朝鮮・栢庵性聡の『浄土宝書』について

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22)
( 印度學 佛 教學 研 究 第 64 巻 第 2 号 平成 28 年 3 月

朝鮮 ・
栢庵性聡 の 『
浄土 宝 書』 に つ い て

韓 普 泰植 )
光 (

L 栢庵 の 生 涯 と 行 跡

1631− 1700) は 朝鮮 中後期 の 僧侶 と し て


栢庵 性 聡 ( , 浄土 教 学 の 流 布 の み な らず ,
念 仏信 仰 の 弘 布 に も大 き く寄与 し た . さ ら に , 漂流 船 の 仏 書 を収集 して 新 しい 仏

書 を編纂 した り, あ る い は 改 版 した . 本 稿 で は , それ ら の 書籍 の う ち , 特 に 『浄
土 宝 書 』 の 構 成 と 内容 を 分析 し ,
この 書籍 の 思 想 が 韓 国 の 浄 土 信仰 に 及 ぼ し た 影
響 につ い て 浄 土 宝書』 の
考 察 して み た い . ま ず , 彼 の 生 涯 と行 跡 を整 理 した 後 , 『

編 纂背 景 と 意 図 に つ い て 検討す る .

栢庵性聡 に 関す る 資料 と して は , 『
東 師 列 伝』 の 「栢 庵 宗 師 伝 」 及 び 松 広 寺 の
栢 庵 大 禅 師碑 銘 」 そ し て
「 , 朝鮮 仏教 通 史』 下 が あ る . こ れ ら の 資料 に よ る と ,

彼 は 1631 年 ll 月 15 日 に 南 原 で 生 ま れ た .俗 姓 は 李 氏 で あ り , 父 は 李棡 , 母 は河

氏 で あ る . 13 歳 (1643) で 出家 し 16 歳 で 法 階 を 受 け た . 18 歳 (1648) に は 智異

山 に入 っ て , 翠微 の 門下 で 9 年 間 に わ た て 修 学 し て 法 を 受 け た , 30 歳 (1660)

の 時か らは 善知 識 を探 訪 し , さ ら に , 順 天 松 広 寺 , 楽 安登 光 寺 , 双 渓寺 な ど , 主
に南部地域 で 主 席 し な が ら 後 学 を指 導 し た . この 緇 門 経 訓 註 』 を刊 行 し
時期に 『
た . ま た , 外典 や 詩 文 に も能通 し て , 当時 , 名 士 と の 交 流 も活 澱 で あ っ た.

粛宗 7 年 (
1681 ) に , 仏 経 を載 せ た 船 が 荏 子 島 で 風 浪 に よ っ て 坐 礁 し た . 彼 の

51 歳 の と き で あ っ た . こ の 船 に は 明 の 平 林 葉 居士 が 校 刊 し た 『
華 厳 経 疏演義鈔』
や 大 明法 数 』 な ど , 190 余巻 の 仏 書 が 積 ま れ て
『 い た . こ の 諸 仏書 は , 官衙 に 報
告され ,
王 室 に 送 られ た が , 栢 庵 は 散 逸 した 一 部 の 典 籍 を お よ そ 4 年に わ た っ て

集 め た . そ の 後 , 65 歳 (1695 ) に 至 る ま で の 15 年 間 , 総 12 種 197 巻 115 冊 の 書


籍 を刊行 し , 澄 光寺 と双 渓寺 な ど に 安置 した . 62 歳 (
1692) に は 仙巌寺 の 滄波 閣で

華 厳 大 会 も開 設 し た . そ し て ,
1700 年 7 月 25 日 の 子 正 に ,双 渓寺 の 新 興 庵 で 入
寂 し た . 世寿 70 歳 で あ り, 法 臘 は 57 歳 で あ っ た . 舎 利 は 松 広 寺 と七 仏 寺 に 奉 安
さ れ た .秀 演 , 明眼 , 万訓 な ど の 20 余名 の 弟 子 が あ り 浮 休 派 の 法 脈 を継 承 した . ,

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朝 鮮 ・栢 庵性 聡 の 『
浄 土 宝 書』 に つ い て (
韓) 23)

編 著 と して は 『
浄 土 宝書 』, 『
金 剛般 若経疏論纂 要 刊 定記 会 編 』, 『
四 経 持 験 記』,


大 慧 普学禅 師 書 』 「
法 集 別 行 録 節 要拜 入 私 記』, 『
, 禅 源 諸 詮 集都 序 』 『
高峰 和 尚禅 ,

要 』, 『 大 明 三 蔵法 数』, 『
大 方 広 仏 華厳 経 疏 鈔』, 『 栢 庵 浄 土 讃』, 『
華 厳 懸 談会 玄 記』,

緇 門経 訓 』, 『 栢 庵 集』 な ど が あ る D .
大 乗 起 信 論疏 筆 削 記 会編 』, 「

2. 『
浄 土 宝書』 の 編纂背景

栢庵 が 浄 土 宝 書 』 を 編纂 し た 背 景 と し て は
『 , 次 の 四 つ の 点 が 考 え られ る .

第 粛 宗 実録 』 7 年
, 中 国か らの 新 し い 仏 書 の 取 得 で あ る . 『 7 月 9 日条 に よ れ
ば , 51 歳 の 時 で あ る 1681 年 に , 風 浪 に よ っ て 船が荏子 島で 坐 礁 した が , そ の 漂
流 船 に仏 書が 積 まれ て い た とい う、
有 仏 経 縹帙 甚新 仏 器 等物 製造 奇巧 漂泛 海潮 連 為 全 羅 忠清 等道 沿 海諸鎮 浦所拯 得 通 計 千
2)
余巻

お そ ら く, こ の 漂 流 船 は 仏 書 や 仏 器 な ど の 仏教 関 連 品 目を船 に 積 ん で 日本 へ 行
く貿易 船 で あ っ た と 推測 さ れ る . 当 時 , 崇儒 抑仏 政 策に よ っ て , 朝 鮮 は外 国か ら
仏 書 を 購 入す る ほ ど 仏教 に 対 し て 友 好 的 な雰 囲気 で は な か っ た . こ の 漂 流船 の 仏

書は , 明 の 万 暦 17 年 (158g )か ら清 の 康 熙 51 年 (1712) まで , お よ そ 120 余 年 を

費 や し て 完成 され た 嘉興 大蔵経 で あ っ た と 考 え ら れ て い る. ま た , 嘉 興 大 蔵経 が
積 ま れ た 貿易 船 の 目的 地 は , 日本 の 京都 で あ っ た と 推測 さ れ る . なぜ な ら, そ れ
は 1654 年 に 渡 日 し て 黄檗 宗 の 開 祖 に な っ た 隠 元 の 門 下 と 何 らか の 関連 が あ る よ う
で t 鉄 眼道 光 が 開版 した黄 檗 蔵 は 他 な らぬ 嘉 興 蔵 を も と に し て い る か ら で あ る .
船 が 漂 流 し なが ら破 損 し , 顛 覆 して , 多 くの 仏 経 と 仏器 が 入 っ てい た 箱が 浦 口 ま
で 流 され た よ うで あ る . 各 浦 口 で は ,
これ を収 拾 し て 羅 州 官 衙 に 集 め て , 約 1 千

余 巻 を 朝廷 へ 送 っ た . 粛宗 は , こ れ ら を南漢 山 城 の 寺 へ 送 っ た とい う 3).

方 , 栢 庵 は 民 間 に 散失 した 仏 書 を 収拾 した . 52 歳 (
1682 ) の と き , 彼 は 西 海

岸 仏 岬寺 に 住 席 した 4). こ の 時 か ら 55 歳 (1685) ま で の 4 年 間に わた っ て 漂流船


の 仏 書 を 集め , 大 変 な努力の 末 に ,
こ れ ら を澄 光 寺 で 刊 行 した 。 65 歳 (1695) の

回 向 に至 る まで , 15 年余 りに わ た っ て な さ れ た 大 作 仏 事 で あ っ た 5>.
第二 , 浄 土 宝 書』 の 刊 行 意 図 か ら は , 次 の よ うな編 纂 背 景 が 考 え ら れ る . 「
『 性

浄 土 宝 書』 は 漂 流 船 の 中 に あ っ た もの で あ る と い う.
聡 大禅 師碑 文 」 に よ れ ば , 『

嘗於 浦 海 辺 見 大 船来 泊 視其 所 載 即 大 明平 林葉居 士 所校 刊 華 厳 経疏 鈔 及 大明 法数 会 玄
一 百九 十 巻 也 師乃 大驚 異 曁 其徒 衆 頂 礼虔奉
記 金 剛記 起 信記 四 大 師所 録 与 浄 土 宝 書 等
6)
発信 心 刊 諸経 数年 内而伝 行 于 世

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( 朝鮮 ・栢庵性 聡 の 浄 土 宝 書』 に つ
『 い て (
韓)

これ に よれ ば, 当時 漂 流 船 に は 明 の 平 林葉祺 胤 居 士 が 校刊 した 『
華厳 経 疏鈔 』
を は じめ , 『
大 明 法 数』 『 ,
金 剛 記』 『
会 玄 記 』, 『 起 信 記』 『 浄土 宝
四 大 師 所録 』 『 , , ,

書』 な どの 190 巻 の 仏書 が あ っ た と い う. も っ と も , 嘉興蔵 に は 『浄土 宝 書 』 と


い う 目録 は 見 ら れ な い . す る と , なぜ 碑 文 に は 『
浄 土 宝 書』 が あ っ た と記 さ れ て
い るの で あ ろ うか . こ れ は 碑 文 の 誤 謬 か , そ れ と も, 『
浄土 宝書』 と い う書物 が 早
くか ら 散失 し て い たか ,
二 つ の 可 能性 を推 定 して み る こ と もで き よ う.

但し , 浄 土 宝 書序」 に は
「 ,

不 慧 近 獲唐 本 浄 土 著 述 無慮 十 有 余秩 講 誦 之 陳 静 坐 繙 披 雖 慱 約 有殊 一 以 婆 心 断 断無他
而勧 人 徃 生 之 指趣則 懸 同 誠超 世 之 径 路 浄 土 之 資糧 也 盖 吾東 方 地 褊 哭 小 染邪悖 悪 者 夥 正
信 果 因 者尠 至 於簡築文字 渉乎浩繁則 浅機膚 識 煩 不 耐心 便東 之 高 閣 而 不 之 顧 然 則信何 由
生 肆 以 不 揣愚 瞽遂 蒐猟諸 述 採綴格 言 及 古今徃 生之 章章者 輯 成 一 編 7>

とい う よ うに , 『浄 土 宝 書 』 が 栢 庵 の 編 纂書 で あ る と 考 え ら れ る 手が か りが み え
る .智 慧 は十 分 で ない が ,近 来中 国の 浄 土 関 連書籍 を 10 余秩 も手 に い れ た . 諸著

述 を 集 め て 格 言 と古今 の 往 生 譚 を 採 録 し , 編 輯 して 巻 の 本 と し て 編 纂 した ,

い うこ と を明 か し て い る .漂 流 船 に積 まれ て い た仏書 の 浄 土 宝 書』 が 含 ま
うち, 『
れて い た とい うの は , 碑文 の 誤記 で あ る . 各種 の 浄 土 書 に あ る 浄 土 往 生 の 格 言 と
往 生 譚 を 集 め て , 彼 が 編纂 した 仏書が 『
浄土 宝 書』 な の で あ る . 参 照 した 典籍 は ,

上 で 言 及 した よ うに ,嘉 興 大 蔵 経 に 収録 され て い た 浄土 関 連 書籍 で , 『楽邦 文 類 』,

蓮 宗 宝鑑』 『
浄 土 資糧 全 集』 『 浄 土 全 書』 な どで あ る .
浄 土 晨鐘 』 『
, , ,

第 三 , 仏 教 の 霊験 譚 を流 布 して 民 衆 に仏 法 を弘 布す る た め で あ る . 17 世 紀 傾 の

朝鮮 は , 朱 子学 を 中心 と す る 性 理学 が 政 治 的 な理 念 と な っ て 優 勢 で あ っ た . 仏 教
は 排斥 さ れ , 寺刹 は 疲弊 し て い た , 教 団 は 禅 宗 と教 宗 に 分 離 さ れ て , 互 い の 愚劣

を 主 張 して い た .仏 に 対 す る 信 心 よ り, ひ た す ら悟 りだ け を 求 め つ つ ,教 団 は 迷 っ

て い た , 禅 仏教 の 自力 中心 の 論 理 を 強調 し た 結 果 , 他 力 的 な信 仰 心 は 後退 す る し

か なか っ た . 当時 は , 一 般 大 衆 が 他 力 的 な浄 土信 仰 を強 く望 む 時期 で あ っ た . 明
代 の 往 生 伝 に は 国 王 ・大 臣 が 念 仏 修 行 に よ っ て 往 生 し た 例 話 が 記 録 さ れ て い る.

つ まり , 仏 の 加 被 力 に よ っ て 極 楽往 生 した 実例 を 大 衆 に 示 し て い る.

この よ うな こ と を考慮 した と き, 彼 は 仏 の 加 被 力 と功 徳 に 関 す る 話 を世 間 に 広
めて, 多 くの 人 々 を 帰 依 させ よ う と した の で は な い か と思 わ れ る . 彼 は , 同 じ時

期 に 『四 経 持験 記 』 も編 纂 した 。 これ は 『
華 厳 経 』, 『
金 剛経 』, 『
法 華 経』 『
観音 ,

経』 の 刊行 と 流布及 び 読誦 に 対す る 霊 験 譚 で 構 成 さ れ て い る . ほ とん ど , 周 克復
が 編 纂 し た 四 経 の 感応 譚 を 集 め た も の で あ る.

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浄土宝 書 』 に つ い て (
韓) 25 )

第四 , 浄 土 信 仰 を 鼓 吹 し , 浄 土 念 仏 の 法 門 を広 め る た め で あ っ た と思 わ れ る .
上で 触 れ た 四 経 は , 浄 十 信 仰 と深 い 関連 を もつ 経 典 で あ る . 従 っ て , 彼 は 当時 の
禅, 教,浄土 の 三 門 修行 の 体 系 を構 成 し よ う と試 み た と も推 測 さ れ る . また 当時
中 国 で 仏 教 が 王室 を中心 と し て 盛 行 し て い た 事例 を 示 す こ と に よ っ て , 朝鮮 の 士
大 夫 た ち に 仏教 抑 圧 政 策 の 緩 和 を 期待 した の で あ ろ う 8).

3. 『
浄 土 宝 書 』 の 構成 と内容


浄土 宝 書 』 は , 浄土 宝 書序 , 阿 弥陀仏 因地 , 観世 音菩 薩 大勢至 菩 薩 因
地 浄土起信 文 , 勧 修 浄 土 之業, 念 仏 法 門, 仏 示 念仏 十 種 功 徳 念
仏兼誦経 徃生 , 仏 説 阿 弥 陀経 念 仏 現応 , 日課 念 仏 , 歴 代 尊宿 , 浄
土 果験 a.
( 沙 門徃 生 類 b ,王 臣徃 生 類 c.士 民徃 生 類 , d .尼衆 徃生 類 e.婦 女徃 生 類 , f,

悪 人 徃 生 類 , g .畜 生 徃 生 類 h .拾 遺) , 徃 生 浄 土 多 羅尼 で 構 成 さ れ て い る,

「浄土 宝書 序 」 で は , 編 纂 過 程 と動機 及 び 浄 土 弘 布 に つ い て 述べ て い る . こ
の 序 文以 外 は , ほ と ん ど明末清初 の 時期 に 流 行 し た 浄土 霊験 譚 を再 編輯 し た も の
で ある .
「阿 弥 陀 仏 因 地 」 は , 明朝 神 宗 万暦 28 年 (1600 ) に 荘 広 還 が 編輯 し た 『浄 土
資糧 全 集』巻 1 の 「浄 土 往 生 章 」 の 中 に あ る 「三 聖 因地 篇」 を再 構成 し た もの で

あ る , 栢庵 は 荘 広 還 の 厂三 聖 因 地 篇」 に 部分 的 な 字句 の 添削 を 加 え て い る. 例 え
ば , 次 の よ うで あ る .

「観世 音 菩 薩大 勢 至 菩 薩 因 地」 で は , 『
浄 土 資糧 全 集 』巻 1 「浄 土 往 生 章」「三
聖 因地 篇」観世音菩 薩 , 大勢 至 菩薩 因 地 か ら 本文 の み を引 用 し, 「考 証 」 と 分 量 が
多 い 部 分 は 略 して い る (
卍 続蔵 108 , 438 下 ).

「浄 土 起 信 文 」 で は , 『
浄 土 資糧 全 集 』 巻 2 「浄 起 信 章 」, 「龍 舒 浄 土 起 信文 」
と 「考 証 」 か ら引 用 し て い るが , 字句 の 添 削 が 見 られ る (卍 続 re IO8 466 上 ). そ ,

して , 「 卍 続蔵 108, 468 下 )
譬如 人 入大城 中」 は 証拠 と して 提示 して い る ( .

勧修 浄土 之業 」で は, 『
「 浄 土 資 糧 全 集』 巻 2 「浄 土 起 信 章」 「
龍 野 浄 土 起信
文」 の 本文 と 「考 証 」 か ら 引用 し て い る (
卍続 蔵 108 469 下 ).

念 仏 法 門」で は
「 , 清朝 世 祖順 治 16 年 (165g) に周克復 が 編纂 した 『
浄土 晨

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( 朝鮮 ・栢 庵性 聡 の 『
浄 土 宝 書』 に つ い て 韓)

鐘 』 を 部分 的 に 引用 し て い る . また t 巻 3 「勧真 実 念仏 」 はそ の ま ま転 載 し て い

るが, 「高声 念 仏 」 に つ い ては 『浄土 持 帰 集』 巻 lo の 「高声 念仏 」条 を引用 し て


い る 9 )。 厂礼念時観想法」で は , 礼 念 時 観 想 法 門 」 の 一 部 を 引用
『浄土 晨鐘』巻 4 「
して い る (
卍 続蔵 109, 235 下 ). 「観 仏 白毫法」 で は , 観想仏 白毫 法 門」 を 転 載 し

て い る. 浄 土 資糧 全 集』 の 「論 数 息念 仏 」
「数 息 念 仏 法 」 と 「参 究 念 仏 」 で は , 『

と 「
論 参 究 念仏 」か ら引 用 して い る. 「弁 参 究念 仏 」 と 「弁 念往 生 」 で は , 『

土 晨鐘 』 の 卍 続 蔵 109 272 下 ) と 「
「弁参究念 仏 」 ( 弁 一 念 往 生 」(
卍続 me109, 274 ,

上 ) か ら引 用 して い る. しか し, 「弁夢視念仏」 と 「
弁 念仏 往 生 者 少 」 に 関 す る 根
拠は , ま だ見付 か っ て い ない .
こ れ ら の こ と を 鑑 み る に , 栢 庵 は 念 仏 法 門 条 で は 各種 の 往生伝 の 中 で 重要 な 部
分 の み を抜 萃 し , 簡単 明瞭 に す る た め に 編 纂 し た と 考 え ら れ る .
仏 示 念 仏 十種功 徳 」は , 『
「 浄土 晨鐘』巻 1 「仏 示 人念 十種 功 徳 」 を 転 載 した
卍 続蔵 109, 201 上 )
もの で あ る ( .

「念 仏 兼誦経徃 生 」 の 出典 に つ い て は , ま だ 明 らか で な い . こ れ は 今後 の 課

題 とす る .
「仏 説 阿 弥陀経」 は 鳩 摩 羅什 の 翻 訳 本 で あ る . 念 仏修 行 者 の 日 課 の な か で 必
卍続 蔵 log, lgg)
須 の 読 誦 経 典で あ る ( .

念 仏 現 応 」 は清朝 康 熙 3 年 (
「 1664 ) に 兪行敏 が 輯録 した 『浄土 全 書』 の 「念
仏 現 応 」 の 大 部分 をそ の ま ま転 載 し て い る 卍続 ue109, 492496 ).

「日課 念 仏 」の 出典 に つ い て は ,まだ 明 らか で な い . こ れ は 今後 の 課題 とす る .
「歴 代尊宿」 で は , 『
浄 土 資糧 全 集』 の 「諸聖 同帰篇 」 「略挙 尊 宿 」 を 転 載 し
て い る 卍続蔵 108 ,446).

「浄 土 果 験 」 は a .沙 門 徃 生 類 , b.王 臣徃 生 類 c .士 民 徃 生 類 , d .尼 衆 徃 生

類 , e .婦 女徃 生 類 f,悪 人 徃 生 類 , g 、畜 生 徃 生類 , h.拾 遺 な ど の 8 項 目 に 分 類 さ
れ て い る. こ の 部 分 が全 体 の 分 量 の 70% も占め て い るこ とか ら , 彼 が 「浄 土 宝
書 』 で こ の 部 分 を最 も重 要 視 し た こ とが わ か る . こ の 部分 の 前 で は 浄 土 往 生 に 関

す る 経 典 あ る い は理 論 的 な 資料 を 中心 と し て 提 示 し て い る が,「浄 土 果験」で は 実
在 した 人 物 の 往 生 の 例 を提示 して ,
よ り説得力 を も た せ よ うと して い る.以 下,

各項 目を考 察 し て み よ う,
a. 「沙 門徃 生類 」 で は , 東晋 1 名,南朝 の 宋代 1 名,斉 1 名 , 隋 の 2 沙弥 , 唐
3名 , 宋 13 名 , 元4 名 , 明7名 , 清 6 名で , 総計 38 名 の 沙 門 の 往 生 譚 を載 せ て
い る . 清代 まで の 沙門 の 往 生 譚 は た い て い 浄 土全 書』 の 「沙 門往 生 類」1ω
『 の 中

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朝鮮 ・栢庵性 聡 の 『
浄土 宝書』 に つ い て (
韓) 27 )

に あ る. 一 往 生 集』巻 1 「沙 門往 生 類」ID と 『
部 は 雲 棲株 宏 の 『 浄土 晨 鐘 』 の 「比
卍続蔵 109, 295 − 308 ) に も 見 え る . 栢 庵 は 中国 の
丘 往生 」 ( 各種 浄 土 関 連 資料 を 集
め て 編 纂 し な が ら , そ の ま ま 転 載 せ ず , 当時 の 朝 鮮 に 必 要 な部 分 の み を 選 択 し て

再構 成 し た .
b . 「王 臣徃 生 類 」 で は , 鳥代 1 名 , 南 朝の 宋 1名 , 晋 1名 , 唐2名 , 宋 20 名 ,

明 8 名 , 清 1 名 の 34 名 で あ る . 多 くの 部分 は 「浄 土 全 書 』 の 「王 臣往 生 」 (卍続
蔵 10g, 467 −473 ) か ら 引 用 し て い る. しか し, 「明丁 明登 万 暦 間弁 融禅 師 , 崇禎
間大 老 下獄 甚 多 ,順 治 六 年 覚 浪禅 師 , 明 唐 宣 之 」 は , 『 宰 官往 生 」12)
浄 土 晨鐘 』の 「
か ら 引用 し て い る. 栢 庵 は 単 に そ の ま ま 転載 せ ず , 唐 白居 易 , 宋 胡 闡 , 明唐 宣 之
の 項 目で は 自分 の 見解 を 添加 し て い る、

この よ うに 見 た と き , 栢庵 は 漂 流 船 で 集 め た 浄 土 関 連 書籍 を た だ集 め て 編 纂 し
た だ けで は な く 当時 の 朝鮮社会 で 必 要 な 部分 を選択 し て 再編纂 し た こ と が わ か る .

c . 「士 民徃 生 類 」 で は , 晋 1名 , 南宋 の宋 1 名 , 梁 2 名, 隋 1 名,唐 6 名, 宋
ll 名 , 元 1 名 , 明 10 名 , 清 5 名 の 38 名 で あ る . ほ と ん ど 『浄 土 全 書 』 の 「処 士
往 生 類 」 (卍 続 蔵 109, 474− 481)か ら で あ る が , 雲 棲 株宏 の 「
往 生 集』 の 「処 士往
生類」 と 『
浄土 晨 鐘 』 の 「士 民往 生 」な ど も参照 し て い る.

d. 「尼 衆 徃生 類 」 で は , 隋 1 名 , 唐 1 名 , 宋 2 名 , 明 1 名 , 清 ユ名 の 6 名で あ
る. 『
浄 土全 書 』の 尼 衆往 生類 」 をそ の ま ま紹介 して い る . 従 っ て
「 t 栢 庵 は主 に

浄 土 全 書』 を 参考 し て 編纂 した と 思 わ れ る .

e.「婦女 徃 生 類 」 で は , 隋 1 名 , 唐 1 名 , 宋 18 名 , 元 3 名 , 明 9 名, 清 3 名の
35 名 で あ る . こ れ は ほ とん ど 『浄 土 全 書』 の 「
婦 女 往 生類 」 (
卍続蔵 10g,483 −489 )

が 中 心 と な る. しか し , 宋吉安 王氏 , 元 陶氏 , 明方 氏 , 明江 寧 湯 道 人公 甫 母 な ど
は 『浄 土 晨 鐘 』 (卍 続 蔵 10g, 318− 321) に 見 え る の み で あ る . な お , 明 予 章 人 楊 選

一妻
条 ( 韓 仏 全 8, 508 中 ) の 根 拠 は ま だ 明 らか で な い .

f. 「悪 人 徃 生 類」 で は 唐 2 名, 宋 3 名 の 5 名 だ け で あ る. 『
t 浄 土全 書』 の 「悪
卍 続蔵 109 ,489 −491 ) で は
人往生 類 」 ( ,
9 件 の 事 例 が あ る が , 栢 庵 は , 4 件 は 省略
して 5 件 の み を紹介 し て い る.

g. 「畜 生 徃 生 類 」 で は 6 種 類 で , 唐 1 件 , 宋 1件 , 明 3件 , 清 1 件 を紹 介 して

い る. 『
浄 土 全書 』 の 卍 続蔵 109 491 − 492 ) と 『
「畜生 往 生 類」 ( 浄 土 晨 鐘 』 の 「附 ,

卍 続 蔵 log , 491 − 492 ) を 参 考 しな が ら 編 纂 して い


物類往 生 」 ( る. 末尾 の 「
拾 遺」

に 関す る 資料 は , まだ 明 らか で な い .

なお , 「往 生 浄土 多羅 尼 」 は ほ か の 往 生 集 に もあ る が , 多羅尼 に 句読番号 が つ い

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( 朝 鮮 ・栢 庵 性 聡 の 『
浄 土 宝 書』 に つ い て (
韓)

てい るの は 浄 土 資糧 全 集 』 の 「浄 土 日 課 章」13 ) だ け で あ る . 従
『 っ て , これが出

典で あ る。 この 阿 弥陀経』 を読誦 した 後 に 得 生 浄 土 多羅尼 を念 誦す る


多 羅尼 は 『
こ と を勧 め て い る.

以上 の よ うに , 『
浄 土 宝 書』 で 「浄 土 果験 」 の 部 分 は 全 体分 量 の 70% を 占 め て
い る,『
浄 土 宝 書 』 は 単純 に 中 国 の 浄 土 書 籍 を復刻 した もの で は な く, 朝鮮 社 会 に

必要 な 浄土 書籍 を再編纂 した もの で あ る .
中 国 の 往 生 譚 を そ の ま ま転 載 した も の で は な く, 自分 の 見解 を 追 加 し, 大衆 に
と っ て 難解 な話 や 長文 の 物語 は省 略 し て い る . こ の 本 は , 当時 , 最新 刊 で あ る 清

朝康 熙 3 年 (1664) に 兪行敏 が 輯録 した 『浄土 全 書』 を 中心 と し て , 当時 の 朝鮮


社 会 に 浄 土信 仰 を 鼓 吹す る た め に 必 要 な部分 を 抜萃 して 編纂 した 浄 土 信仰 書 で あ
る と言 え よ う. た だ , 『
三 国 遺事 』 な どを み る と 韓 半 島 に も往 生 譚 は 多 か っ た よ う

で ,
こ れ ら を 追 加 しな か っ た 点は 残念 で あ る . も し こ れ ら を 入 れ た な ら , 本書 は
もっ と 価値 の あ る 資料 と な っ た で あ ろ う.

4. 韓 国 の 浄 土信 仰 に 及 ぼ した 影響

漂流船 の 仏書 を集 め た 後 , 初 め て 編纂 し た もの が 『浄土 宝書』 で あ る こ とか ら ,

栢 庵 は , 17 世 紀 の 中 期 に 朝 鮮 で 浄 土 信 仰 を 流 布 す べ き必 要 性 を 感 じ て い た と 思 わ
れる .彼 は 『 四 経 持 験 記 』 も執 筆 した . また
浄 土 宝書 』 に 続 け て 霊 験 譚 で あ る 『 ,


栢 庵 集 』に も浄 土 関 連 の 詩 と 序 文 な ど の 文 章 が あ る し , また , 浄 土 関 連 の 100 編
の 詩 を作 っ て 栢 庵 浄 土 讃 』 と い う著作 も著 し て い る . 特 に
『 , 念仏 結社 と 白蓮 結
社 に 対 す る 関心 が 高 か っ た . こ の こ と か らみ て , 栢庵 は 浄 土 信 仰 と 浄土 念 仏 修 行
に深 い 関 心 を持 っ て い た 念仏 行 者 で あ っ た こ と が わ か る.
この よ うな 影響 を受 け て , 18 世紀 に は 明衍 (
?− 1704− ?) の 『
念仏普勧 文』, 有磯
1707 − 1785 ) の
( 新 編 普勧 文 』, 箕 城 快 善 (1693− 1764 ) の 『
『 念 仏還 郷 曲 』 ま た , ,
19
世紀 に は 東 化竺 典 の 勧 往 歌 』 と 『自責 歌 』 20 世紀 に 錦 溟 宝 鼎 (1861 − lg30) の
『 ,


浄 土 讃 百 詠』 な どが 現 れ た . こ の よ うに , 栢 庵 が 編纂 し た 「浄 土 宝 書』 は , 17
世 紀 中期 以 後 の 朝鮮 社 会 に 浄 土 思 想 を 鼓吹 し , 念 仏 信仰 の 弘布 に 多大 な 影響 を 及
ぼ した と思 わ れ る ,

1) 成在 憲 2014 6−8 . ,

2) 『
粛 宗実録 』 7 年 7 月 9 日条 .
3 ) 李 種寿 2008 259 − 293 ,,

4 ) 李 種 寿 2008,278. 明 眼 , 「新 刻 華厳経 疏鈔後 跋」 ( 華厳経 疏鈔 』第 80 巻


大 源庵刻 成 『

一 1015一


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Buddhist Studies
二 二

朝鮮 ・栢 庵性聡 の 『
浄土宝 書 』 に つ い て (
韓) 29 )


には 壬 戌 夏 嘗 遊 仏 岬 得 此 訣 於西 海 ヒ と あ る ), ”

韓仏 全 8 474 中 一下 ).
5 ) 性 聡 『栢庵 集 』 「与 九 峰普賢寺僧 」 ( ,

6) 金 相福撰 「順 天 松 広 寺 栢 庵 堂 性聡 大禅 師碑 文」, 298 ,


7 ) 性聡 集 『 浄 土 宝書 』 「浄 土 宝 書序 」 ( 韓 仏 全 8 484 中〉. ,


8 ) 趙 明 済 2008 89 111.


9 ) 大佑 集 『浄 土 持 帰集 』 巻 ド ( 卍 続蔵 108 188 上 ). ,

10 ) 兪行 敏輯 『 卍 続蔵 109 448 −496 下 ).


浄 土 全 書 」 巻 下 「沙 門 往 生 類 」 ( ,

1 】) 株 宏輯 『 往 生 集 』 巻 正 「沙 門往 生 類」 ( 大 正 51 127− 138). ,

12) 周 克復 輯 『浄 土晨 鐘』 巻 10 「宰官往 生 」 (卍 続蔵 109 313− 314 ), ,

13) 荘 広還 輯 『浄 圭 資糧 全 集 』 巻 5 「浄 土 日 課章 」 (
卍続 蔵 108,558 上 ).

〈一 次文献 〉
大 佑集 浄 土 持 帰集』 (卍続蔵 108).

荘広 還 輯 『 卍 続 蔵 108)
浄 土 資糧 全 集』 ( ,
株宏 輯 『 大 正 5i ).
往生集』 (
卍 続蔵 109).
周克復 輯 『浄 土 農 鐘』 (
兪 行敏 輯 「 浄 土 全 書』 (卍続 蔵 109).
『粛 宗 実 録 』 12 巻 ・7 年 7 月 9 日 条 (朝 鮮 王 朝 実 録 , http:〃sillok .
history
. kr/id!kSa_
go .
10707009 001 ).
性 聡 『栢庵集』 (
韓仏 全 8).
性聡 集 『
浄土 宝書』 (
韓仏全 8).
覚岸 『 韓仏 全 10).
東 師列伝』 (
金 相 福撰 「順天 松広寺 栢庵 堂 性 聡大禅 師碑 文」智冠 編 『
韓 国高僧 碑 文 総 集』伽 山 仏 教 文
化 研究 院 (ソ ウ ル ), 2000
298. ,

『朝鮮仏教 通史 』 巻 下 , 新 文館 , 1918.

〈二 次文献 〉
成 在 憲訳 2014 『
四 経 持験 紀』東 国 大学校 出版 部 (ソ ウル ), 6− 8 .
李種 寿 2008 「粛 宗 7 年 中国船 泊 の 仏 教学研 究 』 21 号 . 仏
漂 着 と栢 庵性 聡 の 仏 書 刊 行 」 『
教 学研 究会 (ソ ウル ),259 −293 .

〈キ ー ワ ー ド〉 栢庵性聡 , 『
浄 土 宝書 』, 嘉 興大 蔵経, 『
浄土全 書』, 『
四 経持 験記』,朝鮮 中
期, 浄 土 信 仰

東 国大学 校教授 ,文博 )

一 1014 一

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