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れんにょしょうにん ご いちだい き ききがき

ほん
◎ 蓮如 上 人御一代記聞書 本

(1)
か じゅう じ むら どうとく めいおう に ねんしょうがつついたち ご ぜん
◎ 一 ^▼ 勧 修 寺 村 の * 道 徳 、 * 明 応 二 年 正 月 一 日 に 御 前 へ ま ゐ り た る に 、 *
れんにょしょうにんおお そうろ どうとく どうとくねんぶつもう じ りき
蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 道 徳 はいくつになるぞ。 道 徳 念 仏 申 さるべし。 自 力 の
ねんぶつ ねんぶつ もう ぶつ もう く どく ぶつ
念 仏 といふは、 念 仏 おほく 申 して 仏 にまゐらせ、 この 申 したる功 徳 にて 仏 のたす

けたまはんずるやうにおもうてとなふるなり。

た りき み だ いちねん おん
^他 力 といふは、 弥陀をたのむ 一 念 のおこるとき、 *やがて 御 たすけにあづかるなり。
ねんぶつもう おん おも
そののち 念 仏 申 すは、 御 たすけありたるありがたさありがたさと 思 ふこころをよろ
な も あ み だ ぶつ な も あ み だ ぶつ もう た りき た
こびて、 南無阿弥陀 仏 南無阿弥陀 仏 と 申 すばかりなり。 されば他 力 とは他のちから
いちねん りんじゅう おうじょう おお そうろ
といふこころなり。 この 一 念 、 臨 終 までとほりて 往 生 するなりと 仰 せ 候 ふな

り。

(2)
おん ふ し ぎ じん
一 ^▼ あさの 御 * つとめに、 「 ▲ いつつの不思議 をとくなかに」 (* 高僧和讃) より 「 ▲ 尽
じっぽう む げ こう む みょう いちねんかん ぎ めつ
十 方 の無礙 光 は 無 明 のやみをてらしつつ 一 念 歓 喜するひとを かならず 滅
ど そうろ だん ご ほうだん こうみょうへんじょう
度 にいたらしむ」 (高僧和讃) と 候 ふ 段 のこころを御 * 法 談 のとき、 「 ▲ 光 明 遍 照
じっぽう せ かい もん つき
十 方 世 界 」 (* 観経) の 文 のこころと、 また 「 ▲* 月 かげのいたらぬさとはなけれども
うた ご ほうだんそうろ
ながむるひとのこころにぞすむ」 とある 歌 をひきよせ御 法 談 候 ふ。

もう そうろ うえさま お た おん きたどの


^なかなかありがたさ 申 すばかりなく 候 ふ。 上 様 (蓮如) 御立ちの 御 あとにて、 北 殿
さま おお や ぜん ご ほうだん こん や ご ほうだん おお そうろ
様 (*実如) の 仰 せに、 *夜 前 の御 法 談 、 今 夜の御 法 談 とをひきあはせて 仰 せ 候 ふ、
ぜ ひ ご じょうそうら ご らくるい おん
ありがたさありがたさ*是非におよばずと*御 掟 候 ひて、 御 落 涙 の 御 こと、 かぎり
おん そうろ
なき 御 ことに 候 ふ。
(3)
おん じゅんさんおん みなみどの おん おお
一 ^▼ 御 つとめのとき * 順 讃 御 わすれあり。 * 南 殿 へ 御 かへりありて、 仰 せに
しょうにん おん わ さん しゅしょう
、 聖 人 (*親鸞) 御 すすめの ¬和 讃 ¼ 、 あまりにあまりに 殊 勝 にて、 *あげばをわす
おお そうら おん しん おうじょう ご
れたりと 仰 せ 候 ひき。 ありがたき 御 すすめを 信 じて 往 生 するひとすくなしと御
じゅっかい
述 懐 なり。

(4)
ねんしょう ぜ いち もう そうろ おお うち
一 ^▼* 念 声 是 一 といふことしらずと 申 し 候 ふとき、 仰 せに、 おもひ 内 にあれ
ほか しん たい な も あ み だ ぶつ
ばいろ 外 にあらはるるとあり。 されば 信 をえたる 体 はすなはち南無阿弥陀 仏 なりと
くち こころ
こころうれば、 口 も 心 もひとつなり。

(5)
れんにょしょうにんおお そうろ ほんぞん か しょうぎょう
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 本 尊 は掛 けやぶれ、 聖 教 はよみやぶれと
つい く おお そうろ
、 対 句に 仰 せられ 候 ふ。

(6)
おお な も き みょう き みょう み だ いちねん
一 ^▼ 仰 せに、 南無といふは帰 命 なり、 帰 命 といふは弥陀を 一 念 たのみまゐらす
ほつがん え こう き だいぜんだい く どく
るこころなり。 また 発 願 回 向 といふは、 たのむ機にやがて 大 善 大 功 徳 をあたへた
たい な も あ み だ ぶつ おお そうら
まふなり。 その 体 すなはち南無阿弥陀 仏 なりと 仰 せ 候 ひき。

(7)
か が がんしょう かくぜんまた し ろう たい しんじん み だ いちねんおん
一 ^▼加賀の* 願 生 と* 覚 善 又 四 郎 とに 対 して、 信 心 といふは弥陀を 一 念 御 た
そうら おん な も あ み だ ぶつ もう
すけ 候 へとたのむとき、 やがて 御 たすけあるすがたを南無阿弥陀 仏 と 申 すなり
そう つみ いちねん しんりき け
。 総 じて 罪 はいかほどあるとも、 一 念 の* 信 力 にて消しうしなひたまふなり。

む し い らいりんでんろくどう もうごう いちねん な も あ み だ ぶつ き みょう ぶっ ち む


^されば 「 ▲ 無始以 来 輪 転 六 道 の 妄 業 、 一 念 南無阿弥陀 仏 と帰 命 する 仏 智無
しょう みょうがんりき ね はんひっきょう しんいん
生 の* 妙 願 力 にほろぼされて、 涅 槃 畢 竟 の 真 因 はじめてきざすところをさす
おん ひ おお そうら
なり」 (*真要鈔・本) といふ 御 ことばを引きたまひて 仰 せ 候 ひき。 さればこのこころを
おん じ がんしょう
御 *かけ字に*あそばされて、 願 生 にくだされけり。

(8)
み かわ きょうけん い せ くうけん たい おお な も き みょう
一 ^▼三 河 の* 教 賢 、 伊勢の* 空 賢 とに 対 して、 仰 せに、 南無といふは帰 命 、 こ
おん そうら き みょう ほつがん え こう
のこころは 御 たすけ 候 へとたのむなり。 この帰 命 のこころ*やがて 発 願 回 向 のこ
かん おお そうろ
ころを 感 ずるなりと 仰 せられ 候 ふなり。

(9)
た りき がんぎょう み じ りき しゅうしん
一 ^▼「▲他 力 の 願 行 をひさしく身にたもちながら、 よしなき自 力 の 執 心 にほだされて、
る てん そうろ ぞん そうろ もう
むなしく流 転 しけるなり」 (*安心決定鈔・末意) と 候 ふを、 *え 存 ぜず 候 ふよし 申 しあげ
そうろ おお しん おお そうら
候 ふところに、 仰 せに、 ききわけてえ 信 ぜぬもののことなりと 仰 せられ 候 ひき。

(10)
みだ だい ひ じょうもつ しゅじょう
一 ^▼ 「 ▲ 弥陀 の 大 悲 、 かの 常 没 の 衆 生 のむねのうちにみちみちたる 」 (安心決定鈔・本
ふ しん そうろ ふくでん じ もう そうろ おお ぶっしん れん
意) といへること不 審 に 候 ふと、 * 福 田 寺 申 しあげられ 候 ふ。 仰 せに、 仏 心 の 蓮
げ み だ しんしん く どく ほうかいしゅじょう
華はむねにこそひらくべけれ、 はらにあるべきや。 「▲弥陀の 身 心 の功 徳 、 法 界 衆 生 の
み い りょう げ
身のうち、 こころのそこに入りみつ」 (安心決定鈔・本) ともあり。 しかれば、 ただ 領 解の
しんちゅう おお そうら そうろ
心 中 をさしてのことなりと 仰 せ 候 ひき。 ありがたきよし 候 ふなり。

(11)
じゅうがつ に じゅうはちにち たい や しょうしん げ わ さん ぶつ
一 ^▼* 十 月 二 十 八 日 の* 逮 夜にのたまはく、 「* 正 信 偈和 讃 」 をよみて、 仏 に
しょうにん た しゅう
も 聖 人 (親鸞) にも*まゐらせんとおもふか、 あさましや。 他 宗 にはつとめをもして
え こう ご いちりゅう た りきしんじん しょうにん わ さん
回 向 するなり。 *御 一 流 には他 力 信 心 をよくしれとおぼしめして、 聖 人 の和 讃
しちこう そ ご おんしゃく
にそのこころをあそばされたり。 ことに 七 高 祖の御ねんごろなる 御 釈 のこころを
わ さん おん ぞん じ
、 和 讃 に*ききつくるやうにあそばされて、 その 恩 をよくよく 存 知して、 あらたふと
ねんぶつ ぶっとん おん しょうにん ご ぜん
やと 念 仏 するは、 仏 恩 の 御 ことを 聖 人 の御 前 にてよろこびまうすこころなりと、
おお そうら
くれぐれ 仰 せられ 候 ひき。

(12)
しょうぎょう た りき あんじん けつじょう
一 ^▼ 聖 教 をよくおぼえたりとも、 他 力 の 安 心 を*しかと 決 定 なくはいたづら
み だ おうじょうけつじょう しん りんじゅう
ごとなり。 弥陀をたのむところにて 往 生 決 定 と 信 じて、 ふたごころなく 臨 終
そうら おうじょう
までとほり 候 はば 往 生 すべきなり。

(13)
めいおうさんねんじゅういちがつ ほうおんこう に じゅうよっ か やつどき しょう
一 ^▼* 明 応 三 年 十 一 月 、 報 恩 講 の二 十 四 日 * あかつき 八 時 において、 聖
にん ご ぜん さんぱいもう そうろ そうろ
人 の御 前 ˆにˇ 参 拝 申 して 候 ふに、 すこしねぶり 候 ふうちに、 ゆめともうつつと
くうぜんおが そうろ お ず し
もわかず、 * 空 善 拝 みまうし 候 ふやうは、 御厨子のうしろよりわたをつみひろげた
うえさま おん い おが ご
るやうなるうちより、 上 様 (蓮如) あらはれ 御 出 であると 拝 みまうすところに、 御
そうごう かいさんしょうにん ふ し ぎ お ず し
相 好、 *開 山 聖 人 (親鸞) にてぞおはします。 あら不思議やとおもひ、 やがて御厨子
おが しょうにん ご ざ
のうちを 拝 みまうせば、 聖 人 御座なし。

かいさんしょうにん うえさま げん ご いちりゅう ご さいこう ご ざ そうろ


^さては 開 山 聖 人 、 上 様 に 現 じましまして、 御 一 流 を御 再 興 にて御座 候 ふ
もう ぞん きょうもんぼう さんだん しょうにん ご りゅう ぎ
と 申 しいだすべきと 存 ずるところに、 * 慶 聞 坊 の 讃 嘆 に、 聖 人 の御 流 義、 「▲
ぼくせき えん ひ しょう が りゃく やすり たま
たとへば 木 石 の 縁 をまちて火 を 生 じ、 瓦 礫 の をすりて 玉 をなすがごとし」
おんしき さんだん ゆめ そうろ
と、 ¬ 御 式 ¼ (* 報恩講私記) のうへを 讃 嘆 あるとおぼえて 夢 さめて 候 ふ。 ▽ さては
かいさんしょうにん ご さいたん しんこうもう そうら
開 山 聖 人 の御 再 誕 と、 それより 信 仰 申 すことに 候 ひき。

(14)
きょう け しんじん けつじょう しょうぎょう
一 ^▼ 教 化するひと、 まづ 信 心 をよく 決 定 して、 そのうへにて 聖 教 をよみ
しん
かたらば、 きくひとも 信 をとるべし。

(15)
おお み だ おん けつじょう おん
一 ^▼ 仰 せに、 弥陀をたのみて 御 たすけを 決 定 して、 御 たすけのありがたさよと
ねんぶつもう ぶっとんほうしゃ
よろこぶこころあれば、 そのうれしさに 念 仏 申 すばかりなり。 すなはち 仏 恩 報 謝

なり。

(16)
おお つ ちかまつどの たい おお そうろ しんじん けつじょう
一 ^▼* 大 津 近 松 殿 に 対 しましまして 仰 せられ 候 ふ。 信 心 をよく 決 定 して、
おお そうら
ひとにもとらせよと 仰 せられ 候 ひき。

(17)
じゅう に がつむゆ か とん だ どの ご げ こう そうろ いつ か よ おおぜい ご ぜん
一 ^▼* 十 二 月 六 日に* 富 田 殿 へ御下 向 にて 候 ふあひだ、 五 日の夜は 大 勢 御 前
そうろ おお こん や ひと じゅんせいもう
へまゐり 候 ふに、 仰 せに、 今 夜はなにごとに 人 おほくきたりたるぞと。 * 順 誓 申
そうろ ご ちょうもんもう おんれい
され 候 ふは、 まことにこのあひだの御* 聴 聞 申 し、 ありがたさの 御 礼 のため、 ま
みょうにち ご げ こう ご ざ そうろ おん め さいまつ
た 明 日 御下 向 にて御座 候 ふ。 御 目 にかか り まうすべしかのあひだ、 歳 末 の
おんれい もう おお む やく さいまつ れい
御 礼 のためならんと 申 しあげられけり。 そのとき 仰 せに、 *無 益 の 歳 末 の 礼 かな
さいまつ れい しんじん れい おお そうら
、 歳 末 の 礼 には 信 心 をとりて 礼 にせよと 仰 せ 候 ひき。

(18)
おお け だい おうじょう うたが
一 ^▼ 仰 せに、 ときどき懈 怠 することあるとき、 往 生 すまじきかと 疑 ひなげく
み だ にょらい おうじょうけつじょう
ものあるべし。 しかれども、 もはや弥陀 如 来 をひとたびたのみまゐらせて 往 生 決 定
け だい け だい おん
ののちなれば、 懈 怠 おほくなることのあさましや。 かかる懈 怠 おほくなるものなれども、 御 た
じ じょう た りきだいぎょう さいそく
すけは*治 定 なり。 ありがたやありがたやとよろこぶこころを、 ▲他 力 大 行 の 催 促
もう おお そうろ
なりと 申 すと 仰 せられ 候 ふなり。

(19)
おん ねんぶつもう そうろ おん
一 ^▼ 御 たすけありたることのありがたさよと 念 仏 申 すべく 候 ふや、 また 御 た
ねんぶつもう そうろ もう そうろ
すけあらうずることのありがたさよと 念 仏 申 すべく 候 ふやと、 申 しあげ 候 ふと
おお しょうじょうじゅ おん
き、 仰 せに、 いづれもよし。 ただし 正 定 聚 のかたは 御 たすけありたるとよろこぶ
めつ ど おん もう
こころ、 滅 度のさとりのかたは 御 たすけあらうずることのありがたさよと 申 すこころ
ぶつ な おお そうろ
なり。 いづれも 仏 に成ることをよろこぶこころ、 よしと 仰 せ 候 ふなり。

(20)
めいおう ご ねんしょうがつ に じゅうさんにち とん だ どの ご じょうらく おお とうねん
一 ^▼* 明 応 五 年 正 月 二 十 三 日 に 富 田 殿 より御 上 洛 ありて、 仰 せに、 当 年
しんじん おん おお そうろ あんじん
よりいよいよ 信 心 なきひとには 御 あひあるまじきと、 かたく 仰 せ 候 ふなり。 安 心
おお せいがん じ のう
のとほりいよいよ 仰 せきかせられて、 また* 誓 願 寺に 能 をさせられけり。

に がつじゅうしちにち とん だ どの ご げ こう さんがつ に じゅうしちにち さかいどの


^*二 月 十 七 日 にやがて 富 田 殿 へ御下 向 ありて、 * 三 月 二 十 七 日 に* 堺 殿 より
ご じょうらく に じゅうはちにち おお そうろ じ しんきょうにんしん
御 上 洛 ありて、 二 十 八 日 に 仰 せられ 候 ふ。 「▲自 信 教 人 信 」 (*礼讃) のこころ
おお のぼ くだ しんろう おん い しん
を 仰 せきかせられんがために、 * 上 り 下 り 辛 労 なれども、 御 出であるところは、 信
もう おお そうら
をとりよろこぶよし 申 すほどに、 うれしくてまたのぼりたりと 仰 せられ 候 ひき。

(21)
し がつここぬ か おお そうろ あんじん よう
一 ^▼四 月 九 日に 仰 せられ 候 ふ。 安 心 をとりてものをいはばよし。 用 ないこと
いっしん ひと くうぜん ご じょう
をばいふまじきなり。 一 心 のところをばよく 人 にもいへと、 空 善 に御 掟 なり。

(22)
おな じゅう に にち さかいどの ご げ こう
一 ^▼* 同 じき 十 二 日 に 堺 殿 へ御下 向 あり。

(23)
しちがつ は つ か ご じょうらく ひ おお そうろ ご じょくあく せ
一 ^▼* 七 月 二十日御 上 洛 にて、 その日 仰 せられ 候 ふ。 「 ▲五 濁 悪 世 のわれら
こんごう しんじん しょう じ じ ねん じょう ど
こそ 金 剛 の 信 心 ばかりにて ながく 生 死をすてはてて 自 然 の 浄 土にいたる
ご ほうだん に しゅ さん
なれ」 (高僧和讃)。 ▲このつぎをも御 法 談 ありて、 この二 首 の 讃 のこころをいひてきか
おお そうろ じ ねん じょう ど
せんとてのぼりたりと 仰 せ 候 ふなり。 さて 「自 然 の 浄 土にいたるなり」、 「ながく
しょう じ ご じょう
生 死をへだてける」、 さてさてあら*おもしろやおもしろやと、 くれぐれ御 掟 あり

けり。
(24)
な も じ しょうにん ご りゅう ぎ
一 ^▼のたまはく、 「*南旡」 の字は 聖 人 (親鸞) の御 流 義にかぎりてあそばしけり。
な も あ み だ ぶつ でい うつ お ざ しき か おお
「南旡阿弥陀 仏 」 を* 泥 にて 写 させられて、 御座 敷 に掛けさせられて 仰 せられけるは
ふ か し ぎ こうぶつ む げ こうぶつ な も あ み だ ぶつ とくごう
、 不可思議 光 仏 、 無礙 光 仏 もこの南無阿弥陀 仏 をほめたまふ* 徳 号 なり。 しかれば
な も あ み だ ぶつ ほん おお そうろ
南無阿弥陀 仏 を 本 とすべしと 仰 せられ 候 ふなり。

(25)
じっぽう む りょう しょぶつ しょうじょう ご ねん じ りき だい ぼ だいしん
一 ^▼「▲ 十 方 無 量 の 諸 仏 の 証 誠 護 念 のみことにて 自力の大菩提 心の
ご さん ちょうもんもう じゅんせいもう
かなはぬほどはしりぬべし」 (*正像末和讃)。 御 讃 のこころを 聴 聞 申 したきと 順 誓 申
おお しょぶつ みだ き のう
しあげられけり。 仰 せに、 諸 仏 の弥陀に帰せらるるを* 能 としたまへり。
よ め
^▼「*世のなかに*あまのこころをすてよかし *妻うしのつのはさもあらばあれ」 と。 こ
ご かいさん おんうた いっしん ほん
れは御 開 山 (親鸞) の 御 歌 なり。 さればかたちはいらぬこと、 一 心 を 本 とすべしとな
よ こころ おお
り。 世 にも 「かうべをそるといへども 心 をそらず」 といふことがあると 仰 せられ
そうろ
候 ふ。

(26)
とり べ の ひと
一 ^▼「* 鳥 部野をおもひやるこそあはれなれ ゆかりの 人 のあととおもへば」。 これ
しょうにん おんうた
も 聖 人 の 御 歌 なり。

(27)
めいおう ご ねん く がつ は つ か ご かいさん ご えいさま くうぜん ご めん
一 ^▼* 明 応 五 年 九 月 二十日、 御 開 山 (親鸞) の*御 影 様 、 空 善 に*御 免 あり。 なかな
もう
かありがたさ 申 すにかぎりなきことなり。

(28)
おな じゅういちがつほうおんこう に じゅう ご にち ご かいさん ご でん しょう
一 ^▼* 同 じき 十 一 月 報 恩 講 の二 十 五 日 に、 御 開 山 の ¬御 伝 ¼ (*御伝鈔) を 聖
にん ご ぜん うえさま ご ほうだんそうろ
人 (親鸞) の御 前 にて 上 様 (蓮如) あそばされて、 いろいろ御 法 談 候 ふ。 なかなかあ
もう そうろ
りがたさ 申 すばかりなく 候 ふ。
(29)
めいおうろくねん し がつじゅうろくにち ご じょうらく ひ ご かいさんしょうにん ご えい
一 ^▼* 明 応 六 年 四 月 十 六 日 御 上 洛 にて、 その日御 開 山 聖 人 の * 御 影 の
しょうほん いちまい お ふで ご ざ そうろ うえさまおん
正 本 、 あつがみ 一 枚 につつませ、 *みづからの御 筆 にて御座 候 ふとて、 上 様 御
て おん そうら みな おが しょうほん しゅくぜん
手に 御 ひろげ 候 ひて、 皆 に 拝 ませたまへり。 この 正 本 、 まことに 宿 善 なくて
はいけんもう おお そうろ
は 拝 見 申 さぬことなりと 仰 せられ 候 ふ。

(30)
しょぶつさんごうしょうごん ひっきょうびょうどう しゅじょう
一 ^▼のたまはく、 「 ▲ 諸 仏 三 業 荘 厳 して 畢 竟 平 等 なることは 衆 生
こ おう しん く い じ しょぶつ み だ き
虚 誑 の 身 口意を 治せんがためとのべたまふ」 (高僧和讃) といふは、 諸 仏 の弥陀に帰し
しゅじょう おお そうろ
て 衆 生 をたすけらるることよと 仰 せられ 候 ふ。

(31)
いちねん しんじん そうぞく べつ
一 ^▼ 一 念 の 信 心 をえてのちの 相 続 といふは、 さらに 別 のことにあらず、 はじめ
ほっ き あんじん そうぞく いちねん
発 起するところの 安 心 を 相 続 せられてたふとくなる 一 念 のこころのとほるを、 ▲「
おくねん しん ぶっとんほうしゃ き みょう いちねん ほっ
憶 念 の 心 つねに」 とも 「 仏 恩 報 謝 」 ともいふなり。 いよいよ帰 命 の 一 念 、 発
き かんよう おお そうろ
起すること 肝 要 なりと 仰 せ 候 ふなり。

(32)
ちょうせき しょうしん げ わ さん ねんぶつもう おうじょう
一 ^▼のたまはく、 朝 夕 、 「 正 信 偈和 讃 」 にて 念 仏 申 すは、 往 生 の*たねにな
ぼう ず おん みなもう おうじょう
るべきかなるまじきかと、 おのおの 坊 主に 御 たづねあり。 皆 申 されけるは、 往 生
もう ひと おうじょう ひと
のたねになるべしと 申 したる 人 もあり、 往 生 のたねにはなるまじきといふ 人 もあ
おお しょうしん げ わ さん しゅじょう み だ にょらい
りけるとき、 仰 せに、 いづれもわろし、 「 正 信 偈和 讃 」 は、 衆 生 の弥陀 如 来 を
いちねん ご しょう
一 念 にたのみまゐらせて、 後 生 たすかりまうせとのことわりをあそばされたり。 よ
しん しょうにん ご ぜん
くききわけて 信 をとりて、 ありがたやありがたやと 聖 人 (親鸞) の御 前 にてよろこぶ
おお そうろ
ことなりと、 くれぐれ 仰 せ 候 ふなり。

(33)
な も あ み だ ぶつ ろく じ た しゅう だいぜんだい く どく
一 ^▼南無阿弥陀 仏 の 六 字 を、 他 宗 には 大 善 大 功 徳 にてあるあひだ、 となへて
く どく しょぶつ ぼ さつ しょてん く どく
この功 徳 を 諸 仏 ・菩 薩 ・ 諸 天 にまゐらせて、 その功 徳 をわがものがほにするなり
いちりゅう ろく じ みょうごう ぶつ ぼ
。 一 流 にはさなし。 この 六 字の 名 号 わがものにてありてこそ、 となへて 仏 ・菩
さつ いちねんいっしん ご しょう おん
薩 にまゐらすべけれ。 一 念 一 心 に後 生 たすけたまへとたのめば、 やがて 御 たすけ
もう おお そうろ
にあづかることのありがたさありがたさと 申 すばかりなりと 仰 せ 候 ふなり。

(34)
み かわのくにあさ い こうしつ おん そうろ とん だ どの ご げ
一 ^▼三 河 国 浅 井の* 後 室 、 御 いとまごひにとてまゐり 候 ふに、 富 田 殿 へ御下
こう おん と ご ざ そうろ おお
向 の * あしたのことなれば、 ことのほかの 御 * 取 りみだしにて御座 候 ふに、 仰 せに
みょうごう ぶつ み だ おん
、 名 号 をただとなへて 仏 にまゐらするこころにてはゆめゆめなし。 弥陀をしかと 御
そうら ぶつ おん な も あ み だ
たすけ 候 へとたのみまゐらすれば、 やがて 仏 の 御 たすけにあづかるを南無阿弥陀
ぶつ もう おん
仏 と 申 すなり。 しかれば、 御 たすけにあづかりたることのありがたさよありがたさよ
くち いだ な も あ み だ ぶつ な も あ み だ ぶつ もう
と、 こころにおもひまゐらするを、 口 に 出 して南無阿弥陀 仏 南無阿弥陀 仏 と 申 すを
ぶっとん ほう もう おお そうら
、 仏 恩 を 報 ずるとは 申 すことなりと 仰 せ 候 ひき。

(35)
じゅんせいもう そうろ いちねんぽっ き つみ しょうめつ
一 ^▼ 順 誓 申 しあげられ 候 ふ。 一 念 発 起 のところにて、 罪 みな 消 滅 して
しょうじょうじゅ ふ たい くらい さだ お ふみ つみ
正 定 聚 不 退 の 位 に 定 まると、 *御 文 にあそばされたり。 しかるに 罪 はいのちの
つみ おお そうろ お ふみ べつ そうろ もう
あるあひだ、 罪 もあるべしと 仰 せ 候 ふ。 御 文 と 別 にきこえまうし 候 ふやと、 申
そうろ おお いちねん つみ き いちねん
しあげ 候 ふとき、 仰 せに、 一 念 のところにて 罪 みな消 えてとあるは、 一 念 の
しんりき おうじょうさだ つみ な ぶん いのち
信 力 にて 往 生 定 まるときは、 罪 はさはりともならず、 されば*無き 分 なり。 命
しゃ ば つみ つ じゅんせい さと つみ
の 娑 婆にあらんかぎりは、 罪 は尽きざるなり。 順 誓 は、 はや 悟 りて 罪 はなきかや。

しょうぎょう いちねん つみ き おお そうろ つみ


^ 聖 教 には 「 一 念 のところにて 罪 消えて」 とあるなりと 仰 せられ 候 ふ。 罪 の
さ た しんじん と と さ た
あるなしの沙汰をせんよりは、 信 心 を取りたるか取らざるかの沙汰をいくたびもいく
つみ き おん つみ き おん
たびもよし。 罪 消 えて 御 たすけあらんとも、 罪 消 えずして 御 たすけあるべしとも
み だ おん しんじんかんよう
、 弥陀の 御 はからひなり、 われとしてはからふべからず。 ただ 信 心 肝 要 なりと、 く
おお そうろ
れぐれ 仰 せられ 候 ふなり。

(36)
しんじつしんじん しょうみょう み だ え こう ほう ふ え こう じ
一 ^▼「▲ 真 実 信 心 の 称 名 は 弥陀回 向 の 法 なれば 不回 向 となづけてぞ 自
りき しょうねん み だ
力 の 称 念 きらはるる」 (正像末和讃) といふは、 弥陀のかたより、 *たのむこころも、 たふ
ねんぶつもう
とやありがたやと 念 仏 申 すこころも、 みなあたへたまふゆゑに、 とやせんかくやせ
ねんぶつもう じ りき おお そうろ
んとはからうて 念 仏 申 すは、 自 力 なればきらふなりと 仰 せ 候 ふなり。

(37)
む しょう しょう ごくらく しょう さんがい
一 ^▼* 無 生 の 生 とは、 極 楽 の 生 は 三 界 をへめぐるこころにてあらざれば
ごくらく しょう む しょう しょう
、 極 楽 の 生 は無 生 の 生 といふなり。

(38)
え こう み だ にょらい しゅじょう おん おお そうろ
一 ^▼回 向 といふは、 弥陀 如 来 の、 衆 生 を 御 たすけをいふなりと 仰 せられ 候 ふ

なり。

(39)
おお いちねんぽっ き ぎ おうじょう けつじょう つみ け たす
一 ^▼ 仰 せに、 一 念 発 起 の義 、 往 生 は 決 定 なり。 罪 消 して 助 けたまはんとも
つみ け み だ にょらい おん つみ さ た む やく
、 罪 消さずしてたすけたまはんとも、 弥陀 如 来 の 御 はからひなり。 罪 の沙汰無 益 な
しゅじょう ほん おお そうろ
り。 たのむ 衆 生 を 本 とたすけたまふことなりと 仰 せられ 候 ふなり。

(40)
おお み どう ざ しょうにん おお し かい
一 ^▼ 仰 せに、 *身をすてて*おのおのと 同 座するをば、 聖 人 (親鸞) の 仰 せにも、 ▲四 海
しんじん ひと きょうだい おお おん
の 信 心 の 人 はみな 兄 弟 と 仰 せられたれば、 われもその 御 ことばのごとくなり。
どう ざ ふ しん と しん
また 同 座をもしてあらば、 不 審 なることをも問へかし、 信 をよくとれかしとねがふば
おお そうろ
かりなりと 仰 せられ 候 ふなり。
(41)
あいよく こうかい ちんもつ みょう り たいせん めいわく じょうじゅ かず い
一 ^▼「▲ 愛 欲 の 広 海 に 沈 没 し、 名 利の 大 山 に 迷 惑 して、 定 聚 の 数 に入るこ
よろこ しんしょう しょう ちか たの もう さ た ふ
とを 喜 ばず、 真 証 の 証 に 近 づくことを 快 しまず」 (信巻・末) と 申 す沙汰に、 *不
しん おうじょう もう
審 のあつかひどもにて、 往 生 せんずるか、 すまじきなんどとたがひに 申 しあひける
あいよく みょう り ぼんのう き
を、 ものごしにきこしめされて、 愛 欲 も 名 利もみな 煩 悩 なり、 されば*機のあつか
ざっしゅ おお そうろ しん べつ おお
ひをするは 雑 修 なりと 仰 せ 候 ふなり。 ただ 信 ずるほかは 別 のことなしと 仰 せら
そうろ
れ 候 ふ。

(42)
あんない もう み の どの
一 ^▼*ゆふさり、 * 案 内 をも 申 さず、 ひとびとおほくまゐりたるを、 *美濃 殿 、 *まか
そうら おんもう おお
りいで 候 へと、 あらあらと 御 申 しのところに、 仰 せに、 さやうにいはんことばにて
いちねん き とうざい はし
、 * 一 念 のことをいひてきかせて帰せかしと。 東 西 を 走 りまはりていひたきことなり
おお そうろ きょうもんぼうなみだ なが そうろ さんだん
と 仰 せられ 候 ふとき、 慶 聞 房 涙 を 流 し、 あやまりて 候 ふとて 讃 嘆 ありけり
みなみならくるいもう
。 皆 々 落 涙 申 すことかぎりなかりけり。

(43)
めいおうろくねんじゅういちがつ ほうおんこう ご じょうらく そうろ ほうきょうぼうおん
一 ^▼* 明 応 六 年 十 一 月 、 報 恩 講 に御 上 洛 なく 候 ふあひだ、 * 法 敬 坊 御
つか とうねん ご ざいこく ご ざ そうろ お こう ご さ た
使 ひとして、 当 年 は御* 在 国 にて御座 候 ふあひだ、 *御 講 をなにと御沙汰あるべき
おんもう そうろ とうねん ゆうべ む あさ む
やと、 たづね 御 申 し 候 ふに、 当 年 よりは 夕 の*六つどき、 朝 の六つどきをかぎり
たいさん お ふみ ご じょう
に、 みな 退 散 あるべしとの▲御 文 をつくらせて、 かくのごとくめさるべきよし御 掟
み どう よる とまりしゅう ひ とうにん ご じょう うえさま
あり。 * 御 堂 の 夜 の 宿 衆 もその日 の * 頭 人 ばかりと御 掟 なり。 また 上 様 (蓮
なぬ か お こう とん だ どの みっ か おん に じゅうよっ か おおざか
如) は 七 日の御 講 のうちを 富 田 殿 にて 三 日 御 つとめありて、 二 十 四 日には* 大 坂
どの ご げ こう おつとめ
殿 へ御下 向 にて御勤行なり。

(44)
しちねん なつ ご い れい ご ざ そうろ ご がつなぬ か おん
一 ^▼*おなじき 七 年 の 夏 よりまた御*違 例 にて御座 候 ふあひだ、 *五 月 七 日に 御 い
しょうにん おん おお ご じょうらく おお
とまごひに* 聖 人 へ 御 まゐりありたきと 仰 せられて、 御 上 洛 にて、 やがて 仰 せに
しんじん しん め そうろ あ
、 信 心 なきひとにはあふまじきぞ。 信 をうるものには召してもみたく 候 ふ、 逢ふべ
おお うんぬん
しと 仰 せなりと 云 々 。

(45)
いま ひと いにしえ ふる ひと いにしえ もの
一 ^▼ 今 の 人 は 古 をたづぬべし。 また 古 き 人 は 古 をよくつたふべし。 物
がたり う しる う そうろ
語 は失するものなり。 書 したるものは失せず 候 ふ。

(46)
あか お どうしゅうもう そうろ いちにち あさ
一 ^▼ 赤 尾の* 道 宗 申 され 候 ふ。 一 日 の*たしなみには 朝 つとめにかかさじとたしな
ひとつき ご かいさんさま ご ざ そうろ
むべし。 一 月 のたしなみにはちかきところ *御 開 山 様 (親鸞) の御座 候 ふところへま
いちねん ご ほん じ うんぬん
ゐるべしとたしなめ、 一 年 のたしなみには*御 本 寺へまゐるべしとたしなむべしと 云 々 。
えんにょさま もう おお そうろ
これを* 円 如 様 きこしめしおよばれ、 よく 申 したると 仰 せられ 候 ふ。

(47)
こころ こころ せ ぶっぽう こころ もの
一 ^▼わが 心 にまかせずして 心 を責めよ。 仏 法 は 心 のつまる 物 かとおもへば
しんじん おん そうろ おお そうろ
、 信 心 に 御 なぐさみ 候 ふと 仰 せられ 候 ふ。

(48)
ほうきょうぼう く じゅう ぞんめいそうろ とし ちょうもんもう そうら
一 ^▼ 法 敬 坊 九 十 まで 存 命 候 ふ。 この 歳 まで 聴 聞 申 し 候 へども、 これ
ぞん じ もう そうろ
までと 存 知たることなし、 あきたりもなきことなりと 申 され 候 ふ。

(49)
やましな ご ほうだん ご ざ そうろ ご じょう
一 ^▼* 山 科 にて御 法 談 の御座 候 ふとき、 あまりにありがたき御 掟 どもなりと
わす ぞん お ざ しき み どう ろくにん だんごうそうら
て、 これを 忘 れまうしてはと 存 じ、 御座 敷 をたち御 堂 へ 六 人 よりて* 談 合 候 へば
めんめん そうろ し にん そうろ だい じ
、 面 々 にききかへられ 候 ふ。 そのうちに四 人 はちがひ 候 ふ。 大 事 のことにて
そうろ もう き
候 ふと 申 すことなり。 聞きまどひあるものなり。
(50)
れんにょしょうにん おんとき しゅう ご ぜん そうろ
一 ^▼ 蓮 如 上 人 の 御 時 、 *こころざしの 衆 も御 前 におほく 候 ふとき、 このう
しん ひと り ふた り ご じょうそうろ
ちに 信 をえたるものいくたりあるべきぞ、 一 人か 二 人かあるべきか、 など御 掟 候
きも そうろ もう そうろ そうろ
ふとき、 おのおの 肝 をつぶし 候 ふと 申 され 候 ふよしに 候 ふ。

(51)
ほうきょうもう そうろ さんだん ちょうもん
一 ^▼ 法 敬 申 され 候 ふ。 讃 嘆 のときなにもおなじやうにきかで、 聴 聞 は*かど
もう そうろ せん
をきけと 申 され 候 ふ。 * 詮 あるところをきけとなり。

(52)
おくねんしょうみょう しょうみょう ねんぶつ
一 ^▼ 「 ▲ 憶 念 称 名 いさみありて」 (報恩講私記) とは、 称 名 は *いさみの 念 仏 なり
しん もう ねんぶつ
。 信 のうへはうれしくいさみて 申 す 念 仏 なり。

(53)
お ふみ しょうぎょう よ
一 ^▼ 御 文 のこと、 聖 教 は読 みちがへもあり、 こころえもゆかぬところもあり
お ふみ よ おお そうろ お じ ひ
。 御 文 は読みちがへもあるまじきと 仰 せられ 候 ふ。 御慈悲のきはまりなり。 これを
む しゅくぜん き
ききながらこころえのゆかぬは*無 宿 善 の機なり。

(54)
ご いちりゅう おん ちょうもんもう そうろ おん
一 ^▼御 一 流 の 御 こと、 このとしまで 聴 聞 申 し 候 うて、 御 ことばをうけたま
そうら こころ おん ほうきょうもう そうろ
はり 候 へども、 ただ 心 が 御 ことばのごとくならずと、 法 敬 申 され 候 ふ。

(55)
じつにょしょうにん おお そうろ ぶっぽう
一 ^▼* 実 如 上 人 、 *さいさい 仰 せられ 候 ふ。 仏 法 のこと、 わがこころにまかせ
ご じょう
ずたしなめと御 掟 なり。 こころにまかせては、 *さてなり。 すなはちこころにまかせ
こころ た りき
ずたしなむ 心 は他 力 なり。

(56)
ご いちりゅう ぎ うけたまわ き ひと
一 ^▼御 一 流 の義を 承 りわけたるひとはあれども、 聞きうる 人 はまれなりと
しん き こころ
いへり。 信 をうる機まれなりといへる 意 なり。

(57)
れんにょしょうにん ご じょう ぶっぽう せ けん ひと
一 ^▼ 蓮 如 上 人 の御 掟 には、 仏 法 のことをいふに、 世 間 のことに*とりなす 人
たいくつ ぶっぽう おお そうろ
のみなり。 それを* 退 屈 せずして、 また 仏 法 のことにとりなせと 仰 せられ 候 ふなり。

(58)
ひと り
一 ^▼たれのともがらも、 われはわろきとおもふもの、 一 人としてもあるべからず。
しょうにん ご ばつ
これ*しかしながら、 聖 人 (親鸞) の御* 罰 をかうぶりたるすがたなり。 これによりて
ひと り しんちゅう よ ない り しず
一 人づつも 心 中 をひるがへさずは、 ながき世 ˆはˇ * 泥 梨にふかく 沈 むべきものなり
しんじつ ぶっぽう
。 これといふもなにごとぞなれば、 真 実 に 仏 法 のそこをしらざるゆゑなり。

(59)
みな しん ふ ぜい ちかまつ
一 ^▼「 皆 ひとのまことの 信 はさらになし ものしりがほの風 情 にてこそ」。 * 近 松
どの さかい ご げ こう そうろ
殿 の* 堺 へ御下 向 のとき、 *なげしに*おしておかせられ 候 ふ。 あとにてこのこころ
そうら ご じょう こうおう じ どの ご ふ しん
をおもひいだし 候 へと御 掟 なり。 * 光 応 寺 殿 の御不 審 なり。 「ものしりがほ」 と

は、 われはこころえたりとおもふがこのこころなり。

(60)
ほうきょうぼう あんじん さんだん ごん な も しゃ
一 ^▼ 法 敬 坊 、 安 心 のとほりばかり 讃 嘆 するひとなり。 「▲ 言 南無 者 」 (*玄義分) の
しゃく ひ ひと もう れんにょしょうにん
釈 をば、 いつもはづさず引く 人 なり。 それさへ、 *さしよせて 申 せと、 蓮 如 上 人
ご じょうそうろ あんじん もう ご じょう
御 掟 候 ふなり。 ことばすくなに 安 心 のとほり 申 せと御 掟 なり。

(61)
ぜんしゅうもう そうろ もう そうろ
一 ^▼* 善 宗 申 され 候 ふ。 *こころざし 申 し 候 ふとき、 わがものがほにもちてま
もう そうろ そうろ もう そうら
ゐるははづかしきよし 申 され 候 ふ。 なにとしたることにて 候 ふやと 申 し 候 へば
ご ゆう もう そうろ
、 これはみな*御 用 のものにてあるを、 わがもののやうにもちてまゐると 申 され 候
うえさま そうろ そうろ ぞん
ふ。 ただ 上 様 (蓮如) のもの、 とりつぎ 候 ふことにて 候 ふを、 *わがものがほに 存 ず
もう そうろ
るかと 申 され 候 ふ。

(62)
つのくにぐん け かずえ もう ひと ねんぶつもう そ
一 ^▼* 津 国 郡 家の主計と 申 す 人 あり。 ひまなく 念 仏 申 すあひだ、 ひげを剃ると
き ねんぶつもう ひと くち ねんぶつ
き切らぬことなし。 わすれて 念 仏 申 すなり。 人 は 口 はたらかねば 念 仏 もすこしの
もう そうろ
あひだも 申 されぬかと、 こころもとなきよしに 候 ふ。

(63)
ぶっぽうしゃもう そうろ ぶっぽう そうろ
一 ^▼* 仏 法 者 申 され 候 ふ。 わかきとき 仏 法 はたしなめと 候 ふ。 としよれば
ぎょう ぶ そうろ
行 歩もかなはず、 ねぶたくもあるなり。 ただわかきときたしなめと 候 ふ。

(64)
しゅじょう しゅじょう
一 ^▼ 衆 生 をしつらひたまふ。 「しつらふ」 といふは、 衆 生 のこころをそのまま
おん そうら そうろ しゅじょう
おきて、 よきこころを 御 くはへ 候 ひて、 *よくめされ 候 ふ。 衆 生 のこころをみな
ぶっ ち べつ おん そうろ そうろ
とりかへて、 仏 智ばかりにて、 別 に 御 みたて 候 ふことにてはなく 候 ふ。

(65)
さい し ふ びん かん け
一 ^▼ わが 妻 子 ほど * 不 便 なることなし。 それを 勧 化 せぬはあさましきことなり
しゅくぜん み かん け
。 宿 善 なくはちからなし。 わが身をひとつ 勧 化せぬものがあるべきか。

(66)
きょうもんぼう そうろ しん ひ ひ じ ごく
一 ^▼ 慶 聞 坊 のいはれ 候 ふ。 信 はなくて*まぎれまはると、 日に日に地 獄 がちか
じ ごく しん ふ しん
くなる。 まぎれまはるがあらはれば地 獄 がちかくなるなり。 *うちみは 信 不 信 みえず
そうろ きょう おも ふる
候 ふ。 とほくいのちをもたずして、 今日ばかりと 思 へと、 古 き *こころざしのひと
もう そうろ
申 され 候 ふ。

(67)
いち ど いち ご いち ど いち ご
一 ^▼ 一 度 の *ちかひが 一 期 のちかひなり。 一 度 のたしなみが 一 期 のたしなみなり。
いち ご
そのゆゑは、 そのままいのちをはれば 一 期のちかひになるによりてなり。

(68)
きょう わす
一 ^▼ 「今日 ばかりおもふこころを 忘 るなよ * さなきはいとどのぞみおほきに」 *

かくにょさまおんうた
覚 如 様 御 歌

(69)
た りゅう みょうごう え ぞう え ぞう もくぞう とうりゅう
一 ^▼*他 流 には、 名 号 よりは絵 像 、 絵 像 よりは 木 像 といふなり。 * 当 流 には
もくぞう え ぞう え ぞう みょうごう
、 木 像 よりは絵 像 、 絵 像 よりは 名 号 といふなり。

(70)
ご ほん じ きたどの ほうきょうぼう たい れんにょしょうにんおお そうろ
一 ^▼*御 本 寺 北 殿 にて、 法 敬 坊 に 対 して 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 われは
とう き とお ひと
なにごとをも* 当 機をかがみおぼしめし、 十 あるものを 一 つにするやうに、 かろがろ
り かな ご さ た そうろ ひと かんが おお そうろ お
と理 のやがて 叶 ふやうに御沙汰 候 ふ。 これを 人 が 考 へぬと 仰 せられ 候 ふ。 御
ふみとう きんねん おん そうろ き
文 等 をも 近 年 は 御 ことばすくなにあそばされ 候 ふ。 いまはものを聞 くうちにも
たいくつ もの き かんよう そうろ
退 屈 し、 物 を聞きおとすあひだ、 肝 要 のことをやがてしり 候 ふやうにあそばされ
そうろ おお そうろ
候 ふのよし 仰 せられ 候 ふ。

(71)
ほういん けんえん ようしょう とき ふたまた こ みょうごう もう い そうろ とき
一 ^▼ 法 印 * 兼 縁 、 幼 少 の 時 、 * 二 俣 にてあまた*小 名 号 を 申 し入れ 候 ふ 時
しんじん おお そうろ しんじん たいみょうごう そうろ おも
、 信 心 やある、 おのおのと 仰 せられ 候 ふ。 信 心 は ˆそのˇ 体 名 号 にて 候 ふ。 いま 思
そうろ ぎ そうろ
ひあはせ 候 ふとの義に 候 ふ。

(72)
れんにょしょうにんおお そうろ さかい ひゅうが や さんじゅうまんがん も
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 * 堺 の 日 向 屋は 三 十 万 貫 を持ちたれども
し ぶつ な そうろ やまと りょうみょう かたびらひと き そうら
、 死にたるが 仏 には成り 候 ふまじ。 大和の* 了 妙 は 帷 一 つをも着かね 候 へ
ぶつ な おお そうろ そうろ
ども、 このたび 仏 に成るべきよと、 仰 せられ 候 ふよしに 候 ふ。
(73)
れんにょしょうにん きゅうほう じ ほっしょうもう そうろ いちねん ご しょうおん
一 ^▼ 蓮 如 上 人 へ 久 宝 寺の* 法 性 申 され 候 ふは、 一 念 に後 生 御 たすけ
そうら み だ そうろ おうじょういちじょう ぞん そうろ
候 へと弥陀をたのみたてまつり 候 ふばかりにて 往 生 一 定 と 存 じ 候 ふ。 *か
おん い そうろ もう そうら ひと
やうにて 御 入り 候 ふかと 申 され 候 へば、 ある 人 わきより、 それはいつものこと
そうろ べつ ふ しん もう そうら もう そうら れんにょ
にて 候 ふ。 別 のこと、 不 審 なることなど 申 され 候 はでと 申 され 候 へば、 蓮 如
しょうにんおお そうろ き
上 人 仰 せられ 候 ふ。 それぞとよ、 わろきとは。 めづらしきことを聞きたくおもひ
おも しん しんちゅう もう
しりたく 思 ふなり。 信 のうへにてはいくたびも 心 中 のおもむき、 かやうに 申 さる
おお そうろ
べきことなるよし 仰 せられ 候 ふ。

(74)
れんにょしょうにんおお そうろ いっこう ふ しん もう ひと そうろ
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 一 向 に*不 信 のよし 申 さるる 人 はよく 候 ふ。 こ
あんじん もう そうら くち むな
とばにて 安 心 のとほり 申 し 候 ひて、 口 にはおなじごとくにて、 *まぎれて 空 しくなるべき
ひと かな おぼ そうろ おお そうろ
人 を 悲 しく 覚 え 候 ふよし 仰 せられ 候 ふなり。

(75)
しょうにん ご いちりゅう あ み だ にょらい ご じょう お ふみ あ
一 ^▼ 聖 人 (親鸞) の御 一 流 は阿弥陀 如 来 の御 掟 なり。 されば御 文 には 「 ▲阿
み だ にょらい おお そうろ
弥陀 如 来 の 仰 せられけるやうは」 とあそばされ 候 ふ。

(76)
れんにょしょうにん ほうきょう たい おお そうろ み だ
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 法 敬 に 対 せられ 仰 せられ 候 ふ。 いまこの弥陀をたのめと
おんおし そうろ ひと おお そうろ じゅんせい ぞん もう
いふことを 御 教 へ 候 ふ 人 をしりたるかと 仰 せられ 候 ふ。 順 誓 、 存 ぜずと 申
そうろ おん そうろ ひと か じ ばんしょう もの
され 候 ふ。 いま 御 をしへ 候 ふ 人 をいふべし。 *鍛冶・ 番 匠 なども 物 ををしふる
もの いだ いちだい じ おお
に* 物 を 出 すものなり。 一 大 事のことなり。 なんぞものをまゐらせよ。 いふべきと 仰
そうろ とき じゅんせい しんじょう もう
せられ 候 ふ 時 、 順 誓 、 *なかなか*なにたるものなりとも 進 上 いたすべきと 申 さ
そうろ れんにょしょうにんおお そうろ ひと あ み だ にょらい
れ 候 ふ。 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 このことををしふる 人 は阿弥陀 如 来 にて
そうろ あ み だ にょらい おん そうろ おお そうろ
候 ふ。 阿弥陀 如 来 のわれをたのめとの 御 をしへにて 候 ふよし 仰 せられ 候 ふ。
(77)
ほうきょうぼう れんにょしょうにん もう そうろ そうろ お みょうごう や
一 ^▼ 法 敬 坊 、 蓮 如 上 人 へ 申 され 候 ふ。 あそばされ 候 ふ御 名 号 焼けま
そうろ ろくたい ぶつ そうろ ふ し ぎ もう そうら
うし 候 ふが、 六 体 の 仏 になりまうし 候 ふ。 不思議 なることと 申 され 候 へば
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ ふ し ぎ ぶつ
、前々 住 上 人 (蓮如) そのとき 仰 せられ 候 ふ。 それは不思議にてもなきなり。 仏
ぶつ おん な そうろ ふ し ぎ そうろ あくぼん ぶ み だ いちねん
の 仏 に 御 成 り 候 ふは不思議にてもなく 候 ふ。 悪 凡 夫 の弥陀をたのむ 一 念 にて
ぶつ な ふ し ぎ おお そうろ
仏 に成るこそ不思議よと 仰 せられ 候 ふなり。

(78)
ちょうせき にょらい しょうにん ご ゆう そうろ みょう が
一 ^▼* 朝 夕 は 如 来 ・ 聖 人 (親鸞) の御 用 にて 候 ふあひだ、 * 冥 加のかたをふか
ぞん おりおりぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ そうろ
く 存 ずべきよし、 折 々 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふよしに 候 ふ。

(79)
ぜんぜんじゅうしょうにんおお そうろ か の
一 ^▼ 前 々 住 上 人 仰 せられ 候 ふ。 「*噛むとはしるとも、 呑むとしらすな」 と
さい し たい ぎょちょう ぶく ざいしょう み おも
いふことがあるぞ。 妻 子を 帯 し 魚 鳥 を 服 し、 罪 障 の身なりといひて、 さのみ 思
おお そうろ
ひのままにはあるまじきよし 仰 せられ 候 ふ。

(80)
ぶっぽう む が おお そうろ おも
一 ^▼ 仏 法 には無我と 仰 せられ 候 ふ。 われと 思 ふことはいささかあるまじきこと
ひと しょうにん ご ばつ おんことばそうろ
なり。 われはわろしとおもふ 人 なし。 これ 聖 人 (親鸞) の御 罰 なりと、 御 詞 候 ふ
た りき おん そうろ そうろ む が
。 他 力 の 御 すすめにて 候 ふ。 ゆめゆめわれといふことはあるまじく 候 ふ。 無我と
ぜんじゅうしょうにん おお そうろ
いふこと、 前 住 上 人 (実如) もたびたび 仰 せられ 候 ふ。

(81)
ひ ぜん ぢ しき と
一 ^▼「▲日ごろしれるところを 善 知 識 にあひて問へば*徳分あるなり」 (*浄土見聞集・意)。
と とくぶん しゅしょう れんにょしょうにんおお
しれるところを問へば 徳 分 あるといへるが 殊 勝 のことばなりと、 蓮 如 上 人 仰
そうろ し と しゅしょう おお
せられ 候 ふ。 知らざるところを問はばいかほど 殊 勝 なることあるべきと 仰 せられ
そうろ
候 ふ。
(82)
ちょうもん もう たいりゃく ほうもん ひと
一 ^▼ 聴 聞 を 申 すも 大 略 わがためとはおもはず、 ややもすれば* 法 文 の 一 つを
ひと おお そうろ
もききおぼえて、 人 に*うりごころあるとの 仰 せごとにて 候 ふ。

(83)
いっしん き にょらい み だ
一 ^▼ 一 心 にたのみたてまつる機は、 如 来 のよくしろしめすなり。 弥陀のただしろ
しんちゅう みょう が ぞん そうろ ぎ
しめすやうに 心 中 をもつべし。 冥 加を*おそろしく 存 ずべきことにて 候 ふとの義
そうろ
に 候 ふ。

(84)
ぜんじゅうしょうにん おお そうろ ぜんぜんじゅう ご そうぞく ぎ べつ
一 ^▼ 前 住 上 人 (実如) 仰 せられ 候 ふ。 前 々 住 (蓮如) より御 相 続 の義 は * 別
ぎ み だ いちねん ぎ べつ ぎ そうろ ご
義なきなり。 ただ弥陀たのむ 一 念 の義よりほかは 別 義なく 候 ふ。 これよりほか御
ぞん じ そうろ ご せいごん おお そうろ
存 知なく 候 ふ。 いかやうの御 誓 言 もあるべきよし 仰 せられ 候 ふ。

(85)
おお そうろ ぼん ぶ おうじょう いちねん ぶつ な
一 ^▼おなじく 仰 せられ 候 ふ。 * 凡 夫 往 生 、 ただたのむ 一 念 にて 仏 に成らぬこ
ご せいごん おお しょう こ な も あ み だ ぶつ じっぽう
とあらば、 いかなる御 誓 言 をも 仰 せらるべき。 証 拠は南無阿弥陀 仏 なり。 十 方 の
しょぶつ しょうにん そうろ
諸 仏 、 証 人 にて 候 ふ。

(86)
れんにょしょうにんおお そうろ もの おお そうろ もの もう
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 物 をいへいへと 仰 せられ 候 ふ。 物 を 申 さぬもの
おお そうろ しん ふ しん もの おお そうろ もの
はおそろしきと 仰 せられ 候 ふ。 * 信 不 信 ともに、 ただ 物 をいへと 仰 せられ 候 ふ。 物 を
もう しんてい ひと なお もの もう おお そうろ
申 せば 心 底 もきこえ、 また 人 にも 直 さるるなり。 ただ 物 を 申 せと 仰 せられ 候 ふ。

(87)
れんにょしょうにんおお そうろ ぶっぽう ふし
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 仏 法 は、 つとめの* 節 はかせもしらでよくする
おも ふし おお きょうもんぼう おお
と 思 ふなり。 つとめの 節 わろきよしを 仰 せられ、 慶 聞 坊 をいつも*とりつめ 仰 せ
そうろ れんにょしょうにんおお そうろ いっこう
られつるよしに 候 ふ。 それにつきて 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 * 一 向 にわろき
ひと ちが おお
人 は 違 ひなどといふこともなし。 ただわろきまでなり。 わろしとも 仰 せごともなき
ほう ぎ ちが ちが
なり。 法 義をもこころにかけ、 ちとこころえもあるうへの 違 ひが、 ことのほかの 違 ひ
おお そうろ そうろ
なりと 仰 せられ 候 ふよしに 候 ふ。

(88)
ひと もう かご みず い そうろ
一 ^▼ 人 のこころえのとほり 申 されけるに、 わがこころはただ 篭 に 水 を入れ 候 ふ
ぶっぽう お ざ しき ぞん そうろ
やうに、 仏 法 の御座 敷 にてはありがたくもたふとくも 存 じ 候 ふが、 やがてもとの
しんちゅう そうろ もう そうろ ぜんぜんじゅうしょうにん おお
心 中 になされ 候 ふと、 申 され 候 ふところに、 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ
そうろ かご みず み ほう おお そうろ
候 ふ。 その 篭 を 水 につけよ、 わが身をば 法 に*ひてておくべきよし 仰 せられ 候 ふ
そうろ
よしに 候 ふ。
ばん じ しん ぜん ぢ しき おお しん
^▼ 万 事 信 なきによりてわろきなり。 善 知 識 のわろきと 仰 せらるるは、 信 のなきこと
おお そうろ そうろ
を*くせごとと 仰 せられ 候 ふことに 候 ふ。

(89)
しょうぎょう はいけんもう おが せん れんにょしょうにん
一 ^▼ 聖 教 を 拝 見 申 すも、 * うかうかと 拝 みまうすはその 詮 なし。 蓮 如 上 人 は、
しょうぎょう おお そうろ ひゃっぺん ぎり う
ただ 聖 教 をば*くれくれと 仰 せられ 候 ふ。 また 百 遍 これをみれば*義理おのづから得
もう こころ しょうぎょう く めん
ると 申 すこともあれば、 心 をとどむべきことなり。 聖 教 は*句 面 のごとくこころうべ
し でん く ごう わたくし え しゃく
し。 そのうへにて*師 伝 *口 業 はあるべきなり。 * 私 にして会 釈 することしかるべ

からざることなり。

(90)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ た りきしんじん た りきしんじん
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 他 力 信 心 他 力 信 心 とみれば、 あや
おお そうろ
まりなきよし 仰 せられ 候 ふ。

(91)
おも どくかくしん しん ぶつ
一 ^▼わればかりと 思 ひ、 * 独 覚 心 なること、 あさましきことなり。 信 あらば 仏 の
じ ひ おも そうろ そくこう
慈悲 をうけとりまうすうへは、 わればかりと 思 ふことはあるまじく 候 ふ。 ▲ 触 光
にゅうなん がん そうろ こころ えんがく どくかく
柔 軟 の 願 (第三十三願) 候 ふときは、 心 もやはらぐべきことなり。 されば 縁 覚 は 独 覚
ぶつ な
のさとりなるがゆゑに、 仏 に成らざるなり。

(92)
いっ く いちごん もう おも もの もう しん
一 ^▼ 一 句 一 言 も 申 すものは、 われと 思 ひて 物 を 申 すなり。 信 のうへはわれはわ
おも ほうしゃ おも ひと もう
ろしと 思 ひ、 また 報 謝 と 思 ひ、 ありがたさのあまりを 人 にも 申 すことなるべし。

(93)
しん ひと しん もう もの
一 ^▼ 信 もなくて、 人 に 信 をとられよとられよと 申 すは、 われは 物 をもたずして
ひと もの こころ ひと しょういん ぜんじゅうしょう
人 に 物 をとらすべきといふの 心 なり。 人 、 * 承 引 あるべからずと、 前 住 上
にん もう じゅんせい おお そうら じ しんきょうにんしん そうろ とき
人 (蓮如) 申 さると 順 誓 に 仰 せられ 候 ひき。 「▲自 信 教 人 信 」 (礼讃) と 候 ふ 時
しんじんけつじょう ひと おし ぶっとん そうろ じ しん
は、 まづわが 信 心 決 定 して、 人 にも 教 へて 仏 恩 になるとのことに 候 ふ。 自 身
あんじんけつじょう おし だい ひ でん ぷ け どう り
の 安 心 決 定 して 教 ふるは、 すなはち 「 ▲ 大 悲 伝 普化」 (礼讃) の 道 理なるよし、 お
おお そうろ
なじく 仰 せられ 候 ふ。

(94)
れんにょしょうにんおお そうろ しょうぎょう しょうぎょう しょうぎょう
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 聖 教 よみの 聖 教 よまずあり、 聖 教
しょうぎょう いちもん じ ひと しょうぎょう ちょうもん
よまずの 聖 教 よみあり。 一 文 字 をもしらねども、 人 に 聖 教 をよませ 聴 聞
しん しょうぎょう しょうぎょう しょうぎょう
させて 信 をとらするは、 聖 教 よまずの 聖 教 よみなり。 聖 教 をばよめども
しんじつ ほう ぎ しょうぎょう しょうぎょう おお
、 真 実 によみもせず 法 義 もなきは、 聖 教 よみの 聖 教 よまずなりと 仰 せられ
そうろ
候 ふ。

じ しんきょうにんしん どう り おお そうろ
^*自 信 教 人 信 の 道 理なりと 仰 せられ 候 ふこと。

(95)
しょうぎょう ぶっぽう もう そうろ あまにゅうどう
一 ^▼ 聖 教 よみの、 仏 法 を 申 したてたることはなく 候 ふ。 * 尼 入 道 のたぐひ
もう そうろ ひと しん ぜんぜんじゅうしょう
のたふとやありがたやと 申 され 候 ふをききては、 人 が 信 をとると、 前 々 住 上
にん おお そうろ そうろ ぶつ か び りき あま
人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふよしに 候 ふ。 なにもしらねども、 仏 の*加備 力 のゆゑに 尼
にゅうどう ひと しん しょうぎょう
入 道 などのよろこばるるをききては、 人 も 信 をとるなり。 聖 教 をよめども、 *
みょうもん こころ ほう ひと しんよう
名 聞 がさきにたちて 心 には 法 なきゆゑに、 人 の 信 用 なきなり。

(96)
れんにょしょうにんおお そうろ とうりゅう そうたい せ けん き ぶっぽう
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 当 流 には、 * 総 体 、 *世 間 機わろし。 仏 法 の
おお そうろ うんぬん
うへよりなにごともあひはたらくべきことなるよし 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(97)
おお そうろ せ けん じ ぎ ひと
一 ^▼おなじく 仰 せられ 候 ふ。 世 間 にて、 *時宜しかるべきはよき 人 なりといへど
しん こころ たよ かた め こし
も、 信 なくは* 心 をおくべきなり。 * 便 りにもならぬなり。 たとひ* 片 目つぶれ、 腰 を
そうろ しんじん ひと おも おお
ひき 候 ふやうなるものなりとも、 信 心 あらん 人 をばたのもしく 思 ふべきなりと 仰
そうろ
せられ 候 ふ。

(98)
きみ おも おも ぜん ぢ しき おお したが しん ごくらく
一 ^▼* 君 を 思 ふはわれを 思 ふなり。 善 知 識 の 仰 せに 随 ひ 信 をとれば、 極 楽 へ

まゐるものなり。

(99)
く おんごう ひさ ぶつ あ み だ ぶつ かり か ご ほうべん せいがん
一 ^▼久 遠 劫 より 久 しき 仏 は阿弥陀 仏 なり。 仮 に*果後の 方 便 によりて 誓 願 をま

うけたまふことなり。

(100)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ み だ ひと な も あ み だ ぶつ
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 弥陀をたのめる 人 は、 南無阿弥陀 仏
み おお そうろ うんぬん みょう が ぞん
に*身をばまるめたることなりと 仰 せられ 候 ふと 云 々 。 いよいよ 冥 加を 存 ずべき
そうろ
のよしに 候 ふ。

(101)
たん ご ほうげん れんのう い しょう ぜんぜんじゅうしょうにん ご ぜん し こう
一 ^▼* 丹 後 法 眼 蓮 応 衣 装 ととのへられ、 前 々 住 上 人 の御 前 に * 伺 候
そうら とき おお そうろ ころも おん な も あ み だ ぶつ おお
候 ひし 時 、 仰 せられ 候 ふ。 衣 のえりを 御 たたきありて、 南無阿弥陀 仏 よと 仰
そうろ ぜんじゅうしょうにん おん な も あ み だ ぶつ
せられ 候 ふ。 また 前 住 上 人 (実如) は 御 たたみをたたかれ、 南無阿弥陀 仏 にもた
おお そうら な も あ み だ ぶつ み おお そうろ
れたるよし 仰 せられ 候 ひき。 南無阿弥陀 仏 に身をばまるめたると 仰 せられ 候 ふと
ふ ごうもう そうろ
*符 合 申 し 候 ふ。

(102)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ ぶっぽう こと そら
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 仏 法 のうへには、 事 ごとにつきて 空
ぞん そうろ そうろ ゆ だん
おそろしきことと 存 じ 候 ふべく 候 ふ。 ただよろづにつきて油 断 あるまじきことと
ぞん そうら おりおり おお そうろ うんぬん ぶっぽう あ す もう
存 じ 候 へのよし、 折 々 に 仰 せられ 候 ふと 云 々 。 ▼ 仏 法 には明日と 申 すことあ
そうろ ぶっぽう おお そうろ
るまじく 候 ふ。 仏 法 のことはいそげいそげと 仰 せられ 候 ふなり。

(103)
おお きょう ひ おも おお そうろ
一 ^▼おなじく 仰 せに、 今日の日はあるまじきと 思 へと 仰 せられ 候 ふ。 なにごと
もの ご さ た そうろ そうろ おんきら
もかきいそぎて 物 を御沙汰 候 ふよしに 候 ふ。 ながながしたることを 御 嫌 ひのよ
そうろ ぶっぽう あ す きょう しょうがん
しに 候 ふ。 仏 法 のうへには、 明日のことを今日するやうにいそぎたること、 * 賞 翫

なり。

(104)
おお しょうにん ご えい もう だい じ むかし
一 ^▼おなじく 仰 せにいはく、 聖 人 (親鸞) の*御 影 を 申 すは 大 事のことなり。 昔
ご ほんぞん ござ しん ご ばつ こうむ おお
は御 本 尊 よりほかは御座なきことなり。 信 なくはかならず御 罰 を 蒙 るべきよし 仰 せら
そうろ
れ 候 ふ。

(105)
じ せつとうらい ようじん こと い そうろ じ せつ
一 ^▼時 節 到 来 といふこと、 用 心 をもしてそのうへに 事 の出でき 候 ふを、 時 節
とうらい ぶ ようじん い そうろ じ せつとうらい
到 来 とはいふべし。 無 用 心 にて出 でき 候 ふを時 節 到 来 とはいはぬことなり
ちょうもん こころ しゅくぜん む しゅくぜん しんじん
。 聴 聞 を 心 がけてのうへの 宿 善 ・無 宿 善 ともいふことなり。 ただ 信 心 はき
おお そうろ
くにきはまることなるよし 仰 せのよし 候 ふ。

(106)
ぜんぜんじゅうしょうにん ほうきょう たい おお そうろ
一 ^▼ 前 々 住 上 人 、 (蓮如) 法 敬 に 対 して 仰 せられ 候 ふ。 まきたてといふも
し ほうきょう ご へん じ もう いち ど ま て
の知りたるかと。 法 敬 御 返 事に、 まきたてと 申 すは 一 度たねを播きて*手をささぬ
そうろ もう そうろ おお ひと
ものに 候 ふと 申 され 候 ふ。 仰 せにいはく、 それぞ、 まきたてわろきなり。 人 に
なお おも こころ しんちゅう もう ひと なお そうら
直 されまじきと 思 ふ 心 なり。 心 中 をば 申 しいだして 人 に 直 され 候 はでは
こころ え なお しん おお
、 心 得の 直 ることあるべからず。 まきたてにては 信 をとることあるべからずと 仰 せ
そうろ うんぬん
られ 候 ふ 云 々 。

(107)
なに ひと なお そうろ しんちゅう も しんちゅう どう
一 ^▼ 何 ともして 人 に 直 され 候 ふやうに 心 中 を持つべし。 わが 心 中 をば 同
ぎょう う げ ひと もち
行 のなかへ打ちいだしておくべし。 *下としたる 人 のいふことをば 用 ゐずしてかなら
ふくりゅう ひと なお しんちゅう も
ず* 腹 立 するなり。 あさましきことなり。 ただ 人 に 直 さるるやうに 心 中 を持つべき
ぎ そうろ
義に 候 ふ。

(108)
ひと ぜんぜんじゅうしょうにん もう そうろ いちねん ところけつじょう そうろ
一 ^▼ 人 の、 前 々 住 上 人 (蓮如) へ 申 され 候 ふ。 一 念 の 処 決 定 にて 候 ふ
ぜん ぢ しき おん ぞん そうろ もう そうら
。 ややもすれば、 善 知 識 の 御 ことばをおろそかに 存 じ 候 ふよし 申 され 候 へば
おお そうろ しん そうぎょう こころ
、 仰 せられ 候 ふは、 もつとも 信 のうへは* 崇 仰 の 心 あるべきなり。 さりながら
ぼん ぶ こころ しんちゅう とき もったい
、 凡 夫の 心 にては、 かやうの 心 中 のおこらん 時 は 勿 体 なきこととおもひすつべ
おお うんぬん
しと 仰 せられしと 云 々 。

(109)
れんにょしょうにん けんえん たい おお そうろ き かわ
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 兼 縁 に 対 せられ 仰 せられ 候 ふ。 たとひ*木の 皮 をきるいろめな
み だ いちねん おお そうろ
りとも、 *なわびそ。 ただ弥陀をたのむ 一 念 をよろこぶべきよし 仰 せられ 候 ふ。
(110)
ぜんぜんじゅうしょうにんおお そうろ じょう げ ろうにゃく ご しょう ゆ だん
一 ^▼ 前 々 住 上 人 仰 せられ 候 ふ。 上 下 老 若 によらず、 後 生 は油 断 にて
おお そうろ
しそんずべきのよし 仰 せられ 候 ふ。

(111)
ぜんぜんじゅうしょうにん おんくち おんわずら そうろ おん め
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 御 口 のうち 御 煩 ひ 候 ふに、 をりふし 御 目 をふさ
おお そうろ ひと しん おも み
がれ、 ああ、 と 仰 せられ 候 ふ。 人 の 信 なきことを 思 ふことは、 身をきりさくやう
おお そうろ そうろ
にかなしきよと 仰 せられ 候 ふよしに 候 ふ。

(112)
おお ひと き ひと ぶっぽう おん き
一 ^▼おなじく 仰 せに、 われは 人 の機を*かがみ、 人 にしたがひて 仏 法 を 御 聞かせ
そうろ おお そうろ ひと もう
候 ふよし 仰 せられ 候 ふ。 いかにも 人 のすきたることなど 申 させられ、 うれしや
ぞん そうろ ぶっぽう おお そうろ ご ほうべん
と 存 じ 候 ふところに、 また 仏 法 のことを 仰 せられ 候 ふ。 いろいろ御 方 便 にて
ひと ほう おん き そうら そうろ
、 人 に 法 を 御 聞かせ 候 ひつるよしに 候 ふ。

(113)
ぜんぜんじゅうしょうにんおお そうろ ひとびと ぶっぽう しん
一 ^▼ 前 々 住 上 人 仰 せられ 候 ふ。 人 々 の 仏 法 を 信 じてわれによろこばせ
おも しん じ しん しょうとく しん
んと 思 へり。 それはわろし。 信 をとれば自 身 の* 勝 徳 なり。 さりながら、 信 をとら
おん おん おお そうろ き
ば、 恩 にも 御 うけあるべきと 仰 せられ 候 ふ。 また、 聞きたくもなきことなりとも、
しん おお そうろ
まことに 信 をとるべきならば、 きこしめすべきよし 仰 せられ 候 ふ。

(114)
おお いちにん しん み す
一 ^▼おなじく 仰 せに、 まことに 一 人 なりとも 信 をとるべきならば、 身を捨てよ。 そ
おお そうろ
れはすたらぬと 仰 せられ 候 ふ。

(115)
おお そうろ ご もん と こころ え なお おい しわ
一 ^▼あるとき 仰 せられ 候 ふ。 御 門 徒の 心 得を 直 すときこしめして、 * 老 の 皺 を
そうろ おお そうろ
のべ 候 ふと 仰 せられ 候 ふ。
(116)
ご もん と しゅう おんたず そうろ ぼう ず こころ え なお
一 ^▼ある御 門 徒 衆 に 御 尋 ね 候 ふ。 そなたの 坊 主、 心 得の 直 りたるをうれし
ぞん おんたず そうら もう そうろ こころ え なお ほう ぎ
く 存 ずるかと 御 尋 ね 候 へば、 申 され 候 ふ。 まことに 心 得 を 直 され、 法 義 を
こころ そうろ いちだん ぞん そうろ もう そうろ
心 にかけられ 候 ふ。 一 段 ありがたくうれしく 存 じ 候 ふよし 申 され 候 ふ。 そ
ときおお そうろ おも おお そうろ
の 時 仰 せられ 候 ふ。 われはなほうれしく 思 ふよと 仰 せられ 候 ふ。

(117)
わざ ぶっぽう たいくつつかまつ そうろ こころ
一 ^▼をかしき*事態をもさせられ、 仏 法 に 退 屈 仕 り 候 ふものの 心 をもくつろ
き うしな ほう おお そうろ ぜんぎょう
げ、 その気をも 失 はして、 またあたらしく 法 を 仰 せられ 候 ふ。 まことに* 善 巧
ほうべん
方 便 、 ありがたきことなり。

(118)
てんのう じ つちとう え ぜんぜんじゅうしょうにん ご らんそうら おお そうろ
一 ^▼* 天 王 寺 土 塔 会、 前 々 住 上 人 (蓮如) 御 覧 候 ひて 仰 せられ 候 ふ。 あれ
ひと じ ごく ふ びん おぼ め そうろ おお そうろ
ほどのおほき 人 ども地 獄 へおつべしと、 *不 便 に 思 し召し 候 ふよし 仰 せられ 候 ふ
ご もん と ひと ぶつ な おお そうろ
。 またそのなかに御 門 徒の 人 は 仏 に成るべしと 仰 せられ 候 ふ。 これまたありがた
おお そうろ
き 仰 せにて 候 ふ。

れんにょしょうにん ご いちだい き ききがき


ほん
蓮如 上 人御一代*記聞書 本

れんにょしょうにん ご いちだい き ききがき


まつ
蓮如 上 人御一代*記聞書 末

(119)
ぜんぜんじゅうしょうにん ご ほうだん い ご し ご にん ご きょうだい おお そうろ
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (* 蓮如) 御 法 談 以後 、 四五 人 の * 御 兄 弟 へ 仰 せられ 候 ふ
し ご にん しゅう より あ だんごう ご にん ご にん い ぎょう
。 四五 人 の 衆 * 寄 合ひ 談 合 せよ。 かならず五 人 は五 人 ながら*意 巧 にきくものなるあ
だんごう おお そうろ
ひだ、 よくよく 談 合 すべきのよし 仰 せられ 候 ふ。

(120)
ひともう そうら とう ざ りょうしょう とう ざ
一 ^▼* たとひなきことなりとも、 人 申 し 候 はば、 * 当 座 領 掌 すべし。 当 座 に
ことば かえ ひと ようじん
詞 を 返 せば、 ふたたびいはざるなり。 人 のいふことをばただふかく* 用 心 すべきな
ひと もう けいやくそうら
り。 これにつきてある 人 、 あひたがひにあしきことを 申 すべしと、 * 契 約 候 ひしと
いちにん もう ぞん
ころに、 すなはち 一 人 のあしきさまなること 申 しければ、 われはさやうに 存 ぜざれども
ひと もう そうろ もう へんとう そうろ
、 人 の 申 すあひださやうに 候 ふ と 申 す。 さればこの 返 答 あしきとのことに 候 ふ。
とう ざ もう
さなきことなりとも、 当 座はさぞと 申 すべきことなり。

(121)
いっしゅう はんじょう もう ひと い
一 ^▼ 一 宗 の 繁 昌 と 申 すは、 人 のおほくあつまり、 *威のおほきなることにては
そうろ いちにん ひと しん いっしゅう はんじょう そうろ
なく 候 ふ。 一 人 なりとも、 人 の 信 をとるが、 一 宗 の 繁 昌 に 候 ふ。 しかれば、
せんじゅしょうぎょう はんじょう ゆいてい ねんりき じょう
「▲ 専 修 正 行 の 繁 昌 は 遺 弟 の 念 力 より 成 ず」 (*報恩講私記) とあそばされおか
そうろ
れ 候 ふ。

(122)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ ちょうもん こころ い おも
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 聴 聞 * 心 に入 れまうさんと 思 ふ
ひと しん おも ひと ごくらく き
人 はあり、 信 をとらんずると 思 ふ 人 なし。 されば 極 楽 はたのしむと聞きて、 まゐら
ねが ひと ぶつ な み だ ひと ぶつ な おお そうろ
んと 願 ひのぞむ 人 は 仏 に成らず、 弥陀をたのむ 人 は 仏 に成ると 仰 せられ 候 ふ。

(123)
しょうぎょう ひと し そん ぶっぽうしゃ
一 ^▼ 聖 教 を*すきこしらへもちたる 人 の子 孫 には、 仏 法 者 いでくるものなり。
ぶっぽう そうろ ひと
ひとたび 仏 法 をたしなみ 候 ふ 人 は、 おほやうなれどもおどろきやすきなり。

(124)
お ふみ にょらい じきせつ ぞん そうろ かたち ほうねん
一 ^▼ 御 文 は 如 来 の * 直 説 なりと 存 ずべきのよしに 候 ふ。 ▲ 形 をみれば * 法 然
ことば き みだ じきせつ
、 詞 を聞けば弥陀の 直 説 といへり。

(125)
れんにょしょうにん ご びょうちゅう きょうもん もの おお そうろ
一 ^▼ 蓮 如 上 人 御 病 中 に、 * 慶 聞 に、 なんぞ 物 をよめと 仰 せられ 候 ふと
お ふみ もう そうろ おお そうろ
き、 御 文 をよみまうすべきかと 申 され 候 ふ。 さらばよみまうせと 仰 せられ 候 ふ
さんつう に ど ろっぺん おお そうろ
。 三 通 二度 づつ 六 遍 よませられて 仰 せられ 候 ふ。 わがつくりたるものなれども
しゅしょう おお そうろ
、 殊 勝 なるよと 仰 せられ 候 ふ。

(126)
じゅんせいもう うんぬん つね うしろごと
一 ^▼* 順 誓 申 されしと 云 々 。 常 にはわがまへにてはいはずして、 * 後 言 いふと
ふくりゅう ぞん そうろ もう
て 腹 立 することなり。 われはさやうには 存 ぜず 候 ふ。 わがまへにて 申 しにくく
もう き しんちゅう もう
は、 かげにてなりともわがわろきことを 申 されよ。 聞きて 心 中 をなほすべきよし 申
そうろ
され 候 ふ。

(127)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ ぶっぽう おぼ め そうら
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 仏 法 のためと 思 し召し 候 へば、 な
ご しんろう ご しんろう おぼ め おお そうろ おん こころ
にたる御 辛 労 をも御 辛 労 とは 思 し召されぬよし 仰 せられ 候 ふ。 御 * 心 まめにて
ご さ た そうろ
、 なにごとも御沙汰 候 ふよしなり。

(128)
ほう せ けん み さい ぶっぽう み さい こころ
一 ^▼ 法 には*あらめなるがわろし。 *世 間 には微 細 なるといへども、 仏 法 には微 細 に 心
こころ おお そうろ
をもち、 こまかに 心 をはこぶべきよし 仰 せられ 候 ふ。

(129)
どう り どう り とうだい ぶっぽう
一 ^▼とほきはちかき 道 理、 ちかきはとほき 道 理あり。 灯 台 もとくらしとて、 仏 法
ふ だんちょうもんもう み ご ゆう あつ おも ほう ぎ
を*不 断 聴 聞 申 す身は、 *御 用 を 厚 くかうぶりて、 いつものことと 思 ひ、 法 義にお
そうろ ひと ぶっぽう たいせつ
ろそかなり。 とほく 候 ふ 人 は、 仏 法 をききたく 大 切 にもとむるこころありけり
ぶっぽう たいせつ
。 仏 法 は 大 切 にもとむるよりきくものなり。

(130)
き はじ しん
一 ^▼ひとつことを聞きて、 いつもめづらしく* 初 めたるやうに、 信 のうへにはあるべ
めずら おも ちょうもんもう
きなり。 ただ 珍 しきことをききたく 思 ふなり。 ひとつことをいくたび 聴 聞 申 すと
はじ
も、 めづらしく 初 めたるやうにあるべきなり。

(131)
どうしゅう ひと おんことば ちょうもんもう はじ
一 ^▼* 道 宗 は、 ただ 一 つ 御 詞 をいつも 聴 聞 申 すが、 初 めたるやうにありが
もう そうろ
たきよし 申 され 候 ふ。

(132)
ねんぶつもう ひと みょうもん おも たい ぎ
一 ^▼ 念 仏 申 すも、 人 の* 名 聞 げにおもはれんと 思 ひてたしなむが* 大 儀なるよ
ひともう そうろ つね ひと しんちゅう そうろ
し、 ある 人 申 され 候 ふ。 常 の 人 の 心 中 にかはり 候 ふこと。

(133)
どうぎょうどうりょ め みょうりょ みょうけん ぞん
一 ^▼ 同 行 同 侶 の目 をはぢて * 冥 慮 をおそれず。 ただ * 冥 見 をおそろしく 存

ずべきことなり。

(134)
しょう ぎ ちょう じ そうろ せ
一 ^▼たとひ* 正 義たりとも、 *しげからんことをば 停 止すべきよし 候 ふ。 まして世
けん ぎ ちょう じ そうら ぞうじょう しんじん そうろ
間 の儀 停 止 候 はぬことしかるべからず。 いよいよ 増 長 すべきは 信 心 にて 候

ふ。

(135)
れんにょしょうにんおお そうろ ぶっぽう こころ おん
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 仏 法 には*まゐらせ 心 わろし。 これをして 御
こころ かな おも こころ ぶっぽう ほうしゃ ぞん うん
心 に 叶 はんと 思 ふ 心 なり。 仏 法 のうへはなにごとも 報 謝 と 存 ずべきなりと 云
ぬん
々 。

(136)
ひと み げん に び ぜっ しん い ろくぞく ぜんしん
一 ^▼ 人 の身には* 眼 ・耳・鼻・ 舌 ・ 身 ・意の* 六 賊 ありて 善 心 をうばふ。 これは
しょぎょう ねんぶつ ぶっ ち こころ とんじん ち ぼんのう
諸 行 のことなり。 念 仏 はしからず。 * 仏 智の 心 をうるゆゑに、 * 貪 瞋 痴の 煩 悩 を
ぶつ かた せつ な け とんじんぼんのうちゅう のうしょうしょうじょう
ば 仏 の 方 より 刹 那に消したまふなり。 ゆゑに 「▲ 貪 瞋 煩 悩 中 能 生 清 浄
がんおうじょうしん しょうしん げ ひ にょにっこう ふ うん む うん む し げ
願 往 生 心 」 (*散善義) といへり。 「 正 信 偈」 には、 「▲譬 如 日 光 覆 雲 霧 雲 霧之下
みょう む あん
明 無 闇 」 といへり。

(137)
いっ く いちごん ちょうもん え て ほう き しん
一 ^▼ 一 句 一 言 を 聴 聞 するとも、 ただ*得手に 法 を聞くなり。 ただよくきき、 心
ちゅう どうぎょう だんごう うんぬん
中 のとほりを 同 行 にあひ 談 合 すべきことなりと 云 々 。

(138)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ かみ ぶつ な て
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 神 にも 仏 にも馴れては、 ▼手ですべき
あし おお にょらい しょうにん ぜん ぢ しき な
ことを 足 にてするぞと 仰 せられける。 如 来 ・ 聖 人 (*親鸞)・ 善 知 識 にも馴れまうす
おん おも な かつごう こころ
ほど 御 こころやすく 思 ふなり。 馴れまうすほどいよいよ* 渇 仰 の 心 をふかくはこぶ
おお そうろ
べきこともつともなるよし 仰 せられ 候 ふ。

(139)
くち み じ こころ ね
一 ^▼ 口 と身 のはたらきとは似 するものなり。 * 心 根 がよくなりがたきものなり。 *
がいぶん こころ かた たしな うんぬん
涯 分 、 心 の 方 を 嗜 みまうすべきことなりと 云 々 。

(140)
い しょうとう もの おも ふ
一 ^▼衣 装 等 にいたるまで、 わが 物 と 思 ひ踏みたたくること*あさましきことなり
しょうにん ご ゆうもつ そうろ ぜんぜんじゅうしょうにん め もの おん
。 ことごとく 聖 人 の*御 用 物 にて 候 ふあひだ、 前 々 住 上 人 は召し 物 など 御
あし そうら おん そうろ うけたまわ そうろ
足 にあたり 候 へば、 御 いただき 候 ふよし 承 りおよび 候 ふ。

(141)
おうぼう ひたい ぶっぽう ないしん たくわ おお そうろ
一 ^▼ 王 法 は * 額 にあてよ、 仏 法 は 内 心 にふかく 蓄 へよとの 仰 せに 候 ふ。 *
じん ぎ ただしく そうろ
仁 義といふことも、 * 端 正 あるべきことなるよしに 候 ふ。

(142)
れんにょしょうにん ご じゃくねん ご めいわく そうら ご だい
一 ^▼ 蓮 如 上 人 御 若 年 のころ、 御* 迷 惑 のことにて 候 ひし。 ただ *御 代 にて
ぶっぽう おお おぼ め そうろ ご ねんりきひと ご はんじょうそうろ ご
仏 法 を * 仰 せたてられんと 思 し召 し 候 ふ御 念 力 一 つにて御 繁 昌 候 ふ。 御
しんろう そうろ
辛 労 ゆゑに 候 ふ。

(143)
ご びょうちゅう れんにょしょうにんおお そうろ ご だい ぶっぽう ぜ ひ ご さいこう
一 ^▼ 御 病 中 に 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 御 代 に 仏 法 を是非とも御* 再 興
おぼ め そうろ ご ねんりきひと こころ
あらんと 思 し召し 候 ふ御 念 力 一 つにて、 かやうにいままでみなみな 心 やすくあ
ほう し みょう が かな ご じ さん うんぬん
ることは、 *この 法 師が 冥 加に 叶 ふによりてのことなりと御自 讃 ありと 云 々 。

(144)
ぜんぜんじゅうしょうにん むかし そうろ しろ こ そで おん
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) は、 昔 は * こぶくめをめされ 候 ふ。 白 小 袖 とて 御
こころ め そうろ おん ご ざ そうろ そうろ おん
心 やすく召され 候 ふ 御 ことも御座なく 候 ふよしに 候 ふ。 いろいろ 御 かなしか
おりおりおんものがた そうろ いまいま うけたまわ
りけることども、 折 々 御 物 語 り 候 ふ。 今 々 のものはさやうのことを 承 り
そうら みょう が ぞん おお そうろ
候 ひて、 冥 加を 存 ずべきのよしくれぐれ 仰 せられ 候 ふ。

(145)
ご めいわく あぶら そうら ご ようきゃく きょう
一 ^▼よろづ御 迷 惑 にて、 油 をめされ 候 はんにも御* 用 脚 なく、 やうやう 京
くろ き おん そうら しょうぎょう ご らんそうろ そうろ
の* 黒 木をすこしづつ 御 とり 候 ひて、 聖 教 など御 覧 候 ふよしに 候 ふ。 また
しょうしょう つき ひかり しょうぎょう そうろ おんあし みず
少 々 は 月 の 光 にても 聖 教 を*あそばされ 候 ふ。 御 足 をもたいがい 水 にて
おんあら そうろ に さんにち ご ぜん そうら そうろ うけたまわ
御 洗 ひ 候 ふ。 また二 三 日 も御 膳 まゐり 候 はぬことも 候 ふよし 承 りおよ
そうろ
び 候 ふ。

(146)
ひと め そうら ようどう
一 ^▼ 人 をも*かひがひしく召しつかはれ 候 はであるうへは、 幼 童 の*むつきをもひ
おんあら そうろ おお そうろ
とり 御 洗 ひ 候 ふなどと 仰 せられ 候 ふ。

(147)
ぞんにょしょうにん め そうろ こ もの おんやと そうら め そうろ
一 ^▼* 存 如 上 人 召しつかはれ 候 ふ*小 者 を、 御 雇 ひ 候 ひて召しつかはれ 候
そうろ ぞんにょしょうにん ひと ご にん め そうろ れんにょしょうにん ご
ふ よしに 候 ふ 。 存 如 上 人 は 人 を五 人 召 しつ かはれ 候 ふ 。 * 蓮 如 上 人 御
いんきょ とき ご にん め そうろ とう じ ご よう こころ
隠 居 の 時 も、 五 人 召しつかはれ 候 ふ。 * 当 時は御 用 とて 心 のままなること、 そら
み ぞん そうろ
おそろしく、 身もいたくかなしく 存 ずべきことにて 候 ふ。

(148)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ むかし ぶつぜん し こう ひと もと
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 昔 は 仏 前 に伺 候 の 人 は、 本 は *
かみぎぬ ふく き そうろ しろ こ そで けっ く しょ じ そうろ
紙 絹 に 輻 をさし着 候 ふ。 いまは 白 小 袖 にて、 * 結 句きがへを 所 持 候 ふ。 これその
きん り ご めいわく しち ご よう そうろ ひ
ころは* 禁 裏にも御 迷 惑 にて、 質 をおかれて御 用 にさせられ 候 ふと、 *引きごとに
ご さ た そうろ
御沙汰 候 ふ。

(149)
おお そうろ おんまず そうら きょう ふる わた おん そうら
一 ^▼また 仰 せられ 候 ふ。 御 貧 しく 候 ひて、 京 にて 古 き 綿 を 御 とり 候 ひて
おんひと り そうろ おんころも やぶ そうろ しろ
、 御 一 人ひろげ 候 ふことあり。 また 御 衣 はかたの 破 れたるをめされ 候 ふ。 白
おん こ そで み の ぎぬ ひと そうろ おお そうろ
き 御 小 袖 は美濃 絹 のわろきをもとめ、 やうやう 一 つめされ 候 ふよし 仰 せられ 候
とう じ そうら ぞん そうろ
ふ。 当 時はかやうのことをもしり 候 はで、 あるべきやうにみなみな 存 じ 候 ふほど
みょう が いちだい じ
に、 冥 加につきまうすべし。 一 大 事なり。

(150)
どうぎょう ぜん ぢ しき しんごん ざっしゅ しつ
一 ^▼ 同 行 ・ 善 知 識 にはよくよくちかづくべし。 「 ▲ 親 近 せざるは 雑 修 の 失 な
らいさん な おも
り」 と ¬* 礼 讃 ¼ (意) にあらはせり。 あしきものにちかづけば、 それには馴れじと 思 へども
あく じ ぶっぽうしゃ な おお そうろ ぞくてん
、 悪 事*よりよりにあり。 ただ 仏 法 者 には馴れちかづくべきよし 仰 せられ 候 ふ。 * 俗 典 に
ひと ぜんあく ちか なら ひと とも
いはく、 「 人 の 善 悪 は 近 づき 習 ふによる」 と、 また 「その 人 をしらんとおもはば、 その 友
ぜんにん てき あくにん とも
をみよ」 といへり。 「 善 人 の 敵 とはなるとも、 悪 人 を 友 とすることなかれ」 といふことあり

(151)
あお もの
一 ^▼「*きればいよいよかたく、 仰 げばいよいよたかし」 といふことあり。 物 をきり
ほんがん しん しゅしょう しんじん
てみてかたきとしるなり。 本 願 を 信 じて 殊 勝 なるほどもしるなり。 信 心 おこりぬ
ぞうじょう
れば、 たふとくありがたく、 よろこびも 増 長 あるなり。

(152)
ぼん ぶ み ご しょう やす おも なんちゅう し
一 ^▼ 凡 夫の身にて後 生 たすかることは、 ただ 易 きとばかり 思 へり。 「▲ 難 中 之
なん かた しん ぶっ ち え じょうじゅ
難 」 (*大経・下) とあれば、 * 堅 くおこしがたき 信 なれども、 仏 智より得やすく 成 就 し
おうじょう いちだい じ ぼん ぶ
たまふことなり。 「 ▲ 往 生 ほどの 一 大 事 、 凡 夫 のはからふべきにあらず」 (* 執持鈔
ぜんじゅうしょうにん おお ご しょういちだい じ ぞん ひと ご どうしん
(2)) といへり。 前 住 上 人 (実如) 仰 せに、 後 生 一 大 事と 存 ずる 人 には御 同 心 あ
おお そうろ うんぬん
るべきよし 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(153)
ぶっせつ しんぼう と しん ほう
一 ^▼ 仏 説 に* 信 謗 あるべきよし説きおきたまへり。 信 ずるものばかりにて 謗 ずる
ひと と おも ほう
人 なくは、 説きおきたまふこといかがとも 思 ふべきに、 はや 謗 ずるものあるうへは
しん おうじょうけつじょう おお そうろ
、 信 ぜんにおいてはかならず 往 生 決 定 との 仰 せに 候 ふ。

(154)
どうぎょう みょうもん しん ひと り い
一 ^▼ 同 行 のまへにてはよろこぶものなり、 これ 名 聞 なり。 信 のうへは 一 人居
ほう
てよろこぶ 法 なり。
(155)
ぶっぽう せ けん か せ けん ひま ほう
一 ^▼ 仏 法 には*世 間 のひまを闕きてきくべし。 世 間 の 隙 をあけて 法 をきくべきや
おも ぶっぽう あ す
うに 思 ふこと、 あさましきことなり。 仏 法 には明日といふことはあるまじきよしの
おお そうろ だいせん せ かい ひ ぶつ み な
仰 せに 候 ふ。 「▲たとひ 大 千 世 界 に みてらん火をもすぎゆきて 仏 の御名をきく
ふ たい わ さん そうろ
ひとは ながく不 退 にかなふなり」 と、 ¬和 讃 ¼ (*浄土和讃) にあそばされ 候 ふ。

(156)
ほうきょうもう そうろ うんぬん ひとより あ ぞうだん ひと
一 ^▼* 法 敬 申 され 候 ふと 云 々 。 人 寄 合ひ、 雑 談 ありしなかばに、 ある 人 ふ
ざ しき た そうろ しょうにん おお いちだい じ きゅうよう た
と座 敷 を立 たれ 候 ふ。 * 上 人 いかにと 仰 せければ、 一 大 事 の 急 用 ありとて立
のち せんじつ た そうろ と もう そうろ
たれけり。 その 後 、 先 日 はいかにふと立たれ 候 ふやと問ひければ、 申 され 候 ふ
ぶっぽう ものがたり やくそくもう そうろ
。 仏 法 の 物 語 、 約 束 申 したるあひだ、 *あるもあられずしてまかりたち 候 ふよし
もう そうろ ほう ぎ こころ そうろ もう そうろ
申 され 候 ふ。 法 義にはかやうにぞ 心 をかけ 候 ふべきことなるよし 申 され 候 ふ

(157)
ぶっぽう せ けん まろうど ぶっぽう せ けん
一 ^▲ 仏 法 をあるじとし、 世 間 を 客 人 とせよといへり。 仏 法 のうへよりは、 世 間 のこ
とき うんぬん
とは 時 にしたがひあひはたらくべきことなりと 云 々 。

(158)
ぜんぜんじゅうしょうにん みなみどの ぞんかく ご さくぶん しょうぎょう ふ しん
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 、 * 南 殿 にて、 * 存 覚 * 御 作 分 の 聖 教 ちと不 審 な
ところ そうろ けんえん ぜんぜんじゅうしょうにん おん め そうら
る 所 の 候 ふを、 いかがとて、 * 兼 縁 、 前 々 住 上 人 へ 御 目 にかけられ 候 へ
おお そうろ めいじん そうろ もの お
ば、 仰 せられ 候 ふ。 名 人 のせられ 候 ふ 物 をばそのままにて置くことなり。 これ
めい よ おお そうろ
が 名 誉なりと 仰 せられ 候 ふなり。

(159)
ぜんぜんじゅうしょうにん ひともう そうろ かいさん おんとき もう
一 ^▼ 前 々 住 上 人 へある 人 申 され 候 ふ。 開 山 (親鸞) の 御 時 のこと 申 され
そうろ し さい そうろ もう おお そうろ
候 ふ。 これはいかやうの*子 細 にて 候 ふと 申 されければ、 仰 せられ 候 ふ。 われ
かいさん そうろ
もしらぬことなり。 なにごともなにごともしらぬことをも、 開 山 のめされ 候 ふやう
ご さ た そうろ おお そうろ
に御沙汰 候 ふと 仰 せられ 候 ふ。

(160)
そうたい ひと おも こころ こころ せ けん もの
一 ^▼* 総 体 、 人 にはおとるまじきと 思 ふ 心 あり。 この 心 にて世 間 には 物 を*し
ぶっぽう む が そうろ ひと しん り
ならふなり。 仏 法 には無我にて 候 ふうへは、 人 にまけて 信 をとるべきなり。 *理を
じょう お ぶつ お じ ひ おお そうろ
みて* 情 を折るこそ、 仏 の御慈悲よと 仰 せられ 候 ふ。

(161)
いっしん み だ にょらい ぶっしん
一 ^▼ 一 心 とは、 弥陀 をたのめ ば 如 来 の 仏 心 とひとつになしたまふ がゆゑに
いっしん
、 一 心 といへり。

(162)
ひともう そうろ うんぬん い みず の ぶっぽう ご ゆう
一 ^▼ある 人 申 され 候 ふと 云 々 。 われは井 の 水 を飲 むも、 仏 法 の御 用 なれば
みず ひとくち にょらい しょうにん ご ゆう ぞん そうろ もう そうろ
、 水 の 一 口 も、 如 来 ・ 聖 人 (親鸞) の御 用 と 存 じ 候 ふよし 申 され 候 ふ。

(163)
れんにょしょうにん ご びょうちゅう おお そうろ ご じ しん おぼ め た
一 ^▼ 蓮 如 上 人 御 病 中 に 仰 せられ 候 ふ。 御自 身 なにごとも 思 し召 し立 ち
そうろ な な ひと しん
候 ふことの、 成りゆくほどのことはあれども、 成らずといふことなし。 人 の 信 なき
おん おぼ め おお そうろ
ことばかりかなしく 御 なげきは 思 し召しのよし 仰 せられ 候 ふ。

(164)
おお おぼ め ご さ た しょうにん ご いち
一 ^▼ おなじく 仰 せに、 なにごとをも 思 し召 すままに御沙汰 あり。 聖 人 の御 一
りゅう ご さいこうそうら ほんどう ご えいどう ご じゅう じ ご そうぞく
流 をも御 再 興 候 ひて、 本 堂 ・御 影 堂 をもたてられ、 御* 住 持をも*御 相 続 あり
おおざかどの ご こんりゅう ご いんきょそうろ こう な な と
て 、 * 大 坂 殿 を御 建 立 ありて御 隠 居 候 ふ。 しかれば、 われは 「 ▼ 功 成 り名遂 げ
み しりぞ てん みち おん み おお
て身 退 くは 天 の 道 なり」 (*老子) といふこと、 それ 御 身のうへなるべきよし 仰 せられ
そうろ
候 ふと。
(165)
てき じん ひ ひ おも ひと おん
一 ^▼ 敵 の 陣 に火をともすを、 火にてなきとは 思 はず。 いかなる 人 なりとも、 * 御 こ
もう おんことば しんこう うけたまわ
とばのとほりを 申 し、 御 詞 をよみまうさば、 信 仰 し、 承 るべきことなりと。

(166)
れんにょしょうにん おりおりおお そうろ ぶっぽう ぎ ひと と もの
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 折 々 仰 せられ 候 ふ。 仏 法 の義をばよくよく 人 に問へ。 物 を
ひと と おお そうろ と
ば 人 によく問ひまうせのよし 仰 せられ 候 ふ。 たれに問ひまうすべきよしうかがひま
ぶっぽう じょう げ と ぶっぽう
うしければ、 * 仏 法 だにもあらば、 上 下をいはず問ふべし。 仏 法 はしりさうもなき
し おお そうろ うんぬん
ものが知るぞと 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(167)
れんにょしょうにん む もん き おん そうろ しゅしょう
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 無 紋 のものを着ることを 御 きらひ 候 ふ。 殊 勝 さうにみゆる
おお そうろ すみ くろ ころも き そうろ おん そうろ すみ くろ
との 仰 せに 候 ふ。 また、 墨 の 黒 き 衣 を着 候 ふを 御 きらひ 候 ふ。 墨 の 黒 き
ころも き ご しょ おお そうろ え もん しゅしょう おんそう おん い
衣 を着 て、 御 所 へまゐれば 仰 せられ 候 ふ。 衣 紋 ただしき 殊 勝 の 御 僧 の 御 出
そうろ おお そうら しゅしょう み だ ほんがんしゅ
で 候 ふと、 仰 せられ 候 ひて、 いやわれは 殊 勝 にもなし。 ただ弥陀 の 本 願 殊
しょう おお そうろ
勝 なるよし 仰 せられ 候 ふ。

(168)
おおざかどの もん おん こ そで ご ざ か
一 ^▼ 大 坂 殿 にて、 紋 のある 御 小 袖 をさせられ、 *御座のうへに掛けられておかれ
そうろ そうろ
候 ふよしに 候 ふ。

(169)
ご ぜん そうろ とき おんがっしょう にょらい しょうにん ご ゆう
一 ^▼御 膳 まゐり 候 ふ 時 には、 御 合 掌 ありて、 如 来 ・ 聖 人 (親鸞) の御 用 にて
き く おお そうろ
*衣食ふよと 仰 せられ 候 ふ。

(170)
ひと ふ だん
一 ^▼ 人 はあがりあがりて*おちばをしらぬなり。 ただつつしみて不 断 そらおそろし
まい じ こころ おお そうろ
きことと、 毎 事につけて 心 をもつべきのよし 仰 せられ 候 ふ。
(171)
おうじょう いちにん いちにんいちにんぶっぽう しん ご しょう
一 ^▼ 往 生 は 一 人 の*しのぎなり。 一 人 一 人 仏 法 を 信 じて後 生 をたすかるこ
おも み えんにょおお
となり。 よそごとのやうに 思 ふことは、 *かつはわが身をしらぬことなりと、 * 円 如 仰
そうら
せ 候 ひき。

(172)
おおざかどの ひと ぜんぜんじゅうしょうにん もう そうろ こんちょうあかつき
一 ^▼ 大 坂 殿 にて、 ある 人 、 前 々 住 上 人 (蓮如) に 申 され 候 ふ。 今 朝 暁
お そうろ そうろ じんぺん もう そうら
より老 いたるものにて 候 ふがまゐられ 候 ふ。 * 神 変 なることなるよし 申 され 候 へば 、
おお そうろ しん しんろう しん ぶっとん
やがて 仰 せられ 候 ふ。 信 だにあれば 辛 労 とはおもはぬなり。 信 のうへは 仏 恩
ほうしゃ ぞん そうら く ろう おも おお うんぬん ろうしゃ もう
報 謝 と 存 じ 候 へば、 苦 労 とは 思 はぬなりと 仰 せられしと 云 々 。 老 者 と 申 すは*
た がみ りょうしゅう うんぬん
田上の 了 宗 なりと 云 々 。

(173)
みなみどの ひとびとより あ しんちゅう ぜんぜん
一 ^▼ 南 殿 にて 人 々 寄 合ひ、 心 中 をなにかと*あつかひまうすところへ、 前 々
じゅうしょうにんおん い そうら おお そうろ
住 上 人 御 出で 候 ひて 仰 せられ 候 ふ。 なにごとをいふぞ。 ただなにごとのあ
おも いっしん み だ うたがい おうじょう ぶつ
つかひも 思 ひすてて、 一 心 に弥陀を 疑 なくたのむばかりにて、 往 生 は 仏 のか
さだ しょう な も あ み だ ぶつ
たより 定 めましますぞ。 その 証 は南無阿弥陀 仏 よ。 このうへはなにごとをかあつか
おお そうろ ふ しん もう た じ ご いちごん
ふべきぞと 仰 せられ 候 ふ。 もし不 審 などを 申 すにも、 *多事をただ御 一 言 にてはら
ふ しん そうら うんぬん
りと不 審 はれ 候 ひしと 云 々 。

(174)
ぜんぜんじゅうしょうにん むらすずめ みみ
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如)、 「おどろかすかひこそなけれ* 村 雀 耳 なれぬれば*
うた おん ひ おりおりおお そうろ ひと みみ
なるこにぞのる」、 この 歌 を 御 引きありて 折 々 仰 せられ 候 ふ。 ただ 人 はみな 耳
すずめ おお うんぬん
なれ 雀 なりと 仰 せられしと 云 々 。

(175)
しんちゅう おも ひと しん おも ひと
一 ^▼ 心 中 をあらためんとまでは 思 ふ 人 はあれども、 信 をとらんと 思 ふ 人 はな
おお そうろ
きなりと 仰 せられ 候 ふ。

(176)
れんにょしょうにんおお そうろ ほうべん
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 方 便 をわろしといふことはあるまじきなり
ほうべん しんじつ はいりゅう ぎ みだ しゃ か ぜん ぢ しき
。 方 便 をもつて 真 実 をあらはす * 廃 立 の義 よくよくしるべし。 弥陀 ・ 釈 迦 ・ 善 知 識 の
ぜんぎょうほうべん しんじつ しん おお そうろ うんぬん
善 巧 方 便 によりて、 真 実 の 信 をばうることなるよし 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(177)
お ふみ ぼん ぶ おうじょう かがみ お ふみ ほうもん おも
一 ^▼御 文 はこれ 凡 夫 往 生 の 鏡 なり。 御 文 のうへに 法 門 あるべきやうに 思 ふ
ひと おお あやま うんぬん
人 あり。 大 きなる 誤 りなりと 云 々 。

(178)
しん ぶっとん しょうみょう たいてん こころ
一 ^▼ 信 のうへは 仏 恩 の 称 名 * 退 転 あるまじきことなり。 あるいは 心 よりた
ぞん ぶっとん おも ねんぶつ もう そうろ
ふとくありがたく 存 ずるをば 仏 恩 と 思 ひ、 ただ 念 仏 の 申 され 候 ふをば、 それほ
おも おお あやま ねんぶつ もう そうろ ぶっ
どに 思 はざること、 大 きなる 誤 りなり。 おのづから 念 仏 の 申 され 候 ふこそ、 仏
ち おん ぶっとん しょうみょう おお そうろ
智の 御 もよほし、 仏 恩 の 称 名 なれと 仰 せごとに 候 ふ。

(179)
れんにょしょうにんおお そうろ しん おも もう ねんぶつ
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 信 のうへは、 たふとく 思 ひて 申 す 念 仏 も、
もう ねんぶつ ぶっとん た しゅう おや
またふと 申 す 念 仏 も* 仏 恩 にそなはるなり。 他 宗 には 親 のため、 またなにのため
ねんぶつ しょうにん ご いちりゅう み だ ねんぶつ
なんどとて 念 仏 をつかふなり。 聖 人 (親鸞) の御 一 流 には弥陀をたのむが 念 仏 な
しょうみょう ぶっとん おお そうろ うん
り。 そのうへの 称 名 は、 なにともあれ 仏 恩 になるものなりと 仰 せられ 候 ふ 云

ぬん
々 。

(180)
ひと ぜんぜんじゅうしょうにん おんとき みなみどの ひと はち
一 ^▼ある 人 いはく、 前 々 住 上 人 (蓮如) の 御 時 、 南 殿 とやらんにて、 人 、 蜂
ころ そうろ おも ねんぶつもう そうろ とき おも ねんぶつ
を 殺 し 候 ふに、 * 思 ひよらず 念 仏 申 され 候 ふ。 その 時 なにと 思 うて 念 仏 をば
もう おお そうら ぞん もう そうろ もう
申 したると 仰 せられ 候 へば、 ただ*かわいやと 存 ずるばかりにて 申 し 候 ふと 申
おお そうろ しん ねんぶつもう ほうしゃ ぎ
されければ、 仰 せられ 候 ふは、 信 のうへはなにともあれ、 念 仏 申 すは 報 謝 の義と
ぞん ぶっとん おお そうろ
存 ずべし。 みな 仏 恩 になると 仰 せられ 候 ふ。

(181)
みなみどの ぜんぜんじゅうしょうにん う おん い そうろ
一 ^▼ 南 殿 にて、 前 々 住 上 人 (蓮如) 、 * のうれんを打 ちあげられて 御 出 で 候
な も あ み だ ぶつ な も あ み だ ぶつ おお そうら ほうきょう こころ
ふとて、 南無阿弥陀 仏 南無阿弥陀 仏 と 仰 せられ 候 ひて、 法 敬 この 心 しりたる
おお そうろ ぞん もう そうら おお そうろ
かと 仰 せられ 候 ふ。 なにとも 存 ぜずと 申 され 候 へば、 仰 せられ 候 ふ。 これは
おん そうろ おん もう こころ おお そうろ うんぬん
われは 御 たすけ 候 ふ、 御 うれしやたふとやと 申 す 心 よと 仰 せられ 候 ふ 云 々 。

(182)
れんにょしょうにん ひとあんじん もう そうろ さいこく ひと うんぬん
一 ^▼ 蓮 如 上 人 へ、 ある 人 安 心 のとほり 申 され 候 ふ。 西 国 の 人 と 云 々
あんじん ひととお もう そうら おお そうろ もう そうろ しんちゅう
安 心 の* 一 通 りを 申 され 候 へば、 仰 せられ 候 ふ。 申 し 候 ふごとくの 心 中 に
そうら かんよう おお そうろ
候 はば、 それが* 肝 要 と 仰 せられ 候 ふ。

(183)
おお そうろ とう じ あんじん もう
一 ^▼おなじく 仰 せられ 候 ふ。 当 時ことばにては 安 心 のとほりおなじやうに 申 さ
そうら しん じ じょう ひと まぎ おうじょう
れ 候 ひし。 しかれば、 * 信 治 定 の 人 に 紛 れて、 往 生 をしそんずべきことをかな
おぼ め そうろ おお そうろ
しく 思 し召し 候 ふよし 仰 せられ 候 ふ。

(184)
しん そうろ ひと そうろ
一 ^▼ 信 のうへは*さのみわろきことはあるまじく 候 ふ。 あるいは 人 のいひ 候 ふ
そうろ こん ど しょう じ けっ く あんらく
などとて、 あしきことなどはあるまじく 候 ふ。 今 度 生 死の* 結 句をきりて、 安 楽
しょう おも ひと おお
に 生 ぜんと 思 はん 人 、 いかんとして * あしきさまなることをすべきやと 仰 せられ
そうろ
候 ふ。

(185)
おお ぶっぽう おお そうろ ほうきょう たい
一 ^▼ 仰 せにいはく、 仏 法 をばさしよせていへいへと 仰 せられ 候 ふ。 法 敬 に 対
おお そうろ しんじん あんじん ぐ ち もん じ しんじん
し 仰 せられ 候 ふ。 信 心 ・ 安 心 といへば、 愚痴のものは 文 字もしらぬなり。 信 心
あんじん べつ おも ぼん ぶ ぶつ な
・ 安 心 などいへば、 別 のやうにも 思 ふなり。 ただ 凡 夫の 仏 に成ることををしふべし
ご しょう み だ ぐ ち しゅじょう
。 後 生 たすけたまへと弥陀 をたのめといふべし。 なにたる愚痴 の 衆 生 なりとも
き しん とうりゅう ほうもん おお
、 聞 きて 信 をとるべし。 当 流 には、 これよりほかの 法 門 はなきなりと 仰 せられ
そうろ
候 ふ。

あんじんけつじょうしょう じょう ど ほうもん だいじゅうはち がん


^¬* 安 心 決 定 鈔 ¼ (本) にいはく、 「▲ 浄 土の 法 門 は、 第 十 八 の 願 をよくよく

こころうるのほかにはなきなり」 といへり。

お ふみ いっしんいっこう ぶつ もう しゅじょう
^しかれば、 御 文 には 「▲ 一 心 一 向 に 仏 たすけたまへと 申 さん 衆 生 をば、 たとひ
ざいごう じんじゅう み だ にょらい
罪 業 は 深 重 なりとも、 かならず弥陀 如 来 はすくひましますべし。 これすなはち
だいじゅうはち ねんぶつおうじょう せいがん こころ
第 十 八 の 念 仏 往 生 の 誓 願 の 意 なり」 といへり。

(186)
しん しん おお そうろ ぜん ぢ しき
一 ^▼ 信 をとらぬによりてわろきぞ。 ただ 信 をとれと 仰 せられ 候 ふ。 善 知 識 のわ
おお しん おお ぜんぜんじゅう
ろきと 仰 せられけるは、 信 のなきことをわろきと 仰 せらるるなり。 しかれば、 前 々 住
しょうにん ひと ごん ご どうだん おお そうろ ひともう
上 人 (蓮如)、 ある 人 を、 * 言 語 道 断 わろきと 仰 せられ 候 ふところに、 その 人 申
そうろ ぎょ い ぞん そうろ もう そうら おお
され 候 ふ。 なにごとも * 御 意 のごとくと 存 じ 候 ふと 申 され 候 へば、 仰 せられ
そうろ しん おお そうろ うんぬん
候 ふ。 *ふつとわろきなり。 信 のなきはわろくはなきかと 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(187)
れんにょしょうにんおお そうろ おんこころ
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 ▼なにたることをきこしめしても、 御 心 には*
かな
ゆめゆめ 叶 はざるなりと。
いちにん ひと しん おん おお
^▼ 一 人 なりとも 人 の 信 をとりたることをきこしめしたきと、 御 ひとりごとに 仰 せ
そうろ ご いっしょう ひと しん おぼ め そうろ おお そうろ
られ 候 ふ。 御 一 生 は、 人 に 信 をとらせたく 思 し召され 候 ふよし 仰 せられ 候

ふ。
(188)
しょうにん ご りゅう いちねん かんよう
一 ^▼ 聖 人 (親鸞) の御 流 はたのむ 一 念 のところ 肝 要 なり。 ゆゑに、 たのむとい
だいだい そうら
ふことをば 代 々 あそばしおかれ 候 へども、 くはしくなにとたのめといふことをしら
ぜんぜんじゅうしょうにん ご だい お ふみ おんつく そうら ぞうぎょう
ざりき。 しかれば、 前 々 住 上 人 の御 代 に、 御 文 を 御 作 り 候 ひて、 「▲ 雑 行
ご しょう いっしん み だ
をすてて、 後 生 たすけたまへと 一 心 に弥陀をたのめ」 と、 あきらかにしらせられ
そうろ ご さいこう しょうにん
候 ふ。 しかれば、 御 再 興 の 上 人 にてましますものなり。

(189)

一 ^▼よきことをしたるがわろきことあり、 わろきことをしたるがよきことあり。 よ
ほう ぎ おも
きことをしても、 われは 法 義につきてよきことをしたると 思 ひ、 *われといふことあれ
しんちゅう ほんがん き
ばわろきなり。 あしきことをしても、 心 中 をひるがへし 本 願 に帰すれば、 わろきこ
どう り おお そうろ しょうにん
とをしたるがよき 道 理になるよし 仰 せられ 候 ふ。 しかれば、 蓮如 上 人 は、 まゐ
こころ おお うんぬん
らせ 心 がわろきと 仰 せらるると 云 々 。

(190)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ おも ぶん す もの
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 思 ひよらぬものが 分 に過 ぎて 物 を
いだ そうら ひと し さい おも ひと いだ
出 し 候 はば、 一 子 細 あるべきと 思 ふべし。 わが*こころならひに 人 よりものを 出
おも よう とき ひと おお
せばうれしく 思 ふほどに、 なんぞ 用 をいふべき 時 は、 人 がさやうにするなりと 仰 せ
そうろ
られ 候 ふ。

(191)
ゆ ふ ひと
一 ^▼行くさきむかひばかりみて、 あしもとをみねば、 *踏みかぶるべきなり。 人 のう
み いちだい じ おお
へばかりみて、 わが身 のうへのことを * たしなまずは、 一 大 事 たるべきと 仰 せられ
そうろ
候 ふ。

(192)
ぜん ぢ しき おお な おも おお
一 ^▼ 善 知 識 の 仰 せなりとも、 成るまじなんど 思 ふは、 大 きなるあさましきことな
な おお な ぞん ぼん ぶ み ぶつ
り。 成らざることなりとも、 仰 せならば成るべきと 存 ずべし。 この 凡 夫の身が 仏 に
な ぞん どうしゅう おうみ うみ
成るうへは、 *さてあるまじきと 存 ずることあるべきか。 しかれば 道 宗 、 *近江の 湖
ひと り おお そうろ かしこ もう そうろ おお
を 一 人 してうめよと 仰 せ 候 ふとも、 * 畏 まりたると 申 すべく 候 ふ。 仰 せにて
そうら な もう そうろ
候 はば、 成らぬことあるべきかと 申 され 候 ふ。

(193)
いた いし いた みず みず いし うが
一 ^▼「* 至 りてかたきは 石 なり、 至 りてやはらかなるは 水 なり、 水 よく 石 を* 穿 つ
しんげん てっ ぼ だい かくどう じょう ふる ことば
、 * 心 源 もし 徹 しなば*菩 提 の 覚 道 なにごとか 成 ぜざらん」 といへる 古 き 詞 あり。
ふ しん ちょうもん こころ い お じ ひ そうろ しん
いかに不 信 なりとも、 聴 聞 を 心 に入れまうさば、 御慈悲にて 候 ふあひだ、 信 を
ぶっぽう ちょうもん うんぬん
うべきなり。 ただ 仏 法 は 聴 聞 にきはまることなりと 云 々 。

(194)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ しんけつじょう ひと
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 信 決 定 の 人 をみて、 あのごとくな
おも おお そうろ おも
らではと 思 へばなるぞと 仰 せられ 候 ふ。 あのごとくになりてこそと* 思 ひすつるこ
ぶっぽう み こころ しん う
と、 あさましきことなり。 仏 法 には身をすててのぞみもとむる 心 より、 信 をば得る
うんぬん
ことなりと 云 々 。

(195)
ひと み
一 ^▼ 人 のわろきことはよくよくみゆるなり。 わが身のわろきことは*おぼえざるも
み み
のなり。 わが身 にしられてわろきことあらば、 よくよくわろければこそ身 にしられ
そうろ しんちゅう ひと しんよう
候 ふとおもひて、 心 中 をあらたむべし。 ただ 人 のいふことをばよく 信 用 すべし。
おお そうろ
わがわろきことはおぼえざるものなるよし 仰 せられ 候 ふ。

(196)
せ けん ものがたり ざ しき けっ く ほう ぎ
一 ^▼世 間 の 物 語 ある座 敷 にては、 * 結 句 法 義のことをいふこともあり。 さやう
だん ひと こころ ゆ だん こうだん
の * 段 は * 人 なみたるべし。 心 には油 断 あるべからず。 あるいは * 講 談 、 または
ぶっぽう さんだん とき いっこう もの おお ちが ぶっぽう
仏 法 の * 讃 嘆 などいふ 時 、 一 向 に 物 をいはざること 大 きなる 違 ひなり。 仏 法
さんだん とき しんちゅう しん ふ しん ぎ だんごう
讃 嘆 とあらん 時 は、 いかにも 心 中 をのこさず、 あひたがひに 信 不 信 の義、 談 合
もう うんぬん
申 すべきことなりと 云 々 。

(197)
かねがもり ぜんじゅう ひともう そうろ つれづれ おん
一 ^▼ 金 森 の* 善 従 に、 ある 人 申 され 候 ふ。 *このあひだ、 *さこそ* 徒 然 に 御
い そうら もう ぜんじゅうもう そうろ み はちじゅう
入り 候 ひつらんと 申 しければ、 善 従 申 され 候 ふ。 わが身は 八 十 にあまるま
つれづれ み だ ご おん ぞん わ
で 徒 然 といふことをしらず。 そのゆゑは、 弥陀の御 恩 のありがたきほどを 存 じ、 和
さん しょうぎょうとう はいけんもう そうら こころ じゅうまん
讃・ 聖 教 等 を 拝 見 申 し 候 へば、 心 おもしろくも、 またたふときこと 充 満
つれづれ そうろ もう そうろ そうろ
するゆゑに、 徒 然 なることも*さらになく 候 ふと 申 され 候 ふよしに 候 ふ。

(198)
ぜんじゅうもう そうろ ぜんじゅうしょうにん おお そうろ ひと ぜん
一 ^▼ 善 従 申 され 候 ふとて、 前 住 上 人 (実如) 仰 せられ 候 ふ。 ある 人 、 善
じゅう しゅくしょ ゆ そうろ くつ ぬ そうら ぶっぽう もう
従 の 宿 所 へ行き 候 ふところに、 履 をも脱ぎ 候 はぬに、 仏 法 のこと 申 しかけ
そうろ ひともう そうろ くつ そうら
られ 候 ふ。 またある 人 申 され 候 ふは、 履 をさへぬがれ 候 はぬに、 いそぎかやう
おお そうろ ひともう ぜんじゅうもう そうろ い いき
にはなにとて 仰 せ 候 ふぞと、 人 申 しければ、 善 従 申 され 候 ふは、 出づる 息 は
い うき よ くつ し きょそうら そうろ
入るをまたぬ* 浮 世なり。 もし 履 をぬがれぬまに死 去 候 はば、 いかが 候 ふべきと
もう そうろ ぶっぽう いそ もう おお そうろ
申 され 候 ふ。 ただ 仏 法 のことをば、 さし 急 ぎ 申 すべきのよし 仰 せられ 候 ふ。

(199)
ぜんぜんじゅうしょうにん ぜんじゅう おお そうろ の むらどの ご
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 、 善 従 のことを 仰 せられ 候 ふ。 いまだ *野 村 殿 御
ぼう さ た かみ な もり くに げ こう こし そうら
坊 、 その沙汰もなきとき、 * 神 無 森 をとほり 国 へ下 向 のとき、 輿 よりおりられ 候
の むらどの かた ぶっぽう もう
ひて、 野 村 殿 の 方 をさして、 この * とほりにて 仏 法 がひらけまうすべしと 申 され
そうら ひとびと とし もう そうろ もう
候 ひし。 人 々 、 これは 年 よりてかやうのことを 申 され 候 ふなど 申 しければ、 つ
ご ぼう ご こんりゅう ご はんじょうそうろ ふ し ぎ おお そうら ぜん
ひに*御 坊 御 建 立 にて御 繁 昌 候 ふ。 不思議のことと 仰 せられ 候 ひき。 また 善
じゅう ほうねん け しん せ じょう ひともう おお そうら
従 は 法 然 の化 身 なりと、 * 世 上 に 人 申 しつると、 おなじく 仰 せられ 候 ひき。
おうじょう はちがつ に じゅう ご にち そうろ
かの 往 生 は 八 月 *二 十 五 日 にて 候 ふ。

(200)
ぜんぜんじゅうしょうにん ひがしやま おん い そうら ご ざ そうろ
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) * 東 山 を * 御 出 で 候 ひて、 いづかたに御座 候 ふと
ひとぞん そうら ぜんじゅう たず ところ
も、 人 存 ぜず 候 ひしに、 この 善 従 あなたこなた 尋 ねまうされければ、 ある 所
おん め そうろ いちだん ご めいわく てい そうら ぜんぜんじゅう
にて 御 目 にかかられ 候 ふ。 * 一 段 *御 迷 惑 の 体 にて 候 ひつるあひだ、 前 々 住
しょうにん ぜんじゅう おぼ め そうら ぜんじゅうおん
上 人 にも*さだめて 善 従 かなしまれまうすべきと 思 し召され 候 へば、 善 従 御
め ぶっぽう もう そうろ
目 にかかられ、 あらありがたや、 *はや 仏 法 はひらけまうすべきよと 申 され 候 ふ。
ことば ふ ごうそうろ ぜんじゅう ふ し ぎ ひと れんにょしょうにんおお
つひにこの 詞 * 符 合 候 ふ。 善 従 は不思議 の 人 なりと、 蓮 如 上 人 仰 せられ
そうら しょうにん おお そうら
候 ひしよし、 上 人 (実如) 仰 せられ 候 ひき。

(201)
ぜんじゅうしょうにん せんねん だいえいさん れんにょしょうにん に じゅう ご ねん さんがつはじ
一 ^▼ 前 住 上 人 (実如) 、 先 年 * 大 永 三 、 蓮 如 上 人 *二 十 五 年 の 三 月 始 め
おんゆめ ご らんそうろ み どうじょうだんみなみ かた ぜんぜんじゅうしょうにん ご ざ そうら
ご ろ 、 御 夢 御 覧 候 ふ 。 御 堂 上 壇 南 の 方 に 前 々 住 上 人 御座 候 ひ て
むらさき おん こ そで そうろ ぜんじゅうしょうにん たい おお
、 紫 の 御 小 袖 をめされ 候 ふ。 前 住 上 人 (実如) へ 対 しまゐらせられ、 仰 せら
そうろ ぶっぽう さんだん だんごう さんだん おお そうろ
れ 候 ふ。 仏 法 は 讃 嘆 ・ 談 合 にきはまる。 よくよく 讃 嘆 すべきよし 仰 せられ 候
む そう おお そうら とし
ふ。 まことに*夢 想 ともいふべきことなりと 仰 せられ 候 ひき。 しかればその 年 、 こ
さんだん かんよう おお そうろ おお そうろ ぶっぽう ひと り
とに 讃 嘆 を 肝 要 と 仰 せられ 候 ふ。 それにつきて 仰 せられ 候 ふは、 仏 法 は 一 人
い よろこ ほう ひと り い ふた り より あ
居て 悦 ぶ 法 なり。 一 人居てさへたふときに、 まして 二 人 寄 合はばいかほどありが
ぶっぽう より あ より あ だんごうもう おお そうろ
たかるべき。 仏 法 をばただ 寄 合ひ 寄 合ひ 談 合 申 せのよし 仰 せられ 候 ふなり。

(202)
しんちゅう あらた そうら もう ひと あらた そうら もう
一 ^▼ 心 中 を 改 め 候 はんと 申 す 人 、 なにをかまづ 改 め 候 はんと 申 され
そうろ あらた おお そうろ
候 ふ。 よろづわろきことを 改 めてと、 かやうに 仰 せられ 候 ふ。 *いろをたて、 き
た もう あらた うんぬん ひと なお
はを立て 申 しいでて 改 むべきことなりと 云 々 。 なににてもあれ、 人 の 直 さるるを
なお おも もう なお おお
ききて、 われも 直 るべきと 思 うて、 わが*とがを 申 しいださぬは、 直 らぬぞと 仰 せら
そうろ うんぬん
れ 候 ふと 云 々 。

(203)
ぶっぽうだんごう もの もう しん こころ あん
一 ^▼ 仏 法 談 合 のとき 物 を 申 さぬは、 信 のなきゆゑなり。 わが 心 に*たくみ 案
もう おも もの こころ
じて 申 すべきやうに 思 へり。 よそなる 物 をたづねいだすやうなり。 心 にうれしきこ
かん かん ねつ ねつ こころ
とはそのままなるものなり。 寒 なれば 寒 、 熱 なれば 熱 と、 そのまま 心 のとほりを
ぶっぽう ざ しき もの もう ふ しん ゆ だん
いふなり。 仏 法 の座 敷 にて 物 を 申 さぬことは、 不 信 のゆゑなり。 また油 断 といふこと
しん さいさいどうぎょう より あ さんだんもう ゆ だん
も 信 のうへのことなるべし。 * 細 々 同 行 に 寄 合ひ 讃 嘆 申 さば、 油 断 はあるまじきの
そうろ
よしに 候 ふ。

(204)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ いっしんけつじょう み だ おん
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 一 心 決 定 のうへ、 弥陀の 御 たすけ
そうろ
ありたりといふは、 *さとりのかたにしてわろし。 たのむところにてたすけたまひ 候
れきぜん そうら おん おお
ふことは 歴 然 に 候 へども、 御 たすけあらうずというてしかるべきのよし 仰 せられ
そうろ うんぬん いちねん き みょう とき ふ たい くらい じゅう ふ たい みつやく
候 ふ 云 々 。 一 念 帰 命 の 時 、 不 退 の 位 に 住 す。 これ不 退 の * 密 益 なり、 こ
ね はんぶん おお そうろ うんぬん
れ*涅 槃 分 なるよし 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(205)
とくだい じ ゆいれんぼう せっしゅ ふ しゃ うん ご じ あ み だ
一 ^▼* 徳 大 寺の 唯 蓮 坊 、 摂 取 不 捨 の*ことわりをしりたきと、 * 雲 居寺の阿弥陀に
き せい む そう あ み だ ひと そで
*祈 誓 ありければ、 夢 想 に、 阿弥陀の*いまの 人 の 袖 をとらへたまふに、 にげけれども
せっしゅ
しかととらへてはなしたまはず。 摂 取 といふは、 にぐるものをとらへておきたまふや
おも ひ ごと おお そうろ
うなることと、 ここにて 思 ひつきたり。 これを引き 言 に 仰 せられ 候 ふ。

(206)
ぜんぜんじゅうしょうにん ご びょうちゅう けん よ けんえん ご ぜん し こう
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 御 病 中 に、 * 兼 誉 ・ * 兼 縁 御 前 に伺 候 して、 ある
ときたず そうろ みょう が そうろ もう
時 尋 ねまうされ 候 ふ。 冥 加 といふことはなにとしたることにて 候 ふと 申 せば
おお そうろ みょう が かな み だ おお そうろ
、 仰 せられ 候 ふ。 冥 加に 叶 ふといふは、 弥陀をたのむことなるよし 仰 せられ 候
うんぬん
ふと 云 々 。

(207)
ひと ぶっぽう もう ひと
一 ^▼ 人 に 仏 法 のことを 申 してよろこばれば、 われはそのよろこぶ 人 よりもなほ
おも ぶっ ち ぞん そうろ
たふとく 思 ふべきなり。 仏 智をつたへまうすによりて、 かやうに 存 ぜられ 候 ふこと
おも ぶっ ち おんかた ぞん ぎ そうろ
と 思 ひて、 * 仏 智の 御 方 をありがたく 存 ぜらるべしとの義に 候 ふ。

(208)
お ふみ ひと ちょうもん ほうしゃ ぞん いっ く いちごん しん
一 ^▼御 文 をよみて 人 に 聴 聞 させんとも、 報 謝 と 存 ずべし。 一 句 一 言 も* 信 の
もう ひと しんよう ほうしゃ
うへより 申 せば 人 の 信 用 もあり、 また 報 謝 ともなるなり。

(209)
れんにょしょうにんおお そうろ み だ こうみょう もの
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 弥陀の 光 明 は、 たとへばぬれたる 物 をほす
ひ ちから けつじょう
に、 うへより*ひて、 したまでひるごとくなることなり。 これは日の 力 なり。 決 定
こころ た りき ご しょ さ ざいしょう み だ おん け
の 心 おこるは、 これすなはち他 力 の*御 所 作なり。 罪 障 はことごとく弥陀の 御 消
おお そうろ うんぬん
しあることなるよし 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(210)
しんじん じ じょう ひと そうろ
一 ^▼ 信 心 治 定 の 人 はたれによらず、 まづみればすなはちたふとくなり 候 ふ。
ひと ぶっ ち み だ ぶっ ち
これその 人 のたふときにあらず。 仏 智をえらるるがゆゑなれば、 弥陀 仏 智のありがた
ぞん うんぬん
きほどを 存 ずべきことなりと 云 々 。

(211)
れんにょしょうにん ご びょうちゅう ときおお そうろ ご じ しん おぼ め
一 ^▼ 蓮 如 上 人 御 病 中 の 時 仰 せられ 候 ふ。 御自 身 なにごとも 思 し召しの
ご きょうだい ほか しん おぼ
こさるることなしと。 ただ御 兄 弟 のうち、 その 外 たれにも 信 のなきをかなしく 思
め そうろ せ けん おうじょう
し召し 候 ふ。 世 間 には*よみぢのさはりといふことあり。 われにおいては 往 生 すと
しん なげ おぼ め そうろ おお そうろ
もそれなし。 ただ 信 のなきこと、 これを 歎 かしく 思 し召し 候 ふと 仰 せられ 候 ふ

と。

(212)
れんにょしょうにん ひと ご しゅ くだ もの くだ
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 *あるいは 人 に御 酒 をも 下 され、 物 をも 下 されて、 かやうのこ
ぞん ちか そうら ぶっぽう おん そうろ
とどもありがたく 存 ぜさせ 近 づけさせられ 候 ひて、 仏 法 を 御 きかせ 候 ふ。 され
もの くだ そうろ しん おぼ め ほうしゃ
ばかやうに 物 を 下 され 候 ふことも、 信 をとらせらるべきためと 思 し召せば、 報 謝
おぼ め そうろ おお そうろ うんぬん
と 思 し召し 候 ふよし 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(213)
おお こころ え おも こころ え こころ え おも
一 ^▼おなじく 仰 せにいはく、 * 心 得たと 思 ふは 心 得ぬなり。 心 得ぬと 思 ふは
こころ え み だ おん おも こころ え
心 得たるなり。 弥陀の 御 たすけあるべきことのたふとさよと 思 ふが、 心 得たるな
すこ こころ え おも おお そうろ
り。 少 しも 心 得たると 思 ふことはあるまじきことなりと 仰 せられ 候 ふ。 されば
く でんしょう き み だ ぶっ ち
¬*口 伝 鈔 ¼ (4) にいはく、 「▲さればこの機のうへにたもつところの弥陀の 仏 智を*つ
ぼん ぶ おうじょう とくぶん
のらんよりほかは、 凡 夫いかでか 往 生 の* 得 分 あるべきや」 といへり。

(214)
か しゅうすごう がんしょう ぼう ず しょうぎょう そうろ しょうぎょう
一 ^▼加 州 菅生の * 願 生 、 * 坊 主 の 聖 教 をよまれ 候 ふをききて、 聖 教 は
しゅしょう そうら しん おん い そうろ おん い もう
殊 勝 に 候 へども、 * 信 が 御 入りなく 候 ふあひだ、 たふとくも 御 入りなきと 申 さ
そうろ ぜんぜんじゅうしょうにん れん ち ご
れ 候 ふ。 このことを 前 々 住 上 人 (蓮如) きこしめし、 * 蓮 智をめしのぼせられ、 御
ぜん ふ だんしょうぎょう ほう ぎ おお がんしょう
前 にて不 断 聖 教 をもよませられ、 法 義のことをも 仰 せきかせられて、 * 願 生 に
おお そうろ れん ち しょうぎょう ぶっぽう おお
仰 せられ 候 ふ。 蓮 智に 聖 教 をもよみならはせ、 仏 法 のことをも 仰 せきかせら
そうろ おお そうら くに おんくだ そうろ のち しょうぎょう
れ 候 ふよし 仰 せられ 候 ひて、 国 へ 御 下 し 候 ふ。 その 後 は 聖 教 をよまれ
そうら しゅしょう そうら そうろ そうろ
候 へば、 いまこそ 殊 勝 に 候 へとて、 ありがたがられ 候 ふよしに 候 ふ。

(215)
れんにょしょうにん ようしょう もの おお そうろ
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 幼 少 なるものには、 まづ 物 をよめと 仰 せられ 候 ふ。 また
のち ふく せん おお そうろ
その 後 は、 いかによむとも* 復 せずは* 詮 あるべからざるよし 仰 せられ 候 ふ。 ちと
もの こころ そうら もの しょう ぎ り
物 に 心 もつき 候 へば、 いかに 物 をよみ 声 をよくよみしりたるとも、 *義理をわき
おお そうろ のち もんしゃく おぼ しん
まへてこそと 仰 せられ 候 ふ。 その 後 は、 いかに* 文 釈 を 覚 えたりとも、 信 がなく
おお そうろ
は*いたづらごとよと 仰 せられ 候 ふ。

(216)
しんちゅう ひと ほうきょうぼう もう そうろ おんことば かく
一 ^▼ 心 中 のとほり、 ある 人 、 法 敬 坊 に 申 され 候 ふ。 * 御 詞 のごとくは* 覚
ご つかまつ そうら ゆ だん ぶ さ た そうろ もう
悟 仕 り 候 へども 、 ただ油 断 ・不沙汰 にて、 あさましきことのみに 候 ふと 申 さ
そうろ ときほうきょうぼうもう そうろ おんことば そうろ
れ 候 ふ。 その 時 法 敬 坊 申 され 候 ふ。 それは 御 詞 のごとくにてはなく 候 ふ
もったい もう そうろ おんことば ゆ だん ぶ さ た
。 * 勿 体 なき 申 されごとに 候 ふ。 御 詞 には、 油 断 ・不沙汰*なせそとこそ、 あそば
そうら もう そうろ うんぬん
され 候 へと 申 され 候 ふと 云 々 。

(217)
ほうきょうぼう ひと ふ しんもう そうろ ぶっぽう おんこころ い
一 ^▼ 法 敬 坊 に、 ある 人 *不 審 申 され 候 ふ。 これほど 仏 法 に 御 心 をも入れ
そうろ ほうきょうぼう に こう ふ しん ぎ そうろ もう そうら
られ 候 ふ 法 敬 坊 の *尼 公 の不 信 なる、 いかがの義 に 候 ふよし 申 され 候 へば
ほうきょうぼうもう そうろ ふ しん ちょうせき お ふみ そうろ
、 法 敬 坊 申 され 候 ふ。 不 審 さることなれども、 これほど 朝 夕 御 文 をよみ 候
おどろ しんちゅう ほうきょう もう ぶん き そうろ
ふに、 驚 きまうさぬ 心 中 が、 なにか 法 敬 が* 申 し 分 にて聞きいれ 候 ふべきと
もう そうろ うんぬん
申 され 候 ふと 云 々 。

(218)
じゅんせいもう そうろ ぶっぽう ものがたりもう もう そうろ だん
一 ^▼* 順 誓 申 され 候 ふ。 仏 法 の 物 語 申 すに、 * かげにて 申 し 候 ふ 段 は、
もう ぞん わき あせ そうろ ぜんぜんじゅう
なにたるわろきことをか 申 すべきと 存 じ、 脇 より 汗 たりまうし 候 ふ。 前 々 住
しょうにん きこ め もう とき おん
上 人 (蓮如) 聞 し召すところにて 申 す 時 は、 わろきことをばやがて 御 なほしあるべ
ぞん そうろ こころやす ぞん そうら もの もう そうろ そうろ
きと 存 じ 候 ふあひだ、 心 安 く 存 じ 候 ひて、 物 をも 申 され 候 ふよしに 候 ふ。

(219)
ぜんぜんじゅうしょうにんおお そうろ ふ しん いっこう かくべつ し
一 ^▼ 前 々 住 上 人 仰 せられ 候 ふ。 不 審 と 一 向 しらぬとは * 各 別 なり。 知 ら
ふ しん もう そうろ もの ふんべつ
ぬことをも不 審 と 申 すこと、 いはれなく 候 ふ。 物 を 分 別 して、 あれはなにと、 こ
ふ しん そうろ し さい もう
れはいかがなどいふやうなることが不 審 にて 候 ふ。 子 細 もしらずして 申 すことを
ふ しん もう そうろ おお そうろ
、 不 審 と 申 しまぎらかし 候 ふよし 仰 せられ 候 ふ。

(220)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ ご ほん じ ご ぼう しょうにん ご
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 * 御 本 寺 ・御 坊 をば 聖 人 (親鸞) 御
ぞんしょう とき おぼ め そうろ ご じ しん お る す とう ざ ご さ た そうろ
存 生 の 時 のやうに 思 し召 され 候 ふ。 御自 身 は、 * 御留主 を * 当 座御沙汰 候 ふ。
ご おん おんわす そうろ そうろ お とき ご ほうだん おお
しかれども 御 恩 を 御 忘 れ 候 ふことはなく 候 ふと、 * 御 斎 の御 法 談 に 仰 せられ
そうら お とき ご じゅようそうろ おんわす そうろ おん い
候 ひき。 御 斎 を御* 受 用 候 ふあひだにも、 すこしも 御 忘 れ 候 ふことは* 御 入り
おお そうろ
なきと 仰 せられ 候 ふ。

(221)
ぜんにょしょうにん しゃくにょしょうにんりょう ご だい ぜんじゅうしょうにん おお
一 ^▼* 善 如 上 人 ・ * 綽 如 上 人 両 御 代 のこと、 前 住 上 人 (実如) 仰 せら
そうろ りょう ご だい い ぎ ほん ご さ た そうら おお
れ 候 ふこと、 両 御 代 は * 威儀を 本 に御沙汰 候 ひしよし 仰 せられし。 しかれば、
ご えい おん い そうろ おお そうろ き げ さ き ごろも そうろ
いまに御 影 に 御 入り 候 ふよし 仰 せられ 候 ふ。 黄袈裟・黄 衣 にて 候 ふ。 しかれ
ぜんぜんじゅうしょうにん おんとき ご りゅう そうろ ほんぞん い げ おん ふ ろ
ば、 前 々 住 上 人 の 御 時 、 あまた御 流 にそむき 候 ふ 本 尊 以下、 * 御 風呂のた
や そうろ に ふく ご えい や おん と
びごとに焼かせられ 候 ふ。 この二 幅 の御 影 をも焼かせらるべきにて 御 取りいだし
そうら おぼ め そうら ひょう し かきつけ
候 ひつるが、 いかが 思 し召し 候 ひつるやらん、 表 紙に 書 付 を 「よし・わろし」
そうろ
とあそばされて、 とりておかせられ 候 ふ。

ご し あんそうら ご だい おんちが そうろ


^このことをいま御思 案 候 へば、 *御 代 のうちさへかやうに 御 違 ひ 候 ふ。 まして
しき ちが いちだい じ ぞん おん
いはんや*われら 式 のものは 違 ひたるべきあひだ、 一 大 事と 存 じつつしめよとの 御
そうろ おぼ め そうろ おお そうろ
ことに 候 ふ。 いま 思 し召しあはせられ 候 ふよし 仰 せられ 候 ふなり。

そうろ そうら
^また 「よし・わろし」 とあそばされ 候 ふこと、 わろしとばかりあそばし 候 へば
せんだい おん そうら おぼ め そうろ そうろ
、 先 代 の 御 ことにて 候 へばと 思 し召し、 かやうにあそばされ 候 ふことに 候 ふ
おお そうろ ぜんぜんじゅうしょうにん おんとき じっきん
と 仰 せられ 候 ふ。 また 前 々 住 上 人 (蓮如) の 御 時 、 あまた * 昵 近 のかたがた
ちが そうろ いちだい じ ぶっぽう こころ さいさい
違 ひまうすこと 候 ふ。 いよいよ 一 大 事の 仏 法 のことをば、 心 をとどめて 細 々
ひと と こころ え おお そうろ
人 に問ひ 心 得まうすべきのよし 仰 せられ 候 ふ。

(222)
ぶっぽうしゃ ちが み そうろ
一 ^▼ 仏 法 者 のすこしの 違 ひを見ては、 *あのうへさへかやうに 候 ふとおもひ、 わ
み たしな おんちが そうろ
が身をふかく 嗜 むべきことなり。 しかるを、 あのうへさへ 御 違 ひ 候 ふ、 ましてわ
ちが そうら おも うんぬん
れらは* 違 ひ 候 はではと 思 ふこころ、 おほきなるあさましきことなりと 云 々 。

(223)
ぶっとん たしな おお そうろ せ けん もの たしな
一 ^▼ 仏 恩 を 嗜 むと 仰 せ 候 ふこと、 世 間 の 物 を 嗜 むなどといふやうなること
しん ぞん すき ま け だいもう とき
にてはなし。 信 のうへにたふとくありがたく 存 じよろこびまうす 透 間に懈 怠 申 す 時
こうだい ご おん ぶっ ち
、 かかる 広 大 の御 恩 をわすれまうすことのあさましさよと、 仏 智 にたちかへりて、
おも おん ねんぶつ もう たしな
ありがたやたふとやと 思 へば、 * 御 もよほしにより 念 仏 を 申 すなり。 嗜 むとはこれ
ぎ そうろ
なるよしの義に 候 ふ。

(224)
ぶっぽう えんそく ほう ふ し ぎ ぜんじゅうしょうにん おお
一 ^▼ 仏 法 に* 厭 足 なければ、 法 の不思議をきくといへり。 前 住 上 人 (実如) 仰
そうろ せ じょう
せられ 候 ふ。 たとへば世 上 にわがすきこのむことをばしりてもしりても、 なほよ
おも ひと と す き き き
くしりたう 思 ふに、 人 に問ひ、 いくたびも*数奇たることをば聞きても聞きても、 よく
おも ぶっぽう き
ききたく 思 ふ。 仏 法 のこともいくたび聞きてもあかぬことなり。 しりてもしりても
ぞん ほう ぎ いくたび いくたび ひと と
存 じたきことなり。 法 義をば、 幾 度 も 幾 度 も 人 に問ひきはめまうすべきことなる
おお そうろ
よし 仰 せられ 候 ふ。

(225)
せ けん ぶつ もの おも
一 ^▼*世 間 へつかふことは、 仏 の 物 を*いたづらにすることよと、 おそろしく 思 ふ
ぶっぽう かた もの い どう り
べし。 さりながら、 仏 法 の 方 へはいかほど 物 を入 れてもあかぬ 道 理 なり。 また
ほうしゃ うんぬん
報 謝 にもなるべしと 云 々 。

(226)
ひと しんろう とく じょうぼん み だ ぶつ な
一 ^▼ 人 の 辛 労 もせで 徳 をとる* 上 品 は、 弥陀をたのみて 仏 に成るにすぎたるこ
おお そうろ うんぬん
となしと 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(227)
みなひと はたら しんぞく
一 ^▼ 皆 人 ごとによきことをいひもし、 働 きもすることあれば、 * 真 俗 ともにそれ
こころ ご おん
を、 わがよきものにはやなりて、 その 心 にて御 恩 といふことはうちわすれて、 *わが
ほん みょう が せ けん ぶっぽう あ こころ
こころ 本 になるによりて、 * 冥 加につきて、 世 間 ・ 仏 法 ともに悪しき 心 がかなら
しゅつらい いちだい じ うんぬん
ずかならず 出 来 するなり。 一 大 事なりと 云 々 。

(228)
さかい けんえん ぜんぜんじゅうしょうにん お ふみ おんもう そうろ ときおお
一 ^▼* 堺 にて 兼 縁 、 前 々 住 上 人 (蓮如) へ*御 文 を 御 申 し 候 ふ。 その 時 仰
そうろ とし そうろ もう そうろ
せられ 候 ふ。 年 もより 候 ふに、 *むつかしきことを 申 し 候 ふ。 まづわろきことを
おお そうろ のち おお そうろ ぶっぽう しん
いふよと 仰 せられ 候 ふ。 後 に 仰 せられ 候 ふは、 ただ 仏 法 を 信 ぜば、 いかほどな
おお うんぬん
りともあそばしてしかるべきよし 仰 せられしと 云 々 。

(229)
さかい ご ぼう ぜんぜんじゅうしょうにん よ ふ ろうそく みょう
一 ^▼おなじく 堺 の御 坊 にて、 前 々 住 上 人 、 夜更けて 蝋 燭 をともさせ、 名
ごう そうろ ときおお そうろ ご ろうたい おん て ふる おん め
号 をあそばされ 候 ふ。 その 時 仰 せられ 候 ふ。 御 老 体 にて 御 手も 振 ひ、 御 目も
そうら みょうにちえっちゅう くだ そうろ もう そうろ
かすみ 候 へども、 明 日 越 中 へ 下 り 候 ふと 申 し 候 ふほどに、 かやうにあそ
そうろ しんろう そうろ おお そうろ
ばされ 候 ふ。 辛 労 をかへりみられずあそばされ 候 ふと 仰 せられ 候 ふ。 しかれば
ご もん と そうろ ひと しんろう そうら しん
、 御 門 徒のために御身をばすてられ 候 ふ。 人 に 辛 労 をもさせ 候 はで、 ただ 信 を
おぼ め そうろ おお そうろ
とらせたく 思 し召し 候 ふよし 仰 せられ 候 ふ。
(230)
ちょうほう ちんぶつ ととの けいえい じき せん
一 ^▼* 重 宝 の 珍 物 を 調 へ* 経 営 をしてもてなせども、 食 せざればその 詮 なし
どうぎょうより あ さんだん しん ひと ちんぶつ じき
。 同 行 寄 合ひ 讃 嘆 すれども、 信 をとる 人 なければ、 珍 物 を 食 せざるとおなじこ
うんぬん
となりと 云 々 。

(231)
もの ぶつ な み だ ご おん よろこ
一 ^▼ 物 にあくことはあれども、 仏 に成ることと弥陀の御 恩 を 喜 ぶとは、 あきた
や う ちょうほう な も あ み だ ぶつ み だ
ることはなし。 焼くとも失せもせぬ* 重 宝 は、 南無阿弥陀 仏 なり。 しかれば、 弥陀の
こうだい お じ ひ しゅしょう しん ひと み お じ ひ
広 大 の御慈悲 殊 勝 なり。 信 ある 人 を見るさへたふとし。 よくよくの御慈悲なりと
うんぬん
云 々 。

(232)
しんけつじょう ひと ぶっぽう かた み ぶっぽう ご おん
一 ^▼ 信 決 定 の 人 は、 仏 法 の 方 へは*身をかろくもつべし。 仏 法 の御 恩 をばお
うんぬん
もくうやまふべしと 云 々 。

(233)
れんにょしょうにんおお そうろ しゅくぜん ご いちりゅう
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 * 宿 善 めでたしといふはわろし。 御 一 流 には *
しゅくぜん もう そうろ おお そうろ
宿 善 ありがたしと 申 すがよく 候 ふよし 仰 せられ 候 ふ。

(234)
た しゅう ほう しゅくえん とうりゅう しん しゅくぜん
一 ^▼他 宗 には 法 にあひたるを 宿 縁 といふ。 当 流 には 信 をとることを 宿 善
しんじん かんよう おん ぐん き
といふ。 信 心 をうること 肝 要 なり。 さればこの 御 をしへには* 群 機をもらさぬゆゑ
み だ おしえ ぐ きょう
に、 弥陀の 教 をば*弘 教 ともいふなり。

(235)
ほうもん もう とうりゅう しんじん いち ぎ もう ひら た
一 ^▼ 法 門 をば 申 すには、 当 流 のこころは 信 心 の 一 義 を 申 し 披 き立 てたる
かんよう うんぬん
、 肝 要 なりと 云 々 。

(236)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ ぶっぽうしゃ ほう い りき な
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 * 仏 法 者 には* 法 の威 力 にて成るな
い りき な おお そうろ ぶっぽう がくしょう もの
り。 威 力 でなくは成るべからずと 仰 せられ 候 ふ。 されば 仏 法 をば、 * 学 匠 ・ 物
いちもん ふ ち み しん ひと ぶっ ち くわ
しりは * いひたてず。 ただ * 一 文 不知の身 も、 信 ある 人 は 仏 智 を 加 へらるるゆゑに
ぶつりき そうろ ひと しん しょうぎょう
、 仏 力 にて 候 ふあひだ、 人 が 信 をとるなり。 このゆゑに 聖 教 よみとて、 しか
おも ひと ぶっぽう おお そうろ そうろ
もわれはと 思 はん 人 の、 仏 法 をいひたてたることなしと 仰 せられ 候 ふことに 候
しんじんじょうとく ひと ぶつ ひと しん
ふ。 ただなにしらねども、 * 信 心 定 得 の 人 は 仏 よりいはせらるるあひだ、 人 が 信
おお そうろ
をとるとの 仰 せに 候 ふ。

(237)
み だ な も あ み だ ぶつ ぬし な な も あ み だ ぶつ ぬし な
一 ^▼弥陀をたのめば南無阿弥陀 仏 の 主 に成るなり。 南無阿弥陀 仏 の 主 に成るとい
しんじん うんぬん とうりゅう しんじつ たから な も あ
ふは、 信 心 をうることなりと 云 々 。 また、 当 流 の 真 実 の 宝 といふは南無阿
み だ ぶつ いちねん しんじん うんぬん
弥陀 仏 、 これ 一 念 の 信 心 なりと 云 々 。

(238)
いちりゅうしんしゅう ほう ひと おも
一 ^▼ 一 流 真 宗 のうちにて 法 をそしり、 わろさまにいふ 人 あり。 これを 思 ふ
た もん た しゅう ぜ ひ いっしゅう ひと
に、 他 門 ・他 宗 のことは*是非なし。 一 宗 のうちにかやうの 人 もあるに、 われら
しゅくぜん ほう しん み おも うんぬん
宿 善 ありてこの 法 を 信 ずる身のたふとさよと 思 ふべしと 云 々 。

(239)
ぜんぜんじゅうしょうにん おぼ め
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) には、 なにたるものをもあはれみかはゆく 思 し召 し
そうろ だいざいにん ひと ころ そうろ いちだんおんかな そうろ ぞんめい
候 ふ。 大 罪 人 とて* 人 を 殺 し 候 ふこと、 一 段 御 悲 しみ 候 ふ。 存 命 もあらば
しんちゅう なお おお そうら ご かん き そうら しんちゅう なお
心 中 を 直 すべしと 仰 せられ 候 ひて、 御* 勘 気 候 ひても、 心 中 をだにも 直 り
そうら ご ゆうめんそうろ うんぬん
候 へば、 やがて御* 宥 免 候 ふと 云 々 。

(240)
あ き れんそう くに ご もん と そうろ
一 ^▼安芸の** 蓮 崇 、 * 国 をくつがへし、 くせごとにつきて、 *御 門 徒をはなされ 候
ぜんぜんじゅうしょうにん ご びょうちゅう ご じ ない おんわびごともう そうら
ふ。 前 々 住 上 人 (蓮如) 御 病 中 に*御寺 内 へまゐり、 御 詫 言 申 し 候 へども、
そうろ ひと そうら おりふし ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ
とりつぎ 候 ふ 人 なく 候 ひし。 その 折 節 、 前 々 住 上 人 ふと 仰 せられ 候 ふ
あ き おも おお そうろ ご きょうだい い げ おんもう ひとたび
。 安芸 を * なほさうと 思 ふよと 仰 せられ 候 ふ。 * 御 兄 弟 以下 御 申 すには、 一 度
ぶっぽう ひと そうら おんもう そうら おお
仏 法 に * あだをなしまうす 人 にて 候 へば、 いかがと 御 申 し 候 へば、 仰 せられ
そうろ
候 ふ。

しんちゅう なお
^それぞとよ、 あさましきことをいふぞとよ。 心 中 だに 直 らば、 なにたるものなり
おん そうろ おお そうら ご しゃめんそうら とき ご
とも、 * 御 もらしなきことに 候 ふと 仰 せられ 候 ひて、 御 赦 免 候 ひき。 その 時 御
ぜん おん め そうろ とき かんるいたたみ そうろ うんぬん
前 へまゐり、 御 目 にかかられ 候 ふ 時 、 感 涙 畳 にうかび 候 ふと 云 々 。 しかう
ご ちゅういん れんそう じ ない そうろ
して御 中 陰 のうちに、 蓮 崇 も寺 内 にて*すぎられ 候 ふ。

(241)
おうしゅう ご いちりゅう もう そうろ ひと ぜんぜん
一 ^▼ 奥 州 に御 一 流 のことを 申 しまぎらかし 候 ふ 人 をきこしめして、 前 々
じゅうしょうにんおうしゅう じょうゆう ご らんそうら ご ふくりゅうそうら
住 上 人 奥 州 の * 浄 祐 を御 覧 候 ひて、 もつてのほか御 腹 立 候 ひて、 さ
かいさんしょうにん ご りゅう もう おお
てさて 開 山 聖 人 (親鸞) の御 流 を 申 しみだすことのあさましさよ、 にくさよと 仰
そうら おん は き おお
せられ 候 ひて、 御 歯をくひしめられて、 さて切りきざみても*あくかよあくかよと 仰
そうろ うんぬん ぶっぽう もう いちだん おお
せられ 候 ふと 云 々 。 仏 法 を 申 しみだすものをば、 一 段 あさましきぞと 仰 せられ
そうろ うんぬん
候 ふと 云 々 。

(242)
し あん ちょうじょう もう み だ にょらい ご こう し ゆい ほんがん
一 ^▼思 案 の 頂 上 と 申 すべきは、 弥陀 如 来 の * 五 劫 思 惟 の 本 願 にすぎたるこ
ご し あん どう り どうしん ぶつ な どうしん べつ き
とはなし。 この御思 案 の 道 理に 同 心 せば、 仏 に成るべし。 同 心 とて 別 になし。 機
ほういったい どう り うんぬん
法 一 体 の 道 理なりと 云 々 。

(243)
れんにょしょうにんおお そうろ おん み いっしょうがい ご さ た そうろ ぶっぽう
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 御 身 一 生 涯 御沙汰 候 ふこと、 みな 仏 法
ご ほうべん ご ちょうほうそうら ひと しん おん おん
にて、 御 方 便 ・御 * 調 法 候 ひて、 人 に 信 を 御 とらせあるべき 御 ことわりにて
そうろ おお そうろ うんぬん
候 ふよし 仰 せられ 候 ふ 云 々 。
(244)
ご びょうちゅう おお そうろ きんげん
一 ^▼おなじく御 病 中 に 仰 せられ 候 ふ。 いまわがいふことは* 金 言 なり。 *かま
こころ え おお そうろ ご えい か さんじゅういち じ
へてかまへて、 よく 意 得よと 仰 せられ 候 ふ。 また御 詠 歌のこと、 三 十 一 字に
ほうもん おお そうろ うんぬん
つづくることにてこそあれ。 これは 法 門 にてあるぞと 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(245)
ぐ しゃさんにん ち しゃいちにん だんごう おもしろ
一 ^▼「*愚 者 三 人 に智 者 一 人 」 とて、 なにごとも 談 合 すれば 面 白 きことあるぞ
ぜんぜんじゅうしょうにん ぜんじゅうしょうにん おんもう そうろ ぶっぽう
と、 前 々 住 上 人 (蓮如)、 前 住 上 人 (実如) へ 御 申 し 候 ふ。 これまた 仏 法 が
かんよう ご きんげん うんぬん
たにはいよいよ 肝 要 の御 金 言 なりと 云 々 。

(246)
れんにょしょうにん じゅんせい たい おお そうろ ほうきょう きょうだい おお
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 * 順 誓 に 対 し 仰 せられ 候 ふ。 法 敬 とわれとは 兄 弟 よと 仰
そうろ ほうきょうもう そうろ みょう が おん もう そうろ
せられ 候 ふ。 法 敬 申 され 候 ふ。 これは * 冥 加 もなき 御 ことと 申 され 候 ふ
れんにょしょうにんおお そうろ しん うま あに あと うま
。 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 信 を*えつれば、 さきに 生 るるものは 兄 、 後 に 生 る
おとうと ほうきょう きょうだい おお そうろ ぶっとん いちどう
るものは 弟 よ。 法 敬 とは 兄 弟 よと 仰 せられ 候 ふ。 「▲ 仏 恩 を* 一 同 にうれ
しんじんいっ ち し かい きょうだい
ば、 信 心 一 致のうへは四 海 みな 兄 弟 」 (*論註・下意) といへり。

(247)
みなみどの さんすい ご えん とこ れんにょしょうにんおお そうろ もの
一 ^▼ 南 殿 * 山 水 の * 御 縁 の 床 のうへにて、 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 物 は
おも おお ごくらく
思 ひたるより 大 きにちがふといふは、 極 楽 へまゐりてのことなるべし。 ここにてあ
おも もの かず ど しょう かん ぎ
りがたやたふとやと 思 ふは、 * 物 の 数 にてもなきなり。 かの土へ 生 じての 歓 喜は、 *
おお
ことのはもあるべからずと 仰 せられしと。

(248)
ひと もう たしな ずいぶん おも こころ いつわ
一 ^▼ 人 はそらごと 申 さじと 嗜 むを、 * 随 分 とこそ 思 へ。 心 に 偽 りあらじと
たしな ひと おお せ けん
嗜 む 人 は、 さのみ 多 くはなきものなり。 またよきことはならぬまでも、 世 間 ・
ぶっぽう こころ たしな うんぬん
仏 法 ともに 心 にかけ 嗜 みたきことなりと 云 々 。
(249)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ あんじんけつじょうしょう し
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮 如) 仰 せられ 候 ふ。 ¬* 安 心 決 定 鈔 ¼ のこと、 四
じゅう よ ねん ご らんそうら ご らん おお そうろ こがね
十 余 年 があひだ御 覧 候 へども、 御 覧 じあかぬと 仰 せられ 候 ふ。 また、 金 を
しょうぎょう おお そうろ
ほりいだすやうなる 聖 教 なりと 仰 せられ 候 ふ。

(250)
おおざかどの たい おお そうろ もう
一 ^▼ 大 坂 殿 にておのおのへ 対 せられ 仰 せられ 候 ふ。 このあひだ 申 ししことは、
あんじんけつじょうしょう おお そうろ そうろ とうりゅう
¬安 心 決 定 鈔 ¼ のかたはしを 仰 せられ 候 ふよしに 候 ふ。 しかれば、 当 流
ぎ あんじんけつじょうしょう ぎ かんよう おお そうろ うんぬん
の義は ¬ 安 心 決 定 鈔 ¼ の義、 いよいよ 肝 要 なりと 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(251)
ほうきょうもう そうろ ひと ひと ぜんぜん
一 ^▼ 法 敬 申 され 候 ふ。 *たふとむ 人 より、 たふとがる 人 ぞたふとかりけると。 前 々
じゅうしょうにんおお そうろ おもしろ てい しゅしょう
住 上 人 仰 せられ 候 ふ。 面 白 きことをいふよ。 たふとむ 体 、 * 殊 勝 ぶりする
ひと ひと おもしろ
人 はたふとくもなし。 ただありがたやとたふとがる 人 こそたふとけれ。 面 白 きこと
もう そうろ おお そうろ うんぬん
をいふよ、 もつとものことを 申 され 候 ふとの 仰 せごとに 候 ふと 云 々 。

(252)
ぶん き さん しょうがつじゅう ご にち よる けんえんゆめ ぜんぜんじゅうしょうにん けんえん
一 ^▼* 文 亀 三 、 正 月 十 五 日 の 夜 、 兼 縁 夢 にいはく、 前 々 住 上 人 、 兼 縁
おんとい おお そうろ おぼ め そうら
へ 御 問 ありて 仰 せられ 候 ふやう、 いたづらにあることあさましく 思 し召し 候 へ
けい こ いっかん きょう ひ いち ど より あ
ば、 稽 古かたがた、 せめて 一 巻 の 経 をも、 日に 一 度、 みなみな 寄 合ひてよみまう
おお うんぬん ひと つき ひ おく そうろ かな
せと 仰 せられけりと 云 々 。 あまりに 人 のむなしく 月 日を 送 り 候 ふことを 悲 しく
おぼ め そうろ ぎ そうろ
思 し召し 候 ふゆゑの義に 候 ふ。

(253)
ゆめ どうねん ごくげつ に じゅうはちにち よる ぜんぜんじゅうしょうにん
一 ^▼おなじく 夢 にいはく、 * 同 年 の* 極 月 二 十 八 日 の 夜 、 前 々 住 上 人 (蓮如)
おん け さ ころも ふすましょう じ おん い そうろ ご ほうだんちょうもんもう
、 御 袈裟・ 衣 にて 襖 障 子をあけられ 御 出で 候 ふあひだ、 御 法 談 聴 聞 申 す
こころ そうろ しょう じ もの お ふみ おんことばおん い
べき 心 にて 候 ふところに、 *ついたち 障 子のやうなる 物 に、 御 文 の 御 詞 御 入
そうろ ご らん おんたず そうろ お ふみ
れ 候 ふをよみまうすを御 覧 じて、 それはなんぞと 御 尋 ね 候 ふあひだ、 御 文 にて
そうろ もう あ そうら かんよう しんこう おお うん
候 ふよし 申 し上げ 候 へば、 それこそ 肝 要 、 信 仰 してきけと 仰 せられけりと 云

ぬん
々 。

(254)
ゆめ よくねんごくげつ に じゅう く にち よ ぜんぜんじゅうしょうにんおお
一 ^▼ おなじく 夢 にいはく、 * 翌 年 極 月 二 十 九 日 夜 、 前 々 住 上 人 仰 せられ
そうろ いえ つく しんじん ねんぶつもう
候 ふやうは、 家 をばよく 作 られて、 信 心 をよくとり 念 仏 申 すべきよし、 かたく
おお そうら うんぬん
仰 せられ 候 ひけりと 云 々 。

(255)
ゆめ きんねん だいえいさん しょうがつついたち よ ゆめ の
一 ^▼おなじく 夢 にいはく、 近 年 、 * 大 永 三 、 正 月 一 日 の夜の 夢 にいはく、 *野
むらどのみなみどの ぜんぜんじゅうしょうにん おお ぶっぽう おお
村 殿 南 殿 にて 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せにいはく、 仏 法 のこといろいろ 仰 せら
そうら のち いなか ぞうぎょうざっしゅ もう おお そうろ
れ 候 ひて 後 、 田舎には 雑 行 雑 修 あるを、 かたく 申 しつくべしと 仰 せられ 候 ふ
うんぬん
と云 々 。

(256)
ゆめ だいえいろく しょうがついつ か よ ゆめ ぜんぜんじゅうしょうにんおお
一 ^▼おなじく 夢 にいはく、 * 大 永 六 、 正 月 五 日夜、 夢 に 前 々 住 上 人 仰 せ
そうろ いちだい じ そうろ いま じ ぶん とき そうろ
られ 候 ふ。 一 大 事にて 候 ふ。 * 今 の時 分 がよき 時 にて 候 ふ。 ここをとりはづし
いちだい じ おお そうろ かしこ おん おんもう そうら
ては 一 大 事 と 仰 せられ 候 ふ。 畏 まりたりと 御 うけ 御 申 し 候 へば、 ただその
かしこ そうろ そうろ いちだい じ そうろ おお
畏 まりたるといふにてはなく 候 ふまじく 候 ふ。 ただ 一 大 事にて 候 ふよし 仰 せら
そうら うんぬん
れ 候 ひしと 云 々 。

よ ゆめ れんせいおお そうろ よしざき ぜんぜんじゅうしょうにん とう


^▼* つぎの夜 、 夢 にいはく、 * 蓮 誓 仰 せ 候 ふ。 吉 崎 ˆにてˇ 前 々 住 上 人に当
りゅう かんよう なら そうろ いちりゅう え よう しょうぎょう
流 の 肝 要 のことを 習 ひまうし 候 ふ。 一 流 の依 用 なき 聖 教 やなんどをひろ
ご りゅう そうろ そうろ さいわ かんよう ぬ そうろ
くみて、 御 流 を*ひがざまにとりなし 候 ふこと 候 ふ。 幸 ひに 肝 要 を抜き 候 ふ
しょうぎょうそうろ いちりゅう ひ ごく よしざき ぜんぜんじゅうしょうにん なら
聖 教 候 ふ。 これが 一 流 の*秘 極 なりと、 吉 崎 にて 前 々 住 上 人 に 習 ひま
そうろ れんせいおお そうら うんぬん
うし 候 ふと、 蓮 誓 仰 せられ 候 ひしと 云 々 。
ゆめとう ぜんぜんじゅうしょうにん よ さ
^わたくしにいはく、 夢 等 をしるすこと、 前 々 住 上 人 世を去りたまへば、 いま
いちごん たいせつ ぞん そうら ゆめ い おお そうろ
はその 一 言 をも 大 切 に 存 じ 候 へば、 かやうに 夢 に入 りて 仰 せ 候 ふことの
きんげん おお ぞん
金 言 なること、 まことの 仰 せとも 存 ずるまま、 これをしるすものなり。 まことにこ
む そう もう そうろ そうたい ゆめ もうぞう
れは夢 想 とも 申 すべきことどもにて 候 ふ。 総 体 、 夢 は 妄 想 なり、 さりながら、 *
ごんじゃ ずい む きんげん
権 者 のうへには* 瑞 夢とてあることなり。 なほもつてかやうの 金 言 のことばはしる
うんぬん
すべしと 云 々 。

(257)
ぶっとん そうろ もう き そうろ りょう じ ぶっとん
一 ^▼ 仏 恩 がたふとく 候 ふなどと 申 すは聞きにくく 候 ふ、 * 聊 爾なり。 仏 恩 を
ぞん もう ばくだい き そうろ おお そうろ うんぬん お ふみ
ありがたく 存 ずと 申 せば、 * 莫 大 聞きよく 候 ふよし 仰 せられ 候 ふと 云 々 。 御文
もう りょう じ お ふみ ちょうもんもう お ふみ もう
がと 申 すも 聊 爾なり。 御 文 を 聴 聞 申 して、 御 文 ありがたしと 申 してよきよしに
そうろ ぶっぽう かた そんきょうもう うんぬん
候 ふ。 仏 法 の 方 をばいかほども 尊 敬 申 すべきことと 云 々 。

(258)
ぶっぽう さんだん どうぎょう もう へいがい おんかたがた もう
一 ^▼ 仏 法 の 讃 嘆 のとき、 同 行 をかたがたと 申 すは* 平 懐 なり。 御 方 々 と 申
おお うんぬん
してよきよし 仰 せごとと 云 々 。

(259)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ いえ そうろ
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 家 をつくり 候 ふとも、 *つぶりだに
ばん じ か ぶん おん そうろ い しょう
ぬれずは、 なにともかともつくるべし。 万 事過 分 なることを 御 きらひ 候 ふ。 衣 装
とう き おも みょう が ぞん
等 にいたるまでも、 よきもの着んと 思 ふはあさましきことなり。 冥 加を 存 じ、 ただ
ぶっぽう こころ おお そうろ うんぬん
仏 法 を 心 にかけよと 仰 せられ 候 ふ 云 々 。

(260)
おお そうろ ひと そうろ ぶっぽう いえ ほうこう
一 ^▼おなじく 仰 せられ 候 ふ。 いかやうの 人 にて 候 ふとも、 * 仏 法 の 家 に 奉 公
もう そうら きのう た しゅう そうろ きょう ぶっぽう ご ゆう
申 し 候 はば、 昨日までは他 宗 にて 候 ふとも、 今日ははや 仏 法 の御 用 とこころ
そうろ ぶっぽう ご ゆう こころ う おお
うべく 候 ふ。 たとひ *あきなひをするとも、 仏 法 の御 用 と 心 得 べきと 仰 せられ
そうろ
候 ふ。

(261)
おお あめ えんてん じ ぶん
一 ^▼おなじく 仰 せにいはく、 雨 もふり、 また* 炎 天 の時 分 は、 つとめながながし
つかまつ そうら つかまつ ひと そうろ そうろ おお
く 仕 り 候 はで、 はやく 仕 りて、 * 人 をたたせ 候 ふがよく 候 ふよし 仰 せら
そうろ お じ ひ ひとびと おん そうろ だい じ だい ひ おん
れ 候 ふ。 これも御慈悲にて、 人 々 を 御 いたはり 候 ふ。 大 慈 大 悲の 御 あはれみに
そうろ おお おん み ひと おん そうら ぶっぽう おん
候 ふ。 つねづねの 仰 せには、 御 身は 人 に 御 したがひ 候 ひて、 仏 法 を 御 すすめ
そうろ おお そうろ ご もん と み ぎょ い
候 ふと 仰 せられ 候 ふ。 御 門 徒の身にて 御 意のごとくならざること、 *なかなかあ
もう そうろ ぎ そうろ
さましきことども、 なかなか* 申 すもことおろかに 候 ふとの義に 候 ふ。

(262)
しょうぐん け よしひさ ぎ か しゅういっこく いっ き ご もん と はな
一 ^▼ 将 軍 家 * 義 尚 よりの義にて、 *加 州 一 国 の 一 揆、 御 門 徒を 放 さるべき
ぎ か しゅうきょじゅうそうろ ご きょうだいしゅう そうろ
との義にて、 *加 州 居 住 候 ふ御 兄 弟 衆 をもめしのぼせられ 候 ふ。 そのとき
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ か しゅう しゅう もん と はな おお
前々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 加 州 の 衆 を 門 徒 放 すべきと 仰 せいださ
そうろ おん み おぼ め そうろ
れ 候 ふこと、 御 身をきらるるよりもかなしく 思 し召し 候 ふ。 なにごとをもしらざ
あまにゅうどう たぐい おぼ め ご めいわく きわ
る 尼 入 道 の 類 のことまで 思 し召さば、 なにとも御 迷 惑 このことに 極 まるよし
おお そうろ ご もん と もう いちだん ぜん ぢ しき おん
仰 せられ 候 ふ。 御 門 徒を*やぶらるると 申 すことは、 一 段 、 善 知 識 の 御 うへにて
おぼ め そうろ そうろ
もかなしく 思 し召し 候 ふことに 候 ふ。

(263)
れんにょしょうにんおお そうろ ご もん と しゅう もの そうろ
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 御 門 徒 衆 の*はじめて 物 をまゐらせ 候 ふを
た しゅう いだ そうろ ぎ そうろ いち ど に ど じゅよう そうら いだ
、 他 宗 に 出 し 候 ふ義 あしく 候 ふ。 一 度 も二度 も 受 用 せしめ 候 ひて、 出 し
そうら おお そうろ し さい ぞん
候 ひてしかるべきのよし 仰 せられ 候 ふ。 かくのごとくの子 細 は 存 じもよらぬこ
そうろ ぶっぽう ご ゆう ご おん ぞん
とにて 候 ふ。 いよいよ 仏 法 の御 用 、 御 恩 をおろそかに 存 ずべきことにてはなく
そうろ おどろ い そうろ そうろ
候 ふ。 驚 き入り 候 ふとのことに 候 ふ。
(264)
ほうきょうぼう おおざかどの くだ そうろ ぜんぜんじゅうしょうにんおお
一 ^▼ 法 敬 坊 、 大 坂 殿 へ 下 られ 候 ふところに、 前 々 住 上 人 仰 せられ
そうろ ご おうじょうそうろ じゅうねん い おお そうろ
候 ふ。 *御 往 生 候 ふとも、 十 年 は生 くべしと 仰 せられ 候 ふところに、 なに
もう い おお そうろ ご おうじょう いちねん
かと 申 され、 *おしかへし、 生くべしと 仰 せられ 候 ふところ、 御 往 生 ありて 一 年
ぞんめいそうろ ほうきょう ひとおお そうろ ぜんぜんじゅうしょうにん
存 命 候 ふと ころに 、 法 敬 に ある 人 仰 せ られ 候 ふ は、 前 々 住 上 人 (蓮
おお そうろ いちねん ぞんめいそうろ いのち
如) 仰 せられ 候 ふにあひまうしたるよ。 そのゆゑは、 一 年 も 存 命 候 ふは、 命 を
ぜんぜんじゅうしょうにん おん そうろ そうろ おお そうら
前 々 住 上 人 より 御 あたへ 候 ふことにて 候 ふと 仰 せ 候 へば、 まことに*さ
おん い そうろ て もう そうろ のち
にて 御 入り 候 ふとて、 手をあはせ、 ありがたきよしを 申 され 候 ふ。 それより 後
ぜんぜんじゅうしょうにんおお そうろ じゅうねんぞんめいそうろ みょう が
、 前 々 住 上 人 仰 せられ 候 ふごとく、 十 年 存 命 候 ふ。 まことに 冥 加 に
かな そうろ ふ し ぎ ひと そうろ
叶 はれ 候 ふ。 不思議なる 人 にて 候 ふ。

(265)
まい じ む よう つかまつ そうろ ぎ みょう が じょうじょう おお
一 ^▼ 毎 事無 用 なることを 仕 り 候 ふ義、 冥 加なきよし、 * 条 々 、 いつも 仰
そうろ そうろ
せられ 候 ふよしに 候 ふ。

(266)
れんにょしょうにん もの そうろ にょらい しょうにん ご おん
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 * 物 をきこしめし 候 ふにも、 如 来 ・ 聖 人 (親鸞) の御 恩 にて
そうろ おんわす おお そうろ ひとくち おぼ め
ましまし 候 ふを 御 忘 れなしと 仰 せられ 候 ふ。 一 口 きこしめしても、 思 し召しい
そうろ おお そうろ うんぬん
だされ 候 ふよし 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(267)
ご ぜん ご らん ひと く めし く おぼ め そうろ おお
一 ^▼御 膳 を御 覧 じても、 * 人 の食はぬ 飯 を食ふことよと 思 し召し 候 ふと 仰 せら
そうろ もの ご おん おぼ め
れ 候 ふ。 物 をすぐにきこしめすことなし。 ただ御 恩 のたふときことをのみ 思 し召し
そうろ おお そうろ
候 ふと 仰 せられ 候 ふ。

(268)
きょうろく に ねんじゅう に がつじゅうはちにち よ けんえんゆめ れんにょしょうにん お ふみ
一 ^▼* 享 禄 二 年 十 二 月 十 八 日 の夜、 兼 縁 夢 に、 蓮 如 上 人 、 御 文 をあそ
くだ そうろ おんことば うめぼし そうろ うめぼし
ばし 下 され 候 ふ。 その 御 詞 に、 梅 干 のたとへ 候 ふ。 梅 干 のことをいへば、 みな
ひと くちいちどう す いち み あんじん どういつねんぶつ む べつどう こ
人 の 口 一 同 に酸し。 一 味の 安 心 はかやうにあるべきなり。 「▲ 同 一 念 仏 無 別 道 故」 (論
こころ そうら そうろ うんぬん
註・下) の 心 にて 候 ひつるやうにおぼえ 候 ふと 云 々 。

(269)
ぶっぽう す たしな そうら くうぜんもう そうら れんにょ
一 ^▼ 仏 法 を好 かざるがゆゑに 嗜 み 候 はずと、 * 空 善 申 され 候 へば、 蓮 如
しょうにんおお そうろ この きら おお そうろ うん
上 人 仰 せられ 候 ふ。 それは、 好 まぬは 嫌 ふにてはなきかと 仰 せられ 候 ふと 云
ぬん
々 。

(270)
ふ ほう ひと ぶっぽう い れい おお そうろ ぶっぽう ご さんだん
一 ^▼*不 法 の 人 は 仏 法 を*違 例 にすると 仰 せられ 候 ふ。 仏 法 の御 讃 嘆 あれば、
き と おも い れい おお
あら気 づまりや、 * 疾 くはてよかしと 思 ふは、 違 例 にするにてはなきかと 仰 せられ
そうろ うんぬん
候 ふと 云 々 。

(271)
ぜんじゅう ご びょうちゅう しょうがつ に じゅうよっ か おお そうろ ぜんぜん
一 ^▼ 前 住 様 (実如) 御 病 中 、 * 正 月 二 十 四 日に 仰 せられ 候 ふ。 前 々
じゅう そうそう こ ひだり おん て おん そうろ
住 (蓮如) の 早 々 われに来いと、 左 の 御 手にて 御 まねき 候 ふ。 あらありがたやと、 く
おお そうら お ねんぶつおんもう そうろ おん
りかへしくりかへし 仰 せられ 候 ひて、 御 念 仏 御 申 し 候 ふほどに、 おのおの* 御
こころ そうら おお そうろ ぞん そうら ぎ
心 たがひ 候 ひて、 かやうにも 仰 せ 候 ふと 存 じ 候 へば、 その義にてはなくして
おん そうろ おんゆめ ご らん そうろ おお そうろ
、 御 まどろみ 候 ふ 御 夢 に御 覧 ぜられ 候 ふよし 仰 せられ 候 ふところにて、 みな
あん ど そうら おんこと うんぬん
みな 安 堵 候 ひき。 これまた*あらたなる 御 事 なりと 云 々 。

(272)
に じゅう ご にち けん よ けんえん たい おお そうろ ぜんぜんじゅう
一 ^▼* おなじき二 十 五 日 、 兼 誉 ・ 兼 縁 に 対 せられ 仰 せられ 候 ふ。 前 々 住
しょうにん み よ ゆず い らい しゅじゅおお そうろ ご
上 人 (蓮如) * 御世 を 譲 りあそばされて以 来 のことども、 種 々 仰 せられ 候 ふ。 *御
いっしん ご あんじん おお いちねん み だ おうじょう いちじょう
一 身 の御 安 心 のとほり 仰 せられ、 一 念 に弥陀をたのみまうして 往 生 は 一 定 と
おぼ め そうろ ぜんじゅうしょうにん ご おん
思 し召され 候 ふ。 それにつきて、 前 住 上 人 (蓮如) の御 恩 にて、 今日までわれと
おも こころ そうら そうろ おお そうろ
思 ふ 心 をもち 候 はぬがうれしく 候 ふと 仰 せられ 候 ふ。 まことにありがたくも
おどろ そうろ ひと こころ え た りき
、 または 驚 きいりまうし 候 ふ。 われ、 人 、 かやうに 心 得まうしてこそは、 他 力
しんじんけつじょうもう そうろ いちだい じ おん そうろ
の 信 心 決 定 申 したるにてはあるべく 候 ふ。 いよいよ 一 大 事の 御 ことに 候 ふ

(273)
たんどく もん しんらんしょうにん もう おそ そ し しょう
一 ^▼¬* 嘆 徳 の 文 ¼ に、 ▲ 親 鸞 聖 人 と 申 せば、 その* 恐 れあるゆゑに、 祖師 聖
にん そうろ かいさんしょうにん し さい おん い そうろ
人 とよみ 候 ふ。 また 開 山 聖 人 とよみまうすも、 おそれある子 細 にて 御 入り 候 ふ
うんぬん
と云 々 。

(274)
しょうにん じき もう りょう じ しょうにん もう りょう
一 ^▼ただ 「 聖 人 」 と* 直 に 申 せば、 聊 爾なり。 「この 聖 人 」 と 申 すも、 聊
じ かいさん りゃく もう そうろ かいさんしょうにん
爾か。 「 開 山 」 とは、 略 しては 申 すべきかとのことに 候 ふ。 ただ 「 開 山 聖 人 」
もう そうろ うんぬん
と 申 してよく 候 ふと 云 々 。

(275)
たんどく もん もっ ぐ ぜい たく もう もっ ぬ
一 ^▼¬ 嘆 徳 の 文 ¼ に、 「▲ 以 て弘 誓 に 託 す」 と 申 すことを、 「 以 て」 を抜きてはよまず
そうろ うんぬん
候 ふと 云 々 。

(276)
れんにょしょうにん さかい ご ぼう ご ざ とき けん よ おん そうろ み どう
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 堺 の御 坊 に御座の 時 、 兼 誉 御 まゐり 候 ふ。 御 堂 において
しょく お ふみ いちにん に にん ご にんじゅうにん そうろ
卓 のうへに御 文 をおかせられて、 一 人 二 人 乃至 五 人 十 人 、 まゐられ 候 ふ
ひとびと たい お ふみ そうろ よ れんにょしょうにんおんものがた ときおお
人 々 に 対 し、 御 文 をよませられ 候 ふ。 その夜、 蓮 如 上 人 御 物 語 りの 時 仰 せ
そうろ おもしろ おも そうろ お ふみ いちにん
られ 候 ふ。 このあひだ 面 白 きことを 思 ひいだして 候 ふ。 つねに御 文 を 一 人 な
きた ひと う えん ひと しん
りとも 来 らん 人 にもよませてきかせば、 * 有 縁 の 人 は 信 をとるべし。 このあひだ
おもしろ し あん おお そうろ お ふみかんよう おん
面 白 きことを思 案 しいだしたると、 くれぐれ 仰 せられ 候 ふ。 さて御 文 肝 要 の 御
そうろ おお そうろ
ことと、 いよいよしられ 候 ふとのことと 仰 せられ 候 ふなり。

(277)
こんじょう こころ い ぶっぽう しんぷく い そうろ
一 ^▼ 今 生 のことを 心 に入るるほど、 仏 法 を 心 腹 に入れたきことにて 候 ふと
ひともう そうら せ けん たいよう もう おおよう ぶっぽう
、 人 申 し 候 へば、 世 間 に* 対 様 して 申 すことは* 大 様 なり。 ただ 仏 法 をふかくよ
うんぬん
ろこぶべしと 云 々 。
いちにちいちにち ぶっぽう そうろ いち ご たい ぎ
^▼またいはく、 一 日 一 日 に 仏 法 はたしなみ 候 ふべし。 * 一 期とおもへば* 大 儀な
ひともう そうろ たい ぎ おも ふ そく ひと いのち
りと、 人 申 され 候 ふ。 またいはく、 大 儀なると 思 ふは不 足 なり。 人 として 命 は
そうら うんぬん
いかほどもながく 候 ひても、 あかずよろこぶべきことなりと 云 々 。

(278)
ぼう ず ひと かん け そうろ み かん け
一 ^▼ 坊 主は 人 をさへ 勧 化せられ 候 ふに、 わが身を 勧 化せられぬはあさましきこ
うんぬん
となりと 云 々 。

(279)
どうしゅう ぜんぜんじゅうしょうにん お ふみもう そうら おお そうろ
一 ^▼ 道 宗 、 前 々 住 上 人 (蓮 如) へ * 御 文 申 され 候 へば、 仰 せられ 候 ふ
ふみ そうろ そうろ こころ しん そうら
。 文 はとりおとし 候 ふことも 候 ふほどに、 ただ 心 に 信 をだにもとり 候 へば、
そうら おお そうら とし くだ そうろ
おとし 候 はぬよし 仰 せられ 候 ひし。 またあくる 年 、 あそばされて、 下 され 候 ふ

(280)
ほうきょうぼうもう そうろ ぶっぽう こころざし ひと かた
一 ^▼ 法 敬 坊 申 され 候 ふ。 仏 法 をかたるに、 * 志 の 人 をまへにおきて 語 り
そうら ちから もう もう そうろ
候 へば、 力 がありて 申 しよきよし 申 され 候 ふ。

(281)
しん だい じ しょうぎょう しょ じ ひと つるぎ も そうろ
一 ^▼ 信 もなくて 大 事の 聖 教 を 所 持の 人 は、 をさなきものに 剣 を持たせ 候
おぼ め そうろ つるぎ ちょうほう も
ふやうに 思 し召 し 候 ふ。 そのゆゑは、 剣 は 重 宝 なれども、 をさなきもの持 ち
そうら て き け が も そうろ ひと ちょうほう うん
候 へば、 手 を切 り怪我 をするなり。 持 ちてよく 候 ふ 人 は 重 宝 になるなりと 云

ぬん
々 。

(282)
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ し
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 ただいまなりとも、 われ、 死ねといは
し そうろ しん おお そうろ
ば、 死ぬるものはあるべく 候 ふが、 信 をとるものはあるまじきと 仰 せられ 候 ふと
うんぬん
云 々 。

(283)
ぜんぜんじゅうしょうにん おおざかどの たい おお そうろ
一 ^▼ 前 々 住 上 人 、 大 坂 殿 に て お の お の に 対 せ ら れ て 仰 せ ら れ 候 ふ
いちねん ぼん ぶ おうじょう ひ じ ひ でん おお そうろ
。 一 念 に 凡 夫の 往 生 をとぐることは*秘事・秘 伝 にてはなきかと 仰 せられ 候 ふ
うんぬん
と云 々 。

(284)
ご ふ しん ご ぞうさく とき ほうきょうもう そうろ ふ し ぎ ご ちょうぼうとう
一 ^▼御普 請 ・御 造 作 の 時 、 法 敬 申 され 候 ふ。 *なにも不思議に、 御 眺 望 等
お じょう ず ご ざ そうろ もう そうら ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ
も御 上 手 に御座 候 ふよし 申 され 候 へば、 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候
ふ し ぎ し ぼん ぶ ぶつ な そうろ し おお
ふ。 われはなほ不思議なることを知る。 凡 夫の 仏 に成り 候 ふことを知りたると 仰 せ
そうろ
られ 候 ふと。

(285)
れんにょしょうにん ぜんじゅう おん じ くだ そうろ のちぜん
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 善 従 に* 御 かけ字をあそばされて、 下 され 候 ふ。 その 後 善
じゅう おんたず そうろ い ぜん か そうろ もの おお そうろ
従 に 御 尋 ね 候 ふ。 以 前 書きつかはし 候 ふ 物 をばなにとしたると 仰 せられ 候
ぜんじゅうもう そうろ ひょう ぼ え つかまつ そうら はこ い お そうろ
ふ。 善 従 申 され 候 ふ。 * 表 補絵 仕 り 候 ひて、 箱 に入れ置きまうし 候 ふよ
もう そうろ おお そうろ ふ
し 申 され 候 ふ。 そのとき 仰 せられ 候 ふ。 それは*わけもなきことをしたるよ。 不
だん こころ おお そうろ
断 かけておきて、 そのごとく* 心 ねなせよといふことでこそあれと 仰 せられ 候 ふ。

(286)
おお うち い ちょうもんもう み
一 ^▼おなじく 仰 せにいはく、 *これの 内 に居 て 聴 聞 申 す身 は、 *とりはづしたらば
ぶつ な おお そうろ うんぬん おお そうろ
仏 に*成らんよと 仰 せられ 候 ふと 云 々 。 ありがたき 仰 せに 候 ふ。

(287)
おお ぼう ず しゅ ら たい おお そうろ ぼう ず
一 ^▼ 仰 せにいはく、 坊 主 衆 等 に 対 せられ 仰 せられ 候 ふ。 坊 主 といふものは
だいざいにん おお そうろ とき めいわくもう そうろ おお
大 罪 人 なりと 仰 せられ 候 ふ。 その 時 みなみな* 迷 惑 申 され 候 ふ。 さて 仰 せら
そうろ つみ あ み だ にょらい おん おお そうろ うん
れ 候 ふ。 罪 がふかければこそ、 阿弥陀 如 来 は 御 たすけあれと 仰 せられ 候 ふと 云
ぬん
々 。

(288)
まいにちまいにち お ふみ ご きんげん ちょうもん そうろ たから おんたまわ
一 ^▼ 毎 日 毎 日 に、 御 文 の御 金 言 を 聴 聞 させられ 候 ふことは、 宝 を 御 賜
そうろ そうろ うんぬん
り 候 ふことに 候 ふと 云 々 。

(289)
かいさんしょうにん ご だい たか だ に だい けん ち じょうらく とき もう そうろ
一 ^▼ 開 山 聖 人 (親鸞) の御 代 、 * 高 田の 二代 *顕智 上 洛 の 時 、 申 され 候 ふ
こん ど おん め ぞん そうろ ふ し ぎ おん め
。 今 度は*すでに 御 目にかかるまじきと 存 じ 候 ふところに、 不思議に 御 目にかかり
そうろ もう そうら おお そうろ ふな じ なんぷう
候 ふと 申 され 候 へば、 それはいかにと 仰 せられ 候 ふ。 舟 路 に 難 風 にあひ、 *
めいわくつかまつ そうろ もう そうろ しょうにんおお そうろ ふね
迷 惑 仕 り 候 ふよし 申 され 候 ふ。 ▼ 聖 人 仰 せられ 候 ふ。 それならば、 船 に
の おお そうろ のち おんことば すえ そうろ いち
は乗らるまじきものをと 仰 せられ 候 ふ。 その 後 、 * 御 詞 の 末 にて 候 ふとて、 一
ご ふね の そうろ
期、 舟 に乗られず 候 ふ。
くさびら え おん め おそ そうら
^▼また* 茸 に酔 ひまうされ、 御 目 に 遅 くかかられ 候 ひしときも、 かくのごとく
おお いち ご じゅよう そうら うんぬん おお しん
仰 せられしとて、 一 期 受 用 なく 候 ひしと 云 々 。 かやうに 仰 せを 信 じ、 ちがへま
ぞん そうろ しゅしょう かく ご ぎ そうろ
うすまじきと 存 ぜられ 候 ふこと、 まことにありがたき 殊 勝 の 覚 悟との義に 候

ふ。

(290)
み ねぶり け そうろ かく ご み
一 ^▼身あたたかなれば、 眠 気さし 候 ふ。 あさましきことなり。 その 覚 悟にて身
ねぶ み ずい い ぶっぽう せ ほう
をもすずしくもち、 眠 りをさますべきなり。 身 随 意なれば、 仏 法 ・*世 法 ともにおこ
ぶ さ た ゆ だん ぎ いちだい じ うんぬん
たり、 *無沙汰・油 断 あり。 この義 一 大 事なりと 云 々 。

(291)
しん どうぎょう もの もう こころやわ
一 ^▼ 信 をえたらば、 同 行 にあらく 物 も 申 すまじきなり、 心 和 らぐべきなり。 ▲
そくこうにゅうなん がん しん が ことば あらそ
触 光 柔 軟の願 (第三十三願) あり。 また 信 なければ、 *我になりて 詞 もあらく、 諍
い うんぬん
ひもかならず出でくるものなり。 あさましあさまし、 よくよくこころうべしと 云 々 。

(292)
ぜんぜんじゅうしょうにん ほっこく ご もん と おお そうろ
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如)、 北 国 のさる御 門 徒のことを 仰 せられ 候 ふ。 *なにと
じょうらく おお そうろ ご ぜん ひともう そうろ おんかた
してひさしく 上 洛 なきぞと 仰 せられ 候 ふ。 *御 前 の 人 申 され 候 ふ。 さる 御 方
ご せっかんそうろ もう そうろ とき ご き げん あ そうら おお
の御* 折 檻 候 ふと 申 され 候 ふ。 その 時 御機 嫌 もつてのほか悪しく 候 ひて、 仰
そうろ かいさんしょうにん ご もん と おん み
せられ 候 ふ。 開 山 聖 人 (親鸞) の御 門 徒をさやうにいふものはあるべからず。 御 身
ひと り りょう じ おぼ め
一 人 聊 爾には 思 し召さぬものを、 なにたるものがいふべきとも、 *とくとくのぼれと
おお そうろ うんぬん
いへと 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(293)
ぜんじゅうしょうにんおお そうろ ご もん と しゅう もう
一 ^▼* 前 住 上 人 仰 せられ 候 ふ。 御 門 徒 衆 をあしく 申 すこと、 ゆめゆめあ
かいさん おんどうぎょう おんどうぼう おん そうろ りょう じ
るまじきなり。 ▲ 開 山 (親鸞) は 御 同 行 ・ 御 同 朋 と 御 *かしづき 候 ふに、 聊 爾に
ぞん おお そうろ
存 ずるはくせごとのよし 仰 せられ 候 ふ。

(294)
かいさんしょうにん いちだい じ お きゃくじん もう ご もん と しゅう おお
一 ^▼ 開 山 聖 人 の 一 大 事 の御 客 人 と 申 すは、 御 門 徒 衆 のことなりと 仰 せ
うんぬん
られしと 云 々 。

(295)
ご もん と しゅうじょうらくそうら ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ かんてん
一 ^▼御 門 徒 衆 上 洛 候 へば、 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふ。 * 寒 天
ご しゅとう ろ し さむ わす そうろ おお
には御 酒 等 のかんをよくさせられて、 *路次の 寒 さをも 忘 られ 候 ふやうにと 仰 せら
そうろ えんてん とき さけ ひや おお そうろ おんことば
れ 候 ふ。 また 炎 天 の 時 は、 酒 など 冷 せと 仰 せられ 候 ふ。 御 詞 をくはへられ
そうろ ご もん と じょうらくそうろ おそ もう い そうろ おお
候 ふ。 また、 御 門 徒の 上 洛 候 ふを、 遅 く* 申 し入れ 候 ふことくせごとと 仰 せ
そうろ ご もん と たいめん おお そうろ
られ 候 ふ。 御 門 徒をまたせ、 おそく 対 面 することくせごとのよし 仰 せられ 候 ふ
うんぬん
と云 々 。

(296)
ばん じ おも ご おん あ おも す
一 ^▼ 万 事につきて、 よきことを 思 ひつくるは御 恩 なり、 悪しきことだに 思 ひ捨て
ご おん す と ご おん うんぬん
たるは御 恩 なり。 捨つるも取るも、 いづれもいづれも御 恩 なりと 云 々 。

(297)
ぜんぜんじゅうしょうにん ご もん と しんじょうもつ おんころも おんおが
一 ^▼ 前 々 住 上 人 (蓮如) は御 門 徒の* 進 上 物 をば、 御 衣 のしたにて 御 拝 み
そうろ ぶつ もの おぼ め そうら ご じ しん め もの おんあし
候 ふ。 また 仏 の 物 と 思 し召し 候 へば、 御自 身 の召し 物 までも、 御 足 にあたり
そうら おん そうろ ご もん と しんじょうもつ しょうにん おん
候 へば、 御 いただき 候 ふ。 御 門 徒の 進 上 物 、 すなはち 聖 人 (親鸞) よりの 御
おぼ め そうろ おお そうろ うんぬん
あたへと 思 し召し 候 ふと 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(298)
ぶっぽう よろず ご
一 ^▼ 仏 法 には、 万 *かなしきにも、 *かなはぬにつけても、 なにごとにつけても、 後
しょう おも ぶっとん うんぬん
生 のたすかるべきことを 思 へば、 よろこびおほきは 仏 恩 なりと 云 々 。

(299)
ぶっぽうしゃ ちか そん ひと きょうげん
一 ^▼ 仏 法 者 になれ 近 づきて、 損 は 一 つもなし。 なにたるをかしきこと、 * 狂 言
ぜ ひ しんてい ぶっぽう おも かた とく うん
にも、 是非とも 心 底 には 仏 法 あるべしと 思 ふほどに、 わが 方 に 徳 おほきなりと 云
ぬん
々 。

(300)
れんにょしょうにん ごん け さいたん しょう
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 権 化の 再 誕 といふこと、 その 証 おほし。 △まへにこれをしる
ご えい か ろく じ み な
せり。 御 詠 歌に、 「▼かたみには 六 字の御名をのこしおく なからんあとのかたみとも
そうろ み だ け しん そうろ れきぜん
なれ」 と 候 ふ。 弥陀の化 身 としられ 候 ふこと 歴 然 たり。

(301)
れんにょしょうにん さいさい ご きょうだいしゅう ら おんあし お み そうろ おん お
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 細 々 * 御 兄 弟 衆 等 に 御 足 を御見せ 候 ふ。 御 わらぢの緒
い おん い そうろ きょう いなか ご じ しん ご しんろうそうら
くひ入り、 *きらりと 御 入り 候 ふ。 かやうに 京 ・田舎、 御自 身 は御 辛 労 候 ひて
ぶっぽう おお そうろ おお そうら うんぬん
、 仏 法 を 仰 せひらかれ 候 ふよし 仰 せられ 候 ひしと 云 々 。

(302)
おお あくにん しんじんけつじょう ひと
一 ^▼おなじく 仰 せにいはく、 悪 人 のまねをすべきより、 信 心 決 定 の 人 のまね
おお そうろ うんぬん
をせよと 仰 せられ 候 ふ 云 々 。

(303)
れんにょしょうにん ご びょうちゅう おおざかどの ご じょうらく とき めいおうはち に がつじゅう
一 ^▼ 蓮 如 上 人 御 病 中 、 大 坂 殿 より御 上 洛 の 時 、 * 明 応 八 、 二 月 十
はちにち じょうけん ところ ぜんじゅうしょうにん たい おんもう そうろ
八 日 、 *さんばの 浄 賢 ˆのˇ 処 にて、 前 住 上 人 (実如) へ 対 し 御 申 しなされ 候

ふ。

ご いちりゅう かんよう お ふみ そうろ


^御 一 流 の 肝 要 をば、 御 文 にくはしくあそばしとどめられ 候 ふあひだ、 いまは
もう そうろ ぶん おんこころ え ご もん と
申 しまぎらかすものもあるまじく 候 ふ。 この 分 をよくよく 御 心 得あり、 御 門 徒
ちゅう おお そうら ご ゆいごん そうろ ぜんじゅうしょうにん
中 へも 仰 せつけられ 候 へと御 遺 言 のよしに 候 ふ。 しかれば、 前 住 上 人 (実
ご あんじん お ふみ しょこく ご もん と お ふみ しん し
如) の御 安 心 も御 文 のごとく、 また 諸 国 の御 門 徒も、 御 文 のごとく 信 をえられよとの*支
しょう ご はん そうろ うんぬん
証 のために、 *御 判 をなされ 候 ふことと 云 々 。

(304)
ぞんかく だいせい し け しん うんぬん ろくようしょう さんしん
一 ^▼* 存 覚 は * 大 勢 至 の化 身 なりと 云 々 。 しかるに ¬* 六 要 鈔 ¼ には * 三 心
じ くん かんとく しょうにん こうさいあお
の字 訓 そのほか、 「 ▲ 勘 得 せず」 とあそばし、 「▲ 聖 人 (親鸞) の 宏 才 仰 ぐべし」 と
そうろ ごん け そうら しょうにん ご さくぶん そうろ
候 ふ。 権 化にて 候 へども、 聖 人 の*御 作 分 をかくのごとくあそばし 候 ふ。 ま
しょう い じ りき た りき あお ほん い かな
ことに 聖 意はかりがたきむねをあらはし、 自 力 をすてて他 力 を 仰 ぐ 本 意にも 叶 ひ
そうろ もの めい よ おん い そうろ うんぬん
まうし 候 ふ 物 をや。 かやうのことが 名 誉にて 御 入り 候 ふと 云 々 。

(305)
ちゅう おん そうろ ご じ しん ち げ おん そうら
一 ^▼¬* 註 ¼ を 御 あらはし 候 ふこと、 御自 身 の*智解を 御 あらはし 候 はんがた
そうろ おんことば ほう び ぎょうそう そうろ うんぬん
めにてはなく 候 ふ。 御 詞 を* 褒 美のため、 * 仰 崇 のためにて 候 ふと 云 々 。

(306)
ぞんかく ご じ せい ご えい ひと よ ゆめ ゆき き
一 ^▼ 存 覚 御辞 世 の御 詠 にいはく、 「いまははや 一 夜の 夢 となりにけり 往 来あ
ことば れんにょしょうにんおお そうろ うんぬん
またのかりのやどやど」。 この 言 を 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふと 云 々 。 さては
しゃ か け しん おうらいしゃ ば こころ うんぬん み
釈 迦の化 身 なり、 ▲ 往 来 娑 婆の 心 なりと 云 々 。 わが身にかけてこころえば
ろくどうりん ね りんじゅう ゆうべ こころ
、 六 道 輪 廻めぐりめぐりて、 いま 臨 終 の 夕 、 さとりをひらくべしといふ 心 な
うんぬん
りと 云 々 。

(307)
よう き いん き よう き はな ひら いん き ひ
一 ^▼* 陽 気・* 陰 気とてあり。 されば 陽 気をうる 花 ははやく 開 くなり、 陰 気とて日
かげ はな おそ さ しゅくぜん ち そく い こんとう おうじょう
陰 の 花 は 遅 く咲くなり。 かやうに 宿 善 も遅 速 あり。 されば*已 今 当 の 往 生 あ
み だ こうみょう ひら ひと おそ ひら ひと
り。 弥陀の 光 明 にあひて、 はやく 開 くる 人 もあり、 遅 く 開 くる 人 もあり。 とにか
しん ふ しん ぶっぽう こころ い ちょうもんもう うんぬん い こんとう
くに、 信 ・不 信 ともに 仏 法 を 心 に入 れて 聴 聞 申 すべきなりと 云 々 。 已今 当
ぜんぜんじゅうしょうにん おお そうろ うんぬん きのう ひと きょう
のこと、 前 々 住 上 人 (蓮如) 仰 せられ 候 ふと 云 々 。 昨 日 あらはす 人 もあり、 今 日
ひと おお うんぬん
あらはす 人 もありと 仰 せられしと 云 々 。

(308)
れんにょしょうにん ご ろう か おん そうら かみ き そうら ご らん
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 御 廊 下を 御 とほり 候 ひて、 紙 切れのおちて 候 ひつるを御 覧 ぜ
ぶっぽうりょう もの おお りょう おん て おん そうろ
られ、 * 仏 法 領 の 物 を*あだにするかやと 仰 せられ、 両 の 御 手にて 御 いただき 候 ふ
うんぬん そう かみ き もの ぶつもつ おぼ め おんもち そうら
と 云 々 。 総 じて 紙 の切れなんどのやうなる 物 をも、 仏 物 と 思 し召し 御 用 ゐ 候
ご さ た そうろ ぜんじゅうしょうにん おんものがた そうら
へば、 あだに御沙汰なく 候 ふのよし、 前 住 上 人 (実如) 御 物 語 り 候 ひき。
(309)
れんにょしょうにん きんねんおお そうろ ご びょうちゅう おお そうろ
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 近 年 仰 せられ 候 ふ。 御 病 中 に 仰 せられ 候 ふこと、 な
きんげん こころ き おお そうろ うんぬん
にごとも 金 言 なり。 心 をとめて聞くべしと 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(310)
ご びょうちゅう きょうもん おお そうろ おん み ふ し ぎ
一 ^▼ 御 病 中 に 慶 聞 をめして 仰 せられ 候 ふ。 御 身 には不思議なることある
き おお おお そうろ うんぬん
を、 気をとりなほして 仰 せらるべきと 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(311)
れんにょしょうにんおお そうろ せ けん ぶっぽう ひと
一 ^▼ 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 世 間 ・ 仏 法 ともに、 人 は*かろがろとしたるが
おお そうろ もく おん そうろ もの もう おお
よきと 仰 せられ 候 ふ。 黙 したるものを 御 きらひ 候 ふ。 物 を 申 さぬがわろきと 仰
そうろ び おん もの もう おお そうろ うんぬん
せられ 候 ふ。 また*微 音 に 物 を 申 すをわろしと 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(312)
おお ぶっぽう せ たい たしな つい く おお
一 ^▼おなじく 仰 せにいはく、 仏 法 と*世 体 とは 嗜 みによると、 対 句に 仰 せられ
そうろ
候 ふ。
ほうもん にわ まつ つい く おお そうろ うんぬん
^また 法 門 と 庭 の 松 とは*いふに*あがると、 これも 対 句に 仰 せられ 候 ふと 云 々 。

(313)
けんえん さかい れんにょしょうにん ご ぞんしょう とき せ ずりぬの ばいとく
一 ^▼* 兼 縁 、 堺 にて、 蓮 如 上 人 御 存 生 の 時 、 * 背 摺 布 を 買 得 ありければ
れんにょしょうにんおお そうろ もの かた む よう か
、 蓮 如 上 人 仰 せられ 候 ふ。 かやうの 物 はわが 方 にもあるものを、 無 用 の買 ひ
おお そうろ けんえん じ もつ こた そうろ
ごとよと 仰 せられ 候 ふ。 兼 縁 、 *自 物 にてとりまうしたると 答 へまうし 候 ふとこ
おお そうろ もの おお そうろ ぶつもつ
ろに、 仰 せられ 候 ふ。 それはわが 物 かと 仰 せられ 候 ふ。 ことごとく 仏 物
にょらい しょうにん ご ゆう そうろ
、 如 来・ 聖 人 (親鸞) の御 用 にもるることはあるまじく 候 ふ。

(314)
れんにょしょうにん けんえん もの くだ そうろ みょう が ご じ たいそうら
一 ^▼ 蓮 如 上 人 、 兼 縁 に 物 を 下 され 候 ふを、 冥 加なきと御辞 退 候 ひけれ
おお そうろ そうろ もの と しん しん
ば、 仰 せられ 候 ふ。 つかはされ 候 ふ 物 をば、 ただ取りて 信 をよくとれ。 信 なく
みょう が ぶつ もの う きょく
は 冥 加なきとて 仏 の 物 を受けぬやうなるも、 それは* 曲 もなきことなり。 *われす
みな ご ゆう ご ゆう そうろ おお
るとおもふかとよ。 皆 御 用 なり。 なにごとか御 用 にもるることや 候 ふべきと 仰 せ
そうろ うんぬん
られ 候 ふと 云 々 。

じつにょ
*実 如 (御判)

れんにょしょうにん ご いちだい き ききがき


まつ
蓮如 上 人御一代記聞書 末

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