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2021 Copright Association for the Study of IndianPhilosophy

梵文和訳『牟尼意趣荘厳』

−器世間解説前半部−

李学竹・加納和雄・横山剛

はじめに
インド仏教終焉期にあたる 1108 年1、アバヤーカラグプタによって著された『牟尼意趣荘厳』
(Munimatālaṃkāra)は、顕教(波羅蜜理趣)の教えを包括的に論じ、修習階梯の俎上に載せた
大著である。近年、その梵文写本が確認され、同論の研究は新たな局面を迎えている。
その第一章は仏教の学説体系を網羅し、律儀、六波羅蜜、衆生世間、器世間、一切法、二諦、
一乗などに及ぶ。テキストの校訂や和訳などの第一章に関する研究状況は以下の通りである。

冒頭偈(Ms 1v1, D 73v1) 加納・李(2013)が梵文校訂・和訳。


(Ms 1v3, D 74r6) 加納・李(2013)が梵文校訂・和訳。
序文(発心)
律儀(Ms 2r4, D 74v1) 、Li and Kano(2019)が梵文校訂、
加納・李(2013)
磯田(1981)が概観。
六波羅蜜(Ms 13v3, D 89r4) 磯田(1983)が一部概観。
衆生世間(Ms 35v3, D 113r6) 磯田(1991b)が蔵文和訳。
器世間(Ms 40r2, D 118r4) 本稿で梵文和訳、磯田(1991b)が蔵文和訳(部分)

一切法(Ms 48r4, D 127r1) 李・加納(2014)が梵文校訂、Akahane and Yokoyama
(2015, 2016)が蔵文校訂、李・加納・横山(2015, 2016)
が梵文和訳、横山(2014, 2019)が内容を分析。
二諦(Ms 58r5, D 138r1) 李・加納(2015, 2017a, 2017b, 2018, 2021)
、磯田(1993)
が概観、Kapstein(2001)が蔵文部分訳。
一乗(Ms 67v2, D 148v7) 李・加納(2014)が梵文校訂・和訳、磯田(1993)が
概観・考察。
第 1 章奥付(Ms 70r4, D 151v4)

1
または 1109 年。著作年代については、加納・李(2021)を参照。
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梵文和訳『牟尼意趣荘厳』 21

本稿では器世間の解説箇所を扱う(上記太字箇所)
。この箇所は、大半が『倶舎論』の第三章
「世品」の解説にもとづく(引用の体裁を取らず借用する)
。アバヤーカラグプタは、
『倶舎論』
の所説を巧みに切り抜き、適所に配置することで、当時の仏教における世界観を教科書的に描
き出す。このことは、
『倶舎論』に伝えられる世界観が、12 世紀に至るまで、インド仏教の標準
的な教説とみなされていたことを示すともいえる。本来であれば器世間の解説全体の和訳をま
とめて提示するべきであるが、紙幅の都合上、本稿では前半部を扱い、後半部は稿を改める。
本稿で梵文和訳を提示する箇所は、磯田(1991b)により蔵文からの和訳なされている(D 113r6
から 121v4 まで)
。本研究では、磯田の訳ならびに『倶舎論』における並行文に注意を払いなが
ら、梵本からの和訳を提示する。

科段
本稿で扱う器世間解説の前半部の科段は下記の通りである。科段では見出しに続いて、
『牟尼
意趣荘厳』の梵文写本(Ms)の葉番号、チベット語訳デルゲ版(D)の葉番号、および素材とさ
(AKBh)の対応箇所(文言の借用元)を示す2。
れた『倶舎論』

[器世間の導入]Ms 40r2, D 118r4.


[風輪・水輪・金輪]Ms 40r2–4, D 118r4–6, AKBh ad 3.45–48a.
[九山]Ms 40r4, D 118r6–v2, AKBh ad 3.48–51b.
[八海]Ms 40r4–v2, D 118v2–4, AKBh ad 3.51–52.
[四洲]Ms 40v2–4, D 118v4–119r1, AKBh ad 53b–56.
[贍部洲の地理]Ms 40v4–41r1, D 119r1–3, AKBh ad 3.57.
[地獄]
(八熱地獄)Ms 41r1–2, D 119r3–4, AKBh ad 3.58.
(獄卒)Ms 41r2–3, D 119r4–7, AKBh ad 3.59abc.
(八寒地獄)Ms 41r3, D 119r7–v1, AKBh ad 3.59c.
(地獄の場所)Ms 41r3–4, D 119v1–2, AKBh ad 3.59c.
(孤地獄)Ms 41r4, D 119v2–3, AKBh ad 3.59c.
[畜生・餓鬼]Ms 41r4–v1, D 119v3–4, AKBh ad 3.59c.
[月・太陽]Ms 41v1–3, D 119v4–120r1, AKBh ad 3.60–62.
[諸天]
(空居天と地居天)Ms 41v3–42r1, D 120r1–4, AKBh ad 3.63–64c.
(三十三天)Ms 42r1–4, D 120r4–v3, AKBh ad 3.65–68.

2
本頌と長行との両者を含む場合は、個別に表記することはせずに、AKBh ad というかたちで表記した。
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22 インド学チベット学研究 25

(空居天)Ms 42r4–v1, D 120v3–4, AKBh ad 3.69.


[三界]
(欲界)Ms 42v1–3, D 120v4–121r2, AKBh ad 3.1, 3.69–71.
(色界)Ms 42v3–43r2, D 121r2–6, AKBh ad 3.70c, 3.2d.
(無色界)Ms 43r2–3, D 121r7–v1, AKBh ad 3.3.
(無色の語義)Ms 42r3–4, D 121v1–4, AKBh 3.3cd, 8.3d.
(近分定)Ms 43r4–v1, D 121v4–5, AKBh ad 8.22.
(中間定)Ms 43v1, D 121v5–6, AKBh ad 8.22d–23d.

凡例
本稿では『牟尼意趣荘厳』第一章における器世間解説の前半部(導入から三界の解説まで)の
和訳を提示する。本和訳は、李と加納によって校訂が進められている梵文テキストにもとづく。
梵文テキストについては、稿を改めて発表を予定している。和訳に際しては『倶舎論』に見られ
る並行文に特に注意を払ったが、それら並行文については、逐一示すと紙幅を徒に費やすこと
になるため、ロケーションのみを提示する。また、器世間の解説では、世界の構造を示した図や
各種の数値の一覧が理解の助けとなる。この点に関しては、本稿で改めて図表を作成すること
はせずに、定方(1973, 2011)における図表の頁数を示した。

略号と一次文献
AK / AKBh = P. Pradhan (ed.), Abhidharmakośabhāṣya of Vasubandhu, Patna: K. P. Jayaswal Research
Institute, 1967.
AKVy = U. Wogihara (ed.), Sphuṭārthā Abhidharmakośavyākhyā by Yaśomitra, Tokyo: Publishing
Association of Abhidharmakośavyākhyā, 1932–1936.
T = Taishō Shinshū Daizōkyō 『大正新脩大蔵経』
Viṃś = S, Lévi (ed.), Vijñaptimātratāsiddhi, Deux Traités de Vasubandhu : Viṃśatikā and Triṃśikā, Paris:
Libraire ancienne honoré champion, 1925.

二次文献
(和文研究)
石田一裕
2009 「西方諸師説の一考察―色界説を通して―」
、『佛教文化学会紀要』17、47–65 頁。

磯田煕文
1981 「
『Munimatālaṃkāra』について」
、『印度学仏教学研究』29-2、93–99 頁。
1983 「
『Munimatālaṃkāra』について(2)
」、『印度学仏教学研究』32-1、116–121 頁。
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梵文和訳『牟尼意趣荘厳』 23

1991a 「Abhayākaragupta「Munimatālaṃkāra」(Text)-3」
、『東北大学文学部研究年報』41、188–
147 頁。
1991b 「
『Munimatālaṃkāra』に説かれる有情世間・器世間」
、『インド思想における人間観:東
北大学印度学講座六十五周年記念論集』41、487–510 頁。
1993 「Abhayākaragupta と『Madhyamakāloka』
」、『インド学密教学研究:宮坂宥勝博士古稀記
念論文集・上』
、法蔵館 、501–516 頁。

加納和雄・李学竹(順不同)
2013 「梵文『牟尼意趣荘厳』
(Munimatālaṃkāra)第一章の和訳と校訂―冒頭部―」
、『密教文
化』229、37–63 頁。
2014 「梵文『牟尼意趣荘厳』第1章末尾部分の校訂と和訳―『中観光明』一乗論証段の梵文
断片の回収―」
、『密教文化』232、7–42 頁。
2015 「梵文校訂『牟尼意趣荘厳』第一章(fol. 48r4–58r5)―『中観五蘊論』にもとづく一切法
の解説―」
、『密教文化』234、7–44 頁。
2017a 「梵文校訂『牟尼意趣荘厳』第一章(fol. 58r5–59v4)―『中観光明』四諦説三性説箇所佚
文―」
、『密教文化』238、7–27 頁。
2017b 「梵文校訂『牟尼意趣荘厳』第一章(fol. 59v4–61r5)―『中観光明』世俗の定義箇所佚文
―」
、『密教文化』239、7–26 頁。
2018 「梵文校訂『牟尼意趣荘厳』第一章(fol. 61r5–64r2)―『中観光明』世俗と言説および唯
心説批判箇所佚文―」
、『密教文化』241、31–56 頁。
2021 「梵文校訂『牟尼意趣荘厳』第一章(fol. 64r2–67v2)―『中観光明』佚文・行者の直観知
と無自性論証―」
、『密教文化』245/246(印刷中)

楠本信道
2001 「
『縁起経釈』における無明の語義解釈」
、『印度學佛教學研究』50-1、
(169)–(172)頁。

櫻部建・小谷信千代・本庄良文
2004 『 舎論の原典解明 智品・定品』
、大蔵出版、東京。

定方晟
1973 『須弥山と極楽 仏教の宇宙観』
、講談社現代新書、講談社、東京。
2011 『インド宇宙論大全』
、春秋社、東京。

鈴木紀裕
1977 「経典類の部派所属について―色界天説より見た分類をふまえて―」
、『駒沢大学大学院
仏教学研究会年報』11、59–67 頁。
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24 インド学チベット学研究 25

林隆夫
1993 『インドの数学 ゼロの発見』
、中公新書、中央公論社、東京。

御牧克己
2014 「 (rma bya kha 'bab)
「孔雀の口から流れ下る河」 [I]─四大河をめぐるインドの伝承─」

『奥田聖應先生頌寿記念 インド学仏教学論集』
、502–513 頁。
横山剛
2014 「
『牟尼意趣荘厳』
(Munimatālaṃkāra)における一切法の解説―月称造『中観五蘊論』と
の関連をめぐって―」
、『密教文化』233、51–77頁。
2019 「インド仏教最後期へと至る法体系の系譜―解脱の構成に注目して―」
、『国際仏教学大
学院大学研究紀要』23、135–174頁。

李学竹・加納和雄・横山剛
2015 「梵文和訳『牟尼意趣荘厳』―一切法解説前半部―」
、『インド学チベット学研究』19、
139–157 頁。
2016 「梵文和訳『牟尼意趣荘厳』―一切法解説後半部―」
、『インド学チベット学研究』20、
53–75 頁。

(欧文研究)
Akahane Ritsu and Yokoyama Takeshi
2014 The Sarvadharma Section of the Munimatālaṃkāra, Critical Tibetan Text, Part I: with Special
Reference to Candrakīrti’s Madhyamakapañcaskandhaka,『インド学チベット学研究』18: 14–
49.
2015 The Sarvadharma Section of the Munimatālaṃkāra, Critical Tibetan Text, Part II: with Special
Reference to Candrakīrti’s Madhyamakapañcaskandhaka,『インド学チベット学研究』19: 97–
137.

Kano Kazuo and Li Xuezhu


2020 A Survey of Passages from Rare Buddhist Works Found in the Munimatālaṃkāra. In: Birgit Kellner,
and Jowita Kramer, Li Xuezhu (eds.), Sanskrit Manuscripts in China III: Proceedings of a panel at
the 2016 Beijing International Seminar on Tibetan Studies August 1 to 4. Beijing: China Tibetology
Publishing House, 2020: 45–78.

Kapstein, Metthew
2001 Abhayākaragupta on Two Truths. In: Kapstein, Reason's Traces, Boston: Wisdom Publications,
393–415.
2021 Copright Association for the Study of IndianPhilosophy

梵文和訳『牟尼意趣荘厳』 25

Li Xuezhu and Kazuo Kano


2019 Diplomatic Transcription of the Sanskrit Manuscript of the Munimatālaṃkāra―Chapter 1: Fols.
4r3–7v4―. China Tibetology 32 (2019, No. 1, March): 59–66.

和訳

(Ms 40r2, D 118r4)


[器世間の導入]
[次に]器世間が語られる。

(Ms 40r2–4, D 118r4–6, AKBh ad 3.45–48a)3


[風輪・水輪・金輪]
ここにおいて、衆生たちの業の支配力により生み出された、虚空の上に立つ、
[我々の住む場所
より]下方の風輪は、十六ラクシャ(1,600,000)由旬の厚さをもち、円周(pariṇāha)は数えき
れない(asaṃkhya)4。その上に雲から[降った]雨の水の輪があり、八ラクシャ(800,000)の
高さをもつ。
[水輪の上部にある]残りの水から変化したものが金地輪(kāñcanamahīmaṇḍalaṃ=
金輪)であり、三ラクシャ二十千(320,000)由旬の高さをもつ。これら二つ(水輪と金輪)の
直径は、十二ラクシャ三千四百五十(1,203,450)由旬である。

(AK 3.48a)
一方、円周は[直径の]三倍である。

(Ms 40r4, D 118r6–v2, AKBh ad 3.48–51b)5


[九山]
そこ(金輪)において、須弥山(スメール)を取り囲んで、持双山(ユガンダラ)
、持軸山(イ
ーシャーダーラ)
、檐木山(カディラカ)
、善見山(スダルシャナ)
、馬耳山(アシュヴァカルナ)

象耳山(ヴィナタカ)
、尼民達羅山(ニミンダラ)という七つの黄金の[山々]がある。その外
側には四洲があり、それらの外側には鉄囲山(チャクラヴァーダ)という鉄でできた第八の[山]
がある。一方、須弥山は黄金、銀、瑠璃、水晶でできている。それ(須弥山)の贍部洲側の面は
瑠璃でできていると人々は語る。ここ(贍部洲)では、それ(須弥山の瑠璃)の輝きで色付けら
れた、瑠璃色をした空(そら)が見られる、という。そしてこれらの山々は、

3
風輪・水輪・金輪については、定方(1973: 13) (2011: 209)の図も併せて参照。
4
但し、asaṃkhya を単位として考えれば 1059 を意味すると理解できる。数詞については、AKBh ad 3.93cd(cf. 林
(1993: 10)
)を参照。
5
九山については、定方(1973: 15–17)
(2011: 213)の図も併せて参照。
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26 インド学チベット学研究 25

八万[由旬の深さの海の]水の中に沈んでいる。水[面]よりも上に須弥山はさらに八
万[由旬突き出している]
。八[山]において、
[高さは順番に]半半ずつ減ってゆき、
そしてそれらは[各々の]高さと同じだけの幅をもつ6。
(AK 3.50b–51b)

(Ms 40r4–v2, D 118v2–4, AKBh ad 3.51–52)7


[八海]
これら(須弥山から尼民達羅山までの八山)の間に、七つの海(śīta)がある8。そして[七海は]

芳香、甘味、軽快、明澄、柔和、清涼、喉と腹を損なわないという点で、八支[の徳性]をそな
えた水(飲み物)で満たされている。その中で、須弥山と持双山の間にある、最初の中間の海
は、幅が八万由旬ある。一方、
[その海の一]辺(pārśvatas)
、つまり持双山の岸については、
[幅
八万由旬の]三倍分が計算される。

(AK 3.52c)
残りの海は、半半ずつ[幅が減じていく]

尼民達羅山と鉄囲山の間において、外の大海は塩水で満たされ、幅は三ラクシャ二十二千
(322,000)
[由旬]ある。

(Ms 40v2–4, D 118v4–119r1, AKBh ad 53–56)


[四洲]
そこ(一番外の大海)において、四洲は、須弥山の四側面に[面している]
。その中で、

贍部洲は、台車の形をしており、三辺は[各々]二千[由旬]ある。一方、一[辺]は
(AK 3.53b–54a)
三由旬半ある。

それ(贍部洲)の中央にある、黄金でできた地面の上に金剛座が出現していて、そこに座して、
あらゆる菩薩たちは金剛喩定を生み出す。ここから東にある、

東勝身洲(プラーグヴィデーハ)は半月のような形をしている。 これの三辺は[各々、
、一[辺]は三百五十由旬ある9。
贍部洲の三辺の長さと]同じで[二千由旬ずつあり]
(AK 3.54bc)

ここから西には西牛貨洲(アヴァラゴーダニーヤ)があり、
[円周は]七千五百[由旬]あって、
満月のように円い。

6
すなわち、持双山の高さは四万由旬、乃至、鉄囲山の高さは三百十二半由旬となる。
7
八海については、定方(1973: 15–17)
(2011: 213)の図も併せて参照。
8
この一文は、次の倶舎論の本偈の文言の語順を変えたものである。AK 3.51c: śītāḥ saptāntarāṇy eṣāṃ.
9
半月状とあるが、贍部洲(ほぼ正三角形)と比較して考えると、台形か。
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梵文和訳『牟尼意趣荘厳』 27

(AK 3.55c)
これの直径(madhyam)は二[千]五[百由旬]ある。

ここから北には、四角形をした北倶盧洲(ウッタラクル)がある。各辺は二千由旬ある。
そして洲ごとに形があり、そこ(各洲)における人々の顔[の輪郭]は、それと同じ形であ
る。ある人は「 」という10。
[各洲に住む女性たちの]女陰も[その洲と同形だ]

提訶洲(デーハーハ)
、毘提訶洲(ヴィデーハーハ)
、矩拉婆洲(クラヴァハ)
、憍拉
婆洲(カウラアヴァーハ)
、遮末羅洲(チャーマラーハ)
、筏羅[遮末羅]洲(アーヴ
ァラーハ)
、舍搋洲(シャーターハ)
、 怛羅漫怛里拏洲(ウッタラマントリンナハ)
という八つは11、それ(四洲)の中間にある洲である。
(AK 3.56)

[八中間洲の]すべては、人々が暮らしている。ある人々は「ひとつ[の中間洲]は、羅刹たち
が[暮らしている]
」という。

(Ms 40v4–41r1, D 119r1–3, AKBh ad 3.57)12


[贍部洲の地理]
同じこの贍部洲の中で、北へ、九つの蟻山(キータパルヴァタ)よりもさらに先へ行くと、有雪
山(ヒマヴァット)がある。そこからさらに[北へ]行くと、香酔山(ガンダマーダナ)よりも
手前に、無熱悩池(アナヴァタプタ)という名の池があり、
[先述の]八支の[功徳をそなえた]
水で満ち、
[正方形で一辺の]長さが五十由旬ある。そこから、恒伽河(ガンガー)
、信度河(シ
ンドゥ) 、縛芻河(ヴァクシュ)という大河が流れ出ている13。その[池の]
、徙多河(シーター)
そばに贍部(ジャンブー)
[という名の樹々]が生えている。そのことにちなんで、これ(我々
の住む洲)が贍部洲と呼ばれる。

[地獄]14
(Ms 41r1–2, D 119r3–4, AKBh ad 3.58)
(八熱地獄)
同じこの贍部洲の下方、二万由旬下に、無間(アヴィーチ)大地獄があり、深さと広さが二万
[由旬]ある。無間地獄の上方、上から上へ、大熱地獄(プラターパナ)
、炎熱地獄(ターパナ)

10
出典未詳。
11
これらの中間洲(antaradvīpa)の名称は、すべて複数形で綴られている。その理由について、称友は以下の様に
述べている。AKVy, 326.6–7: dehā videhāḥ kurava iti. sthānināṃ bahutvāt sthānasyāpi bahuvacananirdeśaḥ.「
『提訶洲、毘提
訶洲、矩拉婆洲』というのは、 [それら中間洲の]住人たちが多いので、 [その]場所も複数形で示している」 。した
がって、本和訳においても複数形で表記した。
12
贍部洲の地理については、定方(1973: 19) (2011: 217)の図も併せて参照。
13
四大河をめぐるインドの伝承については、御牧(2014)を参照。
14
地獄の構造については、定方(1973: 41)の図も併せて参照。
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28 インド学チベット学研究 25

大叫地獄(マハーラウラヴァ)
、叫喚地獄(ラウラヴァ)
、衆合地獄(サンガータ)
、黒縄地獄(カ
ーラスートラ)
、等活地獄(サンジーヴァ)という七つの地獄がある。他の人々は、無間地獄の
側面に[七つの地獄がある]
、という。いっぽう、それら八つは、各々、十六の追加部分(utsada,
近辺地獄)をもつ15。というのは、
[八大]地獄に堕ちた者たちが、さらに最後に(ante)それら
(追加部分)に赴くからである16。

(Ms 41r2–3, D 119r4–7, AKBh ad 3.59abc)


(獄卒)
【問】かの獄卒たちは、衆生なのか、ちがうのか。
【答】ちがう。
【問】彼らはどうして動いてい
るのか。
【答】衆生たちの業によって、そのように顕現するのである。
いっぽう次のように言われる。
「[他人の苦痛を喜ぶ人々は]閻魔の羅刹として生まれる」17。
これついては、
「閻魔に従って衆生たちを諸地獄に堕とす者たちが閻魔の羅刹たちと呼ばれる。
しかし[彼らは]処罰(kāraṇā)を実行させる者たちではない」ということである。
ある人たちは、
[獄卒は]衆生である、という。その業の異熟はどこであるのか。その同じ諸
地獄においてである。どうして[彼らは地獄の]炎に焼かれないのか。業によって炎に限界が設
けられているから 18 、あるいは[獄卒たちが]特殊な諸大種として生じるからである
(bhūtaviśeṣanirvrtter vā)19。

(Ms 41r3, D 119r7–v1, AKBh ad 3.59c)


(八寒地獄)
これらの八熱地獄とは別に寒地獄がある。つまり頞部陀(アルブダ)
・尼剌部陀(ニラブダ)
・頞唽
陀(アタタ)
・ 婆(ハハヴァ)
・虎虎婆(フフヴァ)
・ 鉢羅(ウトパラ)
・鉢特摩(パドマ)

摩訶鉢特摩(マハーパドマ)という八つであり、ちょうど贍部洲の下方、大地獄の横にある。

(Ms 41r3–4, D 119v1–2, AKBh ad 3.59c)


(地獄の場所)
そして無間地獄などの空間は贍部洲の下にある。穀物の堆積物のように、諸洲は下(地下)が広
くなっている。まさにこれゆえ、大海は[沖にゆくほど]次第に深くなる。以上、これらの十六
地獄は、一切衆生の[共]業の力によって生み出される。

15
≈ AK 3.58d: sarve 'ṣṭau ṣoḍaśotsadāḥ.「追加部分」については以下の様な説明がある。AKBh ad 3.58d: adhikayā-
tanāsthānatvād utsadāḥ ity ucyante.「追加で処罰がなされる場所だから、諸々の追加部分(utsadāḥ)といわれる」 。
16
この一文は「さらにそれらの辺(ante)に赴くからである」とも解釈しうる。
17
Cf. AKBh ad 3.59c: krodhanāḥ krūrakarmāṇaḥ pāpābhirucayaś ca ye, duḥkhiteṣu ca nandanti jāyante yamarākṣasā iti.
18
Cf. AKVy, 327.16: kṛtāvadhitvāt kṛtamaryādatvāt narakapālān prati.
19
Cf. AKVy, 327.16–18: bhūtaviśeṣanirvṛtter vā. bhūtaviśeṣās tādṛśās teṣāṃ karmabhir abhinirvṛttāḥ, yat tenāgninā na dahyante.
「 『あるいは特殊な諸大種として生じているから』とは、彼ら(地獄の衆生たち)の諸業のせいで、特殊な諸大種が、
そのような[獄卒などの表象として]生じているのであり、それはその(地獄の)火によって焼かれない」 。『唯識
二十論』にも同様の記述がみられる。Cf. Viṃś, 4.27–5.2: teṣāṃ tarhi nārakāṇāṃ karmabhis tatra bhūtaviśeṣāḥ saṃbhavanti
varṇākṛtipramāṇabalaviśiṣṭā ye narakapālādisaṃjñāṃ pratilabhante. 「その場合、彼ら地獄の衆生たちの諸業のせいで、特
殊な色、形、量、力を伴った特殊な諸大種がそこに生じ、それらが獄卒などという想念(または名称)を得るにい
たる」 。
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梵文和訳『牟尼意趣荘厳』 29

(Ms 41r4, D 119v2–3, AKBh ad 3.59c)


(孤地獄)
いっぽう、孤地獄(pratyekanaraka)は、個々の業によって[生み出される]
。複数の人々、また
は二人、または一人の[業により生み出される]である。それら(孤地獄)には多様な区別があ
る。そして場所は決まっていない。川、山、砂漠といった地点やそれ以外の[地点]の地下にあ
るからである。

(Ms 41r4–v1, D 119v3–4, AKBh ad 3.59c)


[畜生・餓鬼]
畜生は、地上と水中と空中で活動するものである。餓鬼たちの王は、琰魔(ヤマ)という名前で
ある。彼の王宮は、贍部洲の下方向に五百由旬離れたところにあり、彼ら(餓鬼たち)の根城で
ある。
[餓鬼たちは]そこから別のところへと出て行く。

(Ms 41v1–3, D 119v4–120r1, AKBh ad 3.60–62)


[月・太陽]
ここの上方の空間で、風は渦巻き状に須弥山をぐるりと回る。あるいは月と太陽と星々が[風
の]上を運行する。そこにおいて、月と太陽は、須弥山の半分[の高さ]
、つまり持双山の頂上
と同じ[高さで]運行する。なお、月輪の大きさは、五十由旬である。日[輪]の[大きさは]

五十一由旬である。諸々の星の天宮のなかで、小さいものの大きさは、一クローシャである。太
陽の天宮の下の外にある水晶輪は、火の性質を持ち(taijasa)
、熱を放ち、明るく照らし出す。月
の天宮の下にある[水晶輪は]水の性質を持ち、冷たく、輝き続ける。四洲において、同一の月
が活動し、同一の太陽が[活動する]
。北倶盧洲において深夜のときには、東勝身洲においては
日没、贍部洲では正午、
[西]牛貨洲では日の出である。同じように、他の場合においても、
[適
用すべし]
。ここにおいて、太陽の運行[路]の違いによって、夜と昼の増減がある。なにゆえ
に、白分の最初に月輪は欠けて見えるのか。太陽の光によって、月の天宮の反対側に影が落ち
るので、
[その影が]欠けた輪を見せる[からである]と伝説される(kila)
。昔の師は、
「あると
きには天宮の半分がみえる。運行のあり方(vāhayoga)とはそのようなものである」という20。

[諸天]
(Ms 41v3–42r1, D 120r1–4, AKBh ad 3.63–64c)
(空居天と地居天)
これらの太陽などの天宮には、天宮住まいの四大王衆の神々(空居天)が住んでいる。いっぽ
う、地に住む[神々]
(地居天)は須弥山のベランダなどの場所に[住んでいる]
。須弥山のベラ

20
『倶舎論』称友注によると、ここでの pūrvācārya たちとは、瑜伽師(yogācāra)たちのことである。AKVy, 238.5–
6: vāhayogaḥ sa tādṛśa iti. punas tiryag avanāmonnāmayogenādhobhāgaś candramaṇḍalasya kṣīyate. ūrdhvaṃ vardhate ceti
yogācārāḥ.「『その運行のあり方とは、次のようなものである』とは、再び、水平方向に、低くなったり高くなった
りするやり方によって、月輪の下の部分がなくなり、上が増える、と瑜伽師たちは言う」 。(月輪の形状が物理的に
変形していることを意味するか) 。
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30 インド学チベット学研究 25

ンダは四層であり、そこにおいて、
[海面から]一万由旬上に行くと一つの[ベランダ]があり、
第四番目の[ベランダ]に至るまで同様である。

十六千、八千、四千、二千[由旬、各々のベランダは水平方向に]出っ張っている。
それらにおいて、堅手(カロータパーニ)たちと、持鬘(マーラーダーラ)たちと、
恒憍(サダーマダ)たちと、四天王たちがいる。七つの山にも[彼らは]いる。
(AK
3.63cd–64)

つまり、持双山など[の七つの山]に[彼らはいる]
。第四のベランダにおいて、毘沙門天、持
国天、増長天、広目天、という四天王たちは、
[順番に]北を始めとする方角に住んでいる。こ
れら堅手をはじめとするすべての[神々]は、
[四]大王衆の神々である。

(Ms 42r1–4, D 120r4–v3, AKBh ad 3.65–68)21


(三十三天)
須弥山の頂上において、善い行い(sukṛta)を同時に為した三十三の[神々]が、そこに生まれ
るから、三十三天[という]22。
そして須弥山の頂上(正方形)は、各辺につき、八万[由旬]ある。ちょうど下[の海面]か
ら[頂上までの高さと同じである]
。[頂上の]四隅には、五百由旬の大きさの四つの峰(kūṭā)
があり、そこには金剛手(ヴァジュラパーニ)という夜叉たちが住んでいる。
そしてその須弥山の頂上の中央に、善見(スダルシャナ)という都城があり、長さ二千五百由
旬が各辺においてあり23、高さが一由旬半、黄金製で種々の宝石で彩られた地表は24、コットン
(tūlapicu)のように、柔らかい感触をもち、
[それが]帝釈天の王宮である。その中央に、殊勝
(ヴァイジャヤンタ)という名の宮殿があり、各辺の長さは二百五十由旬であり、高さは美し
い[善見城]と同様[つまり一由旬半]である25。都城の四辺には、衆車苑(チャイトララタ)
と麁惡苑(パールシャヤカ)と雜林苑(ミシュラカーヴァナ)と喜林苑(ナンダナヴァナ)とい
う、庭園がある。都城のちょうど外側、北東の辺には圓生樹(パリジャータ)というコーヴィダ
ーラ樹があり、それの根の深さは五由旬、高さは百由旬ある。五十由旬にわたって枝と葉と花

21
三十三天の住みかについては、定方(1973: 54–55) (2011: 229)の図も併せて参照。
22
Cf. AKVy, 254.10–11: sahakṛtasukṛtair atropapadyanta iti trayastriṃśāḥ. samānapuṇyair ity arthaḥ.
23
AKBh ad 3.66: sumerutalasya madhye sudarśanaṃ nāma nagaraṃ dairghye (read: dairghyeṇa) sārdhatṛtīyayojanasahasre (read:
-saharam) ekaikaṃ pārśvam ucchrāyeṇādhyardhayojanam.
24
sauvarṇanānāratnacitrabhūtalaṃ.『倶舎論』の対応箇所では次のようにやや異なる。AKBh ad 3.66: prākāraḥ sauvarṇaḥ,
ekottareṇa dhātuśatenāsya bhūmiś citritā. tac ca bhūmitalaṃ tūlapicuvat mṛdusaṃsparśaṃ pādakṣepotkṣepābhyāṃ natonnataṃ.
( [その都城の]壁は黄金製であり、これの地面は百一種類の要素によって彩られている。そしてその地表は、綿の
ように、柔らかい感触をもち、足を降ろしたり上げたりすると浮き沈みする。 )すなわち、 『倶舎論』において「黄
金製」 (sauvarṇa)という語は、都城の「壁」 (prākāra)のみを修飾している。
25
梵本では tanmadhye vaijayanto nāma prāsādo dairghyeṇārdhatṛtīyāni yojanaśatāni pratipārśvam ucchrayeṇa yathā śobhaṃ
(read: śobhaḥ) |とある。拙訳では śobhaṃ を śobhaḥ と訂正して、善見城(sudarśana)を指すと理解した。なおチベッ
ト語訳は ring ba dpangs su ji ltar mdzes pa'o とある。
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梵文和訳『牟尼意趣荘厳』 31

を広げて立っている。そのすべての花の香は、風に乗ると百由旬にわたって広がり、向かい風
では五十由旬[にわたって香が広がる]

【問】それでは、その花の香の連続は、自らの大種に依拠してのみ生じるのか、あるいは、薫
じられた風26が生じるのか。
【答】ここにおいて決まりはない。というのは、両方ともが先生の
認めるところ(ācāryeṣṭi)だからである。
善法堂(スダルマー)
[という名の集会堂]が南西にある。その神々の集会堂では、神々が座
って、なすべきこととなすべきでないことについて論議している。以上が、三十三天の住処の
構造(bhājanasanniveśa)である。

(Ms 42r4–v1, D 120v3–4, AKBh ad 3.69)


(空居天)
三十三天よりも上では、神々は天宮に住んでいる。さらに[詳しくいえば]
、彼らは、夜摩天(ヤ
ーマ)
、兜率天(トゥシタ)
、楽変化天(ニルマーナラティ)
、他化自在天(パラニルミタヴァシ
ャヴァルティン)という欲界に属する者たちと、四つの禅(dhyāna)の地に属する者たちとであ
る。

[三界]27
(Ms 42v1–3, D 120v4–121r2, AK 3.1, 3.69–71)
(欲界)
[以上で述べた]その中で、八熱地獄、四洲、六界(六欲天)の天王衆などの神々、畜生、餓鬼
という区別による二十の場所が欲界である28。
その中で欲生の者たちは三種類である29。というのは、
(1)人間と四天王は、生起したままの
欲望の対象を享受することに基づき30、
(2)いっぽう楽変化天たちは、自ら欲望の対象を化作し
てから享受し、
(3)他化自在天たちは、他によって化作された欲望の対象に対して自在に支配
するからである。
ここ(欲界)において、地面から離れないで暮らす四天王たちと三十三天たちには、人間のよ
うな、交接(dvandva)による淫事がある31。いっぽう、夜摩天たちなど(つまり、夜摩天、兜率
天、楽変化天、他化自在天)には、順次、抱擁、手を取ること、微笑むこと、見つめあうことに
[まぐわいがある]32。ただし[人間と違って]
よる、 、神々は、
[性器から]風が抜け出れば、欲
の熱は離散する。精液が存在しないからである。

26
花の香に関与する風界とは別の風がここで生じるのか否かが議論されている。
27
三界の構造については、定方(1973: 66–67) (2011: 235)の一覧表も併せて参照。
28
Cf. AK 3.1: narakapretatiryañco manuṣyāḥ ṣaḍ divaukasaḥ / kāmadhātuḥ sa narakadvīpabhedena viṃśatiḥ //
29
AK 3.71ab: kāmopapattayas tisraḥ kāmadevāḥ samānuṣāḥ.
30
Cf. AKBh ad 3.71: santi sattvāḥ pratyupasthitakāmāḥ pratyupasthiteṣu kāmeṣv aiśvaryaṃ vaśe vartayanti.
31
Cf. AKBh ad 3.39cd.
32
Cf. AKBh ad 3.39cd.
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32 インド学チベット学研究 25

「すべて(夜摩天から他化自在天にいたるまでの神々)は、交接(dvandvasamāpatti)によっ
て[まぐわうのであり、
]抱擁などによって[要する]時間の量が『施設論』に述べられた」と
毘婆娑師たちは[いう。また]
「[淫事の]対象が激しければ激しいほど、欲望もまた一層激しく
[ともいう]33。
なる」
ある神あるいは女神の膝の上に[生まれた]息子または娘が、そのふたり(両親)の子供
(tadapatya)である。
[その子供の大きさは、六欲天の]神々の集まりにおいては、順次、五歳、
六歳、七歳、八歳、九歳、十歳の[人間の子供の]ようである34。

(Ms 42v3–43r2, D 121r2–6, AKBh ad 3.70c, 3.2d)


(色界)
いっぽう、色界の神々は、完全な体を有し、女根と男根を持たず35、衣をまとって生まれる。そ
してすべての[色界の]神々は、聖人の言葉(āryabhāṣā)を話す36。
その中で初禅は、梵衆天、梵輔天、大梵天である。第二禅は、少光天、無量光天、極光浄天で
ある。第三禅は、少浄天、無量浄天、遍浄天である。そしてこれ(第三禅) によって諸々の楽
受がある37。第四禅は、辺際[静慮]であり38、捨受(upekṣānubhava)をもち39、無雲天、福生天、
広果天、無煩天、無熱天、善現天、善見天、色究竟天である。
四つの禅は、下・中・上の区別によって各々、三種の地をもつが40、第四は、上だけについて
いうと下下・下中・中上・より上のもの・最上の区別によって、さらに六つの場所がある41。以
上、そこに住む衆生たちを含めて、欲界は十七の場所がある42。広果天たちの一部は、無想の衆
生たちである43。ある人たちは「彼ら(無想の衆生たち)には広果天とは全く別々な上の住処が
ある」という44。無煩天(abṛhā)とは、ここでは、vihā とも、apṛhā ともいわれると[人々に]
考えられている。無煩天から色究竟天までの五つが、浄居天である。これらにおいて、浄つまり
[だから浄居天という]45。
他ならぬ尊い人々たちが、生まれて、住んでいるというからである。

(Ms 43r2–3, D 121r7–v1, AKBh ad 3.3)


(無色界)

33
ここまで AKBh ad 3.69 に基づく。
34
ここまで AKBh ad 3.70abc に基づく。
35
「女根と男根を持たず」は『倶舎論』3.70c に無い。
36
衆賢によると、āryabhāṣā とは、中印度(*madhyadeśa)の言葉と同じであるという。Cf.『順正理論』巻 31(ad AK
3.70)、T29, 519b28–30: 皆作聖言。謂彼言詞、同中印度。然不由學、自解典言。
37
Cf. AK 2.7cd.
38
AKBh ad 7.41a: tad api prāntakoṭikaṃ caturthaṃ dhyānaṃ.
39
Cf. AK 8.8cd.
40
例えば、初禅の「下」は梵衆天、 「中」は梵輔天、 「上」は大梵天となる。
41
Cf. AK 3.2bcd. 第四禅の「下」は無雲天、 「中」は福生天、が広果天、 「上の下下」が無煩天、 「上の下中」が無熱
天、 「上の中上」が善現天、 「上のより上」が善見天、 「上の最上」が色究竟天となる。
42
AKBh ad 3.2d.
43
Cf. AKBh ad 2.41d: bṛhatphalānām devā, yeṣāṃ kecid asaṃjñisattvāḥ pradeśe bhavanti, dhyānāntarikāvat.
44
色界の天の数に関する諸説については、鈴木(1977)と石田(2009)を参照。
45
Cf. AKBh ad 6.43ab: tāsāṃ yathāsaṃkhyaṃ pañca śuddhāvāsāḥ phalam. yat tatra sāsravaṃ tadvaśāt teṣūpapattiḥ.
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梵文和訳『牟尼意趣荘厳』 33

無色界は、
[物理的な]場所がなく、
[そこには苦楽を離れた]捨なる経験があり(捨受)
、受を
始めとする四つの蘊がある(色蘊は欠く)46。しかし、生起の区別によって四種ある。つまり、
空無辺処、識無辺処、無処有処、非想非非想処である。しかし、これらには、場所によって作ら
れた上や下は存在しない47。というのは、それら(空無辺処など)の等至(samāpatti)を得た者
達が死没する場合、同じその場所で[彼らは再び]生まれる。そしてまた、そこから死没する者
たちの中有存在は、同じ場所に生じる。

(Ms 42r3–4, D 121v1–4, AKBh 3.3cd, 8.3d)


(無色の語義)
この場合、ここには色がないので、色を持たない(arūpa)
[界であり]
、それ(色を持たない界)
、無色性(ārūpya)である。まさに arūpa(色を持たない[界]
の状態が(tadbhāva) )は無色性
[ārūpya という語の]nañ(否定辞 a)は、
(ārūpya)という意味において[用いられる]という。
(īṣat)という意味において[使用されている]48。だから、そこ(無色界)から死没
「わずか」
した者たちの色は、色だけから生じる49。
他の者たちは(anye)
「[無色界から死没した者たちの色は]心だけから生じる。それ(色)に
とっての異熟因から現れ出ることにもとづいて、作用を獲得した[生起がある]
(labdhavṛtti)

という50。
いっぽうであるアビダルマ論師たちは、
「[ārūpya という語について]
『わずか』という意味に
おいて nañ(否定辞 a)を述べたうえで、無色界には色があり、諸の場所もあり、諸の天宮も、
そこ(無色界)において、上へ上へと立っている」と語る51。
[無色界の]地面などについても大きさと形状の区別にいたるまで彼らは説明しているので、
その見解についてはここでは敷衍しない。
[その見解は仏教徒]全体の総意ではないからである。

(Ms 43r4–v1, D 121v4–5, AKBh ad 8.22)


(近分定)
八つの近分(sāmantaka)は52、禅などの一部であるから、それに含まれる。
[つまり、四つの]
禅・
[四つの]無色[定]という八つには、各々にひとつ[の近分]があり、それ(各近分)に
よってそれ(各禅等)に入るのである。初禅の近分は未至[定]
(anāgamya)であり、四[静慮]

46
ārūpyadhātur asthāna upekṣānubhavo vedanādicatuḥskandhakaḥ を訳した。upekṣānubhavo vedanādicatuḥskandhakaḥ は処
格の所有複合語として理解した。ここでの主題は器世間なので、その一部としての無色界を意識してこのように和
訳したが、物質的な要素が存在しない領域であるため、器とそこに住む衆生(精神的な要素のみ)の区別がないと
いう理解もありうる。ただし、直後でも述べられる通り、無色界にも、わずかではあるが、物質的な要素が存在す
るという説がある。Cf. AK 8.2c: catuḥskandhāḥ.
47
「存在しない」 (na ... vidyate)という語は、AKBh では「分けられない」 (na ... bhidyate)とある。
48
Cf. 楠本(2001).
49
無色界に色が少し(īṣat)あるならば、その色から死没後の色が生じる。
50
≈ AKBh ad 8.3d: rūpasya cittād evotpattis tadvipākahetuparibhāvitāl labdhavṛttitaḥ.
51
Cf. AKBh ad 8.3ab: īṣadrūpatvād āpiṅgalavat. 櫻部ほか(2004: 229)の注 2 は、光記(巻二十八)にもとづいて、大
衆部と化地部が無色界に色を認めることを紹介する。
52
= AK 8.22a: aṣṭau sāmantikāni.
2021 Copright Association for the Study of IndianPhilosophy

34 インド学チベット学研究 25

支をそなえる(caturaṅga)53。

(Ms 43v1, D 121v5–6, AK 8.22d–23d)


(中間定)
中間定は、尋と相応しない初禅そのものであり、欲望の諸対象に対する捨受と相応し、無尋無
伺(チベット語訳:無尋有伺)である。特殊な禅だからである。それの結果は大梵天である。
以上が、欲界、色界、無色界である。

(以上、器世間の解説前半部。後半に続く)

本稿は令和 3 年度科学研究費[17K02222] [18H03569] [18K00074] [19K12952]による研究成果の一つ


である。

Abstract

Annotated Japanese Translation of the Sanskrit Text of the Munimatālaṃkāra:


the First Half of the Bhājanaloka Section

The Munimatālaṃkāra of Abhayākaragupta (composed in 1108/9) gives gives an encyclopedic overview of


the entire system of non-tantric Buddhist doctrines and practices. Recently the existence of a Sanskrit
manuscript was reported by Li Xuezhu, and the textual study of this work is drastically evolving. The aim
of the present paper is to present an annotated Japanese translation of the first half of the section, in which
Abhayākaragupta concisely represents the bhājanaloka (the Buddhist representation of the world of
inanimate objects) extracting a number of passages from Vasubandhu’s Abhidharmakośa and its Bhāṣya.

キーワード Abhayākaragupta, Munimatālaṃkāra, bhājanaloka, Vasubandhu, Abhidharmakośa

53
初静慮支については AK 8.7ab を参照。

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