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ハワイ大学ヒロ校体験記

佐藤真幸

私は 2021 年度の秋学期から1年間、ハワイ大学ヒロ校へ留学しました。パ
ンデミックにより海外交流が停滞し、学生生活にも大きな影響がありました。
海外留学での学びを諦めたくない気持ちと、移民のアイデンティティについて
関心があったため、多文化社会のハワイへの留学を希望しました。コロナ禍に
よって何度も渡航が危ぶまれましたが、立教大学とハワイ大学間で継続的に協
議をしてくださり、私も嘆願書を書いて留学することができました。たくさん
のご支援をいただき、留学できたことを感謝しています。
コロナ禍にもかかわらず、大学では全米の学生と世界中の留学生が共に学ん
でいました。私はハワイ文化、アメリカ文化の中の日本人社会、国際ビジネス
のテーマの3つを主軸として授業を取りました。ハワイ文化の授業は、現地の
人々の生活や考え方を知る上で役立ちました。フィールドワークもあり、ハワ
イ島の個性豊かな地域や自然・文化を体感できました。また日系移民の歴史を
学び、彼らがさまざまな苦労を重ねて社会と調和し、同時に日系人としてのア
イデンティティを大切にしていることが分かりました。この学びを通じ、マイ
ノリティの視点から、物事を捉え直す重要性にも気づきました。国際ビジネス
の授業では、ディスカッションを通して、多様性を理解し受け入れる姿勢の重
要性を学びました。
他方、ボランティア活動として、日本庭園があるリリウオカラニ公園の整備、
日米の友好・親善の証として贈られた桜の保全を行うこともできました。特に
沖縄県人会の方々と交流し、フラの祭典である Merrie Monarch Festival のパ
レードの手伝いをすることができました。和楽器など日本の文化が、世代と国
境を超えて継承されていることに感動しました。また日本の文化を伝える団体
である日本学生協会(JSA)に所属し、計 7 回の日本に関するイベントを開催
しました。運営を円滑に行うため英語と日本語のマニュアルを作成し、現地の
学生との協力体制を築きました。日本語チュータリングのアルバイトの機会に
も恵まれましたが、日本語を学ぶ学生に対し、文法や文化を論理的に説明する
訓練にもなりました。
日本社会とは異なり、自ら発言してこそ存在が認められるアメリカ社会で、
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積極的に自分の考えを伝える大切さに気づきました。またコロナ禍であっても、
前向きに挑戦することで道は開けるという貴重な経験ができました。同時に、
パンデミックや戦争で学びたくても叶わない人もいる中で、自分に場所や機会
が与えられた幸運に気づきました。大学の皆様や家族など、支えてくださった
方々に感謝の気持ちで一杯です。留学を通して得られた貴重な経験を大切にし、
これからの人生に活かしていきたいです。

杉山 優

私は、2022 年 12 月から4か月間ハワイ大学ヒロ校に留学していました。授
業面では、この大学だからこそ学べるものを受講したいと思っていたので、
Hawaiian Studies の科目を中心に受講していました。
どの講義にも共通して言えることは、ペアワークやグループでのディスカッ
ションや発表など、クラスメイトと協力して講義に参加する必要があったこと
です。最初はクラスメイトの話すスピードについていくことが難しく、苦労す
ることが多かったですが、分からないものはその場で解決することを心掛けて
講義に臨んでいました。先生方もとても気さくだったため、質問することに抵
抗がない環境で学習することができました。印象に残ったクラスは “Indigenous
Leadership through Hula” というクラスです。
ただフラダンスを踊るのではなく、
一曲一曲を学びながら、それに関する自然について考えたうえディスカッショ
ンする時間も設けられていました。発表時に身に付ける衣装も実際に自分達で
作ります。フラダンスを通して、自分と自然や他者との繋がりを感じるという
体験ができました。
ハワイ大学ヒロ校が位置するハワイ島はとても自然が多い土地です。交通の
便は良いとは言えませんが、大学のアクティヴィティに参加したり、友人を誘っ
て出かけたりし、たくさんの場所を訪れることができました。新しい場所に出
かけるたびに、新しい体験や景色があることに加え、学びが多いのもハワイ島
の特徴だと思います。さまざまな場所の神話に加え、それらがかつてどんな場
所だったのかなどを学ぶことができました。ハワイ文化の講義をとっていたの
で、訪れる場所が講義内容とリンクすることも多く、より楽しむことができま
した。このような活動のため、課題はなるべく平日に終わらせて、休日は寮に
こもるのではなく、できるだけ多くの場所に足を運んでいました。

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