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10月19日の青山キャンパスでの礼拝に参加させていただきました。説教者は、アルペなんみ

んセンター小金井センター長の松浦由佳子さんであり、聖書箇所は新約聖書の「ヨハネによ

る福音書」1:1∼5でした。説教題は「私たちの『いのち』とは」であり、松浦由佳子さん

は私たちに自分の経歴や主にどうやって出会い、どのようなことが起こったかを教えてくれ

ました。彼女は他の国々の人々の暮らしの苦境を見て、少しでも助けになりたいと思い仕事

に着きましたが、仕事に尽力している間に、本気であるからこそピリピリしてしまい、周り

の人の気持ちを考えていなかったことに気づきました。その時彼女は聖書を読み直し、改め

て自分を反省し、大切なことに気づいたのです。その時彼女は紹介された言葉に出会ったの

であった。「初めに言葉があった、言葉は神と共にあった。言葉は神であった……光はやみ

の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった。」この言葉の中には希望が満ち れ

ていた。現在彼女は難民支援の仕事をしており、その仕事の間でも聖書の言葉を思い出しな

がら、人の役に立てるようにと尽力しています。私はこの礼拝を通して、常に人に優しくす

ることはいかに難しいかを知ることができました。私はいかなる状況でもあまり怒らない人

であるが、怒る以外にも人を傷つけてしまう行動がいっぱいあると考えを深めました。もし

かしたら、私が知らないうちに心のない言葉や行動で誰かを傷つけているのかもしれませ

ん。自分のことを頑張ると、どんどん周りが見えづらくなるのは仕方ないかもしれません、

如何に早く気付いて、対策を取るかが大事であると思いました。

そして、10月26日の青山キャンパスでの礼拝に参加させていただきました。説教者は、横浜

指路教会牧師の藤掛順一さんでした。聖書箇所は新約聖書の「マタイによる福音書」の6:

7∼13であり、説教題は「祈ることができる幸い」でした。日本は宗教意識が特徴的であ

り、私たちは小さい頃から神道、仏教やキリスト教のような宗教に触れあってきました。そ

の中でさまざまな神様、仏様に祈ってきた人も多いと思います。祈ることは願いをかけるこ

とだけではなく、心を落ち着かせることもできます。「また、祈る場合、異邦人のように、

くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。だか

ら、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要な
ものはご存じなのである。だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父

よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、

地にも行われますように。わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。わたし

たちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。 わた

したちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。」このお言葉を読んで、いつ

も誰かが見てくれて、守ってくれるのはありがたいことだと思いました。キリスト様が天の

父と呼ばれていることも理解できました。親のように温かく見守ってくださり、私たちに足

りないものを知ってくれて、適切なものをくださることは常にはなく、感謝すべきものでも

あると思いました。

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