第8回キヤノンの多角化戦略

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経営戦略論 B

第8回
キヤノンの多角化戦略
青木良三
はじめに
前回の授業で多角化企業の経営資源配分をどのように行ったらよいか解説した。
今回の授業は、多角化企業の経営資源配分のケーススタディとして、キヤノンを
取り上げる。

キヤノンは、多角化戦略で大成功をおさめた企業である。なぜキヤノンは、多角化
戦略で成功できたのか解説する。

PPMの観点から見ても、キヤノンの多角化戦略は、高く評価できる。その理由を
解説する。

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1. 多角化以前のキヤノン
• 1937 年、精機光学工業株式会社(キヤノン
の前身)設立。

• 戦後、一時期解散するもののすぐにカメラ
生産を再開。「ライカに追いつき、ライカ
を追い越せ」をスローガンに、高級35ミ
リカメラ専門メーカーとして成長。

• 1959 年、〈声の出る印刷物〉として話題を
集めた「シンクロ・リーダー」(左の写真)
を開発、発売するも売れず失敗に終わる。
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• 1961 年、「キヤノネット」(左の写真)を発売し
て、キヤノンは一眼レフの中級機分野に参入。
低価格により爆発的なヒットに。生産累計台数は
100 万台を突破。

• 1962 年、「長期経営計画」 ( 第一次5カ年計画 )


を策定し、事務機分野への本格的進出に取り組み、
事業多角化の方針が打ち出された。

• 1967 年、創立 30 周年、「右手にカメラ、左手に


事務機」をスローガンに多角化を推進。
2.多角化以後のキヤノン
• 1963 年、電卓の試作機を完成。

• 翌 1964 年には、ビジネスショーで世界初のテンキー式の電卓を発表。これが、「キ
ヤノーラ 130 」です。

• キヤノンの電卓事業は、シャープと市場を二分するほどの大成功を収め、売上高の
40 %を占めるほどになった。

• しかし、その後の激しい小型化・低価格化競争についていけず市場シェアを落として
しまった。

• 左の写真は、英国サムロックコンプトメータ社が 1963 年に発売した世界初の電卓。


数字入力キーはフルキータイプ。右の写真が「キヤノーラ 130 」。テンキー方式。 5
キーの数が違う。
• 1969 年、キヤノンカメラ株式会社からキヤノン株式会社
へ社名変更。

• 1973 年の第一次オイルショックで業績悪化。 75 年6月


期に無配転落。

• 1978 年、カメラ事業部、事務機事業部(計算機や複写機
など)、光学機器事業部(X線間接撮影専用カメラな
ど)の三事業部からなる「製品別事業部制」を導入。

• 1980 年代に入ると、企業向け複写機市場は成長期から
成熟期に入ったため、キヤノンは個人や小規模事業所向
けの小型複写機の開発を始める。開発された複写機が
PCシリーズ。国内の複写機市場の半分が小型機となり、
キヤノンはこの小型機で一時期約 80 %の市場占有率を
獲得した。

• 1975 年5月、世界初のレーザー・プリンタ「LBP-
400 」を発表。LBP市場で、キヤノンは世界のトップ
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メーカーとなる。
その後、キヤノンは電卓市場で
シェアを落としてしまう。

その理由は何か?

答えのひとつは、不良品問題で
あるが、経営戦略的な問題も
抱えていた。
【質問1】

複写機に進出した理由は何か?
【答え】

複写機は、カメラのように
その消耗品も含めて生産・
「売り切り商品」ではなく、
販売すれば安定的に収益が
使用する紙やトナーなどの
見込めるため。
消耗品が付属する。

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複写機の開発
1960 年までに、ゼロックス社が、 PPC (普通紙間接複写)方式
の特許を独占。

は難航 このため、キヤノンは独自技術の開発に苦労するが、ゼロックス
の帯電方式のPPCと異なる、除電方式のPPCである「NP
( New Process )システム」の開発に成功する。

青焼き、ジアゾ式複写機によるコピー
1970年にNPシステムを採用した最初
の複写機を発売。

ゼロックスと
リコーの壁
しかし、富士ゼロックスとリコーが強力な
販売・サービス網を築いて、国内市場を二
分していたため、後発メーカーのキヤノン
は容易に販売量を伸ばすことができなかっ
た。
ゼロックスとリコーの強みは

両社の強みは、高速複写が可能な大型機の営業に強いことや、
多数のメンテナンス要員を抱えていることにあった。
【質問2】

そこでキヤノンはどうしたか?

自社の強みを発揮するとともに、
自社の弱みを強みに転換することが課題になる。

果たして、そのような戦略はあるか?
1980年代に入ると、企業向け複写機市場
は成長期から成熟期に入ったため、キヤノン
は個人や小規模事業所向けの小型複写機の
開発を始める。

その答えが
小型機市場
キヤノンは、ターゲットを大企業から個人や
小規模事業所に切り替えた。
PCシリーズの開発、発売

PCシリーズの特徴は、①ユーザー
製品コンセプトは「A4サイズと が自らカートリッジを交換する
小さく、メンテナンスが不要で、 メンテナンス・フリー設計と、 ②低
価格も20万円を切るような製 価格(当時、50万円程度であった
品」。 複写機の 価格を一気に20万円程度
にまで引き下げた)にあった。
【質問3】

20万円という価格は
何を根拠に設定されたのか?
【答え】売価逆算方式で 20 万円に価格を設定
 コスト積算方式

C(コスト)+ R(利益)= P(価格)

こうした考え方で価格を設定している企業は?

 売価逆算方式

P(売れると予測された価格)- R= C

こうした考え方で価格を設定している企業は?
つまり、キヤノンは、ゼロックス、リコーが目をつけていない 小
型複写機市場に狙いを定め、メンテナンス・フリー設計の商品を
開発することによって、自社の弱みを強みに転換することに 成功
した。
以下の4つのパターンの多角化のうち①、②、③し
かしなかったため。つまり、④をしなかった。

① 周辺事業への多角化(従来の技術、販売ルート
の利用が可能)

3.キヤノンが ② 関連事業への多角化(技術は共通で販売ルート
多角化で成功した が異なる場合、もしくは逆の場合)

理由
③ 垂直的統合による多角化(川上部門・川下部門へ
の進出)

④ 非関連事業への進出

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キヤノンの多角化の流れ
高級カメラ専業 AE-1 ビデオ機器
光学技術・精密機械技術 オートボーイ デジタルカメラ

デジタル電子技術

シンリクロ・リーダー 電 卓 ワープロ
エレクトロニクス技術 電子タイプライタ

複写機 パーソナルカートリッジ ファクシミ



コピア プリンタ
•精密各社の最近の業績比較

•キヤノンが、売上高でライバル
企業を大きく引き離している。

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おわりに

カメラメーカーとしてスタートしたキヤノンは、 1960 年代にはカメラ以外の事業に


進出することが今後の企業成長のために不可欠であることを理解していた。

事務機分野への進出に力を入れ、電卓、複写機などでヒット商品を生み出し、業界
内の地位を確保した。

こうした多角化戦略が成功したのは、金の生る木の事業で稼いだ資金を問題児の事
業や花形事業に投入して、これら事業を育てることに成功したからに他ならない。

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