Download as pdf or txt
Download as pdf or txt
You are on page 1of 58

世界中の安部公房の読者のための通信 世界を変形させよう、生きて、生き抜くために!

刊 もぐら通信 Mole Communication Monthly Magazine


2022年11 月1日 第120号 初版 www.abekobosplace.blogspot.jp
あな
迷う たへ
事の :
あな
ない
迷路 あ
ただ を通
けの って
番地 弱者への愛には、いつも殺意がこめられている̶̶
に届
きま

(『密会』:全集第26巻、8ページ)

安部公房の広場 | | www.abekobosplace.blogspot.jp

『S・カルマ氏の犯罪』の最後に登場する
非ユークリッド空間を映写する映写機
もぐら通信
もぐら通信 ページ2

目次

1 目次…page 2
2 記録&ニュース&掲示板…page 3
3 巻頭詩(8):俳諧のトポロジー:其角と芭蕉…page 9
4 『周辺飛行』論(31):3。『周辺飛行』について(21):時空の交差点としての舞台̶̶周辺
飛行28:岩田英哉…page10
5 『砂漠の思想』を読む(7):全面否定の精神:岩田英哉…page 19
6 二十一世紀の日本文学のためのスケッチ・ブック(3):塔の文学:2.1 三島由紀夫の詩篇『凶ご
と』と二人の塔の共通の名前:岩田英哉…page 28
7 ネット・メディア論(10):6.4.3 同調圧力とconformityと空気の関係/6.5 何故民主主
義は共産主義であるのか:待て次号:岩田英哉…page 35
8 縄文紀元論:Topologyで日本人を読み解く(10):5.12 習合といふ漢意をやまとこころで何
といふのか/5.12.1 位相史のための紀元の分類/5.12.2 淤能碁呂島とは何か:岩田英哉…page
36
9 Topologyで日本の文化を解説する「内なる辺境」シリーズ(10):扇∼性と古代信仰∼:まて次
号:岩田英哉…page 60
10 編集後記…page 64

・連載物・単発物次回以降予定一覧…page 61
・編集方針…page 63

PDFの検索フィールドにページ数を入力して検索すると、恰もスバル運動具店で買ったジャンプ•シュー
ズを履いたかのように、あなたは『密会』の主人公となって、そのページにジャンプします。そこであな
たが迷い込んで見るのはカーニヴァルの前夜祭。
もぐら通信
もぐら通信 3
ページ

ニュース&記録&掲示板
The best tweets of the month

ole 飛鳥ドグウ@4SYanJJahlZQyba·Jul 30
en M
Gold
e 祖母から安部公房の本が届いた。やった∼!!!!
Priz

逆に食べられるフライパン@Honwo_yomooya·Aug 2
ole
er M
Silv 安部公房の真骨頂は『砂の女』じゃなくて『壁―S・カルマ氏の犯罪』だってお母
e
Priz
さんいつも言ってるでしょ!……え?『第四間氷期』……?あんた、いつの間にそ
んな立派になって……Loudly crying face

今月の箱男
こかげ@ko_ka_ge_·Aug 6
#twstプラス #病みのtwstプラス
「箱男」安部公房より
不穏ジェイ監?Dolphin→→→→→→→→Cherry blossom

今月の第四間氷期
tsukushi@yukiji61·Aug 6
安部公房「第四間氷期」

今月の砂の女
みどりShamrock@Rose216123·Aug 7
「砂の女」安部公房 #読了/若い頃に読んだ時は、希望が見えない閉塞感に 苦痛を
感じた。この歳で再読したくなった。極限まで追い込まれた人間でも、理不尽な環
境の中 適応していけるものか。希望なき日々を、どう生きて いけるものか。蟻地
獄の中、1人ではない事も 生き方に影響すると感じた。
もぐら通信
もぐら通信 4
ページ

今月の密会
Stic tower7☂@BdSqofdMb2W8rYD·Aug 1
女秘書(おんなひしょ)
勝手にキャラデザシリーズ 2
安部公房 密会 より

今月の壁あつい部屋
Jeffrey@jeafyanagida·Aug 2
「壁あつき部屋」
冒頭、ここは巣鴨プリズンの雑居房。暗く厭世的な生き地獄、戦犯扱いされた男
達、戦争と言う悪、絶望、面会、軍、財閥、朝鮮戦争、ジャングルでの戦い、重労
働終身刑、東條英樹。今、BC戦犯の兵士達の不条理な物語が始まる…本作は芥川賞
受賞作家の安部公房が脚色した小村正樹監督の

今月のAKB48
小野俊太郎@tritonnova·Aug 7
これはなかなかな選書。澁澤龍彦それも『フローラ逍遥』、石川淳、安部公房、大
江健三郎、最後に手塚治虫の『奇子』。

今月の村上春樹対安部公房
違和感を少しずつ積み上げて、振り返っ
た時にとんでもない不思議な状況になっ
ている小説があります。逆に最初からと
んでもない不思議な状況で始まり、その
設定の中でいかにも常識的な行動をとる
小説もあります。前者は村上春樹で、後者は安部公房が浮かびました。
他にも該当の小説家がいそうです
もぐら通信
もぐら通信 ページ5

今月の砂の女と他人の顔
ぱねちん@AN2aXgDu45BnYNl·Aug 6
先日、勅使河原宏監督の「砂の女」を鑑賞しました。個人的に心に突き刺さる映画
で、「砂の女」の原作者である安部公房と勅使河原宏が気になり始めています。「他
人の顔」もその2人の作品なんですが、どこで見れるんだろう。DVD探してもなか
なか見つけられない。

今月の似顔絵安部公房
むっサン@sansui_musashi·Aug 6
安部公房

今月の無名詩集
ジャンボ尾崎手配犯@hayasiya7·19h
安部公房が自費出版した詩集が、ヤフオクに30万弱で出品されていた。

今月のトポロジー
Shoei05_メモbot@shoei05_bot·Aug 7
「人間そっくり」という本に持ち込まれている科学的論理は、トポロジー、位相
幾何学の論理だ…読者は安部公房のロジックに取り込まれ地球人であるという主人
公の男にトポロジー的に同調し主人公を訪問した「人間そっくり」の火星人と自称
する男により常識を崩される https://ncode.syosetu.com/n0079cl/5/

今月のアイフォーン
風上にも@funabasi83p·Jul 31
大江の先輩作家で1958年に「アイフォーン」を考案していた安部公房のこともよろ
しく。
もぐら通信
もぐら通信 ページ6

今月のピンク・フロイド
白鯨@white198305·Aug 4
Replying to @white198305
ピンク・フロイドは『ザ・ウォール』までだった。ロジャー・ウォーターズが抜け
コンセプトがグズグズになってもデイヴ・ギルモアのギターさえ鳴っていればフロ
イドだとばかり出たアルバムのタイトルが『鬱』。ひでぇなぁと思ったものだ。

(レコ^度ジャケットを)

今月の文豪
佐藤幸@BIBLIOTHEQUEa·Aug 7
【日本文学に金字塔を打ち建てた、50人の文豪たち。夏目漱石から星新一、徳田秋
声、江戸川乱歩、三島由紀夫に林芙美子、松本清張や安部公房。読者の視点と文芸
評論家・福田和也氏の視点を交えながら、各文豪の魅力を再発掘します。】
福田和也『文豪ナンバーワン決定戦』

今月は箱の日
長谷川敏子(ライター&司会者)
@binco_hasegawa·Aug 5
きょうは8月5日で「ハコの日」だそう
で。以前、紀伊國屋書店の新宿本店
「365日文庫」フェアで紹介されていた
安部公房の「箱男」を。ハコに入って
寝ていそうなネコたちとともに。
もぐら通信
もぐら通信 7
ページ

今月の死に急ぐ鯨たち
ぬらHedgehogりん@nura_nurarin·Aug 2
読みたいけど読めないままに、同じ本ばかり読み返している。
安部公房の「死に急ぐ鯨たち」は、昭和の時代に書かれたエッセイ集だけど、令和
の今、読み返しても面白い。
どんなに社会が変化しても、人間が持つ、思考や行動は普遍だったりするんだろう
な…。

今月の朗読
小林タカ鹿@takashika358·Jul 30
あらすじを読む。
あらすじ朗読劇場「砂の女」安部公房

今月の山尾悠子
河村書店@consaba·Aug 1
山尾悠子「私がSF雑誌に書いた短編を
安部公房さんが気に入って、編集部を紹介してくださったんです。でも当時の純文
学は私小説が全盛で、私などはお呼びでなかった」(矢内裕子)

(写真を)

今月の朗読
JUNBUN太郎@JUNBUNTARO·Jul 31
今回の #空想ラジオ はこちらDown pointing backhand index
#読書好きと繋がりたい。(砂の女。第19回)
もぐら通信
もぐら通信 8
ページ

今月の安部公房論
詩的文学論文bot@shiteki_bungaku·5h
狂気の躍動--安部公房『密会』 (特集 〈精神病院〉の文学)
https://ci.nii.ac.jp/naid/40019027292

もぐら通信(第二版)を発行しました:

P21
訂正前:江藤淳が「塔」と云ふ題の文章を書いてゐる
訂正後:江藤淳が『城』と題して江藤淳の「塔」についての文章を書いてゐる

ダウンロードは:https://docdro.id/fhpVNXU
もぐら通信
もぐら通信 ページ 9

巻頭詩
(8)
俳諧のトポロジー
其角と芭蕉

塩 しほ 声

鯛い 嗄
の れ
歯 て
ぐ 猿
き の
も 歯
寒 白
し し
魚 うを 峯
の の

元 店な 月


芭 其

蕉 角
西






もぐら通信 ページ 10
『周辺飛行』論
(31)
3。『周辺飛行』について(21)

時空の交差点としての舞台ー周辺飛行28
岩田英哉

このエッセイの冒頭を、安部公房はトポロジーと猫の話で始めてゐる。安部公房の作品の中
の猫はいつも、処女作『(霊媒の話より)題未定』の猫の棍棒で殴られて殺されるのから始
まりトラックに轢かれたりしていつも殺されることはお話しした通りです[註1]。猫は天
使の変形した姿です。作品の中で例外なく猫を殺すほどに安部公房は猫を愛してゐるので
す。「弱者への愛には、いつも殺意がこめられている」といふ密会の有名なエピグラムをあ
なたはご存知でせう。このやうに考へてくれば、芦ノ湖畔の急な傾斜に立てたあの存在の仕
事部屋から富士山を見えなくしたほどに、猫にならへば富士山の美を殺してしまひたい程
に、安部公房は富士山を愛してゐるのです。安部公房の愛といふ言葉を通俗的に理解すると
大きな間違ひをします。何故なら、このやうに、安部公房の猫は「時空の交差点に存在」し
てゐるからです。そして其処でトラックに轢かれる。現実の時間の中では存在は常に死に直
面し、その死が事故か未必の故意か他殺か自殺か、そしてそれは偶然か必然かによつてもよ
らなくても、死ぬ運命にある。しかし、この猫はトポロジーの世界なので、死なずに生きて
ゐるのは、トポロジーの世界には時間が存在しないからです。ですから、この猫は天使であ
るとおもつて見ても差し支へがない。要するに地図(map)の中に生きる猫である。それ
も、少女の腕の中に生きる猫。もつと言葉を費やせば、少女といふ「未分化の実存」即ち性
の分化する「以前」の子供の、といふとあなたは『密会』の溶骨症の少女を思ひ出すでせう。
さう、溶骨症の少女の腕の中にゐる猫を想像して下さい。存在の世界ですから、時間は無
く、永遠に未分化の実存[註2]たる少女は溶骨症にかかつたまま溶けて行き、定義される
ことのできない無定義・無限定の何か、即ち存在になる。

[註1]
『何故安部公房の猫はいつも殺されるのか』(もぐら通信第58号)をご覧ください。安部公房の猫はリルケ
の天使または初期安部公房の天使を、悪魔に対抗して変形させたものであることを論じました。だから、安部
公房は仙川の自宅では犬を飼つてゐた。

[註2]
針生一郎との対談『ゴダールの可能性は何か』の「ドキュメンターリーの再編力」と此に続く「客体と現実」
に、次の対話あり(全集第22巻、272∼274ページ)。この対談のこれらの章は、そのまま10代20
代の安部公房の哲学用語と哲学的理解を知るために大変価値のある対談ですので、あなたには是非一読をお勧
めします。ここでは、後者の章からの引用をします。私が安部公房を論じて諸処に未分化の実存と書いて伝え
ようとしている意味がお分かり戴けるのではないでしょうか。この対談は1969年1月13日。安部公房4
5歳。:

「安部 実存主義のおもしろさは客体が優先するとおもわないことよ。まず、客体と主体の函数関係のつくっ
た実存というものを先行させて、その実存が、思考のプロセスに於いて、客体と主体を分離する、そういう考
え方でしょう。素朴な客観論はね、客体が向こうにはっきりあって、主体がこっちにあるという考えかた。そ
もぐら通信
もぐら通信 ページ11

うじゃなくて、主体も客体もない、未分化なもの、実は、これは函数的なものだ。それが先行する。そこから
しか我々は出発できないわけなんだ。不確定原理からいっても、観察するということによってすでに対象は変
質するんだからね。すると、純粋客体というのは、ひとつの観念としてしかありえないもの。
針生 結局主体性論理だと思うんだ。
安部 じゃないよ。僕は実存主義は主体性論理だなんて全然おもわない。そりゃ、ヘーゲルの延長だからね。
針生 じゃ、日本に限定してもいいんだ。日本の戦後にね。
安部 そりゃまあ、ムードだからね。日本じゃそういうふうにつかわれてるね。

(略)」(傍線筆者)

「針生 じゃ、日本に限定してもいいんだ。日本の戦後にね。」と針生一郎がいうところに、既に先の敗戦後
の俗に言う左翼の其の幼い限界があり、これに対する安部公房の発言「そりゃまあ、ムードだからね。日本
じゃそういうふうにつかわれてるね。」という答えは、実に辛辣且つ的確な回答であって、その思考の時代を
超えた本質性が露わになっております。徹頭徹尾論理的な安部公房は友人たちの間にあっても、誠に理解され
ることなく孤独であった。これと同じ会話、同じ論理を、当時24歳の安部公房は「二十代座談会 世紀の課題
について」と題された席上やはり同様に、レナルド・ダ・ヴィンチとアルキメデスのことを例に挙げて語って
おります(全集第2巻、66∼67ページ)。この論理はそのまま三島由紀夫の発見者蓮田善明の共有した論
理です。これは別途一連の成城高校に関する特集でお話しします。

この同じ思想を、安部公房はジュリー・ブロックとによるインタビューで次のように言っています。「リルケ
の『形象詩集を読む(連載第2回)『或る四月の中から(外へ)』』 」(もぐら通信第33号)より引用しま
す。:

「[註1]
成城高校時代の親しき、哲学談義を交わした友、中埜肇が次のような安部公房の姿を書き残しております。

「たしか高校二年の夏休前のことではなかったろうか。彼の方からそれまで全く面識のなかった私に、話した
いことがあると言って接触を求めてきた。時と所をきめて改めて会うや否や、彼はいきなり私に向かって「君
は解釈学についてどう思う」と切り出した。(その時の彼の言葉だけは五十年以上経った今でも私の耳にはっ
きりと残っている。)当時既に日本でもハイデッガーの『存在と時間』の翻訳が出版され、わが国の哲学界や
思想的ジャーナリズムにも「解釈学的現象学」という言葉が姿を見せていた。(中略)
当時の安部は「解釈学」という言葉をむしろデカルト的な懐疑の方法に近い意味に解していた。」(『安部
公房・荒野の人』35ページ)

安部公房は、デカルトの『方法叙説』と解析幾何学の本を読んでいたのです。デカルトは、バロックの哲学者
です。

安部公房が中埜肇に初めて会ったときに発した「君は解釈学についてどう思う」という問いは、18歳に成城
高校の校友誌『城』に発表した『問題下降に拠る肯定の批判』の中で安部公房が、わたしは普通の社会の人間
とは違って「座標」軸なしで物を考えるのだといい、「一体座標なくして判断は有り得ないものだろうか」と
問い、この問いの答えが、この論文の副題「是こそ大いなる蟻の巣を輝らす光である」という言葉の由来であ
る「これこそ雲間より洩れ来る一条の光なのである」といい、この一条の光こそが、この蟻の生きる閉鎖空間
から脱出をするための唯一の方法であり、その方法とは、「遊歩場」という「道」、即ち時間も空間もない抽
象的な上位の次元の位相幾何学的な場所の創造であり、その為の方法が「問題下降に拠る肯定の批判」だと
いっています。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 12

また、中埜肇の言う「当時の安部は「解釈学」という言葉をむしろデカルト的な懐疑の方法に近い意味に解し
ていた。」という正確な理解については、晩年安部公房自身が、デカルト的思考と自分独自の実存主義に関す
る理解と仮面についての次の発言がある(『安部公房氏と語る』全集第28巻、478ページ下段から479
ページ上段)。ジュリー・ブロックとのインタビュー。1989年、安部公房65歳。傍線筆者。

「ブロック 先生は非常に西洋的であるという説があるけれども、その理由の一つはアイデンディティのこと
を問題になさるからでしょう。片一方は「他人」であり、もう片一方は「顔」である、というような。
フランス語でアイデンティティは「ジュ(私)」です。アイデンティティの問題を考えるとき、いつも「ジュ」
が答えです。でも、先生の本を読んで、「ジュ」という答えがでてきませんでした。それで私は、数学のよう
に方程式をつくれば、答えのXが現れると思いました。でも、そのような私の考え方すべてがちがうことに気
づき、五年前から勉強を始めて、四年十ヶ月、「私」を探しつづけました。
安部 これは全然批評的な意見ではないんだけど、フランス人の場合、たとえば実存主義というような考え方
をするのはわりに楽でしょう。そういう場合の原則というのは、「存在は本質に先行する」ということだけれ
ども、実は「私」というのは本質なんですよ。そして、「仮面」が実存である。だから、常に実存が先行しな
ければ、それは観念論になってしまうということです。
ブロック それは、西洋的な考えにおいてですか。
安部 そうですね。だけど、これはどちらかというと、いわゆるカルテジアン(筆者註:「デカルト的な」の
意味)の考え方に近いので、英米では蹴られる思考ですけどね。」

既に18歳の安部公房は、この晩年の発言にある認識に至っていたということがわかります。そうして、何故
ジュリー・ブロックが「でも、先生の本を読んで、「ジュ」という答えがでて」来ないかという理由を、上の
二つの表(マトリクス)は示しています。

ここには、「ジュ(私)」は有りません。何故ならば、それは、安部公房のいう通り、「実は「私」というの
は本質」であるからです。何故ならば、本質とは、実体のあるものではなく、差異であり、関数だからです。

この、安部公房のいう「私」を、西洋の哲学用語で、subject(主観、主体、主辞、主語)と言うのです。

上に表にした、実体の無い、関係概念としての、安部公房のいう此のsubject(「ジュ(私)」)の概念を理解
することは、安部公房の文学を理解するために大変大切です。「実は「私」というのは本質なんですよ。そし
て、「仮面」が実存である。だから、常に実存が先行しなければ、それは観念論になってしまうということで
す。」という安部公房の発言をよくお考え下さい。上の表は、次のところでダウンロードすることができま
す:https://ja.scribd.com/doc/266831849/安部公房の読者と作者-我と自我-主体と客体の関係-差異

この地図の中の少女と猫の話は「以前どこかで、面白いスライドの連続写真を見せられたこ
とのある」「かなり昔のことなので、正確に憶えてはいないが、だいたい次のようなもの
だ。」少女と猫を中心に、前半は大から小へ、高から低へと微細への下降、後半は其の逆方
向で、微細から巨大への上昇を写した「スライドの連続写真」です。
もぐら通信
もぐら通信 ページ13

「まず、仔猫を抱いている少女。次は、その部分を拡大したもので、仔猫の半身と、それに
かかっている少女の手。さらに拡大されて、猫の毛。それから、猫の毛数本の拡大、すると
ノミが一匹とまっている。次は、そのノミ。ノミの体の部分のアップ。最後はそのノミの体
内の構造の顕微鏡写真。」(前半)

「スライドは再び最初の仔猫を抱いている少女に戻る。カメラが引いて、少女は大きな木の
下に坐っている。次は、どこか大きな農家の庭になり、木が一本、その下に白い斑点のよう
な少女。さらに場面が広がり、その農家をふくんだ農村の航空写真。つづいて、かなりの高
空からの、山や谷間や海をふくんだ写真。それから突然、地球になる。カメラはさらに宇宙
へと飛出し、地球をふくんだ太陽系。銀河系。ついには星雲の群にまで視界をひろげ、いき
なり仔猫の少女に戻って終り。」(後半)

この引用は、『方舟さくら丸』に挿入されてゐる二枚の航空写真を思ひ出させます。地図は
トポロジー で描画されたネスト構造、フラクタル構造、ロシアのマトリョーシュカ構造の
世界です。いや、事情は逆で、地図とは此の世界の地形・地勢を写してゐるのですから、こ
の世界が其のやうな構造で位相幾何学的にできてゐる。とすれば、今見てゐるものが眼の前
でみるみる変形して行くのは何も不思議なことではない。今日の詐欺師が明日は成仏するか
も知れないのです。道徳も法律もかくも儚きものである。善人なほもて往生を遂ぐ、況(い
はむ)や悪人に於いてをや。

さて、しかし、安部公房は空間的な地図の提示である此の映像には満足せず、時間的な要素
の不足を指摘して次のやうにいふ。

「何が欠けているのだろう。はっきりしているのは、時間の欠如だ。純粋に空間の操作だけ
にとどまっていて、時間は一点に静止したままである。」

ここから時間とは何か、時間といふ変化してやまぬものに対して人間は何を思ひ、何を生み
出したかといふ話になる。ここが人間のあるべき場所(topos)であり「時空の交差点」で
あり、藝術ならば「時空の交差点」が舞台と云ふ場所である。ここからは、安部公房が超越
論を語つてゐるのだ、読者の理解のために其のまま引用します。

「 むろんすべての芸術に、かならず時間がかかわっているなどと断定は出来ない。そんな
証拠はどこにもない。ただわれわれは、経験的に、人間の文化が運命へのおびえの上に構築
されてきたことを知っている。伝説も、民話も、おおむね時間に対する不安と、その不安を
法則化し、可視的なものに変える作業で成立っている。さらに英雄物語は、運命が可変的な
ものであることを示し、人々に安心感をもたらしてくれる。英雄の敗北を語る悲劇でさえ、
時間を未知なものから、体験済みの世界へと引き寄せてくれるのだ。
もぐら通信
もぐら通信 14
ページ

もっとも、物語などにかかわってくる時間が、時間そのものでないこともはっきりしてい
る。因果関係は、単なる時間の影に刻まれた時間の爪痕にすぎないのだ。たとえば、時計。
時計は文字どおり、時間をはかる計器である。だが、われわれが見ているのは、けっきょく
文字盤の上を廻転する針の空間移動だけなのだ。いくら時計をにらんでいても、時間は見え
ない。同様、人間の運命や生涯を主題にした作品からわれわれが読みとるのは、あくまでも
空間に翻訳された時間にすぎないのである。」(傍線は引用者)

この引用の後半の段落は、前半の段落を念頭に置いた上で、よく考へて見れば、『箱男』の
写真に添へられた次の夜の陸上競技場を一人走る走者(ランナー)の心(引用前半)と認識
(引用後半)の解説になつてゐます。此処に二つの関係する詩があつて、一つトラックの廃
棄場の下に添へられた詩。勿論、この写真も同じ他の写真と同様に黒い縁取りがなされてゐ
て、これは祭壇に立てた慰霊の写真である。その慰霊の写真の下の次の詩:

走りつづけたが
追いつけなかった人々の
贋のゴール
旗は振られ
審判も観客も
とうに引き揚げてしまった
夜の競技場

ストップ・ウオッチを持つて審判が速度を判定して順位をつける競技場は昼間の競技場であ
り、これに対して、箱男たるあなたの走る競技場は夜の中にあり、夜であるから他者との境
界線も目に溶けて見えない。あなたは溶骨症の少女である。あなたは無限に闇の中に溶けて
行き、ついには夜そのものに、存在になる。比較するものたちがゐなければ、あなたはそれ
らの人々の一種である「審判も観客も/とうに引き揚げてしまった」のであなた以外には誰
も何処にもゐない。存在しないゴールは、云ふまでもなく、「贋のゴール」である。コップ
がドーナツか、ドーナツがコップであるか。等価交換の世界。かうなると、「走りつづけた
が/追いつけなかった人々」とは、昼間用意ドンで走り始めた人々で、余りに走りが遅いの
て夜になつてしまひ、今夜の競技場を走つてゐる人々なのか、それとも、最初から追ひつけ
ない人々がゐて(トーマス・マンなら「いつも躓(つまづ)いて転ぶ人々」と呼ぶだらう)
いつも夜にだけ走る人々のことなのか。いや、夜に結局は走るに至るのであれば、いづれの
場合も同じことである。

同様に、引用の後半を詩にしたと云べき、ストップウオッチを含む時計を主題にした同じ作
品の最後から二つ目の章、初期安部公房以来変はらぬ安部公房独自の汎神論的存在論の記号
を使つて《開幕五分前》と題された章の一番最後に置かれてゐる次の詩を。

時計の文字盤は片減りする
もぐら通信
もぐら通信 15
ページ

8の字あたり
かならず一日に二度
ざらついた眼で見つめられるので
風化してしまうのだ
その反対側が
2の字あたり
夜は閉じた眼が
無停車で通過してくれるので
減り方も半分ですむ
もし まんべんなく風化した
平らな時計を持っている者がいたら
それはスタートしそこなった
一周おくれの彼

だからいつも世界は
一周進みすぎている
彼がみているつもりになっているのは
まだ始まってもいない世界
幻の時
針は文字盤に垂直に立ち
開幕のベルも聞かずに
劇は終った

定刻など存在せず、私たちは常に定刻の前か後かしか知ることが出来ない。何故なら/従
ひ、私はちは昨日の明日に、明日の昨日に、これら昨日であり且つ明日である今日に生きて
ゐるからである。定刻で成り立つがごとくに恰も見えてゐる一日は従ひ「幻の時」である。
あなたの劇は常に始まり続け、常に終はり続けて、劇の舞台、即ち時空の交差点の幕の開く
ことはなく、幕の閉まることもない。

これが、安部公房スタジオの劇(ドラマ)である。

ところが此の存在の交差点に時間を感じさせてくれるものが一つだけあると、安部公房は云
ふ。それが音楽であり音である。

「そう、音はわれわれに時間を直接伝え、感じさせてくれる。(略)そして音楽がある。時
間そのもので構成された、芸術表現の一ジャンルがある。」
「考えれば考えるほど奇妙な世界だ。音だけの世界……むろん歌やオペラなどの例外もある
が、いまは一応除外することにして……それがなぜこれほどに人間の情感にせまるのか。た
ぶんそれが時間なのだ。音楽以前の音の世界にも、われわれの心にせまる物音が満ちちあふ
もぐら通信
もぐら通信 ページ16

れている。たとえば、鳥のさえずり、枯枝にひき裂かれて鳴る風、夜汽車のレールの音、波
の音、夜道を行く靴音、消防車のサイレンのうなり、蛇口からもれる水のしたたり……」(傍
線は引用者)

「消防車のサイレンのうなり」とは、『箱男』の結末で鳴り響き、次作『密会』の冒頭で鳴
り響く。これもあなたのご存知の通り。そして、このエッセイで判ることは、この音は《開
幕五分前》即ち「時空の交差点」に鳴り響いてゐると云ふことであり、これから存在の舞台
の始まり始まり即ちもう終しまいだよ終しまいだよ、と云つてゐる音だと云ふことです。安
部公房のすべての作品が此の空間と時間の連鎖で接続されてゐて、そのために全作品群が一
つの存在になつてゐると云ふことは既に『デンドロカカリヤ 』論(もぐら通信第53号)
号および第54号)および初期安部公房論(『安部公房の初期作品に頻出する「転身」とい
ふ語について』(もぐら通信第56号から第59号)で論じた通りです。

安部公房のすべての作品は、作品の藝術範疇を問はず、存在即ち「時空の交差点」で書かれ
てゐる。

ここからの安部公房による音と生理の関係についての説明は、安部公房スタジオの演技論
ニュートラルの礎石の一つに違ひない。一言でいふと、これも安部公房らしい「音のリズム
覗き穴」論なのです。これを「時間の隙間の覗き穴」論と呼べば、『箱男』に挿入された空
間的なカメラのファインダーといふ覗き穴論と何ら変らないので[註3]、後者を前者にな
らつて「空間の隙間の覗き穴」論と呼ぶことができる。

[註3]
安部公房の窓については『もぐら 感覚5:窓』(もぐら 通信第3号)および『安部公房の奉天の窓の暗号を
解読する∼安部公房の数学的能力について∼』(もぐら通信第32号および第33号)をお読み下さい。安部
公房の窓といふ概念の全体が解るやうに詳述しました。

「 気をつけてみると、これらの物音には、はっきりした一つの共通項があることが分か
る。断続や強弱のリズムの幅に、一定の限界があることだ。(略)」

そして、ここからが安部公房らしいのです。

「 ただ、あるリズムの幅の間でだけ、人間は時間を感じることが出来る。自分の存在を、
時間の流れとして感じることが出来る。無限にあるリズムの中で、ただその範囲内のリズム
だけが、時間をのぞく覗き穴になってくれるのだ。しかも、かならずしも持続の感覚ではな
い。「今」という瞬間の実在感と言ったほうが適切かも知れない。記憶にとどめることも、
未来を予測することも、ただ「今」の感覚の幅だけという、まさに現在進行形でしか存在し
ない時間の姿。」
もぐら通信
もぐら通信 17
ページ

ここにあるのは、単に論理上あり得る場合をすべて列挙して時間と人間の関係を無限大にす
るのではなく、実際の現実の時間の存在する私たちの生活の中であり得る有限回数に落とし
込んだ時間と人間の、リズムを介した関係への言及であり、これは誠に数学者安部公房らし
い。即ち、時間は差異である。と、安部公房は自分の認識論を、ここでも語つてゐるので
す。これを、若い俳優たちに身体の感覚とリズムの問題として教へた。確かに此れは、心理
ではなく生理の問題でなければならない。そして、そのやうな演技指導であつた。万葉集巻
一の、壬申の乱にかかわる天武天皇の吉野行きの歌二種の内の25番の歌に、この安部公房
の認識と同じ《時》が歌はれてゐる。

「み吉野の 耳我(みみが)の峯に 時なくぞ 雪は降りける 間なくぞ 雨は降りける


その雪の 時なきがごと その雨の 間のなきがごと 隈(くま)もおちず 思ひつつぞ来
(こ)し その山道を」

これが私たち日本人が古来心身に備はつてゐる、神道でいふ中今と呼ばれる時間感覚と其の
論理です。別途連載して論じてゐる『縄文紀元論』にての発見である縄文びとによる認識論
によれば、この時は時刻と時刻の隙間、即ちトキといふ意味であり、時なくぞと云へば、そ
れは時間の隙間無くといふ意味になります。そして、雨もまた時に似て、雨の滴(事物)と
滴(事物)の間(マ)即ち隙間がないと歌はれてゐるといふことが解ります。安部公房の藝
術は前衛的であるといふ先入見を私は疑ふべきだと考へてゐます。もし前衛的であれば、ア
メリカ公演で評判を呼ぶことはなかつたでせう。日本国内では前衛は物珍しいかも知れない
が、欧米に行つての前衛など少しも珍しいものではない。その意味でも、安部公房には箱根
の山の中の存在の山荘に籠らずに、アメリカの後に続いて、時なくぞ、ヨーロッパでも公演
を続けて欲しかつた。そして、その成果を見たいものでした。安部公房の舞台は海外にもつ
て行くと、非常に伝統的な日本的な舞台に見られたといふことです。

これが、私が繰り返し超越論と言つて来た時間概念の、万葉集の御製に依る説明であり、こ
の御製の、安部公房による解説です。

ここから先、安部公房の述べてゐるのは、時間の空間化(小説や戯曲などの言語藝術の場
合)であり、他方、これに対して音楽と対比して、安部公房の藝術論の要である藝術範疇の
独立といふことを次のやうに述べてゐます。

「 そして、もし、文学が文学の枠を破って、時間そのものに目を向け、音楽が音楽の枠を
破って、空間そのものに目を向け、しかも自己を喪わずにすませられる場所があるとした
ら……つまりそれが、いまぼくが考えている舞台なのである。」

即ち、「時空の交差点」とは、従ひ、時間の空間化と空間の時間化を、即ち言語とセリフの
発声と生理的感覚とを首尾一貫させて、この交差点を日本語の世界で出現せしめようといふ
試みであるといふことです。安部公房の使ふ言葉は、いづれも概念が明確であり、従ひ体系
もぐら通信
もぐら通信 ページ18

的な演技論と舞台論になつてゐますので、読者には全集に当たつて再読することもまた、安
部公房理解を深めるために良いことかと思ひます。

そして、「俳優は、その交差点にあって、時間と空間の両軸を、自由に往来できる使者でな
ければならない。ちょうど光が、波動であると同時に、粒子でもあるように。」

即ち、ここで、私たちは『使者』と『人間そつくり』に登場する人間そつくりの火星人は、
従ひ、時空の交差点に立つ存在であり、そこは『箱男』の「箱の中の迷路」の世界なのであ
り、ここはトポロジーの世界であることは、後者『人間そつくり』の小説に書かれてゐて明
らかです。後者の小説の第15章で火星人のいふ次の科白、

「そこがトポロジーの面白さなんですねえ。たとえば、原型になる模型を一つ最初に作って
おきさえすれば、あとはどんな複雑なパターンにでも、そのままそっくり位相転写させるこ
とができる。ですから、この場合なら、まず《火星人だと思い込んでいる地球人》の構造模
型でしょう。ためしに、ひとつ、やってお目にかけましょうか。」(全集第20巻、305
ページ下段)

この構造模型である原型が「周辺飛行18ー肉体表現における、ニュートラルなものの持つ
意味について」で安部公房のいふ「ゼロのニュートラル」であり、「この、ゼロのニュート
ラルを基点にして、無数のニュートラルの変形が存在する。」

これが、全集第24巻最後の「周辺飛行」の周辺飛行でした。即ち、このエッセイのみなら
ず、安部公房の全ての作品は、トポロジー(地図)の話(例へば地図もなく喪失した記憶の
地図に頼つて自分の家を探して歩く餓えたる若者の話『赤い繭』)で始まり、トポロジーの
話(表裏・内部と外部が等価交換されて裏返つたニュートラルな「赤い繭」に主人公が成る)
で終はる。赤い繭は火星人であつた。『燃えつきた地図』の主人公の探偵も、地球で迷子に
なつたために、火星に帰還することができずにゐる火星人である。
もぐら通信
もぐら通信 ページ19

『砂漠の思想』を読む
(7)
II 砂漠の思想
「全面否定の精神」
岩田英哉

この「全面否定の精神」とは一体何であらうか?

結論1:この精神によつて生まれる藝術範疇自律論が、この題名の言はむとするところで
す。これは安部公房スタジオの演劇論・舞台藝術論に先立つ藝術範疇自律論なのです。文
学は文学で、映画は映画で自律してゐなければならない。

私は此の映画批評の文章からできるだけ引用は最小限に留めて、このエッセイの内容と論
旨をまとめたい。おそらくあなたには安部公房の読者として全集第8巻162ページを開
き、一度読んでもらひたい。当時の読者が、別に安部公房の読者でなくとも普通に日本語
を理解する人が此れを偶々目にしたとして、理解することができなかつたことであらうと
私には思はれるのである。

このエッセイを読むと、恐らくあなたは頭が混乱して何が何だか分からなくなり、安部公
房を愛してゐるが故に、読み進めてもなかなか理解ができずに、それでも読み進めて最後
の一行に至つて、絶望に関することが安部公房の頭をよぎるといつも安部公房の好んで引
用する魯迅の言葉「絶望の虚妄なるは、希望の虚妄なるに等しい……」を読むに至つて、
益々絶望することになるだらう。

これは、あなたがさうはならないようにといふための事前の船酔いの薬であり、乗り物酔
いの薬であると考へてもらひたい。私も絶望の中から何とか這ひ出して、この文章を書い
てゐるのだ。

ことは、従ひ、感情に一切かかはることなく、論理にのみ徹することである。安部公房の
思考論理はいつも、十代の時から最初はいつも否定和(十進数の算術演算用語)または否
定論理積(二進数の算術演算用語)最後には否定積(十進数の算術演算用語)であり、否
定論理積(二進数の論理演算用語)による結論で終はるので、まづ読者に親しい『赤い
繭』の冒頭と結末を思ひ出してもらひたい。

冒頭:「日が暮れかかる。人はねぐらに急ぐときだが、おれには帰る家がない。おれは家
と家との間の狭い割目をゆっくり歩きつづける。街中こんなにたくさんの家が並んでいる
のに、おれの家が一軒もないのは何故だろう?......と、何万遍かの疑問を、また繰り返し
ながら。」
もぐら通信
もぐら通信 ページ20

結末:「後に大きな空っぽの繭が残った。/ああ、これでやっと休めるのだ。夕陽が赤々
と繭を染めていた。これだけは確実に誰からも妨げられないおれの家だ。だが、家が出来
ても、今度は帰ってゆく俺がいない。/繭の中で時がとだえた。外は暗くなったが、繭の
中はいつまでも夕暮で、内側から照らす夕焼の色に赤く光っていた。」

冒頭では、一軒一軒家を尋ねるが、どの家からも拒絶されて存在の「割目」を彷徨ふ無名
の主人公である。これは時間の中で個々にのものを否定してゆく論理ですので、和算の否
定の論理です。これを否定和といひます。ですから、切りがなく、この否定は時間の中で
延々と続きます。何が問題かといふと、この主人公は自分の強い意志があつて何とか家を
見つけて押し入らうといふのではなく(これが戯曲『友達』の闖入者たち)、各戸に拒絶
されて、主人公の方が無数の家々に否定されるといふ、普通は主人公(主体)が対象(客
体)を否定するものですが、さうではなく、論理としては反対の主客の否定の形になつて
ゐることです。客体(家)が主体(主人公)を否定してゐる。これが安部公房の冒頭のい
つもの導入部の特徴です。

これが全く同じく此の映画批評の始まりなのです。安部公房が『赤い繭』の主人公になつ
て、ドアがピシャリと目の前で閉められるのです。

「どこで読んだのか、記憶がはっきりしないから、あえて名前を出すのはさしひかえる
が、ある若い文芸評論家が映画について、これは言葉をもたない芸術だから、一種の「第
二芸術」にしかすぎないというようなことを言っていた。その文句にぶっつかったとき、
私は、開けようとしていたドアに、いきなり向うからガチャリと錠前をかけられたよう
な、たまらなく嫌な気持にさせられたものである。」

これが、時間の中の計算である足し算を否定するといふ否定和の、言葉による形象化で
す。

最後はどうか。安部公房にとつては、

夕暮れは昼と夜の隙間の時間であり(時間的差異)、家々の隙間(空間的差異)とは異な
つて、時間の存在しない、従ひ空間も存在しない第三項として存在する存在の世界であ
る。

それ故に「「後に大きな空っぽの繭が残り」、どこにも時間の中にゐないことになつた主
人公は「ああ、これでやっと休めるのだ。」と思ひ、「夕陽が赤々と繭を染めていた」と
いふ夕陽の中で安息を得る。「これだけは確実に誰からも妨げられないおれの家」なので
あるが、しかし第三項としての存在の中にゐるわけですから時間の中にゐるわけではない
ので、「だが、家が出来ても、今度は帰ってゆく俺がいない」といふことになります。時
もぐら通信
もぐら通信 ページ21

間の中では客体から永遠に絶えることなく否定される主人公である。しかし、繭の中は時
間とは全く無関係の空間的な世界ですので、「繭の中で時がとだえた。外は暗くなった
が、繭の中はいつまでも夕暮で、内側から照らす夕焼の色に赤く光っていた。」といふ内
部と外部の等価交換されたトポロジーによる結末(存在の第三項)になるわけです。『砂
の女』の仁木順平の最後、『燃えつきた地図』の主人公の最後をおもつて見れば良い。

さて、ここまでおさらひをして、本題に戻ります。

安部公房は例によつて例のごとく座標を描いてから話を始める。この場合の座標軸は、言
語芸術と非言語芸術、そして思想と思想性といふ二つの軸です。以下図示します。

これもまた例によつて例のごとく、安部公房は映画を芸術として肯定するために、象限II
から象限IVへの映画人の自覚を求めるのです。映画には映画の固有の特性があるのだか
ら、文学の真似をするのではなく、また思想がなければいけないなどといふ考へを捨て
て、「映画的なもの」即ち「映画らしさ」に徹せよといふ主張です。この座標を見て判る
もぐら通信
もぐら通信 ページ22

通り、安部公房は、映画に文学とは異質の非言語の要素を大切にした非言語芸術としての
表現を期待してゐます。

ここで題名の「全面否定の精神」に戻つて考へると、安部公房のいふ「全面否定の精神」
とは何かといふ問に答ます。上図ではまだ象限IVは肯定の領域ですから、少しも全面否定
にはなつてゐません。安部公房の頭の中は常に次のやうになつてゐて、これが表に文字に
なつて出てくることは論理として以外にはないのです。これが分からないと、安部公房が
確かに日本語で話をし書いてもゐるのに何を言つてゐるのか解らないといふことになるわ
けです。この映画評論は、その好例でありませう。

結論2:下記の図のA,B,Cの領域を全て否定することが、安部公房のいふ「全面否定の精
神」である。ぼんやりとでもいいので、下図を少し眺めて見て下さい。

さて、上の図でAを文学と小説の領域、Bを映画の領域と考へて下さい。すると上図は次
のやうになる。
もぐら通信
もぐら通信 ページ23

A(小説)からB(映画)に含まれるC共通集合を差し引いたものが、小説固有の領域Aで
ある。反対にB(映画)からA(小説)に含まれる共通集合Cを引き算したものがB(映画
の固有の領域)である。

これが、

A・C-C=A
B・C-C=B

といふ記号による計算の意味です。

これは肯定を前提にした引き算の世界であつて、まだA,B,Cを否定してゐない。それで、
安部公房は次の否定をするのです。
もぐら通信
もぐら通信 24
ページ

それが、

非A(=B・C)-C=B
非B(=A・C)-C=A

といふ記号による計算の意味です。

非Aとは、BとCを併せた領域であり、非BとはAとCを併せた領域である。これら二つから
それぞれ共通集合Cを引き算すると、それぞれ残るのはB、Aという映画と小説に固有の領
域である。

一体こんなことをやつて何になるのだ?とあなたは問ふかもしれない。しかし、安部公房
は場合を尽くして何とか「小説らしさ」「映画らしさ」が固有の領域の姿だといふことを
論理的に説明したいのである。即ち、この「らしさ」こそニュートラルの証なのです。安
部公房は思想を否定して思想性のあることが大事だと映画について言ひ、「映画的なも
の」をもつと大切にしろといふ。この「らしさ」「∼的」といふ存在の第三項(いつの場
合も第三項は形容詞であつて名詞ではない)を求める手順が、これだとおもつて下さい。
安部公房とともに存在になりませう。さう、「らしさ」「∼的」と来れば、私たちは「人
間そつくり」な人間なのである。火星人ではない、人間であるが、しかし非人間ではない
火星人ではないといふ否定の、トポロジーのホモローグが延々と続く『人間そっくり』の
お話でした。

さて、かくしてAとBの固有の領域が肯定・否定といふ手続きを経て、残るは共通集合Cの
否定に入るといふわけです。これでA、B、Cの全面否定となります。

折角の共通集合Cをまで否定したら、俺は/私は一体どうしたらいいのだ?帰るべき家なく
故郷がないではないか?と嘆いてはいけない。あなたが安部公房の読者であるといふ理由
は、このCの否定によつてついに現実の中に存在する諸事・諸物(現存在とハイデッガー
の用語を借用しても良い)を「全面否定」するにいたり、かくして晴れて、あなたは「赤
い繭」になることができるといふわけです。この、共通集合 Cの否定とは何かを示したの
が次の図です。
もぐら通信
もぐら通信 ページ25

上図にある、

C=A「以前」の何か
C=B「以前」の何か

とあるのが、AとBそれぞれから見たCの意味である。この二重の意味としてある共通集合
を否定して、あなたは「赤い繭」から、記号が取れて地の文の中で「赤い繭そつくり」の
赤い繭になるのだ。即ちAから見て、B「以前」の何かを否定し、あなたは映画の世界か
ら非映画の世界のA「以前」の何かを理解する。そして、あなたは今度は映画の世界Bか
ら見て、非小説の世界のA「以前」の何かを否定して、B「以前」の何かを理解する。

「∼以前」といふ言葉は、安部公房の超越論のいはば必須の用語でした。安部公房が藝術
もぐら通信
もぐら通信 ページ26

活動上の危機に直面した時に問ふ問の形式はいつも「∼以前」としてあり、この 「∼」
に藝術範疇の名前の入ることは諸処既述の通りです。[註1]

[註1]
「∼以前」といふ安部公房の超越論的な思考論理

『安部公房と共産主義』(もぐら通信第29号)より以下に「∼以前」といふ安部公房の超越論的な思考論
理について引用します。

「安部公房は、何か危機的な時、転機の時には、いつも言語とは何か、文学とは何かを問い、後者の問いの
次には、必ずといってよい程、その最初に戻って物を考え、前者との関係で詩とは何か、小説とは何か、戯
曲とは何かを問うて、そうして言語以前、詩以前の、即ち未分化の実存と言う未だ名付けられない存在のこ
とを考察してから、その問題の本質へと入って行きます。即ち、論ずる対象「以前」に戻って考えるという
ことを致します。更に即ち、時間を捨象して、物事の本来の、根源的なあり方として物事を考える、そのそ
もそもを存在論的に考えるのです。 そうして其の根源的な、論ずる対象のあり方を存在と呼び、存在とし
て、即ちこの世に現れている「以前」の無名のものとして考え、それを論じる対象との関係にある語彙を使っ
て次に有名なものとして考え、論じるのです。[註22]

[註22]
詩については、『第一の手紙∼第四の手紙』で「詩以前」を論じています(全集第1巻、191ページ下
段)。

この散文を書いた1947年、安部公房23歳の時には、既に詩人安部公房にとっての危機と転機の時期が
訪れていたのです。前年1946年には満洲から引き揚げて来て、日本に帰国した翌年のことです。このと
きの危機は、詩人としての危機でした。

この危機をこのように『第一の手紙∼第四の手紙』で存在論的に思考して考え抜いて乗り越えて同じ歳に出
版したということが『無名詩集』の持つ、それまでの10代の「一応是迄の自分に解答を与へ、今後の問題
を定立し得た様に思つて居ります」(『中埜肇宛書簡第9信』。全集第1巻、268ページ)と10代の哲
学談義
をした親しき友中埜肇に書いた『無名詩集』の持つ、安部公房の人生にとっての素晴らしい価値であり、安
部公房の人生に持つ『無名詩集』の意義なのです。

小説については、この『猛獣の心に計算機の手を』で、「読者の存在」(全集第4巻、497ページ)と呼
んでいます。「小説の存在」とは言わなかったのは、小説は読者あっての小説だという考えであるからで
す。ここで「読者の存在様式こそ、小説の表現(認識の構造)の様式を決定する」と書いておりますので、
小説以前
の存在を読者の存在として論じていることがわかります。この読者とは何を意味するかについては、上記本
文で、また[註20]で論じた通りです。このときの危機は、小説家としての危機でした。そうして、シナ
リオ(drama、劇)を執筆する戯曲家たる安部公房が、小説家たる安部公房のこころを救済したのです。

戯曲と舞台についても、安部公房は同じ思考の順序を踏んでいて、1970年代の安部公房スタジオの俳優
たちには、「戯曲以前」にまづ「言葉による存在」になること、俳優以前にまづ「言葉によって存在」する
ことを要求しています。[註24]この言葉を読むと、安部公房が、この安部スタジオをどのような思いで
立ち上げたのかが、よく判ります。これも、詩や小説の場合と同様に、10代の安部公房の詩の世界、即ち、
時間の無い、自己が存在になることのできるリルケの純粋空間への回帰なのです。このときの危機は、戯曲
もぐら通信
もぐら通信 ページ27

時間の無い、自己が存在になることのできるリルケの純粋空間への回帰なのです。このときの危機は、戯曲
家としての危機でした。

その淵源を求めて時間を遡れば、最初にこの何々以前という考え方が文字になっているのは、やはり20歳
のときに書いた『詩と詩人(意識と無意識)』です。この詩論・詩人論では、「価値以前」と存在が呼ばれ
て、この存在を更に夜と言い換えて論じられております(全集第1巻、112ページ上段)。

この『詩と詩人(意識と無意識)』は、『中埜肇宛書簡第1信』によれば、遅くとも此の書簡を書いた19
43年10月14日、 安部公房19歳の秋には、「新價値論とも云ふ可きものの体系」として考えられてお
ります(全集第1巻、68ページ下段)。」

以上の論理的思考の手続きを経て、順序正しく、あなたはA、B、Cを全て全面否定して
次の存在へと失踪することができるわけです。さうしてきつと、かう呟くこともできるの
だ。

「絶望の虚妄なるは、希望の虚妄なるに等しい……」

確かに二項対立を超越した第三項が「……」といふ沈黙と余白の中に生まれてゐる。安部
公房の記号の使ひ方は数学者らしくいつも厳密に使用されてゐます。[註2]「……」
に、安部公房スタジオの舞台が存在してゐる。

[註2]
安部公房の終生の記号の規則については、初期安部公房論『安部公房の初期作品に頻出する「転身」といふ
語について』(もぐら通信第56号から第59号)で詳細に論じましたので、これをご覧ください。また最
後の傑作『カンガルー・ノート』を論じた一連の『カンガルー・ノート』論の特に最初の論(もぐら通信第
56号)に始まり、テキストに忠実に読み解いて行つた第57号から第84号でも同じ記号によるノートを
使つた存在論について、これも精細に論じましたので、お読み下さるとありがたく。
もぐら通信
もぐら通信 ページ28

二十一世紀の日本文学のためのスケッチ・ブック
(3)
塔の文学
岩田英哉

目次

塔の文学
1。森鴎外の塔と夏目漱石の塔
2。江藤淳の塔と三島由紀夫の塔
2.1 三島由紀夫の詩篇『凶ごと』と二人の塔の共通の名前
3。三島由紀夫の塔と安部公房の塔
4。安部公房の塔と小林秀雄の塔

***

2.1 三島由紀夫の詩篇『凶ごと』と二人の塔の共通の名前
何故江藤淳は誰も注意しない十代の三島由紀夫の詩篇『凶ごと』を『三島由紀夫の家』と
題して其の冒頭に掲げて論じたのでせうか。この問ひに答へること、此処に江藤淳を知る
契機があり、同時に此れがこのまま三島由紀夫を知る契機になつてゐるのです。名前を呼
び捨てに挙げて、それぞれの人間と文学といふ一つの意味で此の呼び捨てといふ格式を以
後礼をつて用ひることにします。

『三島由紀夫の家』と題した論は、第1章を除き、そ後は最後の第8章まで皆『鏡子の家』
論である。第一章だけが、次の詩を引いて、簡潔な批評をして章自体が批評として完結し
てゐる。確かに『鏡子の家』を論じてゐるとはいへ、何故江藤淳はあへて『三島由紀夫の
家』としたのであらうか。そして何故最初に『凶ごと』といふ詩を引いて第一章を書いた
のであらうか。そこには、「三島由紀夫の家」にはあつて、『鏡子の家』にはないものが
あることを、江藤淳は直覚して、そのものの名前を行間に隠したからです。そして、それ
は正しいことだ。何故といふ問ひを親友辛島昇が発したら、江藤淳は答へたであらう。私
は批評に於いては作家に対する礼節を守りたい。即ち、過剰に個人的な事情(プライヴァ
シー)に立ち入ることはしない。その作家や批評家の文章から行間を読んで、誰の目にも
見えない其の人間の人生を知りたいと思ふ。礼節を以て。若い時分に小林秀雄の批評を読
んでゐて、どの作品であつたか、何とかして天才の文章を理解したいものだといふ一行に
触れた時に、私も、ああ、本当にさうだ、何とかして私も天才の文章が理解できるやうに
なりたいと切に思つた。文学の世界は、どこの言語圏にあつても、美術の世界がさうであ
るならば同様に、そして囲碁や将棋の世界と同様に、天才たちの世界である。何を読んで
もちんぷんかんぷんで凡庸な人間であつた私には、解らなさの水準(レヴェル)はいふま
でもなく小林秀雄とは雲泥の差、月とスッポン、ちつとも理解ができなかつた。努力は
もぐら通信
もぐら通信 ページ29

するものである。毎日コツコツと。

さて、江藤淳は、この「三島由紀夫の家」にあつて『鏡子の家』にはないものを自分の人
生に於いて知つてゐた。そのものとは一つの空間で、それは小さな部屋であつて、日本の
家屋では御納戸と呼ばれる空間であつた。先の戦争前に東京の中産階級の家々にはあつた
ものが此れで、戦後の団地のやうな高層住宅のやうな、そして建築家が伝統を嫌ひ個人の
名前で好き勝手に設計して建てた自分よがりの家々にない空間が、御納戸である。江藤淳
の死に礼節といふ距離を保ち、従ひ、この優れた批評家の文章からのみ、この御納戸のこ
とを引用することにします。これは、期せずして、三島由紀夫の経験と全く同質の経験で
あつた。そして、御納戸が本質的に二人にとつて重要なのは、窓があるといふことであつ
た。クローゼットなどと横文字で呼ばれる空間にはもはや文化はなく、このやうな優れた
作家や批評家は、そこからは決して生まれないのである。勿論、この詩は江藤淳の書いた
詩ではなく、平岡公威が三島由紀夫になる前の歳の15歳の、この少年が詩人になること
を深く密かに決心したが故に、詩作の腕を急速に上げた歳に書かれた詩のうちの一つであ
る[註1]。江藤淳の引用は、その第一連の引用です。

《わたしは夕な夕な
窓に立ち椿事を待つた
凶変のだう悪な砂塵が
夜の虹のやうに町並みの
むかうからおしよせてくるのを。》

[註1]
新潮社文庫版『花ざかりの森・憂国』に寄せた三島由紀夫の自筆のあとがきの言葉は次の通り。江藤淳の眼
を強く惹いた此の詩は「『詩を書く少年』には、少年時代の私と言葉(観念)との関係が語られており、私
の文学の出発点の、わがままな、しかし宿命的な成立ちが語られている。」といふ其のやうな詩であつた。

「集中、『詩を書く少年』と『海と夕焼』と『憂国』の三編は、一見単なる物語の体裁の下に、私にとって
もっとも切実な問題を秘めたものであり、もちろん読者の立場からは、何ら問題性などに斟酌せず、物語の
みを娯(たの)しめばよいわけであるが、(略)この三編は私がどうしても書いておかなければならなかっ
たものである。『詩を書く少年』には、少年時代の私と言葉(観念)との関係が語られており、私の文学の
出発点の、わがままな、しかし宿命的な成立ちが語られている。ここには、一人の批評家的な目を持った冷
たい性格の少年が登場するが、この少年の自信は自分でも知らないところから生まれており、しかもそこに
は自分ではまだ蓋をあけたことのない地獄がのぞいているのだ。彼を襲う「詩」の幸福は、結局、彼が詩人
ではなかったという結論をもたらすだけだが、この蹉跌は少年を突然「二度と幸福の訪れない領域」へ突き
出すのである。」

15歳:詩『少年期をはる』(1940年、昭和15年10月18日付作品)は、詩を喪失した少年たちの
論理と感情を歌つた詩である。この詩で、生命との関係にをいて、言葉と表現との間の倒錯が始まる。
もぐら通信
もぐら通信 ページ30

江藤淳著『文学と私・戦後と私』(新潮社文庫)より、上の詩を江藤淳が書いたとした場
合の説明といつても良いほどの文章を引用する。

「 私が最初に文学書に接したのは、学校から逃げ帰って来てもぐり込んだ納戸の中であ
る。実際この納戸は、母のいない現実の敵意から私を保護してくれる暗い胎内であり、私
にもうひとつの魅惑的な現実、つまり過去と文学の世界を提供してくれる宝庫でもあっ
た。そこには祖父の大礼服や勲章や短剣があり、祖母の若かった頃の着物や文庫や写真類
があり、外国の絵葉書や母の筆跡で書かれた育児日記があり、要するにありとあらゆる失
われた時が埃(ほこり)といっしょに堆積して生きていた。」(同書204ページ)

平山周吉著『江藤淳は甦る』に次のやうな三島由紀夫から江藤淳への『三島由紀夫の家』
論に関するお礼を一部とした手紙がある(同書「第二十七章 三島由紀夫との急接近」4
03ページ)。

「三島由紀夫が江藤淳に送ったラブレターのような手紙がある。昭和四十五年(一九七
〇)十一月二十五日の三島の衝撃的な死から十年ほどして、三島遥子未亡人の許可を得
て、江藤が自著で紹介したものだ。
「此度の御解説を拝読して、しかし、小生には勇気が蘇った感があり、真の知己に言はか
くの如きかと銘肝いたしました。もちろん以前「群像」に書いて下さった「鏡子の家論」
[「三島由紀夫の家」のこと])の時も、感銘甚だ深いものがありましたが、今度の御解
説の冒頭の部分に、特に心を摶たれた気持はわかっていただけると思います。
どうも小説家が批評家に御礼を申し上げる図は、へんに漫画的に卑屈な感じで、口ごも
るのですが、これだけは、あらゆる政治を除外した真情としてきいて下さるようお願いい
たします。冗いようですが、本当に御文章のおかげで、小生は勇気を得ました。」(『落
葉の掃き寄せ』)」

また、平山氏の評伝に教はるままに(同書25ページ「第二章 「母」を探し求めて」)
『一族再会』中の母にまつはる思ひ出を紐解くと次のやうな文章が書かれてゐる。この作
品を読んでわかることは、江藤淳にとつて御納戸とは一族の歴史の集積の場所であつたと
いふことである。御納戸を巡つては、その書き振りを見ると、江藤淳は父親よりも家長な
のです。この御納戸といふ小さな空間は、それほどに大切な空間であつた。そして、この
御納戸は戦災によつて家とともに焼亡した。三島由紀夫ならば、虚構の世界での金閣焼亡
といふのにあたらう。もつとも金閣寺の場合には主人公が自らの意志で火をつけたのであ
るが。

「しかし私は、こうして母の痕跡が自分の周囲から喪われてしまったことについて、永い
あいだひそかに父を恨んでいた。それはいわば自分の存在の核につながる記憶を抹殺され
ることだからである。自分の大久保の家に対する異常な執着を思うたびに、私はあの家が
もぐら通信
もぐら通信 ページ31

自分にとって単なる建物以上のものだったことを思い知らされる。単なる建物としてみれ
ば、それは震災以前の東京山の手の住宅様式の平凡な一例にすぎない。犬山の明治村で駒
込千駄木町五十七番地から移された鷗外・漱石の旧居をはじめて見たとき、私は細部や規
模は別としてこの家が大久保の家と同じ建築思想にもとづいて建てられているのをなつか
しく思ったことがある。しかしあの大久保の家は、おそらく私にとっては母そのものの象
徴だったのである。そして母の死後、その道具の大部分が実家にひきとられていったあと
でもなお母の記憶がただよっていた納戸は、多分私にとって母の胎内に等しい役割を果し
ていたにちがいない。」

同じ建築思想が漱石・鴎外と江藤淳をつないでゐるのである。さうであればまた三島由紀
夫と鴎外の関係に関する理解も深まらう。前衛的な建築家など失せて消えてしまふがよ
い。

また、子供にとつて御納戸とは如何なるものなのかを、三島由紀夫の同様の場合は後述す
るとして、部屋の内部・外部と誰がどちらから部屋の鍵を掛けるか(例三島由紀夫の『鍵
のかかる部屋』)といふことに関する江藤淳の思ひ出は次のやうなものです。

「母に叱られて押入れのなかにいれられたのは、何が原因だったのか覚えていない。その
とき母は細い腕に意外に軽々と私を抱きあげて、「そういう悪い子にはこうしてあげま
す。しばらくはいっていらっしゃい」と押入れにおしこんだ。私は泣き叫びながら、「も
うしません。もうしませんよう」と繰りかえしていた。そのときは私は母の手で暗いとこ
ろに入れられ母に叱られて押入れのなかにいれられたのは、何が原因だったのか覚えてい
ない。そのとき母は細い腕に意外に軽々と私を抱きあげて、「そういう悪い子にはこうし
てあげます。しばらくはいっていらっしゃい」と押入れにおしこんだ。私は泣き叫びなが
ら、「もうしません。もうしませんよう」と繰りかえしていた。そのときは私は母の手で
暗いところに入れられるのが死ぬほど厭だった。薄暗い納戸のなかに自分からはいって、
内側から鍵をかけてしまうようになったのは母が死んでからである。」

余計な言葉は無用であると私は思ふ。三島由紀夫の御納戸について次に語ることにしま
す。三島由紀夫は御納戸といふ言葉を詩の中に残してをりません。小説の中では当然に変
形して『鍵のかかる部屋』や『午後の曳航』や、その他の作品の中にさりげなく書かれて
ゐるのは、何故三島由紀夫は高みで詩人になるのかといふことの理由が書かれて、書かれ
てゐる場合には、それが一編の小説といふ空間の内部と外部に関係した重要な構造上の境
界線になつてゐるからです。例へば『午後の曳航』の冒頭の一行。

「 おやすみ、を言ふと、母は登の部屋のドアに外側から鍵をかけた。火事でも起つたら
どうするつもりだらう。もちろんそのときは一等先にこのドアをあけると母は誓つている
もぐら通信
もぐら通信 32
ページ

けれど、もしそのとき木材が火でふやけ、塗料が鍵穴をふさいだら、どうするつもりだろ
う。窓から逃げるか。しかし窓の下は石のたたきで、この妙にノッポの家の二階は絶望的
に高かつた。」

三島由紀夫の詩では、塔の上の部屋を意味する場合には、窓ではなく窗といふ文字を当て
て、それが高みにある詩人の部屋だといふ印にしてゐる。この文字を使つて詩を書き始め
ると忽ち詩人は塔の高みにゐて、その高みから外界を眺め、見えないところまで見ること
ができる。『近代能楽集』の「卒塔婆小町」の詩人が公園のベンチに登つただけで夜の東
京の夜景が透明になつて隅々まで透視できるやうに。そして、塔の高みにゐれば、詩が三
島由紀夫の中から滔々と溢れ出して来る。20歳で戦争が終はつて小説家として生きよう
と決心した後には此の窗の文字の使ひ分けはない。何故なら、三島由紀夫は詩人であるこ
とを止めたからである。さうして此の歳に即物的に「急げ今こそ汝の形成を/汝の深部に於
いてより/汝の浅部に於いて/ああ汝の末端に/急げ今こそ汝の形成を」と歌はれてゐて、体
のガワに徹して生きることが20歳の詩『もはやイロニイはやめよ』には歌はれてゐる。
昭和20年6月の詩である。肉体を鍛えることの初心が此処に歌はれてゐて、この詩から
私が知るのは、詩を捨て小説家として生きようとした書いた此の詩に45歳での死は再帰
的に予告されてゐたといふことである。

『鍵のかかる部屋』では最初は桐子が内側から二人のために鍵を掛けるが、最後の場面で
は桐子の娘が内側から鍵を掛けて主人公を部屋の外部に置くのである。私は三島由紀夫の
詩を通読し精査して、平岡公威が祖母と一緒に住んだ最初の家か、その後両親と一緒に住
むことのできた二つ目の家か、いづれかの御納戸に祖母によるかまた特に父親に折檻され
て閉ぢ籠められたか(鍵は外から掛けられる)[註2]、または我が身を父親から守るた
めに内側から自分の意志で鍵を掛けて閉ぢ籠もつたか、いづれの場合もあつたのではない
かと推測した。二つの家に御納戸のあつたことは、2015年開催の国際三島由紀夫シン
ポジウムのレセプションの席上、直接三島由紀夫研究家岡山典弘氏に尋ねて此の通りであ
ることを確認してゐるので、此の御納戸のあることについては間違ひはない(私の生まれ
育つた土地の家屋には御納戸はないので御納戸が一階にあることすら恥ずかしいことに知
らなかつた)。御納戸とは子供には此のやうな意味ある空間であつた。

三島由紀夫は、御納戸に折檻で入れられたか、または自分から閉ぢ籠もったかいづれの場
合にせよ、半日また終日籠もつて窓辺で外の景色を眺めてゐたのである。さうして、夕日
が必ず、怠ることなく、外部の空間にはやつて来るのだ。三島由紀夫の御納戸は最晩年の
F104搭乗記で乗るジェット戦闘機のコックピットの密閉空間にまで生きてゐる。さうし
て、この搭乗記の最後に三島由紀夫は『イカロス』と題して詩を掲げてゐる。この物理的
な高みの中で、三島由紀夫は詩人に戻つたのである。

二人の共有する塔を、かくして、「御納戸の塔」と呼ぶことにします。
もぐら通信
もぐら通信 ページ 33

[註2]
「三島由紀夫『鏡子の家』の中の S・カルマ氏 」(もぐら通信第96号)より引用します:

「[註17]
安部公房の一人娘ねりさんの著した『安部公房伝』にある「また父は家で三島の死なざるを得ないような幼
少期 のつらい体験のことを話していた。」(同書164ページ)とある体験がこのことであると私は推理する。
私は 一度電話でこの体験が一体なんであつて安部公房が何を話したのかを、ねりさん生前に尋ねたことがあ
りますが、 言葉を呑んだまま沈黙して、話してはもらへませんでした。この体験は12歳の詩集『HEKIGA』
に所収の「父親」といふ詩にある、実の父親に自分の文藝と詩の世界を暴力的に否定定された体験として書
かれてゐる。遅くとも此の時から、三島由紀夫の虚構の世界では、息子と実の母親は、再婚相手の父親との
擬装家族となつた。小説にあつては、処女作『酸模』にあつて、丘の上の刑務所の不在の父親と少年の関係
として書かれてゐる。また、 短編『仔熊の話』も父親が大阪出張で不在を書いたもの。同じ仔熊を主題とし
た超越論的な詩に『硝子窓』があ り、高みにある(三島由紀夫の詩の世界の)窓が何度打ち壊されても窓ガラ
スが仔熊の形の割れ方をしてゐるの で繰り返し超越論的に「いつの間にか」修復される詩となつてゐます。
これらの作品との関係で、三島由紀夫の 超越論を詳細に論じた『三島由紀夫の十代の詩を読み解く31:12歳
の超越論 『窓硝子』』をご覧ください: https://shibunraku.blogspot.com/2015/12/blog-post.html

「父親」といふ詩を以下に引用します:

「父親

母の連れ子が、
インク瓶を引つくり返した。
インク瓶はころがりころがり
机から落ちて、
硝子の片(かけら)が四方に散つた。
子供は驚いた。
ペルシャ製だといふじゆうたんは、
真ッ黒に汚れた。 そして、破(わ)れた硝子は、くつ附かなかつた。

母の連れ子の
脳裡に恐ろしい
父の顔が浮かび出た。
書斎のむち、
今にも
つぎはぎだらけのシャツを
脱がされて、 むちが...... 食ひ付くやうに、
母の連れ子の、目の下に、
黒いじゆうたんが、
わづかな光りに、ぼやけてゐる。」

この詩の詳細な論は『三島由紀夫の十代の詩を読み解く1』の「7。『父親』という詩を読む」をお読みくだ
さい: https://shibunraku.blogspot.com/2015/04/blog-post.html 」

もしこの詩のことを三島由紀夫が安部公房に話てゐたとしたら、それは此の時既に二人は相当に親しかつた
ことを意味してゐる。何故なら、この詩は、 父親が三島由紀夫の文学への嗜好を強権的に否定して「彼の表
もぐら通信
もぐら通信 ページ34

面にインク瓶をなげつけ」た時に、三島由紀夫は 此の詩を書くことによつて自分自身である詩の精神と自分
の命を救済し、あまつさへ、インク壺を床に投げつけ て自分の命である詩を絶対的な暴力で否定した自分の
父親は血の繋がりのない父であり、何故ならそれは自分が 母親の連れ子だからだといふ言葉による仮構に
よつて、父親との現実での関係を護つたといふ、けなげな平岡公威12歳の詩であるからです。そして、こ
の健気な心情と相俟つて、インク瓶を床に叩きつけて壊したのが父親 では無く、「母の連れ子が、/インク
瓶を引つくり返した」とした論理の交換、立場の交換の論理、世間の人に は倒錯と見えるかも知れぬ論理
に、12歳で既に生きることの論理がかうであつた少年平岡公威の姿がありま す。勿論「ペルシャ製だとい
ふじゆうたん」とは三島由紀夫の大好きで読みふけった『アラビアン・ナイト』の 空飛ぶ絨毯であり、詩の
言葉で織られた、詩の精神の高みへと飛翔するための夢の絨毯であることは、三島由紀 夫の読者にはいふ
までもありません。この詩を読んで以来、私は父親の平岡梓を「非道の父親」と必ず呼ぶようにしてゐる。
私は「彼に鋲をつきたてた」のが「非道の父親」の所業だとは思ひたくもない。1949年11月 1日の
『夢の逃亡』発表の時から誰が三島由紀夫を殺したか。『鏡子の家』に冷淡に無理解であつた読者の他に、
過去に遡れば、この「非道の父親」の所業が原因である。
もぐら通信
もぐら通信 ページ35

ネット・メディア論
(10) 岩田英哉

目次

0。はじめに
1。国家とは何か
2。用語の定義
3。メディアとは何か
3.1 マス・メディアとは何か(20世紀)
3.2 ネット・メディアとは何か(21世紀)
4。ネット・モナド論
5 公私とは何か
6。二階層戦争論とメディア論の関係
6.1 ネット・メディアの問題を二階層戦争論で考察する 青字は既論の章、赤字
6.2 ネット・ヘゲモニー問題とは何か は今回論ずる章、黒字
6.3 二階層戦争論による解決策 は此れから論じる章
6.4 空気とは何か
6.4.1 空気の定義
6.4.2 オロチXの定義
6.4.3 同調圧力とconformityと空気の関係
6.5 何故民主主義は共産主義であるのか

7。政治形態と自由
7.1 政治形態とは何か
7.2 自由とは何か:私たちの自由およびlibertyとfreedomの違ひ
7.3 公私の最小単位再説
7.4 政治形態E&Aの公私:一神教のtopologyの政治形態
7.5 政治形態Jの公私:高天原のtopology(超越論)の政治形態

8。経済形態と自由
8.1 経済形態とは何か
8.2 資本主義と政治形態Jを如何に一つにするか
8.3 ネット・メディアの役割

9。私たちは如何に生きるべきか
9.1 学歴無用論:盛田昭夫著『学歴無用論』
9.2 学問有用論:福沢諭吉著『学問のすすめ』
9.3 グローカリストとしての千利休(令和時代の人間像)

******

6.4.3 同調圧力とconformityと空気の関係
もぐら通信 36
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

縄文紀元論
Topologyで日本人を読み解く(10)
5.12 習合といふ漢意をやまとこころで何といふのか

岩田英哉

目次

I 縄文紀元日本語論
1。日本語と漢語の関係
Intermezzo:何故日本にはキリスト教徒が全人口の1%しかゐないのか? 青字は既論の章、赤字
2。日本語の音義と概念の関係:五十音表とは何か は今回論ずる章、黒字
3。五十音表を記号化する
4。日本人の言語宇宙
は此れから論じる章
5。古事記の宇宙観
5.1 高天原とは何か1
5.2 カミとは何か1
5.3 高天原とは何か2
5.4 日本語の特殊の中の普遍
5.5 海の民のお祭りと超越論の関係
5.6 天照大神とは何か
5.7 月読命とは何か
5.7.1 月とは何か
5.7.2 月読命とは何か
5.7.3 月読神社とは何か
5.7.4 ヤシロとは何か
5.7.5「鹿座神影図」を読み解く
5.7.6 磐座と注連縄の関係
5.7.7 亀の甲羅とは何か
5.7.8 習合とは何か
5.8 カタカナとひらかなの関係
Intermezzo2:海凪之大刀(アマナギ・ノ・タチ)は一体どんな姿をしてゐるのか
5.9 日本位相習合史
5.10 何故国家は単数または複数の神とともに生まれるのか
5.11 かごめかごめの歌は一体何を歌つてゐるのか
5.12 縄文土偶とは一体何か
5.12 習合といふ漢意をやまとこころで何といふのか
5.13 縄文土器とは何か
5.14 紫式部の超越論『源氏物語』
5.15 「蟲めづる姫君」はカタカナとひらかなを如何に使ひ分けてゐるか
5.16 ダイダラボッチと巨人伝説:大倭日高見国と播磨国:房総半島と瀬戸内海の交流の歴史
5.15 日本人はどこから来たか

II Topologyで縄文土器を読み解く
0。縄文土器の概念と分類
1。紋様とは何か。目とは何か
2。縄文土器の構成要素
3。縄紋は縄目と渦巻き紋様で出来てゐる
4。縄文土器は三階層で出来てゐる
5。縄文土器には開口土器と閉口土器の二種類がある
6。縄文土器は私たちの宇宙観を体現してゐる
7。メディア(媒体)としての縄文土器
8。弥生式土器は二階層で出来てゐる
9。メディア(媒体)としての弥生式土器
10。縄文土器と弥生式土器の関係(topologicalな連続性):3(奇数)から2(偶数)へ
11。銅鐸は7階層で出来てゐる
12。縄文土器の政治と弥生式土器の政治:土器と政治の一体と分離:銅鐸とは何か1
13。縄文土器の経済と弥生式土器の経済:土器と経済の一体と分離:銅鐸とは何か2

IV 21世紀の現代に縄文土器はどのやうに生きてゐるか
VII 20世紀の幕を閉ぢ、21世紀に生きるための結語
***
もぐら通信 37
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

目次

5.12 習合といふ漢意をやまとこころで何といふのか
5.12.1 連歌といふ指標について
5.12.2 位相史のための時間と空間および紀元の分類
5.12.3 淤能碁呂島とは何か
5.13 紫式部の超越論『源氏物語』
5.14 「蟲めづる姫君」はカタカナとひらかなを如何に使ひ分けてゐるか
5.15 縄文土器とは何か

***

5.12 習合といふ漢意をやまとこころで何といふのか
もう一度神社の古形である磐座と注連縄といふ最初の習合の姿または様式(style)に戻
つて、この問題を考へてみよう。

出雲大社の磐座

この様式が数学でいふならばtopology(位相幾何学)の論理により、即ち片(カタ)・
カナと片(ひら)・カナが此のやうに等価交換可能な形で漢字を換骨奪胎して、あるひ
は変形させて生まれたやうに、即ち前者カタカナは岩山の全体の型(カタ)・シロ
(代)であつて此の全体と部分が等価交換されて全体が其処にあり、また後者ひら・か
なは漢字を一筆書きにして此れも一筆(一本の線)と其の描かれた漢字の全体を等価交
換した全体が其処に注連縄としてあり、これら二つが一つになつて片葉・片端の姿また
は様式(style)として一対のコト・タマとして其処にあるものが、磐座・注連縄といふ
八(や)・シロの古形であつた。

思ひ出して欲しいのは、神社もまた境界域に立つてゐるといふことです。境界域とは、
これもやはり何かと何かの双方からみた端(ハ)といふことであり、数学で習つた集合
論のベン図でいへば、共通習合の部分に神社は立つてゐる。
もぐら通信 38
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

磐座・注連縄といふ八(や)・シロは何かの(考察をすすめるために今仮にー仮にで
すー)自然のハ(端)に立つてゐる。かく考へれば、自然の全体の形代(かたしろー
片・シロー)と境界線といふ一筆書きの線と共に、社(八・シロ)、即ち漢意で呼ぶ神
社である。

さて、磐座・注連縄、これが地(つち)の民と海の民の第一の習合なのであれば、縄文
土器と呼ばれるウツ・ハ(端)もまた同じ論理に従つて、同じ様式(style)を備へてゐ
るに相違ないと考へることができる。思へば、注連縄は、しめ・な・端(ハ)である。
このナは、縄を綯(な)ふのナであり、また縄もまたナ・端(ハ)なのです。綯(な)
はれた端(ハ)は締めるものである、といふことが判ります。[註1]

[註1]
ここで縄の分類を示してをきますと、

綱>縄>紐

といふ階層になつてゐる。

綱は打ち(例:相撲の横綱の綱打ち)、縄は綯(な)ひ(な・ハ(端))、紐は組むもの(組紐)である。

紐がトポロジーで編まれてゐることは、永青文庫の副館長橋本麻里さんといふ方の『はじまりの紐』とい
ふ題名の随筆の力を借りて既論の通り(『Topologyで日本の文化を解説する「内なる辺境」シリーズ
(7):紐(ひも)』もぐら通信第112号)。組紐も一筆書きの世界です。

前述の池坊のお花の例がわかり易いので、この例で説明しますと、池坊といふお花のミ
チ(道)の祖は聖徳太子であるのは、華道は仏教の仏に御供へする花が其の場所から独
立して(これが片・シロ)生まれものであるからです。花が磐座に相当すると考へると
(部分と全体の等価交換)、これに一筆書きの片(ひら)・かなに相当する注連縄が張
られてゐなければならない。これがウツ・端(ハ)です。花を活けるので、花器と呼ば
れてゐる。花器は花を活けるためのうつ・ハ(端)である。即ち、お花の様式は、磐座・
注連縄の様式と同じ精神から生まれてゐる。トポロジーといふ論理は素材を一切問はな
いので、鉱物であれ植物であれ同じことです。

読者には、コーヒー・カップとドーナツが位相幾何学的には同じものだといふ例を思ひ
出してほしい[註2]。何故なら、コーヒー・カップはウツ・端(ハ)であり、ドーナ
ツもウツ・端(ハ)だからです。何故、ウツ・端かといへば、共に穴が空いてゐるから
です。縄文土偶の人片(人形)の目が穴であることを思ひだしてほしい。このヒトの形
をした土偶は、もう片・端の何かと等価交換され得る者であるといふことを、この土偶
の両目の穴は示してゐるのです。今現代に於いて、この土偶のもう一つの片端が蛇であ
もぐら通信 39
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

るとか、カゴメであるとか、といへば更に、カミとヒトは等価交換可能であるといふこ
との証明、これが土偶の目であり、その他縄文土器にある穴の目の意味なのです。即
ち、

縄文土器は、鶴亀哲学を表現した器(ウツ・端)である。

これが、縄文土器の、汎神論的存在論(超越論)から観た、定義といふことになりま
す。

[註2]
https://ja.wikipedia.org/wiki/位相幾何学 を参照ください。この変形に時間は存在しない。右から左へ
見ようが、左から右へ見ようが同じコトである。

このカップとドーナツの位相幾何学的な等価関係が、私たち日本民族の神話の中でどの
やうな意味を、言語ーカミーヒトの関係に有してゐるかを次の引用によつて示します:

「Topologyと神と人の関係について:汎神論的存在論とは何か

「そして、何故案内人の名前が男女ともにBであつて、Aその他C以下の名前でないのか
といへば、これも安部公房の読者には周知の通り、トポロジーの作家安部公房にとつて
は、隠れた存在として主要であり実際に力を陰で又縁の下の力持ちとして発揮するの
は、一義的な地位にあるものではなく、安部公房の此の世界ですから有機物無機物を問
はずに二義的・二次的な地位にあつて価値を有するものであるといふ理由によるので
す。コップはドーナツであるとすれば、コップが話題の文脈(context)であれば、ドー
ナッツがもう一つの存在として隠然たる影響力をコップに及ぼしてゐるのであり、日常
の時間の中で私たちがドーナッツの話をしてゐると実はコップこそが二義的な地位にあ
つてドーナツに支配的な影響力を及ぼしてゐるといふわけです。」
(『『周辺飛行』論(28):贋魚(「箱男」より)――周辺飛行25』もぐら通信第
117号)

そして、このコップとドーナツの位相幾何学的な(topologyの)関係は、そのまま私た
もぐら通信 40
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

ち日本語の正解でのカミとヒトの関係であるのです。これが私たちの天津神・国津神・八百
万の神の世界であり、二重写しになつて私たちがカミであり且つ・またはヒトであることの
できる論理的な根拠を持つた世界であり、日本民族に全く固有独自の汎神論的世界なので
す。しかしまた、日本語の此の言語論理によつて他の文明の持つ汎神論的世界観を、私たち
は説明し理解することができるといふことを、この論理的事実は此のまま示してゐます。」
(『『周辺飛行』論(28):贋魚(「箱男」より)――周辺飛行25』もぐら通信第11
7号)

また一層古事記と神話と国家の成立に関して普遍的に、即ち世界共通的に此の『縄文紀元
論』の「5.10 何故国家は単数または複数の神とともに生まれるのか」にて分かりやすく
説明し、お気の毒に神が単数の宗教の場合を除いては、私たちヒトがカミでありカミがヒト
であることを説明しましたのでお読みください。ヒトは時間の中を生きなければなりません
ので、絶えず穢れる。それ故に習合の様式に遷へる必要があり、即ち其の初源の姿をして神
域といふ端(ハ)に立つてゐる社を訪れて御祓を受けるといふメビウスの環の接続の話を致
しました。これを宗教と強弁せよといふならば、この複数の神々からなる宇宙の構造は言語
を超え、民族と人種を超えて、普遍的であると私には思はれる。何故なら、これは言語の普
遍的な構造であるからです。この理解と認識の元に、個別の領域での研究は、それぞれの優
れた専門家にお任せしたい。

段々と話が難しくなつて来ました。話を分かり易い(何故なら均衡と其の破れを備へて美し
いから)お花に戻します。

さうして、とても大切なことは、お花はウツ・端(ハ)に立てる、即ち此れを漢意を借りて
音で、立花と呼んでゐるといふことです。室町時代、池坊初代専応の立てた、古典立花と呼
ばれる立花の例が『花伝書』に描かれてあります。磐座・注連縄の関係が、素材を問はず(ト
ポロジーは素材を問はない接続と変形の数学であるから)、ここに《存在》してゐることが
一目で判ります。これは初代の立花ではありませが、『花伝書』より。このやうに花を立て
てゐる。これが古典立花です。
もぐら通信 41
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

茶道では、お茶を(ウツ・端に)立てるといつてゐる。ここまで来ると、存在論として
見れば(鶴亀哲学・鶴亀存在論です)、お茶を《立てる》と書いてもよい。柱を立てる
のも(ああ、さう云へば茶柱が立つのだ、縁起の良いことに)、単に物理的に垂直に立
てるといふだけの意味に留まらず、《立てる》といふ行為は、私たちの太古からの超越
論(鶴亀哲学)に基づく縄文紀元の行為である。然(しか)して、一国一文明といふ日
本文明は、この一国一文明といふ形態自体が格別であることに加へて、古代のみならず
太古が今に生きて近代の生活裏にあるといふ奇蹟的な文明である。

確かに、ウツ・ハ(端)には、自然の一部であるお茶(植物)を片・シロとして取り出
して来てー植物であるお茶の葉(これもハである)を粉に変形してー自然の全体を等価に
代表させ又は象徴させて、具体的な生理的な感覚として体の中に摂取する。第一の習合
と何ら変はらない。とすれば、磐座・注連縄の神前にあつても、縄文人である私たちは、
何かを体に摂取したに違ひない。それはコト・魂を体の中に摂り入れるためです。そし
て、それは多分、御神酒と今私たちが呼んでゐるお酒であるかも知れません。磐座・注
連縄の周囲の土の中から酒器の欠片(これも片である)が見つからないものか。縄文人
の私たちは、磐座を《立てる》といつたのではないだらうか。磐座を《立て》て、縄で
《締め》、ウツ・端(ハ)を形(片・命)つくる。カタチとは、かうしてみれば、片・
チ(チは命のチ、高天原0から折り紙を開くやうに高天原1を創造する高天原0からみ
れば登場の遅延によつて高天原1を創造する宇摩志阿斯訶備比古遅神の遅、または出雲
国は大国主の別名大穴牟遅神(おほあなむぢのかみ)のチ、また別名大穴持命(おおあ
なもちのみこと)のチ)なのではないでせうか。

さて、華道や茶道の器に自然の一部を象徴とし片・シロとして《立てる》のであれば、
即ち器といふ片端(カタ・ハ)に何かを(近代ヨーロッパ人なら存在を、といふだら
う)を《立てる》としたら、縄文土器の片葉・片端にも何かを《立て》たに違ひない。
これを、私たちは今でも漢意を借りて、献立と呼んでゐる。献ずる相手は何かであり、
名前をいひ言挙げはしませんが、しかし、これが何かは私たち日本人にとつては明かな
のであり、これが、こころが明らかだといふ意味、こころが明るいといふ意味、明朗だ
といふ意味でありませう。西行法師が伊勢神宮にお参りした際の有名な歌、

何ごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる

西行法師に嫌はれることを承知で、また日本人全体を敵に廻してもし理屈を立てて言挙
げすれば、何ごととは、コト(自然)なのであり、おはしますと敬語を自然につかふが
如くコト・タマは畏敬の対象なのであり、トポロジーなどといふ小難しい近代ヨーロッ
パ流の屁理屈を立てずとも有り難く八・シロが/に眼前してゐるといふコトに、思はず涙
がメ(目・穴)から溢(こぼ)れて、この場所この時に(時空の交差点)、カミとヒト
である吾れが一体となる喜びである。書いて思へば、涙が目(ウツ・端)からコボれる
もぐら通信 42
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

のは、縄文土偶の左目をコボつことに通じてゐるでせう。西行は涙流るゝとは詠まなか
つた。もしさう詠んだら、涙は時間の中を流れるものとなつて、コボつといふ時間の中
にある物事ー例へば此処にかうしてゐるといふコトーを打ち壊して超越論的な空間を創
造するといふコト(これが歌ふといふこと、万葉集に所収の私たちの歌謡だといふこと
になります)にはならなかつたでせう。コボたうが、さうでなからうが、かうして見る
と、私たちは確かに常にコトの中に、即ち自然の中に生きてゐるし、人は自然の一部で
ある。ヨーロッパのいふ「近代人」[註3]には一神教といふ宗教上の理由で全く欠落
した考へであり、私たちには言挙げする必要のないほど当たり前のことであります。

[註3]
この「近代人」の問題は、ポール・ヴァレリー主宰の『現代人の建設』(原題『La formation de
l homme moderne』)に実に良く「近代人」たちが集ひて問題を整理して明かにしてゐる。この問題は『近
代の超克』(関東側の座談会)および『世界史的立場と日本』(京都学派による座談)との関係で別途日
本人の認識不足の問題として論じたい。私見によれば此の「現代人」の正しい訳は、論談の及ぶ時代区分
から云つても18世紀から20世紀であるので『近代人の形成』と訳すのが正しいと思はれる。また
formationは英語と語義(内包)を共有してゐると思はれるので、これも形成とか、小林秀雄流に訳せば、
姿形といふのが分かり易いかも知れない(小林秀雄はformを姿と訳したから)。問題はキャツラが人間の
形成を人工的にできると思つてゐるのが問題なのだ。この狂気を代表するのはいふまでもなくフランス人
であり、ドーバー海峡のそつちとこつちでは違ふのであると伝統に基づいて正しい主張をしてゐるのがイ
ギリス人であるユダヤ人だといふところが面白い。

もし無粋なことに(これで無粋といふ言葉の意味が解ります)敢へて言挙げすれば、自
然の全体即ちコト・タマの一部、即ちタマ(魂・珠・玉・球)を、ウツ・端に立てるこ
と、これが縄文土器の使用の目的、用途であるといふことになります。汎神論的存在
論、即ち超越論で言挙げすれば、縄文土器は自然の一部即ち魂(たま)を《立てる》た
めの器(ウツ・端)であるといふことです。即ち、

縄文土器は、自然といふ[コトのタマ・魂]を立てるための空ツ端(ウツ・ハ)である

といふことです。

コトが事と言であることは文字で表記された万葉集以来変はらないので、実際に食事と
共に言葉も唱へられ、後者の言は毎日食事の度に繰り返されるのですから呪文といつて
もよく、今も私たちは食前に戴きますと呪文を唱へ、食後に御馳走様でしたと呪文を唱
へてゐる。これは、漢意でいふ自然の、やまとこころで云ふ こと の魂(たま)を戴
きましたといふ意味であることが、この習合の様式に於いて、よく解ります。私たちは
三度三度コト・魂を食してゐる。自然の植物や動物の魂(たま)を食べてゐるのが、私
たち日本人であるといふことです。私たちは植物繊維だとか動物の肉だとかを食べてゐ
るのではない。私たちの食生活は余りにもアメリカ風になり過ぎてはいないか?[註
もぐら通信 43
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

4]マクドナルドのハンバーガーには果たしてアメリカ人の魂が入つてゐるのか?潰されて
ミンチになつた動物の魂が祀られてゐるのか?と問へば、答は即座に明らかです。ハンバー
ガーは自然のものではない、素材のものでは既にないのであります。このやうに、此処か
ら先は日本料理論になります。何故私たちは素材の生地を大切にするのか、何故魚を生で
食べ刺身や寿司を生み出したのか。何故それがおいしいと思ふのかと、思ふことは尽きま
せん。

[註4]
私たちの食生活が、三島由紀夫のいひ方にならへば第二回目の先の断絃の時以来、ことに1960年代に入
つて急激に変化して、日本人の質(quality)に影響を及ぼしたことは、岩村暢子著の次の本に詳しい。

(1)『日本人には二種類いる(1960年の断層)』新潮新書(2013年20日刊)
(2)『変わる家族 変わる食卓 真実に破壊されるマーケティング常識』中公文庫(2009年10月25日
初版発行):解説は養老孟司氏。

このほかにも此の著者の刺激的な題名の本が続きます。曰く『「親の顔が見てみたい!」調査』(中公文庫)、
『普通の家族がいちばん怖い』(新潮文庫)、『家族の勝手でしょ!』(新潮文庫)。著者曰く、これらの
本「などをご覧ください。「60 年型」の親が形成する現代家族の実態を、15年以上にわたる調査に基つ
いて著してきましたので、ご参照いただければと思います。」
欠落した考へであり、私たちには言挙げする必要のないほど当たり前のことであります。

しかし、習合とは神仏習合といふやうに、海外から渡来したものを我が国の風土に合はせ
て融合することをいふのではなかつたのでせうか。しかし、ここまで考察を進めて来る
と、習合には国の内外は関係がなく、磐座・注連縄の様式又はカタカナ・ひらかなの様式
を備へてゐれば、少しく難しく鶴亀哲学用語でいへば、存在論的な日本民族独自の様式を
備へてゐれば、それはみな習合と呼ばれ得るのだといふことになります。これが、この章
での結論です。

ところで、習合は漢意でありますが、それでは身の廻りにあるやまとことばでは、この様
式と其処に宿る精神の全体を一体何と呼んでゐるのでせうか。即ち、

問:習合とは何か?
答:習合とは、祭り(祀り)である。あるひは、習合とはお祭り(お祀り)することであ
る。これも既に「5.5 海の民のお祭りと超越論の関係」での述べたやうに、祀りとは船
の上で海の民である水主又は水手(ともにカコ)が、緯度測定のために天の原の夜の海原
で満天の星々の下に、アマナギの大刀を立てて緯度を計測することでした。これも考へて
みれば、船といふウツ・端に測定器を立てるといふ汎神論的存在論の行為、鶴亀哲学に基
づく行為だと逆算して考へると、さう言ふことができます。なるほど、華道の花器の中には
船形と呼ばれるウツ・端もあるのです。また、水陸といふ生け方もある。お花で、水のも
もぐら通信 44
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

のと陸の物とを花器に活けるわけです。花器を別にして並べても良い(勿論二つの器は一
筆書きで一つになる相互形状をしてゐる)。地(つち)の民と海の民は、お花の水陸に生
きてゐるのですから、華道もまた習合である。

と、このやうに考へて来て、華道が習合なら、茶道も習合である、茶道が習合なら、其の
ほかの日本人が道といふ漢字を借り漢意で命名する何々道はみな習合であるといふことに
なりますが、如何か。剣道、柔道、合気道等々。これらは文武の武の方面でありますが、
他方文の方面では、書道(まさしく文字の習合の世界)、香道などあり。そして、神道も
また、習合の道即ち祀り・祭りの道といふことであれば、古意にかなつてをりますから、
以上のミチ(道)の説明はそのまま実は神道の説明になつてゐることに、此処まで来て気
付きました。このやうな鶴亀哲学による私の言語機能論などはさしづめ、言の葉の道(ま
たは事の端の道)といふことができるでせう。

遥々(はるばる)と 来つるものかは 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり

前の章で、これらの習合以外には、連歌と俳諧の連鎖(玉の緒)を挙げました。

5.12.1 連歌といふ指標について
万葉集ー古今和歌集ー新古今和歌集ーと古今伝授が継承されて来て、古代即ち平安時代の
末期までは古今伝授は和歌の世界で継承されて来ました。和歌の高名なる歌匠はいふまで
もなく藤原定家です。定家はこのあと同じ和歌の系統の東常縁に伝へ、常縁は此れを連歌
師の宗祇に受け渡して、これ以降江戸時代を過ぎ明治になつても古今伝授は連歌の道に生
きてゐました。間違ひなく、西尾幹二氏が『決定版 国民の歴史 下』の「下巻付論」に「信
仰心と法意識とのふたつにおける大陸との比較研究が、十六世紀より前の歴史を解く鍵だ
と私には思われるのが、歴史家はあいかわらず土地制度史かなにかを基本にしていて変わ
りばえしない。唯物論なのである。」(同書517ページ)と嘆いてゐる其の「室町以前
がとりわけ手に負えない世界である。」と嘆いた問題の回答のうちの重要で確かなる答
は、連歌の世界にある。

何故なら、連歌は古代の歌謡である万葉集に発し、古今伝授は勅撰和歌集を経て(最後の
勅撰和歌集は第二十一代集の新續古今集)、連歌師宗祇に受け継がれて以後、鎌倉ー南北
朝ー室町ー応仁の乱ー江戸ー明治までを連歌が繋いでゐるからです。即ち、連歌は、神道
のほかにもう一つ、これらの時代を貫く首尾一貫した指標となり得るものであるといふこ
とです。南北朝時代に鎌倉の関東勢が楠木正成の千早城が難攻不落で落ちないので、徒然
の余りに連歌の会を催したなどといふのは誠に連歌の指標としての役割をよく示してゐま
す。この時鎌倉の武士たちが一万句の連歌を詠んだ。連歌を詠むと戦に勝てるといふので
す。この考へ方は武士にあつては戦国時代でも変はらない。戦さの前に連歌を読む。ま
た、連歌の優れてゐることは、連歌は古典を詠み込むので、連歌を詠むには源氏物語以下
もぐら通信 45
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

古代の作品を知つてゐなければよめないといふことです。宗祇は当時当代一の古典学者で
あつた。源氏の註釈書を表した北村季吟も連歌師である。[註5]

連歌は位相史に於ける近代の指標であり、即ちこの間位相に転換はないことの指標であり
(小堀圭一郎氏のいふ)標識である。たとへ此の間幾ら何度も時代区分が変はらうとも。
前者は位相史、後者は歴史である。私たちの鏡史は前者である。あなたに、今様鏡、即ち
『Pax Corona鏡』を書いてもらひたい。『太平記』が動乱記であるやうに、この鏡もまた
動乱紀になるであらう。しかし時代区分がいくつあつても変はらぬ位相の指標または標識
を日々の情報の洪水の中に探すことである。さて、その規準・規矩・クライテリア は?と
問へば、それは国生み神話をお読み下され、古事記の天地初發時の神話をお読み下されと
いふ以外にはない。

[註5]
連歌の本質と歴史については山田孝雄著『連歌概論』(岩波書店)に詳しい。この意義に於いて、丸谷才一
著『早わかり日本文学史』は和歌の歴史にのみ焦点を当ててゐて、着眼は素晴らしい着眼だが、連歌を欠いて
ゐるので片手落ちであつた。、二つを併せると完璧な、日本の歌謡から観た文学史になり、文学史が其のま
ま優れた指標になります。『連歌概論』のほかに同じ著者には一層専門的な『連歌法式綱要』(岩波書店)
がある。ともに連歌を理解するための必読の書です。

かくして連歌の本格的な興隆が鎌倉時代に始まるといふことから江戸・明治までに至ると
いふ事と、これに参加した人々が上は天皇から士農工商下は庶民に至るまでを熱狂させ夢
中にして来たといふことから、連歌は日本位相史上の首尾一貫した指標たり得てゐるま
す。この連歌の寿命は、そのまま日本の近代の位相の積層、または歴史による時代区分の
足し算の時間の長さの時代区分の積層になつてゐる。改訂した「日本位相史」(v11)は次の
通りです。ダウンロードは:https://docdro.id/TjgAom9

(此処にv11を入れる)
もぐら通信 46
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

この連歌の期間の長さが、私たちの近代である。ここで位相と時代区分の関係を見るため
に関係する分類と階層について整理をすると次のやうになります。

5.12.1 位相史のための時代区分の分類

(1)分類1(時間視点)
時間>歴史>時代>年代>出来事

[補足説明]
この分類は時間視点での分類であるので、歴史家を名乗る専門家の叙述は、因果の連鎖ま
たは目的と手段の連鎖による説明になる。前者の連鎖は現象の因果律による説明、後者の
連鎖は人間の個人と集団の意志の発露に関する目的と手段の説明となる。この順序または
秩序を踏み外した叙述は叙述、即ち体系的に叙された学問(科学)にはならないといふこ
とである。歴史家の叙述は、分類1が次の分類2に優先する叙述であるといふことになり
もぐら通信 47
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

ます。

(2)分類2(空間視点)
空間>位置>関係>範囲>場所

[補足説明]
この分類は空間視点の分類であるので、歴史家を名乗る専門家の叙述は、上記の分類に従
ふことになる。位置といふ概念には、上下、左右、天地、前後、後先(あとさき)、縦横
といふ概念が含まれてゐる。この順序または秩序を踏み外した叙述は叙述、即ち体系的に
叙された学問(科学)にはならないといふことである。位相史家の叙述は、分類2が分類
1に優先する叙述であるといふことになります。もし此の位相史家が日本の位相史を叙述
しようとするならば、加へて、その叙述には、次の鶴亀哲学による宇宙原理、あるひは物
事の順序は正反対であつて後者の原理があるから前者の哲学があるといふ理由で、この二
つの片葉・片端の、従ひ、ことのはの道(事・言の端または葉の道)ーこれが鶴亀哲学の
別名であるーは次のやうになつてゐる。

(1)世界は差異である(認識論)
(2)価値は等価で遍在する(存在論)

そして分類3は、

(3)分類3(紀元視点)
紀元(紀元1)>千年紀(紀元2)>世紀(百年紀:紀元3)>時代>期間>時期>区分

[補足説明]
この分類は『安部公房とチョムスキー(11)』(もぐら通信第93号)にて、ヨーロッ
パ近代の思想の歴史を、位相(トポロジー)視点で論ずるために必要とした分類です。結
局「戦前」の日本人は日本語を正しく使つてゐた。私の文化の定義は、文化とは言葉を正
しく使ふことである。といふに尽きるのです。以下『安部公房とチョムスキー(11)』
「14. 私たちは何をなすべきか」からの引用です:

「縄文紀元といふ言葉の分類を以下に掲げます。これは、初期安部公房論[Ḽ19]を論じ
た時 に行つた「時代>期間>時期>区分」といふ安部公房の創作活動の時間的分類の上
に、紀元 >世紀を加へたものです。これを英語にした場合に、この順序にして英語の概念
同士で異同が ないかどうかの吟味は後日としたい。文化とは言葉を正しく使ふことである
といふのが上述 の私の文化の定義ですが、かうしたやうに先の戦争中までは日本人は言葉
を正しく使つてゐたのです。例へば、紀元節[註20]といつたやうに。文化とは言葉を
正しく使ふといふことで す。
もぐら通信 48
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

紀元(紀元1)>千年紀(紀元2)>世紀(百年紀:紀元3)>時代>期間>時期>区分

紀元2が千年紀といふ千年単位の紀元でありますから、紀元1の時間の単位は、1万年単
位 から五万年単位から10万年単位でも100万年単位でもよろしいと思ひます。紀元1
は孫悟空の如意棒と同じで伸縮自在の概念です。紀元の紀と元の語源と概念を『字統』
(白川静 著)に尋ねてみて下さい。納得が行くはずです。ここでは省略して先を急ぎま
す。

この紀元・時間分類を下記の高天原topologyの基本モデルと比較をして日本の紀元を考へ
てみることが大事です。その紀元の節目、即ち紀元節は、今思ふままに挙げてみますと、
日本の歴史は超越論ですから、私たちの歴史には初めも終はりもありませんが、敢へて此
れまでの考察の順序に従つて紀元節を時系列に挙げて観ると大体次のやうなものがあるの
ではないでせうか。

天地開闢の紀元節、国生み神話の紀元節、岩石文明習合の紀元節、瓊瓊杵尊(ににぎのみ
こ と)の天孫降臨の紀元節、初代神武天皇即位の紀元節、陰陽五行習合の紀元節、神仏習
合の 紀元節、西洋近代哲学の超越論習合の紀元節(と云つても既に高天原topologyに1万
600 0年前からの縄文紀元に「既にして」(超越論的に)習合済みなわけですが)ある
ひは従ひ此れを哲学習合の紀元節と呼んでも良い、そしてこれから先未来に、何百年何千
年何万年先に至るまで、やつて来る習合問題のための解決方法(method)も方法論
(methodology) も、この『安部公房とチョムスキー』の連載に是 明らかにした通り
に、皆同じです。その 方法論(Methodologie:methodology)と方法(Methode:
method)であるtopologyを古事記の冒頭の天地初発・国生み神話に戻つて再度図示すれば
以下の通り:(略)

[註20]
紀元節(きげんせつ)は、古事記や日本書紀で日本の初代天皇とされる神武天皇の即位日をもって定めた祝
日。日付は2月11日。1873年(明治6年)に定められ、1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)の意向で廃止さ
れた。かつ ての祝祭日の中の四大節の一つ。^ 四大節は、旧制度の4つの祭日で、紀元節(2月11日)、四方
節(1月1日)、 天長節、明治節を指す。(https://ja.wikipedia.org/wiki/紀元節」
『安部公房とチョムスキー(11)』(もぐら 通信第93号)「14. 私たちは何をなすべきか」より)」

紀元の分類は、日本の国のみならず、ヘーゲルの「哲学」に毒された世界中の諸国民を救ふ
ために役立つであらう。
もぐら通信 49
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

5.12.3 淤能碁呂島とは何か
さて此処で話が飛ぶやうですがさにあらず、此処まで考へ至れば、古事記にある国生みの
ためにある淤能碁呂島も、ウツ・端に天之御柱を《立て》たのではないかと考へることが
できる。淤能碁呂島の生まれる条を読むと果たして次のやうに書いてありました。

「二柱の神、天の浮橋に立たして、其の沼矛(ぬほこ)を指し下して畫(か)くさまは、
鹽(しほ)こをろこをろに畫鳴(かきなし)して、引き上ぐる時、其の矛末(ほこさき)
より垂(た)り落つる鹽の累(かさな)り積(つも)りて成る島は、おのごろ島。其の島
に天降(あも)り坐(いま)して、天之御柱を見(うつくしく)立て、八尋殿(やひろど
の)を見(うつくしく)立つ。」

今かうして此の文章を読むと、天の浮橋に立つて「沼矛(ぬほこ)を指し下して畫(か)
くさまは」、島でありますから、これは島のぐるりを一筆書きで畫いた(畫は当用漢字の
画である)といふのでありますから、これは畫といふ文字から理解できるやうに、やみく
もに線を引いたり掻き混ぜたりしたのではなく、一筆書きの筆で後代のひらかなの文字を
一筆で書くやうにして書いたのであることがわかります。此処に筆を使つた書道と書画の
起源がある。そして、「引き上ぐる時、其の矛末(ほこさき)より垂(た)り落つる鹽の
累(かさな)り積(つも)りて成る島は、おのごろ島」である。

私の参照してゐる朝日古典全書の『古事記上巻』の註釈には「鹽は潮。」とありますので
(同書177ページ)、海の潮をかいた時に、こをろこをろといふ音が立つた。この画を
描いて音を立てることを「畫鳴(かきなし)」といつてゐる。そして二つ目の塩は「鹽の
累(かさな)り積(つも)りて成る」とありますので、これは固体の塩でありませう。こ
の塩が「累(かさな)り積(つも)りて」淤能碁呂島が成つた。そして、この島(これも
ウツ・端)の上に、「天之御柱を見(うつくしく)立て、八尋殿(やひろどの)を見(う
つくしく)立つ。」とありますので、やはり此処でも、否、そもそもの日本の島々の根源・
起源が、この習合、このお祭り(祀り)の上に成り立つてゐる。天之御柱を立て、八尋殿
を立ててゐる。そして、それが美しい習合であるから/あれば、見立てと呼んでゐるといふ
ことが解ります。これが今も私たちのいふ見立てといふ意味の語源でありませう。大江戸
八百八町に立つた富士塚はやはり、富士山に見立てた美しい習合であり、お祀りされる富
士山の片シロ、即ち今にいふ象徴であつた。さうすれば、日本全国にある何々富士はみな
同じです。さうしてみれば、お医者さんの見立てもまた、私たちの心身の穢れを祓ふことを
してゐるといふ意味なのではあるまいか。見立てもまた祀りであるならば。ヒポクラテス
といふ古代ギリシャの医の大家の診察とは大いに異なる日本の医者の見立てである。

(更にまた、イデオロギーといふ二項対立に拠つて書かれてゐるが故に穢れである現行日
本国憲法の天皇(すめらみこと)の憲法学上の位置についても、此処まで理解(日常生活
もぐら通信 50
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

での悟性の働きとカント・ショーペンハウアーならばいふだらう)と認識(これは思弁・
思考の理性の働きと二人のドイツ人ならばいふだらう)が深まれば、天皇は象徴であつて
一向に差し支へがなく、象徴の徴は白川静著『字統』に照らしても全体のシルシが象とい
ふ文字の意味でありー大体だから動物の象は象なのであり、気象は宇宙の全体を意味して
毎日私たちは気象庁のお世話になつてゐるー、徴は部分のーきざしと読むやまとことばの
意味で微小なるものを示すことは明らかなるー意味であるので、このやうに鶴亀哲学から
観ても一向に問題はないといふことに法的論争の結論は決着します。即ち、天皇の位置
(地位ではない)は日本語に書かれた法律・法令を超越してゐるといふコト(近代ヨー
ロッパ流にいへば存在)であり、私たちには自然であり、即ちすめら(統めら)御コトで
ありスメラ美コトである。天皇は私たち国民と同じく神々と二重写しになつて「ゐ」て
(存在の位置)且つ天皇陛下(現存在の位置)である。この理解と認識のためには別途
「近代国家模型図」を参照されたい。最新版のダウンロードは:https://
www.docdroid.net/FZt3WKs/v12-xlsx

さう、もし漱石の『吾輩は猫である』の無名の猫が恐れ多くも天皇であるといふ小説を私
が書くとすれば即ち『續吾輩は猫である』といふ題名の小説になるが、この冒頭で吾輩が
かく云へば全ての問題は解決するのである。「吾輩は天皇ではない、今日からもう天皇は
止めた。吾輩はすめらみことである。名前は少なくとも一万6500年前からもう既にあ
るのだニャン。どうだ阿漕で獰猛なる人間どもよ、思ひ知つたか。吾輩を床の間に鎮座ま
しまして拝むがよい。」かくなれば極左・左翼・共産主義者たちは真剣に古事記を読まね
ばならないことになる。今上陛下に於かれては「すめらみことの詔勅」を救国のために公
布してゐただきたいものである。)

また、鹽は潮と同義の語意とみなして文字が書かれてゐるといふことは、海の民が潮とい
ふシホと、塩といふシホを音義からいつてと同一の価値と見做してゐて、従ひ等価交換可
能であり、従ひ粒々の集合である塩(海水から抽出した片シロとしてのシホ)と液体であ
る潮(シホ)ー海の民は潮を一筆書きで円環をなすとみて毎日海を眺めてゐたといふこと
になります。確かに潮に渦巻はありますーから淤能碁呂島がなつたと云つてゐるのであれ
ば、これはこのまま堺湊の国際貿易港に生まれ育つた千利休が器に抹茶を立てるのと何ら
変はりがない。茶室とは八尋殿(やひろどの)なのではあるまいか。つまり、茶湯の道
は、古事記の国生み神話と二重写しになつてゐる。さうであれば華道然り、そのほかの
道々はみな同じといふことになります。全ての道は神道に通ず。全ての神道は高天原に通
ず。

更に此の古事記の国生みの文章から解ることは、私たちが、ああ、美しいと思ふ時には、
私たちは美しい見立てをしてゐるといふことであり、言挙げすれば、その言葉のコト・タ
マ(言霊)の力で、その美しい対象をお祀りし、御祓をしてゐるといふことになります。そ
れならば、何故古代の人がコト・タマに言霊の漢意を当てたのかが納得されるのです。言
霊といふ文字に霊力があるのではない。ことたまと云ふ日本語の音義に霊威があるので、
もぐら通信 51
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

言霊と云ふ漢字を充てがつたと云ふのが、物事の順序です。宣長さんは、此処でも正しい。

ミチ(道)の起源は、淤能碁呂島にあり。

神道のミチもまた、神社(八・シロ)が境界域即ち一筆書きのコト・端に立つてゐることか
ら、その起源は淤能碁呂島にあり、そこで直接天之御柱を立てて高天原に通じてゐると云ふ
ことです。日本中どこの社(やしろ)を訪ねても、そこは見立てれば淤能碁呂島であり、私
たちは高天原に其のまま通じてゐる。この参拝の様式が二礼二拍一礼なのでありませう。と
なると、

このやうにトポロジーで考へれば、また即ち鶴亀哲学の超越論で考へれば、日本の国と日本
人に関わる全てのコトは、この淤能碁呂島・天之御柱様式、磐座・注連縄様式、カタカナ・
ひらかな様式に還元して理解し、説明することができると云ふことになります。此の様式は
其のまま日本とは何か、日本人とは何か、日本文明とは何かの正面からの解答になつてゐ
る。この様式をやまとことばで云へば何と云ふのか、それは、立て祀る(奉る)のであると
いへばもつと簡単(何も略してゐない)な答へとなりませう。かく奉るために祝詞を奏上
し、祓詞を上げ、御祓ひを致しませうと云ふことになります。

此処まで遥々と来て、再度「5。古事記の宇宙観」を読んで欲しい。此処で示したのは、船
の上での「立ち」(大刀)の祭祀と淤能碁呂島に天之御柱を立てること(実はこれでコトと
は祭祀であるコトがよく解ります)が二重写しのコーヒー・カップとドーナツの関係にある
といふ事実でした。そして船はまた片端であり、二艘一対の対概念(コト・タマ)であるこ
とは「5.5 海の民のお祭りと超越論の関係」で示した通りです。

此処で付言すれば、勾玉といふトーラス(最も汎用性の高い三次元のトポロジー)もまた二
つの片端からなるといふのが日本列島に生きた縄文人、即ち太古人・古代人・近代人・現代
人の論理であり思想であることは、これも「1。日本語と漢語の関係」にて、折口信夫の勾
玉論を引いて示した通りです。[註6]

[註6]
『縄文紀元論』(もぐら通信第108号)の「1。日本語と漢語の関係」>「(3)漢字とひらかな・カタカ
ナの関係」>「(A)言霊とは何か」より:

「万葉集に次の同じ例がありますので、『Mole Hole Letter (10):超越論(5)勾玉 』(も ぐら通信 第


85号)より引用します。上の文から続いた文章だとおもつて読んで下さい。一向に違和感がありませ ん。

「さて、このやうな玉と魂の理解を前提に、折口信夫の次の万葉集の和歌の引用と解釈の例 をみてみませ う。

「あも刀自(とじ)も 玉にもがもや。戴きて、みづらの中に、あへ巻かまくも(四三七七)

おつかさんが玉であつてくれゝばよい。それをとつておいて、何時も頭のみづらの中に交へ て纏かうやう に、
もぐら通信 52
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

玉であつてくれゝば良い。」

「人言のしげきこのごろ。玉ならば、手にも纏(ま)きもちて、恋ひざらましを(四三六)

人の評判がうるさい此頃だ。あの愛人が玉だつたら、人目につかない様に手に纏きつけてお いて、常に離 さ
ないで暮して、こんなにこがれないで居られたらうのに......」 (略)かういふ言 ひ方をするのは、まう一 つ前
に、霊魂なら、ある点すぐ自由に分離したり、 結合させたりすることが出来るといふ考へがあつたからの事
です。その表現が、霊(タマ)の 中心観念から装身具の玉に移つて行つても、ついて廻るのです。文字の上にも、
信仰の推移が、 非常に影響してゐる事を考へなければなりません。」(傍線は引用者)

上記引用の傍線部は、哲学ならば汎神論的存在論、数学ならばtopologyといふ事です。」 (『Mole Hole


Letter (10):超越論(5)勾玉 』(もぐら通信第85号))」

しかし、境界域に立つ神社の境内といふ事の端[コト・端]たる社[八・シロ]に仏塔を
石で《立て》て石塔となし、奈良盆地といふ凹(コトの端)に仏塔を立てて仏教を習合し
た神道ですが(また従つて奈良の言の端といふ一筆書きのウツ・端に都を《立て》た神道
ですが)、仏教的な外来の道徳とは私たちのミチの徳は無縁であり、私たちのこころはも
ののあはれにあるのであるから、これをよく知るべしと云ふ本居宣長の言葉をよく思ひな
がら源氏物語の物語る紫式部のエロスの超越論、即ち本居宣長のもののあはれ論に入りま
す。いづれも玉の緒論(接続[緒]と変形[玉]の論)、即ちトポロジーであることには
変はりはありません。言葉(コトの端)による超越論は、数学でいふtopologyである。
ヨーロッパの自ら云ふ「近代人」を馬鹿にするわけではありませんが(と言つて馬鹿にし
てゐる)、「近代人」を一抜けたと言つた数学者たちが創造したのが19世期末20世紀
初にやつとこさ登場したtopologyといふ数学です。ヨーロッパ地域の近世・近代に於ける
此の数学の開祖は、17世紀のバロックの哲学者にして数学者の二人、デカルトとライプ
ニッツです。前者は解析幾何学を創始し、後者はモナド論を著してトポロジーといふ数学
の先蹤となつた。勿論、歴史の問題ではなく純然たる論理の問題としてならば、「近代
人」が嘘八百を承知でいふ古代ギリシャにも遡ることができますし、論理の問題として世
界の各地域に此れを求めれば、形象(イメージ・表象)と共に至るところにあることでせ
う[註7]。それが日本列島では1万6500年前で、物的証拠を挙げよといはれたら、
はい、これですと言つて、縄文土器を示せばよろしいといふ事の次第のあるのみです。

[註7]
ショーペンハウアーの主著『意志と表象の世界』は、このことをドイツ語で書いて著した名著です。この哲学
書は、森羅万象をありとあらゆる差異によつて、即ちあらゆるコトの端に(言の葉・事の端)よつて、これ
らの全てを次のたつた二つの表裏一体の、即ち片端・片葉の原理に基づいて、説明してゐる書物です。

(1)世界は私の表象である(認識論)
(2)世界の本質は意志である(存在論)

この、差異を基準または規準(クライテリア )にして原理的に森羅万象を叙述し解説をするといふ精神から
もぐら通信 53
1。その死から生まれた私の言語論の祖である私の父岩田英夫に捧げる

もぐら通信 陸奥国竹駒神社に奉納する
2。私が巫女の血を受けた私の母に捧げる ページ
3。神々である石井家の叔父叔母である石井康治叔父さん、良子叔母さん、照子ばちやん、標茶の康之叔父さんに捧げる

いつて、この哲学者はデカルトライプニッツの後継者であり、19世紀のバロック哲学者です。中央公論者の
「世界の名著」の叢書に西尾幹二氏によるショーペンハウアーの主著の優れた翻訳がある。

5.13 縄文土器とは何か
縄文土器とは何かといふ問ひに答へます。

5.1.3.1 縄文土器に関する語彙の分類

(以下次号に続く)
もぐら通信
もぐら通信 ページ54

Topologyで日本の文化を解説する
「内なる辺境」シリーズ
(10)

∼性と古代信仰∼

岩田英哉
もぐら通信

もぐら通信 55
ページ

連載物・単発物次回以降予定一覧

(1)安部淺吉のエッセイ
(2)もぐら感覚23:概念の古塔と問題下降
(3)存在の中での師、石川淳
(4)安部公房と成城高等学校(連載第8回):成城高等学校の教授たち
(5)存在とは何か∼安部公房をより良く理解するために∼(連載第5回):安部公房の汎神論的存在論
(6)安部公房文学サーカス論
(7)リルケの『形象詩集』を読む(連載第15回):『殉教の女たち』
(8)奉天の窓から日本の文化を眺める(6):折り紙
(9)言葉の眼12
(10)安部公房の読者のための村上春樹論(下)
(11)安部公房と寺山修司を論ずるための素描(4)
(12)安部公房の作品論(作品別の論考)
(13)安部公房のエッセイを読む(1)
(14)安部公房の生け花論
(15)奉天の窓から葛飾北斎の絵を眺める
(16)安部公房の象徴学:「新象徴主義哲学」(「再帰哲学」)入門
(17)安部公房の論理学∼冒頭共有と結末共有の論理について∼
(18)バロックとは何か∼安部公房をより良くより深く理解するために∼
(19)詩集『没我の地平』と詩集『無名詩集』∼安部公房の定立した問題とは何か∼*
(20)安部公房の詩を読む
(21)「問題下降」論と新象徴主義哲学
(22)安部公房の書簡を読む
(23)安部公房の食卓
(24)安部公房の存在の部屋とライプニッツのモナド論:窓のある部屋と窓のない部屋
(25)安部公房の女性の読者のための超越論
(26)安部公房全集未収録作品
(27)安部公房と本居宣長の言語機能論
(28)安部公房と源氏物語の物語論:仮説設定の文学
(29)安部公房と近松門左衛門:安部公房と浄瑠璃の道行き
(30)安部公房と古代の神々:伊弉冊伊弉諾の神と大国主命
(31)安部公房と世阿弥の演技論:ニュートラルといふ概念と『花鏡』の演技論
(32)リルケの『オルフェウスへのソネット』を読む
(33)言語の再帰性とは何か∼安部公房をよりよく理解するために∼
(34)安部公房のハイデッガー理解はどのやうなものか
(35)安部公房のニーチェ理解はどのやうなものか
(36)安部公房のマルクス主義理解はどのやうなものか
(37)『さまざまな父』論∼何故父は「さまざま」なのか∼
(38)『箱男』論 II:『箱男』をtopologyで解読する
(39)安部公房の超越論で禅の公案集『無門関』を解く
(40)語学が苦手だと自称し公言する安部公房が何故わざわざ翻訳したのか?:『写
真屋と哲学者』と『ダム・ウエィター』
(41)安部公房がリルケに学んだ「空白の論理」の日本語と日本文化上の意義につい
て:大国主命や源氏物語の雲隠の巻または隠れるといふことについて
(42)安部公房の超越論
(43)安部公房とバロック哲学
①安部公房とデカルト:cogito ergo sum
②安部公房とライプニッツ:汎神論的存在論
③安部公房とジャック・デリダ:郵便的(postal)意思疎通と差異
④安部公房とジル・ドゥルーズ:襞といふ差異
⑤安部公房とハラルド・ヴァインリッヒ:バロックの話法
(44)安部公房と高橋虫麻呂:偏奇な二人(strangers in the night)
(45)安部公房とバロック文学
(46)安部公房の記号論:《 》〈 〉( )〔 〕「 」『 』「……」
(47)安部公房とパスカル・キニャール:二十世紀のバロック小説(1)
(48)安部公房とロブ=グリエ:二十世紀のバロック小説(2)
もぐら通信

もぐら通信 56
ページ

(49)『密会』論
(50)安部公房とSF/FSと房公部安:SF文学バロック論
(51)『方舟さくら丸』論
(52)『カンガルー・ノート』論(済み)
(53)『燃えつきた地図』と『幻想都市のトポロジー』:安部公房とロブ=グリエ
(54)言語とは何か II(済み)
(55)エピチャム語文法(初級篇)
(56)エピチャム語文法(中級篇)
(57)エピチャム語文法(上級篇)
(58)二十一世紀のバロック論
(59)安部公房全集全30巻読み方ガイドブック
(60)安部公房なりきりマニュアル(初級篇):小説とは何か
(61)安部公房なりきりマニュアル(中級篇):自分の小説を書いてみる
(62)安部公房なりきりマニュアル(上級篇):安部公房級の自分の小説を書く
(63)安部公房とグノーシス派:天使・悪魔論∼『悪魔ドゥベモウ』から『スプーン曲げの少年』まで
(64)詩的な、余りに詩的な:安部公房と芥川龍之介の共有する小説観(済み)
(65)安部公房の/と音楽:奉天の音楽会
(66)『方舟さくら丸』の図像学(イコノロジー)
(67)言語貨幣論:汎神論的存在論からみた貨幣の本質:貨幣とは何か?
(68)言語経済形態論:汎神論的存在論からみた経済の本質:経済とは何か?
(69)言語政治形態論:汎神論的存在論からみた政治の本質:政治とは何か?
(70)Topologyで神道を読む(1):祓詞と祝詞と結界のtopology
(71)Topologyで神道を読む(2):結び・畳み・包みのtopology

[シャーマン安部公房の神道講座:topologyで読み解く日本人の世界観]
(71)超越論と神道(1):言語と言霊
(72)超越論と神道(2):現存在(ダーザイン)と中今(なかいま)
(73)超越論と神道(3):topologyと産霊(むすひ)または結び
(74)超越論と神道(4):ニュートラルと御祓ひ(をはらひ)
(75)超越論と神道(5):呪文と祓ひ・鎮魂
(76)超越論と神道(6):存在(ザイン)と御成り
(77)超越論と神道(7):案内人と審神者(さには)
(78)超越論と神道(8):時間の断層と分け御霊(わけみたま)
(79)超越論と神道(9):中臣神道の祓詞(はらひことば)をtopologyで読み解く:
古神道の世界観
(80)三島由紀夫の世界観と古神道・神道の世界観の類似と同一
(81)安部公房の世界観と古神道・神道の世界観の類似と同一
(82)『夢野乃鹿』論:三島由紀夫の「転身」と安部公房の「転身」
(83)バロック小説としての『S・カルマ氏の犯罪』
(84)安部公房とチョムスキー
(85)三島由紀夫のドイツ文学講座
(86)安部公房のドイツ文学講座
(87)三島由紀夫のドイツ哲学講座
(88)安部公房のドイツ哲学講座
(89)火星人特派員日本見聞録
(90)超越論(汎神論的存在論)で縄文時代を読み解く
(91)「『使者』vs.『人間そっくり』」論
もぐら通信 編集後記

もぐら通信 57
ページ

●巻頭詩(8):俳諧のトポロジー:其角と芭蕉:俳諧も、連歌もですが、トポロジーだと知っ
て欲しいと思ひましたので、この対句を挙げました。考へてみて下さい。あなたはかういふ人生
を生きてゐる筈です。
●『周辺飛行』論(31):3。『周辺飛行』について(21):時空の交差点としての舞台――
周辺飛行28:これで第24巻に所収の周辺飛行はおわり、次は第25巻にうつります。もう2
8まで来たのか。
●『砂漠の思想』を読む(7):全面否定の精神:岩田英哉…page 19
●二十一世紀の日本文学のためのスケッチ・ブック(3):塔の文学:2.1 三島由紀夫の詩篇
『凶ごと』と二人の塔の共通の名前:御納戸は文化にとつてとても大切な空間でしたね。子供の
救いの場所だつた。それは折檻されて入れられる場所であるとはいへ。鍵のかかるといふのが日
本家屋にはめづらしいので、何かがある部屋なのでせう。
●ネット・メディア論(10):6.4.3 同調圧力とconformityと空気の関係/6.5 何故民主
主義は共産主義であるのか:待て次号
●縄文紀元論:Topologyで日本人を読み解く(10):5.12 習合といふ漢意をやまとこころ
で何といふのか/5.12.1 位相史のための紀元の分類/5.12.2 淤能碁呂島とは何か:連載
の当初に読んだ資料に、江戸時代の国学者がいふには古事記の謎を解いたものは死ぬと書いてあ
つて、それは解けぬ謎を、自分が解けないからと云って人に呪ひを掛けるとは酷い話だと思ひ、
まあ、人ごとだとおもつてゐましたが、書いてゐるうちに段々人ごとではななくなり、そんな気
がして来るやうになりましたので、ネット・メディア論の完成を待たずに配信しました。いつ死
んでも良いような算段はして私に万一の場合にも配信される手立ては講じてありましたが、ペー
ジ数も適量になつたので生きてゐる今、出すことにしました。こんなふうに古事記を読んだ日本
人は今までゐたのであらうか。あたしあ、素人でござんす。それ故に、多分空前絶後ではないか
な。しかし、自然に回答が文章を書きながら生まれて来るのだから仕様がない。私が書いてゐる
のではない。ことたまの力である。といふことは、あとはもし私がゐなくなったら、ハイ、それ
までよ。此処で柳亭種彦の辞世の狂歌を思ひ出します。此世をば どりやおいとまに せん香と と
もにつひには 灰左様なら
●Topologyで日本の文化を解説する「内なる辺境」シリーズ(10):扇∼性と古代信仰∼:ま
て次号:

●また、次号にて、

次号の原稿締切は超越論的にありません。いつ
差出人:
でもご寄稿をお待ちしています。
贋安部公房
次号の予告
〒 1 8 2 -0 0
03東京都 1。『周辺飛行』論(33)
調布
市若葉町「 2。縄文紀元論(12)
閉ざされた
無 3。私の本棚:西尾幹二著『あなたは自由か』を読む∼自由と奴隷について∼
限」 4。哲学の問題101(11):愛(Liebe:リーベ)
5。大久保房雄を読む(1):文壇とは何であつたか
6。サンチョ・パンサを求めて(11):ドーナツの穴になつた話
もぐら通信
もぐら通信 58
ページ

【もぐら通信の収蔵機関】
国立国会図書館 、コロンビア大学東アジ
ア図書館、「何處にも無い圖書館」

【もぐら通信の編集方針】
1.もぐら通信は、安部公房ファンの参集
と交歓の場を提供し、その手助けや下働き
をすることを通して、そこに喜びを見出す
ものです。
2.もぐら通信は、安部公房という人間と
その思想及びその作品の意義と価値を広く
知ってもらうように努め、その共有を喜び
とするものです。
3.もぐら通信は、安部公房に関する新し
い知見の発見に努め、それを広く紹介し、
その共有を喜びとするものです。
4.編集子自身が楽しんで、遊び心を以
て、もぐら通信の編集及び発行を行うもの
です。

安部公房の広場 | eiya.iwata@gmail.com | www.abekobosplace.blogspot.jp

You might also like