Download as pdf or txt
Download as pdf or txt
You are on page 1of 13

博士論文(要約)

近現代日本語における外来語史の研究

東北大学院文学研究科 言語科学専攻
国語学専攻分野 石暘暘

本論は、量的な側面と質的な側面において、明治から現代までの外来語が用いられる資料
を検討し、従来の外来語史研究において十分に明らかにされてこなかった抽象的な外来語
の変化の実態を重点的に調べることで、近現代における外来語の増加及び受容の一面を把
握し、日本の外来語史の一端を明らかにするものである。それにあたっては、従来の外来語
史の時代区分をあらためて考え、外来語史の日本語語彙史上への位置づけも試みていく。本
論文は研究の前提としての序章、個別の語の歴史を考察する第 1 章~第 6 章、外来語史上
で起きた受容現象の叙述を試みる第 7 章、そして、まとめとしての終章からなる。各章の要
旨は以下に示す。

序章
1.研究の背景
近現代日本語の語彙史においては、外来語という語種の使用の変遷が問題になっている。
その中で、特に 20 世紀後半に外来語の急増が目立つ。外来語の量的な推移を含めて、外来
語史を検討することで、近現代日本語語彙史の一端を明らかにすることができる。さらに、
借用語とされる外来語史を考える際に、外来語の借用の歴史及び仕組みなども考える必要
があるが、従来の外来語史の研究は着目する側面、及び年代の範囲が限られている点があり、
近現代における外来語史の扱いは不十分である。
2.先行研究
外来語の歴史に関する研究は、まず、量的な変化といった観点から行われている。これら
の研究には、日本語の語種構成について計量が行われた大槻文彦(1891)、宮島達夫(1958)

実藤恵秀(1987)
、明治大正の雑誌における外来語使用の増加傾向を明らかにした田中牧郎
(2006)(2017)、杉本雅子(2017)
、現代までの外来語の量的な推移を通時的に調査した荻
野綱男(1988)
、宮島達夫(2019)、橋本和佳(2010)、金愛蘭(2011)
、佐竹秀雄(2002)な
どが見られる。また、外来語の質的な変化において、意味変化の 4 種類の類型を示した石綿
敏雄(2001)
、抽象的な外来語の意味の派生及び基本語彙への侵入といった現象を明らかに
した金愛蘭(2006a)
(2006b)、外来語の使用分野の拡大を論じた中道知子(2004)
、外来語

1
の助数詞的な用法の成立を調査した田中佑(2016)
(2017)などのような変化の内実・仕組
みを考える研究が見られる。
3.問題の所在
しかし、従来の研究は、量的な側面と質的な側面を共に考える視点を持っていないこと、
また、WEB 上には近代日本の文献・画像、欧米語のデータベースなどの公開が盛んに行わ
れ、資料を十分に閲覧できる環境下にあるものの、それらの資料を十分に活用しきれていな
いことという問題点がある。さらに、借用語である外来語の変遷を明らかにするには、原語
からの受容の仕組みも考える必要がある。
4.本論の目的と方法
本論では前述の問題点を踏まえて、量的な側面と質的な側面において、明治から現代まで
の外来語が用いられる資料を検討し、抽象的な外来語の変化を調べ、次のような点を明らか
にすることを目的とする。

① 歴史上で個別の抽象的な外来語はどのような受容・増加過程を経てきたのか。
② 抽象的な外来語の受容過程にはどのような受容のパターンがあるのか。
③ 受容現象はどのような社会要因に繋がっているのか。
④ 外来語史の日本語語彙史への位置づけはどのようになるのか。

調査方法は従来の研究より、資料と年代の範囲を広げて行った。日本語資料については、
大衆向けのものとも言える文学作品と新聞記事を対象とした。対象資料は、明治から昭和初
期の文学作品が収録されている『青空文庫』
『日本語歴史コーパス』『CD-ROM 版:新潮文
庫の 100 冊』、明治から現代までにわたる『読売新聞縮刷版』、「ヨミダス歴史館」、
『CD 毎
日新聞データ集』
(1995、2000、2005、2010、2014)である。外来語の原語としての英語資
料については、1810 年からのデータが収録される Corpus of Historical American English と
1980 年代以降の英語資料で構成される British National Corpus を対象とした。

第1章 近現代における外来語「センス」の変遷
第 1 章では、抽象的な外来語「センス」を対象として、原語との関係をふくめ、借用初期
から、現代日本語における意味に至るまで、どのような変遷を経ているのかを明らかにした。
その結果は以下のようになる。
まず、20 世紀初頭から 1930 年代ごろまでが「センス」の受容期だと考えられ、A「繊細
な感覚をもって、見分ける能力」、B「心理的・生理的感覚」、C「意味・意義」という意味
で、日本語において見られるようになる。また、それらの使用範囲は、意味 C は明確には限

2
定できないが、意味 A、B はそれぞれファッション・芸術、哲学用語として、日本へ受容さ
れ始めた。
次に、1940 年代初から 1960 年代半ばまでにかけては、新しい意味 A′「優れたさま」が
意味 A の文脈的意味から生み出された。前期の意味 A の用例には、
「美のセンス+欠くべか
らざる」のような共起関係が見られ、これは「人には美に対する能力が必要である」という
意味である。更に、美に関わるものであるため、
「美的な優れたさま」という文脈的な意味
も含まれている。一方、この時期に見られる意味 A′は「センスある作品」
「センスに富ん
だ服」のように使われ、
「優れたさま」の意は「センス」自体が持つ意味になっている。す
なわち、前期の意味 A の文脈的な意味が語彙的な意味として焼き付けられることで、意味
A′が生じた。意味 A′の出現は、
「センス」の意味変化が始まったことを意味する。また、
使われる分野を見ると、この時期になって、意味 A の使用は前期のファッション・芸術の
分野に用いられる他に、文学、精神、政治、経済といった新しい分野にも見られるようにな
った。意味 A から生じた意味 A′は、前期の意味 A と同じように、ファッション・芸術の
分野に限られている。この時期に登場する意味 A′「優れたさま」は英語「sense」には見ら
れないものであって、
「センス」の意味変化においては、日本語化が始まったと考えられる。
そして、1960 年代半ばから 70 年代末までに、意味 A′が定着したことで、意味 A′から
和製英語である「ハイセンス」が作られた。また、新しい意味 D「繊細な感覚をもって見分
、E「遂行する能力」が、意味 A に基づいて、
け、遂行する能力」 「遂行する」という新しい
要素が追加されたことによって成立した。このように、この時期においては意味変化が更に
進行しているといえる。使われる分野を見ると、意味 A はこれまで用いられてきたファッ
ション・芸術、文学、精神、政治、経済という五つの分野のほかに、芸能、デザイン、言語
の分野でも用いられるようになっている。意味 A′は前期と同様に、ファッション・芸術の
分野に限られている。新しい意味 D、E はスポーツという新しい分野に限られている。この
時期に登場する意味 D、E は英語「sense」には見られないものであるため、
「センス」の意
味変化として、日本語化が続いていると思われる。
最後に、1980 年代以降、
「センス」の意味と使用分野には変化が見られず、安定期に入っ
た。
以上のように、「センス」という外来語はファッション・芸術の専門用語に限られ、借用
され始めた。その後、分野が徐々に一般的な分野に広がって増加してきた。最後に、日本語
内で独自の用法が生じて、
「センス」の使用はさらに増加した。

3
第2章 近現代における外来語「システム」の変遷
第 2 章では、抽象的な外来語「システム」を対象として、借用から現代までの変化の実態
を検討し、その受容・変容の過程を明らかにした。その結果は、以下のようになる。
まず、1870 年代から 1940 年代にかけては、
「システム」は、意味①「制度・体制」
、意味
②「機械的な装置」
、意味③「思想体系・学説」として日本語に登場した。また、意味①は
国家機関にかかわる経済、政治などの分野に限って、
「メルカンテルシステム」
(重商主義)

「スポイルスシステム」
(猟官制)のような原語の複合語として受容された。意味②は工業
の分野に限って、
「ボツクスシステム」(箱式装置)、
「ビームシステム」
(光束装置)のよう
な原語の複合語の形がそのまま受容された。意味③は哲学、芸術・学術の分野に限って、単
独で用いられる用法で受容された。この時期に見られる三つの意味は、英語「system」から
専門用語として借用されたものである。
次に、1940 年代末から 1960 年代初にかけては、意味①②③が用いられ続けているが、各
意味はさらに日本語の中に定着しつつあった。具体的には、意味①は、専門用語のままであ
るが、1940 年代末に、前期のような複合語のみとして用いられるのではなく、
「予防拘禁所
のシステム」
「畸型にしたシステム」のような単純語の形も見られるようになる。意味②は、
前期と同様に複合語のままであるが、前期のような「外来語+システム」ではなく、
「採鉱
システム」のような「漢語+システム」という形で使われるようになる。そして、意味②の
使用分野も前期の工業の分野に限らず、音響機器のような日常的ものにも用いられるよう
になる。意味③は、専門用語のままであるが、結び付く語の種類が増えてくる。
また、1960 年代初になると、日本語内で意味②の分野拡張の結果として、日本語化の新
しい意味④「コンピューターを使った情報計算機構、また、その装置」が登場する。登場初
期の意味④は、経済、工業などのような専門性の高い領域に使われるものであるが、コンピ
ューターの普及にしたがって、1970 年代前後、意味④が広範囲で一般的に用いられるよう
になる。すなわち、日本語化の意味④の登場によって、「システム」は一般化しはじめた。
そして、1970 年代末以降、意味⑤「何かを遂行するための、固定された流れ・手順ある方
式」
、意味⑥「何かを循環させる、機械的な装置」、意味⑦「統一的なデザインの組み合わせ」
が日本語内で派生し、「システム」はさらに日本語化して、一般的に用いられるようになっ
た。
以上のように、「システム」という外来語は 1870 年代から専門用語として借用された。
1940 年代から 1960 年代にかけて、使われる分野が徐々に一般的な分野に広がって増加して
きた。1960 年代以降になると、日本語内で独自の意味が現れ、「センス」は日本語化して、
一般的に用いられるようになった。

4
第3章 近現代における外来語「ポイント」の変遷
第 3 章では、抽象的な外来語「ポイント」を対象として、原語との関係を併せて検討する
ことで、借用語である外来語「ポイント」の受容と変容の過程を明らかにした。その結果は
以下のようになる。
まず、1880 年代半ばから 1950 年代までが「ポイント」の受容初期だと考えられる。1880
年代半ばから 1920 年代初頭までの時期に、具体的な概念を表す意味②「軌道を切り替える
装置」
、意味③「活字の大きさの単位」で日本語に登場して、それぞれ鉄道、印刷の分野に
限られている。なお、意味①「物事の中にある特定のところ」がこの時期に 1 例が見られる
が、翻訳者であった坪内逍遥の使用例で、特殊なものとして扱うことにした。次に、1920 年
代半ばから 1950 年代半ばまでの時期に、具体的な概念を表す意味④「小数点」、意味⑤「地
点」が見られるようになるが、それぞれ科学、文学の分野に限られている。また、意味⑥「パ
ーセント」は具体的な概念ではないが、金融関係の専門用語として用いられている。この時
期における「ポイント」は意味②~⑥として、主に英語「point」の具体的な概念を表す意味
から受容されはじめ、限られた分野に用いられた。
また、1950 年代半ばから 1980 年代末までにかけては、抽象的な概念を表す意味⑦「物事
の中にある重要なところ、要点」が現れ、1960 年代以降にその使用が急増し、「ポイント」
の主な意味として用いられるようになる。また、意味⑦は特定の分野に限られることなく、
一般的に用いられている。この新しい意味⑦「要点」は、前期の意味①~⑥との間に、意味
上明確な関連性が見られず、使用分野も前期の「活字印刷」
「鉄道」などと比較離れている。
このように、意味⑦は前期の意味との間に断絶が存在していると考えられる。つまり、意味
⑦は意味①~⑥から変化したものではなく、英語「point」の意味をあらためて借用したもの
である。さらに、スポーツの分野に限定される「試合の得点」という意味⑧も英語「point」
から借用された。この時期における「ポイント」は受容が進行し、抽象的な概念を表す意味
⑦が原語から借用され、一般化したと言える。
そして、1990 年代以降、意味⑧から商業の分野にかかわる新しい意味⑧′「サービスを
受けられる得点」が派生した。
「試合の得点」という意味⑧から、
「試合」という要素が脱落
し、「商業のサービス」という新しい要素が追加され、さらに「得点」という要素が引き継
がれたことで、「商業のサービス」と「得点」で構成された意味⑧′が生まれた。その後、
意味⑧′が日本語の中に定着し続け、造語成分として「ポイントカード」のような和製英語
を作り出すようになった。なお、ほかの意味の使用分野は前期と同様に、専門用語のまま用
いられており、特に変化は見られない。この時期に登場する意味⑧′「サービスを受けられ
る得点」は英語「point」には見られないものであって、
「ポイント」の意味変化には、日本
語化が発生したと考えられる。

5
「ポイント」という外来語は 1880 年代から専門用語として借用された。
以上のように、
1960 年代になると、抽象的な意味が原語からあらためて借用され、スポーツ、外交の分野
等、特定の分野に限らず、幅広く一般的に用いられている上に急増した。最後に、1990 年
代に日本語内の独自の意味が生じ、「ポイント」は日本語化して、使用がさらに増加した。

第4章 近現代における外来語「イメージ」の変遷
第 4 章では、抽象的な外来語「イメージ」を対象として、借用されてから現代に至るまで、
日本語における「イメージ」はどのような変遷を辿ったのかを記述した。その上で、原語と
の関係を含めて、借用語である外来語「イメージ」の受容と変容過程を明らかにした。その
結果は以下のようになる。
まず、1910 年代から 1950 年代末にかけては、具象的な意味①「意識に浮かんだ、物事の
具体的な映像」が日本語に見られるようになり、文学作品、新聞の文化面という限られた範
囲で用いられた。この時期に登場する意味①は、英語「image」から具体的な意味を受容し
た結果だと考えられる。
次に、1960 年代前後、抽象的な意味②「心に抱く、物事の典型的な像」が登場し、しかも
急増した。また、意味②は経済、政治の分野など、特定の分野に限らず、幅広く一般的に用
いられている。この抽象的な意味②は、前期の意味①「具体的な映像」との間に、明確な意
味の関連性が見られない。さらに、文学作品と新聞の文化面に限っている意味①と異なり、
意味②は経済、政治などの分野をはじめ、広範囲で一般的に使われている。すなわち、意味
①②の使用分野の間にも遠い距離がある。このように、新しい意味②は、前期の意味①との
間に断絶が存在しているため、意味①から日本語内で自然に生じた可能性が低い。つまり、
この時期に見られる抽象的な意味②は、英語「image」からあらためて借用されたものであ
る。意味②の登場によって、この時期における「イメージ」は急増し、一般化するようにな
った。
そして、1970 年代初め、意味②の文脈的含意から、プラスの意味を持つ新しい意味③「好
ましい印象」が生み出された。意味②の「イメージ」の連体修飾語には、
「技術企業のイメ
ージ」
「高級品店のイメージ」などのような良い方向での使用が圧倒的に多くある。その文
脈には「何らかの好ましさ」という含意が含まれている。一方、この時期に見られる意味③
には「イメージ作り」「イメージを売り込む」のような共起関係が見られ、これらは「好ま
しい印象を作る、売り込む」という意味である。意味③の「イメージ」自体に「好ましさ」
の意があるといえる。すなわち、前期の意味②の文脈的な含意「好ましさ」が語彙的な意味
として焼き付けられたことで、意味③が生じたと考えられる。1990 年代以降、意味①の「具
体的な映像」に意味③にある「好ましさ」という要素が入り込んだ結果、プラスの意味④「実

6
物そのままではない、だいたいの好ましい雰囲気を伝えるような映像」が成立した。この時
期に登場する意味③④は英語「image」に見られないものであって、
「イメージ」の意味変化
には、日本語化が発生したと考えられる。
以上のように、「イメージ」という外来語は、1910 年代から専門用語として借用された。
1960 年代前後になると、抽象的な意味が原語からあらためて借用され、特定の分野に限ら
ず、幅広く一般的に用いられるようになり、急増した。その後、日本語内の独自の意味が生
じ、「イメージ」が日本語化して、さらに増加した。

第5章 近現代における外来語「パターン」の変遷
第 5 章では、これまでの調査と同様の方向で、抽象的な外来語「パターン」を取り上げ、
原語との関係も含めて、近現代における外来語の変遷過程を明らかにした。その結果は以下
のようになる。
まず、1930 年代初から 1960 年代末にかけては、
「パターン」が意味①「型紙」
、意味②「図
案」という具象概念を表す意味として日本語において使われるようになる。また、意味①は
洋裁、意味②はテレビ放送の分野に限られている。この時期に見られる意味①②は、英語
「pattern」から専門用語として借用されたものである。
次に、1970 年代においては、意味①「型紙」、意味②「図案」が前期と同様に専門用語と
して用いられ続けているほかに、意味②′「同じ模様を繰り返す図案」が意味②から生じた。
「図案」という意味②に、
「同じ模様を繰り返している」という要素が追加され、インテリ
ア、服装の分野に限定される意味②′が生まれた。さらに、1970 年代前後、抽象的な意味
③「一定の決まりを持った繰り返しの型」が登場することによって、
「パターン」の急増が
見られ、一般化した。この急増した意味③は、〈繰り返し〉という特徴が備わるが、前期の
意味①②「型紙」、
「図案」は一つの映像を指し、
〈繰り返し〉という要素が見られない。す
なわち、意味③と意味①②の間に明確な意味の関連性が見られず、意味③が意味①②から生
じたとは考えにくい。そして、意味③は一般的に使われているが、前期の意味①②は専門用
語のままである。このように、意味③は前期の意味①②から生まれたのではなく、英語
「pattern」からあらためて借用されたものと考えられる。そして、意味②′も原語の意味か
らあらためて借用された可能性が高い。このように、この時期における「イメージ」は、抽
象的な概念を表す意味③が原語からあらためて借用されたため、使用が急増して一般化す
るようになった。
そして、1980 年代以降、
「パターン」は前期と同じく、抽象的な意味③「一定の決まりを
持った繰り返しの型」が主な意味として多く使われている。また、意味③がさらに定着して、
「数詞+パターン」という新しい用法④「助数詞用法」が見られるようになる。この時期に

7
見られる意味④は、英語「pattern」に見られないものであって、
「パターン」の意味変化にお
いては、日本語化が始まったと考えられる。
「パターン」という外来語は 1930 年代には専門用語として借用された。
以上のように、
1970 年代に特定の分野に限らない抽象的な意味が原語から借用され、
「パターン」は急増し
て一般化した。その後、日本語内の独自の意味が生じ、
「パターン」は日本語化して、使用
がさらに増加してきた。ここまで、第 3・4 章の結果をふくめて見ると、「ポイント」「イメ
「パターン」の 3 語には同じく 1960・70 年代頃に抽象的な意味をあらためて借用する
ージ」
ことによる急増があったことがわかる。本論では、このような 1960・70 年代に起こった、
原語からあらためて借用することを「再借用」と呼んだ。

第6章 近現代における外来語「モード」の変遷
ここまで、第 3、4、5 章では、1960・70 年代に抽象的な意味の借用及び急増という現象
がおこったことが共通していることが見られた。だが、外来語史上全体に共通する現象が起
こったのかということを検討するには、また異なった側面から考える必要もある。そこで、
第 6 章では、抽象的な外来語「モード」
(「モード」は原語として仏語もかかわる)を取り上
げて検討した。その結果は以下のようになる。
まず、1930 年代から、
「モード」は意味①「流行のスタイル」として用いられるようにな
る。使われる分野はファッションに限られている。また、意味①の使用には、仏語「à la mode」
からの「ア・ラ・モード」という形が見られ、英語「military mode」
「new mode」からの「ミ
リタリーモード」「ニューモード」も見られる。つまり、この時期に借用される「モード」
の原語「mode」には仏語と英語の両方があると考えられる。このように、この時期における
「モード」は、異なる原語(仏語・英語)から、ファッションの分野に限って、専門用語と
して借用された。
次に、1970 年代から 1980 年代末にかけては、意味②「専用機器にある、幾つかから選択
できる働き方の様式」が現れ、特定の分野に限らず、大型自動車、医療機器など、より一般
的な分野に関わって用いられるようになる。また、意味②「専用機器にある、幾つかから選
択できる働き方の様式」は、前期の意味①「流行のスタイル」との間に、明確な意味の関連
性が見られない。そして、前期の意味①はファッションの分野の専門用語であり、意味②の
「大型自動車、医療機器」と比較的離れている。すなわち、この時期に登場する意味②は、
ファッションの専門用語である意味①から生じたものではなく、英語からあらためて直接
借用されたものだと考える。このように、この時期に登場する新しい意味②は、前期のファ
ッションの専門用語である意味①より若干一般的に使われる用語として、あらためて英語
から借用されたものだと考えられる。

8
そして、1990 年代以降、大型機械にかかわって使われる意味②は、日常的な「電子レン
ジ」「カメラ」などの分野に拡張して、意味③「日常機器にある、切り替えられる働き方の
様式」が用いられるようになる。さらに、意味③の「機器」を「人」にたとえることで、
「機
器にある、いくつか幾つかから選択できる働き方の様式」から、
「様々な状況に応じて切り
替えられる気持ちの状態」という意味④が生じた。この時期に派生してくる意味③④は、原
語「mode」に見られないため、
「モード」にも日本語化という現象が捉えられる。
以上のように、
「モード」という外来語は、1930 年にファッションの専門用語に限られ、
仏語と英語の両方から借用され始めた。1970 年頃になると、より一般的な分野にかかわる
用語として英語からあらためて借用された。そして、1990 年代以降、日本語内で独自の用
法が生じた。すなわち、外来語「モード」の受容には、ファッションの専門用語としての受
容と、より一般的に使われる用語の受容、という 2 種が存在していると思われる。

第7章 近現代における外来語受容の歴史
以上に示した一連の調査結果は、個別の事象を明らかにしたものであるが、さらにそれら
の語の変化に存在している受容のパターンを検討することによって、近現代における外来
語受容の歴史の一端を明らかにすることができる。次に、その外来語史上の共通点について、
本論第 7 章で行った分析の結果をまとめる。
1.近現代日本語における外来語受容の二層
第 7 章 1~2.3 節では、これまで調査した一連の抽象的な外来語の受容過程には、どのよ
うな受容のパターンがあるのかという点を検討した。その結果は、以下のようになる。
まず、抽象的な外来語受容の増加過程には、少なくとも 2 種類が存在している。
一つは、第 1、2 章で調査した抽象的な外来語「センス」
「システム」のような、日本語内
で自然に増加するというタイプである。このタイプは、以下のⅠⅡⅢという三つの段階を経
て、語の使用が増加してきた。

Ⅰ 特定の分野の専門用語に限って借用される
Ⅱ 専門用語から徐々に一般的な分野に広がる
Ⅲ 日本語内で独自の用法が生じる(日本語化)

ここで「センス」を取り上げ、三つの段階を説明する。20 世紀初期の「センス」は「人の
繊細な感覚をもって、見分ける能力」という意味である。この時期における「センス」はフ
ァッション・芸術の専門用語に限られ、段階Ⅰ「特定の分野の専門用語に限って借用される」
にあるものである。次に、1940 年代頃になると、借用初期の意味は使用分野が徐々に拡大
し、文学、精神、経済などの一般的な分野に広がる。ここでは、
「センス」は段階Ⅱ「専門

9
用語から徐々に一般的な分野に広がる」に入る。そして、1960 年代以降、日本語化の意味
「優れたさま」と「遂行する能力」が生まれた。
「センス」は段階Ⅲ「日本語内で独自な用
法が生じる」に至り、さらに増加した。このように、段階ⅠⅡⅢを経て、日本語における「セ
ンス」の使用が増加してきた。
「センス」と似た増加過程を経ているものとしては、
「システ
ム」もある。
「システム」も工業の専門用語として受容され、その後、分野が徐々に広がり、
緩い趨勢で増加してきた。本論では、
「センス」
「システム」のような、段階ⅠⅡⅢを経て使
用が増加しているタイプを「日本語内で自然に増加するタイプ」とした。
これに対して、もう一つのタイプは、第 3~5 章で調査した抽象的な外来語「ポイント」
「イメージ」「パターン」のような、原語からの再借用で急増するタイプである。このタイ
プは、以下の段階ⅠⅡ′Ⅲを経て、語の使用が急激に増加してきた。

Ⅰ 特定の分野の専門用語に限って借用される
Ⅱ′一般概念としての抽象的意味が借用される
Ⅲ 日本語内で独自の用法が生じる(日本語化)

ここでは「ポイント」を取り上げ、三つの段階を説明する。19 世紀末・20 世紀初の「ポ


イント」は「転轍機」「活字の大きさの単位」という意味である。この時期における「ポイ
ント」はそれぞれ鉄道、印刷の専門用語に限られ、段階Ⅰ「特定の分野の専門用語に限って
借用される」にあるものである。次に、1960 年代前後、抽象的な概念を表す「要点」という
意味が原語からあらためて借用され、特定の分野に限らず、幅広く一般的に用いられている。
ここでは、
「ポイント」は段階Ⅱ′「一般概念としての抽象的意味が借用される」に入った。
そして、1990 年代頃、日本語化の意味「サービスを受けられる得点」が生まれて、
「ポイン
ト」は段階Ⅲ「日本語内で独自な用法が生じる」に至り、さらに増加した。このように、段
階ⅠⅡ′Ⅲを経て、日本語における「ポイント」の使用が増加してきた。この「ポイント」
と似た増加過程を経ているものとしては、
「イメージ」
「パターン」がある。
「イメージ」
「パ
ターン」も借用初期に専門用語として受容されたが、1960・70 年代頃に、一般的な概念と
しての意味が原語から再借用されたため、急増した。本論では、
「ポイント」
「イメージ」
「パ
ターン」のような、段階ⅠⅡ′Ⅲを経て増加するタイプを「原語からの再借用で急増するタ
イプ」とした。特に、このタイプにおいて、1960・70 年代に起こった原語からの「再借用」
による一連の急増は、20 世紀後半の抽象的な外来語使用の急増の一過程と捉えられる。さ
「モード」の受容過程には、上記の二つのタイプとは異なるが、同じく 1960・70 年代
らに、
に段階Ⅰと別に借用される段階Ⅱ′が発生している。このことから、外来語史において、
「再
借用」の時期が存在した可能性もあると考えられる。
一方、以上の 2 種類の増加過程を外来語借用の観点から考え、そこには、少なくとも以下

10
の 2 種類の受容の仕方があり、しかもそれらが重層的になっていることを明らかにした。

(a)類 専門用語として限られた範囲で受容するという受容の仕方
(b)類 比較的広い範囲にわたった一般語として受容して、大量に使用するという受容の
仕方

まず、受容過程に(a)類の仕方しか見られないものとしては、
「センス」
「システム」が挙げ
られる。それぞれ「ファッション・芸術」、
「工業」の専門用語として借用され、その後、日
本語内で拡張し自然に変化した。次に、受容過程に(a)(b)の 2 種類の仕方がともに見られる
ものとしては、
「ポイント」
「イメージ」
「パターン」が挙げられる。
「ポイント」
「イメージ」
「パターン」は、いずれも受容初期の意味(「転轍機・活字の大きさの単位」
、「具体的な映
像」、
「型紙・図案」)は限られた分野の専門用語(「鉄道・印刷」、
「文学」、
「洋裁・テレビ放
送」)として借用されたものであり、これらの意味は現代まで、より専門的に用いられ続け
ている。その後、1960・70 年代に、新しい意味(「要点」
、「物事の典型像」
、「一定の決まり
を持った繰り返しの型」
)としてあらためて借用され、広範囲で一般的に用いられるように
なった。このように、外来語「ポイント」
「イメージ」
「パターン」の変遷には、20 世紀初の
「専門用語の受容」と 1960・70 年代以降の「大衆的な概念の受容」という 2 種類の受容の
仕方があると考えられる。さらに、受容の 2 種が存在しているため、外来語増加には、緩い
趨勢で増加する(a)層と急激に増加する(b)層、という二層が起こされたことも明らかになっ
た。特に、(b)層の増加は、20 世紀後半に起こった外来語の急増の一過程と捉えた。
2.二層の受容が起こる社会要因
ここまでまとめた外来語受容の仕組み(二層)は、日本語の社会背景と深く繋がっている
と思われる。そのことを明らかにするために、第 7 章 2.4 節では、日本史、社会言語学、英
語教育史などの資料に基づいた分析を行い、外来語受容の二層が生み出される社会要因を
解明した。その結果は以下のようになる。
まず、第一層である「19 世紀末・20 世紀初に専門用語として限られた範囲で受容する」
が見られるのは、近代及び近代以前の外来語が狭い分野に限って用いられていたためであ
る。近代以前の外来語は、キリシタン時代及び蘭学隆盛期を経て、日本に受容されはじめる
ようになった。この時期に受容された外来語は、専門用語(伝道用語、学術用語)として、
限定的な領域の人のみ(信者、学者)に用いられ、極めて限られたものであった。近代にな
ると、日本は西欧を模範にして近代化を目指し、国の経済、工業発展を推進するという政治
環境、欧風化の社会環境の影響を受けて、外来語も専門用語として受容し続けた。このよう
に、近代及び近代以前の外来語の受容は、専門的な分野に限られたため、外来語の使用も狭
い範囲に限られていた。その結果として、当時の外来語は一気に日常に広がらず、徐々に関

11
連分野に拡大しながら、一般社会で徐々に増加していくことになった。そのような社会事情
があったため、
「19 世紀末・20 世紀初に専門用語として限られた範囲で受容する」という漸
増する外来語受容の第一層が形成された。
一方、第二層である「1960・70 年代に比較的広い範囲にわたった一般語として受容して、
大量に使用する」が見られるのは、戦後日本の外来語がより大衆向けのものとして受容され
たためである。まず、当時日本は国際化と経済の高度成長を経て、社会自体は大量の新しい
外来語への需要が高くなった。外交、経済などに関わる専門分野の外来語のほか、ビジネス
接客や接待に応じる一般概念を表す抽象的な外来語への必要性も出てきた。そして、戦後の
英語教育の普及は社会成員の英語能力を向上させ、外来語、特に英語の基礎語にある抽象的
外来語を速やかに受け入れることが可能になった。さらに、戦後のテレビの普及も外来語の
伝播を押し進めた。このような社会事情から影響を受けて、戦後の日本に大量の外来語が受
容された。特に、それらが比較的広い範囲にわたった一般語として受容されたため、一気に
日本に広がっていた可能性が高いと思われる。その結果、「比較的広い範囲にわたった一般
語として受容して、大量に使用する」という急増する外来語受容の第二層が形成された。
3.日本語語彙史上の新しい画期―1960・70 年代
ここまで述べたように、1960・70 年代は外来語史の転換期と思われる。そのため、第 7 章
3 節では、外来語受容の二層という観点に基づき、従来の外来語史の時代区分を検討しなが
ら、近現代外来語史の時代区分を行った。そこでは日本語語彙史の画期を捉えることで、日
本語史における外来語変化の位置づけを試みた。その結果は以下のようになる。
まず、明治以前の外来語史の時代区分は、先行研究に従って、「室町末期」、「江戸時代」
に分ける。室町時代はポルトガル語の受容時代として、江戸時代はオランダ語の受容時代と
して捉えた。一方、明治以降の外来語史の時代区分においては、まず明治の終わりである「19
世紀末・20 世紀初」
、そして「1960・70 年代」、
「20 世紀末・21 世紀初」という三つの時代
に分けている。第 1 期の「19 世紀末・20 世紀初」には、外来語受容の起源・経路が転換期
を迎えて、英語からの外来語が受容されはじめた。欧米との接触は明治初期から始まったが、
英米語からの外来語が実際に日本語に受容されるのは、ほぼ明治の終わりである「19 世紀
末・20 世紀初」である。また、この時期における外来語の使用は、専門用語に限られてい
た。第 2 期の「1960・70 年代」になると、外来語の受容の仕方が変化し、第 1 期の「専門
用語の受容期」と別の受容段階となる。そこでは、大衆向けの一般用語の受容が起こり、そ
れが急増した。そして、第 3 期の「20 世紀末・21 世紀初」には、外来語の意味変化のあり
かたが変化し、第 1、2 期のような原語の意味をそのまま受け入れるのとは異なり、日本語
の独自の用法が生まれるようになってきた。
同時に、上述の時代区分を外来語の借用の仕方という観点から考えて、日本の外来語史は

12
「専門用語の借用時代」と「一般概念の借用時代」という二つの時代に分けられることを明
らかにした。
「室町末期」、
「江戸時代」、
「19 世紀末・20 世紀初」が「専門用語の借用時代」
であり、
「1960・70 年代」が「一般概念の借用時代」である。特に、
「一般概念の借用時代」
である 1960・70 年代が日本借用語史の転換期とも考えられる。その年代を区切りとして、
日本語における外来語借用の仕方が変化し、外来語の使用は質も量も極めて重要な転機を
迎えた。さらに、この「1960・70 年代」を画期として、日本語語彙には外来語の急増が目立
つようになるため、1960・70 年代に起こった外来語使用の急増は、日本語語彙史上の問題
にもなる。そこで、本論では 1960・70 年代は日本語語彙史上の画期であると捉えた。

終章
終章では、上に述べてきた第 1~7 章の考察結果をまとめた。また、それを踏まえると、
本論の研究意義を、次のような点に纏めることができる。
①外来語の受容の仕組みの解明
本論によって、個々の抽象的な外来語の受容・増加過程を丁寧に記述した上で、一連の個
別の調査結果に共通する受容パターンを検討し、近現代外来語の増加に見られる外来語受
容の仕組み(受容の二層)を体系的に論じた。このように、借用語としての外来語史という
大きな流れをつかむため、原語からの受容の仕組みという観点から、外来語受容の二層とい
う点の特質を明らかにした。
②日本語語彙史にある新しい画期の提案
外来語受容の仕組みによって、従来の研究の不足を補って、本論では新しい外来語史の時
代区分を示した。また、1960・70 年代を区切りとして、日本語における外来語借用の仕方
が変化し、外来語の使用は質も量も極めて重要な転機を迎えたことを明らかにした。このよ
うに、1 つの区切りとしての「1960・70 年代」は、外来語史のみではなく、借用語史及び日
本語語彙史上においても重要な画期として捉えられる。
③社会言語学の解釈と語史研究の関連性の提示
本論では、外来語の受容現象は、受容を必要とする社会的な状況や、その言語社会の成員
の言語能力・言語嗜好が大きく関わっていることを明らかにしたことで、社会言語学の解釈
と日本語史研究の繋がりを提示した。さらに、このような言語接触の観点から外来語史を考
える調査法の開拓は、日本語史研究だけではなく、ほかの言語にある借用語の受容の仕組み
を描くことにも可能性を開くもので、一般言語学にも一種の調査法を提示したことになる。

13

You might also like