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じゅんかんがた

江戸時代の日本が循環型だったといえる理由は、 あの時代の社会が太陽エネルギーだ
い じ あき

けで維持できていたことが明らかだからである。

とうじ
さいだい さんぎょう のうぎょう げんざい

当時として最大の産 業だった農 業を考えるとよくわかる。まず、現在ではほとんど


きかいか
どうりょく じんりき むかし

機械化している動 力の 99%は人力だった。牛や馬を使うこともあったが、 昔 の農業は


ひとでたよ
こくもつ しょくりょう

ほとんど人手頼りだ。 人はいうまでもなく穀物などの 食 料 で生きているが、穀物は


ぜんねんど そだ げんせん

前年度の太陽で育つから、人力の源泉も① だった。

はいせつぶつ
しもごえ りよう ふん ひろ あつ

その人間の排泄物を下肥として利用したばかりか馬の糞まで拾い集めたほどだから、肥
じゅんかんがたしげん かんぜん

料もすべて循環型資源で、かつての農業は、完全に太陽エネルギーだけで成り立つエコ
農業だったのである。(中略)
せいき
ひゃくまんとし じょうすいどう しちゅう ち か すい どう か ん

また、18 世紀には百万都市だった② 江戸の上水道は、市中の地下水道管 (木製) の


そうえんちょう
たっ ちじょう あな せかいさいだい

総延長が 150 キロメートルに達し、地上の穴からつるべでくみあげる世界最大の


すいどうもう
じょうりゅう なが しがいぜんたい とど こうみょう

水道網だったが、この巨大システムは、 上 流 から流れる水が市街全体に届く巧 妙な
はいすいほう
うんよう じんこう めんせき せかいさいだい

配水法により、 すべてを人力と重力で運用できた。 つまり、人口、面積とも世界最大


とし

の都市となっていた 江戸を支える大量の食料と上水道でさえ、見事なエコシステムで
運営できて、立派な循環 構造が成り立っていた、と書けば、「待ってました」とばか
り、③人手だけに頼った産業 の非能率性を指摘する人も多いはずだ。
しかし、生産の能率の悪さを裏返せば、エネルギー効率の信じられないほどの高さが見
えてくる。 江戸時代は、産業でさえエネルギー消費なしですべてのものを作りだして
いた。 んどじだい ため、マクロに見れば ④ ほとんど無から有が生じるといっていい
状態が現実に成り立って いたのである。

人はただ走っていても生産に従事していてもエネルギー消費は同じだから、製造のため
の動力エネルギー消費はゼロとみなせる。 また、商品の材料として使う植物の大部分
は、 せいぜい過去数年以内の太陽エネルギーの蓄積によって育ったものだ。 陶磁器や
金属の原料になる鉱物の精錬・加工も動力は人力で、 熱源はカーボン・ニュートラル な
燃料の薪炭だった。つまり、現代の基準ではいずれも ⑤ エネルギー消費ゼロとみなせ
る。

太陽エネルギーだけでできた原料を使い、 人間が自分の手足を動かして作る産業では、
あらゆる商品が、 大きな循環構造の中でほとんど何も消費せずに生まれていた。 全体と
し ては、日光と水だけで植物が成長する自然現象と大差なかったのである。 それにもか
かわ らず、江戸時代の製品を見ればわかるが、製造技術の水準は驚くほど高かった。
大きいものでは建築物、 身近のものでは衣類や金属製品、陶磁器 木工品などの様々な
生活用品、さらに書籍、 錦絵のような印刷物など、いずれも今ではすでに作れないほ
ど完 し 成度の高い製品が多い。 わがご先祖は、こういう製品のすべてを、電力も石油
動力も石油 製品も使わず、手作業だけで生産し、市場へ安定供給していたのだ。

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