Download as pdf or txt
Download as pdf or txt
You are on page 1of 1

250 bai ... en 2.

pdf
Trang 2 / 149
に、時間をとって話して
優良 日本語での会話はあまり
くれるようになった。
賞 ら、私は手紙を書くよう
分からないかったか
をする人を見つけられて
私の「お母 になった。おしゃべり
に「ベトナムを離れて寂
楽しかった。私が手紙
さん」
グエン ティ ハ いたら、彼女からの返事
しい」といつも書いて
NGUYEN THI いたらどんどん寂しくな
イン の中に「寂しと言って
葉があった。いつからか
HANH るはずだよ」という言
一年が経過して、また桜 母さん」と呼んでいた。
私は彼女のことを「お
日に暖かくなっています 本語の間違いを直してく
が咲いている。日に お母さんいつも私の日
私はなぜか心が寂しいく げで、前よりもっと日本
が、どうしてなのか、 れた。お母さんのおか
日本語検定3級を合格し お母さんがいなくなっ
らい非常に寒いてす。 語を勉強したくなった。
か涙が出てし 会社の経営状況は更に悪
ました。しかし、なぜ てしばらく経った後、
「お母さん」とのお別 に移ることになった。そ
まっている。 くなり、私も別の会社
トランで楽しく話をして ベトナムに帰国したいと
れは突然だった。レス のことが分かった時、
に私の顔を見つめて寂し てきた。ベトナムにいる
いた時、お母さんは急 いう気持ちがふっと出
ンさん、お正月になった で具合が悪い。きっと父
い声で言った。「ハイ お母さんは16年間病気
とになったのよ」私は思 るだろうけど、ベトナム
ら私は会社を辞めるこ さんにはすごく怒られ
か?」と問い返した。お母 ずっと面倒を見てくれ
わず驚いて「本当です にいた時母に代わって
て、寂しげな目で私を とに帰りた
さんはただうなずい た。最愛のお姉さんのも
も言えず、テーブルに顔 しかし、その時思い出
じっと見ていた。私は何 くなった。
に来てから寂しいことも んのことだった。今まで
を乗せて泣いた。日本 したのは日本のお母さ
母さん。私にいつも日本 無駄になると思った。そ
楽しいことも話せたお 頑張ってきた1年間が
さんともうすぐ にくれた手紙を思い出し
語を教えてくれたお母 して、お母さんが最後
誰でも日本に来て不安 ても、どんな状況になっ
お別れなのだ た。「どこにいるにし
日本へ来たすぐの頃、私 自信をもってね
なことはまず言葉だ。 ても頑張ってください。
だった会社に配属されて 今日、2009年3月6日、
の日本語はまだ下手 ハインさん!」
頃、木ドタさんと話した 動してきました。今は1年
から2ヶ月が過ぎた 私は新しい会社へ移
ムのお母さんと同じ年だ 戻っています。涙をふき
時、彼女が私のベトナ 前の新しい気持に
た。彼女は私にたくさん しょうが、日本のお母さ
ということが分かっ たくなることもあるで
「名前は?」「何歳?」 にも、美しい日本の国に
質問をしてくれた。 んの信頼に応えるため
の?」私が答えると、「日 いと思
「日本語はどれ位習った いる時間を貴重にした
とほめて 区分技
いま
本語を良く覚えたね!」 国籍ベ
その日をきっかけに、 職 種 金属
くれた。 能実習生
受入れ企業
す。
たくなった。彼女はまる トナム
受入れ団体 富士経
私は彼女ともっと話し プレス加工
だった。彼女は私の日本 齋藤製罐株
で私の心が分かるよう 営交流協同組合 海
語が上手になるよう Trang ― 2 式会社
/ 149
外事業部
52

You might also like