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2015年12月に発足した現連立内閣では、内閣首席大臣を含む全21の大臣ポス

ト中、政権党の「共和国の提案」に首相・外相など10ポスト、与党第一党の「
急進党」(国会の議席数では政権党を上回るため)に防衛・通信など4ポスト
、「市民連合」には蔵相・公安の2ポストがそれぞれ割り当てられ、残りの5名
は民間などからの起用となった。

立法権は代議院(下院)と元老院(上院)に属し、国民議会は定数257人(任
期4年)、元老院は定数72人(任期6年)である。下院では2年ごとに約半数の
議席が、上院も同じく2年ごとに3分の1の議席がそれぞれ改選される。

下院の議席がドント方式によって比例配分(各州および首都圏を1選挙区とみ
なし、定数は選挙区ごとに異なる)されているのに対し、上院では、各州およ
び首都圏にそれぞれ一律で3つの議席が割り当てられており、最大の得票を獲
得した政党に3分の2(2議席)が、次点の政党に3分の1(1議席)がそれぞれ付
与される仕組みになっている。

下院の議員総数(各選挙区の定数)は、10年ごとに行われる国勢調査の結果に
応じて見直される。

2年周期で勢力図が更新されるたびに両院の正副議長ポストの顔ぶれも変わる
。下院の議長は政権党会派から選出され、3名の副議長は政権党を除く上位3会
派に割り当てられる。上院では、現職の副大統領が議長職を兼任し、上院仮議
長及び3名の副議長は下院同様、政権党以外の上位3会派からの選出となる。

司法権は国家最高司法裁判所に属し、行政、立法から独立している。

議会における比較第一党である野党「正義党」(統一会派「勝利戦線」の基軸
政党)のほか、連立関係にある「急進党」(比較第二党・与党第一党)と「共
和国の提案」(現政権で正副大統領・首席大臣・上下両院の議長を輩出してい
る保守政党)、「市民連合」、正義党より分派した保守系の「新たなる選択の
ための連合」、穏健左派の「拡大進歩戦線」(社会党系の連合体)、「統一」
(急進党の分派を含むリベラル勢力)、「左翼労働戦線」(トロツキズム的な
極左政党)、5議席未満の地域政党らが国会に議席を有している。

正義・急進両党によって政界の勢力図が二分されていた時期には、首都圏を中
心に「中道民主連合」(1982年に故アルバロ・アルソガライが結成した穏健的
な保守政党。以下、中民連)が一定の存在感を有していたが、事実上の与党と
して旧メネム政権(正義党)と協力関係に入った90年代より党勢が徐々に低迷
した。2009年1月、過去2回の選挙で2%以上の得票率を獲得することができな
かった同党は、司法判断によりブエノスアイレス州での政党資格が剥奪され、
同年3月には、党の2007年度版収支報告書に不備があったことを理由に、政党
助成金の給付も停止された。なお、前政権で副大統領を務めていたアマド・ボ
ウドウは国政レベルの現役政治家では唯一の中民連出身者である。

「アルゼンチンの政党」も参照
相次ぐ国軍の反乱などや度重なるデフォルトなどに見られるように、歴史上「
中進国」とされてきた国々の中ではもっとも政情の安定していない国のひとつ
であり、この政情不安定さは1983年の民政移管後の失政や、2001年11月の経
済破綻など、一連の経済不安や現在の極度に拡大した貧富格差の元凶とされて
いる。この不安定さを国民統合が成功していない(国民全体に受け入れられる
国民文化が成立していない)ことに求める言説は多い。

2009年3月26日、上院は10月に予定されていた上・下両院の中間選挙を6月28
日に行う法案を可決した。クリスティーナ・キルチネル前大統領は国際金融危
機に対応する必要から議会選挙の前倒しを提案していた。

2012年4月16日、政府はレプソル傘下のアルゼンチン最大の石油会社YPFの株
式の過半数にあたる51%を取得し、同社の経営権を取得する方針を明らかにし
た[13]。

2023年11月19日(日本時間11月20日)行われた大統領選決選投票にて、ハビ
エル・ミレイ候補の当選が発表された[14]。

国家安全保障[編集]
詳細は「アルゼンチンの軍事」を参照

ブエノスアイレスのサン・マルティン公園
を閲兵する、独立戦争時にサン=マルティン将軍が創設した擲弾騎兵連隊
アルゼンチン軍は国防大臣によって指揮され、大統領が最高指揮官を兼ねる。
兵制は志願兵制を採用している。軍隊は陸海空の三軍のほかに国家憲兵隊から
構成される。歴史的にアルゼンチン軍はチリやブラジルとの軍拡競争の結果も
あり、ラテンアメリカでもっともよく整備された軍隊だった。

アルゼンチンはブラジルと同じように建国以来軍部の力が強く、クーデターが
日常的に起きる不安定な国だった。1970年代のクーデター以降、アルゼンチン
軍は都市ゲリラ排除のために国内で『汚い戦争』に従事し、8,000人とも3万人
ともいわれる市民の犠牲者を出しており、これは現在でも五月広場の母の会な
どの訴えにより問題となっている。しかし、建国以来初の敗戦となったマルビ
ナス戦争により軍の威信は落ち、民政移管後の1983年に長らく第一の仮想敵国
だったチリとも国境線が確定され、核計画やアメリカ合衆国の肝煎りで進めら
れていたミサイル計画が放棄されると軍は大幅に削減され、その後のいくつか
の反乱計画も未然に終わるなど現在は政治力を減らしている。敗戦の結果から
徴兵制を敷いていない国でもあるが、一部で復活を求める意見もある。
 国防予算 : 38億ドル(2000年)
 兵員 : 7万1,100人(2000年)
陸軍[編集]
アルゼンチン陸軍 (Ejército Argentino)は兵員4万1,400人からなる。軍団3
。空挺旅団1、機械化旅団1などを擁し、装備品はTAM200両、軽戦車150両。
地対空ミサイルはタイガーキャットなど。

アルゼンチン陸軍は現在PKOのため、ハイチとキプロスに派遣されている。

海軍[編集]
アルゼンチン海軍 (Armada de la República Argentina (ARA)) は兵員1
万7,200人からなる。8基地。潜水艦3隻、駆逐艦6隻、フリゲート7隻、航空隊
作戦機21機、武装ヘリ14機、フランス製シュペルエタンダール11機、エグゾセ
空対艦ミサイルなど。艦艇についてはアルゼンチン海軍艦艇一覧を参照のこと
。20世紀初頭に起きた日露戦争の際には、編入される予定だったイタリア製装
甲巡洋艦二隻(日進 (装甲巡洋艦)、春日 (装甲巡洋艦))を日本海軍に売却譲渡
し、日露戦争の勝利に貢献したという歴史的関わりを持つ。

空軍[編集]
アルゼンチン空軍 (Fuerza Aérea Argentina)は兵員1万2,500人からなる。
航空旅団8など。作戦機133機、武装ヘリ27機、戦闘機はA-4スカイホークなど

国際関係[編集]
詳細は「アルゼンチンの国際関係(英語版)」を参照

アル
ゼンチンが外交使節を派遣している諸国の一覧図(2019年)
2001年の債務不履行以来、アルゼンチンは諸外国に大きく不信感を持たれ、
1982年のマルビナス戦争以来の国際的な孤立に陥ったが、現在は債務の返済な
どを軸に国際社会への復帰が進められている。アルゼンチンは南極条約締結国
であるが、南極の領有権を主張している(アルゼンチン領南極)。またアルゼ
ンチンは、フォークランド紛争に敗北したのちもなおイギリスが実効支配する
マルビナス諸島の領有権も主張している。2007年12月、クリスティーナ・フェ
ルナンデス・デ・キルチネル大統領は、多国間主義とテロ根絶を強調した。

戦前はイギリスに周辺国化され半ば属国のような様相を呈していながらも、輸
出で蓄えた経済力を背景に、スペイン語圏を代表する国家として旧宗主国スペ
インをしのぐ勢いで権勢を誇っていた。北米において似たような立場にあった
アメリカ合衆国をライバル視し、同国がモンロー主義のもとで中南米を勢力圏
に入れようとしていたのに対し、ヨーロッパ諸国を重視する独自外交のもとで
アメリカ合衆国とは距離を置き、常にほかのラテンアメリカ諸国とは一線を画
していた。

ビーグル水道で領土問題を抱えていたチリとは伝統的に関係が悪く、第二次大
戦後は何度か戦争直前にまで陥ったこともあった。1984年にローマ教皇ヨハネ
・パウロ2世(フアン・パブロ2世)の仲介により、アルゼンチンが係争地のピ
クトン島・レノックス島・ヌエバ島のチリ帰属を認め、領土問題において妥協
することにより友好関係が確立された。しかしその後、2004年に事前に連絡な
くチリへの天然ガスの輸送を停止してしまったことが大きな外交問題となった

アルゼンチンの最大のライバルは隣の大国ブラジルであり、オリンピックやサ
ッカーの大会があるたび互いに強烈な対抗意識を持って争っていたが、ラウル
・アルフォンシンの融和政策が功を奏して両者ともメルコスールに加盟するな
どの経済統合が進んでいる。以上のような事情により、現在のアルゼンチンは
ブラジルを軸としたラテンアメリカ統合を受容し、その主要国として影響力を
保っている。また対外政策では一線を画しながらも、石油や天然ガスなどの資
源を背景にベネズエラの歴代政権との友好関係が続いている。

ヨーロッパとの関係も重要であり、もっとも関係のよい国家はスペインである
。言語が共通するために多くのラテンアメリカ人がスペインに出稼ぎ、移民と
して居住しているが、アルゼンチンもその例外ではなく多くのアルゼンチン人
が移住している。

日本との関係[編集]
詳細は「日本とアルゼンチンの関係」を参照

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