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正信偈大意 蓮如上人
正信偈大意 蓮如上人
正信偈大意 蓮如上人
◎ 正 信偈大意
と しょうしん げ ぎ
問うていはく、 「 正 信 偈」 といふは、 これはいづれの義ぞや。
こた しょう ぼう たい じゃ たい ぞう たい
答 へていはく、 ▲「 正 」 といふは、 傍 に 対 し、 邪 に 対 し、 雑 に 対 することばなり
しん ぎ たい ぎょう たい
。 「 信 」 といふは、 疑に 対 し、 また 行 に 対 することばなり。
ころなり。
ふ ほう む りょう む へんこう ちょうにちがつこう
【4】 「▲普 放 無 量 無 辺 光 」 といふより 「 超 日 月 光 」 といふにいたるまでは、 こ
じゅう に こうぶつ いちいち み な
れ 十 二 光 仏 の 一 々 の御名なり。
む りょうこうぶつ り やく じょうおん か げん み らい
▲ 「無 量 光 仏 」 といふは、 利 益 の 長 遠 なることをあらはす。 *過・ 現 ・未 来 にわ
げんりょう かず かず
たりてその 限 量 なし、 ▲ 数 としてさらにひとしき 数 なきがゆゑなり。
む たいこうぶつ そうたい ぼ
▲ 「無 対 光 仏 」 といふは、 ひかりとしてこれに 相 対 すべきものなし。 ▲もろもろの菩
さつ
薩 のおよぶところにあらざるがゆゑなり。
ふ だんこうぶつ いっさい て さん
▲ 「不 断 光 仏 」 といふは、 一 切 のときに、 ときとして照らさずといふことなし。 ▲ 三
ぜ じょうごう しょうやく
世 常 恒 にして 照 益 をなすがゆゑなり。
なん じ こうぶつ じんこう そう ごん
▲「 難 思 光 仏 」 といふは、 ▲ 神 光 の 相 をはなれてなづくべきところなし。 はるかに 言
ご きょうがい なん じ こうぶつ
語の 境 界 にこえたるがゆゑなり。 こころをもつてはかるべからざれば 「 難 思 光 仏
と む しょうこうぶつ ごう む りょうじゅ
」 といひ、 ことばをもつて説 くべからざれば ▲「無 称 光 仏 」 と 号 す。 ¬*無 量 寿
にょらい え なん じ こうぶつ ふ か し ぎ こう む しょうこうぶつ
如 来 会 ¼ (上) には、 難 思 光 仏 をば 「 ▲ 不可思議 光 」 となづけ、 無 称 光 仏 をば 「 ▲
ふ か しょうりょうこう
不可 称 量 光 」 といへり。
めつ ど ね はん くらい ど やく わ さん
滅 度といふは涅 槃 の 位 なり、 これは*かの土の 益 なりとしるべし。 ¬和 讃 ¼ (*高僧和
がん ど む じょう ね はん しょう だい
讃) にいはく、 「▲ 願 土にいたればすみやかに 無 上 涅 槃 を 証 してぞ すなはち 大
ひ え こう
悲をおこすなり これを回 向 となづけたり」 といへり。 これをもつてこころうべし。
たてまつれといへるこころなり。
きらかなるがごとしといへり。
ぎゃくしんけんきょうだいきょう き ほう
「▲ 獲 信 見 敬 大 慶 喜」 といふは、 法 をききてわすれず、 おほきによろこぶひ
しゃくそん しん ぬ
とをば、 釈 尊 は 「▲わがよき 親 友なり」 (大経・下) とのたまへり。
り。
はなしといへるこころなり。
るべしといへるこころなり。
とく し れん げ ぞう せ かい そくしょうしんにょほっしょうしん れん げ ぞう せ かい
「▲ 得 至 蓮 華 蔵 世 界 即 証 真 如 法 性 身 」 といふは、 蓮 華 蔵 世 界 といふは
あんにょう せ かい ど しんにょほっしょう み
安 養 世 界 のことなり。 かの土にいたりなば、 すみやかに 真 如 法 性 の身をうべき
ものなりといふこころなり。
けり。
えてかへりたまふ。
しとなり。
みちなりとをしへたまへり。
あはれみたまひけりといふこころなり。
い だい さんにん やく しんじつしんじん ぐ そく
しかれば、 韋 提 はこの 三 忍 の 益 をえたまへるなり。 これによりて 真 実 信 心 を具 足
い だい け ぶ にん さんにん ほっしょう じょうらく しょう
せんひとは、 韋 提 希夫 人 にひとしく 三 忍 をえて、 すなはち 法 性 の 常 楽 を 証 す
べきものなり。
れしめたまひけるものなり。
のこころなり。
ぐ きょうだい じ しゅ し とう じょうさい む へんごくじょくあく どうぞく じ しゅとうどうしん ゆい か
【14】 「 ▲弘 経 大 士 宗 師 等 拯 済無辺 極 濁 悪 道 俗時衆 共 同 心 唯可
しん し こうそうせつ ぐ きょうだい じ てんじく しんたん ちょう
信 斯 高 僧 説 」 といふは、 弘 経 大 士といふは、 天 竺 (印度) ・ 震 旦 (中国)・わが 朝
ぼ さつ そ し とう にん し み らい ごくじょくあく
の菩 薩 ・祖師 等 のことなり。 かの 人 師、 未 来 の 極 濁 悪 のわれらをあはれみすくひ
しゅっしょう どうぞくとう さんごく こう そ せつ
たまはんとて 出 生 したまへり。 しかれば 道 俗 等 、 みなかの 三 国 の 高 祖の 説 を
しん しんじつほう ど おうじょう
信 じたてまつるべきものなり。 さればわれらが 真 実 報 土の 往 生 ををしへたまふこ
そ し とう ご おん おんどく
とは、 *しかしながらこの祖師 等 の御 恩 にあらずといふことなし。 よくよくその 恩 徳
ほうしゃ
を 報 謝 したてまつるべきものなり。
おく がき
奥 書
るべからざるものなり。
とき ちょうろくだい し てん りんしょう ふで そ
時 に** 長 禄 第 四の 天 、 * 林 鐘 のころ、 筆 を染めをはりぬ。