刘少英(2000)

You might also like

Download as pdf or txt
Download as pdf or txt
You are on page 1of 17

現代日本語のアスペクト・テンスと中国語のアスペ

クト助字との対照研究

著者 劉 少英, 潟沼 誠二
雑誌名 北海道教育大学紀要. 人文科学・社会科学編
巻 51
号 1
ページ 17-32
発行年 2000-09
URL http://doi.org/10.32150/00005071
平成 12 年 9 月
北海道教育大学紀要 (人文科学・社会科学編) 第51巻 第1号
j も氷鑓do UDiversiけ of Educadon
lof Ho
ouma s 叙ld sociaISciences) Vol.51, No.1
鮮血如並e Sept
emL ,2000
ber

現代日 本語のアス ペ ク ト・テ ンス と


中国語のアスペクト助 字との対照研究

劉 少 英・潟 沼 誠二

北海道教育大学岩見沢校国文学研究室

○, は じめ に

現代日本語動詞 のアスペクトにおいて形態的に対立している形式は, それが母語の言語現象にないと言わ



れている中国人日本語学習者にとって難しい問題である.
どんな言語でも構文形式はさまざまだろうが, 時間 (過去, 現在, 未来) を正確に表現できないものはな
「 にお
, 「した」 と して い た」 と い う 対立 の形 式 で, テ ンス
い と思 う. 日本 語 の場 合 「する」 と 「して いる」

いて過去, 現在, 未来を表している が, 中国語の場合は動詞自体の活用変化がないため, アスペクト助字を


文に付加することによって, アスペクチ ュアルな意味を実現 している. それが どのようになっている かを考
察すると同時に, 日本語の どのようなものに相当するかを明らかにしたい. 本稿の目的 は, 両言語における
時間表現に関する共通点と相違点を見出すことによって, 現代日本語のアスペクトとテンスについての理解
を深め て 行く こ と にある.

1, 現代日本語動詞のアスペク トとテンス

現代日本語動詞 はアスペクト・テンスの観点から見た場合, 次の四つの形式を持つことになる. 便宜上,


高橋 ( ) によってまとめられた表を本稿の表1として提示する.
1985

表1

ンス
アスペ;
ミ 非過去形 過去形

完成相 する した

継続相 して い る していた

17
劉 少英・潟沼 誠二

上掲した表は現代日本語をアスペクトとテンスのカテゴリーから分類したものである これを見ると ア
. ,
スペクトにおいては完成相と継続相の両形式に分化し, その両形式はテンスのカテ ゴリーで非過去形と過去
形に分化しているどいうことがわかる. アスペクトもテンスも事柄の時間的性質を表す文法的なカテ ゴリー
なのである. ただし, テンスは, 動詞が表す動作・事象・出来事が, 現在・過去・未来という時間軸のどこ
に位置し, それが発話時とどう関わっているかを表すカ テゴリーである. またアスペクトは, 動詞の表す事
柄が, その運動の基準となる時間とどのように関わるかを表すカテ ゴリーである

完成相は, 動詞の表す動作過程の運動または結果の局面を取り出すものであり, その局面の中にある姿を
表す継続相とは対立する. 完成相のテンスは, その基本的な用法において, 未来と過去に区分される しか

し, 継 続 相 のテ ンス は 現 在 と 過 去 に区分 さ れる と い う 点 で 違 っ て いる 「する」 と 「して い る」 の アス ペ ク

チ ュアルな対立を持っている動詞であれば, 当然, 「完成相」 と 「継続相」 との対立も成立する. 同じ動詞
の非過去形であっ ても 「完成相」 であるか 「継続相」 であるかによっ て, 「未来」 であるか 「現在」 である
かが分けられる. つまり, 「する」 と 「している」 という アスペクチュアルな対立を持たない動詞は 最初

から 「未来」 と 「現在」 の対立がないのである. どういう動詞が 「する」 と 「している」 の対立を持ってい
るか, どういう動詞がその対立を持っていないかを明らかにする動詞の分類は非常に重要な意味を持つこと
になる. 以下は, 金田一 (
1950
), 工藤 (
199
5) の動詞分類からまとめたものである.

A, < 外 的 運動 動 詞 > 、 アス ペ ク ト対 立 有

a 継続動作性動詞 (金田一の動作動詞)
b 瞬間動作性動詞 (金田一の瞬間動詞)
B, <内的情態動詞> アスペクト対立の部分的変容
C, < 静 態動 詞 > アス ペ ク ト対立 無

テンスにおいて継続動詞と瞬間動詞は, 動作性動詞として状態動詞に対立している. 動作動詞は 「する」


と 「して い る」 と い う 二 つ の アス ペ ク チ ュ ア ル な形 式 を持 っ て い る か ら 「す る」 と い う 形 式 を取る か 「し

ている」 という形式を取るかによって, 「未来」 か 「現在」 かを表すのである. 「する」 と 「している」 の対
立を持たない動詞はこの規定から外されてしまうだろう.
そうすると話者が発話時を基準にして, それと同時か, 以前か, 以後かに分かれて, それぞれ現在・過去・
未来を表す. 日本語の場合, 「している」 は現在, 「していた」 と 「した」 は過去, 「する」 は未来を表す.
A B

① × 君 は本 を読 んでい る‐ ① × 君 は結 婚 して いる.
② × 君 は本 を読 んで い た. ② × 君 は結 婚 して い た.
⑧ × 君 は本 を読 む. ③ × 君 は結婚 する.
④ × 君 は本 を読 んだ. ④ × 君 は結婚 した.
Aの①は発話時, 動作が行われているのを取り上げて述べており, その発話が動作の継続の中に収まって
いるので, 現在を表す. ②はその動作が発話時の以前に継続していたことを述べているので, 過去を表す.
③は発話時, その発話が動作の継続の中に収められないため, まだ, 実現していないことしか表せない即ち
未来を表すことになる. ④は動作が発話時以前に発生したことを述べているので, 過去を表す BとAとは

時間の表現においては同じであるが, Aの場合は主体の動作であり, Bの場合は主体変化の結果であるとい
う違いである. Bの①は変化後の結果の継続, ②はその結果が発話時より以前のある時間帯に続いたことを,
③は変化が発話時にまだ発生していないことを, ④はその変化が発話時より以前のある時間帯に生じたこと

18
現代日本語のアスペク ト・テンスと中国語のアスペク ト助字との対照研究

を述べていて, それぞれ現在, 過去, 未来を表している. これが日本語のアスペクユアルな, 一般的な法則


である. これを踏まえた上で中国語において は類似的なものがあるか否か, あるとしたら, どういうものか
を考察してみる.

2, 中国語の動詞の分類とアスペク ト肋字

, 「していた」 と 「した」 のような形式の対立を持たな


中国語は日本語 にみられる 「している」 と 「する」
い言語である. そのため, 中国語で は, 時間の表現は別の手段 によらざるを得ない. それは 「時間の副詞」
と 「アスペクト助字」 である. 前者は随意的なもので, 後者は義務的なものだと思われる. 中国語のアスペ
クトを論じようとする時に, 先ず浮かんで来るのは, 「着 (~している) , 迂(~ことがある)」
, 了 (~した)
), 「了 (~ した), 着 (~ して いる), 起 来 (~始 める), 下 去 (~ 続 ける), 完 (~
, 輿 水 1985
(刺月 竿1996
終わる) ) のようなアスペクト助字である. 中国語と日本語とを対照しな
, 辻(~たことがある)」 (木村1982
がら, この考察を進めたい. 先行研究を踏まえた上で次のようなものを問題にする.
「着, 了, 辻, 在 (正 在), 那 肘~ 在 (正 在)」

先行研究は 「着 (~している) , 迂(~ことがある)」 等について, 意味的な役割ばかり分析


, 了 (~した)
して来た結果, アスペクト助字が動詞との関係に対する考察 は余り行われていないため, この点において不
充分である と言わざるを得ない. 次に当類のものは動詞に付加することによって, 分析して行くことにする.
隊平 ( ) はアスペクトの出発点から中国語の動詞を次のように分類している.
1988
動態動詞 ①継続動詞
a 継 続動詞

, 走 (歩く)
跳 (飛ぶ) , 奥 (泣く)
, 鞄 (走る) , 特 (回る)
, 間 (騒ぐ)
, 笑 (笑う) , 蹄
(跳ねる) , 看 (見る)
, 所 (聞く) , 写 (書く), 説 (話す), 唱 (歌う), 同 (問う, 聞く),
教 (教える), 念・(読む), 湊 (読む), 描 (描く), 抄 (写す), 印 (印刷する) , 洗 (洗
う), 打 (打つ), 吃 (食 べ る), 喝 (飲 む) な ど.
② 瞬 間動詞

a 瞬間 変 化動 詞

, 到 (着く), 爽 (消える)
死 (死ぬ) , 棒
, 作 (爆発する), 蹄 (崩れ落ちる・崩壊する)
(転ぶ) , 麦現 (発見する)
, 畝出 (見分ける) , 忘記 (忘
, 記 (覚える)
, 我到 (見つける)
, 遺失 (遺失する・無くする)
れる) , 結婚 (結婚する) など.
, 完 (終わる)
b 瞬 間動 作 動 詞
坐 (坐る), 帖 (立 つ), 鯖 (横 にな る), 欝 (しゃ が む), 蔵 (隠 れる), 朕 (避 ける ・ よ

, 脆 (脆く), 肌 (腹 這 い になる ・ へ ば りつ く) な ど.
ける)

静態動詞 ①属性動詞
, 好像(~のようだ), 等千 (~に等しい)
届千 (属する) , 造合 (適する)
, 当倣(に当てる) ,
値得 (値する) , 符合 (符合する・一致する) など.
, 微力 (充当する)
②心理的, 生理的状態動詞

, 知道 (知る)
喜歓 (好む) , 村灰 (きらう) , 斜服 (楽
, 明白 (分かる)
, 相信 (信じる)
になる), 害伯 (怖がる・心配する) , 放心 (安心する), 侃服 (感心する) , 満意 (満足す
, 失望 (失望する)
る) , 儀 (分かる) , 愛 (愛する)
, 嫌 (嫌う) , 恨 (憎む) など.
中国語の動詞はまた次のような0魂真結絢 (動詞十目的語) ◎劫趨猪杓 (動詞十方向動詞) ◎劫形猪絢
19
劉 少英・潟沼 誠二

(動詞十形容詞) ◎劫劫猪絢 (動詞十動詞) などがある. ただし, 0劫箕猪杓 (動詞十目的語) の場合が形


態的な最小単位ではないゆえに, 動詞, そのものの働きは変容が起こり, 名詞としてよく使われているので

「渋谷 (読書)
, 写字 (字を書く)
, 吸畑 (喫煙)
, 喝酒 (飲酒)
, ゆ架 (喧嘩)
, 鼓掌 (拍手)」 等を小論から
外しておく. 私は以上の中国語の動詞が未然・継続と己然・非継続において, 対立を持っているか否かとい
う視点から◎~④の動詞をそれぞれ動態動詞或いは静態動詞にいれる. どっちにも入らないものを結果動詞
として扱う. 私の分類は次の通りである.
動態動詞 ①継続動詞
1 (飛ぶ)
, 走 (歩く), 鞄 (走る)
, 奥 (泣く), 笑 (笑う), 間 (騒ぐ), 特 (回る), 跳・
蹴 (跳ねる), 断 (聞く)
, 看 (見る), 写 (書く), 涜 (話す), 唱 (歌う), など.
②瞬間動作動詞
坐 (坐る), 帖 (立つ), 嫡 (横になる)
, 購 (しゃ がむ)
, 誠 (隠れる)
, 殊 (避ける・よ
ける), 脆 (脆く), 肌 (腹這いになる・へばりつく) など.
③移動動詞 (中国語の越向助詞)
, 去 (去る)
来 (来る) , 上 (上がる)
, 下 (降りる) など.
静態動詞 ①属性動詞
属子 (属する)
, 好像 (~のようだ)
, 等千) (~に等しい)
, 当倣 (に当てる)
, 造合 (適
する)
, 倣力 (充当する)
, 符合 (符合する・一致する) など.
②心理的, 生理的状態動詞
喜歌 (好む), 知道 (知る)
, 付灰 (きらう)
, 相信 (信じる), 明白 (分かる), 箭服 (楽

になる), 害伯 (怖がる・心配する) , 放心 (安心する), 侃服 (感心する))
, など.
③存在動詞
有 (いる, ある)
, 在 (ある)
, 存在 (存在する) など.
結果動詞 ①動詞十動詞構成 (中国語の◎劫劫猪檎)
打破 (打ち破る)
, 推翻 (ひっくり返す・転覆させる), 鼓碑 (ただきつ ぶす), 努劫 (労
働する) など.
②動詞十形容詞構成 (中国語の◎魂形猪杓)
長大 (成長する), 粒長 (時間・期間を延長する) , 縮短 (短縮する)
, 展寛 (の ばし広げ
る)
, 放松 (大目に見える・緩める) , 理順 (整える) など.
③瞬間変化動詞
死 (死ぬ), 到 (着く)
, 爽 (消える)
, 蜂 (爆発する)
, 場 (崩れ落ちる・崩壊する), 棒
(転ぶ), 畝出 (見分ける)
, 笈理 (発見する), 我到 (見つける), 記 (覚える)
, 忘 (忘れ
る), 遺失 (遺失する・無くする), 完 (終わる), 結婚 (結婚する) など.
④動詞十方向動詞構成 (中国語の◎劫趨婚約)
胞来 (走って行く)
, 走去 (歩いて行く)
, 願上 (這い上がる)
, 滑下 (滑り降りる) など。
中国語の代表的な, 継続・現在を表すアスペクト助字 「了」 と非継続・過去を表すアスペクト助字 「着」
は両方とも動詞の後に付加することによって, それぞれ, 未然 (継続・現在) と己然 (非継続・過去) のア
スペクチュアルな意味を実現する, と同時に同一動詞に付加できることによっ て, その動詞自体がアスペク
トの対立を持っている動詞になるわけである. ある動詞そのものは, このような対立を持たないが文脈, 副
詞, 時間の状況語との共起でその対立が実現することができる. このようなものと区別するため, 私はそれ
をアスペクトの対立の変容動詞として認識しているため, それを結果動詞として扱う. 以上分類された動詞

20
現代日本語のアスペクト・テンスと中国語のアスペクト助字との対照研究

を踏まえて, 日本語と対照しながら, 中国語のアスペクト助字について考察に入る.

3, 「着」 に つ いて

中国語において, 動態動詞のすぐ後に 「着」 が付加して, 動作の継続 (進行中) を表す.


(1) 北京自然博物館的古生物大斤里, 陳列着一具大象的骨架. (小学課本 『悟文』1 lp24 以下 『悟文』
と略 す)

北京自然博物館の古代生物大ホールで, 象の骸骨を展示している.
(2) 挑着行李, 避早去了. (『収穫』 総123期 p6

荷物 を担 っ て い て, 早 魁 か ら逃 げ出 した.

例文を見ると, 動態動詞述語のすぐ後に, 「着」 が付加すると, 日本語の 「している」 と同じように動作


の継続 (進行中) を表しているが, 日本語の 「している」 は外的運動動詞述語の場合, 全て動作の継続 (進
行中) を表すと限らない. 例えば, 「結婚している」, 「死んでいる」 というのは明らかに動作の継続でなく,
動作の変化の結果である. すると, 「している」 はある動作の変化の結果の持続をも表すこともできる. 「田
中君はスーツを着ている」 というのは動作の継続或いは動作変化の結果の持続, どちらでも言える. これは
勿論, 文脈, 場面によって判断できる が, 「田中君 は今控え室でスーツを着ている」 の 「着ている」 は動作
の継続 (進行中) であり, 「田中君はスーツを着ている, 格好いい.」 の 「着ている」 は文の前後関係で動作
の継続 (進行中) と受けとめられないだろう. いちいち文脈, 場面を設定して解釈するよりはその動作が
「主 体 の動 作」 か, 「主 体 の 変 化」 か を見る ほう が 明快 で ある. {
注,}
中国語には 「着」 の使い方も同じような問題が存在している.
(4) 地 徐 着 口 紅.
彼 女 は口 紅 を塗 っ て い る.

これも二つの意味に取ることができる. 化粧中の場合と化粧後の場合である. すると, 「着」 は 「動作が継


続していること」 と 「動作が行われた後, あるものをある状態のままにしておく」 を表すことになる. 即ち,
動作を表す場合と変化を表す場合の両方ともに用いられる. 次の例文を見よう.
(5) 教室的r 汗着.
教 室 の ドア が開 い てい る.
「前是一座花園, 汗着鮮絶的花. (『糖文』1lp4
(6)1 6)
門の前は公園で, そこで碕麗な花が咲いている.
以上の二つの例の 「着」 は主体変化後の状態を表すのである. 「着」 は 「主体の動作」 を表わしているか
「主体の変化」 を表しているかは動詞自体 の性質によるものだと思われる. 即ち, 「自動詞」 か 「他動詞」 か
によって, 「主体の動作」 か 「主体の変化」 かは決められる. 一般的に自動詞の後に 「着」 が付加する場合,
「主体の変化」 であり, 他動詞の場合, 「主体の動作」 であると, 断言できるかどうかはまた疑問である. 例
え ば,

(7) 明黄的臭布上工工整整地撰着我的手稿. (『収穫』 総124期 p4


5)
黄色いテーブルクロースの上にきちんと私の手書きの原稿が並べてある (置いてある)

一つの例の それぞれの 「援(並べる) 放 (置く)」 の動作主が略されている というより話者は動作を
, , ,
無視しているというような表現だと言った方が正しいかも知れない. 話者は誰が動作したかに関心を持たず,
ただ, 今現在の, その状態を述べている. その動作が何時始まったのか, 何時終わったのかを全然問題にせ
ず, 主体の変化後の状態だけに注目して発話 しているのである. 即ち, こういう場合に限って, 動作後の結
21
劉 少英・潟沼 誠二

果の持続を表すことになる. 動態動詞の他動詞の後に 「着」 が付加して, 「主体の動作」 でなく, 「主体の変


化」 を表す場合, 動作主が現れず, ある現象を述べている場合に限る. 動作主が主語になる場合, 「主体の
動作」 であり, 「主体の変化」 でなくなる.
(8) 他 (我) 往明黄的東布上工工整整地撰着我的手稿
彼 (私) は黄色いテー ブルクロースの上にきちんと私の手書きの原稿を並べている (置いている)

(9) 他 (我) 往涼台上放着緑色植物.
彼 (私) はベ ラ ン ダに青 い 植物 を置 い て いる.

ところで, 日本語の場合, 自動詞と他動詞と対になっているため判断しやすい.


自動 詞 : 開く, 流 れ る, 飛 ぶ, 落 ちる, 並ぶ, 戻る, 終 わる
他動詞:開ける, 流す, 飛 ばす, 落とす, 並べる, 戻す, 終える
それらの 「している」 という形式は自動詞か他動詞かによって, 「主体の動作」 か 「主体の変化」 かは,
はっ きりしている. 要するに自動詞と他動詞の対立は 「主体の動作」 と 「主体の変化」 の対立になる場合が
多いようである. 勿論, 中国語にも自動詞と他動詞が存在している. 「着」 は 「している」 と同じように自
動詞にも他動詞にも付加できる. 違うのは日本語の場合, 動詞が直接に関わっている助詞が 「が」 であるか
「を」 であるかによって, 自動詞か他動詞かは判断される 「が」 という助詞に限定されている 「している」

は自動詞の 「している」 なので, 「主体の変化」 であり, 「を」 という助詞に限定されている 「している」 は
他動 詞 の 「して いる」 な の で, 「主 体 の動 作」 で ある.

中国語は孤立的な言語であるため, 語順がより重要な意味を持っ ていると思われる. 「着」 は動態動詞の


すぐ後に付加していて, 前述したような働きをしていて, 自動詞か他動詞かの判断は助詞でなく, 意味的,
分析的なものによると同時に, 「主体の動作」 か 「主体の変化」 かが判断される. 例文 (5) 教室的n汗着.
(教室の ドアが開いている.) の動詞 「汗」 のすぐ後に 「着」 が付加しているが, 目的語 (日本語の 「を」 と
いう格助詞で限定されている語) がないため, 「汗」 は自動詞だと判断されていて, 「主体の変化」 というこ
とになる. アスペクチ ュアルな意味としては主体の変化後の結果の持続の 「現在」 である. 「汗」 は客体に
関わっ ている場合, 「汗着教室的r
].」 (教室の ドアを開けている) になるが 「主体の動作」 である. (主体は
略されていると思われる) アスペクチ ュアルの意味としては動作の継続の現在である. 「着」 を前に挙げた
動詞に付加してみると, 結果動詞には付加できない. なぜかと言うと結果動詞の語桑のレベルで, 「動作過
程の運動または結果の局面を取り出すことができない」 からである. 静態動詞と対立している動態動詞の全
てに付加できる. 「着」 と比べてみる と, アスペクチュアルな意味を限定する点において 「在」 のほうははっ
きりしていて, 即ち動作進行中しか限定できないためである. しかし, 「在」 はNとVの間介入 し, 以上の
ような働きを果たすということから, 動詞の後に付加するアスペクト助字と接続法則が違うので, アスペク
ト助字から外されてしまっ たと思われるだろう. したがって 「在」 を 「介詞」 として, 或いは時間の副詞と
して扱われていて, 「在」 をアスペクト助字とする研究はあまりない. もともとは中国語がアスペクト形式
の対立のな
,い言語であるから, 時間を表すために頼らなければならないものは動詞の後か前かは問題になら
ないと思う.

4, 「在」 に つ いて

中国語の 「在」 も動作の継続 (進行中) を表すものである.



10) 小 王 在写 絵 文.

王 さ ん は論 文 を書い て いる.

22
現代日本語のアスペクト・テンスと中国語のアスペクト助字との対照研究


11) 小王在玩涛我机.
王 さ ん は フ ァ ミコ ンで 遊 んで いる.

例文から見ると 「在」 も日本語の 「している」 と対応している. 「着」 と同じように見えるが実際は異なっ


ている. 「在」 動作の継続 (進行中) を表すが, ある動作の変化の結果 (状態の持続) を表すことができな
10
い. ( )と(1
1) のような平叙述文の場合, 「在」 と 「着」 は両方とも同じように使える が, 「在」 は動作
の継続 (進行中) を述べることにあり, 「着」 はある動作が呈している状態を述べることにある. 返答文を
見ると 「在」 と 「着」 の違いは明らかである. 「小王在倣什仏?」 (王さんは何をしているの) に対して,

10)と( ) のような返答ができる が
11
12
( ) 小 王写 着 絵文.
王 さ んは論 文 を書いて い る.


13) 小王玩着済載机.
王 さ ん は フ ァ ミ コ ンで 遊 んでい る.

(12
)と( ) のような返答は非文になる. 日本語においては (
13 10)と(
11) の場合, 両方とも 「している」
を用いても, 無難であろうし, 意味も変わらないだろう. これは日本語の 「している」 が中国語の 「着」 と
共通点があるけど, 完全に対応できるものではないと判断する一つの理由である. 「在」 は日本語の 「して
いる」 と対応できるというのは, 外的運動動詞と共起すれ ば, 殆ど動作の継続 (進行中) を表すため, 日本
語の動態動詞の 「している」 形式の意味と全く同じからである. 中国語の 「着」 は客観描写性が強い. 「在」
は主観性が強いと言われている が意味的にこういう違いがあると認められている. 話者は 「在」 と 「着」 を
用いている時に, 状態の持続と動作の継続のどちらかに重点を置いて発話したというニューアンスがあるか
も知れないが, 客観にしろ, 主観にしろ, 描写にしろ, 叙述にしろ, 述べていることは発話時に収まってい
るから, 発話時を基準時間にして見れ ば, 両方とも現在のことを述べている. この点において, 日本語の
「している」 の時間の表現と共通なものであると私は思う. 言い換えると, 中国語の場合, 「在十動態動詞+
着」 はもっとも無難な現在を表すものとなる. すると, 「在」 が 「着」 との相違点はなくなり, 動作の継続
(進行中) を表すものとなり, 日本語の 「している」 と対応できるようになる. 前に挙げた (8) と (9)
の返答文 (
10)と(
11) の例文に 「在十動態動詞十着」 を用いて見ると, 非文でなくなる.
12
( ) 小 王 在 写 着 絵 文.
王 さ ん は論 文 を書い て いる.


13) 小王在玩着瀞戴机.
王 さ ん は フ ァ ミ コ ンで 遊 んで いる.


10)~(
13) 例文の中で 「在」 に限定されている述語動詞は皆他動詞である が 「在」 は自動詞を限定す
る こと も でき る.

14) 外面在下雨.
外 は雨 が 降 っ て いる.

15 05期 p22
) 街上, 雪白的山羊和黄色的公鵜在飽着. (『花城』 総1 )
町で 雪 の ような 白い 羊 と黄 色 い雄 鶏 は走 っ て いる.


16) 被王陵雇来的木匠僧正在小憩. (『花城』 総105期 p23

王陵に雇われている大工たちがひと休みをしている.

, 他動詞を限定する場合, 「主体の動作」
例文から見ると, 「在」 は自動詞を限定する場合, 「主体の変化」
を表ように見えるが, 「在」 は主観性が強いため, 主体が動作であろうか, 変化であろうかに無関心であっ
23
劉 少英・潟沼 誠二

て, とにかく話者は主体が進行中ということだけに注目して述べている. 次の例文を見ると,
( ) 在除口虹.
17
口紅 を塗 っ て いる と ころ で す.

18) 在汗教室的r
l.
教 室 の ドア を開 けて いる と ころ で す.

両例文は意味として, いかにも主体の動作であり, 誰でも主体の変化後の結果或いは変化後の状態だと思


わないであろう. そのような意味を表したいならば, やはり, 「徐着口虹」
, 「教室的n汗着」 のように客観
描写性の強い 「着」 を用いて, 主体の変化後の結果或いは変化後の状態を表すであろう.
前に 「在」 は日本語の 「している」 と対応できると述べていたがそれはテンスにおいての話である. 客観
性と主観性のニューアンスと, 日本語の 「している」 のように, 自動詞と他動詞のどちらかを限定するかに
よって, 「主体の変化」 か 「主体の動作」 かがはっ きりされるようなことにおいては, また違っていると思
わ れる.


19) 那小叫卓掲的人正在粒許等待着那西小男人中的一小. (『収穫』 総124期 p46

卓掲いう女の人は粒藤二人の男の中の一人を待っている.

20) 那位身穿棉禄, 述加上一件羊皮次肩, 須笈答巷的R民, 正在向城里来的客人介招着土地的情況.
(『済 文』 1lp3

綿入れ上着に羊皮ベストを重ねて着ている白髪, 白髭の年輩の農民は都会から来た客人に土地の
状 況 を紹 介 して いる.
「着」 と 「(正) 在」 は動態動詞の後に付加・限定すると, アスペクトにおいて 「継続」, テンスにおいて
「現在」 を表す. 動態動詞と対立している静態動詞に一般的に 「着」 と 「(正) 在」 は付加・限定できない.
結果動詞にも付加, 限定できない. これは中国語にも 「着」 と 「(正) 在」 のようなアスペクト助字との共
起という形式は日本語のような, アスペクトにおいての 「している」 と 「する」 との対立する動詞があると
いうことを意味している. たとえ, 静態動詞②の心理的・生理的状態動詞には 「着」 が付加できても, 意味
は 「着」 が付加しなくても, 全く変わり無く, 皆, 「現在」 のことを表す. これは日本語の内的状態動詞と
同じくアスペクト対立の部分的な変容が起こり, アスペクトの対立のある動詞から外してしまうはずである.
しかし, 「 (正) 在」 は前に述 べたように動作 の継続 (進行中) を表すことができるが動作の変化の結果
(状態の持続) を表すことができないため, このような変容も容認できない. 「 (正) 在」は静態動詞, 結果
動詞と対立している動態動詞しか限定できないのである.

5, 「了」 につ いて

中国語において, 話者は動作, 作用が既に発話時より前に実現また完了したことを述べる時に 「了」 を使


う. 構文上, 動態動詞の後に 「了」 を付加することによって, 過去 (己然) のことを表す. テンス において,
日本語の 「した」 と同じように見えるが中国語は衆知のように日本語のように, 動詞そのものがアスペクト
的な対立を持たないため, 特殊な動詞形式の法則的な文法手段はない. 従って, 前に述べたように, アスペ
クト助字による他に時間の状況語と共起する場合も度々ある. 時間の状況語と共起するのは随意のものであっ
て, 「了」 は義務的なものだと思われる.

21) 床兆因連日困倦, 飯后早早地睡了. (『収穫』 総123期 p50

床兆は連日の疲れで, 食事後早々に寝た.

22) 寓汗蛤家漢, 高汗朝夕相赴的中国婦婦, 回到了日本. (『人民日報』 海外版19
9711
‐ 28 以下 『人

24
現代日本語のアスペクト・テンスと中国語のアスペク ト助字との対照研究

民』 と略す)
ハル ビンを離れて, 朝も晩もいつも一緒にいてくれた中国のお母さんと別れて, 日本に帰った.

23) 我己鰹湊了一千多本朽, 学到了許多奈. (『人民』1997
‐11
‐29

私はもう本を千冊余り読んだので, 沢山の知識を学んだ.
「了」 を使っ て, 実現また己然を表す時に必ず外的運動動詞のすぐ後に用いなければならない ただ 話
. ,
者が動作でなく, 状況の説明, 出来事の叙述を意図的に述べる場合, 「了」 を使わないのが普通である. 特
に新聞記事や説明文等に多く使われている.
(24
) 中国本世紀最后一次国家級老木盛会‐第五届中国芝木官房肘十二天, 今天在成都市落下帽幕. (
『人民』 1997
.11
‐6)
中国では今世紀最後の国家級の芸術盛大なイ ベ ント‐第5回中国芸術節が12日間の日程を終えて,
今 日, 成 都で 幕 を閉 じた.

25) 今天下午三点三十分, 随着最后一年石料価入江中, 在世嘱目的三峡工程艦利実現大江裁流.
(『人民』 1997
‐11
‐10

今日の午後3時30分, 最後の一両タンプの石料が長江の中に入ったと同時に世界に注目されつつ
ある三峡ダム工程は勝利の流れのせき止めが実現した.

26) 速是中国政府首脳八年来ヌ
寸日本的首次坊同, 受到日本朝野各界的熱烈歌迎和盛情接待. (『人民』
1997
‐11
.17)

これは中国政府首脳が八年間で初めての日本訪問であり, 日本の朝野及び各界から, 熱烈な歓迎


と盛大 な 接待 を受 け た.
これは言い切り文でなく, 出来事を同時に並べていわゆる並列させて述べていて, 時間の存在を無視して
いるため, 「了」 を省略されたと言 えると同時に 「了」 を用いられていないからこそ, 過去を表す文でない
と言 える の で はな いだ ろ う か.
「了」 は動作, 作用が既に発話時より前に実現また完了したことを述べる時に過去 (完了) を表すものと
変化が生じたことを表すものと区別するため, 普通, 先行研究者は前者を 「了.
」, 後者を 「了2
」 を呼ぶ.
「「了2 」 と比 較 す る と 述 語 にはま っ たく 制 限が な い と い っ て も よ.い」
」 はさま ざま 述 語文 に用 い ら れ, 「了.
(刺月竿199
6) という論説があるが例文を引用してみると, (例文の順番は小論の順番に統一する)

27) 上 深 了, 快 遊教室.
授業 が始 ま っ た. 早く 教 室 に入 り なさ い.

28) 臥伍 出 没了.
軍 隊 が 出発 した.

27~28) は 「未発生」 から 「発生」 になることを表す.
(29
) 今天的作血倣完了.
今 日 の宿 題 はや り 終 えた.

30) 棟的信我看迂了.
お手 紙 を拝 見 しま した.
29~30
( ) は動作が 「未完了」 から 「完了」 になることを表す.
(31
) 他一看見我就帖住了.
彼は私を見るとす ぐ立ち止まった.

32) 火卒停了, 客循走出了卒爾.
汽車が止まると, 乗客たちは車両から出て来た.

25
劉 少英・潟沼 誠二

( ) は動作が 「進行」 から 「停止」 になることを表す. この 「未発生」 から 「発生」 に, 「未完了」


31~32
から 「完了」 に, 「進行」 から 「停止」 になるという説明となっている. これは正しいと思われるが, ただ
時間軸においては, この変化は話者とどう関わっ ている かを一切述べていない. 「了」 はアスペクト助字で
あるならば, 動詞に直接に関わっているもので, その動詞の性質 (動態動詞か, 静態動詞 か, 或いはその他
のものか) によって, 付加できるか否かということになるはずである. たとえ刺月竿氏の言うような 「…述
語にはまったく制限がないといってもよい」 ということがあっても, 「了2」 はどんな動詞にも付加できると
」 と同じはずはない.′同じならば, 「了.
してもゞ 意 味上では 「了. 」 を分けられる必要はどこにも
」 と 「了2
ない. 同じ動態動詞の後に付加するとテンスとしては立派に 「過去」 を表す. 発生なのか, 変化なのかは文
の中, 文脈, 場面によって, 区別されるはずである. アスペクト・テンス においては, それは発話 時にそれ
が実現したか否かは, 「過去」 か 「現在」 か, 或いは 「未来」 かを判断する. 「了」 は確かに動態動詞, 静態
動詞, 結果動詞にも付加できるが時間的に考 えて見ると違う処 があると窺える.
中国語の存在動詞 「有」 (所有を表すものではない) はその後に 「了」 が付加できない. 例え ば 「祢有兄
弟姐妹婦?」 (あなたは兄弟があるの/いるの) への答 えは 「我有」 (ある/いる) 或いは 「我没有」 (ない
/いない) となると文が成り立つ が兄弟があった/いたけど, 今にはない/いないということを言う時に日
本語は可能である が 「あっ た/いた. しかし, 五年前, 事故で亡くなっ た.」 のようには中国語の場合には
行かない. 「有了, 五年前死千交通事故.」 にはならない. 非文である. 動詞の分類から見ると, 存在動詞の
ほかに全ての動詞に付加できる. 結果動詞について, 説明を加 えると, 中国語の結果動詞では主体の変化
(結果) の継続を表す場合, 動詞の後に 「着」 でなく, 「了」 である. 日本語の場合, 「結婚する, 死ぬ, 消
える,」 などは瞬間動詞であって, 主体の変化 (結果) の継続を表す場合, 「している」 と 「した」 と, 両方
とも表せるという違いがあると思われる. 中国語の 「了」 を日本語の何 かに対応するか考 える時に単純に
「した」 と理解したら, 間違いである.
「着」 は静態動詞の③存在動詞 (所有, 存在動詞) と結果動詞に付加できない. 動詞語藁のレベルの内的
な意味上の違いで付加できない, 即ち, 結果動詞 は動作過程の運動または結果の局面にある姿を表すことが
できないからである. 日本語の 「している」 を中国語で考える時に, 動詞の分類上の違いで 「着」 か, 「了」
かどちらかを選択す
.る.

6, 「逮」 につ いて

「逮」 も中国語のアスペク, ト助字として, 動詞の後に附加して, その動作が終わっ たことを表す時に使わ


れる. 「辻」 の例文を全て 「了」 で入れ換 えることができる. しかも, 意味的に変わり はないと思われるの
で, 「辻」 も 「過去」 を表すアスペクト助字だと先行研究で は言われ続けて来た. 「辻」 はアスペクト助字で
あるのは間違いないようだが全て 「過去」 を表すものか どうか私は疑問である. いくつ かの例文を見てみよ
う・

33) 我看了 「失落園」 那小吏視別.
私 は 「失楽 園」 と い うテ レ ビ ドラマ を見た.


34) 我肴辻「失落圏」 那小嶋初刷.
私は 「失楽園」 というテレビドラマ を見たことがある.
中国語の 「辻」 と日本語の 「~たことがある」 と対応していて, 「過去」 のことを述べているように見え
るが, 話者はただそれを一つの経験として述べていて, しかもその経験が今現在の発話時にも収まっている
し, 話者がその経験者でもあるので, いわゆる質的な属性を表すもので, テンス において現在しか表せない

26
現代日本語のアスペク ト・テンスと中国語のアスペク ト助字との対照研究

のである. 「~たことがあった」 という文が成り立つならば, 経験, 動作・作用の影響が今現在にも及ばさ


れているなら, 更に話者はそれを重点に置かれて述べている場合, 現在である. そして 「了」 と 「辻」 の例
文を比べて見ると, 「了」 は過去に一回的な完了した動作或いは作用を述べるのに対して 「辻」 は過去に不
特定の動作或いは作用を表すとの違いがある. しかし, 打ち消し文では, 「了」 と 「迂」 の両方でも 「没・
没有」 を使う.

35) 那本小説嫁看了没有?
そ の小 説 を読 んだ か ? い い え, 読 んで い な い. (読ま な か っ た)

36) 那本小説像看迂嶋?没看迂.
そ の小 説 を読 んだ こ とが ある か ?い い え, な い.

読んだことはない.
日本語の場合, (
35) には過去打ち消しを用いても構わないが, (
36) には過去打ち消しの 「読まなかった」
を用いると, この場合に限って不自然である, ということは話者も聞き手も (ここでは返答者) 過去に行わ
れた動作でなく, 今現在にその過去に経験したことが今現在で存在するか否か, 要するにその出来事は何時
発生したかは関係なく, 発生してから発話時を基準時間にして見る, その出来事が終わったかそれとも終わっ
ても動作・作用後, その状態或いは結果が現在に収まり切れるかどうかはテンスにおいては極めて重要であ
る. 前に述べたように経験・質的な属性を表すものはテンスにおいて 「現在」 である. 「了」 は 「辻」 と比
べて見ると, 「了」 は 「現在」 を表す場合もあれば, 「辻」 は 「現在」 を表す場合もある 「了」 は主体動作

の変化の結果の継続の 現在」「 「
, 辻」 は経験・質的な属性の 「現在」 において違っ ている. 勿論, 原則とし
て 「了」 も 「辻」 も過去を表すアスペクト助字であるため, 動詞との関わりを考えた上での研究とテンス上
の過去か経験の現在・結果の現在かを判断することは重要であるということが言うまでもないだろう

「辻」 は 「了」 と同じよう に動態動詞の後に付加できるが 他の動詞に付加できるか否かを検討してみよ

う. これらは動態動詞に付加できることに対して, それと対立している内的動詞, 静態動詞 結果動詞に附

加できないということは 「辻」 のアスペクトの働きが十分に現れていると言える 日本語と対応できるもの

と 言 え ば, 「した」 と 「~ た こ と があ る」 しか な い と 思 わ れる 文 の レ ベ ル で 「した」 と 対 応 する か 「~ た

ことがある」 と対応するかは常に我々を戸惑わせている.

37) 在 京, 我 去迂.

東 京 です か, 私 は行 っ た こ と がある.

38) 我 去 這 在 京.

私 は東 京 に行 っ た こ と が ある.
( ) は 「~ た こ と が ある」 と 対 応 で き る 文 で ある が 日 本 語 と して は 「した」 とい う 形 式 を用 い て も
37~38

意味が変わらないが, 「我去辻在京」 は 「我去了在京」 になると, 決して 「私は東京に行っ たことがある」
になる ことはなく, 「私は東京に行っ た」 にしか対応できない.

39) 来日本以后, 我帽参現了-些民同企班, 民ー
司公司以及政府机美和学校.
日本に来てから, 私たちは, いくつかの民間企業, 民間会社及び役所と学校を見学した


39) は 「~ た こ と が ある」 にな らな い. な ぜな ら 「した」 と 「辻」 と は テ ンス にお いて 違う か らで ある

中国語では 「辻了」 を過去を表す時によく使われているがそれは 「辻」 の働きでなく 「了」 の働きだと思

われる. 全ての 「這了」 文を 「了」 文に変えることができ, 意味上では全く変わりはないとみられる

27
劉 少英・潟沼 誠二

7, 中国語のアスペクト助字と日本語のアスペクトの四つの形態的な形式との相違点

「着」 も 「在 (正在)」 も同じ意味の働きを持っているので, 「着」 も 「している」 と対応できれば, 「在


(正在)」 も 「している」 と対応できるということになる. 構文上では 「着」 は動態動詞後に付加することに
反して, 「在 (正在)」 は動態動詞の前にそれを限定するという点では違うだけである. 「着」 は 「V着N」
であるが 「在 (正在)」 は 「在 (正在) VN」 である. 構文上の形式が違っていても, 意味においても, テ
ンス にお いて も 同 じで ある.

40) 他看着替.
彼は本を読んでいる.

41) 他在 (正在) 看朽.
彼は本を読んでいる.
彼は本を読んでいるところだ.
以上の例文を見ると両者は同じである. ムー ド的に多少違っているが 「着」 は客観性が強いと言うことに
対して, 「他在 (正在)」 は主観性が強いと見られる. というわけで, ( ) は日本語の 「~しているところ
40
だ」 にならないが (41) は日本語の 「~している」 と 「~しているところだ」 のどちらでも使 える. なぜな
らテンス においては, 「現在」 を表すことに変わりはないからである. 日本語の 「~しているところだ」 を
用いられる話者は意志的に今現在にその動作が継続中 (進行中) を強調する意を持っていることが窺える.
そのため, 状態・結果の持続の意味の 「している」 文 (「死んでいる」 はできるが 「死んでいるところだ」
はで き ない」 には 「~ して い る と ころ だ」 を使 えない の はそ のた め で あろ う.
「了」 と 「辻」 は日 本語 の 「した」 と対応 で きる こ と につ いて, 既 に述 べ た が 「辻」 は日本 語 の 「した」

と 「~たことがある」 とのどちらにも対応できるということは日本語の理解に当たっては混乱 が生じやすい.


更に 「了」 と 「迂」 は両方とも 「V了 (辻) N」 という形式を取るため, 我々を困らせている. その違いに
ついて前に述べたが大きな構造文の中で 「了」 と 「辻」 は融和される場合がたびたびあるため, 判断しにく
い. これは中国語の構文上の特性や, 文脈, 副詞等の関係で意味が判断されるのもあるので, 具体的なセン
テンスの中で (単文を超える構造, 小説の地の文等) 詳しく 「了」 と 「辻」 の違いを研究する必要があるが
今後の課題として次の機会に譲ろう.
こ こま で 「着, 在 (正 在), 了, 辻」 につ いて 日本 語 の ア ス ペ ク ト形 式 の どち らか と 対応 で き る か 否 か,
違いが何かを述べたが, 日本語の 「していた」 という形式と対応できるものは中国語には存在している か否
かは気になる問題である. どんな言語でも構文上或いは表現形式上で違っていても, 時間の表現においては
ある言語はできるが, ある言語はできないということはあり得ない. 日本語の 「していた」 は日本語動詞の
四つ の ア ス ペ ク ト形 式 の一つ で ある. アス ペ ク トにお いて 「した」 と対 立 し, テ ンス にお い て, 「して いる」
と対立しているので, 「していた」 という形式のアスペクチュアルな意味をこの対立においては日本語とし
ては, より理解しやすい. 中国語の場合, 前に述べたように動詞そのものは文法形式の対立を持たないため,
動詞そのものの裸姿でのアスペクチ ュアルな意味は不透明である. しかし, 中国語にはアスペクト助字があ
る. それに補助的な (有標的な) 時間の状況語との共起という構文法があるので, 日本語の 「していた」 と
いう形式と対応できる表現はないことはない. 中国語においては 「過去のある時間帯にある動作・作用が継
続していた, 或いはある状態・動作の変化の結果が持続していた」 ということを表す時にアスペクト助字と
時間の状況語との共起が必要となる. 構文形式を考えて見ると 「過去の時間の状況語十動態動詞十アスペク
ト助字」 というような形式となる.
42
( ) 亀井:昨日の10時頃どこにいらしたのですか. (『東京駅殺人事件』 西村京太郎 p17
5)

28
現代日本語のアスペク ト・テンスと中国語のアスペクト助字との対照研究

西本:那肘我正在家看毛視, 没有人拾倣証明, 因力我是一小人独身生活.



42) の 「那時」 は非常に重要である. この時間の状況語がなければ 「している」 という形式と対応とな
り, テンスにおいて 「現在」 となる. 日本語の場合, 「していた」 という形式だけで, 意味もテンスもはっ
きり分かるはずである.
① 本を読んでいた. ② 酒を飲んでいた.
のようである. 中国語の場合, その 「過去のある時間帯に」 という意味を明示する状況語がないと表現でき
な い. そ の 四つ の 日 本 語 の 「して い た」 文 を中 国語 にする と次 の よう になる.

① 那肘(正在) 看替 ② 那肘(正在) 喝酒
「那肘」 という時間の状 況語がなければ, 「していた」 という アスペクチ ュアルな意味を表せない 要す

るに中国語の 「那吋」 は過去を表す時間の状況語の代名詞となっている. 各々の文で上下の文脈により, 具
体的な, 明示している文の中で 「那肘」 という時間の状況語は省略される. 形態的に考えて見ると 「してい
た」 と対応するものはないが構文・意味から見れば, 「那肘在 (正在) +動態動詞」 という形式しかないの
である. ここまで, 日本語の 「する」 と対応する中国語が何かについて述べなかっ たが中国語の動態動詞そ
のものは, 以上のようなアスペクト助字と共起しない場合, 未然のことを表していて, 即ち 「未来」 を表す

これは日本語の外的運動動詞の 「する」 という形式と全く 同じである. これらはもし義務的なものであれば,
中国語には日本語のアスペクトの四つの形式と対応している形式が存在することになる.
もともとは構文・形態上では中日両言語が違っているから, アスペクト形式が違っ ても不思議なことでは
ない. 逆に言うと当たり前のことである. その違っ ている両言語の中で形式だけに拘らずに共通のものを見
出すことは重要ではないだろうか.

8, 点と線の捉え方

添付した表は日本語のアスペクトの四つの形式と対応するものである. それはあくまでも最小単位の文の
場合に限る. 特に 「していた」 という形式は大きな構造の文の中で中国語となかなか対応しにくい なぜか

と言うと, もともと中国語では, 過去の捉え方においては動詞そのもので, 点的なものだけで線的なもので
はないからだと, 私は思う. 点と線とは何かについて, 先行研究には既に詳しい論説がある (高橋1985 工

) が 簡 単 に言 う と, 「シテイ ル は一 日 が千 年 の ごと く なる 者 によ っ て用 い ら れ ス ル は千 年 が一 日 の
藤1995

ごとく なる 者 によ っ て用 い ら れる」 と い う こ とで あ る


43) 満清政府は中国を200年あまり支配していた.
満清政府は中国を200年あまり支配した.
「していた」 の場合, 過去の200年の間, 満清政府は中国を支配しつつあることを即ち その 「継続的」

(線的) に捉え, たとえ一日短い期間でもその 「支配する」 という動詞の運動する過程を重点において述べ
る 場 合, 「して い る」 を用 い る. 「した」 の場 合, 200年 が 長 い か 短 い か と 関係 なく と にかく そ れ は発 話 時

より前のことで, ひとまとまりの動作, もう過ぎ去ったことしか捉えないで, 運動の過程にも 期間が長い

か短いかにも無関心である. 即ち, その 「継続性」 を無視していることである 日本語においては 「してい

た」 と 「した」 の対立は線と点の対立 にもなる. 大きな構造の文の中にもたとえ副詞 時間の状況語に限定

されなくても, 線的なものであるか点的なものであるかは意味上では明瞭である 中国語の場合 その線と
. ,
点の捉え方が補助的な (文脈, 副詞, 時間の状況語) ものがなければ, 表現しにくい それをはっきりと意

図的に表現したくなければ, 中国語の場合, 「した」 と 「していた」 とを, 全く同じように取り扱うという
こと は十 分 に考 え ら れ る. 「した」 文 も, 「して い た」 文 も (
46b) の よう に, 「した」 と 「して い た」 の 区

29
劉 少英・潟沼 誠二

別はなくても, 中国語として, おかしくはないと思う.


(4
4) 清王朝統治了中国長迭二百多年.
清王朝統治了中国二百多年.
どうしても, その 「していた」 という線的な意味, 即ち 「過去のある時間帯にある動作・作用が継続して
いた, 或いはある状態・動作の変化の結果が持続 していた」 ということを表わそうとしたら, 次のようにな
るだろうと私 は思う.

45) 清王朝在辻去ー直統治了中国長迭二百多年.
満清政府は過去の200年間ずっ と中国を支配した.
下線の 「過去ある時間帯」 というような時間の状況語 はなければ, 日本語の 「支配していた」 というよう
な意味を表すことができないであろう. 要するに中国語の動詞そのものは 「していた」 と 「した」 のような
対立を持たないからである.
下線の例はすべて副詞で意味としては 「その時, 過去のその時」 である. このような例はある区間を作り
出し, 時間を圧縮的でなく, 継続的に捉 えているための役割である. このように補助的なものがなければ,
「していた」 のような意味を表すことができないのである. この意味から言えば, 中国語ではこのような副
詞或いはそれに類似的なもの (時間の状況語・文脈) が 「していた」 という意味を表す時に義務的に用いら
れると私は思う.
( ) 在那小維忘的星期天, 凡乎所有的人都在拒絶着王朝臣的的池清. (『収穫』 総123期 p200
46 )
そ の忘 れ難 い 日 曜日, ほと ん どの 人 は王朝 臣の 招待 を断 っ て い た.
一つの出来事を時間の流れの中に次々と発生している他の出来事との関係にどう位置するか, 両出来事の
発生が同時であるか否かは大きな構造文の中の連体用法を分析しながら, 詳しい研究を行った上でその使い
分けを明らかにする必要がある. 今後これを一つの課題として小説の地の文, その他の大きな構造文の中の
連体用法の用例を集めて, 分析し, その解明に近づきたいと思う.

9, おわりに

先行研究に多く を負って, 考察して分析してきた小論は先行研究にほぼ相当するものもあると思われるが,


アスペクト研究の原点の動詞の分類から, 中日両国のアスペクトの表現する形式の共通点と相違点を見出す
つ もり で, 中 国 のア ス ペ ク ト助 字 「着, 在 (正 在), 了, 這, 那 肘在 (正 在)」 を 日本 語 の アス ペク ト四つ の
形式と対照しながら考察した結果は, 少しでも先行研究の論説を補強できるなら ば幸いだと思う.
なお, 小論は中国人日本語学習者或いは日本人中国語学習者のアスペクト・テンスの理解にささやかに役
に立て ば, これ以上の喜 びはないと思う.

注1:奥田は ( 197
8) アスペクトの研究をめ ぐって, 厳しい批判を込めた論文を発表した. その主張の中には次のようなものがあると
思われる. 「
sit
e-im とsu]
r , 「主体の変化」 に分ける」 と,
u の対立を継続動詞と結果動詞に二分する. それに, それぞれ 「主体の動作」
小論は 「主体の動作」 , 「主体の変化」 の理解において, これに従う.

参考文献:

尾上 2
圭介 198 「現代語のテンスとアスペクト」 (日本語学1

奥田 靖雄 1978 3・54
「アスペクトの研究をめぐって (上) ・ (下)」 (『教育国語』5 )

988 「時間の表現」(
1)・(
2 『教育国語』94・9
)( 5)

30
現代日本語のアスペクト・テンスと中国語のアスペクト助字との対照研究

3 大田 辰夫 1
995 『中国語文論集』 汲古書院
4 王 析 1
996 「アスペクト表現の日中対照-シテイルほかの表現をめぐって-」 (
『解釈と鑑賞』 に所収)
5 金
金子 享 1995 『言語の時間の表現』 ひつじ書房
6 金田一春彦
金 1
950 「国語動詞の一分類」 言語研究1
5(『日本語動詞のアスペク ト』 金田一春彦編 むぎ書房197
6に所収)
7 木村
木 英樹 1982 「中国語」 (『講座日本語学11外国語との対照虹』 に所収) 明治書院
8 金
金水 敏 1
987 「時制の表現」 (『国文法講座6 時代と文法一現代語』
) 明治書院
9 工藤真由美
工 1995 『アスペクト・テンス体系とテクスト一現代日本語の時間の表現』 ひつじ書房
10 輿水
輿 優 1985 『中国語の語法の話一中国語文法概論』 光生舘
11 徐 建平 1996 「アスペクー
トの日中対照研究一完成相 「スル」 と持続相 「シテイル」 を例に」 (『解釈と鑑賞』 に所収)
12 △
鈴木 重幸 1972 『日本文法・形態論』 むぎ書房
1979 「現代日本語動詞のテンスー終止的な述語につかわれた完成相の叙述法断定のばあい-」 (『言語の研究』6動こ
所収) むぎ書房

3 高橋 太郎 198
3 「スルともシタともいえるとき」 (
9 ) むぎ書房
4『動詞の研究』
1985 『現代日本語動詞のアスペク トとテンス』 秀英出版
14 膝 平 1988 「槍現代決済時間系統的三元箔檎」 (
『中国悟文』1988
.6に所収)

5 宮島 達夫 1994 『語暴論研究』 むぎ書房
6 町田
1 健 1989 『日本語の時制とアスペク ト』 株式会社アルク
7 森山
1 卓郎 1
988 『日本語動詞述語文の研究』 明治書院
18 刺 月年 1
996 『現代中国語文法総覧』 くるしお出版
19 劉 凡夫 1
987 「日本語の 「夕」 と中国語の 「了」 の対照研究」 (『国語学研究』 に所収)
20 呂 淑湘 1980 『現代漢語文八百詞』 商務印書館

31
劉 少英・潟沼 誠二

*現代日本語のアスペクト・テンスの四つの形式と中国語のアスペクト助 字との対照表

品詞 形式 テ ンス 品詞 形式 テ ンス

動 態 動詞 0v 未来 外的運動動詞 ○ 「する」 未来
結 果動詞 0v 未来 内的状態動詞 ○ 「する」 未来・現在
静 態動詞 0v 現在 静態 動詞 ○ 「する」 現在

品詞 形式 テ ンス 品詞 形式 テ ンス

「着」 外的運動動詞 ○ 「している」 現在



a)動 態動 詞 ′ 0 v十 現在

結 果動詞 0 v 十 「着」 × 内的状態動詞 ○ 「している」 現在


静 態動詞 0 v 十 「着」 × 静態動 詞 × 「してい る」 ×


)継続動詞 ○在 (正在)十v 現在
継続動詞以外×在 (正在)十v ×

品詞 形式 テ ンス 品詞 形式 テ ンス

動態動詞 0v十 「迂」 ○ 現在 外的運動動詞 ○ 「したことがある」 現在


結 果動 詞 0 v 十 「迂」 ○ × 内的状態動詞 ○ 「したことがある」 ×
静態動詞 0v十 「迂」 ○ 現在 静 態動詞 × 「した こ とが ある」 現 在

品詞 形式 テ ンス 品詞 形式 テ ンス

動態 動詞 0 v 十 「了」 過去 外的運動動詞 ○ 「した」 過去


結 果動 詞 0 v 十 「了」 過去 内的状態動詞 ○ 「した」 過去
静態 動詞 0 v 十 「了」 過去 静態動 詞 ○ 「した」 過去

(存在動詞を除く)

品詞 形式 テ ンス 品詞 形式 テ ンス

動態動詞○那肘在 (正在) v十NO過去 外的運動動詞 ○ 「していた」 過去


○那肘在 (正在) v十 「着」 十N過去
結果動詞 × × 内的状態動詞 ○ 「していた」 過去
静態動詞 × × 静態動 詞 × 「して い た」 ×

32

You might also like