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III号戦車A型

-III号戦車の開発

III号戦車は、自動車化部隊参謀長ハインツ・グデーリアン中佐により構想された機甲師団の主力
戦車として1934年1月11日に開発が決定されたもので、同時期に開発が進められたIV号戦車と共
に第2次世界大戦中期までドイツ陸軍機甲部隊の主力として活躍した。
グデーリアンの構想では、機甲師団は2種類の戦車で構成されることとなっていた。
1つは敵の戦車を撃破するための主力戦車で、もう1つは火力支援のための戦車であった。

当時ドイツはヴェルサイユ条約によって新兵器の開発を禁じられており、ドイツ陸軍は戦車開発
の事実を秘匿するため新型戦車に対して主力戦車には「ZW」(Zugführerwagen:小隊長車)、
火力支援戦車には「BW」(Bataillonsführerwagen:大隊長車)という秘匿呼称を与えた。
これらはZWが後のIII号戦車、BWが後のIV号戦車となるものである。

1935年、ドイツ陸軍兵器局第6課はMAN、ダイムラー・ベンツ、ラインメタル、クルップ、ヘン
シェルの5社に対し新型主力戦車ZWの設計仕様書を提示すると共に、車両の具体的設計案の提出
を命じた。
これに従って5社はZWの設計案を提出したが、ほぼ同時期に新型火力支援戦車BWの開発計画も
スタートしたためラインメタル社のみはBW計画に専念することになり、残る4社でZWの競争試
作を行うことになった。

兵器局第6課が提示した設計仕様書によるとZWは戦闘重量15t級で、路上最大速度は40km/hが予
定されていた。
車内レイアウトは車体前部が操縦室、車体中央部が全周旋回式砲塔を搭載した戦闘室、車体後部
がエンジンを収納する機関室とされていた。
今では一部の例外を除いてほとんどの戦車で採用されているこのレイアウトも、当時は議論があ
ったようである。

その利点は、エンジンが車体後部にあるため冷却空気の排出などで照準が妨げられることが無
い、操縦手が車体前部に来ることで操縦がやり易くなる、エンジンが良好に防御される等であっ
た。
一方欠点はフロントドライブ方式のため、車体後部のエンジンから車体前部の起動輪まで長い推
進軸が必要なことであった。

なおフロントドライブかリアドライブかについても見解の分かれる所であるが、当時としては一
般に履帯外れなどを考えると戦車はフロントドライブが有利と考えられていた。
ZWの砲塔内には砲手、装填手、車長の3名、車体前部に操縦手、無線手の2名をそれぞれ収容
し、車長には視察用キューポラを用意して無線機を標準装備することとされていた。

武装については全周旋回式砲塔に主砲と同軸機関銃、操縦室前面にも機関銃を装備することとさ
れていたが、問題は主砲の口径をどうするかであった。
ドイツ陸軍兵器局と砲兵部は機材の統一による維持管理の便や生産の容易さなどの点で、当時歩
兵の対戦車砲としても使用されていた3.7cm砲で充分と考えていた。

しかしグデーリアンやオズヴァルト・ルッツ将軍などの機甲関係者は、将来の戦車戦の発展を考
えると5cm砲が必要と考えた。
結局兵器局の意見が通りZWには3.7cm砲が装備されることになったが、将来の発展余裕を考えて
砲塔リング径は5cm砲も搭載可能な大きさにすることとされた。

この決定が、結果的にIII号戦車を救った。
もし5cm砲が搭載できなければ、III号戦車は大戦中期どころか大戦初期にすぐ二線級となり、
早々に戦場から姿を消していたであろう。
こうした要求を盛り込んだZWの試作車は大急ぎで製作され、1935年末には完成した。

今日残されている記録では、試作車として完成されたのはベルリン・マリーエンフェルデのダイ
ムラー・ベンツ社と、エッセンのクルップ社の2社の設計案のみだったようである。
1936年に行われた試作車の性能比較試験の結果、最終的にZWの開発・生産を担当することにな
ったのはダイムラー・ベンツ社であった。

ダイムラー・ベンツ社の試作車は「Vs.Kfz.619」(第619号試作車)と呼ばれたが、写真などは
残っておらず後の生産型とどの程度同一なのかは分からない。
どのような要素が採用の決め手となったのか、この辺の事情も不明である。
ただしダイムラー・ベンツ社が製作するのはZWの車体だけで、砲塔の製作についてはクルップ
社が担当することになった。

一方クルップ社の試作車は秘匿呼称「MKA」と呼ばれ、ZW計画の競争試作には敗れたものの設
計の優秀さが認められ、BW計画の基礎車両へとスライドされた。
そしてこのMKAを拡大再設計したものが、後に「Panzerkampfwagen IV Ausf. A」(IV号戦車A
型)としてドイツ陸軍に制式採用されている。

ダイムラー・ベンツ社では採用決定後、他社が開発した試作車の長所も採り入れてZWの最初の
生産型である「1/ZW」を設計し、1936年末か1937年初めに兵器局第6課から正式に5両分の発注
を受け生産を開始した。
1937年5月に1/ZWの最初の5両が完成し、さらに5両が追加発注されて1937年中に全車が完成し
ている。
これらの車両の車体製造番号は60101~60110で、1/ZWは後の1939年9月27日付で
「Panzerkampfwagen III Ausf. A」(III号戦車A型)という制式呼称が与えられた。

-III号戦車A型

III号戦車シリーズの最初の生産型として10両が生産されたIII号戦車A型は、生産型とはいっても
実際はまだまだ試作段階の車両であり、そのデザインは後に生産されたIII号戦車シリーズと共通
性はあるものの、相違点も多数見受けられる。
特に異なっていたのは、走行装置の設計である。

III号戦車は現在装軌式AFVのサスペンション・システムの主流となっている、先進的なトーショ
ンバー(捩り棒)式サスペンションを採用していたことで知られるが、A型はサスペンションに
垂直コイル・スプリング(螺旋ばね)を使用しており、それ以外に比較的大型の転輪が片側5個
に上部支持輪も片側2個と、転輪数やサイズ、起動輪、誘導輪の形状まで後の一般的な生産型と
は全く別物となっていた。
この走行装置はアメリカのジョン・ウォルター・クリスティー技師が開発し、ソ連軍のBT快速戦
車シリーズの原型となったクリスティー戦車の影響を受けたものだったが、クリスティー戦車で
はコイル・スプリングのレイアウトを斜めに取ってストロークを稼いでいたのに対し、III号戦車
A型では垂直に配置していたためストロークが短くすぐに底衝きしてしまい、走行時の車体の安
定性や乗り心地がかなり悪かったようである。

実際III号戦車B~D型の路上最大速度が35km/hなのに対し、A型が32km/hとなっているのはエン
ジンが変更されていないことから、走行装置に確実に問題があったことを窺わせる。
一方上部車体については、前半分はその後のIII号戦車シリーズに共通するものとなっていたが、
機関室周辺のデザインが大きく異なっていた。

車体の装甲厚は前/側/後面が共に14.5mm、上面が10mm、下面が5mmとなっていた。
II号戦車と同程度の装甲厚でかなり薄いが、当時は対戦車砲やその他大口径火砲に対する防御
は考慮されておらず、対戦車銃や機関銃、小銃などの徹甲弾に対する防御のみを前提としていた
ためである。
またIII号戦車は当初の計画では戦闘重量15tとされていたのに対し、A型の実際の戦闘重量は15.4t
と目標値を超えてしまったため、これ以上装甲を厚くするわけにもいかなかった。

砲塔もほぼデザイン的にはまとまっていたが防盾が内装式防盾で、車長用キューポラがダストピ
ン型といわれる単純な円筒形をしていた点が後の生産型と異なる。
砲塔の装甲厚は前/側/後面が共に14.5mm、上面が10mmとやはりII号戦車と同程度であっ
た。
砲塔バスケットは採用しておらず、戦闘時には装填手は車体に設置された砲弾ラックから砲弾を
取り出さなければならないため、砲塔の旋回と共に動き回らなければならなかった。

エンジンは、フリードリヒスハーフェンのマイバッハ発動機製作所製のHL108TR 4ストローク60
度V型12気筒液冷ガソリン・エンジン(排気量10,838cc、出力250hp)が搭載されていた。
変速機はZF社(Zahnradfabrik Friedrichshafen:フリードリヒスハーフェン歯車製作所)製の
SFG75変速機(前進5段/後進1段)、操向機はクラッチ・ブレーキ式であった。

燃料搭載量は300リットルで、III号戦車A型の航続距離は路上で165km、路外で95kmとなってい
た。
武装は主砲として46.5口径3.7cm戦車砲KwK36 1門と、副武装としてオベルンドルフ・アム・ネ
ッカーのマウザー製作所製の7.92mm機関銃MG34 2挺が砲塔防盾に、さらに7.92mm機関銃
MG34がもう1挺ボールマウント式銃架を介して操縦室前面右側に装備されていた。

主砲の俯仰角は-10~+20度となっており、主砲弾の携行数は徹甲弾、榴弾合計で120発となっ
ていた。
本車の主砲に採用された3.7cm戦車砲KwK36は、デュッセルドルフのラインメタル社製の45口径
3.7cm対戦車砲PaK36を戦車砲に改修したもので、弾頭重量368gのPz.Gr.40徹甲弾を使用した場
合砲口初速1,020m/秒、射距離100mで64mm、500mで34mmのRHA(均質圧延装甲板)を貫徹
することが可能であった。

乗員は操縦手、無線手の2名が車体前部の操縦室に収まり、砲手と装填手、車長の3名が砲塔内に
位置した。
無線機は、車両間の交信用として標準型式になりつつあったFu.5無線機が搭載されていた。
このFu.5無線機は送信機と受信機が一体となったもので最大出力は10W、超短波を使用しての通
信有効距離は最大4kmであった。

<III号戦車A型>

全長: 5.69m
全幅: 2.81m
全高: 2.355m
全備重量: 15.4t
乗員: 5名
エンジン: マイバッハHL108TR 4ストロークV型12気筒液冷ガソリン
最大出力: 250hp/3,000rpm
最大速度: 32km/h
航続距離: 165km
武装: 46.5口径3.7cm戦車砲KwK36×1 (120発)
7.92mm機関銃MG34×3 (4,425発)
装甲厚: 5~14.5mm

<参考文献>

・「パンツァー2016年10月号 近代戦車の先駆となったIII号戦車の先進性」 久米幸雄 著


アルゴノート社
・「ピクトリアル III号戦車シリーズ」 アルゴノート社
・「グランドパワー2001年5月号 ドイツIII号戦車(1) III号戦車の開発と構造」 嶋田魁 著
デルタ出版
・「グランドパワー2001年6月号 ドイツIII号戦車(2) III号戦車の変遷」 嶋田魁 著 デルタ
出版
・「グランドパワー2012年8月号 ドイツ戦車の装甲と武装」 国本康文 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2019年1月号 ドイツIII号戦車(1)」 寺田光男 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2010年1月号 III号戦車の武装」 国本康文 著 ガリレオ出版
・「グランドパワー2010年1月号 ドイツIII号戦車(1)」 後藤仁 著 ガリレオ出版
・「世界の戦車(1) 第1次~第2次世界大戦編」 ガリレオ出版
・「世界の戦車イラストレイテッド21 III号中戦車 1936~1944」 ブライアン・ペレット 著
大日本絵画
・「世界の戦車 1915~1945」 ピーター・チェンバレン/クリス・エリス 共著 大日本絵

・「ジャーマン・タンクス」 ピーター・チェンバレン/ヒラリー・ドイル 共著 大日本絵

・「アハトゥンク・パンツァー第2集 III号戦車編」 大日本絵画
・「戦車ものしり大百科 ドイツ戦車発達史」 斎木伸生 著 光人社
・「戦車名鑑 1939~45」 コーエー

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