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博士(文学)谷川靖郎

学位論文題名
唯識思想の研究
―ステイラマテイ『唯識三十釈論』における認識の構造―

学位論文内容の要旨

塗窪c擅塵(目次)
序章
0.1
『釈論』研究における課題
0.2
各章の構成と概要
第1章仮設と繊転変
1.0
問題の所在
1
.0.1仮設の概念をめぐる問題
1.0.2識 転 変 の 概 念 を め ぐ る 問 題
1.1
仮設(upa cara
)の位置付け
1
.1.1仮設の意味
1.1.2『 釈 論 』 に お け る 認 識 の 概 念
1
.1.3仮設の概念との異同
1.1.4小結,およぴ新たな問題
1.2識 転 変(vij fianaparinama)の位 置付 け
1.2.1転変の概念史
1.2.2転変の定義
1.21 3小結
113結論転変における転変
第2章認識の内部構造
2.0問題の所在
2.0.1主観・客観二分法による認識作用の理解
2.0.2『成唯識論』による「認識の分析説」
2.1表象(vij fiapti)と認識作用(vij fian a)
2.1.1表 象 を 認 識 対 象 と 見 な す 解 釈
2.1.2認 識 作 用 を 認 識 主 観と 見 倣 す 解 釈
2.1.3認識作用の定義
2.1.4小結
2
.2認識作用の分析
2.2.1『成唯識論』における認識作用の分析
2.2.2『釈論』との比較
2.2.3小結
2
13結論認識の非分析説

― 6−
第 3章 ア ー ラ ヤ 織 と そ の 対 象
3.0問 題 の 所 在
3.1執 受 (upadana)に 関す る記 述
3.2執 受 の 両 義 性
313諸 訳 の 問 題 点
3.4結 論 両 義 性 の 否 定
総結
資 料 : 『唯 臓三十 釈論 』訳 註
テキストと参考文献

第 1章仮設と識転変
けせつ
111仮 設 の 位 置 付 け : 「 仮 設 」 の 語 は 『 三 十 頌 』 冒 頭 に 登 場 し 、 『 釈 論 』 に お い て も 重
要 な役 割 を担 っているが、研究者に共通 した理解が見られないため、『釈論』における仮
設 の 概念 の定 義を 検討 す る( 1. 1.1)。 次に 、『 釈 論』 で扱 われ る 認識 の概念が、 みな眼・耳
・ 鼻・ 舌 ・身 ・意 ・染 汚意 ・ア ーラ ヤ識 のハ 識に 至る まで 及ぴ 、 欲界・色界・無色界の
三 界 に わ た る 認 識 作 用 で あ る こ と を 明 ら か に す る ( 111.2)。 仮設 の 概念 と他 の認 識の 概 念
と の関 係 にっ いて、仮設もまた他の認識 の概念と等しい概念であることを明らかにする。
1. 2織 転 変 の 位 置 付 け : 転 変 の 概 念 を 検 討 し 、 『 釈 論 』 に お け る 因 転 変 と 果 転 変 の ニ つ
の 転変 に つい て、両者を『倶舎論』にお ける相続転変差別の概念、『二十論』における識
転 変の概念にそれぞれ跡付け( 1.2
.1)、『釈論』に見られる四っの表現、@「別様性(an
yatha
tva)
・ 異 相(vilak§攣)」、◎「実 質的存在の獲得(聶tInal聶 bha)」、◎「原因の刹那の 消滅と同時
瓜 弧 珊 kSananirodhasamak沍 la) 」 、 @ 「 習 気 ( v話 ana) あ る い は 間 断 な く 生 起 さ せる 能 力
( anantar0ゆ 豆 danasamanha) 」 、 に そ の 特 徴 を 分 析 し 、 転 変 の 定 義 を 行 う ( 1. 2. 2) 。
仮設 の 基盤 とな る識 転変 なる もの は、 あら ゆる 認識 作用 の原 因 である種子を保有する
ア ーラ ヤ 識の こと であ る。 アー ラヤ 識の 認識 対象 とし て保 持さ れ た種子から、その次の
剰 那 の ハ つ の 認識 作用が 生じ ると いう 構造は 、次 のよ うに 図式化 され る。

結果として の八織に対して種子は直接
(能生因、 因縁)。
転識がアー ラヤ識に植え付ける種子に
し て 七 織 は 間 接 因 ( 増 上 縁 )。
自らに植え 付けられた種子は、アーラ
識 に と っ て 間 接 因 ( 所 縁 縁 )。

第 2章 認識 の 内部 構造
2. 1表 象と 認織 作用 : 表象 を認 識対 象 と見 なす 解釈 (対 象 内在 説) を取 り上 げ 、批 判す る。
表 象 (vijnapti)は 「 認 識 さ せ る 」 と い う 動 詞 の 使 役 形 か ら 形 成 さ れ 、 ヴ ィ ニ ー タ デ ー ヴ ァ
『 複 注 』 で は 表 象 の 概 念 を 、 映 現 (nirbhisa)の 概 念 を 介 し て 、 所 取 分 (grahyamsa)の 概 念と
同 置し 、 認識 に内 在す る対 象と して 理解 する 。こ の解 釈は 、デ ィグナーガによる『観所
縁 論 』 、 に 依 拠 す る が 、 『 複 注 』 の 注 釈 文 は 『 釈 論 』本 文と 矛盾 し 、『 複注 』の 立場 が 『釈

― 7-
論 』 の 趣 旨 に 沿 っ た も の で は な い こ と を 示 す ( 2. 1. 1) 。 次 に 、 認 識 作 用 を 認 識 主 観 と し て
見 な ま 簸 釈を 取 り 上 げ、 批 判 す る。 瑜 伽 行 派の 『 瑜 伽 論』 『 雑 集 論釈 』 な ど の文献 では、 根見
説 ・ 識 見説 の い ず れも 批 判 ・否 定 さ れて い る 。ヴ ァスバ ンドゥ の『倶舎 論』も 同じ立場
に 立 ち 、 ス テ ィ ラ マ テ ィ の 『 中 辺 疏 』 で も 、 認 識 作 用 は 認 識 主 観 (vij fiatr)で は な ぃ 、 と い
う ことが 明言され る。『 釈論』も また、認 識作用 が認識主 観であ る、とい う説と は相容れ
な ぃ こ と を 証 明 す る ( 2. 1. 2) 。 両 解 釈 が 『 釈 論 』 で は 認 めら れ ず 、 改 めて 表 象 (vi
j fia
pti)が使
役 の 意 味を 持 っ と いう 問 題 を取 り 上 げ、 認 識 作用 とは、 対象に 向かって は「認 識する」
も の で ある が 、 主 観に 対 し ては 、 そ の対 象 を 「認 識させ る」こ とであり 、媒介 する作用
を 認 識 作 用 の 定 義 と し て 採 用 す る ( 2. 1. 3) 。
2. 2認 識 作 用 の 分 析 : 法 相 教 学 に お い て は 、 「 一 分 説 」 「 二 分 説 」 「 三 分 説 」 の よ う に 、
認 識 作 用を 複 数 の 要素 に 分 析す る 議 論が な さ れ、 スティ ラマテ ィは一分 説と呼 ばれてい
る が、こ れは『釈 論』の 認識論と は異なり 、先行 研究では 二分説 ,崇聖類 畷だ鈩 摘されて
き た ( 2. 2. 1) 。 と こ ろ が 、 『 成 唯 識 論 』 の 注 釈 書 で あ る 、慈 恩 大 師 作 『述 記 』 や 濮 陽 作『 演 秘 』
に は、安 慧論師の 説が’ もうーつ 紹介され 、そこ では、認 識作用 は特殊な 要素に 分析・分
割 さ れ るこ と な く 、そ れ 自 体で 対 象 を映 し 出 す、 とされ ている 。これは スティ ラマティ
『 釈論』 の立場で あり、 法相教学 において も、『 釈論』の 説が「 第二の安 慧論師 の説」と
し て 伝 え ら れ て い た こ と を 見 出 し た ( 2. 2. 2) 。
第 3章 ア ー ラ ヤ 職 と そ の 対 象
ア ー ラ ヤ 識 の 対 象 と し て の 執 受 く upadana)に つ い て の 全 用 例 を 挙 げ 、 代 表 的 な 翻 訳 と そ
れ に よ る 解 釈 を 提 示 し 、 諸 訳 に お け る 執 受 の 語 の 用 例 か ら 、 執 受 の 概 念 を 規 定 す る ( 3. 1) 。
そ の 結 果、 執 受 の 概念 が 、 アー ラ ヤ 識の 対 象 とし ての意 義と、 アーラヤ 識の働 きそのも
の と し て の 意 義 と 、 二 重 の 意 義 を 持 っ こ と が 明 ら か に な り く 3. 2) 、 執 受 と 同 概 念 と し て 示
さ れ る 、 場 (sthana)、 及 び ア ー ラ ヤ ( alaya)と い う 概 念 が 、 あ た か も ア ー ラ ヤ 識 と も 等 し い
概 念 で あ る か の よ う に 、 諸 訳 に お い て 混 同 さ れ て い る こ と を 指 摘 す る ( 3. 3) 。 こ の 混 同 は 、
チ ベット 訳(北京 版、デ ルゲ版) にも認め られる ため、ア ーラヤ が、アー ラヤ識 と同じも
の な の か、 瑜 伽 行 派の 文 献 を調 査 し 、ア ー ラ ヤの 概念に ついて 、アーラ ヤ識の 対象であ
る 種 子 を 示す と す る 文献 ( 『 瑜 伽論 』 ) と 、ア ー ラ ヤ 識を 示 す と する 文 献 ( 『摂大 乗論』 )が
あ る こ と を 明 ら か に す る ( 3. 4) 。 さ ら に 、 後 者 が 前 者 を 暗 に 批 判 し て い る こ と が 読 み 取 ら
れ 、両者 の間に 対立が あった ことを 示す。
「 資 料 『 唯 識 三 十 釈 論 J訳 註 」 は 『 釈 論 』 全 体 の 翻 訳 に 、 ヴ ィ ニ ー タ デ ー ヴ ァ 『 複 注 』
・ 瑜伽行 派の関連 文献・ 『成唯識 論』の該 当箇所 ・先行研 究と翻 訳等を必 要に応 じて脚注
に 示し、 詳細な 読解を 提示す る。
結論
以 上 の 三 っ の 章 に よ り 、 『 釈 論 』 に お け る 認 識 の 、 発 生 の 機 構 、 時 間 的 な あ り 方 、 存在
と し て のあ り 方 、 など が 明 らか に さ れ、 そ れ ぞれ の論点 におけ る思想史 的背景 も同時に
示 された 。特に、 瑜伽行 派の内部 に対立す る見解 がある場 合、大 きく見て 、『釈 論』は一
貫 し て 『 瑜 伽 論 』 の 立 場 を 採 用 し 、『 摂 大 乗 論』 の 立 場 を退 け て い る。 今 後 の 課題 と し て 、
両 書 の 対立 が い か なる 事 情 に基 づ く もの か を 解明 する必 要があ り、本論 での検 証は瑜伽
行 派の文 献の組 織的解 明に寄 与する もので ある。

− 8-
学位論文審査の要旨

主査 教 授 細 田 典明
副査 教 授 藤 井 教公
教授 山田友幸

学 位 論 文 題名

唯 識思想の 研究
一ステイラマテイ『唯識三十釈論』における認識の構造―

本 論 文は イン ド 大乗 仏教 の瑜 伽行 派(Yo
gacar
. a)
の 学匠 ヴァ スバ ンド ゥ (
Vasu
band
hu
せしん
世親, 4
00-4
80)作『唯識三十頌』(Tr
imsi
kaki
irik
ii,『三十頌』と略)に対する、スティ
あ んね
ラマティ(
Sth
ira
mat
i安慧,5
10―57
0)の注釈『唯識三十釈論』(刪桝弧辺6
轟卿ロ,『釈論』
と 略) にお ける唯識思想の 研究と『釈論』全体の訳注からなる。『釈論』のサンス クリッ
ト 原典 が出 版 (192
5) され る迄 、唯 識思 想は 『三 十頌 』に 対す る注釈を集成した 『成唯
ほ っモう
識 論』 とそ の 注釈 書に 基づ く法 相教 学を 中心 とし て理 解さ れて きた。本論文は、 漢訳で
は 暖昧 な諸 概念およびそれ ら相互の関係について、『釈論』原典に関する先行研究 を批判
的 に検 討し 、スティラマテ ィの他の著作を精査するとともに、『釈論』の思想史的 背景が
ヴ ァス バン ド ゥを 中心 とし た瑜 伽行 派の 論書 のど のよ うな 系譜 に求められるのか を跡付
け、唯 識思想における認識の構造を明らかにする。

本 論文 は、 仏教 思想 の中 でも 難 解と され る唯 識思 想に つい て、 伝統的な法相教学から
最近 の研 究ま でを 参照 して 唯識 の 諸概 念を 検討 し、 説一 切有 部か ら瑜伽行派に至る文献
の類 例を 提示 して思想史上の背景を考察したもので ある。特に、『釈論』における認識の
構造 につ いて 解明を試みた意義は大きく、資料とし て併載した「『唯識三十釈論』訳注」
は、 現在 、最 も信 頼で きる 『釈 論 』の 学術 的翻 訳で ある 。

― 9―
具 体的には 、『釈 論』にみ られる 基本的な 唯識用 語につい て、先行 研究では必ずしも共
通 し た 理解 が な く、 用 語 が意 味 す る概 念の一面 をもって 意味を 規定して いるた めに解釈
が 分 か れる こ と を、 例 え ば、 因 果 同時 説と異時 説、対象 内在説 と認識主 体説を 挙げて検
証 し て いる 。 そ の結 果 、 瑜伽 行 派 の諸 文献の類 例から『 釈論』 はヴァス バンド ゥの思想
の 系 譜 に従 っ て いる こ と を明 ら か にし ている。 瑜伽行派 の特定 の説につ いて、 唯識文献
か らその類 例を見 出す作業は困難を極めるが、本論では『成唯識論』の注釈書である、慈恩
:う えん ぴ
大 師 作 『述 記 』 や濮 陽 作 『演 秘 』 まで をも調査 し、法相 教学に おいても 『釈論 』の説が
「 第 二の 安慧 論 師の 説」 と して 伝え ら れて いた こ とを見出した。
問 題点とし て、瑜 伽行派の諸文献の中で、『二十論』『瑜伽論』『雑集論』『雑集論釈』
を 『釈論』 の系譜 とし、『 中辺論 』『摂大 乗論』の 系譜と は異なる ことを指摘するが、前
者 を ヴ ァス バ ン ドゥ か ら ステ ィ ラ マテ ィに連な る系譜と して、 論文の構 成上、 最初に示
す ことによ って、 思想史の流れをより明確にすることが可能であろう。また、「含意」「等
価 」 等 の用 語 の 使用 は 、 唯識 用 語 の現 代語化を 意識した うえで の試みと して理 解される
が 、 論 旨を 明 快 にし て い ると は 言 い難 く、平易 な表現に よる記 述が望ま れる。 しかし、
本 論 に おい て 、 広範 な 資 料を 調 査 し、 唯識の基 本概念に ついて 考察を深 めたこ とは評価
に 値 す る。 本 論 文に 示 さ れた 新 知 見は 、今後の スティラ マティ 研究を中 心とし た唯識文
献 の解読に 大きく 寄与する もので あると期 待される 。

本 委員会 は、以上 の審査結 果に基 づき、全 員一致 して、本 申請論文が博士(文学)の学

位 を授与す るにふ さわしい もので あると判 定した 。

- 10―

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