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社会学概論の最終レポート

―「進撃の巨人」のストーリーとファミリーアイデンティティとの関係―

2020PP713

Naga Aloysia Laudata Wetaquensa

おすすめの作品: 進撃の巨人

私のおすすめの作品は「進撃の巨人」というアニメである。このアニメはじめて見た
のは 2015 年、中学生の頃であった。そのときも、友達におすすめされた。このアニメ
は最初に漫画であったが、2013 年にアニメ化され、大きな人気を博した。ダークで壮
大な世界観、キャラクターの複雑な心理描写、そして驚くべき展開が、多くのファンを
得た。

「進撃の巨人」は、ハイスクールのマンガ家である諫山創によって作成されたダーク
ファンタジーマンガやアニメである。この作品は、人間が壁に囲まれた都市で巨人と呼
ばれる巨大な怪物たちによって脅かされる世界を背景とされた。

物語の舞台は、人間の最後の砦である巨大な壁に囲まれた都市であり、壁の内部には
人類の一部が安全に生活しているが、壁の外では巨人たちが徘徊し、人間を捕食するた
めに脅威を与えている。主人公であるエレン・イェーガーは、壁の中で平穏な日々を送
っていたが、突如として壁を破壊する巨大な巨人が出現し、人々を襲撃する。この出来
事により、エレンは自身の運命と戦う決意を固め、巨人との戦いに身を投じることにな
る。また、エレンと彼の仲間たちが巨人との戦いに挑みながら、壁の秘密や人類の起源
など、多くの謎に迫っていく様子が語らせた。そして、政治的陰謀や人間の欲望など、
深いテーマも含まっている。

しかし、注目としたい物語は政治的陰謀や人間の欲望、また戦いではなく、脇役の一
人である女の子のミカサがエレンの家族に迎えられ、一緒に暮らすことになることや巨
人との闘いにおいて家族として団結し、真実を明らかにすることである。というのも、
この部分はやはりこの社会学概論の授業内容のひとつであるファミリアイデンティティ
に関係しているからだ。以下では、自分の意見や経験と比べながら、その関係を詳しく
説明する。

まず、「自分にとっての家族は誰か」という主観的意識との関係である。外側の巨人
の壁、マリアの壁が巨人によって破られる数年前、ミカサが 9 歳のとき、両親は犯罪者
集団に殺され、ミカサは母親が希少種族の末裔であったために売られようとしていた。
その頃、ミカサは両親を犯罪者集団に殺され、母親が希少種族の末裔であったために売
られようとしていたところを、同じく 9 歳だったエレンに助けられた。それ以来、ミカ
サはエレンの家族に迎えられ、家族の一員となった。以来、ミカサにとって、エレンと
エレンの両親は唯一の家族であり、特にエレンは大切な存在である。そして、ミカサは
エレンを守ることで、エレンの安全を常に確保しようと決意する。

ところが、私にとっては、その人たちに救われたから、その人たちを助けたからとい
うだけで、その人たちを家族だと考えることはそんなに簡単なことではないのだろう。
私にとって、日本に来て、留学して、私の経験では、ここでの私の家族は、一緒に生活
し、日本の留学生と同じ生活と挑戦を経験するインドネシア人の先輩と後輩だと思う。

これより、誰を家族として認めるかという範囲は、人それぞれ異なっていると証明し
ていると考えられる。

次に、家族の定義との関係である。上の話のように、ミカサにとって家族とは、いつ
もそばにいてくれる大好きな人たちであり、守りたい人たちである。恩返しではなく、
ミカサの心が大切なのだ。また、エレンの父親がいなくなり、エレンの母親が巨人に食
べられてしまった後、ミカサはエレンと幼なじみのアルミンと一緒に残された。そし
て、巨人から自分たちを守るため、巨人と戦う軍隊に入り、最後まで共に戦った。 一
方、アルミンにとって、ミカサとエレンは家族である。いつも一緒にいてくれて、必要
とされていると感じさせてくれる二人だからだ。

ミカサやアルミンとは別に、私にも自分なりの家族の定義がある。これはやはり最初
のポイントと関係がある。会ったこともない他人を思いやる瞬間を初めて感じた。彼ら
は、私と同じ経験や困難を生き、体験してきた人たち、つまりインドネシアの先輩や後
輩たちだ。このように、私にとっての家族の定義とは、いつも私のそばにいて、私と同
じ境遇や困難を経験し、助け合いながら、ともに自分を成長させようとする人たちであ
る。したがって、家族の定義は人それぞれである。

最後に、擬似家族という概念との関係である。擬似家族というのは血縁で結べれてい
ないどうしが「家族」のように暮らしている集団である。この場合、ミカサはエレンと
エレンの両親を家族だと思い、一緒に暮らしている。同じように、ミカサ、エレン、ア
ルミンが巨人と戦い、真実を明らかにするために、共に戦い、共に生きることになる。
ミカサはエレンとアルミンを家族だと思っている。同様にアルミンも、血のつながりは
まったくないのに、エレンとミカサを家族だと思っている。これも擬似家族の一例であ
ると言える。さらに、私にとっても、インドネシア人の先輩や後輩たちは、血縁で結ば
れていなくても、彼らは私の家族であると思っている。
以上をまとめると、「進撃の巨人」という作品の物語の流れでは、ミカサ、エレン、
アルミンの物語、特に身近な人々との物語は、この教訓に通じるものがある。すなわ
ち、「自分にとっての家族は誰か」という主観的意識、家族の定義、擬似家族の概念と
いう社会学概論の授業内容のファミリーアイデンティティと強い関係を持っていると分
かった。

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