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幸せ探しの青い鳥

iroha

!18禁要素を含みます。本作品は18歳未満の方が閲覧してはいけません!

タテ書き小説ネット[R18指定] Byナイトランタン

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︻小説タイトル︼
幸せ探しの青い鳥
︻Nコード︼

1
N1596GY
︻作者名︼
iroha
︻あらすじ︼
蒼鳥一族の通称を持つルオーン家のティトは、笑わないことで有
名な第三王子・ユージーンの唯一だった元遊び相手で現侍従。幼い
頃から主のことが大好き︵※強火︶だが、叔母からは﹁早く結婚し
ろ﹂とお見合いをせっつかれては主であるユージーンにお祈りされ
てしまう毎日。
ティトとのお見合いを断ると、もれなく幸せになれるというとんで
もな噂が立ち始めた頃、今度は大好きな﹃ユージーン殿下﹄の婚約
話が出てしまい︱︱。
※異世界ファンタジー︵ファンタジーというよりただのラブコメ⋮︶
/オメガバース設定
※王族︵α︶×侍従︵Ω︶
※エブリスタにも掲載しています
2
お見合いにお祈りはいりません
﹁ティト。なにか、悩みごとか?﹂
﹁はっ! 申し訳ありません﹂
無意識に変な顔をしていたらしい。着替えを手伝っている時に考
え事など、職務怠慢だ。侍従としてあってはならないこと︱︱そう
思い改めて姿勢を正すと、着替えを終えた主が俺を見ていた。
﹁そういえば、また見合いをするのだとか﹂
主︱︱ユージーン様は、俺の事情を良くご存知だ。まだ兄にしか
話していなかったのに、と困り顔で﹁はい﹂と返す。ユージーン様
は人払いをすると、椅子に座るように勧めてきた。
﹁ここからは幼馴染であり、友人の関係に戻ろう。今度はどちら
の家と見合いを?﹂
男らしく低く、でも心地よい主の声に問われながら、俺は項垂れ

3
た。
﹁グリース家のご令嬢とです。あちらからお断りされるのはもう分
かっていて⋮⋮叔母は張り切っているけれど、俺には分不相応な見
合いばかりなのです。お相手はみな、俺でも名前を知っている有名
なお家ばかりで。それに、最近妙な噂もあると聞いて﹂
俺の叔母はこの国の中でも裕福で知られるヴェルテ伯爵家に嫁ぎ、
もともと社交的な性格をしていたのもあって、あちこちに﹃お知り
合い﹄がいるのが自慢だ。二十を過ぎてもまだ独り身なのは俺だけ
だからと、一番良い相手と結婚させるのだと言って、何故か叔母が
一番張り切っている。
しかし、貴族でも末端に近い実家はすでに長兄が継ぐことが決ま
っていて、俺はこうして主であるユージーン様にお仕えできれば、
それで十分幸せだと思っている。自分の上にも下にも兄弟はいる上
に、俺はオメガ性という厄介な身体を持っている。オメガ性は男の
身体でも妊娠できる稀少な存在と言われているが、自分でも笑える
くらいその傾向が顕現したことなど一度もない。オメガ性だけが持
つ紋が生まれた時に現れたからと言うが、本当にオメガ性なのか自
分でも疑わしいくらいだ。
体質が顕現しないお蔭で、子どもの頃と変わらずユージーン様の
傍に仕えることができるのが、唯一の良かったことだ。このオメガ
性という体質が令嬢に気持ち悪がられてしまうのか、叔母の努力も
むなしく、どんどんと縁談は流れに流れていく。
﹁⋮⋮妙な噂とは?﹂
﹁はい、それが⋮⋮﹂
項垂れると、俺の青い髪がふわふわと零れ落ちてきた。柔らかい
髪質のせいで、開かれた窓から吹き込むそよ風にいちいち影響を受
ける。

4
﹁俺との縁談を断ると、すぐ良い縁談に巡り合える︱︱幸運が訪れ
るという噂が流れているそうで⋮⋮﹂
俺のどんよりとした話しに﹁ふうん﹂と返しながら、かつての遊
び友達でもある主︱︱この国の第三王子は、整った面立ちを窓に向
けた。
今は侍従となった俺にも、相変わらず親しく接してくれる。齢こ
そ俺より数歳は下だけれど、常に冷静で上の王子たちにも負けず劣
らず秀でていると︱︱内心では、誰よりも優れていると︱︱俺は思
っている。 少ししてユージーン様は俺を見てくると、二人でいる
時にだけ見せる、悪戯めいた笑みを浮かべながら﹁お前は﹃蒼鳥一
族﹄だからな﹂と続けた。
﹁蒼鳥一族は、我が始祖たちの困難の最中に、幸運でもって国開き
を成功させた騎士の末裔だ。それにあやかろうと、そういう噂が出
てもおかしくはあるまい﹂
﹁でも俺は、他の方の青い鳥になったつもりはなくてですね⋮⋮﹂
もし本当に幸せを呼び込めるというのなら、それはすべて主であ
るユージーン様に全振りしたいところである。
﹁では、祈っておこう﹂とユージーン様が口を開いた。
﹁相手の令嬢が、正しい相手と縁があるように﹂
﹁ええー?! それでは、俺の破談は目に見えているじゃないで
すか! どうせ、俺には誰ともご縁なんかないでしょうけれど﹂
手招きされてユージーン様に近づくと、しゃがむように言われる。
おとなしくそれに従って片膝をつくと、後ろで結んだ青髪がまた垂
れてきて、ユージーン様が俺の髪をひと房、掬いとった。
﹁見合いが失敗したら、責任持って私がティトを慰めるとしよう。
ティトの好物を山ほど作らせようか。何が一番嬉しい?﹂
﹁ほら! もう、ユージーン様には俺の失敗が、目に見えている
って仰りたいのでしょう?﹂
どうだろうなと、めずらしく声を立ててユージーン様が笑った。
思わず主を見上げたら、もう少し下を向いていろ、と言われてしま

5
う。
﹁だが、お前は⋮⋮私のことが、好きだろう?﹂
何ともなしに、幼い頃から問いかけられる同じ言葉。ユージー
ン様のお顔を見たいのを、ぐっと堪えながら俺は、﹁もちろんです
!﹂とあらん限り力強く答えた。
﹁幼い頃より、ずっとお慕いしています。俺に誰かを幸せにする力
が本当にあるのだとしたら、ユージーン様に全集中してほしいくら
いです!﹂
これだけは、自信を持って言える。ユージーン様より大切な方は、
他にいない。自分の主としても、幼い頃から一緒にいる友としても。
﹁⋮⋮だから、手放せないのだ﹂
﹁なにか仰いましたか?﹂
いいや、とユージーン様は口ごもると、俺の青髪に口付けてきた。
それから茶でも用意しよう、と言って自ら立ち上がる。
﹁ユージーン様。お仕度なら、自分がやりますので!﹂
いいから椅子にでも座っていろと言われて、大人しく座っていら
れるわけがない。重ねて﹁命令だ﹂とまで言われてしまうと、立ち
尽くすしかない。その間にも手際よく、ユージーン様はお茶の準備
を整えてしまう。俺に任せるのは不安だからなのか、二人きりにな
ると、いつもユージーン様が率先して、あれこれこなされてしまう。
自分でやってしまった方が早いし、お茶も美味しく淹れられると思
っているのかもしれない。
こういう時。俺は、ユージーン様の役には立てていないのだ、と
情けなく思う。子どもの頃の遊び相手だから、優しい主が傍にまだ
置いてくれているだけなのだと。それでも、ユージーン様が手ずか
ら用意してくれたものが、嬉しくて、特別に思えてしまって仕方が
なくて。
﹁ユージーン様が淹れられるお茶は、とても美味しいです。この⋮

6
⋮花の香りがすごく好きで﹂
﹁⋮⋮本当に美味しそうに飲むな、ティトは﹂
そう返したユージーン様のお顔が穏やかに笑っていて。俺はこう
いう瞬間を、何よりも愛しく思っている。
﹁ところで、ティト。︱︱発情期は﹂
﹁ふぐぅっ﹂
唐突なユージーン様からの問いかけに、口に含んだ茶を噴き出し
かけた。普段は冷然とした顔をされているのに、そのお顔で突然こ
ういうことを尋ねてくるのだから、恐ろしい。
﹁⋮⋮は、恥ずかしながら⋮⋮その、まだ⋮⋮です。発育が悪いか
らだと、この間叔母に叱られてしまいました﹂
俺の方が年上なのに、主とはひと頭以上も差が出てしまったくら
い、俺は小さいままだ。いっそオメガ性特有の発情期を迎えれば、
簡単に殿方との結婚が決まるはずなのにと、叔母は俺の顔を見ては
よくぼやいている。鳥や動物たちがそうなるように、発情期を迎え
れば子どもを孕む可能性がぐっと高くなる。血族であることを殊更
大事にするこの国の貴族たちにとって、王族にしか現れないとされ
るアルファ性の子を成すこともあるオメガ性との結婚は特別視され
ていた。
だがそれも、発情期があれば、の話だ。そんなものがなければ、
俺は貧相で特技もない、一介の貧乏貴族の子である。⋮⋮確かに、
そんな男が名のある家の令嬢に喜んでもらえるはずがないのだ。お
見合いの時は、割合どのご令嬢も和気あいあいとお茶や食事をして
くれるのに、後日寄こされるのは︱︱お断りの手紙と、良い縁談に
巡り合えたという噂。
﹁俺は、こうやってユージーン様のお傍にずっといられたら、それ
だけで幸せなので﹂
人は誰かのために生きているのだというのなら、俺は間違いなく
ユージーン様のためだけに生きたい。上手く言葉にできない俺の返

7
事に、ユージーン様は心なしか嬉しそうに笑いながら﹁うん﹂と相
槌を打ってきた。幼い頃からずっと一緒に過ごしてきた。大事な俺
の主の傍に仕えられれば、俺は一生独り身のままで構わない。この
想いを、他の人間に振り替えられるとも思えない。
そうして。俺のお見合いは、ユージーン様のお祈り通り、叔母の
嘆きと共に呆気なく失敗に終わった。
王太子殿下のお気に入り
﹁おや、小鳥じゃないか。ユージーンと一緒に来ていたのかな?﹂
﹁シドリル王太子殿下、ご無沙汰しております﹂
春から夏に差し掛かると、中庭にも色とりどりの花がますます咲
きほころび、一段と美しい季節が訪れる。
廊下の向こうから歩いてきた相手が誰かすぐに分かり、俺は慌て
て廊下の端に寄って頭を下げた。軽い調子で話しかけてきたシドリ
ル様は主の一番上の兄で、この国の王太子殿下だ。俺は、本当はシ
ドリル様の遊び相手になるはずだった︱︱らしい。
しかし、初めて連れて来られた城で手違いがあり、最初にお会い
したのはユージーン様だった。しかも、近い年齢の子どもと遊ぶこ
となど一切なかった殿下が俺とは遊んだから、という単純な理由で、
俺はユージーン様の遊び相手に選ばれて今に至る。

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﹁堅苦しい挨拶はよしてくれ。ほら、昔みたいに俺の胸に飛び込ん
できなさい﹂
﹁そそそ、そんな不敬な真似っ、致しかねます。お許しください﹂
すっかり冷たくなって、とシドリル様が苦笑する。俺の主と似た
面差しだけれど、表情も豊かで多弁な方だ。シドリル様は近づいて
くると、いとも簡単に俺を抱え上げてきた。
﹁相変わらず軽いことだ。ユージーンは、ちゃんとお前に食べさせ
ているか?﹂
﹁自分は、蒼鳥の血が濃く出てしまったみたいで。お食事ならたっ
ぷりと頂いておりますよ。あの⋮⋮殿下の、侍従のみなさんが見て
いらっしゃるので﹂
シドリル様の傍に控えている侍従さんたちが、みんな笑いを堪え
た顔をしている。﹁無礼な﹂と怒り出す方たちがいないのは良かっ
たけれど、一人だけ幼い子どもみたいに抱え上げられているのは、
とにかく恥ずかしい。
﹁蒼鳥一族か。⋮⋮興奮すると﹃翼﹄が現れると聞いたことがある
が、実際に顕現したことはあるのか?﹂
﹁それは⋮⋮そうなったことが、ないので﹂
おや、と殿下が目を丸くした。この国では王族にしか現れないと
もいわれるアルファ性︱︱リーダーであるべき性を持つ特別な彼ら
と、俺みたいなオメガ性を持つ少数の者だけが、興奮したり弱った
りすると身体に祖先が深く関わったとされるものの﹃血﹄が顕現す
ることがある。たとえば、俺の家は通称﹃蒼鳥一族﹄と言われる通
り﹃鳥﹄だが、実際に翼が生えた身内の話なんて聞いたこともない。
﹁それは勿体ない。連続で見合いを断られているそうだな。いっそ、
俺のところに来るか? 今なら良い部屋を用意できる。小鳥と一緒
なら、毎日楽しそうだ。たくさん笑わせればその興奮で翼が出てこ

9
ないか、実験してみたい。第一王位継承権がある現王太子なんて、
お買い得と思わないか﹂
どうしてそこで、﹁勿体ない﹂﹁いっそ﹂﹁お買い得﹂になるの
かが分からない。俺が困り果てていると、﹁兄上﹂と低い声がかか
った。
﹁やはり一緒だったか。小鳥から目を離しているのは、めずらしい
と思ったが﹂
﹁ティトを返して頂きたい﹂
ユージーンのものじゃないだろう、とシドリル様が呆れた口調で
返しながら、俺を床に下ろしてくれた。
﹁ジーン様!﹂
ほっとして、思わず子どもの頃と同じように、愛称で主を呼んで
しまった。すぐに﹁ユージーン殿下﹂と言い直す。無表情で近づい
てきたユージーン様にも急いで頭を下げる︱︱と﹁おお、怖い﹂と
シドリル様が冗談めかして呟くのが聞こえる。
﹁小鳥を叱ってはならないからな。楽しく会話をしていただけだ﹂
﹁何故私がティトを叱らなければならないのです。それより、弟の
侍従に構っている場合ですか﹂
そうだ、王太子殿下は忙しい。﹁王太子殿下、お時間を取らせて
しまい申し訳ありません﹂と頭を下げると、シドリル様は分かりや
すく嘆息した。
﹁ジーン。お前ね、一応これでも家族で、お前の兄上その一なんだ
からさ。もう少しくらい、愛想を良くしたらどうだい。小鳥も、俺
に謝る必要はないからな﹂
﹁不出来な弟ですので。王太子殿下にまで愛想良くできるほど心が
広くないのです﹂
いやいや、むしろ王太子にくらいは愛想良くしておけよ、とシド
リル様が唇を尖らせ、それを殿下の侍従たちが、また必死に笑いを
堪えている。この国が平和で豊かなのは、王族の中で醜い諍いがな

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いからだ。彼らの父君である現王陛下もあまり笑ったりする方では
ないけれど常に冷静で、民にも優しい政治を敷いている。ユージー
ン様方の母君である王妃様をしっかり溺愛されていて︱︱大好きな
お二人だ。そんな王家の側でずっと仕えることができれば、俺はも
う、それだけで幸せなのだ。
﹁そういえば。お前の兄上その二を見なかったか? 陛下がお呼び
なのに、一向に姿を現さない。隣国との大事な縁談なのに⋮⋮この
分だと、ユージーンに話が行くかもしれぬぞ﹂
﹁そうですか﹂
随分とあっさりしているな、とシドリル様が眉根を寄せた。王太
子であり第一王子であるシドリル様と、第三王子であるユージーン
様。そして、第二王子のランス様がいる。ランス様も明るくて闊達
だけれど、﹁城での政務は俺に合わない﹂というのが口癖で国境警
備を自ら買って出ていた。年に数回は、こうやって陛下に挨拶のた
めに戻ってくる約束にはなっている。そのたった数回でも、ランス
様が真面目に来城する姿を見かけることは少ない。突然目の前に現
れては、辺境の街の土産だといってあれこれ頂くのが、城の人間に
とって︱︱もちろん俺にとっても︱︱楽しみの一つだ。
そうやって自分の思考を切り替えなければ、変な顔をしてしまい
そうだった。隣国は友好国で、この国同様に豊か。ランス様のお相
手に、と噂され続けていた姫君は、とても美しくて国民からの評判
も高い方だという。
︵なんで俺が、動揺しているのだろう︶
みんなが笑っているのだから、笑わなければ。上手く笑えている
と思ったのに、俺を見てきたユージーン様が変なものを見た、とい
う顔になる。
﹁まあ、ランスも夜の宴会には出てくるかな。美味い酒があるとこ
ろに、奴が現れないはずがない。ジーンも必ず顔を出せよ、そうじ
ゃなきゃ勝手にお前の婚約相手が決まるからな﹂

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﹁仰せの通りに、王太子殿下﹂
うわあ、と漏らすとシドリル様が﹁ほんと、冷たい﹂とぼやきな
がら、がくりと肩を落とす。
﹁お前の侍従は可愛いのになあ。しかし、ジーンも成人︱︱結婚を
許される年齢になった。侍従とばかりいるのではなく、もっと周囲
の人間に関心をだな﹂
﹁⋮⋮私がティトを手放したら、真っ先にご自分の傍に置くおつも
りなのに?﹂
まあな、とシドリル様がニヤリと笑んだ。またいつもの兄弟のや
り取りだと周囲は見守っているけれど、だしにされている俺自身は
いたたまれなくなる。本当に、ユージーン様のお側に置いてもらえ
るだけでも果報者なのに。
﹁なにせ、小鳥は俺の従者になるはずだったのだから。完璧なユー
ジーンのところでは、せっかくの小鳥の良いところを生かせないの
ではないか? 小柄だが、なかなか剣の扱いが上手いと聞いたぞ﹂
﹁兄上﹂
低いユージーン様の声に、周囲の温度がひやりと下がった気がし
た。
﹁従者たちがいる前で、そんな顔をするものではないよ。宴会では
楽しく飲もう﹂
じゃあな、とシドリル様が笑いながら、俺の頭を軽く叩いて去っ
ていった。シドリル様の侍従さんたちはみんな丁寧で、ユージーン
様に深く頭を下げてから、俺にも会釈をしてくれた。同じく返すこ
とを繰り返しているうちに、ユージーン様が無表情のまま歩き出し
て、俺は慌てて追いかけ始めた。 12
説明不足は勘違いのもと
今日、ユージーン様も普段のお住まいから城に来たのは、陛下が
催す宴会に出席するため。少しぶりに訪れた王城の中庭は広大なの
に緻密に計算された配置が施されていて、年中美しいが、この季節
は一段と明るくて、俺は大好きだ。
まだ俺も、ユージーン様も⋮⋮シドリル様、ランス様も子どもだ
った頃、遊んだ場所でもある。とにかく広くて、隠れる場所もあち
こちにあって。子どもにとって、探検をするには安全でうってつけ
の場所だったのだ。中庭が見渡せる廊下を歩いていると、自然と庭
に視線が向いてしまう。つい立ち止まりかけた時、同じタイミング
で足を止めた主が﹁たまには中庭を歩くか﹂と声をかけてくれた。
﹁中庭を歩いていると、ユージーン様に初めてお会いした時を思い
出します。父がシドリル様との面会の日を間違えてしまって⋮⋮﹂

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﹁そうだったな﹂
俺はシドリル王太子殿下の遊び相手として、城に連れてこられた。
しかし、父が日取りを間違えてしまい、せめて中庭でも見て帰って
は、と勧められて遊びに入ったら︱︱そこに、ユージーン様がいた。
俺よりも小さいのに、そうとは思わせない佇まい︱︱中庭にある東
屋で難しそうな本を読む、端正な顔立ちの少年に、目を奪われた。
この国ではめずらしい黒灰の髪。彼の正体がなんなのか、周囲に控
える護衛の姿も見えるからなんとなくは分かったけれど、それでも
興味はやまなくて。
ただ挨拶をしたいだけだったのに、突然現れた栗鼠に驚いて飛び
上がった俺を見て、幼かった主が笑ったのが出会いだった。
︵そんなに面白かったのかな⋮⋮︶
気安いと思ってくださっているのか、俺相手には笑いかけてくれ
るけれど、普段のユージーン様は感情を表に出すことは少ない。今
となれば、あの時笑ってくれたのが奇跡だと周囲が思ったのも無理
ないな、とは思う。どもりながらも頑張って挨拶をして、彼が手に
していた本の話になって︱︱気づいたら遊んでいた。
噴水の近くに差し掛かる。この辺りではよく、かくれんぼをした。
足が遅くて逃げ場所にすぐ困ってしまう俺の手を、ユージーン様が
引っ張ってくれて。一緒に噴水の陰に隠れたりもした。あの時の緊
張感を思い出し、肩に力が入ったところでユージーン様が俺に振り
返った。
﹁ティト。もし、自由に選べるとしたら︱︱結ばれたい相手の希望
はあるのか?﹂
﹁ええ? いやですね、また自分のお見合いの話ですか﹂
そんな真面目な顔で俺の見合いのことを聞かれても、ただ困るだ
けだ。﹁いや⋮⋮﹂とユージーン様は一瞬口ごもったものの、いつ
にも増して︱︱怖いくらい真剣な眼差しで、俺を見てきた。

14
﹁私が婚約を申し入れたら、どう思う﹂
ああ、さっきの話か。頭の中ですぐに合点がいった。とても美し
いという隣国の王女様との婚約話。ランス様が乗り気でなければ、
きっとユージーン様がお相手になるだろうと噂されているのを、俺
も聞いたことはある。本人が希望すれば、今なら確実なものになる
はずだ。
侍従として、嬉しいという顔をしなければならない。俺は頑張っ
て笑みを張り付けると、﹁それは素晴らしいです﹂と何とか返した。
それにしても、 さっきからどうにもおかしい。無二の主の大切
なお祝いごとに、どうして素直に喜べないのだろう。そんなの、侍
従失格ではないか、と頭で分かっているのに︱︱心に冷たいものが
突き刺さったような、痛くて苦しい感覚に戸惑ってしまう。無意識
に外套の結び目を握り締めたところで、主がいつもよりも表情を固
くしているのが見えた。
﹁⋮⋮ティト。素直な気持ちを、教えてほしい﹂
どうして、ユージーン様の婚約申し入れの話で、俺の気持ちなん
かが必要なのだろう。こんな時まで︱︱いや俺はどこまでも、この
方の従者であり、良くて友人でしかないのだ。そんなことを一瞬で
も考えてしまった己に動揺したものの、﹁もちろん、嬉しいに決ま
っています!﹂と笑顔を添えて答えることができた。気を許した相
手にだけ向けられるユージーン様の笑顔は、隣国の美しい王女だけ
のものになるのだろうか。もしそうなら、少し⋮⋮いや、かなり寂
しいけれど。﹁そうか⋮⋮﹂と安堵の表情になった殿下を真っすぐ
見返すことが今は難しくて、噴水へと視線を逸らしたところで﹁ユ
ージーン殿下﹂と主を呼ぶ声がした。
﹁侍従長﹂
俺の上司でもある、ユージーン様付きの侍従長だ。静かに廊下を
歩いてきた侍従長が、丁寧にユージーン様に頭を下げる。

15
﹁殿下、新しい侍従候補を連れて参りました。決まればこのまま、
陛下方にも挨拶をと考えておりましたので。丁度良かった、ティト
にも会ってもらう方が良いですね?﹂
﹁そうだな﹂
新しい侍従候補。そんな話が出ていることを、俺はまったく知ら
なかった。
﹁ええと⋮⋮ユージーン様の侍従を増やされるのですか?﹂
﹁ティトの代わりとなる者たちだよ。殿下、お話はお済みと思って
宜しいでしょうか?﹂
笑顔で侍従長が答え、その言葉にユージーン様も頷く。そんな話、
俺は聞いていないのに、ユージーン様と侍従長の間ではもう決まっ
たことだったらしい。せめて、ユージーン様の傍に侍従として一生
涯勤めることができれば︱︱そう思っていた俺の願いは、呆気なく
砕け散っていった。
﹁あちらに並んでいる者たちが候補者となります。家柄や性格など
も審査済みです﹂
侍従長が指さした方向には数人の男たちが並んで立っている。ど
の男たちも家柄の良さが分かる優雅さを漂わせていて、背は軒並み
高く、体躯も鍛えているのが分かる。俺たちの声は聞こえないだろ
う、でも彼らの顔や雰囲気はなんとなく分かるくらいの、距離。明
日には、彼らが立つところよりもずっと遠くに、俺はいるのかもし
れない。
ユージーン様と侍従長が真剣に話し合っていると、彼らのうちの
一人が変な動きをした気がして俺はしっかり見ようと目を細めた。
段々とその動きは大きくなり、悲鳴めいたものまで聴こえてくる。
﹁⋮⋮あれは!﹂
緑豊かな中庭には、動物の姿もちらほら垣間見ることができる。
しかし、招かれざる客も現れることがあって︱︱そのうちの一つが、
ギーヴルだ。大きな蛇にお飾りの竜に似た翼を持つ幻獣が、侍従候

16
補者たちの列の前に現れたのだ。太い悲鳴が上がったが、侍従候補
者たちはここに到るまでに剣などは取り上げられているはず。侍従
にだけ許された護衛用の剣を確かめると、俺はユージーン様たちの
位置を確認してから、侍従候補たちのところへと駆け寄った。この
辺りに稀に出ることのあるギーヴルは、お飾りの竜翼しかないので
自由に飛びまわることはできない。その辺にいる蛇と大差はないが、
その辺の蛇と同様に毒を持っている。
ギーヴルが、俺を見てぴたりと動きを止めた。それはそうだ、俺
は蒼鳥の血が入っている︱︱彼らにとっては格好の餌なのだから。
俺に狙いを変えたギーヴルが、順調に彼らから遠ざかり始める。
﹁今のうちに! 早く逃げてください﹂
ユージーン様が俺の名を呼び、駆け寄ろうとするのが見えた。精
一杯の声で近づかないように叫ぶと、侍従長たちが急いでユージー
ン様の前を守る。ギーヴルは体が大きい上に毒を持っているのだ。
護衛用の剣を持っているといっても、上手く誘導して、隙をついて
仕留めるしかない。足は遅いけれど、体は軽いから高いところにも
すぐに上がることができる。俺が動き始めると、ギーヴルも後を追
い始めた。飛びかかってきそうなタイミングを見計らって、手近な
ところにある高台へと逃れる。全員が遠く離れたと思ったのに、一
人、大きな石を持ってギーヴルに近づく男に気づいて︱︱俺は叫ん
でいた。
﹁危ない!﹂
ギーヴルは機敏だ。石を投げた隙に、その小さな翼を使って飛び
かかってくるだろう場面が目に浮かぶ。この場で、傷ついていい者
など一人もいない。いずれかの貴族の︱︱良家の子息であるのなら、
なおさら。ギーヴルと男の間を狙って飛び降りたところで、当然と
言えば当然か、俺の足にギーヴルが噛みついてきた。その勢いで幻
獣の頭を捕らえると、しっかりと頭を押さえて致命傷を与える。可
哀想に思うが、生半可に逃がしてしまえば再びこの中庭に戻ってく

17
るかもしれない。俺の主に危害を与える可能性は、排除しておきた
かった。
﹁ティト!!﹂
﹁大丈夫です、ユージーン様﹂
その場に蹲ってしまった俺に、真っ先にユージーン様が駆け寄っ
てきた。まだ危険が残っているかもしれないのに、声をかけられた
ことにほっとしてしまう。だが、ここで安堵しきっては⋮⋮本当に
役立たずになる。
﹁俺に触れてはいけません。万が一にでも、毒がユージーン様のお
体に入り込んではいけません、から⋮⋮﹂
﹁知るか! 私に掴まれ、早く!!﹂
掴まれ、と言っているくせに、力強い腕がさっさと俺を抱え上げ
てしまう。それに抵抗する間もなく、俺の意識はどんどんと、混濁
していった。
第二王子からのご招待
﹁ティトさん、目を覚ましたのね! ああ、神さま⋮⋮!﹂
聞きなれた叔母の声。ゆっくりと目を覚ましたら、俺は実家の自
分の部屋で寝ていた。まだ咬まれた部分は痛むし全身が気怠いもの
の、自分が生きていたことにほっとする。
﹁叔母上、俺は⋮⋮﹂
﹁目が覚めれば大丈夫と、お医者様も仰ってたわ。食欲はある?
貴方、ずっと高いお熱が出て、目が覚めなかったのよ﹂
本当に心配したのよ、と叔母が目許を拭いながら、俺が上体を起
こすのを手伝ってくれた。実家の小さな、しかし叔母があれこれ指
示をして綺麗に保っている美しい中庭が窓越しに見える。ユージー
ン様の邸のものとも、王城の中庭ともまったく違う光景。
﹁⋮⋮ユージーン様に、ご挨拶をしないと⋮⋮﹂

18
そう呟くと、叔母は分かりやすく眉をつり上げた。
﹁まったく、酷い話よね。貴方がせっかく命を張ってお守りしたと
いうのに、侍従を解任ですって?! 納得いかなくて私、ヴェルテ
家としても申し入れをしたのよ。それでも後で改めて挨拶するなん
てあしらわれて⋮⋮あの方、本当に何を考えていらっしゃるのかし
ら!﹂
だから、もうあちらに顔を出す必要なんてないのよ。そう言って、
叔母は鼻息を荒げる。
﹁あんなにお側に置いていたのに、いざあの蛇の化け物の毒で回復
の見込みがあるか微妙となったら解任!? それならさっさと自由
にしてくだされば良かったのに。見舞いにいらしても、いつもと表
情も変わらないし、寝ているティトさんをただ見ているだけなのよ
?!﹂
﹁叔母上、俺が殿下のお役に立てていなかったのです。解任のこと
は前から決まっていたことみたいですし、それをどうにか覆したく
て身を張ったわけではないので⋮⋮どうか、ユージーン様に対して
不敬なことは、仰らないでください。すみません、ちょっとまだ、
頭が痛いかも﹂
あら、無理しちゃだめよ! と叔母が慌てる。叔母が怒っている
のを見ていたら、俺が泣いたりするわけにはいかないと思えてきた。
俺が寝ている間にも、わざわざこんな郊外まで何度か訪ねて下さっ
ていたというだけで十分。ユージーン様は、隣国の王女様との婚約
だとか、あれこれでお忙しいはずだ。なるべく、お手を煩わせたく
はなかったのに。
﹁でも、侍従のお仕事がなくなったのは良い機会でもあるわ! 喜
んでちょうだい、ティトさん。隣国の伯爵家の若君が、貴方のこと
をずっと気になっていたって先方から申し入れがあったの。ユージ

19
ーン殿下が青い鳥を手放されるのであれば、ぜひ自分にって。四男
だから、お世継ぎが生まれなくても、気にしないとまで仰っていた
だいているのよ!﹂
隣国︱︱ユージーン様が婚約される王女様の国。いっそ、ユージ
ーン様やこの国から離れるのも良いかもしれないと思う程に、俺の
心は弱っていた。
﹁ティトさんが倒れたのをとーーーっても心配されていて、できれ
ばすぐにでも見舞いに行きたいとおっしゃってくださって。そちら
からも素敵なお見舞いを頂いたのよ。ぜひ、お礼のお手紙を書いて
くださいね。ヴェルテ家とも交流のある裕福な良家ですし、これ程
までに素敵なご縁はないわ。今度こそきっと大丈夫ね!﹂
﹁⋮⋮お話をいただいたこと、考えてみます﹂
ぜひそうしてちょうだい! と叔母は明るく笑い、﹁ゆっくり休
んでね﹂と締めくくって部屋から去っていった。そのお相手が寄こ
したという見舞いは、見たことのない鮮やかな花々で彩られている。
その見舞いの品よりも、より寝台に近い場所に置かれた青い花が誰
からなのか。教えられなくても、俺にはすぐに分かった。俺の好き
な花を知るのはユージーン様、ただお一人だけだ。
︵変な寝顔、していなかったかな︶
夢も見ないほどに深く眠っていたせいで、ユージーン様が近くに
いらっしゃったそうなのに、気配すら分からなかった。ふと、子ど
もの頃に俺が風邪を引いたときにも、他の侍従たちに止められてい
たのにユージーン様が、こっそりと見舞いに来てくれたのを思い出
す。俺の大好きな青い花を、一輪持って。
﹁ずっと⋮⋮お慕いしていました﹂
俺の感情は、誰にも必要ない。そう分かっているのに、最後にも
う一度、噛み締めるように俺は上掛けで顔を覆いながら、ユージー

20
ン様への想いを呟いた。
***
実家にいると、面白いくらい何の情報も入っては来ない。当たり
前か。実家の邸は貴族たちが住まう一画でも外れにあるし、もはや
郊外といっていいくらいにのどかな場所にある。おしゃべり好きな
叔母がやってこない限りは、ただただ静かな家だ。起き上がって動
き回っても問題ないくらいまで回復したある日、﹁お客さまだぞ﹂
と長兄がのんびりと声をかけてきた。
﹁おー小鳥! 元気そうだな﹂
﹁⋮⋮ランス様?!﹂
賑やかな声。兄たちと楽し気に笑いながらやってきた、長身の男
性。シドリル様やユージーン様にも顔は似ている彼こそが、王家三
兄弟二番目のランス様。王子だけれど、誰よりも庶民にとっても馴
染みやすい存在でもある。気さくに笑いかけてきたランス様は、俺
が挨拶し終えると﹁もともと痩せているのに、また痩せたな﹂と眉
根を寄せた。
﹁見苦しい姿を、申し訳ありません。ランス様、まだお戻りではな
かったのですね﹂
﹁ああ、ユージーンの婚約の話で大騒ぎだからな﹂
そう言ってランス様がニヤリとしてみせる。そうか。もうそこま
で話しが進んでいるのかと、諦めがついてくる。︱︱諦めるとはな
んだ。自分を慌てて戒めていると、持っていた袋をひょいと取り上
げられた。
﹁この袋、ユージーンの識紋が入っているな。中身はなんだ?﹂
﹁あ⋮⋮花茶です。いつもユージーン様が手ずから淹れて下さって
いて﹂

21
ランス様が袋を開いて、そこから小さく包装された花茶を取り出
される。匂いを嗅ぐ動作をしたランス様から、﹁これ、毎日飲んで
いるのか?﹂と質問された。
﹁ランス殿下。申し訳ありませんが自分は城から呼ばれております
ので、ここで失礼しますね。たくさんのお土産を、ありがとうござ
います﹂
おー、とランス様が俺の兄に手を上げ、兄もいつになく急ぎ足で
邸を後にする。兄が城から呼ばれているなんて、聞いていなかった。
知っていればユージーン様にお礼を出せたのにな、なんて思う。二
人きりになったところで、﹁小鳥。お前、発情期なんて来たことな
いだろう﹂と唐突にランス様が言い出した。
﹁⋮⋮ぐふぁああ!? あの、⋮⋮実はそうなんです﹂
突然の問いかけに、変な声が出てしまった。それを言われたら、
俺は固まるしかない。こんな俺でも良いと言ってくれる人がいるの
だから、俺は幸せなのだろう。
﹁お前がユージーンから飲ませられていた、その花茶。効能を調べ
たことはあるか?﹂
﹁いいえ。ユージーン様がくださるものは、たとえ毒でも疑いませ
ん﹂
まあ、小鳥はそうだろうなとめずらしくランス様が嘆息した。
﹁我が弟ながら、恐ろしいヤツだな、あれは﹂
﹁⋮⋮あの。ユージーン様のご婚約の準備は、順調でしょうか?
隣国の姫君は、いつこちらにお住まいに﹂
ん? とランス様が目を瞬かせた。
﹁あ、申し訳ありません! もう侍従ではないのに、出過ぎた真似
をしました﹂
そうだ。もう、俺は末端貴族の次男で、後継ぎでもない、無職の
男なのだ。王族のことを尋ねるのもおこがましいことなのに。

22
﹁⋮⋮隣国といえば、ランス様は留学されていたことがありました
よね。こちらとは、気候はあまり変わりないでしょうか? もしか
したら、住まうことになるかもしれないので﹂
﹁まあ、我が国よりも南側に王都があるから、王都周辺なら温暖で
過ごしやすいかな。⋮⋮なんでティトが、隣国に住まうことになる
んだ?﹂
まだ叔母と長兄にしか分からない話だけれど、ランス様とは幼い
頃からよく他愛もない話をしてきた親しさが先に立って、ついあれ
これ話したくなってしまう。叔母が持ってきた隣国からの縁談の話
をすると、ランス様は︱︱腹を抱えて笑い始めた。
﹁あの、ランス様?﹂
﹁賢いくせにまだるっこしい真似をしているから⋮⋮面白くなって
きたぞ。小鳥の争奪戦が始まりそうだな。よーしよし、こんな不味
い花茶なぞではなく、美味い酒を飲みに行こう!﹂
ユージーン様から頂いた花茶を、ランス様がぽいと放り投げた。
それを急いで受け止めたところで、ランス様は俺の髪をわしゃわし
ゃとかき回してくる。
﹁ランス様?﹂
﹁ほれ、行くぞ。待っているから、できるだけ地味な服装をしてお
いで﹂
分かりました、と慌てて体を清潔にして、服を着替える。いつも
なら、ユージーン様に頂いた花茶を飲む時間だけれど︱︱俺は花茶
が入った袋に刺繍された、ユージーン様の識紋にそっと触れるだけ
にして自室の机にしまい込むと、邸の外に出た。 23
美味しいお酒もほどほどに
﹁ランスしゃまっ! おいしいれす、これっ!﹂
﹁美味いだろう? ほれほれ、もっと飲んで食べろ。こっちも美味
いぞ﹂
豪快に笑うランス様が、見たことのないお酒を俺の杯に注いでい
く。あの後。準備をし終えると、すぐにランス様の馬で城下の中で
も外れにある酒場へと連れて来られた。旅人向けに、一階は酒屋、
二階と三階は宿泊もできるようになっているという。ランス様の行
きつけだといい、ランス様の顔を見た店主がさっと二階の一室へ俺
たちを案内してくれた。
寝台が二つある、こざっぱりとした部屋。自分まで旅人になった
気持ちになって、ついつい寝台に座ったりシーツを触ったりしてい
ると、ランス様に笑われてしまった。そのまま杯を渡されて︱︱今

24
に至る。
﹁意外と、小鳥も飲めるクチだな﹂
﹁こぉんなにおいしいおさけ、はじめれれす!﹂
ユージーン様に仕えていた時は、万が一何かがあった時に、すぐ
駆けつけられるようにと飲酒したことはなかった。食事で振る舞わ
れることがあっても、飲む真似だけをしていたので口をつけたこと
はない。果実から作られたというランス様オススメのお酒は、どれ
も美味しくて甘い。飲み進めていくうちに、体がふわふわとして、
とても楽しい気持ちになって来た。次々に運ばれてくる酒肴も、異
国風のものから伝統的な料理まで様々だ。
﹁ランス様。ティトさんをこんな時期に連れ出しちゃって、怒られ
ませんか﹂
﹁こんな時期だからこそ、だろう? 第一、説明不足過ぎる愚弟が
悪い。ティトのやつ、隣国に嫁に行く気満々だぞ。今ごろユージー
ンも、ティトの兄からその話を聞かされている頃かな﹂
ランス様と、後から追いかけてきて合流したランス様の侍従さん
との会話。
︵ユージーン様⋮⋮︶
お酒が入った杯を両手で持ちながら、その杯の中で揺れる綺麗な
青色の液体を、俺は見つめた。
﹁⋮⋮おれ、どうひて⋮⋮ジーンさまに、きらわれたのでしょうか
⋮⋮﹂
﹁ジーンに?﹂
ランス様が問い返してくる。さっきまでとても楽しい気持ちだっ
たのに、ユージーン様のことを考えると、悲しい気持ちに一気に襲
われる。
﹁おれ、ジーンさまにお仕えできるのなら、それだけでしあわせで
した。結婚なんかしなくたって、ずっとおそばにいられたら、それ

25
だけで⋮⋮おれ、ジーンさまが⋮⋮ほんとうに、だいすきで⋮⋮﹂
自分で言っているうちに、どんどんと涙が溢れてきて。自分でも
笑えるくらい、大粒の涙が零れた。
﹁お前、子どもの頃からジーンとぴったりくっついていたもんなあ﹂
﹁はなれたく、なかったれす⋮⋮さみしい。ジーンさまに、くっつ
きたい﹂
呂律は回らないし、涙も止まらない。酒瓶を抱きしめながら泣い
ていると、﹁おいで﹂とランス様に呼ばれた。ランス様と同じソフ
ァに座っているのに、と首を傾げていると、腕ごと体を引っ張られ
て、ソファに座ったままのランス様の上に、向き合うように跨るこ
とになってしまった。それからぎゅう、と抱きしめられる。幼い頃、
母にしてもらったように優しく背中を叩かれて︱︱﹁あつい﹂と俺
はひとりごちる。
どうしました、とランス様の侍従さんが俺の肩に触れてきた途端
に、ビクリと身体が勝手に震えた。全身に、ゾクゾクとしたものが
走っていって︱︱身体が熱を帯びる。ここ数日で一気に暑くなった
し、お酒を飲んでいるうちに身体が火照ってきた上に、今はランス
様にくっついている。﹁あついれす!﹂と宣言してから上着を脱ぐ
と、ランス様の侍従が﹁ぬおお?!﹂と太い声を出した。
﹁すごっ、すごいですよ!? これが、﹃蒼鳥一族﹄の特徴⋮⋮美
しい 青の翼 が、くっきりと! 翼が出るというのは、背中に翼
を思わせる紋様が出るということだったのですね﹂
﹁へえ? じゃあ、そろそろかな。俺もお前もベータだから、オメ
ガが発情期に入っても、よく分からんが⋮⋮それにしても、ジーン
の奴もなあ。もう少し、ティトに分かりやすく接してやればいいの
に。あいつは昔っから、何を考えているか分からん﹂
その瞬間、俺のセンサーが働いた。ユージーン様への、悪口や良
くない言葉に俺はひどく敏感だ。それは、酔っていても分かる。俺

26
はランス様の上着をぎゅう、と不敬にも掴んでいた。
﹁ランスしゃま!! ジーンさまは、いつもたくさん、おかんがえ
で! いーっぱい、おしごともこなされていてっ! とっても、お
やさしいれす! ことばにしなくても、いつもたくさん⋮⋮たくさ
ん!!﹂
﹁おお? お前、酔っても自分じゃなくてジーン第一なのね⋮⋮こ
ーんなに真っすぐな感情をぶつけられたら、さぞ気持ち良いだろう。
なあ、ジーン?﹂
ティトさん、帰るご準備を、とランス様の侍従さんが慌て始める。
あついのに、と文句を言っていると、﹁入って来いよ、ジーン﹂と
ランス様が顔を上げて言った。
﹁ティトに、何を飲ませたのです﹂
﹁ジーンさま?﹂
低い、声︱︱それは、俺の元主の声だ。振り返った先にいたのは、
ユージーン様で⋮⋮とても会いたかったその方の姿に、俺の涙腺が
壊れる。ぼたぼたとまた勝手に流れていく涙で、ランス様の衣服を
濡らしてしまった。
﹁ティト。私のところに来い。⋮⋮服はどうしたんだ﹂
﹁あついのでぬぎましたっ! ジーンさまのところには、いきませ
ん⋮⋮だって、ジーンさま、おれのこと⋮⋮おきらいになったので
しょう?﹂
何を言っている、とユージーン様は眉根を寄せてから、無理やり
俺をランス様の膝から抱え上げた。
﹁小鳥のやつ、お前が隣国の王女と婚約したのだと思い込んでいた
ぞ。酒を飲ませたら、このありさまだ﹂
﹁⋮⋮それはティトの兄からも先ほど聞きました。ヴェルテ伯爵夫
人が、ティトと隣国の貴族との婚約話を進めようとしていたのも﹂
ユージーン様は俺のことなんてもうどうでも良いはずなのに、自

27
分の外套で俺を包んできた。なんでだろうと不思議に思いながらも、
ユージーン様が付けている香料の、仄かな匂いに包まれるのは︱︱
とてつもなく幸せで。これは、夢だと俺は思うことにした。もう、
夢の中でしか、ユージーン様に触れることも叶わない。嬉しくてユ
ージーン様の胸元に顔を寄せると、﹁ティト﹂とユージーン様に優
しく名前を呼ばれた。
﹁それよりお前、ジーンよ。小鳥にずっと、花茶だと言って発情抑
止の薬を飲ませていたな?﹂
﹁ティトを迎える段取りが整い終える前に、他のアルファに手を出
されるわけにはいきませんでしたので﹂
まあ、確かに小鳥は無防備だがな、とランス様が苦笑する気配が
する。むぼうびってなんの話だろう。
﹁慌てふためくジーンが見られただけでも楽しかったぞ。ティトは、
俺とシドリル兄の大事な幼馴染でもある。とにかく大切にしろ。こ
の間みたいな失態は許さない﹂
﹁言われるまでもありません﹂
可愛くないヤツと言って立ち上がったランス様が、俺の頭に触れ
ようとする︱︱そんな気配があったのに、パシンという音だけがし
た。
﹁ティトもな。口下手な弟で申し訳ないが、これからもジーンを信
じて、傍にいてやってくれ。お前がいないと、こいつは人間として
の良心がまったくなくなってしまいそうだ﹂
二人のやり取りは聞こえているけれど、俺の頭の中でまったく整
理が追いつかない。俺はユージーン様の侍従をクビになったし、発
情期も来ない⋮⋮臣下としてもオメガとしても、ダメダメなのに。
﹁⋮⋮おれは⋮⋮、ジーンさまのおそばに、ずっといたかったれす
⋮⋮﹂
夢だから、ぎゅうとユージーン様にしがみついたって良いんだ。

28
そう思ってしがみつくと、﹁誰も、手放すとは一言も言ってない﹂
と少し怒った風にユージーン様がぼやいた。
﹁私が婚約を申し入れたら、嬉しいと言っていただろう。なのに何
故、隣国の知らぬ男と婚約する話になっていたり、私の言いつけを
破って⋮⋮ランスの前で発情期になりかかっているんだ。他の男の
前で裸になるなどと﹂
むに、とユージーン様が俺の頬をつねってくる。痛い。⋮⋮夢で
も痛みが⋮⋮あるわけが、ない。
﹁も⋮⋮もしかして、これって⋮⋮夢では、ないのでしょうか﹂
一気に酔いが醒めてきて︱︱俺の身体から、一気に熱が引いてい
く。いや、火照りは残っているものの、さっきまであったふわふわ
とした心地よさが一気に消えて、俺の顔はきっと、分かりやすく青
くなった。
﹁我が婚約者殿、迎えに来た﹂
それから、仄かに笑いながら告げてきたユージーン様の言葉に、
頭が一気に混乱する。
﹁だ、だって⋮⋮ユージーン様の婚約者様は、隣国の王女様で﹂
俺が口を開くと、ほらほら、とランス様が囃した。﹁兄上はもう
退出していただいて構いません﹂と、ランス様を冷たくあしらうユ
ージーン様の指が、俺の頬に優しく触れた。
29
一番鶏は夜明けを告げる *
俺の頬に触れながら、ユージーン様が口を開いた。
﹁ティトは、私のことが一番に好きなのだろう?﹂
﹁それはっ! もちろんです、死ぬまでずーーーっと、ユージーン
様をお慕いしています!!﹂
うん、といつも通りユージーン様が頷く。
﹁私も、お前のことだけを愛しているのは⋮⋮残念ながら、伝わっ
ていなかったようだが﹂
﹁伝わって⋮⋮? 俺、え⋮⋮俺??﹂
ぶはは、とランス様が変な笑い声を出して、侍従さんに﹁お早く
!﹂と言われながら出て行ってしまった。そういえば、ユージーン
様の新しい侍従さんたちはどこにいるのだろうか。

30
﹁だって。ユージーン様の、侍従はクビだって⋮⋮﹂
﹁伴侶として迎える相手に、侍従をさせていたらおかしいだろう。
臣下ではなく、対等の相手に。⋮⋮痩せてしまったな。ようやく起
きているティトに会えた﹂
寝台に下ろしてもらえて、ほっとしていると、ユージーン様の指
が俺の首筋に触れてきた。そこからまた、一気にゾクゾクとした熱
が広がり始める。
﹁ジーン、さま﹂
﹁煽るな。今抱いたら、子ができてしまうかもしれない﹂
ユージーン様の指が、俺の頬に触れてくる。そのくすぐったさに
笑いながら、ユージーン様のお子、というところに耳がしっかりと
反応した。
﹁ユージーン様のお子さまなら、ぜったいに可愛いです⋮⋮!﹂
さっきまで酔っていた感覚とは、違う。酔いは醒めたのに、ユー
ジーン様のすぐ傍にいると、頭がぼうっとしてきて︱︱残っていた
体の火照りが、全身の疼きへと変わっていく。それでも、ユージー
ン様の言葉尻だけを掴んでニコニコと笑いかけると︱︱ユージーン
様が真剣な表情になった。
﹁ティトが、私の子を⋮⋮﹂
﹁ユージーン様のお子さまに、早くお会いしたいです﹂
そうか、とユージーン様が微かに呟いた。それから端整なユージ
ーン様の顔が近づいてきて、何度も口づけをされて︱︱もっと口づ
けてほしくて、酔いがまだ残っているのか、俺は確実に強欲な人間
になっていた。
﹁⋮⋮気持ちいい、です。ジーンさま、もっと⋮⋮ほしい﹂
﹁ティト。舌を出して﹂
舌。それがどうなるのだろう、と深く考えもせず口を開くと、体
温を宿す濡れたものが、俺の口の中を侵し始めた。
﹁⋮⋮んっ﹂

31
逃げようとすると、すぐに口腔の中で捕らえられ、恍惚とさせら
れていく。
﹁︱︱ティト﹂
深い口づけの終わりとともに、ユージーン様が俺の名前を囁く。
﹁⋮⋮ジーンさま、おれ⋮⋮へんです﹂
﹁私の前でなら、変になっても良い﹂
ほんとう? と尋ねながらも、疼く体に触れて欲しくて泣きそう
になる。﹁たくさん、さわってほしくて︱︱﹂やっぱり、変ですよ
ね。そう言いたかった俺の口は、またしても奪われた。
﹁すご⋮⋮、きもちよくて⋮⋮﹂
ユージーン様の唇の動きにいちいち翻弄されながらも、うっとり
としてしまう。でも、変になっても良いって言ってもらえたから。
俺自身や、あちこちに口づけられたり触れられているとますます、
自分が強欲になっていく。
﹁ジーンさまに、もっとくっつきたい、です﹂
そう言ったら、強く抱きしめられた後に開かされた両の脚の間を
︱︱変な声が出てしまうまでたっぷりと濡らされた後孔に、硬くて
熱いものが穿たれた。
﹁⋮⋮やっ、あ⋮⋮ああっっっ!!﹂
﹁ティト、良い子だ﹂
ゆっくり、でも確実に俺の中を押し入ってくる。ぴたりとユージ
ーン様の身体と繋がったのだと、分かった瞬間に︱︱深く口づけら
れて、あまりの気持ち良さに泣き喚きそうになる。俺が泣きそうに
なるところを確かめるように、ユージーン様が腰を打ち付けてくる
度に勝手に涙が零れていった。
﹁あ⋮⋮っ、おれのおくまで⋮⋮ジーンさま、が⋮⋮﹂
﹁すべてが可愛くて⋮⋮おかしくなりそうだ﹂
口づけだけじゃなくて、ユージーン様の熱いものが、俺の中に入
り込んで来るたびに感じる快楽に、身体が悦ぶ。愛されている︱︱
そう感じそうになってしまうくらいに、たくさん触れられて、たく

32
さん交わって︱︱ユージーン様が俺の最奥に放ったのを感じながら、
俺もまた、自分が強い愉悦と共に絶頂に達するのを感じていた。
***
目が覚めたら、実家にある自分の部屋で、俺は寝ていた。
︵夢⋮⋮にしては、ものすごく生々しかった⋮⋮︶
何度も、俺の名前を呼ぶユージーン様に抱かれていた。抽挿のた
びにぴたりと身体がくっついた感触を思い出して、自分自身がぴく
りと反応しかけて慌てる。
恐る恐る、着た覚えのない寝衣を開くと、見たこともない赤いあ
ざがあちこちに散らばっていた。そういえば何度も、ユージーン様
にきつく肌を吸われた。その時の痕なのかな、と思ったら︱︱顔が
一気に赤くなる。やはり、あれは⋮⋮現実で良いのだろうか。
︵でも、これじゃ⋮⋮俺だけが嬉しいような⋮⋮。お情けをいただ
いたってことなのかな︶
俺の身体に残る、ユージーン様の痕に一人で見悶えたその時。
﹁ティトさんっ!! ティトさんーーー!!??﹂
足音は上品に、しかし鬼気迫る勢いで近づいてくる叔母の声に、
俺は慌てて自分の寝衣を元に戻した。ノックもそこそこに、叔母が
勢い込んで俺の部屋に転びかけながら入ってくる。俺がぽかんとし
ていると、﹁たたたっ、大変なことが⋮⋮!﹂と叔母が叫んだ。
﹁叔母上、落ち着いて﹂
そんな叔母の後ろから、兄上も顔を出す。錯乱中の叔母上とは正
反対で、兄上はいつもどおりのんびりだ。俺と同じ、ふわふわとし
た兄の青髪が、叔母の大きな動きで起こった風によって揺れている。

33
﹁ゆゆゆっ、ユージーン殿下が⋮⋮っっ、⋮⋮おおお、お迎え⋮⋮
っ!! こっ、こここっ、ティトさん、あなた⋮⋮殿下と婚約って
!? 信じられないわ⋮⋮私の一族から、王族⋮⋮こここ、ここっ、
けけけっこん﹂
﹁叔母上、顔もお言葉もニワトリになりかけていますから、とにか
く落ち着いて、人に戻ってください﹂
兄上が言う通り、こここ、こんやく⋮⋮こここ、と叔母はまだニ
ワトリになっている。叔母に声をかけてから、兄上は俺に近づくと
﹁急いで着替えをしないとね﹂と穏やかに笑いかけてきた。
﹁ティト、良かったね。大好きなユージーン殿下と、末永くお幸せ
に﹂
それから、優しく髪を撫でられて︱︱俺は必死に頷くことしか、
できなかった。
一番鶏は夜明けを告げる *︵後書き︶
ユージーン
攻視点︵過去︶に続きます。
34
飛び込んできた青い鳥
︵︱︱綺麗な、青い髪だ︶
突然、目の前が美しい色で彩られた気がして。幼いユージーンは
驚いて、目を瞬かせた。
ランス兄が城下に行きたいと我儘を言いだし、それならユージー
ンも行きたいだろうと特段行きたいわけでもないのに連れて来られ
てしまった。普段着ている服よりも軽い服なのは嬉しいが、人が多
くうるさいと感じるだけで、早く帰りたいとすら考えていた。市街
にある大きな公園で休憩することになり、馬車が止まる。兄に馬車
の中から引っ張りだされたものの、兄のランスはさっさと他の子ど
もの輪に入っていき、ユージーンだけが大人たちと共に取り残され
た。

35
城にいる時。この国の王である父や、王妃である母といる時︱︱
ユージーンの周囲には大人から子どもまでわらわらと人が寄ってく
る。みな笑顔で﹁お近づきになりたい﹂と同じことを言う。しかし。
何故かユージーンには、彼らの視線が自分を透かして父や母︱︱も
しくは、既に王太子の座にある兄へと向けられているのだと、分か
っていた。一度だけ、それを父に言ったことがある。父は﹁本質を
見る力は重要だ﹂とだけ返してきた。
幸い、ユージーンが生まれた時から侍従長となったデバランの采
配が良かったせいか、上の兄たちと比べて侍従や侍女の数は少なく
ても、気にせず生活はしてこられた。成人したらそのままひっそり
とどこか︱︱兄たちの迷惑にならない場所で生きていけたら良いと
すら、考えていた。
︵本を、持って来れば良かった︶
どこでも打ち解けられるのが、ランス兄のすごいところだとは思
う。清濁あわせて飲み込むことができて、敵すらも味方に変えてし
まえる力がある。公園に備え付けられているベンチに腰かけている
と、視界に青が映った。自分よりは年上なのかな、と分かる背丈の
子ども︱︱少年だ。茶や金の髪を持つ者が大半の国では、ユージー
ンの黒い髪もめずらしいのだが。少年の柔らかそうな青い髪は、も
っと稀有に思えた。
ユージーンが腰かけているベンチに駆け込んでくると、その蔭に
さっと座り込む。
﹁ちょっとだけここに、隠れさせてください﹂
それから。内緒話のつもりなのか、青い髪の少年が、ベンチの蔭
からユージーンに小声で話しかけてきた。少年の髪は晴れた日の海
を思わせて、くっきりとした二重の大きな瞳は深い青をしている。

36
服を見なければ女児なのかと間違われることもあるだろう程に、可
愛らしく整った顔立ち。その顔でニコニコと笑いかけられて、ユー
ジーンは思わず﹁いいよ﹂と答えていた。
ユージーンの周りに集まってくる人間たちも、みんないつでも笑
ってはいるけれど︱︱﹃第三王子のユージーン﹄を知らないまま向
けられた笑みを見たのは、恐らく初めての経験だった。それは思っ
ていたよりも鮮やかで、驚いているうちに他の少年たちがこちらに
向かって駆けてくる。隠れている少年の友人らなのかもしれない。
﹁ティトー! どこに隠れたんだ。また木の上かなあ⋮⋮﹂
ふふ、とユージーンの耳に少年が漏らす笑い声が聞こえる。自分
までもが少年の隠しごとに付き合っている気がして、いつになく高
揚感を覚えた。
﹁ティト、どこだよお! いつもは隠れるのが下手なくせに⋮⋮﹂
ぶつぶつ言いながら近づいてきた少年たちに、ユージーンは思わ
ず﹁あっちに行った﹂と嘘の方角を指さした。﹁そう? ありがと
!﹂と口々に言い、少年らはまた駆け去っていく。広くて木々も多
い公園の中、あっという間に少年の背中が小さくなると、もぞもぞ
と動く気配がした。
﹁わあ、すごくドキドキしました﹂
﹁⋮⋮私もだ﹂
まだ地面にしゃがみ込んだまま、笑いかけてくる少年。しかし、
黒い髪であることが知られたら、第三王子・ユージーンだとばれて
しまうかもしれない。目深にフードを被ったまま、ユージーンは少
年を見ていた。
﹁おれの髪、青いから目立つみたいで。すぐ見つかっちゃうのです。
みんなと同じ色だったらなあ⋮⋮﹂
﹁私は、きれいな色だと思う。⋮⋮きれいで、とくべつな色だ﹂
ほんとう? と少年が深い青色の目を瞬かせた。そして、はにか
みながら﹁うれしいです﹂と笑う。ティト、と呼ばれていた。その
名前を口にしてもいいものか悩みながら、﹁ここに来たら、また会

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える?﹂と、今まで経験したことのない必死さで、ユージーンは問
いかけていた。しかし返ってきたのは沈黙だった。首を左右に振っ
ている。
﹁おれ、お城に行くことになったのです。シドリルさまのお話し相
手に選ばれて⋮⋮。でもおれ、ちゃんとお話できるかなあ﹂
自分の兄の名前が出てきても、たいして驚きはない。シドリル兄
にもランス兄にも、﹃遊び相手﹄として将来の侍従候補である貴族
の子息たちが、何人も付けられているからだ。ユージーンにも何度
か候補は上がったものの、笑わない第三王子の﹃遊び相手﹄はずっ
と不在だった。そういえば青い鳥がどうのと、シドリル兄が嬉しそ
うに話していたのを思い出す。
︵⋮⋮青い、鳥︶
城にいれば、またそのうち会えるのだとは分かったが、きっと青
い髪の少年︱︱ティトのことは、シドリル兄も大好きになるだろう
という変な予感があった。いつもなら︱︱たとえば教師が出してく
る問題なら、明確に答えが分かるのに。今のユージーンに何ができ
るのか分からず、思わず俯くと、ふわりと良い香りがした。
﹁だいじょうぶ? 厚着しているし、もしかして具合悪いのですか
? これっ、この青い花、よかったらあげます。気持ちがね、やわ
らかくなるんです﹂
気持ちが柔らかくとは、どういうことだろう。そう不思議に思っ
たけれど、そのあたりで摘んだのだろう青い花を持って笑いかけて
くれた少年の素直な好意が、とても嬉しくて。﹁ありがとう﹂と手
を差し出し、受け取っていた。
﹁ティトーーーっ! みぃーつけたーーーっ!!﹂
﹁見つかっちゃった! あのっ、またいつか⋮⋮いっしょに遊びま
しょうね﹂
フードを被ったままのユージーンに向かって、青髪の少年︱︱テ
ィトがぺこりと小さな頭を下げた。ふわふわとした少年の柔らかな

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髪が、少年の動きに合わせてそよぐ。他の子どもたちのところへと
駆けていく後ろ姿は軽やかで、青い鳥というのは間違いなく彼のこ
となのだろうな、と思った。
﹁⋮⋮デバラン﹂
ティトがいる間はずっと気配を消してくれていた侍従のデバラン
を呼ぶと、﹁はい﹂と穏やかに返事をしてくる。﹁帰る﹂と一言告
げると、ユージーンの侍従はおや、という顔をしてみせた。
﹁先ほどの少年と、よくお話されていらっしゃいましたが⋮⋮呼び
戻して参りましょうか﹂
﹁いや、いい。私と一緒では、遊ぶに遊べないだろうし⋮⋮あの子
が喜ぶような遊びを、私は知らない。⋮⋮それより、この青い花は
どうすれば長持ちする? 庭師に尋ねたらすぐ分かるだろうか﹂
庭師に聞きましょう、とデバランが頷き返した。
そうして。庭師に教えられた通りに、王城にある自室で飾ってい
た青い花を片づけていると、デバランが微笑みながら近づいてきた。
﹁ああ、散ってしまったのですか。片づけておきましょう﹂
﹁いや。これは、自分でやる﹂
庭師から、紙に挟んだ花を厚い本か何かを重しにして押し花にす
れば、ずっと手許に置いておけるのだと教わった。その方法を試し
てみたかったのだが、﹁とにかくお庭に参りましょう、ユージーン
様﹂と微笑んだまま、デバランが促してくる。
﹁間もなく、お庭にめずらしい鳥が参りましょう。飛んで来たら、
逃がしてはなりません。契機は一度だけですからね﹂
﹁⋮⋮鳥? そんなにめずらしい鳥なのか﹂
何事からも距離を置いたところにいるユージーンだが、動植物の
ことはその限りではない。頷いてみせたデバランや侍女たちと共に、
本を持って中庭へ向かう。中庭の東屋は、ユージーンにとって図書
室の次にお気に入りの場所だ。駆けまわるには狭いので、ここまで
は兄たちもやって来ず、静かである。

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今日もまた、いつも通り静かな時間を送るはずが︱︱ふと、人の
声が聞こえてきた。
﹁デバラン。めずらしい鳥とやらは、いつ来る?﹂
﹁いま参りましたよ。通称、﹃蒼鳥一族﹄︱︱ルオーン子爵家のご
子息です﹂
蒼鳥一族、とユージーンは頭の中で復唱した。その存在は、先日
デバランから聞かされたばかりだ。あの日、公園で言葉を交わした
少年の髪が、青い理由。異国からの流民でありながら、ユージーン
たちの始祖を助け開国を手助けした、幸福の青い鳥と謳われた勇敢
な騎士の末裔。だがあの少年は、シドリル兄の遊び相手となる予定
だ。しかも、シドリル兄と会うのは⋮⋮後日の約束であるはず。疑
問に思っているうちに、ユージーンの視界にも、あの少年のふわふ
わとした青い髪が映り始めた。
﹁⋮⋮彼が来るのは、今日ではなかったはずだ﹂
﹁ええ、そうですね。ルオーン子爵がうっかり顔合わせの日を間違
えてしまわれたとか。せっかくならば中庭にいらしてはと、お誘い
しました﹂
デバランがすまして答えているうちに、あの少年︱︱ティトが、
ユージーンたちに気づいた。もう、自分の服装や年齢、そして周囲
にいる侍従たちのせいでユージーンが何者かは問わずとも、分かる
だろう。ルオーン子爵と思われる大人の男から、何かを聞かされて
いる。
︵ティトの表情も、変わってしまうのだろうか︶
この国の王族である自分たちに群がろうとする、美しくない人間
たちのように、目つきや笑い方が変わりはしないだろうか。その変
化を少年に見出してしまったらと思うと途端に怖くなって、ユージ
ーンは読みかけの本へと視線を落とした。そんなユージーンに、﹁
あの⋮⋮﹂と声がかかる。あの時。公園で会話した時、ユージーン

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は顔をティトに見せることもしなかった。ユージーンの代わりに、
侍従が答える。殿下にご挨拶を、と少年が緊張した声音で返した時
だった。
﹁ひゃああああっっ?!﹂
青い髪の少年が、飛び上がった。そんな少年の足元を、しっぽだ
けがふわっとした大きな栗鼠が駆けていく。近くの低木に飛び乗っ
た少年に、ユージーンもさすがに視線を上げた。
﹁なななっ、なんかとても、素早いものが⋮⋮っ!!﹂
﹁あれは栗鼠だ、怖くない。⋮⋮それより、動きが⋮⋮お前が、栗
鼠みたいで⋮⋮﹂
可愛い。そう言いかけてユージーンは慌てて自身の口を塞いだけ
れど、泣きそうな目でこちらを見ている少年を︱︱ティトを見てい
ると、緊張とともによく分からない、でも温かい気持ちになってく
る。本を台の上に置き、少年がいる低木まで歩いていくと、﹁おり
るの、手伝う﹂と手を差し伸べてみた。自分が思っているよりもず
っと己の背は小さくて、ティトには届かない。それでも精一杯手を
差し伸べていると、ようやく少年が小さく頷いて、軽い身のこなし
で低木から飛び降りてきた。駆け寄ったユージーンの目の前に、青
が広がって︱︱﹁ふぎゃ﹂と変な声が上がった。着地に失敗して、
尻餅をついたらしい。
﹁⋮⋮けがは!?﹂
﹁ありません。あれが栗鼠なのですね⋮⋮ええと、殿下におけがは﹂
尻餅をついたままの少年に差し出した手が、今度はちゃんと届い
た。﹁ジーンで良い﹂と緊張しながら伝えると、﹁ジーンさま?﹂
と少年が繰り返す。
﹁おれ⋮⋮自分はティト・ルオーンです、ジーンさま!﹂
そう言って笑いかけてきたティトに、ユージーンの表情もまた、
自然と柔らかくなった。ティトは、変わらない。公園で出会った、
何者とも知らない子どもに対するのと同じ笑顔で、自分を見てくる。
王の子であろうとなかろうと、少年だけは態度を変えない。

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﹁楽しそうだな﹂
陛下、とルオーン子爵︱︱ティトの父親がそう口にして、その場
で片膝をついた。他の者たちもみな、挨拶の姿勢を取る中、ユージ
ーンとティトのところにこの国の王である父がやってくる。
﹁この子がティトか。なるほど、可愛らしい子だ。ジーンの遊び相
手になってくれるかな? 子どもらしい遊びが苦手な子なのだが、
兄たちとですら、こんなに打ち解けた様子は見たことがない。ぜひ、
ユージーンの側にほしいのだが⋮⋮ルオーンも許してくれるか?﹂
もちろんです、とティトの父親が快諾する。中庭で父に会ったこ
となど、一度もないのに︱︱それを不思議に思いながらも、ティト
とこれからも一緒にいられることにユージーンは自分の気持ちが高
揚していることに気づく。
﹁⋮⋮ティト。私のそばに、いてくれるだろうか﹂
﹁はい! 蒼鳥一族として、死ぬまでおそばに仕えます!!﹂
死ぬまでとは律儀だな、と父が笑い、その場の全員が朗らかな雰
囲気に包まれる。
そうして、部屋に戻った後。あの青い花は片づけられてしまって
いたけれど、ユージーンはもう気にならなかった。
﹁ティトから、良い香りがする﹂
﹁お庭の中にいたからですね、きっと。ええと⋮⋮ジーンさまのこ
と、たくさん教えてくださいね!﹂
そう言って満面の笑みを浮かべた少年の手許には、中庭で摘んだ
青い花があるから。そして、ユージーンは少年の柔らかな青髪に口
づけていた。
︱︱誓いを、込めて。

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Fin.
飛び込んできた青い鳥︵後書き︶
最後︵過去︶だけ微妙に長くなってしまいましたが、最後までお付
き合い頂きありがとうございました。
一言でも頂けますと次作への励みになりますm︵︳ ︳︶m
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この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
https://novel18.syosetu.com/n1596gy/

2022年5月7日17時30分発行
幸せ探しの青い鳥

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PDF小説ネット発足にあたって
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
たんのう
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。

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