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A.

テンスを表す形式
● 「テンス」は発話する時点、すなわち中心にある「現在」を基準にして、その文で
表す事柄がそれより前か後かを示すことです。
発話時=現在
発話時より前=過去
発話時より後=未来
つまり、文が表す内容と発話時点との時間関係(未来・現在・過去)を表す
日本語の場合、テンスは過去かそうでないか(すなわち過去-非過去の対立)で表されま
す。
また、過去-非過去の対立とを「ル形」と「タ形」という言葉でいうこともあります。
I. 「ル形・タ形」
1. ル形
- 述語の辞書形やマス形はル形と呼ばれ、
例:ル形 →「書く」「書きます」「おいしい」「おいしいです」「雨だ」など
2. タ形
- 「〜た」で終わる述語はタ形と呼ばれます。
例:タ形→ 「書いた」「書きました」「おいしかった」「雨だった」「雨でした」など
- ル形は、「現在」「未来」を表し、タ形は「過去」を表します。
=>テンスというものは述語によって変わってくること。

II. 終止形が表すテンス
それに、終止形が表すテンスは、その述語の性質によって異なります。
● 終止形とは?
- 文を終わらせることのできる形のうち一番基本的な活用形です。「書く」「美し
い」「しずかだ」など
● 日本語の述語は3種あります。
- 日本語の述語は動詞、形容詞、名詞を用います。
また、この述語は意味を考えた時、大きく2つに分けられます。
- 一つは「動き」がある述語、もう一つは動きのない「静的」な状態を表す述語で
す。動きのある述語を「動的述語」、動きのない、状態を表す述語を「静的述語」
と呼びます。これは別に動作性述語(動作述語)と状態性述語(状態述語)ともい
います。
1.1.動作述語とは?
● 動作動詞で終わる。
- 目に見える動きや、行為、変化を表す動詞を「動作動詞」と言います。一般動詞の
ほとんどは動作動詞です。
例:行く、食べる、話す、見る、聞く、走る、開く
● 未来を表す
例:あしたスーパーに行く。
=>「非過去」未来のことを表すときには述語の「ル形」を使います。
*「テイル形」を後ろに付けたときに、動作の継続があらわされる、つまり現在進行形にな
る動詞が、動作動詞です。
例:ご飯を食べている。=>現在を表す

● 過去を表す
例:きのうスーパーに行った。
=>「過去」過去のことを表すときには述語の「タ形」を使います。
1.2.状態述語とは?
● 状態動詞、形容詞、名詞で終わる。
- 状態動詞とは、文字通り「状態」を表す動詞のことです。一時的な動作ではなく、
一定期間継続する状態を表すときに使われます。
例:思う、知る、愛する・見える、聞こえる、感じる・持っている、所属している、存在し
ている
*一般的に、動作動詞はその動きをしてみることができますが、状態動詞は動作で表すこと
ができません。ですから、動作動詞は進行形にできるが、状態動詞は通例、進行形にできな
いのです。
● 現在を表す
例:
1)彼は医者だ。
2)この田舎は静かだ。
3)ここから富士山が見える。
=>「非過去」現在のことを表すときには述語の「ル形」を使います。
● 未来を表す
例:A:明日の午後はお暇ですか。
B:3時までは暇ですが、そのあとは用事があります。
*「ある」という状態動詞は現在も未来も表す
例:1)家の前に大きな箱がある。(現在)
2)今週末は友達と遊ぶ予定があるよ。(未来)
=>「非過去」未来のことを表すときには述語の「ル形」を使います。
● 過去を表す
例:
1)昨日のパーティーは楽しかった。
2)去年まで学生だった。
3)きのう自動車事故があった。
=>「過去」過去のことを表すときには述語の「タ形」を使います。

III. まとめ
基本的に日本語のテンスは過去、現在、未来を表すのにル/タの対立―非過去/過去の対立
しか持ちません。
テンス・・・ル形とタ形
●「ル形」は述語の種類によって、「未来」を表すのか、「現在」を表すのかが、決まる。
動作動詞のル形→未来
状態動詞・形容詞・名詞のル形→現在・未来
●「タ形」は静的述語か、動的述語かといった述語の種類にかかわらず、「過去」を表す。
動き動詞・状態動詞・形容詞・名詞のタ形→過去

B. 超時制
● 基本的にテンスは過去、現在、未来を表します。しかし、全ての文が過去•現在•未
来のいずれかのテンスを表すわけではありません。
例:
地球は太陽の周りをまわっている
地球は過去、現在、未来に関係なく常に太陽の周りを回っています。 つまり、これが現実
であり、時間を超越した不変な真理なのです。 このような文は超時制の文と呼ばれます。
超時制とは、真理や習性、マニュアル、一般法則などを表す場合にル形で表すというもの
です
特に、述語が動作動詞であっても時制は未来ではありません。
例:
日本人は米を主食とする。(一般的事実、習慣)
オリンピックは4年に一度開かれる。
車での通学を禁止する。(規則)
太陽は東から昇る。(真理)
1たす1は2だ。

C. 相対テンス+絶対テンス
次に、相対テンスと絶対テンスです。
1. 絶対テンス

1.1. 単文
単文のテンスは通常は発話時を基準とし、発話時より前に起こったことには「タ形」を使い、
意味としては「過去」を表します。
発話時と同時の場合には「ル形」を使い、意味としては「現在」を表します。
発話時より後に起こったことにも「ル形」を使いますが、意味としては「未来」を表します。
例:
学校に来た(過去)← いま学校にいる
教室にいる ← いまここ(現在)
図書館に行く(未来)← いま図書館にいない

1.2.複文の主節
この例を見てください
例:
学校に行く時、パンを買った。
どれが主節でどれが従属節なのでしょうか
→「パンを買った」は主節、「学校に行く」は従属節
単文と同じで、主節のテンスは絶対テンスであり、基準点は発話時です。
この例では、発話時点で「パンを買う」という行為が起こっていたので過去形になります「パ
ンを買った」。

つまり、単文や複文の主節のテンスは発話時との時間的前後関係のみで決めるため絶対
テンスと呼ばれます。即ち、発話時を基準として「以前」なのか「以後」なのか、を表すもの
を絶対テンスというものです。
Thì của mệnh đề chính được gọi là thì tuyệt đối vì nó chỉ được xác định bởi ngữ cảnh
thời gian phát ngôn. Nói cách khác, thì tuyệt đối là thì diễn tả điều gì đó “trước” hay “sau”
thời điểm phát ngôn.

では、複文の従属節のテンスはどうでしょうか
2. 相対テンス
複文の従属節は「相対テンス」であり、基準点は主節の動作が行われた時点です。
複文では、従属節のテンスは主節時との時間的前後関係を表し、発話時との時間的前後
関係を表さないため、相対テンスと呼ばれます。即ち、主節時を基準としてそこから「以前」
なのか「以後」なのか、を表します。基本的には、従属節のテンスは相対テンスであること
が多いです。

thì của mệnh đề phụ thuộc thể hiện mối quan hệ thời gian với thời gian của mệnh đề chính
chứ không thể hiện mối quan hệ với thời điểm phát ngôn nên gọi là thì tương đối. Nói cách
khác, nó thể hiện thời điểm “trước” hay “sau” của mệnh đề chính.

この例を見てください
学校に行く時、パンを買った。

学校に行くのはパンを買う前ですか。それともパンを買った後ですか
時間の流れを考えると
パンを買った→それから、学校に行きます

「相対テンス」の時には、従属節は主節時を基準として、「パンを買った」という時点から未
来なので、学校に「行く」とき、は「ル形」を使います。
Giải thích: Mệnh đề phụ lấy mốc là thời gian của mệnh đề chính, từ thời điểm “mua
bánh” sẽ là tương lai nên chia thể ru ở mệnh đề phụ.

では次の例文はどうでしょうか。
学校に行ったとき、パンを買った。
「パンを買った」を基準としたとき、「学校へ行った」はそのより前ですか、後ですか
時間の流れは
学校に行った→それから、パンを買った
そこで、基準点の「パンを買った」から見ると、「学校に行った」の従属節「タ形」を使います。

この相対テンスがある代わりに、日本語には英語のような 「時制の一到」があり ません。


「時制の一致」とは何でしょうか
「時制の一致」とは、「主節」の時制に「従属節」の時制を合わせること。
たとえば、He said he was busy において、従属節の動詞に過去形wasが使われるのは、
主節の動詞の過去形saidと一致させているからである。しかし、日本では、「彼は忙しいと
言った」という「ル」形で言える。

Trong TH nào thì người nói đặt điểm quy chuẩn là thời điểm nói và trong TH nào thì
đặt quy chuẩn là thời điểm của mệnh đề chính

例外
しかし、発話時でも主節時でもない時点を基準として表す場合もある。
例:
(1)「アフリカに行く」計画が去年やっと実現した。
(1)ル形は実現してからアフリカに行くという意味で使用されない。それは、計画が立てら
れる時点を基準として、それ以後ということでル形を使用する。

(03) [式典に出席する] 人たちを、太郎が空港で見送った。


(04) [県大会で優勝した]選手は、全国大会に出場する。
(03)において述部「出席する」は過去のできごとであってもかまわないし、(04)において述
部「優勝した」は未来のできごとであってもかまわない。

まとめ:
● 単文や複文の主節のテンスは「絶対テンス」、「絶対テンス」の基準点は発話時で
す。

● 複文の従属節のテンスは「相対テンス」、「過去」「未来」とは関係なく、基準点は発
話時以外の時点であり、普通は主節時です。

D. 発想

タ形は色々なの意味を持っています。
● アスペクトとは (時間の流れに焦点をあてる)
DDN1: アスペクトとは、動詞が表す出来事の完成度の違いを記述する文法形式で、それ
によって動作がどの段階・相にあるかを示します。

DDN2: 一つの動作を考えるとき、その動作は
(1)開始前か、(2)その動作をしている最中か、
(3)終了したところか、(4)終了した後の状態か、など
いろいろな段階が考えられます。
日本語では、その動作が今、どの段階にあるのかを
いろいろな文法形式を使って表します。
この文法形式のことをアスペクトと言います。
● ムードとは
ムード(mood)は術語の文法的範疇で、術語の形式に基づいて話し手自身の心的態度を観察し
ます。
つまり、ムードを分類するときは、以下のような文法形式に分けて考えます。
● 直接法(indicative mood):現実世界の事柄を表すときの形
● 命令法(imperative mood):命令・要求を述べるときの形
● 仮定法(subjunctive mood):仮定を述べるときの形
● 可能法(potential mood):可能なことを述べるときの形
● 希求法(optative mood):願望や希望を表すときの形

モダリティは話し手の心的態度を表す意味的範疇で、意味をもとに話し手自身の心的態度を観
察します。
例えば、下の会話例で言えば、赤い部分がテンス、黄色い部分がアスペクト、青がモダリティにな
ります。

「昨日の8時、何してたの?」
「バスで南通に来る途中だったよ。8時ならちょうど小海橋を渡っているところだったかもね。」

。。が発表した通りに、日本語のテンス(時制)は、①『過去形(「た」がついたもの)』と ②『非過去
形(「た」がつかないもの)』の2つしかないと言っています。
『過去形』は基本的に「過去」を表し、『非過去形』で「現在」と「未来」を表す。

でも、「タ」は過去形ではない場合もあります。ちなみに、「タ形」の特殊な用法について話したいと
思っています。

まずは、純粋な「タ形」は「過去」と「完了」に分類されます。
①[過去]
(1)先週の日曜日は阿蘇山に登った。
(2)あのときはずいぶん腹が立った。

②[完了]
過去に起きた出来事と現在起こっている出来事とがつながっていることを示しています。

・思えばこれまでおまえにもずいぶん苦労をかけたなあ。 =>「おまえ」は昔(=過去)から今現
在まで苦労をかけた、過去と現在がつながっています。

・トムさん、少しやせた?=>トムさんがいつ痩せたのかは、わかりません。が、過去に「痩せる」
という変化が起きて、今現在「痩せている」という状態にあります。

つまり、過去と現在とがつながっています。
B :ううん、( 31 ) A: もう朝ご飯?B :ううん、まだ(*食べなかった食べてない(*は非文を表す。)(食 0 な
かった*食べてないができるわけです。完了を表し得る、言い換えれば、過去と完了が形態上未
分化であるということ了))を見ることによって確認できます。つまり、日本語の「タ形」は過去と(( 30
)「食べなかった」(過去否定)、( 31 )「食べていない」(未完に食べ終わったかどうか(=完了)を聞い
ています。このことは、 B の返答ります。その上で( 30 )では今朝(=過去)食べたかどうかを、( (1)
ではすでと、一方( 31 )は朝ご飯を食べるにふさわしい時間帯の会話であることが分か( 3 ので
は、 A が「今朝」と言っていることから概ね昼以降の会話であるこ

③[単なる状態]
(1)とがった鉛筆は折れやすい。
・壁にかかった絵をごらん。=>結果の残存(過去の出来事が今も続いている)

「とがった鉛筆は折れやすい。」と「とがっている鉛筆は折れやすい。」の違い
一番大きな違いは、「とがった」は過去形であり、「とがっている」は現在形です。したがって、状況
によってどちらが適切かが変わります。
「とがった鉛筆は折れやすい。」
これは過去の出来事や状態に言及しています。例えば、何かが起こった後に「そのとがった鉛筆
は折れやすかった。」と言いたい場合に使います。

「とがっている鉛筆は折れやすい。」
これは現在の状態や一般的な性質に言及しています。例えば、ある瞬間の状態や鉛筆の性質に
ついて語りたい場合に使います。

名詞修飾節に使われる際にはタ形とテイル形の動詞は意味が同じですが文末に来ると意味が
違う、という文が書いてあります。(日本語文法ハンドブック・初級・186ページ)
下記の例文が挙げられています。
腐ったお菓子を食べてお腹を壊した。 = 腐っているお菓子を食べてお腹を壊した。
お菓子が腐った。 ≠ お菓子が腐っている。
腐った(状態の)お菓子を食べてお腹を壊した。 = 腐っている(状態の)お菓子を食べてお腹を
壊した。
これはその通りです。同じ意味です。

・お菓子が腐った。
この文章は、お菓子が「いつの事か分からないけど、どこかの時点で、腐った物に変化した」事実
を述べています。

会話例①
A;「あれ!? お菓子が腐っちゃった」
B;「ずっと冷蔵庫の外に出しておくからだよ。」

この会話中も、お菓子が「腐った状態」は、確かに継続しているでしょう。
ですが、この文章の意図は「腐った状態が継続している」点にはありません。

------------------------------------------------------
・お菓子が腐っている。
この文章は、お菓子が「現在、腐った状態にある」事を表明しています。

会話例①
A;「そのお菓子、腐っているよ」
B;「マジで?食べるつもりだったのに…」

会話例②
嫁A;「机の上に晩御飯あるから。適当に食べてね。」
夫B;「お菓子が一つ、腐っているね」
嫁A;「あ、そう。じゃ、それ捨てといて。食べたけりゃ食べてもいいけど。」

上の例と同様に、お菓子が「腐った状態」は、確かに継続しているでしょう。
ですが、この文章の意図も、「腐った状態が継続 / さらに進行している」点にはありません。

https://www.italki.com/ja/post/question-280189

日本語の「タ」形は、過去を表すだけではなく、様々話し手の心的態度ーすなわちモダリティを表
す。

④[事態の獲得。] => nắm bắt được tình huống


「わかった。なるほど。」「もう覚えた。」

sự khác nhau giữa わかった và わかっている


わかった:(瞬間的、この場合、完了) “たった今、理解した”
「お前の気持ちはよくわかった。」
わかっている:(継続的、状態) “過去のある時点から現在まで理解した状態が続いている”
「お前の気持ちは聞かなくてもわかっている。」
分かった→理解が今完了した
分かって(い)る→理解が過去に完了した

⑤[見通しの獲得。] => dự đoán chắc chắn kết quả của sự việc


「これで間違いなく勝った。」
https://hinative.com/questions/16901446

⑥発見、想起の気持ちを示す。
定義: 発見の用法とは、過去から続いている現在の事態を発見したことを表す用法
=> phát hiện ra một sự vật, sự việc vẫn đang tiếp diễn từ quá khứ cho đến bây h

想起の用法とは、一時的に忘れていたのを今思い出したという意味
=> 思い出し
例えば、同じように現在「物がある」状態を示す場合でも、「あそこに変わった形の傘がある」の
に対し、「あっ、探していた傘がこんなところにあった」という場合、「た形」を使う。過去に探してい
たものが発見されたので、これを「発見の「た形」という。

典型的な使い方は、初対面の人に「お名前はなんとおっしゃいますか」と聞くのに対し、以前
会ったと思われる人には「お名前は何とおっしゃいましたか」と聞くような例である。最初に記憶し
たり会ったりしたのは、過去であるため、それを思い出して「た形」を使う。

似た例で、「ああ、今日は日曜日だった。」も「発見あるいは想起の「た形」」と呼ぶ。ただし、動
態動詞はそのままでは使えず、「のだった」にする必要がある。・ああ、思い出した。来週食事会
をするの(ん)だった。xああ思い出した。来週食事会をした。

⑦事実でないこと(反事実)を示す。
定義: 限られた単語につくのだが、「た形」で事実でないことを示す用法がある。
例えば
・彼は東大に行くはずだった(→実際は行かなかった)。
・彼女は京大に行くべきだった(→実際は行かなかった)。=>[評価のモダリティの形式が過去
形]
・やっぱりパーティに出るの(ん)だった(→実際には出なかった)。
・危うく死ぬところだった(→実際には死ななかった)。
・こんなに楽しいとしっていれば、もっと早く日本語教師になったのに。=>[事実に反する事態を
仮定する条件節の主文の例]

⑧ごく稀に命令、催促的な意味を示す。
聞き手がその動作を意識的に行える場合、過去形が差し迫った要求という一種の命令を表せ
る。
trong trường hợp người nghe có thể thực hiện hành động một cách có ý thức
=>実現を促しているのでその結果を重視している
例えば
・どいた!どいた!
・さっさとめしを食った!食った!
これらのうち、(3e)のような聞き手への働きかけ用法については、いわゆる命 令形による働きか
けとは異なり、「差し迫った要求」、「います ぐの命令」と言われるように、発話の時点での動作を
迫っている のであって、「1時間後に、帰った、帰った。」のように時間帯を指定するこ とができな
い点で特殊な命令表現といわれている。

2.未来を表さない動態述語過去形
● 知覚・思考 => nhận thức, suy nghĩ
● 発話現場での観察 =>
● 遂行動詞 Performativeによる発話行為 =>
● 現在の反復・習慣を表す =>

3.小説におけるル形・タ形
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1316880673
例文:
「ランプの光に気づいて、女が振向いた。女は器用にスコップを使って、石油罐のなかに砂をすく
いこんでいた。その向うに、黒い砂の壁が、のしかかるようにそそり立っている。あの上が、昼
間、虫をさがして歩いた場所だろう。二つの石油罐が、いっぱいになると、女は両手に下げて、こ
ちらにやって来た。すれちがいざま、上眼づかいに、「砂がねえ……」と、鼻にかかった声をかけ
る。裏側の道の、梯子をかけてあったあたりに、石油罐の砂をあけた。手拭の端で、汗をぬぐう。
あたりは、搬んだ砂で、もうかなりの山になっていた。」
安部公房 - 「砂の女」
Tác phẩm “Người đàn bà trong cồn cát” của Kobo Abe

「過去」や「未来」などをはっきりさせる)ではなく、あくまで「相対テンス」だということを、理解でき
る。
描写的な文章の場合は、書き始めに「これは過去のことである」ということを明らかにさせておけ
ば、その後の動詞をずっと「非過去形(辞書形)」で表わすことも可能です。いちど、「過去である」
という設定を作ってしまえば、基準の時点が、「いま現在」ではなくて、「過去のその時点」に移る
ので、そこを舞台にして起こることについては、非過去形でよいのです。
極端な例では「日記」に、このような書き方があります。
×月○日 (と書いた時点で、起こったことはすべて過去だということがわかります)朝6時にジョギン
グをする。8時に学校に着く。テストを受ける。・・・・
もちろん、「ジョギングをした。・・・着いた。・・・受けた。」という書き方でも構わないのですが、それ
ぞれの行為の「活き活きした様子」が感じられなくなります。
つまり、小説のような「高度な文章術」による文章にのみ、こういう「テクニック」が使われるとは限
らず、日本語では、日常的に、書き言葉においては、このような「過去における非過去形」の使用
は行われているのです。これに加え、とくに小説など文芸作品の場合、作者はさらに「文のリズ
ム」や「描写力」に重点を置きます。過去のことだからといって、「・・・た。・・・・・た。・・・・た。」と語
尾の「タ」ばかりが続いては読んだときに音として美しくないうえ、単調すぎて、文に関して無神経
であるように感じられます。(どんな動詞でも、過去は「タ」で終わりますので、延々続くおそれが
あります)そこで、動詞によって、「ル」であったり、また他の「ウ段」のさまざまな音が来る「非過去
形」を適度に挟むことによって、文章全体が単調になるのを防ぎ、音として心地よい、ひきしまっ
たものにする効果があります。
また、他の回答者さんのお答にあるように、その瞬間を「活き活きと描いてみせるため」また「読
者に近づけて見せる」ために「タ」で終わる描写が続く中で、印象に残るような動作については、
意識的に「非過去形」を使うことも、よくあります。
これが映画なら、画面に登場する「女」について、監督が、「ここでズームイン!」「そこはアッ
プ!」と監督が思うようなシーンでは、そのアクションは「非過去形」で描かれるにふさわしいもの
となります。以上のような理由(「原因」ではありません)で、ご質問の文の筆者・安部公房は非過
去形を使ったのでしょう。この方法は、安部公房に限らず、「文章を書く」ことを生業としている人
なら、
誰でも考え、場合によっては無意識的に、使っている「書く技術」です。テンス・・・というより、「タ
形」と「辞書形」が「混在」はしていますが、決して「混乱」しているわけではないのです。
「平成二十二年七月某日」というのは、執筆時から見れば過去のある時点であり、英語における
時制選択では、通常、過去形となる。したがって、上記のように、文末(下線部)は、過去を表す
「タ形」の連続となった。
一般の読者モニターに読んでもらったところ、「タ」で終わる文が続いており、単調で、臨場感がな
く、物語の中に入り込んでいけない、との指摘があった。出版社の編集担当者も同様の意見で
あった。感覚的には上記の指摘の正当性を認めつつも、文法的な観点からは違和感を覚えた。
しかし、歴史的現在という文法事項を拠りどころとして、局、以下のように推敲した(下線が「タ」
形、囲み線が「ル」形、斜体太字が体言止め : 以降、抽出部分の符号は、この例に倣う)。
(``Một ngày nào đó trong tháng 7 năm 2010'' là một thời điểm nhất định trong quá khứ tính từ thời
điểm viết bài, và khi chọn thì trong tiếng Anh thì thường là thì quá khứ. Vì vậy, như đã nói ở trên,
cuối câu (phần gạch chân) là một dãy chữ “T” tượng trưng cho quá khứ.
Khi tôi yêu cầu người giám sát độc giả nói chung đọc cuốn sách, họ chỉ ra rằng cuốn sách có một
loạt câu kết thúc bằng `` ta '' và nó đơn điệu, thiếu cảm giác hiện thực và khó đi vào câu chuyện. .
Biên tập viên của nhà xuất bản cũng có quan điểm tương tự. Bằng trực giác, tôi nhận ra giá trị của
quan điểm trên, nhưng xét về mặt ngữ pháp, tôi cảm thấy nó thật kỳ lạ. Tuy nhiên, dựa trên vấn đề
ngữ pháp của hiện tại lịch sử,
Văn phòng, được xây dựng như sau (gạch chân là hình ta, khoanh tròn là hình ru, in nghiêng in đậm
là từ dừng; từ đó mã các phần trích sẽ theo ví dụ này).)

一個の作品として成り立っている小説の多くは、……すでに起こった過去の出来事として作者に
よって整理され、構成されて描かれたものである。その意味で小説のテンスはすべて過去形で示
されてもおかしくないはずである。しかし、一方で、小説は読み手によって読まれたとき、その出
来事は再現され、疑似体験されるのである。この点で、文章中に意味的、文法的に「現在」が持
ち込まれることも、決して不思議なことではない。それどころか、書き手の「時」の流れと読み手の
「時」とが交錯することはごく普通に見られるといってよいだろう。
(Nhiều cuốn tiểu thuyết đứng thành một tác phẩm duy nhất được tác giả sắp xếp và cấu trúc như
những sự kiện đã xảy ra trong quá khứ. Theo nghĩa đó, sẽ không có gì đáng ngạc nhiên nếu tất cả
các thì trong tiểu thuyết đều được thể hiện ở thì quá khứ. Tuy nhiên, mặt khác, khi người đọc đọc
tiểu thuyết, sự kiện đó sẽ được tái hiện và trải nghiệm theo cách mô phỏng. Về mặt này, không có
gì ngạc nhiên khi “hiện tại” được đưa vào văn bản cả về mặt ngữ nghĩa và ngữ pháp. Ngược lại, có
thể nói, việc “thời gian” của người viết giao nhau với “thời gian” của người đọc là điều khá phổ
biến.)

過去のことを表すのに「タ形」と「ル形」を混用することは、日本語において、可能というよりも自然
な現象である、と述べている。
(Anh ấy nói rằng việc sử dụng ``ta'' và ``ru'' cùng nhau để diễn tả những sự việc trong quá khứ là
một hiện tượng tự nhiên chứ không phải là một khả năng có thể xảy ra trong tiếng Nhật.)

タ形を基調とする文章にル形を混ぜて用いるのを歴史的現在と呼ぶことがあるが、タ形の中にル
形を混ぜる修辞的効果の第一は、臨場感をかもし出すことである。過去の事象が目前に起こっ
ているかのような印象を読者に感じさせる効果を狙いとする。
修辞的効果の第二は、文末表現を多彩にすることである。タ止めの単調なリズムを避けるために
タ形の間にル形を挟み込むのである。
上記の筆者の小説の場面は、のぞみ号が米原の駅を通過して京都駅に到着し、主人公の男が
京都駅に降り立つまでという、比較的短い時間的スパンの場面を描写している。まさに、物語が
展開しているその時を表していると言える。このような場面の表現手法について、井島(1989 : 52
、55)は、場面を内側から描く場合は現在形となり、外側から描く場合は過去形となるとした上で、
以下のように述べている。物語時現在とは、物語が展開しているまさにその時点を指していた。
これを現在形で表現するか過去形で表現するかは、その場面を内側から描くか外側から描くかと
いう作者の裁量に任されている。すなわち、描かれる事態の内容に関しては、現在形と過去形を
入れ換えても変わらないと言ってもよい。
(Việc trộn hình chữ L thành câu dựa trên hình chữ T đôi khi được gọi là hiện tại lịch sử, nhưng tác
dụng tu từ chính của việc trộn hình chữ L vào hình chữ T là tạo ra cảm giác hiện diện. . Mục đích là
tạo cho người đọc ấn tượng rằng một sự kiện trong quá khứ đang diễn ra ngay trước mắt họ.
Tác dụng tu từ thứ hai là sử dụng nhiều cách diễn đạt ở cuối câu. Để tránh nhịp điệu đơn điệu của
điểm dừng Ta, hình Lê được chèn vào giữa các hình Ta.
Khung cảnh trên trong tiểu thuyết của tác giả miêu tả một khoảng thời gian tương đối ngắn, từ khi
đoàn tàu Nozomi đi qua ga Maibara và đến ga Kyoto cho đến khi nhân vật chính xuống ga Kyoto. Có
thể nói nó thể hiện chính xác thời điểm câu chuyện đang diễn ra. Về phương pháp thể hiện những
cảnh như vậy, Ijima (1989: 52, 55) cho rằng thì hiện tại được dùng khi vẽ cảnh từ bên trong, còn thì
quá khứ được dùng khi vẽ từ bên ngoài và phát biểu như sau: . Thời điểm hiện tại của câu chuyện
đề cập đến thời điểm chính xác khi câu chuyện đang diễn ra. Việc diễn đạt điều này ở thì hiện tại
hay quá khứ là tùy theo quyết định của tác giả, người quyết định miêu tả cảnh từ bên trong hay
bên ngoài. Nói cách khác, có thể nói nội dung tình huống được miêu tả vẫn giữ nguyên ngay cả khi
thì hiện tại và quá khứ thay thế cho nhau.)

山本(2010 : 1)は、「時制形式は事態を主観的に解釈するか客観的に解釈するかという、主体が
事態を把握する際の主客観の解釈態度差異を反映する」と述べている。松田(1986 : 20)は、「ス
ル形」を「主観的現在」、「シタ形」を「客観的過去」と位置付けている。

上記の先行研究の記述と前述の宗宮、樋口、熊倉の日本語の時制選択基準と視点の可動性、
語り手の立場や裁量などについての記述を加味すれば、筆者による同小説の上記抽出部分に
おける「タ形」と「ル形」の混用は、理論的に許容可能ということになるであろう。さらに、一般の読
者モニターも推敲後の原稿の方が読みやすいという意見であった。
(Yamamoto (2010: 1) tuyên bố, ``Hình thức căng thẳng phản ánh sự khác biệt trong thái độ diễn
giải của đối tượng chính khi chủ thể nắm bắt tình huống, chẳng hạn như tình huống đó được diễn
giải một cách chủ quan hay khách quan.'' . Matsuda (1986: 20) định vị “hình thức suru” là “hiện tại
chủ quan” và “hình thức sita” là “quá khứ khách quan”.

Nếu xét đến mô tả của nghiên cứu trước nêu trên và mô tả về tiêu chí lựa chọn thì thì tiếng Nhật
của Somiya, Higuchi, Kumakura, tính linh hoạt của quan điểm, lập trường và quyền tự quyết của
người kể chuyện, v.v., chúng ta có thể kết luận rằng đoạn trích trên từ cuốn tiểu thuyết của tác giả
Việc sử dụng hỗn hợp "ta-shape" và "ru-shape" về mặt lý thuyết được cho phép. Hơn nữa, những
người giám sát độc giả nói chung cũng bày tỏ quan điểm rằng các bản thảo sửa đổi sẽ dễ đọc hơn.

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