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2011年度 秋学期

慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス 卒業制作

数感覚と乳幼児期における

親子のコミュニケーションとの関係

慶應義塾大学 環境情報学部

山下康史
目次

要旨………………………………………………………………………………………………4

1. 序論…………………………………………………………………………………………5

1.1 はじめに……………………………………………………………………………5

1.2 本研究の目的………………………………………………………………………6

2. 数感覚の定義………………………………………………………………………………7

2.1 幼児の数認識………………………………………………………………………7

2.2 Piaget の理論………………………………………………………………………7

2.3 数感覚の提唱………………………………………………………………………8

3. 教育と数感覚の実態………………………………………………………………………9

3.1 中央教育審議会の答申……………………………………………………………9

3.1.1 数学的リテラシーの低下………………………………………………………9

3.1.2 背景………………………………………………………………………………9

3.1.3 改訂……………………………………………………………………………10

3.2 幼児教育推進の取り組み………………………………………………………10

4. 遺伝的要因と環境的要因…………………………………………………………………11

4.1 生まれつきの概念の真偽………………………………………………………11

4.1.1 実験的研究……………………………………………………………………11

4.1.2 理論的研究……………………………………………………………………11

4.2 乳幼児の数の概念………………………………………………………………12

4.3 親とのコミュニケーション……………………………………………………13

2
5. 結論…………………………………………………………………………………………15

参考文献………………………………………………………………………………………17

3
要旨

近年,サイエンスやテクノロジーの研究が急速に進んだ結果,世界的な競争が生じ,
人材がその国の国力として認識されている.しかしながら,国際的な調査において日本
の数学的リテラシーは低下傾向にあり,国民の教育の再構築が急務となっている.その
ような中で,数感覚(Number Sense)に注目が集まっている.数感覚は数学の基礎と
なる重要な能力であるとされており,その感受性期はおよそ 7 歳未満であるとされてい
る.この事から幼児期の教育法は,非常に重要であり,国は幼保一体化の施設への移行
を進める事で,幼児教育の環境面における教育レベルの充実化と均一な向上を狙ってい
る.一方で幼児期までは家庭で過ごす時間が多く,保護者とのコミュニケーションは感
性の育成に大きく貢献している.しかし,現代では共働きと核家族世帯が多いため,こ
れらのコミュニケーション頻度は著しく減少している.そこで本研究では,生誕後から
幼児期に親とコミュニケーションを積極的にとる事で数感覚が養われる という仮説を
立て,それらの因果関係を明確にすべく,国の資料や生物学的知見に基づいた調査を行
った,その結果,数感覚は環境的要因が大きいことが改めて示された.それと同時に,
数感覚の育成には,特に乳幼児から幼児期における親子のコミュニケーション頻度を非
常に高くする必要があることが示された.

4
1. 序論

1.1 はじめに

我々人類にとって,数の概念の獲得は高度な文明社会を築く中で重要な要素となっ
ている.特に1990年代以降,サイエンスやテクノロジーの研究が急速に進んだ.その
結果,世界的な競争が生じ,競争力となる人材がその国の国力として認識されている.
この事から国の理数教育の充実と重要性は大きな課題である([1]).しかしながら,国
際的な調査において日本の数学的リテラシーは低下傾向にある([2]).数学的リテラシ
ーとは,欧米で盛んに研究されている数感覚(Number Sense)の一種であり,数学の
基礎となる重要な能力であるとされている([3]).
数感覚は主に小学校入学から低学年までの,およそ7歳未満で最も発達するとされて
いるが,それがどのような因子によって発達するかは心理学や一部の数学者にとって非
常に興味深い研究分野であり,これまでも膨大な研究成果が世界各国で発表され,教育
現場で活かされてきた.
こうした研究分野を確立したのは心理学者のPiagetである.Piagetは今日における幼
児教育を心理学的側面から研究し,「思考(認知)発達理論」を発表した([4]).
もっとも,その原点は幼児を対象とした医学の一領域,児童精神学にある.児童精神学は,
医師のイターリによる障害児との生活をもとにした報告書が基盤である([5]).そこで
培われた教材や教育方法はモンテッソーリによってアレンジされ,現在でも世界各国の幼
稚園で定評があるモンテッソーリ教育として導入されている.
現在では,Piagetが確立した児童心理学は生涯発達心理学の一分野として扱われている.
それは人における心理学は幼児以外の,児童,青年,老年心理学などとも関わりがあるた
めである.また,発達は子どもの前進的だけでなく,高齢者となってからも老化などによ
る後退的なものも含まれるためである.
このような心理学の再編が行われたことで,教育現場でもその指導方法に変化が起ころ
うとしている.日本では国の教育方針を担う中央教育審議会が,「総合的な学力向上策の
実施」において理数教育の充実に加え「幼児教育と小学校との連携など,各学校段階間の
円滑な連携・接続等のための取組について検討する」と述べている.
これら一連の背景には,社会で大きな問題となった学生の学力低下がある.ここにおけ
る「低下」という語句の使い方や現実的な側面については賛否両論があるが,分数や小数
ができない大学生に代表されるように算数ができない若者が増えているのは事実である.
例えば,小学校では就学前に有能であった子どもが,算数の授業となると,計算の概念や

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技能の習得がスムーズにできず,加えて分数や小数が導入されると,算数ができない子ど
もがますます増えているという報告もある([6]).

1.2 本研究の目的

前述したような学力低下,特に数学的リテラシーの低下の原因には,数感覚を最も養う
幼児期にその教育が不足していると考えた.そしてその教育とは,幼児期に最も過ごす時
間が長いであろう家庭での生活環境にあると考え,さらに乳幼児でも行う事が可能な保護
者とのコミュニケーションに着目した.そこで本研究では,生誕後から幼児期に親とコミ
ュニケーションを積極的にとる事で数感覚が養われる という仮説を立て,それらの因果
関係を明確にすべく,国の資料や生物学的知見に基づいた調査を行った.

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2. 数感覚の定義

2.1 幼児の数認識

幼児が数をどのように認識しているか,という根本的な原点は,幼児を対象とした医
学の一領域,児童精神学にある.児童精神学は,1801 年初頭からやく 6 年間にわたる
医師のイターリと当時の診断では知的障害児とされたヴィクトール(Victor)との生活
をもとにした報告書が基盤である.この報告書は後に「アヴェロンの野生児」というタ
イトルで世界各国にて発刊され,注目を浴びた.報告書の中でイタールは Victor を知
的障害児とした医師の診断に不服を唱え,自ら教育を行った.幼児教育という概念すら
定かではない当時,イターリは長年の歳月をかけて,医学的側面に基づいた独自の教材
を用いてあらゆる教育を施した.結果として Victor を健常者レベルにすることはほぼ
不可能であった.
しかし,イタールの死後から約 100 年後の 1900 初頭,同じく医師であるモンテッソ
ーリ(Montessori)は知的障害児の知能を向上させる目的で,この報告書で培われた
教材や教育方法をアレンジした.その教育法はモンテッソーリ教育と呼ばれ,現在でも
世界各国の幼稚園で定評がある教育法として導入されている.

2.2 Piaget の理論

医学的側面の強い児童精神学から現在の認知心理学,そして幼児教育学への学術的地
位を確立したのは心理学者のPiagetである.Piagetが発表した「思考(認知)発達理論」
では,個人の持つ認知的な枠組み(スキーマ)を用いて,知的能力は4つの異なる段階
を経て発達していくと理論づけた.感覚運動段階(0∼2歳),前操作段階(2∼7歳),
具体的操作段階(7∼12歳),形式的操作段階(12歳以降)の全4段階である.この段階
説において注目したいのは,第3段階で保存概念が成立するということである.保存概
念が成立する以前の第1および2段階では,感覚によってのみ数が認識されている.す
なわち,7歳未満の子ども(乳幼児)は数を数えることができても,数を理解している
とは言えず,真の概念が構築されていない,と結論づけた.この結論を言い換えれば,
概念でない,つまり感覚によって数を数える事ができるといえる.
現在,Piagetの理論は日本のみならず世界の幼児教育の基本的な概念となっており,
その影響力や学術的信頼性は高く,絶対的に正しいものであった.そのため,7歳未満
の幼児教育と7歳以降の初等教育は大きく異なるという考え方が主流であった.しかし

7
ながら近年になり,この理論では説明が難しい自閉症などの問題も表面化してきており,
いくつかの矛盾点も指摘されている.それは,数感覚がより高次な算数および概念に大
きな影響を持つのは明らかということである.つまり,幼児教育と初等教育を完全に切
り離した教育法では,将来的に子どもの能力を最大限に伸ばすことができないというこ
とである.こうした考えが世界で広まったため,その高次の能力についての研究では幼
児の発達に基づくべきであるという視点が開かれた.

2.3 数感覚の提唱

数感覚(Number Sense)という語句はDantzigにより提唱された([7]).彼の論文
によれば数感覚は,数の比較的小さい集合において,その集合からものが取り除かれた
り,加えられた場合に,直接その数が分からなくても,何かが変わったという事を認識
できる能力 と定義された([8]).前述したPiagetの思考発達理論に影響を受けたかは
定かではないが,Dantzigによる数感覚は幼児の数の認識において,ほぼ一致した見解
である.
Dantzigが提唱してからの後,認知心理学研究者や数学研究者などのいくつかの学問分
野によって研究されてきた.そのため,現在では数感覚には様々な定義や解釈が存在し
ている.
そこで,本研究では 幼児が数を理解する場合において,数感覚が,数の理解の基礎
を構成する重要な概念である と捉える.

8
3. 教育と数感覚の実態

3.1 中央教育審議会の答申

3.1.1 数学的リテラシーの低下
教育学の研究はもちろん,教育現場や家庭においても数感覚などの幼児教育に関心が高
まっているのには,日本全体の学力低下が大きな原因である.
例えば,国の教育方針全体に大きな影響力をもつ文部科学省の審議会の一つである中央
教育審議会が,2008年1月に公表した「幼稚園,小学校,中学校,高等学校及び特別支援
学校の学習指導要領等の改善について(答申)」によれば2003年実施のOECDのPISA調査
やIEAのTIMSS調査結果から「PISA調査の読解力の習熟度レベル別の生徒の割合にお
いて,前回調査(2000年)と比較して,成績中位層が減り,低位層が増加しているなど
成績分布の分散が拡大していること,などの低下傾向が見られた.」などとする成績下位
層の増加による学力低下が報告されている([9]).
また,この調査結果では成績上位層についても2006年実施のPISA調査からは数学的リ
*1
テラシー が低下している点が指摘されており,今後の教育方針への課題を明示してい
る.

3.1.2 背景
こうした問題の背景や原因としてこれまでの国際的な学力調査との方式の違いや,社会
における風潮の変化を取り上げている.しかし,最も注目すべき点は「豊かな時代を迎え
るとともに,核家族化や都市化の進行といった社会やライフスタイルの変容を背景に,家
庭や地域の教育力が低下している」として社会や家庭の変化をあげていることだ.加えて,
単なる環境の変化だけでなく,保護者自身が「家庭でのしつけや教育が不十分であること」
を内閣府の調査にて明らかにしている.
これらのことから分かるように,日本全体の数学的リテラシーの低下は教育現場での指
導内容の脆弱生がある事を示しつつも,家庭での教育力やしつけが不十分になされていな
いことが原因の一つであることがいえる.

*1 数学的リテラシー:数学が世界で果たす役割を見付け,理解し,現在及び将来の個人の生活,職業生活,

友人や家族や親族との社会生活,建設的で関心をもった思慮深い市民としての生活において確実な数学的

根拠に基づき判断を行い,数学に携わる能力[9].

9
3.1.3 改訂
上記で述べたような課題および原因を克服するために,中央教育審議会は学習指導要領
の改訂へ向けた考え方を示している.その中の改訂の基本的な考え方という項目にて「形
*2
式知 のみでなく,いわゆる暗黙知も重視すべきである.」としており,感覚的な知識・知
恵を重用視する姿勢が見て取れる.
この答申は数感覚という概念に似ている暗黙知に強く触れた文面であったため,教育の
研究・現場に欧米で盛んであった数感覚が日本で広まるきっかけとなった.そのため,答
申から約10年の間に国内で行われた研究例は少ないのが現状である.

3.2 幼児教育推進の取り組み

こうした上記の課題点を克服することも含め,中央教育審議会は2008年4月に「教
育振興基本計画」を発表した.この第3章では,今後5年間で総合的にかつ計画に取り
組むべき施策として,幼児教育の推進を明記している.その具体的内容とは,既存の文
部科学省管轄の幼稚園と厚生労働省管轄の保育園の連携を進めるとともに,幼保連携型
認定こども園への移行に支援を講じるとしている.
こうした施設の枠組みそのものが議論されるには日本の独特の幼児施設の違いがあ
る.元来,幼児教育を行う学校として設立された幼稚園と,預かり保育という言葉に象
徴されるような働く母親を対象とした児童福祉施設である保育園という二者が存在す
ることにある.専業主婦の割合が多かった昔では,非常に住み分けがなされていた.し
かし,共働きが主流を占める現代では,両者の違いは管轄省だけであるかのように,カ
リキュラムや制度が変化してきた.こうした流れは積極的な幼児教育の施設の誕生を招
いたが,日本全体の均一な学力向上を狙う意味では,複雑化しているだけだ.そのため
国は幼保一体化を押し進め,認定こども園という総合型施設への移行を促している.
これらの動きにより,国は数感覚を含めた幼児教育の環境をより均一化するとともに
質の向上を計っていることが推察される.

*2 「形式知」とは,知識のうち,言葉や文章,数式,図表など明確な形で表出することが可能な客観的・理

性的な知識のこと.これに対し,「暗黙知」とは,勘や直感,経験に基づく知恵などを指す[9].

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4. 遺伝的要因と環境的要因

4.1 生まれつきの概念の真偽

4.1.1 実験的研究
こうした要因に対して,遺伝的要因が考えられる.同様の環境や育て方であっても,
インフォーマル算数の習得には時間差,もしくは能力差があるのは明白な事実であるか
らだ.現に,そもそも算数の概念は生まれつきであるのか考慮すべきとの意見もある
([10]).
行動遺伝学の研究によれば,小学校における学習の遺伝率は,算数・数学はおよそ20%,
読解・言語では30%くらいとされており,中学・高校ではより数値が高いとの報告があ
る([11]).その一方で,日本にのみ限っていえば各教科により遺伝的影響は異なるも
のの,算数における遺伝的影響は限りなく0(ゼロ)であることが報告されている([12]).
また,近年の著しいゲノム科学の進歩により,ヒトゲノムが解読され,それ以降の現
在では各種要因の遺伝子特定が行われている.その研究領域は教育・心理学分野にも及
んでおり,アメリカで行われた研究では,算数・数学能力に得意に働く遺伝子がある可
能性が示唆されている([13]).
上記の国家間による遺伝子率の差は,実験対象母数が同一ではない事によるものかも
しれないが,その差を理論的に裏付ける研究報告はない.だが,東洋人と西洋人(コー
ケジアン)では算数の学力が異なることもあり([14]),日本における算数の遺伝的影
響を0と捉えることは決して間違いではないと言える.
こうした遺伝子レベルでの研究が盛んに行われている現在でも,遺伝子的要因が必ず
しも,その個人の能力として表にでることはないと考えられており,それを証明する研
究が多く報告されている([15]).このことから,潜在的能力としての根拠には遺伝子
的要因があるが,本論文における数の概念の獲得とは一線を画すものであると示された.

4.1.2 理論的研究
行動遺伝学および遺伝子学的観点から捉えた研究の現状が,比較的最近明らかになっ
ているのに対して,Rittleの論文で述べられた2つの全く異なる仮説は,長らく今日の認
知学や心理学における乳児の数概念の獲得で大きな柱として議論されてきた.その数の
概念(技能)の獲得仮説とは,生まれつき備わるとした特権領域仮説(privileged
domains hypothesis)([16])と,生後の頻度により獲得されるとした頻度仮説
(frequency of exposue hypothesis)([17])である.

11
前者によれば,容易に習得可能な認知的制約が,数に対して進化的に備わっていると
述べている.認知的制約とは,数に対する可能な解釈および仮説を排除する方針である.
そのため,技能的な側面よりも数字に対する固定化された知識が先行する.
その一方で後者によれば,数の観察や模倣を行う機会が多くなることで,数の能力(技
能)が向上,つまり先行するとしている.ここでは前述したPiagetの理論は,この仮説
に当てはまる.
このような知識もしくは技能の獲得に関して,前者は先天的であり,後者は後天的で
あると判別できる.ここで,前述した遺伝子的要因が潜在能力としてあるが,学習能力
にあまり関係ないとする理論および,Piagetの理論が今日の幼児教育でも採用されてい
ることを考えると,数の概念の獲得では後天的要素が強く影響を及ぼすであろうと示唆
される.
一方で,数という概念については,集合数と順序数という 2 系統が主流として認識さ
れている([18]).また,その両者が何歳の時に統合され,本質的な数の概念として脳
に構築されるかは発達心理学における大きな課題であるとされ,現在でもそこに着目し
た研究が多い.

4.2 乳幼児の数の概念

それでは生の原点である乳児はどうなのか.乳児は誕生の直後から,父親や母親に代
表される大人によって様々な言葉を投げかけられる.その上で,数量に関係する単語が
使われ,乳児は自然と数の感覚を身につけ,インフォーマル算数の知識(informal math
ematical knowledge)と呼ばれる数の概念の基礎が構築される.インフォーマル算数
の知識は図形,空間,時間などの広範囲に及ぶ([19]).その一方で,必ずしも計数な
どの数量化を伴うものではないため,数量は論理的に処理されていない.あくまで感覚
的で単純な数量を行っているのである.したがって,完璧な知識と呼べるものではない
([20]).この点は,Piagetの思考(認知)発達理論と同様の意見である.
しかしながら,この感覚的知識があることで,後に学ぶ数学的思考能力が着実に身に
付くと考えられている.例えば,乳(幼)児のインフォーマル算数に対して,小学校以
降の数記号を用いるフォーマル算数(Formal Mathematics)では,その理解にインフ
ォーマル算数を使用する([21]).
したがって,乳児は言葉を発する以前に両親など周囲の大人の言葉によって,明確な知
識ではないが,自然に感覚的な数学的思考への基礎を築き上げている.すなわち,乳児の

12
知識の獲得に関しては,親子のコミュニケーションに代表される,環境的要因が大きな役
割を担っていることが示される.

4.3 親とのコミュニケーション

脳科学の研究において感覚と知性の繋がりは,盛んに行われている研究分野である.
そこで,脳科学において数感覚を原点としてみた場合,知性の仕組みを解明しようとし
て誕生したのが認知科学であり,言い換えれば認知心理学である.すなわち,知性の起
源は感覚にあるとも言える.実際には心理学の用語は複雑かつ抽象的なものが多く,現
在ではそれらに生物学的あるいは脳科学的な意味をもたせている段階でもある.
さて,数感覚を脳科学における知性として捉えた場合,それは言い換えれば感情的知
性に分類される.その知性の分類には研究者によって異なるものの,大きく分けて6∼
8つの知性があるとされている.その中で,幼児期特有に形成されるものとして,PQ
(Prefrontal Quotient)フレーム(自我フレーム+社会的知性フレーム+感情的知性フ
レーム)がある([22]).このPQフレームは社会的知性と感情的知性,そして前頭知性
との間に形成され,この発達こそが人間性を育む上で大切とされる.
そして,PQフレームには感受性期があり,8歳までが1つの限界期となっている.こ
うした研究結果から,脳科学者を中心に幼児期の豊富な経験やコミュニケーションの必
要性が叫ばれている.
しかしながら,PQフレームの発達に障害が起きると,注意欠陥多動症(ADHD)や
うつ病,不登校等を引き起こすといわれている.こうした原因には,親子の信頼関係や
コミュニケーション能力を育むのに,もっとも大切とされる幼児期の親子の関わり方が
あると考えられている([23]).
それを証明するかのように父親の育児への積極性が高いと情緒や運動,言語など総合
的に発達が良いという報告がある([24]).また,母親とのコミュニケーション頻度に
よって食生活や生活充実度に違いが出ることも公表されている([25]).
すなわち前項との結果と総合すると,遺伝的要因が潜在的にある上で,教育機関や親
とのコミュニケーションを含む家庭の環境的要因が数感覚(乳幼児期ではインフォーマ
ル算数という呼び方もある)が形成され,その感覚によって数の理解の基礎概念が形成
されると示唆される(図 1).

13
数感覚の推移

感覚による数の理解=数感覚 数感覚から数の理解の基礎へ移行
( インフォーマル算数)

数 ( 親とのコミュニケーション )


Piagetの思考発達論

形 感覚運動 前操作 具体的操作 形式的
成 段階 段階 段階 段階

る ( 環境的要因 )


教育機関(日本)

保育園・幼稚園 小学校 中学校

( 遺伝的要因 )

生前 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 … (歳)
年齢

図1 年齢と数感覚形成の要因関係

縦軸に数感覚を形成する要因を階層的に背景として表した.なお,最上部に位置する

親とのコミュニケーションは環境的要因に含まれるものとする.また,横軸には年齢

を示した.図中央には Piaget の思考発達論と本研究で示唆された数感覚の各年齢にお

ける形成期と移行期とを示した.

14
5. 結論

幼児教育の分野で盛んに使用されるようになってきた数感覚という言葉は,認知心理学
を確立させた Piaget による思考発達理論とほぼ同時期に,心理学者の Dantzig によって提
唱されたものであった.しかしながら Piaget の理論と,認知心理学の起源である障害児の
児童精神学から生まれた教育方法が現在でも研究・現場の両方で直接的に活かされている
一方で,Dantzig の唱えた数感覚は心理学や数学,脳科学などあらゆる分野の研究によって
多様化され,曖昧な表現として間接的に生き続けた.
それからおよそ一世紀たった今日,欧米を起点として日本でも数感覚の重要性が改めて
説かれた.その背景には世界規模でグローバル化が進むとともに,国力の判断材料として
技術力が重用しされた事で,それに直結する理数教育レベルが着目された事にある.
その数感覚に関する研究が心理学や教育学を中心に行われていたが,我々を構成する主
要な遺伝子の関係性が注目されたが,遺伝的要因の影響は非常に低いことが示された.
我々は人体のあらゆる細胞レベルでの情報を遺伝子に宿し,子孫へと受け継いでいるにも
関わらず,その遺伝情報と高次な知力が比例しないことは教育現場や保護者からみて非常
に興味深い結果であった.
この研究は同時に遺伝的要因以外のもの,すなわち環境的要因が大きいことを報告して
いる.環境的要因は学校や家庭での教育やコミュニケーションを中心にした家庭環境であ
り,その重要性を改めて示した.教育においては,文部科学省を中心に幼保一体化が押し
進められており,今後の幼児教育の質の全体的な向上が期待される.家庭環境においては,
近年は共働きが一般的になってきたことや,核家族化により親子とのコミュニケーション
が極めて少なくなってきている.乳幼児から幼児期にかけての親子のコミュニケーション
は感覚的知性を発達させるとともに,社会的知性をも発達させるため,こうした希薄化が
よりいっそう知性の発達を遅らせることで数感覚も脆弱なものになっていると考えられる.
したがって,数感覚を十分に育成するには,特に乳幼児から幼児期における親子のコミュ
ニケーション頻度を非常に高くする必要があることが示された.
しかしながら,近年の社会および家庭の経済状況は決して潤っている訳ではなく,共働
きは必然的な動きである.そのため,共働きであっても父母の仕事量を最小限に押さえる
事で,子どもとの家庭における時間を増やす社会的なシステムの構築は重要であると考え
られる.また,家庭環境でのしつけと,幼児教育現場との協調的な関係性を築く事も今後
の教育法を考えていく上で,大きな要素となると考えられる.

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謝辞

本研究を行うにあたって,3 年生の春学期からの申請であったにも関わらず,卒業プ
ロジェクトのメンターを引き受けてくださった慶應義塾大学総合政策学部の河添健教
授には,本当に感謝しています.4 年生の春学期から同秋学期までの 1 年弱という短い
期間ではありましたが,卒プロメンターとして定期的な添削指導ときめ細かな助言を頂
きました.また,研究会に所属する以前から,公私にわたって様々な面でお世話になる
とともに,非常に多角的かつ的確なアドバイスを頂きました園原章平氏,田野井大輝氏
に深く感謝申し上げます. お二人とともに過ごした研究・大学生活は密度の濃く,大
変充実していました.最後に, このような素晴らしい研究環境と研究を行う機会を与え
て下さった河添健教授にこの場をお借りして改めてお礼を申し上げます.

16
参考文献

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http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/08042205/004.htm#a004.

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[24] 澤田俊之『幼児教育と脳』(文春新書,2003): 167-180.

[25] 岡田敬司『コミュニケーションと人間形成』(ミネルヴァ書房,2001).

[26] 牧野カツコ『日本人の生活̶50 年の軌跡と 21 世紀への展望̶』(社)日本家政学会編 (東京: 建

帛社,1998): 23.

[27] 高畑 彩友美, 冨田 圭子, 庭 照美, 大谷 貴美子. 2006. 母親の食生活に対する意識や生活充実感

が幼稚園に通う子どもとのコミュニケーション頻度に与える影響. 日本家政学会誌 57 (5): 287-99.

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