っ た く す ば ら し い 月 だ 。 今 夜 は 月 を 賞 で な が ら 語 ろ
の 挙 手 の 敬 礼 を な し 、 駆 逐 艦 へ と 移 乗 を は じ め 、愛する う か 。 こ の う え も な い 死 場 所 を あ た え ら れ た こ と は 、武
『飛 龍 』 、 そ し て 、 光 輝 あ る 海 の ト リ デ に 別 れ を 告 げ て 人 と し て ま さ に 本 望 だ よ .. 」
行く。 このとき、 主 計 長 が 艦 長 の 指 示 を あ お い だ 。
総 員 が 退 艦 し お わ る ま で の わ ず か な 間 に 、 まだ艦上に 「艦 の 金 庫 に は 、 ま だ か な り の 金 が は い っ て い ま す が 、
の こ っ て い た 幕 僚 と 艦 の 幹 部 は 、 ブ レ ィ ヵ ー (短 艇 用 の どう処置しますか」
水樽)をかこんで、 その栓を抜いていた。 艦長は、 諧謔をまじえて言った。
こ の ブ レ ィ 力 ーも 、 さ き に ビ ス ケ ッ ト と と も に 、 駆逐 「三 途 の 川 を 渡 る の に 銭 が い る か ら 、 そ の ま ま に し て お
け .. 」
艦 『風 雲 』 か ら 、 消 火 作 業 中 に と ど け ら れ た も の で あ っ
た。が 、 そ の 栓 は 、 い ま は じ め て 抜 か れ た 。 す る と 司令官は、 こともなげに、 これにあいづちをう
この水を、 盃 に 代 え た あ り あ わ せ の 空 罐 に そ そ ぎ 、 ま つた。
ず司令官から艦長へ、 つぎに一同が飲みかわしながら、 「そ う だ よ 、 地 獄 で た ら ふ く 食 う の に も 、 金 が 必 要 だ よ
あい別れる人の影を心の中にふしおがんだ。
しかし、山ロ司令官と加来艦長は、ともに一掬の水に
終日の渴をうるおすと、もうあたりの嗚咽もそ知らぬよ 山ロ司令官の健啖は有名だった。

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うに、淡たんとして語りあっていた。 か つ て 少 尉 の こ ろ 、 山 ロ は 数 名 の 同 僚 と と も に 、 英国
で 建 造した軍艦を日本に回航するため、郵 船 会 社の客船 ん の 胃 の ほ う が う け つ け な い 。と う と う船 が シ ン ガ ポ ー
で、 ィ ギ リ ス に 行 っ た こ と が あ る 。 船 が 横 浜 を 出 港 し た

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ルにつくまえに、 ついに山ロもシャッポをぬいでしまっ
と き 、 こ れ ら 元 気 は つ ら つ た る 青 年 士 官 た ち は 、 メ二ュ た。
丨の料理をみな食べることを申しあわせた。 こうした山ロの健啖は、 けっして青年時代だけではな
こ う し て 、 ニ、 三 日 の う ち は 、 朝 食 か ら 夕 食 ま で 、 ひ
か っ た 。 巡 洋 艦 『五 十 鈴 』 艦 長 の 大 佐 時 代 で も 、 そ の こ
と つ の こ ら ず 、 か た っ ぱ し か ら た い ら げ 、 食 堂 の ボーィ
ろ 同 艦 の 航 海 長 で あ っ た 筆 者 な ど の 、遠 く お ょ ぶ ところ
の あ き れ 顔 を な が め て 、 大 い に "得 意 " に な っ て い た 。
ではなかった。司令官になってもそうだった。山ロの第
こ存じの人も多いと思うが、客 船 と く に一等船客の食 ニ航空戦隊司令官時代に少佐で参謀だった橋ロ喬は、 つ
事 は 、 ょ ほ ど の 大 食 漢 で も 、 メ一一 ューの全部をつづけて ぎのょうに回想している。
食 べ ら れ る も の で は な い 。 そ の 中 か ら 、 自分の好みのい
「身 体 も 丈 夫 な だ け に 、 食 べ る 方 も な か な か 達 者 で あ っ
く つ か の 料 理 を 選 ぶ の が 普 通 で あ る 。 だ か ら 、 いくら若 た 。 『飛 龍 』 に 着 任 し た と き 昼 食 に 出 た コ ロ ッ ヶ の 大 き
者 で も 、 船 が 上 海 に つ く ま で に "降 参 " し て し ま っ た 。 い の に び っ く り し た 。 が 、 前 か ら い た 機 関 参 謀 は 、 『ゥ
し か し 、 山 ロ 少 尉 だ け は 平 然 と し て つ づ け た 。 同僚た チの食事は量の多いのが有名で、なんでも大きいと、司
ち は 、 "山 ロ の ヤ ツ 、 い や に 頑 張 っ て や が る " と 、 その 令 官 が 二 コ ニ コ し て お ら れ る 』 と 笑 っ て い た 。 戦 艦 『大
健 啖 ぶ り に お ど ろ く と と も に 、 い つ ま で つ づ く か-- と
和 』 で 研 究 会 が あ っ た と き 、 お 伴 を し て 行 き 、 『大 和 』
見まもつていた。
で 昼 食 の 御 馳 走 に な っ た こ と が あ る 。 司 令 官 が 私 に こっ
さすがの山ロも、 香港につくころには、 そろそろあや そ り 、 『大 和 の 食 事 は 質 は 上 等 だ が 、 惜 し む ら く は 量が
し く な つ て き た が 、 負 け ず ぎ ら い の 山 ロ は 、 ま だ "まい 足りな V ね 』 と ^^わ れ て 苦 笑 し た こ と が あ る-- む ろ ん
つた" と い わ な い 。 し か し 、 い か に り き ん で も 、 か ん じ 私にはじゅうぶんであった」
ど う や ら 、山 口 司 令 官 の 健 啖 ぶ りは最 後 ま で つ づ い た と 言 い おわるや、司令官は静かに艦橋に向かった。 艏
—— といったら、 地下の故人からお叱りをうけるだろう 長もこれにつづいた。先任参謀がおいすがった。
3 0
力 「司 令 官 、 な に か 形 見 の 品 を く だ さ い 」
すると、伊藤中佐の両手に、 かぶっていた山ロの戦闘
そ のとき、海上 は 波 ひ と つ な く 、 月はこうこうと中天 帽が渡された。
にかがやいていた。 いよいよ訣別の時がきた。
司 令 官 と 艦 長 の "月 を 賞 で る " 対 話 を 聞 く 者 は 、 みな 鹿 江 副 長 は 軍艦旗を肌身につけ、伊藤参謀は山口司令
熱鉄をのむ思いがした。 官 の将旗と、遺品の戦闘帽をしかといだいて、ともに後
司令官は、 とくに伊藤先任参謀と鹿江副長を招きょせ ろ髮をひかれる思いで、最 後 に 艦を去った。
て、 移 乗 し た ニ 隻 の 駆 逐 艦 『巻 雲 』と 『夕 雲 』の 艦 上 で は 、
「こ う い う 作 戦 の 中 だ か ら 、 君 た ち の 身 も 明 日 は は か り 一同が声をあわせて呼び、 手 を あげ帽子をうちふって別
知 れ な い 。 だ か ら 、と く に 二 人 に 頼 ん で お く わ け だ が 、 離 を 惜 し ん だ 。 か な た の 艦 橋 に 立 つ 二 つ の 影 は 、 これ に
艦隊長官への伝言をたのむ。 それは I 」 こたえて手を振っている。
と、その姿勢をただし、言葉もおごそかに、 や が て 、 駆 逐 艦 は 、 魚 雷 発 射 の 位 置 に つ い た 。味方の
「陛 下 の 御 艦 を 損 じ ま し た こ と は 、 ま こ と に 申 し わ け が 魚 雷 に よ っ て 『飛 龍 』 を 処 分 す る よ う 、 退 艦 に あ た り 、
な い 。 し か し 、 や る だ け の こ と は や り ま し た 。 ただ敵の 山ロ司令官が先任参謀に指示していたからである。
残 る 一 艦 に 最 後 の 土 ど め を 刺 す 前 に 、 こうなったことは だ が 、魚 雷 も ふ び ん に 思 っ た の で あ ろ う か 、最初の魚
残 念 で す 。 ど う か この仇 を 討 ち は ら し て い た だ き た い 。 雷は命中しなかった。 そして、あらためて発射された。

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-- 以 上 だ 、 た の む よ 」
長官の御武運長久を祈りま^ 赤い炎とともに、艦の中央部から黒煙がまいあがった。
と き に 、 六月六日の太陽が、 まさに東の水平線からの 高く潜水艦 勤 務 を 専 務 と し た る が 、 のち連合艦隊先任参
ぼろぅとしていた。

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謀 、 海 軍 大 学 校 教 官 、 米 国 駐 在 、第 二 連 合 航 空 隊 司 令 官
等を歴任し、現職にあることニ年有余なり。
連 合 艦 隊 司 令 長 官 山 本 五 十 六 は 、 つぎの三首にたくし
余輩と勤務を同じくすること少尉時代の伊吹、 筑 摩 の
て 、 ミ ッ ド ウ ユ ー海 戦 で 散 華 し た 山 ロ 提 督 ら 諸 英 霊 の 冥
南 遣 支 隊 を 始 め と し 、 軍 令 部 、 艦 隊 、大 学 校 な ど 極 め て
福を祈った。 縁 多 く 常 に 意 見 を 交 へ た り 。余 の 級 友 中 、最も優秀の人
傑 を 失 ふ も の な り 。蓋 し 蒼 龍 先 き に 沈 み 、 航空 艦 隊 中 唯
かねてょり思ひ定めし道なれど 一 の 空 母 と し て 奮 戦 、 遂 に 敵 空 母 ニ を 仕 留 め る も (筆 者
火の艦橋に君登り行く 注 、実 際 は 空 母 一 を 大 破 )、 飛 龍 自 ら も亦 刀 折 れ 矢 尽 き て
燃えくるふ炎を浴みて艦橋に
遂に 沈 没 す る に 至 る 。司 令 官 の 責任を重んじ、 茲 に 従 容
立ちつくせしか我が提督は
と し て 艦 と運命を共にす。其の職責に殉ずる崇高の精神
海の子の雄々しく踏みて来にし道 正 に 至 高 に し て 喩 ゆ る に 物 な し .. 。
君立ちつくし神上りましぬ
また屢々上司に意見を具申し、作戦指導上貢献せる処
他司 令 官 と 類 を 異 に す 。其の名将たる之を以ても知るベ
ま た 、 連 合 艦 隊 参 謀 長 宇 垣 纏 は 、 そ の 戦 陣 日 記 『戦 藻 し』
録 』 の中で、 海軍兵学校いらい の 親 友 の 死 を い た ん で い
る0 山ロ司令官は、部下攻撃隊の出発にあたって、
『— 級友山ロ多聞少将と航空の権威たる加来止男大佐 「全 機 が 敵 艦 に 擊 突 す る 決 意 を も っ て 、 か な ら ず 敵 を や
を失ふ。痛恨限りなし。 山ロ少将は剛毅果断にして識見 っつけて来い。 司 令 官 も 後 か ら 行 く 」
と 激 励 し た 。 また、 上.
.‘フ。
「自 分 の 名 は 、 大 楠 公 の 幼 名 、 多 聞 丸 に あ や か っ た も の
だ」 月有清
「武 人 の 死 は 、 呱 々 の 声 を あ げ て 世 に 生 ま れ 出 た る に ひ つはものの疲れ稿ふ月夜哉
とし」 陣中の月
「生 と 死 を 選 ば ね ば な ら な い 時 は 、 潔 ょ く 死 を 選 ぶ べ き 戦を終えて月見る心地哉
である」
と 、 ロぐせのょうに言っていた。
か ね が ね 大 楠 公 の 『七 生 報 囯 』 を 信 念 と し て い た 司 令
官 は 、その大信念を実行したのであろう。
加 来 艦 長 は 、 正 義 の た め に は 、 「百 万 人 と い え ど も 我
征 か ん 」 と い う 剛 毅 な 精 神 に 燃 え て い た 。 また孝心あつ
く 、戦地にいても母堂への孝養を忘れなかった。
大君につくすまことのひとすぢは
孝の道にも通ふなるらむ
月をめでながら従容として艦と運命をともにした加来
艦 長 の 『陣 中 の 作 』 か ら 、 月 を 詠 ん だ も の を ひ ろ っ て み
中村盛作 (
第二十三日東丸艇長)
ほか監視艇乗組員
にもなかったのである。

64
真珠湾の廃墟に立った-
一ミッツの目に映ったものは、
日 本 海 軍 の 荒 鷲 に ょ っ て う ち く だ か れ た 見 る もあわれな
残 骸 と 、艦 隊 将 兵 の 士 気 の極度の沈滞であった。
な ん としても、 こうした士 気 を 日
I も は や く 回復せは
一 九 四 一 年 (昭 和 十 六 年 ) 士 一 月 三 十 一 日 、 真 珠 湾 惨 ば な ら ぬ 。そ れ は ニ ミ ッ ツ に あ た え ら れ た 至 上 命 令 で あ
敗 の 責 任 を と ら さ れ て 解 任 さ れ た ハ ズ バ ン ド .丑,キン った。 か れ は 全 力 を ふ り し ぼ っ た 。
メ ル 提 督 に 代 わ っ た チ ヱ ス タ ー ,界 .ニ ミ ッ ツ 提 聲 丈 、 "サ ン ダ ウ ン ,ジ ミ 1 " ( 日 暮 れ 男 )
潜 水 艦 「グ レ ィ リ ン グ 」 艦 上 で 、 米 太 平 洋 艦 隊 の 指 揮 を 上官 に ア ダ ナ を つ け る ことの大好きなアメリカの水兵
と る こととなつていた。
た ち は 、 自 分 た ち の ボ ス 、 素 朴 で 純 情 、 澄 ん だ 青 い 目の
こ の 新 し い 司 令 長 官 は 、古 い 潜 水 艦 乗 り 出 身 で は あ っ 童 顔 提 督 ニ ミ ッ ツ を 、 こう呼 ん だ 。 な ぜ か ?
たが、 かれが旗艦に潜水艦をえらんだのは、なにも感傷 二 ミ ッ ツ は 、 艦 隊 乗 員 の 士 気 を 高 揚 す る た め に 、と り
的な理由からではない。
わ け 訓 練 を 励 行 し 、 規 律 を 厳 正 に す る こ と に 心 を くボっ
そ の 当 時 、適 当 と 思 わ れ た 大 型 艦 は 一 隻 の こらず海底 た。 か れ は 、 く り か え し 命 令 し た 。
に横たわっているか、 さもなければ修理のためにァ メ リ
「上 陸 す る 水 兵 は 、 か な ら ず 日 暮 か (サ ン ダ ウ ン ) まで
力西岸へ回 航 す る 途 上 に あ っ た 、というのが 、 まぎれも に帰艦させょ」
なく残酷無情な実情であったのだ。
これでは、 せ っ か く 上 陸 し て も 、 夜 の 気 分 は あじわえ
艦隊司 令 長 官 の 就 任 式 を 行 な う に あ た っ て 、 利用でき
ず 、 ぞ ん ぶ ん に は め を は ず すこ とも で き な い 。 "親 の 、

た戦闘艦艇は、 うそのような話だが、潜水艦以外にはな 子知らず" の水兵たちは、野 暮 な 二 ミッツをうらんだ。
「う ち の ボ ス は 、 サ ン ダ ゥ ン .ジ ミ ー だ よ 」 ガ』 は 修 理 を 終 わ っ て 、 米 西 岸 サ ン デ ィ エ ゴ に い た か ら
で あ る 。 さ っ そ く 、 空 母 『ョ ー ク タ ゥ ン 』 は、 大 西 洋 か
ニミッツは、 艦 隊 乗 員 の 士 気 を 鼓 舞 す る 一 助 と し て 、 ら 太 平 洋 に 進 出 を 命 じ ら れ る 。 こうして、 太 平洋におけ
空 母 を た く み に 使 用 す る ヒ ッ ト .エンドこフン戦法をと る 米 空 母 は 四 隻 と な る 。 だ が 、 『サ ラ ト ガ 』 は 一 九 四 ニ
ることを考えた。 年 一 月 十 一 日 、 ハヮイの南西約八百キロで、 わが伊六号
こ の 空 母 こ そ は 、幸 運 に め ぐ ま れ て 真 珠 湾 の 災 厄 か ら 潜水艦による魚雷攻撃をうけた。同艦は自力で帰港する
ま ぬ が れ た の で あ っ た 。 他 方 、討 ち も ら し た こ れ ら 空 母 こ と は で き た が 、 重 要 な 五 力月 間 、 修 理 の た め 作 戦 に 参
をおびきだして、 これを一挙にほふろうというのが、 山 加できなかった。
本 長 官 が ミ ッ ド ゥ ュ ー作 戦 を 意 図 し た も と も と の 動 機 な
の で あ る 。 だ が 、 運 命 の い た ず ら と も い う べ き か 、 この 一九四ニ年二月一日、 アメリヵは太平洋戦争における
作 戦 は 山 本 の 期 待 と は 正 反 対 の 結 果 と な り 、 それが太平 最 初 の "攻 勢 " 作 戦 に で た 。 そ れ は 、 空 母 部 隊 に よ る 南
洋 戦 争 の "転 向 点 " と な っ た こ と は 前 に の ベ て お い た 。 東太平洋のマーシャルおよびギルバート諸島に対する空
それはともかく、開戦当 時 、 米太平洋艦隊には三隻の 襲であった。
空 母 が 配属されていた。 しかし、 わが海の荒鷲の大群が そ の さ い 、 陸 上 に 対 す る 艦 砲 射 撃 ま で 行 な っ た 。 さら
常 夏 の 朝 陽 に 銀 翼 を か が や か せ な が ら 、 どっとばかりに に 二 月 二 十 四 日 に は 、 中 部 太 平 洋 の ゥ ュ ー ク 島 (一九四
ハヮィに殺到したときには、米空母の姿は一隻も見えな 一年十二月二十二日、 日 本 軍が占領) も 攻 撃 し た 。
か っ た 。 そ れ と い う の も 、 た ま た ま 空 母 『エンタ ー プ ラ わ が 方 と し て は 、 こうした敵 の 攻 撃 に 対 し て 見 る べ き
イ ズ 』 は ウ ヱ ー ク へ 、 『レ キ シ ン ト ン 』 は ミ ツ ド ウ 丨 戦 果 を お さ めることができず、敵艦隊の蹂躪にまかせざ

31

65
へ、 そ れ ぞ れ 海 兵 隊 の 飛 行 機 を 輸 送 中 で あ り 、 『サラト るをえなかった。
わが連合艦隊司令部は、 かねて予期していたこととは 狽ハ如何ナリシ力笑事 ハナシど
1 1

66
いえ、 このょうな敵の動きに対して、 じゅうぶんな反擊 このカッコ内の山本の注釈は、 日露戦争中の明治三十

か で き ず 、 じ だ ん だ ふ ん で く や し が っ た 。 だ が 、 攻撃地 七 年 (一九0 四 年 )、ロ シ ア の ゥ ラ ジ オ 艏 隊 の 三 艦 が 、 東
点 が 日 本 本 土 か ら 遠 く は な れ て いるので、米海軍の国内 京 湾 頭 に あ ら わ れ 、 伊 豆 の 大 島 と 川 奈 の 間 を 、 わがもの
宣伝のための作戦であろうと判断していた。 顔 に う ろ つきまわったとき、 わが国民が、 山に逃げこむ
と こ ろ が 、 三 月 四 日 、 ハ ル ゼ ー提 督 の ひ き い る 米 空 母 やら、第二艦隊司令長官上村彦之丞中将の私邸に投石す
『エ ン タ I ブラィズ』部 隊が、 東 京 か ら 一 千 六 百 キロ ほ るなど、 ひどい混乱におちいった故事をさしている。
どの南鳥島に来襲した。 これを知ったとき、連合艦隊長
官山本五十六の心に本土防衛の心配がかきたてられた。 とこ ろ で 、 じつは山本が心配したょうな東京空襲が、
こ う し た 山 本 の 気 持 は 、 ハヮィ作戦の構想をはじめて アメリカでは極秘のうちに計画と準備がすすめられてい
公式に明らかにした、開戦から十一力月前の昭和十六年 たのである。
一月七日付で、時 の 海 相 及 川 古 志 郎 あ て の 意 見 書 の な か この計画は、英国の懇請にょる日本海軍部隊への牽制
にはつきりのベられている。 と 、 真 珠 湾 奇 襲 攻 撃 に 一 矢 を む く い る 復 簪 の 意 味 を こめ
「… … 若 シ 一 旦 此 ノ 如 キ 事 態 (筆 者 注 、 敵 が 一 挙 に 日 本 て 、 米 海 軍 作 戦 部 の フ ラ ン シ ス .し ,口 ー 大 佐 が 考 え だ
本土に対する急襲を行ない、 帝都その他の大都市を焼尽 したものだった。
する) 立
-1 至 ラ ン 力 、 南 方 作 戦 -
一、 仮 令 成 功 ヲ 収 ム ル ト 一九四ニ年一月のことである。
モ、 我 海 軍 ハ 輿 論 ノ 激 昂 ヲ 浴 ビ 、 延 テ ハ 国 民 ノ 士 気 ノ 低 口ーは、 こ の 構 想 を 作 戦 部 長 キ ン グ 提 督 に 提 出 す る 。
下ヲ如何トスル能ハザル-
一至ラ ム コ ト 火 ヲ 観 ル ヨ リ モ 明 さっそく、検討がはじめられた。 この計画の立案は航空
ナ リ (日 露 戦 争 浦 塩 艦 隊 /太 平 洋 半 周 一 一 於 ケ ル 国 民 ノ 狼 作戦参謀ダンカン大佐の手にうつされる。
しかし、 この任務をはたすのにじゅうぶんな航続距離 ,ド ー リ ッ ト ル 陸 軍 中 佐 以 下 二 百 入 が 空 襲 隊 員 に 指 名 さ
をもった空母搭載機がない。空母機だと航続力の関係か れた。
ら 五 百 キロ以 内 に 近 づ か ね ば な ら ぬ が 、 日本が監視艇や
飛 行 機 で め ん み つ に 哨 戒 し て い る 海 面 を 、敵に発見され
ずに到達することはむずかしい。
も し も 日 本 側 に 発 見 さ れ た な ら ば 、 マ レ ー沖 海 戦 で 日
本海軍航空部隊のためにあえない最後をとげた英主力艦
『プ リ ン ス .オ ブ .ゥ ヱ ー ル ズ 』 と 『レ パ ル ス 』 のニの 一月末のある日のことだった。 ダ ン カ ン 大 佐 は 、空母
舞を演ずることになるかもしれない。 『ホ ー ネ ッ ト 』 に ミ ッ チ ャ ー 艦 長 を お と ず れ 、 や ぶ か ら
陸軍の6 は、 適 当 な 航 続 距 離 を も っ て い る が 、 この 棒にたずねた。
25

「艦 長 、 本 艦 の 飛 行 甲 板 か ら 、 を発艦させることが

5
大 型 機 が 航 空 母 艦 か ら 発 進 で き る か ど う か は 、 非常にう 6

2
たがわしい。 で き ま す か ?」
ともかくも、飛び出した を、 ふたたび空母に収容 「飛 行 甲 板 に 何 機 を 積 ん で の 話 か 」
5

6
2

す る こ と は で き な い 相 談 で あ っ た が 、東 京 を 爆 撃 し て そ 「十 五 機 で す 」
のまま中国の基地に向かうことはできそうだった。 「で き る ね 」
そこで、陸軍航空部隊指揮官アーノルド将軍に相談す やが て 、 テストは 成 功 し た 。 ミッチャーはダンカンを
る。 アーノルドは、 大 い に 乗 り 気 に な り 、適当な機種と 見 て 、 にやりと笑ったが、それ以上のことはなにもたず
して双発軽爆撃機6 をえらび、 爆撃隊を編成すること ねなかった。
25

67
に 同 意 し た 。 こうして、第 十 七 爆 撃 隊 の ジ ヱ ー ム ズ . II : アーノルド将軍が、 この重大な空襲部隊の指導者にえ
ら ん だ ド ー リットル中佐は、陸軍航空隊きっての名パィ 本の天皇にいろいろと考えさせることは確かと思われる

68
ロット と し て 鳴 り ひ び い て い た 男 で あ る 。 彼 は 、 十日か -- と い う の で あ っ た 。
かって、 6 を 百 五 十 メ ー トル以内の滑走で、燃料と爆 二ミッツ長官は、 そ ば か ら ハ ル ゼ ー 提 督 に 、
25

弾を満載して、 三千二百キロの長距離飛行ができるょぅ 「ど う だ 、 成 功 す る と 思 う か ?」
改造した。 とたずねた。
ハ ル ゼ ー 提 督 は 、 空 母 『エ ン タ ー ブ ラ ィ ズ 』 隊 を ひ き 「運 ま か せ で す な 」
い て 南 鳥 島 を 空 襲 し 、真 珠 湾 に 帰 っ た 直 後 の 三 月 十 日 、 と 、 ハルゼーが答えたとき、
キング海軍作戦部長の命令で、 ヮシントンから飛来した 「や る 気 が あ る か ?」
ダンカン大佐から話がある、といってニミッツ提督の太 と 、 二ミツツはダメを押した0
平洋艦隊司令部に呼び出された。 「と に か く 、 や り ま し ょ う 」
ダンカンは、 ニミッツは、 い っ さ い を ハ ル ゼ ー に ま か せ た 。
「す ば ら し い 計 画 が あ る 。 あ な た に だ け 打 ち 明 け る の だ 一方、 空 母 『ホ ー ネ ッ ト 』 は、 三 月 は じ め 出 港 準 備 を
が .. 」
命 じ ら れ 、 パ ナ マ 運 河 を 通 っ て サ ン デ ィ エ ゴ (米 西 岸 )
と ^ ^ き し 、 東 京 空 襲 計 画 を も ら し た 。 つ ま り 、 ドー に回航することとなる。
リットル陸軍中佐は、海 軍 の 協 カ の も と に を空母の

5
6 そこへ、 例 の ダ ン カ ン が や っ て き た 。艦長室にカギを

2
甲板から発進させるために、十六組の搭乗員を訓練し、 かけ、 艦 長 ミ ッ チ ャ ー 大 佐 に さ さ や い た 。
海 軍 は こ の 爆 撃 機 隊 を 、東 京 に 向 け て 発 進 さ せ る と 約 束 「艦 長 、 本 艦 は ド ー リ ッ ト ル 中 佐 以 下 の 搭 乗 員 と 、 十 六
した。 機の陸軍爆搫機6 を積んで、東京空襲に出かけること

25
敵に大きな損害をあたえることは期待できないが、 日 になりました」
す る と ミ ッ チ ャ ー は た だ 一 言-- 。 リ ン 航 空 基 地 に お い て 、 空 母 『ホ ー ネ ッ ト 』 の 飛 行 甲 板
「そ う か 、 そ れ は 素 敵 だ !」 の大きさに仕切りがつけられたヮクの中で着陸法の訓練
サ ン デ ィ エ ゴ に 回 航 し た 『ホ ー ネ ッ ト 』 は、 三 月 三 十 をうけたという。
一日、 サ ン フ ラ ン シ ス コ 湾 に 入 り ア ラ メ ダ (サ ン フ ラ ン さらに、 不可能と思われるほど滑走距離をつめて、最
シスコ市の対岸) の 岸 壁 に 横 づ け す る 。 しかし、 乗組 員 短距離で離陸する猛訓練もくりかえした。
の上陸はいっさい許されなかった。 陸 軍 機 の パ ィロットとして、発進のための最短距離と
その日の夕方、 6 の ー コ 中 隊 が 『ホ ー ネ ッ ト 』 の上 考 え た 限 度 で 離 陸 で き る よ う に な る と 、 こんどは裏庭の
25

空を飛んで、 ちかくの飛行場に着陸する。 よ う な せ ま い 区 域 内 へ の 着 陸 と 、 全 装 備 の う え で 、時速


『ホ ー ネ ッ ト 』 の パ イ ロ ッ ト の 一 人 、 サ ザ ー ラ ン ド 大 尉 百 キ ロ で 離 陸 す る 練 習 を く り か え す 。普通の離陸速度
がそれに気づいて、同僚といっしょにその着陸ぶりをな は、 ミ ラ ー 大 尉 の 許 容 し た 距 離 の 三 倍 を は し っ て 、 時 速
が め て い た 。と こ ろ が 、 そ の 着 陸 法 はどうも普通とちが 百四十四キロというところだった。
ジ ミー , ーリットルのような名飛行士にとっても、

つているように感じられた。
「あ れ は 、 バ カ に 速 力 を 落 と し て く る じ ゃ な い か 。 変 だ この海 軍 式 発 着 法 は な か な か の 難 物 で あ っ た 。
な 、 ど う も .. 」 その間に、 超 低 空 飛 行 で 、 ある い は 早 く 、 あるいはお
「う ん 、 ま る で 、 小 型 の 海 軍 機 の や り 方 そ っ く り だ ぞ 」 そく飛ぶ方法もならった。 そして、 いつでも他言無用、
あとで、空母のパイロットたちが陸軍の操縦員たちと 秘密、 秘 密 と 口 止 め さ れ た 。 かれらは、 こんな異常な訓
会ってお ど ろ い た こ と に は 、 かれらはまったく海軍流に 練がどんなふうに利用されるかを、推察することさえ許
教えられ て い る と の 話 だ っ た 。海軍の名パイロットのミ されなかった。

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ラ ー 大 尉 に 指 導 さ れ 、 彼 ら は 一 力 月 間 、 フロリダ州工グ ハルゼー提督は、 ド ー リ ッ ト ル 中 佐 と 打 ち 合 わ せ の た
め、 三 月 三 十 一 日 、 サ ン フ ラ ン シ ス コ ま で 出 向 き 、 東 京 そ れ か ら 五 分 も た た な い う ち に 、 ヮシントンの陸軍参

70
の六百四十キロ圏内に進入できたら、 そこから爆撃機を 謀総長マーシャル将軍からドーリットルに電話がかかっ
発進させることに一決した。 た。隊長として参加するのを取り消す命令ではないか、
この日、 ハルゼーはキング提督から一通の書面を受け と内心ひやりとした。だが、 そうではなかった。
取 っ た 。 そ の なかには、 つぎの文句がしたためられてい 「ド I リットル君、出 発 前 に 一 言 、 幸 運 を お 祈 り す る 、
た。
と 言 い た か っ た の だ 。 われわ れ は 、 心から成功を祈って
「ホ ー ネ ッ ト の 最 初 の 破 天 荒 の 作 戦 が 成 功 す る こ と を 希 い る 。 さ よ う な ら 、 元 気 で 帰 っ て く る よ う に .. 」
望 し 、 期 待 し て や ま な い 。 本 官 は 、 也貝官の信頼すべき指 や が て 、 『ホ ー ネ ッ ト 』 は 重 巡 『ヴ ィ ン セ ン ス 』 軽 巡
揮 下 に 、 各 将 兵 が み ご と に 任 務 を 達 成 す る こ と を 信じて 『ナ ッ シ ュ ビ ル 』 駆 逐 艦 四 隻 、 給 油 艦 一 隻 と と も に 、 濃
ぅ た が わ な い 。幸 運 と 成 功 を 祈 る 」 霧 の た ち こ め た サ ン フ ラ ン シ ス コ 湾 を あ と に し、 金 門 橋
ド ー リ ッ トル中佐は、 いよいよ出発が一両日にせまっ
を通り抜けて湾外に出る。 この第十八任務部隊は針路を
た と き 、な に げ な い ふ ぅ で 妻 に 別 れ を 告 げ た 。 北 西 に変え、 ハルゼー提督の直率する第十六任務部隊と

数週間ほど、本国をはなれることになるかもしれない の集合点に向かった。
よ … … 」
こ の 日 の 午 後 、 『ホ ー ネ ッ ト 』 艦 上 で は 、 ミ ッ チ ャ I
艦長がマイクロフォンを通じて、乗組員に言葉みじかに
空 母 『ホ ー ネ ッ ト 』 が 、 そ の 飛 行 甲 板 に 、 奇 妙 な 荷 物 告げた。
-- 十 六 機 の 6 をくくりつけて、 サンフランシスコ湾 「本 艦 は 、 東 京 空 襲 の た め 、 陸 軍 爆 撃 機 を 日 本 沿 岸 に 輸

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を 出 港 し た の は 、 一九四ニ年四月二日の午前十時すぎだ 送中である」
つた。 艦 内 い た る と こ ろ で 嵐 の よ う な 拍 手 と 、 歓声がどっと
わ き お こ り 、護 衛 艦 に ま で 聞 こ え た 。 や が て 、護衛艦か 「ど こ か の 陸 上 基 地 に 、 陸 軍 爆 撃 機 を 増 強 す る つ も り ら
らもよろこびの拍手が空母に反響してくる。将兵の士気 しいぞ」
「ど ぅ し て ?」
は、 い っ ぺ ん に 高 ま っ た 。
「ホ ー ネ ッ ト の 飛 行 甲 板 に は 、 陸 軍 の 3 が積みこまれ

25
『ホ — ネ ッ ト 』 の 個 有 の 海 軍 搭 乗 員 た ち は 、 ド ー リ ッ ト
ル隊員をうらやんだ。なんとかして彼らに代わって東京 ているんだよ」
を 空 襲 し た い と 思 う 連 中 は 、陸軍飛行士たちにポーヵー 「そ ぅ か 、 い っ た い 、 ど こ の 基 地 だ い ?」
(ト ラ ン プ 遊 び の 一 種 )を い ど ん だ 。 あ わ よ く ば 、 払 い き 「さ あ 、 そ こ ま で は 知 ら な い ね 」
れない借金をせおわせて、 その代償として飛行許可をせ 聞 か れ た パ ィ ロ ッ ト は 、 答 え ら れ な か っ た 。 『ホーネ
しめようとたくらんだのである。だが、陸軍搭乗員たち ット』 の 奇 妙 な 荷 物 の 行 先 き と 、 『エ ン タ ー ブ ラ ィ ズ 』
は、意 外 に 健 闘 し 、結 局 の と こ ろ 、 財布の底をはたいて の任務は、 まもなく明 ら か に さ れ た が 、空 襲 の 二十四時
札ビラを切ったのは海軍側だった。 間前ま で 、 この計画を完全に知っていたのは十名ほどに
四 月 八 日 、 ハルゼ I 提 督 指 揮 の 空 母 『エ ン タ ー プ ラ ィ すぎなかった。
ズ 』 を 旗 艦 と し た 重 巡 ニ 隻 、 駆 逐 艦 四 隻 、給油艦一隻の 予 定 集 合 点 で 合 同 し た 機 動 部 隊 は 、 空 母 ニ 隻 、 重巡三
第 十 六 任 務 部 隊 は 真 珠 湾 を 出 撃 し 、 ミ ッ ド ゥ ヱ ー島 と ァ 隻 、 軽 巡 一 隻 、 駆 逐 艦 八 隻 、給 油 艦 ニ 隻 で 編 成 さ れ る 。
リューシャン列島のほぼ中間の集合点に向かった。 そ し て 、 ハルゼ ー 指 揮 の も と に 、 針 路 を 西 に と り 東 京 を
四月十三日のことである。 めざして進んだ。
ド ー リ ッ ト ル 中 佐 は 、 隊 員 を 集 め て 、 はじめて任務を
『エ ン タ I プライズ』 のパイロットが、 水平線にあらわ
れた一隻の空母をたしかめるため飛び立った。 明らかにした。
「わ れ わ れ は 、 こ こ か ら 日 本 の 都 市 I 東 京 を はじめ横
帰ってきてから、彼は同僚に話しかけた。
浜 、 大 阪 、 神 戸 、 名 古 屋 な ど の 爆 撃 に 出 か け る 。 海軍が ドー リットル機は、 ほかの飛行機よりも三時間前に発
できるだけ日本の近くまで、われわれをつれて行って

72
く 艦して日本上空へ夕方に到着、焼夷弾を投下し、 後 続 機
れる。 の目標を照らし出す。空襲機は夜いんにまぎれて日本上
8 は、 空 母 に 着 艦 で き な い の で 、 目 標 を 爆 撃 し た ら 空を通過し、 翌日、明るくなってから中国の麗水飛行場
25

西方 に 飛 行 を つ づ け 、中 国 の 海 岸 近 くの飛行場に着陸す (浙 江 省 ) に 到 着 す る —— という計画であった。
る。 そ こ で燃料を補給したら重慶に向かう」
さらにドーリットルは、 つぎのょうにつけくわえた。

I 、 この敵をむかえ撃つ、 日本側の備えはどうであ
「こ の 作 戦 は 、 け っ し て 自 殺 行 為 で は な い 。 自 分 の 計 算 ったか?
では生死半々というところだ」 わ が 海 軍 は 、米 機 動 部 隊 による本上空襲を瞥戒してい
隊員たちは、授業をうけたり、 ポーヵーであそんだり た。
した。 千島列島から小笠原諸島にいたる本土東方海面のうち
四月十七日、 ハルゼー部隊の各艎は洋上で補給する。 で、 本 土 近 海 は 横 須 賀 鎮 守 府 と 大 湊 警 備 府 部 隊 と が 担 任
それがおわると、駆逐艦と給油艦を予定集合点に先行 し 、 そ の 外 方 は 連 合 艦 隊 の 北 方 部 隊 (指 揮 官 は 第 五 艦 隊
させ、 その他 の 艦 は 8 の発進地点に向けて高速で突進 司 令 長 官 )が 警 戒 に あ た っ て い た 。

25
した。
その警戒要領は、本土の東方約七百カイリ I 東経一
ドーリットル隊の空襲は、 四月十八日の夜間攻撃を予
五五度線 I に多数の哨戒艦艇を配備して哨戒線をつく
定 し て い た 。 そ こ で 同 日 午 後 、東京から六 百 十 キ ロ の 地 り、 こ れ と 同 時 に 、 内 地 に あ る 連 合 艦 隊 の 航 空 兵 力 を も
点 で 発進し、十三機を東京に集中し、他の三機は東京を って、 木 更 津 (千 葉 県 ) か ら 七 百 カ イ リ 、 南 鳥 島 か ら 六
通 ら ず 、 それぞれ名古屋、大阪お よ び 神 戸 を 攻 擊 す る 。 百カイリの飛行哨戒を行なう。 これらの哨戒によって、
来襲部隊を本土空襲の一日前に捕捉しようというのだ。 昭 和 十 七 年 二 月 一 日 で あ っ た 。第 一 、第二監視艇隊はそ
と こ ろ で 、本 土 東 方 海 面 は 正 面 幅 が ひろく開いている れ ぞ れ 二 十 五 隻 、第 三 が 二 十 八 隻 、 これらは全国の網元
ため、 万 全 を 期 す る に は 、 ひじょうに多くの哨戒艦艇と や 、 個 人 が 持 っ て い た ヵ ッ オ、 マグ ロ 漁 船 が 徴 用 さ れ た
も の で あ り 、 百 ト ン か ら 二 百 ト ン の 鉄 船 だ っ た 。 漁労関
飛行機を必要とするので、敵来襲部隊が通過する公算が
もっとも大きいと思われる北緯三五度を中心とする中央 係 者 以 外 の 船 員 —— 船 長 、 航海士、機 関 員 、 通信員など
部に 、哨戒の重点がおかれた。 も そのまま徴用され、 それとほぽ同数の海軍の下士官兵
この哨戒線を構成する艦艇は、第五艦隊に所属する第 が乗り組んでいた。
二十ニ戦隊であった。 この戦隊の兵力は、 司令部のおかれた赤城丸と粟田丸、浅香丸の三隻は、
本隊特設巡洋艏三隻 七 千 ト ン 級 の 商 船 で あ っ た が 、若 干 の 武 装 を ほ ど こ さ れ
第一、第二、第 三 監 視 艇 隊 各 監 視 艇 隊 は 特 設 砲 艦 、 て、 特 設 巡 洋 艦 と し て 哨 戒 線 の 後 方 に 配 置 さ れ た 。 その
特 設 敷 設 艦 各 ニ 〜 三 隻 、 特 設 監 視 艇 各 二 十 五 な い し 二十 近 く に 、 ニ、 三 千 ト ン 級 の 昌 栄 丸 と 安 州 丸 の ニ 隻 が 特 設
八隻、 合 計 し て 特 設 巡 洋 艦 三 隻 、特 設 砲 艦 、特 設 敷 設 艦 砲艦として監視艇隊を支援する。
八隻、特設 監 視 艇 約 八 十 隻 。 き の う ま で の 民 間 船 と そ の 乗 組 員 が 、 いまや徴用され
敵が空母機で攻擊するならば、 その航続力から見て、 て 海 軍 の 指 揮 下 に 入 り 、 北 太 平 洋 の 最 前 線 で 、 わが本土
わが本土の東方約三百ヵィリの地点で発進するはずだか に 来 攻 す る敵機 動 部 隊 の 動 静 を 監 視 し ょうというのであ
ら、 前 日 に 六 百 カ イ リ 付 近 で こ れ に 一 撃 を く わ え 、 さら る0
に翌日の反撃によって、 敵来攻部隊を撃滅する計画がた しかし、敵を 発 見 し た と き に は 、 みずからも敵に発見
てられた。 さ れ て い る の で 「敵 発 見 」 の 第 一 電 を 急 報 し お わ る や 、
漁船を主体とする三つの監視艇隊が編成されたのは、 優勢な敵の砲火にょって血祭りにあげられることは必定
であろぅ。 たしかに、 監視艇は敵の動静探知のための特
底 曳 き 船 ) は、 突 然 、 敵 の 艦 載 機 を 発 見 し た 。 夜 陰 に 乗
攻 艇 で あ り 、 "人 間 レ ー ダ ー " と い う べ き も の だ っ た 。

74
じて、第 三 監 視 艇 隊 の 哨 戒 線 を ぶ じ 突 破 し た 敵 機動部隊
は、 つ い に こ こ に と ら え ら れ た の で あ る 。
敵 は 、 監 視 艇 に 電 報 を 打 た せ な い た め 、 飛 行 機 の 集中
三 攻 撃 を 行 な い 、 は げ し く 爆 撃 と 銃 撃 を く わ え た 。 しかし
艇長は、そのときすでに敵発見の第一電を発していた。
「敵 飛 行 艇 三 機 見 ユ 、 針 路 南 西 。 敵 飛 行 機 ニ機 見 ユ 。 〇
わ が 哨 戒 部 隊 で は 、 四 月 十 七 日 、第 三 監 視 艇 隊 が 東経 六三〇 」

一五 度 線 (千 葉 県 犬 吠 崎 よ り 七 百 カ ィ リ )の 哨 戒 線 上に 敵発見の打電といぅ最大の使命をはたしたのち も 、乗
二十カィリ間かくで配備につき、それまで配備について 組員は勇敢に応戦した。だが、その貧弱な武器 I 機銃
いた第一、第 二 監 視 艇 隊 は 、 哨区をはなれて北海道の釧 梃
一と 小 統 数 梃 で は 、 い か ん と も す る 術 が な い 。 船 体 ょ
路 に 向 け て 埽 投 中 で あ っ た 。 だ か ら 、 そ の こ ろ の哨戒線
ハ チ の 巣 の ょ ぅ に な り 、 機 械 も と ま り 、 浸 水 も し だいに
は、 五
一五 度 線 と そ の 西 方 の ニ 線 が で き て い る と い ぅ 状 増してくる。そして、乗組員は、あいついでたおれる。
況だった。
まもなく、朝モヤをついて敵の機動隊が見えた。
いよいよ、 四月十八日— ドーリットル隊の発進日が ハ ル ゼ ー 提 督 は 、 軽 巡 『ナ ッ シ ュ ビ ル 』 に、 第 二 十 三
おとずれる。風は強く、海は荒れていた。
日 東 丸 の 撃 沈 を 命 じ た 。艇 は す で に 沈 没 に ひ ん し て い た
午 前 六 時 三 十 分 ご ろ 、東 経一五五度の哨戒線の西方約 が 、乗組員の闘魂は い ぜ ん と し て 旺 盛 だ っ た 。
百 カ イ リ の 北 緯 三 十 六 度 .東 経 一 五 二 度 十 分 を 釧 路 に 向
第 二 十 三 日 東 丸 は 、 最 後 の 勇 気 を ふ る い お こ し 、 つぎ
か っ て い た 第 二 監 視 艇 隊 の 第 二 十 三 日 東 丸 (九 十 ト ン の
つ ぎ と 敵 情 を 報 告 し た 。最 初 に 敵 を 発 見 し て ゎら沈没し
な い 。が 、 六 通 の 敵 情 報 告 を 行 な っ て い る こ と や 、 後で
た と 思 わ れ る 午 前 七 時 ご ろ ま で 約 三 十 分 の 間 に 、第一電
のほか、 じつに五通の敵情報告を打電している。 の べ る 長 渡 丸 の 戦 闘 状 況 か ら 察 す る と き 、 いかに壮烈な
ものであったかは想像にかたくない。
0 六 五 0 発 信 「敵 航 空 母 艦 三 隻 見 ユ 」
発信時刻不詳「
敵駆逐艦見ユ」 第 二 監 視 艇 隊 司 令 淸 宮 善 高 大 佐 は 、 同隊
発 信 時 刻 不 詳 「敵 空 母 三 隻 、 地 点 ル ソ ク 戦 闘 報 告 の 中 で 、 その功績と敢闘をつぎの
ょぅにたたえている。

25

『第 二 十 三 日 東 丸
〇 七 0 〇 ご ろ 発 信 「敵 大 部 隊 見 ユ 」
(他 に も ぅ 一 通 打 電 さ れ た が 、電 文 は 不 明 ) 右ハ夜間-
一哨戒線ヲ突破セル敵機動部隊
し か し 、艇 長 中 村 盛 作 兵 曹 長 は じ め 十 四 ヲ 克 ク 早 期 -捕
1 捉 シ 、直 チ -
一機宜ヲ得タル
通信連絡ノ手段ヲ講ジテ友軍ノ作戦展開- 1
名 の 乗 組 員 全 部 は 、 ついに艇と運命をとも
にして北太平洋の波間に消えていった。 至大ナル貢献ヲ為シタリ。 而シテ艇長以下
第二十三日東丸の状況は、当時の戦闘報 今ニ至ルモ帰還セザルハ終二其ノ地点-
一於
告に、 テ艇長以下壮烈ナル最終ヲ遂ゲタルモノノ
「十 八 日 、 〇 六 三 0 、 敵 機 動 部 隊 発 見 ょ り 如 ク 、 誠 -壮
1 烈ノ極ト言ハザルべカラズ。
其ノ功績最モ顕著ナリト認ム』
0 七 0 〇 沈 没 (推 定 ) に い た る ま で 、 敵の
この功績にょり、第二十三日東丸の全乗
熾烈な攻撃をこうむりつつも六通の敵情報
告 を 発 し 、 わが作戦に寄与せしところきわ 組員は、 二階級特進と金鵄勲章授与の栄誉
めて犬なり」 にかがやいた。 ちなみに一般船員にたいする叙動は、 こ
と記されているのみで、 その奮戦の詳細は知るよしも れが最初である。
第 二 十 三 日 東 丸 の 「敵 発 見 」 の 電 報 を 受 け た 軍 令 部 と
い一千四十キロだったが、発 見 された以上、とるべき処
連 合 艦 隊 は 、第 二 十 六 、 第 二 十 航
I 空 戦隊に攻撃命令を

76
置は一つしかないと決心する。
発 す る と と も に 、 第 一 航 空 艦 隊 と 第 三 潜 水 戦 隊 に 現場へ そ こ て 午 前 八 時 、 彼 は 『ホ ー ネ ッ ト 』 艦 長 ミ ッ チ ャ ー
の急行を命じた。 大佐に、 つぎの信号命令を発した。
第一航空艦隊は、 四月五日から九日にかけてインド洋 「爆 撃 機 を 発 進 さ せ よ !」
のセイロン島、 ッリンコマリーを急襲し、 インド洋から 「ド ー リ ッ ト ル 中 佐 と そ の 勇 敢 な 隊 員 へ —— 幸運と神の
英艦隊を一掃する大戦果をあげ、台湾海峡を北上して帰 加護を祈る」
途についていた。 ド ー リ ッ ト ル は 、 た だ ち に 『ホ ー ネ ッ ト 』 の 艦 橋 を か
第三潜水戦隊の三隻は、米機動部隊の出現位置の西方 けおりた。 そして、隊員の前に立った。
約 二 百 ヵ イ リ に いた。
「い ま こ そ 、 好 機 が 到 来 し た 。 わ た し の や る と お り に し
し か し 、 こ れ ら 海 上 部 隊 は 間 に あ わ ず 、 航 空 部 隊 もま て、 後 か ら つ づ け 、 レッツ ゴ ー 」
た、 敵 の 攻 撃 は 翌 日 と 判 断 さ れ た の で 、 陸 攻 二 十 九 機 、
風 波 は 強 く 、 『ホ ー ネ ッ ト 』 の 船 体 は は げ し く ゆ れ 、
戦 闘 機 二 十 四 機 が 発 進 し た の は 、 東 京 空 襲 が おわったあ 緑 色 の 大 波 が 空 母 の 舷 側 を は い あ が り 、甲板はしぶきで
と (
午 後 零 時 四 十 五 分 ) であった。
びしょぬれになった。
ド ー リ ッ ト ル 隊 長 が 先 頭 を 切 り 、 われにつづけとばか
一方、 ハ ル ゼ ー 提 督 は 、 い ち じ 重 大 な 決 断 に せ ま ら れ
かり八時二十五分に発艦する。乗組員は手に汗をにぎり
た 。 第 二 十 三 日 東 丸 の 発 し た 「敵 発 見 」 の 電 報 を 傍 受 し な が ら 、 そ の 出 発 に あ ら ん か ぎ り の 力 を か し た 。 一機だ
たので、敵に発見されたことは確実である。
けが、あわや失速して海中突入と見えたが立ちなおり、
そ の 位 置 は 、 発 進 予 定 の 六 百 四 十 キ ロ よ り は る 如 こ遠 最 後 の 一 機 が 『ホ ー ネ ッ ト 』 を 離 れ た の は 、 午 前 九 時 十

有 名 な 西 部 劇 映 画 の 監 督 ジ ョ ン .フ ォ ー ド の 指 揮 で 、

8 の 発 進 の も よ う が 撮 影 さ れ た 。 ち な み に 、 こ の "映
25

画 狂 " フォー ドは、 そ れ か ら 約 ニ ヵ 月 後 の ミ ツ ド ウ エ ー


海 戦 に も 従 軍 し た 。 そ し て 、 海 戦 の 前 夜 、 ハリウッドの
03 の 最 後 の 一 機 が 『ホ ー ネ ッ ト 』 の 飛 行 甲 板 を 発 進

25
魅惑的な物語で、 ミッドウ'
'丨 守 備 隊 員 の 緊 張 を ほ ぐ し
し た 一 分 後 —— 午 前 九 時 二 十 分 、 ハルゼー部 隊 は 針 路 を
て 、 海 戦 当 日 は 展 望 の き く 特 等 席-- 発 電 所 の 屋 根 裏 力
反転して東となし、速力を二十五ノットにあげた。
ら、 日本海軍機のミッドウ'
'1 へ の 来 襲 状 況 な と を フ ィ
米 機 動 部 隊 は 、 進 撃 の さ い に は 、第二十 三 日 東 丸 を 攻
ルムにおさめたのである。
さて、 ド ー リットル隊は、午 後 零 時 三 十 分 、 東京に第 撃したにとどまったが、 8 を発艦させて避退行動にぅ

25
弾 つったあとは、積極的にわ,
か哨戒線を攪乱し、多数の監
一を 投 下 し た 。
空 襲 は 翌 日 と 判 断 し て い た の で 、警 戒 警 報 が 発 せ ら れ 視艇が、敵飛行機の激しい攻撃を受けて大きな損害をこ
ていたのは横須賀鎮守府管内だけだった。 ぅむった。
四月十八日、東 経 五 一五 度 線 上 の 哨 戒 配 備 に つ い て い
東京市民は、 ちょうどその日の午前中に防空演習があ
た 第 屋 視 艇 隊 の な か に 、 九 十 四 ト ン 6ヵ ツ 5 船 長 渡
ったので、 高 射 砲 弾 が う ち あ げ ら れ 、 爆弾の 黒 煙 が あ が
つても、 ほ ん も の の 空 襲 と 気 づ か な い 者 が 多 か っ た 。 丸 が あ っ た 。民 間 側 は 船長以下七名、海軍側は前田儀作
ド ー リ ッ ト ル 隊 は 、 東 京 、 川 崎 、横 須 賀 、 名古 屋 、 四 兵曹長以下七名が乗り組んでいた。
日市、神 戸 な ど を 銃 爆 撃 し 、あたかも通り魔のように東 この日の正午すぎ、長渡丸は哨戒線上の北緯三十六度
シナ海に去った。 付 近 で 、 敵 飛 行 機 三 機 を 発 見 す る 。 前 田 艇 長 は 、 「敵 発
見」 の打電を命じた。 そ の と き 、艇 長 は 、機 密 書 類 の 処 分 を 命 じ た 。

78
「敵 飛 行 機 三 機 見 ユ 、 地 点 ヲ へ ロ 、 針 路 二 百 七 十 度 、 一 「機 密 書 類 は 、 お も り を つ け て 、 海 中 に ほ ぅ り こ め !」
二三〇 」 中 村 ら は 、 い そ い で 機 密 書 類 を ま と め て ロ ー プ でしば
敵機は長渡丸に向かって来襲し、銃爆撃をはじめる。 り、 そ れ に お も り を つ け て 海 中 に 投 げ こ ん だ 。
艇は敵の攻撃をたくみにかわしながら、小銃ニ梃で、応 いぜんとして、敵 機 の 攻 撃 は し つ ょ ぅ を き わ め た 。 爆
戦する。 弾 が 前 部 兵 員 室 に も 命 中 、 そ こ か ら も 浸 水 す る 。 艇員は
ブ ^'ッ ジ の 上 に あ る 羅 針 甲 板 で 、 目 を サ ラ の ょ う に し 勇戦敢闘するもわすかニ挺の小統ではいかんともする
て 見 張 っ て い た 信 号 員 中 村 末 吉 は 、 西方の水平線上にマ 術もない。
ス ト を 発 見 す る 。 つづいて、 空 母 を ふ く む 数 隻 の 敵 艦 が ま も な く 、 敵 の 巡 洋 艦 『ナ ッ シ ュ ビ ル 』 が 近 づ い て き
あらわれてきた。 た。
中村が大声で敵情を報告していたとき、 中 村 が ふ た た び 羅 針 甲 板 に か け の ぼ っ た と き 、 わがも
「逃 げ て も ム ダ だ か ら 、 敵 の 方 に 突 っ 込 む ぞ !」 の顔に近くまでせまった敵艦の砲弾がマストの近くに命
と い う 、艇 長 の 元 気 な 声 が か え っ て き た 。 中 す る 。中 村 は 、 気 を 失 っ て 倒 れ た 。 だが、 さいわい、
し つ ょ う な 敵 機 の 銃 爆 撃 は つ づ い て い る 。中村は 無 電 この砲弾は炸裂しなかったらしい。
室にとびこみ、 二通目の電報のキーをたたいた。 中 村 が ふ と 気 が つ い て み る と マ ス ト も 、 近くにあった
「敵 航 空 母 艦 ニ 隻 、 巡 洋 艦 ニ 隻 見 ュ 。 7 レ 攻 撃 ヲ 受 ク 、 コンパスもなく、 ど こ か に 吹 き と ん で し ま っ て い た 。
ニニ〇 〇 」 ブ リ ッ ジ に お り て み る と 、前 田 艇 長 と 一 人 の 水 兵 が 敵
つぎの瞬間、 爆 弾 が 機 械 室 に 命 中 し 、 浸 水 の た め に 航 の機銃弾 に た お れ 、 す で に 息 が 切 れ 、 あたりは鮮血にい
行できなくなった。 ろどられていた。
ラジオストックに不時着して、 ソ連側に抑留された。
後 部 兵 員 室 に 行 っ た と き 、中村は思わず目をそむけて
し ま っ た 。 主 計 兵 と 艇 員 が 、炊 事 用 の 出 刃 包 丁 で 刺 し ち 他の十五機は中国に向かった。 四機は強行着陸で大破
がえて自決しているではないか! し、 残 り 十 一 機 の 搭 乗 員 は パ ラ シ ュ ー ト で 降 下 、 五 名は
墜死または溺死し、 その他はヶガをした。
やがて、船体は大きく傾き、生き残ったのは五名だけ
と な る 。 つ ぎ の 瞬 間 、 船 体 は 転 ぶ く し 、 そ の は ず みで、 中国の寧波付近に着水した一機と、南昌付近に落下傘
中村らは海上に投げだされた。 降下した他の一機の搭乗員は、 日本軍に捕えられた。う
長 渡 丸 は 、 波 高 き 北 太 平 洋 の 波 間 に 、 しずかに消えて ち 三 人 は 処 刑 さ れ 、 一人は獄死。 結 局 、 全 員 八 十 人 の う
ぃった。 ち九人を失った。
そ れ と いうのも、 も と を ただせばアメリヵ側の計画で
ド I リットル隊は、 日本国民があれょあれょといって は、 夜 間 空 襲 を 行 な い 、 翌 日 、 明 る く な っ て か ら 中 国 の
いるぅちに、 わが本土の上空を西に飛び去った。 麗 水 飛 行 場 に 着 陸 す る 予 定 だ っ た が 、第二十三日東丸に
この空襲についての発表は、 まったく不意をくったの 発 見 さ れ た の で 、急 き ょ 計 画 を 変 更 し て 、 昼間空襲を強
で、 さ す が に 、 〃大本営発表〃とすることには気がひけ 行せざるをえなかったからである。
たとみえて、東部軍司令部の名で行なわれた。 そして、
一 機 も 撃 墜 し て い な い の に 、 「九 機 撃 墜 」 と 発 表 し た た 米国は、 この空襲の秘密保持につとめた。
め、 〃 落 と し た の は 九 機 じ ゃ な く て 空 気 だ よ " と カ ゲ ロ ル ー ズ ベ ル ト 大 統 領 は 、記 者 会 見 の さ い 、
をたたかれてしまった。 「飛 行 機 は 、 ど こ か ら 発 進 し た の で す か ?」
空襲をおわったド リ ッ ト ル 隊 十 六 機 の う ち 、 一機は という質問に対し、

79
I
なにをまちがえたのか、ごていねいに日本海をこえてウ 「あ れ は "シ ャ ン グ リ ラ" か ら だ よ 」
と答えて、新聞記者連中をすっかりヶムリにまいた。 一方、 ハ ル ゼ ー 提 督 は 、 彼 が 東 京 空 襲 当 時 、 海 上 に い
「シ ャ ン グ リ ラ 」 は 、 ヒ ル ト ン の 空 想 小 説 『失 わ れ た 地

80
たことを知っていた連中から、
平線 』 にでてくるチベットの理想郷の名前である。 「き み は 、 こ の 空 襲 に 関 係 が あ る は ず だ 」
こうして、 ルーズベルトは秘 密 基 地 の 代 名 詞 と し て 、 「空 襲 機 は 、 ど こ か ら 発 進 し た の か ?」
"シ ャ ン グ リ ラ" と い う 名 称 を あ げ た 、 と 一 般 に は 解 釈 などとぅるさく攻め立てられた。
さ れ た 。 だが、 彼 の胸中には、 ほかの考え方があったよ こ れ に は 、 さ す が の "猛 牛 提 督 " も 、 ま っ た く 閉 口 し
うだ。 てしまった。
一 九 四 一 年 一 月 十 六 日 、 ル ー ズ ベ ル ト 大 統 領 は 、 もし な に を 聞 か れ て も 、 彼 は "知 ら ぬ 存 ぜ ぬ " の 一 点 張 り
日 本と戦端を開くようになったら、 日本都市の爆撃を考 でおしとおし、
慮 す るよう、海 軍 に 指 示 し て い る 。彼 は し ば し ば 、 メリ
「£ は 五 千 八 百キ ロ も 飛 べ る 飛 行 機 だ ょ 」

25
1 ランド州の閑静な大統領別莊キャンプ二アーヴィッド と 、 ミッド ゥ ヱ ー を 基 地 と し た 暗 示 だ け に 食 い と め る
で 想 を ね っていたが、 ここはシャングリラと命名されて のに骨を折った I と 、 そ の 著 『ハ ル ゼ ー 提 督 物 語 』 に
ぃた。 のべている。
ドーリットル空襲の直接の着想は、 キング提督と、そ た し か に ア メ リ カ で は 、 し ば ら く の 間 、 この空 襲 は ミ
の作戦参謀によって実施のはこびにいたったものではあ ッドゥューから長駆決行されたものと信じられていた。
る が 、 大 統 領 と し て は 、 "あ の 空 襲 は 、 も と も と 自 分 が そ し て 、 こ の 誤 っ た 推 定 を 信 じ こ ま せ る た め 、 その功
シ ャ ン グ リ ラ で 思 い つ い た も の だ"と い う 気 持 が 強 く 、
名心を犠牲にして、長い間、米海軍はハルゼーの名をド
そ れ で こ そ "シ ヤ ン グ リ ラ " と い う 名 が す ぐ ロ を ついて 丨 リットルとならべることをしなかった。
出たのであろう。 ち な み に 、 ル ー ズ ベ ル ト 大 統 領 が の べ た 秘 密 基 地 "シ
ャ ン グ リラ" は 従 来 の 伝 統 1 空母の艦名は米国の古戦 『四 月 十 八 日
場 名 を え ら ぶ-- を 破 っ て 、 一 九 四 四 年 夏 に 完 成 し た ^ この日絶好の快晴、午後零時三十分頃、突如帝都は空
襲 を 受けた。勝った勝ったの国民も、 はじめて敵機を前
空母艦に命名された。
に見て、 戦 爭 を 実 感 し た よ う だ っ た 。
一年前のき ょ う は 、 日 米 交 渉 開 始 の 飛 電 が あ っ て 部 内
一方、 日 本 側 は 、 こ の ハ ル ゼ ー 部 隊 を 血 ま な こ に な っ
て追跡したが、捕捉できなかった— 同部隊は四月二十 を 驚 か しめたが、本日は思わぬ帝都空襲で全国をびっく
りさした。
五日朝、真珠湾に帰港した。
連 合 艦 隊 参 謀 長 宇 垣 少 将 は 、 そ の 日 記 『戦 藻 録 』 に無 東部軍司令部午後ニ時発表は、 九機を撃墜— 。 信を
天下に失う』
念の文字をつらねている。
こうして、 £ による東京空襲はそれからニ力月後の

25

四月二十日月曜日雨
.. 敵 は す で に 遙 か 東 方 に て 我 の 立 騷 ぐ 有 様 を 無 線 諜 知 ミ ツ ド ウ ヱ ー 作 戦 をして、 にわかに現実性をおびさせる
し、 軽 侮 の 眼 を 向 け あ る べ し 。 か く て 我 本 土 を 空 襲 せ ら にいたつた。
れ た る 上 、 一矢を酬ゆる能はず し て 長 蛇 を 逸 せ り 。 残念
の極なりと云ぅべし。
行く春や長蛇東に飛機は西 五
ほろほろと山吹散りて爆弾の跡』
お ど ろ き 、 か つ ロ 惜 し が っ た の は 海 軍 だ け で はない。
昭和十七年四月ごろよ り 、本州近海に出現する敵潜水
陸 軍 も 同 様 で あ る 。 空 襲 当 日 の 『大 本 営 機 密 日 誌 』 (種
艦 の 数 は い ち じ る し く 増 加 し 、 五 月 に は い る や 、 その一
村佐孝著)はいう。
部は、 わが監視艇の哨戒線を積極的に攪乱するょうにな と 異 な り 、 い よ い よ 敵 潜 水 艦 な る ことを確 認 せ り 。

82
った。 敵 は 、 わ が 右 舷 後 方 七 百 メ ー ト ル に 急 進 す る や 、 その
ド ー リ ッ ト ル 空 襲から三週間後の五月十日、 哨戒配備 八 セ ン チ 砲 一 門 を も っ て 砲 撃 を 開 始 す 。 わ れ ま た 七 ,七
に つ い て い た 第 二 監 視 艇 隊 (母 艦 安 州 丸 、 特 設 監 視 艇 十 ミリ機銃一、 小 銃 三 を も っ て 応 戦 し 、 主 計 兵 一 名 、 機関
六隻) の第五恵 比 寿 丸 は 、 敵 潜 水 艦 と 遭 遇 し 、 約ニ時間 兵 ニ 名 、 水 兵 三 名 が 弾 薬 運 搬 な ど に 従 事 す 。時に六時ニ
に わ た って壮 烈 な 死 闘 を 演 じ 、 つ い に こ れ を 撃 退 し た 。 十分なり。
しかし、 十四名 の 乗 組 員 の う ち 、艇長と船長をふくむ七 敵は優速を 利 用 し て 転 舵 し つ つ 、 わが後方を左右に回
人が戦死、 二人が重傷をおうという大きな犠牲を払った 避し 、 わが機 銃 の 射 界 か ら 逃 が れ よぅとつと めたり。
のであった。 六時二十七分、船尾より 飛 来 せ し 敵 砲 弾 が 、船首に命
この戦 闘 が 、 い か に 悲 壮 な も の で あ り 、 かつ乗組員が 中 し 、 無 線 電 信 機 を 破 壊 、 わ れ 通 信 不 能 と な る 。 この と
勇 敢 に 戦 っ た か は 、当時の戦闘記録があざやかに物語っ き、重要書類を石油をかけて焼却す。
ている。 六 時 三十分、 一弾が艦橋の右舷側に命中し、艇長の海
『I 昭 和 十 七 年 五 月 十 日 午 前 六 時 ご ろ 、第五恵比寿丸 軍 特 務 少 尉 根 本 仙 吉 、 信 号 兵 田 中 新 一 が た お れ 、船 長 岩
は、 わ が 哨 戒 線 の 最 南 端 に あ っ て 、 針 路 西 、 微 速 力 に て 崎 満 古 が 重 傷 を 受 け る (一 時 間 後 に 絶 命 )。 (
第五恵比
哨 戒 中 、 南 西 方 約 ニ 千 メ ー ト ル に 敵 潜 水 艦 ら しきものを 寿 丸 に て 収 得 せ し 弾 片 に 二 種 類 あ り 。 一は-
一ッヶル弾に
発 見 す 。 た だ ち に 報 告 打 電 す る と と も に 、戦 闘 命令をだ して、 わ が 小 銃 弾 に 類 似 し 、 口径七ミリなり。他は鉄弾
乙、 全 速 運 転 を 行 な う 。 にして、 鈍 頭 の 十 二 ミ リ 口 径 。敵 は 艏 橋 に 二 種 類 の 機 統 '
敵 潜 水 艦 が 近 接するにしたがい、 識別の日の丸も見え を装備しありと認む)
ず 、船 体 塗 色 は 黒 暗 色 に し て 、艦橋の模様もわが潜水艦 敵 は 、 つ い に わ が 左 舷 三 百 メー ト ル に 近 接 し 、 八 セン
チ砲おょび三連機銃にて猛射す。 このとき運弾中の三等 し、 敵 に 艇 首 を 向 く 。 時 に 午 前 七 時 二 十 分 な り 。
兵曹佐藤朝次郎〔 時 全 員 赤 フ ン ド シ 、頭 に 鉢 巻をしめ、出刃を手にして甲
I 間 後 に 絶 命 ) と 、 一等機関兵戸谷
作一が重傷をうける。 板 に 仁 王 立 ち と な る 。 こ の 勢 いにおそれたるか、敵 は 優
われもまた機敍射撃の効果を高めん 速を利用してわが艇首の接近を回避せ
ん とし、 わ れ は 敵 を 追 う 。
が た め 、左右に転舵し、敵潜水艦と併
し ば ら く す る う ちに、艦橋 前 方 に 敵
行 状 態 と な る こ と あ り 。 このとき、 敵
潜水艦の八センチ砲員たちに混乱を生 弾 命 中 し 、 舵 索 切 断 、 舵 は 故 障 し 、操
じ、 一 時 そ の 砲 撃 が 中 絶 せ る を 認 む 。 舶 意 の ご と く な ら ざ る も 、な お 全速運
こ の と き 、 ^ 橋にて小敍射撃中の一 転を継続しつつ、 予備三等水兵和田万
等 水 兵 沢田末吉、 予備三等水兵夏目勝 市が主任となり、総員にて舵機を復旧
が 、全身に機銃弾をうけて戦死せり。 す 。なおも艇を敵に向首して迫る。敵
一等水 兵 青 木 亟 重 傷 (ニ 十 分 後 に 絶 命 ) は南西方に遁走す。時に七時五十五分
をうく。予備三等水兵良知忠平は、 一 なり。
等 機 関 兵 千 浦 勝 三 郎 と と も に 、 沢田一 敵 の 発 射弾数は、 八センチ砲約五十
等水兵の小統をひろ V こ ナ を 奪?合 発 、機 銃 四 千 発ほどなり。 そのうち、
-;
つて射撃を継続す。 われに命中せるもの、 八センチ砲弾十
千浦 の 携 帯 す る 小 銃 に 敵 機 銃 弾 命 中 し 、本人もまた重 三 発 、 機 銃 弾 多 数 な り 。 わ が 方 の 発 射 弾 数 は 、 七 .七ミ
傷 を お う 。 良知 予 備 三 等 水 兵 は 、機銃射手古山釉蔵一等 リ機銃弾一千三百九十五発、同曳光弾四百八十五発、小
水 兵 の 命 令 に よ り 、敵 潜 水 艦 に 衝 突 擊 破 せ ん こ と を 企 図 銃弾五百ニ十五発なり。
被 害 は 、戦 死 七 名 、 重 傷 ニ 名 、無 線 電 信 機 破 壊 』 も 、 日 本 の サ ン パ ン は "燃 え る コ ル ク " の よ う に 浮 い て

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まことに壮 烈 な 一 騎 討 ち で あ っ た 。 そ の 戦闘の後、第 いた。 も は や 敵 船 は 修 理 で き な い ま で に 破 壊 さ れ たと判
五恵比寿丸は、 司令艇赤城丸に曳航されて室蘭に向かっ 断 し た 艦 長 は 、戦 闘 中 止 を 艦 に 命 じ た 。
た。 さいわ い 、途 中 で 自 力 航 行 が で き る よ う に な り 、 ぶ 砲 擊 戦 は 一 時 間 ほ ど つ づ け ら れ 、砲員はひじょうに疲
じ帰港した。 れた。
報告者シルバ I サィド艦長
第 五 恵 比 寿 丸 の 敢 闘 に つ い て は 、戦 後 に アメリヵが公 ク リ ー ド ,バ ー リ ン ゲ ー ^』
表 し た 『米 海 軍 潜 水 艦 戦 史 』 が 、 つ ぎ の よ う に の べ て い この報告をみても、 トロール船とあなどった日本監視
る。 艇が敢然と必死の反撃に出たので、 さすがの米潜水艦も
1
11- 五 月 十 日 午 前 八 時 (筆 者 注 、 現 地 時 間 )、 荒 天 度胆をぬかれたさまをうかがうことができよう。
中にト 丨
一ル 船 を 改 装 し た 敵 哨 戒 艇 を 発 見 、 す ぐ に 、 砲

戦配置について砲 撃 と 機 銃 射 撃 を は じ め た 。 トロール船
は機銃と小銃で応戦した。 はじめのうち、 わが艦の銃砲
弾は敵に命中しなかったが、距離をつめてから連続命中
するようになった。
トロ ー ル船は火をふいたが沈まなかった。逆に敵機銃
弾がわが艦の甲板をかすめるように飛来し、う ち 弾一が
八 セ ン チ 砲 の 第 二 装 塡 手 の こ め か み に 命 中 し た 。 :::
ハチの巣のように、弾 孔 を あ け ら れ 、火 を ふ き な が ら
むろん軍隊輸送船であるとか、商船が臨検に抵抗すると
かいうのであれば、 その船客、乗組員もろとも商船を撃
沈 し な い わ け に は ゆ か な い 。が 、 そ う で な け れ ば 、 商 船
を擊沈十るまえに、 その船客と乗組員を安全な場所にう
つすのが、 国 際 法 上 の 規 定 に な っ て い る 。
南雲忠ー中将のひきいる機動部隊が、太平洋戦争の開 大西洋方面では、すでにドィッの無制限潜水艦戦がは
戦 へ き と う 、 ア メ リ ヵ 海 軍 の 根 拠 地 .真 珠 湾 に た い する じ ま っ て い た 。 ま た 、 現 代 に お け る 戦 争 の 性 質 や、 潜 水
奇襲に成功し、米国太平洋艦隊の基幹とみられた戦艦の 艦の構造などからいっても、太平洋でも無制限潜水艦戦
全 部 を 撃 沈 破 し 、世界海戦史上に前例のない大戦果をお が早晚行なわれることは避けられなかったであろう。 し
さ め て 意 気 揚 々 と し て ひ き あ げ て き た 。 ちょうどそのと かし、 そ れ が 開 戦 第 一 日 か ら 、 日 本 の 真 珠 湾奇襲にたい
き 、 真 珠 湾 奇 襲 の 報 に お ど ろ き 、 か つ 憤 慨 し た ヮ シ ント す る アメリヵの報 復 と いう形 で 、 こ の よ う に 簡 単 に は じ
ンの米海軍首脳は、 つぎのょうな重大命令を発した。 められたのは悲しいことであった。
「日 本 船 舶 に た い す る 無 制 限 潜 水 艦 戦 を 実 施 す べ し 」
そ れ は と も か く 、当 の ア メ リ ヵ 潜 水 艦 乗 組 員 の 張 切り
こ の 、 「無 制 限 」 と い う 文 字 は 、 甫 大 な 意 味 を も っ て か た は た い へ ん な も の だ っ た 。 そ れ と い う の も 、 その当
いた。
時 の 真 珠 湾 に は 、 満 足 な 軍 艦 は 潜 水 艦 以 外 に は ほとんど
無 制 限 潜水艦戦とは、船客や乗組員の生命の安全など なく、あるものは極度の混乱と士気沈滞だけであったか
にはいっさいおかまいなく、 手あたりしだいに商船を擊 らだ。
沈するという戦法である。
かれらは腕を鳴らした。
もともと、商船の乗組員や船客は、戦闘員ではない。 — いまに見ておれ、 き っ と 真 珠 湾 の 仇 を う つ ぞ。
—— み ん な 奴 ら を や っ つ け ろ 、 一隻のこらず海底へ! 四千トンにも足らなかった。 それは軍令部が開戦前に予
-- 東 条 も 、 ヒ ト ラ ー も 、 そ い つ ら も ! 想した、 バラ色の希望的観測による損害よりも少なかっ
た。
1 巡洋艦でも母艦でも、手あたりしだいにやっつけ
そのころ、 国 民 は な お も 戦 勝 気 分 に ひ た り つ づ け て V
ろー.
- - ジャップの乗員もろともに、輸送船までやっつけ
た。 あ る と こ ろ で は 、
ろー.
へ軍艦をつくってなににするかと
この戦闘的な文句は、 アメリヵ潜水艦部隊の合言葉と
ルーズベルト(
就駄)に た ず ね て み た ら
なり、隊員の士気を大いにふるいたたせるのであった。
日本の海軍に沈めてもろて
太平洋の埋立てするそうな
商 船 隊 は 、自 衛 の 力 を 持 た な い 。 ま し て 無 制 限 潜 水 艦
ハハノンキダネ
戦 、 無 制 限 航 空 戦 の ま え に は 、夜道をいそぐ女性ょりも
無力である。伝統的に海上交通線の保護を軽視した日本
という歌が陽気にうたわれていた。
海軍の戦略思想にわざわいされ、 わが商船隊は筆舌に絶
と か く 人 間 と い う も の は 、 得 意 の と き に 、 えてして自
する苦 難 に あ え ぎ 、 ひ ど い 惨 害 に さ い な ま さ れ るのであ
分 の 墓 穴 を ほ る も の だ 。 開 戦 か ら 数 力 月 、 日本軍が勝利
った。
への大街道と思って、ば く 進 し て いたあの作戦線も、 じ
幸 か 不 幸 か 、 開 戦 か ら 数 力 月 の あ い だ は 、 船舶問題を
つは、 敗 戦 へ の 近 道 で あ る と は 知 る よ し も な か っ た の で
心配することがばかばかしく思われるぐらいの好況のう
ある。
ちに戦況はすすんでいった。
8和十七年八月、米軍は対日反攻の第一歩を東南太平
開戦から約九力月間の日本商船の損害は、月平均六万
洋のガダルカナル島にしるした。海軍が徴用した船舶の
湾 や 水 道 が 、飛行機の投下する機雷によって封鎖された
喪 失 が 、 に わ か に 増 加 す る 。 と く に 同 年 十 月 い らい、 ガ

88
ので、 わ が 国 の 海 上 輸 送 は ま っ た く 危 殆 に ひ ん し た 。
ダ ル カ ナ ル に た い す る 強 行 補 給 が 行 な わ れ る ようになる
や、陸 海 軍 所 属 の 優 秀 な 大 型 貨 物 船 の 損 失 が 急 増 し た 。
日 本 は 全 国 を あ げ て 船 を つ く っ た 。 し か し 、 追いつか
また、米潜水艦は、 ひんぱんに日本近海にまで出没する
なかった。
ようになり、海 上 の 危 険 区 域 は 南 太 平 洋 、 東南シナ海に
開戦時、太平洋方面に配備されていた米潜水艦は五十
ひ ろ が り 、 一般 船 舶 の 被 害 も 大 き く な ってきた。
隻 だ っ た 。 そ れが昭和十七年末には八十隻に、十八年末
とりわけソロモン諸島( 飾 太 19方面の作戦が強化される
には百十隻にふえ、 十九年末には、 じつに百五十六隻に
につれて、 十 八 年 九 月 以 降 の 喪 失 量 は 、 いっそう増加す たっした。 さらに、 わるいことには、増強された米空母
る 。 十 八 年 四 月 か ら 翌 年 三 月 ま で 、 一年間の喪失は二百
部 隊 が 、十 九 年 二 月 ご ろ か ら 、 船舶攻撃に猛威をふるい
三 十 五 万 ト ン 、 月 平 均 は 十 九 万 と な り 、十 七 年 の 喪 失 量
だ し た 。 泣 き っ 面 に 蜂 と は 、 ま さ に こ の ことをいうので
の二倍以上にたっした。 あろう。
十九年に入るや、 アメリカ海軍の機動部隊は随所であ け っ き ょ く 、造 船 高 は 喪 失 量 の 半 分 に も み た ず 、 船舶
ば れ ま わ り 、 潜 水 艦 に よ る 通 商 破 壊 戦 の 強 化 と あいまっ
の 保 有 量 は ほ そ る い っ ぽ う だ っ た 。と く に タ ン 力 ー の 沈
てわ力貧弱な護衛兵力をもってしてはどうにもならな 没 に よ る 石 油 輸 送 量 の 減 少 は 、 日本にと っ て 大 き な痛手
かった。 であった。
二 十 年 一 月 、 米 機 動 部 隊 は 南 シ ナ 海 に 侵 入 す る 。 わが たしかに日本の商船隊は、 まったくみじめだった。護
本 土 と 南 方 の あ い だ の 海 上 交 通 が 完 全 に 杜 絶 し た 。 さら 衛の艦艇も飛行機もろくにあたえられず、 四方八方から
に陸上基地の米爆撃機による攻撃が強化され、重要な港 攻めたてられた。
るのが 、 太 平 洋 戦 争 に お け る 商 船 隊 で あ っ た と い え る だ
戦 前 の 日本は、世 界 第 三 位 の 海 運 国 と し て 七 つ の 海 洋
ろぅ。 か れ ら の 行 動 に は 、 い わ ゆ る ド ラ マ も な け れ は セ
に雄飛していた。
ン セ 丨 シ ョ ン も な い 。 ニュ丨スに は む か な い 行動なので
太 平 洋戦争がはじまったとき、 わが国は五百トン以上
あ る 。 だ か ら 一般国民には、 無 視 さ れ や す い 。 スタンド
の 商 船 を 千 六 百 九 隻 (約 六 百 万 ト ン ) を 持 っ て い た 。 戦
時 中 に 建 造 さ れ た 船 は 約 千 二 百 隻 (約 三 百 三 十 万 ト ン ) ブ レ ー を し た が る 軽 薄 才 子 で は 、 とてもつとまる仕事で
は な い のだ。 、
に達 し た 。 が 、 こ れ ら 船 舶 の 大 半 に あ た る 約 ニ 千 三 百 隻
それど こ ろ か、 港 を 出 た そ の と き か ら 、 たえず、 恐怖
(約 八 百 十 万 ト ン ) が 、 潜 水 艦 や 飛 行 機 な ど に ょ っ て 撃
と不安におそわれ、単調と退屈にもたえつづけねばなら
沈 さ れ た 。 それは日本 を 敗 戦 に み ち び い た 、最大の原因
ぬ。 い つ ど こ か ら 魚 雷 が 不 気 味 な 航 跡 を ひ い て 走 っ て く
の 一 つ で あ っ た のだ 。
にもかかわらず、商 船 隊 の 人 び と は 、 じつに辛抱づょ るか、機 雷 が 爆 発 す る か 、敵の飛行機がおそいかかって
く る かわからない。
く、 苦 難 に た え 、 あ く ま で 戦 い つ づ け た 。
太 平 洋 戦 争 に お け る 船 員 の 損 害 は き わ め て 多 数 に のぼ
と か く 日本人は、 戦果といえば敵側にあたえた損害の
り、 そ の 比 率 は 、 第 一 線 将 兵 の そ れ と ほ と ん ど か わ ら な
こ と を 数 え や す い 。 商 船 隊 は み ず か ら の 手 で 、 そぅした
い 。戦 い に た お れ た 者 は 三 万 二 百 八 十 人 (ぅ ち 行 方 不 明
形の戦果をあげぅるものではない。
者 が 一 万 ニ 千 四 百 六 十 一 人 )、 傷 病 者 が 七 万 四 千 六 十 七
商船隊の任務は、軍隊や軍需品を戦場にはこんだり、
人、 その合計は、十 万 四 千 看 罘 七 人 11 1 1 ^に達 し
航空作戦を可能にし、 工業や輸送の原動力になる石油を
も っ てきたり、 一般国民の生命をつなぐ食料をはこぶな た0
ここに、 祖 国 の た め に 生 命 を さ さ げ 、 海 国 日 本 の 海 員

69
ど、 いわゆる海上の輸送にあたることである。
魂 を い か ん な く 発 揮 し た 人 び と を し の び 、 いまなお太平
〃縁の下の力持ち" と い う 表 現 が 、 も っ と も ぴ っ た り す
洋の冷たぃ海底の墓場に眠ってぃる諸勇士の霊をとむら
そ の 当 時 、 ア メ リ ヵ 潜 水 艦 の 隻 数 は ま だ 少 な く 、 その
いたいと思う。

90
うえ魚雷は欠陥だらけだったので、 わが船舶の被害は開
戦 前 の 予 想 を 下 ま わ っ て い た 。 だ が 、戦 時 の こ と ゆ え 、
平 時 の よ う な 気 楽 な 航 海 は で き な い 。 敵 の 潜 水 艦 が どこ
に待ちぶせているかわからず、 かれらの脳裏から不安は
さらなかった。
こうした不安の 夜
I が あ け た 五 月 十 三 日 の 朝 、 鹿間は
当 時 、 長 崎 卩 上 海 (中 国 ) 間 の 日 華 連 絡 航 路 に は 、 長
デッキに出て、すがすがしい潮風を胸いっぱいすいこん
崎丸、上海丸、神戸丸の三隻が就航していた。 でいた。左 手 に は 、 五島列島の南端にある大瀬崎灯台が
船 が 長 崎 に 到 着 し だ い 、船 客 が す ぐ に 上 陸 で き る ょ ぅ 見 え る 。長 崎 ま で あ と 七 十 ヵ ィ リ 、 きょうの午後早くに
に、 必 要 な 手 続 き を 航 海 中 に す ま せ ょ ぅ と し て 、 各 船 に 入 港 で き る だ ろ う 。鹿 間 は ホ ッ と し て 、安堵の胸をなで
は治安当局の係官が乗船していた。 おろすのであった。
太平洋戦争がはじまったあくる年の昭和十七年五月十
昼 食 を す ま し て か ら 部 屋 で ま ど ろ ん で い る と 、船 が 急
二日、 長 崎 丸 は 上 海 を で て 長 崎 に む か っ て い た 。船 客 は
に 停 止 し た 。 「な に が 起 き た の だ ろ う か 」 と 不 審 に 思 っ
日本にひきあげる約六百名の上海などにいた在留邦人と た鹿間は、デッキにかけのぼった。
ニ、 三 名 の 外 国 人 、 う ち 一 人 は 白 系 ロ シ ア 人 だ っ た 。 治 船 は 長 崎 港 外 の 伊 王 島 沖 に と ま っ て いる。 浮 流 機 雷 を
安当局の係官は、長崎水上警察署員の鹿間正明巡査部長
発見したのだという。船員がボートをおろしていた。
と同末永純一巡査、そ れ に 長 崎 県 特 高 ご
1 人 で あつ ボートは機雷へいそぐ。危険物の位置を他船に知らせ
た。 る た め で あ ろ う か 、船 員 は 機 雷 に 白 布 の よ う な も の を ,
^
を さ が し た 。 他 の 二 人 は ょ ほ ど あ わ て た ら し く 、 かれら
ぶせた。 さらに船長は、浮流機雷の存在とその位置を、
のジャケットもみつかった。
無線で関係者に警報した。
鹿 間 は 三 つ の ジ ャ ケ ッ ト を わ し づ か み に し て 、 脱兎の
長 崎 港 外 に は 、敵 潜 水 艦 の 侵 入 を ふ せ ぐ た め 、 わが海
ょ う に タ ラ ッブをかけのぼった。
軍がたくさんの機雷を敷設していた。
鹿 間 た ち に は 、遊歩デッキから三つ下の甲板にある一
この浮流機雷は、機 雷 を 一 定 の 位置にたもっための繫
縱索が切れて流れでたものらしい。 等船室の最前部の一室があたえられていた。 そこは水線
からすこし上だったので、 蟲音とともに^内の電灯は消
鹿 間 は 二 人 の 同 僚 と と も に 、仕事 が お わ っ た の で 、自
えたが、舷窓からもれる光で明るかった。
分たちの部屋で一服していた。
デッキにかけのぼった鹿間は、末永巡査の姿を見つけ
時計の針が午後ニ時をさしてまもなく、ものすごい音
た。
響とともに、船体がはげしく震動した。 そのはずみで鹿
「オ イ 末 永 、 き み の ラ イ フ ,ジ ャ ケ ッ ト だ 」
間 の 身 体 は 宙 に ぅ き あ が り 、 頭のてっぺんを天井にぶっ
「す み ま せ ん 。 い そ い で 飛 び 出 し た の で つ い 忘 れ て し ま
っけた。
つ ぎ の 瞬 間 、 デ ッ キ に 落 ち た 鹿 間 は 、 ドアにかけょっ いました」 そこっ
た。 ハ ン ド ル を ま わ し て み る と 、 ド ア は い つ も の ょ ぅ に 末永は頭をかきながら紀忽をわび、鹿間の好意を謝し
た や す く あ い た 。 部 屋 の な か を ふ り か え っ た が 、 二人の た。
いったい、船 は ど う な る の だ ろ う か ? 鹿間は不安に
同僚の姿が見あたらない。
「す ば し っ こ い ヤ ツ ら だ 。 い つ の ま に 部 屋 を 出 た の だ ろ おののきながら、 しばらく呆然としてデッキにたたずん
でいた。

91
う 」
ふと鹿 間 は 、白 系 ロ シ ア 人 の 旅 券 を い れ た 書 類 カ バ ン
鹿 間 は ひ と り ご と を い い な が ら 、 ラ イ フ .ジ ャ ケ ッ ト
を, 自 分 の 船 室 に お き 忘 れ て き た ことに気 づ い た 。
た鹿間は、泳ぎをやめて、ぅ し ろ を ふりかえった。 奇

^:
この旅券がなければ、 この外人は上陸が許されず、 か
丸 は 船 尾 を 下 に し て 、 そ の 中 央 か ら 後 方 は す で に 水中に
り に 上 陸 し た と し て も ま っ た く 身 動 き が と れ な い 。 それ
没 し 、 四 十 五 度 く ら い の 角 度 で 船 首 を 虚 空 に む け 、 プリ
では、 かわいそうだ。
ッジは水面すれすれになっていた。
鹿間は意をけっした。 かれは危険をおかして船 室 に お
やがて長崎丸の巨体は、鹿間たちが見守るなかに、 ま
りていった。
ったくその姿を消していった。 長崎丸が船尾から沈んだ
す で に 船 室 に も 浸 水 し て お り 、 ひざがしらまで海水に
のは、船 の 後 部 に あ る 三 等 船 室 の 前 部 が 機 雷 に ふ れ た た
つかった。鹿 間 は 、 ベッ ド の 上 に お き 忘 れ た ヵ バ ン を 手
めであった。
に す る や 、 い ち も く さ ん に 走 っ た 。 船 内 に 浸 入 す る海水
長 崎 丸 遭 難 の 急 報 が 伝 え ら れ る や 、 水 上 警 察 署 な どの
の 流 れ が 、 か れ の 背 後 か ら 追 い か け て く る ょ う に、 感じ
ラ ン チ を は じ め 、 三重、 式 見 、 福 田 な ど の 漁 港 か ら 漁 船
られた。
(
外-ン^^^が 現 場 に か け つ け た 。 だ が 、 機 雷 に よ る 遭 難 で
遊 歩 デ ッ キ に か け の ぼ っ て 、 ほっとし た と た ん 、船 体 あ り 、 ふ き ん に は ま だ 機 雷 が 敷 設 さ れ て い る こ と を 聞い
がしずかに右舷に傾きはじめた。もうだめだ! と観念 て、 近 よ る の を ち ゅ ぅ ち ょ す る も の も あ っ た 。
し た 鹿 間 は 、 ま だ 海 面 か ら か な り 高 か っ た が 、 思いきっ
さいわい、 漁船の一部が伝馬船をひっぱってきていた
て海に飛びこんだ。
ので、 こ れ が 大 い に 役 だ っ た 。
できるだけ船からはなれるために、夢中になって泳い
鹿間が伝馬船に救助されたのは、海に飛びこんでから,
だ 。 船 が 沈 む と き に お こ る 大 き な 渦 流 に 、 巻 き こまれな
約ニ時間後だった。
いためであった。
長崎丸は死者十三名、行方不名二十六名の犠牲者をだ
四 、 五 十 メ ー ト ル ほ ど 遠 ざ か り 、 も う 大 丈 夫 だと君つ
した。 そ の 大 部 分 は 三 等 船 客 で あ っ た 。
店 楼 上 において、腹真一文字に切った上、 頸動脈をかき
き っ て 自 決 し た 。 そ の 状 況 は 、古武士の切腹の型による
そ れ か ら 一週間後の五月二十日、 長 崎 丸 沈没の責任を
痛感した船長の菅源三郎は、東亜海運会社長崎支店のニ もので、 その態度の立派さが、検死の係官をいたく感動
階 の 会 議 室 で 自 決 し 、 死 を も っ て 過 失 の 罪 をわびた。 させた。
遺 書 は 、 社 長 、支 店 長 お よ び 夫 人 などにあてた六通が
この悲報を伝え聞いたとき、菅の人となりをよく知っ
あり、支店長あてのものには、
ている鹿間には、 ピンと感じるものがあった。鹿間は船
長の自刃を惜 し む と と も に 、 その冥福を心から祈ったの 「か か る 大 事 を 惹 起 し て 申 訳 が な い 、 軍 官 民 各 方 面 か ら
である0 ご 絶 大 の 御 援 助 を ぅ け 、 感 謝 に た え な い 、 いちいち御礼に
まわる余裕がないので、支店長から関係方面に宜敷御礼
たしかに菅船長は、寡黙にして真面目な性格であり、
責任感のひじょぅに強い人物であった。 を 申 上 げ て く れ 、 自 分 は こ こ に 潔 く 自 決 す る .. 」
五 月 二十六日の朝日新聞は、長崎丸の遭難と菅船長の と書かれていた。
自決を報じた。 同 氏 は 資 性 温 厚 で は あ る が 信 念 に 徹 し 、 まがった事の
き ら い な 責 任 感 の 非 常 に 強 い 人 で あ っ た 。 :::同 氏 は 海
『〔
通信省五月二十五日午後五時発表〕
上 生 活 三十五年 に およぶ老 練 な 名 船 長 で あ っ た 。 大東亜
東亜海運汽船日華連絡船長崎丸は五月十三日午後ニ時
戦争ぼっ発のさい海軍に協力して、無手の長崎丸で米国
八分、 長 崎 港 外 に お い て 味 方 の 機 雷 に ふ れ て 沈 没 、船客
汽 沿 プ レ ジ デ ン ト .ハ リ ソ ン 号 捕 獲 に 大 功 績 を た て 、 あ
お よ び 乗 組 員 の 大 多 数 を 救 助 せ る も 、 死 者 十 三 、 行方不
たかも自刃当日、遞信協会から表彰せられたものであっ
明二十六の犠牲者を出せり。
て、 陇 時 下 、 か か る 責 任 感 の 強 い 名 船 長 の あ る 事 は 、 わ
長崎丸船長菅源三郎は長崎丸沈没の責任を痛感し、遭
が国船員の誇りといぅべきである』
難の後始末の一段落をつげた上、 五月二十日同社長崎支
ついで、 そ の 年 の 七 月 二 十 日 、 太 平 洋 戦 争 下 に は じ め 第 一 次 世 界 大 戦 ^一イ^ ^
1の 結 果 、 わ が 国 の 委 任 統 治 領
て む か え た 「海 の 記 念 日 」 を 記 念 し て 、 海 運 の 進 展 に 貢

94
に な っ た 旧 ド イ ツ 領 の 南 洋 群 島 の マ ー シ ャ ル 、カ ロ リ ン 、
献した海の戦士百二十七名が、 昭和十七年度の船員功労
マリアナ諸島などの島々と本土とのあいだに南洋航路が
者として表彰された。 ひらかれた。
こ の 功 労 者 の う ち で 、 「海の金鵄勲出早」 と も い う べ き
こ の 航 路 の 東 ま わ り 線 は 、 神 戸 を 基 点 と し て マ ー シャ
顕 功 章 を さ ず け ら れ た も の が 二 十 名 あ り 、 そのなかに丈
^~に い た り 、 と ち ゅ う サ イ パ ン 、
ル 諸 島 の 最 南 端 ヤ ル ^―
"わ が 海 運 界 の 亀 鑑 " と あ お が れ た 元 長 崎 丸 船 長 菅 源 三 トラック、 ポナぺ、 ク サ イ な ど に 寄 港 す る 。内地からは
郎もふくまれていた。菅船長にとっては、 死して余栄あ
食 料 品 、 建 築材料、 雑 貨 、機 械 、 石炭などをはこび、 コ
りというべきであろう。
ブ ラ と 蔗 糖 、 貝 ガ ラ や マ ニ ラ 麻 な ど を つ ん で 帯 っ 」」。
そ し て 八 月 二 十 六日、 長 崎 丸 遭 難 者 の 合 同 慰 霊 祭 が 長
こ の 航 路 の 定 期 船 の な か に 、 パ ラ オ 丸 (四 千 四 百 九 十
崎市暗台寺てしめやかにとりおこなわれた。
五 ト ン )と い う 船 が あ っ た 。 こ の 船 は 、 大 平 洋 戦 争 が は
この日の長崎日報は、慰 霊 祭 の も よ う を わ し く つ た
じまった翌年も、平時とかわりなくエメラルドの 海 に う
え 、 「海 員 魂 の 権 化 と 謳 わ れ た 」 菅 船 長 を は じ め 遭 難 し かぶ南の島々をめぐっていた。
た三十九氏の冥福を祈った。
アメリカ第一海兵師団が東南太平洋にうかぶソロモ
ン諸島の一角、 ガ ダ ル カ ナ ル 島 に 上 陸 す る三日前の昭和
十 七 年 八 月 四 日 の こ と だ っ た 。 そ の 日 の 早 朝 、 マリアナ
三 諸 島 の 要 衝 サ イ パ ン を で た パ ラ オ 丸 は 、針路を南西に と
り、東 カ ロ リ ン 諸 島 の 中 心 で あ り 、 日本艦 隊 の 重 要 な 豉
拠地であるトラックにむ卜った。
船 内 に は 、 内 地 か ら は こ ん で き た 味 噌 、醬油 な ど の 食 った。 ヤ ミ の な か で 、 こ こ か し こ に 悲 鳴 が お こ り 、 一瞬
料 品 と 雑 貨 な ど 約 ニ千 六百 ト ン を つ ん でいた。 にして叫喚地獄と化していった。
船 客 は 全 部 で 二 百 十 八 名 。 そ の ぅ ち 、 一等船客は十三 その夜は月がなく、くもり空に星あかりさえとぼしか
った。 海 上 は ス ミ を 流 し た よ う に 暗 い 。 そ の た め 、 船 を
人で男ばかり。特別三等の六十八人と普通三等の百三十
七人は、 主として老人や婦女子などをまじえた島々の居 めがけて、 まっしぐらにちかづく、魚雷の航跡を発見で
住者であった。 かれらのなかには、足腰の弱った年ょり きなかったのである。
もおお く 、乗 船 の と き に は 、船員の手をかりねばならな 最初の魚雷が命中するや、船長はただちに汽笛と警急
いほどだった。 ブ ザ ー をならして、船 内 に 非 常 事 態の発生を知らせた。
船は平穏な 航 海 を つ づ け た 。 サィパンをでた八月四日 船客は、 あらかじめ定められていた自分の乗る救命ボー
は ぶ じ に す ぎ 、 あ く る 五日も こ と な く 暮 れ て 、 赤 い 太 陽 トにいそいだ。 しかし、浸水の速度がひじょうに早く、
が 、 南 の 海 の 水 平 線 に 没 し た 。船客たちはぶじの航海を ニ、 三 分 後 に は 、 海 水 は 遊 歩 デ ッ キ に ま で せ ま っ て き て
海神に感謝しながらしずかにベッドに横になった。 ぃた。
それからほどない午後十一時十二分、ものすごい衝撃 こうして、 七 隻 の ボート全 部 を お ろ さ な い う ち に 、船
が お こ っ て 、 か れ ら は キ モ を つ ぶ し た 。敵 潜 水 艦 の 発 射 は前 部 か ら 沈 み は じ め た 。 船 客 も 乗 組 員 も 、 そ の 多 数 が
した魚雷が、 一番船倉に命中したのである。 船 体 と と も に 海 中 に ま き こ ま れ て しまつた。
こ の 魚 雷 の 爆 発 に よ っ て 倉 口 蓋 は こ わ さ れ 、 船倉につ この間、 大 和 船 長 は 宮 沢 三 等 運 転 士 に 、
まれていた貨物は上甲板まで吹きあげられた。 「す ぐ 遭 難 電 報 を う て 」
つ づ い て 二 番 目 の 魚 雷 が 、機 関 室 の 左 舷 に 命 中 す る 。 と命令した。宮沢は、 すぐに無線室に飛んでいった。

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船本ははげしく震動し、電灯は消えて船内はまつ暗とな そのとき、 二番目の魚雷が命中して、無線機が破壊され
てしまつた。 ブ リ ッ ジ に と ど ま っ て い る 。 そ の 蒼 白 な 顔 が 、宮沢には
大 和 船 長 は 、 も は や 船 の 運 命 は 決 し た と 考 え た 。 かれ

96
ャ ミ を す か し て 見 え た 。 か ろ う じ て 危 機 を 脱 す る ことが
は、 西 江 一 等 運 転 士 と エ 藤 二 等 運 転 士 を 短 艇 部 署 に つ け で き た 宮 沢 の 目 の 底 に は 、 そ の と き の 船 長 の 姿 が 、 やき
た の ち 、 ひ ど い 水 虫 に な や む 足 を ひ き ず り な が ら 、船長 ついてはなれなかった。
室におりていった。 重要書類を手ばやくまとめて、首席事務員の井上にわ
暗 号 書 が 敵 の 手 に お ち ぬ ょ ぅ 、船長みずからが海軍電 た し た 根 本 事 務 長 は 、船 の 準 備 金 を し っ か り と 身 に つ け
信 暗 号 書 を 船 長 室 の 金 庫 に お さ め た 。 かれは白い制服に て一号艇にむかった。
着がえ て 制 帽 を か ぶ り 、水虫のためいつもひっかけてい 根本は、 これら書類のはいったヵバンを艇内に投げ入
たス リ ッ パ の か わ り に 、靴 を は い て 威 儀 を と と の え た 。 れ さ せ 、 人 員 を 確 認 し た の ち 、村 田 機 関 長 と と も に 大 和
部 下 の す す め を し り ぞ け て ラ ィ フ .ジ ャ ケ ッ ト を つ け ず 船 長 の い る ブ リ ッ ジ に い そ い だ 。 そ の と ち ゅ う 、 根本は
に、 船 長 は ふ た た び ブ リ ッ ジ の タ ラ ッ プ を の ぼ っ た 。 一号艇が転覆するのを見た。
パラオ丸はすでに、前部の半分ほどが海水にあらわれ ひ き か え そ う と し た 根 本 が 、 サロンデ

キ0 ま客)
て い た 。船 は ま さ に 沈 ま ん と す る 寸 前 で あ っ た 。 でたどりついたとき、ものすごい引力で海中に吸いこま
船 長 は 、船 客 の 救 助 に あ た っ て い る 乗 組 員 に た い し て れるかのょうに、 パラオ丸は沈みはじめた。
も、 おごそかに退船を命じた。 大 き な ゥ ズ に ま き こ ま れ た 根 本 は 、 ついに意識をうし
「総 員 、 退 去 せ よ」 な っ て し ま っ た 。 し ば ら く し て 、 根 本 の 身 体 は ポ ヵンと
船長の厳令をこばみがたく、宮沢はうしろ髪をひかれ 海 面 に 浮 き あ が っ た 。 数 力 所 の 打 撲 傷 の い た み に 、 かれ
る思いで退船した。 は意識をとりもどした。
船 と 運 命 を と も に す る つ も り の 大 和 船 長 は 、 ただ一人 暗 い 海 面 で 、根本は一夜をあかしたのだった。
根本は、 ちかくに漂流している人びとに応援をもとめ
た。 ボ ートをひっくりかえして、 正常の状態にもどそう
八月六日の朝がおとずれた。 しだいに東の空が白みか
と し た 。 しかし、と て も で き そ う に な い 。 長いあいだの
けてきた。
漂 流 の た め 、 す っ か り 体 力 は 衰 え 、 し か も 海 中 なので、
広 い 海 上 に 点 々 と う か ぶ 生 存 者 た ちは、 ィ ヵ ダ や 木 片
足 場 が し っ か り せ ず 、力 が は い ら な い 。
にすがりつきながら、 たがいにはげましあっていた。
「お い 、 な に か い い 知 恵 は な い か 」
ふと見 れ ば 、転 覆 し た 一 隻 の ボ ー ト が 波 に ゆ ら れ て 流
れている。根本は力をふりしぼって、 これに近づいた。 「三 人 よ れ ば 文 珠 の 知 恵 と か い う じ ゃ な い か 」
だが 、上 に な っ た ボートの底に は 、 こぶし大ほどの穴 ... 」

が ニ つ も あ い て い る 。 このままでは使いものにはならな 船客の一人の金城満信が、
「ボ ー ト の な か に 、 な に か い い も の が な い か 、 さ が し て
い。 も し も こ の ボ ー ト が 使 え た ら 、 五 、 六 十 人 の 命 は 助
かるだろう。 みよう」
こ の 天 与 の 恵 み と も い う べ き ボ ー トを、 根 本 は こ の ま といって、すばやく海中にもぐった。金城は一本の円
ますてさることができなかった。 材をとりだした。
根 本 は 波 に ゆ ら れ な が ら 、穴をふ さ ぐ う ま い 方 法 は な こ の 円 材 を テ コ に し て 、 一同はボートをおこそうとし
た。 し か し 、 海 の な か に い る の で 、 思 う よ う に は い か な
いものかと思案した。 ふと一案がうかんだ。自分がつけ
V、 0
て い る ラ イ フ .ジ ャ ケ ッ ト の な か か ら 、 綿 状 の カ ポ ッ ク
をとりだし、 それで穴をふさげないだろうか。 ニ 時 間 に わ た る 必 死 の 作 業 を く り か え し た の ち 、 つい
と に か く や っ て み た 。ど う や ら 、穴をふさぐことがで に成功した。根本が応急修理をした穴から、海水が艇内
きた。 に ふ き あ が っ て く る 。 し か し そ の て い ど の 浸 水 な らば、
なんとかか い 出 す こ と が で き る 。事務員の前田末春と田 と、な お も 呼 び つづけるのであった。
村 佳 太 郎 、 甲 板 長 の 中 野 民 哉 ら が 、交代 で 浸 水 し て く る

98
根 本 は 、少 年 の ゆ び さ す 方 向 を ょく 見 た 。 た し か に 、
水のかい出しにあたった。
五十メートルほどはなれた海面に、 四角なブィと と も に
根本はまずはじめに、近くを漂流している老人と婦女 流れている婦人が見つかった。
子 を 救 い あ げ た 。船 員 た ち は ボ ー ト に ひ き あ げ た 船 客 に
「こ の 少 年 の 母 親 か も し れ な い 」
応急手当てをした。海水を吐き出させてもらったとき、
と直感した根本は、さっそくボートをそのほうこ近づ
かれらはやっと人心地がつくのであった。
けた。
たちまちボートは満員となった。あとは救助船の来る
こ の 婦 人 は や は り 子 供 た ち の 母 親 で あ っ た 。 しかし、
のを待つだけである。
彼女はすでに意識をうしなっており、ブィの上に う つ ぶ
そ の と き 、 ふと根本らは、木片につかまり波間にただ
せ に な っ た ま ま だ っ た 。彼 女 が ボ ー ト にひきあげられた
ょ っ て い る 二 人 の 子 供 を 見 つ け 、 さっそく救助にむかっ
と き 、少 年 は 呼 べ ど も こ た え ぬ 母 親 の か ら だ に し が み つ
た 。 五、 六 歳 く ら い の 男 の 子 と 、 も っ と 幼 い 女 の 子 で あ ぎ、
る。男 の 子 は ま だ 元 気 が の こ っ て い る ら し く 、
「お か あ ち ゃ ん 、 お か あ ち ゃ ん .. 」
「お か あ ち ゃ ー ん 」
と 、声 を か ぎ り に 泣 き じ ゃ く っ た 。
と 、 しきりに母を呼んでいた。
い ま 、 ま の あ た り に 見 る 、 い と け な い 子 ら の い た 、た
^
根 本 た ち は 、 だ き か か え る よ う に し て 、 二 人 を ボ 丨^
しさ、 そし て 、 ー晚じゅう人事不省におちいった母親を
に う つ し た 。 ボ ー ト に 救 い あ げ ら れ た の ち も 、 この少年
呼びつづけてきた幼な子の不びんさを思うとき、 同
I は
は海の一方を見つめながら、
自 分 の 不 運 を わ す れ て 、暗 涙 に む せ ぶ の で あ っ た 。
「お か あ ち ゃ ー ん 」 この婦 人 は の ち に 意 識 を 回 復 し た 。 彼 女 は 、 そ の と き
じめており、 甲板は海水にあらわれていたにもかかわら
臨 月 の 身 重 だ っ た 。 そ の の ち 、 アラフラ丸でトラックに
ず 、 まだ船内にのこっている船客をたすけるために、 か
着 い た 翌 々 日 に 、 三番目の子供が、 ぶじに誕生したので
ぁった。 れらは身にせまる危険をかえりみず、敢然として下にお
りていった。 そのためであろうか、十四人の司厨部員の
う ち 、 八 人 も の 犠 牲 を 出 し た と い う .. 」
パラオ丸 が 遭 難 し た と き 、 ァラフラ丸はサイ パ ン か ら
トラックにむかっていた。 船客たちは、病院のベッドの上におきあがって、
「あ の と き 、 あ の ボ ー イ さ ん の お か げ で 助 か り ま し た 」
この船は、 日 本 真 珠 会 社 に 所 属 し 、 わずか三十八トン
の 小 船 に す ぎ な か っ た 。 たまたま、 パオラ丸が遭難した と涙をながして感謝し、 いまはなき恩人の冥福を、心
翌 々 日 の 八 月 七 日 、現 場のちかくを通りかかって漂流者 から祈るのであった。
を発見、船客百二十九名、乗組員五十四名を救助して、
あ く る 八日午後一時、 トラックに入港した。
ト ラ ッ ク の 土 を ふ み し め た と き 、船 客 た ち は ょ ぅ や く 四
元気をとりもどした。 かれらは、 こもごも遭難当時の状
況を語り、生きている喜びをわかちあった。
「二 番 目 の 魚 雷 が 命 中 し た と た ん に 、 船 内 は ま っ 暗 に な 太平洋戦争に敗れるまで、 日本国民は三月十日を陸軍
記 念 日 、 五 月 二 十 七 日 を 海 軍 記 念 日 と し て 、 国防関係の
つた。 す る と 司 厨 部 員 た ち が 、 と き を う つ さ ず 配 置 に つ
き 、 右 往 左 往 す る 船 客 に ト ー チランフで退路をしめして ニ 大 行 事 を 忘 れ な か っ た 。 海 軍 記 念 日 は 、東郷平八郎の
ひきいる連合艦隊が、 ロシアのバルチック艦隊を日本海
くれた。 かれらは、老人と子供をかかえるようにして、
ボ ー ト のある甲板にまでみちびいた。すでに船は沈みは に撃滅した日、 陸 軍 記念念日は、大山巌の指揮する満州
軍が奉天会戦でクロパトキンのロシア陸軍を撃破した日 平 洋 の 制 海 .制 空 権 を 確 保 す る ヵ ギ と い わ れ た サィパン
である。

100
島 (一^ ) が 敵 手 に お ち て ぃ た 。
だが、 この三月十日という日は、近藤敬三と妻の千鶴 こ の サ ィ パ ン の 失 陥 に ょ っ て 、 国 民 は 動 揺 し た 。 いわ
子 に と っ て 、 それとはちがった意味で記念すべき日であ ば準国土ともいぅべき南洋委任統治領の中心が戦場とな
った。 り、 多 数 の 同 胞 が 戦 火 に ま き こ ま れ 、 あ る い は 〃 虜 囚 の
この二人が結婚したのは、太平洋戦争もさなかの昭和 恥 "をおそれて悲壮な最期をとげたからである。
十 九 年 三 月 十 日 で 、敬 三 の 誕 生 日 も 三 月 十 日 だ っ た 。 そ そ れ か ら 四 力 月 後 の 十 一 月 、 マリアナ諸島を基地とす
ういうことはょくあることで、誕生日をえらんで結婚式 る アメリヵの8 爆 撃 機 が 東 京 を 初 空 襲 し 、 それいらい

29
を あ げ ればょいわけだが、 この夫妻にとって、あくる昭 日本本土にたいする空襲は、 日一日とはげしくなってき
和二十年の三月十日は、終生忘れることのできない記念 た。
日とな つ た の で あ る 。 国 民 は ど ん 底 の 耐 乏 生 活 に あ え ぎ な が ら 、 これからさ
そ れ と い う の も、 近 藤 敬 三 が 主 計 士 と し て 乗組んでい き のなりゆきに暗い不安をいだき、焦燥の念にかられて
た 道 灌 丸 が 奄 美 大 島 沖 で 遭 難 し 、敬 三 が 奇 蹟 的 に 命 び ろ ぃった。
いしたのが奇しくも三月十日であったからだ。 二 十 年 二 月 十 九 日 、 米 軍 が 硫 黄 島 に 来 攻 し た 。 この島
は 本 土 の "玄 関 さ き " と も い ぅ ベ く 、 東 京 か ら わ ず か 千
昭和二十年の三月といえば、もはや日本の敗色はおお 二百キロしかはなれていない。
う べ く も な く 、戦局は日ごとに悪化の一途をたどってい 文字どおり孤立無援の窮地にたったわが守備隊は、斬
た。 り込みと逆襲戦法とにょって力戦敢闘したが、多勢に無
す で に 前 年 七 月 、 "絶 対 国 防 圏 " の 要 衝 で あ り 、 西 太 勢 で い か ん と も し が た く 、 三 月 は じ め に な る と 、 日本軍
千鶴子は鹿児島市の西北部、 西郷隆盛が西南の役に破れ
の組織的な抵抗はいちじるしく弱まってきた。
て 自 刃 し た 城 山 の ほ と り に あ る 、 藩 主 .島 津 斉 彬 ら を 祀
さらに米軍は、 本土に進攻する前の最後の目標である
った照国神社へといそいだ。
沖繩 を 攻 略 す る た め に 、 その作戦準備におおわらわだっ
た。 ち ょ う ど そ の こ ろ 、 横 浜 の 留 守 を ま も る 千 鶴 子 の も 彼女がかけつけたとき、社頭に整列した道灌丸などの
乗組員は、碇泊場司令官と武運長久をいのる別離の水否
と に 、 一通の電報がとどいた。
をかわしていた。 これら乗組員のなかに敬三の姿をみつ
「鹿 児 島 ま で 会 い に こ い 」
けた千鶴子は、 心臓の高まりをぐっとおさえながら、悲
と い う 敬 三 か ら の も の で あ っ た 。 千 鶴 子 は 、 敬三から
愴な決意にみちた夫の面ざしを、 じっとみつめるのであ
の電報を胸にだきしめ、 ひさしぶりに夫に会えることを
った。
喜 ん だ 。 だが、 その喜びよりも、 これからさきの夫の身
の上を考えると、 その悲しみのほうが、どうしても先に 道 灌 丸 の出港は、 まじかにせまっていた。 はるばる横
立ってならなかった。 浜からやってきたのに、 千鶴子は敬三とゆっくり語りあ
う時間のょゆうさえない。 二人はすぐに別れねばならな.
千鶴子は、 やっとのことで、鹿児島までの汽車の切符
かった。
を 手 に い れ た 。 車 窓 に う つ る 東 海 道 か ら 山 陽 道 、 そして
九州路の初春の景色も、 いまの千鶴子の目にははいらな 敬 三 の 乗 り く ん だ 道 灌 丸 は 、 そ の夜、 三月八日午後八
、V 0
寺 、暗 ャ ミ に つ つ ま れ た 鹿 児 島 港 を あ と に して沖繩の那
I
覇にむかって出港した。
二日かかって鹿児島についたのは、 三月八日のことだ
つた。
人口六万の那覇市は、すでに一ヵ月ほど前から、米 軍

191
千鶴子はすぐに敬三をさがした、道灌丸の乗組員は、
飛行機の爆撃をうけて、 ほとんど灰燼に帰していた。だ
照国神社にあつまっているという。
が 、 牛 島 満 中 将 の ひ き い る 陸 軍 の 第 三 十 二 軍 と 、 太田実 モーターボ I トの艇首に爆薬をつみ、敵の上陸地点ふき
少将の指揮する海軍の沖繩方面根拠地隊の総勢七万七千 んまで進出させて、時いたらぱ敵艦船に突撃し、体 当 た 城
の 沖 繩 守 備 隊 は 、沖 繩 決 戦 を 必 至 と み て 、 その準備に忙 りの攻撃をおこなおうというものである。
殺されていた。
第 四 十 四 号 、 第 百 十 八 号 海 防 艦 、第 二 新 東 丸 、第三太
こぅして、沖 繩 は 、 日本にとってはみずからの生死を
平 丸 の 四 隻 が 「ヵ ナ 八 〇 三」 船 団 の 護 衛 に あ た っ た 。 こ
決 定する最後の抵抗線となり、他方、連合軍にとっては の 船 団 は で き る だ け 敵 の 攻 撃 を さ け る た め 、 南西諸島に
本土進攻のための最後の足がかりとなった。 接航せ ず 、 西方 を 遠 まわりして南 下 す ることとした。
道 灌 丸 (ニ 千 二 百 七 十 ト ン 、 戦 時 標 準 型 貨 物 船 )を 基 準 しかし、 船 団 の 前 路 に は 、 獲 物 を さがしもとめるオオ
船 と す る 慶 山 丸 と 三 嘉 丸 の 三 隻 に ょ っ て 「ヵ ナ 八 〇 三」 力ミのように、 アメリヵの潜水艦が手ぐすねひいて待ち
船団が編成された。 この船団は沖繩決戦を目前にひかえ かまえていた。
た 大 本 営 に し て み れ ば 、 沖 繩 を 死 守 す る た め に は 、 ヮラ 鹿児島湾を出てまもなく、電波の測定に よ っ て 探知で
に も す が り た い 気 持 で おくる貴 重 な 船 団 で あ っ た 。
き た 敵 潜 水 艦 だ け で も 八 隻 を こ え た 。 レーダーを持って
道 灌 丸 の 船 艙 に は 、 自 動 車 用 の ガ ソ リ ン や 爆 薬 な どの いる敵潜水艦が、 この船団を見のがすはずはない。結局
軍 需 品 が 満 載 さ れ て い た 。 そ し て 、 他 の ニ 船 に は 、 わが
のところ、 問 題 は 、 敵 が 、 いつ、攻 撃 し て く る かとい う
国 の 科 学 、 技 術 陣 が 頹 勢 挽 回 の 悲 願 を こ め て つくりあげ ことであった。
た 特 攻 艇 「震 洋 」 と 、 そ の 乗 組 員 を の せ て い た 。 三月九日は、 な に ご と も な く 平穏のうちに暮れていっ
ち な み に 震 洋 艇 と は ゝ ま た の 名 を ⑭ ハマルョンりと呼
た。船 団 は よ う や く 奄 美 大 島 の 北 西 海 面 に た っ し 、 い よ
ばれた水上特攻兵器で、 一 型 〔 人
I 乗り)と ニ 型 (ニ人
いよ沖繩にむけて一路南下する。だが、 そこには海のオ
乗 り ) が あ っ た 。 原 理 的 な 考 え と し て は 、 小型で高速の オヵミがたむろしていた。
三月十日午 前 四 時 、船 団 の 最 後 尾 に い た 三 嘉 丸 が 、暗 三嘉丸の裏沈後、近藤敬三は自分の部屋でまどろんで
やみのなかで血祭りにあげられた。 いた。 午 前 七 時 ご ろ の こ と だ っ た 。
ズ シ ー ンといぅ音が海水を伝わってひびくょり前に、 ブリッジの左舷側で見張りをしていた甲板員の西尾勇
が 、 左 百 十 度 (船 首 か ら の 角 度 ) に 魚 雷 の 青 白 い 航 跡 を
とつぜん、 あたり一面の海上は赤あかと炎にてらし出さ
発見し、大声で叫んだ。
れた。 まっ赤になった火の海.
の中へ降るょぅに落ちる人
影が、ありありと見える。 「左 舷 後 方 、 雷 跡 —.

森船長は魚雷をかわすため、
敵潜水艦を制圧するため、護衛艦は三嘉丸の遭難現場
「面 舵 い っ ぱ ー い、 い そ げ 」
に と ど ま っ た 。 船 団 長 の 道 灌 丸 船 長 .森 正 元 は 、 二 番 船
と 、右 方 に 急 転 舵 を 命 じ た 。 だが、 時 す で に お そ く 、
の 慶 山 丸 と と も に 、 二セの航路をとりながら南下をつづ
船 首 が 右 に 三 十 度 ほ ど ま わ っ た と き 、 一発の魚雷が船尾
けた。
楼下の機関室に命中した。
や がて、東 シ ナ 海 の 夜 は あ け 、 三月十日の朝がおとず
た ち ま ち 海 水 が 船 内 に 浸 入 し て き た 。 さらに汽罐室の
れた。夜明けからまもない六時五十分、慶山丸が三嘉丸
と お な じ 運 命 を た ど っ て 、波 間 に 消 え て い っ た 。 蒸 気 管 が 破 裂 し た の で 、蒸 気 がふき出し、 そ の 蒸気はま
たたくぅちに居 住 区 に まで充満した。 ま た 右肢石炭庫
い ま や 「カ ナ 八 〇 三」 船 団 は 、 道 灌 丸 を の こ す の み と
な っ た 。 だ が 、 豪 放 に し て 磊 落 な 船 団 長 森 正 元 は 、 けつ に発生した火災が、船艙内のガソリンや火薬類に引火し
し て ひ る ま な か っ た 。 いや、 森 は い よ い よ 勇 を 鼓 し 、 あ て、 誘 発 す る お そ れ も あ っ た 。
くまで初一念を貫徹すべく、 道灌丸ただ一隻でまっしぐ 森 船 長 は 、 ついに意をけっした。 午 前 七 時 五 分 、船長
は全員に退船を命じた。

103
らに沖繩をめざした。
も の す ご い 衝 撃 に は ね と ば さ れ る ょ ぅ に し て 、近 藤 敬
三はデッキにとびあがった。 あたりには、船内から吹あ 水 艦 の 攻 撃 か ら 身 を ま も る 遮 蔽 物 と し た 。海 流 と 北 風 と
げ て くる蒸 気 が 、も う も う と た ち こ め て い た 。 によって、漂流者 は 、 はなればなれになりがちだった。
近 藤 主 計 士 は 、 と っ さ に 船 長 室 に か け お り 、 金庫にお か れ ら は で き る だ け 集 団 と な り 、 た が い に は げ ま し あっ
さ め た 船 の 公 金 を 身 体 に し ば り つ け 、 ふたたびデッキに た 。 か れ ら が 第 三 太 平 丸 に 救 助 さ れ た の は 、 海に飛びこ
かけのぼると、風上の舷側から海に飛びこんだ。 んでから四時間後であった。
近 藤 は け ん 命 に 泳 い で 、船 か ら は な れ た 。 五十メート こ う し て 「ヵ ナ 八 〇 三」 船 団 は 、 そ の 一 隻 も 目 的 地 の
ル ほ ど は な れ た と き 、 背 後 に 大 織 音 が 聞 こ え た 。 近藤は 那覇に到着することができず、 三隻のすべてが敵潜水艦
後 ろ を ふ り か え っ た 。 そ れ は 二 番 目 の 魚 雷 が 、 ブリッジ の餌食となって東シナ海の波間に没した。起死回生を胸
の下にある第三船艙の後部に命中したのであった。 に ひ め て い た 震 洋 艇 の 特 攻 隊 員 も 、 む な し く 艇 とともに
近 藤 は ひ と み を こ ら し た 。 道 灌 丸 の 船 体 は 、 ブリッジ 消えていった。
の 下 の 部 分 か ら 二 つ に お れ 、 つ い に 七 時 十 二 分 、 まだつ ち ょ う ど そ の 日 (三 月 十 日 ) の 真 夜 中 、 マ リ ア ナ 基 地
め たい初春の海に沈んでいった。 それは瞬間的な出来ご
から飛びたった三百三十四機の6 が、約三時間にわた

29
とであった。
って東京に焼夷弾の雨を降らせた。攻撃の効果を最大限
そ の 間 、 デ ッ キ の 上 に つ ん で あ っ た 車 両 は 、傾斜した に す る た め 、 目 標 は 中 小 家 内 工 業 地 区 、 つまり木造家屋
甲 板 か ら 将 棋 倒 し の ょ う に 海 に こ ろ が り 落 ち た 。最後ま の密集する下町方面がえらばれた。
で ブ リ ッ ジ に ふ み と ど ま っ て い た 森 船 長 が 、 これらの車 下 町 一 帯 は た ち ま ち 火 の 海 と 化 し た 。 一瞬にして、 四
両 と と も に 海 中 に す べ り お ち て い く 悲 惨 な 光 景 は 、 あた 方 を 火 に か こ ま れ た 市 民 は 、 逃 げ 場 を う し な っ た 。走 り
かも幻覚であるかのように感じられた。 だ し て も 、夜 の た め に 方 角 が 定 ま ら ず 、 群集にふみつぶ
近 藤 た ち は 、 近 く に 浮 い て い る も の に と り つ き 、敵 潜 さ れ る 者 、 逃 げ お く れ て 火 煙 に ま き こ ま れ る 者 、 隅田川
にとびこんで溺れる者など、夜空は燃える火のぅなりと
市民の 1 1の
1 叫びにみちた。 焼失家屋は二十六万七千ニ
百楝、 死者は八万三千八百人、負 傷 者 は 四 万 九 百 二 十
人、罹災者は百万八千人、史上空前の大火災であり、 日
本国民は深刻なショックにおののいた。
水びた し に な っ た 近 藤 敬 三 は 、 重い足どりでふたたび
鹿児島の土をふんだ。 それは千鶴子が敬三の遭難を知ら
ず に 、 ょ ぅ や く 横 浜 行 き の 切 符 を 手 に い れ て 、 鹿児島を
出発した翌日のことだった。
都松
竹尾
正敬
雄宇
徳山湾に停泊する伊ニ 潜 一水 艦 で こ れ を 聞 い た と き 、 第

103
三 潜 水 隊 司 令 .佐 々 木 半 九 大 佐 の 胸 は ひ し ひ し と 痛 む の
であった。
太平洋戦争のへき頭、佐々木は特別攻撃隊指揮官とし
て、 こ れ ら 九 勇 士 の 特 殊 潜 航 艇 を 死 地 に 投 じ た 。 いまま
アメリカ海軍の名だたる〃猛牛"提督ハルゼーが、 航 た、 か れ は 東 方 先 遣 支 隊 指 揮 官 に 任 じ ら れ 、 豪州方 面 の
空 母 艦 『エ ン タ ー ブ ラ イ ズ 』 の 樯 上 に 、 青 地 に 白 い 三 つ 敵 有 力 艦 船 の 停 泊 す る 港 湾 に た い し て 、特 殊 潜 航 艇 を 送
星の中将旗をひるがえし、 ド ー リットル陸軍中佐の指揮 りこむ作戦を命じられていた。
する東京空襲の3 を 搭 載 し た 空 母 『ホ ー ネ ッ ト 』 の 部 訓 練 中 の 若 者 た ち を 、 ま た こ う し て 葬 送 す る ょ う にな
25

隊と合同するために、北太平洋の集合点にむけて真珠湾 り は せ ぬ か 、 と 思 い う か べ て 千 々 に 心 を く だ く のであっ
を 出 撃 し ょ ぅ と し て いた昭和十七年四月八日、 岩佐直治 た。
中 佐 を は じ め 、真珠湾攻撃の特 殊 潜 航 艇 九 勇 士 の 海 軍 葬 そ の こ ろ 若 者 た ち は 、嵐 の 朝 も 、 雨の夕 べ も 、 くる日
が 、東京の日比谷公園でし め や か に お こ な わ れ て い た 。 も く る 日 も 、 はげしい訓練に精根をかたむけていた。身
お お く の 国 民 が 、 この葬 儀 に 参 列 し た 。 東 条 首 相 、 嶋
体 は や せおとろえ、若人らしい豊頰は見るかげもなかっ
田海相、永野軍令部総長、山本連合艦隊司令長官をはじ た。 しかし、 か れ ら は 殉 国 の 熱 情 に も え 、 ょくがんばり
め、 盟 邦 ド イ ツ の 海 軍 最 高 指 揮 官 と イ タ リ ア の 海 軍 大 臣 とおした。
な ど の 弔 辞 も あ り 、 参 列 者 は 、 開 戦 の へ き 頭 、敵の根拠 岩 佐 中 佐 な き あ と 、 いまは秋枝三郎、 中 馬兼四、松 尾
地に突入して散華した英霊の冥福を心から祈った。 敬宇といった海軍兵学校六十六期の三中尉が先輩であっ
ラジオは、 この葬儀の実況を全国につたえた。山口県 た。と く に 松 尾 中 尉 は 、 真 珠 湾 攻 撃 に 特 別 攻 撃 隊 指 揮 官
付 と して参加した経験もあり、後輩をひっぱってゆかね 菊 池 千 本 槍 は 、 建 武 の 昔 (ぃ ま ょ り 約 六 百 年 前 ) 菊 池
ばならぬ重責をになっていた。 武 重 が 水 吞 時 の 戦 い で 、箱 根 の 険 峻 に 優 勢 を ほ こ る 足 利
こぅした血みどろの訓練に明け暮れていた十七年三月 直義の軍勢にたいし、青竹の先に小刀をしばりつけてに
の あ る 日、 松 尾 敬 宇 は 兄 の 自 彊 に あ て 、 つ ぎ の ょ ぅ な 書 わか作りの槍とし、槍ぶすまをつくって進撃して勝った
ことから生 ま れ た も の で あ る と い ぅ 。
簡をしたためた。
『—— 近日中或は第一線の配備につくやも計られず候間 この千本槍は、武器として使われたばかりではない。
一応帰省の上御両親様始め皆様への御言葉をも致したく 後世、 肥後藩士は、 この槍の穂先を短刀にこしらえて腰
存じ候へ共何分多忙を極め居り候へば願はくば御来呉被 に お び る こ と を 誇 り と し た 。 つまり、 菊 池 一 族 が の こ し
た千本槍は、
於乾御待ち申し居り候尚恐縮ながら平素信仰致し居り
候菊池神社へ代参致し被下度、くれぐれも御頋申上候。
もののふの上家のかぶら一筋に
勇猛敢為不撓不屈船家の為貫かざれば止まざる菊池魂を
以 っ て 臨 ま ん こと平 素 の 覚 悟 に 候 も 更 に 一 層 の 決 意 を 誓 思ふ心は神ぞ知るらむ
ひたく存 じ 居 り 候 へ ば 念 の 為 申 し 添 え 置 き 候 。 其の節同
神社の御守七個拝受為し被下度候。尚出来得れば父上御 ,
か 端 的 に あ ら わ れ て い る "菊 池 魂 " I
一一た
のめ な ら
死をも怖れず、大義と真実をつらぬく I の象徴とみな
秘蔵の千本槍(
短刀に改作したもの)を戴きたく存じ候
間 よ ろ し く 御 取 計 ひ の 程 願 上 候 … …』 され、 これを佩用することにょって、 心の底に菊池魂を
やしなぅことを武士のたしなみとした。
こ の 風 習 は 、 太 平 洋 戦 争 の と き に も み ら れ た 。 菊池一
菊池神社は、 王事につくした菊池一族を祭神とし、松
尾家の崇敬あつい神社である。 族の刀匠延寿一門のきたえた刀や、 その流れをつぐ同田
貫刀を軍刀に仕込み、千本槍を護身用にたずさえた者が さきほどから怪しかった空から、とうとう小雨が降りだ

110
多 か っ た 。 その顕著な事例を、松尾敬宇の行動と精神に した。 雨 に ぬ ら し て は す ま ぬ 、と自 彊 は い た だ い た も の
見ることができる。 を内ポヶットにおさめた。 ようやく雨はつのってくる。
少 年 時 代 か ら 菊 池 精 神 に 傾 倒 し て い た 松 尾 は 、 その自 か れ は 両 手 で 内 ポ ヶ ッ ト を お お い な が ら 、 だ き し め るよ
然 の 成 行 き と し て 、 や が て 、菊 池 千 木 槍 を 所 望 す る に い う に し て 急 い だ 。自 彊 は 、 このとき、無 意 識 の う ち に 、
た っ た 。 海 軍 士 官 の 偶 像 と も い う べ き 聖 将 .東 郷 平 八 郎 「頼 む ぞ 、 頼 む ぞ 」 と 、 い く た び も つ ぶ や い た 。 兄 の 体
が 、 その短剣に千本槍を仕込んでいたという話を聞きお 温 で あ た た か く な っ た 御 守 と 太 玉 串 が 、 いつのまにか自
ょぶや、自分もぜひこれを佩用して聖将にあやかりたい 分の弟のようにさえ思えたりして、なにかしらこみ上げ
と念願したという。 て来るものがあった。
(『あ 八 月 十 五 日 』 の 松 尾 自 疆 の 『神 霊 』
>1 より)
兄の自彊は、 敬 宇 の 書 簡を読んだとき、 その文字とそ そ れ か ら 数 日 た っ た 。 敬 宇 か ら 、 郷 里 (熊 本 県 山 鹿 市
の行間に、 ひしひしと迫るものを感得した。 さっそく、 久原) の 両 親 の も と に 電 報 が と ど い た 。
そ の翌日、 か れ は 菊 池 神社に参拝する。 兄は、神社の石 『ニ九 ヒ 、 ク レ ニ ウ コ ウス、 ゴ ラ イ ゴ ヲ コ ウ (
二十九
段をのぼりながら、帰省のたびに参詣を欠かさなかった 日、 呉 入 港 す 、 御 来 呉 を 乞 う )

弟 の 面 影 を し の び 、菊 池 公 の ょ う な 純 忠 無 垢 の 心 境 を も 両 親 の 鶴 彦 夫 妻 、 兄 の 自 疆 、姉 ふ じ え は 、 かねてから
つて君国のため身命を捧げたいなどと述懊していたこと 敬 宇 が 依 頼 し て い た 「短 刀 (菊 池 千 本 槍 ) 」 「刀 剣 手 入
を想いだして、感慨まことに深いものがあつた。 要 具 」 「菊 池 神 社 の 太 玉 串 と 御 守 七 コ 、 氏 神 様 の も の 一
自 彊 は 神前にぬかずいて、 ひたすらに神の加護を念じ コ」 「卵 若 干 (両 親 の 丹 精 に な る も の )
」をたずさえて
た。 そ し て 、御 守 と 太 玉 串 を い た だ い て 帰 路 に つ い た 。 面会のため呉にむかった。
やがて、親子五人は旅館の一室におちついた。
いちおうの挨拶がすんだのち、
ニ 「さ き ご ろ は 、 ハ ヮ ィ に 行 っ た そ う で 、 ご 苦 労 だ っ た 。
今 度 は 、 ま た 第 一 線 の 配 置 に つ く そ う で 、 おめでとう」
と、父は子の労苦をねぎらった。
呉 の 駅 頭 に は 、 長 身 の 敬 宇 が 出 迎 ぇ た 。 そ し て 、 母の 「あ あ 、 い や 、 そ う で も な い で す 。 そ う 言 わ れ る と 、 ま
手を とるょぅにして、宿舎の紅葉旅館にむかった。 っ た く ど う も .. 」
母 の ま つ 枝 さ ん の 目 に ぅ つ っ た 愛 と し 子 の 姿 は 、 あま と 、 ちょっと顔を赤らめた敬宇は、 さも恐縮したよう
りに も あ わ れ だ っ た 。顔 色 は 青 く 、身体はやせほそって に頭をかいた。
いる。 そ れ は 必 死 の 猛 訓 練 の た め 、と 知 る ょしもない母 「た だ ね 、 生 命 は 無 駄 に す る も の で は な い 。 生 命 を 愛 す
の 驚 き は ひ と し お で あ っ た 。旅 館 へ の 道 す が ら 、 ることは、生命をながらえようとすることではなく、最
「あ ん た 、 病 気 じ ゃ な か と た い 」 もよく生命を活かすことである」
と、母がたずねたとき、 「は あ 、 あ り が と う ご ざ い ま す 」
「ぃ ぃ ぇ 」 敬宇はかしこまって、軽く頭を下げた。
と一言、 敬宇は首を横にふった。 母まつ枝さんが、
「そ ん な 、 あ ん た は 、 お 酒 が す ぎ て そ う や せ と つ と だ ろ 「敬 さ ん 、 こ れ は 出 陣 の お 祝 い に … … 」
う 。 この大事なさい、 酒のんでどうするかい」 といって、きれいに水引をかけた紅白の餅と勝栗をさ
と 、 母 は 思 わ ず た し な め た 。 敬 宇 は 、 につと笑っただ しだした。

111
けであった。 敬宇は、
「は あ 、 は あ 」 シド-
一1 、 三 つ は マ ダ ガ ス ヵ ル 方 面 攻 撃 隊 員 に わ か た れ

112
と 、親の愛を感謝しながら、 母の慈眼をジッと見つめ たのである。
た。 「魚 雷 に 空 間 が あ っ た ら 、 こ の 太 玉 串 を お ま つ り し て 敵
しばらく、山鹿から持参した梨や、 ゆで卵などで、懐 艦 に 打 ち こ ん だ ら … …」
かしい故里の香りを味わい、 ひさしぶりになごやかなひ と い う 兄 の 言 葉 に 、 敬 宇 は 目 を か が や か せ 、 "わ が 意
と と き をすごした。 を え た り "と い っ た 表 情 を し た 。
「と き に お 父 さ ん 、 千 本 槍 は ?」
やが”
て、 兄 の 自 疆 が 座 を た だ し て 菊 池 神 社 の 御 守 り と
太 玉 串 を 渡 し た 。 敬 宇 は こ れ を お し い だ た き 、 ふと、 と、敬宇がおずおずいった。
「さ き ご ろ 、 お 母 さ ん と い っ し ょ に 参 詣 し た と き に い た 「敬 さ ん の 出 陣 だ か ら 、 こ の 袋 は 、 お 母 さ ん が 嫁 い だ と
だ い た 御 守 り は 、岩 佐 中 佐 に さ し 上 げ ま し た 。真珠湾攻 きの丸帯でこしらえたっばい」
擊 に で ら れ る 時 で す 。 い ま ご ろ は 、 あ の 海 の 底 で … …」 と言いながら、 母は古色ゆかしい紫金襴の袋におさめ
と 、 も ら し て 顔 を く も ら せ た 。 こ の 意 外 な 話 と 、 こん た短刀をとりだした。
ど敬宇がたのんだ七コの御守りのことを思いあわせて、 父 は 、容 を た だ し て 、
親子四人はぎよっとした。 「菊 池 千 本 槍 だ 。 最 後 ま で 、 こ の 魂 で や る の だ ね 」
「七 コ な ん て 、 ど ぅ す る の か 」 と、静かにさしだした。
と兄がたずねても、 「と う も あ り 力 と う こ さ V ます」
「は あ 、 ち よ つ と 」 お し い た だ い た 敬 宇 は 、 袋 か ら と り だ し 、 「ど れ 」 と
といって答えない。 言って鞘をはらった。
だが 、後 で わ か る こ と だ が 、 この御守りのうち四つは 一秒、 ニ 秒 … … 、 無 気 味 な 雰 囲 気 が 、 あ た り を つ つ ん
る !」
だ 。 た だ 一 心 に 見 つ め て い る 焖 け い た る 眼 光 。物すごい
までに感じられるその気魄1 0 と 、敬宇が言いだした。
「い た だ い て 行 き ま す 」 「ま あ 、 中 尉 さ ん が .. 」
と、静かに鞘におさめたとき、 女 中 が 笑 い だ す と 、 一同も、 思 わ ず ふ き だ し て し ま っ
「弟 は 白 決 す る … … 最 後 に 」 た。だが 、 その笑い声も一瞬のうちにふき消された。
ふ と 、 兄 の 自 彊 の 脳 裏 を か す め る の で あ っ た 。 いや、 「は い は い 、 今 夜 は 二 十 年 ぶ り に 、 敬 さ ん を 抱 い て 寝 ま
そぅ感じたのは兄だけではなかった。 しょうよ」
という母の声が、 ひしひしと一同の胸にひびいたから
親 子 の あ い だ は "以 心 伝 心 " で あ る 。 真 珠 湾 攻 撃 の さ
い 、 酒卷少尉が捕虜になったことをつたえ聞いていた母 だ っ た 。 最 後 の 夜 -- そ ん な 予 感 の た め に 力 れ ら は 胸
さわぎがした。
の胸中には、
一同は床についた。
「敬 宇 は 、 こ の 短 刀 で 、 最 後 に は 自 決 す る … … 」
「ひ さ し ぶ り に 、 お 母 さ ん と 寝 る か な 」
と 、ただごとならぬものがひらめいた。
と い う な り 、 敬 宇 は 母 の 寝 床 に は い っ た 。 六尺ゆたか
な 敬 宇 は 、 き ゅ う く つ そ う に 押 し ま が り な が ら 、 びった
夜 は ふ け て き た 。 一同は旅の疲れを、 紅 葉 旅 館 の 一 室
でいやすこととなつた。 りと母親の懐によりそった。
母子ともに語るべきすべもない。 母の手はいつしか子
蒲団をはこんできた女中が、 目で数えながら、
「お 床 は 、 五 つ で ご ざ い ま す ね 」 の肩にかかり、春寒をさえぎるように、 その五体をひし
と わ が 胸 に ひ き よ せ た 。 子 は じ っ と 目 を つ ぶ っ て 、 幼い

113
とたずねた。
ころの夢をおうのであった。
「い や 、 四 つ で い い 。 お れ は 、 お ふ く ろ と い っ し ょ に 寝
一一十五年、 育 て あ げ た こ の 子 、 た だ ひ と す じ に 大 君 の と 注 意 し た の で 、 や っ と 車 外 に で た 。 そ し て 、 いつま

114
御 為 に 捧 げ よ う と す る こ の 子 の 身 体 を 、力 の か ぎ り 抱 き でもホ I ムに立って手をふっていた。
し め て や る の も 、 今 宵 が 最 後 で あ ろ う 。 これが、 この子
の最後の親孝行かと思うとき、 母はいまにも胸のつまる 出 撃 前の一夜を、 母にだかれて寝たのは、松尾中尉だ
思いがした。 けではない。
母 は こ み あ げ て くるも のを、奥 歯 で か み し め 、息 を こ 松尾と同じ特殊潜航艇に乗りくんだ都竹正雄兵曹も、
らしていたが、 その胸は春雨をすう河原の石のように、 四月に母が呉にきたとき、呉の下宿で同じ寝床で寝たの
し だ い に 熱 く ぬ れ て き た 。 胸 か ら の ど へ 、 しのびやかな であった。
嗚咽となってもりあがろうとする感情を、 母は渾身の力 都 竹 は 、 そ の 『修 養 録 』 の 昭 和 十 七 年 五 月 十 三 日 の 記
でたえにたえた。 事のなかに、
時 は 、 あ わ た だ し く す ぎ た 。 三 日 目 に は 、 もう帰途に 『I 今は俺ょりも小さい体、瘦せた手で俺の頭を撫で
つかねばならない。 ながら、
敬 宇 は 肉 親 を 駅 で 見 送 り 、最 後 の 別 れ を お し ん だ 。 「正 雄 、 最 後 ま で し っ か り や っ て く れ ょ 」
ああ、 これが今生での別れだ! ただこれを再度繰返された。
敬 宇 は 、 一 刻 も 両親のそばからはなれない。 列車のな 「は ぃ 」
か へ ま で 入 っ て き た 敬 宇 は 、発 車 の ベ ル が 鳴 っ て も お り の一言。後 は 俺 も 言 葉 が 出 な か っ た 。 母も後の言葉が
よ う と は しなかった。 出ぬらしく、 ただ目をつむっておられた。 ……
心配した姉のふじえさんが、 いま 俺 は 、南 洋 群 島 の 南 の 果 て の 海 上 で 、 ベンを走ら
「敬 さ ん 、 も う 降 り な け れ ば .. 」 せ て い る 。 戦 友 は 皆 思 い 思 い に 昼 寝 の 最 中 だ 。 いまペン
を 走 ら せ な が ら 、 涙 が 出 て 仕 方 が な い 。 母 の 追 憶 、 たし
かに俺はいま泣いている。 散りぎはの心やすさよ山桜
波 止 場 で 別 れ た と き 、 母 は 俺 の 後 姿 を な が め て 、 じつ 水潰く屍と捧げ来し身は
と手を合わせて拝んで居られた、と後から来た友達に聞
いた。 あ あ 勿 体 な い 事 だ 。 の歌を父にしめした。
一億の人に一億の母あれど この一事だけからでも、父は、 子の堅確な決意のほど
我が母に優る母あらめやも』 を、 は つ き りと読 み と る こ と が で き た 。
と、都竹は感激の文字を書きとめている。 帰 宅 し た 父 は 、 さ っ そ く 一書を吾子にしたためた。
『I 久しぶりに遭い嬉しかった。特に兼光の名刀の手
入 申 分 な く 、 お 前 の 武 士 魂 の 輝 き も 察 せ ら れ て 、 ゆかし
三 さ 一 入 だ っ た 。斗 酒 な お 辞 せ ざ る の 概 あ る も 可 な れ ど 、
身体髪膚己のものでない。大君に捧げた体だから何時出
動の命を拝するも毛頭自己の健康に不安があってはなら
親 子 の あ い だ は 以 心 伝 心 で あ る 。敬宇の た だ な ら ぬ そ ぬ。 は ち 切 れ る 体 力 気 魄 の 鍛 練 を 夢 怠 ら ぬ よ ぅ 頼 む 。 正
ぶり に 、 な に か 重 大 な も の が 、身近にせ ま っ て い る こ と 成さえ湊川出陣に際しては心の動揺をどぅすることも出
を、両親が気づかぬはずがない。 来なかったが、 心頭を滅却すれば火も亦涼しの一喝に釈
呉での最後の夜のことだった。 然 大 悟 湊 川 へ 馳 せ 向 っ た で は な い か 。 難関を前方に望む
「お 父 さ ん 、 腰 折 を 一 つ 作 り ま し た 」 ものは心の据えどころを大悟することだ。剣の極意を探

115
と言って、敬宇はノートに鉛筆で走り書きした、 る か 禅 に 参 ず る も よ し 、 お 前 の 欲 す る 所 に 向 ひ 、 大事に
当り明鏡止水の心境に立ち必勝不敗の信念に徹せよ。必 する港湾に攻撃をかけることとなった。攻撃の時期は五

116
勝 不 敗 の 信 念 微 塵 の 揺 ぎ な け れ ば 、今 回 も 家 族 一 同 の 祈 月下 旬 、 ま た は 六 月 上 旬 の 月 明 の ころと予 定 さ れ た 。
念神明に徹し光明の境地に歩を運ぶことをわたしは信じ 松尾敬宇が呉の駅頭で、 両親、兄姉とのつきぬ名ごり
て疑はぬ。切に自愛し健勝を祈り武運の長久を念じてゐ をおしんでから半月後の四月十五日、東方先遣支隊の各
る』 潜 水 艦 は 、 特 潜 を 搭 載 し た 母 艦 『千 代 田 』 と と も に 呉 軍
あ あ 、 この父にしてこの子あり、 といぅべきか。 港 を あ とにして、広島湾の 柱 島 泊 地 に 集 合 し 、内地出撃
敬 宇 は 、 この父の書を再読、 三読し、 その決意を新た 前の最後の錨をおろした。
にするのであった。 この日、 こ の 地 は 、 日 本 海 軍 の 将 兵 、 と り わ け 潜 水 艦
そのころ、内地出撃は、 いよいよ旬日後にせまり、敬 乗 員 に と っ て は 忘 れ る こ と の で き な い 日 で あ り 、 また場
宇は訓練の最後の仕上げに精進していた。 所でもあった。
この日は、 ちょうど三十ニ年前の明治四十三年四月十
十 七 年 三 月 、第 八 潜 水 戦 隊 が 編 成 さ れ 、第二次特殊潜 五 日 、 第 六 潜 水 艇 が 訓 練 中 に 遭 難 し 、 艇 長 ,佐 久 間 勉 大
航艇攻撃を担当することになった。 尉以下十四名の乗員が殉職した日にあたる。そして、 こ
そのぅち、豪州方面に た い す る 攻 撃 の た め 、東方先遣 の 泊 地 の 北 方 に 見 え る 阿 多 田 島 の 沖 合 い が 、 その殉難の
支 隊 が 編 成 さ れ 、 まず、南 洋 群 島 の 要 衝 ト ラ ッ ク に 進 出 地である。
することになつた。 『千 代 田 』 の 甲 板 に た た ず む 松 尾 敬 宇 ら の 胸 中 は 、 ど う
飛 行 機 を 搭 載 す る 伊 ニ ー 潜 、伊 ニ 九 潜 は 、先行して豪 で あ っ た ろ う か 。佐 久 間 艇 長 以 下 の 全 乗 員 が 、息たえる
州 東 岸 と -ュ
1 ー ジ ー ラ ン ド 方 面 を 飛 行 偵 察 し 、 のこりの まで自分の本分をつくし、従容として職に殉じた当時の
母 潜 四 隻 は 特 殊 潜 航 艇 を の せ て 出 撃 、敵有力艦船の停泊 情景が、 かれらの眼前にほうふつとしたであろう。
さ ら に 明 く る 日 、特 殊 潜 航 艇 の 勇 士 た ち は 、 つぎのょ の も 帽 を ふ っ て 、 こ れ に こ た え た 。 『折 柄 春 雨 霏 々 と し
ぅに宣誓して決意のほどをしめした。 て別離を惜しむに似たり』と、連合艦隊参謀長ニ子垣


1
は 、 そ の 日 記 『戦 藻 録 』 に し た た め て い る 。
宣誓 五月一日、前進根拠地トラックで松尾中尉は大尉に進
一、 我 等 は 帝 国 海 軍 軍 人 た る を 名 誉 と す 級 し た 。 そ し て 端 午 の 節 句 の 五 月 五 日 に は 、 『千 代 田 』
ニ、 我 等 は 格 納 筒 乗 員 た る の 初 志 を 貫 徹 す の士官室で特攻隊員の壮行会がひらかれた。
三、 我 等 は 七 生 報 国 の 実 践 を 期 す こ の 日 、 松 尾 艇 の 艇 付 .都 竹 正 雄 兵 曹 は 、 そ の 決 意 を
第二回特別攻撃隊 奉 書 に し た た め て 艇 長 松 尾 大 尉 に さ し だ し た 。 (原 文 は
海軍中尉秋枝三郎 漢文体)
海軍中尉中馬兼四
海軍中尉松尾敬宇 決 意
海軍中尉伴勝久 茲 に 特 攻 隊 と な り 、男 子 の 本 望 之 に 過 ぐ る も の
海軍少尉岩瀬勝輔 な し と 慶 賀 す 。大 東 亜 の 海 を 越 え て 、幾多前途
注 ,格 納 筒 と は 特 殊 潜 航 艇 の こ と 。 に 苦 難あらんも、 天佑神助 を 確 信 し 、 虎穴に入
り て 成 功 を 期 す 。我 身 ま た 不 束 な り と 雖 も 意
十 六 日、 柱 島 泊 地 を あ と に し て ト ラ ッ ク に む か っ た 。 中 は 只 忠 あ る の み 。 大願成就の暁、貴官ととも
停 泊 す る 連 合 艦 隊 旗 艦 『大 和 』 を は じ め 、 各 艦 の 乗 員 は に欣んで還らず。
上甲板にならび、帽をふって出撃部隊の征途を見送り、 出撃に際し

117
艇長殿 艇 付 都竹正雄
そ の 成 功 を 祈 る の で あ っ た 。 そして、 また、 送 ら れ る も
いよいよ、 ト ラ ッ ク 出 撃 も 目 前 に せ ま っ て き た 。 五月十五日トラック

118
五 月 中 旬 の あ る 日 、 松 尾 は 、 戦 闘 機 隊 の 訓 練 と 整備に 『千 代 田 』 横 付 け 、 糧 食 搭 載 、 特 潜 搭 載 。 松 尾 大 尉 、 都
身 の 休 ま る 日 の な い 級 友 山 下 丈 ニ と 、 トラック飛行場の 竹兵曹乗艦、整備兵乗艦。
まん中で立ち話をして別れた。 二三〇 〇 出 港 、 後 、 艦 長 ょ り 伝 達 が あ っ た 。
「こ れ か ら ち よ つ と 行 つ て く る よ 」
「本 潜 水 隊 は 、 シ ド ニ ー に 向 か っ て 進 航 す る こ と に な っ
と、 あ た か も 手 ぬ ぐ い を さ げ て 銭 湯 に で も 行 く か の よ た 。 敵 の 哨 戒 偵 察 は い ち だ ん と 厳 密 を 極 め て い る 。 とち
うに、笑いをふくんで出撃したのであった。 ゅ ぅ 長 時 間 潜 航 の 覚 悟 は も と ょ り 、 急 速 潜 航 、急莖浮ヒ
な ど の 艦 内 動 作 に つ い て も 、細心の注意と沈着をもって
当たらねばならない。各自、各持場において最善の努力
四 をつくしてもらいたい。本艦の任務は、 どこまでも敵泊
地 の 奇 襲 で あ る か ら 、 ハ ヮ ィ 奇 襲 の 場 合 と 同 様 、 航行は
もっぱら隠密である」
五 月 十 五 日 、 松 尾 は 伊 ニ ニ 潜 水 艦 に 乗 艦 し 、 いょいょ 無灯出港
目 ざ す シ ド 二 ー にむけて出撃した。
そ の 後 の 二 週 間 は 、松 尾 に と っ て 、 こ の 世 に おける最 五月十六日
後 の も の で あ っ た 。当 時 、 掌 水 雷 長 と し て 同艦 に 乗り組 日出一時間前潜航、艦内温度二 十 九 度 。舫手は上衣を
ん で い た 藤 沢 宗 明 中 尉 の 日 記 か ら 、 そ の 一 端 を うかがつ とる。
てみよう。
もっぱら休養をとる。
この日は波が高く、 ふつうの麻繩だけでは不安だった
寝ていても汗がでる。
の で 、 信 号 用 の ハリヤー ド も い っ し ょ に し て 命 綱 と し
日 没 後浮 上 、 星 空 が 美 し い 、 南 十 字 星 が 輝 く 。
松尾は艦橋で命綱の端をしっかりもっていた。作業を監
平稳な航海、見張りは厳。
督していた藤沢は、 激浪に足をすくわれてデッキにたお
れ た と た ん に 、 帽 子 を 波 に さ ら わ れ て し ま っ た 。藤沢が
五月十七日
艦橋にあがっていったとき、松尾はだまって自分の作業
日出前潜航、 日没後浮上。冷却機を使っても艦内温度
帽を藤沢にかぶせた。
三十一度、 なかなか暑い。
明治二十九年 一

03 生まれの藤沢は、松尾が誕生し
平穏な航海を続けた。
た 前 年 (大 正 五 年 ) に 水 兵 と し て 海 軍 に は い っ て お り 、
一同元気、 浮 上 後 、 司 令 塔 の 下 に 集 ま っ て 新 鮮 な 空 気
年齢の点では親子ほどもちがっていた。
を 吸 ふ 。禁 煙 に て 困 る 者 あ る も 愚 痴 な し 。 夜食に 稲 荷 寿
だ,
ぃ、 ど う い う も の か こ の 二 人 は よ く ゥ マ が あ っ た 。
司が出た。
藤 沢 は 自 分 の ベ ッ ド を 松 尾 に 提 供 し 、 みずからは士官室
の テ ーブ ル の 上 で 寝 る な ど 、 親 身 に な っ て 若 い 狗 国 の 士
五月十八日
をぃたゎった。
日出前潜航、 日没後浮上。
松尾は、藤沢が非番のときには’
浮上麥、特潜のバンドのゆるみをしめる。連管長と命
「掌 水 雷 長 、 ひ と つ ど う で す か 、 お 茶 で も .. 」
綱をつけた 作 業 は 四 十 分 位 で す む 。松尾大尉は綱の端を
と 言 っ て 、 二 人 は 抹 茶 を の ん だ 。 都竹丘ハ曹も同席する
持って見張りしてくれた。

119
ことがあつた。
三日月が見えた。
五月十九日
光 に あ た る 。静 か な 航 海 。
日出前潜航、 日没後浮上。 航海長より、 シ ド ニ ー ま で
約 一 千 二 百 先 ど 聞 く 。 霧が

120
ソロモン海にはいる。魚 雷 整 備 、異状な し 。 かかり、視 界 す こ し 悪 い 。
五月二十日 五月二十三日
日出前潜航、 日没後浮上。
水 上航走。波頭 に 白 く 微 風 あ り 。
白波立つも静かな夜航海、見張りは厳にする。 静 か な 航 海 、 戦場 と は 思 え ぬ ほ ど 。飛魚が砲甲板に上
艦橋当直は涼しくてよし。 っていた。 一 同 元 気 に 今 日 も 暮 れ た 。
雑談を交えるほどなごやか。
南十字星がよく見える。
五月二十四日
水 上 航 走 。 少 し 波 立 つ も快 適 の 航 海 、 何 も 見 え な い 。
五月二十一日
一同元気。
日出前潜航、 日没後浮上。
静 か な 航 海 、 一同元気。
伊 ニ 九 潜 搭 載 機 の シ ド 二 ー 港 (豪 州 東 岸 )偵 察 に よ り 、
潜 航 中 は 艦 内 温 度 二 十 九 度 、少 し 涼 し い と 思う。
同港に敵の戦艦など大型艦の停泊をたしかめた。
下部発射管の魚雷調整、異状なし。
そ こ で 、 五 月 二 十 四 日 、 先 遣 部 隊 指 揮 官 は 、 シドニー
港 に 特 潜 攻 撃 を集中することとし、 必要な命令をはっし
五月二十二日
た。
一三0 0 浮 上 し て 水 上 航 走 と な る 。 ひ さ し ぶ り に 日 こ れ に よ っ て 、 東 方 先 遣 支 隊 指 揮 官 .佐 々 木 大 佐 は 、
つぎのょぅに下令した。 た り 。修 理 に 困 難 を お か し つ つ 、 一時間余にして予備品
一、 攻 撃 日 を 五 月 三 十 一 日 と す 。 と取りかえる。
ニ、 特 潜 侵 入 順 序 、 伊 ニ 七 潜 、 伊 ニ ニ 潜 、 伊 ニ 四 潜 の 益 々 荒 天 、引 出 し の 止 金 が 外 れ 、 引 出 が 飛 び 出 す 。
順、湾口通過時刻は伊ニ七潜の特潜は月の出後三十分、
爾後二十分間隔とす。 五月二十七日
三 、 収 容 配 備 (略 ) 海軍記念日。 日出前潜航、 日没後浮上。
いまや、 ト ラ ッ ク を 出 撃 し て か ら 、 早くも十日 が す ぎ 伊ニー潜飛行機のシド-
一 ー 偵 察 の 報 告 電 あ り 。 「戦 艦
た。特 殊 潜 航 艇 を つ ん だ 母 潜 水 艦 は 、 赤 道 を こ え て 南 半 ゥォ I スパィト型、 甲 巡 ニ 、 乙 巡 停
一泊 中 」 と 。
球にはいっていた。 夕食。赤飯のカンブメ、 いなり寿司カンブメ。
夜 食 、 しる粉。
五月二十五日 艦内温度二十四度、 元気ょく食う。
日出前潜航、 日没後浮上。 当 直 後 、 松 尾 大 尉 の 書 き も の す る を 見 て 、 邪魔せぬょ
艦 内 温 度 二 十 四 度 、涼 し く 快 し 。 う静かにベッドにもぐる。
浮 上 後 、 波 高 く 荒 天 、 時 々 艦 橋 ま で 波 あ が る 。 喫煙も
め ざ す シド二ーまで、 あ と 百 カィリ。 そのとき松尾大
出来ず。
尉は、兵学校生徒時代の朝な夕なにぬかずいた自習室の
五月ニ土ハ日 正 面 に か か げ ら れ た 聖 将 ,東 郷 平 八 郎 元 帥 の 写 真 を 思 い
うかべていた。 ふたたびめぐり来ぬであろう海軍記念日

121
日出前潜航、 日没後浮上。
波高く艦橋までぁがる。十四ミリの耐氏ガラスが破れ を 思 い 、 家 郷 の 両 親 な ど の 面 影 を し の び つ つ 、 こころ静
かに遺書をしたためていたのであった。 ねの上宜敷く御伝へ下され度候

122
『I 先に 第 一 回 特 別 攻 撃 隊 指 揮 官 付 と し て 、 更に此度 郷里は左記の通に御座候
は〇 指 揮 官 と し て 光 栄 あ る 任 務 に 就 く 男 子 の 本 懐 是 に 過 岐阜県吉城郡国府村蓑輪
ぐるものなし
天皇陛下の御稜威の下、 天佑神助を確信し誓って成功 筆 を お い て 目 を つ ぶ っ た と き 、松 尾 の ま ぶ た に は 、な
を期す つかしい両親をはじめ、呉 の 宿 の こ と 、 無 言 で 自 分 を 車
顧みれば 生 を 享 け て 二 十 有 六 年 、 寸時も御両親の御心 内からおしだした姉の横顔、小学時代からの恩師や世話
を安んじ奉る暇もなく果つるも、此度の有難き任務に就 になった先輩や友人などのことが、走馬灯のょぅに去来
く 私 最 後 の 孝 行 と 御 褒 め 下 さ れ 度 候 (中 略 〕 したであろぅ。そして、 この遺書を読む両親の胸中を察
何等心に残る事もなく散る身を感謝しつつ御両親様の するとき、 かねて大尉が愛誦していた、
御長命と皆様の御幸福を祈りて御別れ申上候
五月二十七日 敬宇拝 親思ふ心にまさる親ごころ
父上様 今日のおとづれ何と聞くらむ
二 伸 本 日 は 目 出 度 き 海 軍 記 念 日 に し て 、此 海 面も亦
天気晴朗なれど波高く、 三十七年前と思ひ合せ の幕末の志士、吉 田 松 陰 の 辞 世 が い ま や み ず か ら の 実
感慨切なるもの有之候 感となって、 ひしひしと胸をしめつけたにちがいない。
追伸同乗の都竹正雄兵曹は私の最も信頼せる部下に
して真に優秀なる人物に御座候 五月二十八日
兵曹の御両親様には申訳なき次第、 父上様御訪 0 五〇 〇 潜 航 、 日 没 後 浮 上 。
視界よく月清し。 「だ が 艦 長 、 も う す っ か り 海 図 を 頭 に い れ ま し た 」
満月を見るとハヮィを思う。あの晚も満月だった。 ゥ と、 さも自信ありげに答えた。
ネ リ は 残っていた。商船らしいが航海灯をつけたままシ
ドニーの 方 に 進 む を 見 る も 、今 日 は 撃 沈 で き ず 、残念 。 五月二十九日
日出前潜航。ときどき潜望鏡にて陸上を見る。
ハヮィ作戦のときには特別攻撃隊員の選にもれて髀肉 艦内温度下り気持よし。 よく眠りよく食う。
の嘆にたえず、 かろうじて指揮官付として参加できた松 いよいよ明日は特潜突入とて、艦内魚雷全部の調査、
尾にとっては、その感慨はひとしお深かったであろう。 異常なし。
シドニー港外の五月下旬は、 ほぼ大阪の十一月上旬に 速 管 長 は 魚 雷 の 頭 部 を な で て 、 "頼 む ぞ " と い う を 見
あ た る 。 秋 も お わ り に ち か く 、 夜 風 は 身 に し み た 。 南十 るはたのもしい。
字星は夜空にかがやいている。 当直後も作業とて眠る間もなし。
そのころの松尾大尉は、暇さえあればシドニー港の海 浮上後、 タンクのバンドを締める。
図 を ひ ろ げ て 、 港 内 へ の 進 入 を ね っ て い た 。 この港はひ 連管長四名と、海水をあびつつ網切器を取付く。
じょうに細長く、 曲りくねった水路をへて奥深い内港に 夕食後、壮行会。先任将校みずから種々と心をくばら
通じている。だから、 めざす内港への進入はけっして容 れ 、 艦 長 心 づ く し の 勝 栗 、 スルメ、 赤 飯 の カ ン プ メ 、 小
易ではない。 鯛の酢づけのカンプメ等々。
あ る 日のこと、 艦長の揚田清猪中佐が、 艦 内 神 社 に 神 酒 を あ げ て 、 九 軍 神 (真 珠 湾 攻 撃 の 特 潜
「松 尾 大 尉 、 航 路 が 複 雑 だ か ら 大 変 だ な あ 」 勇士) の 写 真 の 覆 を と る 。

123
と 、 言 っ た とき、 松尾大尉、都竹兵曹、整備員も列席す。
艦 長 の 挨 拶 に 松 尾 大 尉 の 挨 拶 あ り 。 一同乾杯、 談 笑 。 えないと。見たのはシドニー港のハーバーブリッジだつ
送られる者、送る者の永遠の訣別とも思われないなごや

124
た。
か さ で あ る 。会 後 、 総 員 順 々 に 艦 内 神 社 に 参 拝 し た 。 シド-
一 I 攻 撃 の 予 定 を 変 更 、 一日延 期 の 電 あ り 。
浮 上 後 、 タ ン ク の バ ン ド を し め る 。 連 管 長 四 名 と 波を
こ の 壮 行会の席上、松 尾 は 、艦長はじめ乗員一同の厚 かぶる。松 尾 大 尉 は 命 綱 を と っ てくれた。
意を感謝するとともに、その武運を祈った。 湾外に待機す。兵員室よりレコード聞こゆ。
「松 尾 、 都 竹 両 名 の 魂 は 、 伊 ニ ニ 潜 と と も に あ り ま す 。
ど ぅ か シ ド ニ ー 攻 撃 後 は 、自分たちの魂もいっしょには
こんでいただきたい。本 艦 の 征 く と こ ろ 、な す ところ、 五
つねに自分たちも参加させてください。皆さんの武運長
久 を 祈 り ま す 。長 い 間 お 世 話 に な り ま し た 」
五 月 三 十 日 、 母 潜 水 艦 三 隻 (伊 —ニ 潜 、 伊 ニ 四 潜 、 伊 いょいょ特潜発進の五月三十一日がおとずれた。
ニ 七 潜 ) は、 シ ド 二 ー の 五 十 カ イ リ 圏 に た っ し 、 特潜の 前 日 か ら の 風 は お さ ま っ た が 、 ま だ ゥネリは高 い 。各
発進準備をおわった。 母潜は、 シドニー港口から七ヵィリの地点にたっしてい
た 。 "最 後 " の夕 食 が お わ っ た と き 、 松 尾 は 、
五月三十日 「掌 水 雷 長 、 髪 を 刈 っ て く れ 」
海上荒れ模様。 と、藤沢にたのんだ。
日出前潜航、潜 航 中 も 動 揺 あ り 。 露頂航走のとき、航 「承 知 し ま し た 」
海 長 が 陸 上 に 虹 が 見 え る と い う 。午後になっても虹が消 藤沢はバリヵンで、松尾の長髪を刈りはじめる。
松尾はバリヵンの音を聞きながら、 だれにいうともな 散るからに母へと撮りしぅつし絵よ
く 、ぼ つ り と つ ぶ や い た 。 なれの決意の眉静かなる
「お ふ く ろ は 今 夜 、 ど ん な 夢 を み る だ ろ う か .. 」
藤 沢 は 、 思 わ ず バ リ ヵンの手をとめた。 ひとりの人間 と、 いまは亡き吾子の出撃直前の面影をしのんだ。
が ひ め た 覚 悟 が ひ し ひ し と 感 じ ら れ 、松尾は征きて還っ
てこない、と藤沢は直感した。 時はぅつった。
藤沢は、 かりとった髪の一部を白い封筒にいれて、 て 松尾大尉と都竹兵曹は、洗面所で身体を洗いきよめ、
い ね い に 机 の ひ き 出 し に し ま っ た 。後 日 、 家 に 帰 っ た と 真新しい肌着に着がえると、香水をふりかけて搭乗服を
き 、 藤 沢 は こ の 遺 髪 を 、 劍 緒 を い れ る 桐 箱 に おさめて、 着こんだ0
松尾の両親にとどけたのであった。 揚 田 艦 長 の 心づくしの羊羹で、非番の者と都竹兵曹も
坊 主 頭 に な っ た 松 尾 が 頭 を 洗 っ て 一 服 し て い た とき、 まじえた茶 会 が も よ お さ れ た 。茶道と華道にすぐれた腕
機 関 長 .寺 下 清 久 大 尉 が 士 官 室 に は いって き た 。 を も つ 藤 沢 中 尉 が 心 を こ め て た て た 薄 茶 に 、 松尾大尉は
ゆっくり気を静めた。 それは平素とすこしも変わらぬ、
「フ ィ ル ム が 残 っ て い る か ら 、 ひ と つ 撮 り ま し ょ う 」
静寂そのものであった。
寺 下 大 尉 は こ う 言 っ て 、松 尾 、藤沢の二人をならべて
う つ し た 。 これが、 松 尾 大 尉 の 最 後 の 写 真 と な っ た の で 藤 沢 は 、 かつて岩佐直治中佐が同じ潜水艦、 伊ニニ潜
ある。 から真珠湾口にむけて出撃するときに詠んだ、
ちなみに、藤 沢 からこの写真が松尾家にとどけられた
一服の薄茶に心静めてし

125
とき、大尉の母堂まつ枝さんは、
雄々しく征けりますらたけをは
かわした。藤沢が主計兵に命じて特別に用意した竹の皮

126
を思いだし、 これを心のなかで三唱するのであった。 につつんだのり巻きをさしだした。松 尾は、
「あ り が と ぅ 。 食 べ 物 は た く さ ん だ 、 皆 で 食 べ て く れ 」
赤い太陽がいましも豪州大陸に没しようとしていた。 と 藤 沢 の 好意を謝したが、 これを辞退した。
伊ニニ潜は、 シ ド -
一丨港の東方約七ヵィリで潜望鏡を 乗 員 は せ ま い 艦 内 の 通 路 に な ら び 、松尾と都 竹 の 両 勇
海 面 上 に だ し 、 ひ そ か に そ の 港口を偵察していた。有名 士 を 見 送 っ た 。 二人は、 い つ も と 変 わ ら ぬ 落 ち つ い た 態
なハー バ ー ブ リ ッ ジ は 夕焼けの空に虹の よ う に う かび、 度で、
港口ふきんの岬 や 灯台なども、手に と る よ う に 見える。
「で は 皆 さ ん 、 さ ょ ぅ な ら 。 い ろ い ろ お 世 話 に な り ま し
いよいよ、 発 進 の 時 刻 が せ ま っ て き た 。松 尾 大 尉 は 、 た」
父から贈られ、母の嫁いだ と き の 丸帯でこしらえた紫金 と 、 乗 員 に 最 後 の 別 れ を 告 げ な が ら 、 元気に機械室の
欄 の 袋 に お さ め た 菊 池 千 本 槍 の 短 刀 を 左 手 に も ち 、 都竹 交通筒から艇内へ姿を消した。
兵曹をしたがえて艦内神社に参拝して必成を祈願し、さ
ら に 、 真 珠 湾 で 散 っ た 九 勇 士 の 写 真 に ぬ か ず い た 。 そし ほ ど な く 、 艇 内 か ら ハ ッ チ を し め る 音 が す る 。 伊ニニ
て、 二人は父母のいる故郷のほうにむかって姿勢をただ 潜のハッチもかたくとざされた。
ししはしの黙とうをささげた。 艦長は、 りりしい声で命令した。
「艦 長 、 で は 、 出 発 し ま す 」 「発 進 用 意 !」
「し っ か り た の む 、 成 功 を 祈 る よ 」 松尾艇長と寺下機関長が報告した。
揚 田 艦 長 の 目 に も 、 一瞬、 悲 痛 な 色 が さ し た 。 藤 沢 中 「発 進 用 意 ょ し ! 」
尉が発令所まで見送り、 二人は無言のままかたい握手を 揚 田 艦 長 は 、 電 話 で 松 尾 大 尉 と 話 し た 。揚田の胸奥に
は、熱いものがとめどもなくこみあげてきた。 ときに五月三十一日午後五時二十一分 ( 1 1 )シ 、ドーーー
「艇 の 調 子 は ど う か 」 港口の東七 ヵ ィ リ の 地 点 で あ る 。深まりゆくたそがれの
色が、 しだいに濃く海面にたれこめてきた。
「完 全 で す 。 機 関 の 調 子 も 上 じ ょ う で す 」
「言 い 忘 れ た こ と は な い か 」 伊ニニ潜の水中聴音器係は、松尾艇のスクリュー音を
「な に も あ り ま せ ん 。 で は 、 征 き ま す 。 皆 さ ん に よ ろ し と らえ、艇 が た だ し く港口にむかって遠ざかる状況を、
く 」 こっこくと艦 長 に 報 告 し た 。
「で は 、 バ ン ド を は ず す よ 。 さ よ う な ら 、 成 功 を 祈 る 、 まもなく、伊 ニ ニ 潜は浮上した。 松 尾 艇 を ひ と 目 み よ
収容地点で待っているぞ」 う と 、 揚 田 艦 長 は じ め 航 海 長 、 見 張 員 は 、 ハッチをあけ
艦 長 は 、艇 と 機 械 室 に 最 後 の 命 令 を く だ し た 。 て艦橋におどり上がった。
「電 話 線 き れ 、 第 二 バ ン ド は ず せ 、 発 進 !」 だ が 、艇 の 姿 は 夕 閨 の か な た に 消 え て い た 。今夜は旧
暦 の 十 五 夜 、 まんまるい月は 、 やがて南太平洋の静かな
伊 ニ ニ 潜 の 揚 田 艦 長 と 乗 員 は 、開 戦 の へ き 頭 、艇長岩
佐 直 治 大 尉 、艇付佐々木直吉兵 曹 の 特 殊 潜 航 艇 を 真 珠 湾 海原をそめるであろう。
に む け て 発 進 し た 。 そ れ か ら 半 歳 、 いままた、真 珠 湾 当 そのとき、 この静寂は一きよにして狂らんの巷と化す
時 と おな じ 感 慨 を 、涙 を も っ て く り 返さねばならなかつ るのである。
た。 ほ か の 母 潜 (伊 ニ 四 潜 、 伊 ニ 七 潜 ) も 、 伊 ニ ニ 潜 と お
全 員 は 配 !!をのみ、 全身を耳にして艇の発進音を聞き
と ろ う と し た 。 ガ タ ン と バ ン ド の は ず れ る 音 、 つづいて なじような状況で特潜を発進した。
サアーと 水 を き る スクリ ュ ー の 音 が し た か と 思 う と 、 艦 き ょ う の 月 の 出 は 、午 後 七 時 十 五 分 計画によれ
(11)、

127
はわずかに動揺した。 ば 、中馬艇が七時四十五分に、先頭をきって港口を通過
し、 ついで松尾艇、伴 艇 の 順 序 で 二十分おきに港内に進 午 後 十 時 す ぎ 、港 内 の 数力所で、 にわかに探照灯の光
入する。

128
芒 が 無 統 制 に 交 錯 し た 。 港 の 灯 は プ ス ッ と 消 え る 。 それ
佐 々 木 大 佐 の 指 揮 す る 五 隻 の 潜 水 艦 は 、 シ ド 二 ー港外 を見た潜水艦の艦橋に、歓声がどょめいた。
約十ヵ ィ リ の 地 点 に 浮 上 し て 、港内の状況をうかがって 「や つ た ぞ !」
い た 。 双 眼 鏡 に う つ る シ ド -II の 夜 景 は 乎 安 な 日 曜 日 と 「奇 襲 成 功 !」
変わらず、 こうこうたる電飾は十五夜の月光ときそい、 そ の 後 、魚 雷 の 炸 裂 に ょ る 水 柱 も 艦 の 爆 発 炎 も 見 え な
ハーバーブリッジあたりの電光は、 おぼろ月の夜空に美 かった。 まもなく探照灯も消え、 夜空は街の灯でふたた
しく映えていた。 び明るくなつた。
港 口 の 灯 台 は 、 いつものように点滅し、 港の灯にもな 各潜水艦は特潜の港内進入が認められたので、 シ ド - |
んの変わりも見えない。 人 口 二百二十万、東南太平洋最 丨港 口 の 南 二 十 カ イ リ の 収 容 地 点 に む か っ た 。
大 の 港 シ ド -II は、 戦 # を よ そ に 満 月 の 下 で 静 か に ね む
つている。
い ま 三 隻 の 特 殊 潜 航 艇 は 、 き ょ う 一 日 の た め に 、 恩愛 六
の絆をたち、長いあいだ精魂をかたむけて技を練り、神
をみがいた必成を期する若者を乗せて、敵のふところに
突 進 し て い る 。だが、敵も港の防備にぬかりはないだろ ここで、 三 隻 の 特 殊 潜 航 艇 の 戦 闘 経 過 の あ ら ま し を た
う 。 港内への進入、 そして奇襲は、 けっして容易なこと どってみょぅ。
ではあるまい。
まず中馬(
大 森 ) 艇 (伊 ニ 七 潜 ) I
一同は、 成 功 を 天 に 祈 り な が ら 待 っ た 。 午後八時、 シ ド -
一 ー 港 ロ に た っ し た 艇 は 、 たくみにフ
土リーボートの後につづき、磁気探知機の敷設海面を通
り抜けた。 伴 (
芦 辺 ) 艇 (伊 ニ 四 潜 )
― ~
港口を通った艇は、 まもなく防潜網西側の出入り口に 中 馬 艇 が 自 爆した二十分後、伴艇はガーデン島ふきん
き し かかった。 に 停 泊 す る ア メ リ カ 重 巡 『シ カ コ 』 を 発 見 こ れ に 近 つ
しかし、 不 運 に も 防 潜網が艇のスクリューにからみつ い た 。 だ が 、 『シ カ ゴ 』 に 発 見 さ れ て 照 射 砲 撃 を う け 、
# 、 ここに進退がきわまってしまった。 敵の探照灯に眩惑されて魚雷発射の機会をうしなってし
午 後 九 時 す ぎ 、陸上の見張員が、何物かが防潜網にひ まった。
づかかっているのを発見した。小艇で近づいてみたとこ そこで伴 艇は、大 き く ひ と ま わりして再挙をはかり、
6 、 どぅやら機雷か潜水艇らしい。 六 月 一 日 午 前 零 時 二 十 五 分 、 魚 言 一 本 を 発 射 し た 。 しか
見 張 員 は 、 これを巡視艇に報告し、 さらにょく調べて し、 天 は 伴 艇 に 幸 い し な か っ た 。
み る と 、 こ の 怪 し い も の が 小 型 潜 航 艇 で あ る こ と が わか 一 本 の 魚 雷 は 惜 し く も 『シ カ ゴ 』 の 艦 首 数 メ ー ト ル 前
り 、びっくりしてしまった。 を か す め た 。 他 の 一 本 は 同 艦 の 底 を と お り 、 ついでオラ
小 型 潜 航 艇 で あ る こ と を 確 認 し た 巡 視 艇 は 、 ただちに ンダの潜水艦の下をぬけて、岸 壁 に 横 づ け し て い た 停 泊
砲 擊 を準備し、 その砲口を潜航艇にむけた。 その瞬間、 母 艦 (軍 艦 に 補 充 す る 連 合 国 水 兵 の 宿 泊 艦 ) 『ク タ バ ル 』
この小型潜航艇に大爆発がおこった。 の下で岸壁にあたって爆発した。
中馬兼四大尉と大森猛一等兵曹は無念の涙をのんで、 『ク タ バ ル 』 は ま た た く ま に 沈 み 、 乗 組 員 十 九 名 が 戦 死
進 退 の 自 由 を ぅ し な っ た 愛 艇 を 、 みずからの手で爆破し し、 十 名 が 負 傷 し た 。 港 内 は 大 混 乱 と な り 、 探 照 灯 が 海
面 を 真 昼 の ょ う に て ら し 、 さ か ん に 砲 聲 し た が 、命 中 弾

129
て 、 艇 と 運 命 を と も に し た の で あ っ た 。時 に 、 五月三十
はなかった。
一日午後5 三十五分^ でぁった。

53
午前ニ時、 任務をおえた艇は、港口の磁気機雷を敷設 撃 に よ っ て 擊 沈 さ れ た と 思 わ れ て い た 松 尾 艇 は 、 たくみ

130
し た 海 面 を 通 っ て 外 洋 に で た 。 しかし、 艇 は 近 く に 落 下 に敵の攻撃をかわし、 それから六月一日午前三時まで、
し た 砲弾にょる損傷のために、港口から南二十ヵィリの 海 底 に す わ り こ ん で 好 機 の お と ず れ る の を 、 ひたすら待
海上で待つ母潜水艦のふところへ帰ることができなかっ っていた。
た。 この数時間は、 二人の若者にとって、 どんなにか長く
命運つきた勇敢な二人の若者、伴勝久と芦辺守は、 つ 感 じ ら れ た こ と て あ ろ う 。 初 一 念 を 貫 徹 す る た め 、 よく
いに艇とともに、 シ ド -
一—港 外 タ ス マ ン 海 の 底 深 く 沈 ん も我慢したものである。
だのであった。 そ こ に は 、 か っ て 三 机 基 地 (愛 媛 県 ) 沖 で の 訓 練 中 、
艇 が 故 障 の た め海底にっいたとき、 同乗の^ ^ 悌ニ中尉
松 尾 (
都 竹 ) 艇 (伊 ニ ニ 潜 〕I の焦慮をよそに、鼻歌をうたっていた松尾大尉の豪胆さ
こ の 艇 は 、 中 馬 艇 に つ づ い て 港 口 に た っ し た 。艇 が 港 が 躍 如 と し て い る 。 ま た 松 尾 は 、 呉 の 旅 館 で 、 父があた
ロ に さ し か か っ た と き 、磁 気 探 知 機 が 作 動 し て 警 報 が な え た 最 後 の 訓 戒 、 「生 命 を む だ に す る な 」 を 実 践 し 、 伝
りはじめ、監視中の哨戒艇の探照灯が松尾艇の司令塔を 来 の "菊 池 魂 " を 発 揮 し た の で あ っ た 。
とらえた。 六月一日午前ニ時、 シ ド -
一 I要 港 の 司 令 官 ミ ュ ア へ ッ
「敵 潜 水 艦 発 見 ! 」 ド .グ ル ー ド 少 将 は 、 港 内 の 大 型 艦 に 港 外 へ 出 る よ う 命
哨戒艇から打ちあげられた信号弾が、夜空にきらめい 令した。
た 。近 く に い た 駆 潜 艇 が 突 進 し て く る と 、 さかんに爆雷 午 前 三 時 、 米 重 巡 『シ ヵ ゴ 』 は、 防 潜 網 の 東 側 の 出 入
を投射した。
り ロ を 通 っ て 外 洋 に で た 。 そ の と き 、 艦 長 は じ め 、艦橋
そ れ か ら 数 時 間 、 松 尾 艇 の 姿 は 見 え な か っ た 。 爆雷攻 にいた乗員は、.
ほ う ぜ ん と 立 ち す く ん だ 。 さきに伴艇の

発 射 し た ニ 本 の 魚 雷 に 胆 を つ ぶ し 、 いままた目の前に特 ることができる。
潜の司令塔を発見したからである。 こ ぅ 考 え た 松 尾 、 都 竹 は 、 艇 内 の 空 気 も に ご り 、 二次
松尾大尉は、とっさに魚雷発射のボタンを押した。 電池からでる毒ガスに苦しみながら、なおも初一念の貫
だ が 、 無 念 に も 魚 雷 が 出 な い 。 二度、 三 度 と ボ タ ン を 徹にまい進するのであった。
力いっばい押したが出ない。 松 尾 は 艇 を あ や つ り 、 西 港 に は い っ て い っ た 。 港内の
そ こ で 、 松 尾 は 、 艇 も ろ と も 『シ ヵ ゴ 』 の 横 腹 へ 体 当 警戒は、厳重をきわめている。
た り す る こ と を 決 意 し た 。都竹兵曹はエンジンを全力運 よ ぅ や く 、 東 の 空 が 白 み か け て き た 。 シドニー港に朝
転にする。 が近づいた午前五時ごろ、 ガーデン島の北東三キロの地
こ の と き 、 『シ ヵ ゴ 』 艦 長 は 松 尾 艇 の 動 き を 敏 感 に 察 点 で 、 哨 戒 中 の 掃 海 艇 が 松 尾 艇 の 潜 望 鏡 を 発 見 し 、 照明
知 し 、 一気に速力をましたので、舷側すれすれに艇をか 弾を発射した。
わすことができた。 「敵 潜 水 艦 発 見 !」
なぜ、松尾艇の魚雷は出なかったのか? のちに、 ォ ただちに、 四隻の哨戒艇による集中爆雷攻撃がはじま
丨 ス ト ラ リ ァ 軍 が 、艇 を 弓 き あ げ て 調 査 し た 結 果 に ょ れ った。
ば 、潜 航 中 に海底にあるかたい物体にぶつかり、 その衝 まもなく海 面 に 油がにじみ、白 泡 が 浮きあがって、 爆
擊で艇首の魚雷保護枠がつぶれ、魚雷発射管のふたが十 雷攻擊が成功したことをしめした。
分にひらかなかったためという。 ついに松尾艇の運命は、 ここにつきた。 それは日本海
とにかく魚雷がでない。 軍 の 特 殊 潜 航 艇 に よ る 、 シド二ー港攻撃の終幕でもあっ
た。 昭 和 十 七 年 六 月 一 日 午 前 五 時 二 十 分 、 日本時間の六

131
だが、 まだ最後の手段がのこっている。特潜の水中最
月一日午前四時二十分である。
大 速 力 十 九 ノ ッ ト で 敵 艦 に ぶ つ か れ ば 、 魚雷を爆発させ
潜 水 艦 は 、敵 の 目 を 避 け る た め 潜 航 す る 。

132
日が暮れるのを待って浮上し、昨夜と同じ配備点で特
七 潜 の 帰 り を 待 っ た 。が 、 一隻ももどってこなかった。
明 く る 二 日 も 、 つ ぎ の 三 日 も 待 っ た 。 し か し 、 なんの
音さたもない。
一方、 特 殊 潜 航 艇 を 発 進 さ せ た 各 潜 水 艦 は 、 五 月 三 十 指 揮 官 佐々木大佐は、特潜 の 性 能 か ら み て 、 もはや搭
一日の夜半までに、 シ ド -
|丨 港 口 の 南 二 十 ヵ ィ リ の 予定 乗 員 の 生 存 の 見 込 み は な い と 判 断 し て 、 六月三日午後五
収容配備地点につき、水上状態で待機した。 時 、 ついに捜索を打ち切った。
十 五 夜 の 月 は こ う こ う と 中 天 に か が や き 、 海面は油を 後ろ髪をひかれる気持で現場を去る潜水艦乗員は、ま
流 し た ように静 か で あ る 。 視 界 は ひ じ ょ う に よ いので、 ことに断腸の思いであった。
特潜が帰ってくれば見のがすことはない。 当時 、伊一三潜に乗り組んでいた佐々木彦治一等機関
敵の哨戒艇や航空機の妨害もなく、夜もすがら水上状 兵曹は、 つぎのよぅな日記をしたためている。
態 で 、 吾 子 の 帰 り を 待 つ よ う に 、 ひ と み を こ ら し て 海上 『六 月 一 日
を さ が し た 。 だ が 、 一 隻 の 特 潜 も 姿 を 見 せ ず 、 なんらの
午 後 六 時 に 至 る も 筒 (筆 者 注 、 特 殊 潜 航 艇 ) よ り は 何
連絡もなかった。 の便りもなし。
あ あ 、 真 珠 湾 攻 撃 の と き と 同 じ 悲 痛 な 気 持 を 、 ふたた 六月三日
び繰りかえさねばならぬのか! 本 朝 に 至 る も 筒 よ り は 何 の 知 ら せ も な し 。依 っ て 各 艦
夜が明けた。 捜 索 を 打 切 る 事 に な っ た 。松 尾 大 尉 、 都 竹 二 曹 は 壮 烈 な
六月一 日 の 朝 と な っ た が 、なん の 手 が か り も な い 。 る戦死を遂げられしものと認めらる。 両勇士に対し、 し

ばし黙祷、本 艦 は 二 ュ ー ジーランド方面に向ぅ。 伊ニニ潜佐々木彦治』
松尾大尉、都竹兵曹に捧ぐ
一、 一 つ 命 の 玉 の 緒 を 、 捧 げ て 甲 斐 あ る こ の 体 、 今 ぞ 六月五日午後七時、全国のラジオは一斉に勇壮な軍艦
乗出せ太平洋 マ ー チ を か な で 、 つ づ い て 、 大 本 営 海 軍 報 道 部 課 長 .平
ニ つ 体 を 一 つ に 固 め 、 朝 な 夕 な に 愛 筒 手 入 、 目差 出大佐の声が流れた。
一一、
すは敵の主力艦 『大 本 営 発 表 昭 和 十 七 年 六 月 五 日 午 後 五 時 十 分
三、 三 つ 揃 っ て 予 定 の 時 刻 、 敵 港 深 く 突 入 す 、 壮烈無 帝国海軍部隊は特殊潜航艇をもって五月三十一日夜、
双の突撃隊 湊 州 東 岸 シ ド -II 港 を 強 襲 し 港 内 突 入 に 成 功 、 敵 軍 艦
四、 シド-
一1港 内 敵 の 艦 、 手 練 の 一 撃 身 に 受 け て 、 最 一隻を撃沈せり。 本 攻 撃 に 参 加 せ る 我 が 特 殊 潜 航 艇 三
早 姿 も 影 も な し (五、 六、 七 は 筆 者 略 ) 隻未だ帰還せず』
八、 波 濤 万 里 を 乗 り こ え て 、 いや輝かす 大 和 魂 、帰ら
ぬ忠烈松尾艇 この放送を耳にした瞬間、松尾家の人びとの胸には、
ジーンとひびくものがあった。
九、 心静かに大君の、御楣となりし松と竹、 明日は九
父の鶴彦が、
段の桜花
「も し か す る と 、 そ の 中 に 敬 宇 が い る ん じ ゃ な 1ヵ」
十 、 東洋 平 和 の 為 な ら ば 、何 か 惜 ま ん 若 桜 、 月月火水
ともらしたとき、母のまつ枝も、
木金金
「ど ぅ も 、 そ ん な 気 が し ま す ね 」
赤 道 を 通 過 す る 事 毎 に 、 共に 顔 見 合 せ て 松 尾 、都竹両
勇 士 と 幾 日 か は 過 せ り 。 シ ド - 1 —敵 港 深 く 突 入 し て 遂 に といった。

133
かえられなかった松尾大尉、都竹兵曹を偁ぴて。 兄の自彊夫妻も、両親と同じょぅに感じた。
だ が 、 む ろ ん 詳 し い こ と は 分 か ら な い 。 その後のラジ やっぱり、 そうだったのか I 。
オや新聞の報道に、 それまでょりも数 倍注意する ょ ぅ に 父の鶴彦は、黙然としてうなだれた。
なった。 母は父から渡された子の戦死の内報を読むうちに、か
不安と焦燥に明け暮れた。 ね て 覚 悟 は じ ゅ う ぶ ん し て い た つ も り だ っ た が 、 いざと
や が て 初 夏 は 過 ぎ 、真 夏 が お と ず れ る 。 なると、 さだかに書面の文字がわからない。
八 月 十 五 日 の 昼 さ が り 、 一通の封書が松尾家にと どけ 三月末に、呉 で 敬 宇 に 会っていらい、あれが最後の別
られた。 れではなかったかと、朝夕思いつづけて暮らしてきたの
だった。
拝 啓 海 軍 大 尉 松 尾 敬 宇 殿 に は 濠 州 シ ド -1
1 方面に於 やはり、 そ う だ っ た の か 。
て御甯戦中五月三十一日名誉の戦死を遂げられ候茲に あ の日、呉 駅 に 出迎えたときの敬宇の緊張した顔色、
取敢ず御通知申上ぐると共に深甚なる弔意を表し申候 あくまで敏子さんとの結婚を拒否したその真情、呉の宿
尚戦死発表等は海軍省又は鎮守府の公表迄差控下さ で母のふところにだかれて寝たこと、駅頭で別れたとき
れ度候但し必要ある親戚知己への戦死御通知は差支無 の 名 残 り 惜 し げ な あ の 態 度 な ど 、 す べ て の こ と が 、 いま
之候に付申添候 釈然と永解するのであった。
先は右取敢ず御通知旁々御悔迄如斯御座候 あ の 呉 の 夜 い ら い 、 母 は 菊 池 神 社 な ど の 神 々 に 、 わが
昭和十七年八月十一日 子の武運長久を祈りつづけてきたのだが I 。
海軍省人事局長中原義正 思えば二十五年の間はぐくんだ子、 この子の思い出は
松尾鶴彥殿 つぎからつぎへとつきない。
夏 は 兄 や 姉 と 夜 切 り を 楽 し ん だ こ と 、冬 は 父 や 兄 と 久
ち な み に 、 こ の 歌 は 熊 本 県 教 育 会 選 定 の 「肥 後 愛 国 育
原の山へ松こぎを楽しんでいたこと1 0
人一首」 に採録され、戦 時中、全県民に愛誦された。
中 学 時 代 に 、 来 民 の 医 師 ,中 川 宅 で 、 年 少 の 淸 隆 さ ん
と い た ず ら し て 、 「こ の 子 は 手 に お え ぬ 、 菓 子 は ど こ に
し ま っ て おいても見つけ出す」といぅ中川のおばさまの わが子の戦死の内報に接した両親は、 いい知れぬ淋レ
さの中にも、なんとなくほっとした気持で、 さっそく菊
話 … … 。
池神社にもぅでた。
中 学 五 年 の 組 分 け の と き 、 一人だけのけものにさ れ 、
在 り し 日 の わ が 子 の 面 影 を 傯 び 、 〃菊池魂" の 象 徴 ,
檀 田 栄 次 先 生 に 受 け 持 っ て い た だ く な ど 、 この子のニガ
シ ロ ゥ (手 に お え ぬ こ と ) ぶ り も し の ば れ 、 い ま で は そ 菊池千本槍の短刀をおびて南淇に散華した敬宇に思い^
の一つひとつが吾子へのつきぬ思い出となる。 は せ た 両 親 は 、 そ の 心 情 の 一 端 を 和 歌 に 託 し て 、 吾子の
冥福をひたすら祈願するのであった。
幼 い こ ろ 、村 の 子 供 た ち と い っ し ょ に 、 祖母のまくら
ベで聞く義士伝の話に、 ほろほろと涙する敬宇を見て’
松尾鶴彦
「こ の 子 は た の も し い な 」 と 老 い の 目 を ぅ る ま せ る こ と
もたびたびであった。 菊池なる神の訓をひたぶるに
ょくぞ果せし益良雄の道
母 親 は 、 兵 学 校 時 代 の 敬 宇 の ノ ー ト の 中 か ら 、 いつぞ
や見出した、
日曜も遊べざりけりあやかれと 松尾まつ枝
神詣でする母を思えば 君がため散れと育てし花なれど
嵐のあとの庭さびしけれ
の歌を思い出して、 胸の底からこみあげてくる熱いもの
を、どうすることもできなかった。
く引き揚げて特潜の秘密を知るためであった。
潜水夫は、爆雷で後部の継ぎ目が折れている艇を発見以
八 する 。外 壁 を た た い て 合 図 を お く っ た が 、 なんの反応も
な い の で 、 た とえ中に乗員がいるとしても、艇内に浸水
している状況からみて、艇 員 は 死 ん でいると判断した。
藤沢宗明は、昭和十七年六月九日の日記に、 魚 雷 発 射 管 に は 、 ニ 本 の 魚雷がこめてある。艇首の保
『電 信 室 に て シ ド -1
1 放送を傍受。 護 金 属 が こ わ れ て 発 射管の蓋は押しつぶされている。発
シド - II に て 日 本 海 軍 勇 士 の 霊 を 鄭 重 に 海 軍 葬 を 以て 射 の 操 作 を し た 形 跡 は あ る が 、 魚 雷 が 出 な か っ た ことが
行なわれたりと。
わ か っ た 。 残 っ た 魚 雷 の 爆 発 を 心 配 し て 、作 業 は 慎 重 に
潜 航 艇 の 中 よ り パ ラ ソ ル 様 の も の が あ っ て 、中から短 行なわ れ 、 六月四日午後、浅 瀬 に 引 き揚げられた。
刀 が 出 た と 。松 尾 大 尉 の 菊 池 千 本 槍 だ 。敵ながら有難い 艇首にあるノコ ギ リ 歯 状 の 網 切 り 器 が 、水面に姿を現
と思ぅ』
わしたとき、現場にいあわせた海軍軍人たちは襟をただ
と書きとめている。
し、 艇 内 に い る と 思 わ れ る 日 本 海 軍 乗 組 員 に た い し 脱 帽
し て 敬 意 を 表 す る 。 艇 内 の 松 尾 大 尉 と 都 竹 二 曹 は 、 ピス
六 月 一 日 の朝がおとずれた。 オー ストラリア海軍は、 トルで頭を撃ちぬき、抱き合うょうにして倒れていたと.
その前夜、 シ ド -
一丨港内で沈んだ特殊潜航艇の捜索をは いう。 も は や こ れ ま で と 運 命 を さ と っ た 二 人 は 、 みずか
じめる0 ら艇を爆破して自決したのであった。
ま ず 最 初 に 、 港 の 北 側 で 沈 ん だ 艇 (松 尾 艇 ) に 潜 水 夫 明 く る 五 日 の 朝 か ら 、中 馬 艇 の 引 き 揚 げ が は じ ま る 。
を も ぐ ら せ た 。艇 内 に い る 艇 員 の 救 出 と 、 できるだけ早
魚 雷 が な か っ た の で 、 作 業 は 簡 単 に は か ど っ た 。 正午ご
ろ に は 艇 の 後 ろ 半 分 と 、中 馬 大 尉 と 大 森 一 曹 の 遺 体 と を 海軍葬を行なうグルードを非難する声が市民の間にあっ.
いっしょに引き揚げることができた。 た と い う 。 しかし、 グ ル ードは、戦 争 で は た と え 敵 味 方
しかし、 伴 中 尉 と 芦 辺 一 曹 の 艇 は 、 ついに発見できな にわかれても、 軍 人 と し て 祖 国 に 忠 実 で あ り 、自 分 の 8
かった。 この艇はニ本の魚雷を発射後、湾外に脱出し、 務 を 最 善 に つ く し た も の に は 、 同じょうに敬意を表すべ
タスマン海の底深く沈んでいったのであろう。 きだとし、
「日 本 軍 人 に た い し て 豪 州 海 軍 葬 を 行 な う こ と に つ き 、
ここで、 と く に 述 べ て お か ね ば な ら な い こ と は 、 シド 私 に た い す る 非 難 が あ る こ と は 承 知 し て い る が 、私 は あ
丨 えてこれを行なう。勇気は一国のみのものではない」
-1 要 港 司 令 官 ム ァ ー ヘ ッ ド .グ ル ー ド 海 軍 少 将 の 勇 気
と、その騎士道精神である。 と 、 一部の非難を敢然としりぞけ、
グルード提督は、 ニ隻の特潜内から収容した中馬、松 「日 本 特 殊 潜 航 艇 員 の 勇 気 を 見 習 え 」
尾 、大 森 、 都 竹 四 勇 士 の 遺 骸 を 鄭 重 に 安 置 し 、 昭和十七 と、自国軍人を激励するのであった。
年六月九日、祖国のために身命を捧げた自国の海軍軍人
に た い す る と 同 じ よ う に 、厳粛 な 海 軍 葬 を と り 行 な う と わが四勇士にたいする豪州海軍葬は、 六月九日の朝、
シド 近 郊 ロックウ ッ ド の ク リ マ ト リ ア斎場でしめや
ともに、 その赫々たる武熱と忠烈の精神をたたえる声明 111
を発表した。 かに 行 な わ れ 、 シドニ I 要 港 司 令 官 グ ル ード少将、豪州
その当時、 日本潜水艦はシド-
一丨にたいする特潜攻撃 海軍士官、 シ ド -
一 I 駐 在 ス ィ ス 総 領 事 (日 本 の 在 豪 利 益
ののち、 ひ き つ づ き シ ド ニ ー に 出 入 す る 商 船 を 攻 撃 し 、 代表〕などが参列した。
ま た 七 日 夜 に は 、 シ ド -II お よ び -
一ュー カ ッ ス ル 市 街 を 豪 州 国 営 放 送 局 放 送 部 長 フ レ ッ ド .シ ン プ ソ ン が 、 こ

137
砲 撃 し た 。 こうしたこともあって、敵国軍人にたい乙て の 海 軍 葬 儀 の 状 況 を 録 音 し て 全 国 に 放 送 し た 。 これにょ
って、 そ の 当 時 の 一 端 を し の ん で み ょ ぅ 。 発射隊止れ! 回れ右! 右 へ 早 足 行 進 … … 回 れ 右 !」
『— 情 景 は 静 粛 簡 素 そ の も の で す 。自分たちの国のた 発射隊は整然とした歩調で、 し ず し ず と 柩 の 後 ろ に つ 3
めに命を捧げた四人の勇敢な人びとの火葬の儀式が、 い い て 火 葬 場 に 着 き ま し た 。 い ま 柩 は 廊 下 を 通 っ て 、 斎場
ま行なわれょぅとしています。 に、 み な い っ し よ に 安 置 さ れ ま し た 。
そ の 国 の 政 策 は 、 わ れ わ れ に と っ て 、憎悪されている そこで柩は、 かれらが身命を捧げた、 その国を表象す
が 、 そ の 勇 敢 に 死 ん だ 人 た ち は 別 個 の も の で あ り 、 すべ る国旗でおおわれました。 キリスト教による埋葬の儀式
て勇敢に死んだ人たちは世界中でほめたたえられるもの は行なわ れ ま せ ん 。 これらの人びとはキリスト教徒だっ
であります。 ここではなんら死を悼む者の姿はなかった たかもしれないが、 おそらく日本の神社で、 かれらの祖
が 、多 数 の 人 び と が 尊 敬 の 念 を も っ て 列 席 し て い ま す 。 先 が 崇 拝 し た 神 々 に 祈 っ た こ と で し ょ ぅ が 、 それを確か
私 (シ ン プ ソ ン ) の 前 に い る の は 、 海 軍 高 級 士 官 、 制 服 めるすべもありません。
姿 の 特 派 従 軍 記 者 、 新 聞 記 者 、 放 送 関 係 者 な ど と 、 それ 一番目の柩が、 わ れ わ れ の 視 界 か ら 静 か に 持 ち さ ら れ
に一般参列者たちで、 どの顔にもその瞬間の感激が見ら ま し た 。 そ し て 、 つ ぎ の 柩 が は こ び だ さ れ る ま で 、 われ
れます。 わ れ は し ば し 黙 祷 を さ さ げ る の で す 。 い ま ま た 、 つぎの
た だ い ま 、 海 軍 儀 仗 隊 が 、 二 列 に 整 列 し ま し た 。 そし 柩が、 そしてつぎの柩が、 つぎに最後の柩も、 わ れわれ
て、 号 令 が か け ら れ ま し た 。 の視界から消え去って行きました。すべての柩は日章旗
「海 軍 儀 仗 隊 ! 捧 げ 銃 !」 でおおわれています。それ以外、 この簡素な儀式につい
日本海軍将兵たちの柩が、 二列の儀仗隊の中間を、 ゆ て言ぅことはありません。
る や か に 運 ば れ て 行 き ま す 。 (足 音 ) 不運な探索の出発にさいして、 これらの人たちは友入
「発 射 隊 止 れ ! 回れ右! ゆ る や か に 前 進 ! (足 音 ) に ,
敵 の 防 塞 地 で 死 神 と ラ ン デ ブ ー す る の だ "と 簡 半
に言ったかもしれません。
柩が全部火葬室におかれたので、 指揮官が最後の敬礼
を さ さ げ ま す 。 (足 音 ) 九
「発 射 隊 止 れ !」
ただいま銃剣をつけています。
「敬 礼 ! 捧げ 銃 ! 発 射 ! 敬 礼 !」
そ れ か ら 二 十 ニ 年 の 歳 月 が 夢 の よ う に 流 れ た 。 敬宇の

捧げ統! 発射! 敬礼! 捧げ統! 発射 .. 」 兄 自 彊 夫 妻 と 父 の 鶴 彦 は 、 あ い つ い で 世 を 去 り 、 めっき-
(弔 慰 の 悲 し い ラ ッ パ の 音 )』 り 白 い も の が ふ え た 母の まつ 枝 は 、 孫 の 面 倒 を み な が ら
淋しい日々をおくっていた。
これら四勇士の遺骨は、豪州駐在公使河相達夫に託さ 昭和四十年六月九日、熊本日日新聞は、
『I 軍 神 の 母に朗報、豪州の記念館に飾られた遺品、
れ 、 昭和 十 七 年 八 月 十 三 日 、 戦 時 交 換 船 シ テ ィ .オ ブ .
カ ン タ ベ リ ー 号にて メ ル ボ ル ン を 出発、東アフリカの ポ
千 人 針 が 機 縁 で 、館 長 が 会 い に 来 る 』
と い う 大 見 出 し で 、豪 州 戦 争 記 念 館 マ ッ ク グ レ ー ス 夫


ル ト ガ ル 領 ロ レ ン ソ マ ル ヶ ス で 鎌 倉 丸 に 移 乗 、 十 月 九

0
横 浜 に 到 着 、 戦 友 に い だ か れ て 懐 か し い 祖 囯 に 無 言 の凯 妻 が 、熊 本 県 山 鹿 市 久 原 の 松 尾 中 佐 の 生 家 を お と ず れ る
と 報じた。
齡 を した。
七 月 五 日 、 夫 妻 は 中 佐 の 墓 に も う で た の ち 、松尾家を
昭和十八年二月五日、松 尾 敬 宇 ら シ ド -
一丨攻撃の六勇 たずねた。
マ ッ ク グ レ ー 夫妻は、 まつ枝と堅い握手をかわし、

39
士 は 二 階 級 特 進 の 恩 命 が 発 表 さ れ 、 松 尾 は 海 軍 中 佐 に昇


団扇で中佐の母をあおぎながら、
進した。
「全 国 民 が 令 息 の 勇 気 を 尊 敬 し て い ま す 」
と 、中佐の武勇をたたえた。 熊 本 市 島 崎 町 に 「石 神 莊 」 が あ り 、 地 質 学 の 権 威 で 、

140
母のまつ枝は、 〃石の神様" と い わ れ る 、 理 学 博 士 松 本 唯 一 が 住 ん で い
「い や 、 お 国 で は 戦 争 中 に も か か わ ら ず 、 敬 宇 を 海 軍 葬 る0
でとむ ら っ ていただき、 まことにありがとぅございまし
この地はもと、肥後藩! 時 一習館の総校であった米田松
た」 洞 が 霊 感 公 よ り た ま わ り 四 時 園 と 称 し た 。幕 末 の 儒 者 .
と 厚く礼をのべた。千人針の贈り主である中佐の姉、 兼 坂 止 水 は 、 ここに梅と茶を植 え て 百 梅 園 と 称 し 、家塾
佐伯ふじえも感にたえず目をぅるませた。
を ひらいて青 少 年 を 教 化 し た 。 か の 有 名 な 徳 富 兄 弟 の 蘇
思 い 出 と 感 激 で 胸 が つ ま っ た ま つ 枝 は 、 「君 が た め 散 峰 と 蔵花も、 その少年時代にこの塾生であったといぅ。
れ と 育 て し 花 な れ ど 嵐 の あ と の 庭 さ び し け れ 」 の自作の
松 本 唯 一 がこの由緒ある地に 居 を かまえたと聞いたと
和歌を色紙にしたため、 き 、 蘇 峰 は 松 本 を "一生涯石 に 没 頭 す る 神 様 で ご ざ る "
「こ れ を 敬 宇 の 遺 品 と い っ し ょ の と こ ろ に お い て く だ さ と し て 、 「石 神 荘 」 と 書 い た 扁 額 を 贈 っ た 。
ぃ」 松本は、 ふとした機縁によって松尾家と昵懇となる。
とマックグレース夫妻に手渡した。 か れ は 昭 和 三 十 九 年 、 火 山 研 究 な ど の た め 、 二ュージー
話 は つ き な い 。館 長 夫 妻 が い よ い よ 辞 去 す る と き 、 母 ラ ン ド に 行 き 、 そ の 帰 途 、 豪 州 に 立 ち 寄 っ た 。 キャ ン べ
のまつ枝は、 ラの戦争記念館をおとずれ、 わが特潜とその乗組員の遺
「敬 宇 は 酒 が す き で し た 。 ど う ぞ こ の 酒 を 敬 宇 の 潜 航 艇 品 を ま の あ た り 見 た と き 、 松 本 の 胸 中 に .^、
にそそいでください」 「松 尾 中 佐 の 母 に 、 わ が 子 の 愛 艇 を な で さ せ た ら ..」
と、 ビン入りの清酒を館長にたくするのであった。
といぅ気持がこみあげてきた。
たまたま昭和四十ニ年五月三十一日、中佐の二十五周 した。
年 忌 に 、松 尾 が シ ド -
一1攻 撃 の と き 乗 艦 し 、 そ の 愛 艇 を
は こ ん で く れ た 伊 ニ ニ 潜 の 元 艦 長 -楊 田 清 猪 大 佐 夫 妻 が 暖かき人の情につつまれて
墓参のため松尾一家をおとずれた。松本はこれを好機と 鹿島立ちする今日の喜び
し、揚 田 な ど 一 同 の 賛 同 を え て 、中佐の母の豪州訪問の とつ国のあつき情にこたへばや
計 画 に 着 手 し た 。 そ し て 、 「石 神 荘 」 の 扁 額 が か か げ ら 老を忘れて勇み旅立つ
れた松本の二階の一室で、関係者はいくたびか訪豪計画
をねった。 そ し て 四 月 二十七日、 一行はヵンタス航空で羽田空港
を出発する。
各 方 面 か ら よ せ ら れ た 善 意 に よ っ て 、 いよいよ昭和四 機内では、 スチュアーデスも、
十三年四月二十四日、 母まつ枝は八十三歳の老いの身を 「松 尾 の お か あ さ ん で し ょ ぅ 」
竹 の 杖 に た く し て 、 中 佐 の 姉 .佐 伯 ふ じ え と 松 本 唯 一 に と、あたたかく迎えた。
付 き そ わ れ て 、 熊 本 発 特 急 「み ず ほ 」 で、 訪 豪 の 途 に つ 万感を胸にひめた空の旅。国境と民族をこえて吾子の
いた。 駅 頭 に は 星 子 、下 川 両 熊 本 市 助 役 、 荒 木 県 教 育 委 勇気をたたえてくれる豪州の人びと、 敬宇とともに散華
員ら知人、 旧軍人など百五十人が見送った。 し た 勇 士 た ち を 、 この〃母の手" で心ゆくまでとむらっ
後援会世話役の泉可畏翁が、 て や り た い 、 等 々 、 思 い は つ き ず 、 ついよく眠れなかっ
「お ば あ ち ゃ ん 、 お 元 気 に 」 た。
と 壮 行 の こ と ば を 述 べ る と 、 ま つ 枝 は 、 「ま ず い も の 明 く る 朝 、 一 行 を 乗 せ た 飛 行 機 は 、 地 球 を 縦 に 、 八千

141
ですが、 いまのわたしの心境です」 と、 短歌ニ首を披露 キロを翔破して、 シ ド -
一—空 港 に 着 陸 す る 。
さっそく空港 ビ6 Iで記者 会 見 。 宿舎におちついたの ち ゃ ん が つ ん で く れ た 、 つつじ、 ば ら 、 し ゃ く な げ な ど

142
ち 、 一行はシド-
一丨湾口までドラィブした。 の花びらを海に投げ、菊池神社の神酒をそそいだ。
絶壁に立って狭い湾口をみつめた母が、
勇士たちは、 よくもこんな狭い ところを通り抜けて、 みんなみの勇士の霊に捧げむと
—1

シド-
一1港 を 襲 撃 し た も の だ 。 心をこめし故さとの花
敬宇! お前を、生 前 は 一 度 も ほ め た こ と の な い わ た
しだが、 こんどこそ、 母は心からほめてあげますよ。 よ としたためた色紙は、風にあおられ裏がえしになって
く や っ て く れ ま し た .. 」 水 に お ち た 。が 、 ほ ど な く 波にもまれて、 色紙は表にな
と つ ぶ や い た と き 、その頰 は 、涙でびっしょりとぬれ お り 、 さ さ げ た 花 び ら と た わ む れ た 。 そ の 情 景 は 、 母の
てぃた。 胸を打った。
翌 二 十 九 日 、 一 行 は 豪 州 海 軍 が 提 供 し て く れ た ランチ
で、 シド-
一丨港をおとずれる。 花を追ふしきし波まに見えかくれ
まず、 中 馬 艇 の 沈 ん だ 地 点 へ 。 まつ枝は、 菊の生花を いつかは六つの霊にとどかむ
投 げ い れ 、 日本から持参した菊池神社の神酒を海面にそ
そ ぎ 、 自 作 の 献 歌の色紙を流して、中馬中佐と大森少尉 と ぅ即吟の歌に、 その思いの一端をたくした。
I
の冥福を祈った。 やがて、艇 は 、伴 艇 が 進 入 し た と 見 ら れ る 地 点 へ 向 か
ついで、 松 尾 艇 が 沈 ん だ テ ー ラ ー 湾 へ 。 ぅ 。 この艇だ け は ま だ 引 き 揚 げ ら れ ず 、 タスマン海の底
水兵たちにささえられて艇尾に立った母は、生花と、 深く眠っている。
しなびてはいるが山鹿のわが家の庭に咲き、曾孫の富美 「シ ド -II の 海 で 、 伴 さ ん の 艇 だ け が 、 引 き 揚 げ ら れ ず
におります。 それが私には可哀想に思えてな り ま せ ん の と報じている。
です」 ついで一行は、 東豪州 艦 隊 司 令 官 ゥ ュ ル ズ 海 軍 少 将 の
と 、 かねがね、 口癖のょぅにいっていた松尾の母は、 昼食会に招かれた。司令官は刀自をいだくよぅにして席
したしく現地をとむらったとき、 その不憫さに胸がいた に つ か せ 、 食 事 に は 米 とソ ーメ ン を あ し ら う な ど 、 心か
み、 ら歓待してくれた。
シドニー訪問の状況は、 つぎの手紙からもその一端が
荒海の底をくぐりし勇士らを うかがえる。
今ぞたたへめ心ゆくまで
奥 様 、今 日 で シ ド 二 ーを 終 り ま し た 。 丁 度 国 賓 の よ
と 、大 声 で 朗 詠 す る の で あ っ た 。 う な お も て な し を う け て 感 激 の か 日 で す 。 ひとえに松
本 先 生 は じ め 皆 様 方 の お か げ で す 。豪 州 の 方 々 の 私 達
六 勇 士 の 海 上 慰 霊 を お わ っ た 一 行 は 、 セノタフの無名 に対するお気持は非常にあたたかで新聞やテレビを賑
戦士の碑にもぅでた。 わ せ て お り ま す 。 (傍 点 筆 者 )
そのときの状況を、共同通信の特派員は、 昨 日 は 海 で 慰 霊 祭 を し て い た だ き 、更 に こ ちらの慰
『I 一 行 は シ ド ニーの中 心 部 に 建 て ら れ て い る 招 魂 碑
霊塔に花輪を捧げましたが、すばらしい人出でした。
に 花 束 を 供 え 、長 い あ い だ 黙 祷 を さ さ げ た 。沿道を埋め 皆さん顔だけは覚えて下さって手を振って下さいま
た 千 人 を こ え る オ ー ス ト ラ リ ア 人 の 間 か ら 、 拍 手 と "な す。あちらこちらと充分に案内して下さって何にもい
ん と い う け な げ な 母 親 だ " と い う 声 が あ り 、進み出てま う 事 は あ り ま せ ん 。先 生 の おかげです。母も大変元気

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つ枝さんに握手をもとめる女性もあった』 で、う た が 次 々 に 出 て い ま す 。 洋 食 の 方 も ど う や ら 間
にあっています。 にして椅子にっかせ、

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明 日 は キ ャ ン べ ラ に 向 か い ま す 。奥 様 、 内地外地の 「勇 敢 な お 子 さ ん を 持 た れ て 仕 合 わ せ で す ね 」
方 の 愛 情 に つ つ ま れ て 元 気 い っ ぱ い 廻 っ て い ま す 。宿 と 、松尾中佐の武勇をたたえた。
では先 生 の 歌 ご え 楽 し く 、 これに奥様が居られたらと っいで、 戦 争 記 念 館 を お と ず れ る 。
二人で語っています。 こ の 記 念 館 の 壁 に は 、 第 一 次 、 第 二 次 世 界 大 戦 、朝 鮮
合 掌の日々でございます。 戦争などでたおれた豪州の将兵、市民約十万の名がきざ
シドニーにて 四月三十日 ま れ て い る 。 こ こ に は 厳 粛 な 祈 り の 場 所 と し て 、 りっぱ
松尾まつ枝 な礼拝堂がある。その正面の礎石に、
佐伯ふじえ
松本らん子様 彼 ら の 名 は 永 劫 に 消 え る こ と は ない
と い ぅ 意 味 の 英 文 が し る さ れ 、祖 国 に 殉 じ た 人 た ち を
十 しのび、 それらの人びとの尊さを教えられるオ I ストラ
リア国民の尊崇の場所となっている。
また、 この記念館には、 シ ド 丨 一一攻 撃 の 日 本 特 殊 潜 航
五月一日、 シ ド -
一丨から空路、 首 都 キ ャ ン ベ ラ へ 。
艇 や そ の 乗 組 員 の 遺 品 が 、 自 国 の 将 兵 と 同 様 、 いや、 そ
ゴ ー ド ン 首 相 と ケリー海相 を た ず ね て 、豪州の好意に
れ 以 上 の 感 激 を も っ て 陳 列 さ れ 、 そ の 標 示 は 「こ の 勇 気
たいする感謝の意を表する。
を見よ」 の文字でかざられている。
首相は部屋の入口で刀自を出迎え、抱きかかえるよう ラ ン ヵ ス タ ー 館 長 が 一 行 を 出 迎 え 、 芝 生 の 上 に おい て

あ る 特 殊 潜 航 艇 に 案 内 す る 。 この艇は、松 尾 、 中馬両艇 て潜望鏡の真下、 おそらく松尾艇長が坐っていたであろ
を 合 わ せ て 復 原 し た も の で あ る 。潜望 鏡 の 前 方 は 破 れ 、 ぅ 筒 所 に 、 刀 自 は し み じ み と 目 を 見 は ら れ た 。葉親会か
鋼板はめくれて奮戦のあとを物語っている。 らのかわいい花輪と菊池の神酒はそこに供えられた」
いまや宿願がかなえられ、 まのあたり見る潜航艇、父 と 、 その思い出をのべている。
から贈られた菊池千本槍の短刀をおびた敬宇の最後がし 刀自は胸がつまる感慨を、 ニ首の和歌に託するのであ
の ば れ る 鉄 舟 、 吾 子 が 息 を ひ き と っ た "鉄 の 棺 " I 。 った。
年とった母の胸中は、 まことに察するにあまりあった
であろう。 愛艇に四つの魂生き生きて
随行の松本唯一は、 父を呼ぶ声母を呼ぶ声
「刀 自 は ヵ メ ラ の 放 列 の 中 を 静 か に 艇 に 近 づ い た 。 なか 吾子の霊生きてあるらしかの艇の
には仰むけになってまで、 刀自の顔をとらえょうとする かたへに母はおらまほしく思ふ
カメラマンもいる。
私 (松 本 ) は 刀 自 の 左 手 を と っ て 、 と も ど も 一 歩 一 歩 記 念 館 の 中 に は 、 一行のために特別に小さい机と椅子
足をはこんでいるうちに、 刀自の五体のふるえおののき が 用 意 さ れ 、 机 の 上 の 白 木 の 箱 に は 、松 尾 中 佐 の 遺 品 と

か、私 の 体 に つたわってくる。 ブルブルとうちふるう右 千人針がおさめられている。
の 手 が 、 お そ る お そ る 艇 に 近 づ き 、 一指もふれてはなら 千人針 と は 、布 ぎ れ に 、 千人の女性が一針ずつ縫って
ぬ、 い と も 尊 き も の に た い し て か の ご と く 、 ふ れ ん と し 千個の縫玉を作り、 出征将兵の武運長久を祈願して贈っ
てふれず、 からくもふれて艇を愛撫された。 たものである 。 いま一行の前にある 千人針は、姉ふじえ

145
ま す 外 倜 を 一 周 し 、 切 断 さ れ た と こ ろ を 3字 形 に 曲 つ が 真 心 こ め て 弟 の 敬 宇 に と ど け 、敬宇が最後まで肌身は
なさなかったものである。 ぅしろがみひかれる思ひこの国は

145
ランカスター館長は、 この千人針を手づから刀自に渡 吾子がしづもる土にしあれば
した。
および腰で千人針を手にしたとたん、 刀白の全身は小 一 行 は メ ル ボ ル ン 公 園 で 、 ”オ ー ス ト ラ リ ア の 父 " と
き ざ み に ふ る え 、 そ し て 、 大 き く ゆ れ だ し た 。 刀自はハ い わ れ る 英 人 探 険 隊 長 ジ ュ ー ム ズ ^ク ッ ク の 家 を 見 物 し
ンカチで目をおおい、館長 の 手 に す が っ た 。館長は手を た。
さ し の べ て 刀 自 を だ き し め た 。 姉 ふ じ え は 、 三十年前に 案 内 役 の 井 口 領 事 が 、 一 行 の 入 場 料 を 払 っ た が 、 あと
弟 に 贈 っ た 千 人 針 を ま の あ た り 見 る に つ け て 、 いまは亡 で刀白のいることに気づいた係員は、
き敬宇の在りし日の こ と が 思 い 出 さ れ 、熱いものがとめ 「わ れ わ れ の 賓 客 で あ り ま す の で … …」
ど も な く こ み あ げ て く る 。 ま わ り を か こ ん で い た カメラ といって、 入場料をもどしてくれた。
マンたちも、 さ す が に 一 瞬 シ ー ン と な っ た 。 豪 州 の 新 聞 は 、 刀 自 の こ と を 、 「ミ セ ス . マ ッ オ 」
(松 尾 夫 人 ) と 書 い て い た が 、 や が て そ れ は 「マザー」
五月四日、 キ ャ ン ベ ラ よ り メ ル ボ ル ン へ 。空港に行く (お 母 さ ん )に か わ り 、 つ い で 「シー」 (彼 女 ) に な っ て
途 中 、 白 動 車 が 戦 争 記 念 館 前 を 通 り す ぎ た と き 、 刀白は し ま っ た 。 い ま で は 「お 母 さ ん 」 と い え ば 松 尾 ま つ 枝 の
松 本 の 手 を 握 り し め て 涙 ぐ ん だ 。 や が て 手 帳 を とりだし こ と で あ り 、 「彼 女 」 は 刀 自 の 代 名 詞 と し て オ ー ス ト ラ
て書きとめた。 リアの人びとに通じるのであった。
一行がホテルのロビーにいると 、見ず知らずの人びと
キャンベラの名さえこひしきキャンべラを が 声 を か け る 。 か れ ら は ロ ぐ ち に 、 刀 自 を "勇 士 の 母 "
けさたつことの名残おしき と し て た た え る 。 ホテルのマ ネ ジ ャ ー は毎日、新鮮な果
物 を ニ 、 三 回 も サ ー ビ ス す る 。松 尾 中 佐が突入当時シド こ の 世 か ら 姿 を 消 し た 一 人 の 息 子 に "サ
ニー に い た と い う 売 店 の 婦 人 は 、 ヵ ン ガ ル I 皮製の財布 ョー ナ ラ " を い ぅ た め に 、 小 さ な 杖 に す が
を刀自にプレゼントした。 り思 い 出 を い だ い て 、 わ た し た ち の こ の 海
メルボルンでは、ゆ く りなくも松尾中佐らの海軍葬に 辺にやって来ましたね。
参列した水兵が一行をたずね、 あなたがたは無惨にひきさかれたが、心
「私 は 儀 仗 隊 の ラ ッ パ 手 と し て 、 『鎮 魂 の 譜 』 を 吹 奏 し の中に静かに生きつづけてきました。
たことを、生涯の光栄と思っている」 そして今、涙を流すためにやってきまし
と 、 ほこらしげに語るのであった。 たね。
海 を な が め て 、 心 の 奥 、 五体の中の涙を
メ ル ボ ル ン か ら シ ド ニ ー に も ど り 、 いよいよ豪州に別 思いきり流しておしまいなさい。
れる前 日 、見知らぬリントン夫人からつぎのような意味
の 詩 が 刀 自 に と ど い た 。 こ の 詩 の な か に 、 この国の人び 五 月 七 日 夜 、 一 行 を の せ た 飛 行 機 は シ ド -丨
I 空港をと
と が 、 刀 自 の 人 柄 と そ の 訪 問 に い だ い た 感 情 が 、 に じみ び た ち 、 一路祖国をめざした。
出ているように思われる。 飛 行 機 の な か で は 、 一人のスチュァーデスがょく刀自
の世話をしてくれた。
お年をめした腰のまがった小柄なおばあ 「父 は 戦 死 し ま し た 。 祖 母 は あ り ま せ ん 。 "私 の お ば あ
さん。 ちゃん"と 思 わ せ て く だ さ い 」
憎しみも悲しみもない円満なお顔を見て と涙を流してだきついたといぅ。

147
わたしは心をうたれました。 明 く る 日 の 昼 さ が り 、小 雨 ふ る 羽 田 に 帰 っ て き た 。
豪州政府の好意で異例の返還となり、縦五十センチ、 と、宿願をはたした喜びをかみしめていた。

148
横三十センチほどの額におさめた血染めの千人針は、 こ
れ を 松 尾 中 佐 に お く っ た 姉 ふ じ え の 胸 に し っ か り と いだ
か れ て タ ラ ップをおりた。 千 人 針 の ほ か 、松 尾 が 運 命 を
と も に し た 潜 航 艇 の 木 片 の 一 部 も 、訪 豪 記 念 と し て 豪 州
政府から贈られた。
刀自は空港待合室で、さっそく記者会見。 長いあいだの悲願をかなえて山鹿の家にくつろいだ母
「み な さ ん の お か げ で 、 長 年 の 念 願 が か な い ま し た 。 オ 親 は 、 し た し く お と ず れ た 吾 子 の 最 後 の 地 、 まのあたり
1 ス ト ラ リ ア で は 思 い も よ ら ぬ 大 歓 迎 を ぅ け 、 こんなに 見 聞 し た そ の 奮戦のあとなどを、夜ごとの夢にみるので
積しいことはありませんでした」 あった。
と涙ながらに語り、 敬 神 の 念 あ つ い 刀 自 の 心 を 強 く ぅ っ た の は 、敬宇など
の 潜 航 艇 が 、 狭 い 湾 ;を
3 突破して敵の港内深く進入した
みそとせの長き願いのお礼ごと ことであり、 そ れ は 神 業 と し か 思 え ず 、 いまさらながら
果して安し今日の喜び 神の加護を感謝した。
暖かきみこころ神に通じてか 「今 度 シ ド -II に 行 っ て 見 ま す と 、 と て も あ そ こ に や 、
長き旅路のつつがなくして 人間業ではいらるるところじゃありまっせんもんな。 こ
れ こ そ 、菊 池 の 神 様 に お つ れ し て い た だ い た 、 と ほんに
と短歌ニ首を披露し、 いまにも始終思います。
『こ れ が 、 わ た し の た だ い ま の 心 境 で す 」 そ っ で 、 私 が 菊 池 神 社 に お 参 り し ま す と は 、 ちょぅど
あれに会いに行きますごたる気持でございますもんな。 ばってん。私は菊池の神様に、あれはおつれしていただ
いとってち、私はしんか ら 思 う とります」
敬宇の 艇 が 最 後 に 、 いちばん奥まではいっとりますけ 母 親 ま つ 枝 さ ん は 、 昭 和 四 十 四 年 七 月 八 日 、 本 渡 (熊
んな。 ち ょ う ど そ ん 時 、豪 州 の 海 軍 少 尉 だ っ た と い う 将 本県天草)詡訪神社の歓迎会の席上で、 その人柄のにじ
校の方のお話に I 司令 塔 の 蓋 を あ け て 、 からだをのり み で る 肥 後 弁 で こう話 し て い る 。
だ し て 周 囲 を 見 渡 し 、大 艦 め が け て 突 進 し た そ う で す た
い。 そ し て 、 一 斉 射 擊 を う け て 沈 ん だ て I ほんに、 ま 豪 州 の 人 び と の 松 尾 ま つ 枝 さ ん に た い し て 与 え た "勇
あ 。 や っ ぱ り 菊 池 様 の お 心 を 自 分 の 心 に 、 おとなしゅう 士 の 母 " と か "世 界 の 母 の シ ン ボ ル " と い う よ う な 称 賛
うけて行ったと思っとります。 は、けっしてその場かぎりのものではない。
京 都 の 平 安 神 宮 の 宮 司 様 (小 松 輝 久 中 将 、 シ ド 二 ー 攻 訪 豪 か ら 五 力 月 す ぎ た 昭 和 四 十 三 年 十 月 十 八 日 、 たま
擊 当 時 、 第 六 艦 隊 〔潜 水 艦 部 隊 〕 長 官 ) が ー 度 お 見 え ま たま靖国神社の秋季大祭に参拝するために上京したのを
し た も ん 。 そ し て 私 た ち に 、 『中 佐 が 出 る 時 は 、 こ れ ば 機 会 に 、 東 京 .新 宿 の 小 田 急 デ パ ー ト の 会 議 室 で 、 豪 州
かりが神の姿でしたよ。 これだけは御両親にお伝えしよ 特 産 の 最 高 級 羊 毛 皮 〃 メ デ ィ .ラ ッ グ " ( メ リ ー 種 の 韦
うと思うていました。それで、どうぞ喜んでください』 皮 に 特 殊 な ナ メ シ 加 工 を し た も の )が 刀 自 に 贈 ら れ た 。
ておっしゃいましたもん。 そ れは刀自の訪豪に感激した、 この国の有名な羊毛皮会
そ れ で 、 と て も 神 の 姿 、 神 の 心 に な ら ん な ら ば 、 あん 社のグロ I ス社長がプレゼントしたのである。
ブラゥン駐日豪州大使は、
な こ つ は で け ま せ ん ど て 思 い ま す 。 そ れ で 、 私は本当に
「松 尾 さ ん の オ ー ス ト ラ リ ア 訪 問 は 、 日 豪 親 善 に 大 き な

149
有難う思いました。
いまの人にいいますと、 何といいますか知りまっせん 貢献をしました」
と刀自をたたえて手渡した。
やがて冬となった。 刀自は、毛皮の上に布団をしき、
ま つ 枝 さ ん は 、 オ ー ス ト ラ リ ア の 人 び と の 数 々 の 好意 豪州の毛布をかけてやすんだ。
に感激を新たにし、 「あ ち ら の 人 び と の 芳 情 に つ つ ま れ て い る ょ う で、 とて
も暖かく感じられます」
思はじな豪州よりの贈りもの 刀 自 は 好 意 を 感 謝 し な が ら 、 しみじみとこう語るので
ただありがたく涙あふれる あった。
老い母をいたわりたもぅ彼の国の あ く る 年 の 一 月 二 十 五 日 、 ブ ラ ゥ ン 大 使 が 熊 本 を おと
あつき御心夢な忘れそ
ずれた。 刀自は、 こうした感謝の気持を、
と感激をこめた歌を披露した。 みこころのこもる毛皮につつまれて
そして、ブラゥン大使にたいしては、
凍る霜夜もあたたかくして
彼の国に散りし勇士のしあわせよ の和歌にたくした。
われもかたえに住みたくぞ思ふ
訪豪からニ年の歳月がながれた。
としたためた色紙を贈ってその好意を謝した。
昭和四十五年五月八日の万国博は、 ヵンガルーと地下
こ の 羊 毛 皮 は ピ ン ク 色 に そ め ら れ 、 縦 一 .ニ メ ー ト 資 源 の 国 、 オ ー ス ト ラ リ ア の ナ シ ョ ナ ル .デ ー 。 午 前 十
ル横九十五センチというめずらしく大きく立派なもの 時 十 五 分 か ら 了 .0.ゴ ー ド ン 首 相 夫 妻 を お 祭 り 広 場 に
である。
迎えて式典があり、原住民など本国からはるばるやって
きた総勢百二十人のタレント、 六十人の海軍軍楽隊がお おさえながらゴードン首相の挨拶にうなずいていた。 こ
国ぶり豊かなプログラムを披露した。 の老婆こそニ年前、 オー ストラリアでゴードン首相から
日豪両国国歌の吹奏、萩原日本政府代表の歓迎スピー "勇 士 の 母 " と た た え ら れ 、 き ょ う の 式 典 に 同 首 相 か ら
チのあと、 ゴードン首相は、 特別に招待された松尾まつ枝さんである。
「こ れ か ら の 世 界 の 動 き は 、 ア ジ ア と 太 平 洋 地 域 の 安 定 式 が す ん だ あ と 、 まつ枝さんは、長女の佐伯ふじえさ
と 発 展 に か か っ て い る 。 こ ん ど の 万 博 は 、 わ が 国 に とっ ん、 松 本 唯 一 博 士 と と も に ゴ ー ド ン 首 相 と 会 い 、 た が い
て ジ ヱ ー ム ズ ,クックが オ ー ス ト ラ リ ア 大 陸 を 発 見 し て にニ年ぶりの対面をよろこびあった。
ニ百年目といぅ記念すべき年に開かれておりわれわれ 「ひ と こ と お 礼 が い い た く て 、 か け つ け ま し た 。 お 元 気
な姿に接して、 こんなうれしいことはありません」
も 積 極 的 に 参 加 し た 。 日豪両国は、同じ東経一三五度上
まつ技さんは、再会のよろこびをこう語った。
に 位 置 し 、経 済 的 な 結 び つ き は 強 い が 、 この万 国 博 を 契
機にさらに友情を深め、 手をたずさえて世界平和をまも
る仕事にあたろぅ」
とのべた。
こ の あ と 会 場 で は 、 き こ り 名 人 、 "ブ ー メ ラ ン " 投 げ
チャンピオンなどの妙技、 カン ガ ル ーやへビの模様を体
に描 い た 原 住 民 に よ る 踊 り 、 そ れ に ポ ピ ュ ラ ー .ジ ャ
ズ、海軍軍楽隊の演奏 な ど が く り ひ ろ げ ら れ た 。
式 典を見学した観客のなかには、腰のまがった小柄な

151
八 十 五 歳 の 老婆もまじっており、 こみあげる感激の涙を
金光九三郎 (マ キ ン 環 瞧 ブ タ リ タ リ 島 守 備 隊 長 )
ほか守備隊員
とこそ、 目下の急務であり、同時に、太 平 洋 戦 争 の ィ 11

154
シアチブをとりもどすときであった。
こぅして十 七 年 八 月 七 日 、米 海 兵 第 一 師 団 の 将 兵 万
|
九 千 名 が 、対 日 反 攻 の 第 一 歩 を 、 ソ 口 モ ン 諸 島 の 一 角 ガ
ダルカナル島にしるした。
昭和十七年六月のミッドゥ'
' I海 戦 で 、 航 空 母 艦 四 隻 明くる八日、米海軍最大の潜水艦 I 水上排水量ニ千
を ぅ し な っ た 日 本 海 軍 の 意 気 は あ が ら ず 、 しばらく鳴り 七百ト ン 、全 長 約 百 十三メートル I ニ 隻 が 、 わが海の
をひそめていた。 荒鷲に撃沈された戦艦の残骸が横たわっている真珠湾を
これに反して、米 国 の 作戦指導は、 にわかに活発にな すべり出した。
ってきた。 と く に 、 海 軍 に お い て そ ぅ で あ り 、 そ の 意 気
ニ 隻 の 潜 水 艦 は 、 『ノ — チ ラ ス 』 と 『
アルゴノ I ト 』
は、 ま さ に 緒 戦 期 に お け る 日 本 連 合 艦 隊 に 匹 敵 す る も の で 、 潜 水 隊 司 令 (総 指 揮 官 ) は 、 ジ ョ ン . ヘィンズ

^ .
があった。 中佐。 『
ノ — チ ラ ス 』 艦 長 は 、 ニ 力 月 前 の ミ ッ ド ゥ 一-

ニミッツ提督は、 米 海 軍 の 進 路 は き ま っ た 、と確信し 海 戦 で 、 わが 空 母 『加 賀 』 に 魚 雷 を 命 中 さ せ た ビ ル .ブ
た。北 の ア リ ユーシャンは、 日本軍が占領しても天候地 ロ ッ ク マ ン 少 佐 、 『ア ル ゴ ノ ー ト 』 艦 長 は ピ ア ー ス 少 佐
形 な ど か ら 米 国 へ の 進 撃 路 と し て は ふ む き で あ っ た 。中 である。
部 太 平 洋 で は 、 ハ ワ イ に た い す る 危 機 が 去 り 、 安全にな べ つ に 、 な に ひ と つ 変 わ っ た と ころも見 え ぬ 潜 水 艦 だ
つた。 の こ る は 南 太 平 洋 だ が 、 す で に 日 本 軍 は 東 部 二 ュ が 、 一歩、 艦 内 に は い っ て み る と 、 奇 妙 な 荷 物 を 積 ん で
丨ギ ア
-1 に せ ま り 、 ソ ロ モ ン 諸 島 を 南 下 す る 勢 い を し め いた。
している。米 国 と オ ー ストラリアの連絡線を確保するこ 一
一隻 あ わ せ て 二 百 二 十 ニ 名 の 海 兵 隊 員 だ 。 個 有 の 乗 組
ルバー ト諸島に 寄 港 す る 。 ゥ ィ ル ク スの報告にょれば,
員 は 、各 艦 と も 八十名なので、 二倍以上の人数が乗りく
こ こ の 婦 人 は 南 洋 群 島 の な か で も っ と も 美 し く 、 男はサ
んだことになる。それだけではない、 六十コの機雷を搭
メの歯をしばりつけた長さ三メートルほどの槍を持って
載できる広い格納5 は、 ? 吾 1 対戦車砲をはじ
いる恐るべき戦士であるといぅ。
め各種の陸戦兵器や通信器材が山のように積み上げられ
一 八 五 六 年 、 ハ イ ラ ム .ビ ン ハ ム 師 と 回 教 伝 導 師 た ち
ていた。
両 艦 と も 十 五 セ ン チ 砲 ニ 門 を 持 っ て お り 、 これで海兵 が米国のボストンから派遣されて、 ギルバート諸島住民
の布教にあたり、 たがいに殺しあぅかれらの好物である
隊の上陸作戦を支援しようというのである。
め ざ す 目 的 地 は 、 真 珠 湾 か ら ニ 千 ヵ ィ リ 、 ギルバート 戦いをやめさせ、貿易に従事する帆船乗組員を殺害する
諸島のマキン環礁であった。 ことを断 念 さ せ た 。
一 八 八 九 年 、 作 家 ロ バ ー ト .ル イ ス .ス テ ィ ブ ン ソ ン
は 、 ギ ル バ ー ト 諸 島 に 数 力月 滞 在 し 、 小 説 『0 2 4 ^

3:
ギルバート諸島は、第一次大戦後の平和条約によって
を書いて世界にこの諸島を紹介した。
5 0 1 1 X 9 :5的ン3』
日本の委任統治領になった旧ドィッ領マーシャル諸島の
一八九ニ年、 英 国 政 府 は 、 ギ ル バ ー ト 諸 島 を 保 護 領 と
南 南 東 に 横 た わ り 、赤道をはさみ東経一七二度から一七
な し 、 そ の の ち エ リ ス 、 フヱニ ッ ク 、 ユニオンおよびオ
七度のあいだに約十五の環礁からなっている。
丨 シ ャ ン の 各 島 を も っ て ギ ル バ ー ト , 二リス諸島植民地
こ の 諸 島 を 発 見 し た の は 、 一六〇 六 年 で 、 ポ ル ト ガ ル
と し た 。島 民 の 習 慣 を 尊 重 す る 英 国 の 統 治 の も と に 、 原
の 航 海 者 キ ロ ス で あ る 。 そ し て 、 一七八八年、 東 イ ン ド
也人は繁栄し、 その人口密度は太平洋諸島のなかで最大
の 勢 力 家 ト ー マ ス .ギ ル バ ー ト の 名 に ち な ん で 「ギルバ
だった。

155
1 ト 諸 島 」 と 命 名 さ れ た 。 一八四一年、 米 海 軍 大 尉 チ ヤ
ギ ル バ ー ド 諸 島 の 北 端 の 環 礁 が 、 マ キ ン で あ る 。 マー
丨 ル ズ ,ウ ィ ル ク ス は 、 彼 の 有 名 な 探 検 旅 行 の 途 次 、 ギ
シ ャ ル 諸 島 の 南 端 の 島 ヤ ル ー ト か ら 、 マキンまで約四百 は 、 第 十 四 航 空 隊 の 大 型 飛 行 艇 数 機 が 繫 留 さ れ 、 ふきん
八十キロ。
の海域の哨戒にあたっていた。そんな単調な日々が、占

156
マ キ ン 環 礁 の 最 大 の 島 は プ タ リ タ リ 、 この島は曲がっ 領 し た 日 か ら 七 力 月 あ ま り つづいた。
た長い柄のついた金 槌 の ょ ぅ な 形 を し て い る 。 金槌の長 しかし、昭和十七年七月はじめより、 ギルバート、 マ
さ が 約 八 キ ロ 、柄 の 長 さ が 約 十 四 キ ロ 、幅は約八百メ I 丨シャル諸島方面にたいする敵の潜水艦と飛行機の動き
トル、海面からの高 さ は ニ メ ー ト ル に す ぎ ず 、全島に椰 が 、 よ う や く 活 発 と な っ た 。 七 月 二 十 四 日 早 朝 、敵 大 型
子の木が茂っている。 機 三 機 が マ キ ン を 偵 察 し た 。第 十 四 航 空 隊 は 七 月 十
一一六
日米開戦の翌日、 わが海軍陸戦隊がマキンを占領し、 日に、 大 型 飛 行 艇 に よ っ て ゥ ラ ン ド 、 ベ I 力
両島を偵I
ここに飛行艇基地をつくり、基地警備のために兵力を派 察 し た が 、 敵 が と れ ら を つ か っ て い る 形 胁 は な く 、 ヵン
遣 し た 。 こぅして、 マキンは南東太平洋における日本の
トン島方面から飛来したものと判断した。
最 先 端 の 軍 事 要 点 と な り 、 そ れ い ら い 、 わが軍艦旗が工 ついで八月七日、米軍がガダルヵナルに上陸した。 い
メ ラ ル ド グ リ ー ン の 海 に か こ ま れ た "南 海 の 孤 島 " に 、
ままでの楽しい島民の踊りも、 いまは過去の語り草とな
へんぽんとはためいていた。 ってしまった。
か れ ら の 装 備 と い え ば 、 数 梃 の 七 .七 ミ リ 機 銃 、 小 ^
そ の こ ろ 、 ブ タ リ タ リ 島 に は 、 ヤルー トの第六十ニ警 に ピ ス ト ル と い う 貧 弱 な も の だ っ た 0 そのうえ、陣 地 も
備 隊 か ら 派 遣 さ れ た 守 備 隊 ー コ 小 隊 、航 空 基 地 要 員 、 通 珊瑚礁の砂地に掘ったかんたんな濠にすぎなかった。
信 隊 要 員 、 合 計 約 七 十 名 が い た 。守 備 隊 長 の 金 光 九 三 郎 こうしたマキンに対する米軍の作戦目的は、と に か く
兵 曹 長 は 、 三 等 水 兵 か ら た た き あ げ た 勇 敢 で 、 りっぱな 火 の手をあげろ、 マキンの日本軍基地をたたきこわせ、
サムライだった。 そして、 かれらの警備する航空基地に で き れ ば 、 秘 密 書 類 と 捕 虜 を ひ っ さ ら っ て 逃 げ て こい9
占 領 す る の で は な い 、 ただ、 不意をつかれた日本軍が、 ことを知 っ た と き 、 米 太 平 洋 艦 隊 司 令 長 官 ニ ミ ッ ツ 提 督
が ミ ッ ド ゥ ュ ー 島 の 防 衛 強 化 の た め に 、真珠湾から派遣
あ わ て て 軍 艦 や 飛 行 機 や 部 隊 を 送 り こ め ば い い 。 ガ ダル
ヵナルに上陸した米軍の足場がかたまるまでの危機一髪 した兵力の一部であった。
しかし、 ミツドゥュー海戦では日本艦隊が惜敗したの
に、 日 本 軍 が 大 部 隊 を 集 中 し て 、 ど っ と 襲 い か か る の を
邪魔すればよいのだ。 で、 こ の 大 隊 は そ の 真 価 を 発 揮 す る 機 会 に め ぐ ま れ な か
つ ま り 、 こ の マ キ ン 作 戦 は 、 日 本 軍 を ガ ダ ル ヵ ナ ル方 った。 だ か ら 、 こ ん ど こ そ は 、 と 隊 員 は 大 い に 張 り き っ
面 い が い に 誘 い だ す た め の陽 動 作 戦 と し て 企 図 さ れ た も ていた。
のである。 隊 長 の ヵ ー ル ソ ン は 、 背 の 高 い や せ た 男 で 、 偉丈夫と
そ ぅ い わ れ て 、 エ ヴ ァ ン ズ .丑 .ヵ ー ル ソ ン 海 兵 中 佐 いうにはほど遠い。 眉が太く、 ちょっと容易ならぬ人物
の 感 じ もするが、 そ の 顔 形 か ら は 、軍 人 と い う よ り も 、
を隊長とするニコ中隊編成の第二海兵奇襲大隊がでばっ
田舎紳士らしい人のよさがにじんでくる。
弋 き た の で あ る 。 冒 険 好 き の ヤ ン キ ー には、 お そ ら く 無
镇のスリリングな仕事であったろぅ。とりわけ海兵隊員 ま ず 見 た と こ ろ 、平 凡 な 人 間 だ が 、 じつ の と こ ろ 、第
,
はファィトで鳴らした連中だった。 ニ 奇 襲 大 隊 の "育 て の 親 " と い わ れ 、 か っ て は 民 間 人 オ
ブ ザ ー バ ー と し て 、中国北部で日本軍と戦った中国共産
この奇 襲 大 隊 は 、 米 海 兵 隊 の な か で も 特 異 の 存 在 で あ
った。 離 島 な ど の 敵 要 地 に 隠 密 に 上 陸 、 敵 を 奇 襲 し て そ 軍 ゲ リ ラ 部 隊 に 従 軍 し た と い う 、特異の経歴の持ち主だ
った。
の陣 地 を 攻 撃 、敵 の 施 設 や 軍 需 品 を 破 壊 す る 目 的 に つ か
う た め の も の で 、 つ い ニ 力 月 ほ ど 前 の ミ ツ ド ウ ヱ ー海 戦 次席指 揮 官 の 海 兵 少 佐 も 、毛なみがかわっている。
背 の 高 い の は 、 ヵ ー ル ソ ン と 同 様 だ っ た が 、 まだ若い

157
の 直 前 、 試 験 的 に 編 成 さ れ た ば か り だ っ た 。 カールソン
,
部隊は五月下旬、 日本軍の進攻がまぢかにせまっている のに頭がはげあがっていた。
彼 は ル ー ズ ベ ル ト 米 大 統 領 の 長 男 、 ジ = 1 ム ス .ル ー 夜 が す っ か り 明 け た と き に は 、 こ の 『ノ I チラス』 の
ズベルトである。

158
姿 は 海 面 か ら 消 え て い た 。 そ し て 日 が 暮 れ る ま で 、 とき
マキン作戦計画は、 二週間前の 七 月 二 十 四 日 、偵 察 機 どき潜望鏡を海面にだして、 ゆっくりと島をまわる。平

一一機がいつまでもねばって撮った航空写真にょってねり ベったい珊蝴礁で、特 徴 は なにもない。とはいいながら
あげられたものだ。 も、密 生 し た 椰 子 林 も あ れ ば 家 も あ り 、 桟 橋 も あ る 。
そ の 後 は 一 回 も 偵 察 し な か っ た 。 そ の ま ま 、 そっとし ブ ロ ッ ク マ ン 艦 長 と ヘ イ ン ズ 司 令 、 そ れ に 力ー ル ソン
ておいたので、 日本軍に米軍の企図を知られているとは 隊長 は 、 かわ る が わ る 、 ブ タ リ タ リ 島 の 地 形 や 、上 陸 海
思えなかった。 岸 、 日本軍の防備などを、 入念に計画と見くらべながら
たしかに、 日本軍はなにも感づいていなかった。 ながめた。
「違 う 、 ま る で ち が う 」
航空写真というものは、あんがいに真相をつたえない
も の だ 。 上 か ら 見 る の と 、 横 か ら 見 る の で は 、 まるでょ
う すがちがう。 かれらは腹のなかに完全にのみこむまで
見つめた。
八 月 十 六 日 の 未 明 、真 珠 湾 か ら は る ば る ニ 千 カイリを このょうな大胆不敵な偵察を、 未明からその日一日つ
航 海 し 、 マキンの最大の島プタリタリ南岸沖の朝もやの づ け た 。 し か し 、 日 本 軍 は す こ し も 気 づ か な い 。 二週間
な か に 、 なまずのようなのつベりした一隻の大型潜水艦 前 の 七 月 二 十 四 日 に 敵 飛 行 機 が 飛 来 し 、 しつこく偵察し
が 浮 上 し た 。東 の 空 は 白 ん で き た が 、 まだ明けの明星の たことは知っていたので、むろん上陸してくる敵を想定
あわい光はまばたきしている。 し て 、 こ れ を 迎 え 撃 つ 訓 練 は や っ て い た が 、 こんな形で
来 よ ぅ と は、 思 い も よ ら な か っ た 。 揮 を と る 。計 画 で は 、 ま ず 十 八 隻 の ゴ ム ボ ー ト 全 部 を 、
そ の 日 の 夜 半 、 『ア ル ゴ ノ ー ト 』 は 予 定 ど お り の 時 刻 『ノ ー チ ラ ス 』 の 肢 側 に あ つ め て か ら ス タ- し
1-、 ニ隊
に 、 マ キ ン 沖 で 『ノ ー チ ラ ス 』 と 合 同 す る 。 に分かれて上陸点にむかい、同時に敵の腹背から上陸し
彼我の兵力は、 二百二十ニ対七十となった。 ようというのであ っ た 。
ミッドゥューやハヮィで猛烈な訓練をつづけてきた海
わが守備隊は、米軍が八月七日にソロモン諸島のガダ
ル カ ナ ル に 上 陸 し て 対 日 反 攻 を 開 始 し て い ら い 、 しばら 兵 隊 だ か ら 、すべてが順調に、計画どおり正確に進むは
く の 間 は 警 戒 を 厳 に し て い た 。 だ が 、 そ の の ち 、 この方 ず で あ っ た が 、事 実 は そ う は い か な か っ た 。
面 に た い す る 敵 の 策 動 は な か っ た 。 し か も 、 ソロモン方 第一の食い違いは、その夜、かれらが予想していたよ
面における日本軍の戦況が景気よくつたえられたので、 り波が高く、浮上した潜水艦の横腹の艦首から艦尾ふき
十 六 日 夜 に は 、慰 労 を か ね た 小 宴 が ひ ら か れ た 。 宴は深 んまで一列につらなった孔に、出たり入ったりする波音
更におよんだ。金光兵曹長はじめ七十名の水兵たちは、 と、す ぐ 近くの珊湖礁にくだける磯波が、 力 I ルソンの
ケンパスベッドで南滨の晓の夢を追っていた。 命令する声を吹き消してしまったことから起こった。そ
の 第 二 は 、 ゴ ム ボ ー ト の エ ン ジ ン が 、 な か な か 、 かから
そのとき、島の沖合では、 ゴソゴソと黒いものが、 こ な か っ た ことだ。
の島 に は い あ が る 準 備 に 懸 命 に な っ て い た の で あ る 。 力 ー ル ソ ン は 計 画 ど お り に 、 一刻も早くゴムボート隊
ひそかに情報の交換をすませたニ隻の潜水艦から、黒 を 、 『ノ ー チ ラ ス 』 の ま わ り に 集 合 さ せ よ う と 、 金 切 り
い人影がつぎつぎとあらわれ、艦のまわりに浮かぶゴム 声 で 怒 鳴 っ た が 、 エンジンのかからないボート群は、 た
ボ 一 ト に乗りぅつった。 だ 大 き な 波 に ほ ん ろ う さ れ る ば か り で 、 ヮィヮィとさわ

159
隊 長 カ ー ル ソ ン は 、 『ノ ー チ ラ ス 』 の 艦 橋 に 立 っ て 指 ぐだけである。
そのうちに、兵たちの死物狂いの努力がむくいられ、 いわれて、兵 た ちは島にむかって駆け出したが、上陸後

160
ボ ツ ボ ツ 機 械 が か か り は じ め る 。 しかし、時間は容しゃ ど う し た ら い い か 、な に も 知 ら な い 。 まごまごしている
なくすぎてゆく。明るくなったら百年目だ。 と こ ろ に 日 本 兵 が 、 どっと突っ こ ん で き た ら 、 それっき
ヵールソンは、 部隊を二つに分けることを断念した。 りだ。
こうな っ て は や む を え な い 。 ひ と か た ま り に な っ て 、 強 隊 長 は む ろ ん の こ と 、 総 指 揮 官 の 司 令 も 、 艦 長 も 、気
行上陸をやろう。 が 気 で は な い 。乗 組 員たちも、懸命に闇のなかをさがし
発進! ゴムボートの群れは、 ひとかたまりになって た 。 見 つ か った!
もみあいながらスタートする。 たしかに、 あれだとわかったが、艦からだいぶ遠い。
そ れ を 見 て う な ず い た ヵ ー ル ソンは、 ボ ー ト に 乗 る た ど さ く さ の な か で だ れ も 気 が つ か な い う ち に 、 ひとりで
め艦橋をおりた。ところが、ボ I トがない。 プヵプヵ流れ出したのであろう。
ヘィンズ司令も、 ブ ロ ッ ク マ ン 艦 長 も 、見 張 員 も 、 お とっさの機転で、 ブロックマン艦長がメガホンで呼ん
よ そ 潜 水 艦のデッキに立っていた者は、 闇のなかで目を だ 。 いや、声 を か ぎ り に わ め き 立 て た 。
サラのようにした。 「オ 1 ィ ボ - - オ 丨 ィ、 ボ I ト ! 」
な に し ろ 、 隊 長 を お い て き ぽ り に し て 、,
列兵だけが祗 な か な か 聞 こ え な い 。 や っ と の こ と で 、艦長の必死の
け出してしまったのだ。 声が波音のすき間をやぶった。
ついに一隻のゴムボートがひき返してきた。
力 ー ルソン隊長は、すでにのベたように、計画を変更 妙な顔をしている連中は、
し て い た 。 しかし、 そ の 計 画 の 変 更 は 、 あ の よ う な 事 情 「隊 長 を 、 お い て き ぽ り に す る や つ が い る か 、 乗 せ て 行
な の で 、 ま だだれにも説明していなかった。発 進 ! と け !」
と い われて、 二度びっくりした。 令 は 、 む ろ ん こ の 奇 襲 計 画 を 知 っ て い る 。 だ が 、 ヵール
と に か く 、 ヵ ー ル ソ ン 隊 長 と 、 そ の 艇 員 は 、 予定とち ソン隊長が、 とっさに計画を変更したことは知らない。
が っ た ボ ー ト に 乗 っ た が 、 こ れ で は 超 満 員 で あ る 。 危な 隊 長 は あ わてていたと見え、総指揮官にも知らせてい
く て しょうがない。 と も あ れ 、流れていっ た 隊 長 用 の ボ な い 。自 分 だ け の み こ ん で 、 ボートがないと大騒ぎをし
丨トをつかまえることが 7/ 間拥閗 て、 そ の ま ま ふ っ と ん で
いってしまったのだ。
先決である。 貧 "“

: ,
一く、 、、.,.ニ … そ れ だ か ら 、 司 令 は も
必 死 の 努 力 で 、 やっと
ボートをとらえた。 どってきた艇を指揮する
隊 長 と 艇 長 は 、 危ない 中尉に、

.
斗云当をしながら、 ど う や 「予 定 計 画 ど お り 行 動 せ

¢
ら ぶ じ に ボ- ^に 乗 り う
- 餐 .."
1
1 テ全障 ょ」
つ っ た 。 そ し て 、 フルス と、指示をあたえた。
ピ ー ド で 、本隊のあとを つまり、 先 の 計 画 で 定 め
追いかけた。 '
フ智次增遢睞 られていたとおりに、 こ
す る と 、 また妙なこと の中尉のいくべき上陸地
が 起 こ っ た 。隊長をボートに乗りうつらせたゴムボート 点 に む か わ せ た 。 こ う し て 、 こ の 中 尉 の ボ ー ト は、 海 兵
が 、 『ノ ー チ ラ ス 』 に 帰 っ て き た 。 隊 が だ れ も い な い と こ ろ に 、 一隻だけポツンと行くこと
「任 務 を は た し た か ら 、 あ と は ど う し ま し よ う 」 になった。

161
と 、総 指 揮 官の潜水隊司令に聞きにきたのである。司 こ の 大 き な ミ ス が 、 ど の よ う な 結 果 と な る か 、戦争と
いうものは、な に が 不幸になるか、 なにが幸せになるか キサィトして、目ばかりギラギラさせている。

162
わからないものである。 「オ ー ヶ ー オ ー ヶ ー 」
艦 と の 連 絡 が と れ た 。 だが、 そ の あ と 、とんでもない
ことが起ころうとは、だれひとり夢想だにしていなかつ
三 た。
ヵールソン隊長は、 ゴムボートを椰子林の茂みのなか
にかくし、 これに歩哨を立て、 さっそくニコ中隊の再編
寄 襲 隊 を 乗 せ た ゴ ム ボ ートの一隊は、 まったく日本軍 成をおこなった。
に発見されず、 一発の銃声も聞こえぬうちに夜明けの海 こ こ ま で は 万 事 が う ま く ゆ き 、 奇 襲 作 戦 は 一 〇 〇 パー
を わ た り 、わが守備隊本部からニキロほどはなれたブタ セ ン ト 成 功 す る か に 見 え た 。 と こ ろ が 、 突 然 、 一発の銃
リタリ島中央部の南岸に、あいついで着いた。 声が夜明けの静けさを破った。
力 ー ル ソ ン 隊 長 も ぶ じ に 上 陸 し た 。 と き に 、 八月十七 「パーンーこ
日午前ニ時 1
231 を少しまわっていた。 するどい銃声が、 珊蝴礁の白い土をふむ足音にさえ気
13*
うねりが大きかったので、 ゴムボートは、うねりに乗 を つ け て い た 璧 ハ 隊 員 の 耳 を つ ん ざ い た 。興奮しすぎた
り 、 磯 波 に 乗 っ て 海 岸 に 乗 り 上 げ た 。 あまりうまくいっ 隊員の仕業である。
た の で 、 かえってまごまごするく らいで、 いうなれば、 全員、きりで脳天から突き刺され、土にぬいつけられ
波 が とどこおりなく運んでくれたょうなものだった。 たょうに立ちすくんだ。
携 帯 用 無 線 電 話 機 で 、沖に退避して待機する潜水艦と これで、 隠 密 裏 に 行 動 し ょ う と い う 、 力 ー ルソンの計画
連 絡 し た 。 未 知 の 戦 闘 を 目 前 に し た か れ ら は 、 異常にエ は、 無 残 に も 打 ち く だ か れ て し ま っ た 。
も は や 、 一刻の猶予もできない。 日本兵がとび出して 隊 員 は 、 ト ラ ッ ク 、 機 銃 車 、 自 転 車 な ど で 、 礁湖ぞい
くる前に、拠点だけは奪わねばならない。 に東進する。
ヵ ー ル ソ ン は 、 た だ ち に 第 一 中 隊 に た い し 、島を横ぎ 一方、 戦 闘 開 始 を 命 じ ら れ た 約 二 百 名 の 米 海 兵 隊 員 は
り、 礁湖にそった道路を占領するよう命じた。 黒 い まりのようになって突進した。 まもなく、礁湖に面
し た 道 路 が 、 一発も射たずに、 か れ ら の 手 に お ち た 。 そ
ちょうどそのころ、 現地人を妻にした南洋貿易のマキ して、 同 じ く 一発も射たないうちに、 政庁宿舎を 占 領 し
ン支 店 長 神 崎 長 次 郎 は 、 用 便 の た め 、钱橋の便所にいっ た。午 前 三 時 四 十 五 分 ご ろ で あ っ た 。
た 。 パーンという一発の銃声を不審に思っていたとき、 かけつけたわが守備隊は、 三時三十分ごろ、敵の散開
お な じ 銃 声 を 聞 い た 巡 査 (現 地 人 ) が か け つ け て 、 神 崎 線にたいし約七百メ — ト ル を へ だ て て 対 峙 し 、攻撃前進
に米軍の上陸を知らせた。 する。ブタリタリ島の中央部を横断する彼我の火線で、
神 崎 は 礁 湖 側 を 見 た が 、 そ の 気 配 は な い 。島の南岸に は げ し い 戦 闘 が 開 始 さ れ た 。米 海 兵 隊 は 、 はじめの散開
飛 ん で 行 っ て み た と き 、 そ の 事 実を確認し、すぐ自転車 線 を 固 守 して動かず、 わが守備隊は、椰子の木の根元に
で派遣隊本部に急報した。 身をかくしてジリジリと前進する。
金光兵曹長は、ただちに陸戦隊に出動を命令した。 お ある兵は、あらかじめ定められた配置の椰子の木の樹
っ と り 刀 で 兵 舎 を と び だ し た た め 、 隊 員 の 服 装 は まちま 上 か ら 狙 撃 し 、他 の 兵 は 、右翼 の 密 林 か ら 火 焰 放 射 の 好
ち で 、 の ち に 一 部 の 遺 体 の 確 認 が 困 難 と な っ た 。. 機をうかがった。
金 光 は 、敵 来 襲 の 第 一 電 を 発 し た 。 金光兵曹長は、 つぎの電報を発して戦況を報告した。
「発 第 二 十 六 警 備 隊 マ キ ン 派 遣 隊 指 揮 官 「ヮ レ 敵 ト 交 戦 中 0 三 五 〇 」

163
敵マキン上陸ノ報ヲ受ク0三 五
一」
こ こ マ キ ン の 密 林 は 、 二ュー ギ -
ーアやソロモンなどの 発 見 さ れ た と 思 う と 、 し ば っ て い た 口 ー プ を 、 パッと切

164
そ れ と は 違 う 。 椰 子 の 木 の 下 草 が 茂 っ て い る だ け で "昼 る。 た わ ん で い た ニ 本 の 木 が 、 サァッと音を立ててまっ
な お 暗 い " と い う ィ メージはない。 しかし、 下 草 は身丈 す ぐ に な る と 、 日 本 兵 は ど こ か に 消 え て し ま う 。 どちら
ほ ど も あ る の で 、 そ の 下 は 見 通 し が き か な い 。少ししゃ の 木 に い る の か 、 ど こ か へ 逃 げ て し ま っ た の か 、 まるで
が め ば 、 ほとんど見えなくなる。 ひょっこり茂みから出 わからない。
て 狙 撃 し 、 さ っ と 茂 み の な か に か く れ て し ま う 。 米兵は と も か く 、 この日本兵の 狙 撃 に は 、 かれらも手を焼い
茂 み に む か っ て め く ら め っ ぽ う 射 ち ま く り 、 日本兵を沈 た 。 だ か ら "二 度 と お な じ 手 は く わ ぬ " と 、 こ の あ と 、
黙させるのであった。 一 九 四 三 年 十 一 月 の タ ラ ヮ (ギ ル パ I ド諸島)攻撃から
三種軍装の暗緑色は、 日本兵にとってはまたとない保 は、 あ ら か じ め 、 椰 子 林 を 丸 坊 主 に な る ま で 焼 き は ら っ
護 色 と な っ た 。 米 兵 が 地 上 を う ろ つ く と こ ろ を 、 椰子の た。
木から狙い 射 ち す る 。雑兵は、あまり日本兵の興味をひ 力 — ルソン隊長は閉口して、潜水艦に艦砲射撃をたの
か な か っ た 。将校と携帯無線電話機をもった兵隊がくる んだ。 日 本 軍 の 集 結 地 点 に む か っ て 、 十二発の砲弾がつ
と 、射 っ た 。 将 校 だ と い う こ と は 、 服 装 だけではわかな ぎ つ ぎ に 飛 ん で き た 。 し か し 、 そ の 砲 撃 が う ま く 命中し
い。 兵 た ち に 指 図 す る 手 ぶ り を す る 者 は 、 た ち ど こ ろ に ているのかどうか、さっぱり海兵隊からいってこない。
狙 わ れ た 。ど こ か らともなく、銃 弾 が 飛 ん で く る 。 日 本 軍 の 妨 害 電 波 の た め に 、携帯無線電話はガァガァい
米 兵 は ま ず 、 この姿 な き 狙 撃 兵 と 戦 わ ね ば な ら な か つ うだけで、 まるで聞こえなかった。
た 。 機 銃 を む や み や た ら と ぶ つ 放 す 。 見 つ け る と 、 いつ だ が 、 い か に 日 本 軍 が 勇 敢 に 戦 っ た と し て も 、 兵力は
せいに射ちかける。 しかし、 ニ本の椰子の木のてっぺん 敵の三分の一以下であり、 しかも装備がひじょうに貧弱
を ロープ で し ば り 、 そ の 上 に ま た が っ て い る 日 本 兵 は 、 である。 しょせんは、 じりじりと押されざるを得ない。
「暗 号 書 2、 甲 、 乙 ノ ホ ヵ 焼 却 ス 〇 六 〇 0 」
そ の と き 、 "重 大 な ミ ス " で 、 別 の 方 に ま わ っ た ォ ス いよいよ、 弾 薬 が 欠 乏 し て き た 。 金 光 は本部に連絡し
力 ー ‘卩 ,ピ | ト ロ ス 海 兵 中 尉 の 指 揮 す る ゴ ム ボ ー ト の ようとしたが 、 その方法がなく、兵ニ名が小舟をあやつ
一隊が、 日 本 軍 戦 線 の 後 方 、 約 千 メ I トルに上陸し、 ォ って海上から本部にむかった。 しかし、 この兵たちも、
丨 ト バ ィ で 後 方 連 絡 に い っ た 日 本 兵 を 射 殺 し て 、 わが守 ついに力つきて沖へ流されていった。
いたるところで、 おそるべき地獄の光景が見られた。
備 隊 の 右 翼 後 方 に あ ら わ れ た 。 三倍以上の敵を正面にし
まっ白 な 島 の 土 は 、 み る み る 血 潮 で く ろ ず ん だ 。 だが、
て、悪 戦 苦 闘 し て い る 日 本 軍 の 、 しかもだれも見ていな
い背後である。 それでも日本兵はひるまない。米兵の進撃はくいとめら
これに気づいた金光指揮官は、 れ 、 日 本 兵 の 最 後 の 一 人 が 死 な な い か ぎ り 、前 進 で き な
「陸 戦 隊 ハ 包 囲 サ レ ル 0 五 三 0 」 かった。
と打電報告する。 こ う し て 日 本 軍 は 、刻 こくと全 滅 に 追 いつめられてい
日 本 軍 は 完 全 に 不 意 を つ か れ た 。 あ る 場 所 で は 、弾丸 った。
の つ づ く か ぎ り 射 ち ま く り 、銃 剣 と 海 軍 ナ ィ フ で 渡 り あ 激 闘 す で に 五 時 間 、戦 死 傷 者 が 続 出 し た 。 も は や 、 は
ぅ 場 面 も あ っ た 。白 兵 戦 で ニ 、 三人にとりかこまれ憤死 るかに優勢な敵を撃滅できないと判断した指揮官の金光
す る 日 本 兵 も い た 。 米 兵 が 、怖 じ 気 を ふ る ぅ ほ ど の 壮 烈 九三郎兵曹長は、 ついに最後の突撃を決意する。
な最後であった。 金 光 は 、伝 令 を 本 部に派遣し、最後の電報を警備隊司
そのころ、派遣隊本部には、 通信兵と主計兵数名がの 令に送った。
「全 員 従 容 ト シ テ 戦 死 ス 0 九 〇 五」

165
こっていた。指揮官の命令によって機密書類を処分し、
そして金光は、部下のうち十一名に右翼陣地の死守を
つぎの電報を発した。
命 じ 、 みずから軍刀を抜きはなち、 残りの兵の先頭にた ら な か っ た 。 そ の た め 前 面 か ら 射 撃 す る の は 、 日本軍と
って、 ひ し め く 米 兵 の ま ん 中 め が け て 突 撃 し た 。

1邸
ば か り 思 い こ ん で い た 。 こぅして友 軍 の 第 、
1 第二中隊
つ づ く 兵 た ち も 、 斜 め に 小 銃 を 敵 に 擬 し つ つ 、ありっ
にたいし、敵 と ま ち が え て 射 撃 を は じ め 、米海兵隊は味
たけの声と力をふりしぼって、猛然と突進した。
方 同 士 で は げ し い 射 ち あ い を 展 開 し た 。 し か も 、 それは
そこには、生も死もない。 ひたむきの敢闘精神が、 か ごていねいにも午後までつづいた。
れ ら の ロ か ら 、 目 か ら 、 炎 の ょ ぅ に ほ と ば し っ た 。 日本
こ の 状 況 を 、 茂 み に か く れ て 見 て い た 生 き 残 り の 日本
兵 は 、 珊 瑚 砂 と 死 骸をふみつけて、真一文字に米兵の銃 兵は、
ロの前におどりかかっていったのだ。 「あ あ 、 い い 気 味 だ !」
一瞬、 水 を 浴 び た ょ ぅ に な っ た 米 兵 は 、 無 我 夢 中 で 機 と 、 つぶやきながら、狙撃の好機の到来するのをひそ
銃 と 自 動 小 銃 の ひ き 金 を 引 い た 。あ ら ゆ る 銃 弾 が 、 果敢 かにまっていたのである。
に 突 撃 し て く る日本兵に集中する。敵の首級をあげる前
に、 た お れ る 者 が お お か っ た 。
この突撃で、 金光兵曹長以下 ふ き ん に い た 日 本 兵 は 、 四
一人のこらず壮烈な最後をとげた。
しかし、 生 き の こ っ た数名の日本兵は、茂みにひそん
で、 あ る い は 、 椰 子 の 木 の 梢 に か く れ て 狙 撃 を つ づ け 、 この八月十七日の早朝、 マ キ ン 派 遣 隊 指 揮 官 か ら 「

なおも米軍の進撃をはばんだ。 来襲」 の飛電をぅけた上級司令部と友軍部隊は、予想外
一方、 ピ ー ト ロ ス 中 尉 の 一 隊 は 、 密 林 に 視 界 を さ え ぎ のことに驚いたが、 ただちにその対策をこぅじた。
られて、米軍の挾撃にあって壊滅した金光隊のことを知 内南洋部隊指 揮 官 の 井 上 成 美 中 将 は 、第 十 九 航 空 隊 ^
全力をもってマキン来襲の敵艦艇と上陸部隊の攻撃を命 た が 、 生 き の こ っ て い た 日 本 兵 は 、 翼 に え が か れ た 「目
ず る と と も に 、第 六 根 拠 地 部 隊 に 艦 艇 と 陸 戦 兵 力 の マ キ の丸」 の 標 識 を 見 て 、 ど ん な に 喜 ん だ で あ ろ うか 。
ン増援を下令した。 米 潜 水 艦 『ノ ー チ ラ ス 』 と 『ア ル ゴ ノ ー ト 』 は、 飛行一
こぅして、 つぎのよぅな増 援 計 画 が 準 備 さ れ た 。 機を見る と あ わ て て 潜 航 し た 。午 後 いっばい、 と うと?
もぐったままで、姿を海面にあらわさなかった。
第一次増援
統 隊 お よ び 機 銃 隊 各 ニ 小 隊 、速射砲ニ門を大同丸によ 日本機の空襲のあいまをぬって、密 林 や 椰 子 林 に か く
り、 第 六 十 五 駆 潜 艇 隊 そ の 他 の 護 衛 の も と に 、 二十日午 れた日本の狙撃兵を発見し、 これをせん滅することは困
後 一 時 、 マキン礁湖に進入上陸させる。 難だった。
第二次増援 そこでヵールソン隊長は、 日本兵が追跡してくれば、
卜えって目標がはっきりして戦いやすいと判断し、部 隊
第 一 次 と ほ ぽ 同 兵 力 を 、 『常 磐 』 艦 長 の 指 揮 下 に 、 ニ
を北東方に後退させて、広びろとした地区に移動した。
十 一 日 午 後 一 時 マ キ ン 着 、常 磐 陸 戦 隊 と と も に 、上陸さ
せる。 だが、 日本兵はこの手にのらなかった。
第三次増援 "所 期 の 目 的 " を 達 成 し た 米 奇 襲 部 隊 は 、 午 後 四 時 ま
連 合 陸 戦 隊 を 、 第 二 十 七 駆 逐 隊 (第 二 小 隊 欠 ) と 第 三 でに潜水艦に撤退することとなっていた。
十六号哨戒艇で急速輸送、 二十一日ごろマキンに上陸さ 午 後 ニ 時 、 ヵールソン隊長は、そろそろひきあげろと
せる。 命 令 し た 。撤 退 は 、満潮時の夜間におこなうょう計画さ
れ て いたので、潜水艦は海岸に接近していた。
十七日、 日本軍の飛行機が三回にわたってマキンに飛 砲火の交換は、 ほとんどたえていた。 日 本 兵 は ど こ に 耵
来 し た 。勇敢な金光兵曹長らはすでに戦死したあとだつ もぐったのか、 まったく姿を見せない。全部死んだのだ
ろうか? べき磯波との格闘である。
米 軍 の ほ う は 、意 気 軒 昂 に ほ ど 遠 か っ た 。 終 日 に わ た


装 備を海に流し、 ニンジンをはずして海に捨てたが、
る も の すごい戦闘で、数 に も の を い わ せ て 、勝つには勝
なんの役にもたたなかった。死にものぐるいになってボ
ったが、 予 想 外 の 日 本 兵 の 敢 闘 に 魂 を ひ き ぬ か れ た よ う 丨 ト をこぎ、 泳 ぎ な が ら ボ ー ト を ひ い て み た が 、 うまく
だった。だから、 ひきあげを命ぜられたときの米兵の気 、か .^、。
持 は 、勝 利 者 の ひ き あ げ と は ま る で ち が っ て い た 。 か ろ う じ て 、 とくべつ幸 運 な 連 中 の 五 十 三 名 だ け が 、
「午 後 四 時 に 海 岸 に 集 ま れ 」 つまり、 ボ I ト に し て 四 隻 が 『ノ I チ ラ ス 』 へ、 三 隻
と い わ れ て 集 ま っ て き た 米 兵 た ち は 、 へとへとになっ が 、 『ア ル ゴ ノ ー ト 』 に た ど り つ い た 。 と り 残 さ れ た 百
ていた。 二 十 名 の 奇 襲 隊 員 は 、 雨 の ふ る 海 岸 で 終 夜 、立 ち つ く し
ち ょ う ど 満 潮 だ っ た の で 、潜 水 艦 は じ ゅうぶん岸まで ていた。 武 器 も な く 、 服 装 も な か ば う し な い 、疲 れ 切

-9
近よっている。 ていた。
ゴ ム ボ ー ト を 茂 み の な か か ら 引 き 出 し て 、 海に浮かべ
る の だ が 、 そ れ が な か な か 思 う よ う に な ら な い 。疲 れ き 敵地にのこされた百二十名に、
っていたせいもある。

潜 水 艦 は 、 生 存 者 全 部 が 帰 艦 す る ま で 、無期限に待っ
上 陸 の と き 、 ひ じ ょ う に 幸 い し た 磯 波 に 、帰 り は さ ん ている。 ただし敵飛行機がきたら潜航するかもしれない
ざんにほんろうされて、 ボートは横倒しになって浜辺に が 、 それは、けっして戦友をおいてきぼりにして帰った
逆 戻 り し た 。 二ンジンはかからず、 ボートはつぎつぎに わけではなく、安心してしばらくがんばれ」
転覆し、隊員と装備は海中にほうり出されてしまった。 とつたえさせるため、 死ぬ思いで帰還したばかりの海
疲 れ 切 っ た 身 体 と 打 ち の め さ れ た 心 で 、 こんどはおそる 兵隊員のなかから志願者がつのられた。 五人の隊員が勇
敢 に 進 み で た 。軍 曹 二 人 と 兵 三 人 で あ る 。 たならば、彼は司令塔のハッチをしめられて艦内にはい
艦内で武器を集めた。帰艦者はほとんどが銃火器類を れず、海のなかを泳ぎまわっていなければならなかった
捨 て て き て い た の で 、 集 め る の に 一 騷 ぎ が あ っ た 。 ボー であろう。
ト は 、 さ い わ い 『ア ル ゴ ノ ー ト 』 が 予 備 を 積 ん で い た 。 潜 水 艦 の ほ う は あ や う く 助 か っ た が 、 五勇士を乗せた一
五 人 の 勇 士 が そ れ に 乗 っ て 、 マキンにとってかえしたの ゴムボートは猛烈な機銃掃射をうけた。 五人のうち四人
は、 翌 朝 の こ と で あ る 。 ま で 銃 撃 で や ら れ 、 生 き の こ っ た 一 人 が 、 力 ー ルソンに
夜が明けるころ、総指揮官へインズから力ールソン隊 へィンズ の 言 葉 を つ た え た 。
長 あ て の 伝 言 を も っ た ゴ ム ボ ートが出発したとほとんど 二 日 目 (十 八 日 ) の 夜 に な っ て 、 そ の 朝 、 日 本 機 の 来
同時に、陸岸から四隻のボートが待ちかねたよぅに潜水 襲 に お ど ろ い て 潜 航 し た 米 潜 水 艦 ニ 隻 が 、 また浮上して
艦めがけて進んできた。 島に近づいた。
その四隻から、米兵たちが潜水艦に助けあげられ、 い す る と 、陸 上 の ヵ ー ル ソンから、 礁 湖 の 入 口 の 方 に き
よいよ最後の一人が司令塔のハッチをぬけて艦内に入ろ て く れ 、 と い う 通 信 が き た 。 力 ー ル ソ ン と し て は 、 その
ぅ と し た と き 、 日 本 軍 の 飛 行 機 が あ ら わ れ 、 猛然と突っ ほうがゴムボー ト の 往 復 に 都 合 が ょくなる、と い う つ も
こんできた。 りだった。
「急 速 潜 航 、 急 げ ! 」 しかし、潜 水 隊 司 令 へ ィ ンズはそうは考えなかった。
なにもかも放り出して、潜水艦はあわてて潜航する。 航 空 写 真 偵 察 に ょ れ ば 、礁 湖 の 入口には、どうも日本軍
最 後 の 一 人 が 転 が る よ う に 艦 内 に は い っ て き た 。 ほっと の野砲がおいてあるらしい。
したその顔を見ると、なんとこれがルーズべルト大統領 「さ て は 、 ジ ャ ッ プ の や つ ら め 、 力 ー ル ソ ン を 捕 虜 に し

169
の長男だった。もしも日本機が十五秒早くあらわれてい て、 そ う い わ せ た の だ ろ う 」
そ れ な ら は 、 こ ち ら に も 手 が あ る 。 ま す 、 カールソン 私は、現在マキン島にいる米軍部隊の一人です。

179
が 本 物 か 、 に せ 者 で あ る か を 確 か め よ ぅ 。 ふとヘィンズ わ れ わ れ の 損 害 は 大 き く 、 われわれは流血と爆撃の
は、 先 夜 カ ー ル ソ ン と 艦 内 で 世 間 話 を し た こ と を 思 い 出 終止を希望する。
した。 われわれは、軍法の規則にしたがって降伏し、捕虜
「オ レ ノ オ ヤ ジ ノ 後 任 ハ ダ レ ダ ッ タ カ ?」 と し て 待 遇 さ れ る こ と を 、希 望 す る と と も に 、 わが軍
と 、発光信号でやった。すると、 まもなく、 の戦死者を埋葬し、負傷者の手当てをしたいと思いま
「ホ ゥ キ 」 す0
と 、 力 ー ル ソ ン か ら 返 事 が き た 。 よし、 これなら間違 こ の 島 に と り 残 さ れ て い る 約 六 十 名 の 全 員 が 、降 伏
い な い 。 司 令 の オ ヤ ジ の 後 任 者 は 、 「ホ ゥ キ 」 と い ぅ あ することに決めました。
だ名の男だったからである。 私 は 、今 後 の 流 血 と 爆 撃 を 避 け る た め 、 できるだけ,
すみやかに貴官と会見することを希望します。
これよりさき、 十 八 日 午 後 、妙 な 事 件 が 起 こ っ た 。 米海兵大尉
す っ か り お い て き ぼ り に さ れ た と 思 い 、 わが守備隊の ラ ル フ 參 ;
!: . コ イ テ
勇 戦 敢 闘 と 航 空 機 の 銃 爆 撃 に よ っ て 怖 じ 気 づ き 、 まった マキン島日本軍指揮官殿
く戦意をうしなった大尉を指揮官とする約六十名の米海
兵 隊 員 は 、 つぎの降伏文書を作成して日本軍をさがしま この降伏文書を託された テ ラ イ レキ (ブ タ リ タ リ 島 中
わ っ た 。 し か し 、 日 本 軍 の 姿 は 見 え な い 。 そ こ で 、 この 央 部 の 北 東 方 約 ニ キ ロ )に 住 む ス イ ス 人 の ト レ ー ラ ー (個
文書を日本軍指揮官に提出するよう島民に託した。 人 で 商 売 し て い る 者 )も 日 本 軍 を さ が し た が 、つ い に 見 つ
け る こ と が で き な か っ た 。 こ の 文 書 が あ て ら れ た 「マ午
ン島日本軍指揮官」 海軍兵曹長金光九三郎をはじめ、 わ 米海兵隊
が 守 備 隊 の 大 部 分 は 、 す で に 前 日 の 戦 闘 で 散 華 し 、 生き 人 的 損 害 戦 死 十 八 、行 方 不明十二、収 容 時 の 溺
死 七 、負傷十四
のこった兵は、 マキン環礁の北部の小島に避退していた
からである。 遺棄した装備品小銃、
自動小銃、
拳 銃 、機 関 銃 、
それはともかく、十 八 日 夜 、 ヵールソン隊長の要求に 手 榴 弾 、 ガスマスクなど多数
よっ て 、 ニ 隻 の 潜 水 艦 は 礁 湖 の 入 口 に 到 着 し た 。 米海兵 日本軍
隊の残留者は、 四隻のゴムボートをブタリタリ島の南岸 人 的 損 害 戦 死 四 十 三 、 行 方 不 明 三 (生 存 者 守
か ら か つ い で 礁 湖 の 静 か な 海 面 に ぅ つ し 、 これらのボー 備 隊 員十 八 、 航 空 基 地 員 三 、
気 象 観 測 員 四、 通 訳
ト と 、原住民から借りた一隻の カ ヌ ー によって、同夜、 ニ、 計 二 十 七 )
政庁棧橋ふきんから礁湖をわたって潜水艦にたどりつい 物 的 損 害 揮 発 油 (ド ラ ム カ ン )二 百 五 十 、 燃 料 補
た。 給 艇 一 隻 、 棧 橋 一 、 野 外 天 幕 二 十 組 、 オー トバイ
このとき、 と り こ ぼ さ れ た 九 名 の 米 兵 は 、南 洋 貿 易 棧 一、 丁 訄 移 動 電 信 機 ニ 、 糧 食 百 人 一 力 月 分
橋 に つ な い で あ っ た 一 隻 の カ ヌ ー 「カ リ ア .マキ ン 」 号
に よ っ て 脱 出 を は か っ た が 、十 八 日 夜 、 ブ タ リタリ島西
方 の 珊 瑚 礁 に 乗 り あ げ て 帰 艦 で き ず 、 島 の 西 端 の フリン 五
ク .ポ イ ン ト に は い あ が っ た 。 ち な み に 、 こ の 九 名 は 、
のちに日本軍に捕えられた。
マキンにおける二日間の戦闘による両軍の損害は、 つ 八月十八日早朝、 マ キ ン 偵 察 の た め に 発 進 し た 第 十 九 ”
ぎのとおりであった。 航空隊の水上機は、ブタリタリ島の西端に集結中の日本
兵十一名と連絡をとることができ、 十 八 日 早 朝 に トラックを出 港し、谷浦大尉のひきいる
「マ キ ン 二 敵 兵 ナ シ 、 陸 戦 隊 約 十 一 名 健 在 」 ニ コ 小 隊 を 輸 送 し た 第 ニ 十 七 駆 逐 隊 ハ 駆 逐 艦 ヨ 時 雨 ^^白 ”
と 報 告 し た 。 だ が 、実 際 は 、 ま だ 数 十 名 の 米 兵 が 島 の 露 』)は、 ニ 十 一 日 午 前 十 時 十 五 分 、 礁 湖 ょ り 上 陸 を は じ
中央部にとりのこされていた。 め る 。 そ の 直 後 に 、 大 同 丸 は 礁 湖 に は い り 、森本大 尉 の
生存者の収容にむかった日本の飛行艇が機銃掃射をう 指揮する陸戦隊は午前十時三十分、政庁棧橋に揚陸し、
け、 敵 潜 水 艦 は い ぜ ん と し て 、 ふきんに行動していたの 前 日 に 空 輸 さ れ た 一小 隊 も 指 揮 し て 水 上 基 地 と そ の ふ き
で、 予 定 ど お り 増 援 陸 戦 隊 の 派 遣 準 備 を い そ い だ 。 ん一帯を確保した。
この陸 戦 隊 は 、第 六 十 五 駆 潜 艇 隊 の 護 衛 の も と に 、十 現地で作戦を指導するため大同丸で派遣された第六根
九 日 朝 、大同丸でャルートを出発してマキンにむかった 拠地隊戦務参謀木下甫少佐は、 「
敵来襲」 を最初に守備
が 、上陸はどうしても二十一日になりそうであった。そ 隊 本 部 に 急 報 し た 神 崎 長 次 郎 や 島 民 な ど か ら 、 マキンの
れでは、 マキンの生存者を見殺しにするおそれがあり、 戦 闘 状 況 に つ い て 聞 い た 。 そのとき、島民から 十 八 日 に
一日も早く同島を確保するため、 これとは別に、 重武装 託 さ れ た 米 海 兵 隊の降伏文書をぅけとり、 この米軍部隊
のーコ小隊三十五名を、大型飛行艇ニ機で急派すること は 十 八 日 夜 に 撤 収 し た ことを知 っ た 。
になった。 この降伏文書を手にした木下は、 まだなまなましい戦
こ の 空 輸 さ れ た 陸 戦 隊 は 、 二 十 日 午 前 九 時 十 分 、 マキ いの跡にたたずみ、祖国のために南海の孤島の土と化し
ン礁湖から上陸、水上基地ふきんを確保し、 た金光兵曹長ら守備隊員の英霊をとむらい、 その冥福を
「付 近 -
一敵影ヲ見ズ」 心から祈ったのである。
と 報 告 し た 。米 兵は、すでに十八日夜に撤退していた そして、死してなお敵に降伏状を書かせたかれらの武
ので、 も ぬ け の 殼 に な つ て い た わ け で あ る 。 勇をたたえるとき、思わず熱いものがこみあげてくるの
であった。 い つ い で 敵 手 に 落 ち て い っ た 。 こ の 文 書 は 、 い わ ば "降
十八日に第三十六号哨戒艇でトラックを出発した谷浦 伏 未 遂 " のものであり、単に一葉の紙片にすぎないにし
隊 (ニ コ 小 隊 欠 )は、 二 十 二 日 に マ キ ン に 到 着 し 、 森 本 隊 ても、敵 が 太 平 洋 の 反 攻 作 戦 で の こ し た た だ 一 つ の 降 伏
は ニ コ 小 隊 を の こ し て 原 隊 に 復 帰 し た 。 この隊 を も あ わ 状 で あ る 。 それは、 マキン守備隊の敢闘を如実に物語る
せ て 指 揮 し た 谷 本 大 尉 は 、島 内 の 掃 討 と 両 軍 戦 死 者 の 収 資料といえよう
容をおこなった。 そ の 当 時 、 アメリヵ側 は 、 マ キ ン 奇襲作戦にかんし、
二十三日、陸戦隊はブタリタリ島の東部、 タ マィア
-1 『ア メ リ ヵ 海 軍 は 日 本 兵 三 百 名 を 殲 滅 し た 』 と か 、 『飛
キの密林にひそんでいた米海兵隊員九名を捕虜とした。 行 機 百 余 機 を 撃 破 し 、輸 送 船 を 爆 沈 し た 』などと宣伝し
そ のころ、 九名 の 隊 員 を マ キ ン 島 に お き ざ り に し 、多 ていた。 これにたいして、 わが国の新聞は、さかんに反
数 の 戦 友 の 遺 体 と 大 量 の 兵 器 、装備品を遺棄し、あげく 論した。 たとえば、 昭和十七年九月二十七日の朝日新聞
のはては降伏文書までものこして、第二海兵奇襲大隊を は、
のせたニ隻の米潜水艦は、足どりも重く真珠湾への帰路
をとぽとぽと進んでいた。 米国製マキン大勝を暴く
ち な み に 、 コィテ 海 兵 大 尉 の 降 伏 文 書 は 、 横 け い の ザ 置 土 産 の 兵 器 、降伏状
ラ紙に鉛筆で書いたものだった。 敗走ひた隠し、 呆れた逆宣伝
前 線 の 部 隊 か ら 東 京 の 軍 令 部 に と ど け ら れ 、筆者がこ
れを見たのは昭和十七年九月はじめであった。 という見出しで、 つぎのようにきめつけている。
米軍の対日反攻作戦の開始いらい、戦略上の要点であ 『—— 事実とはまったく反対のことを米国本国はもとよ

173
る太平洋の島々は、 わが守備部隊の勇戦もむなしく、あ り図々しくも全世界に宣伝して、米国の全面的敗戦を糊
塗 せ ん と 躍 起 に な っ て い る と き 、 このほど海軍省へマキ の 著 書 『太 平 洋 海 戦 史 』 の な か で 、 つ ぎ の よ う に の ベ て

174
ンにおける敵米軍の敗戦を何ょりも雄弁に物語る数々の いる。
米 軍兵器の戦利品、さらにご丁寧に敵の降伏状までもと 『I マキン作戦は、戦 略 上 か ら 見 れ ば 失 敗 で あ っ た 。
ど い て 、 米 国 躍 起 の "マ キ ン 大 勝 " の デ マ 宣 伝 が 白 日 の と い うのは、 日本軍はガダルカナルから誘出されなかっ
も と に さ ら さ れ 、 アメリヵ当局のする宣伝の実体がいか た ば か り で な く 、 ギ ル パ — ト方面、と く に タ ラ ヮ を 厳重
なるものであるかを露呈した』 に 防 備 し は じ め た か ら で あ る 。 そ し て 、 これが一年ちょ
っと後になって、攻 略 に あ た っ た 米 軍 に 多 大 の 犠 牲 を 払
米 軍 に と っ て 、 マキン作戦は成功であったのか? つ わせる結果となった」
ま り 、 ガ ダ ル ヵ ナ ル 作 戦 を 間 接 的 に 支 援 す る た め 、 日本 たしかに、 日本軍は米軍のマキン奇襲に刺激されて、
軍 を そ れ 以 外 の 方 面 に 誘 出 す る 陽 動 作 戦 の 目 的 は 、計画 ギ ル バ ー ト 諸 島 の 防 備 を 急 速 に 強 化 す る こ と と した。
どおり達成されたか? マキ ン の 硝 煙 ま だ 消 え や ら ぬ 昭 和 十 七 年 九 月 は じ め 、
モ リ ソ ン 博 士 は 、 そ の 著 書 『米 海 軍 諸 作 戦 史 』 のなか
海軍中佐松尾景輔のひきいる横須賀特別陸戦隊と工作隊
で、 約 千 五 百 名 が 、 ギ ル バ ー ト 諸 島 に 急 派 さ れ 、 マ ー シャル
『I こ の 奇 襲 は 、 き わ め て 愚 か な 行 動 で あ っ た 。 これ 方 面 防 備 部 隊 指 揮 官 の 指 揮 下 に お か れ た 。 そ し て 、 九月

かため日本軍を刺激してギルバート諸島の防備を強化せ 中 旬 、第 六 十 六 警 備 隊 と 呼 称 し 、 その兵力の三分の一を
し め 、 ひいては、 後 日 こ れ を 占 領 す る の に 米 軍 の 犠 牲 が
マキ ン に 、 残 り の 主 力 は タ ラ ヮ を 守 備 す る こ と と な る 。
余りにも大きかった』 この両島の防備施設も急速に強化された。
と、評価している。 こうした強化とともに、 ギルバ I ト諸島の各島を調査
また、 当の米太平洋艦隊司令長官二ミッツ提督は、そ した結果、英 米 の 諜 報 機 関 が あることがわかったので、
同 年 九 月 下 旬 、 ア パ マ マ を は じ め 、 ク リ ア 、 マイアナ、 は 、 七 .七 ミ リ 機 銃 六 、 十 三 ミ リ 連 装 機 銃 ニ 、 八 セ ン チ
ア パ イ ア ン 、 ノ ヌ チ、 ベ ル な ど の 島 々 を 掃 討 し 、 豪 州 の 砲 六 、七十ミリ速射砲三、 三十七ミリ野砲六であった。
派遣した見張員や宣教師など数名を捕えてタラヮに連行 これに対して、米 軍 地 上部隊は、有力な艦隊に支援さ
す る 。 これにょって、 ギルバート諸島における英米の諜 れ た ラ ル フ ,ス ミ ス 中 将 の ひ き い る 第 二 十 七 歩 兵 師 団 の
報網は絶滅するにいたった。 六千五百人。 むろん師団だから、戦車大隊もあれば工兵
そ の こ ろ 、 連 合 艦 隊 は 、 駆 逐 艦 ニ 隻 を 派 遣 し て 、 ナウ 連隊も配属されていた。
ル 、 オー シャン両島を占領する。 艦砲の掩護射撃と空母機にょる爆撃は適切に行なわれ
昭 和 十 八 年 二 月 、 ギ ル バ ー ト 諸 島 と ナ ウ ル 、 オーシャ たので、予定された上陸は、 わずかな抵抗を受けたにす
ン両島を防備担任地域とする第三特別根拠地隊が新設さ ぎ な か っ た 。 だが、 ひ と たび上陸するや、 部隊の動きは
れる。 ぱったりゆきづまってしまった。
ついで七月には、佐世保特別陸戦隊がタラヮに増派さ 数 名 の 狙 撃 兵 、 ま た は 、 一、 ニ 梃 の 機 銃 の た め に 、 数
れ 、 この島の守備兵力は約三千名となった。 時 間 に わ た っ て そ の 前 進 が は ば ま れ 、 あ る い は 、 動くも
そ れ か ら 四 力 月 後 の 十 一 月 二 十 日 、中部太平洋方面か の、 音 を 立 て る も の に は 、 な ん で も 神 経 過 敏 に な っ て 射
ら す る 本 格 的 な 対 日 反 攻 の 第 一 歩 と し て 、 米軍がマキン 撃 し 、 夜 間 に そ の 陣 地 を 放 棄 す る こ と は 、 あえて驚くに
とタラワに来攻する。 足らないことだった。
こ ぅ し て 、 「マ キ ン の 攻 略 は 一 日 で 足 り る 」 と 見 ら れ
マキン島の日本軍守備隊は、 石川誠三海軍中尉指揮下 ていたが、実 際 は そ ぅ で は な か っ た 。 米 軍 上 陸 部 隊 は 、
の七百九十八人。 そ の う ち 、陸 戦 隊 は 二 百 四 十 八 人 、残 一日でこの島 の 日 本 兵 を 掃 討 で き ず 、 日 本 軍 を そ の 主 防

175
りは航空基地要員百十人、あとは設営隊員だった。装備 御 地 区 か ら 駆 逐 す る の に 二 日 間 か か り 、 ブタリタリ島の
"金 槌 の 柄 " の 部 分 に 圧 迫 す る の に 、 さ ら に 二 日 間 か か

176
づた。 つ ま り 、 四 日 間 か か っ て 、 や っ と 攻 略 し た の で あ
る。
し か も 、 日 本 軍 の 損 害 六 百 九 十 三 人 に た い し て 、 第二
十 七 師 団 は 二 百 十 六 人 (戦 死 六 十 四 、 負 傷 者 百 五 十 二 )
を 数 え た 。 も し 、 十 一 月 二 十 四 日 朝 、 マキン島の南西約
二十マイルで、 わが伊一七五潜水艦の魚雷にょって沈没
し た 護 衛 空 母 『リ ス コ ム .ベ イ 』 の 損 害 、 戦 死 六 百 四 十
四人 を 加 え る な ら ば 、 マキン戦の米軍損失は日本側を上
ま わ る こととな る 。
こ の 『リ ス コ ム .ベ イ 』 は 別 に し て も 、 米 兵 対 日 本 軍
戦 闘 員 の 比 率 が 二 十 三 対 一 で あ り 、 しかも島内防備はた
いしたものではないのに、攻略に四日間もかかるとは何
# だ ! と 、 かんかんになって怒った攻略部隊総指揮官
ホ ラ ン ド .ス ミ ス 海丘ハ少将は、
「腹 立 た し い ほ ど の ス ロ ー モ — だ ! 」
と 、第二十七師団長 の 用 兵 ぶ り を 酷 評 し た 。
こ の 酷 評 を 裏 か ら 見 れ ば 、 マ キ ン の 日 本 軍 が 、 いか に
ょく戦ったかを証明しているのである。
有馬正文 (第 二 十 六 航 空 戦 隊 司 令 官 )
「お や 、 あ な た 、 い つ お 帰 り に な っ た ん で す か 」

178
文 子 は 、 お ど ろ き の 目 を み は り な が ら 、 ふと有馬の足
もとをみた。 かたっぽの足袋のこはぜがひとつかかって
いない。
「あ れ 、 あ な た の 足 袋 は 、 ま た 、 こ は ぜ が か か っ て い ま
妻の文子は、第二十六航空戦隊司令官として出征中の せんのね」
夫 、有 馬 正 文 海 軍 少 将 の 身 を 案 じ な が ら 、神奈川県逗子 文 子 は 、 しゃがみこんで、足袋のこはぜをかけてやっ
鲁桜山の留守宅をまもっていた。 た。
米軍がフィリピンのレイテ島に反攻上陸した昭和十九 有馬は微笑をうかべ、
年十月二十日の未明のことだった。 「や っ ぱ り 奥 さ ん は 、 ょ か 人 を も ら う も ん だ ね 」
文子は、郷里の鹿児島県伊集院の大字猪鹿倉にある熊 といいながら、参道の石段をおりていった。
野 神 社 の な だ ら か な 石 段 の 参 道 に 、 ただひとり立ってい と た ん に 、文 子 の 夢 は や ぶ れ た 。
た 。文 子 は お さ な い こ ろ 、 両 親 と と も に こ の ち か く に 住 「あ あ 、 い ま の は 夢 だ っ た の か !」
んでいたことがある。神社の境 内 は 、 そのころとすこし 文 子 は 、起 き あ が っ て 時 計 を み た 。 まだ、午前四時で
も か わ っ て い な い 。 櫟 の 大 木 と 杉の老樹にかこまれ、苔 あ る 。 だ が 、 目 が さ え て 、 も う 眠 れ そ う に な い 。 それに
のむした、さびたすがたである。 な ん と な く 不 吉 な こ と が あ る の で は な か ろ う か 、という
突 然 、文 子 の 目 の ま え に 、結 婚 し た と き に 新 調 し た 大 予感がした。
島に 袴 を つ け 、 にこにこ笑いながら石段をゆっくりおり 文 子はじっとしていられなかった。 胸さわぎをしずめ
てくる有馬の姿があらわれた。 るため風呂場へいき、思いきり水をじゃあじゃあだして
洗濯をはじめた。 「お 嬢 さ ま 、 た だ い ま 旦 那 さ ま と 同 期 の 上 阪 様 が お み え
やがて、親しくしている近所に住む海軍士官の奥さん に な り 、 お 待 ち に な っ て い ま す ……」
た ち が 、文子を誘いにきた 。 三浦半島の三崎まで魚の買
出 し に いくことと な る 。 上 阪 は 、有 馬 が 第 二 十 六 航 空 戦 隊 司 令 官 に 転 じ て い っ
文 子 は 、 長 女 の 百 合 子 に 留 守 を た の ん で 、 昼食をすま たあと、 その後任として航空本部の教育部長になってい
せ て か ら 三 崎 に で か け た 。 文 子 ら は 三 崎 に つ き 、知り合 た。
いの浅野家をたずねた。 この家の主人は海軍少佐で、か 百 合 子 は 、なんとなく心臓の高鳴りをおぼえながら、
つて有馬の部下であった。時 計 の針は、午後三時をいく わが家へ急いだ。
らかまわつていた。 《上 阪 の お じ さ ま の と つ ぜ ん の 来 訪 ! ことによったら
父 は … …

-
そ の す こしまえ、有 馬 の 留 守 宅 に は 不 意 の 来 訪 者 が あ

V
ぅた。 有 馬 と 兵 学 校 同 期 の 上 阪 香 苗 少 将 で あ る 。 女 中 が 百合子は、応接間で待っている上阪にあいさっした。
玄関にでた。 「失 礼 い た し ま し た 。 母 は 、 お 昼 か ら 三 崎 へ ま い り ま し
「奥 様 は い ら っ し ゃ い ま す か 」 たので」
「お 昼 か ら 、 三 崎 に お 出 か け に な り ま し た 」 「そ う で す か 、 じ っ は 、 お 父 様 は 去 る 十 月 十 五 日 、 壮 烈

「お 嬢 さ ま は 」 な る 戦 死 を と げ ら れ ま し た 。特 攻 と し て 自 爆 さ れ た の で
「ち ょ っ と 近 所 ま で 、 お 使 い で す 。 す ぐ 、 お 呼 び し て ま す 。 き ょ う 午 後 五 時 の ラ ジ オ で 発 表 さ れ ま す の で 、 お知
い り ま す の で 、ど う ぞ お あ が り く だ さ い 」 ら せ に き ま し た .. 」
そ の と き 百 合 子 は 、 米 の 配 給 所 に で か け て い た 。 そこ 上 阪 は 、 有 馬 の 戦 死 の 状 況 を か い っ ま ん で 、 こうった

179
へ女中が飛んできた。 えたのであった。
百 合 子 は 、 こ の こ と を 母 に 急 報 す る た め 、 さっそく三 心情をさっするとき、どうしてもそれだけの勇気がでな
崎の浅野家に電話をかけた。

180
かった。
「こ ち ら は 逗 子 の 有 馬 で す が 、 母 が お 宅 に お じ ゃ ま し て 「有 馬 の 奥 さ ま ! お宅から電話ですのよ。 ご主人が、
いませんでしょうか」
流 れ だ ま で お 怪 我 な さ っ た ら し い の よ 。 す ぐ 、 お帰りく

有 馬 さ ん で す か 、 い ら っ し ゃ い ま す が … …」
だ さ い っ て ……」
そ の と き 、 お茶をいただいていた文子は、電話にでた と たんに、文 子は大きなショックをうけた。
浅野夫人の こ と ば な ど に よ っ て 、留守宅から自分あての 「流 れ だ ま っ !」
用件であると直感した。 も し も 、 そ う だ と し た ら 、 主 人 は う か ば れ な い 。 それ
「ま た 子 供 が 、 お な か で も こ わ し た の か し ら ?」 は、 主 人 に と っ て 、 あ ま り に も 気 の 毒 だ ! かわいそう
と思ったが、どうも浅野夫人の表情がただごとではな だ!

V 0
文 子 は 、 さ っ そ く 逗 子 行 き の バ ス に 乗 っ た 。 ほかの奧
「父 は 戦 死 し ま し た の で 、 す ぐ 帰 る よ う 母 に つ た え て く さんたちもいっしょに帰り、道すがら文子を慰めるので
ださい」 あった。
と い う 百 合 子 の 電 話 で 、浅野夫人の顔は蒼白になって 「ご 主 人 は 、 ち ょ っ と し た お 怪 我 で 、 よ う ご ざ い ま し た
しまつた0 ね」
夫 人 は 、 いつしゆん、とまどった。 「流 れ だ ま の お 怪 我 だ か ら 、 大 丈 夫 で す よ … …」
おたがいに武人の妻として、夫の戦死はかねて覚悟し だ が 、文 子 に は 、 そ う は 思 え な か っ た I どうも怪我
て い る 。 し か し 、 そ れ を 、 いま、 そ の ま ま つ た え て い い で は な さ そ う だ 。文 子 に は 、くるべきものがついにきた
ものだろうか? 夫 人 に は 、 それを知ったときの文子の ように感じられてならなかった。
いまは、車 窓 に う っ る 湘 南 の 秋 の 景 色 も 、 文子の目に 聞 く かもしれないと 思ったからである。 だが、浅野夫人
は は い ら な い 。 ふと、 け さ の な ん と な く 不 吉 な 夢 が 、文 は、 こ れ を 文 子 に つ た え な か っ た 。
子の脳裏によみがえる。 文子が逗子のわが家に帰ったときには、すでに五時を
戦 場 の 常 と し て 、 いつ、 い か な る こ と が あ る か も し れ すぎ 、有馬の戦死をラジオで知った近所の人びとが弔問
ぬ 。 ど う い う こ と で "犬 死 " す る か も し れ な い が 、 歴 史 にかけつけていた。
にその名をとどめず、知る人もなく散っていった数多く 「た だ い ま … … 」
の勇士のあることを記憶せよ1 と 、有 馬 が 書 き 送 っ た という母のことばを聞いて、百合子が走りでてきた。
.
いっかの手紙の文字が、文子の胸をっきさすように想い 「お と う ち ゃ ま 、 戦 死 ?」
出される。 文子は玄関に立ったまま、息をはずませてたずねた。
戦争が苛烈になるにつれて、 この有馬のことばは文子 「そ う ょ ! おとうちゃまは、飛行機で壮烈な戦死をな
の頭にこびりついていた。パスにゆられながら、 さ い ま し た .. 」
《ど う し て 、 主 人 は 死 ん だ の だ ろ う か ?

-
百 合 子 は 、上 阪 が 知 ら せ て く れ た こ と を 、 かいつまん.

V
八どの よ う な 死 に か た を し た の だ ろ う ? V で母に語った。
《思 わ ぬ 怪 我 で の 犬 死 は 、 あ ま り に も か わ い そ う だ 。 せ 「ょ か っ た わ ね え 」
めて、 り っ ぱ な 死 に か た を … … V と い うことばが、文子のロからきわめて自然にこぼれ
と、 ただそれだけが文子の胸にいっぱいだった。 でた。
百 合 子 は 、 さ き に 浅 野 夫 人 に 電 話 し た と き 、 父の戦死 文 子 は 、有 馬 が 死 所 を え た こ と に 、 ほ っ と し 、 なん と
がきょう午後五時のラジオで発表されることも知らせて なく、すくわれたょうな気持になった。主 人 の こ と だ か

181
お い た 。 母 が 、 家 に 帰 る と ち ゆ う の ど こ か で 、 ラジオを ら、 き っ と り っ ぱ な 戦 死 を と げ た に ち が い な い 。
有 馬 は 、 征 途 に の ぼ る と き の こ と ば に た が わ ず 、 ふた こ の 悲 願 達 成 の 決 意 を さ ら に 強 め た 機 縁 は 、有 馬 が 兵

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たび家に帰ってこなかった。たしかに、 けさの夢はただ 学 校 二 年 生 当 時 、 江 田島 を お と ず れ ら れ た 皇 太 子 裕 仁 親
の夢とはちがっていた。
王 —— 現 在 の 天 皇 —— を 、 ま の あ た り に 拝 し た ことだつ
あ の 人 は 、 郷 里 に 神 と し て 帰 っ た の で あ ろ う 。 そう思 た。 海 軍 生 徒 有 馬 正 文 は 、 そ の と き の 感 銘 の い っ た ん を
う と き 、文 子 は 粛 然 た る 気 持 で 、有 馬 が 家 を で る と き 最
ひそかに血書でしたためている。
後 に み あ げ た 神 棚 に 、 ふ る え る 手 で 灯 明 を あ げ 、 端然と
すわり主人の霊をとむらった。
誓ヒノ文
「お と う ち や ま 、 ご 苦 労 さ ま で し た .. I
皇太子殿下奉迎並-
一 奉 送 -当
1 リ微衷ヲ捧ゲ奉リマス
純忠無私ノ将校トナリ
明治天皇陛下ノ下シ給へル勒論ノ聖旨 副
11 ヒ 奉 リ
陛下ノ股肢タルノ務ヲ全ウシマス
感想文
有 馬 正 文 が 、尽忠至誠の軍人となり、従容として大義
神明ニ誓ヒ奉リマス
に つ く 境 地 に 到 達 す る こ と を 悲 願 と な し 、 こ れ を 終生の
楠公、 乃木将軍ノ如キ軍人トナリ、 日本国中 ノ 者 万
目 標 と し た の は 、 海 軍 兵 学 校 生 徒 の と き で あ っ た 。 日露 一-
一モ忠節ノ心ヲ失フ如キコトアルモ、私 人
I ハ
戦 争 に お け る 第 二 回 旅 順 港 口 閉 塞 隊 の 相 模 丸 指 揮 官 .湯 皇室ノ御為死ヌ迄尽シマス
浅竹次郎大尉の遺書をみて、 いたく感激したことが、 そ 若シ聊力二テモ忠節ノ心ヲ失フ コ ト アラバ、 此 ノ 生
の直接の動機であったという。 命ハナキモノトナシテ下サイ
ノ目標ヲ従容義ニ就クノ境地-
一到達センコトニ置キ" 以
その後の有馬は、 こうした求道に精進しつづけた。 そ テ今日-
一及ベリ。 而 モ 自 ラ 省 ミ 前 途 尚 極 メ テ 遼 遠 ナ ル ヲ
の一端を、彼の手記のなか に 見 出 す こ と が で き よ う 。 憶ユルー一、 節 ニ 死 ス ル ノ 日 目 前 ニ 迫 ル ヲ 感 ズ 。
太 平 洋 戦 争 さ な か の 昭 和 十 七 年 八 月 に 書 き は じ めた 、 残日齡, ナルヲ知ラネド、希クバ神明ノ加護ニ依リ現
有 馬 の 『従 容 録 』 の 巻 頭 に は 、 つ ぎ の よ う に し る さ れ て 世終息ノ瞬時、此 理 想実現ノ恩寵-
一浴セシメ給へト祈ル
いる。 切ナリ0
コ ト
昭和十七年八月一日
『1 日露戦役第二回閉塞隊相模丸指揮官湯浅竹次郎大 後輩有馬正文
尉ノ遺書ヲ見ルニ、
古人日へルアリ従容トシテ義ー一就クハ難シト。今 ャ 廿 従 容 ハ 衣 裳 ナ リ 。 義 ニ 就 ク ハ 実 体 ナ リ 。 故一一先ブ義ユ
有 余 ノ 勇 士 ト 此 難 事 ヲ 決 行 ス 。武 士 ノ 面 目 之 -
一過ギ 就 ク ノ エ 夫 ヲ 積 ム べ シ 。之ガ為メ義ノ何タルカヲ明ラ力
ズ 。 顧 レ バ 最 早 人 事 —於 テ 欠 ク ル 処 ナ シ 。 此 上 ハ 天 佑 ニスルヲ第一トス。
ヲ確信シ笑.
ヲ含ンデ死地一一投ズ。 義ノ何タ ル カ ヲ 明 ラ 力 ニ セ パ 、択 ン デ 之 ヲ 執 ル ヲ 要
愉快極リナシ。 ス0
明治三十七年五月一日 択ンデ執ラントスル-
一当リ、 之 ヲ 妨 害 ス ル モ ノ 死 ヨ リ
相模丸指揮官 甚シキハナシ。
海軍大尉湯浅竹次郎 吉田松陰先生日ク、
卜 0
義ハ勇二依ッテ行ハレ、勇ハ義二依ッテ長ズト。

183
余 兵 学 校 生 徒 時 代 、 本 書 ニ 接 シ 感 激 措 ク 能 ハ ズ 。 一生 義 ハ 山 岳 ヨ リ 重 ク死ハ鴻毛ヨリ軽シトハ、 生死ノ両頭
ヲ 截 断 ス ル モ ノ 義 ノ 他 -ア
1 ラザルヲ示スモノナリ。 あ る 。 だ が 、 こ の 方 面 に 敵 機 動 部 隊 が 行 動 し て い る こと

184
只義ニ之レ従フ。生死素ヨリ問フトコロ-
|アラズ。 之 は 確 か で あ り 、 い つ な ん ど き 敵 と 遭 遇 し 、 血 な ま ぐ さい
武 人 ノ 真 骨 頂 ナ リ ト 憶 ユ 。 .. 』 戦 闘 が は じ ま る か も し れ な い 。有 馬 は 、 艦 長 室 の 机 の 上
で、 静 か に 四 十 八 年 の 生 涯 を か え り み 、 そ の 心 境 の い っ
有 馬 が 『従 容 録 』 を 書 き は じ め た 八 月 一 日 は 、 米 軍 が たんを文字につづるのであった。
対 日 反 攻 の 第 一 歩 と し て 、 南 東 太 平 洋 の ソ 1モ ン 諸 島 の 『I 最近殊ノ外従容義ー 就
I クノ語ヲ愛ス。
一角、 ガ ダ ル カ ナ ル 島 に 来 攻 し た 一 週 間 前 で あ り 、 まさ 御勅論、義ハ泰山ヨリモ重ク死ハ鴻毛ヨリモ軽シトノ
に "ソ ロ モ ン の 死 闘 " の幕 が 切 っ て お と さ れ よ ぅ と し て 御言葉ナリ。
いた。 楠 公 伝 -ア
1 ラハルル、 両 頭 截 断 シ テ 剣
一天 -依
1 ッテ寒
そ の こ ろ 、 有 馬 が 艦 長 で あ っ た 航 空 母 艦 『翔 鶴 』 は、 シノ意ナリ。
南 雲 忠 一 中 将 の ひ き い る 第 三 艦 隊 の 旗 艦 と し て 、 他の諸 顧ル- 一、 平 素 /行 状 勉 励 - ハ
1 不 良 ノ モ ノ 極 メ テ 多 ク、
艦 と ともに瀬 戸 内 海 で は げ し い 訓 練 に 明 け 暮 れ て い た 。 之 ヲ 古 人 先 業 ノ 行 蹟 ニ照 ラ ス —、 全 ク ナ ッ テ 居 ラ ザ ル ヲ
そ し て 、 八 月 十 六 日、 ニ 力 月 前 に 惨 敗 し た ミ ッ ド ウ !I I 認ム。此ノ点 神 前 額 -1 .ツキ慚 愧 ス ル ト コ ロ ナ リ 』
海 戦 の 雪 辱 を 期 し て 広 島 湾 の 泊 地 を 出 撃 す る 。 八月二十 第 二 次 ソ ロ モ ン 海 戦 (一 七 .八 .ニ四) で は 、 わ が 小
四日、米空母 部 隊 と の あ い だ に 、第二次ソロモン海戦が 型 空 母 『龍 驥 』 は 沈 み 、 敵 空 母 ニ 隻 の ぅ ち 一隻 I 『工
くりひろげられようとしていた。 ンタープライズ』 I は 大 破 し た が 、 これに止 め を 刺 す
そ の 前 日 、 南 雲 部 隊 は 、 い よ い よ ソ &モン諸 島 の 北 方 ことができなかった。
約 三 百 カ イ リ に たっする。南太平洋のュメラルド色の海 この海戦後、 トラックに待機していた第三艦隊は、 ガ
原 は 、 はてしなく、 その海はおだやかで平和そのもので ダ ル カ ナ ル 作 戦 を 支 援 す る た め 、 同地を出撃してガダル
ヵナルの北方海面にむかぅ。 いて述べ、第 五 に 家 庭 を か え り み ず 家 族 に 対 し な す こ と
出 撃 の あ く る 日 、 十 月 十 一 日 の 夜 、有 馬 は 艦 長 室 に こ 足 ら ざ り し を 愧 じ 、 そ し て 最 後 に 、 『仏 教 は 無 我 で あ り
も り 、 「予 期 セ ラ ル ル 決 戦 ヲ 前 -
一、 思 出 ヲ 摘 記 セ パ 左 ノ 明 鏡 止 水 で あ る 』 と 断 じ 、 『七 生 報 国 』 の 決 意 を 新 た に
通」 としたためている。 して、筆 を 擱 い て い る 。
まず第一に、
『—— 分ハ幼少ノ時ヨリ仏縁ニ恵マレテ居タノデアル
111 ようやく戦 機 が熟し、十 月 二十六日、敵の有力な艦隊
ガ 、 安心決定ト云フ処ー 仲
I 々 到 達 シ 得 ナ ヵ ッ タ ガ 、 今度 と 交 戦 す る 。 有 馬 の 指 揮 す る 『翔 鶴 』 も 大 損 傷 を こ う む
第二次ソロモン海戦以後、 残年ヲ以テ念仏唱へント決心 った。 こ の 艦 は 損 傷 を 修 理 す る た め 、 十 一 月 二 日 、 トラ
ス ル -至
1 リ、漸 ク 光 明 ヲ 認 メ 心 安 ラ 力 -
一戦場-
一臨ムノ自 ックに、 つ い で 横 須 賀 に 回 航 し た 。
信ヲ得タ』 こうして有 馬 は 、 ふ た た び そ の 敷 居 を ま た ぐ ことを予
と述べ、 今 日 ま で 彼 を 導 い て く れ た 心 の 師 、 仏 典 、有 期 し て い な か っ た 逗 子 の 家 に 、 な ん の 予 報 も な く 、 ひょ
縁の人びとの名を書きつらねた。 っこり帰ってきた。彼 が 小 脇 に か か え た 風 呂 敷 包 に は 、
第 二 に 、兵学校二年生 当 時 を 回 顧 し て い る 。 破 損 し た 『翔 鶴 』 の デ ッ キ の 板 I 門 の 表 札 よ り 少 し 大
『I 皇太子殿下ノ行啓ヲ拝シ深ク決スル処アリ。私 -
一 き い ^ か*い っ ぱ い は い っ て い た 。
楠 公 -做
1 ハンコトヲ期シ、楠公ノ遺跡モ四回程訪ネタノ 文 子 に は 、有 馬の気持がよくわからなかった。
デ ア ル ガ 、今 日 到 底 及 バ ザ ル ヲ 悟 ッ テ 居 ル 。 素 ヨ リ 資 質 「こ の 板 は 、 ど う な さ る の で す か 」
ノ然ラシムル処デアルガ、根本的 ノ 悟 ニ 於 テ デ ァ ル 。 … 「戦 死 者 の 霊 を と む ら う た め 、 そ の 遺 族 に お く り た い の
…』 だ
が、
なん
と書
いた
らい
いだ
ろう
か」

185
第 三 に 東 郷 元 帥 の 景 仰 に つ い て 、第四に武道の妙につ 文 子 は 、戦 闘 が ひ じ ょ う に 壮 烈 で あ っ た と 聞 い て い た
ので、 昭 和 十 八 年 二 月 十 六 日 、 有 馬 は 『翔 鶴 』 艏 長 か ら 海 軍

186
「 "壮 烈 " は、 い か が で す か 」 航 空 本 部 の 教 育 部 長 に 転 勤 す る 。 そ し て 五 月 一 日 、 海軍
と 答 1た。 少将に進級した。
「う む 、 そ う し よ う 」 戦 局 は 、 日をおって、 い よ い よ 悪 化 の 途
I をたどって
有 馬 は 、 それに同意した。 ぃた。
そ れ か ら 、 彼 は 暇 さ え あ れ ば 書 斎 に ひ き こ も り 、 その 翌 十 九 年 三 月 十 五 日 、有 馬 は 、 海 軍 航 空 本 部 出 仕 と な
一 枚 一 枚 に 、 〃壮烈" の 二 字 を 全 精 魂 を か た む け て 墨 書 る。そのときには、 四月四日に編成される中部太平洋腾
するのであった。 隊の第二十六航空戦隊司令官に就任することが内定して
有 馬 は か ね て か ら 、字 の 下 手 な こ と を ひじょうに苦に ぃた。
していた。だが、 いまは上手下手は言っておられない。 有馬の後任には、兵学校同期の上阪香苗少将が、航空
真 心 こ め て 書 き 、書 い て は 戦 死 者 の 遺 族 に お く っ た 。 そ 本 部教育部長にまいもどってきた。 だから、事務のひき
の数は、 じつに百五十枚にものぼったという。 遺族から つぎはいたってかんたんであった。
は 、 家 宝 と し て の こ し た い と い う 感 謝 の 手 紙 が 、 つぎつ 上 阪は、出征する人に対しては、 ことさらに無造作な
ぎにとどけられた。 態度をとることにしていた。
「あ と を よ ろ し く お 願 I ます」
「し っ か り や っ て く れ 」
三 有馬と上阪は、た が い に こ と ば を か わ し て 立 ち あ が
り、 連 れ だ っ て ド ア の と こ ろ ま で い っ た 。
有 馬 は 、 ド ア を あ け て か ら 上 阪 を ふ り か え り 、 いまさ
らあらたまったょうな口調で、 「そ れ は 、 こ っ ち が 戦 場 に 経 験 あ る 貴 様 に 聞 き た い と こ
「な あ 上 阪 、 海 軍 の 陸 上 航 空 部 隊 は 、 敵 空 母 が わ が 攻 撃 ろだ」
圏 内 に 近接したときには、 これに片道攻撃の体当たりを す る と 有 馬 は 、真 剣 な 表 情 で つ ぎ の ょ う に 語 っ た 。
決 行 し て 、味方空母に協力する方法もあるのではないか 「俺 は 指 揮 官 の 強 い ほ う が 勝 つ と 思 う 。 指 揮 官 に 要 求 ?
ね」 れ る 智 ,仁 .勇 の 勇 は 、 お の れ の 信 ず る と こ ろ を 部 下 に
と、 ちょっと微笑しながらいった。 命 じ 、 その命令を実行させることである。支那事変のと
「う む 、 そ う い う 方 法 も あ る だ ろ う ね 」 き 、 奥 田 少 将 (喜 久 司 )は 、 転 任 の 通 知 が き て い た の に 、
上 阪 は こ う答えたが、その瞬間、有馬に自爆の意志が 周囲の空気に気がねして、 いかなくてもょいのに、 出撃
あ る -- と 、 ピ ン と く る も の が あ っ た の で 、 に同行して戦死した。
「し か し 、 そ れ は 軽 率 に は で き な い ね 」 指 揮 官 に 兵 術 眼 を 必 要 と す る こ と は む ろ ん だ が 、 その
と 、 つけくわえた。 第一は虚実を知ることだと思う。
有 馬 は 、出 発 ま で し ば ら く 暇 が あ っ た の で 、東京目黒 たとえば、空母は搭載機が艦から飛び上がれば実とな
の海軍大学校で兵書などの研究にふけっていた。 るがゝ発艦前は虚の虚であるりミッドゥヱー海戦ハ昭和
三月二十八日、 雨のふる肌寒い午後のことだった。 有 十 七 .六 .五 〜 六 ) の と き 、 四 航 戦 (第 四 航 空 戦 隊 の こ
馬は大学校内の海軍省別室に、兵学校同期の海軍省教育 と、 『龍 駿 』 『隼 騰 』、 角 田 同 令 官 )を 北 方 か ら 呼 び つ け た
局 長 .高 木 惣 吉 少 将 を た ず ね た 。 から、 しめた! これで勝ったと思ったら、 まもなく命
「有 馬 、 貴 様 は こ ん ど か わ る そ う だ ね 」 令 を と り 消 さ れ 残 念 だ っ た 。あ の と き 、南方の攻略部隊
「う む 、 そ う だ 。 あ い さ つ に き た ん だ よ 。 と こ ろ で 、 高 に い た 『瑞 鳳 』 を 北 上 さ せ 、 四 航 戦 と 南 北 か ら 横 刺 し に

187
木 、戦さはどうや っ た ら 勝 て る と 思 う か 」 すれば勝負がついたのに、残念しごくだった。
南 太 平 洋 海 戦 (昭 和 十 七 .十 .ニ 十 六 〜 二 十 七 ) のと す る と 、 黒 島 (亀 人 、 連 合 艦 隊 作 戦 参 謀 ) が 、 そ ば か
き 、 俺 は 『翔 鶴 』 の 艦 長 だ っ た 。 敵 陣 が く ず れ て 追 撃 に ら、
う つ る と 、 艦 橋 の 司 令 部 (南 雲 司 令 長 官 、 草 鹿 参 謀 長 ) 『あ ん た の と こ ろ は 、 北 に ば か り は し り た が っ て い た か
には、 も う こ れ で 十 分 だ と い 5 空 気 が で た 。俺はたびた ら、追 撃 の 考 え は で な か っ た ん で し ょ う 』
び失敗の経験もあり、徹底した追撃の必要を痛感して、 と、 やじつた。
戦 果 も こ の ぶ ん で は ひ じ ょ う に 疑 問 だ か ら 、 ぜ ひ 、 もっ 俺 は な お さ ら む か む か し て 、 "な に を ぬ か す か " とい
と 追 撃 を つ づ け る よ う に 進 言 し た が 、聞いてくれなかっ う 気 に な り 、 そ ん な も の で は な か っ た と 強 弁 し た が 、 し.
た。 か し 、 四 月 (昭 和 十 八 年 〕 に 山 本 長 官 が 戦 死 さ れ た の を
戦 闘 が お わ っ た の ち 基 地 に 帰 り 、連合艦隊旗艦で山本 思 う と 、 な ぜ あ の と き 、 日 本 海 軍 に も 、 一人や二人は、
長 官 に 戦 闘 経 過 に つ い て 報 告 し た 。 報 告 が す み 、 みんな 長官の気にいる意見をいう人間がいることをはっきり知
が 長 官 室 を で た 。俺が最後に 室 を で よ う と す る と 、 らせてあげなかったか、と か え す が えすも残念である。
『お い 、 ち よ つ と 』 あ く ま で 追 撃 を や っ て 、敵 を ね じ 伏 せ る と い う 気 は く
と 、山本長官に呼びとめられた。 そして、 が た ら な い 。 そ れ は 兵 術 眼 が な い か ら で あ る 。俺 は 東 郷
『も う 少 し 追 撃 は で き な か っ た か 』 元 帥 の 精 神 を う け つ い で い る と 自 惚 れ て い る が 、東 郷 さ 1
と、 たずねられた。 ん は 函 館 海 戦 (明 治 ニ 年 ) の 赤 塚 艦 長 の 処 置 を 、 ひじょ.
俺 は 癖 と し て 、直 属 上 官 を か ば い た く な る 衝 動 に か ら うに感心しておられた。それはまた、元帥自身の精神だ
れるが、 このときも無意識に、 ったと思う。
『は い 、 こ れ が 精 一 杯 の と こ ろ で し た 』 若-
^者 を さ き に 立 て て 、年 寄 り が 後 か ら さ し ず し て ゆ
と 、 いつてしまつた。 く の は 、勝 ち 戦 さ の と き は い い が 、 いまはそんなことで
はだめだ。 出 発 の 前 夜 、 す で に 食 糧 事 情 も か な り 悪 く 、 ご馳走の
俺は予備学生 の 制 度 な ど と な え だ し 、戦 後 まで生き残 できるときではなかったので、 あるかぎりのもので、 さ
づてもらわねばならん青年たち多数を戦場におくった。 さ や か で は あ る が 心 づ く し の 食 卓 が 準 備 さ れ た 。 長女百
こ れ か ら は 年 寄 り が さ き に 死 ぬ の が 順 序 だ と 思 い 、 それ 合 子 と 、 そ の 婿 の 石 田 捨 雄 海 軍 大 尉 も ま じ え て 、 一家水
を 念 願 し て い る 。 これから、俺はいってくる」 入らずの壮行会がひらかれた。
有 馬 と 高 木 は 海 兵 い ら い の 親 友 、年は有馬のほうがニ 有 馬 は 、真 剣 な 表 情 で 文 子 に い っ た 。
つも若く、専 攻 も ち が っ た が 、 修 練 の 点 で は 、 高木は有 「こ ん ど は 絶 対 に 帰 っ て こ な い か ら 、 け っ し て 帰 る と は
馬を兄貴分と思つていたという。 思 う な よ 。遺 言 書 な ど は な い か ら 、自分が死んだといっ
て 、 あ わ て て 机 の 引 き 出 し を さ が し た り 、遺品をしらべ
有 馬 は 、他 人 の 批 判 や 、海軍 の 気 は く が た ら ぬ な ど と たりする必要もないだろう。
は、 ロがさけてもいうような人物ではない。きょうの有 よくながいあいだ、 このきびしい自分につかえてくれ
馬 の こ と ば は 、 ま ち が い な く 彼 の 遺 言 で あ る 、 と直感し た。 心 か ら 感 謝 し て い る 。 おまえたちに残すようなもの
た高木は、 は な に もないが、自 分 は 生 涯 を 清 廉 潔 白 で 生 き よ う と 努
「そ れ は 貴 様 の 遺 言 だ と 思 う か ら 、 も し も お れ が あ と ま 力 し て き た つ も り だ。
で生きのこったら、その精神だけはつたえることにする すくなくとも自分を知ってくださる人びとからは、 お
ま え た ち は 恥 ず か し め を う け る こ と は あ る ま い 。 これだ
といって、 二人は堅い握手をかわして別れた。 け が 、 お ま え た ち に 残 し た 、 た っ た 一 つ の 遺 産 だ と 思っ
有 馬 は 、 四月三日に出発する予定であったが、飛行機 てくれ」

189
のつごうで出発が一日のびた。 文 子 は 、有馬が清廉潔白に生きてきたつもりだと語っ
たとき、 たしかにそうであったと思った。物資が窮屈に さっそく、 石田は硯を用意した。

190
なってくると、 まっさきに不足したのは甘い物だった。 有 馬 は 、 た っ ぷ り 筆 に 墨 を ふ く ま せ て 、 『百 戦 一 勝 に
う ち で は 配 給 以 外 に は 煎 餅 に も あ り つ け な い の に 、近所 如 か ず 』と 、 ふとぶとと書きおろした。
の軍人の家庭では、 主人がときおり勤め先から菓子など さ ら に 、 『君 子 時 中 』 と 書 き 、
を 子 供 に 持 ち 帰 る こ と が あ っ た よ う だ 。 あ る 日 、文子は 「と こ ろ で 、 お 母 さ ん に も 一 枚 」
有馬に対して、 といった。
「お と う ち ゃ ま 、 〇 〇 さ ん の お 宅 な ん か 、 と き ど き お菓 字 は 有 馬 が も っ と も 不 得 意 の も の で あ り 、字を書 く こ
子 が あ る の よ 。ご主人が隊からおみやげに持ってこられ と は 、彼 の に が て で あ る こ と を よ く 承 知 し て い た 文 子 に
る ら し い の … …」 は、 こ う し た 有 馬 の こ と ば の な か に 、 な に か せ ま る も の
と 、 いつたとき、 が感じられた。
「軍 人 に は 、 と き お り 菓 子 が 配 給 さ れ る が 、 あ れ は お 上 「あ な た の へ た な 字 は 、 た く さ ん で す よ 」
から兵隊さんだけにくださるので、家族にまでくださる こういって、とっさにそらした。
のじゃないんだよ」 すると有馬は、
と 、 た し な め る よ う に い っ た 有 馬 の こ と ば が 、 文子の 「お れ の 悪 筆 は が ま ん し て く れ よ 」
胸 に まざまざと思い出されるのであった。 といいながら、
や が て 、有 馬 が め ず ら し く 、 「敬 愛 相 和 」 と 、 し た た め た 。
「ど れ 、 ひ と つ 字 で も 書 い て お こ う 。 ど う も 字 は に が て 「ど う だ 、 お 母 さ ん 。 自 分 た ち 夫 婦 は こ の と お り だ っ た
ね え …… はい、 こ れ は お ま え に 進 呈 す る 」
だがな」
といつた。 「こ ん ど 生 ま れ か わ っ て き た ら 、 ま た 、 お ま え と 結 婚 す
ることにしよぅね」 中南部に待機させ、 中部太平洋から-
一ユー ギ ニ ア 西 北 方
有 馬 は 、娘 夫 婦 の ま え で じ ょ ぅ だ ん を い っ た り し て 、 面 に 進 撃 し て く る で あ ろ う 敵 艦 隊 を 捕 捉 し 、 いっきょに
祖国における家族との最後のひとときをすごすのであっ これを撃滅することによって、敵の反攻企図を挫折させ
た。 て戦局の転換をはかろうとするものであった。
いよいよ家をでるとき、有 馬 は 神 棚をあおいで、 五月下旬、第 一 航 空 艦 隊 司 令 長 官 角 田 覚 治 中 将 は 、 そ
「お 母 さ ん 、 お れ が 死 ん だ と き に は 神 様 で 祭 っ て く れ 」 の 司 令 部 を テ ニ ア ン 島 (マ リ ア ナ 諸 島 ) に お き 、 第 六 十
と 、 いいのこした。 航
一空 戦 隊 を 直 接 指 揮 し 、 第 二 十 二 航 空 戦 隊 と 有 馬 の ひ
こうして、夜 目 に も し ろ く 咲 き そ め た 桜 花 を め で な が きいる第二十六航空戦隊は、司令部をそれぞれトラック
ら 、 有 馬 は 逗 子 桜 山 の 家 を あ と に し て 、 再度の征途にの とパラオにおいた。
ぼった。 だ が 、敵 は 、 こうした大本営の予想に反してマリアナ
諸 島 に 反 攻 し た 。 こ こ に 六月十九日、 サイパン西方海上
で 日 米 艦 隊 の 決 戦 が く り ひ ろ げ ら れ る 。戦 い わ れ に 利 あ
四 らず、 この海戦でも日本艦隊は惨敗した。
艦 隊 が 敗 れ れ ば 、 サ イ パ ン の 運 命 は あ ぶ な い 。 まもな
く マ リ ア ナ 諸 島 の 失 陥 に よ っ て 、 わ が "絶 対 国 防 圏 " は
昭 和 十 九 年 五 月 三 日 、 大 本 営 は 「あ 号 」 作 戦 を 決 定 し 南 西 諸 島 — フ ィ リ ピ ン — 台 湾 — 日 本 本 土 の 線 に 、後 退 す
て 連 合 艦 隊 に 指 示 し た 。 こ の 作 戦 の ね ら い は 、基地航空 る0
ハカの第一航空艦隊を中部太平洋方面、 フィリピンおよ 十 九 年 七 月 末 、有 馬 の 第 二 十 六 航 空 戦 隊 は 、 その基地

191
び 豪 州 北 方 方 面 に 展 開 さ せ 、第一機動艦隊をフィリピン を パ ラ オ か ら ミ ン ダ ナ オ 島 (フ ィ リ ピ ン 南 部 ) の ダ バ オ
にぅつし、 いよいよ捲土重来を期したのであった。 る処は、 これ親より受けたるものなりと悟りて貰ふの外
磐 。

192
そ ぅ し た 緊 迫 し た 情 勢 の 中 に あ っ て 有 馬 は 、 しばしの 夫 婦 の 愛 情 、 親 子 の 情 、 共 に 天 與 の も の 。 これ則ち親
いとまをぬすんで、家族への手紙をしたためた。 より、 否 、無 限 の 昔 よ り 代 々 相 つ げ る 祖 先 よ り 享 け つ ぎ
来 れ る 遺 産 な る こ と を 、 や が て は 悟 る べ く 候 。愛 国 の 至
『I 一同元気に候や、 小 生 至 極 元 気 に 候 。 情も亦然り。
限 り あ る 器 材 を 以 て 衆 敵 を 撃 滅 せ ざ る べ か ら ず 。 一世 サィパン、 テニアン、其 の 他 の 土 地 に 於 て 、軍人と云
の 智 勇 を 傾 け 尽 す の 時 、 刻 々 近 よ り つ つ あ り 。 五十年の はず軍属 と 云 は ず 、老 若 男 女 皆 悉 く 忠 良 な る 陛 下 の 赤 子
修練尚未だ足らざるを知ると雖も、既に欣然として任務 と し て 、 皇 統 の 無 窮 を 寿 ぎ つ つ 其 の 職 に 仆 れ た り 。 日本
に邁進し得る心境に到達せるは、 せめてもの喜びに有之 民族興隆の聖戦に参加するの光栄に感激しつつ。
候。 子供達の進学の目標も此の忠孝の大義を踏み行ふの他
日々多忙、静 か に 筆 を と る 暇 な く 、自然御無沙汰に過 に無きことを悟らしめらるべし。
し 候 。起 床 、 就 寝 の 最 短 の 時 間 、 一同の上に思いを馳せ 雨 は 椰 子 の 林 に 音 を 立 て 、 夜 は 次 第 に 更 く 。 茲に思い
参 り 候 。之 は 今 後 と も 継 続 し 得 る 限 り は つ づ け る べ く を述べて遙かに家郷を傯ぶ次第に候。
候。 八月一日
子 供 達 の 為 に 我 家 の 歴 史 、 自 分 の 生 立 ち 、経 歴 、思想 正 文
発 展 の 跡 等を書き残し度希望あるも、現在の処その時間 弘 子
を割くべからず。 正 高
子 供 達 自 身 自 ら の 精 神 を 省 み 、之を練るうちに感得す 孝 礼
1

実情 を 視 察 す る た め 、東京を出発した。
弘 子 と は 、文 子 の 替 名 で あ る 。長男正宏に十四歳で先 中 沢 は 、 三日、 マニラに着き、陸 海 軍 の 主 要 指 揮 官 と
立 た れて悲嘆にくれた文子は、 こうした悲哀をくりかえ その司令部をおとずれた。 五日午前、彼は兵学校の級友
したくない切願から、 「
文 子 」という名は生命学上では であ り 、と く に 昵 懇 な 有 馬 を 、 マニラ郊外の第二十六航
"子 供 に 縁 が う す い " と 聞 か さ れ 「弘 子 」 と 改 め た の で 空 戦 隊 の 基 地 に た ず ね 、 そ の 指 揮 所 で 、 ニ、 三 時 間 に わ
あった。 た っ て 、 二人きりで、 肚 を 割 っ て 、 じっくりと話し合っ
中 部 太 平 洋 の 要 衝 サ イ パ ン は す で に 敵 手 に 落 ち (七月 た。
七 日 )、 有 馬 が こ の 手 紙 を し た た め た 八 月 一 日 に は 、 テ 中 沢 は 、 一般戦務や今後の戦局の見通しなどについて

-1 ン か ら の 通 信 が と だ え た 。 のべ、有 馬 は 、現 地 の 状 況 、と く に 飛 行 機 の 不 足 、搭乗
敵の次期作戦は、 フィリピンに指向されるであろう。 員 の 練 度 、敵 に あ た え た 戦 果 な ど に つ い て 説 明 し た 。 そ
のとき、有 馬 は 、 しばしば、
その時期は、 おそらく大本営の判断よりも早いかもしれ
ない。 「敵 機 動 部 隊 の 攻 撃 を う け 、 彼 我 の 飛 行 機 が い り み だ れ
そ う 考 え る と き 、 有 馬 も 、 この手 紙 が 最 後 の た よ り と て戦う空中戦をまのあたりみるとき、 おちてくる飛行機
な り は せ ぬ か と 思 っ て い た で あ ろ う 。 は た し て 、 戦局は にはざんねんながら日の丸のついているものがおおく、
予 想 以 上 に 、急速 に 進 展 し た の で 、彼は、 ふたたび家郷 これを地上でみるにしのびない」
に筆をと る 暇 が え ら れ な か っ た 。 と 語り、 また、
「敵 を 攻 撃 す る た め 発 進 さ せ た 飛 行 機 隊 が 、 最 近 で は 、
十 九 年 十 月 二 日 、 軍 令 部 第 一 部 長 (作 戦 部 長 )中 沢 佑 少 敵 を 見 ず と か 、 ま た は 機 械 故 障 と か で 、引きかえすもの

193
将 は 、 大 本 営 の 意 向 を 現 地 に つ た え る と と も に 、 現地の が 、と く に お お い ょ う に 思 わ れ て な ら ぬ 。 こうした実情
で は 、 日本の将来を考えるとき、 まことに寒心にたえな 有 馬 は 、 クラ— ク基地の草原に設けられた天幕ばりの指

194
い。 い ま や 決 意 を あ ら た に し 、 画 期 的 に し て 、 し か も 敵 揮 所 の な か で 、第 一 五 三 航 空 隊 の 戦 闘 九 〇 飛
一行 長 .美
め意表 に で る よ う な 戦 法 を と ら な い か ぎ り 、とうてい勝 濃部正一少佐に、
ち目を見いだすことはできないと思う」 「と こ ろ で 美 濃 部 君 、 君 は 戦 局 を ど う 思 う か ね 。 武 人 は
と 、 ひじょうに悲痛な容相でもらし、 さらに、 死 ぬ べ き と き に 死 な ぬ と 恥 を の こ す 、時機はすでにきて
「敵 の 攻 撃 は ま す ま す は げ し さ を く わ え 、 そ の 上 、 彼 我 い る … … 」
の術力の差は日をおうて隔絶しているので、尋常の戦法 と、 しみじみと語つている。
で は 、 も は や 今 日 の 難 局 を 打 開 す る こ と が で き ぬ 。 こう このころになると、どうやら有馬は、 その信念を実行
し た 状 況のもとで、航 空 部 隊 の 指 揮官は基地にいて、部 する好機をうかがっていたのではなかろうか。
下のみを死地に投ずることはまったくしのびえないもの こ の 日 も 、敵 機 動 部 隊 の 飛 行 機 が ク ラ ー ク 基 地 に 来 襲

かあ る 。 指揮官みずから部下の 陣 頭 に た っ て 必 死 必 殺 の した。
戦法をとり、顔勢を挽回して戦局の打開をはかるほか、 す す き の 穂 は す で に 出 そ ろ い 、 ここフィリピン平原に
これという良策はないとの結論にたっした」 も 、暑 い な が ら 秋 を 感 じ さ せ る も の が あ り 、 故国の野辺
と 語 ったとき、有 馬 の 眉 宇 に は 、 その堅確な決意のほ 路がしのばれる。
どが、 ありありとうかがわれるのであった。 これまでのはげしい戦闘にょって、 たのみとした右腕
そ のころ、有 馬が、その抱懐する信念 I 指揮官陣頭 を、 さらに左腕を、 つぎつぎにもぎとられて、すでに部
の必死必殺の体当たり戦法 I を も ら し た の は 、 中沢に 下分隊長の士官搭乗員を、 三名までも失っていた美濃部
対してだけではない。 は 、 有 馬 の 悲 壮 な 決 意 を 知 っ た と き 、 あ れ を 考 え 、 これ
それから一週間ほどたつた十月中旬のはじめだった。 を思って、祖国の悲運に泣くのであった。
うとしたのである。
空中退避の陸攻機には、午後一時までにもどってくる
五 ように命じておいた。
ここでいう 特 攻 隊 と は 、特 別 に 訓練して特殊の任務に
従事する部隊であり、 必中ではあるが神風特別攻撃隊の
昭 和 十 九 年 十 月 十 五 日 は 、 と て も 暑 い 日 だ っ た 。 クラ ように必死ではない。
1 ク基地は燃えるようであった。 こ の 特 攻 隊 は 零 戦 二 十 五 機 で 編 成 さ れ た 。 そのうち六
毎朝五時ごろ、索敵のために偵察機が飛び立つ。 機 が 爆 装 し 、十 九 機 が 掩 護 に あ た る 。 指宿大尉 が 指 揮 官
き ょ う も 有 馬 正 文 は ま だ く ら い う ち に起き、富 永 文 男 と なり、午 前 九 時 十五分に発進した。
大尉を つ れ て 、偵察機の出発を見送るため戦闘指揮所に 一時間半後の十時四十五分、 この零戦特攻隊は大型空
ぃった。 母 ニ 隻 、中 型 空 母 ニ 隻 、 そ の 他 十 七 隻からなる敵機動部
索 敵 に よ っ て 、敵機動部隊の 一 群 が マ ニ ラ に む か っ て 隊にとりついた。
ち か づ い て い る ことがわかった。 敵 は マ ニ ラ を 空 襲 す る 空母一隻に至近弾をあびせ、 巡洋艦の艦尾に爆弾を命
だろう。 中 さ せ 、 飛 行 機 が 飛 び た と う と し て いた空母を銃撃して
第 一 航 空 艦 隊 司 令 長 官 .寺 岡 謹 平 中 将 は 、 輸 送 機 は セ 発艦を不能にし、 空母ニ隻の甲板にならべてある飛行機
プ (フ ィ リ ピ ン 中 部 ) に 避 退 さ せ 、 陸 攻 機 は 飛 び た た せ を 炎 上 さ せ る な ど 、 か な り の 戦 果 を あ げ た 。が 、 わが六
で空中に避難させた。 機は基地に還らなかった。
寺 岡 は 、陸 攻 機 に よ る 攻 搫 は 午 後 に ま わ し 、午前中は あ ん の じ ょ う 、 敵 は マニラ地 区 に 来 襲 し た 。 そ れ は 午

195
零式戦闘機の特攻隊で敵機動部隊に先制奇襲をくわえよ 前十時二十五分であった。
この来襲は力ーチス艦爆二十四機、 グラマン戦闘機十 攻 撃 隊 を 掩 護 し て く れ る こ と に な っ て い た の で 、 それに
六 機 と い う 小 規 模 の も の だ っ た 。 二コルス基地には、 ニ

196
対する謝意をこめたあいさつであろう、と富永には思え
十 機 ほ ど の ォ ト リ 飛 行 機 が な ら べ ら れ て い た 。 敵はこの た。
ォトリを本物と思いこんで攻撃したので、 わが方の損害 こ の と き 、有 馬 は す で に 心 中 ふ か く 決 す る と こ ろ が あ
はすくなかった。 ったので、 わ か れ の あ い さ つ に い っ た の か も し れ な い 。
敵 の 第 一 波 は 兵 力 が 小 さ か っ た た め か 、 ニコルスのォ ちょうど昼食時だったから、山瀬は力二をご馳走して
ト リ 機 を 攻 撃 し た だ け で 、 ク ラ ー ク 地 区 の 方 に は 、 やっ くれた。
てこなかった。 そのうえ、 わが第一次攻撃隊のために、 クラーク基地のちかくに、バンバン川という川が流れ
飛行機を発艦中の空母が痛手をこうむったとみえて、予 ている。
想 さ れ た 第 二 波 は 来 襲 し な か っ た 。 だ か ら ク ラ ー ク 基地 そ の 力 ニ は 、陸 軍 の 兵 隊 が 、 この川でとったものだっ
では、第 二 次 攻 撃 隊 の 発 進 準 備 を と と の え る こ と が で き た。
た。 この日の力-
一料理が、 有 馬 正 文 に と っ て は 四 十 九 年 の
こ う し て 陸 攻 三 機 と 艦 攻 十 機 に 、制 空 隊 、 掩 護 隊 と し 生涯における最後の食事となるのである。
て 零 戦 十 機 、 陸 軍 戦 闘 機 七 十 機 を つ け 、午後ニ時クラー
ク 基 地 を 発 進 し 、敵 機 動 部 隊 を 攻 撃 す る こ と と な る 。 師 団 司 令 部 を で て か ら 、有 馬 は 富 永 と 別 れ て 戦 闘 指 揮
所にもどった。
有 馬 と 富 永 は 、午 前 中 は ず っ と戦闘指揮所にいた。 それから、 いくらか時間が経過した。
昼 ち か く 、有 馬 は 富 永 を つ れ て 陸 軍 の 第 二 飛 行 師 団 司 こ の 日 も い つ も の よ う に 、 高 井 貞 夫 は 、 朝 か ら 、 小さ
令 部 に 山 瀬 昌 雄 中 将 を た ず ね た 。陸軍の戦闘機が海軍の な 天 幕 張 り の 四 〇 一の戦闘指揮所に詰めていた。
そ の 当 時 、 高 井 は 大 尉 で 、 六〇 一 航 空 隊 の 攻 撃 第 四 〇 と 、高井は語った。
一特設飛行隊の隊長であった。 有 馬 は 落 ち 着 い た 足 ど り で、 高 井 の ほ う に あ る い て く
例によって弁当の昼食をとり、 ひと休みしてからしば る0
高井は有馬の姿に異様なものを感じ、すぐ司令官のそ
らく時間がたったとき、高井はふとクラーク飛行場の滑
走路のほうをながめた。 ばに飛んでいった。
明 る い 陽 光 の ふ り そ そ ぐ 草 原 の 滑 走 路 の う え に 、 ぼつ 「司 令 官 、 な に か ご 用 で す か 。 お 一 人 で お い で に な っ た .
んと人 影 が う か ん で み え る 。距離は五十メートルくらい のですか」
である。 「う む 、 一人だ」
つぎの瞬間、高 井 は さ ら に 新 し い お ど ろ き に お そ わ れ 有 馬 は 足をとめて、ぽつんと答えた。
た。 「ど う ぞ 、 こ ち ら へ 」
その人が有馬司令官であったからだ。 高井にとっては 高井は有馬を天幕の中に招じいれた。
それは、 まるで幻想でもあるかのように思われてならな 「お 茶 で も 、 お あ が り く だ さ い 」
かった。 お茶といっても格別なものではなく、朝早く高井が宿'
そ れ ま で 、 有 馬 は 、 高 井 の 戦 闘 指 揮 所 に ニ 、 三度やっ 舎 を で た と き 、兵隊がもってきてくれたやかんにはいっ
てきたことがあるが、 いつも幕僚といっしよだった。 こ ている生ぬるい番茶だった。
ん ど は 、 だ れ も つ れ て い な い 。 そ れ は と も か く 、有馬 は 「結 構 。 ぼ く は す ぐ い か な く ち ゃ な ら な い か ら 」
いったい、 ど こ か ら き た の だ ろ う か 。 有馬は立ったまま答えた。
「あ の と き の 有 馬 さ ん は 、 ま る で 天 か ら 降 っ た か 、 地 か

197
らわいたか、という感じがした」 この日の午 前 、陸 攻 三 機 が クラークに移動してきてい
た 。 こ れ ら 陸 攻 は 高 井 の 戦 闘 指 揮 所 か ら ニ 、 三百メート 高 井 と し て は 、 有 馬 が 陸 攻 で で て い く の を 看 過 す るこ
ルのところに待機しており、きょう午後の攻撃に使用さ とはできない。 以
れ る ことを高 井 は 知 っ て い た 。 幕僚がすぐ追っかけてく る に ちがいないと考えた高井
だ か ら 、 こ の 有 馬 の こ と ば を 耳 に し た と き 、 〈司 令 官 は、 そ れ を 心 待 ち し な が ら 、 あ た り を み ま わ し た 。
は 陸 攻 に 乗 っ て い く の だ 〉と 、 高 井 に は ピ ン と く る も の 「司 令 官 、 し ば ら く お 待 ち く だ さ い 」
がぁった。 高 井 は そういって、部下に電話で幕僚をさがさせた。
「ど こ へ 、 い ら っ し ゃ る ん で す か 」 しかし、幕僚はつかまらなかった。
「陸 攻 に 乗 っ て い っ て き ま す 」 このとき、有 馬 は 第 三 種 軍 装 で 、きちん と 濃 紺 の ネ ク
や っ ぱ り 、 そ う な の か —— 0 タイをしめていた。
「雷 撃 で す か 」' 有 馬 は 用件だけを、ずばりずばりいった。
有馬はうなずいた。 「高 井 君 、 襟 章 を つ け て い て は ま ず い だ ろ う ね 」
陸攻による昼間の魚雷攻撃がひじょうに困難なもので 高 井 は 有 馬 を ひ き と め ね ば な ら ぬ と 思 っ て い た 。 だが.
あ る こ と は 、高 井 は 知 り す ぎ る ほ ど 知 っ て い る 。戦闘機 同時 に 、有 馬 の 性 格 で は 、と て も ひ き と め る こ と は で き
が護衛しても、 目的地にまでぶじにたどりつけるかどう な い だ ろ うと考えた。すくなくとも髙井の力では、 でき
かさえあぶない。もしもぶじに帰れるチャンスがあると そ う に な い 。 ひ き と めるためには、幕僚の存在が必要で.
す れ ば 、 それは敵影を発見できなくて、 やむをえず基地 あっ た 。 しかし、幕 僚 は い な い 。
に 引 き返す、 と い う 場 合 し か な い 。 し か も そ の 場 合 、と 高井は有馬のことばに素直にしたがうほかないという
ちゅうで敵機にみっかっては、 チャンスはなくなってし 気持になった。
まう。 「は ず さ れ て い か れ た ら 、 い か が で し ょ う か 」
う な ず いた有馬は、上衣を着たままで、 ベタ金の少将 「高 井 君 、 い い ん だ よ 。 君 は 、 こ の 飛 行 服 を 貸 し て く れ
の襟章を自分の手でむしり取った。 た。 余 計 な こ と は 心 配 し な く て も い い ん で す 」
高 井 は 金 筋 ニ 本 の マ ー ク (大 尉 の 階 級 章 ) の つ い た 飛 濃 い 茶 色 の ラ イ フ ジ ャ ケ ッ ト の 背 中 の 部 分 に は 、 「高
行服を着ていた。 井大尉」と墨ではっきり書かれている。 それをみたとき
有馬は高井のほうをみて、 高井は胸がつまった。
「し か し 、 な に も な い と い う の も 、 妙 な も の だ ね 。 高 井 その当時、陸攻で攻撃にでるのはほとんど帰れぬ、 そ
君、 君のを貸してくれませんか」 れ は 攻 撃 に い く の で は な く て 死 に に い く よ う な も の ,^
としずかにいった。 という感じを一局井はいだいていた。 い ま 目 の ま え に い る
髙井はその場で飛行服とラィフジャヶットをぬいで有 有 馬 少 将 は 、 高 井 大 尉 の 飛 行 服 を 着 、 ライフジャケット
馬にわたした。 をつけて死ににいこうとしている。
高 井 は ま だ 、有馬をひきとめることをあきらめていな 高井にとっては、 その飛行服とライフジャケットは身
かった。 いまに幕僚があらわれるだろうと思ったので、 体 の 一 部 み た い な も の で あ り 、彼 は そ れ を 身 に つ け て 今
「司 令 官 、 も う す こ し お 待 ち い た だ け ま せ ん か 」 日まで死線をのりこえてきたのである。
と 、 高 井 は 、有 馬 が 軍 服 の 上 か ら 飛 行 服 を つ け る の を そ の 飛 行 服 と ラ イ フ ジ ャ ケ ッ ト が 、 いままさに有馬司
みながらいった。 令 官 と 運 命 を と も に し よ う と して い る 。 差し上げるもの
「い や 、 用 意 が で き た ら 、 す ぐ で か け ま す 」 が あ れ ば 、 死 出 の 餞 と し て 差 し 上 げ た い 、 という気持が
「ま も な く 幕 僚 が み ぇ る と 思 ぃ ま す か ら 、 そ れ ま て ぉ 待 高井の胸にわいてきた。
ちください」 飛行服をつけおわった有馬は、
高井はかさねていった。 「こ れ で い い か ね 」
と、微笑をふくんだ顔を高井にむけた。

200
「は ぃ 」
それ以外のことばは、高井のロからでてこなかった。
「と う も I ろ ^^ろ あ り が と う 」
有馬のやさしいまなざしが、 また高井の上にそそがれ
た。
ひきとめられぬ以上、 たんたんとして有馬の出撃を見
送ったほうがょい、と考えた高井は、
「ご 武 運 を お 祈 り し ま す 」
といった。
有 馬 は 落 ち 着 い た 足 ど り で 、 滑 走 路 を 横 切 り 、 列線の
ほうにむかってあるいていった。
高 井 は 戦 闘 指 揮 所 の ま え に た た ず み 、有 馬 の う し ろ 姿
をじっと見送っていた。
やがて午後ニ時、有馬正文が陸攻隊の一番機にのりこ
み 、 み ず か ら 陣 頭 に た っ て 指 揮 す る第 二 次 攻 撃 隊 は クラ
丨ク基地を発進した。
機 影 が 東 の 空 の雲間に消えるまで、高井は有馬少将の
武運を祈りながら、 ひとみをこらしてみつめていた。

関 行 男 (神 風 特 別 攻 撃 隊 第 -次 指 揮 官 ;
^
植村真久 (神 風 特 別 攻 撃 隊 大 和 隊 隊 長 )
(第 一 航 空 艦 隊 司 令 長 官 予 定 者 ) と な っ た 大 西 滝 治 郎 中
将 である。大 西 は 、 わ が 海 軍 航 空 の は え ぬ き の 闘 将 と し 卿
て、 つ と に 令 名 が あ っ た 。 そ れ ま で の 一 年 間 、 彼 は 軍 需
省航空兵器 総 局 総 務 局 長 と し て 、航空機生産の責任ある
地 位 に あ り 、 つぶさに、 わ が 国 力 と 戦局の推移をみつめ
東 京 .日 比 谷 公 園 の 南 西 の す み 、 い ま 東 京 簡 易 裁 判 所 てきた。
日 比谷分室のたっているところに、明治時代の中期から 大 西 は 、 日米航空戦力の現状、と く に わ が航空機搭乗
貴族院議長官舎があった。 員の術力についてくわしくのべたのち、沈痛な表情で、
太平洋戦争中、海軍がそれを軍令部総長官舎の名簇で だが、 堅確な決意を胸にひめながら、低く、カづよい言
借 り 、 会 讓 な ど に つ か っ て い た 。 建 物 は 古 い が 、 二階の 葉で語った。
大 広 間 は 、 造作といい、 調 度 品といい、 なかなか趣にと 「ご 承 知 の と お り 、 最 近 の 敵 空 母 部 隊 は 、 レ ー ダ ー を 活
んだ部屋であった。
用して空中待機の戦闘機を配置し、 わが攻撃機隊にたい
昭 和 十 九 年 の 十 月上旬のことだった。 ょぅやく日が西 し 三 段 が ま え で そ な え て い る 。 この警 戒 幕 に よ っ て 、 わ
にかたむいたころ、 この部屋で、 日本海軍の四首脳が、 が 攻 聲 機 を 遠 距 離 で 発 見 捕 捉 し 、 これを阻止撃退するこ
ひ ざ を ま じ え て 、今 後 の 作 戦 に つ い て 率 直 に 意 見 を の べ と が ひ じ ょ ぅ に 巧 妙 に な っ て き た 。 そ の 結 果 、敵の警戒'
あった。
幕を突破、 または回避してめざす攻撃目標に到達するこ
この四首脳とは、軍 令 部 側 か ら 、総長の及川古志郎大
と が 困 難 と な り 、 し か も 、 い た ず ら に 犠 牲 が 大 き く 、敵
将、次 長 の 伊 藤 整 中
I 将 、第 一 部 長 (作 戦 部 長 ) の 中 沢 に有効な攻撃をくわえることができない。 この窮境を打
佑 少 将 、そ れに、十月五日づけで南西方面艦隊司令部付
開するためには、第一線将兵の殉国精神と犠牲的至誠に
ぅ っ たえて、 必死必殺の体当たり攻撃を敢行するほかに つまり、 兵 術 以 前 の も の を あ え て す る こ と に つ い て 、 大
良 策 が な い と 思 ぅ 。 これが大義に徹するところであると 本営の事前の了解をもとめねばならなかったのか。
考 え る の で 、大 本 営 と し て も 、 これについて了解してい 思え ば 、 三 年 前 の開戦へき頭、真 珠 湾 で 米 太 平 洋 艦 隊
ただきたい」 の 主 力 を 痛 撃 し 、 マレー 沖 で 英 主 力 艦 を ほ ふ っ た わ が 海 .
鷲の偉勲は、すでに一場の夢と化してしまっていた。 わ
満 座 は 粛 然 と し た 。 そし て 、 乙ばしの沈思黙考がつづ
く。 やがて、 及川総長がおもむろにロをひらいた。 が作 戦 は 、 まず昭和十七年六月のミッドゥュー海戦でつ
まずき、貴 重 な 四 隻 の 空 母 と と も に 、多 数 の 精 鋭 な 搭 乗
「大 西 中 将 、 あ な た が 述 べ た こ と は よ く わ か っ た 。 大 本
員をぅしなった。
営 海 軍 部 と し て は 、 こ の 戦 局 に 対 処 す る た め 、 涙をのん
で、 あ な た の 申 し 出 を 承 認 す る こ と と し ま す 」 この年の八月、 ガダルカナル上陸にはじまる南東方面-
及川は、 さらに言葉をつづけ、 の 米 軍 反 攻 い ら い 、 一 年 半 に わ た る 航 空 消 耗 戦 が つづい
「し か し 、 実 行 に あ た っ て は 、 あ く ま で 本 人 の 自 由 意 志 た。 基 地 航 空 部 隊 は そ の 熟 練 搭 乗 員 の 大 半 を な く し 、 や
によってやってください。 けっして命令してくださるな む な く 母 艦 航 空 兵 力 ま で 投 入 さ れ た 。十 八 年 四 月 、山 本
よ」
長 官までも南溟の空に散華した。 だが、米軍の進撃をつ
と 、 はっきり念をおした。 いに阻止できなかった。
そのあとかれらは、 あれこれと今後の作戦について懇 一方、 十 八 年 晩 秋 、 中 部 太 平 洋 方 面 か ら す る 米 軍 の 本
談し、 夕食をともにして別れた。 格的反攻作戦がはじまる。 まずギルパ Iト諸島の要衝が
攻 略 さ れ 、 翌 年 二 月 、 マー シ ャ ル 諸 島 の 中 枢 で あ る ク ェ
ゼリンが敵手に落ちた。

203
な ぜ 、 大 西 は 、 後 日 、 み ず か ら が "統 帥 の 外 道 " と き
め つ け た 、 は じ め か ら "必 死 航 空 戦力が、戦勢を左右することを痛感した日本海軍
5を 前 提 と す る 戦 闘 方 策 、
は、 こ れ を い そ い で 再 整 備 し 、 戦 局 の た い 勢 を ば ん 回 し た 。 第 一 航 空 艦 隊 は 、 ま ず 作 戦 可 能 な も の を マリアナ諸

204
ようとした。 こ う し て 十 八 年 七 月 日
I 、大 本 営 直 轄 と し 島 に 進 出 さ せ た が 、 二 月二十三日、 米軍機の来襲にょっ
て 十 コ の 航 空 隊 か ら な る 第 一 航 空 艦 隊 を 編 成 、 訓練をは て 約 百 二 十 機 を な く し 、 つ い で サ イ パ ン の 攻 防 を めぐる
じ めた。 大 本 営 直 轄 と し た の は 、練成中は作戦に使用せ マリアナ沖海戦で、第 一 航 空 艦 隊 は ほとんど壊滅するに
ず 、 じゅうぶんに練度の向上をはかるためであった。そ いたった。
の搭乗員も優先的にえらびだし、若干の基幹要員には優 第一航空艦隊の主力をひきいた角田中将が玉砕したの
秀なべテランを配した。 で 、 十 九 年 八 月 七 日 、 寺 岡 謹 平 中 将 を 長 官 と し て 、 第一
こうして、 千 五百機というぼう大な飛行機、さらに搭 航 空 艦 隊 を フ ィ リ ピ ン 方 面 で 再 建 す る こととな る 。
乗 員 の 練 度 の 点 で も 、 日 本 海 軍 の 精 鋭 を あ つ め 、戦勢ぱ 寺 岡 が 、 将 旗 を ダ バ オ (フ ィ リ ピ ン 南 部 の ミ ン ダ ナ オ
ん回のかぎであるとみられた角田覚治中将のひきいる第 島) に か か げ た 八 月 十 二 日 、保 有 機 数 は 百 一一五 十 七 機 で .

一空 艦 隊 は 、 十 八 年 七 月 か ら よ う や く 編 成 さ れ た 。 あ っ た が 、 機 材 の 不 良 と 不 足 の た め に 、 実 働 機 数 は これ
だ が 、南 東 方 面 の 航 空 戦 に お け る 搭 乗 員 と 機 材 の 消 耗 を 大 き く 下 ま わ っ た 。 そ の の ち 、機 材 の 整 備 を 促 進 し た
の た め に 、 補 充 は 思 う よ う に す す ま な い 。 お り か ら 、十 結果、 九月八日には保有機数は約五百機、作 戦 可 能 兵 力
九 年 二 月はじめ、米 軍 が ク ゼリンに来攻し、大本営海 は約二百八十機にまで増加した。

31
軍 部 は 、 や む を え ず 、練 成 途 上 の 第 一 航 空 艦 隊 を 連 合 艦 しかし、 そ の 後 の 、 あ い つ ぐ 米 機 動 部 隊 の 来 襲 に ょ 9
隊に編入して、内南洋方面の防衛をは.
からざるをえなか て、九月下旬の実働機数は、 わずか百機ていどとなって
つた。 しまつた。
二月十七日、内 南 洋 の 中 枢 基 地 ト ラ ッ ク が 米 空 母 部 隊 大 西 の 着 任 を 待 っ て い た の は 、 こぅした貧弱な兵力で
の奇 襲 を う け 、約三百機を失うという大損害をこうむつ あったのだ。
歩として、 スルアン島に上陸した。
連 合 艦 隊 長 官 は 、 全 軍 に た い し て 、 「捷 一 号 作 戦 (フ
ィリピン方面決戦〕 警 戒 」 を 下 令 す る 。
大 西 の 眼 前 に 展 開 し た 戦 況 は ま っ た く ひ っ 迫 し 、 しか
も、 わが軍は、敵の連日の空襲に、手も足も出ないほど
胸 中 に 悲 壮 の 決 意 を ひ め て 出 発 し た 大 西 は 、行く先ざ ま で に 戦 力 が お ち て い た 。 こ れ を み た 大 西 は 、 いまさら
き で 敵 の 空 襲 を ぅ け た 。とくに台湾では、新竹航空基地 ながら今昔の感にたえなかったであろう。
で 台 湾 沖 航 空 戦 (十 月 十 二 — 十 五 日 ) と ぶ つ か り 、 数 日 あ く る 十 八 日 、 「捷 一 号 作 戦 」 が 発 動 さ れ た 。 わ が 連
間 、 足 ど め さ れ て し ま っ た 。 気 は は や り な が ら も 、 フイ 合艦隊の作戦では、 水上艦艇が航空部隊の協力のもとに
リピンにわたることができない。 敵 の 上 陸 地 点 に 殺 到 し 、 そ の 強 力 な 艦 砲 を も っ て 、 敵の
ここ台湾は、大西にとっては勝利の思い出ふかい地で 護衛艦艇と輸送船団を撃滅することが計画されていた。
ぁ る 。彼 は 、 開 戦 時 に 、第 十 一 航 空 艦 隊 参 謀 長 と し て 台 しかし、敵 の 有 力 な 機 動 部 隊 が 厳 存 し 希 空 権 力 敵 の 手
湾 の 高 雄 に ぁ り 、真 珠 湾 奇 襲 成 功 の 報 に 接 す る や 、 天気 中にあるかぎり、 わが水上艦艇が飛びこむことは危険こ
の は れ る の を 待 つ か 待 た ぬ か と 論 議 さ れ た と き 、 決然と のうえもなかった。
し て ル ソ ン 島 (フ ィ リ ピ ン 北 部 ) 各 地 に た い す る 空 襲 を そこで、 おそくとも、決戦予定日の十月二十五日まで
敵行して緒戦をかざったのであった。 に、 敵 空 母 を 撃 沈 し な い ま で も 、 こ れ を 撃 破 し 、 飛 行 機
し かし、 い ま や 戦 勢 わ れ に 利 な く 、大 西 は 、 やむなく の 使 用 を 封 じ る こ と に よ っ て 、味 方 艦 艇 の 安 全 を は か ら
上 海 を 経 由 し て 、十 七 日 、 マニラに到着した。 ねばならなかったのである。
こ の 日 、 米 軍 は レ イ テ (フ ィ リ ピ ン 南 部 ) 進攻の第一 しかし、 そ れ に は 、 時 日 の よ ゆ う が な く 、 また、実働
の 飛 行 機 も す く な か っ た の で 、 こ の 一 戦 の た め に 、 もっ 「普 通 の 方 法 で は 間 に 合 わ な い 」

206
とも有効な戦法をとる必要にせまられていた。 「戦 争 に 勝 っ た め に は 心 を 鬼 に せ ざ る を 得 な い 」
こ の 日 、 第 一 航 空 艦 隊 司 令 長 官 .寺 岡 謹 平 は 、 マニラ 「必 死 の 志 願 を し た も の は 姓 名 を あ ら か じ め 大 本 営 に 報
郊外の-
一コルス飛行場にほどちかい司令部の長官室で、 告 し て 、 彼 ら の 心 構 へ を 厳 粛 に し て 、 心を落ちつかせる
大 西 と の あ い だ に 、 じ っ く りと事 務 の ひ き つ ぎ を お こ な 必要があろう」
った。 「司 令 を 介 せ ず に 直 接 彼 ら 若 鷲 た ち に 呼 び か け ょ う か 」
まず寺岡は、 フィリピン方面の航空部隊をたてなおす 「い や 、 司 令 を 通 じ た 方 が 後 々 の た め に ょ か ろ う 」
ことができず、 戦 況 が 切迫した今日、 ひきつぐべき兵力 「先 ず 戦 闘 機 隊 の 勇 士 で 編 成 す れ ば 他 の 隊 も 自 然 に 之 に
が 過 小 で あ る こ と を わ び た 。大 西 は 、 これまでの作戦の っづくであろう。 航 空 部 隊 が 之 を 決 行 す れ ば 、水上部隊
労苦をねぎらい、 ょくやってくれたと心からなぐさめ、 も亦其の気持になるであろう。海軍全部が此の意気でゆ
今 後 の こ と は 自 分 が や る 、といって手をに ぎ り あ い な が けば、陸軍もっづいて来るであろう」
ら、たがいに健闘をちかった。 などの話が出て結局、 必死必中の体当たり戦法以外に
寺 岡 は 、 そ の 日 記 の な か に 、 つぎのょぅにしたためて は国を救う方法はないという結論に到達した。
ぃる。 而してその編成は、将来の長官たる大西中将に一任す
『十 月 十 八 日 、 捷 一 号 作 戦 は 発 動 さ れ た … …。 ることに決定したのである』
これには余日がない。飛 行 機 の 数も少ない。此 の 戦
I
のためには最も有効な方法を採択するの必要に迫られて 翌 十 九 日 の 午 前 、 大 西 は マ バ ラ カ ッ ト (フ ィ リ ピ ン )
おるので、 玆に大西中将の決断の体当たり戦法が物を云 基 地 の 第 二 0 一航 空 隊 に 指 令 し た 。
う時機が到来したわけである。 「司 令 (山 本 栄 大 佐 ) と 飛 行 長 (中 島 正 少 佐 ) は 、 本 日
午後一時までに第一航空艦隊司令部に出頭せょ」 十月十 九 日 の 赤 い 太 陽 が 、基地西方の山の端にかかろ
この日は、早 朝 か ら 敵 機 が 来 襲 し 、 また敵上陸部隊発 うとしていた。
見の報告があったので、航空隊は攻撃機の発進準備にい 破 れ か か っ た 古 天 幕 ば り の 指 揮 所 で は 、 たまたま実地
そがしかった。 山本は、長官のわざわざの呼びだしであ 指 導 に き て い た 第 一 航 空 艦 隊 首 席 参 謀 ,猪 口 力 平 中 佐 と
る の で 、 おそらく、重 大 な 用 件 で あ ろ ぅ と は 思 い な が ら 第 二 〇 一 航 空 隊 副 長 .玉 井 浅 一 中 佐 が 、 折 り た た み 椅 子
も 、 ついおくれて し ま っ た 。山本たちが自動車でマバラ に 腰 を お ろ し て 、明 日 の 作 戦 、 と り わ け 現 在 の 小 兵 力 を
ヵ ッ ト を 出 発 し た の は 、 す で に 、午 後 ニ 時 を ま わ っ て い もって、 いかにしてこの難局を乗りきるかについて、秘
た。 策 を ね っ て いた。
こ こ マバラヵ ッ ト 飛 行 場 は 、 マ -
一ラ の 北 方 約 百 キ ロ 、 こ の 重 大 な 戦局にあたって、第 一 航 空 艦 隊 に こ の 隊 あ
ア ラ ヤ ッ ト 山 の 西 方 で 、 マ ニ ラ ” リ ン ガ エ ン 街 道 を はさ り 、 と 自 他 と も に 認 め て い た 第 二 〇 一 航 空 隊 (戦 闘 機 隊 )
ん だ 草 原地帯にひろがり、 かつて米軍が航空基地として の 奮 起 こ そ 、 か れ ら の 期 待 し た と こ ろ で あ っ た 。 この隊
開発した大小七つの飛行場からなるクラーク基地群の一 の 搭 乗 員 は す べ て 一 騎 当 千 の ッ 7 モノで、 士 気 も ま た 天
つ で あ る 。 マニラまで、 自 動 車 で 約 ニ 時 間 か か る 。 をっく観があった。 ただ、 おしむらくは、作戦にっかえ
山本たちが、 マ -
一ラ の 司 令 部 に 着 い た の は 、 四 時 三 十 る飛行機は三十機にみたない。
分 す ぎ だ っ た 。大 西 の 姿 が 見 え な い 。大 西は、 山本たち いかにすべきか? あすもまた、 効果のうすい攻撃に
の到着がおそいので、自 動 車 の 故 障 か 、 ことによったら あ ま た の 将 兵 を 死 地 に 投 ず る の か 。 あ あ 、 なにか良策は
ゲ リ ラ に 襲 撃 さ れ た の で は な か ろ う か と 心 配 し 、 かれら ないのか?
を 収 容 か た が た 、 自 動 車 で 、 午 後 四 時 に マニラを出発し こうして、 二人が、 起 死 回 生 の 妙 法 を し ん け ん に 模 索
て ク ラ ー 基地にむかったという。
ク し て い た と き 、 黄 色 の 小 旗 (将 官 の 標 識 ) を た て た く ろ
ぬ り の自動車がちかづいてきた。指揮所から五十メート め、 玉 井 副 長 、 指 宿 、 横 山 両 飛 行 隊 長 、 猪 口 参 謀 、 そ れ

208
ル ほ ど の と こ ろ で と ま り 、大西中将が自動車から降りた に吉岡参謀の六名が、宿舎の二階の小部屋でテープルを
った。 かこんだ。
大 西 が 、 な ん の 前 ぶ れ も な く や っ て 来 た の は 、 いった 部 屋 の外には、深まりゆくたそがれの気配がただょっ
いなんのためだろうか? ている。
指 揮 所 の 椅 子 に 腰 を お ろ し た 大 西 は 、 しばらく黙然と
大 西 は 、 一 同 を に ら む ょ う に 見 ま わ し た の ち 、 やおら
して、 いそがしいたそがれ時の基地作業を見まもってい ロをきった。
た 。 やがて、彼 は お も む ろ に ロ を ひ ら い た 。
「現 在 の 戦 局 は 、 諸 君 が 承 知 の と お り だ 。 も し も 、 こん
「き よ う 、 わ ざ わ ざ こ こ に や っ て き た の は 、 す こ し ば か
ど の 『捷 一 号 作 戦 』 に 失 敗 し た な ら ば 、 ま こ と に ゆ ゆ し
り 相 談 し た い こ と が あ る か ら だ 。 ど う か ね 、 いっしょに
き 大 事となる。 そこで第一航空艦隊としては、 粟田部隊
宿舎にいこうか」
の レ ィ テ 突 入 作 戦 を ぜ ひ と も 成 功 さ せ ね ば な ら ぬ 。 それ
か れ ら は 、 マ バ ラ ヵ ッ ト の 町 に あ る 第 二 〇 一空の宿舎
に は 、 敵 の 機 動 部 隊 を た た い て 、 す く な く と も 一週間ぐ
にむかった。
らい、敵空母 の 飛 行 甲 板 を つ か え な く す る 必 要 が あ る と
こ こ マ バ ラ ヵ ッ ト は 、 ご み ご み し た 田 舍 町 だ が 、 町内
思 う .. 」
に はニ、 三 軒 の 気 の き い た 洋 風 作 り の 家 が あ り 、 それを
一同は、 長 官 の 顔 を じ っ と 見 つ め た 。 大 西 は 言 葉 を つ
日 本 側 で 借 り て 宿 舎 に あ て て い た 。 第 二 〇 一空の宿舎も
づけ、
その一つであった。
「そ の た め に は 、 零 戦 に 二 百 五 十 キ ロ 爆 弾 を つ ん で 体 当
宿 舍 に 着 く と 、 さ っ そ く 第 二 十 六 航 空 戦 隊 参 謀 .吉 岡
たりをやる以外には、 これといった確実な方法はないと
忠 ー 中 佐 も 呼 び よ せ た 。吉 岡 が く る や 、大西長官をはじ
思 う が 、 ど ん な も の だ ろ う か」
と 、 一同の顔を射るよう見まわした。 満座は粛然とし 二人は、 玉 井 の 私 室 で 、 体当たり 攻 撃 を 実 行 す る と し
で 声 がない。 玉井の胸には、 ぴーんとひびくものが感じ た 場 合 の 、 搭 乗 員 の 士 気 に つ い て 、 そっ直にかたりあっ
られた。 た。
玉井は、 おもむろにいった。 玉 井 は 、指宿の所見も自分と同じであることをたしか
「私 は 副 長 で す か ら 、 隊 全 体 の こ と を 勝 手 に 決 め る こ と めたのち、
は で き ま せ ん 。司令の意向をただす必要があると考 え ま 「司 令 か ら 一 任 さ れ て い る 自 分 と し て は 、 た だ い ま の 長
ナ」 官の意見に同意したいと思う」
す る と 、大 西 は 、 と言つた。
「じ つ は 、 山 本 司 令 と は 、 す で に マ ニ ラ で 打 ち あ わ せ ず 「副 長 の 意 見 ど お り で す 」
みである。副長の所見は司令の意向と考えてもらってさ 指宿も言下に賛成した。
しつかえないので、 万事は副長の処置に一任するという 二 人 は 席 に も ど り 、 玉 井 は 第 二 〇 一航空隊としての見
ことだつた」 解 を 報告し、 さらに、
と言った。 「体 当 た り 攻 撃 隊 の 編 成 に つ い て は 、 隊 側 に ま か せ て い
しかし、 さ き に ふ れ た よ う に 、大西はマニラで山本に ただきたい」
会 っ て い な い 。 ど う や ら 、 こ の 大 西の発言は、 玉井の本 と希望した。
心を知るためであったらしい。 「う む !」
『し ば ら く 待 っ て い た だ き た い 」 と う な ず く 大 西長官の表情には、部下を死地に投ずる
と 言 っ て 、 玉 井 は 先 任 飛 行 隊 長 .指 宿 正 信 大 尉 と 席 を 指 揮官としての沈痛さのなかにも、 わが意をえたという

209
はずした。 色がほのかにうかがえた。
て フィリ ピ ン 南 部 に 着 任 し た と き ま で に 、 かれらはあい

210
つぐ戦闘のため、 その三分の一の三十名ほどに減ってい
三 た。 玉 井 は かねがね、 かわいいかれらにょい機会をみつ
けて、 かれらを立派なお役にたたせてやりたいと念願し
つづけた。 か れ ら も 玉 井 を 慈 父 の ょ う に し た っ て い た 。
敏 い は 、 明 日 に も せ ま っ て い る か も し れ な い 。 玉井は そ こ で 、 玉 井 は 飛 行 隊 長 と は か り 、 この九期練習生ニ
き っ そ く 、 その編成にとりかかった。 十三人を従兵室に呼んだ。
大西は、 その編成ができあがるまで、司令私室で休息 玉井は戦局を説明し、大西長官の決意をつたえた。若
十る。 者 た ち は 、 喜 び の 感 動 に 興 奮 し た の か 、 一瞬、 は っ と し
玉井の脳裏には、大西が体当たり攻撃を口にしたとき た。 つぎの瞬間、 そ の 全 員 が 双 手 を あ げ て 志 願 し た 。 う
か ら 、 "九 期 飛 行 練 習 生 の 搭 乗 員 か ら 選 ぼ ぅ " と い ぅ 考 す 暗 い 部 屋 に た だ ひ と つ と も る ラ ン プ の 光 に 、 きらきら
え が 浮 か ん で い た 。 か れ ら と 玉 井のあいだには、深 い 縁 と目をかがやかした若者たちは、
があったからである。 「や り ま す 」
かれらが、練 習 航 空 隊 教 程 を 卒 業 し て 第 一 線 の 玉 井 部 「や ら せ て く だ さ い 」
隊 に 入 隊 し た の は 十 八 年 十 月 だ っ た 。 玉 井 は 、 かれらに と、短い一言に、 その決意のほどをはっきりと披瀝す
大 き な 期 待 を よ せ 、魂をかたむけて教育した。 だが、十 るのであった。
九 年 二 月 、 か れ ら は 訓 練 な か ば に し て 、 マリアナ方 面 に こ れ ら 二 十 三 名 の 若 者 は 、 マ リ ア ナ 、 パ ラ オ 、 ヤッ プ
進出を命じられた。 と、あいつぐ激戦でたおれた戦友の仇を討つのはいまだ
そ の 年 の 八 月 は じ め 、 玉 井 が 第 二 〇 一航空隊副長とし と、考えたことだろう。
玉井が士官室にもどってきたときには、すでに真夜中 悩む玉井の頭をかすめたのは、関行男大尉であった。
になっていた。 管 野 と 関 は 、兵学校の同期生、 どことなく性格まで似
こ う し て 列 機 の ほ う は き ま っ た 。 さて、 その指揮官を ている。
だれにするか? 「ど う だ ろ う 、 関 を だ し て み よ う 思 う ん だ が ..」

この純一無垢の搭乗員を、だれの手にたくせばいいの 猪口は、 かつて兵学校教官時代に接した関生徒の面影
か? を思い出しながら、 玉井に関についての人物評をただし
玉井は、 猪口と相談した。 た。
「指 揮 官 に は 、 兵 学 校 出 の も の を 選 ぼ う じ ゃ な い か 」 「う む 、 よ か ろ う 」
と猪口がいったとき、 玉井にぴーんときたのは管野直 と、猪口はこの人選に同意した。
大尉でぁった。
管 野 は 、 冷 静 に し て 綿 密 、慎 重 に し て 果 断 な 、 すぐれ マバラカットの夜は、 深 し ん と ふ け て ゆ く 。関大尉を
た戦闘機パィロットだった。 ヤップ上空の空中戦で、 ま 起 こ す よ う 命 じ ら れ た 従 兵 の 足 音 が 、 コッコッと二階に
ゥさきに3 を体当たりでしとめている。 消えていった。
24

だが、 そのとき、管野は要務をおびて内地に出張中で 階下の士官室で、無言のままむきあっている玉井と猪


ぁった。 ロは、 階 上 の 関 に 思 い を は せ た 。
当 時 の 第 二 〇 一航空隊には、 指 揮 官 格 の 士 官 搭 乗 員 は 「い ま 、 関 は ど ん な 夢 路 を た ど っ て い る だ ろ う か 」
十 四 、 五名いた。 やがて、静かな足どりで階段をおりてきた長身の関大
しかし、 こんどの指 揮 官 に は 、 人物、 技 量 、 士気の点 尉 が 、士官室に姿をあらわした。

211
で 、 三 拍 子 そ ろ っ た 最 優 秀 者 を 選 ば ね ば な ら な い 。 思い 「副 長 、 お 呼 び で す か 」
う な ず い た 玉 井 は 、無 言 の ま ま 、と な り の 椅子を関に 「そ う か 」
すすめた。 と こ た え て 、関 の 顔 を じ っ と 見 つ め た 。

212
「関 、 … … 」 こ う し て 二 十 四 名 か ら な る 攻 撃 隊 が 編 成 さ れ た 。 列機
玉 井 は 関 の 肩 を 抱くようにして話しかけ、思わず涙ぐ も指揮官も決定した。そこで猪口は、
んだ。 「こ れ は 特 別 の こ と だ か ら 、 隊 に 名 前 を つ け て もらおう
思えば、 九死に一生を期しえない必死の体当たり攻撃 じゃなぃか」
で あ る 。 九 期 練 習 生 の 二 十 三 人 の 搭 乗 員 た ち は 、 まだ酒 と い っ て 、 玉 井 と 二 人 で か ん が え た 。 猪 口 は 、 思 いつ
よりも菓子をこのむ若さであり、関も数えて二十五歳、
ぃ 厂
しかも結婚してから五力月しかたたぬ新婚ホヤホヤであ 「神 風 隊 と い う の は ど う だ ろ う か 」
る 。 この若者たちに、爆 弾 を 抱 い て 死 ね 、といわねばな といつた。
らない。 玉井の気持は重かった。 「そ れ は い い 、 こ れ で 神 風 を 起 こ さ なく ち ゃ な ら ん か ら
長 官 が .. 、こ の 攻 撃 隊 の 指 揮 官 と し て.. 、
「き ょ う 、 なぁ」
止 貝 様 に 白 羽 の 矢 を 立 て た ん だ が 、 ど う か ね ?」 玉井は言下に賛成した。
と ぎ れ が ち な 副 長 の 話 を 聞 き お わ っ た 関 は 、 くちびる
猪 口 は 、攻 撃 隊 の 編 成 決 定 を 報 告 し 、 隊の命名希望を
を か た く 結 び 、 し ば ら く 両 ひ じ を 机 に つ い て 頭 を ささえ の べ る た め 、 大 西 長 官 が 待 っ て い る 二 階 に あ が っ ていっ
で い た 。 やがて、 オールバックの長髪をかきあげていつ た。
た。 猪口はドアをノックしながら、
『ぜ ひ 、 私 に や ら せ て く だ さ い 」 「長 官 」
玉井も、ただ一言、 と 呼 び 、 部 屋 の な か に は い っ た 。 大 西 は 、むっくと反
製ベッドの上に起きぁがった。 ニ〇 一 空 司 令 は 現 有 兵 力 を も っ て 体 当 た り 特 別 攻
11、
「二 十 四 名 が き ま り ま し た 。 指 揮 官 に は 、 兵 学 校 出 身 の 撃隊を編成し、なるべく十月二十五日までに比島東方海
関行男大尉を選びました」 面の敵機動部隊を殲滅すべし。
「そ ぅ か 」 編制
「つ き ま し て は 、 こ れ は 特 別 の こ と で す か ら 、 隊 名 を つ 指揮官海軍大尉関行男
け て い た だ き たいと思います。 玉井副長とも相談しまし 各 隊 の 名 称 を 、敷 島 隊 、大 和 隊 、朝 日 隊 、 山 桜 隊 と
たが、神風隊とお願いしたいと思います」 す』
「ぅ む 」 ちなみに、 各隊の名称は、本居宣長の大和魂をょんだ
大西長官の力強い気配が感じられた。 ところの
時 に 、 昭 和 十 九 年 十 月 二 十 日 午 前 一 時 す ぎ 。 ここに、
世 紀 の 「神 風 特 別 攻 撃 隊 」 が 誕 生 し 、 つ ぎ の 命 令 が 発 せ 於鉍の大和心を人問はば
られた。 朝日に匂ふ山桜花
『一、 現 戦 局 に 鑑 み 艦 上 戦 闘 機 二 十 六 機 (現 有 兵 力 〕 を
も っ て 体 当 た り 攻 撃 隊 を 編 成 す (体 当 た り 機 十 三 機 )。 本 の一首より選んだのであった。
攻撃隊はこれを四隊に区分し、敵機動部隊東方海面出現
の 場 合 、 こ れ が 必 殺 (少 な く と も 使 用 不 能 の 程 度 ) を 期
す 。 成 果 は 水 上 部 隊 突 入 前 に こ れ を 期 待 す 。今 後 艦 戦 の 四
増強を得しだい編成を拡大の予定。
本攻撃隊を神風特別攻撃隊と呼称す。
猪 口 参 謀 が 去 っ た あ と 、 玉 井 と 関 の 二 人 は 、 しばらく あ ろ う 母 親 、結 婚 し て ま も な い 若 い 愛 妻 、彼女らへの思
のこって話しあった。
いが、 彼 の 胸 中 を と め ど も な く 去 来 し た か も し れ な い 。

214
「副 長 、 そ う な る と 、 あ す の 夜 明 け か ら で も 行 動 開 始 と 玉 井 も お な じ 思 い で 、 な か な か 眠 れ な か っ た 。 玉井は
なるかもしれませんが、困ったことがあるんです」 関 の 身 の 上 に つ い て 深 く 知 ら な か っ た し 、 たずねようと
「な ん だ 、 そ れ は ?」 もしなかった。殉国の熱情にもえる若い戦士にたいし、
「じ つ は 、 ま こ と に び ろ う な 話 で 恐 縮 で す が 、 こ の と こ ただ黙とうにもにた思いをささげるのみであった。
ろ 下 痢 で よ わ っ て い る ん で す 。 な ん と か 、 こいつをとめ
る 手 は な い で し ょ う か ?」 マバラカット基地の北側にパンバン川が流れている。
「な ん だ 下 痢 か 。 し か し 、 そ れ は 困 る な あ 。 夜 が あ け た 川幅は七、 八十メートル、河 原 がひろく、浅い川底の石
ら軍医官に相談してみよう」 を数えることができるほど水は清い。
「お 願 い し ま す 」 風にゆらぐ川岸のすすきの白い穂が川面にはえる風情
翌朝、さっそく軍医官にたのみ、下痢どめの注射をし は、 そ ぞ ろ に 祖 国 の 秋 を し の ば せ た 。
てもらうことになる。
マパラカット飛行場の西端から、す す き の 丘 の 野 路 を
も は や 、 と く に 話 す ことも な か っ た 。 北に二百メートルばかり行くと、 二十メートルほどの崖:
あすの任務のためにも、 できるだけ休養をとらねばな が あ り 、 脚 下 に は バ ン バ ン 川 の せ せ ら ぎ が 見 え る 。 この
ら な い 。 玉 井 は 関 に 、 じ ゆ う ぶ ん 睡 眠 を と る ようにとニ 崖の川のほとりに、 ほんの屋根と床だけのパラックがあ.
階の部屋へかえした。 った。
自室にもどった関は、 無心にねむりにつけたであろう 十 九 日 の 夜 半 に 編 成 さ れ た 神 風 特 別 攻 撃 隊 員 は 、 夜が
か。 故 郷 に わ び し く わ が 子 の ぶ じ を 祈 り つ づ け て い る で あけるとすぐ出撃準備をはじめ、 このバラックで待 機 レ
ていた。 『隊 員 は 非 常 な 張 り 切 り で 、 極 め て 好 結 果 を も っ て 編 成 '
敵 の 出 現 す る 気 配 が な い の で 、大 西 長 官 は 、 隊員を第 が で き た 。 "隊 の 方 で 万 事 や る か ら 委 せ て く れ " と 云 う .
ニ〇 航 ので、 隊 に や ら せ る こ と に し た 、 と 大 西 は 極 め て 満 足 裡 .
一空 隊 本 部 に あ つ め て 訓 示 し た 。
関大尉を先頭に、敷島、 大和、朝日、山桜の隊員二十 に 神 風 隊 結 成 の 模 様 を 語 っ た 。 そ し て 午 後 八 時 、 長官の
四 名 が 四 列 に な ら ん だ 。 さ す が の 闘 将 大 西 も 、 きょうは 交 代 を 行 い 、 余 は 強 く そ の 成 功 を 祈 り 、彼 は 誓 っ て 成 功 ‘
す こ し 青 ざめて、 ロもなかなか重い。 を期したのであった』
「日 本 は 、 ま さ に 危 機 で あ る 。 こ の 危 機 を 救 い う る も の と 、 したためている。
は、 大 臣 で も 、 大 将 で も 、 軍 令 部 総 長 で も な い 。 む ろ ん
自 分 の ような長 官 で も な い 。 そ れ は 諸 君 の よ う な 、純真 あ く る 二 十 一 日 午 前 九 時 ご ろ 、 味 方 哨 戒 機 が 、 レィテ.
に し て 気 力 に み ち た 若 い 人 び と の み で あ る 。自 分 は 一 億 湾の東方海面に敵機動部隊を発見した。
の国民にかわって諸君にお願いする。どうか、成功を祈 「特 別 攻 撃 隊 出 発 用 意 」
る … … 」 隊 員 は 関 大 尉 を 先 頭 に 、 指 揮 所 の 前 に 整 列 す る 。 玉井
そして、最後に、 副長は水筒の水をそのふたにそそぎ、搭乗員はつぎつぎ
「し っ か り た の む 」 に飲みほして別れの盃とした。
と、 かさねていって涙ぐんだ。 そ の と き 、 ど こ か ら と も な く 「海 征 か ば 」 が う た い だ
秋のひざしが、勇士たちの飛行服にさんさんとふりそ さ れ 、 「予 科 練 の 歌 」 が つ づ い た 。 見 お く る 隊 員 の 合 唱
そいでいた。 は、 こ こ マ パ ラ カ ッ ト 飛 行 場 の 草 原 に ひ く く 流 れ て い っ
この日の夕刻、大 西 は マ ニ ラ の 司 令 部 に 帰 っ た 。 た。
寺岡謹平は、 その日記のなかに、 や が て 「出 発 」 が 下 令 さ れ 、 搭 乗 員 は 愛 機 へ む か う 。
エンジンは回転をはじめ、 列機の搭乗員はそれぞれ自分
の飛行機に乗った。関 大 尉 は 、 紙につつんだものを玉井 教 へ 子 へ (四 十 二 期 飛 行 学 生 へ 〕 辦
副長にわたした。
「副 長 、 こ れ を お 願 い し ま す 」 教え子ょ散れ山桜此の如くに
と、 いいのこして機上の人となった。
関がのこしていったのは、 ひとにぎりの髪であった。 ニ十五日の昼すぎ、東の空から一機の零戦がセブ航空
玉 井 は こ の 遺 髪 を 右 手 に し か と に ぎ り な が ら 、愛する部 基 地 (レ イ テ の 西 方 約 百 キ ロ ) に か け こ ん で き た 。
下の出発を感慨をこめて見おくった。 飛行機からおりた飛行兵曹長西沢広義は、第二 0 航
1.
進発した飛行機は、 みごとな編隊をつくって東に進撃 空 隊 飛 行 長 .中 島 正 少 佐 の い る 指 揮 所 に あ わ た だ し く か
す る 。だが、残念ながら、 この日は敵を発見できずむな けこんだ。
しく帰投した。
西沢は緊張し、彼の五体からは異様なものが感じられ
敷 島 隊 は 、 つづく三日間、 日ごと敵を求めて出発し、 る。
苦 心 し て 予 定 地 点 に た っ し た が 、敵 影 を 見 な か っ た り 、 指 揮 所 に い あ わ せ た 士 官 た ち も 、 と っ さ に 総 立 ち と な ..
あるいは悪天候のために進撃できず、恨みをのんで引き り、 ド ヤ ド ヤ と 西 沢 を と り ま い た 。
かえすのであった。
西沢がもたらしたものは、関大尉のひきいる敷島隊^
ついに十月二十五日の朝、関行男隊長以下の敷島隊の つ い て の 吉 報 だ っ た 。 つまり、 敷 島 隊 は こ の 日 の 午 前 十
五機は、 四機の直掩機にまもられて還らざる攻撃に飛び 時 四 十 分 、 レ イ テ の 八 十 五 度 、 三 十 ヵ イ リ に 敵 の 空 母 !:
たっていった。 隻 、巡洋艏おょぴ駆逐艦六隻のー群を発見、十時四十5
関大尉の居室には、 つぎの遺詠がのこされていた。 分、奇襲に成功したのであった。
西沢は興奮した口調で、 自 分の目で、 じかに見た攻撃
の成果を、あ ら ま し つぎのよぅに語った。
「指 揮 官 機 の 突 撃 の バ ン ク に つ づ い て 全 機 が 突 入 す る 。 五
指揮官機の命中によって火炎におおわれながら逃げまわ
る空毋にたいし、指揮官機の体当たりしたおなじ穴に列
機 が ま た 命 中 し 、 そ の 火 柱 と 黒 煙 は 千 メ ー トルの高さま 神風特別攻撃隊が編成された十月二十日の午後おそく
でまいあ.
が っ た 。 この空母は、 ついに沈んだ。 他の一機 に、 中 島 正 少 佐 は 大 和 隊 を ひ き い て 、 敵 が 上 陸 し た レ ィ
テから目と鼻の先のセブ基地に進出した。
は別の空母に命中して大火災を起こさせ、さ ら に 他 の 一
機 は 軽 巡 に 命 中 、瞬 時 に し て 波 間 に 消 え た 」 飛 行 機 か ら おりた中島は、 さっそく隊員全部の集合を.
この報告に、搭 乗 員 た ち は こ おどりしてよろこんだ。 命じ、飛行服のままの姿で壇上にたった。
関 大 尉 隊 の 成 功 を 祝 っ た の は む ろ ん だ が 、 それまで心ひ 彼は 、戦局の 重 大 性 を 説 明 し 、 皇 国 の 興 廃 は ま さ に ;
そ か に い だ い て い た 攻 撃 時 の 懸 念 が 、 吹き飛んでしまっ の 一 戦 に あ り 、 「捷 一 号 作 戦 」 成 功 の か ぎ で あ る 敵 空 母 ­
たからでもある。 の 撃 破 は 、 わ れ ら 基 地 航 空 部 隊 の 双 肩 に か か っ て いるの
中島は、さ っそくマ-
一ラの第一航空艦隊司令部にあて で、大 西 長 官 は こ の 悲 願 を 達 成 す べ く 、神 風 特別攻撃隊
て、 歴史的な電報を打った。 の編成を命じた、と語ったのち、
『神 風 特 別 攻 撃 隊 敷 島 隊 〇 「た だ い ま か ら 、 セ ブ 基 地 に お け る 神 風 特 別 攻 撃 隊 の 編
一四 五 ス ル ア ン 島 の 北 東 三 十
カイリにて、空母四を基幹とする敵機動部隊に対し奇襲 成 に と り か か る 。下 士 官 兵 搭 乗 員 は 、 八つ切りの用紙に
に 成 功 。空 母 一 に ニ 機 命 中 、 撃 沈 確 実 。空 母 一 に 一 機 命 志願者は等級氏名を書き、志 願 し な い 者 は 白 紙 を そ れ ぞ


17
中 、大 火 災 。 巡 洋 艦 一 に 一 機 命 中 、 轟 沈 』 れ の 封 筒 に い れ 、先 任 搭 乗 員 は こ れ を ま と め て 、 今夜九
時、わたしのところに持ってこい」 南 国 の夜は、 しだいにふけていった。 階下の搭乗員た
と 、 いいわたした。中 島 は さ ら に 言 葉 を つ づ け た 。 ち も 寝 し ず ま っ た の か 、 物 音 ひ と つ し な い 。 テ —ブ ル に ?

「身 の ま わ り の 整 理 や 家 庭 事 情 な ど か ら 、 い ま す ぐ 志 願 ひじをついた中島が、 ふとニューギニアやラバゥルなど
で き な い 者 も い る だ ろ ぅ 。 飛 行 機 の 数 は す く な く 、搭乗 の激戦を追憶していたとき、静かに作戦室のドアがあい
員 は お お い 。 志 願 者 は お お く は い ら な い … …」 た。 学 徒 出 身 の 植 村 真 久 少 尉 が 、 そ こ に 立 っ て い た 。
やがて九時になった。先任搭乗員が作戦室にやってき 植 村 は 立 教 大 学 サ ッ ヵ ー 部 の 主 将 だ っ た だ け に 、 その
た。彼 の 手 に は 、 二十数名の運命をひめたひとたばの封 体格はがっちりして見るからにたく ま し かった。 だが、
筒 が 、 しかとにぎられている。彼は中島にそれをわたす き ょ う の 彼 は 、 い や に し ょ ん ぼ り し て い る 。 しかしなが
と、 無 言 の ま ま 静 か に 出 て い っ た 。 ら、今 夜 、 こ こ に き た の は 、 特 攻 隊 志 願 に ち が い な い だ
中島のこわばった手は、机の引き出しのなかの冷たい ろう。
は さ み を に ぎ り 、 重 苦 し い 表 情 で そ の 封 筒 を 、 ひとつひ 作戦テーブ ル の 前 に た っ た 植 村 は 、 しばらくもじもじ.
とつ切った。なかからでた八つ切りの紙片 I 。志願者 していた。 そ し て 意 外 に も 、 つまらぬことを聞いて帰っ
の等級と氏名がその紙片には、 はっきり書いてある。 ニ てしまった。
枚 の 白 紙 が そ の な か に ま じ っ て い た 。 こ の 白 紙 は 、 その 植 村 の 後 ろ 姿をみつめながら、中 島 は つぶやいた。
とき病気中で飛行できない者のものだった。 「お か し な 奴 だ 、 お れ の 考 え ち が い だ っ た の か ?」
ところ が 、植村はつぎの晚もやってきた。中 島 は植村-
セブ基地の作戦室には、もと映画会社の社長の住宅だ の目 を 見 た 瞬 間 、 "た し か に 特 攻 志 願 だ " と 感 じ る もの
つた立派な洋館の二階があてられていた。がらんとした が あ っ た 。 しかし、 中 島 の 前 に た つ と 、 またもや昨晩の
部 屋 の ま ん な か に 、大 き な 作 戦 テ Iブ ル が お い て あ る 。 ようにもじもじして、なんでもないことをたずねて、 そ
のまま出ていつてしまつた。 した。 私 は 、 自 分 の 技 量 の ま ず い こ と を よ く 知 っ て い ま '
中 島 は 自 分 の 目 —— 植 村 の 顔 に は 、 た し か に "特 攻 志 す 。 … …だ が 、 特 攻 隊 の 志 願 ば か り は 、 ど う し て も あ き .
願 に き ま し た " と 書 い て あ る 、 と 読 ん だ-- を 疑 わ ず に らめられないのです」
はいられなかった。 中島はなおも黙然としていた。飛行長が返事しないの.
植 村 は 、 つ ぎ の 夜 も や っ て き た 。 そ の 夜 も ま た 、 彼は で 、 "駄 目 な の で は な い か " と 感 じ た 植 村 の 表 情 に は 、
伏し目がちでもじもじしている。 悲しげな色がありありと見えだした。
中 島 が 、植 村 の 顔 をみつめながら、 中 島 は 、思わず立ちあがり、 植村の肩をたたいていっ
「植 村 、 君 は 一 昨 晩 か ら 再 三 や っ て く る が 、 … … 君 は 特 た。
攻 隊 を 志 願 に や っ て き た の で は な い か ?」 「植 村 、 心 配 す る な 。 お 前 く ら い の 技 量 が あ れ ば 、 特 攻
と 、 たずねた。植村は は じ め て 顔 を あ げ 、 すまなそう 隊員にはじゅうぶんすぎる。 おれがきっとよい機会を見
にいった。 つけてやるから、 心 配 せずに寝ろ」
ほっとした植村は、 ようやくにっこりと笑った。
「じ つ は 、 そ う な の で す 。 そ う 思 っ て 一 昨 晩 か ら ま い り
ましたが、飛 行 長 の 顔 を 見 る と 、どうしてもそれがいい 「飛 行 長 、 よ ろ し く お 願 い し ま す 」
,た せ な い の で す 。 ご 存 じ の ょ う に 、 私 は 他 の 者 ょ り も 技 植 村 は こ う いってお辞儀をし、 元気な足どりで帰って
量 が ま ず い も の で す か ら … …」 ぃった。
世のなかに、 こんな奥ゆかしい心根の人物がいるだろ 中 島 は 、 こ み あ げ て く る 熱 い も の を 感 じ な が ら 、 ドア
うか? 中島は胸がつまって、 ものがいえなかった。 を あ け て バ ルコニーへ出た。南国とはいえ夜風はつめた
黙っている中島を見て、植村は言葉をつづけた。 か っ た 。灯 火 管 制 の た め に 、 海 も 山 も 真 っ 黒 だ っ た が 、
「私 は 先 日 の 訓 練 の と き 、 た い せ つ な 飛 行 機 を こ わ し ま 空には無数の星がきらめいていた。
「き ょ う は 君 に は む り だ 。 帰 り が 夜 に な る か ら … …」

220
南方の天気は か わ り や す い 。とりわけ十月二十四日の 植村は頭をかきながら、
天 気 は 悪 か っ た の で 、 哨 戒 機 も 攻 擊 隊 も さ ん ざんな目に 「仕 方 が あ り ま せ ん 」
あ っ た 。 だ が 、 セ ブ 基 地 で 傍 受 し た 電 報 に よ れ ば 、 一機 と、あきらめたが、
の 掩 護 飛 行機もない、 はだかの栗田部隊は、敵機動部隊 「確 実 な と き に 、 ぜ ひ お 願 い し ま す 」
の 飛 行 機 に 猛 攻 さ れ 、 シ ブ ヤ ン 海 で 苦 闘 し て い る 。味 方 と、 だめをおすことを忘れなかった。
水上部隊の苦悩をよそに、手 を こまねいていることはで 植 村 少 尉 と 交 代 し た 一 等 飛 行 兵 曹 ,塩 田 寛 は 、 目 を か
き な い 。 ぐ ず ぐ ず し て お れ ば 、 超 戦 艦 『大 和 』 『武 蔵 』 が や か し な が ら も 、植 村 に す ま な そ う な 顔 を し て い た 。
までやられてしまぅかもしれない。 こ う し て 出 撃 し た 攻 撃 隊 は 、 搭 乗 員 の 懸 命 の 捜 索 もむ.
敵の空母部隊はどこにいるのか? な し く 、 スコ I ル の 壁 に さ ま た げ ら れ て 、 ついに敵を発.
鶴 首 し た 敵 発 見 の 電 報 が と ど い た の は 、午後おそくだ 見 で き ず 、暗 く な っ て か ら 帰 っ て き た 。
った。 一 刻 も ゆ ぅ よ で き な い 。 中 島 は す ぐ 飛 行 機 の 準 備 レ イ テ 沖 を 中 心 に 、 四 日 間 に わ た っ て 展 開 さ れ 、 わが
を 命 ず る と と も に 、 「搭 乗 員 整 列 」 を 下 令 し た 。 海軍が空前の大損害をこうむったフィリピン沖海戦の最-
先頭には、 三日三晩かかって悲願を達成した小隊長. 終 日 と な っ た 十 月 二十 六 日 、 勝 ち ほ こ る 米 機 動 部 隊 は 、
植村真久少尉が目をかがやかせて整列している。出発時 いまだにレイテ東方海面にへばりついていた。
刻 が お そ い の で 、敵を発見せずに帰投する場合は夜にな 前夜のうちに整備を終わっていた神風特別攻撃隊大和
る だ ろ う 。 だ が 、植 村 に は 夜 間 飛 行 の 経 験 が な い 。 出し 隊は、 この敵に一矢をむくいるべく、 勇やくセプ基地を
てはやりたいが、 それは許されない。 出撃した。
中島は植村を呼んでいった。 第一隊
少尉植村真久 られていた。

11 曹 五 十 嵐 春 雄
ニ飛曹日村助 一 植 村 真久は、立 教 大 学 で 経済学をまなび、 その在学中
第二隊 から烈れつたる祖国愛の精神にもえていた。彼が海軍航
一飛曹勝又富作 空隊を志願し、 その同意をもとめたとき、両親は彼の決
一飛曹塩田寛 意 に ぅ た れ 、 ひ と り 息 子 で は あ っ た が 、 その入隊をここ
一飛曹移川普一 ろから祝ってやったといぅ。
飛長勝浦茂夫 そのニ年ほど前に結婚した芳枝さんとのあいだに、 や
第 一 隊 (零 戦 爆 装 ニ 、 直 掩 、
I 計三 機 ) は午前十時十
がて素子ちゃんが生まれた。植村が大空のまもりについ
五 分 、 第 二 隊 (零 戦 爆 裝 三 、 掩 護 —
、 計 五 機 ) は十二時 たのは、 それからまもないことだった。
三十分に発進し、両隊はあいついで進撃する。 昭和十八年九月二十三日、植村真久は立教大学経済学
第二隊は、 空母四隻を基幹とする敵機動部隊を発見、 部 商 学 科 を 卒 業 、 同 月 三 十 日 、第 十 三 期飛行予備学生四
約六十機の敵戦闘機の警戒幕を突破して、空母一にニ機 千七百二十六名の一人として、 三重航空隊に入隊した。
命 中 、撃 沈 確 実 、空 母 一 に 一 機 命 中 、撃 破 の 戦 果 を あ げ 十 九 年 一 月 七 日 、 基 礎 教 程 を 卒 業 し て 高 雄 航 空 隊 (台
た。 湾 ) へ、 つ い で 同 年 三 月 二 十 四 日 、 練 習 教 程 を お え て 大
植村少尉のひきいる第一隊は、 その全機が征きて還ら 村 航 空 隊 (長 崎 県 ) に 転 じ 、 五 月 三 十 一 日 、
少尉に任官、
なかったので、 その戦果は確認できなかった。 練 習 航 空 隊 特 修 科 学 生 を 命 ぜ ら れ 、 ついで七月二十五日
こ の 亡 き 数 に は い っ た 植 村 の 愛 機 に は 、愛児素子ちや に 佐 世 保 航 空 隊 付 と な り 、 一 週 間 後 の 八 月 一 日 、 い ょい

221
んがおもちやにしていた人形が、 お守りとして飾りつけ ょ悲願の翼の決戦場にはせ参じたのである。
内 地 出 発 の 直 前 、 恩 愛 の き ずな断ちがたく、今生の名 やがて、 わたしが電話にでると、

222
残 り に 愛 児 の 声 を 聞 く た め 、彼 は 、東京の自宅に長距離 「お 母 さ ん 、 子 供 は ほ ん と う に か わ い い も の で す ね 。 素

電 話 を か け た 。真 久 の 母 マ ッ さ ん は 、当時の思い出をし 子が生まれてから、 お母さまたちのご恩を深く感じます
みじみと語っている。 よ … … 」
『真 久 が 、 ち ょ っ と 素 子 の 声 を 聞 き た い か ら 、 ヮ ー ヮ ー と 、 め ず ら し く し み じ み し た 声 で い い ま し た 。 …… 』
と 電 話 口 で い わ せ て く れ 、と い ぅので、嫁の芳枝が一生 こうして征 途 に の ぼ っ た 植 村 は 、多 忙 に 明 け く れ る 前
,
け ん め い あ や し た が 、笑ぅだけで声を立てないので困り 線 基 地 で 、 素 子 ち ゃ ん の ぶ じ の 成 長 を 祈 り な が ら 、愛 児
4 した。 へのつきぬ骨肉の情の一たんを筆にたくすのであった。
それを真久に話すと、
『じ ゃ 、 お 尻 を つ ね っ て 泣 か せ てく れ 」
『素 子 素 子 は 私 の 顔 を よ く 見 て 笑 い ま し た よ 。 私 の 腕
といいます。 の中で眠りもしたし、 またお風呂に入ったこともありま
し か し 、笑 っ て い る 素 子 を 見 る と 、 そ れ も で き ま せ した。
ん 。 芳 枝 が 乳 を の ま せ 、素 子 が の み は じ め た と こ ろ を 、 素 子 が 大 き く な っ て 、 私 の こ と を 知 り た い 時 は 、 お前
い き な り は な し ま し た 。 怒 っ た 素 子 が 、 ワーッと泣きだ の お 母 さ ん 、佳 代 伯 母 様 に 、私 の こ と を よくお聴きなさ
しました。 い。 私 の 写 真 帳 も 、 お 前 の た め に 家 に 残 し て あ り ま す 。
すぐに電話口に顔をもっていくと、真久は、 素 子 と い う 名 前 は 私 が つ け た の で す 。素 直 な 、 心の優し
「素 子 か い 、 ヨ シ ヨ シ 、 泣 い ち ゃ だ め で す よ 、 ヨシヨシ い、 思 い や り の 深 い 人 に な る よ う に と 思 っ て 、 お 父 様 が
考えたのです。
と 、あやしました0 私 は 、 お前が 大 き く な っ て 、 りっぱな花嫁さんになっ
て 、 し あ わ せ に な っ た の を 見 届 け た い の で す が 、 もしお 追伸
仏卯が私を見知らぬまま私が死んでしまっても、 決 し て 悲 素 子 が 生 ま れ た 時 お も ち ゃ に し て い た 人 形 は 、 お父さ
しんではなりません。 ん が 頂 い て 自 分 の 飛 行 機 に お 守 り に し て 居 り ま す 。 だか
お前が大きくなって、 父に会ひたいときは九段へいら ら 素 子はお父さんと一緒にいるわけです。素子が知らず
づしゃい。 そ し て 心 に 深 く 念 ず れ ば 、 必ずお父様のお顔 にいると困りますから教えて上げます』
,

がお前の心の中に浮びますよ。 父はお前は幸福ものと思
ひ ま す 。 生 ま れ な が ら に し て 父 に 生 き ぅ つ し だ し 、 他の 当 時 、生 ま れ て 三 力 月 余 だ っ た 素 子 ち ゃ ん は 、 母や祖
人々も素子ちゃんを見ると真久さんに会って V るよぅな 父母の慈愛にだかれて、 すこやかに育った。
気 が す る と よ く 申 さ れ て ゐ た 。 また、 お前のお伯父様、 父が南溟の空に散華してから二十ニ年余の歳月が流れ
伯 母 様 は 、 お前を唯一の希望にしてお前を可愛がって下 た昭和四十ニ年三月、 父と同じ立教大学の文学部を卒業
き る し 、 お母さんもまた、御自分の全余生をかけてただ し た 素 子 さ ん は 、 靖 国 の 神 前 で 日 本 舞 踊 を 奉 納 し 、 その
ただ素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。 ぶ じ の 成 長 を 奉 告 し て 、 父 の 霊 を な ぐ さ め た 。素子さん
必ず私に万一のことがあっても親なし児などと思っては は、 六 歳 の と き か ら 藤 間 勘 十 郎 に 師 事 し 、 藤 間 都 と 名 取
な り ま せ ん 。 父 は 常 に 素 子 の 身 辺 を 守 っ て お り ま す 。優 りの腕前。
しく人に可愛がられる人になって下さい。 四月十二日、 深まりゆくたそがれにつつまれた九段の
お 前 が 大 き く な っ て 私 の こ と を 考 え 始 め た 時 に 、 この 社 の 拝殿で、 素 子 さ ん は 、 母親芳枝さんや家族、友 人 、
便りを読んで貰いなさい。 父の戦友たち 三 十 人 が 見 守 る な か で 、文金高島田に振袖
昭 和 十 九 年 〇 月吉日 姿 、 琴 の 音 に 合 わ せ て 「桜 変 奏 曲 」 を み ご と に 舞 い お さ

223
植村素子へ 父 めた。
舞ぅ素子さんの、 これを見つめる毋親はじめ肉親の、 いった勇士は、 じつにニ千五百三十数名にたっしたので
友 人 や 戦 友 た ち の 、 胸 中 を 去 来 し た も の は 、 なんであっ あった。

224
たろぅか。 こ れ ら 悠 久 の 大 義 に 殉 じ て 身 命 を 祖 国 に さ さ げ 、 護国
い ま は 亡 き 父 と の "こ こ ろ の 対 面 " を は た し 、 友 だ ち の 鬼 と 化 し た 人 び と は 、 い ま 「靖 国 の 神 」 と し て 九 段 の
か ら 贈 ら れ た 花 束 を 手 に し て 、 にっこり笑った素子さん 御社にまつられている。
は、
「お 父 さ ま と の 約 束 を 、 果 た せ た よ う な 気 持 で 、 う れ し 若鷲は南の空に飛び立ちて
い」 還るねぐらは靖国の森
と 、言葉すく な に語るのであった。
第 一 神 風 桜 花 特 別 攻 撃 隊 の 神 雷 攻 撃 隊 員 と し て 、 昭和
二十年三月二十一日、沖繩の敵艦に突入、戦死した海軍
六 二等飛行兵曹棚橋芳雄の辞世である。
ここで、祖 国 の た め に 散 華 し た 神 風 特 別 攻 撃 隊 員 の 行
祌風特別攻撃隊の攻撃は、昭和十九年十月二十一日、 為 に 感 激 し 、 恩 饕 と 国 境 を こえて、 これら勇士 の 霊 を と
大 和 隊 の 久 納 好 学 中 尉 (学 徒 出 身 ) に 始 ま り 、 フィリピ む ら ぅ こ と を 念 願 し て い る 奇 特 な フ ィ リ ピ ン 人 の ことに
ン、 台 湾 、 硫 黄 島 、 沖 繩 方 面 の 作 戦 で く り か え さ れ た 。 ふれておきたい。
ニ 十 年 八 月 十 五 日 の 終 戦 ま で に 、 そ の 攻 撃 は 、 二百九十
こ の 人 は 、 ダ ニ エ ル , 1ア ィ ゾ ン と い い 、 ー九六四

11
回 、 発 進 機 数 は ニ 千 三 百 六 十 七 機 に お よ び 、 亡き数には 年 に フ ィ リ ピ ン 大 学 を 卒 業 し た 画 家 で あ り 、 フィリピン
歴 史 協 会 の メ ン バ ーでもある。 この要請にたいして、 詫間が全面的な協力を約したこ
こ う し た 、 "発 願 " の 動 機 は 、 猪 口 力 平 .中 島 正 共 著 とはいぅまでもない。
『神 風 特 別 攻 撃 隊 』 の 英 語 版 を 読 ん だ と き の 感 激 で あ る そ の 後 、 マ バ ラ カ ッ ト (第 二 〇 一 航 空 隊 宿 舎 の あ っ た
と い う 。 そ れ に つ い て 、 デ ィ ゾ ン は 、 一九七〇 年 一 月 三 町) の 町 長 な ど 、 有 力 な フ ィ リ ピ ン 人 が デ ィ ゾ ン の 計 画
十 日 づ け 詫 間 力 平 (旧 姓 猪 口 ) に あ て た 書 簡 の な か で 、 に賛成し、 そ の 実 現 を 支 援 す る よ ぅ になった。
『私 は こ の 書 を 熟 読 し 、 祖 国 愛 に も え て 散 華 し た 、 これ デ ィ ゾ ン は 、 八 月 二 十 四 日 づ け 書 簡 の な か で 、 この発
ら 若 い 特 攻 隊 員 に 思 い を は せ る と き 、感激の涙 を 禁 じ え 祥地に建てたいと念願している聖堂の銘文の案を詫間に
な か っ た 。彼 ら は 永 遠 に 記 憶 さ れ 、 尊敬さ れ る べ き で あ つたえた。
ると確信する。 「こ の 歴 史 的 な 聖 堂 は 、 政 治 的 な 親 善 関 係 に 資 す る も の
い ま な お 、 冷 た い 海 の 墓 場 に 眠 っ て い る 、 これら勇士 ではなく、烈々たる祖国愛にもえ敢然として身命を国家
た ち の 霊 を と む ら う 私 の 微 意 を 具 現 す る た め 、 まず最初 にささげたすべての民族の人を、永遠に記憶にとどめる
に、 一 九 四 四 年 十 月 二 十 日 、 大 西 提 督 が 特 別 攻 撃 隊 の 編 ためである。
成を命じた神風特別攻撃隊発祥の地に標識をたてたいと 神風特別攻撃隊員の偉大さは、特攻隊員として志願し
思 う 。 さらに、 できれば、 この地にささやかな記念館を 採用されたときから、 その後の幾月もの訓練期間を通じ
建 設 し 、 これら勇士たちの写真をはじめ、特別攻撃隊戦 て、 彼 ら が そ の 終 局 の 使 命 は 明 ら か に 死 へ の 突 入 で あ る
闘 の 写 真 や 絵 画 な ど を 展 示 し た い ……』 と自覚していたことである。
と の べ 、 神 風 特 別 攻 撃 隊 発 祥 の 地 で あ る 、 第 二 〇 ー航 これら特 攻 隊 員 が 、 そ の 長 い 訓 練 期 間 に し め し た 冷 静
空隊の宿舎にあてられていたフィリピン人の民家の確認 さ と 熱 意 を 最 後 ま で 堅 持 し た こ と が 、彼らを非凡の人間
な ど 、 この計画の実現について詫間に協力をもとめた。 と し た の で あ る 。 そ れ は 凡 人 に と っ て は 、 さけることの
で き な い 精 神 的 な 苦 悩 で あ っ た … …」 コ (米 国 ) に 駐 在 し て い る 。

226
デ ィ ゾ ン は十月四日、 詫間らの協力によって判明した 家 の 倉 庫 に は 、飛 行 機 の 機 械 や 、部 品 、修理材料など
か っ て の 第 二 〇 一 航 空 隊 宿 舎 を お と ず れ 、 それがマルコ が 、 い っ ぱ い 格 納 さ れ て い た 。 庭 に は 大 量 の ド ラ ム 罐が
ス .サ ン ト ス の 家 で あ る こ と を 確 認 す る 。 おいてあり、 日本軍の撤退後も多数がのこっていた。
この家は、解 放 後 、 大 修 理 を ほ ど こ し た が 、 大西中将 神風特別攻撃隊員は、 よく頭に白いはちまきをしてい
らが神風特別攻撃隊にっいて討議した歴史的にも由緒あ た 。 彼 ら の 中 に は 、 そ の 出 撃 前 1、 わ れ わ れ の 友 人 の 家
る宿 舍 の 二 階 は 、 で き る だ け 当 時 の ままに保存されてい でピアノをひいたものがいた。
る と いぅ。 一九四四年のある日のことだった。提督がこの家に来
サ ン ト ス 夫 妻 は 、 か っ て の 思 い 出 を 、 こもごもディゾ るからという理由で、 われわれは家から退去するよう要
ンに語るのであった。 求された。 われわれはこの要求を快諾し、 それいらい、
「わ た し た ち は 、 日 本 の 海 軍 士 官 と 同 じ 家 に 、 住 ん で い し た し く 日 本 の 友 人 と 会 う 機 会 が な か っ た … …」
た。彼 ら は 教 養 が あ り 、 ひじょぅに親切であった。 さ ら に デ ィ ゾ ン は 、 そ の 後 の 書 簡 の な か で 、 かねて計
一 人 の 士 官 は 、 『自 分 の 父 は 日 本 で 旅 館 を 経 営 し て お 画 中 の 最 初 の マ ー ヵ ー 〔歴 史 的 銘 板 ) が 六 月 に 完 成 し た
り、 あ な た が た が 日 本 を 訪 問 す る 機 会 が あ れ ば 、 父 の 旅 ことを知らせ、その写真をとどけた。
館 に 宿 泊 さ せ 大 い に 歓 待 す る 』と いった。 このマ I 力 I は、 縦 が 約 ー メ ー ト ル 、 横 が 約 ニ メ ー ト
日本人のコックには、 スペイン語がじょうずなものが ルの金属製であり、 それにはつぎのような意味が英文で
いた。 しるされている。
" -シ
1 オ" と か い う 下 士 官 が 、 わ れ わ れ の 子 供 と 仲 よ 歴史的銘版 I 神風特別攻撃隊発祥地
しだった。 この子は、 いま副領事としてサンフランシス こ の マ ル コ ス .サ ン ト ス 夫 妻 の 家 は 、 一 九 四 四 年 十
月二十日の早朝、海軍中将大西滝治郎がこの地をえら
び 、第 二 次 大 戦 で 有 名 な 日 本 神 風 特 別 攻 撃 隊 を 創 設 し
たところである。神風特別攻撃隊は志願者によって編
成され、 その当初の隊員は日本帝国海軍の第一航空艦
隊 .第 二 〇 一 航 空 隊 の 若 者 た ち の な か か ら 選 ば れ た 。
神風特別攻撃隊 は 終 戦 ま で に 、 その出撃回数は千二百
二十八回にのぼり、合計三百二十ニ隻のアメリヵ艦艇
を撃沈破した。
な お デ ィ ゾ ン は、 この書 簡 の 最 後 に 、 つぎのようにし
たためている。
「あ な た (詫 間 ) に お 願 い し た い こ と が あ り ま す 。 そ れ
は 、 あ な た が 靖 国 神 社 に お 参 り さ れ る 際 に 、 一人のフィ
リピン人が神風特別攻撃隊員の記念を不朽にするため最
善 の 努 力 を つ く し て い る と い う こ と を 、 まつられている
特攻隊の人びとに告げていただきたいことです。
おそらく、私は他日、 日本へ行き靖国神社にお参りす
る機会があるでしょう。 だが、 それまで、私 の た め に こ

227
のことをお願いしたいのです」
猪口敏平


(戦 艦 『武 蔵 』
入して雌雄をけっした太平洋戦令における最大の決戦で

230
ある。
戦いわれに利あらず、 わが艦隊は退いて広島湾の柱島
泊地に敗退の錨をおろした。時 に 、 六月二十四日の夜暗
ようやくせまる午後八時半ごろだった。
米軍は中部太平洋方向から、 ひたおしに西進した。そ この柱島泊地は、 日本艦隊にとってはゆかりの地であ
れ は フィリピンの領 有 ( 八
1 九 八 年 〕 い ら い 、 米海軍の り、 き わ め て 重 要 な 根 拠 地 で も あ っ た 。
対日戦略における伝統的な進撃路である。 太 平 洋 戦 争 の へ き 頭 、真 珠 湾 攻 撃 の 第 一 報 を 待 ち う け
昭 和 十 八 年 十 一 月 、 ま ず ギ ル バ ー ト 諸 島 に 、 ついで翌 ていた連合艦隊司令長官山本五十六が、作戦室の奥の大
年 二 月 、 マ ー シ ャ ル 諸 島 に 来 攻 し た 。 そ し て 、 日本の基 机のまぇの折り椅子にどっかと腰をおろ乙て、大きく目
地 航 空 部 隊 の 力 が 予 想 外 に 弱 い こ と が 判 明 す る や 、 さっ をひらき、 ロをへの字に結び、
そ く 作 戦 を ス ピ ー ドアッ プ し 、 マリアナ諸島の攻略を四 『ト ラ ト ラ ト ラ 』 9 レ奇襲ニ成功 セ リ )
力月 ほ ど く り 上 げ た 。
の 歴 史 的 報 告 に 、 だ ま っ て う な ず い た と き 、 旗 艦 『長
さ ら に 十九年六月、米軍はマリアナ諸島のサイパンに 門』 はこの地に停泊していた。
侵 攻 す る 。 こ れ を 知 っ た 小 沢 、 粟 田 の 両 艦 隊 は 、 おっと 明くる昭和十七年五月二十七日、南 雲 忠 中
I 将のひき
り刀で戦場にかけつけた。 こうして、中部太平洋の要衝 いる第一航空艦隊は、 ミッドゥュー作戦で米艦隊を き
I
で あ る "絶 対 国 防 圏 " の 攻 防 を め ぐ り 、 六 月 十 九 、 二十 ょにほふるべく、威 風 堂 々 と 、 この泊地を出撃した。 だ
日の両日、 マリアナ諸島の西方海面で、洋上決戦がくり が 、 惜 し く も 一 敗 地 に ま み れ て 、太 平 洋 戦 争 の 潮 流 を 逆
ひろげられた。 この海戦は、 日米両艦隊がその主力を投 転するにいたった。
十 八 年 六 月 八 日 、 旗 艦 ブ ィ に 繫 留 中 で あ っ た 戦 艦 『陸 減した。
奥 』が 、 な ぞ の 爆 沈 を し た の も 、 こ の 地 で あ る 。 "思 わ ず も 来 た り て 長 逗 留 と な っ た " 呉 軍 港 に 別 れ る た
め、 乗 組 員 に も 上 陸 が 許 さ れ た 。
ひ さ し ぶ り に な が め る 柱 島 泊 地 に 、 『武 蔵 』 副 長 加 藤 夢 な か ば の 午 前 一 時 、 呉 鎮 守 府 は 警 戒 警 報 を 、 ついで
憲 吉 大 佐 な ど の 思 い 出 は つ き な か っ た 。 ひとしお胸が痛 一時三十分に空襲警報を発令した。済州島方面ょり敵機
ん だ の は 、 こ の 『陸 奥 』 の 位 置 を し め す 、 赤 浮 標 で あ っ 来襲の警電があって、 九州と中国地方は警戒の必要があ
た。 っ た か ら だ 。 『武 蔵 』 は 十 六 ノ ッ ト 即 時 待 機 (下 令 後 、
しかし、 こうした瞑想にふけり、長く祖国の山河に憩 た だ ち に 十 六 ノ ッ ト で 航 行 で き る 準 備 )、 上 陸 員 の 収 容
うことは許されない。 など夜半の作業にいそがしかった。
「も は や 内 地 で は 燃 料 も な い の で 、 油 の 豊 富 な リ ン ガ 泊 こ の 日 の 午 前 八 時 四 十 五 分 、 『武 蔵 』 は 、 『大 和 』 に
地 で し っ か り 訓 練 を や っ て も ら い た い 。 いずれ作戦の方 つづいて呉を出港する。 そ し て 、赤い太陽が九州の連山
針がきまりしだい知らせる」 に 没 し ょ ぅ と す る ころ、 大 分 県 臼 杵 湾 に 、 祖 国 に お け る
と い う 軍 令 部 の 指 示 に よ り 、内地に帰りすむことニ週 最後の錨をおろした。
間 に し て 、 『武 蔵 』 は 、 『大 和 』 と と も に 、 あ た か も 追 明くる日の未明、 錨をあげた艦隊は豊後水道を南下す
い立てられるように、七月八 日 、呉軍港を出発してリン る0
ガ 泊 地 に む か う こととな っ た 。 も や の な か に ぅ す れ て ゆ く 祖 国 の 山 や ま 、点在する島
じま、なつかしの故国の姿 !
出 発 前 日 の 七 月 七 日 、 こ の 日 は 七 夕 で あ り 、日 華 事 変 、
ひいては太平洋戦争にまで発展した芦溝橋事件の八周年 す で に ニ 年 前 の ミ ッ ド ゥ 11海 戦 の さ い 、 卷 紙 に 墨 で

231
にあたる。 さらにこの日、 サイパン島のわが守備隊は全 遺 書 を し た た め て い た 『武 蔵 』 運 用 長 の エ 藤 計 大 佐 は 、
これがいよいよ最後の見おさめになるかもしれないと瞳 の掩護を望めない洋上決戦には、 猪口の手腕に期待する
を こ ら し 、 思 い を 家 郷 に は せ る の で あ っ た 。 千慮万感が

232
ものが少なくなかった。 こうした士官たちの期待が、下
胸中を去来したのは、 ひとりエ藤だけではなかったであ 士 官 兵 に も 反 映 し 、 『武 蔵 』 乗 組 員 の 士 気 は 大 い に あ が
ろう。 った。
訓 練 は 、 いよい よ は げ し さ を 増 し た 。標的に数百のス
艦 は 南 コ— スで 航 海 を つ づ け 、 七 月 十 六 日 、 リ ン ガ 泊 ズ箔 I 幅が約二十五センチ、長さ約六十センチ I を
地に入港する。 つ る し 、 呉 軍 港 在 泊 中 に 檣 頭 に と り つ け た レ ー ダ ー でこ
こ の 泊 地 は 、 シ ン ガ ポ ー ル か ら 南 へ 約 百 カ ィ リ 、 スマ れを探知して、 水上艦艇にたいする射撃訓練を行なった
ト ラ 本 島 の ほ ぼ中央部の東岸と、点在する無人島にかこ り、 水 上 機 に 標 的 を ひ か せ て 、 高 角 砲 や 機 銃 の 実 射 が く
ま れ て い る 。 赤 道 直 下 に ま た が り 、 風 の そ よ ぎ も な くひ りかえされた。暗 く な る と 、実戦さながらの夜間訓練が
ど く 暑 い 。 こ う し た 炎熱のなかで、 昼 夜 の 別 な く猛訓練 大規模におこなわれる。
が は じ ま っ た 。 さいわい、 百五十カィリほどはなれたパ と く に 『武 蔵 』 で は 、 艦 の ヵ ッ タ I を三番砲塔ちかく
レンバン油田からく る タン力 ー によって、 各艦は燃料を の デ ッ キ に は こ び 、 こ れ を 『武 蔵 』 に な ぞ ら え て 、 その
心配せずに十分の訓練をおこなうことができた。 な か に 艦 長 、航 海長、高 射 長 、高角砲分隊長などが乗り
八月十五日、朝倉豊次少将にかわって、猪口敏平大佐 こみ、 敵 飛 行 機 の 爆 弾 と 魚 雷 を 回 避 し 、 ま た は 敵 機 を 射
(十 月 十 五 日 少 将 に 進 級 ) が 、 『武 蔵 』 の 第 四 代 艦 長 と 撃 す る "ヵ ン " を 理 論 的 に や し な う 訓 練 を 、 連 日 の よう
して着任した。 にくりかえした。
猪口は、 それまで砲術学校教頭であり、 日本海軍屈指 この訓練方式は、すべてを理論的にやる猪口艦長の発
の射砲理論の権威である。すでに機動部隊による飛行機 意によるものであった。
そ の こ ろ 、大 本 営 は 防 衛 線 を さ ら に 後 退 さ せ 、 敵の 来 米 機 動 部 隊 は 、 九 月 九 日 、十 日 に ダ バ オ を 、十二日か
攻 に 対 処 す る 四 段 階 の 作 戦 方 針 を 定 め た 「捷 」 号 作 戦 を ら 三 日 間 、 セブ、 レ ガ ス ピ ー 、 タ ク ロ バ ン な ど フ ィ リ ピ
連合艦隊にしめした。 その作戦区分と予想決戦方面は、 ン の 要 地 を そ れ ぞ れ 空 襲 し た 。 す で に 「捷 」 一号作戦に
「捷 」 一号 I フ ィ リ ピ ン 方 面 〔「捷 」 二号 I 九州南 そなえて、 フィリピンに展開していた第一航空艦隊の兵
部 、 南 西 諸 島 お よ び 台 湾 方 面 、 「捷 」 三 号 I 本州、 四 力 は 半 減 し 、 わ が 反 撃 に は 見 る べ き 成 果 が な く 、 ほとん
国 、 九 州 方 面 お よ び 情 況 に よ り 小 笠 原 諸 島 方 面 、 「捷 」 ど敵機の跳りょぅにまかせた。
四 号 —— 北海道方面) であった。 この米軍機の攻撃には、 二つの副産物がついていた。

I 、 『武 蔵 』が 僚 艏 と と も に 、 太 平 洋 の 戦 域 か ら 遠 その第一は、 九月十日の〃ダバオ誤報事件" である。 こ
くはなれたリンガ泊地で猛訓練に明け暮れていたあいだ れは、 ダバオ湾ロのさざ波を敵上陸用舟艇と誤認し、 さ
に、 戦 雲 は 一 段 と そ の 動 き を 早 め 、 戦 局 は 日 ご と に 悪 化 ら に 尾 ヒレがついて敵水陸両用戦車となり、根拠地隊司
の一途をたどり、敵 は 、 その作戦線を、 日本列島の近く 令 部 は ダ バ オ を 捨 て て 後 方 に 避 退 し た 。 この情報を聞い
にひしひしと押しすすめつつあった。 て、第 一 航 空 艦 隊 司 令 部 も 暗 号 書 を 処 分 し 、連合艦隊は
マリアナ諸島の要衝テ-
一アンは八月三日、 グア ム は 八 「捷 」 一 号 作 戦 警 戒 を 発 令 、 の ち に 誤 報 と わ か っ て こ れ
月 十一日、 それぞれ組織的な抵抗をおえて、敵手に落ち を と り消すと い ぅ 大 失 態 で あ る 。
た 。 南 で は ビ ア ク 島 (西 部 ニ ュ ーギ ニ ア ) の わ が 守 備 隊 そ の 第 二 は 、 さ ら に 重 大 な も の で あ っ た 。 "中 部 フ ィ
の 防 戦 も お わ り に 近 づ き (九 月 八 日 に 玉 砕 )、 北 方 で は 、 リピンがす き だ ら け て あ る " ことに気 つ Vた '
'ルセ^提
~
米軍のレイテ上陸作戦を支援するため、 米海軍機動部隊 督 の 意 見 具 申 に よ っ て 、 ヮ シ ン ト ン は 米 軍 の レ イ テ進 攻

233
が 、台 湾 、 フィリピン方面にたいする攻撃をくりかえし 計画を、 一挙にニ力月もくり上げたことである。
こ ぅ し て 、 ハルゼ I の指揮する米第三艦隊は、 レ ィ テ

234
上 陸 作 戦 を 支 援 す る た め に 、 十 月 十 日 、南 西 諸 島 に 来 襲
し、 十 一 日 に は ル ソ ン 島 北 部 を 襲 い 、 十 二 日 に 台 湾 南 部
を攻撃した。
連 合 艦 隊 司 令 長 官 の 豊 田 副 武 は 、 「基 地 航 空 部 隊 捷 ー
号 、捷 二 号 作 戦 発 動 」 を 下 令 し 、十 六 日 ま で 、 台湾東方 十月十七日の午前七時、 レィテ湾スルアン島の海軍見
海面で日米の航空決戦がくりひろげられる。 張所は、
この 五 日 間 に わ た る 航 空 戦 の 結 果 、 わが大 本 営 は 、敵 「
敵 戦 艦 ニ 、特 空 母 ニ 、駆 逐艦六、 近接しつつあり」
空 母 十 一 隻 、戦 鰹 ニ 隻 な ど を 撃 沈 、空 母 八 隻 、戦 艦 ニ 隻 と 報 じ 、 ついで午前八時、
などを撃破したといぅ大戦果 ~ ^際 は 重 巡 ニ 隻 が 大 破 「敵 は ス ル ア ン 島 に 上 陸 を 開 始 せ り 」
I を 鳴 り 物 入 り で 発 表 し た 。 台 湾 東 方 の 海 は "宿 敵 ァ と報告したのち、消息をたった。
メ リ 力 艦 隊 の 墓 場 " と な り 、 サ ィ パ ン の 仇 を 見 事 に とっ 豊田副武連合艦隊司令長官は、 ただちに、
た こ と と な っ た 。 ひ さ し ぶ り の 戦 果 に 日 本 全 土 が わきた 「捷 一 号 作 戦 警 戒 」
ち 、 戦 局 の 前 途 に 光 明 を 見 出 し た 国 民 の 表 情 は 明るかっ を発令し、栗田健男中将のひきいる第一遊撃部隊にた
た。 天 皇から嘉賞の勅語がだされ、東京と大阪では祝賀 いして、
大会が開かれた。 「す み や か に プ ル ネ ー 湾 に 進 出 す べ し 」
こうして、 日本国民が大本営の紙上勝利の発表に狂喜 と下令した。
し て い た と き 、 マ ッ カ ー サ ー将 軍 の ひ き い る 大 上 陸 船 団 こ の 命 令 を ぅ け た と き 、 参 謀 長 小 柳 冨 次 少 将 は 、 "い
がレイテ島にせまっていたのである。 ょ い ょ 来 る べ き も の が 来 た な "と 感 じ 、敵の機動部隊が
健在であるのに、 あえて海上部隊だけで出撃せねばなら 栗田は作戦計画どおり、 出港準備を全艦に指令した。
ぬことに、なにか楠木正成の湊川出陣のときの心境のょ 旗 艦 は 重 巡 『愛 宕 』、 第 一 戦 隊 は 戦 艦 『大 和 』 『武 蔵 』
ぅなものをおぼえるのであった。 『長 門 』、 第 三 戦 隊 は 戦 艦 『金 剛 』 『榛 名 』、 第 四 戦 隊 は
十 八 日 、空 母 機 の 掩 護 の も と に 、敵攻略部隊はレィテ 重 巡 『愛 宕 』 『高 雄 』 『摩 耶 』 『鳥 海 』、 第 五 戦 隊 は 重 巡
島 の 東 岸 、 タクロバンふきんに上陸準備作戦を開始した 『妙 高 』 『羽 黒 』、 第 七 戦 隊 は 重 巡 『熊 野 』 『鈴 谷 』 『利
の で 、 連 合 艦 隊 司 令 長 官 は 、 「捷 一 号 作 戦 発 動 」 を 令 し 根 』 『筑 摩 』、 水 雷 戦 隊 と し て 軽 巡 『能 代 』 『矢 矧 』 のほ
た。 か 、 駆 逐 艦 二 十 隻 、 そ れ に 重 巡 『最 上 』 の 計 三 十 八 隻 の
この作戦要領のあらましは、 つぎのとおりであった。 堂々たる陣容である。
十 月 十 八 日 午 前 一 時 、 栗 田 部 隊 は 行 動 を お こ し 、 夜暗
一基 地 航 空 部 隊 は 、 約 七 百 ヵ ィ リ ま で 索 敵 し 、 敵 に
攻 撃 を く わ え 、敵 が 近 接 す る や 、陸 軍 機 と 協 同 し て こ れ の な か を 朝 夕 見 な れ た リ ン ガ 泊 地 か ら 出 港 す る 。 艦隊は
を水ぎわに撃滅する。 速力十八ノットでグレー トナット群島の西方を通過し、
ニ 栗 田 部 隊 は ブ ル ネ ー 湾 に 集 結 待 機 し 、状況に応じ ボ ル ネ オ 北 西 岸 の ブ ル ネ — にむかぅ。
て 出 撃 、 敵 の 護 衛 艦 隊 と 船 団 を 洋 上 に 捕 捉 し て 、撃 滅 す ブルネ I を出港して間もなく、 どこからともなく、 一
る。 羽 の 鹰 が 飛 ん で き て 、 『武 蔵 』 の す ぐ 前 方 を す す む 『大
三 栗 田 部 隊 は 、 その進撃が万一おくれて敵の上陸開 和 』 のマストにとまった。出撃にさいし魔がマストにと
始 後 と な る と き は、 全 軍 が レ イ テ 湾 内 に 突 入 し て こ れ を ま る の は 瑞 兆 、 勝 ち い く さ は ま ち が い な し と 、 みながよ
ろこんだ。
撃滅する。
四 小 沢 中 将 の 航 空 戦 隊 は 、 瀬 戸 内 海 か ら 出 撃 、 南下 鷹 の 故 事 は 、第 一 は 、神武天皇が東征のときその弓の

235
して敵機動部隊を北方に誘致し、 栗田部隊を掩護する。 先 に と ま っ た 金 の 朦 。第 二 は 、 日露戦争のさい樺太攻略
に む か っ た 軍 艦 『浅 間 』 の 大 樯 頭 。 そ し て 、 第 三 は 戦 艦 ンとコレヒド I ルの不屈の精神を、生かしつづけょぅで
『大 和 』
0マ ス ト 。 は あ り ま せ ん か .. 』

236
ある下士官がすぐこの鷹を捕えて艦橋に持ってきた。
第 一 戦 隊 司 令 官 宇 垣 纏 中 将 も 艦 橋 に い あ わ せ 、 たいへ ブ ル ネ ー で の 主 な 作 業 は 、 燃 料 の 補 給 な ど 、最 後 の 決
ん喜んだ。
戦 態 勢 を と と の え る こ と で あ っ た 。 その身じたくの一つ
「墙 上 に 魔 と ま り け り 勝 ち い く さ 」 に、 艦 内 の 塗 具 の は く 脱 、 つ ま り "化 粧 お と し " の 仕 上
と、鉛筆で走り書きした即吟の紙片を、副長能村次郎 げ が あ っ た 。 『源 平 盛 衰 記 』 に ょ れ ば 、 斎 藤 実 盛 は 白 髪
大佐に渡した。 を 黒 く 染 め て 出 陣 し た と い わ れ る が 、 『武 蔵 』 は そ の 逆
をいったのである。長 官 室 や 艦長室をはじめ、 通路も居
こ の 日 、 午 前 十 時 、 ア メ リ カ の 第 十 軍 団 は 、 レイテ島 住 区 も 、便 所 に い た る ま で 艦 内 の 塗 装 さ れ た 部 分 は 、戦
タ ク ロ バ ン に 、 第 二 十 四 軍 団 は 、 そ の 南 方 十 七 マイルの 闘準備のためにはぎおとされ、長崎の造船所で建造され
ド ウ ラグに上 陸 を は じ め る 。午 後 ニ 時 、 マッカーサ I 将 たままの荒々しい綱鉄をむき出しにしてしまった。
軍 は 、 ふ た た び フィリピンに第 一 歩 を し る し 、 ゲリラ部 だが、 これとは全く対照的なことが、 リンガ泊地に停
隊 の 電 波 を 使 っ て 通 信 隊 の マイクから放 送 し た 。 泊 中 の 『武 蔵 』 で 行 な わ れ た 。
『こ ち ら は "自 由 の 声 "放 送 、 私 は マ ッ カ ー サ — 将 軍 で 十 月 中 旬 の あ る 朝 、 乗 組 員 は 、 突 然 の 艦 内 ス ピ ー 力ー
ある 。 フィリピンのみなさん! 私 は 、 ついに帰ってき の命令に驚いた。
た 。 全 知 全 能 の 神 の 加 護 に ょ り 、 わ が 軍 は 、 いまやフィ 「両 舷 直 、 外 舷 螢 り 方 」
リピンの土 I 米比両国民の血で聖められた土 I を踏 かれらは、 あ ま り に 意 外 な 命 令 な の で 、 たがいに顔を
ん で い る 。 ふ た た び 私 を 中 心 に 団 結 し て 下 さ い 。 バター 見合わせながら自分の耳を疑った。
「い ま ご ろ 、 ど う い う わ け だ ろ う ?」 銀ねずみ色に仕上がった。 もり

外 舷 を 塗 っ た っ て 、 丈 夫 に な り ゃ し な い よ 。 おかしな 猪 口 と し て は 、平安朝末期の 武 将 斎 藤 実 盛 が 平 維 盛 に
こ と だ … … 」 従 っ て 源 義 仲 を 討 つ さ い 、 そ の 髭 、髪を 黒 く 染 め て 奮 戦
一同は、 な ん と な く 割 り 切 れ な い 気 持 で 、 け ん 命 に 外 し た と い う 故 事 に な ら っ た わ け で も あ る ま い が 、 こうし
た塗粧は戦場にのぞむ武人のたしなみであると考えたか
舷を塗りはじめた。
しばらくして、 また驚いた。 らで! ^ — 1 く
「な ん だ 、 外 舷 を 塗 っ て い る の は 、 本 艦 だ け だ ぞ !」 だ が 、 "燕 雀 い ず く ん ぞ 鴻 鵠 の 志 を 知 ら ん や " と い う
た し か に 、 僚 艦 の 『大 和 』 も ペ ン キ 塗 り を し て い な か か、艦長 の 真 意 を 忖 度 で き な か っ た 水 兵 た ち の あ い だ に
った。 は、
そ の 前 日 の こ と で あ る 。 『大 和 』 を お と ず れ た 『武 「艦 長 が 四 代 目 、 副 長 が ニ 代 目 で 、 こ れ は 四 ニ (死 に )
蔵 』 艦 長 の 猪 口 敏 平 は 、 舷 梯 の 近 く に 立 っ て い た 『大 装束だょ」
和 』副長 能 村 次 郎 に 言 っ た 。 という荒田照次兵曹の洒落が、 ぱっとひろまった。
「い よ い よ 、 海 戦 が は じ ま り そ う だ ね 。 出 撃 の 前 に 、 外
舷を塗りかえておこうじゃないか」 それはともかくせっかく塗った艦内のペンキをなぜ、
「い や 、 戦 闘 を や っ た ら 、 ど う せ は げ だ ら け に よ ご れ て はぎとったのか?
し ま う から、 内 地 へ 帰 っ て か ら 、 ゆっくり塗り か え ま す い う ま で も な く 、 戦 闘 中 の 艦 内 火 災 を 防 止 す る た めで
よ」 ある。
こ う し て 『武 蔵 』 だ け が 、 外 舷 を 塗 り か え る こ と に な さら に 、 可 燃 物 の ほ と ん ど を 水 線 下 に お さ め 、 短時間

237
る。 そ し て 夕 日 の 沈 む こ ろ ま で に は 、 見るもあざやかな に水線下にうつせる最小限の毛布、 その他の日用品だけ
をのこした。 が 、 し だ い に 艦 隊 全 体 を つ つ み つ つ あ っ た 。 昼夜兼行で

238
九機あった飛行機も、すでにおろされていた。 燃 料 補 給 が 急 が れ る 。 『大 和 』 『武 蔵 』 な ど の 戦 艦 五 隻
ま た 、 ソ フ ァ ー、 机 、 力 ー テ ン さ え も と り はらわ れ た を ふ く む 合 計 三 十 八 隻 の 艨 瞳 は 、 湾 内 を 圧 し 、 まことに
ので、 公 室 や 私 室 を は じ め 居 住 区 は 、 ま る で が ら ん と し 「捷 」 一 号 作 戦 の 決 戦 主 力 に ふ さ わ し い 勢 揃 い で あ る 。
た殺風景なものになった。 大小の艦影は、湾の西岸中央にそそりたつムル山嶺の中
す で に 艦 内 に は 、 燃 え る も の は な く 、 のこっているの 腹に沈まんとする落陽をうけ、 しだいに深まりゆく夕闇
は乗 組 員 の 被 服 と 、 頭 髪 ぐ ら い だ っ た 。 ベ ッ ド は と り は の中につつまれはじめていた。 この三十八隻のうち、 は
ら わ れ た の で 、 み な デ ッ キ に 寝 た 。 そ し て 食 事 は 、 つめ たして何隻が生きのこるであろうか。
たいデッキに尻をつけ、あぐらをかいてどんぶり飯を食 栗田部隊のレィテ湾強襲を直接掩護するはずの基地航
ベた。 空 兵 力 は 、 敵 機 動 部 隊 の 連 日 の 空 襲 の た め に 、 日ごとに
減少しつつあった。基地航空部隊が栗田部隊の進搫を直
プ ル ネ —湾 は 、 南 シ ナ 海 に 面 し た ボ ル ネ オ 北 西 岸 の 唯 接 支 援 し て く れ る こ と は 、 ほとんど期待できない。 飛行
一つの良湾である。 海 岸 ま で 深 緑 の 密 林 に お お わ れ 、 と 機にょる直接掩護のない真っ裸の艦隊がいかに惨めであ
ころどころに現住民の貧弱な小屋が散らばって見える。 る か は 、 マリアナ沖海戦で、 全乗組員がいやというほど
そ れ に ま じ っ て 点 在 す る 瀟 洒 な 洋 館 は 、 西 洋 人 コロ ン た 味わったことだった。
ち の 住 居 で あ ろ う 。 深 緑 の ゴ ム 林 を 背 景 に 、 これら洋館 「も し か し た ら 、 今 度 こ そ は … …」
の 真 紅 の 屋 根 が あ ざ や か に 映 え て い る 。空 は あ く ま で 青 と い う 思 い が 、乗組員の心の 奥 深 く し の び こ ん で い た
く、海はないでいる。 風光は明媚で、 のどかである。 としても無理はない。
だが 、戦 闘 を まぢかにひかえた出撃直前の異様な興奮 『武 蔵 』 艦 内 で も 、 ニ 十 一 日 夜 、 各 分 隊 で 思 い 思 い の 出
撃祝いの壮行会がひらかれた。 これら乗組員たちも、飛 わった。
行 機 の 支 援 の な い レ ィ テ 突 入 の 作 戦 は 、 あたかも傘をさ やがて午前八時、旗 艦 『
愛 宕 』 に出港を告げる信号旗
さないで雨の中をぬれずに通れと要求するにひとしく、 が ひ る が え り 、 各 艦 の 「出 港 用 意 」 の ラ ッ パ が ブ ル ネ ー
そ れ は 、本 質 的 に は 全 滅 を 覚 悟 し た 特 攻 作 戦 で あ る こ と 湾のくもり空にひびいた。
を 知 っ て い た 。 し か し 、 "不 沈 艦 " と し て の 『武 蔵 』 に 第 一 部 隊 (第 一 、 第 四 、 第 五 戦 隊 、 第 二 水 雷 戦 隊 )、
対 す る 根 強い信頼感が、 こぅした胸にきざす不安を打ち 第 二 部 隊 (第 三 、 第 七 戦 隊 、 第 十 水 雷 戦 隊 ) の 順 に 出 撃
消すのであった。 し、 パ ラ ヮ ン 島 の 西 側 か ら ミ ン ド ロ 島 南 端 を か す め 、 サ
酔いがまわると、 かれらは明るくはしゃぎだした。歌 ン ベ ル ナ ル ジ ノ 海 峡 を 抜 け て 、 サマー ル島東岸ぞいにレ
声 が 流 れ 、 笑 い 声 が 起 こ っ た 。 『武 蔵 』 が 連 合 艦 隊 の 主 ィテ湾に向かぅ。航程は約千二百カィリ。
力 部 隊 に 編 入 さ れ 、 はじめて呉を出港したのは十八年一 外洋に出ると、各艦はただちに対潜水艦警戒航行序列
月 十 八 日 だ っ た 。 そ れ か ら 一 年 九 力 月 、 超戦艦としての を つ く る 。 『武 蔵 』 は 『大 和 』 の 後 に つ づ き 、 速 力 十 八
機 能 を 一 度 も た め す こ と の な か っ た 『武 蔵 』 に も 、 その ノ ッ ト で 敵 潜 水 艦 の 不 意 打 ち を 避 け る た め 、 ジグザグ運
威力を発揮する機会がいよいよ迫ってきたのである。 動をつづけながら北上する。
この日の午後零時五分、 豊田連合艦隊司令長官は、
「… … 将 兵 は 茲 に 死 所 を 逸 せ ざ る の 覚 悟 を 新 た に し 、 殊
三 死 奮 戦 以 て 驕 敵 を 殲 滅 し て 皇 恩 に 報 ず べ し … …」
と訓示し、捷号決戦部隊の壮途を激励した。
午 後 に は い つ て か ら 、 と き ど き 、 『能 代 』 と 『高 雄 』
二十二日午前五時、 粟田部隊の料燃補給はようやくお は、
「敵 潜 望 鏡 見 ゆ 」 ッ ト . .マ ッ ク リ ン ト ッ ク 少 佐 ) と 『デー ス 』 (艦 長

1-1

240
と 報 告 し た 。が 、 そ の 多 く は 流 木 で あ っ た 。 は ブ レ ィ デ ン -^-ク ラ ギ ッ ト 少 佐 り は ゝ ぴ っ た り な ら
そ の 日 は 何 事 も な く 日 が 暮 れ た 。 そ し て 、 日没ととも び 、速 力 五 ノ ッ ト で 航 行 し な が ら 、 両艦長は今後の行動
にジグザグ運動をやめ、 速力を十六ノットにおとしてパ についてメガホンで話しあっていた。
ラワン水道にはいった。 二 十 三 日 午 前 零 時 十 六 分 、 『ダー タ ー 』の レ ー ダ ー係
南北 に 細 長 い パ ラ ワ ン 島 の 西 方 一 帯 は 、海底が隆起し 員が、
て危険堆をつくっている。 その危険堆とパラワン島の間 「
前 方 約 ニ 万 七 千 ャ ー ド に 目 標 を 発 見 、艦船群らしい」
の幅三^ - 〜
五十ヵイリ、長さ三百ヵイリがパラワン水道 と報告する。
である。 マ ッ ク リ ン ト ッ ク 艦 長 は 、 さ っ そ く 、 「本 艦 は 目 標 を
この水道はふかいので、艦隊が通ることができる。 だ 捕 捉 、 進 撃 !」 を 下 令 す る と と も に 、 メ ガ ホ ン を と っ て
が 、 幅 が 狭 い か ら 敵 の 潜 水 艦 に と っ て は 、待ち伏せに理 情報をクラギット艦長につたえ、
想的なところとなる。 「じ ゃ 、 元 気 で 」
は た せ る か な 、 米 第 七 艦 隊 潜 水 部 隊 指 揮 官 は 、来たる と 、手をふって別れた。
べき レ イ テ作戦にそなえて、潜 水 艦 四 隻 I 『ダ ー タ
ついで午前零時二十分、 マックリントックは、少なく
丨 』 『デ ー ス 』 『ロック』 『バ ー ゴ ー ル』-- を 、 パラ と も 重 巡 十 一 隻 を ふ く む 日 本 艦 隊 と 判 定 し 、 これをハル
ワン水道方面に配備していた。 ゼー提 督 に 報 告 す る 。 二人の艦長は、 日本艦隊が二列に
マ ッ カ ー サ ー 軍が レ イ テ湾に上陸して地歩を確保する
な っ て 北 上 し て く る の を 知 り 、 『ダ ー タ ー 』 が 向 か っ て
や、 戦局 は 急 速 に 進 展 す る 。 右 側 、 『デ ー ス』 が 左 側 を 攻 撃 す る こ と に し た 。
十 月 二 十 二 日 の 真 夜 中 、 『ダ ー タ ー 』 (艦 長 は デ ィ ビ
栗田艦隊は、 パラヮン水道が敵潜水艦の待ち伏せに絶 始 前 の コ ー ヒ ー を 飲 み お わ っ た と こ ろ で 潜 航 す る 。 夜明
好 の 場 所 で あ る の で 、厳 重 に 警 戒 し て い た 。 け前の薄明を利用し、 日本側による発見を困難にするた
旗 艦 『愛 宕 』 は、 夜 に な っ て か ら し ば し ば 敵 潜 水 艦 の め に 西 方 か ら の 攻 撃 を 決 心 し 、 潜 望 鏡 深 度 で 近 よ り 、時
無 線 を 傍 受 し て い た 。 そ こ で 、 夜 明 け (日 の 出 は 六 時 五 機の到来を待っていた。
十六分) まえの午前五時二十分、全部隊にたいし、 星 の 光 が う す れ 、 夜 空 が 明 る み を ま し て く る 。 パラヮ
「作 戦 緊 急 電 発 信 中 の 敵 潜 水 艦 の 感 度 き わ め て 犬 な り 」 ンの島影が、 艦 隊 の 右 舷 に 淡 く う か び あ が っ て き た 。
と 警 告 す る と と も に 、 同 三 十 分 に は 、速力を十八ノッ 六時半ごろ、その日の訓練もようやく終わりに近い。
トにあげ、 ジグザグ運動を再開した。 『武 蔵 』 の 乗 組 員 が 、
第 一 戦 隊 (『大 和 』 『武 蔵 』 『長 門 』) 司 令 官 宇 垣 纏 中 将 「け さ も ぶ じ だ っ た な 」 と 、 ふ と 思 っ た 瞬 間 、 とっじょ
は 、 そ の 戦 陣 日 記 『戦 藻 録 』 の 十 月 二 十 三 日 の 記 事 の 冒 と し て 、 「警 戒 」 の ラ ッ パ 、 つ づ い て 、 「左 戦 闘 」 の号
頭に、 令がくだされた。
『予 期 せ る 処 な る も 、 本 日 を 凶 日 と 為 さ ず し て 何 ぞ や 』 さては、敵 潜 水 艦 ! と 思 う ま も な く 、 グーンと重い
と し る し 、 つづいて、 響 き .. 。
『常 例 の 日 出 一 時 間 前 の 配 置 に 就 け に て 艦 橋 に 立 つ 。 対 左舷前方の第四戦隊の方向に、 天にちゅうする水柱、
潜 (潜 水 艦 )警 戒 並 陣 列 形 の 警 戒 航 行 序 列 、 針 路 三 五 度 、 つづいてニ本、 三本、奔 騰 し た 水 柱 が 、 たちまちもうも
速力十八節なり』 う た る 黒 煙 と か ら み あ っ て 、 一瞬、 艦 影 を お お っ て し ま
と記している。 った。
そ の こ ろ 、 米 国 の ニ 隻 の 潜 水 艦 『ダ ー タ ー 』 『デ ー 「愛 宕 が や ら れ た !」

241
ス』 は、 午 前 五 時 九 分 ご ろ 、 乗 組 員 に 配 給 さ れ た 戦 闘 開 と い う 叫 び 声 が 起 こ り 、 『武 蔵 』 の 艦 上 に も 動 揺 が み
られた。 つ い で 『摩 耶 』 は、 船 体 が 中 央 部 か ら あ っ け な く 切 断

242
そ の と き 、 『愛 宕 』 の 後 ろ に つ づ く 艦 の あ た り に 水 柱 され、 六時五十六分、炎の海にその姿を消していった。
が舞いあがり、爆発音が断続してひびいてくる。 これらは、 わ ず か 三 十 分 た ら ず の 出 来 ご と で あ る 。
「高 雄 だ ! 」 「捷 」 号 作 戦 の し ょ っ ぱ な に 、 一 発 の 弾 丸 、 一本 の 魚 雷
乗組員たちの 顔 が こ わ ば る 。 ふきんの海面を走りまわ さ え う た ず に 、 む ざ む ざ 敵 の 血 祭 り に あ げ ら れ 、 あっけ
るわが駆逐艦の投下する爆雷の重々しい炸裂音が響く。 な く 旗 艦 『愛 宕 』 ほ か ニ 隻 を 失 う 不 祥 事 を 招 い た 。 縁 起
命 中 音 は 、 米 潜 水 艦 『ダ ー タ ー 』 の 艦 内 に つ た わ り 、 を か つ ぐ 者 に と っ て は た え が た い 打 撃 で あ り 、 一般の士
潜 水 艦 の 乗 組 員 は 、 一発ごとに、 気にも、 いくらかの影響はまぬがれなかったであろう。
「あ た っ た ! あ た っ た !」 少なくとも 目 的 地 に い た る 海 上 が 、きわめて多難である
とこおどりして喜んだ。 一事だけは、 全 員 の 胸 に ひ び い た に ち が い な い 。
『デ ー ス 』 に も 爆 発 音 が 聞 こ え た 。 だ が 、 ク ラ ギ ッ ト 艏 艦隊のすべての乗組員が、指揮官栗田提督の安否を気
長 に は 、 『ダ ー タ ー 』 の 幸 運 を 祝 っ て い る ひ ま は な か っ づ か っ て い た と き 、 駆 逐 艦 『岸 波 』 の 樯 頭 高 く 将 旗 が は
た。目の前に大型艦がせまっている。 クラギットは、 こ た め い た 。 こ れ を 見 て 、 全 将 兵 は ほ っ と し た 。 この上、
れ を 『金 剛 』 型 戦 艦 と 判 定 し た 。 ク ラ ギ ッ ト が 戦 艦 と 思 もしも司令部までが潰滅していたとすれば、それこそ、
っ た の は 、 重 巡 『摩 耶 』 だ っ た 。 最 初 に 魚 雷 六 本 を 、 ニ この出撃行は、文字どおり葬送行に変わったことになっ
分 後 、 さらに四本を発射する。 そのぅちの四本が命中し ていたであろう。
た。 「救 助 さ れ た の だ な 」
ち ょ う ど そ の と き —— 六 時 五 十 三 分 、 『愛 宕 』 はマス 「い つ の 海 戦 で も 、 ユ ラ ィ 人 は か な ら ず 助 か る な 」
トに中将旗をかかげたまま沈んだ。 『武 蔵 』 の 機 銃 台 で は 、 み ん な が ほ っ と し て 語 り 合 っ て
ぃた。 午 後 十 一 時 二 十 分 、 針 路 を 九 十 度 (東 ) に か え て ミ ン ド
「わ た し た ち は 、 救 助 し て く れ る で し ょ う か ?」 ロ海峡にむかぅ。
と 、 横から一人の老兵が、思いあまったようすでたず
ねた。 二 十 三 日 の 未 明 、 潜 水 艦 『ダ ー タ ー の日本艦隊発見

「心 配 す る な 、 本 艦 は 絶 対 に 沈 ま な い か ら 」 の電報がハル ゼ ー提督にとどいたとき、第三十八任務部
「ほ ん ま で す か ?」 隊 の ぅ ち 、 マ ッ ヶ ー ン 中 将 の 指 揮 す る 第 三 十 八 . 一任務
「魚 雷 が 百 本 だ っ て 、 沈 み ゃ し な い よ 」 群はゥルシ ー に むかっていた。 ヤップ空襲をかねて休養
午後になると、海上は波立ってきた。 をとるためである。
午 後 三 時 四 十 分 、 駆 逐 艦 『岸 波 』 は 、 『大 和 』 に 横 付 ハルゼーは、 直 接 、 機 動 部 隊 の 指 揮 を と る こ と と し、
け し て 、 艦 隊 司 令 部 職 員 と 『愛 宕 』 乗 員 を う つ し 、 『武 シャー マ ン 少将の第三十八ニー荏務群をル ソ ン の 東方、
蔵 』 は 横 付 け し た 駆 逐 艦 『長 波 』 か ら 、 『摩 耶 』 乗 員 七 ボ ー ガ ン 少 将 の 第 三 十 八 .ニ 任 務 群 を サ ン べ ル ナ ル ジ ノ
百 六 十 九 名 (士 官 四 十 七 、兵 員 七 百 二 十 ニ ) を 収 容 し た 。 海 峡 の 沖 合 、 デ ィ ビ ソ ン 少 将 の 第 三 十 八 .四 任 務 群 を レ
時に、午後四時二十三分1 0 ィテ沖と、南北百二十五マィルの線に配備した。
収 容 さ れ た 者 は 、 一 人 の こ ら ず 、 重 油 に ま み れ 、 いち ハルゼ I は 、 旗 艦 『ニユ I ジャー ジ ー 』 に乗って、第
よ う に 目 を 血 走 ら せ て い た 。 『武 蔵 』 乗 員 に 先 導 さ れ て 三 十 八 .ニ 任 務 群 と 行 動 を と も に し 、 第 三 十 八 任 務 部 隊
艦 内 に 消 え て い く 姿 は 、 丘ハとは思えぬほどみじめなもの の 指 揮 官 ミ ッ チ ャ ー 中 将 は 、 空 母 『レ キ シ ン ト ン 』 に 将
であった。 旗をかかげてシャーマン隊にくわわった。
『大 和 』 の 樯 頭 に は 、 栗 田 中 将 の 将 旗 が か か げ ら れ た 。 こ れ ら の 兵 力 は 、 一様ではないが、 だ い た い 二 十 三 隻
そして艦隊は、陣容を立てなおして、北進をつづけた。 I 正 規 空 母 ニ 、軽 空 母 ニ 、 新 式 戦 艦 ニ 、 巡 洋 艦 三 、 駆
逐艦十四 I で編成されていた。 ら の 黒 点 は 、 刻 こ く と 大 き く な る 。 そ れ は まさしく敵機

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にちがいない。数 機 の 敵 飛 行 機 が 、薄雲の 間 を 見 え が く
れしている。
四 栗田艦隊の上空には、 掩護戦闘機は一機もいない。敵
の飛行機は、艦隊の動きをアメリヵ機動部隊に連絡して
い る の だ ろ う 。 敵 の 機 影 を 遠 く 見 つ め な が ら 、 乗員はい
二 十 四 日 の 朝 が き た 。 空 に は 雲 が 点 々 と ぅ か び 、 朝の ら立つように、唇をかみしめるのであった。
潮風が乗員の肌をすがすがしくなでる。 乗 員 た ち は 、 出 撃 い ら い 、味 方 基 地 航 空 機 に よ る 護 衛
未 明 、 『武 蔵 』 は ミ ン ド ロ 島 の 南 端 を す ぎ 、 針 路 三 十 を待っていた。 二十三日に敵潜水艦の攻撃を受けてから
五度でシブヤン海にむかぅ。 そ の 希 望 は ま す ま す 強 く な っ た 。が 、 そ れ と 同 時 に 、 あ
粟 田 艦 隊 は 、 輪 型 陣 で す す ん だ 。 『武 蔵 』 は 、 中 心 に き ら め の 気 持 も 強 ま っ て き た 。 『武 蔵 』 乗 組 員 の 一 人 、
あ る 旗 艦 『大 和 』 の 右 後 方 に 位 置 し て い た 。 舟木兵曹の即興の替え歌が、 こうした兵たちの胸中を表
午 前 五 時 三 十 分 、戦 闘 配 置 に つ い て 、警 戒 を 厳 重 に す わしている。
る 。 六 時 三 十 分 、 「総 員 配 置 に つ け 」 の 艦 内 ス ピ ー ヵ ー
が な り わ た っ た 。 レーダーが敵飛行機をとらえたからで へ待てど暮せど来ぬ飛行機を
ある。 よく待ちました栗田さん
『武 蔵 』 の 上 部 艦 橋 見 張 指 揮 所 に 配 置 さ れ た 、 高 橋 新 三 明日はどっちから来るだろう
郎兵曹長の指揮する見張員は、遠くかすむ水平線のかな
た に 、 け し 粒 の よ う な い く つ か の 班 点 を 発 見 し た 。 これ 曲 は 『宵 待 草 』 の、 や る せ な い メ ロ デ ィ ー に の せ て ロ
ず さ む と き 、豪気の戦意 も し め り が ち に な る 。 だが、 『キ ャ ボ ッ ト 』 『イ ン デ べ ン デ ン ス 』 か ら 、 戦 闘 機 三 十
「敵 の 空 襲 近 し 、 総 員 配 置 に つ け 」 一、 雷 撃 機 十 六 、 急 降 下 爆 撃 機 十 二 が 、,
まず栗田艦隊を
の 命 令 が ス ピ ー カ ー で つ た え ら れ た と き 、乗員はうた もとめて飛び立った。
いかけた替え歌をやめ、食べかけ た 朝 食 を 放 り 出 し て 、
空をにらんだ。 午 前 十 時 、 『武 蔵 』 の レ ー ダ ー は 、 東 方 か ら 近 接 す る
敵 機 の 大 編 隊 を と ら え た 。 第二
栗田艦隊発見の報告に接した 艦橋にいた副長加藤憲吉大佐は
ハルゼー提 督 は 、 デ イ ビ ソ ン 、 じっと東の空をみつめ、敵機を
シャーマン両少将にたいして、 阻 止 す る 味 方 飛 行 機 が 、 一機も
ないことを悔やんでいた。敵機
最大速力で中央部にいるボーガ
ン隊に近ょり、 粟田艦隊の進撃 は お そ ら く 、 『大 和 』 『武 蔵 』
を阻止するため、機動部隊の全 を 攻 撃 目 標 に 選 ぶ だ ろ う 。 なか
航 空 兵 力 の 集 結 を 命 じ た 。 これ でも警戒の手うすな外翼にいる
と 同 時 に 、 ハ ル ゼ ー は、 マッケ 『武 蔵 』 に 集 中 し て く る だ ろ
丨 ン 隊 に た い し 、 た だ ち に 針 路 を 反 転 し 、洋 上 燃 料 補 給 う 。副 長は、 ギリッと歯ぎしりした。
を急いですますよう指令する。 そして、 八時三十七分、 「艦 載 機 、 右 九 十 度 、 水 平 線 ! 」 ,
「攻 撃 せ よ 、 た だ ち に 攻 撃 せ よ 。 武 運 を 祈 る 」 信 号 員 の 細 谷四郎二等兵曹が、海できたえた図太い、
と 、電 話 で命令した。 しかもよくとおる古尸をはりあけた。
八 時 四 十 五 分 、 ボ ー ガ ン 隊 の 空 母 『イ ン ト レ ピ ッ ド 』 「主 砲 、 発 射 用 意 !」

発 射 っ !」 近くの海面にも水柱が舞いあがった。

246
時 に 十 時 二 十 五 分 、 九 門 の 四 十 六 セ ン チ 主 砲 が 、 いっ 敵 機 は 、 『武 蔵 』 の 周 囲 に も し き り と 接 近 す る 。
せ い に 火 を ふ い た 。 む ろ ん 、 そ の 砲 弾 は 、 重 さ が ニ トン 右 舷 艦首方向と右舷艦尾方向ょり同時に、十七機がす
も あ る 対 艦 船 用 で は な く 、 「三 式 弾 」 と い っ て 、 散 弾 の るどい金属音をあげて突っこんできた。午前十時二十五
よ ぅ に 、炸 裂 す る と 、 小 さ な 弾 が 、無 数 に 散 ら ば っ て 飛 分 に 、機 銃は火をふいたが至近弾三があり、艦首の水線
行機を落とすよぅになっている弾丸である。 下 に 浸 水 し た 。 また、 一番主砲に六十キ ロ て いどの爆弾
船 体 は 、 一瞬、 は げ し く 震 動 し 、 乗 員 の 体 が よ ろ め い ーコが命中したが、 ペンキがはげただけで被害はなかっ
た 。 距 離 が 近 く な り 、 主 砲 が 射 撃 を や め る と 、 十 五 .五 た。
セ ン チ 副 砲 六 門 、 十 二 .七 セ ン チ 高 角 砲 二 十 四 門 が 連 続 そ の 直 後 (十 時 二 十 七 分 〕、 雷 撃 機 三 機 が 右 舷 ょ り 魚
的 に 発 射 さ れ 、 つ い で 二 十 五 ミ リ 機 銃 百 十 三 梃 、 十三ミ 雷 を 発 射 し た 。 ニ 本 は 艦 底 を 通 過 し た が 、 一本が艦の中
リ機銃八梃もいっせいに火をふき出した。 央部に命中、右へ五度ほど傾斜した。 エ藤計大佐の管轄
数 百 数 千 の 曳 痕 が 、 赤 い 火 を 吐 い て 『武 蔵 』 を 飛 び 出 する注排水指揮所は、 ただちに左舷に注水して傾斜を右
し た 。 他 艦 か ら 射 ち だ す 曳 痕 と 、 空 中 で 交 錯 す る 。 それ 一度まで復原した。
は、 ま さ し く 天 に む か っ て 吹 く 赤 い ス コ I ルでもあ る 。 敵 の 戦 闘 機 は 、 マストすれすれに降下して機銃掃射を
たちまち、艦隊の上空は弾幕のかさでおおわれた。 く わ え る 。第 一 機 銃 群 指 揮 官 の 星 周 蔵 少 尉 は 、 胸に一弾
そのなかを、敵機がすさま じ い 速 度 で 入 り 乱 れ る 。淡 を ぅ け た 。 そ ば で 照 準 に 夢 中 だ っ た 内 山 兵 曹 は 、 的針盤
い 炎 の 尾 を ひ き な が ら 海 中 に 突 っ こ ん で い く 機 体 、 瞬間 にたれてきた血をみて、 はじめて星少尉の重傷に気づい
的 に 空 中 分 解 す る も の も あ る 。 敵 機 の 攻 撃 は 、 主として た。
『大 和 』 『武 蔵 』 に 集 中 さ れ て い る ら し く 、 『大 和 』 の 「星 少 尉 、 し っ か り し て く だ さ い ! 」
だ が 、手 当 て す る 余 裕 は な い 。 ただ、声 で 励 ま す だ け に よ る 三 式 弾 の 射 撃 が も っ と も 有 効 だ っ た の で 、 その効
だった。 果が半減されたよぅなものである。
「内 山 、 あ と を た の む ぞ 」 敵 機 が ふ た た び 来 襲 す る こ と は 、 必 至 で あ ろ ぅ 。 主計
乱戦の騷音のなかに、 くるしそぅに少尉の声が聞こえ 兵 は 、戦 闘 食 の に ぎ り 飯 を 、各 部 署 に く ば っ て 歩 い た 。
た。 十 一 時 三 十 分 、 『武 蔵 』 の レ ー ダ ー は、 ふ た た び 敵 機
「天 皇 陛 下 の た め に 、 お れ は 死 ぬ ! たっしゃで暮らせ 群 を と ら え た 。 「対 空 戦 闘 」 の ブ ザ ーが 鳴 る 。
ょ … … 」 十一時三十八分から四十五分までに、十六機が来襲し
血 に そ ま る 照 準 器 を に ぎ り し め る 内 山 兵 曹 は 、 がくっ た。 爆 撃 機 は 、 艦 首 と 艦 尾 方 向 よ り 、 急 角 度 で 突 っ こ ん
と 、頭 を 伏 せ る 少 尉の気配を感じた。 で爆弾を投下する。 六機の雷撃機は、 迂回して左舷正横
敵 機 の 姿 が 視 界 か ら 消 え 、 射 撃 が や ん だ の は 、 それか 千 メ- ^ル ふ き ん よ り 緩 降 下 し 、 約 四 百 メ ー ト ル で 魚 雷
らまもなくであった。 を発射した。
「左 、 雷 跡 六 本 !」
第 一 波 の 攻 撃 で 、 『武 蔵 』 は 右 舷 中 部 に 魚 雷 を 一 発 く 見 張 員 の 叫 び 声 と 同 時 に 、 『武 蔵 』 は 、 面 舵 い っ ぱ い
った。 だ が 、 『武 蔵 』 に と っ て は 、 そ れ は か す り 傷 て い を と り、 そ の 巨 体 を 右 に む け る 。 一本は艦首前方に、 ニ
ど の も の で し か な い 。 乗 組 員 は 、 一発やニ発くっても、 本 は 艦 尾 後 方 に か わ し た が 、中 央 の 三 本 が 、 ほとんど同
そ れ は "蚊 が 刺 し た く ら い の も ん だ " と 思 っ て い た 。 時 に 左 舷 に 命 中 し た 。大 蟲 音 と と も に 、 水柱が高くまい
しかし、 魚 雷 が 命 中 し た と き の 震 動 で 、 主砲方位盤が あがった。 たちまち第二水圧機室に浸水、艦は左舷へ約
五度かたむいた。

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旋 回 不 能 に な っ た た め 、 主砲の一斉射撃ができなくなっ
た 。 こ れ は 、 ひ じ ょ う に 痛 か っ た 。 対 空 戦 闘 で は 、 主砲 さ らに、弾幕をくぐって急降下した六機の爆撃機の投
下した二百五十キ 爆
II 弾 のぅち、 ニコが左舷に命中し、 げ て 作 戦 に 参 加 す る こ と と な っ て い た が 、 栗田艦隊の上

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そ の 一 弾 は 、 前 部 兵 員 厕 (便 所 ) を 破 壊 し た 。 他 の ー 弾 空 に は 、 一機の掩護戦闘機もない。空襲の激化は必至で
は四番高角砲の前部に命中、 爆弾は最上甲板と上甲板を あり、艦隊司令部の焦慮はいよいよつのるのであった。
つき抜け、中 甲 板 の 第 十 兵 員 室 で 炸 裂 し た 。弾 薬 供 給 室
の全員が戦死し、 近くにいた兵員の体は爆風でおしつぶ
された。 五
だ が 、 『武 蔵 』 は ま だ ビ ク と も し な か っ た 。 こ の く ら
いな被弾で沈むょぅな、 そんなちゃちな戦艦ではない。
適 切 な 注 排 水 操 作 に ょ っ て 、左舷への傾斜はわずか一度 第 三 次 空 襲 は 、 第 二 次 空 襲 の 三 士 一 分 後 に 、 はじまっ
に ま で 回 復 し た 。 そ し て 、 速 力 も お と ろ え ず 、 いぜんと た。 デ ィ ビ ソ ン 隊の六十五機である。 そのぅちの十三機
して艦隊とともにシブヤン海を進撃しつづけた。 が 、 『武 蔵 』 に 来 襲 し 、 二 百 メ ー ト ル ほ ど の 高 度 か ら 投
し か し 、 『武 蔵 』 の 甲 板 や 艦 内 に は 、 戦 死 者 の 肉 片 が 下 さ れ た 航 空 魚 雷 が 、 青 白 い 航 跡 を ひ い て 、 いっせいに
散 乱 し て い る 。遺 体 は そ の ま ま 放 置 さ れ 、負傷者はぞく 『武 蔵 』 め ざ し て 走 っ て く る 。
ぞ く と 戦 時 治 療 所 に 運 び こ ま れ て いた。 『武 蔵 』 は 、 右 へ 右 へ と 巧 み に 体 を か わ し た 。 が 、 その
そ の こ ろ 、 旗 艦 『大 和 』 の 司 令 部 で は 、 攻 撃 督 促 の 意 な か の 一 本が前部に命中、 測深儀室を破壊する。前部戦
味もこめて小沢機動部隊と南西方面艦隊にたいし、 時 治 療 所 に は 、火薬の炸裂にょって生じた一酸化炭素ガ
「敵 艦 上 機 、 ワ レ 雷
-1 爆 撃 ヲ 反 復 シ ッ ッ ア リ 。 貴 隊 、 触 スが充満し、 収 容 さ れ て い た 負 傷 者 が 、 あいついで倒れ
接ナラビ 攻
11 撃 状 況 ノ速 報 ヲ 得 タ シ 」 た。
と、電報を打った。作戦計画では航空兵力の全力をあ そ し て 、 た て つ づ け に 、第 三 次 空 襲 か ら 、 わずか六分
後 、 二 十 機 が 、 『武 蔵 』 に 襲 い か か っ た 。 き わ め た 。 『武 蔵 』 の 砲 火 も 、 は じ め の う ち は 半 数 ち か
航海長の仮屋実中佐は、 くが必死に反撃していたが、時の経過とともに被害をま
「面 舵 い っ ば い 、 急 げ 」 し、 乙 だ い に ほ そ っ て き た 。
「も ど せ ー、 取 舵 い っ ぱ い 、 急 げ 」 零時五十三分、前部の左右両舷に同時に一本ずつ、 つ
と 、走 っ て く る 魚 雷 を 懸 命 に か わ し た 。 いで中部の右舷にニ本の魚雷が命中、海水が奔流のよう
しか し 、左 舷 に ニ 本 、右 舷 に 一 本 が 命 中 す る 。 艦 は 、 に艦内に流れこんできた。 また、 爆 弾 四 コ が 命 中 し 、前
そのたびに激しく震動した。さらに、 数発の至近弾にょ 部の応急員のほとんど全部が戦死した。第一砲塔内でも
る水柱が艦をおおい、落ちる海水が甲板上の血を洗い、 三式弾の自然爆発が起こり、砲 員 の 姿が消えた。
ちぎれた肉片を容しゃなく海上にはこび去った。 魚雷の命中した個所は、すべて艦の中央部より前であ
午後零時三十五分、 った。 そ の た め 艦 首 は さ ら に 沈 み 、 四 メ ー ト ル ほ ど の 傾
「出 シ 得 ル 速 力 二 十 四 ノ ッ ト 」 斜となる。
と 、 『武 蔵 』 か ら 旗 艦 『大 和 』 に 信 号 が 送 ら れ た 。 そ 防御指揮官エ藤大佐は、部下を督励して必死の浸水遮
れ で も 『武 蔵 』 は 艦 首 を は げ し く ふ り な が ら 、 他 の 艦 と 防 に つ と め た 。 だ が 、 エ 藤 の 防 御 指 揮 所 も 、 通信系統が
ともに進撃をつづける。 破 壊 さ れ た の で 、 連 絡 が と れ な い 。 そ こ で 、 エ藤は第二
零時四十五分、 指 揮 所 に 移 っ た 。 そ の 途 中 、 エ藤の足もとには戦死者の
「出 シ 得 ル 速 力 二 十 ニ ノ ッ ト 」 頭や、 はらわたがまといつき、 その惨状は地獄絵図も遠
『武 蔵 』 の 速 力 は わ ず か に お ち た が 、 回 避 運 動 を つ づ け くおよぶものではなかった。
ながら、輪型陣の一角を占めて進んでいた。 戦 時 治 療 所 に も 、 重 傷 者 が 、 つぎつぎにはこびこまれ

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し か し 、 『武 蔵 』 に た い す る 敵 の 集 中 攻 撃 は 執 よ う を る 。 病 室 は い っ ぱ い に な り 、 通 路 に も あ ふ れ た 。 とうと
う 最 後 に は 、軍医官と衛生兵は負傷者を上甲板にならべ ニ時五十分。 レ I ダ ーは、東方に敵機の大群をとらえ

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て応急手当にかけまわった。 だが、直撃弾をうけ爆煙が る 。 つ い で 三 時 、 『武 蔵 』 は、
消 え た あ と 、 そ こ に 集 ま っ て い た 負 傷 者 の 姿 は 、 どこに 「7 レ 舵 故 障 … … 」
も見えなかった。 と 、 旗 睦 『大 和 』 に 信 号 を 送 っ た 。 こ れ に た い し 、 栗
午 後 一 時 十 五 分 、 二 十 機 が 来 襲 し た が 、 『武 蔵 』 を 攻 田長官の命令が、 ニキ口信号灯でつたえられた。
擊しなかった。 「武 蔵 は 駆 逐 艦 の 『清 霜 』 『島 風 』 を 護 衛 艦 と し て 、 コ
艦 隊 は 二 十 ニ ノ ッ ト で す す ん だ が 、 巨 大 な 『武 蔵 』 に ロ ン 湾 (ミ ン ド ロ 海 峡 の ブ ス ア ン カ 島 ) に 回 航 せ ょ 」
も よ う や く 衰 え が み え は じ め 、艦隊におくれ気味となっ 栗 田 艦 隊 参 謀 長 の 小 柳 少 符 か 旗 艦 『大 和 』 の 艦 橋 か ら
た。 双眼鏡でみつめたとき、 いまや力つき、 孤影悄然たる世
や が て 『武 蔵 』 は 、 前 部 の 浸 水 が ま し て 、 艦 首 が 水 面 界 最 大 の 戦 艦 『武 蔵 』 の 哀 れ な 姿 が 、 し だ い に 視 界 か ら
ち か く ま で し ず み 、 速 カ は 、十 六 ノ ッ ト に お ち て し ま っ 遠ざかっていった。
た。 時 間 が た つ に つ れ て 、 僚 艦 の 姿 が 前 方 遠 く な り は じ ま だ 陽 は 高 い 。 お そ ら く 日 没 ま で 、 まだ敵の空襲はつ
め た 。 そ れ で も 『武 蔵 』 は 、 懸 命 に 艦 隊 の 後 を 追 う よ う づくだろぅ。
に進みつづけた。
し か し 、 『武 蔵 』 は "不 沈 艦 " で あ る 。 こ の 自 信 が 、 栗 田 長 官 が 、 『武 蔵 』 に 退 避 命 令 を 出 し て か ら 、 もの
乗 員 た ち の 頭 に し か と き ざ み こ ま れ て い た 。 だ が 、 "絶
の十五分もたたない午後三時十五分、敵の第五波が来襲
対 に 沈 ま ぬ "と の 確 信 も 、 し だ い にぐらついているよう す る 。 そ の 数 、 じ つ に 七 十 五 機 、 ま る で マルハナバチの
だった。 大 群 の ょ ぅ に 『武 蔵 』 に 襲 い か か っ た 。
ニ 時 四 十 五 分 、 ま た プ ザ —が 鳴 っ た 。 「対 空 戦 用 意 」 運 動 力 を 失 い 、 回 避 運 動 の で き な い 『武 蔵 』 の 巨 体 に
は 、 た ち ま ち 十 一 本 の 魚 雷 と 十 コ の 爆 弾 が 命 中 し 、 六コ 水 に 洗 わ れ た 。 そ し て 速 力 も 六 ノ ッ ト に お ち た が 、 『武
の至近弾をかぞえた。林立する水柱は天にちゅうし、も 蔵 』 の機銃は、 ま だ 弾 丸 を 発 射 し つ づ け て い た 。
うもうたる爆煙は全艦をおおった。 重 傷 の 猪 口 艦 長 が 応 急 手 当 を す る あ い だ 、第二艦橋に
防 空 指 揮 所 に 命 中 し た 爆 弾 は 第 一 艦 橋 で 炸 裂 し 、 防空 いた副長の加藤憲吉大佐が艦の指揮をひきついだ。
指揮所は崩壊するビルディングのょうに瑚音をあげてく 加 藤 は 、 も は や 海 上 の 廃 墟 も 同 然 の 『武 蔵 』 の 姿 に 無
ずれ落ちた。 念 の 涙 を おさえながら、すでに魚雷と爆弾のすべてを投
第一艦橋と作戦室を大破した爆弾は、航海長仮屋実中 下 し お わ っ て 、 ま る で 見 下 ろ す ょ う に 『武 蔵 』 の 上 空 を
佐 、高射長広瀬栄助少佐など九名の生命を奪い、艦長猪 旋回している敵機を、 かっとにらみつけた。
ロ敏平少将は、右 肩 部 に 重 傷 を 負 っ た 。第二艦橋にいた 応急手当をおえた艦長は、負傷した右肩の痛みをおさ
加 藤 副 長 は 、 は げ しいショックに、 足もとがふらつくの え な が ら 、第 二 艦 橋 に お り て 、 ふたたび艦の指揮をとっ
をおぼえた。 た。 頭 部 と 右 肩 を ほ う 帯 で ま き 、 右腕はほう帯で首から
そ の ほ か 、 数 基 の 機 銃 、 中 央 高 射 員 待 機 所 、第 五 兵 員 つるしている。
室 、 中甲板病室、 士官室、 司令部庶務室などが破壊され 艦 長 は 、命 令 さ れ た コ ロ ン 湾 へ の 回 航 も 、 大 損 傷 を う
て 、 『武 蔵 』 は つ い に 満 身 創 夷 と な っ た 。
魚雷の命中にょ け た 『武 蔵 』 に は 無 理 と 判 断 し 、 や む な く シ ブ ヤ ン 海 の
り、艦 首 が 大 き く 沈 下 し た の で 、 至 近 弾 に ょ る 水 柱 は 、 北岸に艦を座礁させることを考え、艦首をその方向にむ
櫥楼最上甲板に落下する。 け て 進 ま せ た 。 だ が 、 機 関 室 へ も 海 水 が 流 れ こ み 、 つい
左舷十度の傾斜は、 注排水装置によって六度まで回復 に機関もとまってしまった。 同 時に、艦内を薄暗くとも
したが、 艦 首 へ の 傾 斜 は 四メ ー トルから一きょに八メー し て い た 予 備 の 第 二 次 電 灯 も 消 え 、 艦内はくら闇になっ
トル以上となり、 一番主砲左舷の最上甲板の 部
I は 、海 た。
る手 段をとることとなつ た 。

252
午後六時すぎ、 副長は、
「各 科 長 は 第 二 艦 橋 に 集 ま れ 」 「総 員 上 甲 板 」
艦長の命令がつたえられた。 と、 艦長の命令をつたえる。
内 務 長 (戦 闘 中 は 防 御 指 揮 官 ) の エ 藤 計 大 佐 は 、 死 屍 油と汗でよごれた兵隊が、 よろめくようにハッチから
るいるいたるあいだを、 心のなかで合掌しながら通り抜 上 甲 板 に 顔 を 出 し た 。 か れ ら は 、 艦 上 の 惨 状 に 、 一瞬、
けて、艦橋にのぼろうとしたが、すでに鉄の階段は爆風 立ちすくんだ。
で吹き飛んでなくなっていた。 加藤副長は、
さいわい、 そばに応急用の長い綱バシゴが見つかった 「総 員 集 合 」
ので、 そ れ に つ た わ り 、 ょ う や く のことで艦橋にのぼっ を命じ、 三番砲塔の上にのぼり、艦長の指示をつたえ
た。加 藤 副 長 と 砲 術 長 越 野 公 威 大 佐 は 先 着 し て お り 、 エ て、 全 員 の 奮 起 を 要 望 し た 。
藤につづいて機関長中村大佐、通信長三浦徳四郎中佐な 「本 艦 は 不 沈 艦 で あ る 。 い ま か ら 艦 の 傾 斜 を 復 原 す る た
どが集まった。 め、 注 排 水 を 行 な う と と も に 、 左 舷 の 重 量 物 の う ち 移 動
ふと、航 海 長 はとみれば、 艦橋の守護神ともいうべき できるものはすべて右舷にうつす。艦首の沈下を少なく
コンパスをかかえ、 上 か ら お お い か ぶ さ る ょ う に し て 息 するため主錨を投棄する。 みな全力をつくせ」
絶えている。 「か か れ !」
副 長 と 各 科 長 は 、 艦 内 の 状 況 を 艦 長 に 報 告 し た 。 つい 全 員 が 最 後 の 力 を ふ り し ぼ っ て 、 この命令を、実行し
で 、 『武 蔵 』 の 今 後 の 行 動 に つ い て 協 議 し た 。 そ の 結 果 、 た。
ま ず 第 一 に 傾 斜 を 復 原 し 、 艦 を 沈 没 さ せ ぬ た め 、 あらゆ 注 水 により、 一時は艦の操舶もできるようになった。
ま た 、 『武 蔵 』 を 浮 砲 台 に す る た め 、 左 舷 艦 尾 を 駆 逐 こんだ。 無 言 の ま ま 、 熱 い も の が こ み あ げ て く る の を 、
艦で曳航する準備もした。 しかし、
曳航をこころみたが、 どうすることもできない。
巨 大 な 『武 蔵 』 は び く と も し な か っ た 。 艦 長は、艦が沈む一時間ほど前に、第二艦橘で遺書を
そ の 間 、乗 員 の 懸 命 な 努 力 も む な し く 、艦の傾斜は刻 し た た め て い た 。 遺 書 と い っ て も 、 小 さ な 手 帳 —— ふつ
こ く と増 す ば か り で あ っ た 。 う の 日 記 帳 よ り も 少 し 大 型 の も の —— に、 四 色 の シ ャ ー
プペンシルで き
横!
!!したものである。
ついで艦長は、 そ の 手 帳 を 加 藤 副 長 に 手 渡 し 、
六 「こ れ を 連 合 艦 隊 司 令 長 官 に 渡 し て く れ 」
と言ってから、 シャープぺンシルを加藤にさしだし、
「記 念 に 、 副 長 に や る 」
やがて日がかたむいた。猪口艦長は加藤副長をはじめ と 、 おだやかな口調で言った。
エ藤内務長、 越 野 砲術長、 三浦通信長、中村機関長らを 加藤たちの顔は青ざめた。手渡された手帳には遺書が
集 め 、 いままでの労をねぎらった。 した た め ら れ て お り 、 シャープペンシルは形見であるに
「副 長 を は じ め 、 み な ょ く や っ て く れ た 。 あ り が と ぅ 。 ちがい な い 。 艦 長 は 海 軍 の 伝 統 に 従 う つ も り だ 、と感じ
日本はいま、 一人でも多くの人的資源を要求している。 た加藤副長は、
「艦 長 、 私 も お と も を さ せ て い た だ き ま す 」
けっし て 死 ん で は な ら な い 。本 艦 の 生 存者をつれて、 日
本 の た め 再 挙 を は か っ て も ら い た い … …」 と言った。すると猪口は、
と、 低い声ではあったが、毅然とした態度で語った。 「い や 、 そ り ゃ い か ん 、 副 長 は 生 き て 、 乗 員 の あ と の め

253
一同は、 食 い し ば っ て い る ロ の 奥 で 、 な ん ど も 涙 を の み んどうをみてやってくれ。戦没者のことも忘れずに考え
て や っ てほしい。艦 と 運 命 を ともにするのは、 艦長だけ を命じた。

254
でたくさんだよ」 三番砲塔の右舷甲板に、重傷者が集められていた。そ
と 、き っ ぱ り と 言 い は な ち 、 のなかには、熱 気 な ど の た め に テ ン カ ン に な っ た の で あ
「総 員 を 集 め て 、 退 艦 さ せ よ 」 ろ う か 、 両 手 を 天 空 に む け て 無 意 識 に ふ る わ せ 、 うわご
と 、命 令 し た 。 そ の 場 に い あ わ せ た 兵 た ち も 、 み な 唇 とのょうな こ と を つぶやくものもあった。
をふるわせて泣いた。 艦 の 傾 斜 は 十二度となり、さらに、増加しそうに思え
副 長 は 、 艦 長 の 命 令 を 、実 行 せ ね ば な ら な い 。 加 藤 ら た。そこで午後七時十五分、 副長は、
は、 光 る も の を 目 に た た え な が ら 、 艦 長 に 最 後 の 敬 礼 を 「総 員 退 去 用 意 」
な し 、 ぅしろがみをひかれる思いで、悄然として艦橋を を命令する。
おりた。 そして、檣頭から軍艦旗をおろして、 両陛下の御真影
猪 口 艦長は、左の肩から右の腰にかけた皮のバンドで の 搬 出 を 指 令 し た 。 「君 ガ 代 」 の ラ ッ パ の ひ び き と と も
ピ ス ト ル を さ げ 、 た だ ひとり、 艦 橋 に ふみとどまってい に、 軍 艦 旗 が 静 か に 降 下 す る 。 御 真 影 も 、 二 人 の 下 士 官
た。 に背負われた。
戦 闘 配 置 ご と に 人 員 点 呼 を お わ り 、乗組員は整列して
シ ブ ヤ ン 海 の 日 没 が 近 づ い た 。加 藤 副 長 は 、後甲板に つぎの命令を待っている。
行くと、 左舷への傾斜は、 三十度を越えたょうに思われた。午
「総 員 集 合 」 後七時一二十分、 つ い に 最 後 の 時 が や っ て き た 。
を 令 し 、 つづいて、 万感を胸にひめた加藤副長は、
「各 戦 闘 配 置 ご と に 人 員 点 呼 」 「総 員 退 去 !」
を 命 じ た 。 乗 組 員 は 思 い 思 い の 方 向 に 走 り 、 海へ飛び いった。 そ れ は 、 あ た か も 日 本 海 軍 の 運 命 を 象 徴 す る か
こみはじめる。 の よ う に-- 0
加 藤 は 、 艦 長 か ら 託 さ れ た 手 帳 を 油 紙 で つ つ み 、 戦闘 『武 蔵 』 の 全 乗 組 員 ニ 千 三 百 九 十 九 名 の う ち 、 艦 長 猪 口
服 の 内 ポ ヶ ッ ト に お さ め た 。 そして、靴をぬいで海には 敏平少将をはじめ千二十三名が艦と運命をともにした。
いり、 す ぐ 舷 側 か ら は な れ 、 海 面 に 浮 い て い る 木 片 に つ 時 に 、 昭和十九年十月一一十四日午後七時三十七分であっ
かまった。 た。
エ 藤 は 、右 舷 の 艦 尾 か ら 飛 び こ み 、 艦が沈む と き の 渦 戦 艦 『武 蔵 』 の 墓 場 は 、 北 緯 二 度 11七 分 、 東 経 ニ 三
に 巻 き こ ま れ な い た め 、 懸 命 に 泳 い で 三 十 メ ー ト ルほど 度 三 ニ 分 。 こ の あ た り の 水 深 は 約 七 百 メ ー ト ル 、 南国の
はなれた。 ふと振りかえったとき、 夕焼けを背景にして 海らしい、極彩色の魚が肌をきらめかせて棲息する海溝
『武 蔵 』 の 大 き な ス ク リ ュ ー が光 っ て い る 。 である。
やがて、 艦 はニ、 三度前傾斜の状態で、急テンポに左
舷への傾斜を増し、あと数秒で転覆しそぅであった。そ 愛 す る 艦 を 失 っ た つ わ も の た ち は 、海上にほうり出さ
のとき海上にただよぅ将兵から、 れ た 。 『武 蔵 』 が 沈 む と き の 渦 に ま き こ ま れ て 、 ついに
「わ ー っ ! 」 艦と運命をともにした者も少なくなかった。
「ば ん ざ ー い!」 暗 い海面には、泳いだり、木片などにつかまっている
な ど 、 感 き わ ま っ た さ け び 声 が 、 いっせいにわきおこ 人の頭が、 あちこちに浮いている。
つた。 二十分ほどたって、 海 面 に 重 油 が 流 れ だ し た 。 重油を
巨 艦 『武 蔵 』 は、 す さ ま じ い 、 う な る よ う な 裹 音 を の のんで、 む せ か え る 者 も い た 。
こ し て 、 シブヤン海のうず巻く波間に、 その姿を消して 重 油 の 海 は あ た た か く 、 そ れ が 眼 気 を さ そ っ た 。 眠っ
た ら 、 お だ ぶ つ だ —— 。 眠気をさますため、頭をなぐり 示 し て い た 。 一つがおわると 、 ま た つ ぎ が は じ ま り 、 歌

256
合 う 者 も い た 。加 藤 副 長 と 細 谷 四 郎 兵 曹 は 、 たがいに頭 声ははてしなくつづく。
をなぐり合った。 月が、 かなり移動した。
やがて、 そ こ ここに、 二人寄り三人 が 集 ま り 、 五人、 歌をうたう気力もうせたのか、 かれらの歌声はかすれ
七 人 と グ ル ープ を つ く っ て 泳 ぎ は じ め る 。 そ し て 、 泳ぎ がちになる。
ながら、 す る と 、近 く の 者 が 、
「集 ま れ !」 「こ ら つ 、 ど う し た ! 」
と い う 号 令 が 、 ロぐち に 海 面 に つ た わ る 。 「ね む っ ち ゃ だ め だ ぞ !」
午 後 八 時 す ぎ だ っ た ろ う か 、 「君 ガ 代 」 の 歌 声 が 油 の と 、 こずきあげる。 歌 声 が と だ え る こ と は 、 死を意味
海面にながれはじめた。 するからだ。 しかし、何人かの頭が海面から音もなく消
国歌がすむと、 こ ん ど は 「
命 惜 し ま ぬ 予 科 練 の 」がは えていった。
じ ま っ た 。 そ し て 、 「海 行 か ば 」 と な る 。 さ ら に 、 流 行 三 時 間 ほ ど も た っ た こ ろ だ ろ う か 、 黒 い 艦 影 が 、 見え
歌 が 後 か ら 後 か ら う た わ れ た 。 歌 い な が ら 、 ゆっくりと た。
手足を動かしている。歌 を う た う こ と で 力 れ ら は 疲 労 「駆 逐 艦 だ ! 」
と眠気を追いはらおうとしていたのだ。 か れ ら は 、 に わ かに元気づいた。 その黒い小さな影に
ふと見上げたとき、 きれいな月が出ているのに気づい 向 か っ て 、懸 命 に 泳 ぎ だ し た 。
た。 「も う 大 丈 夫 だ ! い そ ぐ と 、 つ か れ て 、 ま い っ て しま
海 上 は 、風も な く 波 も な か っ た 。空には星がきらめい う ぞ !」
て い る 。上 弦 の 月光の下、 歌声だけが人間のいることを 駆 逐 艦 は 、 か れ ら に ロ ー プ や 竹 竿 を さ し の べ 、 舷側に
南西方面艦隊) より二十四日早朝ルソン地区空襲の予報
は数条の繩バシゴを用意した。
あ り た る を 以 て 、 0 五 三 0 〔注 、 午 前 五 時 三 十 分 〕 起 し
駆逐艦にあがった者は、重なり合うょうに甲板に倒れ
にて配備に就き充分の構へをなせり。
た。駆 逐 艦 の 乗 員 が 、 頰などにべっとり と こ び り つ い た
遂 に 不徳の為、海軍はもとより全国民に絶大の期待を
重油を、 ガソリンでふきとってくれた。
か け ら れ た る 本 艦 を 失 ふ こ と 誠 に 申 訳 な し 。 唯 、本 海 戦
やっと一息ついたところで、朝からの空腹をみたすた
に於て他の諸艦に 被 害 殆 ん ど な か り し 事 は 、誠にうれし
め に 重 湯 が く ば ら れ た 。 そ れ を す す り な が ら 、 かれらは
く 、 何 と な く 被 害 担 任 艦 と な り 得 た る 感 あ り て 、 この点
駆 逐 艦 『清 霜 』 『浜 風 』 で マ ニ ラ 湾 ロ の コ レ ヒ ド ー ル 島
幾分慰めとなる。本海戦に於て申訳なきは対空射撃の威
へ向かった。
力を充分発揮し得ざりし事にして、 之は各艦共下手の如
く 感 ぜ ら れ 自 責 の 念 に 堪 へ ず 、どうも乱射がひどすぎる
駆逐艦に救助された副長の加藤憲吉大佐は、 提供され
か ら か え っ て 目 標 を 失 す る 不 利 大 で あ る 。遠距離よりの
た艦長室で、猪口艦長から託された手帳をポケットから
射撃並に追打ち射撃が多い。
と り だ し た 。 油 紙 で か た く 包 ん だ 手 帳 は 、 ほとんど濡れ
被 害 大 な る と ど う し て も や か ま し く な る 事 は 、致し方
て い な か っ た 。 手 帳 を 開 く と 、 シャ I プぺンシルで書か
な い か も 知 れ な い が 、 之も不徳の致す処にて慚愧に堪へ
れ た 文 字 が 、 こ ま か く 紙 面 に つ づ ら れ て い る 。 この文字
ず。
を た ど る う ち に 、 加 藤 の 目 に は 光 る も の が あ ふ れ 、 かれ
大口径砲が最初に其の主方位盤を使用不能にされた事
の胸には熱いものが、 つぎつぎとこみあげてくるのであ
つた。 は大打撃なりき。 主方位盤は、どうも僅かの衝撃にて故
『十 月 二 十 四 日 障 に な り 易 い 事 は 、今 後 の 建 造 に 注 意 を 要 す る 点 な り 。
予期の如く敵機の触接を受く。之より先0 X 1
^ (注 、 敵航空魚雷はあまり威カ大ではないが、敵機は必中射点
で、然も高々度にて発射す。 初め之を低空爆撃と思ひた に相済まず。

258
り I も之が雷擊機なりき。 我 斃 る る も 必 勝 の 信 念 に 何 等 損 す る 処 な し 。我が国は
本 日 の 致 命 傷 は 魚 雷 命 中 に あ り た り 。 一旦回頭してゐ 必ず永遠に栄へ行くべき国なり。
るとなかなか艦が自由にならぬことは申すまでもなし。 皆 様 が 大 い に 奮闘してくださり、最後の戦捷をあげら
それでも五回以上は回避したり。 回避したと言ふのも先 れる事を確信す。
づ自然に回避されたと言ふのが実際であらぅと思ふ。 本 日 も 相 当 多 数 の 戦 死 者 を 出 し あ り 、 これ等 の 英 霊 を
機 銃 は も 少 し 威 力 を 大 に せ ね ば な ら ぬ と 思 ふ 。命中し 慰 め て や り た し 。 本 艦 の 損 失 は 極 大 な る も 、之が為 に 敵
た も の が あ っ た に 不 拘 な か な か 落 ち ざ り き 。敵の攻撃は 撃滅戦に些少でも消極的になる事はないかと気にならぬ
なかなかねばり強し。具合がわるければ対勢がょくなる で も な し 。今 迄 の 御 厚 情 に 対 し て は 心 か ら 御 礼 申 す 。 私
迄 待 つ も の 相 当 多 し 。但 し 早 目 に 攻 撃 す る も の も あ り 。 ほど恵まれた者はないと平素より常に感謝に満ち満ちゐ
艦が運動不自由となればおちついて攻撃して来る様に思 た り 。始 め は 相 当 ざ わ つ き た る も 、 夜 に 入 り て 皆 静 か に
はれたり。 なり仕事もよくはこびだした。
最後迄頑張り通すつもりなるも今の処駄目らしい。 一 今 機 械 室 よ り 総 員 士 気 旺 盛 を 報 告 し 来 れ り 。 一九〇 五
八 五 五 (注 、 午 後 六 時 五 十 五 分 )。 (注 、 午 後 七 時 五 分 〕』
暗 い の で 思 ふ た 事 を 書 き た い が 意 に ま か せ ず 。 最悪の
場合の処置として御真影を奉遷すること、軍艦旗を卸す 被害担任艦 I 。 その言葉の、なんと悲壮、なんと残
こと、 乗 員 を 退 去 せ し む る こと、 之 は 我 兵 力 を 維 持 し た 酷、なんと苛烈なことか。
き 為 生 存 者 は 退 艦 せ し む る 事 に 始 め か ら 念 願 、悪い処は 第 一 戦 隊 (『大 和 』 『武 蔵 』 『長 門 』) 司 令 官 宇 垣 纏 中 将
全部小官が責任を負ふべきものなる事は当然であり、誠 は、 そ の 戦 陣 日 誌 『戦 藻 録 』 の 十 月 二 十 四 日 の 記 事 の 中
に、 つ ぎ の よ ぅ に し る し て い る 。 皈 り 人 事 局 に 手 渡 せ り と 云 ふ 。 内 容 左 の 如 し 。 (略 )
『日 没 し て 一 時 間 余 、 警 戒 の 駆 逐 艦 よ り 武 蔵 は 一 九 三 七 何と云ふ気高く何と云ふ尊き最後の言葉!
急に傾斜沈没せりとの-
報を受く。 今更何も加ふべき事は余の露の日誌の通りにして、浸
嗚呼、我半身を失へり! 誠に申訳無き次第とす。さ 水傾斜行動不能にして而も其の運命を予知せる艦上、泰
り乍ら其の斃れたるや大和の身代りとなれるものなり。 然たる猪口艦長の心情は正に余の叙したる七言絶句の通
今 日 は 武 蔵 の 悲 運 あ る も 明 日 は 大 和 の 香 な り 。 遅かれ早 り た ら ず し て 何 ぞ や 。嗚 呼 ! 』
か れ 此 の 両 艦 は 敵 の 集 中 攻 撃 を 喰 ふ 身 な り 。 思へば限り と記されている。
無 き 事 な る も 無 理 な 戦 な れ ば 致 方 も な し 。明日大和にし その七言絶句は、十一月八日の日記の中で、
て同一の運命とならば 麾 下 尚 長 門 の 存 す る あ ら ん も 、最 『武 蔵 艦 長 猪 口 敏 平 少 将 の 壮 烈 な 最 後 を 憶 ふ 余 り 、 次の
早 隊 を 為 さ ず 、 司 令 官 と し て の 存 在 の 意 義 な し 。 宜しく 未稿の詩の様なものが出来たり。英霊を慰する一手段と
予て大和を死所と思ひ定めたる如く、潔く艦と運命を共 もならば』
に す べ し と 堅 く 決 心 せり 』
につづいて、書 き と め ら れ た も の で あ る 。
さらに、十一月二十八日の記事の中には、 覆天来襲敵機群
『午 前 、 元 武 蔵 副 長 加 藤 憲 吉 大 佐 よ り 、 武 蔵 の 被 攻 撃 情 万雷咆哮地軸震
況、処置及最後等の報告を聴く。 …… 夕暗静迫創痍姿
想 像 の 如 く 猪 口 艦 長 は 平 素 と 変 ら ず 、沈着冷静に指揮 誰知艦上提督心
をとり艦と運命を共にする最初よりの覚悟にて艦橋に只
一人止まり、 暇 乞 に 来 れ る 副 長 に 乞 は る る 儘 沈 没 三 十 分

259
前手帳に所感を記し副長に交付せり。本手帳は副長持ち
整一 (
第二艦隊司令長官)
裏墓

幸作 〔軟 艦 『大 和 』 艦 長 )
水艦五、合計三十万六千トンというけたはずれのものだ

26?
った。
こ う し て 、 こ の 海 戦 の 結 果 、 そ の 後 の 日 本 艦 隊 は "無
敵 " を ほ こ っ た か つ て の 面 影 は 見 る ょ し も な く 、 わずか
に "敗 残 艦 隊 " と し て 余 喘 を た も っ て い る に す ぎ な か っ
い ま や 、 戦 局 は い よ い よ 急 迫 を 告 げ 、 戦 況 は 日一日と た。
われに不利となり、もはやたい勢はおおぅべくもなかつ フィリピン海のも く ず と 化した三戦艦のなかには、そ
た。 の乗 員 が 〃 不 沈 艦 " と 確 信 し て い た が 、 敵 飛 行 機 の 集 中
昭 和 十 九 年 十 月 二 十 日 、 米 軍 部 隊 の レ イ テ 島 (フィリ 攻撃をうけ、 一発の対艦船用四十六センチ主砲弾を発射
ピン) 反攻上 陸 が お こ な わ れ る や 、 日本海軍は残存する する機会 に さ え め ぐ ま れ ず 、あえなくシブヤン海の波間
全 海 軍 兵 力 を こ の 一 戦 に 結 集 し て 、最 後 の 決 戦 を お こ な に 消 え た 世 界 最 大 の 超 戦 艦 『武 蔵 』 が ふ く ま れ て い た 。
つた。 十 月 二 十 四 日 よ り 二 十 六 日 ま で の フ ィ リ ピ ン 沖 海 そ の 姉 妹 艦 『大 和 』 は 、 ま だ 武 運 に め ぐ ま れ た 。 十一
戦がそれである。 月 二 十 四 日 、 な つ か し い 〃 生 ま れ 故 郷 " の呉軍港に七力
太 平 洋 戦 争 に お け る 三 度 目 、 そ し て 最 後 の 「2旗 」 が 月 ぶ り に 帰 り 、戦 い の き ず あ と を い や し た 。 そ し て 、 明
ひ る が え り 、 日 本 艦 隊 は 、 「天 佑 を 確 信 し て 全 軍 突 撃 」 くる年の一月三日に修理をおわり、 つぎの作戦にそなえ
したが、無残 な 完 敗 に お わ っ た 。 その艦艇の喪失は、 ア て満を持していた。
メリ力側の五隻 I 軽空母一、護衛空母一、駆逐艦ニ、 二 月 十 九 日 、 東 京 の 南 方 わ ず か 千 二 百 キ 一Iの硫黄島に
護衛駆逐艦一、合計三万七千トンにたいして、 ニ 米軍が来攻してきた。
1 十 三隻
I 空 母 四 、戦 艦 三 、 重 巡 六 、 軽 巡 四 、 駆 逐 艦 十 一 、 潜 さらに三月十四日、米軍の沖繩上陸作戦を支援するァ
メ リ 力 艦 隊 の 機 動 部 隊 (正 規 空 母 十 、 軽 空 母 六 、 戦 艦 十 力のほとんどすべてであった。
八、 巡 洋 艦 十 六 、 駆 逐 艦 十 二 な ど ) が 、 ゥ ル シ ー (カロ 三 月 二 十 六 日 、 わ が ほ ぅ が 予 想 し て い た と お り 、 アメ
リン諸島) を出撃して北上する。 ‘ リヵの艦艇が慶良間列島1 沖繩本島の西方約十五ヵィ
そ の 三 日 後 の 十 七 日 、 〃 い ま や 弾 丸 尽 き 水 涸 れ " たの リ I に あ ら わ れ た 。 た だ ち に 、 連 合 艦 隊 は 「天 一 号 作
で、 ついに硫黄島守備隊最高指揮官の栗林忠道陸軍中将 戦」 を発動した。
は、 そ の こ ろ 連 合 艦 隊 司 令 部 は 、敵 機 動 部隊が沖繩方面に
「飽 ク マ デ 決 戦 敢 闘 ス べ シ 。 己 レ ヲ 顧 ミ ル ヲ 許 サ ズ 」 し ば り つ け ら れ ると判 断 し て い た の で 、 わ が 基 地航空機
の威力圈内におびきょせ、 これに痛撃をくわえるため、
の攻撃命令をだし、 みずからも陣頭にたって戦った。
こ の 日 、 連 合 艦 隊 司 令 部 は 無 線 諜 報 に ょ っ て 、 米軍が 第一遊撃部隊に佐世保回航を命じた。
ちかく南西諸島方面に上陸を企図している公算が大きい 『第 一 遊 搫 部 隊 ハ 、 二 十 八 日 一 二 0 〇 以 後 、 指 揮 官 所 定
と 判 断 し 、 「天 一 号 作 戦 」 (敵 が 南 西 諸 島 方 面 に 来 攻 し 二依リ速-
一出撃、 主 力 ハ 豊 後 水 道 ヲ 、 一 部 ハ 下 関 海 峡 ヲ
た場合の作戦)要領をしめし、海上部隊にたいしては、 通 過 シ 佐 世 保 -前
1 進待機スべシ』
つぎのょぅに命令した。 第一遊解部隊は、 おこなっていた工事を促進または中
一、 第 一 遊 擊 部 隊 ハ 警 戒 ヲ 厳 ニ シ テ 内 海 西 部 二 在 リ テ 止 して、 出撃準備をいそいだ。 その間、乗員は交代で短
待機シ特令-
一依リ出撃準備ヲ完成ス。 時間の自由上陸がゆるされたが、 みな最後の上陸と覚悟
ニ、 航 空 作 戦 有 利 ナ ル 場 合 、 第 一 遊 撃 部 隊 ハ 特 令 二 依 していた。
リ出撃シ敵攻略部隊ヲ撃滅ス。 二 十 八 日 午 後 五 時 三 十 分 、第 二 艦 隊 司 令 長 官 伊 藤 整 一
この第一遊撃部隊は、 フィリピン沖海戦で敗退して帰 中 将 は 、 戦 艦 『大 和 』 と 第 二 水 雷 戦 隊 (巡 洋 艦 『矢 矧 』

263
つ て き た 第 二 艦 隊 の 旗 艦 『大 和 』 を 基 幹 と す る 、 可 動 兵 駆逐艦九隻 7 第 三 十 一 戦 隊 (駆 逐 艦 三 隻 )を ひ き い て 、
呉 を 出 撃 す る こととな る 。 し かし、 こ の 日 の 午 後 五 時 ご 見が欠けていたからにほかならない。

264
ろ か ら 敵 の 艦 上 機 が 九 州 と 奄 美 大 島 に 来 襲 し 、敵 機 動 部 はじめは、 わが航空作戦が有利に展開したならば、 こ
隊が九州に接近する兆候がみられたので、第一遊撃部隊 の部隊を米攻略軍の撃滅につかう予定であった。
でおびきょせる必要がなくなった。 そこで連合艦隊は、 しかし、 そ の 当 時 の 彼 我 の 兵 力 や 、 それまでの作戦の
二十八日夕刻、第 一 遊 撃 部 隊 の 佐 世 保 回 航 を 延 期 し た 。 経過などからみて、 はたしてこうした事態の実現を期待
二十九日午後、第 一 遊 撃 部 隊 は 、 山口県三田尻沖に回 てきたであろうか?
航する。 つい で 、敵 機 動 部 隊 を わ が 基 地 航 空 機 の 威 力 圏 内 に お
『大 和 』 は ブ ィ を は な れ て 、 し ず か に 前 進 を は じ め た 。 び き よ せ 、 これに痛 撃 を く わ え る ため、第 一 遊 撃 部 隊 を
秘密裏の出港だったが、 それと気づいた在泊艦船の乗員 オトリに使用しようとした。
は上甲板に飛びだし、帽 子 を ふ っ て 巨 艦 を 見 送 っ た 。 と こ ろ で 、敵 は こ の 手 に 乗 る だ ろ う か ? この作 戦 を
『大 和 』 で も 、 手 す き の 乗 員 は 甲 板 に 整 列 し 、 や は り 帽 うけもつ基地航空部隊の主力であった第五航空艦隊の司
子をふってこれにこたえた。 かれらは、 ふたたび帰る日 令 長 官 宇 垣 纏 中 将 は 、 そ の 戦 陣 日 誌 『戦 藻 録 』 の 三 月 ニ
が な い か も し れ ぬ 出 港 と 思 ぅ と き 、呉の街 に 、 その背後 十七 日 の 記 述 の な か で 、 この計画をきびしく批判してい
に そ び え る 灰 ヶ 峰 な ど に ひ と み を こ ら し 、 つきぬ名残り る0
を.
おしむのであった。 『第 一 遊 撃 都 隊 の 九 州 東 岸 南 下 に よ り 敵 機 動 部 隊 を 誘 出
し、 当 隊 を し て 攻 撃 せ し め ん と す る 常 套 の 小 細 工 に い た
第 一 遊 撃 部 隊 の 用 法 は "出 た と こ 勝 負 " の き ら い が あ りては、笑 止 千 万 な り 。 … … (
従来の経験からみて)
り、 そ の 当 然 の帰結として、 わずか旬日のあいだに猫の … …敵 は 容 易 に 予 定 を 変 更 せ ん と せ ず 。 又 優 勢 を 以 て せ
目 の よ う に 三 変 し た 。 そ れ と い う の も 、用 法 に 確たる定 ば 、察 機 、機 動 の 必 要 も 寡 し と 見 ら れ 、牽制誘導に仲々
乗 ら ざ る な り 。乗りたると思ぅは偶然の一致に過ぎずと 将のひきいる有力な空母部隊がはしりまわっている。
為 す .. 』 午前八時三十二分、 ほぼ予定どおり上陸部隊の第一波
この第二の用法は、米機動部隊の積極的な行動によつ が 着 岸 し 、 つづいて、 ほ と ん ど 妨 害 を う け る こ と な く 上
て、 お の ず か ら 解 消 し た 。 陸がつづく。
こ こ で "熟 慮 " の 結 果 、 『大 和 』 を 基 幹 と す る 海 上 特 歩兵も海兵隊も、小型シャベルを背のうにくくりつけ
攻隊の沖繩突入作戦へと三転するのであった。 ていた。海岸についたら、な に は ともあれ、 日本軍の砲
火から身を守る穴を掘るためである。
だが、 日本軍は奇妙にしずまりかえっていた。鉄砲弾
ニ は な ん の 音 沙 汰 も な く 、 いまか、 いまかと待っているう
ちに、 米兵たちは海岸についてしまったのだ。
恐 る お そ る 歩 き 。た し た が 、 周 囲 は の ど か に 静 ま り か え
昭 和 二 十年四月一日の未明、米第五艦隊司令長官スプ っている。 第 七 歩 兵 師 団 の あ る 丘 ± は、 沖 繩 特 有 の 円 丘
ルーアンス大将を総指揮官とする攻略軍が、沖繩島の近 のょうな丘に登りつめたところで、すっかり緊張から解
く に 姿 を あ ら わ し た 。 参 加 兵 力 は 約 四 十 五 万 人 、 空母や 放され、 ひたいをぬぐって言った。
戦艦などの戦闘用艦艇が三百十八隻ヽ輸送船や上陸用舟 「オ レ は 、 寿 命 以 上 に 生 き た ょ う な 気 が す る 」
艇などの補助艦艇はじつに千百三十九隻をかぞえた。 こ の 日 は 〃 工 ー プ リ ル .フ I ル 5〔四 月 馬 鹿 )だ っ た 。
日 の 出 (午 前 六 時 二 十 一 分 〕と 同 時 に 、 戦 艦 の 巨 砲 に よ 日本軍にかつがれたのか、と不審惑がわきおこった。 し
か し 、 敵 が い な い の は 、 結 構 な こ と に ち が い な い 。 しデ
る 上 陸 掩 護 射 撃 が は じ ま っ た 。沖 合 に は 、愛 用 の 野 球 帽

265
をかぶった米海軍航空界の闘将、 マ ク .ミ ッ チ ャ ー中 丨 つ ま り "ラ ン デ ィ ン グ .デ ー "(上 陸 日 )は "ラ ブ ア

:.
I
^"(愛の日:
^だ ょ ゝ と ^ ェ た ち は う な ず き あ っ た 。 あ らゆる手段をつくさねばならぬ、という考え方から、

266
こうしてその日の夕方までに、 ぞろぞろと五万の兵力 『大 和 』 を 有 効 に 使 用 す る 方 法 と し て 水 上 特 攻 部 隊 を 編
が上陸し、攻略に一週間はかかるだろうと予想していた 成 し 、 沖 繩 上 陸 点 に た い す る 突 入 作 戦 を 計 画 、 軍令部の
読谷と嘉手納の両飛行場も、その日のうちに占領してし 了解をとりつけて実施されることとなった。
まった0 そ の と き の 心 境 を 、当 時 の 連 合 艦 隊 司 令 長 官 豊 田 副 武
大将は、
日 本 海 軍 は 、沖 繩 作 戦 を 最 終 決 戦 と 考 え た 。 米軍が沖 『(水 上 特 攻 部 隊 の )成 功 の 公 算 は 、 む ろ ん 絶 無 と は 考 え
繩 に 上 陸 す る や 明 く る 四 月 二 日 、連合艦隊参謀長の草鹿 なかったが、うまくいったら奇蹟だ、というくらいに判
龍 之 介 中 将 は 、参 謀 三 上 作 次 中 佐 を と も な っ て 鹿 屋 基 地 断 し て い た の だ け れ ど も 、急迫した当時の戦局において
(鹿 児 島 県 ) に や っ て き た 。 まだ働けるものを使わずにのこしておき、現地の将兵を
翌 三日、鹿 屋 の 第 五 航 空 艦 隊 司 令 部 で 、軍令部と連合 見殺しにするということは、 どうしても忍びえない。 か
艦隊をあわせての作戦打ち合わせがおこなわれ、航空部 と い っ て 、勝 ち 目 の な い 作 戦 を し て 、 いたずらに大きな
隊 の 全 力 を あ げ て 、戦 局 打 開 の 一 大 決 戦 を 決 行 す る 必 要 犠 牲 を 払 う こ と も た い へ ん 苦 痛 だ 。 しかし、多少でも成
があるという結論にたっした。 功の算があれば、 できることはなんでもしなければなら
そ の こ ろ 、 神 奈 川 県 日 吉 台 の 慶 応 義 塾 予 科 (現 在 の 教 ぬ、 と い う 気 持 で 決 断 し た … … 』
養学部) の寄宿舎にあった連合艦隊司令部では、大和部 と 、 『最 後 の 帝 国 海 軍 』 に の ベ て い る 。
隊の用法について最後の討議がつづけられていた。
も し も 沖 繩 を 失 陥 す れ ば 、 いよいよ日本本土の軒先に こ う し た 豊 田 長 官 の 決 断 の 裏 に は 、連 合 艦 隊 作 戦 参 謀
火 が つ い た も 同 然 で あ る 。 だ か ら 海 軍 と し て は 、 ありと 神重徳大佐が大きく動いていた事実を見のがすわけには
いかない。 の、 油 が ど ぅ し た の と 泣 き 言 ば か り な ら ベ 、 ナ ッ チ ャ い
マリアナ沖海戦で日本艦隊が惨敗した直後の昭和十九 まし よ
一一ん。 飛 行 機 が 足 ら な け れ ば 、 陸 軍 の 戦 闘 機 に 加
年 六 月 二 十 三 日 の こ と だ っ た 。 か つ て 、 第 一 次 ソロ モ ン 勢してもらえばいい。陸軍機は脚が短いから遠くへは使
海 戦 時 の 作 戦 参 謀 と し て 、 三川第八艦隊の威名を世にと えまし んが、沿 岸 ち か く な ら 十 分 に 大 和 、 武蔵の 傘 に
31
ど ろ か せ た 勇 士 で あ り 、 その当時、海軍省教育局第一課 な り ま す 。伊 豆 七 島 に そ っ て 陸 軍 機 を 出 し て も ら い 、 遠.
長であった神大佐は、 い方は海軍の基地航空隊と母艦機で傘をさすとすれば、
「サ ィ パ ン を 取 ら れ て 、 大 和 や 武 蔵 を 残 し て も 、 な ん の サィパン突入までの空中掩護ぐらいできないことはあり
まし'
一ん。
役 に 立 つ も ん で す か !」
と 気 負 い た ち 、 さ っ そ く軍令部に、 サィパン奪回作戦 陸 軍 だ っ て 真 剣 に 頼 め ば わ か る 。 ヮシなら十分説きつ
—— 戦艦を浮き砲台とし、 その巨砲をもって陸上戦闘を け て み せ る 。 そ ん か わり、海 軍 は 、 これでおしまいです
支援する I を熱心に説いた。 そして、自分が突入する が 、 大 和 .武 蔵 の 全 砲 火 で 米 軍 の 橋 頭 堡 を 後 か ら 叩 き あ
戦艦の艦長になる、と申しいれた。 げてごらんなさい。 .
へんは上陸米軍を海に追いこめま
軍 令 部 は 、奪回作戦の主 旨 に は 反 対 し な か っ た が 、到 す。少な く と も 六 力 月 は 、進攻をくい止められると思ぅ
達するまでの困難と、 たとえ到達しても機関、 水圧、電 が 、 残 念 で す ナ ア ! 」 (髙 木 惣 吉 著 『私 観 太 平 洋 戦 争 』
力などが無傷でなくては主砲の射撃はできないなどの理 百 九—
-! 百 九 十 一 べ ー ジ)
由 か ら 、神 の 提 案 を とりあげなかった。 薩 南 の 熱 血 児 .神 重 徳 は 、 沖 繩 の 作 戦 が は じ ま っ て か
神は長嘆息した。 ら も 、 し ば し ば そ の 自 説 —— 戦 艦 を 浮 き 砲 台 と し て 使 用
「軍 令 部 は 意 気 地 が あ り ま し ュ ん 。 是 が 非 で も サ イ パ ン す る -- の 採 択 を 要 求 し て や ま な か っ た 。 け っ き ょ く 、

267
を と り か え す と 決 心 し な い で い て 、 ヤレ飛 行 機 が 足 ら ん 神が主張したマリアナ戦のさい断行すべき特攻作戦が、
それから十力月後の沖繩戦に敢行されることとなったわ 略 船 団 .機 動 部 隊 総 攻 撃 の 準 備 命 令 (い わ ゆ る 菊 水 一 号

2卵
けである。 作戦)が 発 令 さ れ た 。 そ し て 、 その発動日は六日と定め
一方、 大 和 部 隊 の ほ う で も 、 そ の 最 上 の 用 法 に つ い て られた。
検討をつづけていた。 そ の 電 報 を 見 た 古 村 司 令 官 は 、 す ぐ 『大 和 』 に 伊 藤 長
四 月 二 日 、 第 二 水 雷 戦 隊 旗 艦 『矢 矧 』 で 作 戦 会 議 が ひ 官 を お と ず れ た 。 そのとき長官は、古 村 司令官に、
らかれた。 この会議の結果、 「か く な つ た ぅ え は 意 見 具 申 は や め る 」
「彼 我 の 状 況 か ら み て 、 わ が 航 空 作 戦 が 有 利 に 展 開 す る といった。
可能性はほとんどない。 この場合、水上部隊にょる沖繩 このように、大 和 部 隊 の 出撃直前におけるこの部隊の
突入を企図しても、 その途中で壊滅することは必至であ 用法についての見解は、連合艦隊と第二艦隊とのあいだ
ろう。 そ こ で 、 む し ろ 水 上 部 隊 を 解 散 し て 、 その人員と で、 根 本 的 に 相 違 し て い た の で あ る 。
兵 器 、弾 薬 を 陸 上 の 防 衛 に ま わ し 、 艦 白 体 も浮き砲台と
して、 本 土 の 決 戦 に あ て る の が 最 上 の 方 策 で あ る 」
という結論にたっした。 三
四 月 三 日 、 第 二 水 雷 戦 隊 司 令 官 .古 村 啓 蔵 は 、 こ の 結
論を伊藤長官に進言した。第二艦隊司令部はみずからの
判断ともあわせ、 この結論の線にそって、あくる四日、 わが海軍の運命をとむらうかのように、中国地方の桜
連合艦隊と軍令部に、 第二艦隊長官から意見具申をする の花は散りはじめた。
こ と と した。 四月五日の午後、第一遊擊部隊は連合艦隊司令部から
四月四日、連 合 艦 隊 長 官 か ら航空部隊にたいする敵攻 海上特攻にかんする電報命令をうけとった。
連合艦隊電令作第六〇 三 号 (
第〇五一三五九番電) 力 離 隔 ス ル ヲ 要 ス ル ト コロ、 連 合 艦 隊 ノ指 令 兵 力 、 指 令
第 一 遊 撃 部 隊 〔大 和 、 第 二 水 雷 戦 隊 (矢 矧 、駆 逐 艦 六 )〕 出撃日時二テハ之二合セズ」
ハ海上特攻トシテ八日黎明沖繩 突 これはいれられて翌六日朝、 訂 正 電 が き た 。 兵力の駆
-1 入 ヲ 目 途 ト シ 、 急
速出撃準備ヲ完成スペシ 逐 艦 は 八 隻 に あ ら た め ら れ た 。 ま た 、 「豊 後 水 道 出 撃 ヲ
こ の 命 令 か ら 一 時 間 ほ ど た っ て 、第 一 遊 撃 部 隊 は 、 海 第一遊撃部隊指揮官所定トス」とされた。
上特攻の実施についての電報命令に接した。 こ れ に ょ っ て 、 第 二 艦 隊 司 令 長 官 .伊 藤 整 一 中 将 の ひ
連合艦隊電令作第六 号 (
一一 第〇五一五〇〇番電) き い る 沖 繩 突 入 の 海 上 特 攻 部 隊 は 、 つぎのょぅな編成と
一帝 国 海 軍 部 隊 及 六 航 軍 ハ 父 日 ハ 六 日 以 降 り 全 カ ヲ なった。
挙ゲテ沖繩周辺艦船ヲ攻撃撃滅セントス 四月五日、鹿



ニ 陸 軍 第 八 飛 行 師 団 ハ 右 -協 屋基地にいた連
1 力攻擊ヲ実施ス
合艦隊の草鹿参 产矢矧
第 三 十 二 軍 ハ 七 日 ヨ リ 総 攻 撃 ヲ 開 始 、敵 陸 上 部 隊 ノ 掃

第二水雷 戦 隊
謀 長 に 、 日吉台 第乜駆逐隊ハ冬月ゝ涼月)


滅ヲ企図ス
第^
:駆逐隊ハ磯風ゝ浜風、雪
三 海 上 特 攻 部 隊 ハ ^11日黎明時豊後水道出撃、 丫 の連合艦隊司令


風)
日黎明時沖繩西方海面二突入、敵 水 上 艦 艇並二輸送船 部の神参謀から


第耵駆逐隊へ朝霜^^初霜)
団 ヲ 攻 撃 撃 滅 スべシ 丫日ヲ八日トス 電話がきた。
こ れ は 、 す で に だ れ の 目 に も 「目 的 地 到 達 前 に .
壊滅す 「第 一 遊 撃 部 隊 を 、 海 上 特 攻 と し て 沖 繩 に 突 入 さ せ る こ
ることはほとんど決定的」 とうつっていた作戦だった。 と に な り ま し た .. 」
そ こ で 部 隊 は 、連 合 艦 隊 司 令 部 に 具 申 し た 。 「な に っ !」

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「突 入 兵 力 ハ 大 ナ ル ヲ 可 ト シ 、 進 撃 航 路 ハ 列 島 線 ヨ リ 極 「こ の こ と は 、 も ぅ す で に 、 豊 田 長 官 も 決 栽 さ れ ま し た
が 、 参 謀 長 の ご 意 見 は ど う で す か ?」 伊藤長官をたずねることにした。

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「き ま っ て か ら 、 参 謀 長 の 意 見 は ど う で す か 、 も な い も 一方、 四 月 五 日 の 昼 さ が り 、 旗 艦 『大 和 』 で 機 密 作 戦
んだ。きまったものなら、仕様がないじやないか」 会讓がひらかれていた。
草 鹿 は 憤 慨 し た 。と い う の も 、 かねがね連合 艦 隊 司 令 こ の 会 福 が お わ っ て 『矢 矧 』 に 帰 っ た 第 二 水 雷 戦 隊 司
部 は 、第 二 艦 隊 の 用 途 と そ の 使 用 時 期 、 場 所 に つ い て 、 令 官 .古 村 啓 蔵 少 将 は 、 い く ら か 興 奮 し た 面 持 で 第 二 水
ひじょうに頭を悩ましていた。草鹿としては、第二艦隊 雷戦隊の幹部に語るのであった。
に く い な き 死 に 場 所 を え さ せ 、 す こ し で も 意 義 あるとこ 「
制 空 権 の ほ と ん ど が 敵 の 手 中 に あ る 今 日 、味方戦 闘 機
ろ に 使 用 し た い と 念 願 し て 、 熟 慮 し つ づ け て き た 。 とこ の 掩 護 も な く し て 沖 繩 に 突 入 し 、 在 泊 艦 船 を 攻 撃 せ よと
ろ が 、草 鹿 の 留 守 中 に 、沖 繩 突 入 の 決 定 を み た か ら で あ は、 ま っ た く 無 謀 な 話 で あ る 。 そ れ は 単 な る 自 殺 行 為 に
る0 す ぎ な い 。 し か も 、 今 回 の 沖 繩 突 入 作 戦 は 、 出 撃 と 突入
神は、さらに電話をつづけた。 の時期、 予 定 航 路 ま で も 、 すべてを連合艦 隊 司 令 部 が 指
「第 一 遊 撃 部 隊 は 特 攻 隊 だ か ら 、 生 還 は 期 し が た い で し 定 し 、 と り わ け 燃 料 は 片 道 分 し か な い 。 だ か ら 、 敵情に
ょう。 伊 藤 長 官 は 、 軍 人 と し て の 覚 悟 は で き て おられる 応 じ て 行 動 す る ことができない。往きて還らぬ特攻作戦
と 思 う 。 た だ 、 万 が 一 に も 心 に のこるも の が あ っ て は な は、 も と よ り 辞 す る と こ ろ で は な い が 、 戦 果 を 絶 対 に 期
らぬので、 心おきなく出撃されるよう、参謀長から話し 待 で き な い よ ぅ な 作 戦 に は 、 だ ん じ て 同 意 で き ぬ 。森 下
て い た だ き た い … …」 (第 二 艦 隊 参 謀 長 ) も 有 賀 (『大 和 』艦 長 ) も 、 俺 と 同 感
つまり、 鹿 屋 に い る 草 鹿 に 〃 引 導 わ た し " を さ せ よ う だった」
と い う の である。草 鹿 は と く と 考 え た 。 かれは一度は怒 あ つ ま っ た 第 二 水 雷 戦 隊 の 司 令 や 駆 逐 艦 長 は 、 だれひ
つたが、 こ れ を 承 諾 し 、 六 日 、 飛 行 機 で 三 田 尻 に ゆ き 、 と り として、 こぅした連合艦隊の作戦計画に同意しなか
った。 か れ ら は 、 こ も ご も き た ん の な い 所 見 を の べ 、 そ 揮すべきだ。敗戦のあと、部下の過失や責任を云々して
して憤慨するのであった。 も 、 とり返 し が つ か な い 。穴 か ら 出 て き て 、肉声で 号 令
せ よ !」
寡 然 で 冷 静 な 杉 原 中 佐 が 、色 を な していった。 皮肉たっぶりに意見をのべると、どこからともなく、
「生 死 は も と ょ り 問 題 で は な い 。 が 、 絶 対 に 戦 果 を 期 待 さかんな拍手が起きた。殺伐なこの雰囲気につりこまれ
でき な い ょ ぅ な 自 殺 作 戦 に は 大 反 対 だ 。駆逐艦一隻たり て 、 つ い 『矢 矧 』 艦 長 .原 為 一 大 佐 も 、
と も 、 いまは貴重な存在である。国家はだれがまもるの 「
敵の弱点は、 のび切った補給路だ。敵のうしろにはき
か 。 国 民 は だ れ が 保 護 す る の か 。 無 為 に 沈 ん で 、 たまる っと隙がある。 おれは、前 大 戦 の ド ィ ツ 巡 洋 艦 エ ム デ ン
も の か !」 式 に 、 わ が 矢 矧 で 、 太 平 洋 を 暴 れ ま わ っ て み た い 。 どう
かつて、 一度も怒ったことのない新谷大佐でさえ、 だ 、 吉 田 司 令 !」
「わ が 艦 隊 が 全 滅 す れ ば 、 だ い じ な 本 土 決 戦 は だ れ が や と 、 き り 出 す と 、 柔 道 五 段 の 猛 者 で 、豪 快 不 敵 の 吉 田
る の か 。 敵 と 刺 し 違 え る の は 、 そ の 時 だ 。 このパ力野郎 大佐は、 わが意をえたりとばかりに、
っ! 」 「同 感 だ 、 ま っ た く 同 感 だ ! 部下の駆逐艦三隻をひき
と、 ひとりで憤慨する。 いて、俺 も い っ し ょ に 暴 れ た い 、 この腕がうなってしよ
豪 傑 肌 の 小 滝 大 佐 も 、声 を ふ る わ せ て 、 うがない」
「連 合 艦 隊 司 令 部 は 、 い っ た い ど こ に い る ん だ 。 日 吉 台 と 、 歯 ぎ し り し て 、 髀 肉 の 嘆 を も ら し た 。 (原 為 一 著
の 防 空 壕 の な か で 、 一時的に事務を執るのはやむをえな 『帝 国 海 軍 の 最 後 』 一七五— 一 七 六 ぺ ー ジ 〕
い が 、沖 繩 作 戦 、 レ イ テ 作 戦 の よ う な 国 家 の 興 亡 を 賭 す さ す が に 、 日 本 海 軍 の 伝 統 を ほ こ る 水 雷 戦 隊 。と り わ

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る大決戦を何と思っているのか。当然、陣頭にたって指 け、 開 戦 い ら い 三 年 有 半 、 千軍万馬を駆使して勝ちのこ
った一騎当千の名司令、名 駆 逐 艦 長 ぞ ろ い 。国家をうれ の海上を進撃することは、あえなくシブヤン海の波間に

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い、 国 民 を 案 ず る ほ か 、 か れ ら の 眼 中 に は 恐 れ る も の は 消 え た 『武 蔵 』 が は つ き り 証 明 し て い る ょ う に 、 ほと ん
何物もなかった。 ど 不 可 能 で あ ろ う 。数 時 間 を 闇 に ま ぎ れ て 突 進 す る 場 合
かれらは、 なんとかして敵の心臓に一撃をくわえてや は 別 だ が 、沖 繩 ま で の 距 離 を 考 え る と き 、 ど う し て も 白
り たい、 と い う 悲 願 に 燃 え て い た の だ 。 その舌端の鋭い 昼まる一日を海上にさらさねばならない。 それを敵が見
のも、 ま こ と に 無 理 か ら ぬ こ と で あ っ た 。 落とすはずがない。
こ う し た 発 言 は 、 日 本 海 軍 に お い て は 、初 め に してま すでに3 は、 ほ と ん ど 毎 日 の ょ う に 、 わ が 艦 隊 の 泊

29
た 終 わ り で も あ る 。 戦 法 に つ い て の 論 争 は あ っ た 。 しか 地 を 偵 察 し て お り 、豊後水道には敵の潜水艦も出没して
し、 作 戦 そ の も の に は 絶 対 服 従 の 原 則 が 、 ょ く つ ら ぬ か いる。 さ ら に 、 燃 料 の 片 道 分 と い う の は 、 は じ め か ら 艦
れてきた。 隊の全滅を承知した上での作戦命令にほかならない。
半 年 前 の レ ィ テ 作 戦 の 場 合 に も 、 栗田艦隊内に不満の たしかに無理な作戦だった。傘もあたえずに豪雨のな
声 が 少 な く な か っ た が 、会 議 の 席 で 爆発するまでにはい かをぬれずに通れと要求するにひとしい。狼 の大群とラ
た ら な か っ た 。 こ ん ど の 沖 繩 作 戦 に か ぎ っ て 、 この基本 ィ オ ン を 押 し の け て 、 獬 犬 に 虎 穴 に は い れ 、と命令する
論争が爆発したのは、 いったいなぜだろうか? ょうな も の で あ っ た 。直 言 す れ ば 、 それは死の進撃であ
とかく落ち目になると、上命を論議したくなるのは人 る。 万が一にも沖繩に突入し、 その四十六センチの巨砲
情 で は あ る が 、 こうした論理では、 これを解明できそう を ぶ つ 放 し て あ ば れ ま わ る こ と が で き れ ば 、 それは誉れ
にない。と ど の つ ま り は 、作戦自体が非常 識 に す ぎ た か を後世にのこすことにもなろうが、 それは素人目にも不
らである。 可能と思われた自殺行為であった。
戦闘機に掩護されないまつ裸の艦隊が、敵の制空権下 退 く も 亡 び 、進 む も 亡 ぶ I 。
つ い に 万 策 つ き 、 あ え て 偶 然 の 奇 蹟 を 期 待 し て 、 これ 情 と 、 そ の 家 族 の 将 来 に 想 い を う か べ 、 万感こもごもい
を発令した豊田連合艦隊司令長官の苦衷、 まことに察す たるのであった。
るにあまりがある。 し か し 、 い よ い よ 「決 行 ! 沖 繩 突 入 !」 と 一 決 す る
と 、各 艦 は 、ただちに最後の出撃準備作業にとりかかっ
た。
四 椅子 、 テーブル、その他の燃えやすいものの陸揚げ。
機 密 書 類 の 処 分 、浸水を極限するための隔壁防御扉蓋の
点 検 、閉 鎖 。 消 火 装置消防管、 その開 閉 弁 、 応急用材な
四 月 五 日 の 午 後 お そ く 、 旗 艦 『大 和 』 で ひ ら か れ た 会 ど の 点 検 。私 有品、 不要物品を水線下に格納。 兵 器 、機
議の席上で、全艦そろって沖繩突入を敢行することに決 関 、諸 装 置 の 調 整 注 油 な ど で あ っ た 。
定 さ れ た 。赤 い 夕陽が、 ょぅやく中国地方の山の端に傾 第二艦隊司令長官は、午後四時四十七分から九時十分
いていた。 にわたり、 順 次 信 号 を も っ て 、 燃 料 、魚 雷 、弾 薬 の 移 載
と 搭 載 を 発 令 し た 。 これらの作業は夜を徹しておこなわ
『矢 矧 』 艦 長 の 原 為 一 は 、 こ ぅ し た "自 殺 " 作 戦 に た い れた。
す る 一種の悲憤と、 失 望 の さ び し さ を 禁 じ え な か っ た 。 艦内では水兵がそろって銃剣に刃付けをやっている。
原 大 佐 は 艦 長 室 に こ も っ て 瞑 目 し 、 この海上特攻をいみ いうまでもなく、沖繩に上陸したのち、 米兵を突きさす
じくも「
菊 水」 作 戦 と 呼 称 さ れ ることを思 う と き 、南北 ための戦闘準備である。 かれらは、 その白兵戦を信じて
朝 の 昔 、七生報国を誓って兵庫に出陣した大楠公の苦衷 闘 志 を も や し て い る の だ 。と ち ゅうで敵飛行機に沈めら

273
を し の び 、 お な じ 運 命 に あ る 七 千 余 名 の 戦 友 や部 下 の 心 れるということは、 かれらの念頭にはなかった。
艦 長 室 の 前 に ま つ っ て あ る 大 和 神 社 の 社 前 に は 、 武運 手にした一升ビンが空になったころ、だれかがぅたい出

274
長 久 を 祈 願 し て 各 分 隊 が 供 え た 清 酒 の 一 升 ビ ン が 、 いっ し た 「同 期 の 桜 」 に 、 一 同 が 声 を あ わ せ た 。
ば い な ら ん で い た 。 また、 自 分 の ぅ け 持 ち 甲 板 を せ っ け 若 者 た ち は 蛮 声 を は り 上 げ 、床 を 踏 み な ら し 、腕をく
ん で 洗い清め、大砲にお守りを結びつけて清酒を供える んでまわった。有 賀 艦 長 の みごとなハゲ頭を、なでさす
者もあった。 り、 はては、 た た く 者 ま で い た 。最 後 に 、 たがいに七生
やがて、 艦隊 の 全 将 兵 に と っ て 、思い出つきぬ一夜が 報国を誓って乾杯したのであった。
め ぐ っ て き た 。 た そ が れ 深 ま る 午 後 六 時 、 酒保がひらか
れて 、最後をかざる 壮 行 会 が は じ ま っ た 。 すでに昭和十九年十二月、軍令部次長から第二艦隊長
『大 和 』 の 士 官 室 で は 、 艦 長 を ま ね い て の 食 事 が お こ な 官 に 転 出 の さ い 、楠公の湊川出陣を心ひそかに決意して
わ れ た 。 一同は立ちあがり、冷 酒 「
賀 茂 鶴 」 をなみなみ いた伊藤整一は、その長身を長官私室の椅子にたくし、
と つ い だ 湯 の み 茶 碗 を 目 の 高 さ に 持 ち あ げ て 、 『大 和 』 家 郷 の 妻 子 に おもいをはせながら、最後の筆をはしらせ
と 艏 長 の 武 運 を 祝 っ た 。 そ し て 、 乾 杯 と 談 笑 が 、 はてし た。
なくつづく。
中座した艦長と副長は、ともに一升ビンを片手にぶら 此度は光栄ある任務を与へられ勇躍出搫
さ げ て 、各室と 各 分 隊 を 一 巡 す る 。中尉 、少尉の若い士 必成を期し殊死奮戦皇恩の万分の一に報ひん覚悟
官 ば か り の 居 室 で あ る 第 一 士 官 次 室 で は 、 テ—ブルや椅 に御座候
子などを片づけ、デッキにハンモックやキャンバスなど 此の期に臨み顧みると吾等二人の過去は幸福に満
を敷き、約四十名の若者が車座をつくっていた。 てるものにして亦私は武人として重大なる覚悟を為さ
總 長 は 、 一 升 ビ ン を 傾 け て 酒 を つ い で ま わ る 。 艦長の んとする時親愛なる御前様に後事を託して何等憂な
きは此の上もなき仕合を衷心ょり感謝致居候 淑子さん
貞子さん
お前様は私の今の心境をょく御了解になるベく私
は最後迄喜んで居たと思はれなば御前様の余生の淋
その当時、淑子さんは十五歳、貞子さんは十三歳であ
しさを幾分にてもやはらげる事と存候
った。
心から御前様の幸福を祈りつつ
四月五日
整 一 一方、 第 二 水 雷 戦 隊 旗 艦 『矢 矧 』 の 司 令 官 公 室 で は 、
いとしき 司令官 古 村 少 将 を 中 心 に 、 駆逐隊司令、駆逐艦長らの壮
最愛のちとせどの 行会がひらかれていた。どちらをむいても酒豪の古強者
ば か り 、 二十数本の一升ビンは、 たちまち空になってし
ま っ た 。 し か し 、 心 の 底 か ら 酔 ぅ 者 は 、 だれもいなかっ
私は今可愛い貴女達の事を思って居ります
そうして貴女達のお父さんはお国の為に立派な働 た。今 宵 一 夜 の 会 合 に 、 か れ ら は 最 後 の 歓 を つ く す の で
きをしたと 云はれるやうになりたいと考えて居ります あった。
もう手紙も書けないかも知れませんが大きくなっ つ い で 、 『矢 矧 』 艦 長 原 為 一 大 佐 は 、 士 官 室 、 士 官 次
たらお母さんの様な婦人におなりなさいと云ふのが私 室 、 准士官室をはじめ、下士官兵の居住区をたずねてま
の最後の教訓です わった。
御身御大切に 乗員一同が闘志に燃え、 国を思い意気いょいょ軒こぅ
四月五日 な の を 知 り 、 原 大 佐 は 感 激 の あ ま り 、 「万 歳 ! 」 を く り
父より かえし叫んだ。
夜 も ふ け て 艦 長 室 に も ど る と ち ゅ う 、 原は別の感激の 『大 和 』 副 長 能 村 次 郎 大 佐 は 、

276
場面につきあたった。 「き ょ う は 、 み な 愉 快 に や っ て 、 大 い に よ ろ し い 。 これ
山 本 一 等 機 関 兵 が 、 よ ご れ た 作 業 服 を ま と い 、真 っ 黒 で 、 や め よ !」
な 顔 を し て 、発 電 機 に 油 を そ そ い で い る 。 山本のうしろ と壮行会の打ち切りをマィクでつたえた。
に歩みよって、艦長がたずねたとき、 乗 員 は 甲 板 を か た づ け 、駆逐 艦 の 横 付 け と 燃 料 移 載 作
「意 義 ふ か い 今 夜 、 も し も 発 電 機 が 故 障 し て 艦 内 の 電 灯 業の準備にとりかかった。
が消えては 一 大 事 と 考 え 、 さいわい自分はあまり酒をた や が て 、 『大 和 』 の 左 右 両 舷 に 駆 逐 鑑 が 一 隻 ず つ 横 付
し な ま な い の で 、 酒 好 き の 同 僚 と 交 代 乙 て 、自 分 が 発 電 け し 、 『大 和 』 か ら 燃 料 を 移 載 し は じ め る 。
機当直をひきうけました」 東 の 空 が 白 み か け て き た 。駆 逐 艦 八 隻 全 部 に 燃 料 を う
と い う 淡 々 た る 返 事 に 、艦長 は た だ 黙 礼 し て そ の 場 を つす作業がおわり、駆逐艦の燃料タンクはいっぱいにな
立ち去った。 った。 だ が 『大 和 』 に は 、 ま だ 四 千 ト ン (満 載 量 六 千 三
思う に 、 こ の よ う な 心 構 え の 将 兵 は 、 ひとり山本だけ 百トン) の燃料 が 残 っ て い た 。
ではなかったであろう。 まさに艦隊ほろびんとして、 日 四 月 六 日 の 早 朝 、 『大 和 』 の 艦 内 ス ピ ー 力 I に当直将
本海軍伝統の精神はなお脈々としていきていたのだ。 こ 校の蛮声がながれた。
う し た 乗 組 員 を の せ て 、明 日 は 最後の戦場へと 出 撃 す る 「本 艦 の 出 港 は 、 本 日 五
一〇 〇 (午 後 三 時 ) の 予 定 」
のである。 午 前 、防水 装 置 を 再 点 検 す る 。 力ッター一隻をのこし
天 空 に は 、 満 天 無 数 の 星 影 が 、下 界 の こ と は な に も 知 て、他 の す べ て の 短 艇 を 徳 山 港 務 部 に 送 っ た 。 生還を期
ら ぬ げ に ま た た い て い る 。敵 偵 察 機 の 目 を 避 け る た め 、 さ な い 出 撃 で あ る の で 、今 後 は 艦 外 と の 交 通 に 短 艇 を つ
夜間でなければできない作業がまだのこっていた。 か う 機 会 は な い だ ろ う し 、 艦 内 に お け ば 、敵 の 砲 爆 弾 の
とぅながし つ つ 、 ペンを握らせるのであった。
ために破壊されて、通路をふさぐおそれがあるからだ。
さ らに、艦 内 ス ピ 力
ー ー は、 『
矢 矧 』艦 長 原大佐が、朝食をすませて一服していたと
「郵 便 物 の 締 め き り は 〇 き 、と り つ ぎ の 水 兵 が 艦 長 室 の ド ア を ノ ッ ク し た 。
一 〇 〇 (午 前 十 時 )」
と 、 つたえた。 「艦 長 、 最 終 定 期 十 五 分 前 で す 。 陸 上 に 郵 便 物 そ の 他 の
学 徒 出 身 の 吉 田 満 少 尉 は 、親 に 先 だ つ 不 孝 を 思 い 、 自 ご 用 は あ り ま せ ん か ?」
分 の 戦 死 を 知 っ て 、悲 し む で あ ろ ぅ 母 の 胸 中 を 察 す る と 「格 別 、 用 事 は な い 」
き 、筆 を とる 気 に な れなかった。 しかし、 みずからを鼓 原の家族にしても、 かれの戦死はかねて覚悟している
舞 し て 、 ょぅやくペンをはしらせた。 は ず だ 、 い ま さ ら 書 き の こ す こ と は な に も な い 。 無言で
出撃するつもりだった。
『私 の も の は 、 す べ て 処 分 し て 下 さ い 。 皆 様 ま す ま す お しかし、と り つ ぎ の 水 兵 に 催 促 さ れ た よ ぅ な 気 が し た
元 気 で 、 ど こ ま で も 生 き 抜 い て 行 っ て 下 さ い 。 そのこと ので、 原 は 思 い な お し て 、 妻 子 に あ て た 手 紙 を し た た め
のみを念じます』 た。
世 話 ず き の 佐 々 木 少 尉 は 、戦 友 の 一 人 ひ と り に た だ し 『一 年 前 に く ら べ れ ば 、 誠 に 淋 し い 連 合 艦 隊 で あ る 。 そ
た。 の数少ない艦隊のなかで、矢 矧 艦 長 と し て 、 旧知の古村
「貴 様 、 も う 遺 書 を 書 い た か ?」 少 将 ら と と も に 、 栄 あ る 菊 水 特 攻 隊 と し て 、沖 繩 に 最 後
おもてをそむける者があれば、 の突入をなし得ることは、小生らの最も光栄とするとこ
「な ん だ 、 ま だ 書 か ん の か 。 お 前 に は お ふ く ろ が な い の ろであるが、そ の 責 任 は誠に大きい。 男子の本懐これに

277
か。 字 すぎるものはない。戦果は刮目して見られよ』
一で も い い か ら 、 書 い て や れ よ 」
伊藤長官は、豊田連合艦隊司令長官の訓示を読みあげ

273
た。
五 「帝 国 海 軍 部 隊 は 陸 軍 と 協 力 、 海 陸 空 の 全 力 を あ げ て 沖
繩周辺の敵艦船に対する総攻撃を決行せんとす。
皇 国 の 興 廃 は 、 ま さ に こ の 一挙にあ り 。 こ こ に 特 に 海
六日の昼すぎ、 日吉台の連合艦隊司令部から、第二艦 上 特 攻 隊を編成し、壮 烈無比の突入作戦を命じたるは、
隊に出向いて出擊命令をつたえる I ひらたい言葉でい 帝 国 海 軍 力 を こ の 一 戦 に 結 集 し 、光輝ある帝国海軍海上
え ば "引 導 わ た し " I の大役をおおせつかった草鹿参 部隊の伝統を発揚するとともに、 その栄光を後昆に伝え
謀 長 の 乗 っ た 水 上 機 が 、 『大 和 』 の ち か く に 着 水 し た 。 んと す る に ほ か な ら ず 。 各 隊 は そ の 特 攻 隊 た る と 否 と を
草鹿参謀長の姿は、すぐ司令長官室に消えた。 問 わ ず 、 いよいよ 殊 死 奮 戦 、敵 艦 隊 を 随 所 に 殲 滅 し 、も
草鹿が作戦計画について説明したとき、伊藤長官はな って皇囯無窮の礎を確立すべし」
か な か 納 得しなかった。 このょぅな、作戦などとはいえ 草 鹿 参 謀 長 は 、 み じ か い あ い さ つ を お こ な い 、 まもな
ぬ無 謀 な 挙 を 、伊 藤 が 納 得 す る は ず が な い 。最 後 に 、 く 『大 和 』 を 退 艦 、 ふ た た び 水 上 機 に 搭 乗 し て 艦 隊 の 上
「一 億 総 特 攻 の さ き が け に な っ て ほ し い 」 空 を 何 回 も ま わ り 、なごりを惜しみながら鹿屋基地にむ
といぅ草鹿の言葉で、 かった。
「そ う か 、 そ れ な ら わ か っ た 」 や が て 、 『大 和 』 の 前 檣 に 旗 旒 信 号 が か か げ ら れ た 。
と、伊藤長官は即座に納得した。 「各 隊 、 予 定 順 序 -
一出港」
ついで両提督は、全 艦 隊 の 艦 長 、参謀らが待っている 時に、 四月六日午後三時二十分。どんよりとした春霞
『大 和 』 の 士 官 室 に あ ら わ れ た 。 の空から、ときど き 薄 日 が も れ て い た 。
楠 正 行 の 如 意 輪 堂 の 故 事 で は な い が 、 亡き数にはいる た そ が れ の な か に う す れ ゆ く 祖 国 の 島 じ ま 、なつかし
日 本 の 全 艦 船 の 名 は 、 戦 艦 『大 和 』 巡 洋 艦 『矢 矧 』 駆 逐 い故国の陸影! あ お げ ば 、 清 明 な る 月 光 の も と 、大 軍
艦 八 隻 —— 『冬 月 』 『涼 月 』 『磯 風 』 『浜 風 』 『雪 風 』 艦旗がへんぽんとひるがえっている。
『朝 霜 』 『霞 』 『初 霜 』 —— の合計十隻である。 解散の令があっても、 しばらくだれもその場を去ろう
午 後 四 時 十 分 、伊 藤 長 官 は 海 上 特 攻 部 隊 の 門 出 に あ た と し な か っ た 。 家 郷 の 方 角 で あ ろ う か 、帽 子 を と っ て 姿
り、 つぎの訓示を信号でつたえた。 をただし、頭 を深くさげて動かぬ者もいた。
「神 機 将 動 -1 ヵ ン ト ス 。 皇 国 ノ 隆 替 繫 リ テ 此 ノ 一 挙 -
一存
ス。 各 員 奮 戦 敢 闘 会 敵 ヲ 必 滅 シ 以 テ 海 上 特 攻 隊 ノ 本 領 ヲ 午 後 七 時 五 十 分 、 艏 隊 は 豊 後 水 道 を 通 過 す る 。 この水
発揮セョ」 道 を で れ ば 、 も は や 敵 地 で あ る 。 艦 隊 は 『大 和 』 を 中 心
艦 隊 は 『大 和 』 を 中 心 と し た 航 行 隊 形 を つ く り 、 豊 後 に 対 潜 水 艦 警 戒 隊 形 を つ く り 、総員が戦闘配置について
水道へむかぅ。 警戒する。
四 時 四 十 五 分 ご ろ 、連 日 飛 来 し て 艦 隊 の 動 静 を ぅ か が 早 く も 敵 潜 水 艦 ニ 隻 —— 『ス レ ッ ト フ ィ ン 』 『ハッヶ
っていたニ機の6 が髙々度で来襲して爆弾を投じ、早 ルバック』 I が、大和部隊に触接していた。
29

くも戦闘の開始を宣言する。 午 後 八 時 二 十 分 ご ろ 、 駆 逐 艦 『磯 風 』 は 浮 上 潜 水 艦 ら
夕 食 後 、 『大 和 』 で は 当 直 員 い が い の 乗 員 を 前 甲 板 に しいものを発見し、 つ づ い て 『
矢 矧 』 は敵潜水艦ょり発
あつめ、航海中であるので艦橋をはなれることができな しられたグアム基地あての作戦特別緊急信の電波をキャ
い艦長にかわって、副長が連合艦隊司令長官の訓示をつ ッチした。
た え た 。 つ い で 総 員 は 東 に む い て 皇 居 を 遙 拝 し 、 「君ガ 「少 な く と も 戦 艦 一 隻 … …護 衛 駆 逐 艦 数 隻 … … 針 路 一 九
代 」 をうたい、能村副長の 音 頭 で 万 歳 を 三 唱 し た 。 〇度」
こ の 詧 報 を う け た 空 母 機 動 部 隊 指 揮 官 ミ ッ チ ャ ー提 督 そ し て 、非 番 の 者 は 自 分 の 戦闘配置のちかくで休息し、

280
は、 た だ ち に 指 揮 下 の 全 部 隊 に 沖 繩 の 北 東 方 面 に 集 結 す 舷 側 に く だ け る 波 の 音 を 聞 き な が ら 、堀井主計長の心づ
る ょ う 命 令 し 、 バ ーク参 謀 長 と 作 戦 を ね り は じめ た。 くしで用意された夜食の汁粉を味わっていた。
ミ ッ チ ャ ー と し て は 、 い ま や 『大 和 』 の 出 現 は 、 航 空
兵 力 の 戦 艦 に た い す る 優 越 を 実 証 す る 、絶好のチャンス 明 け れ ば 四 月 七 日 。艦 隊 は 暗 夜の海上を、九州の南東
で あ る と 考 え た 。 半 年 前 の 『武 蔵 』 の 場 合 に は 、 空 中 攻 岸 に そ っ て 航 進 し 、針 路 を し だ い に 右 に と っ て 大 隅 海 峡
擊 だ けで同艦を撃沈した、という実証はなかったからで に は い っ た 。 そ の こ ろ 『大 和 』 は、 沖 織 に た い す る 六 日
ある。
の 「
菊水一号」 の航空作戦にょる米機動部隊の損害が大
一方、 総 指 揮 官 ス プ ル ー ア ン ス 大 将 は 、 戦 艏 部 隊 の デ き く 、空 母 な ど 数 隻 を 撃 沈 し た 、 と い ぅ 連 合 艦 隊 参 謀 長
ィ ヨ —少 将 に 、 戦 艦 六 、 巡 洋 艦 七 、 駆 逐 艦 二 十 一 を ひ き 発の電報をぅけた。
いて迎撃を命じた。だが、 ミッチャ I 中 将 は 、 日本艦隊 午 前 六 時 ご ろ 、艦隊は大隅海峡を通過して南シナ海に
が水上部隊だけと一戦をまじえて雌雄をけっするまで、 はいった。
指 を く わ え て ほ っ て おく考 え を 毛 頭 も っ て い な か っ た 。
そ の と き 、 『大 和 』 に の こ っ て い た 一 機 の 水 上 偵 察 機
つまり、 大 和 部 隊 は 自 分 の 獲 物 だ と 確 信 し 、 明くる日の I いつも六機を搭載していたが、他の五機は呉で陸揚
午前四時、 スプル I アンスの命令を待たずに機動部隊を げ し た -- を 、 『大 和 』 に の こ っ て 乗 員 と 運 命 を と も に
北上させ、 四十機の戦闘機を索敵に飛ばすことになるの
するとがん ば る 二 人 の 搭 乗 員 に 、 別の場所でぞんぶんに
である。 奉 公 す る 機 会 が あ る と い い き か せ て 、 ヵ タ パ ル ト で 発進
敵 潜 水 艦 を 後 方 に ふ り お と し 、 ほっと安堵の胸をなで させた。
お ろ し た 『大 和 』 で は 、 二 直 配 置 の 警 戒 配 備 に つ い た 。 こ の 飛 行 機 は 、 『大 和 』 の 上 空 を ひ く く 二 回 ほ ど まわ
り、 し ば ら く 敵 の 潜 水 艦 に た い し て 警 戒 し た の ち 、 機 首 と判断した。
を北にして鹿屋基地にむかった。 はたして、 そ う だ ったのか?
六 時 三 十 分 、数 機 の 味 方 戦 闘 機 が 大 和 部 隊 の 上 空 警 戒
にあたり、 十 時 ま で こ れ を つ づ け た 。
夜が明けた七日の海 上 に は 暗 雲 が ひ く く た れ こ め 、東 六
の 水 平 線 に 姿 を み せ た 太 陽 も 、す ぐ 、 雲にかくれてしま
った。 視 界 は 五 キ ロ ぐ ら い 、 風 は 弱 い 。 不 穏 の 空 気 を 察
したのか、きょうは 曝 も 姿 を 見 せ な い 。 昭和二十年四月七日の午前九時すこし前、 ミッチャー
艦隊は二八〇 度の基準針路で、 ひたすら西にむかう。 提督は、
八 時 三 十 分 ご ろ 、 指 宿 基 地 (鹿 児 島 県 ) か ら 、 「ャ マ ト 型 戦 艦 一 、 巡 洋 艦 一 な い し ニ 、 駆 逐 艦 八 … …」

敵艦上機来襲中」 と い う 索 敵 報 告 を う け た 。午 前 十 時 、
雷撃機百三十一、
という電報をうけた。 急降下爆撃機七十五、 五百ポンド爆弾をだいた戦闘機百
八時四十分、 七機の戦闘機が断雲をぬって大和部隊の 八十、合 計三百八十六機を発進させた。
上 空 を 一 周 し て 去 っ た 。 『大 和 』 の 司 令 部 で は 、 こ れ ら ちょうどそのとき、零戦は大和部隊の上空直術をやめ
戦 闘 機 は 、 い ち お う 敵 機 で あ る と 考 え た が 、 ことによっ て基地にむかっていた。 それと入れかわるかのように、
たら味 方 機 か も し れ ぬ と 思 っ た ^ 際 は 、 米 空 母 『工 十 時 十 六 分 、 敵 の 飛 行 機 ニ 機 が は る か 前 方 の 低 空 を 3字
0^
セ ッ ク ス 』所 属 の 索 敵 機 だ っ た 。 I そ し て 、 それまで 型 に 飛 び な が ら 、大和部隊に触接しているのが発見され
に入手した敵情などから、 た。

281
『敵 機 動 部 隊 -
一ョル 本 格 的 空 襲 ノ 算 、大 ナ ラ ザ ル べ シ 』 十 時 十 七 分 、 『大 和 』 で は 四 十 六 セ ン チ 主 砲 の 射 撃 を
始 め る 。 む ろ ん 、弾 丸 は 対 艦 船 用 の 徹 甲 弾 で は な く 、 三 ひと苦労だった。堀 井 主計長が、

282
式 対 空 弾 と い う も の で あ っ た 。 そ れ は 、 一発の弾丸の胴 「配 食 お わ り 」
体 の な か に 、 六 千 コ ほ ど の 焼 夷 弾 が つ ま っ て お り 、空中 と 能 村 副 長 に 報 告 し た の は 、十 二 時 に ち か い こ ろ で あ
で炸裂するとこの弾子が発火飛散し、長さ千メートル、 った。
幅四百メ I ト ル く ら い の 円 錐 形 に ひ ろ が り 、爆風と火の 握 り 飯 に タ ク ア ン 。 こ の 戦 闘 食 が 大 多 数 の 乗 員 の "最
ほうきで飛行機を焼きはらいおとす弾である。 後 の 食 事 "と な る の だ っ た 。
敵 機 は 、射 程 外 か ら な お も 触 接 を つ づ け る 。 艦 隊 は 、 副 長 補 佐 の 甲 板 士 官 国 本 鎮 雄 中 尉 は 、 これがこの世に
黙 々 と し て 、 沖 繩 に む け て 南 下 す る 。 『大 和 』 を 中 心 に お け る 最 後 の 食 事 に な る か も し れ ぬ と 思 ぅ と き 、 二十余
『矢 矧 』 と 駆 逐 艦 八 隻 の 輪 型 陣 を く ん で す す む 。 年 の こ し 方 を か み し め る 思 い に み た さ れ 、 肉 親 の こと-

すでに南九州の山々は、 水平線のかなたに消えてしま 故郷のことなと力 と めともなく胸中に去来するのであ
っていた。 び ょ う ぼ う た る 大 海 原 に 、 聞 こ え る も の は 絃 った。
側をたたく波の音だけである。
嵐 の 前 の 無 気 味 な 静 寂 が つ づ く 。 だが、敵 の 空 襲 が い 十 一 時 七 分 、 『大 和 』 の レ ー ダ I は、 飛 行 機 の 大 編 隊
つはじま る か 、 こ れ か ら さ き 、 ど う い う 事 態 が 起 こ る か を 探 知 し 、 米 機 動 部 隊 の 第 一 波 が ち か よ り つ つ あ る こと
予想がつかなかった。 を報告した。 つづいて敵戦闘機八機が、雲の中にみえか
〃 腹 が へ っ て は 戦 は で き ぬ " の た と え ど お り 、 まず腹ご くれしながら鰹隊に触接をはじめた。
し ら え を し て お こ う と 、 十 一 時 、 『大 和 』 で は 烹 炊 員 を 十 一 時三十五分、 レーダーは、 ニ群以上の敵機が七十
いそがせて、 早 め の 昼 食 に つ い た 。艦内の 各 配 置 に 分 散 キ ロ ふ き ん に ち か よ っ た と 報 じ た 。満 天 雲 に お お わ れ 、
した三千人ほどの乗員に、 もれなく迅速に配食するのは 雲の高さは千メートルから—
千 メ ー ト ル 、 しとしとと細
破顔一笑、
|1,

雨が降り、十二メートルの南 が吹いている。
そのころ、艦隊は、米機動部隊の全兵力にたいして、 「午 前 中 は 、 ど う や ら ぶ じ に す ん だ な 」
わ が 航 空 特 攻 が お こ な わ れ て い る こ と を 知 っ た 。 こ ぅし 第 二 水 雷 戦 隊 の 旗 艦 『矢 矧 』 の 艦 橋 で は 、
て 艦 隊 は 、 す で に レ ーダ ー に よ っ て 敵 機 の む れ を 探 知 し 「敵 さ ん 、 ど う せ く る な ら 、 早 く く れ ば い い 。 い つ ま で
ていたが、 小雨まじりの天気、味方航空隊による敵機動 も 、 じ ら さ な い で … …」
部 隊 攻 撃 、 敵 機 動 部 隊 の 距 離 が 遠 い こ と な ど か ら 、 敵の と 、 せ っ か ち な 艦 長 原 為 一 は 、古 村 司 令 官 や 幕 僚 た ち
大 規 模 な 空 襲 の 可 能 性 は す く な い と 判 断 し 、味方の航空 と 戦 闘配食の握り飯をほおばりながら、 じょうだんまじ
攻 撃 に お お き な 期 待 を か け て いた。 りに話しあっていた。
ち ょ う ど そ の と き —— 十 二 時 三十二分、見張員が金き
正 午 と な っ た 。 いまや、 征 途 の な か ば に 達 し て い る 。 り声でさけんだ。
艦隊はしゅくしゅくとして進んだ。 「飛 行 機 、 左 二 十 度 (艦 首 よ り 左 へ 二 十 度 ) ニ〇 (距 離
た だ 願 わ く は 、 あ す の 払 暁 に 沖 縄 に 突 入 し 、 『大 和 』 二 十 キ ロ )」
のほこる四十六センチ砲弾を敵の陣営にたたきこむのみ つづけて、見 張 員 は 報 告 す る 。
である。 「今 ノ 目 標 ハ 、 五 機 … … 十 機 以 上 … … 三 十 機 以 上 … … 」
艦 隊 の 全 乗 組 員 は 、 神 よ 、道 を あ た え た ま え 、 と ひ た た れ こ め た 雲 と 雲 と の わ ず か な 切 れ 間 に 、 黒ごまをま
す ら に 祈 っ た 。 乙かし、偶然の奇蹟が沖繩への道をひら い た よ う に 、 敵 機 の 大 編 隊 が あ ら わ れ た 。 し か も 、 その
いてくれるであろうか? 後 か ら 、 ぞ く ぞ く と つづいている。 百 機 以 上 の 大 群 が 、
旗 艦 『大 和 』 の 戦 闘 艦 橋 に 、 つ ね に 微 笑 を た た え て 無 三波、 四 波 と か さ な っ て 、 み る み る う ち に 、 わが輪型陣
言 の ま ま 立 つ 長 身 の 長 官 伊 藤 整 一 は 、左右をかえりみて をつつみこんでしまった。
し か し 、 い ま さ ら お ど ろ く こ と は な い 。 かねて覚悟の 『大 和 』 は、 け ん め い に こ の 魚 雷 を 回 避 す る 。 戦 闘 は 、

284
上 だ 。 艦 隊 は 、敵 機 の 雷 爆 撃 を か わ す た め 、 速 力 を 二 十 いよいよ熾烈をきわめた。 のどかなはずの春の海は、 一
五ノットにあげ、各艦の距離を五千メートルにひらいた 瞬 に し て 、 水 煙 と 水 柱 、 火 煙 と 火 柱 、砲 煙 と 煤 煙 、 炸裂
疎 開 隊 形 を つ く る 。雲高は い ぜ ん 千 メ ー ト ル 、 低く海面 鳴動する修羅の巷と化した。
にたれこめていた。 十 二 時 四 十 一 分 、 『大 和 』 の 後 部 マ ス ト ふ き ん に 中 型
十 二 時 三 十 五 分 ^ ― 左 前 方 の 層 雲 の な か か ら 、 三 機の 爆弾 I 二百五十キロていど I ニコが命中した。後部
戦 闘 機 が 『大 和 』 を め が け て 、 真 一 文 字 に 突 っ こ ん で き 射 撃 指 揮 所 、 二番副砲、後 部 電 探 室 が 破 壊 さ れ た 。
た。 つ づ い て 、 そ の 近 く の 雲 の な か か ら ぞ く ぞ く と 急 降 後部電探室内の計器はあとかたなきまでにこわされ、
下 し て くる。 勤 務 員 十 二 名 は 一 瞬 の ぅ ち に 散 華 し た 。 また、後 部 射 撃
急降下爆撃機だ! つぎの瞬間、水柱が空中高く舞い 指 揮 所 に い た 主 砲 第 三 砲 台 長 、 長 村 重 進 大 尉 は 、 弾片に
あ が る 。機 銃 掃 射 が こ れ に つ づ く 。敵機は艦すれすれに よ っ て 後 頭 部 を え ぐ り と ら れ て いた。
ま で 突 っ こ ん で き た 。 これを迎えぅって、艦 隊 で は 、第 そ の 直 後 、 『大 和 』 は、 右 舷 か ら 来 襲 し た 五 機 の 雷 撃
ニ機銃群が、先頭をきって射撃をはじめる。 機 を 回 避 し た と き 、 左 舷 に 三 本 の 雷 跡 を 発 見 し た 。有 賀
間 髪 を い れ ず 、 『大 和 』 だ け で も 二 十 四 門 の 高 角 砲 と 艦長は、
百十七梃の機銃が、 いっせいに火を吐いた。 「取 舵 い っ ぱ ー い 、 い そ げ !」
ふと海面を見れば、無 気 味 な 魚 雷 の 航 跡 が み え る 。紺 と 令 し た が 、 ついに回避しきれず、 その一本が前部に
碧 の 海原に、 ひときわ白い尾をひきながら、 まつしぐら 命 中 、倉 庫 に浸水した。
に音もなく魚雷は巨艦にせまっている。 中部の甲板で一人の少年兵が、爆弾の破片で右腕をく
「面 舵 い っ ぱ ー い 」 だ か れ て た お れ た 。分 隊 土 が そ ば を 通 り す ぎ よ ぅ と し た
と き ,
「分 隊 士 ! 沖 繩 は ま だ で す か 、 沖 繩 は ?」
と 、苦 し い 息 で 叫 ん だ 。 七
「佐 藤 か ! 沖 繩 は も う す ぐ だ 。傷 は あ さ い 、 しっかり
し ろ !」
佐 藤 二 等 水 兵 は 、 か す か に う な ず い て 、息 をひきとっ しかし、 き び し い 戦 況 は 、 こうした予想にふける時間
た。 の余裕をあたえなかった。
十 二 時 五 十 分 、 第 一 次 来 襲 の 敵 機 の 大 集 団 は 、潮 の ひ 第 一 波 が 退 去 し て か ら 士 一 分 後 の 午 後 一 時 二 分 、 『大
く よ う に去っていった。 和 』 の レ ー ダ ー は 、 約 五 十 機 を 三 十 キ ロ の 距 離 に 、 つい
こ の 空 襲 で 、 『大 和 』 は 爆 弾 ニ 発 と 魚 雷 一 本 を く ら っ で七十機、百機以上の大編隊を探知した。
た 。 だ が 、 そ の 被 害 は "不 沈 艦 " に と っ て は 大 し た も の 合 計 百 二 十 六 機 の 敵 飛 行 機 は 、第一次空襲のときのょ
ではない。 だ から、沖 繩 到 達 の 望 み は 、なきにしもあら うに、あい前後して艦隊を遠まきにしながら近づいてき
ず 、と一部 で は 考 え ら れ た 。 た。
副 砲 長 清 水芳人少佐は、敵の急降下爆撃は恐れるにた 一時十八分、 敵 機 は 攻 撃 を 開 始 し た 。 ま ず 、 戦 闘 機 が
ら ず 、と 意 気ごんだ。 突っこんでくる。 わが高角砲と機銃は、必死に反撃をく
敵 機 が 投 下 し た 数 十 発 の 爆 弾 の う ち 、命 中 し た の は た わえた。
つたニ発じやないか。 そ し て 清 水 は 、自信ありげに言つ キ ユ ー ン、 キ ユ ー ン.... 。
た。 パチパチパチ、 ドドーン。

285
「い い な ア 、 こ の 分 で は 沖 繩 ま で い け る ぞ 」 は じ め の う ち は 、 雷 撃 機 の 攻 撃 が お お か っ た 。 二十機
の雷 撃 機 が 、右 舷 か ら 来 襲 し た 。 く わ わ り 、 ついに タ ン ク の注水の限度にたっしてしまっ

286
「取 舵 い っ ぱ い 」 た。
ょぅやくこれを回避したとき、左舷近距離に六本の雷 傾 斜 し た ま ま で は 、高 角 砲 と 機 銃 の 台 座 が 回 転 し な く
跡が見えた。 な り 、射 撃 は で き な い 。 対 空 砲 火 の 威 力 を 発 揮 す る た め
「面 舵 い っ ぱ ー い 、 いそげ!」 に は 、傾 斜 を 復 原 し な け れ ば な ら ぬ 。 だ が 、 そのた め に
だが、すでにおそかった。ズシーンといぅ衝撃が、乗 損 傷 し て い な い 機 械 室 、 罐 室 に 注 水 す る こ と は 、推進力
組 員 の 腹 に ひ び い て き た 。 ニ本目、 ついで三本目の魚雷 の 半 分 を ぅ し な ぅ こ と に な る 。 悲 願 の 沖 繩 到 達 は 、 推進
が左舷中部に、さらに四本目が左舷後部に命中した。 力いかんにかかっているのだ。 いずれを選ぶべきか?
浸 水 の た め 、 艦 は 左 に 七 、 八 度 か た む い た 。が 、 右 舷 そ の 決 定 は 、 一 刻 を あ ら そ っ た 。 い ま や 『大 和 』 は、
タンクに三千トンの海水を注水したので、傾斜はほぽ復 二者択一の重大な岐路にたったのである。
原することができた。 「傾 斜 復 原 を い そ げ !」
さ ら に 五 、 六 発 の 爆 弾 が 中 部 甲 板 に 命 中 、高角砲員と 有 賀 艦 長 の 督 促 に ょ り 、能 村 副 長 は つ い に 排 水 指 揮 所
機 銃 員 の 約 四 分 の 一 が 死 傷 し た 。 つづいて、 またもや左 へ命令した。
舷 に 魚 雷 ニ 本 が 命 中 (累 計 六 本 ) ふ た た び 艦 の 左 傾 斜 が 「右 舷 機 械 室 注 水 !」
まして十五度となった。 「右 舷 罐 室 注 水 !」
い ま や 『大 和 』 の速 力 は 十 八 ノ ッ ト に お ち た 。 そ れ で 推進力を犠牲にしたこの注水にょって、艦 の 傾 斜 は 一
も 、な お 艦 隊 は 初 一 念 を 貫 徹 す べ く 、 全 力 を ふ り し ぼ り 時 と ま っ た 。 だ が 、犠牲になったのは推進力だけではな
沖繩めざして進撃をつづける。 い。 右 舷 の 罐 室 と 機 械 室 で 汗 み ど ろ に な っ て 働 い て い る
そ の 間 、左舷の魚雷命 中 に よ る 艦 の 傾 斜 は こ っ こ く と 多 数 の 戦 友 を 、 脱 出 の 方 法 も 、その暇もあた え な い で 、
艇底から注水して水攻めにしたのである。 分 ゝ 左 絃 中 部 に 魚 雷 ー 本 が 命 中 ハ 累 計 十 本 ^ これで艦の
午 後 四 時 七 分 、 右 航 中 部 に 魚 雷 一 本 命 中 (累 計 七 本 ) 傾斜は急激にました。
その五分後に、左舷の中部と後部に魚雷がニ本命中した 傾 斜 が 大 き い の で 、 運 弾 車 が 使 用 で き な い 。 そのため
(累 計 九 本 )。 副砲と高角砲とは射撃できず、機統のみが最後の血戦に
艦は右舷の機械で十二ノットをだすことができた。艦 獅 子 ふ ん じ ん す る だ け ,た っ た 。
の 傾 斜 は 魚 雷 の 右 舷 へ の 命 中 に ょ る 被 害 も あ っ て 、 左へ 不 沈 戦 艦 と い わ れ た 『大 和 』 も 、 い ま や 満 身 創 痍 に し
六度となった。 て気息奄々、 しかも隻脚の鈍足、舵の故障にょり運動性
戦闘の大勢はすでに'
け っ し 、 退勢は.
おおぅべくもなか を ぅ し な っ て い た 。青 白 い 無 気 味 な 雷 跡 は 、 なおも左右
った。 全 力 を ふ り し ぼ っ て 戦 闘 を 指 揮 し て い た 有 賀 艦 長 からせまる。直 撃 弾 が 、爆 弾 、 ヶ
0 ット弾、 焼夷爆弾を
は 、艦の運命はまさにつ き ん と す る と 見 て と っ た の か 、 まじえて、 ひん死の大戦艦に降りそそいだ。
航海長の茂木史朗中佐に命令した。 ニ時二十分、艦の傾斜は左へ二十度。 左舷中部に、大
「艦 を 北 む き に も っ て い け 」 き な 水 柱 が 高 く 舞 い あ が っ た 。 こ の 魚 雷 が 、 ついに致命
航 海 長 は 、 艦 の 針 路 を 零 度 (真 北 )に し た 。 人 間 が 、 息 傷となった。
を ひ き と っ た あ と は "北 枕 " に す る 慣 習 が あ る 。 軍 艦 の 傾斜の示度がすすむ。 しかし、もはや傾斜の増加をく
場 合 は 、息 を ひ き と っ た の ち 、 つ ま り 沈 ん で か ら で は 、 いとめる方法はない。 このまま時間がたてば、 総員が艦
北 む き に で き な い 。 動 け る あ い だ に "北 枕 " に し て お こ と 運 命 を と も に す る こ と は 必 定 で あ ろ ぅ 。 だ が 、 艦長か
う 、と い う 有 賀 艦 長 の 心 づ か い で あ っ た ろ う 。 らはまだなんの指示もない。
防 御 指 揮 官 で あ る 副 長 能 村 大 佐 は 、 ついに意をけっし
敵 の 攻 撃 は 、 し つ よ う に つ づ け ら れ た 。午後ニ時十七 た 。 能 村 は 、 司 令 塔 内 の 防 御 指 揮 所 か ら 、傾 い た 檣 楼 内
のせまい階段をかけあがって第二艦橋に出た。 そして、 の声は、 さ い わ い 艦 内 の 電 気 装置がまだ使用できたの

288
そ こ の 伝 令 所 の 爾 話 機 を と り あ げ 、防 空 指 揮 所 の 有 賀 艦 で、 ス ピ ー 力 — か ら 流 れ て 全 艦 に な り ひ び い た 。
長に意見を具申した。 さ ら に 艦 長 は 言 葉 を つ づ け て 、伊 藤 長 官 に 退 艦 を す す
「艦 長 、 注 排 水 指 揮 所 も 破 壊 さ れ 、 傾 斜 復 原 の 手 段 は な めた。
くなりました。 傾 斜 が こ っ こ く と ふ え て い ま す 。最後の 「長 官 は か け が え の な い お 体 で す 。 ど う か 退 艦 し て い た
時 も ち か い と 思 わ れ ま す の で 、総員を最上甲板に上げて だきたい。私 が あ と に 残 り ま す 」
ください」 つづいて、艦 長 は 副 長 に 電 話 を か け た 。
艦長は、 ちかくの兵にたずねた。 「副 長 、 き み は た だ ち に 退 艦 し て 、 本 艦 の 戦 闘 状 況 を く
「ご 真 影 は 、 ど ぅ な っ て い る の か ?」 わしく中央に報告しろ」
伝 令 は こ れ を た し か め 、第九 分 隊 長 が 安 置 し て い る と 「艦 長 … … 」
報 告 す る 。 そ の 報 告 に 、艦 長 は 深 く ぅ な ず い た 。 という副長の言葉をさえぎって、
ついで艦長は、第 一 艦 橋 の 伊 藤 長 官 に 、 「お れ は 艦 に の こ る 。 副 長 は か な ら ず 生 き て 報 告 す る ん
「も は や 、 傾 斜 復 原 の 見 こ み は あ り ま せ ん 。 総 員 を 最 上 だぞ」
甲板に上げます」 と 、艦長はかさねて言った。
と 、伝 声 管 で 報 告 し た の ち 、 「艦 長 、 私 も お と も を い た し ま す .. 」
「総 員 最 上 甲 板 !」 「い か ん ! 副長、 これは艦長の命令だ」
と伝令につたえさせた。 この艦長命令を復誦する伝令 言いおわると、艦長は電話機をおいてしまった。
の、 や が て 鹺 長 は 、 か た わ ら に い た 兵 を う な が し て 、自分
「総 員 最 上 甲 板 !」 の身体を防空指揮所の中央に あ る 羅 針 儀 の 台 に ロ ー プで
しばらせた。 それは、艦が沈むとき、身体が浮きあがら か れ が 階 段 を ニ 、 三 段 か け お り た と き 、森 下 参 謀 長 が
うしろから石田のパンドをむんずとつかんだ。
ず 、確実に艦と運命をともにするためにほかならなかっ
し ば ら く 、 両者は無言で見つめあった。.つ い に 、 副 官
た。
いあわせた数名の兵も、 は思いとどまった。
「私 も 、 艦 長 の お と も を し ま す ! 」 伊藤長官が去った あ と 、 艦 橋 に い た 人 び と は 、 樯楼の
と こ も ご も言いながら、艦長にならって身体を し ば り 階段をつたわって最上甲板におりていった。
あ お ぅ と し た 。 「総 員 最 上 甲 板 ! 」 の 号 令 が つ た え ら れ た 直 後 の こ と で
「な に を す る の だ ! お前たち若い者は、海に飛びこん ある。もはや艦の運命はこれまでと思った第十二機統群
で 泳 げ !」 指揮官の和田健三兵曹長は、
と 、艦長 に い ま し め ら れ た 。 かれらはやむなく思いと 「ょ く 戦 っ た 、 心 か ら 礼 を い う 。 み な 命 を な が ら え て 、
どまり、その場をはなれた。 か た き を と っ て く れ .. 」
長官伊藤整一中将は、 かたわらの参謀長森下信衛少将 と 、 部下の労をねぎらう最後のことばをのべたのち、
をかえりみて、 かたい握手をかわした。 そして長官は、 い つ も とかわらぬ悠揚な足どり で 、 三番主砲後方の飛行
一人ひとりの最後の黙礼にこたえながら、 傾斜のひどい 機格納庫の上にある第十二群指揮所にむかった。
な か を 艦 橋 直 下 の 長 官 休 憩 室 に お り て い っ た 。 長官がは 指揮所の甲板に端坐した剣道五段の猛者である和田健
いると、休憩室のド ア は か た く と ざ さ れ 、 ふたたび開く 三は、 皇 居 の ほ う と お.
ほ し き方 向 に ふ か く 頭 を た れ 、 つ
ことはなかった。 いで、 す る ど い ま な ざ し で き っ と敵 の ほ う をにらんだ。
そ の と き 、副 官 石 田 恒 夫 主 計 少 佐 が 伊 藤 長 官 の あ と を そして、 しずかに を は ら っ た 軍 刀 を 右 手 に 持 ち 、真

289
^|
追った。 一文字に腹をかっきって艏と運命をともにしたのであっ
た。 (注 、 わ き 腹 〕 ま で 一 文 字 に 搔 切 て 、 腹 摑 で 櫓 の 板 に

290
副砲長清水芳人少佐は、 これをつたえ聞いたとき、 元 な げ つ け 、 太 刀 を 口にくわへて、うつ伏に成てぞ臥たり
弘 三 年 (西 暦 一 三 三 三 年 〕 の 昔 、 吉 野 の 戦 い 利 あ ら ず 、 ける』
大塔宮護良親王の身替りとなり敵前で割腹した忠臣村上
彥四郎義光の最後を思い出すのであった。
ち な み に 、 『太 平 記 』 は 義 光 の 最 後 を 、 つ ぎ の ょ ぅ に 八
のべている。
『… … (宮 ) が 南 へ 向 て 落 さ せ 給 へ ば 、 義 光 は ニ の 木 戸
の高 櫓 に 上 り 、遙 に 見 送 り 奉 て 、宮 の 御 後 影 ノ 幽 に 隔 ら 艦 の 傾 斜 は 、 左 に 三 十 五 度 、四 十 度 、 四 十 五 度 … … と 、
せ 給 ぬ る を 見 て 、 今 は か ぅ と (注 、 今 は こ れ ま で と ) 思 にわかにその速さを増しはじめた。
ひ け れ ば 、 櫓 の さ ま の 板 (注 、 窓 の 板 戸 ) を 切 落 し て 、 そして、 ついに横倒しとなり、巨鯨などというも愚か
身 を あ ら は に し て 、 大 音 声 を 楊 て 名 乗 け る は 、 『天 照 太 な 、 長 さ 二 百 六 十 三 メ ー ト ル (東 京 駅 の 長 さ は 三 百 二 十
神 御 子 孫 〔神武天 皇 ょ り 九 十 五 代 の 帝 、後醍醐天皇の第 メー ト ル ) の 艏 腹 を 水 面 に あ ら わ し た 。
ニ の 皇 子 一 品 兵 部 卿 親 王 尊 仁 、逆 臣 の 為 に 亡 さ れ 、 恨を ち ょ う ど そ の と き 、 駆 逐 艦 『雪 風 』 は 『大 和 』 の 真 横
泉 下 に 報 ぜ ん 為 に 、 只 今 自 害 する有様見置て、 汝等が武 ち か く に い た 。 見 れ ば 、数 百 名 の 生 存 者 が 艦 腹 の 上 に は
運忽に尽て、
腹 を き ら ん ず る 時 の 手 本 に せ よ 』と 云 儘 に 、 いあがって、必死にしがみついている。
鎧を脱で櫓より下へ投落し、錦 の 鎧 直 垂 の 袴 許 に 、練 艦 の 転 覆により、弾薬庫にあった一発一トン半の主砲
貫 の ニ 小 袖 (注 、 小 袖 を 二 重 に 着 た も の 〕 を 押 膚 脱 で 、 弾 数 百 発 が 、その信管を側壁の甲板に激突して爆発した
白く清げなる膚に刀をつき立て、左の脇より右のそば腹 のであろうか、突じょとして、 ぱっと赤い閃光がひらめ
い た か と 思 う と 、 つぎの瞬間、 二度にわたって耳をろう ナ海の波間に、世界に二度と出現することのないであろ
せんばかりの大爆発を起こした。 う 不 世 出 の 巨 艦 は 、と こ し え に 消 え 去 っ た 。 その後には
第 二 砲 塔 ふ き ん の キ ー ル 線 の あ た り か ら 、 鯨の潮吹き 降 り や ま ぬ 細 雨 が 、 こ の "不 沈 艦 " の 最 後 を と む ら う か
の よ う な 細 い 煙 を ま っ す ぐ に 高 く ふき、 つづいて太い炎 のょうに、 無数の小さな 波 紋 を 海 面 に つ く っ て い る ば か
が メ ラ メ ラ と 空 を な め つ く す よ う に ひ ろ が っ た 。 上空の りであった。
煙 は 、 あ た か も 入 道 雲 の よ う に 立 ち の ぼ り 、 原子雲のよ
うなせいそうな様相をていした。 長官休憩室では I 伊 藤 整 一 中 将 は 、 開戦へき頭のマ
艦 底 に す が っ て い た 数 百 名 の 乗 員 は 、 じつに百五十メ レ I 沖 海 戦 で 、 退 艦 の す す め を "ノ ー ,サ ン キ ュ I "と
丨トルから二百メ トルの上空にまではね上げられて四 こ と わ っ て " 不 沈 " 戦 艦 『プ リ ン ス .オ ブ .ゥ 1 ル

31
I
散した。 ズ』 と 運 命 を と も に し た 、 イギリス東洋艦隊司令長官ト
その火柱は、 六千メートルの高さにまでたっしたとい 1 マ ス .フ ィ リ ッ プ ス 中 将 と お な じ 道 を え ら ん だ 。
防空指揮所では 長 有 賀 幸 作 大 佐 は 、 日本が世界

11;
う。 その当時、 独立混成旅団長高田利貞陸軍少将は、徳 I
之 島 の 大 和 城 岳 か ら こ れ を 望 見 し て い た が 、 む ろ ん 『大 に ほ こ る 戦 艦 『大 和 』 の 艦 長 に ふ さ わ し く 、 武 人 と し て
和 』 の 爆 発 と は 知 る よ し も な か っ た 。 そ れ は 、 戦 艦 『太 その最後をかざった。最後にのこった見張員の一人が、
和 』 の、 い や 連 合 艦 隊 の 、 そ し て 帝 国 海 軍 の "最 後 " で 食 い の こ し の ビ ス ケ ッ ト 四 枚 を 手 わ た す と 、 にこりと乙
もあったのだ。 て こ れ を 受 け と り 、 そ の 二 枚 目 を 口 に し た ま ま 、 艦とと
と き に 、昭 和 ニ 十 年 四 月 七 日 午 後 ニ 時 二 十 三 分 、 北緯 もに渦にのまれたという。
艦 橋 で は I 航 海長^ホ史朗中佐と掌航海長花田泰裕
三〇 度 ニ ニ 分 、東 経 一 二 八 度 四 分 坊 ノ 岬 (薩 摩 半 島 )

291
I
の南西方約百二十カイリ、水深四百三十メートルの東シ 中 尉 が 、 再三の退艦のすすめを固辞し、肩にかかる戦友
の手をふりはらい、最後まで艦橋にふみとどまった。 中 部 甲 板に集まっていた乗員のなかには、 巨大な煙突

292
そして、艦内では I 第九分隊長服部信六郎大尉は、 の 穴 に 流 れ こ む 海 水 に 吸 い こ ま れ て 、艦内に逆もどりし
両陛下のご真影が艦の沈没にょって流出することをおそ た者もいた。
れ 、 自 分 の 部 屋 に は い っ て 、 な か か ら か ぎ を か け 、 つい 能 村 副 長 は 、第 二 艦 橋 の 右 舷 側 、 見 張 所 に 通 じ る 鉄 扉
にご真影に殉じた。 か ら 外 側 に ょ じ の ぼ り 、 そ の 側 壁 に 立 っ た まま 海につか
ま た 、 ハ ッ チ や 破 ロ か ら 奔 入 す る 海 水 の な か で 、 数百 った。 能 村 が 水 面 下 に 没 す る 直 前 、 第 一 艦 橋 が ち ら っ と
名の乗員が死んだ。 目にはい っ た 。艦 橋 わきに、左手に軍刀をにぎった水雷
出 口 の ハ ッ チ が 、 艦 の 傾 斜 の た め に ひ ら か ず 、 ハッチ 参 謀 末 次 信 義 少 佐 、首席参謀山本裕ニ大佐らの姿が見え
を 手 で ま わ し て い る う ち に 艦 が 水 中 に 没 し 、 ついに艦と た。
運 命 を と も に した者 も おおかったであろう。 艦 が 沈 む と き の 渦 流 は 、 も の す ご い 。 『大 和 』 の ょ う
ど う に か 、 甲 板 に 出 る こ と が で き た 者 は 、高くなった な巨艦では、半径三百メートル圏内は危険区域であると
右 舷 め ざ し て は い 上 が っ た 。し か し 、か れ ら の な か に は 、 いう。 し か し 、 こ の 渦 流 か ら の が れ る た め 、遠 く ま で 泳
戦友の流した血のりにすべって、海中に没している左舷 ぐ だ け の 時 間 の 余 裕 は な か っ た 。 だから、 海に飛びこん
へころがり落ちる者もいた。 だり、 あるいは海中に投げだされた乗員のすべてが、渦
右舷側にはい上がった者たちは、 手すりを乗りこえて 流にまきこまれてしまった。
水平になりつつある艦腹に立った。 その数はおよそ一千 抵 抗 で き な い 大 き な 力 に 引 き ず ら れ て 、身体は下へ下
名 。 か れ ら は 『大 和 』 の 沈 没 と と も に 、 い っ せ い に 海 中 へ と 吸 い こ ま れ て い く 。少 し ず つ 吐 き 出 し て 止 め る 息 が
にふり落とされ、ある者は渦に巻きこまれ、 あるいは艦 限 度 に き て 、 も う 息 が つ づ か な い 。肺が破れつするほど
の下敷きになって沈んだ。 になり、 じつ に 苦 し い 。
る も の も あ っ た 。
突 然 、弾 薬 庫 の 爆 発 の た め で あ ろ う か 、 ふたたび水面
に 押 し も ど さ れ る 。 火 柱 が さ か 落 と し に 吹 き お ち 、赤熱
した鉄片や木片が空高く飛散し落下して、 かろうじて浮 三千三百三十二人の乗組員のぅち、艦の上層部にいた
き上がったおおくの乗員を殺傷した。 ため海に飛びこむことのできた、 または海中にほぅりだ
ややおくれて水面にでた吉田満 さ れ た 者 は 、 わ ず か 五 、 六百人に
少尉は、 その灼熱した空を見ず、 大和特攻艦隊行動図 すぎない。
〈昭 和 輩 4 悬 〜 7 与
も う も う た る 咐煙をあおいだだけ ところで、漂流者にとっての大
だった。 敵は睡魔である。
やがて、 この哨煙が消え去った 睡魔がさしのべる黒い手をにぎ
とき、海面は流れでた重油におお る こ と は 、と り も な お さ ず 、現世
われていた。 と の 永 遠 の 別 れ を 意 味 す る 。 だか
ら、 睡 魔 に 負 け て は な ら ぬ 。
重油をかぶって真っ黒になった
頭 が 、 あ ち ら に ニ つ 、 こちらに三 半 年 ほ ど 前 、 巡 洋 艦 『阿 武 隈 』
つと浮いていた。生 存者なのか、 の砲 術 長 と し て レ ィ テ 作 戦 に 参 加
そ れ と も 死 体 な の か 、 ち ょ っ と見 した と き 、 ミンダ ナ オ沖 で 三 時 間
分けがつかない。 以上も漂流した経験を も つ副砲長清水芳人少佐が、 し ゃ
大きな戦果をおさめた敵飛行機は五機、十機と編隊を がれたガーガー声をはりあげて叫んだ。
組んで、 ゆ う ゆ う と 引 き あ げ て い つ た 。 な か に は 、 さら 「准 士 官 以 上 は 、 そ の 場 で 姓 名 申 告 、 ふ き ん の 兵 を に ぎ
に急降下して、 水面にただよう乗員に機銃掃射を浴びせ って待機、 漂 流 の 処 置 を な せ !」
その効果はてきめんだった。 を総動員したのか、 五コの手旗で、

294
この号令で、数 人 の 准 士 官 以 上 が わ れ を と り も ど し 、 「シ バ ラ ク 待 テ 」
かれらは姓名を申告して、ちかくの兵を呼びょせた。そ と 信 号 し た の ち 、 遠ざかって行った。敵機はまだ上空
の な か の 一 人 に 、吉 田 少 尉 が い た 。 を旋回し、 この両艦に攻撃をくり返し、漂流者にまで機
それまで放心していた吉田は、清水のしゃがれ声 I 銃掃射をくわえている。
1:

この声の主は、 油で真っ黒になっているのではっきり ょ う や く 、 『大 和 』 が 沈 ん で か ら 約 ニ 時 間 後 の 午 後 四

しないが、頭や 耳 の か た ち か ら 副 砲 長 と 判 定 し た I に 時 半 ご ろ 、 さ き の 両 艦 が ふ た た び あ ら わ れ た 。 救助にき
ょ っ て 、 ふと、 わ れ に か え っ た の だ 。 たのだ。
「そ ぅ だ 、 俺 も 士 官 の は し く れ だ 。 一 人 で も お お く の 兵 駆 逐 艦 の 舷 側 に 綱 バ シ ゴ が お ろ さ れ る 。漂流者は最後
を 収 容して、 つぎの行動を待とぅ」 の力をふりしぼって泳ぎ、綱バシゴをつかんだ。 だが、
声をからして叫び、 眼鼻もわかりにくい約十人の兵を ハシゴにどうしても足がかからない。それを見かねた甲
集めた。 板 か ら は ロ ー プ を な げ 、 そ れ に か ら だ を 縛 る と 、上から
いつのまにか、 あちこちの海面に人間の輪ができあが ひっぱり上げてくれた。
った。 不 意 に ひ と つ の 輪 か ら 軍 歌 が わ き お こ っ た 。 そ れ 泳 いでいるうちは気力があるが、助かったとたんに放
は、 他 の 輪 に も つ た わ っ た 。 、
心し、 そ の ま ま 死 ん で し ま う 者 が 少 な く な か っ た 。 その
いろいろの軍歌が、 そ し て 流 行 歌 が 、後から後からう た め 艦 上 で は 、 甲 板 に ひ っ ぱ り 上 げ た 者 の 類 を 、 力い っ
たわれた。歌 を う たうことで、 かれらは疲労と睡魔を追 ばいなぐりつけて気合いをいれた。
I払おうとつとめて V たのだ。 駆 逐 艦 は 、 ボ ー ト も お ろ し て 救 助 し た が 、 いつなんど
や が て 、 駆 逐 艦 『冬 月 』 『雪 風 』が 近 づ い た 。 信 号 兵 き 敵 の 攻 擊 を う け る か も し れ な い 危 険 が あ る の で 、 約ニ
『浜 風 』 没 戦 死 百
-3:
十分後には救助作業を中此し、 ふたたび動きだした。 I
救 助 さ れ た の は 約 三 百 名 —— 面で救助を鶴首してい 『朝 霜 』 I 沈没戦死三百二十六
た将兵の約半数 I にすぎず、 まだ両艦めざして泳いで 『磯 風 』 1 大 破 .自 沈 戦 死 二 十
いる者もいた。 『霞 』 I 大 破 .自 沈 戦 死 十 七
こうして、幸 運 に も 救 出 さ れ た 者 は 、総員三千三百三 生きのこった四隻の駆逐艦は、主人をうしなった猶犬
十 二 名 の う ち 二 百 六 十 九 名 で あ る 。 かれらを収容したニ のように、 し ょ う 然 と し て 佐 世 保 に 帰 投 し た 。
隻 の 駆 逐 艦 は 、明くる四月八日の午前、佐世保に入港し 九 死 に 一 生 を え た 『大 和 』 の 乗 組 員 が 、 ほ っ と 安 ど の
た。 胸 を な で お ろ し て い た 四 月 七 日 午 後 五 時 、 『大 和 』 の 沈
けんらんと咲きほこる八重桜でかざられ、あまりにも 没を確認した米空母機動部隊指揮官ミッチャー中将は、
落ちついているこの街の姿は、血みどろの戦いに友の大 つぎの電報を第五艦隊司令長官スプル I アンス大将にお
部分をうしなったかれらには、 むしろ異様なものにさえ くった。
感じられるのであった。 「わ が 部 隊 は 、 大 和 、 軽 巡 ニ 隻 、 駆 逐 艦 七 〜 八 隻 を 攻 撃
『大 和 』 い が い の 各 艦 の 状 況 は ど う だ っ た ろ う か 。 す 。大 型 艦 は 沈 没 、 他 の ニ 隻 は 大 破 炎 上 。 三隻は逃げ去
巡 洋 艦 『矢 矧 』 I 沈没戦死四百四十六 れり、 わが損害は七機」
駆 逐 艦 『冬 月 』 I 残 存 (修 理 に 二 週 間 を 要 す ) 戦 死
十二 あえて偶然の奇嘖を期待して、 帝国海軍の有終の美を
『涼 月 』 I 残 存 (修 理 に 約 三 力 月 を 要 す )戦 死 五 十 七 お さ め よ う と した悲願もむなしく、伊藤中将のひきいる
『雪 風 』 1 残 存 (修 理 に 一 週 間 を 要 す ) 戦 死 三 海 上 特 攻 隊 の 大 半 は 、 あ え な く 、東シナ海の波 間 に 消 え

295
『初 霜 』 I 残 存 (戦 傷 ニ 名 の ほ か 被 害 な し 〕 た。
こ の 『大 和 』 の 悲 運 は 、 そ の ま ま 日 本 海 軍 の 運 命 そ の

296
ものの象徴でもあった。
し か し 、 "光 輝 あ る 帝 国 海 軍 海 上 部 隊 の 伝 統 を 、 この 九
一戦に発揮" して、 む ら が る 敵 機 を 相 手 に 、 ょく最後ま
で善戦敢闘した海上特攻隊の栄光は後世に伝えられるで
あ ろ ぅ 。 そ れ か ら 四 力 月 後 、 連 合 艦 隊 司 令 長 官 は 、 その 思 え ば 、 いみじくも名づけたるものかな I 戦 艦 『大
殊勲を全軍に布告した。 和 』を 基 幹 と す る 海 上 特 攻 隊 の 沖 繩 突 入 作 戦 を 、 「菊 水 作
戦 し と-- 0
布告 『菊 水 』 は、 楠 木 家 の 家 紋 と し て 名 高 く 、 そ の 旗 印 で も
第一遊撃部隊ノ大部 ある。
昭和二十年四月初旬海上特攻隊トシテ沖繩島周辺ノ敵 楠 木 家 と い え ば 、 楠 木 正 成 と そ の 子 正 行 、 七生報国の
艦隊-
一 対 シ 壮 烈 無 比 ノ 突 入 作 戦 ヲ 決 行 シ 帝 国 海 軍 /伝 統 楠 公 精 神 、桜 井 駅 の 庭 訓 な ど を 思 い 出 さ せ る 。
ト我水上部隊ノ精華ヲ遗憾ナク発揚シ艦隊司令長官ヲ先 この海上特攻隊が、 まさに征きて還らぬ壮途にのぼろ
頭 -
一 幾 多 忠 勇 ノ 士 皇 国 護 持 /大 義 -殉
1ズ報国ノ至誠心 ぅとした昭和二十年四月五日、瀬戸内海西部の三田尻沖
肝ヲ貫キ忠烈万世 燦
11タ リ に 停 泊 す る 『大 和 』 と 巡 洋 艦 『矢 矧 』 の 艦 上 で 、 桜 井 駅
仍テ玆二其ノ殊勲 ヲ 認 メ全 軍 布
11 告 ス の庭訓と訣別をほぅふつとさせる世紀のドラマがくりひ
昭和二十年七月三十日 ろげられたのであった。
聯合艦隊司令長官 い ま を さ る 約 六 百 年 の 昔 、 後 醍 醐 天 皇 の 延 元 元 年 (西
小沢治三郎 暦 一 三 三 六 年 )、 さ き に 敗 退 し て 九 州 に お ち た 足 利 尊 氏
が 、 ふたたび勢力をもりかえして東進する。 書 い た 「楠 公 父 子 訣 別 之 所 」 の 石 碑 、 正 成 が こ の 世 の 別
楠木正成は、尋常の戦法をもってしては勝利が覚束な れ の形 見 とし て 、 御 .醒 醐 天 皇 よ り 賜 わ っ た 短 刀 を 正 行 に
い と 判 断 、 一時、 京 都 を 放 棄 し て 足 利 勢 を お び き よ せ 、 贈っている銅像が建っている。
機 を 見 て 一 挙 に これを 撃 破 す る よぅ 献 策 し た 。 だ が 、 こ
の献策は、坊門の宰相清忠のためにしりぞけられる。 さ て 、 桜 井 駅 に お け る 楠 公 父 子 の 訣 別 か ら 、 およそ六
「こ の 上 は さ の み 異 儀 を 申 す に 及 ば ず 」 世紀をへた太平洋戦爭の末期、生還を期せぬ先輩たちか
と 、 正成は五月十六日、手兵五百余騎をひきいて京都 ら 後 事 を 託 さ れ て 、乗艦 わ ず か 三 日 で 退 艏 を 命 じ ら れ た
をたち兵庫にむかった。 少 尉 候 補 生 七 十 三 名 こ そ は 、 "わ れ な き あ と 、 わ が 遺 志
その途中、 正成は桜井の清水正澄のもとに立ちよる。 をついで忠勤をはげめ"と い ぅ父の遺^ に
2 した力って
このたびの合戦は、今 世 の 最 後 と 思 っ た 正 成 は 、 嫡子 泣くなく、河内の母のもとにむかった正行ともいえよぅ
9 0
正行に庭訓をのこして、河内の母のもとにかえしたとい

ぅ。 正行、時に十一歳であった。
桜 井 は 、京 都 と 大 阪 の ほ ぼ 中 間 で 山 崎 街 道 に そ い 、 現 この少尉候補生たちは、開戦一年後の昭和十七年十二
在 の 大 阪 府 三 島 郡 島 本 町 に あ る 。楠の木立でかこまれた 月 に 入 校 し た 海 軍 兵 学 校 第 七 十 四 期 生 の 六 十 六 名 と 、海
千 二 百 一 一 坪 (三 千 九 百 七 平 方 メ 丨 ト ル ) が 「桜 井 駅 軍経理学校第三十五期生の七名である。
±11
趾」 の 史 趾 に 指 定 さ れ て い る 。 か れ ら は 、 二 十 年 三 月 三 十 日 に 卒 業 す る の であるが、
こ の 木 立 の 内 側 に 、 "海 の 東 郷 平 八 郎 " の 筆 に な る 明 その直前になると、 主任教官から各自に乗艦先が内示さ
れ た 。 そ し て 、 「大 和 乗 組 み 」 と な っ た 者 た ち は 、 四 月
洽 天 皇 の 御 歌 、 「子 わ か れ の 松 の し づ く に 袖 ぬ れ て 昔

297
を し のぶ さ く ら い の さ と 」 の 大 碑 、 〃陸の乃木希典"が 三 日 、 い よ い よ 待 望 の 『大 和 』 に 乗 艦 で き る こ と と な っ
た 。 そ の 日 は 、朝 か ら 、 さ ん さ ん と 朝 日 が 降 り そ そ ぎ 、 前田教官の目には、光 る も のが見えた。

298
まるできょうの候補生たちの心境を象徴するかのようで 「教 官 は 、 ど う し て 泣 い た り す る の だ ろ う か ?」
あった。 高 田 静 男 候 補 生 に は 、前 田 教 官 の 涙 の わ け が よ く 解 せ
午前八時、 かれらは兵学校で行なわれた、神武天皇祭 なかった。
の 遙 拝 式 と 『千 代 田 』 艦 橋 の 軍 艦 旗 掲 揚 式 に 参 加 す る 。 大 発 が 沖 へ 進 む ほ ど に 、波 止 場 に 立 ち す く む 前 田 教 官
ほどなく、表 梭 橋 か ら 水 雷 艇 に 分 乗 し て 宮 島 ロ に む か の姿は小さくなってゆく。
う。 いよいよ、 さ ら ば 江 田 島 で あ る 。 や が て 、 『大 和 』 の 艦 影 が 見 え だ し て き た 。 ひらべっ
宮 島 ロ か ら 汽 車 で 、 は じ め て 二 等 車 に 乗 っ た (当 時 は た い ゥ ォ ス タ ッ プ (た ら い ) の よ う に 、 日 が 傾 い た 静 か
ニ、 三 等 車 が あ っ た )。 候 補 生 は 士 官 待 遇 で あ る 。
I 、 な瀬戸内海の水平線にぽっかり浮いている。
防 府 駅 (山 口 県 ) で 下 車 し 、 波 止 場 に む か っ た 。 「や れ や れ 、 大 和 が い る ぞ ー こ
七 十 四 期 の 指 導 官 前 田 一 郎 中 佐 が 、 わざわざ江田島か 「う わ さ に た が わ ず 、 ド エ ラ ィ艦 だ な あ ! 」
ら同行する。 大 発 は 、 『大 和 』 の 舷 側 に つ い た 。
波 止 場 に は 、 一 期 先 輩 の 甲 板 士 官 江 口 中 尉 が 『大 和 』 臨戦準備 の た め で あ ろ う か 、舷梯をおろしていない。
の大発で迎えにきてくれていた。 候 補 生 は 、大 発 を格納する取入口から艦内にはいった。
「教 官 、 い ろ い ろ お 世 話 に な り ま し た 。 有 難 う ご ざ い ま 指 導 官 清 水 芳 人 少 佐 、 指 導 官 付 日 渕 磐 大 尉 が 、 かれら
す」 を迎えた。
「み な 、 元 気 で 、 し っ か り や れ よ 」 候補生たちは着任のあいさつをする。
「ま あ 、 尤 あ ..」
当 直 将 校 の と こ ろ の 黒 板 に 、 白 墨 で 「天 一 号 作 戦 (敵
候 補 生 た ち は 、大 発 に 乗 り う つ っ た 。 が 南 西 諸 島 方 面 に 来 攻 し た と き の 作 戦 ) .. 」 と 、 き ち
んと し た 偕 書 で し る し て あ る の を 見 た と き 、 『大 和 』 に 『大 和 』 は 外 か ら ^^て も 大 き か っ た が 、 中 に 入 っ て み る
つ い て い だ い て い た "ホ テ ル .シ ッ プ " の ィ メ ー ジは、 と さ ら に 大 き い 。 しかも、〇 〇 配 備 だ と か い っ て 、艦内
とたんに消え失せていった。 の主な通路のあちこちが閉鎖されているので、上下左右
「お い 、 近 い う ち 沖 繩 に 行 く ら し い ぞ … … 」 の 立 体 的 な 迷 路 を 通 っ て の 艦 内 の 状 況 は 、 一 度や二度の
か れ ら は 、大 い に 気 を よ く し て 張 り 切 り は じ め る 。 "艦 内 旅 行 " で は 、 お ぼ え ら れ る も の で は な い 。 そ れ で
紺 の 第 一 種 軍 装 を 、 草 色 の 第 三 種 軍 装 に 着 替 え 、戦 闘 も、候補生たちは大変な張り切りょうであった。
配置がきめられ、 甲板士官付の者は夜の巡検のとき甲板 ところが、明けて五日、なんだか妙な空気になってき
士官についてまわった。 た。
候補生室はガンルームの隣りに特設された。 指導官付臼渕大尉が、
かれらは ハ ン モ ッ ク の中 で 、 『大 和 』 で の 最 初 の 夢 を 「候 補 生 は だ ら だ ら し て い る の で 、 ひ と つ 気 合 い を 入 れ
結 ん だ が 、 "あ す は な に を し よ う か " と い う こ と で 頭 が る … … 」
いっぱいだった。 といって、飛行機エレべ ー タ ー のところで、 候補生た
夜が明けた。 ちに半裸体の体操をさせた直後のことだった。
どこからともなく、
早 朝 、敵 機 来 襲 の 警 報 が あ り 、候補生も戦闘配置につ
いた。 し か し 、 勝 手 が わ か ら な い の で 自 分 の 配 置 に 行 く 「も し か す る と 、 候 補 生 は 出 撃 前 に お ろ さ れ る か も し れ
こ と が で き ず 、 す っ か り "迷 子 " に な っ た 者 も い た 。 なぃ」
と い う う わさがつたわった。
さっそく、 予定の計画によって実習教育と訓練がはじ
まる。 ハンモックをかついだ上甲板の一周など、番外教 「そ ん な ば か な こ と が あ る か !」
育も行なわれた。 な ど と い っ て い る う ち に 、時 間 は た っ て い っ た 。
やがて午後となる。 五時三十分ごろ、艦内スピーヵーが、
三時すぎ、艦内スピーヵーが鳴った。

300
「候 補 生 集 合 、 艦 長 室 前 」
「准 士 官 以 上 集 合 、 第 一 砲 塔 右 舷 、 急 げ !」 を伝えた。
候補生も、とんで行った。 「い ま ご ろ 、 な ん だ ろ う ?」
艦 長 有 賀 幸 作 大 佐 は 、連 合 艦 隊 命 令 を つ た え た 。
慣れない作業を懸命に手伝っていた候補生たちは、 不
「… … 海 上 特 攻 隊 〔大 和 、 第 二 水 雷 戦 隊 (矢 矧 、 駆 逐 艦 可 解 な こ の 号 令 を 聞 い て 、 いそいで艦長室前にあつまっ
六 隻 )〕 ハ、七 日 黎 明 時 豊 後 水 道 出 撃 、 八 日 黎 明 時 沖 繩 西 た。
方海面-
一突入、 敵 水 上 艦 艇 並 一 一 輸 送 船 団 ヲ 攻 撃 、 撃 滅 ス 艦長室から出てきた有賀艦長は、 けげんな表情の候補
ペシ」 生たちに対して、 おもむろに重い口調で話した。
候 補 生 た ち は 、 いたく感激し、武者ぶるいをおぼえる 「大 和 乗 り 組 み は 、 諸 君 の 念 願 で あ っ た と 思 う 。し か .
し、
のであった。 熟 慮 の結果、今回の出撃には諸君をくわえないことにな
し か し 、 一 部 の "異 端 者 " も い た 。 つ ま り 、 さ き の 奇 つた。 出 撃 を 前 に し て 退 艦 す る こ と は 、 ひ じ ょ う に 残 念
怪なぅわさを聞いていた者は、 だろうが、諸君には第二、第三の大和が待っている。ど
「大 変 な 壮 挙 だ が 、 わ れ わ れ を 連 れ て 行 っ て く れ る だ ろ う か 、 そ れ に そ な え て よ く 練 磨 し 、 りっぱな戦力になっ
う 力 ?」 て御奉公してもらいたい。
と い う 一 抹 の不安があったので、 中途半端の気持はい では、 ごき げ ん よ う 」
なめなかった。 候 補 生 た ち は 、 あ ま り に も 意 外 な 艦 長 の 言 葉 に 、自分
の耳をさえ疑った。
やがて、 うわさは真実と変わった。 艦長は、 しずかにその場を立ち去った。
副 長 も 去 ろ う と し た と き 、 われに返った候補生たちの 「皆 の 気 持 は 、 よ く わ か る 。 わ た し が 皆 の 立 場 で あ っ た
人 ら 、 や は り 同 じ こ と を い う だ ろ う 。 し か し 、 まだ訓練は
1 が、 一歩前に進み出て副長にいった。
「副 長 ! わ れ わ れ は 、 大 和 の 甲 板 で 倒 れ る 覚 悟 はでき 充分でなく、 しかも乗艦して三日しかならぬ皆を連れて
い つ て も 、 か え つ て 足 手 ま と い と な る だ け だ 。 このさい
て お り ま す 。 いま、 お ろ さ れ て は 、 残 念 至 極 で す 。 どう
か、艦長にお願いして、ぜひ連れて行ってください。 お は、 艦 長 が い わ れ た と お り 、 潔 く お り る こ と が 一 番 よ い
と思う。
願 い で す !」
出 て 行 く わ れ わ れ が 国 の た め な ら 、 残る皆もまた国の
それまで、 わきでる激情をかろうじておさえていた他
の候補生たちも、 異口同音に言った。 ためなのである。
「お 願 い し ま す ! 」 大きな気持になって、 よ く考えてほ し い 。どうか勉強
し て 、帝 国 海 軍 を 背 負 う り っ ぱ な 士 官 に な っ て も ら い た
返事に窮した副長能村次郎大佐は、 しばらく候補生た
I、 0
ちの顔を見わたした。
候 補 生 た ち の 気 持 は 、 ょ く わ か る 。 し か し 、 かれらは かげながら、 皆の健闘を祈っている」
もはや、言葉をかえす者はなかった。
学校を出たばかりで、 まだ艦上勤務に慣れておらず、 と
う て い 戦 闘 の 役 に は 立 た な い 。 生 き 残 れ ば 、りっぱな人 か れ ら は 、 い ち お う 候 補 生 室 に ひ き あ げ た 。だが、ど
物 と なっ て 御 奉 公 で き る 、前途有 為 の 若 者 た ち で あ る 。
うしても納得できない。
いますぐ役に立たない者を、 征きて還らぬ死出の道連れ 「い か に 命 令 と は い え 、 こ れ ば っ か り は 承 服 で き な い 」
にする こ と が で き よ うか ? そ の 必 要 は な い 、 いや、 そ 強 硬 論 "と 、
と い う "
う す べ き ではない。 「命 令 だ か ら 、 し か た が な い よ 」
と い う "穏 健 論 " で 甲 論 乙 駁 、 候 補 生 室 は 時 な ら ぬ 大
副 長 は 、 はっきりいった。
騷ぎとなる。
「艦 長 、 私 は 候 補 生 の 代 表 と し て 、 お 願 い に まいりまし

302
大 勢 は "強 硬 論 " が し め 、 艦 長 に "直 訴 " す る ことと
た」
なった。
「と う い う 願 い か ? 」
そこで、候補生 た ち は 具 体 的 方 法 に つ い て 協 議 す る 。
「さ き に 艦 長 か ら 退 艦 を 命 じ ら れ ま し た が 、 私 た ち は 、
け っ き よく、 "意 見 を 具 申 " す る こ と と な り 、 先任者
こ の 期 に お よ ん で 、 ど う し て も 退 艦 で き ま せ ん 。 われわ
の 阿 部 一 孝 候 補 生 が 、 そ の "使 者 " に 選 ば れ た 。
れは 、祖 国 の た め に 死 す る こ と を誇 り と し ま す 。 艦 長 、
阿部は一同とはかって、具申する要点を準備する。
お願いです。 なんとかして、私たちも連れて行ってくだ
ようやく、 たそがれは深まりつつあった。
さ い 。 … … 」
そのころ、有賀艦長は戦闘服装に身をかためて艦橋に
艦 長 は 、 心 の 中 で は 、 候 補 生 の 赤 誠 に 感 激 し て 、 泣い
いた。
た。 だ が 、 候 補 生 の 申 し 出 を 許 す こ と はできない。
『大 和 』 の 艦 橋 は 高 い 。 上 甲 板 か ら 三 十 メ ー ト ル 以 上 も
「君 た ち の 気 持 は 、 よ く わ か る 。 し か し 、 こ の 戦 争 は 、
あ ろ う 。 ビ ル ディングの十階ほどの高さである。 エレべ
ま だ さ き が長い。 君たちには、 も っ と働き甲斐の あ る機
丨 タ ーはある.
が 、 一般にはつかえない。
会 が あ る 。 こんどは、 艦 長 の い う こ と を よ く聞き分けて
阿部は、さきに候補生室で ま と め た要点を、 ど の よ う
退艦してほしい。たのむ」
に言 お う か 、 と 頭 の 中 で 練 習 し な が ら 、 檣 楼 の 長 い な が
と、艦長は慈父の思いが こ も る言 葉 で 、 じゅんじゅん
い階段をのぼって行った。
と阿部をさとした。
艦橋にたどりついたとき、
艦長と阿部の言葉を、 はたで聞く と も な く 聞いていた
「や っ ぱ り 来 た な 」
あ る 高 級 士 官 は 、 こ の話 は 長 び き そ う だ と 直 感 し 、 忙し
と い っ た 表 情 で 、艦 長 は 阿 部 の ほ う に む き な お っ た 。
い艦長を補佐し よ う と 考 え た の で あ ろ う か、
「候 補 生 を 連 れ て 行 っ て も 、 足 手 ま と い に な る か ら ね 」 と所見をのべた。
と、 阿部にいった。 「そ う か 、 や っ ぱ り 駄 目 だ っ た の か 」
こ の 言 葉 を 聞 い た と き 、 阿 部 は 、 いくら頑張ってみて 「わ れ わ れ は 、 そ ん な に 足 手 ま と い に な る の か な あ 」
も 駄 目 だ と 思 い 、意見具申について兵学校でおそわった 「だ が 、 仕 方 な い な あ 」
と お り 、 ひ き さ が る こ と を決心した。 など、 あきらめられぬ溜息が、候補生たちのあちこち
長 い 階 段 を 、 一段いちだんおりながら、 阿部は思案し にもれた。
-- 自 分 ひ と り だ け が 、 む り や り に 納 得 さ せ ら れ た ょ う そ れ で も 、 一部の候補生は、 ま だ 承 知 し な か っ た 。
だが、 同僚は承知してくれるだろうか? その自信はな 「そ ん な ば か な こ と が あ る か ! 俺は承服できない」
い。 そ う 思うとき、 阿部はまったく憂うつになってしま 「阿 部 、 貴 様 の 言 い 方 が ま ず か っ た の だ ろ う 」
「も う 一 度 、 意 見 具 申 し よ う じ や な い か 」
った。
と、すごい目つきで阿部にくってかかった。
か れ は 、 重い足 ど り で 階 段 を お り 、悄然として候補生
室にもどってきた。 しばらく、 再度の意見具申の是非について論護した。
阿 部 の 帰 り を 待 ち あ ぐ ん で い た 同 僚 た ち は 、 さっそく け っ き ょ く 、 不 本 意 で は あ る が 、 "命 令 に 従 っ て 退 艦 す
かれを取り巻いた。 る " ことに衆讓がー決する。
「ど う だ っ た 力 ? 」 そのころ、 主 計 科 の ほ う で も 、代表者の坂本克郎候補
「艦 長 は 、 承 知 し て く れ た か ?」 生が、 かれらの先輩で あ る第二艦隊副官石田恒夫主計少
阿 部 は 、 艦 長 と の 対 話 な ど に つ い て 説 明 し 、 "使 者 と 佐から説得されていた。
しての大任" をはたしえなかったツミを謝したのち、
「も は や 、 こ う な つては、 命 令 に 従 う ほ か は な い 」 そ の 夜 の 第 一 士 官 次 室 (中 、 少 尉 の 居 室 ) で は 、 候 補
生の送別会をかねて出撃前の壮行会がひらかれた。 て微塵にくだけ散る。

304
「本 艦 の 主 砲 弾 丸 は 千 五 百 発 、 沖 繩 の 敵 艦 船 が ち ょ う ど 「首 途 に 盃 を こ ぼ つ の は 、 縁 起 が 悪 い ぞ ! 」
千 五 百 隻 、 一発で一隻あてを靡沈させるんだ! アハハ の 怒 声 が あ り 、 一瞬、 緊 張 し た 空 気 が み ら れ る 。
候 補 生 た ち も 、先 輩 た ち に 和 し て 、
と 、 砲 術 長 付 は 意 気 ま こ と に 軒 昂-- 0
「し っ か り や っ て 下 さ い 。 私 た ち の 分 ま で 、 ど う か お 願 へ貴様と俺とは同期の桜
いします」 同じ兵学校の庭に咲く
と 、候 補 生 た ち は く ち ぐ ち に 叫 び な が ら 、 酒をついで
まわる。
「う う 、 俺 た ち に ま か せ て お け 」 と、蛮 声 を は り あ げ て ぅ た っ た 。
退艦する時刻が近づいてきた。
ょ ぅ や く 、
と 、先 輩 顔 の 若 い 少 尉 。
「候 補 生 、 あ と の こ と は ょ ろ し く た の む ぞ 」 駆 逐 艦 『花 月 』 か ら の 燃 料 搭 載 が 終 わ り し だ い 、 同 艦
と 、 ヶ プ ガ ン (ガ ン ル ー ム の 室 長 ) で 指 導 官 付 の 臼 渕 に移乗することとなる。
大尉。 時 計 の 針 は 、真夜 中 を 少 し ま わ っ た 。
そこには、戦 い の 前 夜 の 深 刻 さ は 少 し も な い 。 候 補 生 た ち は 荷 物をこわきにかかえて、上甲板に整列
従兵が、配食器のふたのようなものに、 盃をのせて持 す る 。退 艦 である。
つてまわる。 居 合 わ せ た 甲 板 士 官 や 当 直 将 校 と 並 ん で 、能村副長や
航 海 士 鈴 木 少 尉 (学 徒 出 身 ) が 、 盃 を と ろ う と し た と 清水少佐などが見送った。
き 、従 兵 が ひ ょ い とふたを手前にひいた。 盃は床に落ち かれらは、 ロにこそ出さなかったが、
「あ 、 よかった、 これで安心して征ける」
X ある。
「り っ ぱ な 後 継 ぎ を の こ す こ と が で き た 」 こ の 両艦の甲板の高さは、 三メートルほどもちがぅの
「後 の こ と 、 よ ろ し く た の む ぞ 」 で、 た や す く 渡 れ な い 。
と 、 心 の 中 で つ ぶ や き 、 かつ祈りながら、無念の涙を 候補生たちは、斜めにわたした丈夫な竹竿をつたわっ
胸 に ひ め た 候 補 生 た ち の こ ち こ ち の 敬 礼 に 、 ただ無言で て、 『花 月 』 の 甲 板 に お り た 。
答礼するのであった。 最 後 の 見 お さ め と 、 『大 和 』 を ふ り か え る 。 特 徴 の あ
わずか三日ではあったが、指導官として候補生にした る檣楼が、夜空に高くそびえている。
しく接した副砲長清水少佐は、 かれらの一人びとりと固 かれらは、指 定 さ れ た 居 住 区 に お ち つ い た 。
い別離の握手をかわした。 むしやくしやした気分は、 まだおさまらない。
運命とはいえ、生きのびることになった候補生たちに 高田静男候補生は、 いくらかでも気分をまぎらわすた
は、 まさに征きて還らぬ特攻戦に出撃しようとしている め、 そ れ ま で 読 ん だ こ と も な い 『鞍 馬 天 狗 』 や 『銭 形 平
先 輩 へ の 挨 拶 は 、 い く ら 考 え て も 出 て こ な い 。 また、考 次』などの本を、書棚からひっぱり出して読みふけるの
えついたとしても、 う ま く ロに出そうもない。 であった。
阿部候補生は、 いよいよ清水少佐と別れるとき、
「ご 武 運 を お 祈 り い た し ま す 」
とだけい っ た 。 だが、言 葉 が 胸 につまって、思うよう
に声が出ない。 阿部は、 ついに二度くり返した。
六 万 四 千 ト ン の 超 戦 艦 『大 和 』 と ニ 千 七 百 ト ン の 駆 逐

305
艦 『花 月 』 を く ら べ れ ば 、 た し か に "月 と ス ツ ボ ン " で

資 料 .談 話 提 供 者 (
ァィゥ二ォ順.
敬称略)
〕 海 兵 四 十 三 期 会 編 「交 遊 五 十 年 」 「四 十 三 期 級 友 追 想 録 」
阿 部 一 孝 ,有 馬 文 子 .板 谷 隆 一岡 海 兵 六 十 六 期 会 編 「江 田 島 の 契 り 」
. 義 雄 ,小 原 尚
加 藤 憲 吉 ,河 村 節 一 .神 野 藤 重 申 ,木 下 甫 ,エ 藤 計 草 鹿 龍 之 介 著 「連 合 艦 隊 」
草 鹿 龍 之 介 .国 本 鎮 雄 .鹿 間 正 明 .清 水 芳 人 .白 井 忠 熊 本 日 日 新 聞 (昭 和 四 〇 丄 ハ .九 、 四 三 .四 ニ 一 四 )
高 井 貞 夫 .高 田 静 男 ,詫 間 力 平 ,田 尻 健 次 ,寺 岡 謹 平 , 児 鳥 襄 著 「太 平 洋 戦 争 (上)(下)」
中 沢 佑 ,中 島 正 ,奈 良 一 夫 ^日 本 郵 船 会 社 戦 時 船 史 佐 々 木 半 九 .今 和 泉 喜 次 郎 共 著 「鎮 魂 の 海 」
編 纂 委 員 会 事 務 局 .橋 本 敏 男 .林 幸 市 .福 田 呉 子 .福 佐 藤 太 郎 著 「戦 艦 武 蔵 」
地 誠 夫 .藤 沢 宗 明 ,防 衛 庁 戦 史 室 .松 尾 毅 ,松 尾 ま つ 只 .: 3 ス
. ミ ス 米 海 兵 中 将 著 「米 海 兵 隊 と 太 平 洋 進 撃 戦 」
枝 .松 本 唯 一 .蓑 原 博 一 .山 本 賢 一 郎 ,山 本 貞 雄 ‘本 村 「人 物 往 来 」( 昭和旱年十一月号)
哲 郎 ,吉 田 文 作 「水 交 」 (
昭和四五.七 .一、四五.八. 一)
高 木 惣 吉 著 「山 本 五 十 六 と 米 内 光 政 」 「私 観 太 平 洋 戦 争 」
〔参 考 引 用 文 献 (ァィゥユォ順)
〕 田 尻 健 次 著 「軍 神 松 尾 中 佐 と そ の 母 都 竹 兵 曹 長 」
朝日新聞縮刷版(
自昭和十六年至二十年) 種 村 佐 孝 著 「大 本 営 機 密 日 誌 」
有 馬 俊 郎 著 編 「有 馬 正 文 」 千 種 宣 夫 著 「菊 池 の 伝 統 」
伊 藤 正 徳 著 「連 合 艦 隊 の 最 後 」 冨 永 謙 吾 著 「大 本 営 発 表 海 軍 篇 」
猪 口 力 平 ,中 島 正 共 著 「神 風 特 別 攻 撃 隊 」 能 村 次 郎 著 「慟 哭 の 海 」
宇 垣 纏 著 「戦 藻 録 」 ニ ミ ッ ツ 著 (実 松 .冨 永 共 訳 ) 「太 平 洋 海 戦 史 」
大 并 篤 著 「海 上 護 衛 戦 」 白 鷗 遺 族 会 編 「雲 な が れ る 果 て に 」
菊 村 到 著 「提 督 有 馬 正 文 」 原 為 一 著 「帝 国 海 軍 の 最 後 」
I巳 367
,名 . :ン0^11^^ 11ン广35:
づ3 5X0^^: 吉 村 昭 著 「戦艦武蔵」

308
渕 田 美 津 雄 ^奥 宮 武 共 著 「機 動 部 隊 」 吉 田 満 著 「戦 艦 大 和 」
ボー ル ド ゥ ィ ン 著 (木 村 .杉 辺 共 訳 ) 「勝 利 と 敗 北 」 読 売 新 聞 社 編 「昭 和 史 の 天 皇 」

12
防 衛 庁 戦 史 室 著 「ハ ワ イ 海 戦 」 「ミ ツ ド ゥ エ ー海 戦 」 「沖
縄方面海軍作戦」
毎日新聞(
昭和四ニ.四二三)
牧 島 貞 一 著 「悲 劇 の ミ ツ ド ゥ 工 ー 海 戦 」
「丸 」 (昭 和 三 三 年 二 月 、 五 月 号 、 三 八 年 三 月 号 、 三 九 年 二 月 、 九 月 号 、
四 ニ 年 一 月 、 二月号、 四三 年 九 月 号 )
森 拾 三 著 「雷撃機出動」
|1:
^01-13011,3^
. : 1570穴0ベ1 1;. 3.
柳 原 健 著 (豊田副武述)「最後の帝国海軍」
柳 本 柳 作 顕 彰 会 編 「柳 本 柳 作 」
八 幡 師 友 会 編 「あ X八月十五日」
山 ロ 白 陽 著 「潔 浄 記 」


1.0名
8-
00 ,011211-168 ン

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31161 ^0匁 ¥ 2
印刷/慶昌堂印刷株式会社.明和プロセス株式会社製本/松栄堂製本所
日本海軍英傑伝
〈日 本 海 軍 人 物 太 平 洋 戦 争 〉
昭和四十七年六月二十九日印刷
昭和四十七年七月二十二日第一刷
八五0 円

截者
譲著
発行者 川 島 裕
発 行 所

| 8

人光
東京都千代田区西神田 三-四-一
電 話 東 京 ( )一 八 六 四 (代 表 )

265
振替. 東京五四六九三番
乱 丁 、落丁のものは本社またはお買
求めの書店でお取りかえ玟します。
組碧の空に生き、空に死することを、自らの天命と思
大空のサムライ正続
.坂井三郎
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大小 機を擊墜して、 みごとに己れ自身に勝ちぬいた

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全長 メートル、 全 幅 メートル、 一梃の機銃すらも

36

40
奇蹟の飛行
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北3 ない巨人飛行艇を駆って、敵機を血祭りにあげつつ、
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これ は 、激 戦 の ビ ル マ 上 空 で 、 右 足 切 断 の 重 傷 を 負 い
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さの

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学校へすすみ、その独自の炯眼を国の内と外に向けつ
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祿 決 然 、節 を ま げ る こ と な く 、 徹 底 抗 戦 を 呼 号 、 出 世 主
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