Download as pdf or txt
Download as pdf or txt
You are on page 1of 13

しょうしん げ たい い

◎ 正 信偈大意

しょうしん げ く ひゃく に じゅう ぎょう ろく


【1】 ◎そもそも、 この 「* 正 信 偈」 といふは、 *句のかず 百 二 十 、 行 のかず 六
じゅう さんちょうこう そ げ しゃく いっしゅうたいこう よう ぎ
十 なり。 これは* 三 朝 高 祖の解 釈 によりて、 ほぼ 一 宗 大 綱 の 要 義をのべま
げ き みょう む か し
しましけり。 この偈のはじめ ▲「帰 命 」 といふより 「無過斯」▲ といふにいたるまでは
し じゅう し く に じゅう に ぎょう だいきょう いん ど い げ
、 四 十 四句二 十 二 行 なり。 これは ¬* 大 経 ¼ のこころなり。 ▲「 印 度 」 以下 の
し く そう さんちょう そ し じょう ど きょう ひょう
四句は、 総 じて 三 朝 の祖師、 浄 土の 教 をあらはすこころを 標 したまへり。 ま
しゃ か げ しちこう そ さん
た ▲「 釈 迦」 といふより偈のをはるまでは、 これ 七 高 祖の 讃 のこころなり。

と しょうしん げ ぎ
問うていはく、 「 正 信 偈」 といふは、 これはいづれの義ぞや。

こた しょう ぼう たい じゃ たい ぞう たい
答 へていはく、 ▲「 正 」 といふは、 傍 に 対 し、 邪 に 対 し、 雑 に 対 することばなり
しん ぎ たい ぎょう たい
。 「 信 」 といふは、 疑に 対 し、 また 行 に 対 することばなり。

き みょう む りょうじゅにょらい じゅみょう む りょう たい とう ど


【2】 「▲帰 命 無 量 寿 如 来 」 といふは、 寿 命 の無 量 なる 体 なり、 また 唐 土 (中
あ み だ にょらい な も な も ふ か し ぎ
国) のことばなり。 阿弥陀 如 来 に南無したてまつれといふこころなり。 「▲南無不可思議
こう ち え こうみょう とく き みょう む りょうじゅ
光 」 といふは、 智慧の 光 明 のその 徳 すぐれたまへるすがたなり。 「帰 命 無 量 寿
にょらい な も あ み だ ぶつ たい な も あ み だ ぶつ
如 来 」 といふは、 すなはち南無阿弥陀 仏 の 体 なりとしらせ、 この南無阿弥陀 仏 と
もう と
申 すは、 ▲こころをもつてもはかるべからず、 ことばをもつても説きのぶべからず、 こ
ふた どう り な も ふ か し ぎ こう もう
の 二 つの 道 理きはまりたるところを南無不可思議 光 とは 申 したてまつるなり。 これ
ほうじんにょらい もう じんじっぽう む げ こうにょらい
を 報 身 如 来 と 申 すなり、 これを 尽 十 方 無礙 光 如 来 となづけたてまつるなり。

にょらい ほうべんほっしん もう ほうべん もう み な


▲ この 如 来 を、 方 便 法 身 とは 申 すなり。 方 便 と 申 すは、 かたちをあらはし、 御名
しゅじょう もう あ み だ ぶつ
をしめして、 衆 生 にしらしめたまふを 申 すなり。 すなはち阿弥陀 仏 なり。 この
にょらい こうみょう こうみょう ち え ち え
如 来 は 光 明 なり。 光 明 は智慧なり。 ▲智慧はひかりのかたちなり。
ち え ふ か し ぎ こうぶつ もう にょらい じっぽう み じん せ かい
智慧またかたちなければ不可思議 光 仏 と 申 すなり。 この 如 来 、 十 方 微 塵 世 界 にみ
む へんこうぶつ もう せ しん ぼ さつ じん
ちみちたまへるがゆゑに、 無 辺 光 仏 と 申 す。 しかれば、 世 親 菩 薩 (* 天親) は、 「 ▲ 尽
じっぽう む げ こうにょらい にょらい な も
十 方 無礙 光 如 来 」 (*浄土論) となづけたてまつりたまへり。 さればこの 如 来 に南無し
き みょう せっしゅ ふ しゃ しんじつほう ど おうじょう
帰 命 したてまつれば、 摂 取 不 捨 のゆゑに 真 実 報 土の 往 生 をとぐべきものなり。

ほうぞう ぼ さついん に じ ざい せ じ ざいおうぶつしょ と けんしょぶつじょう ど いん こく ど にんでん


【3】 「 ▲ 法 蔵 菩 薩 因 位時 在 世自 在 王 仏 所 覩見 諸 仏 浄 土因 国土人 天
し ぜんあく せ じ ざいおうぶつ もう み だ にょらい し しょう おん
之 善 悪 」 といふは、 「*世自 在 王 仏 」 と 申 すは、 弥陀 如 来 のむかしの師 匠 の 御 こ
ぶつ に ひゃくいちじゅうおく しょぶつ じょう ど
となり。 しかれば、 この 仏 のみもとにして、 二 百 一 十 億 の 諸 仏 の 浄 土のなか
ぜんあく と けん
の 善 悪 を覩 見 しましまして、 そのなかにわろきをばえらびすて、 よきをばえらびと
じょう ど
りたまひて、 わが 浄 土としましますといへるこころにてあるなり。

こんりゅう む じょうしゅしょうがん ちょうほつ け う だい ぐ ぜい しょぶつ じょう ど


「▲ 建 立 無 上 殊 勝 願 超 発 希有 大 弘 誓 」 といふは、 諸 仏 の 浄 土をえら
さいほうごくらく せ かい しゅしょう じょう ど こんりゅう ちょう せ け う
びとりて 西 方 極 楽 世 界 の 殊 勝 の 浄 土 を 建 立 したまふがゆゑに、 超 世希有
だいがん おうちょう だいせいがん もう
の 大 願 とも、 また 横 超 の 大 誓 願 とも 申 すなり。

ご こう し ゆい し しょうじゅ いっこう し じゅう り し


「 ▲ 五 劫 思 惟 之 摂 受 」 といふは、 まづ 一 劫 といふは、 たかさ四 十 里 ひろさ四
じゅう り いし てんにん は ごろも ぜにひと よ じ ひと
十 里の 石 を、 天 人 の羽 衣 をもつて、 そのおもさ、 銭 一 つの* 四つの字を 一 つの
み じ さんねん いち ど いし つく
けて三 つの字 のおもさなるをきて、 三 年 に 一 度 くだりてこの 石 をなで 尽 せるを
いっこう いつ つく あ み だ ぶつ ほうぞう び く もう
一 劫 といふなり。 これを 五 つなで 尽 すほど、 阿弥陀 仏 の、 むかし 法 蔵 比丘と 申 せ
し ゆい じゅうあく ご ぎゃく ざいにん ご しょう さん
しとき、 思 惟 してやすきみのりをあらはして、 十 悪 ・五 逆 の 罪 人 も五 障 ・ 三
しょう にょにん じょう ど おうじょう ちか
従 の 女 人 をも、 もらさずみちびきて 浄 土に 往 生 せしめんと 誓 ひましましけり

じゅうせいみょうしょうもんじっぽう み だ にょらい ぶつどう


「▲ 重 誓 名 声 聞 十 方 」 といふは、 弥陀 如 来 、 仏 道 をなりましまさんに、 *
みょうしょうじっぽう きこ しょうがく な ちか
名 声 十 方 に 聞 えざるところあらば、 正 覚 を成らじと 誓 ひましますといへるこ

ころなり。
ふ ほう む りょう む へんこう ちょうにちがつこう
【4】 「▲普 放 無 量 無 辺 光 」 といふより 「 超 日 月 光 」 といふにいたるまでは、 こ
じゅう に こうぶつ いちいち み な
れ 十 二 光 仏 の 一 々 の御名なり。

む りょうこうぶつ り やく じょうおん か げん み らい
▲ 「無 量 光 仏 」 といふは、 利 益 の 長 遠 なることをあらはす。 *過・ 現 ・未 来 にわ
げんりょう かず かず
たりてその 限 量 なし、 ▲ 数 としてさらにひとしき 数 なきがゆゑなり。

む へんこうぶつ しょうゆう こうだい とく じっぽう せ かい つく


▲ 「無 辺 光 仏 」 といふは、 照 用 の 広 大 なる 徳 をあらはす。 十 方 世 界 を 尽 してさ
へんざい えん て
らに 辺 際 なし、 ▲ 縁 として照らさずといふことなきがゆゑなり。

む げ こうぶつ じんこう しょう げ そう にんぼう


「▲無礙 光 仏 」 といふは、 * 神 光 の 障 礙なき 相 をあらはす。 ▲ 人 法 としてよく*さふ
げ ない げ に しょう げ しょう さん が だい じ うん
ることなきがゆゑなり。 礙において 内 外の二 障 あり。 外 障 といふは、 山 河 大 地・ 雲
む えん か とう ないしょう とん しん ち まんとう こううん む げ にょ こ くう
霧 煙 霞 等 なり。 内 障 といふは、 * 貪 ・ 瞋 ・痴・* 慢 等 なり。 「▲ 光 雲 無礙 如 虚 空 」 (*讃弥
とく げ しょう しょじゃごう け む のう げ しゃ
陀偈) の 徳 あれば、 よろづの外 障 にさへられず、 「▲ 諸 邪 業 繋無 能 礙 者 」 (*定善義) の
ないしょう てんじん ぼ さつ じん
ちからあれば、 もろもろの 内 障 にさへられず。 かるがゆゑに 天 親 菩 薩 は 「 △ 尽
じっぽう む げ こうにょらい
十 方 無礙 光 如 来 」 (浄土論) とほめたまへり。

む たいこうぶつ そうたい ぼ
▲ 「無 対 光 仏 」 といふは、 ひかりとしてこれに 相 対 すべきものなし。 ▲もろもろの菩
さつ
薩 のおよぶところにあらざるがゆゑなり。

えんのうこうぶつ こうえんのうぶつ ごう こうみょう じ ざい む じょう


▲「 炎 王 光 仏 」 といふは、 または 光 炎 王 仏 と 号 す。 ▲ 光 明 自 在 にして無 上 な
だいきょう ゆうにょ か おう しょうめついっさい ぼんのうしん こ と
るがゆゑなり。 ¬* 大 経 ¼ (下) に 「▲ 猶 如 火 王 焼 滅一切 煩 悩 薪 故」 と説け
とく たん ひ たきぎ や つく
るは、 このひかりの 徳 を 嘆 ずるなり。 火をもつて 薪 を焼くに、 尽 さずといふことな
こうみょう ち か ぼんのう たきぎ や めっ
きがごとく、 光 明 の*智火をもつて 煩 悩 の 薪 を焼くに、 さらに 滅 せずといふこと
さん ず こくあん しゅじょう こうしょう げ だつ う やく
なし。 三 途* 黒 闇 の 衆 生 も 光 照 をかうぶり解 脱 を得るは、 このひかりの 益 なり

しょうじょうこうぶつ む とん ぜんごん しょう


▲「 清 浄 光 仏 」 といふは、 ▲無 貪 の 善 根 より 生 ず。 かるがゆゑにこのひかりを
しゅじょう とんよく ち
もつて 衆 生 の 貪 欲 を治するなり。
かん ぎ こうぶつ む しん ぜんごん しょう
▲「 歓 喜 光 仏 」 といふは、 ▲無 瞋 の 善 根 より 生 ず。 かるがゆゑにこのひかりをもつ
しゅじょう しん に めっ
て 衆 生 の 瞋 恚を 滅 するなり。

ち え こうぶつ む ち ぜんごん しょう


▲「智慧 光 仏 」 といふは、 ▲無痴の 善 根 より 生 ず。 かるがゆゑにこのひかりをもつて
む みょう あん は
無 明 の 闇 を破するなり。

ふ だんこうぶつ いっさい て さん
▲ 「不 断 光 仏 」 といふは、 一 切 のときに、 ときとして照らさずといふことなし。 ▲ 三
ぜ じょうごう しょうやく
世 常 恒 にして 照 益 をなすがゆゑなり。

なん じ こうぶつ じんこう そう ごん
▲「 難 思 光 仏 」 といふは、 ▲ 神 光 の 相 をはなれてなづくべきところなし。 はるかに 言
ご きょうがい なん じ こうぶつ
語の 境 界 にこえたるがゆゑなり。 こころをもつてはかるべからざれば 「 難 思 光 仏
と む しょうこうぶつ ごう む りょうじゅ
」 といひ、 ことばをもつて説 くべからざれば ▲「無 称 光 仏 」 と 号 す。 ¬*無 量 寿
にょらい え なん じ こうぶつ ふ か し ぎ こう む しょうこうぶつ
如 来 会 ¼ (上) には、 難 思 光 仏 をば 「 ▲ 不可思議 光 」 となづけ、 無 称 光 仏 をば 「 ▲
ふ か しょうりょうこう
不可 称 量 光 」 といへり。

ちょうにちがつこうぶつ にちがつ し てん げ て じょうてん


▲「 超 日 月 光 仏 」 といふは、 日 月 はただ四 天 下を照らして、 かみ 上 天 におよば
じ ごく ぶっこう はっぽうじょう げ て しょう げ
ず、 しも地 獄 にいたらず。 仏 光 はあまねく 八 方 上 下を照らして 障 礙するところ
にちがつ こ
なし。 かるがゆゑに 日 月 に超えたり。

じゅう に こう はな じっぽう み じん せ かい て しゅじょう り やく


さればこの 十 二 光 を 放 ちて 十 方 微 塵 世 界 を照らして 衆 生 を利 益 したまふなり

いっさいぐんじょう む こうしょう しゅじょう しゅくぜん こうしょう


「 ▲ 一 切 群 生 蒙 光 照 」 といふは、 あらゆる 衆 生 、 宿 善 あればみな 光 照
やく
の 益 にあづかりたてまつるといへるこころなり。

ほんがんみょうごうしょうじょうごう だいじゅうしち がん じっぽう


「▲ 本 願 名 号 正 定 業 」 といふは、 第 十 七 の 願 のこころなり。 十 方 の
しょぶつ な ちか がんじょうじゅ
諸 仏 にわが名をほめられんと 誓 ひましまして、 すでにその 願 成 就 したまへるすが
ほんがん みょうごう たい おうじょう
たは、 すなはちいまの 本 願 の 名 号 の 体 なり。 これすなはちわれらが 往 生 をとぐ
ぎょうたい
べき* 行 体 なりとしるべし。
し しんしんぎょうがん い いん じょうとうがくしょうだい ね はん ひっ し めつ ど がんじょうじゅ
「▲至 心 信 楽 願 為 因 成 等 覚 証 大涅槃 必 至 滅 度 願 成 就 」 といふは
だいじゅうはち しんじつ しんじん しょうじょうじゅ じゅう とう
、 第 十 八 の 真 実 の 信 心 をうればすなはち 正 定 聚 に 住 す。 そのうへに 等
しょうがく だい ね はん しょう だいじゅういち がん ひっ し めつ ど がんじょうじゅ
正 覚 にいたり 大 涅 槃 を 証 することは、 第 十 一 の 願 の 必 至 滅 度 の 願 成 就
へいぜいごうじょう もう しょうじょうじゅ
したまふがゆゑなり。 これを 平 生 業 成 とは 申 すなり。 されば 正 定 聚 といふは
ふ たい くらい ど やく
不 退 の 位 なり。 これは*この土の 益 なり。

めつ ど ね はん くらい ど やく わ さん
滅 度といふは涅 槃 の 位 なり、 これは*かの土の 益 なりとしるべし。 ¬和 讃 ¼ (*高僧和
がん ど む じょう ね はん しょう だい
讃) にいはく、 「▲ 願 土にいたればすみやかに 無 上 涅 槃 を 証 してぞ すなはち 大
ひ え こう
悲をおこすなり これを回 向 となづけたり」 といへり。 これをもつてこころうべし。

にょらいしょ い こうしゅつ せ ゆいせつ み だ ほんがんかい ご じょくあく じ ぐんしょうかい おうしん


【5】 「 ▲ 如 来 所 以 興 出 世 唯 説 弥陀 本 願 海 五 濁 悪時群 生 海 応信
にょらいにょじつごん しゃくそんしゅっ せ がん い み だ ほんがん と
如 来 如 実 言 」 といふは、 釈 尊 出 世の 元 意は、 ただ弥陀の 本 願 を説きましまさ
よ い ご じょくあく せ かい しゅじょう いっこう み だ ほんがん しん
んがために世に出でたまへり。 五 濁 悪 世 界 の 衆 生 、 一 向 に弥陀の 本 願 を 信 じ

たてまつれといへるこころなり。

のうほついちねん き あいしん いちねんかん ぎ しんじん


「▲ 能 発 一 念 喜 愛 心 」 といふは、 * 一 念 歓 喜の 信 心 のことなり。

ふ だんぼんのうとく ね はん がんりき ふ し ぎ み ぼんのう


「 ▲不 断 煩 悩 得 涅 槃 」 といふは、 願 力 の不思議なるがゆゑに、 わが身 には 煩 悩
だん ぶつ ね はん ぶん さだ
を 断 ぜざれども、 仏 のかたよりはつひに*涅 槃 にいたるべき 分 に 定 まるものなり。

ぼんしょうぎゃくほうさい え にゅう にょしゅすいにゅうかいいち み ぼん ぶ しょうにん ご


「▲ 凡 聖 逆 謗 斉 回 入 如 衆 水 入 海 一 味 」 といふは、 凡 夫 も 聖 人 も五
ぎゃく ほうぼう ひと ほんがん だい ち かい え にゅう みず うみ い
逆 も 謗 法 も、 斉 しく 本 願 の 大 智 海 に回 入 すれば、 もろもろの 水 の 海 に入りて
いち み
一 味なるがごとしといへるこころなり。

せっしゅしんこうじょうしょう ご い のうすい は む みょうあん とんないしんぞう し うん む じょう ふ しんじつ


「▲ 摂 取 心 光 常 照 護 已 能 雖 破無 明 闇 貪 愛 瞋 憎之雲霧 常 覆真 実
しんじんてん ひ にょにっこう ふ うん む うん む し げ みょう む あん み だ にょらい ねんぶつ
信心天 譬如 日 光覆雲霧 雲 霧之下 明 無 闇 」 といふは、 弥陀 如 来 、 念 仏 の
しゅじょう せっしゅ て む みょう あん は
衆 生 を 摂 取 したまふひかりはつねに照らしたまひて、 すでによく無 明 の 闇 を破
とんよく しん に くも きり しんじつしんじん てん おお
すといへども、 貪 欲 と 瞋 恚と、 雲 ・ 霧 のごとくして 真 実 信 心 の 天 に 覆 へること
にっこう くも きり おお
、 日 光 のあきらかなるを、 雲 ・ 霧 の 覆 ふによりてかくすといへども、 そのしたはあ

きらかなるがごとしといへり。

ぎゃくしんけんきょうだいきょう き ほう
「▲ 獲 信 見 敬 大 慶 喜」 といふは、 法 をききてわすれず、 おほきによろこぶひ
しゃくそん しん ぬ
とをば、 釈 尊 は 「▲わがよき 親 友なり」 (大経・下) とのたまへり。

そくおうちょうぜつ ご あくしゅ いちねんきょう き しん がんりき ふ し ぎ


「 ▲ 即 横 超 截 五 悪 趣 」 といふは、 一 念 慶 喜 の 心 おこれば、 願 力 不思議 のゆ
じ ねん じ ごく が き ちくしょう しゅ ら にん てん
ゑに、 すなはちよこさまに自 然 として地 獄 ・餓鬼・ 畜 生 ・ 修 羅・ 人 ・ 天 のきづ

なを截るといへるこころなり。

いっさいぜんあくぼん ぶ にん もんしんにょらい ぐ ぜいがん ぶつごんこうだいしょう げ しゃ ぜ にんみょうふん


「▲ 一 切 善 悪 凡 夫 人 聞 信 如 来弘誓 願 仏 言 広 大 勝 解者 是人 名 分
だ り け いっさい ぜんにん あくにん にょらい ほんがん もんしん しゃくそん
陀利華」 といふは、 一 切 の 善 人 も 悪 人 も、 如 来 の 本 願 を 聞 信 すれば、 釈 尊 は
こうだいしょう げ ふん だ り け
このひとを 「▲ 広 大 勝 解のひと」 (如来会・下) なりといひ、 また 「▲ 分 陀利華」 (*観経) に
じょうじょうにん け う にん
たとへ、 あるいは ▲「 上 上 人 」 (*散善義) なりとも、 「希有 人 」 (同) なりともほめたまへ

り。

み だ ぶつほんがんねんぶつ じゃけんきょうまんあくしゅじょう しんぎょうじゅ じ じん い なん なんちゅう し


「 ▲ 弥陀 仏 本 願 念 仏 邪見 憍 慢悪衆 生 信 楽 受持甚以難 難 中 之
なん む か し み だ にょらい ほんがん ねんぶつ じゃけん きょうまん
難 無過斯 」 といふは、 弥陀 如 来 の 本 願 の 念 仏 をば、 邪 見 のものと 憍 慢 のもの
あくにん しんじつ しん かた かた す
と 悪 人 とは、 真 実 に 信 じたてまつること 難 きがなかに 難 きこと、 これに過ぎたる

はなしといへるこころなり。

いん ど さいてん し ろん げ ちゅう か じちいき し こうそう けんだいしょうこう せ しょう い みょう


【6】 「▲ 印度西 天之論家 中 夏日 域之高 僧 顕 大 聖 興世 正 意 明
にょらいほんぜいおう き いん ど さいてん てんじく ちゅう か とう ど
如 来 本 誓 応 機」 といふは、 印 度 西 天 といふは 天 竺 なり、 中 夏といふは 唐 土 (中
じちいき にっぽん さんごく そ し とう ねんぶつ いちぎょう
国) なり、 日 域 といふは 日 本 のことなり。 この 三 国 の祖師 等 、 念 仏 の 一 行 をす
しゃくそんしゅっ せ ほんがい み だ ほんがん と
すめ、 ことに 釈 尊 出 世 の 本 懐 は、 ただ弥陀の 本 願 をあまねく説 きあらはして
まつ せ ぼん ぶ き おう
、 末 世の 凡 夫の機に 応 じたることをあかしましますといへるこころなり。

しゃ か にょらいりょう が せん い しゅごうみょうなんてんじく りゅうじゅだい じ しゅつ お せ しつのう


【7】 「 ▲ 釈 迦 如 来 楞 伽 山 為衆 告 命 南 天 竺 龍 樹 大 士 出 於世 悉能
ざい は う む けん せんぜつだいじょう む じょうほう しょうかん ぎ じ しょうあんらく りゅう
摧 破有無 見 宣説大 乗 無 上 法 証 歓 喜地 生 安 楽 」 といふは、 この* 龍
じゅ ぼ さつ はっしゅう そ し せん ぶ ろん じ しゃくそん めつ ご ご ひゃく よ さい しゅっ せ
樹 菩 薩 は* 八 宗 の祖師、 千 部の 論 師なり。 釈 尊 の 滅 後五 百 余 歳 に 出 世した
しゃくそん りょう が きょう と なんてんじく
まふ。 釈 尊 これをかねてしろしめして、 ¬* 楞 伽 経 ¼ に説きたまはく、 「 南 天 竺
こく りゅうじゅ び く う む じゃけん は だいじょう む じょう ほう と
国 に 龍 樹 といふ比丘あるべし。 よく有無の 邪 見 を破して、 大 乗 無 上 の 法 を説
かん ぎ じ しょう あんらく おうじょう み らい き
きて、 歓 喜地を 証 して 安 楽 に 往 生 すべし」 と未 来 記したまへり。

けん じ なんぎょうろく ろ く しんぎょう い ぎょうすいどうらく りゅうじゅ


「 ▲ 顕 示 難 行 陸 路苦 信 楽 易 行 水 道 楽 」 と い ふ は 、 か の 龍 樹 の ¬*
じゅうじゅう び ば しゃろん ねんぶつ に しゅ どう ひと なん
十 住 毘婆 沙 論 ¼ に、 念 仏 をほめたまふに二 種 の 道 をたてたまふ。 一 つには 難
ぎょうどう ふた い ぎょうどう なんぎょうどう しゅ
行 道 、 二 つには易 行 道 なり。 その 難 行 道 の 修 しがたきことをたとふるに
ろく じ あゆ い ぎょうどう しゅ
、 陸 地 のみちを 歩 ぶがごとしといへり。 易 行 道 の 修 しやすきことをたとふるに
みず ふね の
、 水 のうへを 船 に乗りてゆくがごとしといへり。

おくねん み だ ぶつほんがん じ ねんそく じ にゅうひつじょう ほんがんりき ふ し ぎ


「 ▲ 憶 念 弥陀 仏 本 願 自 然 即 時 入 必 定 」 と い ふ は 、 本 願 力 の 不思議 を
おくねん ひつじょう い
憶 念 するひとは、 おのづから* 必 定 に入るべきものなりといへるこころなり。

ゆいのうじょうしょうにょらいごう おうほうだい ひ ぐ ぜいおん しんじつ しんじん ぎゃく


「▲ 唯 能 常 称 如来号 応 報 大 悲弘 誓 恩 」 といふは、 真 実 の 信 心 を 獲
とく ぎょうじゅう ざ が みょうごう とな だい ひ ぐ ぜい おんどく ほう
得 せんひとは、 行 住 坐臥に 名 号 を 称 へて、 大 悲弘 誓 の 恩 徳 を 報 じたてまつ

るべしといへるこころなり。

てんじん ぼ さつぞうろんせつ き みょう む げ こうにょらい てんじん ぼ さつ


【8】 「 ▲ 天 親 菩 薩 造 論 説 帰 命 無礙 光 如 来 」 といふは、 この * 天 親 菩 薩 も
りゅうじゅ せん ぶ ろん じ ぶつめつ ご く ひゃくねん しゅっ せ
龍 樹 とおなじく 千 部の 論 師なり。 仏 滅 後九 百 年 にあたりて 出 世したまふ。 ¬
じょう ど ろん いっかん つく さんぎょう たい い む げ こう
浄 土 論 ¼ 一 巻 を 造 りて、 あきらかに * 三 経 の 大 意 をのべ、 もつぱら無礙 光
にょらい き みょう
如 来 に帰 命 したてまつりたまへり。

え しゅ た ら けんしんじつ こうせんおうちょうだいせいがん こう ゆ ほんがんりき え こう い ど ぐんじょう


「 ▲ 依 修 多羅 顕 真 実 光闡横 超 大誓願 広由本 願 力回向 為度 群 生
しょういっしん ぼ さつ だいじょうきょう しんじつ あらわ しんじつ
彰 一 心 」 といふは、 この菩 薩 、 * 大 乗 経 によりて 真 実 を 顕 す。 その 真 実 と
ねんぶつ おうちょう だいせいがん ほんがん え こう ぐんじょう さい
いふは 念 仏 なり。 横 超 の 大 誓 願 をひらきて、 本 願 の回 向 によりて 群 生 を 済
ど ろんじゅ いっしん む げ こう き みょう しゅじょう いっしん
度せんがために、 論 主 (天親) も 一 心 に無礙 光 に帰 命 し、 おなじく 衆 生 も 一 心
にょらい き みょう
にかの 如 来 に帰 命 せよとすすめたまへり。
き にゅう く どくだいほうかい ひつぎゃくにゅうだい え しゅしゅ だいほうかい
「 ▲帰 入 功 徳 大 宝 海 必 獲 入 大 会 衆 数 」 といふは、 大 宝 海 といふは、 よ
しゅじょう だいかい みず
ろづの 衆 生 をきらはず、 さはりなく、 へだてず、 みちびきたまふを、 大 海 の 水 の
く どく だいほうかい き にゅう み だ だい え
へだてなきにたとへたり。 この功 徳 の 大 宝 海 に帰 入 すれば、 かならず弥陀* 大 会
かず い
の 数 に入るといへるこころなり。

とく し れん げ ぞう せ かい そくしょうしんにょほっしょうしん れん げ ぞう せ かい
「▲ 得 至 蓮 華 蔵 世 界 即 証 真 如 法 性 身 」 といふは、 蓮 華 蔵 世 界 といふは
あんにょう せ かい ど しんにょほっしょう み
安 養 世 界 のことなり。 かの土にいたりなば、 すみやかに 真 如 法 性 の身をうべき

ものなりといふこころなり。

ゆ ぼんのうりんげんじんずう にゅうしょう じ おん じ おう げ げんそう え こう


「▲遊 煩 悩 林 現 神 通 入 生 死 園 示 応 化」 といふは、 これは 還 相 回 向 のここ
み だ じょう ど しゃ ば じんずう じ ざい
ろなり。 弥陀の 浄 土にいたりなば、 娑 婆にもまたたちかへり、 神 通 自 在 をもつて、
しゅじょう り やく
こころにまかせて、 衆 生 をも利 益 せしむべきものなり。

ほん し どんらんりょうてん し じょうこうらんしょ ぼ さつらい どんらんだい し


【9】 「▲ 本 師 曇 鸞 梁 天 子 常 向 鸞 処 菩 薩 礼 」 といふは、 * 曇 鸞 大 師はもとは
し ろんしゅう し ろん さんろん ち ろん さんろん
四 論 宗 のひとなり。 四 論 といふは、 三 論 に ¬*智 論 ¼ をくはふるなり。 三 論 とい
ひと ちゅうろん ふた ひゃくろん み じゅう に もんろん
ふは、 一 つには ¬* 中 論 ¼ 、 二 つには ¬* 百 論 ¼ 、 三つには ¬* 十 二 門 論 ¼ な
か しょう し ろん つうだつ りょうこく てん し
り。 和 尚 (曇鸞) はこの四 論 に 通 達 しましましけり。 さるほどに、 梁 国 の 天 子 *
そうおう ご しんこう かた む どんらん ぼ さつ らい
蕭 王 は御 信 仰 ありて、 おはせし 方 につねに向かひて、 曇 鸞 菩 薩 とぞ 礼 しましまし

けり。

さんぞう る し じゅじょうきょう ぼんじょうせんぎょう き らくほう どんらんだい し


「▲ 三 蔵 流支 授 浄 教 焚 焼 仙 経 帰 楽 邦 」 といふは、 かの 曇 鸞 大 師、 は
し ろんしゅう ぶっぽう
じめは四 論 宗 にておはせしが、 仏 法 のそこをならひきはめたりといふとも、 いのち
とういんきょ
みじかくは、 ひとをたすくることいくばくならんとて、 * 陶 隠 居 といふひとにあうて、
ちょうせい ふ し ほう さんねん せんにん
まづ 長 生 不死の 法 をならひぬ。 すでに 三 年 のあひだ 仙 人 のところにしてならひ

えてかへりたまふ。

ぼ だい る し もう さんぞう ぶっぽう ちょう


そのみちにて*菩 提 流支と 申 す* 三 蔵 にゆきあひてのたまはく、 「 仏 法 のなかに 長
せい ふ し ほう ど せんぎょう ほう と さんぞう じ
生 不死の 法 は、 *この土の 仙 経 にすぐれたる 法 やある」 と問ひたまへば、 三 蔵 、 地
は ほう ちょうせい ふ し ほう
につばきを吐きていはく、 「この 方 にはいづくのところにか 長 生 不死の 法 あらん。
ちょうねん え し さん ぬ りん ね
たとひ 長 年 を得てしばらく死せずといふとも、 つひに 三 有に 輪 廻すべし」 といひ
じょう ど かん む りょうじゅきょう さず
て、 すなはち 浄 土 の *¬ 観 無 量 寿 経 ¼ を 授 けていはく、 「これこそまことの
ちょうせい ふ し ほう ねんぶつ しょう じ
長 生 不死の 法 なり。 これによりて 念 仏 すれば、 はやく 生 死をのがれて、 はかり
う どんらん せんぎょうじっかん
なきいのちを得べし」 とのたまへば、 曇 鸞 これをうけとりて、 仙 経 十 巻 をたちま
や いっこう じょう ど き
ちに焼きすてて、 一 向 に 浄 土に帰したまひけり。

てんじん ぼ さつろんちゅう げ ほう ど いん が けんせいがん らん し てんじん ぼ


「▲ 天 親 菩 薩 論 註 解 報 土 因 果 顕 誓 願 」 といふは、 かの 鸞 師 (曇鸞)、 天 親 菩
さつ じょう ど ろん ちゅう げ ごくらく いん が
薩 の ¬ 浄 土 論 ¼ に ¬ 註 解¼ (*論註) といふふみをつくりて、 くはしく 極 楽 の 因 果
いちいち せいがん あらわ
、 一 々 の 誓 願 を 顕 したまへり。

おうげん え こう ゆ た りき しょうじょう し いんゆいしんじん おうそう げんそう に しゅ


「 ▲ 往 還 回 向 由他 力 正 定 之 因 唯 信 心 」 といふは、 往 相 ・ 還 相 の二 種 の
え こう ぼん ぶ にょらい た りき
回 向 は、 凡 夫としては*さらにおこさざるものなり、 ことごとく 如 来 の他 力 よりおこ
しょうじょう いん しんじん
さしめられたり。 正 定 の 因 は 信 心 をおこさしむるによれるものなりとなり。

わくぜんぼん ぶ しんじんほつ しょう ち しょう じ そく ね はん いちねん しん


「▲ 惑 染 凡 夫 信 心 発 証 知 生 死 即 涅 槃 」 といふは、 一 念 の 信 おこりぬれば
わくぜん き ふ か し ぎ ほう しょう じ
、 いかなる* 惑 染 の機なりといふとも、 不可思議の 法 なるがゆゑに、 生 死すなはち
ね はん
涅 槃 なりといへるこころなり。

ひっ し む りょうこうみょう ど しょ う しゅじょうかい ふ け しょうにん み だ しん


「▲ 必 至無 量 光 明 土 諸 有 衆 生 皆 普化」 といふは、 聖 人 (*親鸞)、 弥陀の 真
ど さだ ぶつ ふ か し ぎ こう ど む りょうこうみょう ど
土を 定 めたまふとき、 「▲ 仏 はこれ不可思議 光 、 土はまた無 量 光 明 土なり」 (*真仏土
ど え ど う じょう け
巻・意) といへり。 かの土にいたりなばまた穢土にたちかへり、 あらゆる有 情 を化すべ

しとなり。

どうしゃくけつしょうどうなんしょう ゆいみょうじょう ど か つうにゅう どう


【10】 「 ▲ 道 綽 決 聖 道 難 証 唯 明 浄 土可 通 入 」 といふは、 この * 道
しゃく ね はんしゅう がくしゃ どんらん か しょう めんじゅ で し じ だい
綽 はもとは涅 槃 宗 の 学 者 なり。 曇 鸞 和 尚 の* 面 授 の弟子にあらず。 その時 代
いっぴゃく よ さい へいしゅうげんちゅう じ どんらん ひ もん
*一 百 余 歳 をへだてたり。 しかれども* 并 州 玄 中 寺にして 曇 鸞 の碑の 文 をみ
じょう ど き で し ね はん こうごう
て、 浄 土に帰したまひしゆゑに、 かの弟子たり。 これまたつひに*涅 槃 の 広 業 をさ
さいほう ぎょう しょうどう なんぎょう
しおきて、 ひとへに 西 方 の 行 をひろめたまひき。 されば 聖 道 は 難 行 なり
じょう ど い ぎょう とうこん ぼん ぶ じょう ど いちもん つうにゅう
、 浄 土は易 行 なるがゆゑに、 ただ 当 今 の 凡 夫は 浄 土の 一 門 のみ 通 入 すべき

みちなりとをしへたまへり。

まんぜん じ りきへんごんしゅ えんまんとくごうかんせんしょう まんぜん じ りき ぎょう


「▲ 万 善 自 力 貶 勤 修 円 満 徳 号 勧 専 称 」 といふは、 万 善 は自 力 の 行 な
まつだい き しゅぎょう えんまん とくごう た
るがゆゑに、 末 代 の機 、 修 行 することかなひがたしといへり。 円 満 の 徳 号 は他
りき ぎょう まつだい き そうおう
力 の 行 なるがゆゑに、 末 代 の機には 相 応 せりといへるこころなり。

さん ぷ さんしん け おんごん ぞうまつほうめつどう ひ いん どうしゃくぜん じ さん ぷ さんしん


「▲ 三 不 三 信 誨 慇 懃 像 末 法 滅 同 悲 引 」 といふは、 道 綽 禅 師、 「 三 不 三 信
しゃく ひと しんじん にゃくぞんにゃくもう
」 といふことを 釈 したまへり。 「▲ 一 つには 信 心 あつからず、 若 存 若 亡 するゆ
ふた しんじん けつじょう み しんじん
ゑに。 二 つには 信 心 ひとつならず、 いはく、 決 定 なきがゆゑに。 三 つには 信 心
そうぞく よ ねんけん こ
相 続 せず、 いはく、 余 念 間 故なるがゆゑに」 (*安楽集・上) といへり。 かくのごとくねん
ぞうぼう まっぽう しゅじょう
ごろにをしへたまひて、 像 法 ・ 末 法 の 衆 生 をおなじくあはれみましましけり。

いっしょうぞうあく ち ぐ ぜい し あんにょうがいしょうみょう か み だ ぐ ぜい もうあ


「 ▲ 一 生 造 悪 値弘 誓 至 安 養 界 証 妙 果 」 といふは、 弥陀の弘 誓 に 値 ひ
いっしょうぞうあく き あんにょうがい いた む じょう
たてまつるによりて、 一 生 造 悪 の機 も 安 養 界 に 至 れば、 すみやかに無 上 の
みょう か しょう
妙 果を 証 すべきものなりといへるこころなり。

ぜんどうどくみょうぶつしょう い こうあいじょうさん よ ぎゃくあく じょう ど もん


【11】 「 ▲ 善 導 独 明 仏 正 意 矜 哀 定 散 与 逆 悪 」 といふは、 浄 土 門 の
そ し かず ぜんどう ひと ぶっしょう
祖師その 数 これおほしといへども、 善 導 にかぎり 独 り* 仏 証 をこうて、 あやまりな
ぶつ しょう い あ じょうさん き ご ぎゃく き
く 仏 の 正 意を明かしたまへり。 されば* 定 散 の機をも五 逆 の機をも、 もらさず

あはれみたまひけりといふこころなり。

こうみょうみょうごうけんいんねん み だ にょらい し じゅうはちがん だいじゅう に


「 ▲ 光 明 名 号 顕 因 縁 」 といふは、 弥陀 如 来 の四 十 八 願 のなかに 第 十 二
がん ちか ねんぶつ しゅじょう
の 願 は、 「▲わがひかりきはなからん」 と 誓 ひたまへり、 これすなはち 念 仏 の 衆 生
せっしゅ がん じょうじゅ む げ じっぽう
を 摂 取 のためなり。 かの 願 すでに 成 就 してあまねく無礙のひかりをもつて 十 方
み じん せ かい て しゅじょう ぼんのうあくごう じょう じ て
微 塵 世 界 を照らしたまひて、 衆 生 の 煩 悩 悪 業 を 長 時に照らしまします。 され
えん しゅじょう む みょう こんあん しゅくぜん
ばこのひかりの 縁 にあふ 衆 生 、 *やうやく無 明 の* 昏 闇 うすくなりて 宿 善 のた
ほう ど うま だいじゅうはち ねんぶつおうじょう がんいん みょうごう
ねきざすとき、 まさしく 報 土に 生 るべき 第 十 八 の 念 仏 往 生 の* 願 因 の 名 号
みょうごうしゅう じ じ りき こうみょう
をきくなり。 しかれば、 名 号 執 持することさらに自 力 にあらず、 ひとへに 光 明
こうみょう えん みょうごう いん
にもよほさるるによりてなり。 このゆゑに 光 明 の 縁 にきざされて 名 号 の 因 は
あらわ
顕 るるといふこころなり。

かいにゅうほんがんだい ち かい ぎょうじゃしょうじゅこんごうしん ほんがん だい ち かい き


「▲ 開 入 本 願 大 智 海 行 者 正 受 金 剛 心 」 といふは、 本 願 の 大 智 海 に帰
にゅう しんじつ こんごうしん う
入 しぬれば、 真 実 の 金 剛 心 を受けしむといふこころなり。

きょう き いちねんそうおう ご よ い だいとうぎゃくさんにん そくしょうほっしょう し じょうらく


「▲ 慶 喜 一 念 相 応 後 与韋 提 等 獲 三 忍 即 証 法 性 之 常 楽 」 といふは
いっしんねんぶつ ぎょうじゃ いちねんきょう き しんじん い だい け ぶ にん
、 一 心 念 仏 の 行 者 、 一 念 慶 喜の 信 心 さだまりぬれば、 *韋 提 希夫 人 とひとし
き ご しん さんにん う き ご しん さんにん ひと き にん
く、 喜・悟・ 信 の 三 忍 を獲べきなり。 喜・悟・ 信 の 三 忍 といふは、 一 つには喜 忍
ふた ご にん み しんにん き にん しんじんかん ぎ とくやく
、 二 つには悟 忍 、 三つには 信 忍 なり。 喜 忍 といふは、 これ 信 心 歓 喜の 得 益 をあら
ご にん ぶっ ち しんにん
はすこころなり。 悟 忍 といふは、 仏 智をさとるこころなり。 信 忍 といふは、 すなはち
しんじんじょうじゅ
これ 信 心 成 就 のすがたなり。

い だい さんにん やく しんじつしんじん ぐ そく
しかれば、 韋 提 はこの 三 忍 の 益 をえたまへるなり。 これによりて 真 実 信 心 を具 足
い だい け ぶ にん さんにん ほっしょう じょうらく しょう
せんひとは、 韋 提 希夫 人 にひとしく 三 忍 をえて、 すなはち 法 性 の 常 楽 を 証 す

べきものなり。

げんしんこうかいいちだいきょう へん き あんにょうかんいっさい りょうごん か


【 12 】 「 ▲ 源 信 広 開 一 代 教 偏 帰 安 養 勧 一 切 」 とい ふ は 、 * 楞 厳 の和
しょう しゃ か いちだい きょう ひら ねんぶつ いっさい
尚 (*源信) は、 ひろく 釈 迦 一 代 の 教 を 開 きて、 もつぱら 念 仏 をえらんで、 一 切
しゅじょう さいほう おうじょう
衆 生 をして 西 方 の 往 生 をすすめしめたまへり。

せんぞうしゅうしんはんせんじん ほう け に ど しょうべんりゅう ぞうぎょうざっしゅ き


「▲ 専 雑 執 心 判 浅 深 報 化二土 正 弁 立 」 といふは、 雑 行 雑 修 の機をす
しゅうしん け ど け まんこく しょう せんじゅ
てやらぬ * 執 心 あるひとは、 かならず化土懈 慢 国 に 生 ずるなり。 また 専 修
しょうぎょう しゅうしん ほう ど ごくらくこく しょう
正 行 になりきはまるかたの 執 心 あるひとは、 さだめて 報 土 極 楽 国 に 生 ずべ
せんぞう に しゅ せんじん はん わ さん
しとなり。 これすなはち 専 雑 二 修 の 浅 深 を 判 じたまへるこころなり。 ¬和 讃 ¼ (高僧
ほう じょう ど おうじょう け ど うま
和讃) にいはく、 「▲ 報 の 浄 土の 往 生 は おほからずとぞあらはせる 化土に 生 る
しゅじょう
る 衆 生 をば すくなからずとをしへたり」 といへるはこのこころなりとしるべし。

ごくじゅうあくにんゆいしょうぶつ ごくじゅう あくにん た ほうべん み だ


「 ▲ 極 重 悪 人 唯 称 仏 」 といふは、 極 重 の 悪 人 は他の 方 便 なし、 ただ弥陀
しょう ごくらく しょう え もん
を 称 して 極 楽 に 生 ずることを得よといへる 文 のこころなり。

が やくざい ひ せっしゅちゅう ぼんのうしょうげんすい ふ けん だい ひ む けんじょうしょう が


「▲我 亦 在 彼 摂 取 中 煩 悩 障 眼 雖不見 大 悲無 倦 常 照 我 」 といふは
しんじつしんじん み しゃ ば せっしゅ こうみょう
、 真 実 信 心 をえたるひとは、 身は 娑 婆にあれどもかの 摂 取 の 光 明 のなかにあり。
ぼんのう み だ にょらい
しかれども、 煩 悩 まなこをさへてをがみたてまつらずといへども、 弥陀 如 来 は*もの
み て
うきことなくして、 つねにわが身を照らしましますといへるこころなり。

ほん し げんくうみょうぶっきょう れんみんぜんあくぼん ぶ にん にっぽん ねんぶつ


【13】 「▲ 本 師 源 空 明 仏 教 憐 愍 善 悪 凡 夫 人 」 といふは、 日 本 には 念 仏 の
そ し かず ほうねんしょうにん いってん あお
祖師その 数 これおほしといへども、 * 法 然 聖 人 のごとく* 一 天 にあまねく 仰 がれた
ぶっきょう み だ
まふひとはなきなり。 これすなはち 仏 教 にあきらかなりしゆゑなり。 されば弥陀の
け しん せい し らいげん ぜんどう さいたん めい し
化 身 といひ、 また 勢 至の 来 現 といひ、 また 善 導 の 再 誕 ともいへり。 かかる* 明 師
ぜんあく ぼん ぶ にん じょう ど い
にてましますがゆゑに、 われら 善 悪 の 凡 夫 人 をあはれみたまひて 浄 土にすすめ入

れしめたまひけるものなり。

しんしゅうきょうしょうこうへんしゅう せんじゃくほんがん ぐ あく せ しょうにん


「▲ 真 宗 教 証 興片 州 選 択 本 願 弘 悪 世 」 といふは 、 かの 聖 人 (法
ちょう じょう ど しゅう せんじゃくしゅう
然) わが 朝 にはじめて 浄 土 宗 をたてたまひて、 また ¬* 選 択 集 ¼ といふふみ
あく せ
をつくりましまして、 悪 世にあまねくひろめしめたまへり。

げんらいしょう じ りんでん げ けつ い ぎ じょう い しょ し そくにゅうじゃくじょう む い らく ひつ い しんじん


「▲ 還 来 生 死 輪 転 家 決 以疑 情 為 所 止 速 入 寂 静 無為 楽 必以信 心
い のうにゅう しょう じ りんでん いえ ろくどうりん ね
為 能 入 」 といふは、 生 死 輪 転 の 家 といふは、 六 道 輪 廻 のことなり。 このふる
かえ ぎ じょう じゃくじょう む い じょう ど
さとへ 還 ることは疑 情 のあるによりてなり。 また 寂 静 無為の 浄 土へいたるこ
しんじん せんじゃくしゅう しょう じ いえ
とは 信 心 のあるによりてなり。 されば ¬ 選 択 集 ¼ にいはく、 「 ▲ 生 死 の 家 に
うたがい しょ し ね はん しん のうにゅう
は 疑 をもつて 所 止とし、 涅 槃 のみやこには 信 をもつて 能 入 とす」 といへる、 こ

のこころなり。
ぐ きょうだい じ しゅ し とう じょうさい む へんごくじょくあく どうぞく じ しゅとうどうしん ゆい か
【14】 「 ▲弘 経 大 士 宗 師 等 拯 済無辺 極 濁 悪 道 俗時衆 共 同 心 唯可
しん し こうそうせつ ぐ きょうだい じ てんじく しんたん ちょう
信 斯 高 僧 説 」 といふは、 弘 経 大 士といふは、 天 竺 (印度) ・ 震 旦 (中国)・わが 朝
ぼ さつ そ し とう にん し み らい ごくじょくあく
の菩 薩 ・祖師 等 のことなり。 かの 人 師、 未 来 の 極 濁 悪 のわれらをあはれみすくひ
しゅっしょう どうぞくとう さんごく こう そ せつ
たまはんとて 出 生 したまへり。 しかれば 道 俗 等 、 みなかの 三 国 の 高 祖の 説 を
しん しんじつほう ど おうじょう
信 じたてまつるべきものなり。 さればわれらが 真 実 報 土の 往 生 ををしへたまふこ
そ し とう ご おん おんどく
とは、 *しかしながらこの祖師 等 の御 恩 にあらずといふことなし。 よくよくその 恩 徳
ほうしゃ
を 報 謝 したてまつるべきものなり。

おく がき
奥 書

みぎ しょうしん げ たい い かねがもり どうさい いっしん さいかく れんれん


右 この ¬ 正 信 偈 大 意¼ は、 * 金 森 の * 道 西 、 一 身 の 才 覚 のために * 連 々 そ
よ りょうけん しんしゃく
ののぞみこれありといへども、 予いささかその* 料 簡 なきあひだ、 かたく* 斟 酌 をくは
しょもう もんごん
ふるところに、 しきりに 所 望 のむねさりがたきによりて、 文 言 のいやしきをかへりみず
ぎり し だい がんしゅ めい
、 また義理の次 第 をもいはず、 ただ* 願 主 の 命 にまかせて、 ことばをやはらげ、 これを
しょもう がいけん
しるしあたふ。 その 所 望 あるあひだ、 かくのごとくしるすところなり。 あへて* 外 見 あ

るべからざるものなり。

とき ちょうろくだい し てん りんしょう ふで そ
時 に** 長 禄 第 四の 天 、 * 林 鐘 のころ、 筆 を染めをはりぬ。

You might also like