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那覇市歴史博物館所蔵の拓本資料の整理について

一 日録記述 を軸 として 一

川 島 淳

は じめに

本稿は、那覇市教育委員会文化財課か ら那覇市歴史博物館 に移管 され た拓本資料 ①


の整理方法 について、主 に 目録記述 という観点か ら紹介す るものである。
那覇市教育委員会は、 1985年 か ら1993年 まで、金石 文拓本作成事業 を実施 した。
この事業は 「那覇市 に縁 の ある石碑や梵鐘な どに刻 まれた文、 いわゆる金石 文 を拓本
にす る事業」②であ り、そ の対象地域は、沖縄県 内 にとどま らず 県外 も含 まれて いた。
す なわ ち、 1985年 か ら沖縄県 内 に点在す る金石 文 を拓 本 に して収 集 した。 また、
1990年 と1998年 には、 鹿児島県鹿児島市 ・伊敷町 ・ 山川町・ 志布志町所在 の金石文
を採拓 し、 1991年 には 「江戸立」 のルー トで ある静 岡県清水市 ・浜松市、愛知県名
古屋市、広 島県福 山市所在 の金石文 を拓本 とした ③。 この事 業 に関 して古塚達朗 は
「金石文は、拓本 にして も貴重 な文化財た る価値」が あ り、「本県 の歴史 ・文化 を解 明
す るために必 要不可欠 な存在 である。 将来 に向け、地道 に収集 ・保存」す る必 要があ
ると論 じて い る④。 この よ うに、 文化財 として も、歴 史資料 として も、金石文 を拓 本
とす ることの重 要性が指摘 されている。
かかる事業 の成果 として生成 された拓本資料 は、巻 末 の表 が示す よ うに、 2009年
12月 25日 に那覇市教育委員会文化財課か ら那覇市歴史博物館 に移管 された。 この拓
本資料 を、 筆者 は2011年 4月 か ら7月 まで整理 した。そ の際 に、 沖縄 の金石文 に関す
る従来 の調査 。研究 の成果 を射程 に入れ て 目録 を作成 したのである。
そ こで、本稿では、 日録記述 という観点か ら、拓 本資料 の整理方法 について 紹介す
る ことにす る。 第 一 節 では、金 石文 ・拓本 に関す る研究史 を整理 して各論考 での論点
を確認 した うえで、 日録記述 の項 目を析出す ることにす る。かかる項 目に基づ いた拓
本資料 の整理 と 目録作成 の方法 については、 第 二 節 で 論 じる ことにす る。

第 一節 金石文・ 拓本 に関す る研 究史整理

(1)金 石文の意義 につ いて
金石文 とは、「梵鐘な どの金属 に刻 まれた銘文、石 に刻 まれた碑文、 これ らを総称」0
した ものである。つ ま り、金石 文 とは、金属や石 に刻 まれた文字 を指す言葉 で ある。
金石文 の歴史資料 としての価値 に関す る見解 をみてみよ う。金城正篤 は 「碑文記類
は、 建 立 され たそれぞれ の時代 の政治や社会 ・文化 な どの現実 の一端 を示 し、 ある い

かわ しま じゅん (那 覇市歴史博物館古文書解読員)

-13-
は反映 して いる とい う点で、重要な歴史資料 で ある」0と 論 じて いる。 ただ し 「これ
らは国王 の事績 を顕彰す るという性質 上、一定 の潤飾 とある種 の誇張があ ることを予
想 しなければ な らない」 ので 、「これ らの記事 を批判 的 に検討 し、利用す る ことが大

切 である」 と指摘す る 。那覇市は、金城正篤 の見解 を継承 した うえで、碑文 は 「歴
史資料 としての価値 を持 つ一 方」、石碑が 「建立 された 目的やそ の経緯、背景 を踏 ま
える必要がある」③と論 じて いる。 したが って、 碑文 には、歴 史資料 としての価値 が
あるが、併せて充分な史料批判が必要であるとい う。 また瓦証文 の資料的価値 につ い
て、 荻名城泰雄 「八重 山 の瓦証文」 によれば、「瓦証文 は人頭税制末期 における島人
0と い う。 このよ
達 の生 々 しい生活 をか い ま見 る ことの 出来 る重 要 な資料 とい える」
うに、金石文 に刻 まれた文は、歴史資料 としての価値があ る。
金石文 は地域 の文化財 で もある。 1980年 代 に沖縄県教育庁文化課や那覇市教育委
員会文化財課 は、金石 文 の現況 を調査 した。 沖縄県教育庁文化課 の調査は 「本県 に存

す る金石 文 について、そ の散逸 。亡失 を防 くため、保存状況等 を緊急 に調査 し、そ の
00で あった とい う。那覇市
実態 を把 握 して、 保存対策 の基礎資料 とす るための調 査」
教育委員会 もまた、「近年 の経済 の発展 。社会構造 の急激な変化 によ り、伝統 的 な生
活様式や風俗習慣 の 中 に息 づいていた有形 。無形 の文化財 の消失は著 しく、特 に土地
に関わる遺跡や橋梁、井泉な どの文化財は、保存が困難 な状況 の 中にあるといえます。
そ こで こうした文化財 を調査 し、その所在 を確認 して、 概要 を把握す ることが極 めて
重 要」°Dで ある との認識か ら、金石 文 を含 む文化財 の調査 を実施 した。かか る調 査報
告書は、前掲 『金石文』や那覇市教育委員会編 『那覇市歴史地図一文化遺産悉皆調 査
報告書』那覇市、 1986年 )と して刊行 されている。
こうした体系的な金石文 に関す る調査 の成果は、博物館 での企画展な どを通 じて、
地域住民に還元 された。 例 えば、 1998年 に沖縄県 立博 物館 の企画展 「刻 まれた歴史―
沖縄 の石碑 と拓本」が開催 された。 ここで展示 された資料 は、 沖縄県 立博物館所蔵 の
石碑 と、それ を補完す るための拓本資料、那覇市教育委員会文化野課収集 の拓本資料
な どであった。 開催 の趣 旨 によると、「琉球史 へ の 関心が高 ま りつつ ある今 日、沖縄
の歴史 を語 るこの展示会 をとお して、石碑 へ の理解 を深めて い く一助 になれば幸 いで
す」Qり という。 このよ うに、琉球 。沖縄 の歴史 と石碑は密接 な関係 にあ り、琉 球 ・ 沖縄
史 を理解す るうえで、石 碑が重要 な歴史資料 であることが示唆 されているといえよう。
名護碑文記編集委員会編 『名護市碑文記』 では、「碑は、文 学碑 ・記念碑 ・顕彰碑 ・
慰霊碑 ・墓碑な どいずれ にお いて も、その建立 に当たっては多 くの関係者 の共 同 の動
機 と情熱が こめ られて い る」 のであって、「そ の思 い を掘 り起 こし記録す る ことは、
地域 の歴史や文化 さ らには人物 を再評価 してい くうえで重要な仕事で ある」 と論 じて
られて いる。そ して 「碑文 は、そ の時代 と建立者 の意思 の産物 ともいえる。私 たちが
それ をどのよ うに読 み解 き、理解 し、現代 と将来 を生きて い く力と糧 にす るかは、 ま
さに私た ち の共同 の仕事 であるにちがいない」 と結論 づ けて い る。 このように、 石碑
それ 自体 と建立 の経緯 な どの周辺 情報 を検討す ることで、地 域 の歴史 。文化 。人物 を
°9。 ゆえに、『
再評価す る ことがで きる とい う 名護市碑文記』 において、石 碑 は地域
資料 として位置 づ け られて いる といえる。

-14-
また同書で 「碑 の建 立は関係者 にとって大 きな事業であ り、そ して後世 に残す もの
だけに、文 の起草、書 の揮亀、勒刻は慎重」 で あ り、「碑 の文章や書 も味わ い深 い も
・ °と指摘 されて いる。 このよ うに、石 碑 は芸術作品 として も捉 え ら
のが数 多 くある」
れて い る。
以 上の刊行物か ら、金石 文は歴史資料 であると同時 に、文化財 で もあ り、 さ らには
地域資料、芸術作品 として捉 え られて いる ことが判 る。
次 に金石文 を拓本 にす る ことの意義 について確認 しよ う。
金石文は、年 月の経過 によって文字が摩滅 して しまう。そのため、 文字 を判 読す る
ことは困難 になる。 しか し、「碑面 を見 るだけでは、 読 み辛 い もの も拓本 にすれば、
文字が浮かび 上が り、そ こに秘 め られた情報 を見 出す ことができる」 という。 また、
(1°

前掲 『企画展 刻 まれた歴 史』掲載 の開催趣 旨 には、「現存す る石 碑 で摩耗 し読み づ


らくなった もので も、拓 本 にす ることによ り、判 読が可能 になるもの もあ ります。 拓
本 の形 で補完 します」 と記 されているよ うに、金石文 を拓 本 にす る ことで、 文字 も
(1°

判読 できるよ うになる という。 これ こそが、金石文 を拓 本 にす る大きな意義 で あると


いえよう。
又吉真三は、碑文 を筆写 した文献資料 と、 拓本資料 とを照合 した経験 について(次
のように述 べ ている。「『南島風土記』 一二三 頁 上段玉陵碑末文 に、「もしか に」 とあ
るが 「もしのちに」 となっている」 ので あ り、 また 「重修真玉橋碑 を昨年春 に、 豊見
城村字真玉橋 自治会 の依頼 によって、私が復元設計 と監理 を行 ったが、 自治会が戦前
の拓本 コピー を台湾大学か ら取寄 せてあった。そ こで 崎間麗進氏 にお願 い して 東恩納
文庫 にある、『琉球国碑文記集』 のコピー と照合 して 分 ったのは、 碑文記集 には後文
の数行が脱落 していた」(1つ ことで あるとい う。 こうした経験か ら、又 吉真三は 「拓本
が資料 として いか に重 要 な ものであるかが 良 くわか る」(1° と結論 づ けて いる。 かかる
指摘か ら判 ることは、 拓本 には歴 史資料 としての価値 と、 復元 のため の資料 としての
価値があ るということである。 後者 に関す る ことだが、又吉は、台湾大学 に所蔵 され
ている、久場政用 の 「拓本 を見た とき、 拓本は ほぼ 原寸 に近 い もので あ り、 これ が台
湾 ではな く沖縄 に有 った ら、文化財 の復元等 に重要 な役割が果す事が出来 るのに と思っ
た りもした」住9と の感想 をもらして い る。 この感想か ら、金石 文 の復元 にとって 拓本
資料が必要不可欠 な資料 である ことが判 るのである。
ちなみ に、 那覇市は、 2004年 に石 碑復元 の可能性 に関す る調査 を実施 した。 そ の
成果 として刊行 された 前掲 『石碑復元調査報告書』 では、「先 の沖縄戦 で多 くが 破壊
され、 消失 して しまった石碑だが、建立地 に復元す る ことは、歴史的な意義がある と
ともに、歴 史的景観 の一部 を回復する ことにもつなが る。 また復元整備す る過程 にお
いて 、琉球 の歴史 を見 る新 たな視点、発見 を与 える もの と思われ る」 ので あって、
「建立地が観光拠点 内 にあ り、 復元す る ことで 多 くの県 民や観光客 に対す る効果 は非

ω
常 に大 き い と考 え られ る」 との結論が示 されている。 このよ うに、石碑復元 の過程
な い しは結果 によって、 琉球史 の新たな視点が提示 され ると同時 に、 石碑 の復元 が地
域 の活性化 につながる と指摘 されて いる。
以 上のよ うに、金石 文 には、歴 史資料 ・文化財資料 。博物館資料 ・ 美術資料 という

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よ うに、複合的な性格があ る といえる。かかる金石文 を拓本 にす ることの意義 として
は、摩耗 した文字が判読 できるよ うになる こと、採拓 した時点 での現況 を記録す るこ
と、亡 失 したあるいは亡 失す るか もしれない金石文 を復元す る際 の基礎資料 になる こ
とがあげ られ る。

(2)金 石文 に関する研究史の整理
(1)で は、金石 文 ・拓本 の資料的価値 について確認 した。 これ らの資料的価値 は、
時代 の変化 によって多様化 した ものと考 え られ る。 以下 では、 金石文 に関す る研究史
を整理することによって、金石文が重要視 されるようになった社会的背景 と、金石文 ・
拓本 の資料的価値が多様化 していった過程 を確認 したいと考 える。
金石文 に関す る調査 ・研究は、琉球王国時代か ら現在 にいたるまで、 様 々な人々に
よつて、 多様 な観点 で実施 されてきた °D。 なかで も、 1964(昭 和 39)年 に発足 した
沖縄拓本研究会は、県 内 の金石文 を調査 して、その拓本 を作成す るとともに、研究活
動や啓蒙活動 を展 開 した。 この活動は 1980年 代以降 にお ける金石文 の調査 。研 究 に
も大 きな影響 を及ぼ した。 また、 現在 の金石文 に関す る研究 は、 1980年 代 にお ける
調査 。研究 の成果 によるところが大きい。そ こで、 以下 では、 1980年 代以降 の調査 ・
研究 と社会的背景 を有 機的 に関連 づ けなが ら、金石 文 の調査・ 研究史 を概観す る こと
にす る。
1972年 の 「祖国復帰」 によ り、 本土資本 の流入 と開発 によって、 沖縄 の 「ヤ マ ト
化」 が加 速化 し、 失 われ て い く沖縄文化 に対 す る危機 感 が共有 され るよ うにな っ
こ ぅした社会事 情か ら、 琉球王国時代 の政治・ 社会 ・ 文化 の一 端 を示す金石
た K221。

文 の散逸や亡失 を防 くために、 保存状況な どに関す る調査が実施 され た ので ある。
沖縄県教育庁文化課 は、 1983年 。1984年 度 の文化庁国庫補助事業 で、 沖縄県 内 に
点在す る金 石文 の保存状況 を調査 し、その散逸 ・亡 失 を防 ぐとともに、金石 文 の保存
対策 を講 じるため の基礎資料 を作成 した。 ここで調査 の対象 となった金石文は、主 に
1879年 の 「琉球処分」 以前 に建立 ・ 製作 された ものであったが、それ 以降 に建立 ・
製作 された金 石文 であって も、「王国時 代的性格」 力ゞ
見 られ る金石 文 は調査 の対 象 に
°°
含 め られた 。 この成果 は 前掲 『金石文』 として刊行 され、 本書は現在 にお いて も
最 も基本的な文献 の一つ となっている。
他方、那覇市教育委員会は、 1984(日 召和 59)年 度 。1985(昭 和 60)年 度 に那覇
市歴史地図作成事業 を実施 した。その 目的は、「近年 の経済 の発展 。社会構造 の急激
な変化 によ り、伝統的な生活様式や風俗習慣 の 中に息 づいていた有形・ 無形 の文化財
の消失は著 しく、 特 に土 地 に関わる遺跡や橋梁、井泉な どの文化財は、保存が困難 な
状況 の 中にある といえます。そ こで こうした文 化財 を調査 し、その所在 を確認 して、
概要 を把握す る」 ことにあ り、 この事業は文化財保護行政上 「極めて重 要」だ という。
かか る事業 の成果 は 1986年 3月 に『那覇市歴史地図』 として刊行 された。 同書刊行 の
意義は、次 のよ うに述 べ られている。「例言」 によると、「本報告書 の 目的は、市 内 に
分布す る文化財 の所在 と概要 を把 握 し、 市民 の学習活動や学校教育 に活用 され る と共
に、 諸開発 に対す る基 礎資料 として文化財 の保護 に寄与す る こと」9° で あるとい う。

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他方 の 「発刊 にあたって」 で、本書は 「現在市内 に分布す る様 々な文化遺産 を紹 介 し、
市民 の学習活動や学校教育 にお いて活用 していただき、 ある いは都市開発等 に対す る
基礎資料 として も活用 して い ただ ければ幸 いに存 じます 」°°とい う。 したが って、
『那覇市歴史地 図』 は、 文化財保護行政 にとって重 要な資料 である同時 に、 学校教育
や生涯学習、都市開発 の基礎資料 として も位置 づ け られたのである。
以 上のよ うに、金石 文 の調査事業 の主な 目的は、貴重な文化財 である金石文 の散逸
や亡失 を防 ぐための保 存状況を把握す ることにあった。かかる調査 は、先述 のよ うに、
本土資本 の流入 に伴 う都市開発 によって、 沖縄 の文化財が散逸 ・亡失 の危機 にさ らさ
れているとの現状認識 に基づ くものであったのである。
先述 したよ うに、那 覇市教育委員会文化財課 は、文化財 保護 の観点か ら、 1985年
か ら1998年 まで金石文拓 本作成事業 を実施 した。 この事業 に関 して、 古塚達朗 によ
れば、「拓本 は、そ の ものが歴 史資料 として貴 重な文 化財 で ある。 これ らを作成、収
集す ることは、 極 めて重 要な意義 を含 んで いる」9° と指摘 し、 また 「金石文 は、拓 本
に して も貴重な文化財 た る価値」 があ り、「本県 の歴史 ・ 文化 を解明す るために必 要
不可欠な存在 である。 将来 に向け、地道 に収集 ・保存」す ることの必 要性 を訴 えて い
る1271。 っ ま り、 貴重 な文 化財 で ある金石文 を拓本 として残す ことの重 要性が指摘 さ
れている。 本事業 の成果 で ある拓本資料は、 那覇市教育委員会文化財課か ら那覇市歴
史博物館 に移管 された拓本資料 である。
1987年 には、 前掲 『名護市史叢書・4 名護市碑文記』力千J行 され た。刊行 の 目的
につ いて は、「名護市 内 の各地 に建 つ こうした碑 を、地域 の歴史や文化 ・人物 を記す
証人 として、 またそれぞれの時代 の芸術作品 として見 つ め直 してみよう一 というのが、
拓本 を採 り、そ の碑 (文 )の 背景や建立 の動機 。経緯 を尋ね、 この冊子 をつ くる私た
ちの志であった」鬱 0と べ られている。
述 また、地 域史編纂事業 の基本方針 に基づいて、
本書が編纂 されて いる こと も注 目す べ き ことで ある。 すなわち、「刊行 にあた って」
によれば、「「市民が つ くる市民の市史」 の方針 にそ って、それぞれ の碑 に関係す る市
民 の方 々 に執筆 をお願 い した ところ、快 くお引き受 け くださ り、三 十五 名 の方が五 十
七基 の碑 について 素晴 らしい原稿 を書 いて くだ さいま した」④ と記 されている。 この
よ うに、本書 の編纂は、地域住 民 の参画 によるもので あった。 と同時 に、 読者 で ある
地域住民に とって親 しみ やす い よ うに編纂 された ことも特筆す べ き ことで ある。第 1
こ「写真 では表 わ し難 い 「書」 としての碑文 の持 ち味 を拓 本 で 味わえ るよ うに した」

ので あ り、 第 2に 「現在 の碑 の様子だけでな く、 関係す る懐か しい写真や資料 を多用
して 時間 の空 白を生 き生 き と埋 めよ うとし」、 第 3に は 「市民読者が本書 を通 して碑
文 について知 るにとどま らず、そ の碑 の場所 に足 を運び、 風景 のなかでふるさとの歴
史や文化 。人物 と出会 う、 つ ま り歴 史 を散歩 できるよ うに、 本書全体 の構成 を地 域 の
まとま りで組み、 各碑 には案内図を添えた。家族 ・友人連れだって、ぜ ひ碑 の風景 を
歩 いていただければ と願 う」 という。 この3点 の編纂方針 は、 まさに地 域史編纂事業
の基本方針 に基づ いて い た とい うべ きで あろう。 この3点 の方針 に加 えて、「「碑文」
の正確 な資料は案外 と少 な く、 本書 では厳密 を期 して 直接碑文 および拓本 にあたって
原稿 を作成 した」 とい う。 この よ うに、碑文 に歴 史資料 としての価値が見出され てい

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る。 したがって、『名護碑文記』 は地域史編纂事 業 の一環 として刊行 され、かつ また、
名護市内 の石碑 は地域 資料 として位置 づ け られていた ことが判 る。
以 上のよ うに、「祖国復帰」 による開発 と、それ に伴 う経済的 。社会的な変化 によっ
て、 沖縄 の文化が変容 した。かかる状況 にお いて、文 化財保護 に関す る調査が実施 さ
れ、その事業 の成果 として 『金石文』や 『那覇市歴史地図』力∀J行 された。 このよ う
に、 1980年 代 の経済 的 ・ 社会的事情 と、金石 文 に関す る調査 は密接 に関係 して いた
ので ある。
また、 1980年 代以降、沖縄県 内 にお ける 自治体史編纂事業 は活発 となった。 そ の
目的は、地域 の歴史 。文化 を記録す ると同時 に、地 域住民が地域 の歴史 ・文化 と向き
合 い、そ の特質 を再認 識す る ことにあった。かか る事業 の一 環 として 『名護碑文記』
が編纂 されたのである。 なお、 自治体史編纂事業 ではないが、『那覇市歴史地 図』 も
また、地域住民 の生涯 学習や学校教育 の参考資料 として位置 づ け られていたのである。
ところで、 1980年 代後 半 に金 石文 に関す る調査が深化す るにつれて、 石碑 に関す
る分析対象 も、金石文 に刻 まれた文字 にとどま らず、石 碑 に刻 まれた文様 にまで拡大
した。 かか る研究 としては、 比嘉実 G° や安里進 GDの 論考が あげ られ る。 以下 、 比嘉
実 と安里進 の研究動機 についてみてみよ う。 なお、 両者 の見解 について (3)で 確認
す る ことにす る。
比嘉実は石碑な どの文様 に着 目 した理 由について、次のよ うに論 じている。
沖縄 において、現在、中国、韓国、東南アジア諸国 との交易が官民とわず 高まっ
てきている。そ のよ うな機運 を反映 してであろう。 沖縄研究 において も東南 アジ
ア諸国、 中国、朝鮮、 日本 との交流が活発 であった古琉球時代 へ の学問的関心が
急速 にひろが りつつ あるよ うだ。
それは、 しか し、 単 に昨今 の国際交流 とい う時流 の反映 としてのみあるので は
おそ らくない。 薩摩 の琉球入 り以後、琉球処分 と続 く沖縄 の近世、近現代 の狭小
な、 ある意味では 暗 くイ メー ジされ る歴 史 の彼方 に、 琉球文化 の原質 として古琉
球、原琉球 を想定 し、 東 アジア全域 にひろげ て琉球 を認識 しよ うとす る動向をよ
り強 く反映 している。 言葉 をかえて いえば、それは、薩摩 の琉球入 りや 琉球処分

によって 日本 の幕藩体制や近代国家 のわ くくみの中で辺 境 として位置 づ け られた

琉球 を、 国際交流 の接点 として、 国家 のわ くくみ を流動化、相対化す るもの とし
て握 え直す ことに ほかな らない。 従がって、そ こには歴 史 の反動 として ともすれ
ば事実 以 上の誇大な歴史像が観念的 に造 りあげ られ ることが しば しば 出て くるの
ではないか と懸念 され る。 (中 略― 引用者)
限 られた史料か ら古琉球 、 原琉球 を考 えなければな らな い研究状況が将来 一変
す るとは考 え られず、 常 に前記 のよ うな批判が、 古琉球、原琉球研究 にはつきま
とうであろう。 古琉球研究 にとって新史料 の発掘 は言 うにおよばず、 数少な い史
料 をいかに多 くの視点か ら見 るかが課題 となろう。
長 々 と引用 したが、 比嘉 によれば、現在 の国際交流 という社会的背景だけでな く、
「琉球文化 の原質 として古琉球、原琉球 を想定 して、 東 アジア全域 にひろげ て 琉球 を

認識 しよ うとす る」° とい った課題意識が共有 され るよ うになった。 こうした意 識 に

-18-
よって、 国家 の枠組み を流動化 。相対化す ることがで きると論 じて いるので ある。 ま
た、古琉球研究 には、 数少 な い史料 を多角的 な視点で検討す る ことの必要性 も併 せて
指摘 されて いる。
こうした前提 によって、比 嘉は古琉球時代 の文様 に着 目 した。「従来、 あま り取 り
あげ られて いな いが、文様 も古琉球 を写す この うえな い、数少な い史料 の一つ」 であ
り、「古琉球時代、琉球独 自の文様 として形 成 された 日輪双鳳雲文 を中心 に、 鳳凰文
様 の琉球 へ の伝播経路、 日輪双鳳雲文成立 の文化史的、思想史的背景 を考察」す る こ
とで、「古琉球 の一相貌が鮮やか に浮か びあがつて 見 えて くるはずである」 と論 じて
いるC° 。 これ こそが、比嘉 の研究動機 であった。 なお、 1995年 に安里 は 日輪双鳳雲
文が琉球独 自の文様 で はなか った ことを明 らか に して いる 。 しか し、 1995年 以前

に、 比嘉は 「日輪双鳳雲文」 を 「琉球独 自の文様」 とし、かかる見解 を安里進 も継承


していた ことを念頭 に置 いて、研究史 ・ 学説史 をま とめる必 要が ある。
前掲 「琉球王国石碑文様 の変遷」 もまた、石碑 の文様 に着 目した論考 である。 安里
は、 この論考 の大前提 について 「琉球 の石碑 には、 文字 の他 に碑首文様が刻 まれた も
のが多 く、 この文様 も刻書 内容 とともに重 要 な史料価値 をもって いる。む しろ刻書 さ
れた文言 には表現 されない情報が、文様 の形 をとって刻 まれて いると言 うべ きであろ
う」偲°と論 じている。 また、「文様 に込め られた情報か ら歴 史 を読 み とる試み として、
王府 ・ 王家 に関わ る事業 内容 を刻 書 した石 碑 をと りあげ る」 とともに、「石碑 の文様
変遷 を、 同 じく王府 が製作 した漆器 の文様な どか ら吟味す る作業 を通 して、 文様 に反
映 された古琉球か ら近世 にかけての琉球王国 の思想的変遷 を探 る手がか りを得 よ うと
・ °。 このよ うに、 安里
い うもので ある」 として、 この論考 で の課題 を設定 して い る
は、王府 ・ 王家が建立 した石碑や漆器 な どを対象 として、文様 の変化 に基 づ く琉球王
国 の思想的変遷 について考察 したのである。
比嘉 。安里 の論考か らも判 るように、王府 ・ 王家が建立 した石碑 の文様 も琉球王国
時代 の文化史的・思想史的な変遷 について考察す る際 に必要不可欠 な資料情報 となる。
そ して、 比嘉 。安里 の論考が起爆剤 となって、金 石文 に関す る分析視角 もまた多様化
したのである。
2000年 になると、「琉球 王国のグスク及 び 関連遺産群」が世界遺産 に登録 された。
これ に伴 つて、 琉球王国時代 に建立 された ものの、そ の後喪失 して しまった石 碑 の復
元 を目的 として、 那覇市 は石碑 の調査 を実施 した。そ の報告書は、那覇市市民文化部
歴史資料室監修 ・株式会社国建地域計画部編 『那覇市世界遺産周辺整備事業 石碑復
元調査報告書』 (那 覇市、 2004年 。以下 『石碑復元調査報告書』 と略す。)と して刊
行 された。 この調査 の 目的 について確認 しよう。『石碑復元調査報告書』 によれば、
平成 12年 に 「琉球王国 の グス ク及び関連遺産群」 が世界遺産 に登 録 され、 沖
縄本島 に分布す るグスクを中心 とした歴 史文化資源が沖縄県内外 に評価 され る機
会 とな った。登録 された 9つ の遺産 はグス ク・御嶽 。庭 園・ 墓 とい ったそれぞれ
性質 の異 なる文化財 だが、優れた石造技術 によって築造 された ものである。琉 球
の石造技術は世界遺産 に代表 される建造物だけでな く、石畳道や石橋、石碑 といつ
た形 で も残 されてお り、 日本本土 ではあま り例 を見な い石造文化 を今 日に伝 えて

-19-
いる。特 に石碑 は、 琉球王国時代 には、 中国 の使節・ 冊封使 によって揮嘉 された
書 を元 に首里城や識名園にお いて記念碑が建立 された他、首里王府が行 った土 木
事業等 の記念碑が各地 に建 て られた。 各地 に建 立 された石碑類は、そ の時代 の政
治や社会 の情報 を刻んだ重要な歴史資料である。 しか し、 これ らの石碑や建造物、
そ の建立地 の景観な どは、 先 の沖縄戦 で数多 く失われたため に、 往時 を偲ぶ こと
ができな い状況である。
本調査 では、 那覇市内 の世界遺産周辺地域 にお ける王国時代 の雰 囲気 を取 り戻
す と共 に、 沖縄特有 の石造文化 を内外 にアピール す るため、 那覇市 内 にかつて建
立 されていた石碑 に関す る基 礎的な調査 を行 い、建立 された場所 での石碑 の復元
に関 し、そ の可能性 を検討す る。
長 々 と引用 したが、「琉球王国 のグス ク及び関連遺産 群」 が世界遺産 に登 録 され、
沖縄 の石造文化が評価 され るよ うになった。 この石造文化 のなかには、石碑 の建立 も
あげ ることができるとい う。かかる石碑 の復元 によって、 世界遺産周辺地域 にお ける
琉球王国時代 の雰 囲気 も 「復元」 されると同時 に、 沖縄特有 の石造文化 も県 内外 に伝
承 される契機 になる とい う。かか る 目的意識 によって、 石碑復元 の可能性 を検討す る
ための調査 を実施 して、そ の基礎資料 を編集 した とい う。 この よ うに、 2000年 代 に、
これ までの調査 の 目的 とは異 な り、石碑 を復元す る可能性 に関す る調査が実施 された
ことは、金石文 に関す る研究 において も、極 めて画期的な出来事であった と評価 でき
よ う。

以 上にお いて先行研究 と、その時代的背景 を確認 しつつ、 金石文 に関す る研究史 を


整理 してきた。「祖国復 帰」 に伴 う開発な どによって、 歴史資料である と同時 に沖縄
文化 の象徴 で もある金石 文が散逸 ・亡失 の危機 にさ らされていた。 こうした状況 のな
かで、 1980年 代 に、 沖縄県教育庁文化課や那覇市教育委 員会文化財課 は、金石 文 を
含む文化財 の保存状況な どを調査 して、その保存措置 を講 じるための基礎資料 を編集
したのである。そ の基礎資料が、『金石文』や 『那覇市歴史地 図』 である。 また、地
域 の文化が喪失 されつつあったため、それ を記録す るという 目的 もあって、 自治体史
編纂事業が盛んに実施 され た。そ の事業 の一環 として、 石碑 を通 じて地域住民 に地 域
の歴史 。文化 の特質 を再認識 させ るために刊行 されたのが『名護市碑文記』 である。
このよ うに文化財調査事業 も、 自治体史編纂事業 も、 ともに沖縄文化が失われて い く
ことに対す る危 機感 によって、 実施 され た のだ といえる。 しか し、 こ うした刊行物 で
は、石 碑 の文様 はあま り顧み られて こなかった。 1990年 前後 には、 比嘉実 。安里進
によって、 石碑 の文様 に着 日 した研究 もな され るよ うになった。 さ らに、 2000年 に
なる と、「琉球王国 のグス ク及び 関連遺跡群」 が世界遺産 に登録 された ことに伴 い、
『金石文』 な どの手法 を継承 しつつ も、石碑 にまつわ る周辺資料な どもあわせて 収集
した うえで、石碑復元 の可能性 を検討す るための調査 も実施 され た ので ある。そ の成
果は 『石碑復元調査報告 書』 として刊行 され た。
また、金石 文 ・拓本資料は、歴史資料 ・文化財資料 ・ 美術資料・復元 のため の資料
として利活用 され るよ うになった。金石文 ・拓本資料 の価値が多様化 したのは、 金石

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文 に関す る研究が深化す ると同時 に、時代 とともに沖縄社会が変化 した ことによって、
各時代 の社会的 な要請 に応 じた結果 として金 石文 ・拓本資料が活用 されたか らで もあ
ろう。そ して、 時期的な違 いがあるにして も、金石 文 に着 目す るとい う社会的要 因 に
通底す る問題意識 としては、 沖縄文化 の継承が極 めて 困難 な状 況 にあ り、 さ らには沖
縄文化が埋没 して しまうのではないか という危機感があ った こともあげ られるだろう。
こうして、金石文 に関す る調査・研究が多角的 に実施 されれその結果 として、金石文 ・
拓本が もつ資料的価値が改 めて再認識 された。 これ こそが、金石文 ・拓本 の価値が多
様化 した要 因であつた といえよ う。

(2)論 点整理
金石文 に関す る研究史整理 によって、金石文 ・拓本資料 の価値が多様化 して い くこ
とが判 った。 こうした多様性 を射 程 に入れ て、 那覇市歴史博物館所蔵 の拓本資料 を、
当館 の事業 と同時 に、 第 二 者 の利活用 に供す るためには、 どのような整理や 目録記述
が求め られ るのだろうか。 こうした課題意識 に基づ いて、各調査報告書や研究論文 に
おける議論 の論点 を析 出 して、 拓本資料 の台帳作成 。目録記述 にあたっての項 目を設
定 したい と考 える。そ の際 に、 前掲 の『金石文』・ 嘲L覇 市歴史地図』・『企画展 刻 ま
れた歴史』・『石碑復元調査報告書』や、又吉真三や比嘉実、安里進 の論考 を取 りあげ
ることにす る。

1.各 調査報告書 にお ける調査 の対象 について


調 査 。研究 における対象 の設定は、そ の 目的 と大 き く関係す る。そのため、 調 査対
象 となる金石 文は、各 々の調査 ・研究 の 目的 によって左右 され る。 また、金石 文 に関
す る調査 ・研究が深化すればす るほど、金石 文 に対す る分析視角 も多様化す る傾 向 に
ある といえる。 ここで は、 各調査 。研究が、何 を調査 の対象 としたのか とい う ことを
確認 しよう。
沖縄県教育庁文化課や那覇市教育委員会文化財課は金石文 も調査の対象 と設定 した。
1985年 刊行 の 『金石文』 によれば、 沖縄県 内 に点在す る金石 文 のな かで 「石碑、墓
碑、梵字碑、瓦証文、鐘銘等」が調査 の対象 となった。 当初、王府編纂 の碑文 を対象
とした諸本 に掲載 された金石 文 であった。その後 の追加調査 では 「私的 な い し宗教的
色彩 の濃 い墓碑や石棺 ・ 厨子甕銘 に加え、梵字碑、 ある いは瓦証文」 を調査 の対象 に
含 めたが、 石敢 当と印部石は除外 した という。つま り、 沖縄県 内 に点在す る石碑 ・墓
碑 。梵字碑 ・瓦証文 ・ 鐘銘 ・石棺 ・厨子甕銘が調査 の対象 なったのである。 調査 の対
象 とす る時期 は、主 に 「廃藩置県 (― 八七九年)以 前」 であったが、「廃藩以降 の も
ので も王国時代的性格 の濃厚 な ものは対象 の範囲 に含 め」 た というのである。 また、
1986年 刊行 の 『那覇市歴史地 図』 では、 琉球王国時代 に建立 された石 碑 ・ 墓碑 ・ 梵
字碑 ・鐘銘が調査 の対象 とされた。
他方、 自治体 内 に点在す る石碑 のみ に着 目 した調査 もある。 1987年 刊行 の 『名護
市碑文記』 によると、 琉球王国時代か ら現在 に至 るまでに建立 され、かつ 「名護市内
に現存す る約 100基 の石碑類 の うち、 85基 の石碑類 (石 碑 ・ 墓碑 ・石棺な ど)」 が調

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査 の対象 とされた。 また、 2004年 刊行 の『石碑復元調査報告書』 によれば、 嘲Ь覇市
内 に所在す る金石 文 の うち、石 に文字 を刻んだ石 碑類 (石 碑 ・墓碑 ・梵字碑 ・ 原石 )
を対象」 とした。 また調査 の対象 とする時期 を 「琉球 。沖縄 の石造文化 を形成 した琉
球王国時代か ら、 沖縄戦以前 (1945年 )ま でに建立 された」石碑類 として設定 した。
さ らには 「既 に亡 失 した石碑 について も調査」 の対象 とした。「ただ し、 明治以降 の
石碑 について は、琉球 史 。沖縄史 にとって資料的価値 の高 い と思われ るものに限定」
した という。
以 上のよ うに、金石 文 の調査 で は、琉球王国時代 に建立・ 製作 され た石碑 ・墓碑 ・
鐘銘な どの金 石文が主な調査 の対象 で あった。 しか し、「琉球処分」後 に建立 され、
また琉球王国時代 の性格が垣間見 られ る金石文や、琉球史 ・沖縄史 にとって資料的価
値 の高 い石碑 もまた調査 の対象 として設定 された。 さ らには、地 域史編纂事業 の一環
として、 琉球王国時代か ら現在 まで を対象 とした調査 もあった。 このよ うに、 調査 の
対象は、そ の 目的 によって異な っていたのである。
さて、本稿 で取 りあげ る拓本資料は、巻末 の 【
表】 が示す ように、主 に琉球王国時
代 に建立 された金石文 であ るが、調査の対象外 とされがちな印部石 の拓本資料 もある。
また土地改租記念碑な どのように、 前近代か ら近代 へ の移行期 に建立 された石碑 もあ
る。 したがって、 本稿 で扱 う拓 本資料は、基本的 に『石碑復元調査報告 書』 と同一で
ある。なお、 那覇市以外 に点在す る石碑や、それ以外 の鐘銘 ・ 瓦証文な ども含 まれて
いるので、『金石文 』・『那覇市歴史地 図』・『名護市碑文記』・『石碑復元調査 報告書』
な どを参照す る必 要 がある。

2.金 石文 の分類① ―用途別分類 ・内容別分類 を中心 に一


各調査報告書 での金石文 の分類方法 を確認 した うえで、那覇市歴史博物館所蔵 の拓
本資料整理 の分類項 目を設定す る。 以下、用途別分類 ・ 内容別分類・ 文様別分類 を確
認す る。
金石文は、『金石文』 において①石碑等 (灯 籠銘 も含む)、 ②墓碑 ・厨子甕等、③梵
字等 (梵 字入墓碑 を含 む)、 ④瓦証文等 (瓦 墓碑 を含 む)、 ⑤鰐 口・鐘銘 の5つ に分類
されている。 他方、 嘲Ь
覇市歴史地図』 での金石文 は、 ①石碑、②墓碑、③梵字碑、
④鐘銘 の4つ に分類 されている。 さ らに、石碑 の分類 について 『石碑復元調査報告書』
では、①石碑、②墓碑、③梵字碑、④原石 に分類 されている。 このよ うに、用途別分
類は、各調査報告書 によって一定 して いない。 しか し、 これ らの分類 を視野 に入れ つ
つ、整理の対象 となる拓本資料 の総体 に基 づいて、 本稿 にお ける金石文 を用途別 に分
類 してみよ う。すなわち、 ①石碑、②墓碑、③厨子甕、④石棺、⑤香炉、⑥灯籠、⑦
鉢、③石仏、⑨鐘銘、⑩鰐 回、 ①梵字碑 (仏 教関係 の碑 を含 む)、 ②石敢 当、④ 印部
石、④ 日時計、⑮刻書、④瓦証文、⑦そ の他 を用途別 分類項 目 として 設定 した 1371。
この分類 に関 しては、 次節 で述 べ る。
次 に、金石 文 の 内容 とい う観点か ら、 各調 査 報告書 にお ける分類 を確認 しよ う。
『金石文』 に掲載 されて いる金城正篤 「石碑」 での分類は、① 「個人 の事績 を刻 んだ
もの」、② 「記念的な碑文」、③ 「墓碑 の類」、④ 「子孫な どへ の訓戒 を刻 した もの」、

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⑤ 「風水 に関す るもの」、⑥ 「名所 の碑」、⑦ 「由来記 の類」、③ 「そ の他」 とい う8
分類 である。 ③ 「そ の他」 については、 さ らに 「ある行為 を禁止す る碑文 (崇 元寺 の
下馬碑 な ど)、 寄進碑 (灯 籠な ど)、 瓦証文 (八 重山)、 魔 よけ (石 敢 当・梵字碑な ど)」
に分類 して いる ・ °。 この分類 は、 若千表現が異 な る ものの、『石碑復元調査報告書』
にお ける内容別分類 と基本的 に一 致 している。 他方 、『那覇市歴史地 図』 にお いて、
金石文が作成 された 目的 に基 づ く分類 は、① 「社会的 なでき ごとや、記念す べ き事業
を完成 した とき」、② 「歴史上 の ある特定 の人物な どの功績 を顕彰す るため」、③ 「故
人 を しのんでそ の事跡な どを子孫 に知 らせ るため」、④ 「建造物 な どの縁 由 。来歴 な
どを後世 に伝 えるため」、⑤ 「仏教 による加護や除災招福な ど宗教的 なため」 とい う
5点 で ある。 さ らに、『名護市碑文記』 にお いて、石 碑 は①記念碑、② 顕彰碑 、 ③文
学碑 、④慰霊碑、⑤墓碑、⑥そ の他 に分類 されて いる
9。
・ このよ うに、 各報告書 に
よって、 内容 に基づ く分類 は異なって いるので ある。
かかる調査報告書 を射程 に入れ るとともに、 拓本資料 の総体 に基づいて、 本稿 での
分類項 目を設定 しよ う。すなわち、① 「社会的 なで き ごと」、② 「記念す べ き事業 を
完成 した とき」 (前 掲 「石碑」 の 「記念的 な碑文」 と『名護市碑文記』 の 「記念碑」
に主 に該 当。)、 ③ 「歴史上 の ある特定 の人物な どの功績 を顕彰す るため」 (前 掲 「石
碑」 の 「個人 の事績 を刻 んだ もの」 と 『名護市碑文記』 の顕彰碑 に該 当。)、 ④ 「故人
を しのんでそ の事 跡 な どを子孫 に知 らせ るため」 (前 掲 「石碑」 の 「墓碑 の類」 と
「子孫 な どへ の訓戒 を刻 した もの」 と『名護市碑文記』 の 「墓碑」 に該 当。)、 ⑤ 「建
造物 な どの縁 由 。来歴 な どを後世 に伝 えるためJ(前 掲 「石碑」 の 「名所 の碑」・「由
来記 の類」 に該 当 し、 一 部 「記念的 な碑文」 に該 当)、 ⑥ 「仏教 による加護や除災招
福 な ど宗教的 なため」 (前 掲 「石碑」 の 「風水 に関す るもの」 と、「そ の他」 における
「魔 よけ (石 敢 当 。梵字碑 な ど)」 イ
こ該 当)、 ⑦ 「ある行為 を禁止す る碑文」 (前 掲 「石
碑」 の 「そ の他」 の一部 に該 当)、 ③ 「瓦証文 (八 重 山)」 、⑨ 「寄進碑 (灯 籠な ど)」
とい う9つ の分類項 目を設定 した。 この項 目設定は、多少 の皿齢があるものの、用途
別分類 と対応 させた結果 で ある。すなわち、石碑は①②③⑤⑦ に該当 し、墓碑や厨子
甕は④ に概ね該当 し、 鐘銘は①②な どに該当す る。 また⑥ に該 当す るのは梵字碑 ・石
徹°
敢 当な どである。 さ らに、 ③ は瓦証文 、 ⑨ は灯籠 に該 当 している。 この9つ の分類
は、用途別分類 と内容別分類 を有 機的 に関連 づ けた結果である。
以 上の用途別分類 と内容別分類は、先行す る調査 。研究 の成果 と本稿 で対象 とす る
拓本資料 の総体 に基づいて設定 した。 しか し、 この分類は、 あ くまで も拓本資料 を整
理す るために、 便宜 上、 設定 した ものであ り、一つの仮説 として提示す るにとどめて
い る。そのため、今後 の金石文 の調査 ・研究 に基づいて、 分類 を設定 しなおす必 要が
あると考える。

3.金 石文 の分類② 一文様別分類 を中心 に一


先述 のよ うに、比嘉実 と安里進は、石 碑 な どに刻 まれた文様 に焦点 をあてて、琉球
王国 の思想史的な特質 と、その変遷 について論 じて い る。そのため、拓 本資料 を整理
す るうえで も、文様 に着 目す ることは重 要 な ことで あろう。 以下 では、 かかる論考で

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の見解 をまとめた うえで、拓本資料 を整理す るうえで摘記す る項 目を明確 にしたいと
考 える。
又吉真三 血)は 、碑首 (碑 頭 )の 「紋様」 に着 目 して、「第 二 尚氏王統 になって か ら
の碑文は、初期 の頃 の ものは、すべ て碑頭紋様 と碑面 の縁 に唐草紋様が施 されている」
と指摘す る。そ の碑首 の文様 には、「日輪 (太 陽)と 両脇 に鳳凰 と瑞雲が刻 まれて」
お り、 この 「紋様」 における 「日輪 (太 陽)は 国王 を象徴 している。 国王はティダ コ、
即ち太陽 の子 で最高 の位 の表現 であ り、 沖縄方言 で太陽 にはテ ィダ と呼んでいるので
もはっき りして いる」 と論 じている。 こうした文様は 「一四九七年 の 円覚禅寺碑か ら、
一五二七 年 の崇元寺下馬碑 まで」 の石碑 に描かれ て いるが、 1527年 「以後 の碑文 に
は 日輪 と雲だけ とな り、 鳳凰紋は無 くなる。 さ らに時代が下が ると 日輪 と碑面 の縁 は
線だ け とな る」 と指摘 した うえで、「十 七世紀か ら十 九世紀初頭 にか けて、 国 中 の橋
をす べ て石造 の橋 に架 け変えていったが、そ の記念碑 として碑文 も建 立 しているので
必然的 に簡略化 して い った と思われ る」 ので、「紋様 の簡略化 は、王府 の経費節約 の
ためではな いか と推定 され る」 と述 べ ている。
金城正篤は、碑 首 に描か れた 円を 日輪 として捉 える ことにいささか懐疑的である。
塚 田康信『西安碑林 の研究』 に依拠 して、 中国 の石碑 では 円の部分が表裏貫通 してお
り、 この 円が孔 の名残 である。 石碑が中国か ら琉球 に伝来 した ことを考 えると、琉球
王国時代 の碑首 に刻 まれた円の部分は 「はた して 日輪か、はたまた中国 の例 でい う実
用 の名残 りをとどめた ものであるか、一考 の価値はある と思 う」 と慎重 に論 じている。
比嘉は、東 アジアにおける古琉球 の特質 を考察す る一環 として、 日輪双鳳雲文 に焦
点 をあてて、鳳凰 文様が琉球 に伝播す る経路、 日輪双鳳雲文が成立 した文化史的・ 思
想史 的背景、 日輪双鳳雲文 が地 方 に波及 した意義 につ いて考察 した 1421。 比嘉 によれ
ば、 鳳凰文様 は中国か ら琉球 に直接伝わった とし、 また 日輪双鳳雲文 という琉球独 自
の文様 になった という。そ して 日輪双鳳雲文 の文様は、 尚真王時代以降 に 「日輪文 に
王家 を象徴す るネイテ ィブな王権擁護 の思想 を、又、 鳳凰文や雲文 に英明 な君主 の 出
現 を象徴す る 中国思想 によって 国王を讃仰す る観念」e。 を意味 してお り、石碑や石棺、
漆器、絵画、染織な どに用 い られた と論 じている。 さ らに、地域社会 にお けるノ ロの
扇子 に 日輪双鳳雲文が描 かれて い る ことか ら、 琉球王 国内 の地方 へ の波及 につ いて
「統治組織 としての神女 の編成 と琉球王国 の統治者 としての 尚王朝 を讃仰す る 「日輪
鳳凰雲文」 の神扇 を地方地方 の神女 に下賜す る ことによって、王府は古琉球 の政治的
体制 を補完す る宗教的体 制 を敷 設 し、 祭政政一 致 の 国家体制 を確立 した」“0と の見解
を示 した。 したがって、 比嘉は、 日輪双鳳雲文 という琉球独 自の文様 に着 日して、 古
琉球時代 にお ける文化的 ・社会的特質 について考察 した。
ちなみに、比嘉は 「日輪鳳凰雲文」 を琉球王国独 自の文様 として捉 えている。 この
比嘉 の見解 は、 1991年 の時点 では安里進 の論考 に継承 されて いる。 しか し、 1995年
に安里進は 「日輪双鳳雲文」が琉球独 自の文様 ではなかった と指摘 している他9。
安里進は、比嘉 の論考 よ りも分析 の対象 とす る時期 を拡大 して、石碑や漆器 に描か
れた文様 自体 とその変遷 に焦点 をあて、琉球王国の思想 史的変遷 の一端 について考察
した。 また、 後述 のよ うに、石 碑 の形態や碑面 における刻線 による区画、縁飾 の文様

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にも着 目す る。 ここで は、碑首 に描かれた文様 に関す る変遷 について安里 の見解 を確
認す る こととし、それ 以外は、後 で確認 したい と考 える。
碑首 の文様は 「基本的 に、 瑞雲文 を背景 にした 日輪文、宝珠文、双鳳文な どの文様
要素 で構成 されている」 とし、「各文様 の組み合わ せ によって、 日輪雲文A、 日輪雲
文 B、
日輪双鳳雲文、双鳳雲文、 日輪文、 日輪双龍雲文、宝珠双龍雲文な どに分類 で
きる」 とい う位°。 これ を時 系列的 にす る と、 15世 紀か ら16世 紀 には 日輪雲文 A。 日
輪双鳳雲文 。双鳳雲文 が描かれ、 17世 紀か ら19世 紀 にか けて 日輪雲文 Bと 日輪文が
描かれた。 18世 紀後 半か ら19世 紀 までの間には、 日輪双龍雲文 と宝 珠双龍雲文 が描
かれた という。 このよ うに、碑首 の文様は、石碑が建立 された時期 によって 異 な ると
い う。
かかる文様 の変化 の要 因は、琉球王国を とりま く伝統的な東 アジアの国際秩序 との
関係 のな かで、 以下 のよ うに論 じられて いる律の。す なわち、 日輪双鳳雲文 は、 古琉
球期 には代表的な文様 として 定着 したが、 1609年 の 島津 による琉球侵攻後 に解体 さ
れた。その時 の国王 で あった尚寧王は、死 去後 に浦添 の極楽陵 に葬 られたが、そ こに
建 立 された 「極楽 山之 碑文」 には、「か つて 王府 ・ 王 家 の石碑 を美 しく誇 らしく飾 っ
た 日輪双鳳雲文 も唐草文 もな く、全 くの無文様 となっている」 と指摘す る。それ 以後
に建立 された石碑 にお いて も、「日輪双鳳雲文は双鳳文 を失 って 日輪瑞雲文 とな り、
ある いは瑞 雲文 さえも消失 して単な る 日輪文 となって退化 して」 いった という。 他方、
「これ らの退化 した文様 は、王府 ・王家 の石碑 に限定 され る ことな く、 一 六二 七 年 の
「上 間家墓碑」 以後 一 般 の石碑 ・ 墓碑な どにも広 く使用 され るよ うにな り、古 琉球 の
王府 ・王家 の石碑 を飾 る文様 としての格式は失われ る」 と指摘 している。 このよ うに、
島津侵攻 によって、王府 ・王家が建立 した石碑 の碑首文様が変化 した と論 じている。
その後、「一七世紀 の混乱期 をへ て、 尚敬王代 の一八世紀初葉 に 日輪双鳳雲文 に代わっ
て王府 ・王家 を象徴す る文様 として登場 したのが、宝 珠双龍雲文 で あった」 と指摘す
る。 これが受容 され る背景 として、 中国 において 明朝か ら清朝 へ と王朝が交代 したが、
清朝 と琉球王国 との信頼関係が深 まるにつれて、 清朝は、琉球王国が宝珠双龍雲文 を
使用す ることを認 めた結果、宝珠双龍雲文が 「尚貞王時代か ら尚敬王時 代 にお いて 王
府 。王家 を象徴す る文様 として 出現・成立 した」 と指摘す る。そ して、宝 珠双龍雲文
の登場は 「王家 を 日輪 の末裔 として位置 づ ける古琉球的思想 の解体 を決定 づ ける とと
もに、 清朝 の冊封体制 との関わ りとい う国際関係 の 中で王府 ・ 王家 を価値 づ けよ うと
す る新たな王国思想 の成立 を読 み とることができるので はな いだろうか」 と結論 づ け
た。
このよ うに、石碑 な どに刻 まれた文様 は、琉 球 王国の思想史的背景や伝統的な東 ア
ジアの国際秩序 における琉球王国 の位置 をみるうえで、重要 な情報 になるという。 こ
うした安里 の見解 を射程 に入れ ると、拓本資料 の整理 において も、石碑 に刻 まれた文
様 を重要な資料情報 の一つ と位置 づ けて、 目録 を記述 していく必要があ るといえよ う。

4.金 石文 の特徴 と拓本資料 の整理 につい


以 上において、 拓本資料 を整理す るうえで、金石文 の調査 。研究 を整理 しつつ、重

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要 となる論点 を析出 してきた。 ここで は、先行研究 に依拠 して、金石文 の主な特徴 に
ついて概観 しなが ら、 拓本資料 の台帳作成 ・ 目録記述 において必 要 な項 目を明確 にし
た いと考 える。
金石文 には、 石碑や梵鐘な どが ある。琉球 。沖縄最古 の石碑 は、 1427年 に建立 さ
れた 「安 国山樹華木之記碑」 で あ り、 最古 の梵鐘 は 1456年 に製造 された天尊殿鐘 で
ある。第一 尚氏 の時代 には、 多 くの梵鐘が製造 されたが、 石碑 は 「安国山樹華木之記
碑」 が建立 されただ け で ある“°。 しか し、 第 二 尚氏 の時代 になる と、石 碑 が 数多 く
建立 され るよ うになった。その建立場所 のほとん どは、 首里 ・那覇 一帯 であった。建
立 者 は王府 ・ 王家であったが、それ 以外 の個人が建立 した石 碑 もある。
石碑 は、 碑 身 と台座 で構成 され る。 碑 身 の主 な石 材 としては、 輝縁岩や微粒砂岩
(ニ ー ビヌフニ)が 用 い られた。 輝縁岩は中国産 の石 であるが、 細粒砂岩は小禄 ・ 豊
見城 ・ 北中城村な どで 多 く産 出 した石材 である。輝縁岩は、主 に 「安国山樹華木之記
碑」 か ら 「たまお どんのひの もん (玉 陵碑)」 まで の 間 に建立 された石碑 に使用 され
た石材である°9。 細粒砂岩が石碑 の素材 として初 めて用 い られたのは 1522年 建立 の
「国王頌徳碑」 や 「真珠湊碑」 の石碑 である。 以後、石碑 の素材は主 に細粒砂岩 とな
る。その他 の石材 としては、 凝灰岩、琉球石灰岩 もあった。 他方、台座 の石材は輝縁
岩や琉球石灰岩 である。輝縁岩 を用 いた台座は 「安国山樹華木之記碑」 だけであ り、
1501年 の 「た まお どんのひの もん」以後 に建 立 された石碑 の台座 には、 琉球石灰岩
が石材 として使 われていた という6° 。
次 に石 碑 の形態 につ いて確認 しよ う。 安里進 6Dは 、 碑 身 を円首形態 。方首形態 。
尖首形態 。自然形態 とい う4つ の形態 に分類す る。 円首形態は、王府 ・ 王家が建立 し
た石碑 に限定 されている。 この形態は 「次第 に 円首 の 円みを失 い、十九世紀 には方首
形態 に近 いものが増えて くる」 と指摘す る。 また、 方首形態 には 「装飾文様 もな くま
た数 も少な く、 円首形態 の下位 ランクに位置 づ け られて いるよ うで ある」 と論 じてい
る。 さ らに、 尖首形態 は 「碑首 を尖頭 に加 工 ・ 整形 した もの」 であ り、「梵字碑 な ど
に多 く、宗教的意 味 をもっている」 と述 べ ている。 自然形態は 「石材 の 自然 の外形 を
未加 工のまま、 ある いは加工 して も円首形態や方首形態 のよ うにきちん とした 円弧形
や方形 に整 形 しない」 ものを指 している。 この 自然形態 は 「一 般士 族 の墓碑 に多 い」
とい う。 こうした石碑 の形態は拓本資料 の 目録 にも摘記す る必 要 があろう。 他方、台
座 の形態は、 1497年 建立 の万歳嶺記 ・官松嶺記か ら 「琉球処分」 まで一 定 して いる
との指摘が ある6か 。 また、 碑 身 と台座 は 「鉄 クサ ビ六 本 で縛付 けて、 充填材 に漆喰
を詰 めてある」6働 とい う。
碑面 には、 線が刻 まれて区画 されている。 この 区画 のされ方 に着 目 した安里進は、
次 の5形 式 に分類 して いる6° 。 安里 によれば、 A形 式は 「縁飾帯が 上下左右 の全周 に
設定 されて」 お り、「琉球石碑 の基本形式で、 一 六世紀 か ら一 九世紀 まで存在す る」
という。 B形 式は 「縁飾帯が碑 身全周 にめ ぐらされず に、上下な い しは左右 に設定 さ
れて いる」 ものである。 この形式は 17世 紀か ら登 場 し、「区画 の簡略化が始 まって い
る」 という。 C形 式は、「碑首 と碑 身が刻線 で 区画 され、 施文部 としての碑首 は明確
である」 が、「碑 身 には縁飾帯が設定 されていない」 ので あ り、 この形式は 「簡略化

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が さ らに進行 した形式 で、一七世紀か ら登場す るJと 指摘 されて いる。 D形 式は 「石
碑輪郭 を刻線で縁 どった もので、 碑身縁飾帯は もちろん碑首 の施文部 も設定 されてい
な い」 ものであ り、「この形式 では一つの例外 (「 尚豊王律l代 」)を 除 いて碑首 に文様
が 描 かれ る ことはほ とん どない」 という。①形 式は、「施文部 区画 の刻線がな い」 も
ので あるため、「このよ うな形式 の石碑はす べ て無文様Jで あるとい う。 このよ うに、
安里は碑面 の刻線 に着 目 して、その変遷 について考察 した。 したがって、 碑面 の刻線
にも、 時代的特徴がみ られ るため、拓本資料 において も判別可能 な限 り摘記す る必 要
があるだろう。
石碑 には、 文字 と文様が刻 まれている。 刻 まれた文字 としては、漢字や平仮名 (草
書体 ・ 変体仮名)、 片仮 名が用 い られてお り、 文体 も漢文 ・和文 ・ 琉球文 で ある。石

碑 に刻 まれた文体 に着 目 して、その変遷を確認 しよう 。漢文体 による表記 は、 1427
年建立 の 「安国山樹華木之記碑」 を初め、初期 に建立 され た石碑はすべ て漢文体 で あっ
た。琉球最古 とされ る、かな文字銘は、 1494年 の 「お ろ く大や くもい石棺銘」6° であ
る。 かな文字 による琉球文が最初 に刻 まれた石 碑 は、 1501年 建立 の 「た まお どんの
ひの もん (玉 陵碑 )」 で ある。 1624年 建立 の 「本覚 山碑文」 は、かな文字 によって琉
球文が刻 まれた最後 の石碑 である。 このよ うに、石 碑 に刻 まれた文字 ・文体 は多様 で
ある。 また、 表面 と裏面 の文字 を漢文体で刻んだ石 碑があ る。その一方 において、た
とえ一 つの石碑 であった として も、表面 と裏面 で異 なる文体 の石碑 もある。 また、 表
面は漠文体 で記すが、裏面 には和文体 で示 して表面 の漢文体 と同内容 の ことを記 した
石碑 もある。 さ らに、 表面 にはかな文字琉球文 で記 し、 裏 には漢文体 で書 き記 した石
碑 もある。 他方、 工事完 了 に関す る石碑 の表 には、そ の経過 について記 し、 裏 に工事
にかかった人数や費用な どを記 した石碑 もある。 琉球王国時代 に建立 の石碑 に刻 まれ
た年号は中国年号である。 また、碑文 の選者や書 を書 いた者、刻石者な どが 明記 され
ている石碑 もあるが、それが刻 まれて いな い石碑 もある。 このよ うに、石碑 に刻 まれ
た文字 。文体 は、拓本資料 を整理す るうえで も着 目す べ き項 目である。
碑首 の文様 に関す る安里 の見解は前述 したので、 ここで は、碑 面 の文様 に関 して、
安里 の議論 を確認 しよ う。安里は、縁飾部 の文様そ の もの と、その変遷 について 明 ら
か にした。すなわち、 碑 身縁飾 の文様 としては、 唐草文 ・ 菊唐草文 ・三 巴瑞雲文 。宝
珠双龍雲文がある。 これ を時 系列的 に並 べ ると、 14世 紀後半か ら17世 紀前半 までは、
唐草文が刻 まれたが、 16世 紀か ら19世 紀後 半 にか けて 菊唐草文 と唐草文が刻 まれ、
さ らに17世 紀前半 には三 巴瑞雲文 ・宝珠双龍雲文が刻 まれ るよ うになった という(5の 。
このよ うに、碑身縁飾文様 も時代 によって異 なって いた ことが、安里 の論考 で論 じら
れて いる。
以 上の安里 の論考か ら、石碑 に刻 まれた文様 もまた、重 要 な資料情報 である ことが
判 る。 したがって、 拓本資料 を整理す るうえで も、 文様 を資料情報 として摘記す る必
要があろう。
梵鐘は、寺院 にかけ られ るものである。 島尻勝太郎 「鐘銘 と鰐 口」6め によれば、 琉
球 。沖縄 の寺院 で初 めて梵鐘が掛 け られたのは、 尚泰久王 (1454∼ 1460年 )の 時代
で あった という。 この時期 に芥隠和尚が沖縄 に来 て、 尚泰久王 の帰依 をえた ことか ら、

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多 くの寺院が建立 され、 これに伴 い、梵鐘 も鋳造 された と指摘 されている。鐘銘 には、
作者 と彫刻者が刻 まれて いる。鐘銘 の撰文は主 に梵鐘が架 け られた寺院 の僧侶 で あっ
た。梵鐘は主 に山口や京都 で鋳造 されていた という。 また鰐 口を 「神社 の拝殿 に懸 け
て、 拝礼 の際 に これ をな らす もの」6働 であるとい う。 このよ うに、梵鐘 と鰐 回は、 琉
球 ・沖縄 にお ける神社 ・ 寺院 について知 るうえで重 要 な歴 史資料 である。
瓦証文 について前掲 「八重山 の瓦証文」 を確認 しよ う。 瓦証文 は 「一 九世紀か ら二
〇世紀初頭 にかけて遺 された 田畑屋敷等 の売買譲渡 によって取 りかわ された証文写」
であ り、 これは 「二 部作成 され、 売主 と買主 で一部 づつ分ち持 っていた」 という。 瓦
証文 の材質は 「赤 い素焼 の平板状」 であ り、 法量は概ね縦 20,0∼ 24.5cm、 横 13.0∼
厚 2.0∼ 2.9cmで ある と指摘 されて いる。 さ らに、 瓦証文 を作成 された理 由
17,7cm、
について、 先島諸島が 「高温多湿 で、紙 による証文 の保存 に不安があ り、又、盗難、
天災地変 によって証拠書類 の無 くなることが危 惧 されたので、 瓦証文 にして墓の 中 に
保管 し、子 々孫 々に伝 えて い く英知が生まれた」 と論 じられている。

このよ うに、金石 文 ・ 拓本資料 を、 どのよ うな視角 で調査 ・研究 をす るのか とい う


ことは、調査 ・研究 における 目的 と視角 に基づいた対象 の設定 によるところが大 き い。
そ のため、先行す る調査 ・研究 にお ける枠組みそ の ものが批判 の対象 となる こともあ
る。 これは学術研究 の最 も基本的なスタンスであろう。 しか しなが ら、本稿 の 目的は、
先行す る調 査 ・研究 を批判す る ことでは、 決 してない。 先行す る金石 文 の調査 ・研究
で得 られた知見 に基 づいて、拓 本資料 を整理す ることにある。 換言すれば、先行す る
調査 ・研究 の成果 を受 け止めつつ、金石文 に関す る重 要 な資料情報 を見 出 した うえで、
これ らの情報 を拓本資料 の整理、すなわち台帳や 目録 の作成 に反映 させ る必 要があ る
と考 えたか らである。かか る方法 に基づいた拓本資料 の整理 については、 次節で論 じ
ることにす る。

第二 節 那覇市歴史博物館所蔵 の拓本資料整理 について

那覇市教育委員会文化財課か ら那覇市歴史博物館 に移管 された拓本資料は 390点 で


ある。 那覇市教育委員会文化財課は、 1985年 か ら1993年 まで 「那覇市 に縁 の ある石
碑や梵鐘な どに刻 まれた文、 いわゆる金石 文 を拓本 にす る」 という金 石文拓本作成事
業 を実施 した。 対象 となった地域は沖縄県 内 の各地 にとどま らず、 鹿児島県や琉球王
国時代 に 「江戸立」 のル ー トで あった地域 もまた、 対象地域 に含 まれた。そ して拓本
資料 は金石文の現 況 を示す 文化財資料 で もある。 こうした調査 によって生成 された拓
本資料は、 2009年 12月 25日 に那覇市歴史博物館 に移管 されたのである。
ところで、 筆者は2011年 4月 に那覇市歴史博物館 の古文書解読員 となった。 当館赴
任後初めての仕事が拓本資料 の整理 で あった。
同年4月 か ら7月 にか け て、 この拓本資料 を、仮整理 。本整理 ・ 内容別整理 とい う
三 段階 にしたがって整理 した。 仮整理 の段階では、 基本的に拓本資料か ら読 み取れ る
情報 を当館仕様 の 「収蔵 品台帳」 に摘記 した。すなわち、 拓本資料 の写真 を撮影 した

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うえで、 仮番号 。名称 ・ 形態 。建立年・ 採択年 。法量 ・ 破損状況 ・材質 ・移管元 ・備
考 ・収納場所 を摘記 した。ただ し、採択年 については、 拓本資料 を収納 した木 箱 な い
しは紙箱 な どに黒鉛筆書 きで示 されたもののみ を摘記 した。 このよ うに、那覇市教育
委員会か ら移管 された時点 にお ける現状 を記録す る ことが主な 目的 であった。
本整理 の段階 では、 実際 の拓本資料 と、 従来 の調査報告 書 な どと照合 して、金石 文
の名称 を確定す るとともに、所在地や建立年な どを摘記 した。 また、金石文 の拓本は、
複数 の拓本資料 で 1つ の金石文 を構成 しているため、後述 のよ うに、 1点 1点 の拓本資
料 を相互 に関連付 けて、一つの石碑な どを構成す る複数 の拓本資料 をまとめて 1件 と
して設定 し、 本番号 を付 したのである。 さ らに、 那覇市教育委員会文化財課 は、 沖縄
県 内 に点在す る金石文 と、県外 に点在す る琉球関係 の金石文 を拓本 にした。 これ らの
金石文 には、地 域的 な特質が垣間見 られ るため、 本整理 において、 沖縄県 内 と沖縄県
外 とに区分 し、 さらに県外 のなかで も、 鹿児島県 とそれ以外 の県 とで分 ける ことにし
た。なお、本整理 にお いて も、原 秩序 を改変す る ことな く、そのままの状態 を維持 し
ている。
内容別整理 では、 今後拓本資料 を利活用す るにあたって、重 要 な資料情報 を摘記 し
た。 とい うの も、 前節 で検討 したよ うに、金石文 に関す る調査 ・研究は、 1980年 代
か ら90年 代 にか けて、 体 系的 になされてお り、 かか る成果 を拓本資料 の整理 に も反
映 させ る必 要があ ると考 えたか らである。 この内容別整理 では、主 に種別 ・形態 ・文
様 ・ 分類 な どを検討 して、 巻末 の 【
表】 に書 き加 えたのである。
以 上が、 仮整理 ・本整理 ・内容別整理 の概要 である。 次 に、 拓本資料 の名称、建立
年、種別 ・形態 。文様、仮番号 と本番号 の関係 な どを軸 として、整理 の方法 について
述 べ る。
拓本資料 の名称 であるが、基本的には金石文 に刻 まれた名称 を摘記 した。 他方 、 名
称が刻 まれて いな い金石文や、石 碑 自体 の破損 によって 名称が判 らな い石碑 もある。
そ こで、仮整理 の段階 では、 拓本資料 を納めた木箱 ・紙箱 の側面や拓本そ の ものの軸
の裏 に金石文 の名称が黒鉛筆書 きで付 されている。 ここで判明す る名称 をそのまま摘
記 した。その後 の本整理 では、 前掲 『金石文』及び前掲 『石碑復元調査報告書』 と照
合 して、拓本資料 の名称 を確定 した。その際 に、 仮整理 で付 した名称が判 るよ うに、
備考欄 で木箱 ・紙箱 の側面や軸装 の裏 に示 された、黒鉛筆書きによる情報 を摘記 した。
さ らに、墓碑 に刻 まれた名称は、そ の 内容 を反映 していない こともある。そ こで、
『金石文』や 『石碑復元調査報告書』 と照合 して、墓 碑 の通称 をそ の まま摘記 した場
合 もある。 また、復元 された石碑 の拓本資料があ る場合 には、 名称 に 「(復 元 )」 と付
した。 さ らに、金石 文 のいずれ の面 の拓本資料 であるのかが判 るように、 名称 の とこ
こ (表 )。 (裏 )。 (左 )・ (右 )を 表記 した。 梵字碑 の拓本資料 にお いて は、箱や軸 の
ろイ
裏な どに梵字が付 されて いる場合 もある。 台帳 にはそのまま摘記 したが、梵字がパ ソ
コ ンで表記 できなかったので、 巻末 の 目録 では、 梵字 の読 み方 を片仮名 で付す ことに
した。
建立年 について も、金石文 に年号が刻 まれて い る場合は、そ のまま摘記 した。 しか
し、 建立年が金石文か ら判明 しないもの もある。 これ については、木箱 ・紙箱 の側面

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に記載 され た建立年 を摘記 した うえで、『金石文』・『石碑復元 調査報告書』 と照 合 し
なが ら確定す ることにした。そ の際 に、利用 の便宜 を考 えて、 西暦 になお した。なお、
復元 され た石碑 に対 して、建立年は復元 された年 を摘記 し、 また原碑 の建立 年 を ( )
で表記 した。
金石文 の種別や石碑 の形態 ・文様 であるが、 この情報は、先行す る調査 。研究 での
着眼点 を射程 に入れ て、 内容別整理 の段階 で摘記 した。
金石文 の種別 は、 前節 で論 じたよ うに、基 本的 には先行す る調査報告書 に基 づいて
設定 した。 ただ し、 用途別分類 と内容別分類 6ω は重層的な 関係 にあ り、 また整理 の
対象 となった拓本資料 の総体 を加 味 した結果、 ここで は、 分類項 目を、①石碑、②墓
碑、③厨子甕、④石棺 、 ⑤香炉、⑥灯籠、⑦鉢、③石仏、⑨鐘銘、⑩鰐 口、 ①梵字碑
(仏 教関係 の碑 を含 む)、 ⑫石敢 当、⑬印部石、⑭ 日時計、⑮刻書、④瓦証文、 ⑦そ の
他 として設定 した 61)。
この なかで、 ② の墓碑 では、 沖縄 の人 々の墓碑 と外 人墓地 に
ある墓碑 と区別 した。 というのも、墓碑 の形態は外人墓地 とは異 なるか らである。 ま
た外人墓地 に関 して も、 泊 の外人墓地 と、恩納や名護 に所在す る外人墓地 と区別 した。
石碑 の形態 。文様 に関 しては、主に安里進の分類 に基づいて摘記 した。 というのも、
安里進は、形態や文様が時代的 に変化 した こと、 また 島津侵攻後 には、それ までの王
府 ・ 王家 の文様が士族 の墓碑 にも流用 されてい くことを論 じているため、拓本資料 の
整理 において も、かかる安里 の見解 を射程 にいれ る必 要があ ると考 えたか らである。
このよ うに、先行す る調査 ・研究 の成果 に基づいて、 金石文 の分類や形態 。文様 を
重 要 な資料情報 として捉 えて、 内容別整理 の段階で こうした情報 を摘記 した。 これ 以
外 にも、 内容別整理 の段 階で摘記す べ き重 要な情報 もあるが、 本稿 では割愛す る こと
にした。
最後 に、 仮番号 と本番号 との関係 について指摘す る。 那覇市教育委員会文化財課か
ら那覇市歴史博物館 に移管 された拓本資料は 390点 で ある。 これ ら390点 の拓本資料
は、す べ て一つの収納 ケ ース に収め られている。そ の収納ケ ース は4つ の扉 と下 の収
納 ス ペー スで構成 されて い る。4つ の扉全部 で 16行 ×16列 の仕切があ り、 これが4つ
に分割 されている。 1つ の扉 には8行 ×8列 の仕切がある。 つ ま り、単純 に計算すれば、
256本 の拓本資料が収納 できる。 この収納ス ペー ス にお ける 1つ の部分 には、 拓本資
料 を収納 した木箱な い しは紙箱が 1箱 ∼3箱 収納 されて いる場合や、木箱な い しは紙
箱がな く軸装 され た拓本資料がそ のまま収納 されて いる場合、 1つ の木箱 のな か に裏
打ちをしな い ままで拓本 を採 った紙 が紐 で結ばれ て、 こよ りに資料名が記 され た場合、
複数枚 の拓本資料が紐 で 結ばれ て いる場合、 1つ の木箱 のなか に裏打が施 され た拓本
資料数枚が 1つ にまとめ られて い る場合 な どがある。 こうした原秩序 を維持 して記録
化 し、 拓本資料 の台帳 を作成 した。
仮整理 の段階では、 まず収納ケースの 区分 ごと、すなわち、左上 。右 上・ 左下 ・右
下 ・下 の順序 で、 収納場所 を明記 しなが ら、 1点 1点 の拓本資料 の台帳 を作成 した。
これは 【
表】 の収納場所 に相 当 し、 この収納場所は現在 にお いて も原秩序 を維持 して
いるので ある。 また、 この段階 で、 拓本資料 1点 につ き 1枚 の台帳 を作成 した。 拓本
資料 の 1点 ない しは1件 を、次 の よ うに設定 した。 木箱 な い しは紙箱 に収め られ た拓

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本 の軸装 と、 また箱 に収 め られていない拓本 の軸装 を1点 として設定 した。 このよ う
に軸装 を施 された拓本資料 の場合 には、 軸 を物理的 1点 として設定する ことがで きる。
しか し、複数 の拓本資料が紐で一つにまとめ られている場合 もある。 この場合 には、
紐 で括 られた拓本資料 を 1件 とした うえで、原秩序が判 るよ うに、 1点 1点 の拓本資料
に枝番号 を付 したので ある。 この仮整理 にお ける 1点 。1件 は 【
表】 の仮番 号 に該 当
し、 この仮番号か ら仮整理 の段階 における拓本資料 の原秩序が判 るよ うに摘記 してい
る。
このよ うに して、 仮整理 の段階 では、拓 本資料 1点 1点 を対 象 とした台帳作成 を通
じて、 拓本資料 の総体 を把 握 した。 しか し、 仮整理だけでは、 実際 の利活用 には、 不
都合がある。そ のため、実 際 の利活用 に供す るために本整理 を実施 したのである。
ところで、 金石文、 特 に石碑 においては、一つの石碑 にお ける表面 と裏面 とい う二
つの面が採拓 された り、 ある いは文字が四面 に刻 まれて い る石碑 の場合 には表面 。左
面 ・ 裏面 。右面 という四つの面が採拓 された りす る。 このよ うに、一 つの金石文 は、
複数枚 の拓本資料で構成 されている場合が多 い。 当館所蔵 の拓本資料 もまた、一つの
石碑 における表面 と裏面、 ある いは表面 ・ 左 面・ 裏面 ・右面が拓本 にされて いる。そ
れぞれの面 の拓本 に軸装 ない しは裏打 な どが施 されて いる。 こうした拓 本資料 の形態
に基 づいて、 仮整理 の段 階 で 作成 した 1点 1点 の拓本資料 の台帳 を基 に、 本整理 の段
階では、一つの石碑 ・墓碑 に対応す る複数 の拓本資料 を関連 づ けて、 整理番号 を付す
ことにしたのである。
整理番号 を付 した方法 について説明 しよ う。整理番号は、基本的には本番号 と枝番
号 で構成 されている。 ただ し、 枝番号がな い整理番号 もある。 この場合は、 1つ の金
石文 に対す る拓本資料が 1点 しかない場合 に相 当す る。
本番号 と枝番号 で構成 される整 理番号は、次 の方法 で 付す ことに した。 当館所蔵の
拓本資料 にお いて、 1つ の石碑 は、①表 面 と裏面 の2面 、② 表面 ・ 左面 。裏面 。右面
の4面 、 ③表面 ・左 面 。右面 の3面 で構成 されている。 1つ の石碑 にお ける表面 と裏面
の場合 であるが、 た とえば、「重 修天女橋碑記」 の場合 には 「22」 との本番号 を付 し
た うえで、 表面 の拓本資料 を 「221」 とし、 裏面 の拓本資料 を 「222」 とした。 ま
た、「首里新建聖廟碑文」 には 「47」 との本番号 を付 し、表面 の拓本資料 に 「471」 、
裏面 の拓本資料 に 「472」 との枝番号 を付 した。 この よ うに、 1つ の石碑 に本番号 を
付 した うえで、石 碑 の面が対応す るよ うに枝 番号 を示 したのである。 他方、 4面 な い
しは3面 に刻字 され て い る石 碑 ・墓碑 につ いて は、「瑠球 司楽 向生碑」 と 「梁文弼冨
山親雲 上墓 碑」 を事例 に説明 しよ う。 町閣球司楽向生碑」 を 「232」 とし、「梁文弼冨
山親雲 上墓 碑」 を 「245」 として 設定 した。「期球 司楽 向生碑」 には、 表 ・ 左 ・ 裏 。
右 の四面 を採拓 した ため、 この石碑 の拓本資料は4点 で構成 されている。そ のため、
表面 を 「2321」 とし、 時計回 りに左 を 「2322」 、 裏 を 「2323」 、右 を 「232-4」 と
して枝番号 を付 した。 他方、「梁文弼冨 山親雲上墓 碑」 の拓本資料は表面 ・左面 。右
面 で あるため、 これ も表面か ら時計周 りに表面 を 「2451」 、左 面 を 「2452」 、右 面
を 「2458」 とした。 この よ うに、 1つ の金石文が複数 の拓本資料 で構成 され る場合
には、金石文そ の ものに本番号 を付 し、 表面か ら時計回 りの各面 に枝番号 を付 したの

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で ある。
さ らに、 1つ の墓碑 ・ 石碑 に対 して、 同 じの拓本資料が複数枚存在 している場合 も
ある。 この場合 の本番号 の付 し方 については、 泊外人墓地 にある唐人墓 を事例 として
説 明 しよ う。唐人墓 碑 aと 唐人墓aは 同一 の墓碑 を拓本 として 採取 したが、 そ の後 に
軸装 した拓本 と、一 紙状 の拓本 の2種 類が ある。 この場合 には、 軸装 した唐人墓碑 a
を 「122」 との番号 を付 した うえで、一紙状 のものにそれぞれ 「122① 」 。「122② 」
との枝番号 を付 した。 また、 同 じ面 の拓本資料が ともに軸装 されている場合 には、 状
態 のよい ものを本番号 とし、それ 以外 には 「―①」 な どの枝番号 を付 した。 これ に該
当す るのは、「安国山樹華木之記碑」 である。 ただ し、 復元碑 に関 しては、 別 の金石
文 として捉え、原碑 とは別 に本番号 を付 した。
以 上で説明 したよ うに、 本番号 と枝番号 を付す ことによって、 1つ の石碑 とそ の拓
本資料 との関係が明確 にな るよ うに整理 した。 すなわ ち、 1つ の金石文 に対 して、 2
∼4点 の拓本資料 で構成 され る場合 には、「 1」 、「…
2」 とい うよ うに、枝 番号 を付 し
た。 これ に対 して、 1つ の金石文 に対 して 同 じ拓本資料が複数枚 ある場合 には、「 ①」
や 「―
②」 との枝番号 を付 したのである。
以 上のよ うに、 仮整理 の段階 で付 した仮番号 と、 本整理 の段階で示 した整理番号 で
の物理的 1点 は、基本 的 に 同 じ次元 の ものである。 しか し1件 の設定 は、 仮整理段階
にお いて は収納状 況 に基 づいたが、本整理 段階 では複数 の拓本資料 で構成 され る 1つ
の金石文 によった。すなわち、 仮整理段階 と本整理段 階 にお ける物理的 1点 の設定 は
基本的に同一で あるが、 しか し、 仮整理段階 での1件 は、複数 の拓本が物理的 にまと
め られて い る状 態 を示 しているのに対 して、 本整理段 階 にお ける 1件 は、複数 の拓本
資料 で構成す る金石文 の物理的 1点 に基 づいて いるので ある。 このよ うに、仮番号 と
整理番号 の設定は本質的 に異 なっているのである。 そ して、 仮整理段階 で記録 した原
秩序 を明示 し、 また整理 番号 を付す ことによって、 容易 に拓本資料 を調査 ・研究 ・展
示な どに利活用 して も らうことを 目的 としたため、 【
表】 では仮番号 と本番号 の両方
を併記 した。なお、 拓本資料 の収納状況 については、 原秩序 を維持 してお り、 仮整理
で摘記 した収納場所 に保管 されて いる。

むすびにかえて

以 上にお いて、 那覇市教育委員会文化財課か ら那覇市歴史博物館 に移管 された拓本


資料 390点 を整理 した方法 につ いて紹介 してきた。 最後 に、 資料整理論 という観点か
らまとめる ことで むすび にかえたい。
那覇市教育委員会文化財課は、 1985年 か ら1993年 にかけて、 沖縄県 内 にとどま ら
ず、県外 にある琉球関係 の金石文 を拓本 にした。 こうして生成 された拓本資料 は、文
化財資料 として も、調査 ・研究 のための資料 として も重要 な資料 である。 というのも、
主 に文化財保護 の観点か ら、金石 文 の現状 を記録す るための資料 で あると同時 に、金
石文 では判読が困難な文字 。文様 を明確 にして、研究 に供す るための資料 であると考
え られ るか らである。 また、 拓本資料は、沖縄県立博物館 の企画展 「刻 まれた歴 史―

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沖縄 の石碑 と拓本一」 で展示 された り、 那覇市歴史博物館 の常設展や企画展 にお いて
も展示 された りして い る。 このよ うに、拓本資料は、 二 次資料 として位置 づ け られて
いるものの、博物館 の展示 にお いて も、頗 る重 要 な資料 である ことは、 筆者 のよ うな
ものが 改 めて い うまで もない ことで あろう。 さ らに、『名護市碑文記』 で も指摘 され
て いるよ うに、石碑 を初 め とす る金石 文は、 美術作 品 として 捉 え られ る。 さ らに、
2000年 代 には、「琉球王国 のグス ク及び関連遺産群」が世界遺産 に登録 され、 沖縄 の
石造文化が評価 された ことによって、石碑 を復元す るための調査がなされるようになっ
た。復元 にあたって、 拓本資料か ら金石 文 の原寸 な どが判 る。 したがって、拓 本資料
は、復元 にあたっての重 要 な資料 であると捉 え られて いる。
以 上のように、 拓本資料 は、文化財資料 ・歴史資料 ・博物館資料 ・ 美術資料 ・ 復元
のため の資料 という複合的 な 関係性 のなかで位置 づ け られて いる。 こうした拓 本資料
の もつ多様性は、第 一 節 で 論 じたよ うに、 1980年 代以降 にお け る金 石文 の調 査 ・研
究が深化 した ことと対応 している と考 え られ る。かか る調査 ・研究 を研 究史的 に整理
す るとともに、金石文な どに関す る学説史 を整理 して、金石 文 に関す る議論 の論点 を
析 出 した うえで、拓 本資料 を整理する ことは、拓本資料 を利活用す るうえで、 非常 に
重 要 な基礎的作業であると筆者 は考えている。そ して、金石 文 ・拓本資料が もつ意 義
と、整理の対象 となる拓本資料 の生成・来歴 に基づ いて、 さ らには整理後 の利活用 の
あ り方 をも射程 に入れなが ら、拓本資料 を整理 して 目録 を作成す る必 要があ ろう。 ゆ
えに、拓本資料 を含 む歴史資料 の整理 には、専門的な知 識 と方法論が不可欠であると、
筆者は強 く考 えて いるので ある。
最後 に、今後 の課題 について触れ ておきた い。 これ までの調査 ・研究 では触れ られ
ていないが、 ベ ネデ ィク ト・ アンダー ソンや エ リック・ ホブズボーム、 ピエール ・ ノ
ラな どの議論 を射程 に入れ て、 石碑な どを中心 とした金石文 の研究 も必 要 であろう。
また、金石文 ・拓本資料 をも射程 に入れなが ら、琉球 。沖縄史 の史料学 を構築す る こ
とが今後 の課題 として残 されている。 これ に関 しては、 筆者 の 自 らの課題 に したいと
考 える。

那 覇市歴史 博物館 には、 戦 前期 に作成 した 拓本 資料 も所蔵 され て いる。 ここでは、 那 覇市 教育委 員


会文化財課 か ら移管 され た拓本資料 に限定 して論 じる ことにす る。
古塚達朗 「琉球 人の墓 を訪ね て一 江戸 上 りのル ー トをた どる一 」 (地 域 と文化編集委員会編 『地域 と
文化 沖縄 をみなおす ため に』 第 75号 、南西印刷 出版部 (ひ るぎ社 )、 1993年 )。
県 外 調査 に 関 して は、 前 掲 「琉 球 人 の 墓 を訪 ね て一 江 戸 上 りのル ー トをた どる一 」 及 び 古 塚 達 朗
「県外琉球 関係金石文 につ いて」 (沖 縄県立博物館編 『企 画展 刻 まれた歴史―沖縄 の石碑 と拓 本』沖
縄県立博物蛸、 1993年 )を 参照 の こと。
前掲 「県 外琉球 関係 金石 文 につ いて」。 前掲 「琉球 人 の墓 を訪 ね て一 江 戸 上 りのル ー トをた どる一 」
で も、「拓本 は、 そ の ものが歴 史資料 として貴重 な文化財 で あ る。 これ らを作成、 収集す る ことは、
極 めて重 要 な意義 を含 んで いる」 とも論 じて いる。
金城正篤 「石碑」 (沖 縄県 教育庁 文化課編 『沖縄県 文化財 調査 報告書第 六 九集 金石文一 歴史 資料 調
査報告書 V― 』 沖縄県 教育委員会、 1985年 。以下、『金石文』 とす る)。

-33-
同上。
同上。
那 覇市市 民文化 部歴 史 資料 室監修 ・株 式会社 国建地域 計画 部編 『那覇市世界遺産 周辺整備事 業 石
碑復元調査報告書』 9Б 覇市、 2004年 。以下 『石碑復元調査報 告書』 と略す。)

前掲 『金石文』。

前掲 『金石文』。

前掲 『那覇市歴史地 図』。

前掲 『企 画展 刻 まれた歴史一 沖縄 の石碑 と拓本』。


「碑文 が語 るふ るさ との歴 史 ・文化 。人物」 (名 護碑文記編集 委員会編 『名護市史叢書 ・4 名護市碑


文記 (増 補改訂版 )』 名護 市教育委員会、 1997年 。初版 は 1987年 。以下 『名護市碑文記』 と略す )。
同上。
前掲 「琉球人 の墓 を訪ね て一 江戸 上 りのル ー トをた どる一 」。
沖縄県 立博物館 「開催 にあたって」 (前 掲 『企画展 刻 まれ た歴史』)。
又吉真三 「琉球 の金石文 と拓 本」 (辛 中縄県文化財修理技術者協会編 『わ ざ』 倉1刊 号、 1981年 )。
同上。
同上。
『石碑復元調査報告書』。
前掲 「琉球 の金石文 と拓 本 Jや 前掲 『金石文 』、 前掲 『石 碑 復元調査報 告書』、 前掲 『企画展 刻ま
れた歴史― 沖縄 の石碑 と拓本』 を参照 の こと。
こう した 時期 に、 金石 文 の調査 が行 われ るよ うにな った。 それ と同時 に、 沖縄県 内 の 自治体 史編 纂
事業が盛 ん とな った。 詳 しくは、 中村 誠 司 「沖縄 にお ける地域史 づ く りの現状 と課題J(地 方史協議
会編 『琉球 ・沖縄』 雄 山閣、 1987年 )、 同 「沖縄 にお け る地 域 史 づ く りの動 向」 (『 沖縄文化』 第 74
号、 1991年 )、 財 団法 人南 西地域 産業活性化 セ ンター編 『平成 14年 度 自主研 究事業 沖縄県 にお
ける地域歴史書刊行事 業 の成果 とそ の意義』 (2002年 )、 川 島淳 「沖縄県 内 にお け る 自治体 史編纂事
業 の現状 と課題― 伊江村 史 2編 纂事業 を事例 として一 」 O中 縄県 地域史 ttJ議 会編 『あ しびな ぁ』 第 20
号、 2009年 )を 参 照 の こと。
前掲 『金石文』。
同上。
前掲 『那覇市歴史地 図』
前掲 「琉球 人 の墓 を訪ね て一江戸 上 りのルー トをた どる一」。
前掲 「県外琉球 関係金石文 につ いて」。
前掲 「碑文 が語 るふ るさ との歴史 。文化 。人物」。
比嘉太英 「刊行 にあた って」 (前 掲 『名護市碑文記』)。
比嘉実 「文様 にみ る古琉 球 の思想一 日輪双鳳文 の成立 を中心 に一」 (山 本弘文先生還暦 記念論集刊行
委員会編 『琉球 の歴史 と文化 山本弘文博士還暦記念論集』 本邦書籍株 式会社、 1985年 )
安里進 「琉球王 国石碑文様 の変遷一 日輪双鳳雲文 か ら宝珠双龍雲文 ヘー 」 (『 浦添市 美術館紀要』 第 1
号、 1991年 )。 また、 これ とほぼ 同様 の趣 旨で あ る 「石碑 文様 に表現 された王 国 の思想一 日輪 双鳳
雲文か ら宝珠双龍雲文 ヘー 」 が、安 里進 『考 古学か らみた琉 球史 下 一 古琉球 か ら近世 琉球 ヘー 』
(ひ るぎ社 、 1991年 )に 掲載 され て いる。 前者 と後 者 は基 本 的 には 同 じで あるが、後 者 は啓蒙 書 で
ある ことか ら、 碑 身 の 区画形式 と縁飾文様 の分類 な どが割 愛 されて い る。 ここで は、 前者 をか 照 ・
引用 した。
前掲 「文様 にみ る古琉 球 の思想一 日輸双鳳文 の成立 を中心 に一 」。
同上。
安里進 「中国でみた文様一 琉球 の文様 との比較― 」 (『 浦添市美術館紀 要』第4号 、 1995年 )。
前掲 「琉球王国石碑文様 の変遷一 日輪双鳳雲文 か ら宝珠双龍雲文 ヘー」。
同上。
確 か に、 石 碑・ 墓碑 ・ 梵 字 碑 ・ 印部石 ・石敢 当は、 石 を素材 と して建 立 されて いる ことか ら、 素材

-34-
とい う枠 組 みで は、 これ らは 同一 の形態 に属す る。 しか し、 石碑 が公 山
9な 空 間 に設 置 され るが、 墓
碑 の設置場所 は私 的 な空 間 で あ るので、石 碑 と墓 碑 を区別 した。 また、梵字碑や石敢 当は宗 教 的な
意 味合 いが強 い ことか ら、石 碑 と梵字碑 ・石敢 当 と区別す る ことに した。 また、梵 字碑 と石 敢 当は、
刻 まれ た文字 が異 な る ことか ら、 両 者 を区別 した。 さ らに、 印部石 は、 土地 の 区画 とい う実 用 的 な
目的 で建立 された ことか ら、石碑 ・墓碑 ・梵字碑 ・石敢 当の用途 とは異 な って い るので ある。
この分類 に対 して、 萩尾俊 章 は 「県 内所在 の石碑 につ いて」 (前 掲 『企画展 刻 まれ た歴 史― 沖縄 の
石 T眸 と拓本』)に お いて 「碑文 の 中には、 これ らの項 目に関 して、 内容 が相互 にオーバー ラップす る
よ うな碑文 もある」 と指摘 して いる。 そ の一 例 と して、「③ の墓碑 の 中 には個 人 の功績 を刻 した もの
もあ り、 そ の意 味 で は① に通 じて くるJと い う。 また 「④ の 子孫 へ の訓戒 を記 した 碑文 は 「た まお
どんのひ の もん」 のよ うに墓碑 と して 分類 で き る もの もあ る」 と指摘 して いる。 このよ うに、 金石
文 は、 単純 に分類 で きな い ことを物語 って いる。 萩尾 は、企 画展 にお いて、「古琉球期 の石碑」。 「河
川 ・橋梁 にたつ石碑 J・ 「県外 の琉球 関係石碑」。「墓碑」。 「湧 泉 ・ 池 にたつ石 碑」。
「外来 の思 想 と信
仰 にかかわ る石 碑」。
「様 々 な石碑」・「石碑文様 の変遷」 とい う8つ に石 碑 を分類 した。
『名護市碑文 記』 の分類 には、 記念碑 ・顕彰碑 。墓碑 といつた伝統 的な石碑 の 内容 だ けでな く、 近現
代特有 の文 学碑や慰 霊碑 な ども含 まれて いる。 とい うの も、 同書 では 琉球 王国時代 か ら現在 まで に
建立 された石 碑 を対象 と して いるか らで ある。
瓦証文 に限 つた 分類 で あ るが、 田畑屋敷等 の売 買 につ いて 示 した証文 で あ る ことか ら、 内容 的分類
は基本的 には必 要 な い。 ただ し、 田畑屋敷等 を手放 した 背景 は、 前掲 「八重 山の瓦証文」 によれば 、
以下 のよ うに分類で きる とい う。す なわ ち、① 「無拠遣羽 (入 用 )」 、② 「長 々病気 J、 ③ 「昇進 時往l
礼物 の足 し」、④ 「上納未 進」、⑤ 「沖縄本 島 の者故、 田畑 と乗馬 の交換」、⑥ 「他村 へ の 引越」 な ど
に分類 されて いる。
前掲 「琉球 の金石文 と拓本」。
前掲 「文様 にみ る古琉球 の思想一 日輪双鳳雲文 の成立 を中心 に一」。
前掲 「文様 にみ る古琉球 の思想一 日輸双鳳雲文 の成立 を中心 に一」。
前掲 「文様 にみ る古琉球 の思想一 日輸双鳳雲文 の成立 を中心 に一 J。
前掲 「中国 でみた文様一 琉球 の文様 との比較―」。
前掲 「琉球 王 国石碑 文様 の変遷一 日輪双鳳雲文 か ら宝 珠双龍 雲文 ヘー 」。 これ によれば、 日輪 雲文 A
は、「日輪 を中心 にそ の まわ りに五 ∼六 単位 の瑞雲が規 則的 に配列 され、 他 の空間 も瑞雲 で埋 めつ く
す。 雲は 同一 形態 の雲 を単位 に して これ を組 み合わせ た もので あ るJと い う。 日玲双鳳雲文 は、「瑞
雲 で縁 ど りされ た 日輪 を 中心 に二 匹 の鳳凰 が舞 うよ うに左右 対 照 に配 列 され、 他 の空 間 も瑞 雲文 で
埋 める」 文様 で あ り、 この なか の双鳳文 には上 向 きの もの と下 向 きの ものが ある ものの、「古琉球 の
尚真王か ら尚寧王 まで の古 琉球期 に建立 され た石碑 の典型 的文様」 で あ る とい う。 双鳳雲文 は、「日
玲双鳳雲文 と同様 な構 図 で あるが、 日輪 にかわ って碑 額 が碑 首文様 を 中心 に配列 され て いる」 文 様
で ある。 ちなみ に、「鳳 凰 は この碑額 に下 向 きに相対す るJと い う。 日輪雲文Bは 、「日輪雲文 Aと 同
様 の構 図 で あるが、 年代 差 が あ り、 また文様 自体 もか な り間略化 され て いる」 もので ある。 そ して、
この文様 にお いて 「日輪 を と りま く雲 は、 四 方 に放射 せず に左 右 に対称 的 に配列 され、 そ の 周辺 の
空 間 に も雲 は疎 らに配置 され、空 白が 目立 つJの で あ り、「雲 は 日輸 の左 右 に配置 されず 、碑首 空 間
部 に非対称 的 に配置 され て いる もの も多 い」 ことが 特徴 で ある。 この文様 は、「王府 ・ 王家 の石碑 以
外 に、士族 ・ 富農層が建 てた私 的な墓碑 な どに も使用 され る」 とい う。 日輸文は、「日輸 のみ の構 図
で 雲文 を伴 わな いJ文 様 で あ り、「日愉雲文 Bと 同様 に私 的な墓 碑 ・石碑 な どに も使用 され る」 と指
摘 されて いる。 日輪双龍 雲文 は、「瑞雲 で と りまかれ た 日輸 を中心 に、 相対す る二 匹 の四爪 龍 が描 か
れてJお り、「年代 的 にみて も 日車
∩雲文か ら次 の宝 珠双龍雲文 が成立 して い く過渡形態 の碑首文様 で
あ る」 と特徴 づ け られ て い る。 宝 珠双龍雲文 は 「日輸 にかわ って宝 珠 が 中心 に設定 され、 これ に四
爪 の双龍が対称 的 に配置 され」、 この時期 には 「古琉球以来 の伝統 的な文様 であ った 日輸文 は もう存
在 しな い」 と論 じられ て い る。 こう した特徴 を もつ文様 を資料情報 の一 つ として 着 目す る ことは 重
要 であろ う。
前掲 「琉球王国石碑文様 の変遷一 日輪双鳳雲文か ら宝珠双 龍雲文 ヘー」。

-35-
金城正篤 「石碑」 (前 掲 『金石文』)イ こよる と、石 碑 の建立 は 「中国 との 国交 開始 (一 三 七 二 、洪武
五 )以 後、 そ の影響 を受 けて始 まった と推沢1さ れ る」 とい う。
前掲 「琉球 の金石文 と拓本」 によれば、 1525年 建立 の沢岨親方墓碑 や、 明治 25年 の大城按 司 の墓碑
にも、輝 縁岩が用 い られた とい う。
前掲 「琉球 の金石文 と拓本」。
前掲 「琉球 王国石碑文様 の変遷一 日輸双鳳雲文か ら宝珠双龍雲文 ヘー 」。
前掲 「琉球 の金 石文 と拓本」。
前掲 「琉球 の金石文 と拓本」。
前掲 「琉球 王国石碑文様 の変遷一 日輪双鳳雲文 か ら宝珠双龍雲文 ヘー 」。
前掲 「琉球 の金石文 と拓 本」 及 び 前掲 「県 内所在 の石碑 につ いて」 を参 照 の こと。
前掲 「県 内所在 の石碑 につ いてJに よ る と、「お ろ く大 や くもい石棺銘」 のかな文 字 は、「宜 野湾市
嘉数 の 小禄墓 に安置 され た輝縁岩 製 の石棺 に記 され た もので、 かな文字 と しては石 棺 の正 面 に浮 き
彫 りにされ た <お ろ く大や くもい>の 表記 のみである」 とい う。
前掲 「琉球王国石碑文様 の変遷一 日輪双鳳雲文 か ら宝珠双龍雲文 ヘー J。
唐 草文 は 「古琉球期 の碑 身縁飾 の基 本文様」 で あ り、 そ の特徴 は 「唐 車文 が波 うつ よ うに規 則 的 に
配置 され て いる」文様 で あ る。宝珠双 龍文 は、「宝珠 をは さむ 形 で四匹の四爪雲龍 が左右対 照 に配 置
されて いる」文様 で ある。 三 巴瑞雲文 は、「一二 の二 つ 巴文 が均等 に配 され、 そ の FHHに 瑞雲がおかれ
る」 のが特徴 で ある。 菊唐 草文 は、 1697年 建立 の 「重修 石火矢橋碑」 で初 めて刻 まれた文 様 で あ り、
「古琉球期 の唐草文 にかわ って一八 ∼一 九世紀 に主 流 とな る文様 で ある」 とい う。 最後 の唐草文 は、
1744年 建立 の 「新修 美栄橋碑記」 に記 された 文様 で あ る。 そ の特徴 は 「菊花 こそ な いがそ の唐 草文
には中心 部 が あってそ こか ら両側 に唐草が のびて いる」 ことにあ り、「このよ うな構 図は菊唐 草文 と
同一で あるJと い う。
前掲 『金石 文』掲載。
前掲 「鐘銘 と鰐 口J。
拓本資料 を どのよ うに利活 用す るか とい うことは利用 者 自身 に も委ね られて いる場合 もあ る。 そ の
表】 で 内容別分類 を明記す る と、 整理者 の視点 が 固定化 されて しま う。 したが って、 拓本 資
ため、 【
料 を幅広 く利活用 して も らうため に、 ここで は内容別分類 を割愛す る ことに した。
筆者 の構 想す る内容別分類 は、以下 の通 りである。 ① 「社会 的な で きご とJ、 ② 「記念す べ き事 業 を
完 成 した とき」、 ③ 「歴 史 上 のあ る特定 の人物 な どの功績 を顕 彰す るため」、④ 「故 人 を しの んで そ
の事 跡 な どを子 孫 に知 らせ るた め 」、 ⑤ 「建造 物 な どの 縁 由 ・ 来歴 な どを後 世 に伝 え るた め 」、 ⑥
「仏教 によ る加護や 除災招福 な ど宗教 的なため」、⑦ 「ある行為 を禁止す る碑文」、③ 「瓦証文 (八 重
山)」 、⑨ 「寄進碑 (灯 籠 な ど)Jで ある。 この分類設定 は、基本 的 に用途別分類 と対応 させ た結果 で
ある。
確 か に、 石碑 ・ 墓碑 ・梵 字碑 ・ 印部石 ・石敢 当な どは、 石 を素材 と して 建立 され て い る ことか ら、
素材 とい う枠組 みでは、 これ らは 同一 の分類 に属す る。 しか し、石 碑 が公 的な空間 に設置 され るが、
墓碑 の設置場所 は私 的 な空 間 で あ るので、 石碑 と墓 碑 を区別 した。 また、梵宇 碑 や石敢 当は宗 教 的
な意味合 いが 強 い ことか ら、 石碑 と梵字 碑 。石敢 当 を区別 す る ことに した。 また、 梵字碑 と石敢 当
は、刻 まれ た文字や意 味合 いが異 な るので、 両者 を区別 した。 さ らに、 印部石 は、 土地 の 区画 とい
う実用的な 目的 で 建立 され た ことか ら、石碑 。墓碑 ・梵字碑 ・ 石敢 当な どの用途 とは異な って いる。

-36-

表】那覇市歴史博物館所蔵の拓本資料
仮冊

器 Ⅲ 名 T4F 処立年 際択年 形 nR


法 収 4Vl場 所
種別 態 文献① 文献② 地域
①4立 場所 備 考
②所 在 地
1 ,形
軸 縦 軸 襴 本紙・縦 本紙 横 場 所 ア 行 碑首 騨身縁 帥

①岡比屋武御 木 箱 あ り。 木 箱 に 「安 国
嶽 (古 里真れ 山 棚 撃木 之 記 1427 19
ケ国山‖♯木 ■凸 11頁 ∼ 39頁 ∼
1

tr装 /H砕 不I明 不り ]


′ 古 llf 志町 1丁 日) 85Jと の黒鉛 筆 書きあり。
之記 不明 15デ て 40頁
②洲'組 県立‖ IHの 裏 に 「安 国 山 棚 キ 木
物nh 美術ah 之 記 Jと の 熙鉛 無書きあり。

① 固比 屋 武御

円不
甘明
猟 (古 里 真 不Π 木 綺 あ り。 木 箱 に 「ケ ロ
―O 安国山樹♯木 石h4!
41頁 ∼ 90買 ∼
之記
t427年 不 Iプ
I 軸装 右 J 不り 1 不 朔 古里 志 口TI T日 ) 山 樹 ふ 木 記 Jと の 黒 鉛 筆
15頁 40頁
②‖縄県立陣 書 きあり。
物館 .業 術師

木 箱あり。 木 箱 に 「万歳

睛賦
①②古里親古

P N
油記 複製 (1197) 10
万裁 枷 記 H愉 雲 文 16質 ∼ 33頁 ∼

復元〕
(11971に ) 軸柴 左 上 石 rII 膚 草文
17貫 31貞
H坐 ■ (首 里 IIリ 09Jと の熙鉛年ききある。
ロJ3-ll 軸 の 楽 に 「新 万歳 積 記
(表 )Jと のRk鉛 筆書きあり。

附脳
木 箱 あり。 木 箱 に 「官 松
①官P_k嶺 頂I
嶺 仰 1197 1985Jと の
j・ 1輸 雲 文 246頁 ∼ 11頁 ∼ (松 ,旧 44付 近) N筆
官松積 L 1085`F 軸柴 左 L 石砕 膚 車文 真和志 黒 7。 書きあり。
217Fl 42頁 ②測'続 県立博
軸 の襲 に 「官 松積記 Jと
物nI・ 美術郎
の熙鉛無書きあり。

木箱あり。木箱に 「告公
①②官松積lr
官松 樹 記
(149″ F) 檄Ⅲ
装 右上 石14
円古 日恰 雲 文
府 文
246貫 ヽ 4]lk∼
rt和 志 上 (松 川 411
M記 復元伴Jと の黒7fk
(復 元 ) A,修 メヽ 247頁 12頁 筆苔きあり。
F「 近 )
“ 包 紙 あり。


①円覚十 (古 木 箱 あ り。 本 箱 に 「円 lt
5 手 前


円 jL椰 十 記 坐 当巌 2丁 日) ・ E l197 1985Jと
市‖寺
口輸雲文 18頁 ∼ BI貰 ∼
(荒 ⅢⅢ■ 之 北 朝I装 店中文 古里 ②沖細県立肝 の 踏 雫 書 きあり。 4・
19貞 12貫
之rW文 ) 物館 美術部 Iliの 楽 に 「 円覚 部 寺 rL J
所腺 との R鉛 筆 ききあり。

木 綺あり。 木箱 に 「国 王
頌徳 rT、 荒神 生之北之Ⅲ :

日王頌 徳 騨
①円覚寺 (古 現況 14 1198 1085Jお
円着 55頁 ヽ 柁∼43頁 JJ当 巌2丁 日 ) よび 「日王 ヒJと の烈
(荒 ⅢⅢ生 之 北 珈I虫 4「 碑 双鳳 雲 文 唐 中文 者里
之騨 文 )

A,修 5】 貢 216賣 ②‖縄県立騨 `M徳
鉛筆 lHkき あり。
物衛 イ 美術ar 「
州 の 英 に 国 王頌 徳 碑
(荒 ,生 之 北之 FT文 )Jと
の熙鉛筆#き あり。

①②⑥①9
①②③①⑤

︲t︲ ︲

木箱あり。 木箱には、「真
附畝

① 守 化 ‖り裏
史 殊 渉 耐!文
殊 湊fl文 1522 1909襲
5 ”

(凸 !L当 蔵 3丁
(1989と F 62頁 ∼ 43頁 ∼ 打Jと の熙鉛筆ききあり。
(石 円 の 西 の 裏 ll (194〕 〔
1105〕 左 石 rl 双風 案 文 店 市文 古 Jと 日)

襲打〕 63貫 11質 軸装なし。慨 ntに 採択 した


ひのもん ) ② 洲細 児(立 ItV
もの も大 里 喜 識 資 料 の
物館 美術館 「分 86Jに あり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「崇 元
寺 下馬 T里 (束 ,表 ) 16
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①② 崇元寺 筆苦

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(束 蛋文 57貫
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(束 )(表 )Jと の黒鉛筆書

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1527年 中,装 団 (列 卜
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頁 4

41

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一頁

崇 元 寺 下馬 卍 PI古 日輪 靱 瓜 56頁 ∼ 団Ji泊 iコ 日 1986Jと の黒鉛筆書きあり。


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木 箱あり。 木箱 に 「崇 元
附燃

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崇元寺下出糾 1輸 双 凧 141頁 ∼ 561R∼ 罰市油 I丁 日) 1986Jとの黒鉛筆書きあり。
1986上 F tn装 /R_ 74碑 店 草文 刃卜郎
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(西 英 ) 雲文 115頁 57頁 ② 沖縄県立W tnの 憂 に 「崇元寺下 FJIl
物館 美術nI (西 lA)Jと の黒鉛筆苦
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頌 徳 ‖ (か た の は な 砕 )
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①②古里月堀 復 元 54(表 )Jと の 黒鉛 梁
のfll) 套文 51貨
(復 元 表〕
苦きあり。
包 紙 あり。
附献

木 箱 あ り。 木 箱 に 「国 王
国■頌徳 卍
叫i衛 碑 (か た の は な i甲 )
(か た の は な 口輪靱 50頁 ∼ ①②古Jl鳥 堀
(15131F) 軸装 TR上 石眸 店 文 古里 復 元 碑 (裏 )」 との熙 鉛 筆
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書 きあり。
〔復元 裏〕 “
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98質 ∼
Ⅲ制
‖1続 市古謝12 山森 石 碑怖木 Jと の爪鉛
99賣 Υ苦きあり。
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洲,PFh城 のnlの 31頁 ∼


① ② 洲,lTh城
I,愉 ぷ 鳳
tn共 肘 ■文 村llTh (洲 ,添 市 字 側 釉〔
箱あり。
14 駅 雲文 33頁
││「 ,1350)

-37-
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希 jJ― t. 弥 姐 立イ
F 際供 年 形態 隠川 形態 文献① 文献② 地lJ 冊 七
Fr号 ‖I縦 軸 杖 本 和〔縦 場所 万J 碑夕 線 ar ②所 イ E地
れlTN城 の前の
「 円甘 I恰 靱 瓜 1頁 ∼ 33 ①②測,添 Hi字
4H装 〃1: 石碑 店 ‖文 〕
FIFN 紙 箱あり。
碑 Λ形 式 凧雲文 頁 III‖ I1350

①誡名問西側 木 納 あ り。 木 箱 に 「板 敷
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円苦 251責 ∼ lj・ t∼ 46
恢敗価祀 (表 ) 1006イ li 翻袈 左下 石‖ I恰 文 吏れ志 離名 ) との 報鉛 筆 苦きあり。
C,レ 式 255貢 頁
② 洲冊県立‖ 仙 の奥 に 「核敷 僑記 (表 )J
物郎 美術館 との 熙鉛 無 苦きあり。

①誡名lII西 側 木 衛 あり。 木 箱 に 「板 敷
‖逆人 w(字
」 稲
・L(コ 怪
)1680 1986J
円古 254貫 ∼ t∼
板敷硫記 (JA) 19861: 4H災 左 ト
c形 式
輸 文
41・ 1℃
真 和I志 議名 ) との黒鉛峯苫きあり。
255貰 頁
②測'PII県 立W tJの 裏に 「板取価,ラ Jと
物IT` 美術館 の黒劣ヽ 筆春きあり。

①南風原町山 414rあ り。 紙 箱 に 「年 平

手 前
円凸
宇 平lhr4(表 ) II'4t 口愉 文 なし 2191t 打Hl頗 川僑 僑‖文Jと の.Tt“ ヽ
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② 亡失

円古
①市駅原口
「山 紙箱 あり。 和〔 姉 に 「宇 平
宇 平幅m!(襲 ) 1690年 蜘I装 /rド 石 I「
C,レ ユ
(
日輪 文 213頁 市風 原 川術 thFl文 Jと の吊鉛筆書きあ
②亡失

①洲,添 市勢川
勢J!41F碑 湘(納 あり。 紙箱 に 「勢型
PI甘 46頁 ∼ 客
1691年 tl装
D,修 ユ
‖輸 文 なし lHi添 客桶‖Jと のR鉛 筆苦きあ
(表 ) ( 17F霊 ②洲純県立世
り。
物AFf.美 術師


2手前
①‖添市勢赳
紙 箱あり。 相(箱 に 「勢型
!

勢 塑E客 桶 ‖ 円者 16頁 ∼ 客
tlllt /Jiド 石14 日輪 文 市,添 客術Fl」 との黒鉛筆書きあ
(英 ) D形 式 17 rH ② ll III県 立 IV
り。
物all,美 術Arf

木締あり。 木姉 に 「中「
孔子lniFW記 (表 )1716
中 山 Tし 子痢 rl 156頁 ヽ
①②刃 卜 子
円古 口輪雲文 立殊 靱 57頁 ∼ 1986Jと の出鉛筆書をあり。
17】 64「 1986Fl= 軸喪 右上 石‖ 刀 廟問前"I孔
(久 米
朝 の裏に 「中山孔子廟‖
:

記 (夫 ) A形 式 飩文 157頁 59貫
`刷 2211付 近 jL(表 )
)Jと の黒夕ヽ
無書き
あり。

木 納あり。 木箱 に 「中山
孔予廟碑記 (裏 )1716
中山孔子前糾 J甘 回輪雲文 三 巳瑞 156頁 ∼ 571t∼
①②別ilh4孔 子 1986Jと の黒鉛
「L 筆書きあり。
記 (裏
1716年 】
986年 ll装 イ 刃卜期 ll,lnt(久 米
A形 式 雲文 157頁 59頁 llの 襲 に 「中山イし子痢抑
2211付 近
)

rL(41)Jと の黒鉛 4rt苦 き


)

あり。

紙 箱 あ り。 紙 箱 に 「 謝
比謝柄 T4文 口 左
17賣 ∼
説谷
①②説俗村字 価石中文 t07× 178J "ヒとの

0貫 比 謝 橋 [01
'当 熙鉛 筆 書 きあり。

木 箱あり。 本納 に 「新湾
①列卜馴迷付近 州卜昭賠 W文 (表 )1718
FIF滞 】
卜ヽ1江 fl! PI古 日輪 雲 文 158頁 ∼ 17頁 ∼ (id■ 利T) 1986JとのR鉛 筆書きあり。
1718年 1986!「 W装 /R上 石碑 なし 刃甲
文 (表 ) A形 式 159貫 19F霊 ②洲i縄 県立Ity tlの 楽 に 「新滞刃トハ 港砕
物節・ 美術鮒 文 (表 )Jと の黒鉛筆 lllき
あり。

本 箱 あ り。 木 箱 に 「新 清
①冽I硼 迷付近 川∫印Itti中 文 (裏 )1718
賣 5
田1

や頁

VI滞 訓Ittf江 弾 円古 口輪雲文 17頁 ^ (逝 坐口〕 1986Jと の黒 7nN無 ききあり。


)
Ⅲl袈 右_L 印
②洲制県立中
7「
文 (英 ) A形 式 19頁 llの 裏 に 「新 滞 川 港 神
"硝
物館 美術鮒 文 (襲 )Jと の科 鉛'ハ 筆苦き
あり.

木箱あり。 木箱 に 「中山
第 (復 元)1996 1996J
との lL鉛 禁書きあり。
軸の裏 に 「中山第一 復
中山第― (17101「 ) 71頁 ∼
①②首!L城 瑞 元 1710、 1996Jと の黒

復元〕
軸装 左■ W村 な し なし
75頁
222頁 片型 泉 fl前 (古 JJ 鉛 黎 rFき 及び 「石碑復元
当蔵3丁 日 ) 1996年 3月 吉 日 事業 者
古里城復 元翔成会 協賛
い琉球4t行 製 作 俯 沖
縄 石材 Jと の拓 本 (203
em× 50 5cm)あ り。

49頁 ∼
①列 卜馴孔子廟 木 納 あ り。 木 綺 に 「J/:球
所:球 新姓儒学 「古
I〕
口輪 160頁 ∼ 50頁
明倫よWI前 新 tLl儲 学 r中 1719 1986J
判〕

Fm雲 文 と珠X4L】 川I町 (久 米2211) との里 %ヽ 筆 書 きあり。
EW・ L へ形式 161頁 222貢 ∼
223貫
②刊ЧL県 立‖ t4の 裏 に 「新赳儒学 14」
物‖ 美術館 との黒鉛黎書きあり。

れ〔 衛 あり。 紙 箱 に 「69×

西森 碑・L
2頁 ∼ ①②t駆 ′
湾市
!

17254序 軸装 Jl野 湾 29、 西森 ‖!記 、 80× ta9J


22頁 守:其 志 】
=7Э との 熙夕ヽ 筆 書きあり。

木箱 あり。 木箱 に 「重 修
① 介財 ■ (古
天 /A ttfl記 (表 )I?И И
I記
修く




天表

里 当歳 ‖11可
PI 回輪索文 70頁 ∼ 51責 ∼ 1985Jと のIR鉛 筆書きあり。

174″ 1′ F 1985セ F tl装 知足irJI文 tl坐 十)


B形 式 791t 52貫 軸の裏 に 「五修天女桁碑
② 測組 県 立 Ⅳ
記 (表 )Jと の黒夕ヽ 筆書き
物 all 美 術 郎
あり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「五 l_F
①弁財■ (苫 天 女 桶 絆 記 (楽 )】 711
口1丁
J!当 庶「
五 修天 女 賄 14 円廿 口輸雲文 78賣 ヽ 511t∼ 1985Jと の 熙鉛 無昔きあり。
軸装 左 上 碑 対″i4文 日
朝 の 楽 に 「気 修 天 女 桶 仰
)
記 (襲 ) 〕
形式 791t 52J(
②沖制県立W 記 (lA)Jと の需鉛箸書き
物 研f 美術 nII
あり。

①②弁財 生 無 筍 あ り。 紙 箱 に 「h修
亀 l_■ 天 女桶 碑 P,十 1輪 雲 文 70頁 ∼ 51頁 ∼
(174111=) 軸装 対府 ll文 市里 (Vj JJ当 族卿rl 天女橋‖記 復 元砕 (喪 )J
記 (役 元 災 ) B形 式 81賣 52j・A
II付 きあり。
,「 1) との‖ 身ヽ

-38-
希 B
1反
名 覇 kll立 採択 午 態
収納 場所
lh別 ほ
イintの 文様
文祀
単0 文 献② 吐以
①巡立場所 師 考
②所 在 地
,形 ,レ
木4k,
i

朴弓 `「 ll縦 tul樹 木 41徹 場所 列 ‖!市 卍 身 4km

町麻
①②弁財■ 紙 箱 あ り。 紙 術 に 「重 修
rt修 天女所14 口輸 哭 文 7d頁 ∼ 51頁 ヽ
(1714`I二 ) 軸柴 イf li イiVI 対店 ‖文 古 ]! (古 □l当 歳町 1 天女術m!記 復 7LF中 (奥 )J
記 (彼 元 亮 81貫 52頁
丁日 との駅 鈴 筆 ☆ きあり。
)
)

木箱あり。 木箱 に 「新 修
k・ 栄僑卍記 (表 )1711

頁 6
6.

ヽ頁
新 修共 栄 柄‖ 円‖ 口輸哭 文 ①②川岬H∫ 牧 不計Jと の熙劣ヽ 筆書きあり。
石14!



側装 右 府 ■文 ガ甲
記 (表 ) A,修 ユ
( 60賣 志】21 tuの 裏 に 「斯 修美栄 lhf4

記 (表 )Jと 黒鉛筆 IIき
あり。

木納 あり。 木獅 に 「新 修
夫栄価W rL(裏 )j714
斯 修 夫 栄 脩rl 円古 164賣 ∼ 5S頁 ∼ I甲 〕
①②刀 可 ,牧 不評Jと の烈鈴笙書きあり。
側I装 石14 なし 刀ヽ研
記 (奥 ) 式
A,修 165頁 601H 志 121 軸の裏に 「新 修美栄朽4
記 (裏 )Jと の熙夕ヽ
無書き
あり.

紙箱あり。 紙箱 に 「改決
改 lkt羽 地川 i“ J廿
十 15頁 ∼ ①②名護市世
n 羽地川n!記 71× 205Jと
1

‐ 11lF tJ装 石 ‖輪 文 名護
L(表 「々
17′
) デく
C,修 16頁 り 予
426
の熙 筆督きあり。
劣Ⅲ

和(箱 あ り。 紙 術 に 「改 決
改決羽地川‖
tl装 石Iq!
円古
口輸 文
15頁 ∼
名三

①②名護市「
Π
羽 地 川 Il rd 71× 205Jと
rL(Vl) C,レ テ
ヽ 16頁 ,F部 426
の黒 鉛 笙 書 きあり。

今油
婦 ハ

肘 珈


1ロ ヒ今 所〕
に城 紙 箱 あ り。 和〔箱 に 「今 婦
円古 日輪 雲 文 2頁 ヽ
監 守 来歴 ‖ 記 (171911う 朝喪 /J下 珀足F■ 文 今 昴に 仁 監 守 来 歴 碑 Jと の 早 鉛
B形 式 13頁
(復 元 表 ) 筆 苦きあり。

山北 今 帰 仁 城 紙 綸 あ り。 紙 箱 に 「今 PFn
円古 12頁 ∼ 今掃仁村辛今
監 守 来雁 碑 記 (17И 9年 ) 軸 Jk ▲ 下 なし 今昴 仁 仁 監 守 来 雁 碑 Jと の 熙 鉛
B形 式 19頁 MIハ ンタ原
(復 元 襲 ) 筆 書きあり。

4t箱 あり。 紙箱 に 「山北


山北 今 州 仁 城 ①②今ll仁 村 ‐
円首 日輪 雲 文 12貢 ∼ 今昴仁 確守来歴‖ E 56
確く,!来 雁 ■!jL TI装 た 石 rl 菊‖,■ 文 今垢 字今油ハンタ X180Jと の黒
B形 式 19頁 鈴筆 書きあ
(復 え 表 ) '仁 原
り。

紙 箱あり。 紙箱 に 「山北
山北 今 垢Iに 城 ①②今帰仁村
円首 12頁 ∼ 今帰仁 監守来歴糾記 56
硫 守 来 歴 Fn記 1719イ F Ⅲ装 左 ド 石m! なし 今垢I仁 字今 泊 ハ ンタ X180Jと
D形 式 13貞 の黒鈴筆書きあ
(復 元 楽 )
"黒

①名護 iF宇 名
護 紙 箱あり。 紙箱 に 「三府
三府飩脈‖記 円J 口輸 雲 文 11頁 ∼
軸装 llJ,ど f“ 文 第諏 ② 名 護 引,立 W 龍脈IIl記 歿火 88× 71」
(表 ) A形 式 15頁
物 rt(名 護 JF との黒鉛筆苦きあり。
字 名護 291)

①名護市宇名
護 紙 箱あり。 相〔箱 に 「三府
三府 飩脈 n!・ L 円古 11頁 ∼
軸装 石‖ !
なし 名護 ②名護市立‖ ntttFl記 及久 88× 71J
(裏 ) A形 式 15責
物鮒 (名 護 FF との黒鉛筆苦きあり。
宇名護 291)

①T.護 市宇名
護 4t姉 あ り。 紙 箱 に 「三 府
三rf飩 脈 rtrL 円首 日輪雲 文 11頁 ∼
(1750′ r) 左 下 石IW 菊 F● 文 名讚 ②名破市立‖ 血 脈科 ‐L 217× 91Jと の
(復 え ,表 )
tll装 ,世
A形 式 15貢
物鮒 (客 護市 熙鉛 筆 書きあり。
字名護291)

①名護Jl年 名
ヨ府 飩脈 ■!記 円首 11頁 ∼

隻 紙 箱あり。 紙箱 に 「三府
(1750子 F) 軸装 /_ 石Ⅲ なし 名設 ② 名 護 JittW nt脈 仰 記 Jと の黒鉛 筆書
(復 元 襲 ) ′
ヽ形式 15頁
物 Fff(希 .C市 きあり。
字名 護 291)

① ② lltJRt北 側 木 箱あり。 木箱 に 「りゅう


82頁 ヽ
龍渾 i充 渫 I甲 1754年 軸装 石碑 方 者ヵ 古坐 (古 里 真 イΠ志 たんしゅん せつJと の黒鉛
83デ 霊
町 1丁 日) 筆書きあり。

木 箱あり。 木箱 に 「雲 IR
石Ht(復 元)1996 1996J
との黒鉛継苦きあり。
軸の裏 に 「雲 tRttSt 復
①②甘里城瑞 元 1756 1996」 との黒
≪恨石ht〔 復 (756J卜 ) 「‖ 84頁 ∼
軸装 十 !
方■ ,21賣 と坐 果 Wi前 (■ 里 イヽ黎 書き及 び 「石 W復 元

フ〕
当歳3T日 ) 1996年 3)〕 ギi tt W:業 者
古坐城復 元 成会 協賛
い ‖縄銀行 '朝 製作 俯 洲
縄石材Jと のIIIl本 (0 8cm
X127 7cm)あ り。

木 納 あ り。 木 箱 に 「石 ば
I手前

「 コ城 Fl文 ①②石 巨城跡 城 碑文 (表 )1762 1996J


イ 円古 256貰 ∼
17624F Iθ じ
6上 F THI喪 左 下 石m! ,輸 文 なし 61頁 真 和志 頂上 (刃 [刷 市 との黒 鉛 年 書 きあり。
(表 ) C形 式 257頁
紫多川59) 軸 の 英 に 「石 W tt W文
(裏 )Jと の 黒劣ヽよ書きあり。

①②示 Fl城 跡 木 締 あ り。 木 箱 に 「石 田
石 ‖1城 FR!文 円古 256頁 ∼
(裏 〕
軸装 左 ド
C形 式 257貞
61頁 真 和志 ▼i上 (刃 卜馴市 城fl文 (VI)1762 】 086J
紫多川59) との黒 鉛 箪 書きあり。

木 筍 あ り。 木 箱 に 「興 刀ト
馴 勢頭 豊 見 段 逗 fW口 跡 碑
与列F団 勢vrt豊
円若 口輪 T文 258頁 ∼ 62頁 ∼

①②川硼市 L (II 表 )1767 1986Jと
兄lllttfVl‖ 跡 軸装 石‖ 其 れ志 の Xt箕 Ⅲ
祭 書きあり。
16
:

C形 式 250ユ て 63頁 之月
卍 (表 ) 軸の裏に 「与刀 h¶ 勢頭豊
兄gl逗 側I口 跡碑 (表 )Jと
のHl劣 Ⅲ
筆ききあり 。

-39-
仮冊
任号 名 れヽ 処立 際択 4F ,修 態
法 (em) 収納 賜所
種別 形態
石 ‖の 文様
文献① 文llk② 肥域
①赴立場所 備 考
`F III縦 軸 績 本 紙 Ю 木紙 積 場 所 グ 行 14音 碑身 縁 飾 ②所 在 地
木箱あり。 木箱 に 「興川
覇勢IIJ豊 見規逗frl ttI跡 碑 `

与 ll i罰 勢頭 聖 (旧 .裏 )1767 1986Jと
兄親 逗 fVli口 跡 軸装
│■ ,者
オし なし
258頁 ∼ 62頁 ∼
真オ 志
①②川∫
呵市上 の冊鈴筆書きあり。
C形 式 259貫 63頁 之屋 r6
(襲 ) Fnの 襲 に 「与別団勢頭豊
“ 兄親逗留イ 旧跡碑 (裏 )Jと
の出鈴然苦きあり。

木箱 あり。 木箱 に 「興 刀 ‖
興 列‖獨IttIIn豊 嗣勢頭整 見親逗留 日跡騨
(1?67年 ) 円古 日情饗文 258頁 ∼ 62頁 ∼ ①②刀
卜研市J (新 表)1987(】 767)
見 親 逗 YI Π跡 14喪 布上 なし 共和志
‖!(復 元 `表 )
C形 式 259頁 63頁 之屋 16 1987」 との熙鉛筆書きあり 。
lnの 英に 「斯与那ハ 表J
との黒鉛筆 書きあり。

木 術あり。 木 箱 に 「興州 I

与別I硼 勢頭 里 翻勢 l豊 兄既逗留 旧跡 ,単
p」

兄観 逗 ryl Π跡
(1767`F)
III装 右上 石‖ !
円古
なじ
258頁 ∼ 62頁 ∼
真れ,志

①②列罰市上 (新 IA)1987(1767)
m!(復 元 ,41)
C形 式 259頁 63貢 之風 16 1987Jと の黒劣ヽ
筆書きあり。

柿 のIAに 「新 与川ハ

ウラJと 烈鉛無書きあり。

木箱あり。 木納に 「妙VI


02達 磨峰西 越ギ経全割I絆 (表 )、 1766
炒l■ 巡輩経全 円古 06頁 ∼ 来1比 (刃 卜
司 Ji 1986Jと の黒9hN筆 書きあり。
177611i 輸ヽ
装 左 上 口輪 文 なし 首里
出 と(表 ) C形 式 87頁 首里赤 ば,口 ,1 軸の奥に 「妙法延お教全
'■
5-1) 詢∫14(表 )」 との熙鉛紫苦
きあり。

木箱あり。 木箱 に 「妙 法
①② 逆磨酢西 逆輩経全部僻 (襲 )、 1776
炒法巡 lt経 企 W古 86責 ∼ 来院 (列 卜剌 市 1986Jとの黒7rN筆 書きあり。
1776年 1986そ F tH柴 ノ 不明 首
m∫「早 (奥 ) C形 式 87jlt 首 里 赤 I」 町 1 軸の慶 に 「妙法巡♯教企
5-1) 刊∫碑 (裏 )Jと の熙鉛筆讐
きあり。

本 納 あ り。 木 箱 に 「琉 球
日埼‖ 建 天 尊廟 天 府 宙 龍 I
班 球 日創 姐 天 ①天4t廟 跡 殿 問帝 l・4総 記 1731
半珀〕 天 后 宮 at
中I柴 右上 石‖
I刊 古 日綸雲文 162頁 ∼ 50頁 ヽ (本 狭 1251)
工般μ〕
市祠総 則肘 文 1985Jと の 黒鉛 筆 書きあり。

ヽ形式 163貢 51頁 ②沖縄県立岬
・・ L “ 軸 の 裏 に 「琉 球 国 創 建 天
物師 美術餌
単 廟 天 后 宮 竜 FE殿 岡 市 祠
総 記 Jと の 黒鉛箪 書 きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「賜 令
証 源 (復 元 )1996 1996J
との黒 鉛 筆 書 きあり。
41の 襄 に 「1男 谷霊源 復
!り令征 llJ〔 (18001F) 88頁 ∼
①② 古:ヒ 城瑞 元 1800、 1996Jと の黒

復元〕 19961=
tl喪 /J上 方甘 なし
89頁
225頁 古里 泉P〕 前 (古 里 鉛筆 奮き及 び 「石卍復元
当歳3刊 日) 1996午 3月 古 口 事業者
者里城 復 元期成会 協賛
硼 沖縄海 行 製作
佃 ‖1細 石'+銀材 Jと の 拓 本
(9 8cm X 134 2cm)あ り。

木 箱あり。 木納 に 「育何
2601-t∼
①②誡名fT内 泉 I1 1800 】
087Jと の
育徳泉 tll袈 左下 石m! 631F 史れ 志 (刀 卜 (J也 熙鉛箪単│き あり。
261頁
121-6)
"I ttiデ 軸 の裏 に 「育徳 泉 51!Jと
の黒鉛筆苦きあり。

木箱あり。 木箱 に 「立樋
① ② 生 田樋 川 IIP(表 )1807、 1998Jと
円首 92頁 ∼ 250責 ∼
立 樋碑 (共 ) 19804「 二 tJ喪 /E上 なし 古里 (古 里 確 保 町 の黒鉛筆書きあり。
D形 式 93頁 251頁
480) 軸 のBlに 「立樋 表 Jと
の累鉛筆書きあり。

木 箱 あ り。 木 笛 に 「t働
92頁 ∼ ① ② 宝 口櫛 川 Fl(喪 )1807、 1988Jと
主樋rn(襲 1807年 1988年 円古 250頁 ∼
) 椰装 石碑 なし な し 古里 (古 里 口
催 保 丁 の鼎 鉛 筆 巻きあり。
D,修 式 93頁 251頁
4-80) 軸 の 裏 に 「主 臨 うらJと
の熙 望ヽ筆 書きあり。

木 箱 なし。 復 元 した石 IWの


①②生 回色川 ITl木 。
宝樋 碑
「石 円着 92頁 ∼ 250頁 ヽ
(復 元 表 )
(1807イ =) 1995年 軸喪 イ 印
D形 式
なし なし 古里 (士 坐 儀 保 WI 軸 の 裏 に 「i樋 碑 (復 元 )
03頁 25!頁
l-80) 表 1995Jと の 出鉛 無 苦
きありA

木箱なし。復元した石碑の
主樋 μl甘 92頁 ∼ 250頁 ∼
①②主 日ttl川 竹本。
(復 元 裏 )
(1807`F) TIt喪 石 rl
D形 式
なし
93,て 251頁
古里 (古 里 艇 保 田〕 軸の奥に 「立樋絆 (往 元 )

“ 180) 裏 1995Jと の服鉛筆苦


きあり。

節・ し。
年 筒 碑 (表・ =lrnな
「t口 樋川辞 (刷 )J
① ② i口 樋 川 包紙に
円首 92賣 ∼ 250頁 ∼
石 辞 復 元 の際 布下 石卍 首里 (古 里 催 保 町 との凩 arN“ 書きあり。 他
の 原 案 ヵ) D形 式 93頁 251貨
1

4 aO) 点と―lTさ れていた。


拓本ではない。

箱 ユ:筒 なし。
主 臨 耐:(楽 ①② 口価川 包印Hこ 「主 口隠川 Il ttDJ
円首 92賣 ヽ 250頁 ∼
石 Fl復 元の 際 一紙 石碑 も里 (古 坐 償 保 口 との 果 鉛 筆 誉 きあ り。 lL I
D形 式 03Fl 251貞 “ 「
の原 知 Jl 1-80) 点 と―括 され ていた。
怖木 ではない。

〔立 随 ヵ 側
而ヵ 石 Ir彼 92頁 ヽ
①② !i口 働川
―紙 「ll 250頁 ∼
イF イ 古 JJ (`JJ償 保 町 包知(あ り。 記 報なし。
元の際の原祭 03Л 251頁
力〕 180)

-40-
仮冊
収納 場 石‖!の 文様 ①匙立場所
番 ry・ 名 fti 建 立 fr 採 択年 形態 種別 形態 文献① 文献② 地域 俯 考
軸 .縦 囀I積 本紙・縦 本 紙 積 場 所 行 IW首 碑身縁飾 ②所 在 地
①古!L城 琳兵 木 箱 あり。 木 箱 に 「 舶 樋
「]rl(皆 里ul
之 碑 活 洗 洗 地 808
活 溌溌 地 1008年 992年 軸 4rk pl古 なし
9И 頁∼
30貢 古里
産3丁 日 )
1992Jと の 黒鉛 筆書 きあり。
奥 95頁 ②西原町字千
軸 の 奥 に 「活 溌 洗 地 Jと
原 I 琉 球大
の黒 鉛 筆 伴 きあり。
学教育学部

木 箱 あり。
軸 の 裏 に 「活 れ 溌 地 夜

削前耳
城付醐
元 !800、 1996Jと の 黒

①泉普
② 円歳

瑞 里
活洗況 地 (1808年 ) 鉛 粂 書 き及 び 「石 碑 復 元
91頁 ∼
(復 元 )
軸坐 左ユ ! 石‖ :
円古 なし なし 301‐ t 古里 1996年 9月 古 日 事 業 者
95∂ 霊
甘 al城 復 元 会 協賛
冽リオンピー'W成 ル仰 製 作 い
洲制 石材 」 との拓 本
(19 0cm× 34 5cm)あ り。

Clel企 城 僑付
五修金城 柄 Il 262頁 ∼
あり。 紙 箱 に 「五修
41t納
(1810年 ) 円古 口輸 蜜 文 60買 ∼ 近 (刀「呵市紫
tu喪 右上 石碑 なし 真 和志 企城 腑卍 復元碑 (表 )J
(復 元 表 ) D形 式 263貫 61頁 多川 42017
との熙鉛笙書きあり。
付近 )

③ D企 城 価付
ヒ修企城 柘碑 μ〕
古 262頁 ∼ 63貢 ヽ
紙 箱あり。 紙箱 に 「五 修
(10104F) II装 近 (別 市繁
(復 元 ,裏 ) 企城 術碑 復元絆 (裏 )J
右 7F絆 なし 真和志
D形 式 263頁 64頁 多 川 4-2017
`覇
とのよ鉛雛書きあり。
付 近)

木箱 あり。 木箱 に 「当廠
村阿丹相川御Ц,中 文 (表 )
当蔵村阿刃 V4 ①②安谷川御 1011 1985Jと の黒鉛 筆
川 御猟 ‖文 96頁 ∼ 36頁 ∼
1985Fl: 巾 /_■ ィin! 円哲 なし 古 Jl ■t(班 I甲 l市 首 群きあり。
97質 3?頁
(共 ) '喪 里当蔵1284) 軸 の楽 に 「当巌村阿射報
,御 狙刊!文 (表 )Jと の熙
鉛箪訃きあり。

木 箱 あ り。 木 術 に 「当 瞭
村 阿 丹 Vl川 御 嶽弾 文 (裏 )
当藤 ‖ 1町 力IIP4 Oel安 谷川御 1811 1985Jと の 黒 劣ヽ筆
「柴 96頁 ∼ 36賣 ∼
川 御 Itl‖ 文 山 左上 石f中 苫 なじ li里 ■l(刀「馴市古 沓きあり。
97責 87頁
(襲 ) 里当版卜281) 軸 の 英 に 「 当蔵 村 阿 lJ相
川 仰猟 碑 文 (裏 )Jと の黒
鉛筆 書きあり。

①北谷と主
改造lL城 術判 !

19211に 中I柴 石型
I呵 古 口輸雲文
なし
52頁 ∼

湾の境外 ", 箱 あり。 紙 箱 に 「池 城
相〔
②沖組県立博
Jヒ
(表 ) C,修 デt 53F子 橋 Jと の 1に 鈴 黎 苦きあり。

物研・ 美術備 `申

①北容と1主 lJ
改壮池城補■ !
円首 52頁 ∼ 湾の境界 紙 納 あ り。 紙 箱 に 「 lL城
182ド F 軸喪 /E下 なし 北令
(裏 ) C形 式 53頁 ②‖柵県立HV 橋 T中 Jと の早 鉛 筆譜,き あり。
物 鮒・ 美 llV鮒

木箱あり。 木姉 に 「甘里
① 西里敷銀旗
斯迦型刷碑文 (表 )1037
古 fL新 逆型肺 J首 宝殊 双 飩 98頁 ∼ 53頁 ∼
跡 (首 ユ 当産
日 1985Jと の黒鉛筆書きあり。
1837`F
i

1995′ I: lllt装
砕文 (表 )
/. 菊,年 中 文 ,坐 3司
D形 式 雲文 99頁 55頁
)
噺tの 裏 に 「酋里新理型lfF
②‖紐県立貯 T中 文 (表 )」 とのR9nN筆 沓
物館 美 術 AI
きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「 首 lll
①者Jと 城製産


新 処 里 刷 卍 文 (楽 )1037

頁 ∞

一頁

跡 (甘 JI当 蔵



円首 53頁 ∼

183?年 19851F ¬1装 1985Jと の 黒鉛 筆 書きあり。


古里 3丁 日
I]形 式 55頁 軸1の 奥 に 「 者 里斯 匙 型 廟
)

②‖組県立 lty
rT4文 (裏 )Jと の 熙鉛 筆 苦
物館 美 術舶
きあり。

① ■ J!城 瑞 泉
じ手前

円 前 (首 Hl当 木 箱 あ り。 木 箱 に 靴 樋
源巡流長 1838年 100貞 ∼
英打 左 上 石耐〔 円 首 なし 37頁 古型 歳 3丁 日 之 rl「 源 述 流 長 J1038
101頁
)

② 洲縄 県 立 hV 1080Jと の黒 鈴 筆き きあり。
物 rH 美術 鮒

木 箱 あ り。 木 箱 に 「源 滋
流 長 (復 元 )1996 1996J
との 繋 9ffN筆 書きあり。
tFの 薬 に 「源 遼 洸 長 後
元 1838 1096Jと の 黒
源道 Ft艮 ①② 凸坐城瑞
(1030そ I=)
1996年 軸装 石 i守
101頁 ∼ 鉛 筆 書 き及 び 「石 碑 復 元
(復 元 ) 円古
102質
37Л 古里 来「]前 (古 里
1996年 3月 古 口 事 業 者
当蔵3丁 日)
首 里城 復 元 期 成 会 協 賛
大 同 火 災海 L保 険僻 製
作 僻 沖 縄 石 材 Jと の 拓
本 (16 8em X 31 2cn)あ
り。

① 古 里城 FII泉
t02頁 ∼
!打 前 (古 里 当 木 箱 あり。「舶樋 之 碑 )に
泉献 エ 1838`F 55頁 ∼
,に 1986`F IF喪 なし 甘コ! 藤 3T日 ) 泉 漱 Ji 1808 1986Jと
109頁 56頁
②〕 県立‖ の料 鉛 筆 書 きあり。
物‖・美術館
'純

木 箱 あ り。 木 箱 に 「飛 泉
漱 工 (復 元 )1996 1996J
との熙 鉛 筆 書きあり。
軸 の 裏 に 「飛 兵 漱 王 復
貫 5


ヽ頁

飛 果漱 ■ (18381「 ) I02賣 ヽ ① ② 古ユ!城 瑞 元 1838、 1996Jと の 黒


7'W

(往 元 ) 1996年
軸喪 左 上 方古 なし
103員
古 !L 泉 Ⅳ〕nt(古 JJ 鈴 無 書 き及 び 「7f碑 復 元
当廠 3r日 ) 1996年 3月 占 ‖ lll業 者
士里 城 復 元 翔 成 会 協 賛
企 秀 グル ー プ 製 作 榊
沖 縄 イitt」 (縦 8 0cn X
130 3cm)の 拓 木あり。

-41-
棚在
仮刷

①②
巡所

所地
12
j阪
納場 所 イ市中の文 様
祈号 名 れ i
ALl立 年 保沢 形態 悩別 形態 文 献① 文献② 地域 lt 考
`F fH 縦 ‖I嶺 本紙 HX 木和(慣 場 所 コ! 行 ‖古 I中 身縁 肺

助 と
=初 の
木 箱 あ り。 木 箱 に I

①②誡4J阿 内 台 碑 1830 1997J


261頁 ヽ
勧〃F台 1907`「 th裟 /‐ 下 石‖ 円首 Jf¬ (刃 卜 市 rt地
瞬∫ 烈銘ヽ筆 書 きあり。


=
265頁


奥 'LL 421-6) 仙のlAに 「Vl耕 台J
硝鉛無書きあり。

紙箱あり 。紙筍に「200

3手前
Vl〕 F台 (18381つ 261 jtヽ
①②融名 It内 助tll台 (復 元―正)Jと の
(復 え 表 1986==
tll装 ′F下 布耐 !
円古
265貢
65頁 I.tれ 志 (刀 卜踊I市 東 地 黒ヽ 年書きあり 。
tlの JAに 「親用
)
421-6)
“ 1台 笹元
(正 )Jと の熙 鉛 無 苔きあり。

和(納 あり。 紙 箱 に 「200

1手前
勤 〕F台 ①② 識名悧 内 勘り1台 復 元ウラJと の 黒
(1838イ
「 ) 2641t∼
(復 元 襲 )
軸共 イfFW なし 真莉i芯 (捌 I硼 市 史 地 鉛 Υ 祥きあり。
265責
421-6) IIの 41に 「製廟F台 復元
ウラJと のR鈴 継ききあり。

2手前
①② 誡 名 同 内 木 納 あ り。 木 箱 に 「 ‖鱚
266貫 ∼ 64頁 ヽ
Hm延 齢rl nI装 左 下 石14 円首 なし 其和志 (刀 卜邪I FI「 真 J也 延 齢 ‖! 1830 1987Jと
267頁 65頁
421-6) の 黒イ1筆 11き あり。

紙箱あり。 紙術に 「180

1手前

H耐 延齢 復元 (表 )Jと

午年

266Jt∼ 61資 ∼
①②識名囲内 の黒 イヽ然書きあり。

榊喪 Fl 円者 なし 真 和志 (別 I刷 ‖
i史 地
に「
l■

267,< 65買
421-6)
tlの 奥 H耐 延齢 復
元 (表 )Jと の黒鉛筆苦き
あり。

叙箱あり。紙箱に 「180
2干前

■耐延齢 (復 元 ―ウラ)J
‖耐延齢 (]838年 ) 266頁 ∼ 64頁 ∼
①②識名国内 との器劣ヽ 年書きあり。
(彼 元 .襲 ) 19814F
悧I装 /i下 なじ
267頁 65頁
真和,志 (別 I団 真地 ,「
棚の楽に 「‖破延齢 復
421-6)
元 (ウ ラ)Jと の黒鉛筆苦
きあり。

木 箱あり。 木箱 に 「仲之
j 手 前

t01頁 ∼ 37頁 ∼
①②史跡仲之 川 碑 1863 1986Jと の
側之 1860年 tF楽 左 ■ イiFl! 者 なし
38頁
甘里 )(古 tL企 城 黒71箪 書きあり。
"砕 ) 期装の裏 に 「仲之川 引と J
'T2-山 との熙鉛筆答きあり。

①古里城Fni宋 木箱 あり。 木箱 に 「飩樋


WlttI(首 里当 之仰 麓脈流亦 1066
J06頁 ∼
霊 脈 yt〃 ト 1866年 1986年 棚装 /こ 上 石 frl 円甘 226頁 凸 J「 ! 藤9刊 El) 1986Jと の黒憮 ‖卜きあり。
107頁
②‖‖は 舅(立 rNI 軸 の 裏 に 「能脈 流亦 Jと
物M 美術all のn「.営 `
筆普きあり。

木 締あり。 木箱 に 「花 lFl

洗〃 ド 復元 1996、 1996」
との根鉛筆.llき あり。
tdの 41に 「籠脈流亦 復
記脈 流 亦 ① ② 首 甲城 瑞 元 1866 1996Jと の基
106貞 ∼
(復 元 )
ful装 / 五石
中 円古 なし なし
107頁
226F宝 廿 泉 ,1前 (首 ql 鉛 筆書き及び 「石碑復 元
当歳 3丁 日) 1996年 3月 古 日、 J「 業者
首里城復元州成会、 協賛
‖i細 電力爛 、興 lT(h・ N
柵石籾 Jと の拓本 (206
cm× J29じ m)あ り。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「火 立
毛 の 研! 不 り1 1989〕 と
火↓毛の14 1989年 軸装 不 明 不Л 不明
100頁 ∼ 38頁 ∼
古里
①②別I弔 │‖ 古 の烈 鉛 4rI書 きあり。
t09貫 39貞 坐石嶺 2丁 日
朝 の 裏 に 「火 立毛 の■!文 」
との熙 鉛 坐 き きあり。

木箱あり。木箱に 「娩スキ
〔鋭 ヌ 十 碑 ‖I(表 ) 不評 1990J
口輸雲文
文 ①鋭ヌ
や十
rlH張 alJ'JF中 刀吊 との果鉛年書きあり。
(表 )〕 ②若狭 1刊 日
中Iの 裏に 「銃ヌ寺IT(表 )J
との熙鉛争誉きあり。

木 術 あ り。 木 納 に 「当 ,]
1干前

①② 当1問 御猟 御 猟 ll 不 評 1986Jと
「I中 自然 288頁 ∼
当‖
Π御 報 14 mI喪 左 T 子 なし 小線 (小 撤824器 地 の 1哩 鉛 筆 #き あり。
形態ヵ 289頁

f'「 ) IJの 襲 に 「 当‖1御 猟 n!J
との 黒鉛 筆 祥きあり。

木 獅 あ り。 木 箱 に 「tlx用 t
・L念 之 文 (表 ) 1988J
改 fll記 念 ‖
1998`I: t4装 布碑 不り
178頁 ∼
刀中
①②奥武 ‖
「 ,い
との I17nN年 書 きあり。
(表 ) 179頁 (護 国 判I社 裏 )

軸 の 裏 に 「改 和[(表 )Jと
の 烈鈴 ,:き あり。


木納あり。 木約 に 「改IR
改 I[・ L念 碑 記念之文 (裏 ) 1988」
1908年 州,装 不明 なし
170頁 ∼
捌I団
①②奥武山町 との早鉛黙沓きあり。
(裏 ) 179頁 (護 日41社 楽 )
軸の奥 に 「改和 (奥 )Jと
のよ│夕 ヽ
筆書きあり.

木 締 あ り。 木 箱 に 「袋 中
袋 印

上表


102貢 ∼
①②州h罰 商業 上 人 敦 化碑 (表 ) 1921

128 軸装 右■ 石耐 !
方古ヵ なし 刀肝 休育‖ (川 岬∫ 1980Jと の報 学Ⅲ 無 書きあり。
103貰
4dIの 41に 「袋H!上 人 (表 )J
NI〕
Hil・ T日 )

とのよ鮒 筆書きあり。

木 節 あ り。 木 納 に 「袋 中
袋 中 に人行 化 182頁 ヽ
C⑫ 川「削 lll来 ■ 人 教 化 印 (襲 ) 1024
Fl(夷
4HI装 方者ヵ なし
183頁
川 休古al(】 I覇 1088Jと の 服鉛 年 書きあり。
軸のlAに 「袋HL二 人 (襲 )J
)
`罰 市V.N11刊 日)
との 服鉛 禁 きあり、

-42-
仮冊

法 量 (cm) 収 紺 場所 イirlの 文 僚 ①ll立 場所


lF t7- 名 称 赴 立年 採沢年 形杷 櫃別 形絋 文献① 文献② 地域 備 お
II 硫 卜41t縦 本紙 わ け所 ア 行 i中 苦 H!身 縁飾 ②所 在 地

ベ ノテ ル ハ イ 護 Π 十万上‡場
184頁 ヽ 獅 封筒なし。
ムの碑 方哲ヵ なし 刃甲 内 91狭 r25-
185賣 他2点 と一括されていた。
5)

①波之上甘 木 締あり。 木術 に 「医判 :

ほ 4i敦 判 所 /L
106賣 ∼
硼1,岩 狭】
(列 教習所 i中 (表 )1088Jと
190Sl= tr喪 右上 布W 方 古ヵ 刃
ヽ中〕 25-10) のЖイヽ 筆書きあり。
念 ‖ (表 ) 107頁 “
② 洲 d県 立 ll tlの 楽 に 「医 ■ 教 習 所
物Fll 美術aff (表 )Jと のポ附 縦書きあり 。

① 波 之 上 1イ 木 箱 あ り。 木 箱 に 「ほ J:

貫 8

61
教 習 所 T4(慶 )1988Jと

一頁
研市若狭 ト
(川 卜
医 習所 記


念 Fl(裏
`L歌 )
19984「 軸柴 右上 石F4 方 帝ヵ おし 】吊 25-tO) の 1‖ イヽ
無 苦 きあり。
② ‖削 県 立 畔 ¬1の 3Aに 「医生数習所
物‖ 美術館 (裏 )」 との黒鉛筆書きあり。

木箱 あり。 木箱 に 「構 業
林 業断 影 FT 19584F 軸裟 右上 /・ IHと μ〕
首 なし 禄〕 yJl彰 碑Jと の黒鉛
筆書きあ
`小

木 箱 なし。
朝 の 裏 に 「,I波 普 猷 墓 前
頸形nl 伊 碑 Jと の爪 鉛 筆 書きあり。
'波 t41装 方 首ヵ なし 測,添 洲,PTh 「― プ し六 一 よ
F人 刀 十 三 日
普猷4前 ‖
伊!波 普 献 先生顔 彰会赳 立 J
(200× 46 4cm)の 拓 本 が
としてある。
男J相 〔

①赴立場所不 木Tlあ り。木箱に 「県立


1 手 前

県立IV物 術
イ所 1月

細県立W W物
蔵不明石騨① 裏打 左下 石 fl! 不切 不切 店市文 不明 鮒所廠不明石卍①
②〕Ⅲ 1989Jと の黒鉛 あり
物 III 美術 鮒
筆書き 。
! 手 前

①迅立場所不
県立IT物 IH所 木 箱あり。 木 箱 に 「県 立
UI
10S9η = 奥打 ム
丁ド 石f4 不 不 切 不り】 ‖物館所歳不り]石 F中 ①
蔵不り]石 fl ①
不明
②沖縄県立岬
" 1999Jと の熙 ヽ
然苦きあり。
物館 美術Fff

①処 立場所不
輸雲
X文

県立‖物館所 I刀
木箱 あり。 木箱 に 「県 立
奥打 円古 店■文 不明 ltyttaH所 巌 不明石砕②
蔵不明石科② ② 洲縄県立世
1980Jとの黒鉛筆沓とあり。
物鮒 美術館

①迩立場所不
木箱あり。 木納 に 「県立
1 ︻

妹 立‖ 物 館所 明
190911= 楽打 左下 石碑 円着 日愉 雲 文 不り〕 W物 鮒所歳不明石W②

不明
藤 不 り〕
石 碑② ②‖鶴県立牌
1900Jとの熙鉛筆書きあり。
物鮒 .美 術∬ f

木 箱 あ り。 木 箱 に 「玉 陵
1子市

貫 1

た よお とん の

21

① ② :E陵 内 仰 1501 不 評 Jと の 黒
ヽ貞

日輪 以 瓜 103貞 ∼

ひのもん (玉 15011: 不明 中I装 左上 室Il I句 古 店 車 文A 古里 (ll i罰 市 古 里 鉛 筆 書 きあり。


雲文 I01貫
陵Il) /●
城口 「 18) lIの 襲 に 「玉 陵 FI Jと の
熙鉛 筆 菩きあり。

木 箱あり。 木箱 に 「王 IJl
I男 述魯加相 逆各力Π相 回柱大人寿歳之
回4J!大 入 /i巌 ①②沢IIII親 方
1525イ ド
270頁 ∼ I06頁 ∼ 銘 1525 1088Jと の黒
之銘 (沢 │ほ 規
t41張 工‖ 真れ志 墓上 I(川 th4
271貫 107頁 鉛筆書きあり。
方414) 市繁多川46)
“ 軸 の裏 に 「沢低観方 Jと
のR鈴 無苦きあり。

I13頁 ヽ
①昔甲儀保1 木箱 あり。 木箱 に 「一 翁
一翁早公之碑 1539年 II打 左 上 基 I中 IJ帝 なし なし
114頁 ∼
114頁 首コと
丁日 llat公 之 碑 、 1539 1906

口5頁
218頁
②‖'縄 県立博 (襲 打)」 との黒鉛箪書きあ
物舶 美術 鮒 り。

木 箱あり。 木箱 に 「対 隠
3手前

①②述磨峰西
菊隠大和,尚 A 118頁 ∼ t01頁 ∼ 来院 (川I硼 市
大和尚墓I14 1620 1986J
1906′ F 制装 基稿 :
方 者力 なじ 滸 lE との黒鈴筆沓きあり。
Il 119頁 105頁 古里赤 旧町
軸 の楽 に 「対隠大和 尚塾
1

5-1】
‖」との果鉛筆苦きあり。

木箱 あり。 木箱 に 「本覚
木 覚 山 田!文 120頁 ∼
①②金武家基 山‖文 (表 ) 1624 10
円古 日輪 雲 文 105頁 ∼
1621年 tl装 た に 4rT μi■ ttA 古 fP 域内 (刀 F用 JF 85Jと の烈鉛筆誉きあり。
(表 ) ヽ形 式 12頁 106頁
古 Rl iコ 川町) 朝 の 裏 に 「本 覚 山Fl文
(表 )Jと の出鈴筆苦きあり 。

木 納あり。 木箱 に 「木 覚
貞 0

山碑文 (裏 ) 1624 19

5 1

①②企武家基
ヽ頁

本 覚 山 FW文 円古 口輪雲文 120頁 ∼ 「


左_ヒ

f.H装 基碑 l t rfl ttA 占Jl 域内 (川 硼市 86Jと の黒鉛笙書きあり。


(褒 ) 奥 A形 式 121頁
哲里山川町 ) 軸の 裏 に 「木 覚 山IF文 ウ
ラJと の黒鉛筆春きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「花 国
①② 毛 コ‖室 川1基 碑 1643 1986Jと
白然 272責 ヽ
毛 J ttFl t」 装 左下 室 Fl なし 108貫 lkれ 古 内 (列 卜
朋市女 の熙 】 筆 書 きあり。
形態 2731t
JJ) 軸の襲 に 「花国jPI集 ‖!J

との照鉛4rtき きあり。

箱なし。組て括られており、
然 態

毛 国 川I基 碑 ①②毛回‖I基 こ
272頁 ∼ よりに 「毛国‖
‖墓卍Jと
右下 猟碑 t08頁 真 i志 14(別 I団 市安

-1
(表 ) 273頁 fP 17) のR解 )無 書きあり。 他 1点
と 括されている。

締なし。痢と でITら れており、


白形
然態

① ② 毛回 ∫ m茎
毛 日 Wll嘉 碑 272頁 ∼ こよりに 「毛固lWI真 砕Jと
IIR メi下 康 ll なし なし t08頁 真 れ,志 F申 (刃 ‖馴 i/A
① 2 (真 ) 273貫 の報イ∫無著きあり。他 1点
坐 47)
と一「
れさ1し て,ヽ る。

-43-
阪鰐

捌在
①②
雄所

所地
法 獣 (cm) 1又 lVl 石 rlの 文様
AI F.L 名 称 巡立 保沢
`F

レ態 種 形態 文献① 文献② 地域 lla 考
`F 翻 縦 椰 枕 木紙 縦 木 41枚 場 所 ‖首 4身 傲帥
"I

① 首 里城 管理
木 箱 あ り。 木 箱 に 「 円 寂
セ ンター 及 び

頁 1
鉄 岩 石 壁 和 尚 島 碑 1679

ヽ貢
円寂 鉄 岩 石 坐 122頁 ∼
側〕
業 周 辺 (古 里在


左上 名 14 古 な じ 古里 1987Jと の 黒鉛 筆 沓きあり。
れ 尚黙 刊 123賣 城 町 12)
!

軸 の 襲 に 「鉄 岩 和 尚 Jと
② 沖蜘 県 立 博
の 熙鉛 筆 沓きあり。
物 舶 美 術 n「 l

木 箱あり。 木箱 に 「■川

0手前
①② 王川御殿

頁 2

4 1
松尾碁絆 1679 1985J

ヽ頁
■川松尾基碑 107頁 ∼ 始 ‖tの 墓 域


軸装 左 下 i甲 古 なじ なし との出鉛筆書きあり。
108貫 (古 里11り 1口 T2-
“ 軸の憂に 「れ川 PIN尾 墓碑J
33)
との熙7rk筆 書きあり。

木箱あり。 木箱 に 「具志
①川 JF具 志
290頁 ∼ t08頁 ∼ '耐 村基‖! 1607 1986Jと
具志 村 茎 IW ll at 左 下 4i“ 414! なし の烈鉛筆苔きあり。
291頁 109真 ②宇栄原の民
軸の裏 に 「具志村墓 II J

との黒鉛無書きあり。

①列
卜罰市具志
109頁 ∼ 290頁 ∼ 箱なし。組で精られており、
79-C 具志 村 裳 砕 1687年 右下 亀熙 盛W なし なし 禄 こよりこ「具志村基 141Jと
109頁 ②宇米原の民 の熙イト
筆苦きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「銘 対

白 形
然ほ
271頁 ヽ ① ② 1/1川 家 基 子 茎 卍 1601 1986」 と
名刈 子 基 碑 珈H柴 /J下 嘉碑 なし なし 09頁 史片志 の 黒鉛 邸 沓 きあり。
275貢 域 内 (識 名 毘
固) 軸 の 裏 に 「銘 メi子 4刊 !J
との黒鉛 筆 苦きあり。

I:I然 274貞 ∼ ①②溺川家 墓 箱 なし。 和と で括 られてお り、


名刈 子 豊 ‖ 墓f4
右下 091t 志 こよりに 「銘 対 子 盛 r中 Jと
!

形ほ 275頁
ltttΠ 以 内 (識 77.霊
同) の 黒鉛 筆 1ヽ きあり。


①②川硼市識
木 納 あ り。 木 納 に 「泳 河

源 沖F親 雲 上 基 叔 雲 上窮 14(1718) 19
19891F 1'装 整‖ 市ヵ
現 物 は 中 Iヨ 縞
!
な し 真布I志 80Jと の 黒鈴 筆書きあり。
州 にあ り、 怖
本 を もとに 設
4Hの 奥に 「源河親雲上 a

‖Jと の黒鉛筆Jiき あり。
2手前

木箱あり。 木知 に 「υl江

貢 頁
①② 嘉域
り∫
江家 泰 rl 177711= 1986年 楽狗
I刊 古 126rtヽ
オ 上 窮 rl
C形 式 1271t
古 !ヒ 内 (刀'I江
卜珊可i首 家基 r4 1777 1989Jと
エテ 口 671 の‖イヽ筆書きあり。
`神
木箱 あり。 木箱 に 「第渋
6手前

貢 9

良豊室FW 198つ Jと の黒

①②刀
IWi市 安

名護 良 坐 本 眸 trヵ !
オ!下

引装 をr中 円古ヵ なじ 刀 鉛禁書きあり。


,4FI‖ 文 謝 27+ヽ「近
`刷 椰の褒 に 「IC良 拇墓碑J
との黒鉛 士きあり。

ようとれのひの “
もん 円着 114頁 ∼
①洲,添 市 紙 箱 あり。 紙 箱 に 「(か な )
桓楽山之Ⅲ!文 山I装 裏mと なし ‖ilFN ② 洲41m県 立‖ 作‖:,13X80 54× 48Jと
O形 式 I16頁
(表 ) 物舶 美術all の剛 筆 ユ路 あり。

ようとれのひの 和(箱 あ り。 41箱 に 「此 山


もん IJ古 114賣 ∼
①洲,lTN市 者 1 55X165 14× j03J
極楽山之 ,中 文 tJ〕 装 た 下 裏 I甲 なし ②〕Ⅲ縄県立Ⅳ との 熙 鉛 筆 書 きあ り。 「比
O形 式 115賣
(裏 ) 物征 美術鮎 山者 Jは 、 ‖ 文 の 苦 き出
` しの附 と一 致 している。
`分
ようとれのひの
もん (1620年 ) IJ古 紙 箱 あ り。 叙 箱 に 「極 楽
軸装 114頁 ∼
悔楽山之r中 文 195541i
左 下 箋 1甲
O形 式 なし lj,添 河,添 市 山 之 砕 文 93X48 60×
(復 元 ,表 ) 151」 との 熙 鉛 Tt誉 きあり。

ようとれのひの
もル (16201F) ll古
14貢 ∼
極楽 山之I申 文
朝裟 「下
ノ 鼻 Fl なし な し 川ilTN 「添市
①②河 紙 締あり。
O形 式 I16貢
(復 元 憂 )

池城 l■ T4(表 ) 輸柴 芸 rl
1封然
なし ①②今昴仁村 紙箱あり。 紙 箱 に 「池城
9〕 頁 今婦 仁
形 態ヵ 字 TYx小 源 llk 4弾 Jと の黒鉛筆早,き あり。

絹〔箱 あ り。 紙 箱 に 「池 城
■ ln4■ !(楽 ) 16704F 朝,装 左 下 室 rll
自然
Ol頁 今帰 に
①②今h,仁 村
形態 ヵ 嘉 I1 40× 】70Jと の早 7nN
字 平敷 小 lFK灰
禁 書きあり。

IA嘉 記 (淵 t凧 W廿 紙箱あり。 紙 箱 に 「墳 嘉
1678`F I装 盛碑 なし
911t∼ 今婦イイサ宇今
口室碑 t」
D形 式 なし 今帰仁 記 ねl X 155Jと の黒71N無
02貨 rl gl泊 原
)

ドきあり。

①設置場所不 木箱あり。 木 箱 に 「古 型
波 平筑 登 之投 1明 波平筑 之墓 W 1701
EI・

②石垣市立′
ヽ 1009Jと の 学、
布一

笑 上 瓦嘉 碑 tl装 168頁 ∼ イ きあり。 lp・


iい
盛卍 なし
五山‖物M 軸の楽 に 「 波平筑
なし
(表 ) 169頁 /fF

(石 lt市 字 と `!に の熙鈴筆


之墓誌 (表 )Jと
望城
「 け ドきあり。

①設世場所 4ミ 木 締 あ り。 木 箱 に 「古 里
波 平筑 至 之 既 リ〕 波 平筑 4之 車 碑 (襲 )Jと
雲 上瓦 真‖ 悧1装 169頁 ∼ ② 石 Ⅲ:J「 立 人 の‖ 鉛 41,き あり。
イ 猟 rII F垣
!
i

(襲 ) 央 169責 よ i tl物 餌 朝 の 襲 に 「廿 Jと 波 平 筑 4
(石 JI市 宇 4 `
之 基 誌 (奥 )Jと のよt鈴 筆
野城 11) 件きあり。

-44-
仮糾

番号 ネ れ 涎 立lF 保沢年 ,杉 低
滋 (cm)
種別 形態
石 酔の文 様
文献① 文献② 地域
①処立場所 備 考
②所 在 地
i

ld.縦 軸 積 本紙 翻 本紙 横 場所 列 碑首 碑身縁飾

木 箱あり。 木箱 に 「豊 山

5手前
豊 山元 高 居 土 j31頁 ∼ 元高居士之l■ 1707
円首 南風 原 田I字 宮
II装 左 上 裏 FT なし 市鳳原 1089Jと の熙イヽ
筆ひきあり。
之塔 C形 式 132F霊 城
軸 の裏に 「豊山元高居土
之塔Jと の黒鉛筆書きあり。

木 箱 あり。 木 箱 に 「沙 姓

5手前
沙姓新垣家盛 ①那覇市牧志 新 垣 家基 仰 1708 1988J
19881F th装 右 Ji 基碑 なし なし 】 ②刃卜
覇JF教 育 との熙鉛 筆 1:き あり。
`覇 委員会 hlの 裏 に 「沙 氏 基 碑 Jと
の果鉛 筆 書 きあり.

①洲「
罰市敗志 箱 なし。 組tで 括 られ てお り、
沙姓新垣家 其
引 !
1?08年 布下 基‖ なし 刃卜朋 刀輌市教育
②「 こよりに 「沙 姓 新 垣 家 奏 韓
委員会 1708」 との 黒鉛 筆 苦 きあり。

紙箱あり。 紙箱に 「125


F呵 頭家墓誌 1727`F td共 と下 茎F4 真和1志
①②刀弔 櫛 田頭Jと の熙鉛筆ききあり。
奥 軸の裏に 「田頭家基誌 J
との黒鉛筆ミIき あり。

岡頭家基弘 Otl川 市樋 紙納あり。 紙箱に 「160


ll柴 左 ド 事,V なし PuNし 真和志
川 │
`罰 凹顔Jと の熙劣ヽ
筆書きあり。

紙箱 あり。 紙箱 に 「往 士
護 佐 九祖 先 墓
伽i共 右下 奏仰
1判 首 同輸雲文
不明 95貫 恩44
①②思納村牛 吉411之 中城 核 市, 121X
租[(復 元 表 ) B形 式 「 1城 原 2003 91 181× 63Jと の黒
ll作 ィ
鉛箪書きあり。

紙 箱 あ り。 紙 希 に 「護 佐
護佐九ll!先 卦
1740年 141装 右 ド 襲‖
IЧ 古
不明 95頁 思細
①②思納オ
サ字 九祖 先 基 冊! 53 X l10Jと
m!(復 元 慶 ) □形 式 2000
山 口城 尻ミ
の 黒鉛 筆 書 きあり。

木 箱あり。 木箱 に 「喜瀬
1手前

沙氏 喜漸 子 基 ①刃卜馴市7x志 子基碑 1743 1998Jと


Fl(表 )
tl災 右 I= 41rl なし なし 川I¶ ②刃I刷 市敦市 の黒鉛 筆書きあり。
委員会 軸の裏に 「沙氏喜瀬 子
表Jと の熙鈴箪ききあり。

木 納あり。 木箱 に 「II漸
①洲IttI市 牧志 子基‖!(裏 )W43 1988J
4 ︻

沙氏喜瀬子墓
171341: 1988¬ 装 右上 ぷ仲 「硼市牧台 との黒鉛無ききあり。
②刃

fl〕 ガ瞬
碑 (裏 )
=

委員会 軸 の裏 に 「沙氏喜YU子
うらJと の黒71N笙 1,き あり。

木希 あり。 木箱 に 「〕 Ⅲ喜
イ家真f中 17И 0 1988J
│¬古 洲1添 市 仲 西
lR喜 イ家基14 17191F 198841 I装 右上 菫m なし なし 測ilrN との無I望 ヽ
祭書きあり。
O形 式
I」

‖の41に 「IК 害名家熟II J


との黒rth無 苦きあり。

木箱あり。木箱に 「我謝あ
むしたれ菫仰 1762 1989J




明 との II鉛 筆書きあり。
② 課

組 巌
=所



税 謝 あ む した
引1装 IIの 楽 に 「我 謝あむ した
右 墓 f早 132貝
れ 4刊 !
れ‖Jと の¶17fN筆 ききあり。
拓本 の本紙 に組:文 の制刻
文が果 無で苦かれてい
"ヽ

木箱あり。 木納 に 「白氏
官城親雲 上基Fl(表
6手前

1761 1989Jと の黒鉛 筆


IJ氏 宮城親雲
1080年 軸装 墓‖
円者
なし なし 96貢 lJ肌 〔

①②与川I城 村 古きあり。
上ttFr(表 ) O形 式 厨陛 名 仲 田原
IIの 奥 に 「白氏宮城親雲
上墓‖ (表 )Jと の黒夕ヽ 梁
舎きあり。

木箱あり。 木 箱 に 「にI氏
宮城観雲上盛碑 (楽 )

176“ 1989Jと の熙鉛筆


白氏官城親雲
1761年 朝装 右 J; 墓‖
円古
なし なし 96頁 与刃卜

①②与】
卜城IJ 苦きあり。
上嘉‖ (裏 英 O形 式 屋 凌名 刊!側 原
IIの 英に 「白氏官城親雲
)

上墓 rl(襲 )Jと の‖1鉛 筆


省きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「求 氏
①② 催Π J家 基
大 宗 墳 碑 (表 ) 1820
黎 氏 大 宗 lKf4
1020年 1087年
円古 276頁 ∼ IH責 ∼ 域 内 (別 I硼 FF
軸装 菫碑 なし Rれ iを 1987Jと の 黒鉛箪 書きあり。
(表 ) D形 式 277貢 i t2,笙 識 名 西 !‖ 原01
仙 の 襲 に 「泰 氏 大 宗 墳 14
6)
(表 )Jと の 黒鉛 然書きあり。

木箱あり。 木 箱 に 「禁氏
①②儀側家鳥
大宗墳碑 (裏 )1020
市氏大宗噴Fl ‖首 276頁 ヽ 頁 城内 (刀 FttHF
1820fI= 1987′ F 軸共 左 下 嘉碑 其 和志 】987Jと の熙夕ヽ
筆書きあり。
(楽 ) D形 式 ,77貢 2頁 説名 西円原
軸の 裏に 「紫氏大宗噴 ll
816)
(憂 )Jと の烈鈴筆書きあり。

木 締 あ り。 木 箱 に 「 ドiu
尚豊 王御 イ ①②碇 ‖ J家 室
( 王仰 代 (表 )1830 1007J
182 IB301F /J下
ド〕
廿 278頁 ∼ I091t∼ 域 内 (州 I団 市
(表 ) tu裟 盛Fl 日輪 文 其 和1志 との黒 鉛 筆 苦 きあり。
D形 式 279頁 110頁 議 名 西円原
黎氏 大宗 索 柿 の 襲 に 「山 4工 街イ(J
B16)
との果 鉛 筆 誉 きあり。

木 筍 あ り。 木 術 に 「尚 豊
+御 ①②礎Ⅲ〕 家4
尚豊 代
278}〔 ∼ 091fヽ
I御 イ((裏 )1830 1987J
古 城内 (肌 I硼 Fi
(襲 ) 軸投 名‖ なし IIれ 志 との 出ヽ夕ヽ筆 11き あり。
)形 式 2701t 110賣 識 //7tt W,原
IL氏 大 宗 真 軸 の 奥 に 「 尚 件 I御 代
816)
(襲 )Jと の 服鈴 無 背きあり。

-45-
仮糾
法 (em) 収納 場所 lR I年 の文様 ①kll立 場所
fF号 名 協
i
赳 立年 際沢 Fr ,修 態 種別 形 ほ 文献① 文献② 馳以 備 考
t41縦 白し頼 ホれ〔横 場所 イア 碑古 │1身 線 飾 ②所 在 地
木箱あり。 木箱 に 「小禄
小 稼 之 基所 ‖ 円古 280頁 ∼ 112頁 ∼
①② 小禄家墓 家墓 F1 1816 】
986Jと
816年 th柴 左 F 碧 H! 真れ志 域 内 (川 I覇 市 の黒イヽ筆沓きあり。
文 英 O形 式 281頁 13頁
紫多 川 215) 軸のXに 「小禄家墓i的
との黒鉛筆書きあり。

①・It世
場所不
木締あり。 木箱 に 「刊〕 屋

8手前

にA瓦 基l1 1816 1989J
l

判歴仁屋瓦茎 ②石垣 刊 1立 人
1816`li 1980年 th装 嘉‖ !
ガ,レ ヵ なし との猟1第 ヽ イ書きあり。
14 Tl tt hl物 鮒
11の JFlに 「刊I屋 十
二屋熱討
(石 Jl市 字
J
Ij・
との1ヽ イⅢ 筆叫きあり。
′城11)

紙 箱 あ り。 和(箱 に 「夏 氏
夏氏 大 宗皇
W首 99頁 ∼ 「細 市 如 花

tll装 左下 墓卍 沖VII 大 宗 嘉 f中 57X193Jと の
C形 式 iOOデ 宝
ユ1鉛 無 書 きあり。

木箱 あり。 木約 に 「当,け

7手前
当問家 茎 ‖ 228頁 ∼
①② 奥武山街 家嘉冊 (表 )107】 1986J

(表 )
16?I上 F tl共 右上 磐n: 方 者ヵ なし なし (奥 武 山公 聞 との黒鈴筆,ヽ きあり。
229頁
"甲 lJ司 ) 1'の 英 に 「当円 家 真 碑
(表 )Jと の熙鉛筆書きあり 。

木 衛あり。 木箱 に 「当‖ Π
当 rfll家 基 Fl 228頁 ∼
① ② 奥武 山街 家室HI(裏 )1871 1986J
(IA)
軸喪 右上 塗 rl 方 凸ヵ なし 〃 (奥 武 山 公 同 との熙鉛筆書きあり。
229頁
I

`瞬 内) 軸 の 楽 に 「当‖‖家 墓 Fl
(BI)Jと の熙鈴筆書きあり

木 箱 あ り。 木 箱 に 「思 河
7手前

向氏思河ul之 !L之 子 親 雲 上 基 碑 1872


1872年 4n喪 4卍 123頁 平良
①②平良刊
f■ tt

1999Jと の 黒鉛 体 書きあり。
子親雲上塗碑 71tカ
仲宗 恨322
研 の 憂 に 「思 河 里 之 子 連
II Jと の 黒鈴 筆書きあり。

木箱 あり。 木納 に 「下地

頁 4

3!
仁几利社墓Ⅲ! 1879

”貫
下地 仁 尾 烈J社 ①②平R可


1070`F 988年 軸喪 墓 i中 1988Jと の熙鉛筆書きあり
仲宗It612 'W 。
なし 平 It
基‖ :

鞘の英に熙鉛筆書きがある
が、判読できず。

木 trあ り。 木 術 に 「仲地
230頁 ∼
① ②崎 ‖‖家 寃 斑刊嘉 碑 1986Jと の照
仲 地 阻仲 墓胡 : 1886イ I= 柚装 右上 嘉碑 方首ヵ 刀瞬 域 内 (牧 志 1 鉛蛛苦きあり。
231貢
603付 近 ) 中 裏に 「仲地肥迎島糾 J

の黒鉛筆苦きあり。
と'の

木 術 あ り。 木 箱 に 「石 応
7手前

①②謝北夕基
白形
然態

人 不Π尚嘉 I1 1886 1986J


石応大和尚基 282頁 ヽ 114頁 ∼ 域内 (列 卜
覇市
1086イ F 1986η = 軸装 左下 盛r印 なし 真 Tli志 の と 思イヽ 筆 書 きあり。
fp 283貝 145頁 楚 辺 J]003
相 の 奥 に 「石 応 大 和 墓 l・
付近 )
‖ Jと の熙 鉛 峯 ltき あり。

①②謝化家基
然 態

石応 大 和,尚 裏 28ツ 頁 ∼ ∼ 「 繍なし。 和と で括 られ てお り、


i886fr ―紙 堅Ⅲ
114頁 蚊内 (別 明〕

なし 其 イΠ志 二よりこ「石応 大和 尚奏 F4J
控辺 11033
I

① i中 283貞 115 Ft
`下 との烈 鉛 筆 書きあり。
付近 )

木 箱 あ り。 木 箱 に 「台 湾
道 害者 之 熱 I「 (表 )1098
台湾 道 告 十 之 232頁 ∼
①②誠ロキ内 i087」 との R鈴 筆 書きあり。
1898年 I」 装 右上 抑 方首ヵ なし なし 馴 田FF岩 狭ト
墓 (表 ) 軸 の 裏 に 「台 湾 道 害 者 之
lll卜
203貞
25-1)
基 (表 )Jと の 黒 7。N筆 書 き
"卜

あり。

木箱 あり。 木 箱 に 「冶 お
遭留士之≧耐t(裏 )1898
台湾遭害者之 ①②護 回寺内
1898年
232頁 ∼ 1987Jと の熙鉛筆書きあり。
佃装 右上 来碑 方 古ヵ な し 川I削 市若狭
の楽 に 「冶湾遭害士之
(州
室 (憂 ) 233頁
`用
25-1) 「 4」

基 (41)Jと の烈鉛 筆咎き


あり。

紙 締あり。 紙箱 に 「大
①②今昴仁村
tt
大西 茎 卍 文
1921年 軸装 /r■ 方古ヵ 家 紋カ なし 今帰 仁 墓‖文Jと の黒鉛禁書きあ
(表 ) 迎天
り。

大西 虫 卍 文 釈 箱あり。 紙 箱 に 「大西
①②今帰仁IJ
(裏 )
1921(I: tllJk 左 F 熟Ⅲ 方 古ヵ!
今垢〕
仁 基卍文Jと の熙鉛然ききあ
巡天

lk用 真常之ネ 木 納 あ り。 木 箱 に 「儀 Ⅲ j

055年 米珂t込 地 内 の
軸裟 布「 亮 Fl 方古″ なし 206,< 列F罰 真 ‖ 之 基 rl Jと の 黒 イヽ

碑 (表 ) 口
I卜 吉「
姿きあり。

木箱 あり。 木箱 に 「二階
生家基 14 1969 1000J
三 階 坐家 碧 pP 1969年 1990fI= 軸架 墓碑 方古ヵ 4し 本部
①②本削I町 渡 との黒鉛笙書きあり。
久 lL
1'の 裏に「二防tttA‖ J

との 黒鈴 筆 書きあり.

木 箱 あ り。 木 怖 に 「城 rrf
「 泳 通 要居 士」 墓 砕 、

源 遭 望丹 土 軸装 左 下 射碑 方首ヵ lLヵ なし 共 和志
①②洲1罰 市挺 不 計 、 1988Jと の 黒 鉛 筆
書きあり。
樹 の襲 に 「源適要居士 J

との■
1封 ヽ 書きあり ,


船頭 茎 碑 1055`F 軸柴 嘉W 方 古ヵ
巡ヵ
今 ll「
①②今hl仁 村 紙 納 あ り。 紙 筍 に 「船 」
rt

亥紋 ヵ 巡天 墓 騨 Jと の 早鉛 碁きあり.


屋久咄 朝I装 左 鶴Fl 方 古ヵ
①②今術 村 無 締あり。
迅天 '仁

-46-
「flの 文 様
許】

名 切ミ 巡 立年 保供年 ′
レほ
法 (cfn) 収納場 所
種別 ,形 態

文献① 文献② 地域
①tll立 場所 m 考
冊 Py 朝 縦 ‖I椒 本 紙 縦 本紙 わ 場 所 ア 行 碑廿 FI身 徹 飾 ②所 在 地
紙 綺あり。 紙箱に 「190

7莫
企城家Jと の熙鉛禁苦きあ
金城 家 笙誌 ′
灰「 軸共 左 下 方 古ヵ ぃr lR
llの 慶 に 「企城家墓詫 J
との果鉛筆書きあり。

釈箱あり。紙箱に 「洪ナ
195」 との‖鈴筆 dIき あり。
洪 川I家 事誌 朝1裟 墓冊
軸の楽 に 「洪別 4誌 」
`家。
との黒96N祭 書きあり

木 箱 あり。 木 締 に 「 平 瀬
家 4Fl 不 明 1989Jと
平瀬家墓酎 Tl装 襲 rw フす百 ヵ なし の烈 鉛 Tt脊 きあり。
tlの 楽に 「平瀬家芸5単 J
との黒7RI省 ド番きあり。

哀‖iW 棚業 右上 事FW なし 設P[場 所不Л 木箱 なし。

釈 箱あり。 紙 箱 に 「店 人

外墓
人=
府人漂流士室
①②恩納村宇
tli装 左 なし 94貫 思納 側汗I比 屋 It原 漂オ士基糾 61X193Jと
rH
の黒鉛年書きあり。
興陸
グ期
オ=

ン永

IIt箱 あ り。 紙 箱 に 「永 光
外人 93頁 ∼ ①②名護市宇
1016年 tl装 片下 なし 名護 服 之 115× 66 85× 55J
墓 I中 91頁 よ山F
運天力
との黒鈴 黙 苦きあり。
オ碑

グ刑
鰯餡

外第
人碑
ン永

紙 納 あり。 紙 箱 に 「永 光
1846年 朝柴 左下
99頁 ∼
名設
①②名護市キ 照 之 115× 66 作 品 55
91頁 運 天原 山岳
×85Jと の黒留群 苦 きあり。

木 箱 あり。 木箱 に 「泊外
4 手 前

人基地 店人墓Wa
① ② 油外 人 基
イ外人窒JL 1987′ F
外人 198頁 ∼ 1750 1987Jと の黒鉛 4F.
1750ι 軸装 布上 なし 引卜馴 地 (列 卜刷 刊i llu
店人塗F4a =
墓‖ 199Fて 書きあり。
3-20-1)
tlの 薬 に 「泊 中国人AJ
との熙鉛筆背きあり。
外基
人碑

泊外 人 基 地 ①②汗i外 人ネ 術なし。 41tで 括られており、


198頁 ∼
店人墓a 一 1750年 ―燕( 右下 列卜研 地 (訓I硼 市泊 こより1こ 「泊外人墓地 店
① 199頁
部分 0-20-け 人嘉」との黒鈴整書きあり。
外ユ
人卍

油外人豊地 ①② 油外 人墓 繍 なし。 紐 でlTら れ てお り、


198貢 ∼ 「 「
店 人 TA B 1750年 41 t下 なし なし 州団 地 (別 剛 市 油 こよりに 「泊外 人 科 地 唐
② 199頁
m,分 3-20-け 人 菫 Jと の果鈴 筆 書きあり。

木箱 あり。 木箱 に 「油外
人墓地 産人墓碑b
① ② 油外 人 墓
∬,外 人基地 外人 106頁 ∼ 1718 1987Jと の黒鉛筆
コI装 右上 なし 珈 地 (洲 市油
府人嘉‖b 本律 197頁 `馴 `団 書きあり。
3-20-1)
‖の裏に「泊 中国人BJ
との工 年沓きあり
Iイ ヽ 。
lru外 人茎地
196頁 ヽ
①②油外人菖 締な し。 組 で括 られ てお り、
生b 一
jl人 外人

171Sl= ― 和( 右下
盛卍
なし なし
197賣
刃卜刷 地 l覇 JF柏
(刃 こよりに 「汗外 人 茎地 府
判 3-20-1) 人 熱 Jと の‖ 鉛筆 書 きあり。
`分

木箱あり。 木箱 に 「泊外
人典地 店人豊糾c
①② r外 人嘉
1央

相 タト人 ユ 地 外人 200頁 ヽ 1785 1987Jと の黒鉛 箪


軸装 右上 なじ なし 刀F馴 地 (刃 卜 爾市泊
,占 人 発 14!c 堅碑 20】 頁 書きあり。
320-1)
軸の裏 に 「泊 中国人CJ
との黒鉛筆書きあり。

Υ外人芸地 ① ② 泊外 人 盛 箱 なし。組 で括 られてお り、


外人 200頁 ヽ
店 人奎c ― 1785Fr 一紙 右下 刀瞬 地 (刀 卜馴 市 / こよりに 「泊 外 人 基 地 膚
① 界 II 201頁
部分 3-20-1) 人 墓 Jと の黒鉛 無 書きあり。
外塗
人m

泊外 人 基 地 ① ② 洋外 人 室 箱なし。 和1で 括 られてお り、


200頁 ∼
店人菫c ― 17854F ヽ
用 ( メ
下ド なし ll i刷 地 (別 市油 こよりに 「泊 外 人 奏 地 虐
② 201貢
m∫ 分 9-20-1)'刷 人墓 Jと の 黒7nN無 書きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「 油 外
5 干 前

人墓地 府人基碑 d
汗,外 人 基 地 外人 202頁 ∼
①②油外人痙 1785 1907Jと の熙 N筆

肘 人 4111d
17951: 19871= 軸装 右上
嚢 I中 203貝
ll聘 地 (洲 I覇 J,油 7。

券きあり。
3-20-1)
朝Iの 英 に 「油 中国人
(D)Jと の 黒鉛 筆 書きあり。

木 箱あり。 木箱 に 「tFI外
①②泊外人蔓 人嘉地 店人基‖ e
外嘉
人科

油外人基地 201貞 ∼ 1785 1907Jと の黒鉛 筆


占人基We
軸共 右 _L なし なし
205貞
川 地 FF泊
(列
あり
`覇
書き 。
3-20-1)
`馴
軸の裏 に 「油 中国人 EJ
との黒鉛筆書きあり。

8①

外真
人碑

外人 4地
,洵 ①② Υ外人墓 箱 なし。 組と
で括 られてお り、
201頁 ∼
店 人 業o ― ―和〔 右 ド なし 刀
Fttf 地 (刃 卜Ы 市 油 こよりこ「II外 人 嘉地 店
205頁
部分 3-20-1) 人墓 Jと の熙 2ヽ 無 書きあり。

木 箱あり。 木箱 に 「ln外
人事地 店人茎碑f
外基
人騨
5 奥

① ② lll外 人 蔦
平外 人 墓 地 206百 ∼ 1705 1987Jと の黒鉛
軸喪 なし なし 刃
[瞬 〕 地 (刀 卜制 市 lll
だF人 墓 ,中 f 207頁 書きあり。
320-1) “
軸 の裏 に 「油 中国人 FJ
との熙鉛 筆書きあり。
郷①

外墓
人碑

ヤi外 人墓地 ① ② 汗I外 人 蒸 術なし。和と で括られており、


206頁 ∼
店 人墓f 一 一紙 〕団 地 (別 市油 こよりに flr外 人芸地 お
207頁
部分 3-20-1)`団 人基Jと の無附 無書きあり。

-47-
阪冊
法 量 (cm) 収納 場所 石弾 の 文様
汁け 名 称 RLI立 採択 年 形態 ほ別 形態 文献① 文献② 地域
①辿立場所 備 考
`F 軸 縦 軸・機 本紙 縦 本紙 れ lB所 ブ1 行 腑身 報 師 ②所 在 地

泊外人墓地 木 衛 あり。 木 箱 に 「ウィリ


アム・ ヘ アー ズ墓 眸 No8

外嘉
人脅
イ ギ リス 人 婁 ①② 泊外人墓
‖ 1016イ F 1980年 TH設 右上
200頁 ∼ 1016 1980Jと の出キヽ

刀卜昴 地 (刃 卜罰 市 油
ウィリアムズ 209頁 書きあり。
3-20-1)
ヘアーズ箋Fl 軸の裏に 「ヘアーズJと の
黒鉛筆書きあり。

木 箱 あり。 木 箱 に 「Jlド

︱手 前
外墓
人仰
泊外人基地 ①② lll外 人 事 ス基 卍 No 2 1819
アメリカ人 室 Fl 2iO頁 ∼
軸喪 右上 なし なし 】
卜研 地 (刀 卜輛 市泊 1980Jと の Ж鉛 筆 書 きあり。
JTド ス墓 i中 211頁
3-20-1) tHの 裏 に 「JTド ス」 との
黒鉛 筆 書きあり。

相外人堅地 木網あ塊 莉 に 17/‐ ―


アドネ基 碑 No ib i848

外墓
人絆
フラン ス 人 菫
212貢 ∼ ①②,I外 人墓 1980Jと の 黒銘ヽ
■ 無 苦 きあり。
!
軸装 石上 なし 州卜罰 地 「¶市泊
軸 の 奥 に 「① 刊I父 れ,文 ア
(列
213頁
9-20-1)
ドネ革碑 ドネ スJと の 熙 鉛 禁 苦 きあ

油 外 人 生地 柳 〕兆粕 に 7/‐ ・
l‐

外嘉
人碑
フランス 人 郎 アドネ畠卍 1018 1988J
212頁 ヽ ① ② 泊外 人 室
14 1818′ F 988年 ‖装 右上 刀Ⅲ
「 】 │_(川 I団 市 油 との熙夕ヽ
213頁 傘苦きあり。
3-20-1) 軸 の現 に 「① アドネスJと
ドネ墓r中 の黒鉛争書きあり。

人 室地
lll外 粕 》%亦 謙ヽこ「帝ンュヽ一
フラン ス 人 蒸 アドネー基碑 No 1 8
① ② 油外 人 茎
‖ 翻装
外人 212貢 ∼ 1818 1988Jと の黒鉛筆
なし なし 剃I罰 地 (別I爾 司,泊
墓刊 :
210貞 書きあり。
3-20-1)
ドネ来仰 tIの 襲 に 「① アドネー
2Jと の出鉛筆書きあり。

泊 外 人 生地 木箱あり。木納に 「ヒュー
外基
人=

頁 2

41
エリス基T4! No ll 1853

ヽ頁
アメリカ人 瑾 ,中 ① ② 汗,外 人 第


1853年 198S年 I装 右 J! DI嗣 地 (冽 岬 I市 油 1988Jと の熱鉛単書きあり。
ヒュー エ リス
事「中 3-20-1) 軸の奥に 「⑪ エリスJと の
黒鉛4rk書 きあり。

ll外 人 舛 地 木衛あり。木猫に「ジョン .
外嘉
人砕

アメリカ人 葉 Fl ① ② ‖外 人 基 バーネス墓石 甲 No 6 1853


1853年 2161R∼
ジ ョン・ ′ミー
1988′ F 41装 布上 なし ll i研 地 (別 ∫ I市 油 1988Jと の黒鈴禁番きあり 。
217賣
ネス泰碑 3-20-1)
“ 中iの 憂に 「⑥バーネスJと
の熙鉛無書きあり 。

lll外 人墓地
箱 なし。 組と
で括 られ てIoり 、
外整
人=

アメリカ人基m! 一和〔
①②泊外人基 こよりに 「泊外 人皇地 ジョ
ジョン バ ー 刀卜甲
刃 地 (川 I研 油 J「
ン バーネス基 ll(新 )J
ネス弟14(和 p 3-20-ll
との熙鉛無書きあり。

木箱あり。木納に「エリー
肋判

泊外 人 墓 地 クロスビー芸‖ No 12
アメリカ人 生Ⅲ 218頁 ヽ ① ② 平 ″卜人 熱
!

t4業 右上
外人 1B54 1980Jと の黒鉛 邸
エ リー クロス 州卜馴 地 (刀 卜研 Hilru
墓W 219頁 書きあり。
ビー 嘉 14 3-20-I)
榊の裏 に 「⑫クロスビー」
との黒第1筆 ききあり。

汗,外 人 泰 地 木箱あり。木 箱に 町 Lカ ー
外嘉
人引

アメリカ人 熱碑 220賣 ∼ ①②イ外人生 ター 嘉 Itt No5 105ね


J カ ー ター
1988年 II装 右上 なし なし
22】 頁
刀聯 地 卜研JFll
(刃 1988Jと の 黒74N筆 書きあり。
盛‖ 3-20-1) 軸 の 奥 に 「働 しカーター 」
との 黒鉛 筆 者 きあり。

木箱あり。 木箱 に 「ジコン・
油外 人 基 地 ウィリアムズ基 ll NolИ
外墓
人碑

アメリカ人基引 222貫 ∼
①②油外人墓 1054 1988Jと の 黒鉛 無
1854年 軸 Jk 右 _L なし 地 (洲 刊i泊 書きあり。
ジョン ウィリ 223貰
DF馴
アムズ室F4 3-20-1)`硼 軸 の 楽 に 「① ジョン ウィリ
アムズ Jと の黒 鉛 筆 書 きあ

油外人基地 木 箱あり。木箱 に 「ジョン


外墓
人糾

アメリカ人基‖ ① ② 泊外 人 基 ミラー 菫 砕 No 6 1854


1854 tr
224頁 ∼
1988/・ 軸褒 別 地 (刀 [硼 市 泊 1908Jと の 黒鉛 無 誉きあり。
ジョン ミラー I=
225賣
東Fl
'冊 320-け 朝Iの 裏に 「⑮ 弟 ン ミラー J
との報 鉛 祭 書きあり。

江「外 人 基 地 木 箱 あ り。 木 納 に 「ウィリ
アメリカ大基碑 ① ② 油外 人 嘉 アム ポ ー ド塞 碑 No 15
1854`F 外人 226頁 ヽ
榊柴 右■ 列卜研 地 (川 I馴 市 rFh 1988Jと の 服鉛 無 書きあり。
アム ボー
ウィリ 基 IH 227頁
ド車Fl 3-20-1) 軸 の 裏 に 「⑮ ポー ドJと の
黒鉛 笙 書 きあり。

油外 人 基 地 木 箱 あり。 本 籍 に 「HEア
イギ リス 人 4
外現
人弾
I英

③ Olll外 人 基 モア嘉 ‖ No 10 1008


碑 軸装
234X∼
右上 川I輌 地 (川 I罰 市 lll 1988Jと の黒 鉛 筆苔きあり。
11Eア モ ア 蔓 235頁
3-201) 椰の裏に「⑩アモアJと の
絆 黒鉛 雀書 きあり。

木締あり。「喜名jyt厨 子 IL
D手前

①川I馴 市安謝 銘 1670 1986Jと の黒


上地 厨 子 境 [670fF ll柴 (其 和志 ) 筆沓きあり。
右■ 阿 子 116頁 真 れ志
7Jヽ

襲に「上地人コ
なじ
② ‖飢県立Ity tIIの i 尉
物備 美術師 子tL銘 Jと の烈鉛筆祥きあ

木衛 あり。 木筍 に 「焼物
2 手 前

舵物本行‖1屋 本行厨子生p7 1671


gL雲 L厨 子甕 翻I装 厨 子 なし なし 不り I 設 Pl場 所 不 り〕 1080Jと の凩1銘 ヽ
無沓きあり。
銘 軸のよに「焼物*行 肘子
覧銘 Jと のよ(イ )無 沓きあり。

-48-
¨拶 ¨
¨ ¨
弾呻 石




申中 ]


中¨ ”︲
.]

]]






[ ”

]¨
]鉤
”]
¨ ¨天


鱗あ齢り
] F
。 曜林Wo渤り山
8 oと
。 ]


筆 銘筆 王 あ あ 山 D 彫 りo 一 山 o 。 彫 りo o o 榊 J と
王 り彫り 一 山鉛 山

筆苦きあり。
り彫 り 一

J J

木 締あり。 木 筍 に 「郎氏

り。= あ が

包紙 に 「郎 lヽ 帝炉銘 Jと

高銘鉛

之 境 鈴 % 天 天 あ=あが

天黒 精 あ
あ 。
天 あ= あが

t,所 TI炉 銘①② 不詳


f■ 黒
き 裏 致
子黒

4 子



筆本きあり。


1990Jと の出 ヽ


呻] 中F弾 中

仰 ︲

のよ1舅 Ⅲ
箱要 eSの な面 ︱ な 両 1
J の 谷 箱 石 苦 の③
本 許 い軸 仰 木 和 Ю柚 の 箱 正 ” り。 , り。
箱 正 5 北 木 真 ∞軸 刻 軸 孜 北木室 19 軸 刻 軸 致・ 北 木4筆軸刻
不 牌舶
所 立術
場 県美
置 縄 ・
設 沖館
① 明②物

-49-
古 子
仁 厨
披 要
史 祠
氏 泰銘
監 穐茎
仮鰐
法 (cm) 収納賜 「仰の文様
イ ①巡立場所
冊号 名 Ⅵ; 姐 立年 採沢 ,レ 態 種別 形態 文献① 文献② 地域
`F fH樅 朝I積 本紙 縦 本紙 積 場 所 lV IW古 fl身 縁 飾 ②所 在 地

木箱あり。 木箱に イ テラノ


の洞 石雄縫② 1800
束 村 13袋 仁 屋
F添 可
①②打 f牧 1090Jと の4.イ ヽ
筆書きあり。
テ ラノ の 洞 石 1990牛 TII喪 /1rド 知施 なし
港 匈1の 英に 「束村れ袋仁凪
煙 籠①
(テ ラツの洞)① 」との熙
鉛無沓きがり。

木 獅 あり。 木 箱 に 「テラノ
の l・│ イi蛭 磁② 1830
束村鳥袋仁凪
テラプの洞 石 悧 喪 知願 なし なし Mi添
①②洲)添 市牧 1990Jと の T.舅 ヽ
無 書 きあり。
① 迷 tlの 奥 に 「末 村 局 袋 仁 星
拒縫②
(テ ラノの洞 )② Jと の‖
鉛筆祥きあり。

木 納 あり。 木箱 に 「弁 ヶAt

I奥
〔弁 ヶ搬 石 縦 石 鮭 猟 銘 不 明 1980J
施銘 〕
1900′ I= tul装 左 上 々1籠 不り1 首 fP ①②介ヶ報 とのlR鉛 4rt書 きあり。
椰 と木 紙 の輛 は一 致。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「弁 Wl

4干前
①② 弁財 生 天 ■ 手水 鉢 銘 1855?
(弁 財 天 生 手
1989年 軸襲 左 Ji 鉢 イし なし 古里 悧
(古 Jl当 蔵「 1980Jと の黒鉛 縦杏きあり 。
水外 銘 〕
I

丁 日) tlの 奥 に 「弁財天坐手水
石Jと の黒鉛雛沓きあり。

①大安押 ミ r
I弔 I市 若狭
(刃 ) 木 箱 あ り。 木 箱 に 「 旧 大
②アメリ カ合衆
1史
安 41寺 鐘 銘 Jと の 黒 鉛 筆
に1大 安 柚tヤ pt 78貢 ヽ
鑢銘
11561「 1998′ li ll装 左上 鐘 なし
179H ガ
ト硼 回 ア ナ ポ リス 書きあり。
海爪兵学校。 軸 の 裏 に 「大安,Iキ 鐘 銘 J
レブ リカ は 琉 との‖ 鈴 筆 書きあり。
球 大学 。

木術あり。 木箱 に 「‖ ]普
①肝 I普 ,1禅 寺
pl神 寺〕瞼 銘 】 156190
「 普 円禅 +洪 1985イ F III装 ツ:L 鐘
]86貞 ヽ 「
朋明
(久 波地 )
5Jと の累鉛筆書きあり。
鐘銘 典 187頁 ②沖細県立IV t4の 襲 に 「‖I普 ‖
1禅 寺湖〔
物航 芙術 arr
錦銘Jと の黒鉛ζ書きあり。

①天単殿 (若 木 箱あり。 木箱 に 「旧天


5手前

肝天 単殿 巨鑢
狭 ) 部殿巨鐘銘 1156 1985」
182頁 ∼
11661F 19851F コ,柴 左 瞳 なし なじ 列
IB" ②洲縄県立Ⅲ との黒鉛筆 1ド きあり。
銘 183貫
物 ・ 美術館
aF・ 軸の裏 に 「「口天単殿 二範
所産 銘Jと の黒夕津 帯きあり。

木箱あり。 木 箱 に 「旧天
①天飩常谷
飩精各洪鑑銘 1456
天飩精谷》 (
1456年
181頁 ∼ ② 洲細 県 立 W
II共 釦 なし なし 不明 1985Jと の黒夕Ⅲ
雛書きあり。
蠍銘
'日 爽 185頁 物 an 美 術 鮒
榊 の裏に 「天竜精舎洪鍬
所蔽
銘Jと の黒鉛 無書きあり。

木 納 あ り。 木 箱 に 「‖I亀
I口 罷応 キ 巨甑 190頁 ∼
①霊応寺 応 キ 巨鑑 銘 1457 1085J

1157年 1985年 IJ装 た上 鐘 なし 不 pjl
②‖,紹 じ
県立‖ との黒 夕ヽ争 書きあり。
19j頁
物館 美術Arf Ilの 楽 に 「肝iV芯 キ I三 蠍
銘 Jと の 早夕ヽ
筆 書きあり。

①天妃官 (オ 木 箱 あ り。 木 箱 に 「 ―
6 手 前


頁 8



B ︲

鐘 銘 1167
一貫

) お1権 現 渤〔
口天児 官 》(鎚
W57年

19854F ‖裟 鐘 なし 洲I馴 ② ,剛 県 立 ly 1005Jと の 黒鉛 筆書きあり。



物 館 美術 Fff 朝 の 英 に 「 Π天 冗 官 瀾(鐘
所溝 銘」 との熱 鉛 筆 書きあり。

① aL翔 寺 木納 あり。 木箱 に 「 日Itu


に,肥 翔 キJt鈍
②糸満市字糸 翔十〕〔鐘銘 1457 1907J
201貫 ∼
IJ Jr 左 ti 鋲 なし なし 下明 満 207 糸消 との黒鉛箪書きあり。
銘 史 205頁

市立中央公民 軸の楽 に 「飩翔寺鐘銘 J


館 との黒鉛筆書きあり。

木箱あり。 木 箱 に 「永怖

寺洪鑑銘 1157 1989J


干二 W

永 柄寺潮甑 銘 1457`F 軸装 鈍 なし 185頁 古坐 との黒鉛筆書きあり。


中Iの 裏 に 「永tllキ 鍬釘 J

との黒鉛笙苦きあり。

木納あり。 木 箱 に 「「 口滸
①首里城 型城工殿釦鑢Tr 158
日古 里城 正殿
十 192貢 ∼ ② 刊'知 1味 立 ItT 1985Jと の報夕ヽ
黙苦きあり。
1458年 仙装 鐘 首 Jl
銅鑑 第 193頁 物 館 美術館 軸 の憂に 「旧 tYj里 城 正殿
所歳 鍋鐘銘Jと の黒鉛 筆書きあ
り。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「‖ 」一
①一‖ h確 現
ЛI椎 現 洪 鍬 銘 1159
旧 品椎 現 潮t 104貫 ∼ ②〕,細 県立Ⅳ
1450と F 1985¬ = tJI装 左 上 鍬 なし 1905Jと の無1鉛 梁苦きあり。
策銘 195頁 物鮪 美術鮒
軸 の 楽 に 「‖,― ‖I推 現 洪
所廠 の船 鐘銘 Jと 鉛 筆書きあり。

木 締 あ り。 木 箱 に 「 Π天
2 手 前

①② 親苦 キ 界禅 寺 j/t鐘 銘 1466
旧天 界 市I寺 金 176頁 ∼
11661F 翻柴 ノ
正li 億 なし なし 金武 (/P武 町 字 企 1987Jと の X鉛 無 書きあり。
錦餡 1771t
武 222) 軸 の 裏 に 「天 界 キ Jと の
熙鉛 筆 書 きあり。

紙術あり。 紙箱に 「125


①相国+
1手前

相IJ寺 Jと の黒鈴筆書きあ
ツ:ド ②‖組県立 lll
社,口 寺 E蝋 銘 軸装 鋲 なし なし 210賀 ‖坐 り。
物節・ 共術鮒
軸の楽に 「和国キE鐘 銘
所蔵 J

との .営 ヽ
推芥きあり。

① PI覚 寺 (百
3手前

里当産 2刊 H) 木 姉 あ り。 木 姉 に 「 口円
‖J円 ILキ 段 f「 198頁 ∼
11951「 1995(F 軸柴 左 鐘 古坐 ② ,Ⅲ 組 県立 lv 覚 十殿 中気 銘 1195
慧銘 199頁
物鮒・ 災術備 1985Jと の出鉛 筆 沓きあり。

"f蔵

-50-
仮糾

①②
姐所
立ィ
場 に
所地
収 細場所 r「 ‖の文様
冊 ly 名 称 赳 立′
F 採択 1「 ,レ ほ 眩別 形態 文fLA① 文献② 地域 備 考
軸 縦 tr樹 木紙 印 木紙 樹 場 所 ″ 行 報 身徹 al

① PI覚 寺 (■ 木 箱 あ り。 木 姉 に 「旧 円
!「 当蔵 2「 日 覚 キ殿 市銑 銘 405
196頁 ヽ
)
I覚 キ殿 前
②洲'制 県立‖
I日
「 1405年 1985JF 判,喪 左_L 鎌 なし 古□! 1985Jと の黒出ヽ 年 書きあり。
鎌銘 107員
物 arf 共 術 館 lnの 夏 に 「 ‖1円 覚 寺殿 前
所腹 踊 第 Jと の 黒劣ヽ 祭 ききあり。

①円覚寺 (古
口円覚 キ松 曽 2001tヽ
里当版2丁 日 ) 木 術 あ り。 木 箱 に 「に l


襲│「 鶏 なし
20311
凸[I! ②〕柵呪
十 (立 IV 覚 キ楼 鐘 銘 1697 1085J
'世

物 all 美術 all とのよ 鉛 筆 書 きあり。


所廠

木 箱あり。 木 4rに 「明治


①設 ittl場 所不 九4F切 口銘 (表 ) 1772
れ19`F鰐 曰
り〕 り l 1989Jと の熙鉛筆麹ドきあり。
1989年 棚装 略Π 蓮ヵ Iじ 1頁 不り
銘 (表 ②洲細 県立ltV 軸の裏に 「り〕 和九′
I

) FIB口
物鮒 芙術rlt %(表 )Jと のR鈴 筆書き
あり。

木 締 あ り。 本 箱 に 「明 れ
①設 魃場所不
九年 鰐 口銘 (喪 ) 1772
り,れ ,9年 鰐 口 1月
朝装 左上 窮 口 なし 181貢 不り 1 1980Jと の黒 鉛筆 書 きあり。
銘 (裏 ) ②〕,組 県立IV
朝 の 現 に 「切 和 九年 切 口
物th 夫術館
17Jと の lК 7HN摯 書きあり。

木 箱あり。 木箱 に 「県立
①設置場所不
折(立 IT物 f所 り
W物 ‖所藤切 口銘 1772
!999T れ1装 左下 鰐 口 陛カ idI貫 不り〕
l
1909Jと の熙鈴筆書きあり。
族鰐 Π銘 ②洲制県立‖
“ 榊 の裏 に 「切 口銘 Jと の
物舶 美術鮒
熙鉛筆苦きあり。

木箱 あり。 木 箱 に 「奥武
絣仰

① ② 央 武 IIttT 山梵字真言 ,中 (1504?)


耐 無 阿 弥 ドヒ仏 白然
16601「 1986η = 山I装 右上 なし なし 242頁 刀卜珊 (奥 武 山 公 園 1986Jと の烈鉛笙書きあり。
形 態ヵ
I

14:
測'0) I」の奥 に 「洲官梵 宇 Jと
の熙イヽ 筆書きあり。

木獅あり。 (記 載なし、339
括絆

Jと 3392が 一括 で収細 され

市 無阿 舛 陀 仏 ‐ ①②奥武山公
自然 ている。 )
右ド なし なし 212頁 刀卜羽 園‖官 (奥 武
形 態ヵ 組 で括 られ てお り、こよりに
`中
山町 「梵 字 (奥 武 山 )梵 宇 真
)

言 4!〕 との熙 鉛 筆 書きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「南 無
鰐“

市無 しやか狙 268質 ヽ
02城 岳公 四 志 や加 九1来 fl 不 詳
1660年 1986イ F tl裟 左下 不明 真れ志 西 1削 嘉 地 (楚 1986Jと の熙 鉛 筆 書きあり。
来f4 奥 269H
辺 22付 近 ) 仙 の 英 に 「市 無 志 や 加 政Π
「 来 卍 Jと の熙 鉛 筆 督きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「梵 卒
脩碑

(小 禄 )
3奥

不 評 1986Jと
梵宇 小粽
4HI撃
白然
なし なし 292頁 116頁 小禄

①②列綱Hi小 の黒 鉛 筆 書きあり。
形態ヵ 禄212
朝 の 楽 に 「梵 宇 (小 禄
ア)Jと の 黒 7nN無 書きあり。
館W

箱 なし。 紺と で括 られてお り、
rt字 (小 tk) 自然 蝸IH'小 禄
一紙 右下 なし /JNし 202貞 t46頁 /1ヽ
禄 こよりに 「梵 学 (小 線 )ア J
① 形態 ヵ "卜
との IR.7fN黙 苦きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「梵 字
(Iコ 原 )不 詳 1986Jと
の 熙鉛 筆 苦 きあり。
群仰

① ② 後藤 家 の
tuの 裏に 「梵字 (田 原 .

梵 字 lll原 自然 四辻石 垣塀
1006F「 軸装 /i下 293頁 禄 カンマン)Jと の黒71N筆 苦
,レ態″ (加 市 frl原
きあり。
69) `馴
木箱 に梵 字 が書かれてい
るが、ここでは摘記しなかっ
た。

木 術 あ り。 木 箱 に 「発 宇
指m

(宇 栄原 )不 評 1986Jと
月F, 芍tЖ 初訳
枷,裟 左下
自然
なし 294頁
[45賣 ヽ

③②クシスカー の‖ 鉛 争 奮 きあり。
形 態ヵ 116責 (宇 米 爪 312)
tlの 襲 に 「梵 宇 (宇 栄原・
バ ン)Jと の黒 鉛筆 書きあり。
好W
的①

結 なし。 紐 で括 られてお り
梵字 (宇 栄原 )
一紙
自然
なし 291頁
115頁 ∼

C@ク ンスカー こよりに 「tt宇 (宇 栄原 )
形態 ヵ 146責 (宇 栄 原 312)
バ ンJと の 県鉛 筆 ききあり。

木 箱あり。 木 4Tに 「梵 字
(宇 栄原 )光 明真言 不
併=
3手前

詳 1986Jと の黒鉛笙書
梵牛 宇栄所 i
IH装 IJ然 115質 ∼ C@ク シヌカー
1986`F 左 下 295Fて 禄 きあり。
光 /1真 言 形態ヵ ]16貢 (宇 栄原312)
軸の奥に 「梵宇 (宇 宇栄
原 光明真言)Jと の黒鉛
禁書きあり。

木箱あり。 (記 載なし、999
炸碑

1と 3992が 一 括 で収 納 され

梵字 宇 栄加 白然
205貫
臣15頁 ∼ O② クシスカー ている。)
右下 保
① 光 明真 言 形態ヵ 116頁 (宇 栄 原 312) 4rt(括 られ てお り こよりに
「梵 字 (宇 柴 原 )光 明 真
言 Jと の照 鉛 筆 書 きあり。
肝卍

① ② 古城 家 欺 木箱あり。
当‖‖ノロ段内 自然
の梵宇碑
19861F 軸装 なし 296,ζ 隷 地 内 (小 禄 軸の裏に 「当Ⅲレ ロ段内梵
興 形態 ヵ
837-1) 字Jと の熙鉛推書きあり。

木獅 あり。 木箱 に 「梵 字
肝砕

①ll立 場所不 (県 IV)光 明 真 言 外


3 手 前

賣 “
樗 ︱

梵 宇 (県 障 )
や質

りl (来 )1827 1980Jと の黒
光明真 言 外 軸装 呵古 なし 1(I刀
(表 )
②‖組県立hJ 鉛体書きあり。
物郎 美術 鮒 軸の英に 「と円1糾 (表 )J
とのよ1%ヽ 筆沓きあり .

-51-
仮冊
法 収 納 IIl所 石 碑 の文 憮 ①赴立場所
PFl号 第 れ :
巡 立年 保択 年 ,レ ほ 種別 ,レ 態 文ttO 文献② HL城 仰 考
軸 縦 軸 杖 木紙 縦 卜紙 横 場 所 ア 行 碑音 碑身緑 肺 ②所 在 地
木 箱あり。 木箱 に 「梵宇

増絆
梵宇 (県 博 ①建立場所不 (県 博)光 明史言外 (裏 )

3 ヽ
)

光明真言外 827年
143頁 ∼ り 1027 1988Jと の黒 鉛筆
軸装 れ 下 円廿 なじ


不明
(裏 )
111頁 ②測'制 県立博 書きあり。
物‖ 美術館 袖 の奥に 「金印1経 (裏 )」
との黒anN無 ききぁり。

木 箱 あ り。 木 納 に 「石 仏
石 仏像 背 而銘 軸装 右下 なし 古 tF 弁ヶ猟 像古 面銘 康 FU年 間

989Jと の 熙鉛 筆 書 きあり。

箱 ,士 1筒 な し。
厚徳 イiド 魔
方甘 木 出∫
Oa木 部町瀬 他 の2点 と―括 され ていた。
除け 底
市 君の 上 にある額
=に

紙箱あり。記載なし。

贋附
7手前
箱内に 「瀬底 上帝君の
lt底 局上ヤ君 ①②本部町瀬 れんJと のメモあり。
のれん t」 喪 右下 方古 なし 本 mi
庄 「1992年 に面底島で採択
し 同年 に寄RWを 受 けた J

とのメモ亀:き 2片 あり。

木 箱あり。 木箱 に 「英武
山 「空地 水火風J仰 不
奥木
武火
山風

「空地 慶
①②英武山町 詳 】986Jと の黒鉛 筆器
1986年 Il,装 メi上 なし ガI罰 (史 武山公園 きあり。
Tl 除け
Ⅲ宮
Ⅲ t11の 裏に 「測大富天酬 山
)

『空地水火風』 Jと の黒鉛
筆 書きあり。

木 締 あり。 木 箱 に 「捌
魔鮒

①列卜 「肢 当 不詳 1990J
覇市東町 大綱 イ `冊
列卜副 大綱 石 敗 と西一丁日の との熙鉛 無 苦きあり。
Iθ 90/1 軸共 右上
当 境 界 (観 見1■ ) れ」の 裏 に 「石 敗 IIt 十
日加
②剃I団 市■屋 嗣 綱 曳 場 Jと の 烈 鉛 筆 14 `

きあり。

木締あり。木箱に 「当PIIlノ
ロ殿 内 「DI地 知〕 IT 不
当Ⅲ〕ノロ殿内 自然 ① ② 宮 城 家敷 評 1986年 Jと の熙財ヽ 雫
「伊地角ЩIW 1986111 ¬
1装 左 下 不「/1 なし なし 297F霊 禄 地 内 (小 禄 書きあり。
形態ヵ
837-1) 柿の襲に「当問ノロ殿内
「,I地 知JJと の熙 N禁 番│・

きあり 。
硼石

箱 なし。 4Jlで 括 られ てお り、
石 ヤi あ じ こより1こ 「原 石 (石 叡 )あ
布下 なし 古型
ろよじ原 しろまし原 Jと の 黒 鉛 黎
碁 きあり̀
朗石

①刃 I罰 市国場 木 爺 あ り。 木 箱 に 「原 名
古波版 テ ②小禄南公民 (古 激 蔵 ) テ 不 詳 1
1986午 〕襲 ,
〔 左下 /1Nし 」
tれ と
なかさく rf(教 育委員 986(裏 打 )Jと の 黒 鉛 筆
"猟 会所巌) 書きあり。

①那馴市I到 場 箱なし。/1tで ITjら れており、


古 Hk廠 テ
一紙

VII
②小禄市公民 こよりに 「原名 (i;波 歳 ?)
なし なし 285Л 呉T「 志
① なかさく仄 tlJ(教 育委員 テ なかさく原 Jと の 黒鉛
会所族 ) 禁書きあり。
2手t

木箱あり。 木箱 に 「原名
小保 ヨ ま 日〕割 ①②上原家以 (小 禄)ヨ まへ原 不詳
裏r「
I

(1986`I=〕 左 2981t 禄

へ原

石 地内 (小 禄40) 1986(裏 打)Jと のヽ鈴


無書きあり。
硼石
禄 原
小 ヘ

箱 なし。 組 で括 られ てお り、
一燕〔 L原 家敷地内 こよりに 「原 名 (具 志 )ヨ
布下 なし 298頁
① (小 禄40) まへ 煉 Jと の黒鉛 箪 番き
あり。
帥石

錬く
①毛

ガ 削
一禄

一〇

締なし。 組 で村 られ てお り、


4F
)
al なし 300貢 禄 こよりに 「原 名 (小 4k)ユ
川 原 」 との 熙鈴 T.書 きあり。

木綺あり。 木箱 に 「原 名
期石
9①

禄 ユ
襲打 左下 なし 300貫 禄
①②ミーガー (小 禄)ユ 川原 不詳
毛 (小 様 315) 1986(裏 打)Jと の熙鉛 筆
書きあり。
帥石
5手前

①川IttiF宇 栄 木 締 あ り。 木 術 に 「原 名
宇 栄原 ト 原3-1-15 (宇 栄 原 ) 卜 つ ま原
つ ま原 奥│「 なじ 301責 禄
②小禄商公民 不 評 1986(裏 打 )Jと の
rf 熙鉛 筆 苦 きあり。
帥石

︲①

箱なし。 41tで 括 らオしてお り、


宇栄原 ト 刀卜刷 FF宇 栄 原 こよりに 「原 布 (宇 栄 爪 )
一紙 IRド なし 301頁 FR
つま原 卜 つ ま原 Jと の報 鉛 筆 11
きあり。
附布

木 箱 あ り。 木 節 に 「原 /rl
4手 前

只志 へ と ①②刀 卜馴市只 (只 志 ) へ ととろき原



1986イ 襲 }「 302H
志 178
I:〕
とろき原 不詳 】 986(裏 打 ))と の
RI鉛 無 沓 きあり。

節なし。和とでfTら れており
共志 へ と 11'判 ∫ ①②刀 h罰 ‖
iナ 1 こよりに 「原 /rI(丁 t志 )ヘ
一 用( なし
な 178
① とろき原 報
ととろき妍〔(奥 打)Jと の県
銘Ⅲ
箪 古きあり。

-52-
仮鰐

希号 名 称 題立年 保 択 lF 態
法 量 (cm) 収 納場所
種別 形態
石 I「 の 文様
文献① 文献② 地域
①赳立場所 備 考
②所 和:地
,レ
軸 積 本紙 縦 本 紙 鞘 場 所 Fl古 碑 身縁 Ar

酬石
箱なし。41tで 括られており、
“②

具志 へ と 川I罰 市 具 志 1 こより1こ 「原ネ (具 志)ヘ


一紙 右下 302頁 /1ヽ 禄
とろき原 ととろき原」 との黒鉛 無誉
きあり。

酬石
木 箱 あ り。 木 箱 に 「原 石
① ② ミー ヤ ー
具志 ふ く (具 志 ) 小 くし原 不

1996fr〕 裏打 生下 なし 800頁 線 毛 (具 志 17
じ原 奥 言( 1906(裏 打 )Jと の熙
付近 ) 「
鉛 筆 沓きあり。



帥石


① ② ミー ヤー 紐 で括 られ てお り
具志 ふ く 「原 石 (具 志 )小
紙 右下 なし なし 300賀 禄 毛 (具 志 卜 17
① し原
1f近 ) との黒鉛笙書きあり。

木 箱あり。 本 箱 に 「 li彗 ヒ

5手前
①古里以
口字千 城 口 1 1730 1992J
1綿
76頁 ヽ 30頁 ∼ ②西原「
「十月
古里城 口 1739`F 1902年 t4装 左 上 なし 占里 との黒鉛筆伴きあり。
31頁 原 1琉 球大学
I

77Fl
軸の裏に 「首里城 口時計

教育学部
'+ヨ J

の熙 と 鈴筆書きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「 伊 江
殿 内 庭 闘 亥1字 漱 石 山房
①② 段内
漱 石 山房 (伊 1000 1986Jと の 出 鉛 筆
に国内'1江(刃「罰
江 殿 内 f■■固刻 軸共 左 上 刻丑 浮彫 131貞 05頁 古里 書 きあり。
央 市古里当巌 2
字) t4の 襲に 「 殿内庭固
22)
刻卒 「 ・Ml石 山房,Jと の
'I江
黒alk箸 苦きぁり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「 ,I江
殿 内庭 固 刻 宇 巣雲
I手ィ

①② 殿内
1800 1986Jと の 熙 鉛 無
巣雲 (伊 江殿 庭囲内 'I江(列 卜

III投 左 上 亥J科 浮彫 なじ なし 132頁 35Fτ 古 里 書きあり。

内庭阿刻字

) 刊,音 里当歳2
軸 の奥 に 「 殿 内刻 字
22)
「果雲 JJと の'I江
黒鉛 筆 沓 きあ
り。

「江
木 箱 あ り。 木 締 に 「 り
① ② 91油 :殿 内 jV
1 史

/Tj(01江 「 Xt内 庭 同 刻 宰 常 不
殿内 庭 同 内 (冽 期
tl〕 装 刻沓 ,早 彫 なし 133貞 87頁 首里 1986Jと の鼎男ヽ 盤 書きあり。
庭園刻字 ) 市 古里 当朦 2
の襲に「伊
翻〕 1江 殿内刻†
22)
常 Jと の 黒劣ヽ
筆 書きあり。

木箱 あり。 木箱 に 「
①② 殿内 殿 内庭固亥1字 普 'I江 不評
喜 (91江 殿内 に国内'I江(川 1986Jと の気1劣 器 書きあり。
毀 力llr 浮 IRタ なし なし 134貢 古里 「01江 段内庭岡
市 古里 当茂`団
rl〕
庭固刻辛 ) 2 ttIの 裏に
22) 刻 キ 裏 Jと の出70N無 苦
きあり。

紙箱あり。紙箱に 「225
①設置場所不 屋比久Jと の ヽ
筆苦きあ lWkイ
凧 比 久 家 4敷 明 り
②崎問斑巡氏 。のIXに 「星比久家事敦
1010年 tH装 左下 瓦 証文 なし なし 不明
;亜 文

所廠
討[文 Jと の le●
鉛 Tt書 きぁり。

① 阿 比屋 武 御 木箱あり。 木箱 に 「剛比
嶽 (首 工 真 イロ 屋武御獄 棟石】 1906J
団 比屋 武 仰 猟
TII張 左 I二 棟石 古里 志町 1丁 日) との熙鉛筆番きあり。
棟石 1
②現物の所在 朝の 襲に f固 比屋武御 lll
棟石Jと の爪鈴筆書きあり。

① 阿 比贔 武御
猟 (者 里 真 和 木箱あり。 木箱 に 「回 比
園比風武御猟
棟石2
引1共 快石 あり なし 古エ 志 田11丁 日) E武 御搬 棟石2 1906J
② 現物 の 所 在 との黒7HN筆 碁きあり。
は不 朗

木 箱あり。 木箱 に 「爛 │ヒ
① 劇 比属 武 fhl
屋武御穀新棟石 1 1986J
I奥

双 (者 里其 rl
圃 比 屋 武 御川 との黒7RN筆 苦きあり。
1986年 柚装 左Jと 棟石 あり 古 JJ 志口11丁 日)
棟石 彫 (表 ) 軸の裏 に 「園比屋 武御 H
②現物の所在 棟石彫 (表 )Jと の黒鉛邸
は不り
書きあり。
]

木 箱あり。 木箱 に 「lH比
①囲比星武御 鳥武仰猟新棟石 2 986J
園比屋武御川
Ht(首 Jl真

和 │

との黒鈴箪書きあり。
軸装 左 ■ 棟石 あり 古型 志町 I司
軸の裏 に 「幽比屋武御猟
)
新猟イi彫 (裏
②現物の所在
)

斯棟石彫 (裏 )」 との黒鉛
は不 明
筆書きあり。

木箱 あり。 木箱 に 「園
屋武御猟 口棟石 1 1985J'ヒ
① 固比 屋 武御
との黒鉛筆書きあり。
獄 (古 HJ真 √Π
国 比 屋 武 御猟
口 1丁 日) ‖縄タイムス1984句 =2)]16
あり なし ll里 志「
旧楔 石 日付新山I紙 にくるまれてい
②現物の所在
1

る。 新川I紙 に 「固比屋 武
は不明 の赤ペン書き 棟 正面Jと
あり。

木知あり。 木 箱 に 「固 ,ヒ
屋武仰 獣 Π棟石 1 1905J
① 固比鷹武仰
とのR鈴 祭番きあり。
獄 (古 里真 れ !

間 比 月1武 仰 猟 測縄 タイムス1984`F2'116
198511; ―無 あり 古Л: 志 町 lT l)
‖,憮 万 1 n「 lrfⅢ I釈 にくるまれてい
②現物の所在 る。 新 WI紙 に 「lm比 屋武

1よく
け 檄 正血FJと の赤ペン沓き
l

あり。

-53-
①②
巡所
立r
場 に
所地
仮 lК 納 場所 石‖!の 文様
語ケ 乳 称 赴 立 fF 保択 年 ,レ 態 低別 形 l_R 文flk① 文献② 地域 lhl 考
冊号 軸 縦 軸 悦 木紙 縦 本驚〔情 場 所 イ〒 仰古 ‖身線mi

木 納 あ り。 木 箱 に 「囲 比
屋 武 御 猟 IΠ 棟 石 l 1985J
① 岡比屋武街
との ‖研 筆 譜きあり。
幽 比凪 武例 翔 猟 (古 !L真 和
j9854F 一相〔 川 純 タイムス1084午 2州 16
旧棟 石
左 上 棟 イ∫ あり なし 古里 志 町 】,日 )
付斯 WI紙 にくるまれ てい
②現物の所在
1

る。 新 ‖〕紙 に 「園 比 屋 武
は不 明
棋 iL面 」 との赤 ペ ンドき
あり。

木 術 あ り。 木 納 に 「団 比
屋 llt御 猟 ‖麒 石 I 1985J
①岡ケ ヒ屋武御
との熙 7rN筆 どきあり。
園比几武御hl ■t(苦 IP真 和
ⅢⅢ価 タイムス 1984年 2)]i6
1

/_‐ 棟石 古舅! 志町 lT日


旧bk石 〕 )
1付 新 lll無 にくるまれ てい
②現物の所在 る。 新 門〕 紙 に 「園 比 屋 武
は不 明
棟 r面 Jと の赤 ペ ン誉き
あり。

木 衛 あ り。 木 箱 に 「岡 比
屋 武 御猟 In棟 石 2 1985J
①剛比屋武御
との黒 鉛 筆 誉きあり。
闘比凪武御■l At(古 里史イΠ
19854F ―紙 〕Ⅲ
縄タイムス198И 年2,115
旧4yl石 2 椒石 あり 首里 志町 1丁 日)
日付 夕干Jの 新 []紙 に包ま
②現物の所在
れていた。 新 聞紙 に 「lH
は不り
比屋武棟 うらJと の赤ペ
]

ン31き あり。

木 箱あり。 木箱 に 「回 ,ヒ
屋武御nl旧 撤石2 1985J
①園比屋武御
との黒鉛筆帯きあり。
悧 比 屋 武 御猟 猟 (首 里吏和
沖続タイムス1984年 2月 15
1

一紙 左 L bk石 /JNし 凸日と 志町1¬ 日


旧楳 石 2 )
日付 夕刊の新 W紙 に包 ま
②現物の所在 れていた。 新 ‖l紙 に 「固
は不 明
比屋武棟 うらJと の赤ペ
ン苦きあり。

木納あり。 木箱 に 「四比
尾武御無 11棟 石2 1905J
①凹比屋武仰
との黒鉛年書きあり。
四比屋武傷獄 私 (者 吼真れ
,,縄 クイムス19ol年 2月 15
,

旧撫石2
―紙 左 ■ 棟石 あり なし 志口11丁 日 )
日付夕刊の新 WI紙 に包ま
②現物の所イ
E
れていた。 新 ll紙 に 「日
は不り 1
比屋武棟 うらJと の赤ペ
ン書きあり。

木 納 あ り。 木 箱 に 「剛 比
屋 武御 報 ‖1棟 石 2 1005J
①団「ヒ屈武鶴
との黒 鉛 筆 苦 きあり。
岡比屋武御猟 嶽 (む 坐史下Π
19854F -41 測'細 タイムス]o81年 2)]15
止撫石2 あり なし 苗里 志町 1丁 日 )
口 ll夕 ]:Jの 新 ‖1恕 に包 ま
②現物の所在
れ て いた。 新 DR紙 に 「園
は不り ]
比 屋 武 棟 うらJと の 赤 ペ
ン書 きあり。

①阿ナ ヒ屋武御
木 締 あ り。 木 箱 に 「園 比
固比屋武御41 68頁 ∼
獄 (市 lP真 和
235頁 ∼ 足 武 御〕嶽 額 之 字 Jと の
(510J「 〕 不朔 仙 Jk なし TFr,文 古里 志町 1,‐ 日
のRll宇 (復 元 ) 59頁 236頁
)
熙鉛 筆 苔 きあり。
②現物の所在
包 紙 あり。
は不り │

① 田比 屋 武 御
木箱あり。木箱に 「そのひ
0①

回 屋武御狙 猟 (古 ql真 和i
58頁 ∼ 235頁 ∼ やふの御猟の額字 (1519)
(1519年 〕 不り〕 II柴 /J「 , 府草文 首 tP 志 町 I司 日)
の版
"ヒ芋 (復 元 ) 史
la′
59頁 236頁 不評 レプリカJと の黒鉛
②現物の所在
箪.lkき あり。
は不切

① 囲比 屋 武 御 包紙 3枚 あり。
0②

図 屋武御猟 58貞 ヽ 235賣 ∼


箱なし。組で括られており、
猟 (首 里 貰 和
(15101「 〕 不明 右下 僚/i なし 店 市文 古JR こよりに 「そのひやぶの御
志 口rl T日 )
の額宇
'ヒ (復 元 ) 5つ 頁 236頁
②現物の所在 Atの 績守:Jと の.T船 筆沓き
は不り】 あり。

①阿比屋武御

あ り。LI前 に 「園 比
0③

JII衛
4t(古 里真和

〔5慟 年〕 58頁 ∼ 星武 御 猟 2 イF本 Jと の
不例 一紙 右下 rll● :

206賣
甘 l「 志町1丁 日 )
59j・t 黒%ヽ 筆 lh・ きあり。
②現物の所在
lL7点 と一ITさ れている。
は不Л

①阿比店 !武 御

固比風武御猟 Hl(首 町 と真れ , 木 納 あ り。 木 箱 に 「Bl比


鬼瓦
憂打 左_ヒ あり 志口 ,1丁 日 ) 屋 武 御 ■t九 瓦 1985Jと
②現物の所在 の熙 鉛 無 書きあり。
は不 明

①固比屋武御
∝①

ヒ屋武御猟
阿Ⅲ 獄 (b坐 真汗
Π 木 箱 あ り。 木 箱 に 「闘 比
Π
九瓦
駆打 左上 TL あり なし 古型 志ロロ刊 屋 武 御 ■t鬼 瓦 1085Jと
)

②現物の所在 の R鉛 無 書 きあり。
はコくり ,

① 固 比屋 武 御
ユ1前 あ り。 封 筒 に 「阿 比
0②

四比屋武御‖ 猟 (甘 里 ■R和
一紙 風 武 御 猟 2 th本 Jと の
右下 あり 』里 志 町 1丁 日)
鬼五 熙鉛 Υ 書きあり。
②現物の所在
他7点 と一 ITさ れ ている。
1よ 不 刀

① 門比 屋 武 御
よI Hlあ り。封筒に 「開IL

8③

聞比屋武 御猟 猟 (哲 」ll・ t¬
屋武御猟 2 4T木 Jと の
I

兜瓦
あり ∫坐 志 口,1丁 日)
‖イ)筆 書きあり。
②現物の所れ :

他7点 と一 ITさ れ ている。


は4()l

-54-
仮鰐
法 収納 場 イfr4の 文様 ①jll立 場所
肝け 名 筋〔 迅 立年 採択午 ,レ 版 種 ,レ 態 文献① 文献② jL域 lh 考
枷 縦 軸 禎 本紙 縦 木 4t積 けlJ タ 行 "I 14!古 碑身 縁 er ②所 伯:地

①闘比星武御 Ⅲl nあ り。封向に 「固
∝①

囲 比屋 武 御 猟 報 (古 !!其 れ 屋武御u1 2 1石 木Jと "ヒ



1

九瓦 布下 瓦 あり 志脚
「1丁 日 ‖!イ ヽ
) 粂書きあり。
②現物の所和 「/_Jと の黒鉛摯書きあり。:

は不 り l 他7点 と ‐tTさ れ ている。

①関比屋武御 「 簡あ り。 ナ1術 に 「間 比
0⑤


四十ヒ屋 代御 猟 4(廿 坐真 , 屋 武 御猟 2 1fj本 Jと の
「ド
イ あり 古里 志町 [r日
九瓦 )
熙鉛 筆 書きあり。
②現物の所在
他 7点 と一括 され ている。
は不り I

①阿比屋武御
前 あ り。 チ1簡 に 「園 比
0⑥

│「

酎ケ
ヒ尾武 仰 猟 猟 (古 ll ttfl
星武 御報 2 拓 本 Jと の
九瓦
れ 右下 ft なし じ
首「 志‖rt丁 日 )
熙夕ヽ 筆 朴きあり。
②現物の所在
也 7点 と一石iさ れている。
は不げ │

①同比屋武
封 簡あり。 封竹 に 「固比
llI
0⑦

猟 (首 坐真和
剛比屈武御猟
-4t ‖ 11日 風武御猟 2 怖本Jと の
九瓦 五 あり 樹早 志「 )
黒鉛筆 1ヽ きあり。
②現物の所在
他 7点 と一括されている。
は不切

①岡比昼武御
封 簡あり。 封 筒 に 「固比
0⑥

猟 (首 里真莉
岡比屋武側猟 屋武御獄 2 拓本Jと の
I

―紙 右 ド あり 首里 志町 1丁 日
鬼瓦 )
黒鉛筆苦きあり。
②現物 の所在
lL7点 と一括されている。
1よ 不 )]

①剛│ヒ 凧武御
箱なし。和と で括られており、
“⑨

日 )ヒ 屋 武 御 猟 4t(古 坐真不Π
こよりに 「固比屋武御猟鬼
鬼瓦 右下 あり なし 古里 志四Tl丁 日 )
lLJと の黒鉛筆書きあり。
②現物の所在
右下Ⅵ5∼ 6な し
は不切

木 箱 あ り。 木 箱 に 「玉 曖
2手前

①② 王陵内 棟 石 (A)1996Jと の 黒
:L陵 棟石 (A) 1996年 軸柴 左 撤石 狼 なし 古里 (lli馴 市 首 里 鉛 筆 書きあり。
金城 田119) 軸 の 奥 に 「I陵 棟 石 (Λ )J
との 黒鉛 trI書 きあり。
2 英

① ② J:陵 内 木 箱 あ り。 木 箱 に 「工 陵
I陵 棟 石 (D) 枷誤 た上 棟石 なし 古里 (ll i“ I市 古 里 棟 石 (日 )1996Jと の 黒
=巴
企城 町 8) 財ヽ筆 書きあり。

JljL寺
山 木箱あり。 木箱 に 「円覚
① ② 円覚 十放
之1/xJi綺 石 1986旬・
52頁 ∼ 寺放 ■稲石桶勾襴の釘

'1前 110B年 1,装 左 L 石桶 柱 なし 34頁 古里 ■池 石 橋 (首
クJ側 の銘 53頁 1198 1986Jと の黒鉛筆
里 当藤 21)
書きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「大 里
①大坐村 城 蜜 板 銘 tコ 58 1992J
人里城ぺ核銘 lJ装 空 恢 あり なし ②亡失したと との よ研 筆 苦きあり。
されて,ヽ る。 軸 の 楽 に 「大 里城 蟹板 如
との熙 鉛 省
に書 きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「江 南
仰腸 別 alflL南 ・L砕 1897 1909Jと
竹・
1037年 989牛 tl装 胞 児 rlfHi古 野
竹記
rii中 なし lA児 島 の硝 7nN無 書 きあり。
‖Iの 襲に 「江市竹記Jと
の烈イヽ 然書きあり。

前 世I利 右術 ll 木納あり。 (記 載なし)


胞 児 lJJ県 指 宿
奸i徳 樹!(墓 市
1) 1846年 ヵ 軸装 石‖ 「│'(1日 山川IIr) 軸の裏 に 「前 田利右衛 問
正面, 表 頌徳費 (整 前)正 面表 lJ
1
基の nt
との黒鉛禁書きあり。

前 利 右 術 P] 木 締あり。 (記 我なし)
鹿 児 鳥県 指 宿
1側 (事 前) ¬i柴 右下 軸 の 憂 に 「前 田利 右 術 ,1
“ なし 市 0口 山ザ│口 ll
/1 頌 徳 賛 (茎 前 )向 つて左
真の前
仙12Jと の 黒劣Ⅲ筆 書 きあ り.
前頌

術裏

木猫あり。 (記 設なし
山徳

)
鹿 児 rul県 指 TLr
4H装 右下 石I中 軸の襲 に 「前 性利右 衛問
市 (1口 山
真 の前 'pr)
碑 (基 前)IA3
rFl徳 Jと
の熙 鉛 筆 沓 きあり。
前頌

利碑

術右

木 箱 あり。 (記 載 なし)
m徳

鹿 児 島 県指 宿
軸 の 楽 に 「前 田利 右 衛 円
軸装 右下 石碑 なし なし 市 (Π wげ IWD
頬 徳 費 (墓 前 )内 って右
墓の前
4Jと の黒 鉛 筆 書きあり。
前 記

利碑
右く
衛左

木筍あり。 (記 載なし
Ⅲ念

)
鹿児島県脂宿
軸装 「FO山 1り 町 IIの 裏に 「nl岡 利右衛 ‖

なし IL
記念碑 846(左 )Jと の
)

泰の前
黒イ,継 書きあり。

随 児 ll県 指 宿
1:常 翁m 榊 tt 石‖
本 繍及 び 軸の裏にも記 職
FIF(III I川 町 )

なし。
徳 光判〕 社

鹿ツ と島県術TLl
‖,「 翁fl 10731= 軸装 右 ド Fli(「 l Jl川 町
木術 及 び軸の襲 にも記 破
なし )
なし。
徳光刊f上

胞兜島県指 4F4
Hr"翁 碑 軸装 イ
下ド Flf(「 II川 四
木筍及び軸の奥にも記載
!〕
なし。
徳光III社

-55-
仮冊
法 (tm) 収 納場 所 石 絆 の文 様 ①迷立場所
IIオ 名 称 赳 立イ
ド 際択 年 形態 種別 形態 文献① 文献② 地以 備 考
Fu .破 軸 傾 本紙 杖 場 所 列 弾古 五
年身 縁 前i ②所 在 地
木箱あり。 木箱 に 「十 !件
‖ 4H徳 碑 鹿児島県IH宿 翁頌徳 W 1915 1990J
1990午 軸装 右下 石卍 JF 9日 世I川 1町 との黒鉛筆導きあり。
(表'F翁
)
)

徳光‖I社 軸の裏に 「J市 翁騨 (表 )J


との熙鉛無書きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「 日I常

「IF窃 頌衛碑 随 ツと島 県 指 宿 爺 頌 徳 f4(裏 ) 1915
1915年 190041; tH喪 TR下 石 rl なし 世 市 (口 ll ttr) ,990Jと の 凩鉛 黙 書 きあり。
(褒 )
徳 光判 4L 軸 の 裏 に 「刊 辞 爺 IIT ウ
ラJと の果 鉛 筆 譜きあり。

紙 箱 あり。 4〔 箱 に 「中 Jと
れPI忠 国公行 鹿 児 91県 南薩 の 熙鉛 筆 苦 きあり。
1922年 畿 有下 rif4 なし 坊 Iト 膵 市 (旧 坊 /HI 榊 の 楽 に 「島洋 忠 回 公 行
鮒労1絆 (表 )
'喪 町秋 日) Fff址 砕 T lI 1922表 J
とのЖ 鈴 雫 書きあり。

紙箱あり。紙箱に 「活溌― J

局測:!よ 回公行 鹿児島県市藤 との黒鉛箪器きあり。


鮒址碑 (英 )
19221F 軸柴 t下 坊沖 膝市 (‖ 坊潤: 軸の裏 に 「鳥洋忠国公行
町秋 日) 館九,(裏 )Jと の黒鉛無む
きあり。

紙 箱あり。紙 箱に 「攪脈 ―J
lb測 !忠 回公 行 鹿児 舟県市薩 との黒 鉛 筆 書きあり。
FJf北騨蘊 立寄 TJ袈 /Rド 「神
イ なし なし 坊洲ヽ 摩 市 (11坊 瀾! 軸 の 裏 に 「鳥 津 忠 日 公 行
附 者 方名 録 町秋 日) 餌 址 碑 題 立 奇 I‖ 者 芳 名 無
1922Jと の 黒鉛無 番きあり。

紙 箱あり。
hlir思 国公行 tIIの 楽に 「島瀾t忠 回公行
鹿 児 島 県 南鹿
allIJ糾 赴立布 922年 朝業 右■
ahlu:f中 赴 立寄附者ナ名 録
なし 坊川 摩 市 (旧 lJJイ ト
1922 襲 Jと の黒鉛 筆書
!

lll者 オ名録 秋 日)
"「 きあり。
右 下Vl・ 2は なし。

箱なし。包紙あり。
鹿 児 FL市 小川
琉球aFi跡 (表 ) II装 石m! なし なし 鹿児膨 伽の奥に 「琉球館堺 (表 )J
との黒イⅢ
筆書きあり。

箱なし。
施 児 鳥市 小 川
琉球 all跡 (裏 ) 1923年 lJ装 なし 胞 児れ 軸の裏 に 「琉球‖跡 ウラ J

との黒鉛筆苔きあり。

鹿 児 h県 市 薩
yytttrl(R力 o 033年 ・L破
木箱及び軸の楽にも
t41柴 石碑 なし なし 坊 ,い lr市 (旧 坊 測!

なし。
「rJJ)

木箱 あり。 木納 に 「異 日
船希所跡 f中 (表 ) 1910
果凹川ヽ 器所跡 魔児れ県指待 1990Jと の凩財Ⅲ梁書きあり。
4H装 石 rl! なし なし
‖ (表 )
Jf十 二口〕 IIの 楽 に 「共 ヨ船 II所 跡
‖!(表 )Jと の果鉛筆書き
あり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「 果 国
麗市
児十

県町

宿
局 二

船 番 所 跡 冊!(襲 )
? ヽ

共Iコ 船 肝所跡 】040


19901F 側装 下F
メ 石14 1990Jと の熟 鉛 よ 書きあり。

‖ (裏 ) 指宿
軸 の IItに 「哭 回 船 18所 Fl
ウラJと の 黒 鈴 無 書 きあり。

木獅あり。 (記 設なし)
艦真 上腔 碑 鹿 ツこ局 県 市 薩
1963FF 軸の裏にも記載なし。
軸裟 右下 石碑 坊沖 麻 市 (日 坊 測と
(表 ) 本紙に 「(艦 真上陸IT表 )J
町 秋 日)
との黒鉛筆書きあり。

木 箱あり。
距 児 島 県市 薩
艦史大れ に 966年 軸装 報 の 奥 に 「艦 真 和 上 選 衡
なし なし LJJ河 J
摩 市 (1日 TJJH!
木 譲 卍 1966Jと の 梨 鉛
町秋 日)
筆 書きあり。

坊 瀾!町 長 によ 鹿児島県南薩 木箱あり。


1971年 榊柴 イ イift lJJ´ J 摩「F(‖ llyJ沖 木箱 及び rdIの 裏に記載な
るrlの 説 明 文
F

IHl秋 日 )

木 箱あり。 木箱 に 「琉 球
鹿


宿

琉球人瀬 古文 人文書 F4 1075 1990J




1075年 19901F t」 なし なし 指宿 との黒鈴筆告きあり。


書jl
軸の裏 に 「琉報人瀬 古文
卍Jと の黒鉛笙書きあり。
ミヽ

木 箱 あ り。 木 箱 に 「j/t球
人 瀬 14 1078 1990Jと
琉球 人 瀬 碑 19784F 軸装
VL児 局県指宿
右 ド /JNし なし 指宿 の烈鉛 筆 書きあり。
市十二 lI「

軸の裏 に 「 人瀬 FI J
との黒 鉛 箪 書きあり
't球 。

舷 Hl備 前 .鳥 鹿 児 島 県市 腺
箱 なし。
原 宗 安 叫i徳 碑 軸 の 裏 に 「版 田 悧 11 月
fH喪 右 石碑 功 II 麻「F(1日 lJJHI
銘文 力よ宗 /A頌 徳 碑 銘 文 Jと の
ml 17J)
黒鉛 黙 書 きあり。

木 締あり。 木筍 に 「琉球
4 手 前

口 lt44砕 16991990Jと
鹿 りじ府 県志 布 の‖ヽヽ 無苔きあり。
「Xt球 国付 嘉 碑 1699fF 榊装 4碑 なし 志布志
志「口 人志 .l 軸の 襲に 「班球口lm ttfl

1699 1990Jと のよ館ヽ 筆
苔きあり。

-56-
阪鵬

7r号 に立 年 保択 4F ,形 態
収袖 43所
低別 形態
石科の文様
文献① 文献② 地域
①建立場所 備 考
ll組 軸 ,積 本紙 .縦 lB所 イ子 碑古 碑 身線 師 ②所 在 地

前 不右衛 木箱あり。 (rL改 なし)


鹿 児 島 県指 宿
塵‖
1719年 軸装 右下 豊韓 なじ なし 山川 軸の楽に 「nl円 利右 衛μ]
市 (lΠ 山川旧T)
基IPJと の累イヽ筆書きあり。

木箱 あり。 木 箱に 「試 陽
威 陽 古 里大 雲 古里大雲キ徒 1798
鹿 児 島 県志 布
寺徒
mIIt 右下 室仰 なし 志布 志 1900JとのR.鈴 筆書きあり。
志 HT大 愁 寺
軸の裏に 「滅腸大雲寺 J

との黒鉛笙沓きあり。

木 箱あり。 木箱 に 「輛 球
rl楽 向生碑 (正 ) 1790
噺球 司楽向上 lT山 引テ
椰後地
1991lF 軸装 右下 石陣 ln山 1991Jと の黒711“ 書きあり。
碑 (表 ) 小松 キ
lnの 襲に 「司来Iれ 生①正
面Jと の黒鉛笙書きあり。

木 結あり。 木 給 に 「JRF球

0手前
fH球 司楽 ■ 4 ?90年 編山 JF椰 後 地
司楽向上Hl(左 )1790
‖!(左
4H装 なし なし llL山 1991Jとの黒9。NΥ 書きあり。
) 小松寺
拙の薬に f市 1生 ②左 面 J

との黒鈴筆書きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「輛 球

6手前
瑞球司楽向上 司楽 向 上碑 (奥 )1790
柄 山市 椰 後 地
1991f「 tl装 右下 lII山 1991Jと の 黒鉛筆 書きあり。
砕 (裏 )
小松寺
袖 の 裏 に 「白 襲 而J
との熙 ヽ `L③。
無 沓 きあり


木 箱あり。 木 綸 に 「Fr球
用F球 司楽内生 司楽両生卍 (右 )1700
1790オ F ln山 市椰 後 地
fl (右 )
4d喪 有 ド 石f4 なし 福 1001Jと の黒鉛禁番きあり。
小松 寺
軸の裏に「向上①右側 J

との熙鉛 筆 沓きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「新 垣
3干前

筑 兵術 奏 i中 (右 )1808
新」
fl筑 兵衛
胞児 鳥市古野 1992Jと の 黒イヽ無 書きあり。
帝I装 嘉碑 家紋ヵ 距児 島
ヂの豊 (正 面 )
榊 の 製 に 「新 垣 筑 兵 術 の
裏 正 面 Jと の 黒 鉛 禁 書
きあり。

木 箱あり。 木箱 に 「斯 jrl
2干前
新去
垣 の
筑基

衛い

筑兵術真Fn(左 ) 1808
1992年 Vt児 局市古里F
1811`「 軸袈 右 ド 盛r単 肥 児局 1902Jと の黒鉛筆書きあり。

tlの 裏に 噺 垣筑兵衛④ J

との黒鉛黎苔きあり。

木 箱あり。 木箱 に 「新垣
筑兵衛墓 i中 (楽 ) 1808



3 “

1992Jと の黒鉛筆苦きあり。


鹿児 れ市 占

!
悧,装 右下 基W なし 鹿 児局

“ 軸 の裏 に 「新垣筑兵術の
事 (裏 )Jと の告
ヽ鈴筆 書き
あり。

木箱あり。 木箱 に 「新 垣
筑兵術墓f41(右 ) 1000
fff垣 筑兵衛 胞 児局市 古 1992Jと の黒鉛筆苔きあり。
芽の墓
k
榊」 右下 嘉 ll なし なし 鹿 児 rlJ
r
(布 ) 奥 “ 軸の 楽に 「新垣筑兵街の
奥 (右 )Jと の烈鉛箪 14き
あり。

紙綺あり。紙納に 「155
翠雲事―適宗 児玉 (正 )Jと の黒鉛筆苦
825年 ‖装 鹿 ッとrlJ県 志布
オ下 墓 Fl なし 志布 志 きあり。
貴居士 志町
軸 の 裏 に 「児 I氏 基 i中
(正 )Jと の黒鉛無書きあり。

紙箱あり。 紙箱 に 「155
翠雲 事 ―道 宗 児工 (左 )Jと の黒鉛竿沓
1025年 軸装
随 児 島 県志 布
貫居 士 (左 )
嘉碑 なし なし 志布 志 きあり。
志町
軸 の 裏 に 「児 王 氏 墓 FW
(左 との熙鉛祭書きあり。
)」

紙箱あり。紙箱に 「 55
翠雲 宇 一 適 宗 児王 (右 )Jと の熙鉛無苦
1925年 朝,装 施 児 島県悲 布
質居 ■ (右 )
墓卍 なし 志布志 きあり。
奥 志田「
榊 の 裏 に 「児 工 氏 琳 卍
(右 )Jと の‖銘ヽ
箪書きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「社 庵
世庵 禅 Plli弾 銘 れ,山 熱 卍 (表 ) 1043
1843年 L 麗 児 luv市 伊1敷
軸装 左 室51 なし なし 鹿 児 ll 1990Jと の黒鉛 筆 iい きあり。
(表 )
軸 の 裏 に 「世 庵 れ]尚 車 i中
表 Jと の 黒鉛 辞きあり。


木箱 あり。 木箱 に 「桂施
下Π山墓i早 側面①左 18コ 3
1 央

世庵 れ 尚 卍 鹿 児 鳥 市 01敷 1990Jと の服鉛4苦 きあり。


軸よ 左 上 α碑 なし なし 胞 児島
(ZE) 軸の奥 に 「仕庵和 尚FI
左 1劇 面Jと の出イヽ
筆書きあ

木 箱あり。 木箱 に 「Ff庵
‖:庵 hl劇 ,碑 銘 れ1山 4碑 (襲 ) 1043
19901F 軸装 左■ え碑 なし 鹿児鳥
麗児h市 01敷 1090Jと の黒鉛縦書きあり。
(真 )

thの 襲に 「‖:施 れ 尚基 酔
ウラJと の熙鉛箪 IIき あり。

木筍あり。木綺に 「柱庵
1 手 前

れ,山 弟仰側mi② イ
, lo43
日:庵 れ 尚 14 VL児 局市01敷 1990Jと の‖学ヽ 筆 Ⅲきあり。
軸喪 あ 盛碑 なし 鹿 児島
(メ 〒
)
仙 の 襲 に 「‖:ん れ:尚 基 碑

イ lRImFJと の熙営ヽ年41き あ
り。

-57-
阪嗣
泌ヽ ■ にm) 収 細 場所 rl r4の 文様 ①tLI立 助所
lTサ 名 P4〔 RL立 H= 採択午 形伝 M別 形舷 文献① 文献② jL蚊 81 七

0積 卜用〔縦 本紙 慟 場 所 ア 行 i中 古 ‖ /線 樹
!■ , ②所 イ r地

木納あり。 木箱 に 「旧琉

︱手 前
漿 球藩人之 取勝人之嘉① 1921
「 1921(F 麗 児 局 FF池 之
1990イ F 装 なし 麗児 島 1990Jと の熙夕ヽ 笙書きあり。
車Fl ① I「 工‖
上縞 B十
flの 41に 「‖1攻 球嵩人亮
14!① Jと のR(男 潔 苦きあり。

木姉あり。 木獅 に 「にI琉

1 英
旧琉 球 洋 人 A/ 球洋人之墓② 1921
胞兜 lll市 池之
笙 Il ②
抽喪 ガ
〒ド 盛n! なし 胆児 局 1900Jと の熙鉛Υ書きあり。
■h18キ
44の 褒 に 「‖琉球洋 人虫
‖!② Jと のHtttT書 きあり。

木箱あり。木箱に 「 口琉

2手前

鹿





‖I琥 球 濫 人 之 球洋人之え③ 1921





仙 歿 基 ││ なし 施児鳥 1990Jと の黒鈴筆蕃きあり 。
室硝!③
niの 裏に 「‖]琉 球洋 人基
‖③Jと の熙鉛紫書きあり。

木 納 あ り。 木 箱 に 「琉 球
琉球 ltl侶 之真 僧イH之 蔓① 1921 1990J
鹿りじ島市池之
1921lF 1990Fii tll装 右下 ュm: なし 鹿児府 との 黒鉛 黎 書 きあり。
54!① 上liロ ヤ
¬Iの 憂 に 「琉 lrlttF中 ① J
との熙鉛 無 苦 きあり。

木箱あり。木箱に 「琉球
ltllt之 基② 1921 1990J
琉球僧侶之整 胞兜舟市池之
14②
102j年 1990`F ‖装 ri下 鼻 14 胞児 局 との梨7tk筆 書きあり 。
上怖昌寺
TIlの 裏に 「琉僧墓14 ②J
との黒鉛筆書きあり。

木獅あり。木箱に 「琉球
僧41之 ぶ③ 1921 1つ 90J
3 工

琉球僧侶之窮 鹿児島市池之
軸装 右下 茎碑 鹿 児鳥 との報鉛禁書きあり。

‖③ 上 ln日 寺
軸の裏に 「琉ltlttrl ③」
との熙劣ヽ 縦書きあり。

木箱あり。木箱に 「琉球
3奥

琉 球 人 事 Fl無
lA夕 とれ 司itt
W


右下 塗 Il 不 不明 鹿児 島 広木 小 学 校 敷 人基‖!無 銘①∼① 不評
" 地内 1990Jと の黒鉛黙書きあり。
3 奥

IIt球 人嘉碑無 魔 児 lt市 市 I 木箱あり。 木箱 に 「琉球


1090`F 一紙 「

右下 菫糾 不明 不「/1 麗児ん 広 木 小 学校 敷 人室‖ 無銘① ∼① 不評
地内 1990Jと の熙鉛Ttr書 きあり。

木箱あり。木箱に 「琉球
3奥

琉 球 人 4‖ mt 鹿 児 rlJ市 市 田
1990年 一紙 右下 墓 14 不明 不明 血 児局 広木小学校敷 人郎‖無銘①∼① 不計

地内 1900Jと のllt舅 躍 ききあり。

木納あり。木箱に 「琉球
3英

ltク と鳥市市四
琉 球人基卍無
19904= ―紙 不 り〕 不明 鹿児 島 広木小学使歌 人其I中 無銘①∼① 不評

地内 】
090Jと の猟t鉛 筆書きあり。

木 箱あり。 木箱 に 「王 JR
ワ手前

邸石取 当 不計 1902」
王里 邸 石取 当 魔 児 島 市 玉里
19924「 tnJ7t 右 魔除け なし 鹿児 れ との .7Hktt.Iき あり。
I「

Ⅲlの 襲に 「工里邸石敗 当 J

との.IF.鉛 4Ft書 きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「工 里
邸 Hl+計 不 評 1992J
IJt邸 日1+刊 19924F
鹿 児 れ市 玉 里
翻I共 右下 なし 胞児れ との 烈 %ヽ 筆 苦きあり。

柚 の 裏 に 「玉里邸 口Hf言 J
との黒鉛 筆 書きあり。

木 箱あり。 木箱 に 「尚宏
1手前

lt志 輌 王子の4(IJ)
m側 県清水FF
尚宏 具志 頭 王 (16】 0?) 1991Jと の熙
tu張 右下 基
「T なし なし 瀾水 興Iい ‖見キ dl
子の基 (旧 ) 7fN筆 書きあり 。
‖見ヤ
軸の楽に「尚宏の基 (旧 )」
との黒71N筆 書きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「山 宏
具 志 堅 〔vll〕 ■ 子 の 小
尚 子
宏 の

馴m
具茎

tll開垢(市 水市
(新 ) 1790 1991Jと の
硼 求 基眸 なし 1帝 水 興H:i訂 兄寺Wl
熙 9nN曇 書 きあり。

イ見寺 「 llの楽 に 尚宏の界 (新 )J
との女
ヽイⅢ
祭 きあり。l・

木衛 あり。 木箱 に 「琉 国
琉 凹 大約従 ll 町本 城 通
大翁冷 L(正 ) 1801 19
IS01年 1992年 t」 装 /.下 墓仰 あり 02」 との黒鈴響 lき あり。
朝のVIに 「琉国大翁従
(正 ) 隆 寺跡

Jt面 」 との熙7nN筆 書きあり。

木 箱あり。 木箱 に fF/t国
琉国人命従 大統従 (側 )1801 1092J
高 山口T本 城 lL
tn柴 右 ド 茎碑 なし との熙鉛摯古きあり。
(lH) 史 隆 キ跡
軸 の 英 に 「漿 国 大 翁 徒
(側 )Jと の報鉛 4r書 きあり。

木箱 あり。 木締 に 「長 Trt
6 手 前



仁メ i工 Wの 基 (正 )1813
長浜仁右衛円



の基 (正 ) ln装 基碑 あり なし tl沢 1991Jと の黒鈴TIき きあり。


軸の奥 に 「長 派① Jと の
熙営ヽ 筆苫きあり。

木納あり。 木筍 に 「長浜
長lk仁 右術,1 にメ i工 WJの 墓 「i)lo13
(ノ

1919`F ガド 愛知県稀沢
1991Jと の無Ч】
i

柚装 堅碑 なし rl沢 無書きあり。
の嵐 (左 = lltt II涼 寺
軸の襲 に 「民 lrt② 左 Jと
)

の無!夕 Ⅲ筆書きあり。

-58-
仮碑

①②
迦所
立ィ
場 に
所地
法 I文 納嚇所 「 の文Fk

Tf努 名 称 Rlt立 年 採 llk牛 形態 樋別 形態 文献① 文献② 地域 lL 者
本紙 .縦 本用〔杖 り所
`“
軸 縦 tl.杖 列 行 Fl市 耐:夕 縁 帥

木 筍 あ り。 木 箱 に 「 長 TFk
長浜 仁 右 衛 円 仁 布 工 円の 基 (右 )]a19
18131F 愛 知 県tR沢 市
の墓 (右 ) 軸装 嘉 r4 PuNし 柄沢 1991Jと の f「紛 争 書きあり。
稲英 卜源 寺
軸 の lAに 「長 浜 ③ 右 Jと
“ の黒 鉛筆 書きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「梁 文
門 打 山親 雲 上の墓 (Imつ

2干前
梁文 用 山親
1892 199]Jと の 黒 劣ヽ箪
愛 角 県第 古 屋
雲上『嘉 Il(iF 朝装 番きあり。
右上 基 14 なし 名 古屋 市緑 I■ 唱 海 「琉 球 回 来「よ院 Rp心 居 土
而) 瑞泉+
墓 仰」 との名 れ、
軸 の 楽 に 「居 山① 正 而 J
との 烈劣ヽ 無 書 きあり。

木 衛 あ り。 木 箱 に 「 梁 文
弼 富 山規 雲 上 lS32

1 手 肺
愛角 県名 古屋 1991Jと の熙 鉛 筆 書きあり。
梁 文加 ll山 親
1991年 榊,装 真 ,中 な し なし 名 古屋 JF景 区鳴 海 「禁 球 国 来 応 院 川〕心居十
雲上4T申 (左 )
対泉寺 基碑 Jと の名 材毛
tlの 要に 「冨山② 左J
との吊鉛無 l■
tき あり

木 箱 あ り。 木 箱 に 「梁 文
山親 蜜 上 の 整 (右 )
892 1991Jと の 黒 鉛 筆
"冨

梁文PFrlF山 規 愛月,県 名古爪
帝1髪 書 きあり。
IJ上 茎 rl なし なし 名古屋 市緑区鳴海
巽上鮎 中 (右 ) 「琉 球 回 来 応 院 ヌP心 居 土
瑞泉+
茎組!Jと の名 釉嗜
軸 の 要 に 「冨 山③ 右 」
との黒 鉛 Υ 苦 きあり。

木箱 あり。 木箱 に 「小根
占拠 丸 屋 敷 之 辛 介 の 名
7午前

小 恨 占出 九 風 援 知 県 名 古屋 (■ )1832 1991Jと の黒
敷 之 キ介 墓「中 10021i 199ド F 榊装 右下 菫碑 なし 名古屋 市緑 区鳴 海 劣輝 脊きあり。
(コ う 瑞泉寺 軸の裏に 「Wl応 辛介の
4① 正」との黒鉛筆沓きあ
り。

木 獅 あ り。 木 箱 に 「小 根
小 根 f与 掛 丸屋 占鶴 九 屋 敷 之 辛 介 の 基
7 ︻

愛知 県名 古屋
敷 之 辛 介 菫 T早 (左 )1832 1991Jと の 果
1991lF 軸装 右下 4■ 名 古屋 市緑 区鳴 海

(左 ) 鉛 筆 書 きあり。
瑞泉寺
軸の裏に 「キ介の墓②左J
との黒鉛筆書きあり。

木 綺あり。 木箱 に 「小根
小 IIR占 鶴 九 屋 占出 丸 屋 敷 之 辛 介 の 基
愛 えI県 名 古屋
敷 之 キ介 真 ‖ 1832年 (右 )1832 1991Jと の黒
fJl共 右下 革碑 なし /.Nし 名 古屋 市緑 区IB海
(布 ) PnI泉 寺
鉛筆書きあり。
軸の英に 「キ介の塵③右」
との黒鉛笙書きあり。

木箱 あり。 木箱 に 「山内
5手前

山 勺狗 兵 衛 の 狗兵術 の基 (正 ) 1832
受知県稲沢 市
虫 (正 )
13321ド 19014F I」 I装 右 F 芸‖と 柿沢 1991Jと の黒鉛雛書きあり。
稲茶 禅涼 寺
朝の憂 に 「山内① 正 Jと
の黒鉛筆書きあり。

木箱 あり。 木箱 に 「山内
山 内 Trl兵 術 の 狗兵術の墓 (左 ) 1032
1032年 愛知県稀沢市
基 (左 )
榊装 右下 嘉研 稲沢 ,991JとのR鉛 無誉きあり。
rI葉 神源寺
軸の裏 に 「山内② (左 )J
との黒鉛筆書きあり。

木 箱あり。 木箱 に 「山内
山内 JY兵 衛 の 角兵術の基 (右 ) 1032
091年 愛知〕
県rl沢 市
報装 石下 なし なし 稲沢 199】 Jと の黒鉛筆書きあり。
末 (右 ) 稲葉 ll涼 寺
軸の裏 に 「山内③右 Jと
の黒鉛筆書きあり。

木箱あり。木箱に 「塊氏
9手前

高‖里之子親雲上の基
塊 氏 高嶺 里 之 静 岡 県浜 松 市
則,装 (正 )1850 !991」 との 熙
右上 嘉碑 浜松 西 鴨 rT町 西
子親巽 上 (FF) 鉛 筆 苦 きあり。
兄キ
朝 の 裏 に 「高議 ② 正 面 」
との 照鉛 笙 書 きありA

木 箱 あ り。 木 箱 に 「塊 氏
高嶺里 之子親雲上の豊
塊氏 Wl積 坐 之 静岡県浜松市
tt袈 (左 )1860 1991Jと の 黒
右上 堅碑 なし lTR松 口 西
西鴨 江「
子親雲 _L(左 ) 奥 鈴 筆 書 きあり。
兄寺
4dの 襲 に 「高 嶺② 左 面 J
との黒 鉛 無 書 きあり。

木 箱 あ り。 木 箱 に 「塊 氏
高嶺 里之子親雲上の芸
0奥

晩氏高檀型之 締 阿 県浜 塗 市
(裏 )1050 199iJと の 黒
千Lu_F上 (41)
199J fI二 柚装 an! なし なじ 浜松 西 PIl江 田
「 酉
鉛 梁 書きあり。
見寺
軸 の 裏 に 「高積 ③ ウラ而 J
との黒 7HN筆 ききあり。

古山互れ 尚 紙箱あり。 紙箱に 「115


に山梁れ尚 軸装 耳 rl
h‐ II F悧 後地 に山Jと の黒鉛筆書きあり。

墓Fl 奥 小体寺 軸の襲に 「に山れI尚 藁科 J

との呂鉛笠書きあり。

軸装は施されていないが、楽打されているイi本 の法量は、軸の幅 に記人した。


仰文の破娯により、「Ft珠 濃碑文Jの ように、一つの碑文に対して複数枚の木叙で襲打ちをした場合には、一紙それぞれの法獄を柄 rLし た。

質Π中の文献①は前鵜『 石碑復九調査報告件』を指し、文献②littIB『 往石文』を示す。
筆苦きの内容での駅りについては、そのまま価
木締にILさ れた熙銘】 ・ Lし たが、本Π録の名前および年十
(の 項日ではliし いものを積記した。
以 Lの F17L以 外 に凹 しては 、第 二 師 (言 1述 したので 、参 Ⅲlさ れ たい。

-59-
お詫 び と訂正
川 島 淳

本誌第 13号 掲載 の川 島淳 「那覇市歴史博物館所蔵 「歴代宝案」 に関す る史料学的


考察 ∼生成 。来歴 ・ 目録記述 に焦点 をあてて∼」 において、 以下 の誤記があ りました。
訂正 して、お詫 び 申 し上げ ます。

八頁三八行 日
(誤 )濃 い茶色 の革製 の表紙
(正 )濃 い茶色 の渋紙 の表紙

一二頁 の 【
表 1】 の うち、 31番 の副題
(誤 )山 南王T/・ (石 井 という一 字)lla機 之稿
(正 )山 南王併懐機之稿

一 九頁一行 日
(誤 )色 の革製 を表紙
(正 )色 の渋紙 を表紙

一 九頁五行 日
(誤 )濃 い茶色 の革製 を表紙
(正 )濃 い茶色 の渋紙 を表紙

二三 頁 【
表 2】 の うち31番 の副題
(誤 )山 南王研 (石 井 という一 字 )懐 機之稿
(正 )山 南王TfI懐 機之稿

二 八頁三 二行 日∼三三 行 日
(誤 )仮 番号は、 中性紙箱 に示 された数字 を本番号 とし、 枝番号 には
(正 )仮 番号は、 中性紙箱 を整理 した順序 に従 って 付 し、 枝番号 には

二 九頁三行 日∼六行 日
設 を 二
を と F

(誤 )さ らに、 本番号 をふって 番号順 に 日録化す るために、 【


表 1】 の 「番号」
定 した。 まず 桑江 らの写本 ・久場 らの写本 と川 平朝 申寄贈 の 「歴代宝案」
大分類 の項 目とし、 桑江 らが写 した 「一集 歴代宝案」 と久場 らが写 した
集 歴代宝案」 を小分類 の項 目とした。
(正 )肖 町
除。

-60-

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